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邪馬台国、狗奴国、大和朝廷

1 :出土地不明:2014/12/09(火) 15:29:54.42 ID:mvieXRh/.net
邪馬台国は九州北部にあって卑弥呼が治めていた。南の方から襲撃してくる集団があり、熊のような風貌から熊襲と言われた。彼らが出てくる所だから熊本。
これに対応する為に周りの国と同盟を組み、襲ってきたらみんなで応戦する、今で言う集団的自衛権。
それでも熊襲らの襲撃が治まらない。実はここが狗奴国と言われてるヒミココという男が治めてた国。

275 :出土地不明:2024/07/03(水) 14:42:55.44 ID:30XimgwO.net
いずれにしても、邪馬台国は北部九州にあり、具体的には八女・山門がその邪馬台国に当たる地方であることは動かない。
そして、邪馬台国の北部に避難して急死した卑弥呼の墓は、祇園山古墳の土台部分の円墳。
祇園山古墳の裾あたりで出土した甕棺の制作年代は、それが西新式であることから卑弥呼の時代とすることができるので、祇園山が卑弥呼の墓であることの可能性は非常に高いと言える。
なお、この祇園山は削られた山塊であることが分かっているが、その底部の東西幅は山門の権現塚古墳のそれと一致する。
山門の権現塚古墳は卑弥呼の寿陵として造営された古墳と考えることができるが、菊池の勢力に攻め込まれて卑弥呼が邪馬台国北部へ避難して急死したことから卑弥呼をそこに葬ることができなかった古墳だ。
新たに山を削って造られた祇園山古墳の規模が、権現塚古墳と同じであるのはそのためである。
邪馬台国は八女・山門地方であり、卑弥呼の墓は祇園山古墳の土台部分であるのは、ほぼ間違いない。

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