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弥生人は沿海州南西岸から渡来した北方アジア人

821 :出土地不明:2015/05/16(土) 20:21:26.94 ID:Edbu0Nt+.net
彼らは弥生早期までには既にやって来ていて北方モンゴロイド形質を及ぼしている。



ところが、夜臼式〜板付T式期に属する支石墓群である福岡県糸島郡志摩町新町遺跡の
調査結果は、この時期の人骨の形質が縄文人的であるという点で、上記の推定に疑問を
投げかけることになった。これについて、報告者の中橋孝博・永井昌文は、いくつもの
可能性をあげ、結論を保留しているようである(中橋・永井1987)。

また、これに対して、考古学側からも、それほど縄文人的でなく、むしろ渡来人的な
印象も受けるという感想や(佐原1989)、渡来人との混血であってみれば縄文人的な
個体がみられてもおかしくはないとする見解(春成1990)などが出されている。

たしかに、報告された個体はいずれも縄文人的といってよい特徴をもっている。しかし、
9号人骨(熟年男性)は、金関によって渡来的とされた形質の一つである眼窩示数が
81.4であり、山鹿貝塚縄文人の平均値73.9(九大・医・解二1989)、津雲貝塚縄文人の
77.4(池田1988)よりも大きいばかりか、土井ヶ浜(80.1)や金隈(80.2)の値をも
上回っている(図2にアミで示した部分)。

つまり、9号人骨は、低上顔・低身長ではあるものの、眼窩においては必ずしも縄文人的
ではなく、むしろ渡来人的ということができよう。そして、これは、新町遺跡の集団が
在来人のみによって構成されるのではなく、すでに混血による渡来的形質をもっていた
ことを示すものといえよう。
http://scs.kyushu-u.ac.jp/qtanak/ronbun/91toraijin.pdf

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