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邪馬台国、狗奴国、大和朝廷

1 :出土地不明:2014/12/09(火) 15:29:54.42 ID:mvieXRh/.net
邪馬台国は九州北部にあって卑弥呼が治めていた。南の方から襲撃してくる集団があり、熊のような風貌から熊襲と言われた。彼らが出てくる所だから熊本。
これに対応する為に周りの国と同盟を組み、襲ってきたらみんなで応戦する、今で言う集団的自衛権。
それでも熊襲らの襲撃が治まらない。実はここが狗奴国と言われてるヒミココという男が治めてた国。

270 :出土地不明:2024/06/29(土) 19:53:16.60 ID:8keJkuzI.net
今や、大和説は胡散臭い旧説になった感がする。
つまり、時代遅れ説。

そうなると、卑弥呼が葬られたのは、高良山の祇園山古墳の土台となった円墳状山塊である可能性が極めて高くなる。
菊池の勢力に急襲されて卑弥呼は邪馬台国(八女・山門)の北部へ避難したが、そこで急死したため、すぐそばの高良山の山を削って墳墓とした。
今の祇園山古墳は、その卑弥呼の墓が造られた山の上部を平坦に削ってその上に築造されたもの。
そして、その祇園山古墳は、台与の墳墓の可能性が考えられる。
祇園山古墳の土台の部分が卑弥呼の墓だったと考えられる。

邪馬台国が八女・山門であるのは、倭人伝の記述からして、最も合理的な解釈だ。

271 :出土地不明:2024/07/01(月) 10:52:54.70 ID:fgySYWgv.net
穴を掘って偶然見つけたものを勝手に想像して歴史を語るのが歴史学というものなのだろうか?

魏史倭人の章に記された歴史資料を素直に読み解けば、邪馬台国は宮崎にあったと推測できる。神武天皇の東征も宮崎から始まったと考えられる。

当時の東南海大地震による津波の痕跡も宮崎に残っている。阿蘇山、桜島、霧島山の噴火もこの頃に起こった可能性がある。

神武天皇は、これらの自然災害から逃れるために、20年もの歳月をかけて東征を始めたのかもしれないね。

272 :出土地不明:2024/07/01(月) 15:28:11.44 ID:lVTPVCKw.net
>>271
宮崎を邪馬台国とするためには、宮崎の南に狗奴国の官とされる狗古智卑狗(ククチ彦=菊池彦)の菊池の地名の存在が必須だ。
狗奴国が宮崎の南にあったという証拠は、まるで見られんけど。

それに、古事記では、神武は宮崎から明石までずっと徒歩による行軍をしたと読み取れる記述となっている。
そうなると、神武が宮崎から舟で出発したとする説は、無理になる。
一方、日本書紀では、神武は水軍でもって吾田を出発したと記されているので、これは今の南さつま市の阿多から東征に出発したしたとすることができる。
薩摩半島と大隅半島をぐるっと回って豊後水道を北へ抜けたと解釈できるわけ。

まあ、宮崎はないな。

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