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邪馬台国、狗奴国、大和朝廷

1 :出土地不明:2014/12/09(火) 15:29:54.42 ID:mvieXRh/.net
邪馬台国は九州北部にあって卑弥呼が治めていた。南の方から襲撃してくる集団があり、熊のような風貌から熊襲と言われた。彼らが出てくる所だから熊本。
これに対応する為に周りの国と同盟を組み、襲ってきたらみんなで応戦する、今で言う集団的自衛権。
それでも熊襲らの襲撃が治まらない。実はここが狗奴国と言われてるヒミココという男が治めてた国。

268 :出土地不明:2024/06/28(金) 11:22:31.22 ID:kiTwzhRu.net
弥生時代、考古学的遺物の分布から、北九州を中心とした「銅剣・銅矛文化圏」と、畿内を中心とした「銅鐸文化圏」という二つの文化圏が存在していたことが分かっています。その後、大和朝廷が成立しましたが、剣を尊ぶ伝統は受け継がれたものの、銅鐸に関する痕跡は全く見られません。このことから、銅剣・銅矛文化圏が銅鐸文化圏を征服し、その文化を駆逐したと考えられます。

269 :出土地不明:2024/06/29(土) 15:44:47.28 ID:IHL7DDj9.net
【悲報】邪馬台国九州説、考古学会では既に圧倒的少数派だった [177316839]
ps://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1719637784/

270 :出土地不明:2024/06/29(土) 19:53:16.60 ID:8keJkuzI.net
今や、大和説は胡散臭い旧説になった感がする。
つまり、時代遅れ説。

そうなると、卑弥呼が葬られたのは、高良山の祇園山古墳の土台となった円墳状山塊である可能性が極めて高くなる。
菊池の勢力に急襲されて卑弥呼は邪馬台国(八女・山門)の北部へ避難したが、そこで急死したため、すぐそばの高良山の山を削って墳墓とした。
今の祇園山古墳は、その卑弥呼の墓が造られた山の上部を平坦に削ってその上に築造されたもの。
そして、その祇園山古墳は、台与の墳墓の可能性が考えられる。
祇園山古墳の土台の部分が卑弥呼の墓だったと考えられる。

邪馬台国が八女・山門であるのは、倭人伝の記述からして、最も合理的な解釈だ。

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