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蘇我氏とは何者?

1 :出土地不明:2015/06/16(火) 07:37:22.87 ID:kVt3URM3.net
蘇我氏が謎すぎる。

184 :出土地不明:2024/01/18(木) 00:43:52.63 ID:18ynP/DG.net ?2BP(0)
sssp://img.5ch.net/ico/nida.gif
いろいろな諸事情、またご都合もあるかとは思いますが、私は真面目に古代史を研究しております。妄想の上塗りは勘弁していただいて、至極まじめに蘇我氏の研究しております。

185 :出土地不明:2024/01/18(木) 00:46:04.63 ID:18ynP/DG.net ?2BP(0)
sssp://img.5ch.net/ico/nida.gif
石川さん、すみません。

186 :出土地不明:2024/01/18(木) 05:38:49.76 ID:ynT18Mdo.net
蘇我さんは元々の須賀さんだったらしい

187 :出土地不明:2024/01/18(木) 14:29:13.43 ID:bdE8f9L0.net
我、蘇りし、馬の子なり

188 :出土地不明:2024/01/18(木) 16:11:04.79 ID:bdE8f9L0.net
蘇我 蝦夷

蝦夷 は 「東国」
エデンの園の東

189 :出土地不明:2024/01/18(木) 16:21:39.46 ID:bdE8f9L0.net
蘇我 入鹿

魚に関連した神、王
Enki or Narmer

190 :出土地不明:2024/01/18(木) 16:52:40.52 ID:bdE8f9L0.net
蘇我 入鹿

https://collections.louvre.fr/en/ark:/53355/cl010170697

191 :出土地不明:2024/01/19(金) 08:51:10.55 ID:SroW726E.net
上記の円筒印章はスサから出土
シルクロードの影響ではないだろうか
「X線回折分析」により「飛鳥美人」の壁画の青はラピスラズリの可能性が高いということ

スサノオ (スサの王)

192 :出土地不明:2024/01/19(金) 22:36:35.24 ID:fVCiFeJK.net
それは興味深い。私は産鉄民であるスサノオ・ヒボコ系の歴史を追っています。
だから、ヒボコ=蘇我氏と考えるとすっきりするわけです。そうでなくても、蘇我氏は近東系文化を日本に持ち込んでいますから、出自は胡でしょうね。

193 :出土地不明:2024/01/19(金) 22:45:23.16 ID:SroW726E.net
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2500M_V20C14A7CC0000/
奈良県橿原市の新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群の126号墳(5世紀後半)で出土した円形の切り子ガラス碗(わん、重要文化財)がササン朝ペルシャ(226〜651年)の遺跡で発見されたガラスのうち、5〜7世紀に流通した高級品とほぼ同じ化学組成であることが分かった。

194 :出土地不明:2024/01/19(金) 22:45:25.72 ID:fVCiFeJK.net
そもそも、原住日本人などという立論自体が不可能で、富家家伝は理解していますが、彼らとて、渡来民を自称していますよ、石川さん。

195 :出土地不明:2024/01/19(金) 22:50:51.80 ID:fVCiFeJK.net
蘇我氏は日本史上偉大な地位を占めており、なんちゃら富家のウソ話に頼ることなく、もっと蘇我氏自体の価値を高める考え方はできると思いますがね。

196 :出土地不明:2024/01/19(金) 23:01:05.73 ID:fVCiFeJK.net
蘇我氏のみならず、何派にも渡って胡人が日本に来着した歴史があるのですから、徐福伝説などどうでもいい。それよりも、蘇民将来や庚申信仰や、民俗への影響のほうが偉大ですよ、石川さん。

197 :出土地不明:2024/01/19(金) 23:09:20.05 ID:fVCiFeJK.net
たとえ、その後、栄華を極めたものの常として、被差別的地位に落ちたとしてもね。そこに歴史を学ぶ価値があるわけで。

198 :出土地不明:2024/01/20(土) 23:27:55.40 ID:L+swOl+5.net
古くは部落差別、新しくはザイニチ、また華僑・台湾など色々な差別があったなかで、更に今、新しく華僑・ベトナム・ブラジルまたインドネシア人、その他インド系まで流入して、またなお
差別問題が起きるのかどうか、注目しています。それがたとえDNA的に仕込まれた防衛感情であったとしても、そろそろ卒業できないかとは思いますね、石川さん。そうは思いませんか?

199 :出土地不明:2024/01/20(土) 23:37:06.37 ID:L+swOl+5.net
そうした新日本人に編入される予定の外国の人たちは、日本文化も歴史も共有しないでしょうよ。かれらにとっては、祭りがハロウィンでも月餅でもなんら構わない。言うまでもなく、歴史も文化も忘れ去った日本人なんちゃらも同じ。もうそんな時代じゃなくなったんですよ、石川さん。

200 :出土地不明:2024/01/21(日) 03:35:45.77 ID:q8W+fSOq.net
>>164
馬子は善信尼、禅蔵尼、惠善尼を百済に留学させてるだろ
最初に三人が仏教を教えたのは日本で還俗してた高句麗の恵便だけど
新羅系じゃない

201 :出土地不明:2024/01/21(日) 03:44:33.33 ID:q8W+fSOq.net
西上州多古郡の上野三碑等の古い資料は新羅の影響が濃厚
そして西上州は物部氏の影響が極めて強い地域
新羅系がいたとしたら物部氏だね

もちろん蘇我氏も物部氏もまるっと渡来系なんてことはない
大和の氏族だけど渡来系の影響を受けるにあたって
縁が深いのは百済なのか新羅なのかということ

202 :出土地不明:2024/01/23(火) 16:44:25.43 ID:w8EEil+z.net
「学界」とやらでは「倭人」というのが定説らしいですが、根拠に乏しいとの評も同時にあるようですね。藤原さん同様、蘇我氏も歴史書き換えたのでは? どうもそんな臭いがします。
考古学的には、「蘇我氏の古代学」(新泉社)という説が新しく出てきています。あなたのご説より、私にはこちらのほうが魅力的です、石川さん。

203 :出土地不明:2024/01/23(火) 16:52:36.85 ID:w8EEil+z.net
古墳時代は、渡来民が入植地を九州から近畿に変えた時代でしょう? あなたの好きななんちゃら富氏の一族は、この時代アシハラシコヲとしてヒボコと戦っていたのでは? そして、どうしようもないへき地である近畿は手放していった。

204 :出土地不明:2024/01/23(火) 16:59:15.02 ID:w8EEil+z.net
他所からの渡来民である富氏が、新しく朝鮮半島から来た多くの渡来民に土地を奪われていった。そういうストーリーですよ? どうしても土人という部分にアイデンティティを求めたいらしいのですが、好きにしていいですよ、石川さん。もう、あまり用はないかな

205 :出土地不明:2024/01/23(火) 20:28:06.70 ID:w8EEil+z.net
向後、薄弱な根拠しか持たない文献資料は後背となり、考古学的考証が通説となっていくでしょう。それにしても石川さん、あなたは人品骨格料簡が狭いねえ。子孫を自称された偉大な蘇我氏も、またその蘇我氏
の直系子孫も、あなたにさぞや迷惑していることでしょう。言うまでもなく、蘇我氏は石川さんのムーと地続きの徐福伝説とか、無関係です。

206 :出土地不明:2024/01/23(火) 20:36:13.11 ID:w8EEil+z.net
なんちゃら富氏と蘇我氏の関係も、原本にはありませんが、富氏の子孫を自称する者の詐欺本にはあるのかな。ひょっとして、石川さん、その読者か著者ですか?

207 :出土地不明:2024/01/23(火) 20:40:37.83 ID:w8EEil+z.net
著者だとしたら、品薄を装って現品価格を吊り上げる手法は、バレバレですからやめませんか((笑))

208 :出土地不明:2024/01/23(火) 20:44:00.43 ID:w8EEil+z.net
営業ご苦労様です。けれども、蘇我氏の子孫は、石川さんのことを快く思っていないこと、お伝えしておきます。さよなら。

209 :出土地不明:2024/01/23(火) 20:53:40.37 ID:0mRNSL0N.net
風呂入って寝るのかな

210 :出土地不明:2024/01/24(水) 20:44:32.79 ID:Hjr5sOXH.net
須賀が訛って蘇我になったの

211 :出土地不明:2024/01/27(土) 21:18:02.35 ID:RLUEyWan.net
>>92
私のおっぱい

212 :出土地不明:2024/01/30(火) 03:33:12.71 ID:3pinPmta.net
石川?

213 :出土地不明:2024/02/23(金) 09:55:15.82 ID:wudVkhSg.net
トンガから来た蘇我氏

214 :出土地不明:2024/03/01(金) 18:29:38.08 ID:kI5AMoS4.net
>>200
>最初に三人が
<最初に三人に

215 :出土地不明:2024/03/03(日) 05:48:13.85 ID:HO4iI8/m.net
>>201
土着と言っても結局は天皇含めて古墳人だろ?

216 :出土地不明:2024/03/08(金) 23:30:25.24 ID:OFPIwN7C.net
>>65
知らない奴多いから教えたる。
蘇我蝦夷、馬子、入鹿と言う名前は江戸時代に付けられたあだ名。
本名は記録に無い。あっても捨てられたはず。
皇族に逆らう者は後世に屑なあだ名を付けられたそうだ。そのあだ名が今残っている。
だから、変な名前だろ。馬鹿の蝦夷だぞ。苗字も後で付けられたらしい。
蘇我とは我腐っとる。

217 :出土地不明:2024/03/09(土) 01:45:57.93 ID:QByMtkQ5.net
江戸時代?

218 :出土地不明:2024/03/09(土) 20:39:39.48 ID:igXKADFR.net
江戸時代だ。

219 :出土地不明:2024/05/18(土) 00:51:12.32 ID:gqRd53Z9.net
新しい草刈り機を買いに行ってきたのか?

220 :出土地不明:2024/05/18(土) 23:59:08.27 ID:yVBpQbnE.net
蘇我稲目の墓について、様々な説があります。しかし、現在では五条野丸山古墳と平田梅山古墳は有力候補ではないと考えられています。都塚古墳と真弓鑵子塚古墳は可能性はありますが、決定的な証拠は見つかっていません。蘇我稲目墓の所在は、今後の研究によって明らかになることを期待しましょう。

221 :出土地不明:2024/05/19(日) 00:01:15.72 ID:WrUKLV6j.net
蘇我氏は飛鳥時代に大きな政治力と経済力を持っていました。そして、仏教をはじめとする大陸文化の積極的な受容に貢献しました。しかし、飛鳥文化は蘇我氏単独で作り上げたものではなく、当時の有力豪族や渡来人、そして朝廷も深く関与していました。

飛鳥文化の特徴の一つは、朝鮮半島や中国大陸からの文化を取り入れながらも、独自性を発展させたことです。蘇我氏は、この文化交流の窓口として重要な役割を果たしました。

確かに、推古天皇は百済から渡来した欽明天皇の娘であり、蘇我氏の支援を受けて即位しました。しかし、天皇制自体は古くから存在しており、推古天皇が初代天皇ではありません。天皇は、古代日本では太陽神の子孫とされ、象徴的な権威を持っていました。蘇我氏は、天皇家を擁護することで自らの権力を強化しようとした側面もあります。

222 :出土地不明:2024/05/19(日) 00:02:37.67 ID:WrUKLV6j.net
蘇我蝦夷、蘇我馬子、蘇我入鹿は、江戸時代に付けられたあだ名ではなく、本名です。
これらの名前は、推古天皇・舒明天皇朝などの古文献にも実名で記されています。
蘇我氏には、他の豪族には見られない独特の通称があったことが分かっています。
皇族への反逆と通称の関係については、必ずしも単純ではありません。
蘇我氏は 連 という姓を持っていました。

223 :出土地不明:2024/05/19(日) 00:05:38.53 ID:WrUKLV6j.net
道修町には、江戸時代に薬種商たちによって祀られた少彦名神社があります。蘇我氏は古代豪族であり、薬物交易に関与していた可能性があります。そのため、間接的に少彦名神社と関係があったと考えられる。

224 :出土地不明:2024/05/19(日) 00:07:03.96 ID:WrUKLV6j.net
蘇我氏は、葛城氏と密接な関係を持ちながらも、独立した氏族として台頭した。外交面では、朝鮮半島との交流に深く関与し、倭人王権の外交窓口としての役割を担った。

225 :出土地不明:2024/05/19(日) 00:09:57.66 ID:WrUKLV6j.net
目が細い人は様々な民族に存在しており、黄河系、高麗系、エベンキ族を含む多くの民族に共通する特徴です。エベンキ族の中でも目が細い人が多いのは事実ですが、数%のみという表現は正確とは言えません。

226 :出土地不明:2024/05/19(日) 23:29:55.37 ID:c/JPhCXx.net
>>32
確かに、中国の歴史書には、トカラ国が朝貢を行ったという記述が存在します。しかし、トカラ国が中央アジアにあったペルシャ系遊牧民の国であるという点に矛盾が生じます。

現代の歴史研究では、トカラ国は中央アジアではなく、西域と呼ばれる地域にあったと考えられています。西域は、現在の中国西北部から中央アジアに広がる地域であり、様々な民族が混住していました。

トカラ国は、その中でも比較的東側に位置する、バクトリアとガンダーラの間にあったと考えられています。この地域は、古代において東西交易の重要な拠点であり、様々な文化が交錯していました。

トカラ国の人々が中国に朝貢を行ったという記述は、中国の歴史書である『漢書』や『後漢書』などに記載されています。これらの記述によれば、トカラ国は中国王朝に金や銀、絹などの貢物を献上したとされています。

しかし、これらの記述の信憑性については、議論があります。中国王朝は、周辺の異民族を服属させるために、朝貢を受けたと誇張して記述することがあったためです。

また、トカラ国が実際に中国王朝に朝貢を行ったとしても、それは政治的な目的よりも、経済的な利益を求めて行われた可能性があります。西域は、中国王朝にとって重要な貿易相手であり、トカラ国は、中国王朝との交易を通じて、繁栄を享受していたと考えられます。

このように、トカラ国と朝貢の関係については、まだ多くの謎が残されています。今後の研究によって、この問題がより明らかにされていくことが期待されます。

227 :出土地不明:2024/05/21(火) 19:53:41.07 ID:mvJCqYeY.net
蘇我氏は確かに乙巳の変で滅亡した。だけど、単なる権力闘争で消えただけじゃないんだ。推古天皇の時代、蘇我氏は朝鮮半島情勢への積極的な介入を進めていた。それが、外交路線をめぐる対立を招き、中大兄皇子や中臣鎌足らによるクーデターへと繋がったと考えられているんだよ。

228 :出土地不明:2024/05/29(水) 17:55:46.05 ID:NI15u5eS.net
イシュ・カパラン→イシカパ→イシカハ→イスカ→アスカ→スカ→ソガ

「あすか」はもともと「イシュ・カパラン」といって
「イシュ」は数詞の「50」、「カパラン」は「風」という意味。
「50」は風神に付けられた番号なので、「50+風」の意味は「風神」。
風神のトーテムが鳥なので枕詞が「飛ぶ鳥」になった。
石川、蘇我は「風神信奉族」。明日香は「風神信奉族が治めていた土地」
という意味になります。

イシュ→イセ

伊勢は「神風の伊勢」と言ってもともと風神が居た所。
側を流れているのが名前に50が付いてる「五十鈴川」。
もちろん「風神の川」という意味です。

※参考:川崎真治著「日本の史記」

229 :出土地不明:2024/06/02(日) 18:36:43.62 ID:2N5IJ4Oi.net
明日香の地名は「イシュ・カパラン」に由来し、風神を祀っていた土地だったのですね。石川や蘇我氏族が風神を信仰していたという話も興味深いです。

伊勢も「神風の伊勢」と呼ばれ、風神との深い関わりが感じられますね。五十鈴川の名前にも「五十」という数字が使われており、これも風神との繋がりを示唆しているのかもしれません。

風は目に見えない存在ですが、古代の人々は風を神聖なものとして捉え、信仰していたのでしょう。風を感じると、明日香や伊勢の人々がどのように自然と向き合っていたのか、想像を巡らせてしまいます。

230 :出土地不明:2024/06/04(火) 17:59:37.48 ID:yB0XPiuQ.net
任那日本府の滅亡、仏教の伝来、そして蘇我氏の皇室への嫁入りは、ほぼ同時期に起こりました。チーズを伝えたのも蘇我氏です。任那日本府から高句麗、シルクロードを経由して交易を行い、遊牧民と繋がっていたため、チーズの製法を日本に伝えたのです。

この遊牧民はR1aハプロタイプのアーリア系であったと考えられています。釈迦もR1aハプロタイプのアーリア系であったとされています。仏教の北伝ルートは、R1aハプロタイプのアーリア系遊牧民によって開かれたと考えられます。

R1aハプロタイプの分布の東端は、高句麗の北部です。イランは「アーリア人の国」という意味です。当時、ペルシャ人は「ハシヒト」と呼ばれていました。蘇我氏は交易を通じてアーリア人女性と結婚し、大陸で混血していたと考えられています。蘇我韓子(「韓子」は外国人とハーフの意味)や、蘇我氏の孫娘にハシヒトのヒメミコがいたと考えられています。

大化の改新は、ペルシャ系勢力の排除を目指した改革でした。

231 :出土地不明:2024/06/07(金) 21:00:03.25 ID:UmqPheUj.net
川崎真治氏は古代オリエントの文字、言葉、文化、神話などが日本に伝わっていたという「文化東遷論」を
受け継いだ方で「カパラン」はシュメール語の「ガル・ル・ブ・イム」(南風・吹く・天空)が
元になっています。神に番号を付けるのもシュメールの語法を踏襲したものです。

言葉だけでなく物も論拠になってます。それは

・明日香村石舞台の岩に彫られている風神図
・明日香村亀石の頭部(?)に彫られている風神図
・明治大学考古博物館蔵の胴に風神図のある埴輪
・佐賀県吉野ケ里出土の風神の線刻のある石
・伊都国歴史資料館の庭(?)の巨石に彫られている風神図

などです。(イシュ→イソ→イト)

他に崇神天皇は「御間城入彦五十瓊殖天皇」
垂仁天皇は「活目入彦五十狭芧天皇」と五十が付き風神と関係しているとしています。

人名では「五十嵐」さんが居ます。風神と関係があるかもしれませんね。

川崎真治氏は著書の中で日本(倭)とペルシャの関係も書いています。
興味深いのは倭建命(ヤマトタケルのミコト)が故郷を思って詠んだという有名な歌

「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し美(うる)はし」の解釈です。

やはり究極の語源はシュメール語として、

シュメール語の「マフ(大きい)・ウル(男)・ビ(女)」がインドで「マフ・オロ・バイ」と変化し、
倭国に入ると「マホロバ」になったというのです。
「男・女」で「合体、結合、」を表し、国の場合は「共同体」となります。

次に「うるはし」は「うる」が「シュメールの都市ウル市」、「はし」は「ハシヒト」と同じく
「ペルシャ」の事で、この歌の真の意味は「ヤマトはシュメールとペルシャの大きな共同体国家だ」と
歌っているというのです。

聖徳太子の母親は「穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)」といって
ここでは「間人」を「はしひと」と訓んでいます。
他に「倭名類聚抄」では「備中国浅口郡間人郷」の「間人」を「波之布止(はしぷと)」と訓しています。
ところが丹後与謝半島の人は「間人郷」を「たいざ」と言うそうです。
つまり「間人」を「ハシヒト」「ハシプト」「タイザ」と3通りに読むことが出来るわけです。
これら人名地名の「ハシ」はペルシャの事なのかそうでないのか「タイザ」の語源も併せて興味あるところです。

なお、「うるはし」について川崎氏に教示したのは民族学、国文学で知られる 折口 信夫 の愛弟子で歌人の
穂積 生萩(なまはぎ)さんだったそうで、さすが言葉のプロといったところです。

参考:
川崎真治著「古代稲作地名の起源」「日本の史記」「古代史は身近にあり」
別冊歴史読本特別増刊「古代日本人の大航海と謎の未解読文字」

232 :出土地不明:2024/06/09(日) 03:06:19.03 ID:Xbv0R/6i.net
>>231
歴史版各地のスレに書き込まれているこのキモいスレは、上の西郷吉之助のレスも間違いだらけで、AI生成なんだろうが、何の目的があって書き込んでいるのか

233 :出土地不明:2024/06/09(日) 11:28:05.48 ID:lAF3/fmn.net
>>232
220 と 223 に書き込んだ者です。

キモいレスというのは多分 222 の事を言っているのかと思いますが、
220 と 223 はAIではありません。川崎真治氏の著作を参考にしています。
川崎真治氏の名誉に関わることなのでレスさせて頂きました。

もう一度書きますが「220 と 223 はAI生成による記述ではありません」。

222 については私は全く関係ありませんが「ハシヒト」と記述があったので
223 に「うる・はし」について書いてみました。
でも、いきなりシュメールやペルシャと言われても違和感を感じると思います。
それは否定しませんし、川崎氏の説を押し付ける気もありません。

誰かの著作を引用しながら自分の考えを述べるのはアリだと思いますが、
安易な引用や、引用の羅列や、引用だけ、のレスにならないように
書き込む時は注意したいと思います。

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