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弥生人は沿海州南西岸から渡来した北方アジア人

333 :出土地不明:2015/04/03(金) 23:46:24.30 ID:2qq4LlbU.net
支石墓について
支石墓(ゴインドル)は、紀元前1000年から紀元前100年にかけて、大きな石で造られた墓のことである。
支石墓には、足の長い石柱に石を載せテーブル状に石を組んだ「北方式」と短い石柱に石を載せた
碁盤状に石を組んだ「南方式」の2種類がある。

半島北部の北方式は満州から分布する支石墓の本来の形式であって、
南方式に先行したものであり、南方式は積石塚や石棺・竪穴式石室・甕棺と複合または組合ったものである(榧本 1980)。
また分布については北方式は満州から南朝鮮まで及ぶが密度は南方ほど薄くなる。
一方南方式は逆で北にいくほど薄いということは一応認められているという(榧本 1980)。

従来北方式は古く、南方式は北方式を基にして新たな形式を取り入れた形式であるという見解がある。
榧本杜人は墳墓形式について副葬品と共にまとめた。それによれば、南方式支石墓が他の墳墓形式と
複合することによって、北方式支石墓の形式と構造を大きく変えてしまったことは半島の支石墓にとって
最初の大きな変化であったとし、さらに南朝鮮に家族墓形式が表われたことで、
支石墓の第二の変化であり、半島の新しい墳墓形式の出現であったとしている。


〇考察
満州から南下してきた支石墓は朝鮮半島南部にまで伝播したが
紀元前5C前後から朝鮮半島南部を中心とする南方式支石墓が作られ
半島北部とは独自の発展をしていったことが分かる。
その背景には江南地域からの難民と稲作の影響が考えられる。

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