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【悲報】 大和田南那の握手対応が、消化試合モードwwwwwwwwwwwwww

1 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ :2017/01/08(日) 19:32:15.98 ID:kbwxwEfN.net
ヲタは満足らしいw
https://twitter.com/seinanya/status/818023404104130561

2 :47の素敵な(チベット自治区)@\(^o^)/ (ワッチョイW 4b5d-8H3w):2017/01/08(日) 19:33:40.91 ID:CZ4tJ3xP0.net
>>1
こんな太ってたんだ…

3 :47の素敵な(大阪府)@\(^o^)/ (ワッチョイW 93fa-qJdU):2017/01/08(日) 19:33:45.92 ID:ahcXmqVM0.net
豚www

4 :47の素敵な(dion軍)@\(^o^)/ (ワッチョイ b12f-Dgk8):2017/01/08(日) 19:33:50.49 ID:jbdcY69f0.net
ごっつぁんですって感じ

5 :47の素敵な(東京都)@\(^o^)/ (ワッチョイ 1395-/qCC):2017/01/08(日) 19:34:22.22 ID:BInoUooZ0.net
>>1
女の子が髪の毛を切るって一大事だぞ!

ショートなーにゃ、是非見たいもんだ

6 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdf3-NgiL):2017/01/08(日) 19:34:51.37 ID:Vr1ME/2td.net
こんなんじゃクビになるわなw

7 :47の素敵な(神奈川県)@\(^o^)/ (ワッチョイWW d924-v8n3):2017/01/08(日) 19:34:52.31 ID:pXMqz5r+0.net
フランクでいい感じじゃないか

8 :47の素敵な(やわらか銀行)@\(^o^)/ (ワッチョイW f1c8-GcKO):2017/01/08(日) 19:35:35.70 ID:qDh2iBpS0.net
動画撮っていいんだ…

9 :47の素敵な(神奈川県)@\(^o^)/ (ワッチョイ 331c-IbiL):2017/01/08(日) 19:36:28.47 ID:cRCIvoeq0.net
太すぎだろ

10 :47の素敵な(北海道)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 5b7d-JQuo):2017/01/08(日) 19:36:42.19 ID:wV7TmDNh0.net
もっとちゃんとやれよw

11 :47の素敵な(禿)@\(^o^)/ (オッペケ Sr8d-SiVw):2017/01/08(日) 19:36:50.75 ID:FwqCwhP0r.net
女オタの方が投げやりだな

12 :47の素敵な(やわらか銀行)@\(^o^)/ (ワッチョイ f1c8-pn3f):2017/01/08(日) 19:37:00.84 ID:k4bsfFkB0.net
>>1
鏡餅が鏡餅を弄んでる

13 :47の素敵な(長野県)@\(^o^)/ (ワッチョイ 99c2-ZcNX):2017/01/08(日) 19:37:14.77 ID:8Uq7VwMK0.net
>>1
豚www

14 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スプッッ Sdf3-oQtP):2017/01/08(日) 19:37:19.09 ID:iunW8/VKd.net
カロリー消化試合ならいいんだが。。。

15 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdb3-aTbs):2017/01/08(日) 19:37:30.84 ID:rbO9Fp7sd.net
また肥ってんじゃねーかwwwwwwwwwwwww

16 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdf3-bL/C):2017/01/08(日) 19:37:42.80 ID:cbbDk6i5d.net
鏡餅くるくるでわろたw

17 :47の素敵な(青森県)@\(^o^)/ (ワッチョイ 93db-51vH):2017/01/08(日) 19:37:45.84 ID:Jb7RFPt50.net
こんな奴もにも卒業公演が与えられるという事実

18 :47の素敵な(北海道)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 5b7d-JQuo):2017/01/08(日) 19:37:48.98 ID:wV7TmDNh0.net
>>1
のむ姉推しになるのかこの人

19 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-8czw):2017/01/08(日) 19:38:04.83 ID:N2/BhDmCa.net
クソワロタ
今のなーにゃは下から撮ったらアカン

20 :47の素敵な(東京都)@\(^o^)/ (ワッチョイ 4ba8-BXa4):2017/01/08(日) 19:38:10.74 ID:omSmStvE0.net
豚キムチ篠崎さんに似てきたな
まあなげやりのやっつけになる気持ちはわかる

21 :47の素敵な(catv?)@\(^o^)/ (ワッチョイW 5b0f-qJdU):2017/01/08(日) 19:38:19.65 ID:ZeJ6PAB+0.net
解雇されたのにどうやる気になれと

22 :47の素敵な(玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 19:38:32.88 .net
>>14
上手い

23 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-iXug):2017/01/08(日) 19:38:42.27 ID:xGQvszrva.net
太り過ぎじゃね
どうしたんだよ
何があった

24 :47の素敵な(禿)@\(^o^)/ (オッペケ Sr8d-SiVw):2017/01/08(日) 19:38:59.84 ID:FwqCwhP0r.net
大島涼花もルールやぶってるし明日卒業発表するだろう
http://video.twimg.com/ext_tw_video/817993729063534592/pu/vid/720x1280/NkGXnKUq6vEOqekz.mp4

25 :47の素敵な(dion軍)@\(^o^)/ (ワッチョイWW b94d-nuAD):2017/01/08(日) 19:39:23.64 ID:WRTpk8dC0.net
女ヲタにたいしてこれか
イケメン以外興味無しだな

26 :47の素敵な(openmobile)@\(^o^)/ (オッペケ Sr8d-KLRm):2017/01/08(日) 19:39:26.91 ID:dIF6ALtZr.net
どっちが鏡餅だかわかんねーよ

27 :47の素敵な(福岡県)@\(^o^)/ (ワッチョイW 5147-8czw):2017/01/08(日) 19:39:53.32 ID:vwXmaTi40.net
この女ヲタも投げやりやんw

28 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdf3-bL/C):2017/01/08(日) 19:39:53.38 ID:cbbDk6i5d.net
>>8
はい殺意。

29 :47の素敵な(石川県)@\(^o^)/ (ワッチョイ 51e3-/7mX):2017/01/08(日) 19:39:56.92 ID:1xWbIxwJ0.net
乙葉の劣化版

30 :47の素敵な(チベット自治区)@\(^o^)/ (ワッチョイW 9341-+flj):2017/01/08(日) 19:40:21.36 ID:Xaaff6SZ0.net
どうせクビだし
やけくそになってるんだろうな

31 :47の素敵な(catv?)@\(^o^)/ (ワッチョイW 5b0f-qJdU):2017/01/08(日) 19:40:24.44 ID:ZeJ6PAB+0.net
>>24
何か大島も太ったな
肩の荷が下りると女って太るものなのか

32 :47の素敵な(地震なし)@\(^o^)/ (ワッチョイ 5130-n+Bk):2017/01/08(日) 19:40:32.35 ID:Q7LwuXtn0.net
>>17
本人が固辞したり違法行為や重大な契約違反がない限りは卒業公演は行われるから

33 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-8czw):2017/01/08(日) 19:40:57.04 ID:ACuebZDla.net
>>24
両方肥えてるな…
やはり動画だと加工がないから誤魔化せん

34 :47の素敵な(空)@\(^o^)/ (アークセーT Sx8d-/7mX):2017/01/08(日) 19:41:05.31 ID:N5qcgspnx.net
痩せたらセンター()www

もう単なるぶーねえちゃん

35 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sac5-CiB6):2017/01/08(日) 19:43:05.71 ID:8YuaGXQsa.net
煽り抜きでただのデブじゃねーか
さすがに顔だけは云々レスももう無理だな

36 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 19:44:30.77 ID:jwgstnjN.net
>>8
1S動画会

37 :47の素敵な(東京都)@\(^o^)/ (ワッチョイ 1395-/qCC):2017/01/08(日) 19:45:44.65 ID:BInoUooZ0.net
>>1

https://video.twimg.com/ext_tw_video/818023256976297984/pu/vid/720x1280/7e_WiJvIB0bw1m_o.mp4

38 :47の素敵な(東京都)@\(^o^)/ (ワッチョイ 4b7d-RGwK):2017/01/08(日) 19:46:22.72 ID:1ADtLcea0.net
ほんと顔だけは偏差値59あるなコイツ

39 :47の素敵な(チベット自治区)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 99aa-upob):2017/01/08(日) 19:46:57.92 ID:BwSbqWEJ0.net
ワロワロ

40 :47の素敵な(西日本)@\(^o^)/ (ワッチョイ 9928-HvS5):2017/01/08(日) 19:47:28.58 ID:NfV35Jmc0.net
見事に目が死んでるな

41 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdf3-bL/C):2017/01/08(日) 19:47:40.61 ID:cbbDk6i5d.net
見所

OK! 鏡餅くるくる 目めっちゃ赤いよ? 髪の長さを適当に言う デブ

42 :47の素敵な(SB-iPhone)@\(^o^)/ (ササクッテロレ Sp8d-SevC):2017/01/08(日) 19:47:42.71 ID:Qgy1cPmKp.net
見なきゃ良かった悲しくなったわ

43 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdb3-o8Wd):2017/01/08(日) 19:48:43.00 ID:G/4i7epAd.net
なーにゃほどの逸材を育てるどころか実質解雇に追い込む糞運営
5年後朝ドラ主演やって後悔させてやれ

44 :47の素敵な(福岡県)@\(^o^)/ (ワッチョイW 5147-8czw):2017/01/08(日) 19:49:17.78 ID:vwXmaTi40.net
涼花も昨日コロコロして浮腫まないようにするって言ってたけど顔ぱんっぱんだな

45 :47の素敵な(長野県)@\(^o^)/ (ワッチョイ 99c2-ZcNX):2017/01/08(日) 19:49:53.41 ID:8Uq7VwMK0.net
完全に徹夜明けだな
昨日キモヲタで気持ち悪くなったから彼に清めてもらったか

46 :47の素敵な(やわらか銀行)@\(^o^)/ (ワッチョイ f1c8-PjzB):2017/01/08(日) 19:50:20.59 ID:0tXPJmcc0.net
.。oO(紅白の投票させたしもうヲタに用ねえから)

47 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdf3-bL/C):2017/01/08(日) 19:50:21.83 ID:cbbDk6i5d.net
安定のデブでーす

48 :47の素敵な(catv?)@\(^o^)/ (オイコラミネオ MM6b-L2iV):2017/01/08(日) 19:50:58.08 ID:3kOcstWkM.net
なんだこの豚は

49 :47の素敵な(大阪府)@\(^o^)/ (ワッチョイ ab40-HvS5):2017/01/08(日) 19:51:11.36 ID:Qz8MhIBW0.net
産後に急激に太った人みたい

50 :47の素敵な(空)@\(^o^)/ (アークセーT Sx8d-/7mX):2017/01/08(日) 19:51:27.53 ID:3xSaJb0hx.net
大和田も大島も
いよいよ末期だな

51 :47の素敵な(山口県)@\(^o^)/ (ワッチョイW 0917-L2iV):2017/01/08(日) 19:52:08.66 ID:GXq82Goj0.net
横綱かよ

52 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スプッッ Sdf3-oQtP):2017/01/08(日) 19:52:57.41 ID:rZErGsZTd.net
ただのDQNでした

53 :47の素敵な(大阪府)@\(^o^)/ (ワッチョイ 2140-HvS5):2017/01/08(日) 19:53:15.91 ID:PPBw9XHQ0.net
辞めたらもっとデブになるんだろうな
ひどすぎ

54 :47の素敵な(福岡県)@\(^o^)/ (ワッチョイ c1a2-IbiL):2017/01/08(日) 19:53:46.75 ID:Dkjar2UH0.net
>>24
http://i.imgur.com/8rZYJXJ.jpg

55 :47の素敵な(catv?)@\(^o^)/ (ワッチョイ 9155-f1yY):2017/01/08(日) 19:54:56.41 ID:0OvHfEG60.net
>>43
そんな根性あるなら最初から醜く太らない。
芽が出なかったのは誰のせいでもない本人のせい。

56 :47の素敵な(福岡県)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 4ba2-6HJv):2017/01/08(日) 19:55:02.72 ID:tKPD1vE/0.net
解雇で芸能活動継続しないんだからそりゃ消化試合だろ

57 :47の素敵な(愛知県)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 91ec-BEi3):2017/01/08(日) 19:55:43.80 ID:ysHW72N00.net
心置き無くヲタ止めれるわ

58 :47の素敵な(福岡県)@\(^o^)/ (ワッチョイ c1a2-IbiL):2017/01/08(日) 19:56:23.06 ID:Dkjar2UH0.net
髪をバッサリ切るてのはダイエット宣言?
AKBの肩書きなくなったらただのデブだからな
痩せたらかわいいとかヲタしか言ってくれないだろうし

59 :47の素敵な(やわらか銀行)@\(^o^)/ (ワッチョイ f1c8-Ij/g):2017/01/08(日) 19:56:56.91 ID:VmTQB96y0.net
裏切り者を追い出したいちごちゃんずこそが大正義
欲に走って掟破った豚は出荷されて当然だ

60 :47の素敵な(やわらか銀行)@\(^o^)/ (ワッチョイW f1c8-+flj):2017/01/08(日) 19:57:14.97 ID:ZlDX1E8A0.net
力士やないけ!

61 :47の素敵な(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/ (ワッチョイ b37d-pn3f):2017/01/08(日) 19:57:15.95 ID:345lpARD0.net
卒業発表したメンは握手会免除してやれよ
入山なんて永久的に握手会免除されてるんだからさ
川栄は卒業したぞ

62 :47の素敵な(catv?)@\(^o^)/ (ワッチョイ 9155-f1yY):2017/01/08(日) 19:57:17.73 ID:0OvHfEG60.net
大和田は逸材だったが、彼女の最大の失敗は自分が逸材だと知って油断した事だ。
彼女の目標・向上心がその程度だったと言えばそれまでだが勿体無い。

63 :47の素敵な(東京都)@\(^o^)/ (ワッチョイ d91c-/7mX):2017/01/08(日) 19:57:54.97 ID:vUJmSQRw0.net
運営はちゃんと期待して推してたのになぁ

64 :47の素敵な(WiMAX)@\(^o^)/ (ワイモマー MMb3-gOlO):2017/01/08(日) 19:58:25.38 ID:9l57MdB8M.net
>>61
こじはるは免除されてる

65 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スプッッ Sdf3-9YRQ):2017/01/08(日) 19:58:37.36 ID:WzeRa+hod.net
本当卒業発表してから一気に対応かわったよ
まじで驚いたから

66 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdb3-prg+):2017/01/08(日) 19:58:38.73 ID:lfs4+aRqd.net
もはや衝撃映像なんですけどw
太りすぎだろ・・・

67 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スプッッ Sdb3-oQtP):2017/01/08(日) 19:59:18.38 ID:z21Jzkmxd.net
この先、事務所移籍してもこんな感じで結局やめてくパターンだな

68 :47の素敵な(東京都)@\(^o^)/ (ワッチョイ 5185-HvS5):2017/01/08(日) 19:59:50.77 ID:oAw+sm3n0.net
正月太り

69 :47の素敵な(東京都)@\(^o^)/ (ワッチョイ d91c-/7mX):2017/01/08(日) 20:00:13.95 ID:vUJmSQRw0.net
>>54
隣に居るのまさか大島さん?
お母さんじゃなくて?

70 :47の素敵な(空)@\(^o^)/ (アークセーT Sx8d-/7mX):2017/01/08(日) 20:00:25.77 ID:ZrOoFMeZx.net
しかしほんとに不細工だなw
ヲタはよくかわいく見えるなー
男がいてデブブサイクとかもう邪魔でしかない

71 :47の素敵な(福岡県)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 49a2-FKmn):2017/01/08(日) 20:00:51.65 ID:c3K3et1c0.net
でもこの体型が愛してる

72 :47の素敵な(チベット自治区)@\(^o^)/ (ワッチョイ 5b8f-O2rp):2017/01/08(日) 20:00:52.91 ID:byRvJ3wS0.net
芸能活動続けるなら、むしろ対応良くしないとだめだと思うんだが

73 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sac5-W866):2017/01/08(日) 20:02:29.01 ID:ez3ZvpXda.net
すまんがこれがAKBで期待されてた有望若手なの?
デブで態度も傲慢だしひどいな
坂ヲタで良かった

74 :47の素敵な(大阪府)@\(^o^)/ (ワッチョイ 99ad-BXa4):2017/01/08(日) 20:02:35.43 ID:uQrsQspV0.net
AKBやめても芸能事務所拾ってくれなそう
https://video.twimg.com/ext_tw_video/817674645801287680/pu/vid/720x1280/aY6Fc7z2W--_1CRv.mp4

75 :47の素敵な(兵庫県)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 41ab-xgXV):2017/01/08(日) 20:03:04.31 ID:txJDJ2g40.net
オタクもやる気ないじゃん、全力で楽しめよ金払ってんだから

76 :47の素敵な(pc?)@\(^o^)/ (ワッチョイ 51f1-Fu9S):2017/01/08(日) 20:03:07.23 ID:wSK/IVt90.net
安定のでぶーですね

77 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-8czw):2017/01/08(日) 20:03:43.03 ID:ACuebZDla.net
ノリのいいメンバーはここまでやってくれる
https://video.twimg.com/ext_tw_video/817628004939464704/pu/vid/720x1280/Szxyp0XAkHrIuSDo.mp4
https://video.twimg.com/ext_tw_video/817707610619015168/pu/vid/720x1280/uoTtBGA3svbRSU2l.mp4

78 :47の素敵な(愛知県)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 91ec-BEi3):2017/01/08(日) 20:04:03.67 ID:ysHW72N00.net
AVでも見たくないレベル

79 :47の素敵な(pc?)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 93e5-kZte):2017/01/08(日) 20:05:24.16 ID:AjUUtuMd0.net
こじはるやみるきーのときと違って、なーにゃヲタで不満言うやつはいない
素を隠して表面的な神対応なんかで満足する連中じゃないからな
想定外の反応や、意外性や、好き放題やりまくる
素のなーにゃこそ彼らが求めているものだからな

80 :名無しさん@実況は禁止です:2017/01/08(日) 20:11:30.15 ID:riMjYjh7f
>>24
なーにゃ太りすぎでしょ…
りょーかも太ったし劣化したな、少しも可愛くない

81 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウウーT Sac5-HvS5):2017/01/08(日) 20:07:13.89 ID:m+VCA6h6a.net
>>74
ええなあ
https://video.twimg.com/ext_tw_video/817709362697207808/pu/vid/1280x720/4TNsxP4fddor0OWT.mp4

82 :47の素敵な(家)@\(^o^)/ (ワッチョイ 9385-fwhx):2017/01/08(日) 20:07:54.17 ID:KAwl6xND0.net
こういう映像って一生残るからな、
仮にもし何時か有名になった時後悔しなきゃいいけど

83 :(WiMAX)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 20:09:39.35 .net
>>1
好感持てるデブだわ

84 :47の素敵な(神奈川県)@\(^o^)/ (ワッチョイ a182-HvS5):2017/01/08(日) 20:09:42.06 ID:JT3FHhhh0.net
天賦の才を持った全ての人間が全て成功するとは限らないというのが世の常とは言え、
なんというか、なんだか切なくなるやね

85 :47の素敵な(地図に無い島)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-kZte):2017/01/08(日) 20:10:43.43 ID:R2ed9ux0a.net
>>82
お前らみたいな魑魅魍魎から離れたらストレスがなくなって痩せるんじゃね
つか、人見知りに起因する島崎とは明らかに違うタイプだよな

86 :47の素敵な(東日本)@\(^o^)/ (ワッチョイ 3314-vi6t):2017/01/08(日) 20:10:44.93 ID:M4PB1zNX0.net
>>54
これは、、、、

87 :47の素敵な(チベット自治区)@\(^o^)/ (ワッチョイWW d941-M7pG):2017/01/08(日) 20:11:18.45 ID:Avkba9XV0.net
MUTEKI

88 :47の素敵な(愛知県)@\(^o^)/ (ワッチョイ a1a1-HvS5):2017/01/08(日) 20:11:52.20 ID:k1q3pO7m0.net
なーにゃかわええ
https://video.twimg.com/ext_tw_video/812538755202437120/pu/vid/720x1280/y0Q6IIqI1W9qvKYC.mp4

89 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スプッッ Sdb3-5duh):2017/01/08(日) 20:12:33.33 ID:kUdXD+fMd.net
子供3人います。みたいな体だな。

90 :47の素敵な(香川県)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 2b3f-MJVy):2017/01/08(日) 20:13:02.91 ID:B+ByNHXy0.net
太ったけど
なんだかんだ可愛いな

91 :47の素敵な(WiMAX)@\(^o^)/ (ワイモマー MMb3-gOlO):2017/01/08(日) 20:13:22.95 ID:9l57MdB8M.net
地下じゃやたら評価高いけど、
AKBヲタの有名人からの評価聞いたことないな
いいとも悪いとも

92 :47の素敵な(やわらか銀行)@\(^o^)/ (ワッチョイW f1c8-49ie):2017/01/08(日) 20:14:23.98 ID:Zx2ASU3h0.net
地下で評価されてるなら地上とは真逆だよ

93 :47の素敵な(やわらか銀行)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 13c8-nbys):2017/01/08(日) 20:14:37.94 ID:Xdh2Htdn0.net
ここまで太っててそこそこ可愛いからな

痩せてたらマジ天使だろこいつ

94 :47の素敵な(神奈川県)@\(^o^)/ (ワッチョイ a182-HvS5):2017/01/08(日) 20:14:59.74 ID:JT3FHhhh0.net
比較的スリムで周囲の期待を集めていた頃までは、持前の天真爛漫さが良い方向に出てたんだけどな
ある時期から、依然と同じ対応でも天真爛漫じゃなくて「ふてぶてしさ」に感じてしまう人が増えてきちゃったからな

95 :47の素敵な(空)@\(^o^)/ (ブーイモ MMb3-G0z2):2017/01/08(日) 20:15:55.01 ID:hbJHefdIM.net
>>77
ももちゃんこえーよ

96 :47の素敵な(dion軍)@\(^o^)/ (ワッチョイW db4d-jVYx):2017/01/08(日) 20:16:38.77 ID:KqHMujcD0.net
モー娘。のズッキーニとかいうのが
一瞬痩せてたときに似てる

97 :47の素敵な(埼玉県)@\(^o^)/ (ワッチョイW 5121-+flj):2017/01/08(日) 20:17:34.10 ID:4hxFSIhH0.net
顔だけいい

98 :47の素敵な(地図に無い島)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-kZte):2017/01/08(日) 20:19:23.93 ID:mJ07Q4RNa.net
まあ大和田本人はさておいて大和田の生誕界隈はろくなのがいないからな
寝坊遅刻ばっかりでろくに推し事もせず、
やっと今日になってはじめて卒業ブースが設置された

99 :47の素敵な(大阪府)@\(^o^)/ (ワッチョイ ab40-HvS5):2017/01/08(日) 20:19:31.68 ID:YQNUKsbs0.net
終わったらその鏡餅食べるのかな

100 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdb3-8/vf):2017/01/08(日) 20:19:32.93 ID:oFiZXcZOd.net
なおみきちゃんは早口言葉が面白すぎて
係員も隣のレーンのオタも巻き込んで大盛り上がり

101 :47の素敵な(空)@\(^o^)/ (ブーイモ MMb3-G0z2):2017/01/08(日) 20:19:38.78 ID:hbJHefdIM.net
>>93
握手会デビューの時行ったけど、息を飲んだわ

102 :47の素敵な(pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 20:20:18.36 .net
これ誰すか
http://imgur.com/bJvxYIg.jpg

103 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 20:21:05.63 .net
http://i.imgur.com/NGOvqzB.jpg
http://i.imgur.com/HBfZwvR.jpg
http://i.imgur.com/rHoGjLb.jpg

104 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdb3-o8Wd):2017/01/08(日) 20:22:15.35 ID:oamZ7qTUd.net
三上ユアをAV界のセンターから下ろすのはなーしかいない
AKBがSKEに負けてはならない

105 :47の素敵な(長野県)@\(^o^)/ (ワッチョイ 99c2-ZcNX):2017/01/08(日) 20:22:27.37 ID:8Uq7VwMK0.net
>>102
涼花の母

106 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-kZte):2017/01/08(日) 20:22:40.98 ID:6ZFRsT4oa.net
大和田スレでももちゃんの話でもすっか
まりおとかhideとかもう飽きたしな

107 :47の素敵な(千葉県)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 9399-kZte):2017/01/08(日) 20:22:41.42 ID:Iy6SzTs20.net
>>103
こういうズボンが流行ってるの?

108 :47の素敵な(神奈川県)@\(^o^)/ (ワッチョイ 09f9-HvS5):2017/01/08(日) 20:23:31.51 ID:IHQcqhN+0.net
>>38
なんか中途半端w

109 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sac5-hY6v):2017/01/08(日) 20:23:34.34 ID:ieNcdS44a.net
笑えないくらいのデブ

110 :47の素敵な(やわらか銀行)@\(^o^)/ (ワッチョイW f1c8-+flj):2017/01/08(日) 20:24:07.03 ID:PEfssROB0.net
行っても損した感味わうだけだなw

111 :47の素敵な(関東・甲信越)@\(^o^)/ (ガラプー KK75-HS+H):2017/01/08(日) 20:24:17.13 ID:o6i7sb6hK.net
性格や愛嬌含めての才能の問題だからな
運営がーじゃなく芸能界渡ってく才能がないから勝手に自滅しただけ

112 : 47の素敵な(地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 20:24:27.03 .net
大和田は握手だけじゃなくて公演も完全に消化試合。
あえり生誕のbingoなんてAKB史に残るほどの糞ダンスで、
あれはgifにして拡散糾弾すべき。

やる気がないならもう公演出さないでほしい。
握手みたいに買ってるヲタもいないし、
出なくても問題ない。

113 :47の素敵な(神奈川県)@\(^o^)/ (ワッチョイ a182-HvS5):2017/01/08(日) 20:25:14.06 ID:JT3FHhhh0.net
まぁでも、人間将来があると思うから向上心も湧くし努力もできるんだしな。仕方ないわ。
毎日ダイエットをまじめに継続してる人だって、仮に明日世界が滅ぶとわかったら
好きなものを好きなだけ食べるだろうし(´・ω・`)

114 :47の素敵な(東日本)@\(^o^)/ (ワッチョイ 3314-vi6t):2017/01/08(日) 20:25:28.65 ID:M4PB1zNX0.net
>>103
コレ田舎のコンビニ前かなんか?w

115 :47の素敵な(チベット自治区)@\(^o^)/ (ワッチョイWW d941-YQQm):2017/01/08(日) 20:26:37.71 ID:VEVwTA730.net
>>74
素人かよ…

116 : 47の素敵な(地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 20:28:07.04 .net
>>102
その昔「Bに行くと太って腐る」というジンクスがあったが
また復活してきてないか?

117 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スフッ Sdb3-yw6F):2017/01/08(日) 20:29:03.11 ID:Nb366U5Ld.net
まあ若いしなんとでもなるさ
薬やった人でも犯罪者でも戻ってこれる世界だから

118 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-kZte):2017/01/08(日) 20:29:30.78 ID:jDywjA8ra.net
>>116
Bマネからして腐ってるからな
超選抜のスケジュールすら覚えていない運営屈指の無能だぞw

119 :47の素敵な(神奈川県)@\(^o^)/ (ワッチョイ 41c2-/Ylu):2017/01/08(日) 20:29:30.81 ID:WBwy3jaq0.net
小野恵令奈の境遇と重なる

120 :47の素敵な(しうまい)@\(^o^)/ (ワッチョイ db35-pn3f):2017/01/08(日) 20:29:54.32 ID:/71G2PN90.net
島崎さんよりましじゃないですか
目線あわせてくれるんですよ!

121 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdb3-oNu0):2017/01/08(日) 20:30:32.12 ID:3fNsKbUdd.net
>>1
最後に鏡餅を投げつけるのかと思ったw

122 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スプッッ Sdb3-/Nb9):2017/01/08(日) 20:32:30.17 ID:RAULv8Ukd.net
>>1
この体型じゃまあ角番にもなるわな

123 :47の素敵な(dion軍)@\(^o^)/ (ワッチョイWW b94d-nuAD):2017/01/08(日) 20:33:00.59 ID:WRTpk8dC0.net
鏡餅キャッチするの上手いね

124 :47の素敵な(dion軍)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 20:33:40.76 .net
>>1
撮ってる奴の方が投げやりじゃねーか

125 :47の素敵な(auスマフォ)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-kZte):2017/01/08(日) 20:37:16.20 ID:6ZFRsT4oa.net
お前らがいらないなら野村再生工場と言われた俺がなーにゃを引き取るよ

126 :47の素敵な(千葉県)@\(^o^)/ (ワッチョイ 9399-cBnL):2017/01/08(日) 20:37:18.35 ID:Iy6SzTs20.net
>>112
http://i.imgur.com/TRelL5F.gif

127 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-YvL1):2017/01/08(日) 20:40:15.34 ID:WGT52DRZa.net
蹄が黒くなってるじゃん、なーにゃ!

128 :47の素敵な(東京都)@\(^o^)/ (ワッチョイ abc2-HvS5):2017/01/08(日) 20:40:58.68 ID:al7QYHTx0.net
まず水着で売り込む事務所に拾われたら怪我の功名すぎるな

129 :47の素敵な(地震なし)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 938b-kZte):2017/01/08(日) 20:42:28.78 ID:vs+TXgxl0.net
大和田界隈は最後の最後までなーにゃの足を引っ張るんだな
そりゃなーにゃもピンポイントで雑対応するわな
てか、界隈のヲタも雑対応だしw

130 :47の素敵な(禿)@\(^o^)/ (オッペケ Sr8d-GcKO):2017/01/08(日) 20:45:51.92 ID:8jBHfj8+r.net
ゾンビのやってた時、可愛いかったのに

131 :47の素敵な(pc?)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 93a4-kZte):2017/01/08(日) 20:47:34.28 ID:OezPj6wz0.net
鏡餅でお手玉したり欠伸をするのはそれはそれで可愛いから別に構わんけどな

ただ顔だけでいいから少し痩せろ

132 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdb3-qGHM):2017/01/08(日) 20:49:43.31 ID:+xR8/EQsd.net
>>98
それ島崎ヲタとの兼ヲタが見かねてやっと立ち上げたと聞いた

133 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スップ Sdf3-Q1bo):2017/01/08(日) 20:50:50.18 ID:OBHhRFWNd.net
ぱんっぱんwww

134 :47の素敵な(チベット自治区)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 99aa-upob):2017/01/08(日) 20:52:32.39 ID:BwSbqWEJ0.net
>>126
クソッ!!!!豚だけど可愛い!!!!!

135 :47の素敵な(兵庫県)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 59ab-qGHM):2017/01/08(日) 20:53:34.64 ID:xKPjPAlL0.net
乙葉二世

136 :47の素敵な(catv?)@\(^o^)/ (ワッチョイ 9155-2c8l):2017/01/08(日) 20:54:51.02 ID:vrTS5HEM0.net
実際この子は自由さが魅力だから
痩せるだけでぱるる後継Aセンター激推しされたの確実なのにな
痩せるだけで・・・

137 :47の素敵な(大阪府)@\(^o^)/ (ワッチョイ 5182-ZcNX):2017/01/08(日) 20:54:54.55 ID:NMzhPQqk0.net
妊娠してる時の郁恵ちゃんボリュームやないけ

138 :47の素敵な(catv?)@\(^o^)/ (アメ MM75-W866):2017/01/08(日) 20:55:47.96 ID:Rrtje9D4M.net
なーにゃはセーラーゾンビがピーク
グッバイなーにゃ

139 :47の素敵な(SB-iPhone)@\(^o^)/ (ササクッテロラ Sp8d-+flj):2017/01/08(日) 20:56:25.66 ID:mla2gryFp.net
芸スポ民が好きそうな顏と体型だからソフマップデビューでいける

140 : 47の素敵な(地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 20:56:48.38 .net
>>126
これこれ、ひでぇ
ひどすぎて笑えるw

141 :47の素敵な(やわらか銀行)@\(^o^)/ (ワッチョイ 93c8-HvS5):2017/01/08(日) 20:57:51.92 ID:8Bng7f+Z0.net
選ばれし者だったのに…
AKBに調和と繁栄をもたらす者は果たして

142 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スプッッ Sdb3-/Nb9):2017/01/08(日) 20:58:21.21 ID:RAULv8Ukd.net
入った頃は可愛かったけど今じゃボンレス
時の流れは無情だな

143 :47の素敵な(dion軍)@\(^o^)/ (ワッチョイWW b1cd-zXbl):2017/01/08(日) 20:59:22.94 ID:RKrNyo260.net
>>116
朱里いずりななーにゃ、ドラフトのさややあえりは確実に太った
太らない奴の方が少ないのでは

144 :47の素敵な(愛知県)@\(^o^)/ (ワッチョイ 936b-HvS5):2017/01/08(日) 20:59:55.41 ID:ljX86NPi0.net
太った鎌田菜月って感じ

145 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スッップ Sdb3-IJTm):2017/01/08(日) 21:00:33.89 ID:M+Poqzu0d.net
なっちゃんにそっくりだね

146 :47の素敵な(中部地方)@\(^o^)/ (ワッチョイ 93bf-BXa4):2017/01/08(日) 21:00:50.22 ID:niO8Y1Cw0.net
>>24
雪見だいふくかよ

147 :47の素敵な(家)@\(^o^)/ (ワッチョイWW 9385-C12H):2017/01/08(日) 21:01:41.10 ID:/IGBg78X0.net
黒豚たぬき

148 :47の素敵な(神奈川県)@\(^o^)/ (ワッチョイW 99c2-/uDL):2017/01/08(日) 21:02:06.44 ID:v7LHFd4D0.net
なにこれ

撮影OKなの??

149 :47の素敵な(長野県)@\(^o^)/ (ワッチョイ 99c2-ZcNX):2017/01/08(日) 21:02:24.69 ID:8Uq7VwMK0.net
>>116
エラ隠してるからかわいく見える
実際はまんじゅうみたいまん丸

150 :47の素敵な(兵庫県)@\(^o^)/ (ワッチョイW abab-eFQX):2017/01/08(日) 21:02:58.75 ID:azupP1w70.net
りょーかも卒業か
男に走ったなら仕方ないな

151 :47の素敵な(岐阜県)@\(^o^)/ (ワッチョイW a177-+flj):2017/01/08(日) 21:03:37.45 ID:6B5iC9O20.net
出張って金払ってこれは辛いな

152 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウウーT Sac5-Fg/W):2017/01/08(日) 21:04:02.59 ID:tobkwBOIa.net
いくら見た目が良くても中身が腐れ果ててたら推されないことを身を以て示した実例としてはとても良かったと思う
結局中身も見た目に反映されてきた訳だしね

153 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-KLRm):2017/01/08(日) 21:07:46.20 ID:XB6zJPOCa.net
>>126
こいつほんと顔と仕草だけはかわいいよな

154 : 47の素敵な(地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:09:54.59 .net
>>143
きらりんも少し太ったような‥…

155 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウウー Sac5-nkes):2017/01/08(日) 21:10:02.47 ID:S0kMhtvga.net
>>1
なーにゃらしいな。面白い。
消化試合ってw
BINGOで劇場のイスにゴロンしてたの可愛いかったな。

156 :47の素敵な(東京都)@\(^o^)/ (ワッチョイ 93cc-Ox5s):2017/01/08(日) 21:10:53.20 ID:WaLlocFM0.net
>>143
なら、太らせなければいけないえりぃとぽむをトレードするかw

157 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウウーT Sac5-HvS5):2017/01/08(日) 21:11:06.29 ID:nkd++7iua.net
>>126
前田敦子以来の伝統
地球に優しい省エネダンスが
しっかりと引き継がれていた\(^o^)/

158 :47の素敵な(地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:12:10.90 .net
>>1
コイツルックスも大したことないよな

159 :47の素敵な(やわらか銀行)@\(^o^)/ (ワッチョイWW f1c8-jycF):2017/01/08(日) 21:12:46.48 ID:U74pK3Pa0.net
また肥えたなwもう完全に豚やん

160 :47の素敵な(茸)@\(^o^)/ (スプッッ Sdf3-GcKO):2017/01/08(日) 21:13:17.75 ID:bjkaxe+od.net
豚w

161 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-rnn2):2017/01/08(日) 21:13:34.47 ID:XfLZPusXa.net
>>54
二人とも辞めるんだな・・(-_-;)

162 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-kZte):2017/01/08(日) 21:14:35.00 ID:wodjHEfXa.net
>>132
まじか
どうしようもないな、まりお軍団は

163 :47の素敵な 【16.9m】 【hoge】 【B:77 W:111 H:100 (A cup)】 【北電 72.6 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:15:57.43 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
旬打相為

164 :47の素敵な 【19.3m】 【ぷぎゃー】 【B:85 W:54 H:79 (C cup)】 【北陸電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:16:12.86 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
量音其欲

165 :47の素敵な 【35.2m】 【モナー】 【B:87 W:51 H:115 (D cup)】 【四電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:16:36.01 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
其縁安戯

166 :47の素敵な 【49.5m】 【禿げてなi】 【B:100 W:101 H:99 (Jabba the Hutt)】 【九電 65.1 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:16:50.23 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
放而疑放

167 :47の素敵な 【44.2m】 【hoge】 【B:95 W:94 H:71 (G cup)】 【沖縄電 - %】 (アメリカ合衆国)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:17:06.09 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
略説旬正

168 :47の素敵な 【39.7m】 【鶏】 【B:116 W:64 H:118 (C cup)】 【東電 85.9 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:17:28.36 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
被業讃意

169 :47の素敵な 【35.6m】 【男の娘】 【B:118 W:59 H:105 (F cup)】 【中部電 82.1 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:17:52.22 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
銀薩明尊

170 :47の素敵な 【29.9m】 【吉】 【B:81 W:50 H:88 (B cup)】 【四電 - %】 (バーレーン)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:18:06.02 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
未尽乗食

171 :47の素敵な 【35.1m】 【犬】 【B:80 W:65 H:118 (A cup)】 【四電 - %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:19:03.83 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
著猶略願

172 :47の素敵な 【33.9m】 【NullPointer】 【B:75 W:50 H:87 (A cup)】 【沖縄電 - %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:19:20.13 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
殊定安放

173 :47の素敵な(SB-iPhone)@\(^o^)/ (ササクッテロレ Sp8d-+flj):2017/01/08(日) 21:19:34.55 ID:PHAhKHrUp.net
くれにゃんのレーンから見てたが、あーもー疲れたとか言ってたぞ。テキトーにやってたな。

174 :47の素敵な 【13.1m】 【鹿】 【B:92 W:94 H:101 (G cup)】 【沖縄電 - %】 (アラビア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:19:36.28 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
剃痴彼歓

175 :47の素敵な 【43.2m】 【R2-D2】 【B:71 W:69 H:81 (A cup)】 【九電 65.1 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:19:53.63 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
独雨四上

176 :47の素敵な 【50.2m】 【末吉】 【B:110 W:85 H:96 (World cup)】 【東北電 78.6 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:20:11.87 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
供輿処香

177 :47の素敵な(やわらか銀行)@\(^o^)/ (ワッチョイW f1c8-q1eC):2017/01/08(日) 21:20:21.29 ID:Xqt9EyS/0.net
>>1
体型の方にびっくりだわ

178 :47の素敵な 【57.1m】 【鳳凰】 【B:99 W:106 H:110 (B cup)】 【関電 81.6 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:20:29.45 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
深親間露

179 :47の素敵な 【38.2m】 【かん吉】 【B:88 W:50 H:84 (A cup)】 【北陸電 - %】 (邪馬台国)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:20:44.72 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
六略念幢

180 :47の素敵な 【45.3m】 【ニダー】 【B:114 W:61 H:78 (H cup)】 【関電 81.6 %】 (アラビア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:21:00.78 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
通観文讃

181 :47の素敵な 【40.7m】 【大吉】 【B:109 W:50 H:87 (B cup)】 【九電 65.0 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:21:16.49 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
天何大演

182 :47の素敵な 【43.2m】 【大吉】 【B:117 W:61 H:116 (E cup)】 【九電 65.0 %】 (台湾)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:21:31.93 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
非閑数以

183 :47の素敵な 【24.4m】 【禿げてなi】 【B:119 W:55 H:114 (C cup)】 【中部電 82.1 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:22:03.06 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
記仏儀柔

184 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウオー Saa3-+flj):2017/01/08(日) 21:22:05.49 ID:5xveDEsOa.net
この子が太ってるのはわかってたけど、おーしまRが凄くないか?

185 :47の素敵な 【25.5m】 【馬】 【B:72 W:51 H:113 (A cup)】 【沖縄電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:22:35.17 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
特近勝斯

186 :47の素敵な 【62.2m】 【腐女子】 【B:90 W:76 H:93 (B cup)】 【沖縄電 - %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:23:53.42 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
広持希鳴

187 :47の素敵な 【37.3m】 【大吉】 【B:73 W:62 H:103 (A cup)】 【北電 73.6 %】 (マレーシア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:24:12.63 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
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翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
八由欠大

188 :47の素敵な 【39.7m】 【鳳凰】 【B:81 W:87 H:82 (C cup)】 【東北電 78.6 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:24:27.44 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
縦希五閑

189 :47の素敵な 【38.1m】 【蝶】 【B:90 W:114 H:97 (G cup)】 【北陸電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:25:06.42 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
病音具沙

190 :47の素敵な(dion軍)@\(^o^)/ (ワッチョイWW b94d-nuAD):2017/01/08(日) 21:25:21.23 ID:WRTpk8dC0.net
>>184
ダイエットする必要がなくなったんだろな

191 :47の素敵な 【29.5m】 【そうわよ】 【B:110 W:50 H:97 (One cup)】 【東北電 78.6 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:25:27.22 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
今歓令菩

192 :47の素敵な(公衆)@\(^o^)/ (エムゾネWW FFb3-hBNN):2017/01/08(日) 21:25:41.67 ID:NaRZwFykF.net
>>82
今めっちゃ笑顔振りまいても、外務省時代の文字通り上から記者を見下す画像が残ってる某皇室の方みたいな。

193 :47の素敵な 【49.1m】 【小吉】 【B:75 W:81 H:93 (A cup)】 【中国電 86.0 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:25:49.28 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
欣天常固

194 :47の素敵な 【31.4m】 【ひょん吉】 【B:80 W:53 H:117 (B cup)】 【北陸電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:26:02.77 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
醜各行儀

195 :47の素敵な 【47.8m】 【ん吉】 【B:83 W:61 H:92 (B cup)】 【中部電 81.9 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:26:25.42 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
雨臣又破

196 :47の素敵な 【65.3m】 【ぷぎゃー】 【B:110 W:58 H:101 (E cup)】 【九電 65.0 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:26:40.12 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
仏鳴除足

197 :47の素敵な 【27.8m】 【大吉】 【B:117 W:81 H:80 (One cup)】 【九電 65.0 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:26:55.53 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
我頭黙観

198 :47の素敵な 【51m】 【ニダー】 【B:94 W:50 H:85 (E cup)】 【九電 65.0 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:27:15.19 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
精禅定鈴

199 :47の素敵な 【29.8m】 【犬】 【B:89 W:80 H:104 (B cup)】 【関電 81.6 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:27:32.07 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
万眉生教

200 :47の素敵な(庭)@\(^o^)/ (アウアウカー Sa5d-zyQT):2017/01/08(日) 21:27:39.79 ID:xxk2asoya.net
そりゃお前らの相手なんかよりジャニーズ

201 :47の素敵な 【32.2m】 【たん吉】 【B:96 W:116 H:83 (C cup)】 【北陸電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:27:47.76 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
法令間増

202 :47の素敵な 【63.6m】 【ゾヌ】 【B:117 W:50 H:84 (E cup)】 【中国電 86.0 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:28:08.48 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
益鬚于歓

203 :47の素敵な(やわらか銀行)@\(^o^)/ (ワッチョイ f1c8-fwhx):2017/01/08(日) 21:28:16.37 ID:oWNG1Qbu0.net
なーにゃ次はグラドルで頼むで

204 :47の素敵な 【30.9m】 【あたらない】 【B:89 W:115 H:70 (B cup)】 【中国電 86.0 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:28:53.22 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
若説悪捨

205 :47の素敵な 【41.5m】 【1等桁違い】 【B:91 W:107 H:94 (C cup)】 【中国電 86.0 %】 (マレーシア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:29:09.88 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
又於事受

206 :47の素敵な 【30.4m】 【末吉】 【B:81 W:50 H:98 (C cup)】 【四電 - %】 (メキシコ)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:29:24.61 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
施眉槃千

207 :47の素敵な 【54.6m】 【1等桁違い】 【B:99 W:51 H:97 (B cup)】 【東電 85.4 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:29:40.46 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
講作髪親

208 :47の素敵な 【45.2m】 【酔っちゃったぁ】 【B:101 W:50 H:72 (F cup)】 【中部電 81.9 %】 (アラビア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:29:56.51 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
動瑚閑歓

209 :47の素敵な 【43.9m】 【鶏】 【B:96 W:80 H:91 (F cup)】 【中部電 79.8 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:30:13.06 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
定兵雨楽

210 :47の素敵な 【45.9m】 【猫】 【B:117 W:79 H:116 (F cup)】 【中国電 86.0 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:30:50.87 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
答価僧香

211 :47の素敵な 【36.5m】 【ケンモメン】 【B:119 W:74 H:90 (F cup)】 【関電 81.1 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:31:06.31 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
大非乗相

212 :47の素敵な 【47.1m】 【末吉】 【B:70 W:69 H:114 (A cup)】 【沖縄電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:31:22.48 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
普儀種塔

213 :47の素敵な 【37.7m】 【鶴】 【B:71 W:65 H:88 (A cup)】 【中部電 79.8 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:31:38.98 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
嘗聖園業

214 :47の素敵な 【47.2m】 【ぴょん吉】 【B:95 W:50 H:117 (F cup)】 【関電 81.1 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:31:54.44 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
偈我住黙

215 :47の素敵な 【53.2m】 【櫻】 【B:87 W:50 H:70 (A cup)】 【北陸電 - %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:32:24.87 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
菩菩広殊

216 :47の素敵な 【39.3m】 【月】 【B:107 W:50 H:108 (B cup)】 【沖縄電 - %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:32:37.08 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
広被遭掌

217 :47の素敵な 【41.7m】 【6等】 【B:115 W:63 H:87 (E cup)】 【九電 65.2 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:32:52.91 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
梵思便師

218 :47の素敵な(東日本)@\(^o^)/ (ワッチョイ 3314-vi6t):2017/01/08(日) 21:33:11.51 ID:M4PB1zNX0.net
>>103
アイドルの私服がコレって女子力低すぎだろ
近所のコンビニに買い物行くみたいな服だな

219 :47の素敵な 【45m】 【中吉】 【B:91 W:101 H:92 (E cup)】 【北電 74.4 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:33:12.09 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
疑著問悪

220 :47の素敵な 【29.1m】 【モナー】 【B:87 W:60 H:74 (C cup)】 【四電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:33:37.68 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
略衆阿造

221 :47の素敵な 【23.3m】 【VIPでやれ】 【B:100 W:50 H:107 (D cup)】 【四電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:33:51.72 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
王鼓摂行

222 :47の素敵な 【38.4m】 【豚】 【B:83 W:104 H:117 (B cup)】 【東電 84.5 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:34:10.31 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
覩頂地交

223 :47の素敵な 【40.9m】 【菊】 【B:91 W:52 H:96 (C cup)】 【中部電 79.8 %】 (メキシコ)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:34:25.85 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
惟山今珠

224 :47の素敵な 【31.4m】 【NullPointer】 【B:92 W:51 H:70 (B cup)】 【四電 - %】 (アメリカ合衆国)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:34:41.68 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
珍度著柔

225 :47の素敵な 【49.8m】 【蝶】 【B:101 W:59 H:85 (One cup)】 【東北電 78.6 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:35:20.02 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
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何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
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そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
飲湯毫導

226 :47の素敵な 【48.5m】 【大吉】 【B:96 W:110 H:105 (B cup)】 【東北電 78.6 %】 (ロシア連邦)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:35:37.77 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
常足普縦

227 :47の素敵な 【36.3m】 【鹿】 【B:105 W:53 H:96 (B cup)】 【北陸電 - %】 (ブルガリア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:36:00.96 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
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そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
我毫鼓万

228 :47の素敵な 【50.6m】 【大吉】 【B:118 W:107 H:79 (Jabba the Hutt)】 【東電 84.0 %】 (プーアル茶)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:36:14.14 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
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確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
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何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
因撃典向

229 :47の素敵な 【21.2m】 【下級国民】 【B:119 W:100 H:103 (Jabba the Hutt)】 【中部電 79.7 %】 (ドイツ)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:36:30.80 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
主妙教珍

230 :47の素敵な 【39.9m】 【だっちゃ】 【B:114 W:61 H:73 (C cup)】 【四電 - %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:36:47.33 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
殿済精近

231 :47の素敵な 【18.4m】 【ぎしあん】 【B:78 W:53 H:97 (A cup)】 【東電 84.0 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:37:02.78 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
鈴嘗広竜

232 :47の素敵な(東京都)@\(^o^)/ (ワッチョイ dbcc-HvS5):2017/01/08(日) 21:37:04.90 ID:UtB0Jp4V0.net
こんだけ可愛かったらデブでも許されるだろ

233 :47の素敵な 【38.2m】 【菖蒲】 【B:74 W:78 H:88 (A cup)】 【中部電 79.7 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:37:26.80 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
病妓清希

234 :47の素敵な 【20.7m】 【大吉】 【B:81 W:113 H:117 (D cup)】 【東電 84.0 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:37:41.78 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
尊体定文

235 :47の素敵な 【51.3m】 【ニキ】 【B:83 W:105 H:91 (D cup)】 【関電 81.1 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:37:57.55 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
土妙安罵

236 :47の素敵な 【37.8m】 【ゾヌ】 【B:86 W:88 H:101 (D cup)】 【北陸電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:38:37.68 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
薬度諸宴

237 :47の素敵な 【35.3m】 【ぽん吉】 【B:76 W:101 H:90 (A cup)】 【九電 65.2 %】 (バーレーン)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:39:11.36 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
具等勇六

238 :47の素敵な 【42.2m】 【大吉】 【B:115 W:50 H:105 (E cup)】 【中国電 86.0 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:39:29.99 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
東山瑚入

239 :47の素敵な 【52.8m】 【櫻】 【B:116 W:117 H:79 (Jabba the Hutt)】 【東北電 78.6 %】 (メキシコ)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:39:45.03 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
或文妓利

240 :47の素敵な 【43.4m】 【R2-D2】 【B:117 W:108 H:103 (Jabba the Hutt)】 【北電 73.9 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:40:01.25 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
戯悦或如

241 :47の素敵な 【34m】 【酔っちゃったぁ】 【B:119 W:101 H:77 (Jabba the Hutt)】 【関電 81.1 %】 (アラビア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:40:17.58 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
肴親如可

242 :47の素敵な 【33.6m】 【鶴】 【B:83 W:69 H:73 (A cup)】 【中部電 79.9 %】 (オーストラリア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:40:39.24 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
鼻珊今妻

243 :47の素敵な 【44.2m】 【モナー】 【B:84 W:64 H:97 (D cup)】 【北電 73.4 %】 (ロシア連邦)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:40:55.01 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
済槃舎作

244 :47の素敵な 【47.4m】 【たん吉】 【B:111 W:104 H:102 (Jabba the Hutt)】 【九電 64.2 %】 (アラビア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:41:15.61 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
観檀戯仁

245 :47の素敵な 【41.7m】 【だっちゃ】 【B:74 W:73 H:85 (A cup)】 【四電 - %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:41:29.95 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
照安真処

246 :47の素敵な 【16.8m】 【不如帰】 【B:107 W:60 H:95 (One cup)】 【沖縄電 - %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:41:48.66 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
好頭第自

247 :47の素敵な 【27.4m】 【豚】 【B:108 W:57 H:70 (H cup)】 【関電 81.1 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:42:04.28 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
願捶見風

248 :47の素敵な 【39.6m】 【ほん吉】 【B:98 W:65 H:96 (B cup)】 【東北電 78.6 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:42:30.01 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
未宴黙道

249 :47の素敵な 【42.9m】 【梅】 【B:75 W:106 H:101 (A cup)】 【東北電 78.6 %】 (ルーマニア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:42:50.17 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
趣聞真欠

250 :47の素敵な 【37.1m】 【大吉】 【B:88 W:74 H:85 (C cup)】 【関電 81.1 %】 (ポーランド)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:43:04.74 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
増饒土間

251 :47の素敵な 【47.7m】 【ぷぎゃー】 【B:90 W:69 H:109 (D cup)】 【北陸電 - %】 (アメリカ合衆国)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:43:20.53 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
量好宴回

252 :47の素敵な 【38.3m】 【菊】 【B:91 W:65 H:83 (C cup)】 【東電 83.8 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:43:36.55 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
於瑚香時

253 :47の素敵な 【40.3m】 【吉】 【B:113 W:64 H:108 (F cup)】 【沖縄電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:44:13.99 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
便万珠于

254 :47の素敵な 【43.6m】 【NullPointer】 【B:89 W:103 H:113 (A cup)】 【四電 - %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:44:33.32 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
敷薩果受

255 :47の素敵な 【47.9m】 【梅】 【B:84 W:54 H:89 (B cup)】 【四電 - %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:44:47.92 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
特饒儀痴

256 :47の素敵な 【67.2m】 【だん吉】 【B:99 W:50 H:90 (G cup)】 【四電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:45:20.67 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
足誦有尽

257 :47の素敵な 【46m】 【はずれてる】 【B:94 W:78 H:110 (E cup)】 【四電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:45:37.26 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
厳国檀若

258 :47の素敵な 【49.6m】 【馬】 【B:104 W:98 H:87 (E cup)】 【沖縄電 - %】 (アラビア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:46:25.16 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
檀縦飲恒

259 :47の素敵な 【55.7m】 【ニキ】 【B:74 W:107 H:75 (A cup)】 【北電 73.2 %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:46:37.35 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
聞志快施

260 :47の素敵な 【34.5m】 【わんわん】 【B:119 W:65 H:94 (B cup)】 【中国電 86.0 %】 (アラビア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:46:54.05 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
瞻欲万我

261 :47の素敵な 【45.1m】 【蝶】 【B:70 W:61 H:119 (A cup)】 【沖縄電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:47:10.54 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
動好体養

262 :47の素敵な 【47.5m】 【ニダー】 【B:78 W:86 H:97 (A cup)】 【中国電 86.0 %】 (台湾)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:47:25.89 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
如時属摂

263 :47の素敵な 【35.3m】 【中吉】 【B:86 W:50 H:88 (D cup)】 【北電 73.2 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:47:48.77 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
湯陀其声

264 :47の素敵な 【40.9m】 【中吉】 【B:70 W:89 H:72 (A cup)】 【東電 83.3 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:48:23.13 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
衣時寂薬

265 :47の素敵な 【51.5m】 【VIPでやれ】 【B:71 W:83 H:97 (A cup)】 【北陸電 - %】 (オーストラリア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:48:39.29 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
特兵親掌

266 :47の素敵な 【46.6m】 【だっちゃ】 【B:104 W:66 H:106 (B cup)】 【北陸電 - %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:48:58.92 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
世眷手輦

267 :47の素敵な 【35.2m】 【小吉】 【B:81 W:104 H:74 (C cup)】 【中国電 86.0 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:49:26.91 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
動放間敬

268 :47の素敵な 【20.5m】 【そうわよ】 【B:112 W:101 H:107 (Jabba the Hutt)】 【沖縄電 - %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:49:41.69 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
自一丘於

269 :47の素敵な 【36.4m】 【大吉】 【B:84 W:90 H:72 (B cup)】 【東北電 78.6 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:49:58.58 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
輦柔廟当

270 :47の素敵な 【27m】 【月】 【B:85 W:84 H:96 (B cup)】 【北陸電 - %】 (アラビア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:50:14.79 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
誦蓋香威

271 :47の素敵な 【33.5m】 【BB-8】 【B:88 W:70 H:106 (B cup)】 【北電 73.1 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:50:54.37 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
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そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
決醜相湯

272 :47の素敵な 【31m】 【櫻】 【B:78 W:81 H:95 (A cup)】 【中国電 86.0 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:51:28.87 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
二于放誦

273 :47の素敵な 【35m】 【大吉】 【B:74 W:52 H:77 (A cup)】 【中部電 79.4 %】 (ドイツ)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:51:53.91 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
讃悉林苦

274 :47の素敵な 【49.3m】 【VIPでやれ】 【B:88 W:105 H:110 (A cup)】 【中国電 86.0 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:52:07.68 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
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何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
法閑身妓

275 :47の素敵な 【39.9m】 【月】 【B:89 W:98 H:84 (D cup)】 【四電 - %】 (台湾)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:52:23.08 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
八歳露三

276 :47の素敵な 【43.2m】 【吉】 【B:116 W:54 H:89 (D cup)】 【東北電 78.6 %】 (ルーマニア)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:52:43.74 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
大地主故

277 :47の素敵な 【45.6m】 【大吉】 【B:73 W:72 H:118 (A cup)】 【北陸電 - %】 (ポーランド)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:52:58.89 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
軒行聞相

278 :47の素敵な 【16.2m】 【猪】 【B:74 W:68 H:92 (A cup)】 【中部電 79.4 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:53:14.73 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
近縁六目

279 :47の素敵な 【43.9m】 【鶴】 【B:82 W:94 H:83 (B cup)】 【中国電 86.0 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:53:37.21 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
旬除不軒

280 :47の素敵な 【42.7m】 【大吉】 【B:78 W:59 H:103 (A cup)】 【九電 63.4 %】 (アメリカ合衆国)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:53:54.21 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
服蓋価瞻

281 :47の素敵な 【25.1m】 【だん吉】 【B:85 W:82 H:82 (A cup)】 【沖縄電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:54:09.52 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
髪妻于覩

282 :47の素敵な 【40.2m】 【猫】 【B:118 W:66 H:92 (H cup)】 【沖縄電 - %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:54:28.05 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
丘阿縦福

283 :47の素敵な 【46.1m】 【鶏】 【B:76 W:88 H:118 (A cup)】 【中国電 86.0 %】 (玉音放送 typeR)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:58:46.20 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
惟臣生思

284 :47の素敵な 【28.6m】 【大吉】 【B:83 W:50 H:97 (D cup)】 【四電 - %】 (地震なし)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:59:01.73 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
名醜華百

285 :47の素敵な 【43.6m】 【不如帰】 【B:116 W:102 H:107 (Jabba the Hutt)】 【東北電 78.6 %】 (pc?)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:59:20.34 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも少々遅いものの、ホテルのいたる所で使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
至衆尼樹

286 :47の素敵な 【46.1m】 【下級国民】 【B:73 W:52 H:86 (A cup)】 【沖縄電 - %】 (ポーランド)@\(^o^)/:2017/01/08(日) 21:59:35.83 .net
ミャンマーはかつて、ビルマ王朝時代は非常に豊かな国だった。それが欧米列強の帝国主義やその後の軍事政権などによって、現在は東南アジアの最貧国になっている。現地の方の言葉を借りれば「(軍事政権が解散した)2011年まで鎖国していたようなもの」なので、無理もない結果だろう。
ちなみに、『物語 ビルマの歴史』(根本敬著、中公新書)によれば、「ミャンマー」はビルマ語の名称で、「ビルマ」は英語名称の「バーマ(Burma)」に由来する。
かつては国際社会でも英語名称のBurmaが使われていたが、1989年に政権を取った軍事政権が突然英語名称も「ミャンマー」に変えると宣言して以来、国際的な正式名称がミャンマーになった。このような経緯から、特に反軍政の人たちからは今でもビルマという呼称が支持されているらしい。
東南アジア最貧国のミャンマーであるが、私が訪れた商業の中心都市ヤンゴンは、とてもそうは思えない雰囲気であった。泊まったホテルは快適だったし、クルマの交通量も非常に多い。走っている車はほとんどが日本の中古車だ。品質の高さから日本車は大人気だそうだ。工事車両も多く、いたる場所で開発が進んでいる。
その1つに、三井物産をはじめとする主要な日本の総合商社と金融機関などが共同で開発したティラワ工業団地がある。そこを視察した際、工業団地の開発を主導するミャンマー・ジャパン・ティラワ・デベロップメントの梁井崇史社長から、この国の勢いを感じさせる話を伺った。
三井物産出身の梁井氏がティラワの社長としてミャンマーに赴任した11年当時、携帯電話はまったく使えず、「自分の赴任中に携帯電話が使えるようになることなど、まずないだろう」という状況だったそうだ。それがあっという間に使えるようになり、現在急速に普及率が高まっている。Wi-Fiも緒ュ々遅いものの=Aホテルのいたb髀鰍ナ使えた。
確かにインフラ面で未整備な面はまだまだ多い。未舗装の道路は多く、自動車の通行を明らかに前提としていない細い道が多い。停電も日に何度も起こる。電車はまったく時刻表通りに運行されないから、市民の足としてはほとんど利用されていない。役所などの行政サービスもかなりお粗末らしい。
しかし、今のミャンマーの勢いを見ると、あっという間に整備されていくような気がする。舗装されていない道に野良犬がうろうろしている風景は、急速に発展を遂げることになる昭和40年代の日本に重なって見えた。
さらに感銘を受けたのが、若い人たちの勉強熱心さだ。
私たち一行は、若い人たちにさまざまな教育を無料で行っているという寺院も視察した。寺院が寺子屋のようにして無料で若者に教育するのはミャンマーの伝統らしい。そこでは外国語、IT、そして会計までも教えており、10代後半から20代前半の高卒もしくは大卒ぐらいの多くの若者が学びに来ている。
その日の教室はぎっしり満員で、おそらく200人くらいはいたと思う。それでもちょうど学期の変わり目の時期で「今日は集まりが悪い」とのことだったから、実際は相当多くの若者が学びに来ているようだ。
私たちが見せてもらったのは日本語のクラスだった。ミャンマーでは今や日本語は英語と1、 2を争う人気外国語だそうだ。それは日系企業に就職したい若者が多いことを意味している。
何より驚いたのは、学生たちの熱心さだ。流暢な日本語を話すミャンマー人の先生の説明に熱心に聞き入り、先生の後について全員が大声で日本語を復唱していた。それだけ多くの学生が大声で復唱する様は圧巻だ。ユーモアあふれる先生なので、教室には笑いも絶えない。早ければ小学校高学年ぐらいから斜に構えて授業に臨む日本の子供たちとなんと違うことか。
そういえば、数年前にベトナムにあるとある日系メーカの工場を見学させてもらったとき、そこの日本人工場長が「ベトナム人の若者は本当に勉強熱心です。日本の若者に見習わせたいくらいです」とおっしゃっていた。そして、こうおっしゃった。
「ベトナム人は、がんばればがんばっただけ、今日より明日のほうが確実に豊かになれると思っている。そう信じられる国なんです。だからがんばるんです」。
翻って日本はどうだろう。特に大学生を見ていると、彼らはごく一部を除いて本当に勉強しない。授業にはろくに出ず、先輩や友人のネットワークから得た情報で適当にレポートや試験をクリアし、単位を取って卒業していく。卒業しても、専門性はほとんど何も身に付いていない。
そうなってしまうのは、「勉強したからといって、その後の人生がどうにかなるわけでもない」と潜在的に感じているからだろう。そう感じてしまうほど成熟した国になったともいえる。
一方で、大学がその後の社会人人生に役に立つ教育を提供できているのかという問題もある。その後の人生に役に立つのかよくわからない勉強など、誰もまじめに勉強するわけがない。日本の道路はきれい
槃講当価

287 :名無しさん@実況は禁止です:2017/01/08(日) 22:58:48.91 ID:tVW5rxTeV
お疲れ

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