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【謎】考古学初心者雑談4【解明】

616 :生 命 体 5 6 1 8  :2019/12/08(日) 10:16:25 ID:wyAZAVkv.net
火星の大地に行き倒れたエイリアンを、大型ハリケーンの衛星写真にグレイ型エイリアンの顔を空目し、
ストリート・ビューで確認できる街中に常在するオブジェを「間違いなくUFO」と言ってしまい、それを突っこまれて恥ずかしさのあまり、ほとぼりが冷めるまで活動を一時休止し、
>>357
火球や電離層調査のトレーサーの光をUFOと誤認し、
>>393
小惑星エロスにエイリアンによるエロチックな彫刻を妄想し、
>>394
人面魚を宇宙人の仕業と断定し、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんをエイリアンと看破した、
>>610
世界的UFO研究家スコット・ウェアリングさん、今度はNASAが公表していたスペース・シャトル計画の写真から、謎のオブジェクト(UFO?)を発見か!?
Three Objects Marked As Unknown Recorded Out Space Shuttle Window In Orbit, UFO Sighting News. - ET Data Base, UFO Sighting News By Scott C. Waring
http://www.etdatabase.com/2019/12/three-objects-marked-as-unknown.html?m=0

Three Objects NASA Marks As Unknown From Space Shuttle, UFO Sighting News.
https://youtu.be/0pHAGbrr6tk

そもそも普段は「NASAは写真や映像を加工してUFOやエイリアンの証拠を隠蔽している!」とか主張している人が、
何でNASAが公開している写真にUFOが写っていると思ったのか・・どう見てもスペース・デブリでしょう・・・(* ̄∇ ̄*)
こんなんで世界的UFO研究家とか、そんなのを「流石」「ナイスキャッチ」と持ち上げるヤツのレベルが知れるw
(^。^)y-゜゜゜゜゜゜

617 :出土地不明:2019/12/10(火) 12:18:45 ID:J76OeLeo.net
中国陝西省考古研究院は4日、同省の秦咸陽城遺跡の中心保護区で、石片をつなぎ合わせて作ったよろい「石製よろい」の工房遺構を発見したと明らかにした。
秦始皇帝陵から出土した石製よろいの「工場」の一つだという。
同研究院の許衛紅研究員によると、石製よろいが初めて見つかったのは1998年。
秦始皇帝陵の副葬坑で大量の石製のよろいとかぶとが出土した。
2001年には同陵の北約4.5キロメートルにある新豊鎮長条村で秦代の井戸が見つかり、よろいの生産地が初めて確認された。
今年7月に今回の遺構が見つかったことで、秦始皇帝陵から約40キロメートル離れた咸陽城遺跡内でもよろいが製造されていたことが分かった。

遺構は、西安市と咸陽市の間にある西咸新区の秦漢新城窯店鎮で見つかった。
同地区は秦咸陽城遺跡エリアに含まれており、これまでの調査で歴代秦王と始皇帝が政務を執った咸陽宮や官営手工業工房、物資の貯蔵庫など大型重要建築物の遺構が三十数カ所分布していることが分かっている。

今回の遺構は考古学者が今夏、一つの高台建築遺構の発掘に合わせて周辺地域を再調査した際に、同遺構の北500メートルの荒れ野で石製よろいの石片が散在しているのを見つけたことで発見された。
高台建築遺構は大型宮殿の中心部に当たり、渭河の現行河道の北側でこれまでに確認された最大の単体建築とされる。
咸陽城は当時、全エリアが渭河の北側にあったが、その後河道が変わり、現在は渭河が遺跡を南北に分断している。

100平方メートル余りを対象とした発掘調査では、灰坑や住居跡、排水溝、石の研磨時に出た粉末の堆積などの遺構が見つかった。
また石材や半加工品、廃品、加工時のごみ、石片をつなぎ合わせるための銅線・鉛線、鉄製の錐(きり)、鏨(たがね)、小刀、砥石などの材料や工具も大量に出土した。

https://www.afpbb.com/articles/-/3258496
https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/d/8/1000x/img_d8db6ad4c78f5f8893f3cd6079a3af596686056.jpg
https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/a/d/1000x/img_adeefb463d64e18825ef7d0d94c098b95528599.jpg
https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/

618 :卍3286卍ss:2019/12/11(水) 21:40:09 ID:paf+mQAY.net
誌「私の助産婦さん=生きる力を与えてくださる皆さん、ありがとう」
by はやし浩司Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/WdmoehrLfgo

令和2年からは最低1日3回ソラを見上げましょう。。

619 :卍3286卍ss:2019/12/11(水) 21:46:47 ID:paf+mQAY.net
>618 日誌のナンバー抜けてました。。

「01201 Video Diary ビデオ日誌」

620 :出土地不明:2019/12/11(水) 22:16:41 ID:nUXsfSou.net
【縄文人はイケてた!】縄文時代の土偶。その「髪型」を再現してみたら…


土偶のユニークな「髪型」を再現する取り組みに、理容美容の専門学校を運営する国際文化学園(東京都渋谷区)の美容考古学研究所が取り組んでいる。


土偶とは、「縄文時代を通じてある、人の形につくった土製品」(広辞苑より)のことだ。

様々なフォルムで現代人の好奇心を刺激してきた土偶。美容考古学研究所では、土偶の頭の部分にある特徴的なデザインは「髪型」ではないかという前提で、縄文土偶の「髪型」を再現する取り組みを始めた。

研究所は12月2日、縄文土偶の髪型研究に関する報告会を開き、実際の土偶の頭の部分を「髪型」とみなして再現したウィッグなどを公開した。

再現された「髪型」を画像で紹介する。

(写真は、国際文化理容美容専門学校渋谷校で撮影。「〜型」という髪型の名前は、研究所が独自に名付けたものに準じている。)

蛇型
https://i.imgur.com/Tpn9QSP.jpg
頭の上の部分が、とぐろを巻いた蛇のようにも見える土偶を再現した。ウィッグでは、綺麗に髪をねじっている。

遮光器型
https://i.imgur.com/Kzs2SZc.jpg
全体から頭頂部に髪の毛を集めて束ね、「空間」がある複雑な髪型を作っている。

遮光器とは、雪からの反射光線を防ぐメガネ状のもののことで、中央に細い穴があけられている。「遮光器土偶」とは、目の部分が遮光器のように見える土偶のことをいう。

アーチ型とループ型
https://i.imgur.com/8PnxfJW.jpg

頭の上に横に渡した橋がのっているような形の土偶を再現したアーチ型と、頭の上に「メビウスの輪」のような形がのっているように見える土偶を再現したループ型。

フロントロール型とリボン型
https://i.imgur.com/aL8BAAE.jpg
フロントロール型は前頭部に髪の束が突き出しているように見える土偶を参考に再現した。リボン型は文字通り、頭の上に大きなリボンがのっているかのように見える土偶を参考にしているという。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191205-00010000-huffpost-soci

621 :出土地不明:2019/12/12(木) 14:01:00 ID:CUAmGyjy.net
3159【05】GenjoSanzo did not got to Narranda, India 玄奘三蔵はインドのナーランダ大学へは行っていなかった説by Hiroshi Hayashi, Jap
https://youtu.be/y06gSCbmNAA?t=00h04m55s

>ウィキペディア百科事典には、つぎのようにあります。
>『玄奘三蔵は、仏典の研究には原典に拠るべきであると考え、
>国禁を犯して密かに出国、役人の監視を逃れながらインドへ向かった。
>玄奘は西域の商人らに混じって天山南路の途中から峠を越え、天山北路へと渡るルートを辿って中央アジアの旅を続け、
>ヒンドゥークシュ山脈を越えてインドに至った。
>インドのナーランダ大学では戒賢に師事して唯識を学び、また各地の仏跡を巡拝した。
>ヴァルダナ朝の王ハルシャ・ヴァルダナの保護を受け、ハルシャ王へも進講している』と。
>が、本当にそうでしょうか。玄奘三蔵は、本当に、ナーランダ大学まで行ったのでしょうか。
>その疑問の第一は、ナーランダ大学は、ブッダの仏教の大学。
>一方、玄奘三蔵が長安へ持ち帰ったのは、密教。
>つまり弥勒菩薩教。もっとわかりやすく言えば、ミトラ教。
>その証拠に、長安へ渡った空海が、日本に伝えたのは、弥勒菩薩教。
>ブッダの仏教ではありません。
>ナーランダ大学に残る仏像と、空海が高野山の根本大塔に収めた大日如来像を見比べてみれば、一目瞭然。
>ナーランダ大学に残る仏像は、まさにブッダ像。
>根本大塔の大日如来像とは、似ても似つかないものです。
>つまり、空海が根本大塔に収めた大日如来像は、
>チベット密教の総本山、現在のタシルンポ寺にある、弥勒菩薩像と同じです。
>つまり玄奘三蔵は、インドのナーランダ大学へは行っていない。
>行ったとしても、チベット。
>そのチベットで、いわゆるチベット密教をそっくりそのまま持ち帰った。
>それがそののちの、密教となった。
>それが私、はやし浩司の解釈です。

大唐西域記によると、玄奘三蔵法師が長安を発ったのは629年・・ 、
その頃のチベットは、統一への黎明期とも呼ぶべき時期で、
いくつかの部族が争う混乱も多い時代であって、仏教を学ぶ目的地として行けるところではありませんでした。
と言うか・・・、学ぼうにもシャーンタラクシタがチベットに仏教を興したのが761年、
パドマサンバヴァが密教をもたらし、チベット密教を興したのが774年、
いっぽう、玄奘三蔵法師が唐に、おびただしい数の仏教の経典や仏像や仏舎利、
仏教のほかにもナーランダ大学で、医学・薬学・土木などの科学知識などを学び、持ち帰ったのが645年です・・・。
ちなみに、タシルンポ寺は密教の総本山ではないし、その創建も1447年なので、
玄奘三蔵法師がタシルンポ寺で密教を学んだなんてことはあり得ませんが・・・、
まさか玄奘三蔵法師は、エイリアンならぬタイム・トラベラーだったとか言うのでしょうかw?

サイトマップ | 三蔵法師〜苦難の西域への旅
https://sanzouhousi.com/sitemap/

622 :出土地不明:2019/12/12(木) 14:03:06 ID:CUAmGyjy.net
>>621続き


それにしても「行っていない」も何も、
玄奘三蔵法師が持ち帰った数多くの経典・仏像・仏舎利、また、仏教以外の医学・薬学・土木などの科学知識は、ナーランダ大学に赴かなければ得られなかったものばかりですし、
( 二十二、玄奘三蔵が持ち帰ったもの | 三蔵法師〜苦難の西域への旅 http://sanzouhousi.com/life/22.html )

そのナーランダをはじめとするインド各地の仏教遺跡は、大唐西域記を基に、発掘されたり研究されたものも多く、
例えば、2001年に、アフガニスタンのターリバン政権によって爆破破壊された、バーミヤンの石窟寺院遺跡や石仏などは、
意外なことに、1885年にイギリスの調査団による調査がなされるまで、アフガニスタンの人々も仏教遺跡であるとは思ってもいなかったのが、
イギリスの調査団の、英訳された「大唐西域記」の記述をもとにした調査によって、ようやくバーミヤンの巨大な彫像が仏像であることが認められました。
2005年にも、破壊されたバーミヤン遺跡の修復と保全のために、ユネスコの委託を受けた日本の文化財研究所が、
ターリバンが破壊した石仏から1キロほど離れた場所から、「大唐西域記」に記述されていた寺院と思われる仏塔の跡を発掘しています。
さらに「大唐西域記」に記述された仏教国「ブリジスターナ」と考えられる、アフガニスタン中部のメス・アイナク遺跡から仏像や仏塔や経典の写本が見つかるなど、
玄奘三蔵法師が書いた「大唐西域記」の記述の正しさを疑う余地はありません。

また、高野山壇上伽藍の根本大塔は、何度も火災で焼失し再建されていて、
現在にある根本大塔は、昭和12年に再建されたもの、
大日如来像や曼陀羅の絵もそのときのもので、チベット密教の寺院や仏像を参考にしていた可能性はあっても、
玄奘三蔵法師が、インド(ナーランダ大学)ではなくチベットに行き密教を学んだ証拠には、なりません。

623 :卍3286卍ss:2019/12/13(金) 20:54:51 ID:DYxTH1TD.net
スコット情報。。

UFOs At Shuttle Atlantis, Never Before Seen Photos! UFO Sighting News.
https://youtu.be/yrf8_s8aRRg

STS043-71-75
https://eol.jsc.nasa.gov/SearchPhotos/photo.pl?mission=STS043&roll=71&frame=75

624 :生命体5618:2019/12/13(金) 22:35:24 ID:LNUqpTQ9.net
623は、スペースデブリでしょうか?w、なんといっても、
火星の大地に行き倒れたエイリアンを、大型ハリケーンの衛星写真にグレイ型エイリアンの顔を空目し、
ストリート・ビューで確認できる街中に常在するオブジェを「間違いなくUFO」と言ってしまい、
それを突っこまれて恥ずかしさのあまり、ほとぼりが冷めるまで活動を一時休止し、
>>357
火球や電離層調査のトレーサーの光をUFOと誤認し、
>>393
小惑星エロスにエイリアンによるエロチックな彫刻を妄想し、
>>394
人面魚を宇宙人の仕業と断定し、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんをエイリアンと看破し、
>>610
普段、NASAは写真や映像を加工してUFOやエイリアンの証拠を隠蔽している!などと主張していながら、
NASAが公表していたスペース・シャトル計画の写真から、謎のオブジェクト(UFO?)を発見したとスペース・デブリを誤認したり、
>>616
火星探索機の破損したパーツを昆虫の繭と思い込む、
UFO SIGHTINGS DAILY: Insect Cocoon Found By Mars Curiosity Rover, NASA Link, UFO Sighting News.
https://www.ufosightingsdaily.com/2019/12/insect-cocoon-found-by-mars-curiosity.html?m=0
Insect Cocoon Found By Mars Curiosity Rover, NASA Link, UFO Sighting News.
https://youtu.be/EaB7n3epPjs

トカナ御用達の世界的UFO研究家(笑)スコット・ウェアリングさんですから・・・。
(^。^)y-゜゜゜゜゜゜

625 :卍3286卍ss:2019/12/18(水) 19:42:40 ID:feIVDfkQ.net
01208 Video Diary ビデオ日誌
「謎解きのおもしろさの第一歩は、どこに謎があるかを探すこと、すべてはそこから始まりますね」
byはやし浩司Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/s1mCfeHUo0Q

オカシナことはオカシイと言う。。
総理大臣だろうが 考古学者だろうが 間違いはマチガイなのでアル。
100年前の近代史でさえ捏造は多く いわゆる「嘘」を学校で真面目に学ばされる...
ウソ地図を元に道を歩んでも 迷うバカりであり 決してゴールには辿り着きません。。

ウソで真実は消えません。。目覚めたモノには ヒカリが齎されるで「Show!」

626 :卍3286卍ss:2019/12/26(木) 14:27:33.69 ID:r8/7Xm6L.net
Three white orbs in triangle formation over Rochester, New York,
Dec 25, 2019, UFO Sighing News.
https://youtu.be/gDTDTUUm1L4

メリークリスマスY.H.T。。

627 :卍3286卍ss:2020/01/07(火) 00:35:00.35 ID:THSvMDTK.net
祝!刊行。。

01226 Video Diary ビデオ日誌
「神の証明」を近く刊行します。どうかどうか、よろしくお願いします。
定価は3600円、カラー64Pを含む600P本ですby Hiroshi Hayashi,
https://youtu.be/3ZekwWi7YOo

定価の36oo円もバッチリ。。

628 :出土地不明:2020/01/10(金) 08:58:15.79 ID:FrGKvL0K.net
>>625
エーリッヒ・フォン・デニケンやゼカリア・シッチン,ジョージ・アダムスキーやビリー・マイヤー,
ハイメ・マウサンやブライアン・フォースター,ウィリアム・クーパーやボブ・ラザーなど,
古代宇宙飛行士説やエイリアンやUFOの情報に捏造は多く,
金や売名目当てに,いわゆる「嘘」を「真実」だと騙るオカルト詐欺師も多い。
ペテン師どものウソを元に道を歩んでも,妄想の世界を迷う馬鹿になるだけ,脳内のお花畑にたどりついても,
現実世界や社会のゴールにはたどりつけませんよ (^。^)y-゜゜゜゜゜゜

629 :出土地不明:2020/01/18(土) 11:09:50.85 ID:lTNEx8WZ.net ?2BP(0)
http://img.5ch.net/ico/nida.gif
1万3千年前から存在していた人工衛星
https://youtu.be/BjEY9GX-6DA

630 :出土地不明:2020/01/18(土) 14:17:21 ID:jBE4TZ9Y.net
「1万3千年前」という数字は、1973年、スコットランドのSF作家ダンカン・ルナンが、1920年代に検出された異常な電波信号の記録とされるものを解析して、電波信号は1万3千年前から、月の近くに存在していた探査機から送信されたものとする説が元ネタ。
つまり地球を周回しているとされる謎のブラックナイト衛星とは何の関係もない話で、>>629の動画は科学的根拠皆無なオカルト情報。

631 :出土地不明:2020/01/19(日) 11:26:04 ID:xUs+q0fL.net
>>630
>>629の動画は科学的根拠皆無なオカルト情報。
あなたにオカルト情報と言い切る事ができるのですか?
あなたにこれを証明する財力でもあるのですか?
私が「猫の顔をしたカラスがいる」と言っても
誰も「そんなカラスはいない」と証明できないのです
証明するには世界中のカラスを一羽のこらず集めて証明しなければならない
このことを「悪魔の証明」という

632 :出土地不明:2020/01/19(日) 21:53:14.37 ID:b4yDT2m8.net
「猫の顔をしたカラスがいない」ことは
とは証明できないが,
本当に「猫の顔をしたカラスがいる」としたら,本物の猫の顔をしたカラスを捕まえてきて,それを調べれば証明できる。
1万3千年前のブラックナイト衛星も科学的根拠や物的証拠があるなら,それを示してくれればいいのだが・・・。

633 :出土地不明:2020/01/21(火) 03:17:21.12 ID:KzYVPt0H.net
>>632
>1万3千年前のブラックナイト衛星も科学的根拠や物的証拠があるなら, 
>それを示してくれればいいのだが・・・。
もう一度確り動画をみてください
https://youtu.be/BjEY9GX-6DA

634 :出土地不明:2020/01/21(火) 12:28:07.94 ID:jegHB/1f.net
しっかりと見たけど「1万3千年前」を示す具体的・科学的根拠は、なにも無かった。

635 :卍3286卍ss:2020/01/21(火) 19:51:03.45 ID:xA7Y655X.net
自分ではつくれナイ石橋を 叩きすぎて壊す...
結果 オチル ↓ 。。
完全にアホ。

トキは令和二年 ドチラ様方も このようなアホにはならぬ様に致しましょう。

636 :卍3286卍:2020/01/21(火) 19:53:46.47 ID:xA7Y655X.net
もう世界中にウネリがキテます。。↑

637 :卍3286卍:2020/01/31(金) 20:24:56 ID:OdHW5UIn.net
ワタシの肛門にはウンコがキテマス。。↓

638 :出土地不明:2020/02/03(月) 21:32:27.48 ID:AbCpl3sy.net
何言ってるんだ

639 :卍3286卍ss:2020/02/03(月) 23:49:54.62 ID:y/Rn7Ios.net
01253 Video Diary
ビデオ日誌「縄文文明は世界第1の文明、その証拠と証明」+イナンナの冥界下り
by Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/ic3FFwfG5mQ

今年は" Jomon 2020 " も盛りアゲよう!。。

640 :卍3286卍ss:2020/02/09(日) 23:27:22 ID:CnmIToFW.net
20200404 火星とプレアデスが交差します。。

641 :出土地不明:2020/02/10(月) 12:59:53 ID:npVzZLUM.net
火星とプレアデス星団の最接近は,直近では2019年3月31日にあって,
その接近周期は,おおよそ2年前後とされる(たまに1年半ぐらいのこともあるらしい)ので,
次回の火星とプレアデスの接近は,おそらく2021年3月頃である。

2019年3月下旬 火星とプレアデス星団が接近 - アストロアーツ
https://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/10500_ph190331

火星がプレアデス星団(すばる)に接近中
https://youtu.be/coNvpfTifGQ


ちなみに,今年の4月3〜4日に,プレアデス星団と金星が接近(したように見える),
10月頃に地球と火星の大接近が観測できる。

せんだい宇宙館−2020年に見られる主な天文現象−
http://sendaiuchukan.jp/event/plan/event2020/event2020.html

(M)

642 :卍3286卍ss:2020/02/17(月) 20:40:17 ID:+fMOcP51.net
UFO Fleet Over Scottsdale, Arizona on 8-4-2016, UFO Sighting News.
https://youtu.be/Spzc-AU18ME

この時期なら ホピとブルースターの打ち合わせなのカモネ。。

643 :卍3286卍ss:2020/02/21(金) 21:56:04.06 ID:EtEwQSCQ.net
3186【06新】Voynich Manuscript, created by Leonardo?
ダビンチによって書かれたヴォイニッチ手稿、それは火星に生える植物であった?
という仮説by Hirosh
https://youtu.be/oprCsJcPHqo

オモロイ仮説ですネ。。以前より火星の湖と言われる画像も出回っています。

ツイでにスコットさん。
http://youtu.be/pQJMm9kyeh8
ソースはMUFONだそうです。。

644 :卍3286卍ss:2020/02/22(土) 13:57:12 ID:5T0uD0GB.net
スコットさんナイスキャッチ。。

UFO At Space Station 22 Mins! Shoots out into space, UFO Sighting News.
https://youtu.be/X2eIcSs0zCQ

加工が難しいライブカメラでの映像です。。

645 :卍3286卍ss:2020/02/22(土) 20:14:34.03 ID:5T0uD0GB.net
>>644
22分Full:https://youtu.be/SmbBJS89J_0

646 :卍3286卍ss:2020/03/04(水) 21:09:48.54 ID:jnQkEaLR.net
・・・ 祝!完売・・・

01284VD 初版、完売しました! ありがとう!
【神の証明第54回】モナリザは「火星の永遠の神」を意味するアナグラムであった」
(TAKEさん)by Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/XlMPOJwwrr0

>>636 ss抜け失礼。。

647 :卍3286卍ss:2020/04/12(日) 11:29:09.08 ID:8le/I/1Q.net
Multiple Giant Objects Pass The Moon?
https://youtu.be/AKC_Iaw9EN4

世は確実に変わってイキます。。
今迄の常識に囚われていると 確実にノリ遅れます。

648 :卍3286卍ss:2020/04/17(金) 18:13:16 ID:R0P2T1ng.net
3217【19XR重追総】Miniature UFOs that appeared in my Study
私の書斎に現れたミニチュアUFO・総合検証版by Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/a_EtsFjvqzE

視聴者情報によりさらに増えています。。

649 :卍3286卍ss:2020/04/17(金) 21:02:38 ID:R0P2T1ng.net
01327 VD 超小型UFO+私を信じ、私を支えてくださったみなさん、
ありがとう!みなさんに神の祝福があらんことを!by Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/DJKeJMHaZzE

証拠がナイから誰にも言えナイ。。
どうせ言っても信用されナイから誰にも言わナイ。。
この様に考えさせる世の風潮が真実を隠します。

650 :卍3286卍。。:2020/05/05(火) 02:57:35 ID:lJjIXp4Z.net
Is This Proof That The Tether Incident Objects Were Under Extra-Terrestrial Control?
https://youtu.be/bgRD4mtDNJU

イルモノハイル。。

651 :出土地不明:2020/06/12(金) 08:04:16.12 ID:RFSBfBUd.net
◎国内ない材質 渡来品か 下仁田で出土 7000年前の縄文時代耳飾り

 1987〜90年に群馬県下仁田町馬山の下鎌田遺跡から出土した約7000年前の装飾品「●(けつ)状耳飾けつじょうみみかざり」について、下仁田町は9日、中国や朝鮮半島からの渡来品の可能性があると発表した。
 主成分をX線で解析し、日本国内にはない材質と判明した。縄文時代の渡来品が科学的に証明されるのは国内でも珍しいという。
 町は、縄文時代にアジア大陸と何らかの交流があった可能性を示す貴重な資料だとしている。

◎ネフライト製と判明 「外国産 初の可能性」
 耳飾りは乳白色で、直径約11.5ミリの半円形。1987〜90年に同遺跡から出土し、同町下小坂の町歴史館に展示されている。
 昨年12月に台湾の中央研究院の飯塚義之研究技師が同館に来館し、蛍光X線分析をした結果、耳飾りがマグネシウムと鉄を含む「透閃石とうせんせき」を主成分とする鉱物「ネフライト」製と判明した。

 飯塚技師と共同で研究に携わった町自然史館の中村由克館長(明治大黒耀石研究センター・客員研究員)は、「『●(けつ)状耳飾』は国内でこれまで出土した他の耳飾りに比べ、ネフライト中の鉄の含有量がとても少ない」と説明。
(注:●(けつ)は、王へんに「決」のつくり。)
 こうした材質は東アジアに産地があり、中国や朝鮮半島から渡来してきた可能性があるとしている。

 その上で、中村氏は「国内でこれまで発掘された耳飾りのうち、外国産と判明したのは今回が初の可能性がある」と指摘。
 今後は福井県あわら市の桑野遺跡で発見された同様の耳飾りなど、他の遺跡の出土品の調査も進め、縄文時代の日本とアジアとの関連性を研究していく方針。

 群馬県立歴史博物館の右島和夫特別館長によると、土器や石器の製作技術の分析といった考古学研究から、7000年ほど前の日本に大陸との交流があった可能性は以前から指摘されていたという。
 「(今回は)自然科学的なアプローチで裏付けられたなら興味深い。今後の研究の展開に期待したい」と評価した。

 考古学のうち玉文化について50年以上研究する日本玉文化学会の藤田富士夫会長(敬和学園大客員研究員)は「日本列島での出土品に渡来品がある可能性があるとは思っていたが、今回の発表でその可能性が高まった。画期的な成果であり、興奮している」と話した。

https://www.jomo-news.co.jp/file/article/242/218242/160962-attachment.jpg

https://www.jomo-news.co.jp/file/article/242/218242/160963-attachment.jpg

https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/culture/218242

652 :出土地不明:2020/06/13(土) 20:48:18 ID:VDNNKZEy.net
古墳人が身につけていた甲(よろい)=群馬県渋川市北橘町、県埋蔵文化財調査センター発掘情報館、柳沼広幸撮影
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200613-00000032-asahi-000-1-view.jpg

 火山と共に暮らす群馬を象徴するような発見だった。
榛名山のふもとの渋川市金井の金井東裏遺跡で8年前、古墳時代の人骨が甲(よろい)をまとった姿で見つかった。
「甲を着た古墳人」の発掘は日本初。噴火による火砕流の犠牲者が1500年の永い眠りから目を覚ました。

 甲は、小さな鉄の板(小札(こざね))1800枚を絹糸の組みひもでつなぎ合わせた当時の最新技術だった。
人骨の下には冑(かぶと)も。
別の甲も巻いた状態で見つかった。
中にあった鹿の角で作られた小札の発見も国内初。
銀と鹿角(ろっかく)で飾った矛(ほこ)も発掘。
人骨は40代の男性で身長は164センチと推定された。
渡来系の特徴があった。

 男性は榛名山の方に向かってひざをつき、うつぶせに倒れていた。
「山の神に祈っていたのか、戦いを挑む姿をみせて邪(じゃ)を払おうとしていたのか」。
発掘調査した県埋蔵文化財調査事業団の杉山秀宏・上席調査研究員は、発掘状況や遺物から、災厄を避ける儀式を行おうとしていた可能性があるとみている。

 甲や冑、武器は装飾的で、実用というより権力の象徴とみられる。
近くでは朝鮮半島から伝わった馬が育てられ、鉄器や鹿角器が作られていた。
「専門的な技術者集団の村があり、そこの長(おさ)だったのでは」と杉山さん。
首飾りと一緒に見つかった女性「首飾りの古墳人」や、5歳前後の幼児、乳児の人骨も発掘された。
人の足跡や馬のひづめ跡、祭祀(さいし)跡からは大量の土器。
火砕流で人々の営みが一気に埋まり、当時の生活ぶりを今に伝えている。
(柳沼広幸)

6/13(土)16:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200613-00000032-asahi-soci

653 :出土地不明:2020/06/23(火) 23:43:09.16 ID:dNtVr4x6.net
世界でも屈指の地名度を誇るイギリスの遺跡「ストーンヘンジ」。

そこから北東に約3キロ離れた地点で、謎の巨大シャフト群が発見されました。

シャフト群は、新石器時代の土塁である「ダーリントン・ウォール」を取り巻くようにして並んでおり、目的や用途は不明です。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/06/Durrington-1008x1024-670x681.jpg

研究主任のヴィンス・ガフニー氏(英・ブラッドフォード大学)は「ストーンヘンジ周囲はすでに調べ尽くされたと思っていたので、今回の発見は驚くべきこと」と話します。

しかも、シャフト群がつくる環状の直径は2キロに達し、国内で見つかった先史時代の遺跡としては史上最大とのことです。

一体、何の目的でつくられたのでしょうか。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/06/113015982_tv062070550.jpg

■環状に並べられたシャフト群

遺跡は、イギリスの複数の大学が参加する共同チーム「Stonehenge Hidden Landscape Project (SHLP)」により発見されました。

今回の発掘は、直接的な手作業ではなく、地中レーザー探査などを用いたリモートセンシング技術が使われています。

シャフトは、地中を掘ってつくられており、それぞれ直径10メートル、深さ5メートルもあります。それらがダーリントン・ウォールを中心にして、直径2キロの環状をつくっていました。

シャフト内の堆積物を調べた結果、建設年代は約4500年前と特定されています。

シャフトは全部で20個見つかっていますが、まだ10以上のシャフトが地中に隠されているとのことです。

ガフニー氏は「シャフトと環状のサイズはイギリスで前例がなく、ストーンヘンジ周囲の謎を再び深めることになった」と話します。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/06/113015984_tv062070538.jpg

■何のためにつくられた?

シャフト群の目的や機能について断定できる答えはまだありません。それでも研究チームは、いくつかのヒントをもとに推測しています。

まず、ストーンヘンジが「死者」と結びついていた場所なのに対し、シャフトの中心にあるダーリントン・ウォールは、ストーンヘンジの建設者が生活する「生者」の場所として知られていました。

このことから、環状に並んだシャフト群は「両者との聖域を区別するための境界線として使われたのではないか」と予測されます。


ストーンヘンジ/Credit: ancient-origins
この他の説として、ガフニー氏は「ストーンヘンジのような巨石群は、主に太陽や月の動きを考慮してつくられるため、環状のシャフト群も天文学に関連している可能性が高い」と指摘しました。

いずれの目的にせよ、シャフト群がこれまでにない規模や方法であることは間違いありません。また、当時の建設技術を考えれば、膨大な時間と労働力がかかったことは確かでしょう。

今回の発見により、新石器時代の文化や信仰について、歴史理解の刷新が求められるかもしれません。

研究の詳細は、「Internet Archaeology」に掲載されています。

A Massive, Late Neolithic Pit Structure associated with Durrington Walls Henge
https://intarch.ac.uk/journal/issue55/4/

https://nazology.net/archives/63043

654 :出土地不明:2020/06/24(水) 22:40:13.53 ID:R1JjTJ1G.net
彗星が引き起こした核爆弾級の大爆発で古代人の集落が滅亡していたことが判明
https://gigazine.net/news/20200622-ancient-syrian-town-comet/



現在のシリアに位置する古代遺跡テル・アブ・フレイラには、1万3000年以上前に穀物を栽培した痕跡が見られ、「人類最古の農業の例」とされています。
そんな遺跡が、隕石により発生した爆発で滅亡していた可能性が高いことが、研究により明らかとなりました。

Evidence of Cosmic Impact at Abu Hureyra, Syria at the Younger Dryas Onset (~12.8 ka): High-temperature melting at >2200 °C | Scientific Reports
https://www.nature.com/articles/s41598-020-60867-w

Cosmic impact caused destruction of one of world's earliest human settlements -- ScienceDaily
https://www.sciencedaily.com/releases/2020/03/200306183153.htm

A Comet May Have Destroyed This Paleolithic Village 12,800 Years Ago | Science | Smithsonian Magazine
https://www.smithsonianmag.com/science-nature/comet-upended-life-paleolithic-village-12800-years-ago-180974575/

シリア北部を流れるユーフラテス川のそばには、かつてテル・アブ・フレイラという遺跡がありましたが、ユーフラテス川の氾濫を食い止めるための巨大ダム建設により、1973年にアサド湖の底に沈みました。
ダム完成に先駆けて行われた発掘調査では、旧石器時代と新石器時代という2つの異なる時期の集落跡が発見されています。


同じ場所にあった2つの時代の集落跡のうち、旧石器時代にあたる1万2800年前の遺跡からは、家屋の一部や道具とともに穀物などの食料の痕跡が見つかっていたことから、この遺跡はちょうど人類が農業を始めたころのものだと考えられています。
また、遺跡からは動物の骨などに混じって火災があったことをうかがわせるような痕跡も発見されていました。

ロチェスター工科大学の考古学者であるアンドリュー・ムーア氏は、「1973年にテル・アブ・フレイラを発掘した時に、この地域で激しい火災があったことが分かりました」と話しています。
遺跡で発見された火災の痕跡の中には、普通の火災でも発生する木炭や微小粒子のほかに、溶融ガラスや極小サイズのダイヤモンドも見つかっています。
これらは、当時の人類が起こすことのできる火では形成されないことから、落雷や火山噴火などの自然現象が原因ではないかと見られました。

以下は、テル・アブ・フレイラで見つかった溶融ガラスの粒の画像です。
https://i.gzn.jp/img/2020/06/22/ancient-syrian-town-comet/41598_2020_60867_Fig2_HTML_m.jpg
https://i.gzn.jp/img/2020/06/22/ancient-syrian-town-comet/41598_2020_60867_Fig1_m.jpg

その後の調査により、溶融ガラスが帯びる磁気が少ないことが分かったため、落雷の影響は否定されました。
また、含水率が低いという特徴が隕石衝突によって作られるテクタイトと一致していたことから、ムーア氏らの研究チームは、「遺跡から見つかった溶融ガラスは、火山などではなく隕石に伴うエアバースト(空中爆発)によるもの」と結論付けました。

ムーア氏は、溶融ガラスが発生した状況について「土壌に含まれる鉱物が溶融するには、最低でも1720〜2200度は必要になります」と述べました。
また、共著者であるジェームス・ケネット氏は「これほどの高温下では、自動車でも1分足らずで金属の水たまりになってしまいます」とコメントしました。


ケネット氏は、溶融ガラスがテル・アブ・フレイラの集落全体で見られることから、隕石によるエアバーストはテル・アブ・フレイラのすぐそばで発生したと考えています。
当時の様子についてケネット氏は「テル・アブ・フレイラの村は突然破壊されたに違いありません」と話しました。
テル・アブ・フレイラを滅亡させたエアバーストは、核爆弾に匹敵する破壊力で、直下にある土壌や植物を一瞬で気化させたと考えられています。

さらに、研究チームによると、テル・アブ・フレイラが位置する地域は、中東や北米大陸、ヨーロッパにまたがるヤンガードリアス境界層(YDB)と呼ばれる地層が存在する範囲の中にあるとのこと。
このYDBからは、テル・アブ・フレイラで見つかったものと似た隕石の痕跡が見つかっているほか、ちょうどテル・アブ・フレイラが1万3000年前には大規模な寒冷化が起きていることも分かっています。
こうした証拠から、テル・アブ・フレイラを滅亡させたエアバーストは単一の隕石などによって引き起こされたのではなく、断片化した彗星によって引き起こされた可能性があるとのこと。

655 :出土地不明:2020/06/26(金) 11:01:51 ID:5Y+ruKB5.net
8000年前の謎の杭刺し頭骨、北欧男性の顔を復元
出土時に杭が刺さっていて話題に、目や皮膚の色も特定、スウェーデン
2020.06.24


■出土時に杭が刺さっていて話題に、目や皮膚の色も特定、スウェーデン

堂々たる風貌だ。50代くらいだろうか。灰色の立派なひげをたくわえ、イノシシの皮で作った服を着ている。
がっしりした胸には石灰で模様が描かれ、遠くにある何かを見つめるように青い目を細めている。
「リュドビック」と名づけられたその男は、8000年ほど前の北欧人だ。

 しかし、リュドビックは話せない。まだわかっていないことがたくさんあるだけに、非常に残念だ。

 これは、スウェーデン南部のカナルヨルデンという場所で約10年前に発掘された人骨から初めて復元された顔だ。
カナルヨルデンは紀元前6000年ごろの遺跡で、興味深いことに、小さな湖の中心に沈んでいた石壇には、動物や人の骨が何らかの意図をもって並べられていた。

 2018年に発掘に関する論文が公開されると、カナルヨルデンは世界中の注目を浴びることになった。
2つの頭骨の中に状態のよい木の杭が入っており、少なくともいくつかの頭骨が杭に刺されていたことを示していたからだ。
このようなものが見つかったのは初めてだった。
(参考記事:「8000年前の謎の杭刺し頭骨を発見、定説覆す」)

「とても魅力的で非常に複雑な遺跡です」と、カナルヨルデンの発掘プロジェクトを指揮したスウェーデン文化遺産財団のフレドリック・ハルグレン氏は述べる。

 顔の復元を依頼したのは、近くにあるムータラという町のシャルロッテンボリ城という博物館だ。
17世紀にリュドビック・ビーリッヒ・レーベンハウプ伯爵が建てた城で、リュドビックという名前はこの人物にちなんでいる。
復元された顔は23日から博物館で展示されている。

 ムータラの文化余暇局のトップを務めるハンナ・グラフマン氏は、顔が復元されたことで、町の人々は遠い祖先がどんな姿をしていたかを知ることができると述べる。
ただし、リュドビックという名前は「実際に石器時代に使われた名前ではありません」と言う。

カナルヨルデンは、2009年から2014年にかけて発掘された。
北欧の中石器時代を研究する考古学者にとっては、特に魅力的な遺跡だ。
この時代は北欧で最後の氷河期が終わった後で、1万1000年前ごろからはヨーロッパ西部や北東部から狩猟採集民が流入してきていた。

 カナルヨルデンの人骨は、北欧の中石器時代によく見られる土葬されたものとは異なっている。
紀元前6000年ごろに9人の男女の頭骨が何らかの意図をもって湖に沈められた。
頭骨はすべて杭に刺さっていた可能性があり、周辺にはイノシシやクマ、シカ、アナグマなどの動物のあごの骨(頭骨は含まれていない)が置かれていた。

「人間と動物が、象徴的な方法で、まるで互いを補い合っているかのようです」とハルグレン氏は言う。

続きはソースで

https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/062300375/01.jpg
https://pbs.twimg.com/media/C5Gex2qW8AAG2Mf?format=jpg

ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/062300375/

656 :出土地不明:2020/06/26(金) 12:03:48 ID:5Y+ruKB5.net
■古代も納期優先? ゆがんだ埴輪、透けて見える現場事情

上から見ると円形のはずが、ひしゃげて長円形になった円筒埴輪(はにわ)など、愛知県瀬戸市の本地(ほんじ)大塚古墳からの新出土品を中心に展示する企画展が、瀬戸蔵ミュージアム(瀬戸市蔵所町)で開かれている。
変形した埴輪は、古墳の築造を急ぐあまり「質」より「納期」を優先させたとも考えられ、古墳時代の“現場の事情”に想像が膨らむ。

 企画展は「新出土品展 瀬戸市指定史跡本地大塚古墳――矢田川流域の古墳と埴輪」。
本地大塚古墳(瀬戸市西本地町)で2015年に実施した発掘調査の出土品を中心に、いずれも5〜6世紀に築造された、
池下古墳(名古屋市守山区)、長坂古墳群(尾張旭市)、駒前1号墳(瀬戸市)、須恵器や埴輪を作っていた城山窯跡群(尾張旭市)、卓ケ洞窯跡群(同市)を、
円筒埴輪や形象埴輪(人物像の一部や水鳥など)など約110点の出土品で紹介する。

 本地大塚遺跡は瀬戸市内で唯一、前方後円墳と分かる古墳。
今回の調査で墳丘の周囲に二重の溝が見つかり、長さ約80メートル、幅約67メートルの規模と確認された。

 ひしゃげた円筒埴輪は、墳丘周辺で見つかった円筒埴輪に含まれていた。
古墳で多く見つかる赤色の土器質円筒埴輪と違い、灰色をしていて硬い。
須恵器と同じ須恵質の円筒埴輪で、当時始まったばかりだった窯を築いて焼成する技術で作られた。

https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200623004518_commL.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20200623004519_comm.jpg

朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASN6R75SYN6KOIPE00T.html

657 :出土地不明:2020/06/27(土) 00:15:52.27 ID:3Lk7AyOy.net
2600年前、武器とともに埋葬されていたのは13歳の少女戦士だった。遺体調査で明らかに(シベリア)

30年前に発見された若き戦士の遺体
https://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/0/c/0ca38e93.jpg

 ギリシャ神話に登場する、女性だけの部族で構成される伝説の戦士部族「アマゾーン」は伝説上の存在とされてきたが、実はかつて、中央アジアで勢力を誇ったスキタイ人がモデルだったという説がある。

 今回、これまで少年だと考えられてきた2600年前の戦士の遺体が、じつは13歳の少女であることが判明したそうだ。アマゾーンの正体がスキタイ人であるという説がまたも裏付けられたそうだ。

■30年前に発見された若い戦士の遺体
 1988年、現トゥヴァ共和国サリグ・ブルン(Saryg-Bulun)で半ばミイラ化した若い戦士の遺体が発見された。
保存状態は良好で、顔のいぼも確認できるほどだった。
 お腹には荒い縫い目があり、ミイラにするために処理されたらしきことが見て取れた。その一方で、そうした遺体によく見られるトレパネーション(頭蓋骨に穴を開けること)が行われた形跡はなかった。
 副葬品には、斧、カバノキの弓、矢筒に入った70センチの矢10本といった武器一式が揃っていた一方で、ビーズや鏡などの遺体が少女であることを示すものはなかった。
 そのために発見当時は少年の遺体と考えられた。

■最新の調査により13歳の少女戦士であることが判明
 それから時が流れ、分析の技術も比べ物にならないくらい発達した。
 そして、このほどモスクワ物理技術研究所の研究チームがDNA検査を行った結果、じつはようやく13歳になったくらいの少女だったことが判明したそうだ。
 「武器と一緒に埋葬されていた子供の遺体は、初期遊牧社会の社会構造について新しい見方をもたらしてくれます」と、1988年に遺体を発見したマリーナ・キルノフスヤカ氏(サンクトペテルブルク物質歴史文化研究所)はコメント。
 この意外な新事実は、スキタイ人社会の新たな側面を現代に伝えるとともに、専門家はヘロドトスが伝えたアマゾーンの伝説へ目を向けざるを得なくなるだろうと彼女は話している。

■伝説の女戦士部族アマゾーンとスキタイの女性戦士の関係
 ギリシア神話に登場するアマゾーンは女だけの戦士部族で、小アジア(現トルコ)のテミスキラを本拠地としていたと伝えられている。
 アナトリア半島にその武勇を轟かせるが、英雄ヘラクレスやアキレウスとの戦いで衰退し、最後は女王を討ち取られて滅亡した。
 長いこと伝説上の存在で実在した部族ではないと考えられてきた。
 しかし今では、紀元前9〜2世紀頃に中央アジアで勢力を誇ったイラン系遊牧騎馬民族「スキタイ」を見た古代ギリシア人が、その文化や習慣を誇張して伝えたものという説が有力だ。
 スキタイでは女性の地位が高く、女であっても幼い頃から戦う訓練を積んでいたことで知られている。
 また「エナレス」という男が女になる謎の病気が伝えられている(ヒポクラテスによると、馬の乗り過ぎが原因らしい)。
 古代ギリシアの医師ヒポクラテス(紀元前460〜360年)もまた、スキタイ人の1グループで、馬上での戦闘に長けた「サルマタイ」という遊牧民には女戦士がいた旨を記している。
 女たちは処女であるかぎり馬に乗り、馬上で弓を射て、槍を投げ、敵と闘う。
敵を3人屠ると処女を捨て、伝統の神聖な儀式を受けてから結婚する。
 ひとたび夫を娶れば、遊牧でやむを得ぬ場合以外は馬に乗らない。

■毛皮のコートを着て埋葬されていた少女戦士
 少女の戦士は、トビネズミの毛皮で作った膝下まである長袖のコートを着た状態で埋葬されていた。
 その下にはシャツを着ていたが、こちらはすでに失われてしまっている。さらに薄茶色とベージュのズボン(スカートである可能性も)を履いていた。
 頭には革製の帽子をかぶっており、そこには赤い染料で螺旋状の装飾が施されている。
 少女が生きていたのは2600年前だと推定されている。
 棺は木製で、50センチほどの深さのところに南西へ向けて埋められていたとのことだ。

https://news.biglobe.ne.jp/trend/0622/kpa_200622_7451858096.html
https://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/b/a/bab88984.jpg

658 :出土地不明:2020/07/05(日) 18:02:18 ID:QjLseCtR.net
古代人が行った土壌改革がアマゾン川流域の生物多様性を生み出しているとの研究結果

アマゾン川流域は土壌の養分が少ないやせた土地であり、農業には向いていませんが、「テラ・プレタ」と呼ばれる一部の土地はしっとりと黒く豊かな土壌であることが知られています。
このテラ・プレタは農業に従事した古代人によって生み出されたとされていますが、ブラジルのマトグロッソ州立大学やイギリスのエクセター大学の研究チームはテラ・プレタが農業に適しているだけでなく、アマゾン川流域の生物多様性にも貢献しているとの研究結果を発表しました。

Legacy of Amazonian Dark Earth soils on forest structure and species composition - Oliveira - - Global Ecology and Biogeography - Wiley Online Library
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1111/geb.13116

Research news - Innovation by ancient farmers adds to biodiversity of the Amazon, study shows - University of Exeter
https://www.exeter.ac.uk/news/research/title_801967_en.html
https://i.gzn.jp/img/2020/07/03/ancient-farmer-add-amazon-biodiversity/img-snap04382_m.png

土壌がやせているアマゾン川流域では、森を開墾しても強い日差しや豪雨にさらされると養分が失われてしまい、近代的な化学肥料を用いても豊かな状態を維持できないとのこと。
そのため、アマゾン川流域では焼き畑農業のような非持続可能な農業はできるものの、大規模で持続可能な農業を行うことは不可能だと考えられていました。

ところが、オランダ人の土壌学者であるビム・ソンブルク氏が1950年代にアマゾン川流域を調査したところ、一部の場所には驚くほど豊かな土壌が存在していることを発見。
しっとりとした黒い土であるこの土壌は、テラ・プレタと名付けられました。
テラ・プレタの起源については自然発生的に生まれたものという見方もあったものの、主に集落跡で発見されている点や、陶器の破片や動物などの骨、人間の排せつ物といったものが土壌に堆積していた点から、多くのテラ・プレタは人為的に作られたものであると判明しています。

テラ・プレタは1つの区画が平均で20ヘクタールほどで、付近の土壌に乏しい窒素・リン・カルシウム・亜鉛・マンガンといった栄養素を豊富に含んでいます。
テラ・プレタはさまざまな有機物に加え、並外れて高濃度の炭を含有していることが特徴であり、土壌に含まれる炭や高レベルの微生物活動によって栄養素の流出が防がれているとのこと。

テラ・プレタは紀元前450年から紀元後950年の間にアマゾン川流域に作られたといわれており、この地域に住む先住民らの人口を支えてきたと考えられています。
ところが、ヨーロッパ人が南アメリカ大陸に進出すると、先住民の人口が疫病などで大幅に減少して生活様式も変化したため、多くのテラ・プレタが放棄されてしまいました。

それでも、テラ・プレタは放棄されてから数百年にわたって豊かさを維持しており、未だにテラ・プレタの土壌を使った畑では、隣接した他の畑と比較して豊富な種類の作物を栽培・収穫できるとのこと。
また、一般的な穀類の収量もかなり多いことに加え、強い日差しや雨にさらされてもなかなか土壌がやせないそうです。

放棄されたテラ・プレタがアマゾン川流域の植生にどのような影響を与えているのかを調べるため、マトグロッソ州立大学やエクセター大学の研究チームは、アマゾン東部のタパジョース川やシングー川の流域で土壌の豊かさや植物のサンプルを測定する研究を行いました。
その結果、テラ・プレタの土壌が他の土壌と比べて有意に豊かであることが再確認されたほか、他の土壌とは違う植生が存在していることが判明したとのこと。

論文の筆頭著者であるEdmar Almeida de Oliveira氏は、「テラ・プレタは周囲の森と違う種類の植物が存在し、より大きく生長するエリアです」と指摘。
単に生長する植物の種類が違うだけでなく、テラ・プレタでは食用になる植物が多い傾向もみられました。

近年ではテラ・プレタが再び地元や先住民の人々に耕作され始めているとのことですが、未だに熱帯雨林の中に埋もれて生物多様性に貢献しているテラ・プレタも少なくないとのこと。
しかし、違法な森林破壊や山火事によって、1000年以上にわたって維持されてきた貴重なテラ・プレタが失われることも懸念されています。
共著者であるBeatriz Marimon氏は、「テラ・プレタは種の豊かさを増加させ、地域の生物多様性を保全するために重要な考慮するべき事柄です」と述べました。

https://gigazine.net/news/20200703-ancient-farmer-add-amazon-biodiversity/

659 :出土地不明:2020/07/07(火) 01:27:13 ID:2ALjL8KX.net
●世紀初頭、前葉、中葉、後葉、末葉って、それぞれいつ頃のことですか?

660 :出土地不明:2020/07/07(火) 03:36:41.49 ID:GGkm7XJ2.net
>>659
何年何月何日と言わないと理解できないのなら
大体そこら辺と言われても理解できまい
あきらめろん

661 :卍3286卍ss:2020/07/07(火) 03:58:57.43 ID:Ccn3bOTL.net
01406 VD 東京上空で爆発した隕石周辺に現れた、謎のUFO+その再検証版動画について
by はやし浩司 Hiroshi Hayashi JP
https://youtu.be/6cl6apuffaw

ありがとうY.H.T。。

662 :出土地不明:2020/07/07(火) 09:56:48.78 ID:zCTT1UuT.net
海中遺跡が「1万年前の古代人の鉱山」だったという研究結果 メキシコのユカタン半島

メキシコのユカタン半島にあるキンタナ・ロー州で発見された海中遺跡が「現代から約1万年前の古代人が使っていた鉱山」であるという説が発表されました。
https://i.gzn.jp/img/2020/07/06/scuba-diver-found-prehistoric-complex/00_m.jpg

Paleoindian ochre mines in the submerged caves of the Yucatán Peninsula, Quintana Roo, Mexico | Science Advances
https://advances.sciencemag.org/content/6/27/eaba1219

Sagitario/La Mina | Cindaq
https://www.cindaq.org/copy-of-sagitario-la-mina

Canadian scuba diver in Mexico accidentally discovers vast, prehistoric industrial complex | National Post
https://nationalpost.com/news/world/a-canadian-scuba-diver-in-mexico-accidentally-discovers-a-vast-prehistoric-industrial-complex

Deep in since-flooded caves, researchers find evidence of America's first miners
https://www.nbcnews.com/science/science-news/deep-flooded-caves-researchers-find-evidence-america-s-first-miners-n1232871

問題の地下遺跡は、キンタナ・ロー近郊の地下河川や海底洞窟などの保護を行う科学機関Quintana Roo Aquifer System Research Center(CINDAQ)に所属するフレッド・デヴォス氏とサム・ミーチャム氏が2017年に発見したもの。
デヴォス氏らは水中洞窟の測量に関する実地講座のため、キンタナ・ロー州アクマル近郊でダイビングを行っていたところ、今まで見逃されていた洞窟の存在に気がつきました。
デヴォス氏がその洞窟の調査を行ったところ、洞窟内から人骨や石器、人為的に掘られた穴、道しるべのための石塚、木炭作成用の炉床など、人間の痕跡が多数残されていることが明らかになりました。

CINDAQは、発見された洞窟の映像を公開しています。

LA MINA DISCOVERY 1 0 - YouTube
https://youtu.be/wJL5mBCP4ZU

内部は鍾乳洞で覆われています。


地面には10人分の人骨だけでなく、剣歯虎(サーベルタイガー)などの更新世の生物の骨も残されていました。


ダイビングチームは計1万8000枚の3D写真を撮影し、内部の精巧な3Dモデルも作り上げています。

放射性炭素年代測定の結果、この洞窟は約1万年から1万2000年前に古代人によって使われていたものの、約8000年前の洪水によって水没したことが判明。
一方で、「古代人が洞窟で何をしていたのか」については1年以上にわたってわからないままでした。

研究チームは、一連の調査の中で天然の赤色顔料として用いられる赤鉄鉱などの痕跡が発見されたことから、問題の洞窟が赤鉄鉱の鉱山だったと結論付けました。

赤鉄鉱を使った赤色顔料は血の色に似ていることから、何十万年にもわたって儀式や埋葬、ボディーペイントなどに用いられただけでなく、日焼け止めや防腐剤、防虫剤としての効能もあったとのこと。
研究チームのブランディ・マクドナルド氏は、「古代人のコミュニティ内で、赤色顔料は儀式的な使われ方と実用的な使われ方をしており、その用途は時間とともに変化したと考えられます」とコメント。
問題の洞窟から産出された赤鉄鉱は粒子が細かく、ヒ素を含んでいたとみられることから、「特に貴重で、薬効が高かった可能性があります」と述べています。

https://gigazine.net/news/20200706-scuba-diver-found-prehistoric-complex/

663 :出土地不明:2020/07/07(火) 19:23:30 ID:NfPxI89O.net
>>660
聞き方が悪かったです。
初頭は第1四半期のとこまで?
前葉は第1四半期のとごから?
みたいたこと聞きたかったです。

664 :出土地不明:2020/07/07(火) 22:18:36 ID:GGkm7XJ2.net
>>663
数学ではないので決まった数字はありません
初頭はほんの始まりで私の感覚では最初の5年以内
しかし別の人は10年までと言うかもしれない。
国語のことなのであやふやさを容認しなければなりません

665 :出土地不明:2020/07/08(水) 01:26:14 ID:2c3xe34+.net
縄文時代だと
草創期が約1万6,000〜 1万2,000年前、
早期が約1万2,000〜7,000年前)、
前期が約7,000〜5,500年前、
中期が約5,500〜4,500年前、
後期が約4,500〜3,300年前、
最晩期(末期)が約3,300〜2,800年前・・・
みたいな感じで説明される(諸説あります) けど
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/0938605100/0938605100100010/ht000960

666 :出土地不明:2020/07/08(水) 02:15:14.23 ID:O1ltTcnL.net
世紀単位だと
○葉は30年目安
初頭は最初の10年目安
末は最後の10年目安

と教わった記憶がある

667 :出土地不明:2020/07/09(木) 12:30:20 ID:XOx2TmyU.net
2016年9月、アメリカ・フロリダ州ケープカナベラル、ファルコン9ロケットの打ち上げが失敗しロケットは大爆発した。
その映像に、謎の点が横切る姿や爆炎の上方にアダムスキー型UFOにも見える光体が映り込んでいた。
これらは、ファルコン9ロケットの打ち上げを監視していたUFOなのだろうか・・・?

3273【10再参】The Explosion of Falcon XファルコンXの爆発事故の背後を飛ぶUFO?それは虫か?by Hiroshi Hayashi, JP
https://youtu.be/zhUIXmQuM8Q

SpaceX - Static Fire Anomaly - AMOS-6 - 09-01-2016
USLaunchReport
https://youtu.be/_BgJEXQkjNQ?t=64

動画ではファルコン9の爆発が起きてから、爆発音が聞こえてくるまで12秒ほどかかっている。
このことからロケットの打ち上げ場所から撮影地点までは、3キロメートル以上離れていて、撮影は望遠レンズでなされたものとわかる。
望遠レンズでは遠近感が圧縮されるため、距離感や大きさがわかりにくくなることも少なくない。
よって、カメラの前・・数10センチから数10メートルの間を、虫や鳥が横切って飛んだとしたら、このような映像になるだろう。
実際にファルコン9爆発シーン前後の映像を見れば、爆発シーン以外にも似たような映像がある。
2017年3月25日にNHK・BSプレミアムで放送された「幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー『 File-20 徹底追究!超常映像の正体に迫る!2017』」でも、
カメラから50メートル離れた距離で、昆虫サイズの物体を動かして検証撮影を行い、同じような映像を撮影することに成功している。
アダムスキー型UFO(の着陸ギアとされる3つの球体)にも見える光体は、爆発で吹き飛ばされた、ファルコン9の破片だと考えられる。
映像をよく見ると、最初は光っていない黒っぽい破片だったものが瞬く間に炎に包まれたのだろう・・光って見えるようになっているのがわかる。
ほかの部分にも明らかに爆発で炎上し、吹き飛ばされた破片が、同じような光体に映って見えている。
「光体と爆炎の動きが同調していない」とする意見もあるようだが、破片が吹き飛ばされるのと爆炎が巻き起こるのが、全く同じタイミングならばともかく、わずかなりとも時間差があれば、同調した動きをしなくとも不思議なことではない。
実際に特撮映画などの火薬やガソリンを使った爆発シーンをいくつか見ればわかるが、吹き飛ばされた破片と爆炎や煙とは、必ずしも同調しているわけではない。

668 :出土地不明:2020/07/09(木) 12:46:53 ID:XOx2TmyU.net
ヨルダンで1万年前の人型石器を発見! 「人をモチーフにした芸術の最初期作品」である可能性あり


紀元前8500年頃の新石器時代初期、人類の芸術のモチーフが「動物」から「人間」へと移っていきました。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/Neolithic-Figurines.jpg

それ以前は、壁画にせよ彫刻にせよ動物が多くを占めていましたが、この時期から人間に焦点を当てた作品が急増します。
これは一種の芸術革命でした。

その一方で、これほど劇的なシフトがなぜ起きたのかは分かっていません。

ところが今回、中東の国ヨルダンで発見された人型の石器により、芸術革命が起きた理由が初めて示唆されました。

そこには、初期人類の「死者への意識」と「精巧な埋葬形式の増加」が関係していたようです。

研究は、スペイン科学研究高等評議会などにより報告されています。

■人型石器は埋葬用の供え物だった

人型石器が見つかったのは、ヨルダン西部のザルカ渓谷にある「カレイシン遺跡」です。

石器は、埋葬された7体の遺骨やその他、石から作られたナイフやボウルとともに発見されました。

遺骨の中には、おそらく儀式か埋葬の一環として、骨格の一部や頭蓋骨が取り除かれたものが見られます。
また、他の場所にあった遺骨を掘り返して、この地に埋葬し直されたものありました。

このプロセスは、数年にわたり複数回繰り返されたようで、埋葬や儀式が複雑化した可能性があります。

同じ場所で見つかった人型石器は、矢尻や火打ち石として使われた可能性もあるため、石器の形状や表面を入念に調べました。

その結果、石器はすべて紀元前8000年頃に同時に作られたもので、意図的に人型がデザインされており、また、道具として使った形跡が一切ないことが判明しました。

研究主任のユアン・イバニェス博士は「埋葬用の供え物として作られたと見て間違いない」と指摘します。

■死者への意識変革が新たな芸術を生んだ?

「人型にデザインされた副葬品」「精巧で複雑化した埋葬形式」といった点を踏まえると、新石器時代に死者を追悼する念が強くなっていたことが考えられます。

その気持ちの現れとして、人をかたどった置物が作られたのでしょう。

つまり、人間をモチーフにした芸術が増えたのは、新石器時代に死者崇敬の重要性が高まり始めたことと関係するかもしれないのです。


同じ場所で見つかった人型の粘土像
カレイシンは、約25万平方キロメートルに及ぶ広大な遺跡であり、現在までに発掘されているのはわずか1%程度です。

そのため、まだ多くの芸術作品や歴史的遺物を隠している可能性が高く、今後の発掘調査に期待がかかっています。

研究の詳細は、7月7日付けで「Antiquity」に掲載されました。

Flint ‘figurines’ from the Early Neolithic site of Kharaysin, Jordan
https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/flint-figurines-from-the-early-neolithic-site-of-kharaysin-jordan/FFEB57291718AF9FF216F1113844C61B

https://nazology.net/archives/64138

669 :出土地不明:2020/07/17(金) 06:29:41 ID:0xjUJwfo.net
『人は人を食べたのか、4つの事例を読み解く』

2017年1月4日、ベルギーのゴイエ洞窟群で4万年前のネアンデルタール人が食人を行っていた証拠が見つかったというニュースが流れた。
トナカイなど他の動物の獲物と同じように、人間の骨を割って骨髄を取り出した痕跡が見つかったのだという。

4万年前というのは、ネアンデルタール人が我々ホモ・サピエンスに追いやられつつあった時代。彼らはなぜ食人という行動をとったのだろうか。
たんに空腹を満たすためだったのか、それとも身近な者の死を悼む神聖な儀式だったのだろうか。
それは不明だと発掘に当たったベルギーの考古学者は言っている。

今から1800年ほど前の現生人類の遺跡からも食人を示唆する痕跡が発見されている。
古代のヨーロッパ西部に住んでいたケルト人は、ドルイド教と呼ばれる宗教を信仰していた。その儀式の中に生け贄があった。
ユリウス・カエサルが率いたローマ帝国の遠征隊が残した文書によれば、ドルイド(ドルイド教の司祭)は「祭壇を捕虜の血で覆い、人間の臓物を通じて神意を伺うことを聖なる義務と見ていた」という。

実際、英国アルベストンの洞窟から、西暦200年頃のローマによる征服時代のものとされる150人もの人骨が出土している。
頭蓋骨が割られた跡が残る犠牲者はドルイドによる生け贄の可能性があるという。
英国ブリストル大学の考古学者、マーク・ホートンは、「もしかするとこれらの遺体すべてが神に捧げた大きな犠牲だったのかもしれない。ローマ人に対する勝利を得るために」と語る。

1世紀の古代ローマの歴史家、大プリニウスはドルイドについて語る中で、ケルト人は儀式として食人を行った、つまり敵の肉を自分の心身を強化するものとして食べたのではないかと述べている。
実際にアルベストンの洞穴の骨には、まがまがしい凶事が行われた可能性を示すものがあった。遺体の大腿骨が、栄養豊かな動物の骨髄を取る時と同じように割り開かれていたのだ。

世界中の古代遺跡からは、おびただしい数の生け贄の遺骨が見つかる。
ペルー北部にある古代のピラミッド「ワカ・ラスベンタナス」近くで見つかった生け贄の埋葬跡には、100体を超す人骨が辺り一面に散乱していた。
西暦900年から1100年頃までの間、ペルー北部の沿岸を支配したランバイエケ文化(シカン文化という名でも知られている)の中心だった地域にある遺跡だ。

中南米のマヤ、アステカ、インカ文明の遺跡でも、生け贄の習慣は多数見つかる。
しかし、ワカ・ラスベンタナスで発見された人骨は、すべて自発的に儀式に参加した地元民のものだったようだ。
この儀式は誰かの死の葬礼であり、死者の魂が「新しい生命として再びこの世に再生する」ことを願うものだったと考古学者は考えている。

2010年には、ネパールの切り立った崖にある洞穴で27人の男女が埋葬された遺体置き場が見つかった。
埋葬が行われたのは1500年近く前のことで、子どもの遺体も含まれていた。
研究者の調査によると遺体には切り傷が残され、67%は肉をはぎ取られていた。これは、ヒマラヤに知られざる死の儀式があったことを示している。

海抜4200mにあるこの洞穴は人手によって掘られたものだ。ネパール中央北部にあるサムゾンという村落から仰ぎ見る赤茶けた断崖に、自然の形状を残した状態で穿たれている。洞穴が掘られた当時は、梯子をかけて登ったのだろう。浸食が進んだ今では、熟練の登山家でもなければ誰も近づけない。

遺体の肉をはぎ取る風習を持った人々がどんな部族だったのか、またなぜ暗い洞穴の中でこの儀式を行ったのか、ほとんど何もわかっていない。
しかし、一つだけ確かなのは、食人ではなかったということだ。
米カリフォルニア大学マーセド校の考古学者、マーク・アルデンダーファー教授は、「食べるのが目的なら、肉をはぎ取った時の骨の扱いがまったく違うはずだ」と言う。

この場所は生け贄を捧げる所ではなく、どうやら埋葬地だったらしい。
遺体の肉をはがして洞穴に埋葬するやり方は、これまでに知られているチベットの鳥葬や、死者の肉を動物に餌として与えたゾロアスター教の葬礼に似たもので、これまでに知られていない弔い方ではないかとアルデンダーファーは説明する。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/16/111800018/011800003/

670 :出土地不明:2020/07/21(火) 12:45:17 ID:NCDS0roA.net
3000年前の古代エジプトの「叫ぶ女のミイラ」の死因が判明! CTスキャンにより死の直前の様子が明らかに


1881年、エジプトの都市ルクソールにて、古代エジプトの王墓が発見されました。

そこには、第21、22王朝時代(BC1069〜730頃)の王族のミイラが安置されており、墓荒らしから守るために隠したものと思われます。

その中に「叫ぶ女のミイラ(The Screaming Woman Mummy)」と呼ばれる、一風変わった奇妙なミイラが見つかりました。

古代エジプトのミイラは普通、来世の復活のために丁寧に安置処理されますが、この女性は断末魔の叫びを留めたような表情と固くねじれた身体のままミイラ化されていたのいたのです。

王族と思われるミイラがなぜこのような状態で安置されたのか、これまで大きな謎となっていました。

しかし、カイロ大学の最新研究により、女性は心筋梗塞に伴う激しい痙攣を起こしていたことが判明しています。
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■もう一体の「叫ぶミイラ」

実は、まったく同じ場所でもう一つ別の「叫ぶミイラ」が見つかっていました。

このミイラについては、以前の調査により、第20王朝の王子ペンタウア(BC1173〜1155)と特定されています。

ペンタウアは、実父であるラムセス3世殺害に共謀した罪で、首吊りによる自殺を強制されました。

彼の遺骸は不浄なものと見なされ、王族であるにもかかわらず、正式な防腐処理がなされず、羊の皮で巻かれただけでした。

その悲壮な最期は、ペンタウア自身の表情が物語っています。
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激しい痙攣で身体が硬直?

一方、「叫ぶ女のミイラ」は、ペンタウアより恐ろしい表情を留めています。

顔は右に傾き、胴体は硬直して、足は交差するようにねじ曲がっていました。

大きく開かれた口元は、苦痛の表情を示しています。


高級なリネンに包まれた女性のミイラ
研究チームのザヒ・ハワス氏とサハール・サレーム氏は「この女性もペンタウアと同じく乱雑に扱われた可能性がある」と考え、調査を開始しました。



CTスキャンおよびDN分析の結果、女性は約3000年前に60代で亡くなり、ペンタウアと違って、内臓が取り除かれて香料や樹脂などが入れられ、丁寧な防腐処理が施されており、高価な純リネンで包まれていました。

またコンピューター断層撮影によると、女性は「アテローム性動脈硬化症」を患っていたようです。

この病気は、大動脈・脳動脈・冠動脈といった太い動脈に起こる硬化症で、動脈の内壁にコレステロールなどからなるドロドロした脂質(アテローム)がたまり、重症化すると狭心症や心筋梗塞、脳梗塞を起こします。


深刻な動脈硬化の跡が見られた
アテローム性動脈硬化症は、高血圧、糖尿病、肥満、喫煙、運動不足、座る時間が長い生活などが主な発症原因です。

この女性の場合は、動脈硬化による心筋梗塞が死因と見られ、死の直前に激しい痙攣を起こしてそのまま硬直したのでしょう。おそらく、死後何時間も発見されずに放置されたことで、身体が元に戻らなかったようです。

王族ならではの贅沢な生活習慣が祟ったのかどうかは不明ですが、ペンタウアのような罪人ではなかったと思われます。

https://nazology.net/archives/64940

671 :出土地不明:2020/07/22(水) 00:11:06 ID:ADW++E+h.net
●遊牧国家「匈奴」の幻の「竜の都」 モンゴルで遺構が発見

モンゴル中央部を流れるオルホン川沿いの発掘調査で、ルンチェン、またはルウト(「竜の都」の意味)で名を馳せた、遊牧国家「匈奴」の首都が見つかった。

匈奴は紀元前220年から2世紀まで中国の北方に栄えた一大遊牧国家。万里の長城が建設されたのも、匈奴の進入を防ぐのが目的だった。

https://cdn1.img.jp.sputniknews.com/img/694/91/6949100_0:121:1350:852_1000x0_80_0_1_2dace8fcf86c45c4f89e09a9445802ab.jpg.webp

発掘調査はモンゴルのウランバートル大学が主体となってアルハンガイ州ウリジンスキー地区で行われた。
発掘関連のニュースサイト「ヘリテージ・デイリー」によれば、古代都市の遺構は2017年に最初に発見されていたものの、研究者らは3年を経て、この発見を公表した。

発掘現場からは都市の二重の壁、ため池、「天子」の飾り文字の入った建物の跡が見つかったことから、考古学者らは遺跡が匈奴のかつての「竜の都」のルンチェンではないかと考えている。

この発見に対して、考古学者らの間からはそもそもルンチェンが存在したかどうかを疑う説も多く挙げられている。

https://jp.sputniknews.com/science/202007207627634/

672 :出土地不明:2020/07/23(木) 23:39:06 ID:riOGYWES.net
人類、3万年前から米大陸に 通説より1.5万年早く メキシコ中部の洞窟で発掘された石器から

【7月23日 AFP】メキシコ中部の洞窟で発掘された石器から、人類が3万年前に北米で暮らしていたことが強く示されたとする論文2本が22日、英科学誌ネイチャー(Nature)で発表された。
通説より1万5000年ほど前に人類が米大陸に存在していたことになる。

【特集】古代生物図鑑〜太古に生きた奇妙な動物たち

 論文によると、高山地域にあるチキウイテ洞窟(Chiquihuite Cave)では石器1900個を含む人工遺物が見つかり、およそ2万年間にわたり人類が住んでいたことが示された。

 同国のサカテカス自治大学(Universidad Autonoma de Zacatecas)の考古学者で論文の筆頭執筆者であるチプリアン・アルデレアン(Ciprian Ardelean)氏はAFPの取材に「私たちの研究結果は、人類が米大陸に古くから存在していたことを示す新たな証拠となる」と述べた。

 放射性炭素年代測定の結果、最も古い遺物は3万3000年前から3万1000年前のものと推定された。
アルデレアン氏は「その年代の範囲内の遺物はごくわずか」であるものの、「それでも存在している」と述べている。

 現場からヒトの骨やDNAの痕跡は見つからなかった。論文は「人類の移住サイクルの中で繰り返し起きた季節的事象に応じて、人類がこの場所を比較的頻繁に使っていた可能性が高い」と結論付けた。

 米大陸は現生人類ホモ・サピエンスが最後に定住した大陸。人類到達の時期や経緯については激しい議論が交わされており、今回の研究結果に対しても異論が出る公算が大きい。(c)AFP

https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/c/7/-/img_c78c0664436c60c764618690e261c706129399.jpg
https://www.afpbb.com/articles/-/3295255

673 :出土地不明:2020/07/24(金) 10:02:20 ID:oxDQBXWs.net
『縄文時代』の土器…水中鍾乳洞に残る“人の営み” 奄美群島沖の水中鍾乳洞から発見された土器(動画)

■動画
https://youtu.be/jtO2-vKlbmY

鹿児島市から南へ約470キロ、奄美群島の一つ、徳之島の小さな集落の一角に伝説の泉はある。地元では“陸の中の海”と呼ばれている。
もともと、潮の満ち引きに合わせて水位が変わることから、地下で海とつながっているとされてきました。
海への出口を探すため、水中探検家の広部俊明さんが、2018年から調査を始めていました。

地下に広がっていたのは、巨大な空間です。
そびえたつ、いくつもの石柱。長年の時が作り上げた自然の芸術がありました。
海に向かって伸びる鍾乳洞は約500メートルを超えています。
いまだ海への出口は見つかっていませんが、総延長1キロを超える“日本最大級の水中鍾乳洞”の発見となりました。
そんな鍾乳洞の入り口から70メートルの付近で、土器を見つけました。
地元の学芸員は、ある仮説を立てました。
 天城町の文化財担当・具志堅亮さん:「ここで使用されて、そのまま取り残されたものだとすれば、7000年以上前の人たちが使った焼き物なのかなと」
この鍾乳洞はもともと陸地でしたが、約7500年前、海面が上昇し、水に沈んだと考えられています。
具志堅さんの仮説を確かめるため、土器を引き揚げ、いつの時代のものか科学的調査をすることになりました。

水中に土器の年代は、どのように調べるのでしょうか。
 土器の分析をする小畑直也さん:「“熱ルミネッセンスという年代測定”を使って、土器の年代を調べようとしている。一言でいうと、放射線をどれくらい浴びているかを測る方法」
土器は作られてから現在まで、周りの土などから、常に、わずかな放射線を受け続け、それが蓄積しています。
土器の中から鉱物を取り出し、測定装置のある研究所で放射線の量を測っていきます。

調査開始から約5カ月。年代が判明しました。
 天城町の森田弘光町長:「約1万1700年前から7400年前の間に製作されたという結果が得られた。これによってウンブキ(鍾乳洞)の内部に、古い時代の遺跡が存在している可能性が高くなったと考えられる」
土器がずっと海底にあったとすれば1万年以上前。陸上にあったとすれば7000年以上前のものとなり、縄文時代の土器であるという結果です。
 具志堅亮さん:「こういった洞窟遺跡が沖縄・奄美で近年、発掘されて、徳之島の人も含めて、洞窟遺跡を積極的に利用して、居住空間とか生活に利用したことが近年わかってきている。もしかすると、ウンブキ(鍾乳洞)も、古い時代に生活空間として、利用された可能性が十分に考えられる」

縄文時代には、日本各地で洞窟の中に人の暮らしがあったと考えられています。
この鍾乳洞からは 複数の土器や模様が施された“欠片”がいくつも見つかっています。
今回の調査で、鍾乳洞に人の営みがあった可能性がさらに高まりました。
 森田弘光町長:「7400年前、ウンブキ(鍾乳洞)は陸上にあって私たちの先祖、ルーツにあたる方々が、そこで生活していたということを思いをめぐらせたわけで。連綿とつながって、今、私たちがあるということに対して、私はワクワクというか、ゾクゾクしたというのが実感であった」

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000189177.html

674 :出土地不明:2020/07/26(日) 01:28:35 ID:vLSQCXm8.net
→1400年前のヴァイキングの遺骨から、「天然痘ウイルス」を発見
→既存の天然痘ウイルスの物的証拠を1000年近くも更新
→ヴァイキングの天然痘ウイルスは、20世紀のものと遺伝子的に異なっていた

人類は今、新たな感染症との闘いを強いられていますが、同様の闘いは過去にいくつも繰り広げられて来ました。
中でも、多くの死者を出したのが「天然痘(smallpox)」です。
天然痘の始まりは定かでありませんが、長きにわたって人類を苦しめ、20世紀だけで約3億人の命が奪われています。
歴史家によれば、天然痘ウイルスは紀元前1万年から存在するそうですが、17世紀以前に天然痘ウイルスが存在した物的・科学的証拠はありません。
ところが今回、ヨーロッパ北部の遺跡から出土したヴァイキングの歯の化石から、約1400年前の天然痘ウイルスが発見されたのです。
天然痘ウイルスの物的証拠の中では最も古く、既存の記録を1000年近くも遡ると言われています。

研究は、ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ、デンマーク・コペンハーゲン大学らにより報告されました。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/Smallpox-Infected-Viking-Skeleton-777x768.jpg
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/Massacred-10th-Century-Vikings-777x583.jpg

■人類が闘いに勝利した唯一の感染症

天然痘は、「天然痘ウイルス」を病原体にする感染症です。
人に対する感染力が非常に強く、致死率は平均して20〜50%に達しました。
飛沫や接触により感染し、約1〜2週間の潜伏を経て発症します。初期は40度前後の高熱が出て、3〜4日後に一度熱が下がります。それから全身に豆粒のような発疹が広がり、7〜9日後に再び高熱が出ます。
発疹は化膿して膿疱(のうほう)となりますが、体表面だけでなく、呼吸器や消化器といった内臓にもできるので、最悪の場合、重篤な呼吸不全を起こし、死に至ります。
それでも天然痘は、人類史上初めて根絶に成功した唯一の感染症でした。
ワクチンの開発により、1977年を境に感染者は出ておらず、1980年5月8日にWHOが「地球上からの天然痘の根絶成功」を宣言しています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/400px-Smallpox_virus-1.jpg

見つかった「天然痘ウイルス」は遺伝子構造が違っていた

研究チームは、イギリス、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、ロシアにあるヴァイキング時代の遺跡11ヶ所から、複数の遺骨に天然痘ウイルスを発見しました。
新たに見つかったウイルス株のゲノム配列を行ない、4つのサンプルについて、ほぼ完全なゲノム再構築に成功しています。
その結果、遺骨に見つかった天然痘ウイルスは、少なくとも1400年前のものであり、遺伝子構造が20世紀に根絶されたものと異なっていました。
ヴァイキングの天然痘ウイルスは、遺伝子的に「ラクダ痘」やげっ歯類の「タテラポックス」といった動物性のポックスウイルス科に近いことが判明しています。
このことから、ヴァイキング時代の天然痘は、20世紀ほどの危険性を持っていなかったかもしれません。実際、ヴァイキングの死因が、天然痘であるかどうかは断定できないそうです。
また、20世紀の天然痘ウイルスと比較すると、活性遺伝子と不活性遺伝子のパターンが大きく異なっていました。ここからウイルスが変異して、より危険な殺人ウイルスに進化する道が複数示されています。
これは天然痘ウイルスの変異プロセスを知る上で重要な発見です。
ウイルス変化のメカニズムを解明することは、この先、人類を襲う新たな感染症を食い止めるために非常に役に立ちます。

天然痘ウイルスは根絶されましたが、明日には別のウイルスが動物から放たれるかもしれません。新型コロナウイルスがその格好の例になります。
人類が存続する限り、感染症との戦いは果てしなく続いていくでしょう。

研究の詳細は、7月24日付けで「Science」に掲載されました。
Diverse variola virus (smallpox) strains were widespread in northern Europe in the Viking Age
https://science.sciencemag.org/content/369/6502/eaaw8977

https://nazology.net/archives/65258

675 :出土地不明:2020/07/26(日) 01:38:18 ID:vLSQCXm8.net
中国四川省で古蜀国末裔の墓地を発見、年代の幅は2千年以上

【7月25日 Xinhua News】
中国四川省文物考古研究院は22日、同省眉山市彭山区で戦国時代から明清時代の古墓群「大墳包墓地」を発見したと発表した。
専門家は、古代に現在の四川省一帯で栄えた「古蜀国」の末裔が死者を埋葬した場所との見方を示す。

 今回の発掘調査を指揮した同研究院の李万濤(Li Wantao)館員によると、墓群は彭山区江口街道五一村の貧困世帯向け支援住居の建設用地で見つかった。
同研究院は彭山区文物保護研究所と共同で今年3月末に発掘調査を開始。
今月下旬までに墓葬165基、灰坑13カ所、溝状遺構11カ所、陶窯3基を発掘した。
年代は戦国時代後期から前漢、新、後漢、三国、西晋、東晋、唐、宋、明、清の各時代にわたり、土器や陶器、銅器、鉄器、磁器、木器などの遺物900点(組)余りが出土した。

 李氏は「墓群は年代の幅が広く、2千年以上にわたり続いている。密度も高く、平均5〜6平方メートルごとに墓がある。まだ三分の一程度の発掘だが、今後も多くの発見があるだろう」と語った。

 古蜀国については歴史書に「周の慎王5(紀元前316)年秋、秦の大夫の張儀(ちょう・ぎ)、司馬錯(しば・さく)、都尉墨(とい・ぼく)らが石牛道から蜀を討伐した。
蜀王は葭萌(かぼう)でこれを迎え撃ったが敗れた。王は武陽まで逃れたが、秦軍に討たれた」との記載がある。
李氏によると、蜀王は国が秦に滅ぼされると、敗走して武陽城で死んだとの伝説があり、蜀王の一族や臣下の子孫はそれ以降ずっと武陽城で暮らしたという。
武陽城城址は成都市の南約60キロの眉山市彭山区武陽鎮にある。

 今回発見された墓群は武陽城遺跡の北に位置している。墓葬の出土品も同遺跡の出土品と類似性が認められることから、墓群は古蜀の子孫が埋葬された場所だと確認できるという。

 李氏は「大墳包墓地は分布面積が広く、多様な埋葬様式を持つ。年代の幅は戦国時代後期から明清時代まで連綿と続いている。
埋葬の継続性と副葬品の変化は、古蜀文明が中華文明に融合していくプロセスを反映しており、高い学術的価値がある」と述べた。(c)Xinhua News
https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/9/a/1000x/img_9a5a3e8e40f9c7ec4dc2cbb62abd3df01715112.jpg
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/5/e/5eb3d_1693_0ca5eb5a10d5e9f47c6b73fe25b0c73f.jpg
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/9/7/9700c_1693_ed0c891a8644890991d51f8141cd72bc.jpg

https://www.afpbb.com/articles/-/3295468

676 :卍3286卍ss:2020/07/28(火) 18:23:56.04 ID:K3VCZ774.net
3287【01新】Natural Creation or Artifact?+Lines on Mars自然の同系物なのか、
人工物なのか?火星の奇妙なライン群とフォボスのライン群
by Hiroshi Hayashi Japn
https://youtu.be/zfwzvqQRmEs

ちなみに金星でも 並行した直線が確認できます。。

677 :手洗い,マスク,3密回避(熱中症にも気をつけて):2020/07/31(金) 09:04:38 ID:rd+fcTly.net
県内最古の墨書土器 脚部に「奉」の略字 出雲・壱丁田遺跡出土、7世紀後半の高杯 /島根

逆さにした高杯。指の先に「奉」の略字がある=島根県出雲市大津町の出雲弥生の森博物館で、前田葵撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/07/29/20200729ddlk32040494000p/9.jpg

 出雲市は、同市白枝町の縄文〜江戸時代の集落遺跡・壱丁田(いっちょうだ)遺跡で2004〜07年にあった発掘調査で出土した須恵器が、墨で文字が書かれた県内最古の墨書土器と確認したと発表した。須恵器は7世紀後半の高杯。
 墨書土器は7世紀中ごろから飛鳥を中心に出現し、地方では8世紀半ば以降に多く出土。

続きはソースで
https://mainichi.jp/articles/20200729/ddl/k32/040/304000c

678 :卍3286卍ss:2020/07/31(金) 18:31:23.81 ID:lFZpJAMN.net
01431A Video Diary ビデオ日誌・
日本再考+日本という国は世界文明の発祥の地であることをもっと積極的に訴えていきましょう
byはやし浩司Hiroshi Hayashi, JP
https://youtu.be/LxI_AN9IGbc

神話も重要です。。

679 :手洗い,マスク,3密回避(熱中症にも気をつけて):2020/07/31(金) 18:42:36.05 ID:3Kn9Pchm.net
■人類は3万年前に北米到達、新たな研究が物議、論争をさらに過熱 メキシコの洞窟で石器を発見

■メキシコの洞窟で石器を発見、従来より1.5万年早かったと結論

メキシコ中北部の砂漠の高山にあるチキウイテ洞窟。研究者たちは最初、数千年前の環境を調べるためにここに来た。
ところが、期せずして古代の尖頭器(槍先)らしきものが発見されたことで、アメリカ大陸の歴史を書き換えるかもしれない10年近くにわたる調査が始まった。

 7月22日付けで学術誌「Nature」に発表された論文によれば、チキウイテ洞窟から見つかった証拠は、人類が約3万年前にはすでに北米大陸に居住していたことを示唆しているという。
3万年前という年代は、現在の一般的な推定よりも2倍近く古い。

 人類がいつアメリカ大陸に到達したのかについては100年以上も議論が続いているが、およそ1万3500年前というのが長らく通説になっていた。
しかし、近年の発掘によって、この年代は徐々に古い方へと見直しが進んでおり、3万年以上前に人類がいた形跡があるとする論文も発表されていた。
その説を支持する証拠をめぐって盛んに議論されているところに今回の論文が発表され、早くも論争をさらに過熱させている。

「これほどまでの主張をすれば必ず国際的な議論を呼び、批判も浴びることになりますから、しっかりとした根拠を準備しておかなければなりません」と話すのは、米オレゴン州立大学の考古学者ローレン・デイビス氏だ。
氏は今回の論文には関わっていない。「私にしてみれば、当然の主張です。到達年代は、これ以上早まりようのないところまで早まることになるでしょう」

■チキウイテ洞窟から見つかったもの

 発掘の責任者であり論文の筆頭著者であるチプリアン・アルデレアン氏は、メキシコのサカテカス自治大学の考古学者だ。
仲間たちとともに、傾斜した洞窟の床を3メートルの深さまで掘り、何千もの石を発見した。
氏らはそれらを石刃、尖頭器、剥片石器といった道具だとしている。それらの材料になった石灰岩は、洞窟内には存在しない種類のため、外から持ち込まれたと考えられている。

床の地層のあちこちからは木炭の破片も見つかっている。
ヒトが燃やしてできたものか、それとも自然のものかは不明だが、放射性炭素を使った年代測定によれば、およそ1万2000〜3万2000年前のものだという。

 ヒトの化石は見つかっておらず、動物の骨もごくわずかだ。ヒトのDNAは地層から発見されているものの、それが古代のヒトのものなのか、調査の過程で混入した現代人のDNAなのかはわからない。

「チキウイテ洞窟の最大の功績は、確かにそこには何かがあるという、ほのかな明かり、小さなシグナルをもたらしたことです」と、2011年以来、発掘を率いてきたアルデレアン氏は言う。
 今日のチキウイテ洞窟を訪れた人は、こんな過酷で住みにくい場所をヒトがあえて選んで住んだわけがない、と思うことだろう。だがそれは正しくない。

 床の地層からは花粉や植物のDNAが見つかっており、ここがかつてはもっと涼しく、緑と水の豊富な場所であったことを示している。
2万8000年ほど前のものと推定される深い地層からは、現在のメキシコには自生していないベイマツの痕跡が、ヒトが作った石刃と思われる石とともに発見されている。

 地球上で氷河が覆う広さが最大になった2万4000年前は、最終氷期最盛期(LGM)として知られる。
その頃、チキウイテ洞窟のまわりにはビャクシン属(ヒノキ科の針葉樹)、マツ、トウヒ、モミが生い茂り、湖や温泉が点在していたと考えられる。
「米国のオレゴン州やカナダのブリティッシュ・コロンビア州のようだったはずです」とアルデレアン氏は語る。
「今とはまるで違う光景だったのです」
https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/072800445/fig.jpg

続きはソースで
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/072800445/

680 :手洗い,マスク,3密回避(熱中症にも気をつけて):2020/07/31(金) 19:01:15 ID:3Kn9Pchm.net
■ストーンヘンジの謎一つ解明、巨石の産地を特定 英研究

【7月30日 AFP】
何の目的で、どのように建造されたのか──
何世紀にもわたって歴史学者や考古学者らを悩ませてきた英イングランド南部にある新石器時代の遺跡「ストーンヘンジ(Stonehenge)」をめぐる多くの謎のうち、
巨石がどこから運ばれてきたのかを解明したとする研究結果が29日、学術誌「サイエンスアドバンシス(Science Advances)」に発表された。

 ストーンヘンジを構成する巨石はサルセン石と呼ばれる砂岩だが、英ブライトン大学(University of Brighton)のデービッド・ナッシュ(David Nash)教授(自然地理学)を筆頭著者とする論文によると、
その大半は遺跡から25キロ離れたウィルトシャー(Wiltshire)のウエストウッズ(West Woods)から運ばれたとみられるという。

 ウエストウッズ付近では、先史時代のヒトの活動の痕跡が多数見つかっている。

 ナッシュ教授がAFPに語ったところによると、研究チームはまずポータブル式のX線装置を用い、最大で高さ9メートル、重さ30トンにもなるサルセン石の化学組成を分析した。
すると、ほとんどの石は組成が同じで、主要な産出地は1か所だと考えられることが分かった。

 次に、質量分析機器を使い、1958年に巨石の一つからくりぬかれた円筒形試料2点をより高度な分析にかけた。
この分析結果を巨石の産地の候補20か所と比較した結果、ウエストウッズの砂岩が最も近い特性を示した。

 ナッシュ氏は今回用いた手法について、たとえばストーンヘンジとウエストウッズの間で巨石の破片が発見できれば、巨石を運んだ経路を推測するなど、残された考古学上の謎を解明できるかもしれないと述べている。

 今回の発見は、巨石がほぼ同時期にストーンヘンジまで運ばれたとする仮説を補強するものだ。
この仮説では、巨石はストーンヘンジ成立の第2段階に当たる紀元前2500年前後に運ばれ、建造した人々が高度に組織化された社会に属していた可能性を示唆しているとされる。
 
 また、一説には巨石の一つ「ヒールストーン(Heel Stone)」は遺跡近郊から運ばれ、他の巨石より早くに設置されたといわれているが、今回の発見はこの仮説と矛盾している。(c)AFP
https://afpbb.ismcdn.jp/mwim

681 :卍3286卍ss:2020/08/01(土) 21:23:15.14 ID:5zFFMqvn.net
3289【09新】A 100m diameter Crop Circle in Germany July,
2020+Hoax?ドイツに現れた直径100メートルの巨大クロップ・サークル+いたずらか?
by Hiroshi Hayashi . Japan
https://youtu.be/87NT9hcMkzQ

ホンモノとニセモノを見分けるには。。?
ナニゴトも最終的には自分で判断するコトが重要です。

682 :マスク 手洗い 3密回避【熱中症にも気をつけて】:2020/08/02(日) 18:01:08 ID:GpdgxWBF.net
■約2700年前のユダ王国の遺跡を発見! 国の「税務署」として使われた施設だった(イスラエル)


イスラエル考古学庁(IAA)は先週、エルサレム西部のアロナ地区にて、約2700年前のユダ王国の遺跡を発見したと報告しました。

遺跡からは、古代ヘブライ文字で「王の所有物」を示す印章が押された壺の取っ手が120点以上見つかっています。

この印章は、市民が税としての貢租を納める際に印字される印であり、遺跡が徴税したものを貯蔵する「税務署」のような場所だったことを示します。
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■「ユダ王国」とは?

紀元前922年頃、ユダヤ人国家である「ヘブライ王国」の北側勢力が、「イスラエル王国」として分離独立を果たしました。その結果、パレスチナ南部に残されたのが「ユダ王国」です。

エルサレムに都を置き、ダビデやソロモンといったユダ一族が王位を継承したので、ユダ王国と呼ばれます。情勢の不安定なイスラエル王国に比べ、ユダ王国は、ダビデの子孫が代々後を継ぐ安定した国だったようです。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/07/Kingdoms_of_Israel_and_Judah_map_830.svg-1.png

しかし、メソポタミア北部で力を得た「アッシリア帝国」が南下し、紀元前722年頃にイスラエル王国を征服。ユダ王国は属国となるものの、独立は守られました。

これは、小国のユダ王国が、北のアッシリア帝国と南のエジプトの間の緩衝国になっていたからです。

ところが、紀元前612年頃、アッシリア帝国が滅亡すると、今度は北方から「新バビロニア」が攻め入ってきました。これにより、紀元前586年頃、ユダ王国は滅亡を迎えます。

■壺に記された「LMLK」とは?

遺跡は、エルサレム旧市街地から約3キロの地点に見つかりました。

印章のおかげで年代がかなり正確に特定できており、紀元前8〜7世紀半ばのヒゼキヤ王、マナセ王治世下の施設と判明しています。

似たような印章は、これまでにも他の遺跡で2000点以上見つかっており、今回のも含めて、ユダ王国の行政および徴税システムを理解するための貴重な資料となります。
印章には、ヘブライ語で「LMLK(LamMeLeKh=王に属する)」を意味する文字が使われていました。国に納める税は、現代のようなお金ではなく、ワインやオリーブオイルといった農産物だったようです。

手順としては、農産物を壺の中に入れ、役人たちが印章を押すといった形でしょう。

また印章の他にも、粘土製の偶像と思われる一連のコレクションが見つかっています。女性の頭部や騎馬の乗り手、動物をかたどった像がありました。

これらは一般に、異教崇拝や偶像崇拝に使われたものと解釈されており、聖書によれば、ユダ王国では偶像崇拝が流行していたようです。

研究主任のネリア・サピル氏は「イスラエルで発見された印章の中でも最大規模であり、当時、この施設はユダ王国の行政の中心として機能していたのでしょう」と話しています。

https://nazology.net/archives/65762

683 :イソジンうがい妊婦さんはしちゃダメ!:2020/08/04(火) 20:00:57 ID:J1iWyLl2.net
■3000年前のユダヤ教唯一神「ヤハウェの像」を発見か!? 偶像崇拝が禁止されていたのになぜ…?(イスラエル)

イスラエルの都市エルサレムから西に約30キロの場所にある「キルベット・カイヤファ(Khirbet Qeiyafa)遺跡」で見つかった粘土像が、唯一神・ヤハウェをかたどった偶像である可能性が浮上しました。

粘土像の年代は約3000年前であり、高さ5センチほどと小さく、側には子馬の像も見つかっています。

しかし、ユダヤ教のヤハウェと言えば、モーセの十戒にあるように、偶像崇拝が絶対的に禁止されていたはずです。

一体、どういうことなのでしょうか。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Yahweh-Idol-1-1-768x432.jpg

■馬に乗ったヤハウェ像か?

ユダヤ教では、紀元前13世紀頃に、ヘブライ人(ユダヤ人)を率いて出エジプトを行ったモーセが、シナイ山でヤハウェから十戒を授かったと言い伝えられています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/360px-Rembrandt_Harmensz._van_Rijn_079.jpg

そのひとつに、「唯一絶対の神であるヤハウェを偶像崇拝してはならない」ことが記されていました。

また、キリスト教の神もヤハウェであり、イスラム教の唯一神アッラーも元は同じ神を表しており、いずれも偶像崇拝を禁じています。

粘土像について、イスラエル・ヘブライ大学のヨセフ・ガーフィンケル氏は「首元の加工具合を見ると、元は胴体や陶器の器などに取り付けられていたでしょう」と指摘します。

特徴としては、頭頂部が平らで、目・鼻・耳が突き出ており、耳に穴が空いていることからイヤリングを付けていたと見られます。頭部に見られるサークル状に並んだ穴は、頭飾りを表しています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/bsba460402001l.jpg

また、顔の像と一緒に子馬の像が出土したことから、ガーフィンケル氏は「馬に乗ったヤハウェ像だったのではないか」と推測しました。

確かに、馬の背中には人の両足が見られます。

また、顔の像と一緒に子馬の像が出土したことから、ガーフィンケル氏は「馬に乗ったヤハウェ

684 :過剰なイソジンうがいは甲状腺機能低下症をなるから要注意:2020/08/04(火) 20:28:48 ID:J1iWyLl2.net
■3000年前のユダヤ教唯一神「ヤハウェの像」を発見か!? 偶像崇拝が禁止されていたのになぜ…?(イスラエル)

イスラエルの都市エルサレムから西に約30キロの場所にある「キルベット・カイヤファ(Khirbet Qeiyafa)遺跡」で見つかった粘土像が、唯一神・ヤハウェをかたどった偶像である可能性が浮上しました。

粘土像の年代は約3000年前であり、高さ5センチほどと小さく、側には子馬の像も見つかっています。

しかし、ユダヤ教のヤハウェと言えば、モーセの十戒にあるように、偶像崇拝が絶対的に禁止されていたはずです。

一体、どういうことなのでしょうか。
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■馬に乗ったヤハウェ像か?

ユダヤ教では、紀元前13世紀頃に、ヘブライ人(ユダヤ人)を率いて出エジプトを行ったモーセが、シナイ山でヤハウェから十戒を授かったと言い伝えられています。
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そのひとつに、「唯一絶対の神であるヤハウェを偶像崇拝してはならない」ことが記されていました。

また、キリスト教の神もヤハウェであり、イスラム教の唯一神アッラーも元は同じ神を表しており、いずれも偶像崇拝を禁じています。

粘土像について、イスラエル・ヘブライ大学のヨセフ・ガーフィンケル氏は「首元の加工具合を見ると、元は胴体や陶器の器などに取り付けられていたでしょう」と指摘します。

特徴としては、頭頂部が平らで、目・鼻・耳が突き出ており、耳に穴が空いていることからイヤリングを付けていたと見られます。頭部に見られるサークル状に並んだ穴は、頭飾りを表しています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/bsba460402001l.jpg

また、顔の像と一緒に子馬の像が出土したことから、ガーフィンケル氏は「馬に乗ったヤハウェ像だったのではないか」と推測しました。

確かに、馬の背中には人の両足が見られます。

また、顔の像と一緒に子馬の像が出土したことから、ガーフィンケル氏は「馬に乗ったヤハウェ像だったのではないか」と推測しました。

確かに、馬の背中には人の両足が見られます。
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■像がヤハウェである根拠は?

ガーフィンケル氏は「これらの像は、ヤハウェを象徴するものであるため、宮殿や寺院、埋葬墓といった神聖な場所にしか見つからないのではないか」と主張します。

その上で「3000年前はまだイスラエル各地でヤハウェの偶像崇拝が許されており、禁止され始めたのは、それkら数世紀ほど後のことかもしれない」と述べています。

一方で、ガーフィンケル氏の説に疑問を呈す専門家もおり、ヤハウェの偶像とは断定できない状態にあります。

しかし、これが本当にヤハウェ像であるなら、きわめてレアな考古学的遺物となるでしょう。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/31424434-8581119-image-a-2_1596221617430-1.jpg

https://nazology.net/archives/65893

685 :手洗い、マスク、3密回避(熱中症にも気をつけて):2020/08/06(木) 13:36:45 ID:dL0onSVa.net
■1500年前、東ローマ帝国のブドウ栽培は「ペストの大流行」により滅んだ!? 遺跡が示す”世界崩壊のシナリオ”とは…?


イスラエル南部にある砂漠地方の「ネゲヴ」は、約1500年前まで、ブドウ栽培の地として栄えていました。

ところが、東ローマ帝国に支配されていた6世紀半ばに突如として衰退し始めます。その原因は今も明らかになっていません。

しかし、バル=イラン大学(イスラエル)の研究により、2つの出来事がブドウ栽培の崩壊を招いた可能性が示唆されました。

その2つとは、536年〜660年頃まで続いた「古代後期小氷期」と541〜549年に東ローマ帝国で起きた「ペストの大流行(Plague of Justinian)」です。

一体どのようにしてブドウ栽培を崩壊させたのでしょうか。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Fuks-et-al-Fig-6-768x543.jpg

■帝国で人気を誇ったネゲヴの白ワイン

ネゲヴのブドウ栽培は、これまでの研究により、6世紀半ばに崩壊するまで約200年にわたり栄えていたことが分かっています。

6世紀半ばと言えば、ユスティニアヌス1世の治世であり、1453年まで続く東ローマ帝国の長い歴史の中でも最大の隆盛期でした。

歴史文書には、ネゲヴのブドウを使った白ワインが帝国内で人気だったことが書かれています。白ワインは「アンフォラ」という細長い壺に入れられ、地中海世界へと流通していたそうです。

ネゲヴにある遺跡(当時のゴミ捨て穴)からは、数万粒のブドウの種やアンフォラの断片が出土しています。

乾燥地帯であるネゲヴの緑化は、雨水を利用した排水農業と肥料となる鳥のフンを用いて行われました。農業が栄えていた証拠に、同じゴミ捨て穴からは、小麦や大麦といった穀物も見つかっています。

しかし、ネゲヴが穀物やワインの生産地であったなら、東ローマ帝国にとっては欠かせない場所であったはず。しかも、ユスティニアヌスの最盛期ともあれば、経済的に支援されても不思議ではありません。

それがなぜ衰退に向かったのでしょうか。

これについて、研究主任のダニエル・フークス氏は「6世紀半ばの東ローマ帝国を襲った気候変動と疫病が関係していたのではないか」と考えます。

■原因は寒冷化とペスト?

地球は温暖期と寒冷期を頻繁に繰り返しており、6〜7世紀頃までは「古代後期小氷期」という寒冷期に入っていました。この気候変動を背景に、東ローマ帝国は「ペストの大流行」に見舞われたのです。

541〜549年まで続いたペストにより、当時の東ローマ帝国の実に20%の人口が減少。それに加え、ユスティニアヌスの重税が災いし、帝国の社会経済は崩壊しました。

これを踏まえ、フークス氏は「帝国の人口減少と購買力の低下により、ネゲヴの農産物が買われなくなり、経済的に衰退したのではないか」と推測します。

ペストがネゲヴまで拡大していたかどうかは不明ですが、帝国の経済支援がない上に、小氷期のせいで農作物が不作に陥った可能性は高いでしょう。

ユスティニアヌス自身もペストに感染しましたが、後に回復しています。しかし、一度崩れた帝国の経済は回復しませんでした。ユスティニアヌスの後、東ローマ帝国は急激に縮小・弱体化し、9世紀になるまで長い衰退期に入ります。

フークス氏は「気候変動とペストがネゲヴの産業を崩壊させた直接的な原因とは断定できませんが、何らかの形で農民たちに打撃を与えたのは間違いない」と話します。

ネゲヴの悲劇は、単なる過去の出来事ではなく、新型コロナウイルスの感染拡大が続く現代にも言えることではないでしょうか。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Fuks-et-al-Fig-4-640x400.jpg

https://nazology.net/archives/66076

686 :手洗い、マスク、3密回避(熱中症にも気をつけて):2020/08/06(木) 13:42:46 ID:dL0onSVa.net
■チチカカ湖で「インカ帝国の遺物」を発見! 儀式の生贄に使われた”リャマ像と金のホイル”が石の箱から見つかる


南米の西側、ペルーとボリビアの国境に位置する「チチカカ湖」は、標高3800メートル付近にあり、「航行可能な世界最高所の湖」として知られます。

そのチチカカ湖の水中で、インカ帝国の遺物が新たに発見されました。

遺物は、生贄の儀式に使われた石の箱と見られ、チチカカ湖がいかに神聖な場所であったかが示唆されています。

研究は、米・ペンシルベニア州立大学とベルギー・ブリュッセル自由大学により報告されました。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Stone-Box-Carved-Shell-Llama-777x518.jpg

■箱の中に「リャマ像」と「金のホイル」を発見

石の箱が見つかったのは、チチカカ湖の北東部に浮かぶ「カカヤ岩礁(K ’akaya reef )」です。カカヤ岩礁の南西側、水深5.5〜5.8メートル付近に沈んでいる状態で発見されました。

箱は引き上げの前に、発見された位置のまま撮影されています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/reef.jpg
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/artifact1.jpg

研究チームは、石の箱を現地の研究所に運び、市や地元先住民の責任者立ち会いのもと慎重に開封しました。四角形の箱の中心部には円状の穴がくり抜かれており、それに合う形のフタで閉じられています。

フタを開けると、中には貝殻から作られた小さな「リャマ像」と円筒形に丸められた「金のホイル」が入っていました。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Inca-treasure-670x424.jpg

これらはインカ帝国の儀式において、生贄の「代替え」として使われた作り物と考えられています。

1200年頃に成立したインカ帝国は、スペインの征服者によって1533年に滅ぼされるまで、アンデス山脈の南西部を中心に支配していました。中でもチチカカ湖は、インカ帝国の神・ビラコチャが住む場所として神聖視されていたのです。

また、チチカカ湖の中央に浮かぶ「太陽の島(Isla del Sol)」は、ビラコチャの息子である太陽神・インティが「暗闇から世界を救うために現れる場所」として、インカ帝国ナンバーワンの巡礼地となっていました。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Lake-Titicaca-Map-777x582.jpg

そのインカ帝国で行われていたのが「カパコチャ(Qhapaq hucha)」という儀式です。

カパコチャは、飢饉や洪水、皇帝の死といった災難が起こった際に行われ、最も純粋な存在である子供が生贄に選ばれます。

しかし、研究チームによると「石の箱のリャマ像と金のホイルは、子供の『代替え』としてチチカカ湖の神に捧げられた可能性が高い」とのことです。

チチカカ湖では、以前にも似たような遺物が発見されており、1977年には「太陽の島」の近くで、1988年と1992年には「コア岩礁(Khoa reef)」で見つかっています。

今回、また別の場所で石の箱が見つかったことから、当時の人々はチチカカ湖の一部ではなく、全体を神聖な場所として崇拝していたのかもしれません。

https://nazology.net/archives/65992

687 :手洗い、マスク、3密回避(熱中症にも気をつけて):2020/08/06(木) 13:48:28 ID:dL0onSVa.net
■インカ文明の「穿頭手術」、その凄まじい成功率が明らかに


→頭を開く「穿頭」手術は、インカ帝国の時代に驚くべき成功率を誇っていたことが分かった
→その数字は、当時から約400年後のアメリカ南北戦争における同様の手術の成功率を大きく上回るものであった
→頭蓋骨を削った後の治癒の程度から、その患者が穿頭後にどの程度生きたかが推測された

頭蓋骨の手術を麻酔や抗生物質なしでをおこなうなど、想像するだけで気絶しそうになるだろう。

しかし、頭蓋骨を削り、切除し、こするといった作業を伴う「穿頭(せんとう)」(トレパネーション)は、古代ギリシャや先コロンブス期のペルーにおいて数千年にわたって実際におこなわれてきた。

残念ながら、穿頭を受けたすべての患者が生き延びたわけではない。しかしインカ帝国の100を超える被験者を含む人々は、穿頭に生きたまま成功していたことが分かっている。

そして新たな研究が、そうした外科手術の精度が驚くほどに高かったことを示した。研究によれば、インカ時代の手術成功率は80%にものぼっていたと考えられており、その約400年後に起こったアメリカ南北戦争における、50%をはるかに凌駕する数字であったとのことだ。

Trepanation Procedures/Outcomes: Comparison of Prehistoric Peru with Other Ancient, Medieval, and American Civil War Cranial Surgery

https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1878875018306259
https://nazology.net/wp-content/uploads/trepanation_16x9-670x377.jpg

■年代を追うごとに進歩した穿頭技術

研究者によれば、穿頭は脳へのダメージを取り除くために開始されたものだと考えられているが、すべての頭蓋骨に怪我の兆候があったわけではない。

そのため、穿頭が脳の外傷治療でない場合にも用いられていたことが考えられる。それはたとえば慢性的な頭痛や、精神的な疾患などだ。

穿頭の成功率については、頭蓋骨の治癒の度合いによって推測された。つまり、穴を開けた頭蓋骨の周辺に治癒の痕跡がみられなければ、その個体は術後間もなく死亡したと考えられ、逆に骨が滑らかに治癒していれば、その個体は穿頭の後数ヶ月、あるいは数年間生きたと考えられるということだ。

また、頭蓋骨の化石には技術の進歩の足跡が表れていた。年代を追うごとに穴や削った箇所の面積は小さくなっており、脳を保護する硬膜が破裂することや、感染症のリスクを低下させる「グルービング」がより丁寧におこなわれるようになっていたのだ。

南北戦争との比較には批判も

中には複数回の穿頭を受けた患者の頭蓋骨も発見されており、インカ時代のものでは、5つもの手術から回復した痕跡がみられたものもあった。これまで述べてきたことを考慮に入れれば、その患者が単に「ラッキーだった」で片付けることはできないだろう。
https://nazology.net/wp-content/uploads/civil-war-74010__480-670x479.jpg

■400年後のアメリカと比較

研究者らは、同様の方法が用いられたアメリカ南北戦争当時の医療との比較をおこなった。当時の戦場医師はインカ時代の穿頭と同じようにグルービングをおこなっていた。しかし患者の46〜56%は術後に死亡していたことが分かった。これはインカ時代の17〜25%と比べて非常に高い数字である。

一方、両時代ではそもそも頭の怪我の程度が違うといった指摘もある。確かに戦争の中で銃弾などによって受けた頭のキズは感染症などを引き起こしやすく、インカ時代のものとは質が違う可能性もあるだろう。

しかしそれでも当時の穿頭の成功率の高さは驚くべきものだ。西洋では当時、手術道具は水洗いして拭くだけで使い回されていたという。しかし当時のペルーに病院はなく、手術はすべて野外、道具も使い捨てだったといわれている。このようなことも、生存率に関わっているのかもしれない。

https://nazology.net/archives/39842

688 :マスク 手洗い 3密回避 熱中症にも気をつけて水分補給:2020/08/07(金) 16:13:48 ID:T7ukJGCE.net
■8000年前のアラビアでは「役立たない石器」を”うで自慢”のためだけに作っていた


新たな研究で、約8000年前のアラビア人は、自らの彫刻スキルを見せびらかすために、実用的でない複雑な石器を作っていたことが示唆されました。

そのスキルは「フルーティング(fluting)」と呼ばれもので、アラビア人より数千年前に先立つ北アメリカで誕生しています。

しかし、アラビアと北アメリカのフルーティングには、決定的に違う点が見られました。

研究は、オハイオ州立大学(米)、フランス国立科学研究センター(CNRS)、マックス・プランク人類史学研究所(独)により報告されています。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/journal.pone_.0236314.g003.png

■アラビアではスキル自慢が広まっていた?

調査されたのは、アラビア半島南端に位置するイエメンとオマーンの遺跡にて、2004〜2008年に見つかった尖頭器です。尖頭器は、先端を鋭く尖らせた打製石器のことで、槍の穂先や矢尻がそれに当たります。

その作成過程で、約1万2000年前の北アメリカで開発された技術が「フルーティング」です。

フルーティングは、尖頭器の底部に半筒状の溝を彫ることで、木の棒などに取り付けやすくします。完全に実用的なスキルであり、飾りや模様のためではありません。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/Clovis_Point.jpg

これとは対象的に、アラビアで見つかったフルーティングは、石器の底部だけでなく、先端あるいは先端〜底部まで施されていたのです。

フルーティングは、比較的厚みのある底部でこそ可能な技術であり、厚みのない先端で行うとすぐに割れてしまいます。ましてや、先端に棒を取り付けることはないので、実用的でもありません。
https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/08/journal.pone_.0236314.g006.png

研究チームは、実際にアラビア式のフルーティングが可能か確かめるため、石器作りの専門家に実演してもらいました。しかし、専門家でも難しく、石器はすぐに割れてしまいます。
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研究チームのジョイ・マックコリソン氏は「フルーティング自体、習得に多くの労力と時間を要する高度な技術です。

それを石器の先端で行うのは失敗のリスクが高すぎますし、完成しても実用的ではありません。おそらく、アラビアの石器職人たちは、自らのスキルを証明するためにフルーティングを用いたのでしょう」と指摘しました。
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また、スキルの実演は、コミュニティーの中での社会的地位を高めることに繋がったとも考えられます。

イエメンやオマーンの遺跡は、アラビア屈指の腕利きが集まった「虎の穴」だったのかもしれません。

研究の詳細は、8月5日付けで「PLOS ONE」に掲載されています。

https://nazology.net/archives/66130

689 :○手洗い マスク ソーシャル・ディスタンス(熱中症対策も忘れずに!):2020/08/11(火) 18:41:35 ID:Qc8N3SXX.net
■1300年以上前の絵画を「発見」、日本最古級か 黒くすすけた柱から赤外線撮影で確認 滋賀・甲良の寺


湖東三山の一つ、西明寺(滋賀県甲良町池寺)の本堂内陣の柱絵を調査・分析していた広島大大学院の安嶋(あじま)紀昭教授(美術学史)は9日、絵は飛鳥時代(592―710)に描かれた菩薩(ぼさつ)立像で、描式から日本最古級の絵画とみられると発表した。834年とされる同寺の創建前で、創建時期が大きくさかのぼる可能性があるとも指摘した。

 菩薩立像は、本堂内陣の本尊・薬師如来像前にある西柱と南柱に描かれていた。柱は黒くすすけ、これまで何が描かれているのか分からなかったが、昨年6月、周囲の仏像を移動させ、高さ3〜4メートルに描かれた絵を赤外線で撮影することができた。

 分析の結果、両柱(直径約45センチ)には、菩薩立像が4体ずつ描かれていた。薬師如来像をたたえるように力強い筆致で、背景には雲塊や唐草文もある。青や緑、朱などの顔料が使われ、当時は極彩色だったという。

 安嶋教授によると、像は長身で細面で線が太い。耳の中や手のひらの描き方は単調で、隋代(581―618)の描法の特徴を表している。飛鳥時代に描かれた法隆寺の国宝・玉虫厨子(たまむしのずし)の扉の菩薩像に酷似しているといい、「絵画としては日本最古級」とした。寺周辺には東大寺の彩色を担当した渡来系の画工集団・簀秦画師(すのはたのえし)が居を構えていたことから、「彼らによる仕事では」とも推測した。

 西明寺の中野英勝住職は「本堂自体が国宝だが、絵画にも注目してほしい」と話した。

https://kyoto-np.ismcdn.jp/mwimgs/4/a/600m/img_4a59c419c74a55863c862f006636ab76478140.jpg
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https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/326324

690 :○手洗い マスク ソーシャル・ディスタンス(熱中症対策も忘れずに!):2020/08/11(火) 18:49:23 ID:Qc8N3SXX.net
■ルネサンス期のイタリアの芸術家ラファエロの顔、頭蓋骨の石こう像から3Dで復元 埋葬地特定


【8月10日 AFP】ルネサンス期のイタリアの芸術家ラファエロ(Raphael)の顔が頭蓋骨の石こう像を基に3Dで復元され、長年謎とされていた埋葬場所が特定された。ローマのトル・ベルガータ大学(Tor Vergata University)が6日、AFPに明らかにした。

 幼少期から神童ともてはやされ、ミケランジェロ(Michelangelo)やレオナルド・ダビンチ(Leonardo da Vinci)と並んでルネサンスの三大巨匠とされるラファエロは、1520年に37歳の若さでこの世を去った。ローマの古代神殿「パンテオン(Pantheon)」にあるラファエロの墓には一年中、赤いバラの花が供えられている。

 ラファエロの遺体は19世紀に掘り起こされ、頭蓋骨の石こう像が作られた。だが掘り出した場所には、別の人物のものと思われる全身または体の一部の骨もあったため、専門家らは遺体が実際にラファエロのものかは確定できていなかった。骨の一部は、ラファエロの弟子のものだと判明している。

 今年はラファエロの没後500年に当たることから、トル・べルガータ大学の研究チームは3Dによる復元を行った。

 分子生物学専門家マッティア・ファルコーニ(Mattia Falconi)氏はAFPに対し、3Dで復元された顔は、同時代の芸術家による肖像画やラファエロによる自画像と明らかに一致していたと話した。「1833年に掘り出された頭蓋骨が、ラファエロのものだという、初めての具体的な証拠だ」

 ファルコーニ氏は、3Dによる復元は「元の顔の80%しか捉えられないが、今回の結果に疑問の余地はない」と指摘する。同じ場所に埋葬された弟子たちにも似ておらず、非常によく似た他人にしては一致点があまりにも多いという。

 またファルコーニ氏は、唯一復元できない顔の部位は「耳」だとし、「幸運にもラファエロは髪が長かったため耳が隠れていた」と述べた。

 3Dで復元されたラファエロの胸像は、イタリア・マルケ(Marche)州ウルビーノ(Urbino)にあるラファエロの生家を改造した博物館に展示される。(c)AFP

https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/d/4/d4db5_1351_5f3ec931_c57332c3.jpg
https://www.afpbb.com/articles/-/3298320

691 :手洗い マスク 3密回避(屋外は距離あけマスク外して水分補給):2020/08/12(水) 11:41:37.42 ID:lg780ivK.net
■バビロニアのエルサレム征服、発掘で証拠発見 聖書の記述裏付けか


(CNN) 中東エルサレムにあるシオンの山で発掘作業を行っていた研究チームがこのほど、古代バビロニアによる同市征服の証拠を発見した。エルサレム破壊に関する聖書の記述を裏付ける成果とみられる。
https://www.cnn.co.jp/storage/2019/08/14/246d893d9ca6fce47c2376bf6a6804b1/mount-zion-babylonian-attack-illustration-restricted.jpg

米ノースカロライナ大学の研究チームは今回、灰の堆積(たいせき)物や矢尻、壊れたつぼや照明器具などを発掘。しかし最も重要な発見となったのは、房飾りかイヤリングとみられる宝石類だった。
https://www.cnn.co.jp/storage/2019/08/14/13d2e5e18997ffb11079381df2cf5dee/mount-zion-earring-1.jpg
https://www.cnn.co.jp/storage/2019/08/14/74585d4ec36b73accf3bf3a698344b3b/t/768/432/d/mount-zion-2016-super-169.jpg

研究プロジェクトの共同責任者を務めるシモン・ギブソン氏によると、こうした「上流階級」の痕跡が見つかったのは初めて。紀元前587〜586年に征服される前のエルサレムの豊かさを記した聖書の記述を確認する発見とみられる。

宝石は通常、戦士によって略奪され溶かされることから、戦地で見つかるのは珍しい。「包囲時のエルサレム住民の豊かさを明確に示すものだ」とギブソン氏は語る。

バビロニアによる攻撃の決定的な証しとなる単独の出土品はなかったが、遺物の独特な組み合わせを踏まえ、研究チームは征服の直接的な証拠が見つかったと考えるに至った。
ギブソン氏は声明で「遺物が詰まった灰の堆積層に矢尻、特別な装飾品という組み合わせから、何らかの破壊行為があったことがうかがえる。金の宝石を捨てたり、矢尻を家庭ごみに出したりする人はいない」としている。

発掘された矢尻は「スキタイの矢尻」と呼ばれる。紀元前7〜6世紀の戦跡では「ごくありふれた」遺物で、バビロニア人の戦士が使っていたことで知られるという。
https://www.cnn.co.jp/storage/2019/08/14/bb6c38582cb1f685260f5aa3df3d765d/mount-zion-babylonian-attack-evidence.jpg

エルサレム征服は新バビロニアの国王ネブカドネザル2世が主導し、多くの命が失われたと考えられている。旧約聖書「列王記第二」で記述されたソロモンの神殿の破壊にもつながった。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35141256.html

692 :出土地不明:2020/08/22(土) 21:18:40 ID:6pUs3J6f.net
古代エジプトの動物ミイラ、デジタル技術で「開封」 猫・ヘビ・鳥の三体



ロンドン(CNN)英スウォンジー大学の研究チームは20日、古代エジプトで作られた3体の動物ミイラについて、高精度な3次元スキャンを駆使して「デジタル的に開封」することに成功したと発表した。

同大学の声明によると、研究チームはミイラの分析を通じ、2000年以上前にさかのぼるこれらの動物の生活や死亡時の様子を知ることにも成功したという。

ミイラの中身がヘビや鳥、猫であることは以前から分かっていたものの、今回の研究では、医療用CTスキャンの100倍の高精度画像が得られる「X線マイクロCTスキャン」を使用。動物の歯に至るまで詳細に調べることが可能になった。

この結果、猫は生後5カ月に満たないことが判明。
脊椎(せきつい)が分離していることから、首を絞められ死んだとみられている。
鳥の種類については、骨の測定によりチョウゲンボウと特定された。

ヘビはエジプトコブラの幼体だった。調査で腎臓に損傷が見つかっており、おそらく水を入手できずに痛風の一種を起こしていたとみられる。

研究チームはこのコブラについて、ムチをたたき付けるようにして殺されたと説明。ミイラ製作の過程で「口開けの儀式」を受けていた可能性があるとも指摘した。

この儀式は必ずしも物理的に口を開けるわけではなく、人間のミイラや神の像のほか、動物に対しても行われた証拠が残っている。スウォンジー大学の研究者は「口開けの儀式を行うことで、対象を神聖化するという発想だった」と解説する。

古代エジプトでは猫やヘビ、ワニ、犬などの動物がミイラにされるのは普通のことで、飼い主と一緒に埋葬されたり、死後の世界での食べ物として供されたりするケースもあった。

https://news.livedoor.com/article/detail/18773846/

693 :密を避け、こまめに手洗い、水分補給:2020/08/23(日) 18:31:16 ID:zIXrWwKf.net
「壬申の乱」の際、大海人皇子も来た? 古代の行政施設再現 三重・四日市


 国史跡に指定されている古代の役所跡「久留倍官衙(くるべかんが)遺跡」(三重県四日市市大矢知町)を紹介する「くるべ古代歴史公園」の整備がほぼ終了し、11月のオープンを予定している。
当時の主要な建物を復元したり、建物の柱を立てたりして古代の行政施設を再現する。
遺跡の調査を始めてから約20年。「壬申(じんしん)の乱」などの史実に結びつく可能性もあるロマンあふれる遺構がようやく一般公開され、歴史ファンらの注目を集めそうだ。【松本宣良】

 久留倍遺跡は、国道1号北勢バイパス建設工事に伴う発掘調査で見つかった。
飛鳥〜平安時代にかけて当時の朝明郡の役所「郡衙(ぐんが)」があった場所とみられ、中心施設の「政庁」跡から正殿と2棟の脇殿、正門に当たる「八脚門」の遺構が発見された。
南北を軸とする通常の役所跡と異なり、東を向いている点でも注目された。他に租税の稲を収納した高床の倉庫群「正倉院」の遺構も確認された。

 また、日本書紀では皇位継承権を巡る壬申の乱(672年)で大海人皇子(後の天武天皇)が朝明郡で戦勝祈願した後、郡衙に入ったと記され、続日本紀には聖武天皇が東国行幸(740年)で朝明郡に滞在したことが記されている。

 遺構や文献から、同遺跡が古代の地方組織の一端を知るために貴重で、古代史を解明する上でも重要として2006年に国史跡に指定され、市教委が11年度から遺跡の保存整備事業に着手。
これまで古代歴史公園(約2万1500平方メートル)内に八脚門を復元したほか、正殿をモデルにした休憩所、建物の位置を表示する柱などを整備してきた。
遺跡のガイド施設「古代歴史館」は2年前、隣接地に開館している。

 市教委社会教育・文化財課の葛山拓也学芸員は「地元住民や関係者らの協力でようやく公開の時期を迎えられる。歴史に興味のある人だけでなく、市内外の多くの人に古代の行政の姿を体感しながら、公園に親しんでもらえれば」と話している。

毎日新聞2020年8月21日 08時15分(最終更新 8月21日 08時15分)
https://mainichi.jp/articles/20200821/k00/00m/040/010000c

694 :『密』を避け、こまめに手洗い、水分補給:2020/08/24(月) 22:40:55.23 ID:srOkSxZO.net
古代中国史を書き換える4千年前のシーマオ遺跡、謎のヒスイと要塞

■初期の中国文明はどのように変遷したか、新たな見方を提示

 中国の黄土高原の砂ぼこりが吹き荒れる丘に、朽ちかけた石垣がある。
 近くに暮らす人々は長らく、この石垣を万里の長城の一部と信じていた。
 無理もない。
 2000年以上前に北方民族との最前線として造られた万里の長城は、黄河が北に大きく屈曲するちょうどこの辺りを通過している。

 だが、ここでは場違いなものも見つかった。
 ヒスイだ。
 破片だけでなく、円盤や刀剣、笏(しゃく)などに加工されたものも見つかっている。
 ヒスイはここ陝西省最北部では産出せず、最も近い産地でさえ、およそ1600キロも離れている。
 万里の長城の特徴とも合わない。オルドス砂漠に近いこの不毛の地で、なぜヒスイが大量に見つかったのか?

 中国の考古学者チームがこの地を発掘調査したところ、意外なことがわかった。
 その石垣は、万里の長城の一部ではなく、壮大な要塞都市の名残だった。
 発掘は今も行われているが、高台にあるピラミッドやその周囲を取り囲む全長10キロを超える防壁、壁画やヒスイの工芸品に彩られた聖なる場所、そしておぞましい生け贄の証拠が見つかっている。

 2020年の初め、新型コロナウイルスのパンデミックによって発掘が中止になる前に、考古学者たちは、石に彫られた見事なレリーフを70個も発掘した。大蛇や怪物、半人半獣などの図像で、後の青銅器時代の中国のものに似ていた。

 さらに驚くべきことに、放射性炭素による年代測定の結果、ここシーマオ遺跡の一部は、4300年前に遡ることが明らかになった。万里の長城の最も古い部分より2000年近くも古く、確認されている中国最古の王朝、殷(商)が現れる500年も前のことだ。

 シーマオは、この僻地とも思える地で、紀元前2300年頃から紀元前1800年頃まで繁栄し、突然、放棄された。その理由は謎に包まれている。

 中国考古学の道しるべとなってきた古文書のいずれにも、この古代都市に関する記述はない。だがシーマオは大きく複雑なだけでなく、外部の文化とも活発に交流していた。面積はおよそ4平方キロと、米ニューヨーク市のセントラルパークより広い。その芸術や技術は北方文化の流れをくみ、歴代の中国王朝にも影響を与えた。

 シーマオだけではない。近年は各地の遺跡で発見が相次ぎ、歴史学者は中国文明の発祥について再考を迫られている。

「シーマオは、今世紀最大の考古学的発見の1つです」と話すのは、陝西省考古研究院の院長で、シーマオ遺跡発掘のリーダーを務めた孫周勇氏だ。「中国の初期文明の発達に関する新たな見方を提示しています」

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

ナショナル ジオグラフィック日本版 8/23(日)7:21
https://news.yahoo.co.jp/articles/f18ec8ee90373df248205031651bcf14c4ce2d97

695 :出土地不明:2020/08/30(日) 01:50:17 ID:7nYyQKzE.net
【滋賀】国内最古の木製こま出土、朝鮮半島からの先進的な渡来文化 「こまが渡来人由来のものである可能性も考えられる」

 大津市の「南滋賀遺跡」(同市南志賀)で6世紀後半から7世紀のものとみられる古墳時代後期の遺構が見つかり、一角から木製のこまが出土したと同市教育委員会が28日に発表した。国内では最古のこまとみられる。祭祀(さいし)に使われていたと推測され、市教委は「謎に包まれていた当時の祭祀の実態を知るうえで貴重な史料だ」としている。

 こまは全長約6センチ、直径約4・4センチ。一緒に出土した土器類や掘っ立て柱建物などの年代から6世紀後半から7世紀にかけての古墳時代後期のものとみられる。古代のこまは奈良の藤原京や平城京などからも出土している。最も古い藤原京から出土したこまは7世紀後半のもので、「今回見つかったこまはこれまでの国内出土例として最も古いものになる」(市教委)という。

 細い棒に革などを結び付けた鞭(むち)で打つことで回転させる「叩(たた)き独楽(こま)」の形をしているが、発見された場所の近くで祭祀用とみられる遺物が数多く見つかっていることなどから、遊戯用ではなく、祭祀用として用いられていた可能性が高い。

 同遺跡では屋根を壁で支える大壁建物など渡来系の人々がつくったとみられる古墳時代後期の遺構が相次いで見つかっており、朝鮮半島からもたらされた先進的な渡来文化が展開されていたと考えられている。

 京都産業大の鈴木久男客員教授(歴史考古学)は「渡来系の人々が暮らしていた地で国内最古のこまが見つかったことを踏まえると、こまが渡来人由来のものである可能性も考えられる。こまのルーツを知るうえで大変貴重な発見だ」と指摘している。

 こまは9月1日から同10日までの間、大津市役所の市民ギャラリーで展示される。問い合わせは市教委文化財保護課。

8/28(金)16:24配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200828-00000558-san-cul
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200828-00000558-san-000-1-view.jpg

696 :卍3286卍ss:2020/08/31(月) 16:11:27.64 ID:XlpjUmAf.net
3311【01新】Boyd Bushman’s Cofession on Grey Alien
グレイについてのボイド・ブッシュマンの死の床証言
by Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/VB6rQ1zl2CI

ボイド・ブッシュマン氏の証言 初の和訳だと思います。。

697 :生命体5618:2020/08/31(月) 18:30:35.59 ID:WR8pfZp+.net
>>696
>>455

公表後まもなくインチキを暴かれて、盲信的なUFOビリーバーにすら話題にしなくなった
ボイド・ブッシュマンの動画を、今さら・・・(* ̄∇ ̄*)

Debunked: Boyd Bushman, Area 51 scientist, claims existence of aliens in deathbed video [Hoax]
https://www.metabunk.org/debunked-boyd-bushman-area-51-scientist-claims-existence-of-aliens-in-deathbed-video-hoax.t4886/

【宇宙人秘話】あるエンジニアが死の間際に「宇宙人は存在する」と写真を公開→ 「嘘だ!」とネットユーザーが真実を暴きにかかる
https://news.merumo.ne.jp/article/genre/2223556?page=2

698 :卍3286卍ss:2020/08/31(月) 22:34:08.07 ID:FwHmIKIz.net
20世紀の驚くべき発見:人間よりはるかに高いIQを持つ地底人が実在
https://youtu.be/1B57pTTXntY

こんにちはシャンバラからのNTさん。。
M.I.Bもお出迎え。

699 :生命体5618:2020/08/31(月) 23:53:56.46 ID:3/9GThs9.net
CNN.co.jp : スノーデン氏、CIAネットワークでエイリアン実在の証拠検索
https://www.cnn.co.jp/usa/35144386.html


>>698
地底人とかの話なら、こちら↓でなさってください。

地球空洞説を真剣に語るスレ 3 [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/galileo/1481166926/

700 :出土地不明:2020/09/02(水) 18:11:16 ID:SYDbij6a.net
「よみがえる邪馬台国」豊前の国に迫る 吉野ヶ里歴史公園で9月19日から特別企画展 佐賀

https://tourism.travelnews.co.jp/kyusyu-okinawa/202008280931221494.html

 佐賀県吉野ヶ里町の国営吉野ヶ里歴史公園では9月19日から、特別企画展「よみがえる邪馬台国」が開かれる。
12回目となる今回は「倭人伝のクニを探る」シリーズ第2弾として、大分県宇佐市など豊前地域と青銅器にスポットを当てる。
11月8日まで。

同展では、弥生時代後期の集落跡である別府遺跡をはじめ弥生遺跡が点在する宇佐市を中心とする豊前地域に注目。
遺跡の特色、出土資料から、吉野ヶ里遺跡との関係、播磨・摂津の畿内遺跡との比較などを通して「豊前の国」を検証する。

9月27日には特別記念フォーラムを開催。邪馬台国の九州説と近畿説についての基調講演、フォーラムを行う。

時間は9―17時。特別企画展観覧は無料だが、入園料は大人460円。

https://tourism.travelnews.co.jp/img/200828kyusyu-okinawa1.jpg

701 :出土地不明:2020/09/04(金) 14:13:00 ID:PFd/yrfB.net
【イギリスで「キリスト教の聖杯」の断片を発見!表面に天使や十字架のシンボルが描かれていた】

 イングランド北部・ノーサンバーランドにある遺跡にて、5〜6世紀のキリスト教の「聖杯(英: Chalice)」の断片が発見されました。

 断片は全部で14個見つかっており、無数の文字やシンボルが刻み込まれています。

 聖杯の断片は、ローマ帝国時代に建てられた要塞跡から出土しており、イギリス国内で見つかった聖杯としては最古のものです。

 研究主任のアンドリュー・バーリー博士は「イギリスでのキリスト教の広まりを理解する上でも貴重な発見」と評しています。

■イギリスで見つかった最古の「聖杯」

 聖杯が見つかった場所は、スコットランドとの境界線近くにある「ハドリアヌスの長城」の直下、「ヴィンドランダ要塞」の教会跡です。

 ハドリアヌスの長城は、122年にローマ皇帝ハドリアヌスの命令により建設が開始されました。

 その後、ローマ人は約330年間、同地に滞在しましたが、5世紀初めにその地を去り、集落だけが後に残されています。
聖杯が出土した教会は、ちょうどその頃の5〜6世紀に建てられたものです。

 これまでに同遺跡では、拳闘用のグローブやシューズ、ブーツなどの遺物が見つかっていますが、聖杯が見つかったことはありませんでした。

 これはローマ人が去った後も、同地の集落でキリスト教信仰が続いていたことを裏付けています。

 キリスト教は313年のミラノ勅令によってローマ帝国の国教となり、そこから各地に広まっていきました。
そのため、聖杯の断片は、イギリスにおけるキリスト教信仰の初期の遺物と考えられます。

■聖杯に記された「シンボル」の意味は?

 聖杯には、天使や十字架、クジラ、舟などを含むキリスト教のシンボルがいくつも刻まれており、文字としては、ラテン語とギリシャ語の他に、5〜6世紀頃に盛んに使われたオガム文字も見られました。

 シンボルや文字の大半は意味が分かっていませんが、「十字架の帆が張られた舟」は、キリスト教徒を約束の地に連れていく乗り物としての教会を象徴するものと言われています。

 バーリー博士は「これらの意味を解明するだけでも、今後数年にわたる大規模な調査が必要」とした上で、
「この時代のイギリスは歴史的にあまり知られていないため、5〜6世紀のイングランドを知る重要な手がかりとなる」と話しました。

 聖杯の断片は、今週火曜日から、ヴィンドランダ要塞で見つかった遺物を展示する「Vindolanda Trust」で一般公開が始まっています。

ナゾロジー 2020/9/3(木) 
https://nazology.net/archives/67847

702 :出土地不明:2020/09/05(土) 00:18:33.05 ID:qmx7k9R4.net
【中欧の奇妙なうつぶせ埋葬、「蘇る死者」を恐怖か、最新研究】

■ペスト流行期に増加、不死者迷信との関連を指摘

 2014年、スイスの人類学者アメリー・アルタラウゲ氏は、数世紀前の共同墓地で見つかった奇妙な墓を調査するよう指示された。
 ベルン大学法医学研究所で働き始めてからわずか数日後のことだった。

 共同墓地には340の墓があったが、その中の1つが際立っていた。
 教会の墓地の片隅に、中年の男性がうつぶせに埋葬されていたのだ。
 「このような墓を実際に見たのは初めてでした」とアルタラウゲ氏は振り返る。

 曲がった肘の内側には、硬貨がいっぱいに詰まった財布と鉄製のナイフがあった。
 服の下に隠していたのだろう。
 硬貨から推定された埋葬時期は1630〜1650年。
 当時、スイスのこの一帯ではペストが流行していた。

「家族も葬儀屋も遺体を調べたくなかったように見えます」とアルタラウゲ氏は話す。
 「埋葬するとき、すでに遺体の腐食が進んでいたか、あるいは感染症にかかっていたため、誰も近づきたくなかったのではないでしょうか」

 アルタラウゲ氏はこの発見をきっかけに、うつぶせで埋葬された遺体をスイス、ドイツ、オーストリアで探すことにした。

 うつぶせの埋葬は極めてまれだが、東欧のスラブ語圏などには記録が存在する。
遺体を切断したり、石の重りを付けたりといった風習と同じく、遺体が墓から逃げ出さないようにすることで、吸血鬼や死者のよみがえりを阻止できると信じられていた。

 しかしアルタラウゲ氏によれば、現在のスイス、ドイツ、オーストリアにまたがる中世のドイツ語圏におけるうつぶせの埋葬は、体系的に調査されたことがなかった。

 アルタラウゲ氏らの研究は8月31日付けで学術誌「PLOS ONE」に発表された。
中央ヨーロッパのドイツ語圏における900年分のうつぶせの埋葬の記録を100件近く分析したところ、データからは埋葬習慣の大きな変化が示唆された。
アルタラウゲ氏らはこの変化を、ペストによる死や、よみがえった犠牲者が生きている人に取りつくという迷信と関連づけている。

「遺体は動き、音を出します」
 中世前期〜中世盛期(950〜1300年頃)のヨーロッパでは、うつぶせの遺体は数少ない。それらは大抵、教会の墓地の中央に埋葬された。
なかには教会の建物の中に納められた遺体もある。
宝飾品、高級な衣服や筆記用具とともに埋葬されたものがあることから、身分の高い貴族や聖職者が神の前で謙虚さを示すための選択だった可能性が示唆される。

 その一例がカール大帝の父ピピン3世だ。768年に死去したピピン3世は、父親の罪を償うため、大聖堂の前にうつぶせで埋葬されることを望んだと伝えられている。

 ヨーロッパでは14世紀前半あたりから、うつぶせの埋葬が増加し始めた。ただしその一部は、キリスト教の神聖な墓地の中でも端のほうに埋葬されている。この変化は壊滅的なペスト流行の時期と一致する。
1347年から流行が始まったペストはヨーロッパ全域で猛威を振るい、数千万人もの命を奪った。

「何らかの変化があったのです」とアルタラウゲ氏は述べる。氏はドイツ、ハイデルベルク大学の博士課程にも在籍している。

 埋葬が追いつかないほどのペースで死者が増えると、遺体が腐敗する光景や音が日常になり、人々を不安にさせた。
遺体は膨らんで変形し、腸に充満したガスが予期せぬタイミングで耳障りな音を放つ。朽ちて干からびた遺体は表現のしようがなく、肉体がしぼむと体毛や爪が伸びたように見える。

 腐敗中の「遺体は動き、音を出します。自身の肉体や、遺体を覆う布を食べているように見えるかもしれません」とアルタラウゲ氏は話す。

 中世のヨーロッパの人々は、こうした目の前の音と光景を説明しようと試み、東欧のスラブ語圏に広まっていた不死者(アンデッド)の概念に注目した可能性がある。
「ドイツには、吸血鬼(の概念)はありません」とアルタラウゲ氏は話す。「しかし、遺体が動き回るという考え方はあります」。
14世紀半ばに最初のペストの感染拡大が発生してから間もなく、東欧のスラブ語圏から西欧に伝わった概念だ。

(以下略、続きはソースでご確認下さい。)

ナショナル ジオグラフィック日本版 9/4(金)17:02
https://news.yahoo.co.jp/articles/b15977e7c74aa44352846791d8c03156f3392858

703 :出土地不明:2020/09/08(火) 08:07:42 ID:zxMV8iyx.net
【日本天文学会、亀虎古墳壁画を天文遺産に認定】

キトラ古墳壁画を天文遺産に認定 「大陸から日本への科学知識流入示す」
毎日新聞 2020年9月8日 00時00分(最終更新 9月8日 00時19分)

https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/09/07/20200907k0000m040214000p/8.jpg
天文図が描かれたキトラ古墳壁画の天井の部分=奈良県明日香村で2018年9月20日、藤原弘撮影

 日本天文学会は7日、第2回の日本天文遺産として「キトラ古墳天井壁画」(奈良県)、「明治20年皆既日食観測地および観測日食碑」(新潟県)など
3件を選んだと発表した。
天文学の遺産を保護するため2019年、初認定した。
第2回は3月発表予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期していた。

https://mainichi.jp/articles/20200907/k00/00m/040/212000c

704 :出土地不明:2020/09/16(水) 18:32:12.26 ID:VLEVY244.net
3700年前の古代カナン人宮殿、地震で廃墟になった 最新研究

 現在のイスラエル北部にあるテル・カブリ遺跡には、今からおよそ3700年前の紀元前18世紀、カナン人の見事な宮殿があった。
 6000平方メートルもの巨大な建物は現代のショッピングモールよりも広く、壁画が描かれ、豪華な宴会場があり、倉庫には100個以上の大きな瓶(かめ)に詰めたスパイスワインが貯蔵されていた。

 ところが同世紀中に突然この宮殿は打ち捨てられ、以後1000年近くにわたり利用された形跡がない。

 西暦2009年から遺跡の発掘が始まったものの、考古学者たちは困惑していた。
 これほど壮麗な建物は、この地のカナン人にとっては間違いなく政治の中枢だったはずだ。
 利用されなくなる直前まで改修が行われていた形跡もある。
 それなのに、なぜ住人たちは逃げ出したのだろうか?

 テル・カブリ遺跡は、地震活動が活発な地域にあるため、放棄されたのも地震のせいだろうと憶測したくなる。
 しかし研究者たちは、その説を採用することに躊躇(ちゅうちょ)した。
 用途を説明できない遺物を何でも「祭祀用」としてしまうのは、考古学者の間でジョークになるほどやりがちなことだ。
 地震説は、それと同じく安易な道だと思われたからだ。

 そこで発掘チームは、調査を続けながら1つずつ可能性を排除していった。
ナショナル ジオグラフィック協会からの支援を受けて実施された発掘調査で、チームは干ばつや洪水といった地震以外の自然要因があった証拠を探したほか、武器や焼かれた跡、きちんと埋葬されていない遺体といった暴力や戦闘を示唆する痕跡も探した。
しかし、そうした証拠は何一つ見つからなかった。

 イスラエル、ハイファ大学のアサーフ・ヤスール=ランダウ氏は、カナン人の宮殿が地震によって破壊されたという説を受け入れるまでに6年かかったという。氏は発掘調査の共同責任者で、共著者として執筆に加わった論文は9月11日付けで学術誌「PLOS ONE」に掲載された。

「そのような結論にたどり着く前に、全ての可能性を念入りに検討し尽くしたかったのです」と氏は話す。「派手な説に飛びつかず、丁寧に科学に取り組む姿勢が非常に大切です。そうしないのは、科学だけでなく私たちの社会にとって本当に良くないことなのです」

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

ナショナル ジオグラフィック日本版 9/16(水) 7:11
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7ad7858cf09a965fc7280212f515bc1b056f142

705 :出土地不明:2020/09/17(木) 21:17:28.23 ID:phzcXury.net
2020年09月16日 20時00分00秒

【170万年前の人類が「温泉」で食料をゆでて食べていた可能性】

人類史上最古の道具使用の痕跡があることで知られる、東アフリカのオルドバイ峡谷に、かつて温泉が存在していたという論文が発表されました。
人類が温泉のそばに定住していたことを示すこの発見から、専門家は「人類は火を使うようになる以前から温泉で食料をゆでて食べていた可能性がある」と指摘しています。

Microbial biomarkers reveal a hydrothermally active landscape at Olduvai Gorge at the dawn of the Acheulean, 1.7 Ma | PNAS
https://www.pnas.org/content/early/2020/09/14/2004532117

Did our early ancestors boil their food in hot springs?
https://phys.org/news/2020-09-early-ancestors-food-hot.html

古代の人類が温泉のそばに住んでいたことを突き止めたのは、マサチューセッツ工科大学ケンブリッジ校の研究者であるAinara Sistiaga氏らの研究チームです。
2016年に、タンザニアのオルドバイ峡谷で実施された発掘調査に参加したSistiaga氏は、170万年前の地層から採取された砂の組成がその下にある180万年前の地層とは大きく違うことを発見しました。

170万年前の東アフリカは、徐々に砂漠化が進行していた時期だとされていることから、Sistiaga氏は当初、砂の組成の違いは植生の変化に由来するものだと考えていたとのこと。
そのため、Sistiaga氏はオルドバイ峡谷から持ち帰ったサンプルを分析し、植物由来の脂質を検出して当時の植物の種類を調べようとしました。
しかし、サンプルから見つかったのは植物とは無関係な脂質だったとのこと。

そこで、Sistiaga氏が論文の共著者であるロジャー・サモンズ氏にデータの解析を依頼したところ、サモンズ氏は問題の脂質がアメリカのイエローストーン国立公園で発見されたThermocrinis ruberという好熱性細菌が合成する脂質と同じものだということを突き止めました。

サモンズ氏は、「Thermocrinis ruberは温度が80度を超えない限り成長することができません。
オルドバイ峡谷のサンプルから、このような細菌が生み出す脂質が見つかったということは、当時のオルドバイ峡谷には高温の水があったことを明確に示していると考えられます」と述べました。

また、Sistiaga氏がサンプルを採取した場所は、石器や動物の骨といった初期の人類の生活跡が見つかっている場所と隣接していたことから、研究者らは「170万年前のオルドバイ峡谷には温泉が存在し、そのすぐそばに人類が定住していた」と推測しています。

Sistiaga氏は、「人類の遺跡のそばに温泉が存在した可能性があることは証明できますが、人類が温泉と関わりを持ったことを示す証拠はありません。おそらく、170万年前に姿を消した種の行動を知ることは非常に困難でしょう」と指摘。
その上で「もし古代の人類が熱水の中に落ちてゆで上がった獣を見つけたら、それを食べないとは思えません」と述べて、人類が温泉で食べ物を調理していた可能性は高いとの見方を示しました。

研究チームは今後、オルドバイ峡谷でさらなる調査を実施し、今回見つかったものと同様の脂質や温泉の存在を示す兆候を探す方針とのことです。

https://gigazine.net/news/20200916-human-ancestors-boil-hot-springs/

706 :出土地不明:2020/09/18(金) 00:04:27.71 ID:EB/YOpGa.net
【2600年前のワイン「工場」を発掘、レバノン最古、世界のワイン文化のさきがけ】

■「ワイン文化」を地中海沿岸に広めたフェニキア人に関する貴重な証拠

 中東のレバノンで、同国最古のワイン圧搾機(圧搾所)が発掘された。
 古代フェニキア人が広範囲にわたってワインの交易を広く行っていた新たな証拠として、注目に値する発見だ。

 ワインの発祥地はフェニキアではない。
 ジョージアでは、約8000年前のワイン醸造の証拠が発見されている。
 しかし、オリーブオイルやアルファベット、グラスなどとともに、ワインの醸造技術を古代の地中海沿岸地域に広めたのはフェニキア人だ。
 ワイン文化は全世界に広まり、現在もフェニキア人の影響は生き続けていると言える。

 9月15日付けで学術誌「Antiquity」に発表された論文によると、ワイン圧搾機が発掘された場所は、レバノンの沿岸都市シドンから南に約8キロ離れたテル・エル・ブラク遺跡だ。
 少なくとも紀元前7世紀には使われていたと推測される
 。当時、レバノンはフェニキア人の領土だったため、フェニキア最古のワイン圧搾機ということになる。

 発掘現場からは大量の種子が見つかっており、近くのブドウ園から運び込まれたブドウを人の足で踏みつぶしていたことを示唆している。
ワイン圧搾機の保存状態は極めて良く、耐久性のあるしっくいが塗られており、約4500リットルの液体を入れることができた。

 つぶしたブドウの果汁や、それに果皮や果肉を混合した「マスト」は大きな桶に集められ、アンフォラという特徴的な形の陶器に移された後、そのまま発酵、熟成させて、運搬された。

 ワイン圧搾機は泥レンガでできた住居4棟とともに発掘された。テル・エル・ブラクは紀元前8〜6世紀に存在したフェニキア人コミュニティーの一部で、輸出用ワインの醸造が行われていたと、研究チームは推測している。

「フェニキア人にとって、ワインは重要な交易品でした」と、テル・エル・ブラク考古学プロジェクトのコーディネーターを務める、ベイルート・アメリカン大学(AUB)の考古学者ヘレネ・セイダー氏は話す。
氏によれば、シドン地方のワインは特に有名で、古代エジプトの文献でも言及されているという。

 しかし、フェニキア人がワインを醸造していた証拠は、これまでレバノン国内ではほとんど見つかっていなかった。計画的な発掘調査が行われてこなかったせいかもしれない。

「レバノンの沿岸地域がくまなく調査されたことはありません。適切な発掘調査が行われた鉄器時代のフェニキアの遺跡はわずかです」

 ただし、現在のイスラエル北岸では、似たようなワイン醸造所がいくつか発掘されている。当時、一帯はフェニキアの都市国家ティルスとシドンに属していた。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

ナショナル ジオグラフィック日本版 9/17(木) 18:09
https://news.yahoo.co.jp/articles/772e64b0413f2660ac97ff716689b6f28cbf469a

707 :出土地不明:2020/09/18(金) 07:05:33.50 ID:1EY+k51u.net
【12万年前の人間の足跡発見 サウジの砂漠は緑豊かだった可能性 (論文)】

 【AFP=時事】約12万年前、現在のサウジアラビア北部で、現生人類ホモ・サピエンスの小さな一団が浅い湖に立ち寄り、水を飲み、食料を調達した。
 湖には今日見られるどの種よりも大きなラクダや水牛、ゾウも頻繁に訪れていた。

 ホモ・サピエンスの一団は大型の哺乳動物を狩ったかもしれないが、湖は長旅の通過地点にすぎず、長くとどまることはなかった。

 これは、サウジアラビアのネフド砂漠(Nefud Desert)で発見された古代人と動物の足跡を基に再構築された場面で、16日の米科学誌サイエンス・アドバンシズ(Science Advances)で発表された新たな論文に記載されている。

 論文の筆頭著者で、ドイツのマックスプランク化学生態学研究所(Max Planck Institute for Chemical Ecology)に所属するマシュー・スチュワート(Mathew Stewart)氏はAFPに対し、足跡は2017年、博士課程のフィールドワーク中に、古代の湖で見つけたと説明した。
 堆積物が浸食された結果の発見だった。

 今日のアラビア半島(Arabian Peninsula)は、古代人や動物たちにとっては住みづらかったであろう、広大な不毛の砂漠という特徴を持つ。

 しかし、過去10年間の研究で、いつでもそうだったわけではないことが示された。自然の気候変化により、アラビア半島は最終間氷期には、より緑豊かでより湿度の高い状態にあった。

「過去のある時点で、アラビア半島内陸を占める砂漠は、常に水をたたえる淡水湖や川のある広大な草原に変わった」と論文の共著者で、英ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校(Royal Holloway, University of London)のリチャード・クラークウィルソン(Richard Clark-Wilson)氏は説明した。【翻訳編集】 AFPBB News

AFP=時事 9/17(木)13:34
https://news.yahoo.co.jp/articles/18c27ed16c8553a54015a96f164156edfdb5a402

http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1600323693/1

708 :卍3286卍ss:2020/09/21(月) 21:45:38.22 ID:qJl46KSp.net
01481 Video Diary
点と点が線でつながった、一連の怪光UFO事件+スペーズシャトル・
コロンビア号周辺を飛び回ったUFO群byはやし浩司Hiroshi Hayashi, JP
https://youtu.be/cStV1eR2fIM

区切り:202099222 。。

709 :生命体5618:2020/09/22(火) 01:42:39.10 ID:EDhAYnwd.net
>>708
スペース・シャトルの周辺に現れた光体は外壁から剥がれた氷片が光って見えた宇宙ホタルだろう
(^。^)y-゜゜゜

宇宙ホタルが見たければ見栄を張るのはやめましょう。 (ネタ審) | Welcome to K's Garden 〜光太郎の妄想日記〜
https://ameblo.jp/mystkys/entry-10511154629.html

「NASA超常ファイル シーズン2 #5 宇宙ホタル」(ドキュメンタリー / 2015年)
https://video.unext.jp/episode/SID0045310/ED00265642

『ライトスタッフ』史実を元に作り上げた、フィリップ・カウフマンの脚色・演出術とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/743fbbdaef2654edf6887e61be09c6916067f1e4?page=7

宇宙情報センター / SPACE INFORMATION CENTER :マーキュリー7号
http://spaceinfo.jaxa.jp/ja/mercury_7.html



MUFON: Glowing Lights Over Utica, New York On Sept 17, 2020, UFO Sighting News.https://youtu.be/ZNaupfsi3WI

ちなみに、こちら↑の光体は夕暮れ時にLEDをつけたスカイダイバーをUFOと誤認したものだろう ^ ^

光るUFOと思ったら夜中にスカイダイビングしたLEDだって!? | 心の備忘録
https://ameblo.jp/yamatodamashii1192/entry-12292203669.html

謎の光…実はスカイダイビング 本田航空がLEDテストで - SANSPO.COM(サンスポ)
https://www.sanspo.com/geino/news/20170711/sot17071120210012-n1.html

710 :( ・∀・´)ノ ===☆ Σ(・ω・ノ)ノ:2020/09/23(水) 00:30:24.66 ID:c2R0prZB.net
【9000年前に作られた「石仮面」、旧石器時代から見つめるその不気味な眼差】
2020年9月21日20:00 by 深海 | カテゴリー カルチャー | タグ アート, 歴史,石仮面

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某漫画で有名な「石仮面」。その人類最古のルーツはここにありました。詳細は以下から。

1983年、旧石器時代を専門とするイスラエルの考古学者オフェル・バー・ヨセフ博士はエルサレムの東、死海の近くのソドム山の北西にあるユダヤ砂漠のナハルヘマール洞窟で発掘作業を行いました。

博士らはここで縄で編んだバスケットや木製のビーズ、貝殻やナイフ形石器、地瀝青で飾られた骨や人間の頭蓋骨から掘られた人形、そして儀式に使われたと思われる刺繍された織物を発見しました。

これにくわえ、博士らが発見したのはおよそ9000年前に作られたとみられる2つの「石仮面」でした。
この石仮面には、乾燥した気候のおかげで人間のものと思われる毛の塊が数千年に渡って貼り付いて保存されていました。

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この場所からは新石器時代のものとも思われる仮面も出土しています。
これらは狩猟採集生活から、現在のエルサレム付近で農業へと生活形態を変えたばかりの人々によって彫られたものと考えられています。

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石仮面は楕円形の輪郭に大きな眼窩と歯の生えた口を備えています。
いずれも古代に彩色されたとみられますが、顔料が残っていたのはひとつのみでした。

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またそれぞれの顔は個性的で、特定の個人を模ったものと考えられています。
老人のように見えるもの、若者のように見えるものなど様々で、中にはペンダントのような小さなものも。

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紀元前7000年という気が遠くなるほどの昔、彼らは何を思いながらこの石仮面を彫り上げたのでしょうか。

https://buzzap.jp/news/20200921-stone-mask-9000-years-old/

711 :出土地不明:2020/09/23(水) 18:16:20.82 ID:KYuiaNse.net
【「よみがえる邪馬台国」展、「豊前の国」に焦点 「九州と畿内との違いを、出土した遺物を見て比較してほしい」】

北部九州と近畿地方の、弥生時代から古墳時代前期の遺跡や遺物などを紹介する企画展が、佐賀県の吉野ヶ里歴史公園で開かれています。

この企画展「よみがえる邪馬台国」は、佐賀県教育委員会などが毎年開いていて、邪馬台国があったと考えられている九州と近畿の出土品を展示しています。

ことしは、現在の北九州市から大分県北部にあった「豊前の国」に焦点をあて、大分県宇佐市のほか、吉野ヶ里遺跡や兵庫県内の複数の遺跡から出土した土器や青銅器など、およそ400点が展示されています。

このうち、大分県宇佐市の赤塚古墳から出土した「三角縁三神三獣鏡」は、直径およそ22センチの大型の銅鏡で、6体の神獣が描かれ、中国から卑弥呼に贈られたという説もあります。

また、大分県宇佐市の切寄遺跡から出土した「中広銅矛」は、祭祀に使われた大型の矛です。

佐賀県内の遺跡から同じ形の鋳型が出土していることから、佐賀をはじめとする北部九州で生産され、その後、宇佐に伝わったことがうかがえるということです。

吉野ヶ里公園管理センターの小林昭彦歴史専門員は、「企画展を通じて、吉野ヶ里遺跡と豊前の国との関係性を見直してほしい。邪馬台国があった場所として考えられている九州と畿内との違いを、出土した遺物を見て比較してほしい」と話していました。

この企画展は、吉野ヶ里歴史公園の「弥生くらし館」で、11月8日まで開かれています。

09月23日 12時34分
https://www3.nhk.or.jp/lnews/saga/20200923/5080007088.html

712 :出土地不明:2020/09/24(木) 12:56:02.59 ID:9pRnHbzQ.net
【11.5万年前の人類の足跡を発見、アラビア半島最古】

■古代の湖に引き寄せられた人類、ゾウやラクダの足跡も

 サウジアラビア北部の砂漠地帯で、いくつもの小さなくぼみが見つかった。
 その数は全部で376個。
 目立つものではなく、2017年にこの地域を調査していた科学者のチームもあやうく見過ごすところだった。

 しかし詳しく調べていくと、このくぼみは古代の動物たちが残した足跡の化石と判明。
 なかには現生人類ホモ・サピエンスの足跡も含まれているらしいことがわかった。

 これが本当にホモ・サピエンスの足跡と確認されれば、アラビア半島では最古の例になる。
 アラビア半島は、アフリカを出て世界へ拡散する人類が最初に通ったはずの場所だ。

9月18日付けで学術誌「Science Advances」に発表された論文によると、足跡は約11万5000年前のものであり、動物や人間が水と食べ物を求め、浅い湖の近くに集まった瞬間が記録されているという。

 足跡は一目でわかるものではないが、その中で最大のものが、たまたま発掘チームの目にとまった。古代の湖岸につけられたその足跡は、どの現生種よりも大きいゾウの足跡のように見えた。

「1つの足跡が見えた途端、残りのすべてが見えてきました」とドイツ、マックス・プランク化学生態学研究所の動物考古学者で、この論文の著者であるマシュー・スチュワート氏は振り返る。

 よく見ると、ラクダの細長い足跡や、大きなスイギュウや古代のウマと見られるかすかな足跡もあった。だがその日の作業を終えようと片付けに取りかかったとき、最大の発見があった。現生人類が残したと思われる、7個の足跡化石である。

 現生人類がアフリカ以外の地に残した証拠としては、この湖岸の泥に残された足跡は最古のものではない。しかし、かつてこの地域が緑豊かだった頃の風景や、当時の人間と共存していた動物たちの姿を垣間見せてくれる。

「まるで、ある一瞬を切り取ったかのようです」と研究チームを率いたマックス・プランク研究所の人類進化研究者マイケル・ペトラグリア氏は言う。
「足跡を見ていると、想像がどんどん広がっていきます。この人たちはどんな姿をしていたのだろう? 何をしていたのだろう? 湖が干上がった後、彼らはどうなったのだろう? 知りたいことが次々に出てきます」

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

ナショナル ジオグラフィック日本版 9/24(木)7:13
https://news.yahoo.co.jp/articles/cb6a98b538a48d4ce45a18bc77939cb0b03bd298

713 :(・∀・)ノ:2020/09/27(日) 17:57:53.80 ID:4JOHcMsW.net
【 2千年前のシベリアに「暴力の時代」 犠牲者の遺骨が続々出土 ナショナル ジオグラフィック日本版 】

■「これほど暴力にまみれた民族の遺骨を見たことはありません」と研究者

 ユーラシア大陸の草原地帯(ステップ)にかつて存在した遊牧国家。その崩壊が、数百年に及ぶ激しい闘争の時代をもたらしたのではないか。
シベリア南部でこの時代の遊牧民の墓を掘り起こした考古学者たちは、そう考えた。
墳墓から、暴力の犠牲者と見られる遺骨が多数発見されたのだ。

ロシアとスイスの考古学チームは4年前から、ロシアのトゥバ共和国で埋葬のための墳墓(クルガンと呼ばれる)を発掘していた。
「トゥンヌグ1」と名付けられたその墳墓は、遊牧民族スキタイが築いた初期の大規模なものだった。
スキタイは、紀元前1100年ごろからヨーロッパとアジアの間にある広大なステップの大部分を支配していた。

墳墓の南端を発掘していたチームは、最初に墓が作られた時期よりもずっと後の時代、西暦100〜400年の墓所を発見した。
発掘を始めたころは、特に大きな発見を期待していたわけではない。当時の遊牧民の食生活や埋葬様式、寿命についてもっと詳しく知ることができればと思っていた。

ところが、スイス、ベルン大学の考古学者マルコ・ミレラ氏らがトゥンヌグ1から掘り起こした数十体分の遺骨を調べていくと、驚きの事実が浮かび上がってきた。
「これほど暴力にまみれた民族の遺骨を見たことはありません」と、ミレラ氏は言う。
「最初に見つけたときは、それほど驚きませんでした。ところが、次から次へと暴力を受けていた跡が出てきました。
成人男性だけではなく、子どもまで、多くの人々が暴力にさらされていました」

9月16日付の『Journal of Physical Anthropology』に掲載された論文で、ミレラ氏らは100カ所以上に残されていた傷跡から、古代ステップの暴力的な社会を描き出した。
小さな墓所に埋葬されていた少なくとも87人の遺骨のうち、20人以上に切り傷、矢じりや剣先で開けられた穴、殴られた跡などの傷が残っていた。
犠牲者は子どもから老女まで幅があるが、ほとんどが10代前半から成人だった。

■遊牧国家の興隆と崩壊
この調査結果は、シベリア南部で起こったことが遠く離れた古代中国にも影響を与えていたことを示す証拠にもなりそうだ。
墓に埋葬されていた人々は、激動の時代を生きていた。
その数世紀前、この地方は匈奴(きょうど)と呼ばれる遊牧国家に支配されていた。匈奴は南東へ向かって略奪を繰り返しながら勢力を伸ばしていた。
万里の長城は、中国の皇帝がこの匈奴の脅威に対抗するために建設したものだ。
当時の中国の文筆家たちは、隣人である遊牧国家を驚嘆と侮蔑の眼差しで眺めていた。

漢の歴史家、司馬遷は、紀元前1世紀に、匈奴に関して次のように書き残している。
「平時には家畜の群れを牧し、狩猟によって生計を成すのが習わしだが、危機においては武器を手に取り、略奪と襲撃に打って出る。生まれながらに備わった彼らの気質のようだ」

西暦100年ごろに匈奴が崩壊すると、ステップ一帯は混乱に陥った。戦士たちは、力をつけ始めていた漢を襲うのではなく、仲間同士で争いを始めた。
ベルン大学の考古学者で発掘責任者のジノ・カスパリ氏は、
「トゥンヌグ1の遺骨から察すると、匈奴の滅亡によってこの地域の政治的安定が崩れ始めたのだろうと考えられます」と話す。

■骨の傷が伝える暴力の痕跡
放射性炭素年代測定により、トゥンヌグ1の遺骨の年代は西暦100年ごろのものから数百年後のものまで、ばらつきがあることがわかった。
つまり、一度の戦闘や大量虐殺で殺されたのではなく、小規模の奇襲や争いが長期間にわたって続いていたことを示している。

※続きはソースで

https://news.yahoo.co.jp/articles/9f0a35560618baa07f93604a3d744f9bb386bc3c

714 :(*・∀・*)ノ:2020/09/29(火) 18:45:57.26 ID:ZZF+8h0j.net
【 古墳時代のネコの肉球跡か 土器ふんじゃった?破片に足跡「国内でのネコの生息時期を知る上で貴重な史料」】

 ネコと日本人が歩んできた歴史を紹介する福井県の美浜町歴史文化館の企画展「ネコ踏んじゃった!?」がこのほど、同館で始まった。
町内で見つかったネコとみられる動物の足跡付きの須恵器片を初めて公開している。
足跡付きの土器片では最古級の古墳時代後期(6〜7世紀)のもので、同館学芸員は「国内でのネコの生息時期を知る上で貴重な史料」と話している。
11月29日まで。

 須恵器片は2018年10〜12月、興道寺廃寺跡周辺の発掘調査で見つかった。
円墳の周溝から土器片約10点が出土し、そのうちの一つの須恵器杯に大きさ約2センチのくぼみを確認。
形状がネコの肉球に似ているほか、爪の跡がなく、歩く時に爪を隠す特徴があるネコの足跡と推測。屋外で乾燥させていた時に踏まれたとみられる。

 同館の松葉竜司副館長によると、ネコとされる生き物の足跡がついた土器は国内に3点見つかっている。
そのうち、同様の足跡が付いた古墳時代の須恵器は、07年に兵庫県姫路市の古墳で見つかったものしかないという。

 松葉副館長は「近年の発掘調査で国内のネコの生息時期は弥生時代中期(紀元前2世紀〜紀元1世紀)にさかのぼるといわれているが、十数年ほど前までは奈良時代(8世紀)以降とするのが定説だった。
8世紀以前のネコに関する国内の史料は少なく貴重」と話す。

 企画展では、美浜町と姫路市で見つかった足跡付きの須恵器のほか、日本のネコの伝来を探るパネルなど約40点を展示。
放し飼いのネコの盗難や売買を禁ずることを示す若狭の地誌の写真やイヌをかたどった古墳時代の土製品なども並べている。月曜休館。

9/29(火)12:23配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200929-00010003-fukui-l18
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200929-00010003-fukui-000-1-view.jpg

715 :(U^ω^) * * * *:2020/10/03(土) 16:51:59.41 ID:QNA7DABT.net
【 陝西省の寨山遺跡で約4千年前の大型墓地を発見 】

 【新華社西安9月29日】中国の陝西省考古研究院は24日、同省楡林(ゆりん)市府谷県にある寨山(さいざん) 遺跡で、竜山時代(新石器時代後期)から夏王朝初期の石峁(シーマオ)文化に属する大型墓地を発見したと明らかにした。
 発掘済みの墓葬21基には明らかな等級の違いがみられ、約4千年前に出現した中国の初期国家の起源や発展類型、過程を研究する上で重要な墓葬資料になる。

 寨山遺跡は同県田家寨鎮王沙峁(シャーマオ)村にある石城遺跡で、面積は約100万平方メートル。
 陝西省、山西省、内モンゴル自治区の境界線上に位置し、石峁遺跡の北東約60キロの地点にある。
 2015年に発見され、同研究院と楡林市文物(文化財)保護研究所が直ちに全面的な発掘調査を実施した。.
 竜山時代の重要な石城集落1カ所が含まれ、城内の面積は約60万平方メートルあることが分かった。

 寨山発掘プロジェクトの責任者、邵晶(しょう・しょう)氏によると、これまでに発掘を終えた石峁文化期の墓21基は、いずれも長方形の竪穴式土坑墓で、多くは東西方向に向け築かれ、玉器や陶器、石器などが多数出土した。
 うち比較的規模が大きい3基は副葬品も多く、複雑な構造をしていた。
 女性の殉葬、玉器の副葬、半月型の壁龕(へきがん)の発見、ほぼ同様の組み合わせのふた付き土器の出土などは、全て石峁文化の特徴を示しているという。

 邵氏は、今回の発見により石峁文化の大型墓地の全容が初めて明らかになったと語った。
河套地域(中国北西部で黄河上・中流が「几」字形に湾曲する地域)で初めて見つかった等級区分が明確な竜山時代の墓地だとし、これまでに発見された朱開溝、新華、神圪墶梁(しんぎつたつりょう)、石峁など各遺跡とともに石峁文化の墓葬形式の基本的枠組みと典型的な特徴を構成していると説明。
石峁文化の内容を深く理解し、その政治体制を研究する上で、貴重な考古学資料になると語った。(記者/楊一苗)

新華社通信 2020年9月29日 12時42分
https://news.livedoor.com/article/detail/18973111/

716 :出土地不明:2020/10/05(月) 12:29:57.05 ID:FKiyxgC0.net
なぜ地質レーダーを持ち込む考古学が文系にカテゴライズされているんだろうか?

717 :出土地不明:2020/10/05(月) 13:57:24.62 ID:fNK9S4NC.net
『最後の博物学』ともされるだけあって
人間の生活や文化、それらに関連する事象や環境など研究対象が多岐にわたるためだが
もともとは歴史学や人類学から派生したような学問だから、じゃね? 知らんけど

718 :出土地不明:2020/10/05(月) 18:42:34.18 ID:MThEJHti.net
古文書の翻訳はたしかに文系だわな。。たしかに。

719 :出土地不明:2020/10/06(火) 21:51:39.64 ID:Mq+ljLhv.net
>>694
単純化された模様の様子がマヤ文明のものと似ているのは偶然か?
↓シーマオ遺跡のレリーフ
https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/081700972/ph_thumb.jpg?__scale=w:1190,h:669&_sh=0940807b09

↓南米のソチカルコ遺跡のレリーフ
https://static8.depositphotos.com/1395980/1006/i/450/depositphotos_10066117-stock-photo-glyph-in-xochicalco-mexico.jpg

720 :卍3286卍ss:2020/10/09(金) 23:50:54.67 ID:lRI5r/Og.net
01499 Video Diary
マルドックとイギギ+今が選択の時、神々の国に住む私たち日本人は何をなすべきか?
by Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/tLOWf4xOMh0

コノサキに進むには一人一人の判断が重要にナリます。。

721 :出土地不明:2020/10/10(土) 23:26:42.70 ID:rjpbYFxG.net
「仁徳天皇陵」来秋再発掘へ 保全目的、謎解明に期待
https://news.yahoo.co.jp/articles/96a13efbeb279a0b4e2a6e518b4b54845752655a

 宮内庁が仁徳天皇陵として管理する国内最大の前方後円墳・大山古墳(堺市、5世紀中ごろ)について、
古墳の保全を目的に再発掘を検討していることが10日、同庁への取材で分かった。
地元自治体の堺市に協力を呼び掛け、2021年秋の実施を予定している。発掘は19年に世界文化遺産に登録されて以来初めて。

古墳の構造は不明な点も多く、被葬者を巡っては研究者の間で大きな論争が続いており、謎の多い巨大古墳の実態解明にもつながることが期待される。
同庁によると、今回の再発掘では内側の堤で調査範囲を広げ、石敷きの広がりや、埴輪列の有無などを確認する方針。

722 :出土地不明:2020/10/11(日) 00:39:38.06 ID:qcYQzDEX.net
国内最古級すずり?「東九州にも高度な文化か」 弥生中期前半の3点出土

 福岡県行橋市の下稗田遺跡で出土していた板状の石3点が弥生時代中期前半ごろのすずりとみられることが9日、分かった。
各地の出土品からすずりの有無の再検討を進める国学院大の柳田康雄客員教授(考古学)の調査で、これまで同県糸島市や朝倉市などで弥生時代中期中ごろのすずりを確認しているが、今回はさらに古く国内最古級という。

 同遺跡は1979〜83年に発掘調査された弥生前期−中期の大規模集落跡。土器や鉄器などのほか約50点の砥石(といし)が出土品として調査報告書に記載されている。
柳田教授は9月下旬に行橋市を訪れ現物を確認し、3点はすずりの可能性が高いと判断した。

 板石は上端4〜8センチ、下端6.3〜7センチ、長さ7.7〜9.8センチ、厚さ1〜1.4センチの台形など。
表面に炭をすってできた溝のようなくぼみがあり、周縁に炭粒の痕跡があったことから、すずりとみられるという。

http://amd.c.yimg.jp/amd/20201010-00010001-nishinpc-000-1-view.jpg

 柳田教授は、同時期のすずりは福岡、佐賀県の玄界灘沿岸に多数あるとみており「紀元前2世紀(弥生時代中期前半ごろ)に、九州の東海岸にも高度な文化が伝わっていた証拠」と説明した。

 西谷正・九州大名誉教授(考古学)は「年代については慎重な検証が必要だが、瀬戸内や近畿につながる周防灘沿岸でこの時代にすずり文化が定着していたと裏付けられれば意義は大きい」と話している。(石黒雅史)

10/10(土)9:48配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201010-00010001-nishinpc-l40

723 :出土地不明:2020/10/11(日) 12:19:29.18 ID:e5d2OnOJ.net
>>718
そりゃもはや歴史学

724 :出土地不明:2020/10/12(月) 03:31:45.38 ID:4pwrnRH/.net
宗像・沖ノ島多角的に 福岡の5館、初の連携 ガラス製小玉や須恵器展示
https://news.yahoo.co.jp/articles/20bbcfa773856fca4e35900d75cdf30eb87ae737

世界遺産「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の調査研究を進めている福岡県の九州歴史資料館(小郡市)や宗像大社神宝館(宗像市)などの博物館・資料館が、
同時に最新研究成果を展示する5館連携展覧会「ムナカタ−祈り・暮らし・交わり」を開催している。
宗像・沖ノ島は平成29年7月に世界遺産に登録されたが、5館が連携して展覧会を開催するのは初めて。

5館のうち、宗像大社神宝館は特別展「神々への美宝」を開催。沖ノ島から出土した国宝のガラス製小玉やカットグラス破片など13件を展示している。
同館は、化学組成をもとにガラス類の起源を追究。
地中海、中央アジア、東南アジア、中国に起源を持つガラスが混在していることを明らかにしている。11月23日まで開催。

九州歴史資料館では企画展「福岡の古代豪族」が開かれている。
日本書紀などの文献に登場する福岡県北部の宗像君(むなかたのきみ)、秦氏(はたうじ)、南部の筑紫君(つくしのきみ)、水沼君(みぬまのきみ)、
的氏(いくはうじ)の5豪族にスポットを当て、装身具、馬具、装飾付き須恵器など62件の出土品を展示している。
宗像地域では朝鮮半島系の土器が多いなど海外との交流が活発に行われていたと分析。一方で、福岡県内には83基もの装飾古墳があるのが特徴の一つと指摘している。
筑後川中流域に装飾古墳が多いことから、この地域を拠点とした的氏と装飾古墳には深い関係があったとの見方を示し、写真パネルで紹介している。11月29日まで。

他の3館の展覧会は以下の通り。
九州国立博物館(太宰府市)文化交流展「宗像海人の刀」。
宗像君が所有していた大刀や万能ナイフ「刀子(とうす)」を細かく分析。独自の鉄器加工技術の存在を通じて海人の実像を探る。12月23日まで。

海の道むなかた館(宗像市)特別展「古代ムナカタ海人の世界」。
土笛の分布など近年の発掘調査から、日本海文化圏の一員だった海人のルーツに迫る。11月29日まで。

福津市歴史資料館企画展「新原・奴山古墳群調査研究の現在」。
まだ未解明の部分が多い宗像君の古墳群の発掘状況を示し、今後の課題を明らかにしている。11月30日まで。

725 :( ヽ´ん`):2020/10/12(月) 12:03:12.57 ID:t4LB8bjO.net
ブッダの謎に考古学で挑む、最古の仏教寺院発掘で解明に光

■謎に包まれたその生涯や生没年、世界遺産の生誕地ルンビニを調査

 その昔、現在のネパールにあったカピラバストゥ(カピラ城)に住む裕福な王子が、別の生き方を模索するため、家族と富を捨てて出家した。
 ゴータマ・シッダールタ(釈迦)という名の彼は、修行の末に「ブッダ(仏陀)」つまり「悟った人」となり、その教えは現在5億人の信者を擁する宗教の基礎となっている。

 宗教学者のカレン・アームストロング氏は、2001年に出版したブッダの伝記の中で、「仏教徒の中には『ゴータマ・シッダールタの伝記を書くなんて、とても非仏教的なことだ』と言う人もいるだろう」と書いている。

 というのも生前のブッダは、人々に教えを広めようとはしたが、自身に全てをささげる信徒は望まなかったからだ。
 おかげで歴史家たちは苦労することになった。
 仏教に関する宗教的な文献は豊富にあっても、彼の個人的な生涯については、生没年を含め、はっきりしている事実はほとんどない。

 そこで学者たちは、ブッダの生涯の全容を解明するために考古学に目を向け、信仰の聖地を調査している。
 シッダールタが生まれたとされるネパールのルンビニは、ユネスコの世界遺産に登録されており、この20年間の発掘調査により、世界最古の仏教寺院などの驚くべき発見があった。

 これらの発見は、初期仏教の発展と、紀元前3世紀インドのアショーカ王が仏教の普及に果たした役割について、多くの事実を明らかにした。
また、シッダールタがいつ生まれ、いつ活動し、いつ死んだのかにまつわる重要な情報も含まれている。

■釈迦から仏陀へ
 現在では仏教徒は世界中にいるが、なかでも中国、タイ、日本を中心とする東アジアに多い。
仏教が世界各地に広まる過程で、信仰の解釈や中心的な教典を異にする様々な宗派に分かれた。

 仏典によると、シッダールタは、インド北東部を支配していたシャーキャ(釈迦)族の王、シュッドーダナ(浄飯王=じょうぼんおう)と、その妃であるマーヤー(摩耶)夫人の間に生まれた。
世の悪しきものから息子を守ろうとした父は、シッダールタを痛みや苦しみに触れさせまいと、カピラバストゥの王宮から出さずに大切に育てた。

 29歳になり、結婚して息子もいたシッダールタだったが、王宮での贅沢(ぜいたく)な暮らしにうんざりしていた。
冒険心から外の世界へ出てみたところ、生まれて初めて病人と老人と死者を見かけた。
過酷な人生の現実に衝撃を受けた彼は、快適な暮らしも家族も捨て、人間の苦しみを終わらせるための知恵を求めて旅立った。
やがて今日のインド北東部、ブッダガヤの菩提樹(インドボダイジュ)の下で瞑想をしていたとき、ついに答えを見つけた。悟りを開き、ブッダとなったのだ。

 学者たちは、彼がその後、人々に教えを説き、サンガ(僧伽=そうぎゃ)と呼ばれるようになる出家者集団をもつようになったと考えている。
ブッダは、悟りを開くために世俗に背を向け、執着を捨てることを説いた。

 仏教では一般に、大半の人は輪廻(りんね)する、つまり死と再生を無限に繰り返しているとされ、この苦しみから解放されるためには悟りを開いて輪廻から解脱しなければならないと教えられている。

 初期の仏典には、ブッダの生涯について共通の物語が記されているが、その時期についてはばらつきがあり、紀元前2500年頃とするものもあれば、紀元前3世紀末とするものもある。

 ブッダの死後、その教えは徐々に発展して新しい独自の宗教となり、熱心な信者によってアジア各地に広められた。
だが当時の北インドでは、知的で宗教的な雰囲気のなかで多くの小さな宗教が生まれており、初期の仏教もその1つに過ぎなかったと考えられている。

(以下略、続きはソースでご確認下さい。)

ナショナル ジオグラフィック日本版 10/12(月)7:13
https://news.yahoo.co.jp/articles/6f43edc68efb881c33c45c542f8e601d5de85a2b

726 :o(`・ω・´)○:2020/10/14(水) 21:04:19.42 ID:mjNM6odi.net
「エミシ」の儀礼?奈良時代のカマドから大刀見つかる 八戸・法霊林遺跡、全国初 「エミシの精神文化を考える上で大事な発見」

竪穴建物跡で、カマドの排煙部から見つかった大刀=八戸市田面木の法霊林遺跡(県埋蔵文化財調査センター提供)
https://amd.c.yimg.jp/amd/20201013-00000006-webtoo-000-1-view.jpg

 青森県八戸市田面木の法霊林(ほうりょうばやし)遺跡で、奈良時代の竪穴建物跡から、8世紀後半以降に作られたとみられる大刀(たち)が、カマドの排煙部に入った状態で見つかった。
儀礼などのために入れたとみられる。むつ市田名部の酪農(らくのう)(3)遺跡からは、縄文時代後期前葉(約4千年前)のものとみられる環状列石が見つかった。
下北地域で初めての発掘例という。13日、本年度調査をした県埋蔵文化財調査センターが明らかにした。

 カマドに土器が入れられていたことはあるが、法霊林遺跡のように排煙部に大刀が入れられていた例は「全国的にも認められない」(同センター)という。
住居から立ち去る際の儀礼などのためだったとみられ、当時この地域で活動しエミシと呼ばれた人々の社会を知る上で貴重な発見とされる。

 大刀は鉄製で全長65センチ、刃の部分の長さ48センチで、木製のさやに納められ、良好な保存状態で見つかった。
柄頭の形から「方頭大刀(ほうとうたち)」と呼ばれる。

 大刀は当時貴重品で、エミシの有力者を埋葬したとされる「末期古墳」からの出土例が多く、県内の集落跡からは、蕨手刀(わらびてとう)と呼ばれるものは見つかっているが、方頭大刀はこれまで出土した例がないという。

 本年度の調査で、同遺跡からは奈良時代の竪穴建物跡9棟が見つかり、大刀はこのうち大型の建物跡で出土した。
同センターはこの建物跡には地域の有力者が住んでいたとみている。

 刀がどこで作られたかは分かっておらず、同センターは北関東などを念頭に分析を進める。

 県史通史編で「古代エミシの集落と末期古墳」の項を執筆した八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館の宇部則保発掘専門員は、貴重な鉄製の大刀を建物に残して立ち去ったとみられる点に注目し「この地域のエミシの精神文化、社会の構造を考える上で大事な発見。末期古墳との関係を考えていく必要がある」と語った。

10/13(火)15:58配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201013-00000006-webtoo-l02

727 :( *・ω・)ノ" .:2020/10/15(木) 00:01:51.84 ID:KwTq428R.net
■聖徳太子の一族、焼き打ちされた痕跡 法隆寺の資料倉庫で80年ぶり発見…643年蘇我入鹿が焼き払い、山背大兄王ら一族は自害


 奈良県斑鳩町で、聖徳太子が造営した斑鳩宮いかるがのみやの壁土の破片が約80年ぶりに見つかった。

 戦前に発掘されたが、その後所在不明になっていた。
破片には、643年に焼き打ちされた際についたとみられる痕跡があり、研究者は「古代史の大事件を裏付ける貴重な資料」としている。

 斑鳩宮は601年から聖徳太子が造営し、暮らした宮殿。聖徳太子の死後の643年、子の山背大兄王やましろのおおえのおうと皇位継承を巡って対立した蘇我入鹿が焼き払い、山背大兄王ら一族は自害したとされる。

 町教委によると、法隆寺の「昭和の大改修」に伴い、1939年に東院伽藍がらんにある伝法堂で発掘調査が行われ、斑鳩宮とみられる柱跡が出土。
国が48年にまとめた発掘報告書には、「炭や焼けた壁土片多量を発見」と書かれていたが、戦中の混乱もあって壁土の所在がわからなくなっていた。

 来年が聖徳太子没後1400年目にあたることから、町教委が報告書に書かれた壁土の所在を捜したところ、今年7月、法隆寺の資料倉庫で「伝法堂出土壁土」と書かれた木箱(縦67センチ、横30センチ、深さ15センチ)が見つかった。
中には壁土約30片が入っており、最も大きなものは縦30センチ、横16センチ、厚さ10センチ。
表面が焼かれて赤褐色などに変色していることから、町教委は焼失した斑鳩宮の壁土の可能性が高いと判断した。

 壁土は、17日から斑鳩文化財センターで開く特別展「聖徳太子の足跡―斑鳩宮と斑鳩寺」で初公開される。

 清水昭博・帝塚山大教授(歴史考古学)の話「日本の宮殿建築の部材として最古のものと考えられ、実物が確認された意義は大きい。今後の調査で壁や建物の構造などの解明が期待される」

2020年10月14日 11時48分 読売新聞オンライン
https://news.livedoor.com/article/detail/19053288/

728 :出土地不明:2020/10/15(木) 01:35:08.92 ID:XwlOy59D.net
【地方別に見た縄文人の遺伝的影響は?】
 高めなのは九州と東北、低めな近畿と四国は中国・北京の漢民族に遺伝的に近い

縄文人の遺伝的寄与の比較。色が濃いほど沖縄県に近く、縄文人の寄与が高めであることを示す=大橋さん提供
https://amd.c.yimg.jp/amd/20201014-00000046-asahi-000-1-view.jpg
クラスター分析
https://amd.c.yimg.jp/amd/20201014-00010010-ampreview-001-1-view.jpg
日本人11069名と中国・北京の漢民族の主成分分析の結果
https://amd.c.yimg.jp/amd/20201014-00010010-ampreview-000-1-view.jpg
47都道府県を対象にした主成分分析の結果
https://amd.c.yimg.jp/amd/20201014-00010010-ampreview-002-1-view.jpg

 日本人約1万1千人の遺伝情報をもとに、47都道府県の人々が縄文人と渡来人の遺伝的影響をどの程度受けているかを、東京大学理学系研究科の大橋順准教授(人類遺伝学)らが調べたところ、
縄文人の影響が高めに残るのは沖縄県と九州や東北の各県で、低めなのは近畿と四国だった。

 現代の日本人は、1万6千年前から日本列島にいた縄文人と、約3千年前以降に大陸から移住した渡来人とによって、形成されたと考えられる。だが、今に至るまでの過程で、人々がどのように混じり合ったかははっきりしない。

 大橋さんらは民間のゲノム解析サービスで集まった顧客データの提供を受け、DN配列の違いをもとに各都道府県にいる人たちの遺伝構造を比較した。データ提供者に縄文人の寄与が高いとされるアイヌの人は含まれていなかった。

10/14(水) 15:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201014-00000046-asahi-soci

729 :出土地不明:2020/10/15(木) 01:36:13.67 ID:XwlOy59D.net
●47都道府県に居住する日本人約11000名の全ゲノムSNP遺伝子型データを解析し、現代日本人の遺伝的構造は各都道府県における縄文人と渡来人の混血の程度と地理的位置関係によって特徴づけられることを示した。

●都道府県レベルで日本人の遺伝的集団構造を初めて明らかにした。

●同研究により、日本人の形成過程の理解が進むだけでなく、疾患遺伝子関連研究において、適切な検体収集地域の選定が可能になると期待される。

※省略

47都道府県を4つのクラスターに分けると、沖縄地方、東北・北海道地方、近畿・四国地方、九州・中国地方に大別され、関東地方や中部地方の各県は1つのクラスター内に収まらなかったという。

このことは、関東地方もしくは中部地方の都県を遺伝的に近縁な集団とみなすことはできず、そのような単位で日本人集団の遺伝的構造を論じることや、疾患遺伝子関連研究の対象検体を収集することは適切ではないことを示しているとのことだ。

また、47都道府県を対象に主成分分析を行ったところ、第1主成分は沖縄県と各都道府県の遺伝的距離を反映。
沖縄県に遺伝的に最も近いのは鹿児島県となり、クラスターを形成した地方に着目すると、九州地方と東北地方が沖縄県に遺伝的に近く、近畿地方と四国地方が遺伝的に遠いことが分かったとしている。

さらに、f2統計量の解析から、近畿地方や四国地方は中国・北京の漢民族に遺伝的に近いこともわかり、第2主成分は都道府県の緯度および経度と有意に相関していたという。

同研究の結果は、各都道府県の縄文人と大陸から来た渡来人との混血の程度の違いと地理的位置関係が本土人の遺伝的地域差を形成した主な要因であることを示唆しているとのこと。

同研究グループは、大部分の渡来人は朝鮮半島経由で日本列島に到達したと考えられるが、朝鮮半島から地理的に近い九州北部ではなく、
近畿地方や四国地方の人々に渡来人の遺伝的構成成分がより多く残っていることは、日本列島における縄文人と渡来人の混血過程を考えるうえで興味深いとし、
本土人のゲノム成分の80%程度は渡来人由来であると推定されているが、近畿地方や四国地方には、さらに多くの割合の渡来人が流入したのかもしれないという。

また、地理的位置も遺伝的構造に影響していることや、沖縄県に遺伝的に近い九州地方と東北地方が互いには近縁でないことから、渡来人との混血時に縄文人は遺伝的に分化していたと考えられるとのことだ。

同研究では、都道府県レベルで本土日本人の遺伝的集団構造を初めて明らかにした。
47都道府県の遺伝的近縁関係がわかったことで、日本列島全域での縄文人と渡来人の混血過程の理解が進むと期待されるという。

さらに、今後、日本人集団を対象にした疾患遺伝子関連研究において、集団階層化によるバイアスを極力避けた、適切な検体収集地域の選定が可能になると期待されるとのことだ。

10/14(水) 13:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201014-00010010-ampreview-bus_all

730 :*.゚+ヽ(○・▽・○)ノ゙ +.゚*:2020/10/16(金) 15:25:59.50 ID:FM0SiCbw.net
■石川で発見の「最古のおにぎり」、食用?厄よけ?今も謎

 日本の国民食の一つに数えられる、おにぎり。ご飯を握ってのりを巻けば出来上がる手軽さと、多彩な具を包み込むことで生まれるバリエーションの豊かさ。
 コンビニの棚の前で、「今日の二つはどれにしよう」と迷うのは、私(26)だけではないはずだ。

 天高く馬肥ゆる秋。
 おにぎり(シャケと昆布)を両手に、ふと思った。
 一体いつから日本人はおにぎりと付き合ってきたんだろう、と。

 実は、石川県内にその有力な手がかりが残されている。

 見つかったのは、昭和の終わりが近づく1987年11月、石川県旧鹿西町(現中能登町)金丸にある弥生時代中期の「杉谷チャノバタケ遺跡」だった。

 「日本最古のおにぎり」と呼ばれたそれは今、遺跡から約50キロ離れた金沢市郊外の石川県埋蔵文化財センターにある。
 同センターの普及啓発担当の立原秀明さん(51)に見せてもらった。

 半透明の容器の中、幾重にも重ねられた薄紙から出てきた。
 ほぼ二等辺三角形で、底辺約5センチ、他の2辺約8センチ、厚み約3・5センチ。重さ約23グラムで、見慣れたおにぎりと比べ、随分小さい。
 だが気になるのは、大きさよりも、その黒さ。

 立原さんによると、蒸した後に焼かれたと考えられているという。

 焼きおにぎりにしては、やり過ぎでは?

 立原さんは「食用の可能性も否定できませんが、厄よけ用という説が有力です」。竪穴住居跡の内側の壁際で見つかったという。焼かれて米粒が炭化していたから約2千年後まで残る「奇跡」が起きたわけだ。

 遺跡に人が住んでいた頃、すでに稲作は始まっていたが、おにぎりを食べていたかどうかは「分かりません」と立原さん。
発見時には「最古のおにぎり」と報じられたものの、正式には「チマキ状炭化米塊(たんかまいかい)」という。
作り方や用途、そもそも私たちが現在思い浮かべる「おにぎり」を当てはめることの是非も含め、議論が続いている。
ちなみに、おにぎりが普及したと確実に言えるのは、戦国時代以降だという。

 一方、2千年後の中能登町の人々とおにぎりの付き合いは深い。

 「おにぎりのまち」をPRする町は、条例で11月18日を「おにぎりの日」と定めた。最古のおにぎりのレプリカを町内3カ所に置いている。

 町内にある県立鹿西高校は93年以来、文化祭で「おにぎりコンクール」を開催している。
今年は、生徒有志が地元食材を使った12のレシピを考案。保護者や管理栄養士らが見た目や独創性などを審査し、五つのレシピは、道の駅「織姫の里なかのと」で商品化されることになった。

 このうち、すでに販売された「大葉香る古代米おにぎり」や「老若男女飯」(いずれも1個税込み150円、数量限定)は好評だったという。同校の岡山和美教諭(53)は「レシピがレシピで終わらずにおにぎりになることで地域の皆さんに喜ばれている」。
駅長の田中雅晴さん(81)も「レシピは、まちの活性化につながっている」と話す。

 おにぎりは人を笑顔にする。無性に、焼きおにぎりが食べたくなった。焦げ目を多くしてみようか。(三井新)

朝日新聞デジタル 10/15(木) 19:08
https://news.yahoo.co.jp/articles/6f4fd5f3969171044c2eab94fee4f78d375a748e

731 :卍3286卍ss:2020/10/16(金) 17:33:15.64 ID:LocRd1Ic.net
THRIVE II: Energy Teaser:https://youtu.be/dStcgihGgbw

732 :(@^▽゜@)ゞ .:2020/10/17(土) 19:53:09.40 ID:IRTyms/E.net
■「ナスカの地上絵」新たに発見 丘にネコ科の動物

 南米ペルーのミステリー、ナスカの巨大な地上絵に新たなものが発見されました。

 丘の斜面に人工的に作られた線が見て取れます。画面の右側の上部に正面を向いた顔、横向きの身体やしっぽが丘の麓に伸びたネコ科の動物が描かれているようです。
 ペルーの文化省は16日、世界遺産の「ナスカの地上絵」の保全作業をしている考古学者らが、幅37メートルの新たな地上絵を発見したと発表しました。
 これまでに知られている地上絵より古い時期のもので、急な斜面に描かれていたため自然の浸食でほぼ見えない状態だったということです。
 文化省の担当者は、ドローンなどの技術の発展により低い高度からの撮影が可能になったことで、今後まだ新たな地上絵が見つかるだろうと話しています。

(動画はソースでご確認下さい)

tv-asahi [2020/10/17 18:50]
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000195872.html

733 :出土地不明:2020/10/18(日) 00:11:37.91 ID:ZpfDa1fo.net
>>732
新たなナスカの地上絵“古代ネコ”発見
https://i.imgur.com/6vNPgC7.jpg

作画崩壊?

734 :出土地不明:2020/10/20(火) 09:10:32.04 ID:PCUy3Amq.net
1万年前の子連れの旅路、足跡化石から判明、驚きの詳しさ

■1.5km超を数時間で往復、復路は1人、マンモスとオオナマケモノの足跡も

 1万年以上も前のこと。
 1人の女性あるいは若い男性が、幼子を腰に抱え、せきたてられるように北へ向かっていた。
 現在の米ニューメキシコ州ホワイトサンズ国立公園でのことだ。
 泥の中を滑りながら裸足で歩く彼らの顔には、雨が打ちつけていたかもしれない。

 途中、子どもをいっとき地面に下ろしながら、2人の旅は続いた。
 ついたばかりの彼らの足跡の上を、マンモスやオオナマケモノが横切って行った。
 何時間かして、旅人は南に向かって同じ道を戻って来た。
 今度は、子どもを連れていなかった。

 時は過ぎ、現代の科学者たちが、1.5キロメートル以上におよぶこの往復の旅を物語る足跡化石を発見し、調査した。
 この時代のもので、これほど長く続く人間の足跡が見つかったのは初めてだ。
 論文は10月9日付けで学術誌「Quaternary Science Reviews」誌に掲載された。
 「こうしたものは今までに見たことがありません」と米チャタム大学の進化生物学者ケビン・ハタラ氏は話す。
 なお氏は今回の調査には関わっていない。

 発見されたのは、小さな子どものものを含む400個以上の足跡だ。
足跡の形状、構造、広がり方を分析することで、1人の古代人がこの地を越えて行った詳細な様子が、つるつるとした泥の上をつま先が滑ったことに至るまで明らかになった。

 さらには、マンモスとオオナマケモノが人間が通った後に横切っていた痕跡も発見された。
マンモスは近くにいる人間の存在を気に留めなかったようだが、オオナマケモノは違ったようだ。
足跡からは、オオナマケモノが後脚で二足立ちになったことが示唆されており、現代のクマのように人間のにおいを確認していた可能性がある。

「当時の生態系の中に生きた人々の様子を想像することができます」と、論文の著者である英ボーンマス大学の古生物学者サリー・レイノルズ氏は話す。
オオナマケモノが人間の存在に気付いたらしいことについては、「骨の化石からはわからないことですよね」と指摘する。

(以下略、画像と続きはソースでご確認下さい。)

ナショナル ジオグラフィック日本版 10/19(月)17:15
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea6aeef84a336ff81a29f32426b84e4dc59e1d0b

735 :( ヽ´ん`)..:2020/10/21(水) 12:11:16.26 ID:yQbXb5hG.net
■鏡から探る邪馬台国の謎…吉野ヶ里歴史公園フォーラムで3氏講演、討論 「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」

「よみがえる邪馬台国」をテーマに開催されたフォーラム
https://www.sankei.com/images/news/201020/rgn2010200006-p1.jpg

 吉野ヶ里歴史公園(佐賀県吉野ヶ里町)で「よみがえる邪馬台国」をテーマにした特別記念フォーラムがあり、佐賀女子短期大学名誉教授の高島忠平氏、大分県立歴史博物館主任研究員の越智淳平氏、兵庫県立考古博物館学芸員の種定淳介氏が講演。邪馬台国の女王卑弥呼が魏から贈られたという三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)配布の意味などをめぐって論議を交わした。(九州総局 永尾和夫)

 ◆海指向した人々

 越智氏は「古墳のはじまり〜宇佐地域からみた古墳と首長居館」と題して講演。北部九州と瀬戸内地域に挟まれた大分県宇佐地域、福岡県豊前地域の古墳について説明した。

 この中で赤塚古墳(大分県宇佐市)から出土した三角縁神獣鏡5枚は、石塚山古墳(福岡県苅田町)のほか、京都や奈良など畿内の古墳から出土した鏡と同じ鋳型で作製されていることを指摘。「当時のヤマト政権と九州の関係を知る上で重要」と述べた。また、小部遺跡(宇佐市)のように、海を指向した人々が古墳時代の始まりとともに出現。こうした墳墓や集落の動態を明らかにすることが、邪馬台国時代の解明につながると語った。

 ◆漢鏡7期の変遷

 また、種定氏は「古鏡残照〜漢鏡の図像と銘文を読む」と題して、古代鏡の研究成果を披露した。漢鏡は「文様や銘文が多様で時間の変化に敏感」とされ、前漢から後漢まで、図像と銘文が7期にわたり変遷したと述べた。

 吉野ヶ里遺跡から出土した異体字銘帯鏡は、この中の3期で紀元前1世紀前半の製作と指摘した。銘文は「久しく相見(まみ)えず、長く相忘る毋(なか)らん」と解読。この銘文はなぜか、鏡が製作された時代より百年古い表現とした。内容は主君を慕う臣下の心情を歌ったものとも、男女の愛情表現ともとれると語った。鏡のデザインはその後、儒教や神仙思想の影響を受けて変容、世界観を細かく表現するものになっていったと解説した。

 ◆年代論解決が課題

 最後に高島氏が「考古学からみたこれまでの邪馬台国論争〜青銅器と古墳をめぐって」と題して、畿内説と九州説に分かれる邪馬台国論争の歴史的経過について講演した。

 畿内説では、三角縁神獣鏡など3世紀の銅鏡が多数出土し、纏向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)一帯の前方後円墳が列島では最古とされることなどが根拠となってきたと紹介した。

 これに対して九州説は、吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたことが、有力な拠りどころとなったと指摘した。ただ、考古学者の間で、50年から100年の年代観の違いがあるとして「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」と提唱した。

 さらに、卑弥呼が魏の皇帝からもらったといわれながら、中国では一枚も出土していない三角縁神獣鏡について見解を述べた。この鏡は中国南部にあった呉の神獣鏡の系統なので、畿内は呉の地域との結びつきが強かったと考えるのが自然とした。これに対し後漢の系統の鏡が多く出土している北部九州こそ、中国北部の魏とのつながりが深かったと論じた。

 この後、高島氏の司会で3氏が討論した。

 この中では三角縁神獣鏡がやり取りされた背景について論議。「鏡は卑弥呼が下位の首長に下賜したのではなく、下位の首長が上位の首長に鏡を献上することによって、祭祀を委ねるということを表す儀礼用のもの。このため、首長間で大量の鏡が流通した」という見解が示された。

 今後、鏡配布の背景について、さらに細かい研究が必要という点で一致した。

10/20(火) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201019-00000003-san-l41

736 :出土地不明:2020/11/01(日) 15:58:23.47 ID:FD3ZkUh5.net
南米に栄えた古代文明はスペイン人が持ち込んだ疫病で壊滅したらしい。
いま世界が中国が作った疫病で滅びようとしている、、、

737 : :2020/11/01(日) 16:01:59.53 ID:FD3ZkUh5.net
ヒッタイト文明を滅ぼした海の民?って何者だったのか?

738 :卍3286卍ss:2020/11/02(月) 17:28:09.63 ID:rTnMl3/n.net
3362【03新】UFOs before Powered Up and Fter Powered Up
パワーアップ前のUFOとパワーアップ後のUFO+Boyd Bushmanの死の床証言より
https://youtu.be/biBmYcTsyAo

ちなみに日本上空には葉巻型が待機しています。。

739 :生命体5618:2020/11/02(月) 22:15:39.72 ID:Y5oNbb3j.net
>>738
公表後まもなくインチキを暴かれてUFOビリーバーにすら話題にしなくなった
ボイド・ブッシュマンの動画って何度目ですか?w

ボイド・ブッシュマンの告白はデタラメでUFOの写真は映画やテレビドラマの特撮シーンを写したインチキ、エイリアンの写真も市販のオモチャの人形を写した捏造と検証されてます。
エイリアンの人形はボイド・ブッシュマンの告白の信憑性を落とすために似せて造られたものなどと反論もありますが、実際は告白動画が公表されるより前の1990年代後半から2008年頃までに市販されていたものです。

Debunked: Boyd Bushman, Area 51 scientist, claims existence of aliens in deathbed video [Hoax] | Metabunk
https://www.metabunk.org/threads/debunked-boyd-bushman-area-51-scientist-claims-existence-of-aliens-in-deathbed-video-hoax.4886/

【宇宙人秘話】あるエンジニアが死の間際に「宇宙人は存在する」と写真を公開→ 「嘘だ!」とネットユーザーが真実を暴きにかかる
https://news.merumo.ne.jp/article/genre/2223556?page=2

日本上空の葉巻型とやらは飛行船かバルーンロケットでも見間違えたのでしょうか?w
゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○

740 :卍3286卍ss:2020/11/04(水) 22:39:33.84 ID:MTLz8pkx.net
3363【07新】UFOs leave a TAIL behind when fly at High Speeds
高速飛行時に後方に「尾」を残すUFO by Hiroshi Hayashiはやし浩司
https://youtu.be/idmTO8NY_yo

ちなみにポポカテペトル山噴火時にも ソレらしき物体が数回撮影されています。。

741 :生命体5618:2020/11/05(木) 00:07:59.61 ID:i7XacVzj.net
>>740
(o・ω・o)ノ
ポポカテペトル山のは解りませんが、口永良部島のは羽ばたいている鳥が、ピンボケで写っているように見えま〜す☆

遠くにある噴煙の動きがゆっくりに見えて、 飛行物体が早く見えるのは、遠近の違いでしょう。
距離の離れた場所からの固定カメラなので、口永良部島の山頂あたりに焦点があわされているので、手前の飛行物体は、おそらくは比較的カメラに近い位置(およそ数十mくらい?)を飛んでいるため
輪郭がハッキリとしない、ピンボケの映像となったのでしょうね。
噴煙の中に突っ込んでいるように見えるのはピンボケで飛行物体の色が噴煙の色の薄い部分になじんだことと
画質が低く解像度が荒いために形がハッキリと見えないためかな ^ ^

742 :゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○:2020/11/08(日) 19:30:42.65 ID:trd4ucpa.net
出土の大刀5点は朝鮮半島で製造か 関東2例目、木更津・金鈴塚古墳

とぐろを巻く神獣の「龍」が装飾された太刀=千葉県木更津市提供
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201105-00000014-mai-000-1-view.jpg

 国の重要文化財に指定されている千葉県木更津市の金鈴塚古墳(古墳時代後期)の出土品を再整理した木更津市は、19点ある装飾付大刀のうち5点は朝鮮半島からもたらされた舶載品であることが確認されたと発表した。
関東地方では群馬県で1点出土しているのみで、県内では初めて。畿内の政権との結びつきを示すものとして、注目される。【浅見茂晴】

 市は2010年度から続けてきた出土品の再整理を終え、点数は当初の315点から490点となった。
土器などの破片69点を合わせ、「千葉県金鈴塚古墳出土品」と改め、9月30日に国の重要文化財に再指定された。

 市によると、舶載品の装飾付大刀は、単龍環頭大刀(たんりゅうかんとうたち)1点▽単鳳環頭大刀(たんぽうかんとうたち)1点▽獅噛環頭大刀(しがみかんとうたち)3点。
刀の柄頭(つかがしら)にそれぞれ神獣の龍や鳳、獅の装飾が施されている。
舶載品の装飾付大刀は関東地方では、群馬県高崎市の綿貫観音山古墳から1点出土しているだけ。

 蛍光X線分析調査で、金鈴塚古墳から出土した2点の双龍式環頭大刀は純銅質で鍛造だったが、単龍式と単鳳式、獅噛式は鋳造で銅とスズの合金の可能性が高いことが判明。
鉛はわずかしか含まれないことから、双龍式とは製造法が明らかに異なり、朝鮮半島の百済で作られたとみられる。

 金鈴塚古墳の被葬者は不明だが、同古墳には3回埋葬されたことが分かっている。
朝鮮半島と直接、交流があったというより、木更津から畿内の政権に仕え、対外交渉に当たった人物と推定されている。
その功績が評価されて、装飾付大刀が贈られたとみられる。残る14本は、国産とともに、朝鮮半島から来た工人によって、日本国内で製造されたとみられるという。

 金鈴塚古墳は横穴式石室を備えた古墳時代後期の6世紀末に築造された前方後円墳(墳丘長90メートル)。現在は後円部の一部が残っているだけ。
1933年に初めて発掘されたが途中で中止され、第二次大戦後の50年に県教委と早稲田大によって再開された。

 飾大刀の出土数は日本一として知られる。59年6月には箱式石棺と、大きさ1センチ、重さ1グラムの金製すず5個などが国の重要文化財に指定された。
市は10年から、国立歴史民俗博物館(佐倉市)と共同で出土品を再調査していた。

 木更津とその周辺は、古代から関東や東北の玄関口として栄え、市内だけで2000基以上の古墳が確認され、高部古墳群からは中国製銅鏡などが出土した。

 出土品を収蔵する、市郷土博物館金のすずは、館内の空調工事のため、21年3月31日まで休館している。

11/5(木) 9:43配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201105-00000014-mai-cul

743 :出土地不明:2020/11/09(月) 01:15:18.76 ID:07IFVw6Z.net
ストーンヘンジ期に全島規模の宴会イベント、10倍の巨大環状遺跡も【古代文明、謎の魅力】

ブリテン島全域から人が訪れる初の集会だった、予想外の深く複雑な交流が判明

新石器時代後期にストーンヘンジ周辺に建てられた多くの祭祀場では、ブリテン島全土から人々が集まる宴が開かれていたという。

4500年の時を経てもなお、多くの人々を魅了する英国の世界遺産ストーンヘンジ。
この8月も巨石の産地が発表されて話題になったが、なぜ、どうやって建てたのかなど、いにしえの環状列石はずっと考古学の大きな謎とされてきた。


ストーンヘンジが建てられた目的については、さまざまな学説がある。
なかでも有力な学説のひとつは、古代人が重要な祭祀を行っていたというものだ。
この祭祀説にまつわる注目の研究結果が昨年、学術誌「Science Advances」誌に発表された。

ストーンヘンジの周辺にある先史時代の祭祀場には、なんとブリテン島全域から人々が集まって宴会が行われていたという。
予想外の発見をもたらしたのは、4500年前の食べ残しであるブタの研究だった。

そもそも、新石器時代後期(紀元前2800年〜前2400年頃)に、3キロほど北東にあるダーリントン・ウォールズや約15キロ北にあるマーデンなどの祭祀場で、大規模な宴会が開かれていたことは以前から知られていた。
それぞれ、ストーンヘンジを築いた人々が住んでいたとされる場所と、ブリテン島最大の環状遺跡があるところだ。

また、ダーリントン・ウォールズの発掘調査で、冬の間に大規模な宴が開かれ、大量の豚肉と少しの牛肉を焼いて食べていたことも分かっている。
発掘された8500点の骨を分析した結果、ブタとウシの割合は10:1だった。

こうした宴の目的が、地元の人々の親睦を深めるためだったのか、あるいはもっと広く、近隣との同盟関係を強化することにあったのかは分かっていなかった。
そこで研究者らがブタの骨を分析したところ、祭祀場とそこで振る舞われたごちそうが、ブリテン島の巨大な交流網のかなめになっていたことが明らかになった。

ストーンヘンジで火葬された人間の遺体と、ダーリントン・ウォールズから発掘されたウシの骨についてのそれまでの分析結果は、今日のウェールズなど、どちらもかなり遠いところからやって来たことを示唆していた。

けれども、ブタの骨を分析した研究者はいなかった。
ブタは長距離の移動が苦手なはずで、祭祀の参加者がどこから来たかを知る手がかりにはならないと考えられていたからだ。

しかし、ブタを遠くから連れてくることは本当に不可能なのだろうか?

疑問を抱いた研究者たちが、ダーリントン・ウォールズやマーデンなど、4カ所の新石器時代後期の遺跡から出土したブタの骨131点を分析した。
結果、そこで食べられたブタの大多数が、現地で育てられたものではなく、ブリテン島各地から連れてこられたものであることが明らかになった。
その距離は少なくとも50kmで、550km以上のこともあり、なかにはスコットランドから連れてこられたブタもいた。

ほかにも、たとえばダーリントン・ウォールズのブタは、さまざまな環境で育っていた一方で、餌は同じようなものだったことも分かった。
これは宴の規模の大きさを反映していると、論文の筆頭著者で英カーディフ大学の考古学講師であるリチャード・マジウィック氏は信じている。
つまり、地域で残飯を与えられたブタをかき集めたのではなく、ブタの大群を森で餌を食べさせながら移動させたのだ。

「宴に参加した人々は、儀式のために、はるばるブタを連れてきたのです」とマジウィック氏は言う。

『Lesser Beasts:A Snout-to-Tail History of the Humble Pig(劣った獣:つつましいブタたちの全歴史)』の著者であるマーク・エシッグ氏は、この結果は理にかなっていると考える。
「ブタの群れを移動させることなどできないというのは間違った思い込みです」とエシッグ氏。
19世紀の米国では、ブタをケンタッキー州中部からサウスカロライナ州沿岸部までいつも歩かせていたと指摘する。

新石器時代の祭祀場にブリテン島全土から人々が集まってきていて、なかにはかなり遠くからも来ていたことは、宴が開かれた祭祀場が歴史上最初の「汎ブリテン島」イベントの会場だったことを示している。
ここまで交流が深く、社会が複雑だったとは、誰も予想していなかった。

(以下略、続きはソースでご確認下さい。)

ナショナル ジオグラフィック日本版 11/7(土)18:07
https://news.yahoo.co.jp/articles/9b40501af5a6f17eeaed751c43a51427a5941ab8

744 :卍3286卍ss:2020/11/18(水) 18:11:23.03 ID:ccotPiTa.net
3378【00新重要】Heavy RainFall Incident and its Answer
大豪雨事件とは何だったのか+その答えと上の人からの返事
by Hiroshi Hayashi, JP.Earth
https://youtu.be/N1XyKyi15sI

受け取り「カタ」は人ソレゾレ違います。。
キャッチのしカタや 飛ばしカタも様々です。
自分のヤリカタでイイのです。。

745 :卍3286卍ss:2020/11/19(木) 17:45:47.64 ID:mIpptJ5Y.net
3379【03】Native Terrans on Earth
地球環境適応型エイリアン種人間・ネイティブ・テランズ
by Hiroshi Hayashi, Japan
https://youtu.be/8lxhmedMhCI

ダ・ヴィンチの描いた骨格は マヤの白いアレに通じます。。

746 :卍3286卍ss:2020/12/04(金) 18:11:01.23 ID:dWJuSd/w.net
暗闇に光が届いたトキ 齎された人々は動揺する。。
届かぬ人々は 光を求め彷徨う...

747 :(o・ω・o)ノ:2020/12/20(日) 20:35:52.14 ID:BeG9w3oo.net
国内最古の「分銅」、福岡で出土…大陸と規格共通 魏志倭人伝が伝える奴国の王都とされる福岡県春日市・須玖遺跡群

中国の史書・魏志倭人伝が伝える奴国なこくの王都とされる福岡県春日市の須玖すぐ遺跡群で、国内最古となる
弥生時代中期前半(紀元前2世紀頃)の計量用の重り「権けん」が出土した。
重さの規格は韓国出土の権と共通しており、奴国が大陸の度量衡の制度をいち早く受容し、青銅器生産などに利用していたことを示す発見だ。

福岡平野南部にある同遺跡群は、国内最古級の青銅器の生産工房跡として知られる。
2014年までに同市教育委員会の調査で出土した円筒形の石製品8点を武末純一・福岡大名誉教授(考古学)が分析し、
上下を平らに加工した形状などから権と判断した。

権とは天秤てんびんなどで重さを量る「分銅」にあたり、組み合わせることで、基本となる重さのさまざまな倍数の計量が可能になる。
今回見つかったのは5・85グラム〜337・19グラム。
ほぼ完全な形で残る5点は、韓国慶尚南道・茶戸里タホリ遺跡の権(約11グラム)の3倍(2点)、6倍、20倍、30倍の重さとなっていた。

武末名誉教授は、
「青銅器の鋳型とともに出土していることから、原材料の計量に用いられたのだろう。青銅器の国産が、朝鮮半島の技術を直接導入して行われたことを示すもの」
と評価している。

国内では「弥生分銅」と称される権が、紀元前後に近畿を中心に分布したが、その基本単位(8・67グラム)は大陸に類例がなく、
近畿文化圏独自のものと考えられている。

石川日出志・明治大教授(考古学)の話
「朝鮮半島と九州の間に共通の計量制度に基づく経済活動が成立していたことになる。当時の東アジアの中での流通や経済を探る上で重要な資料だ」
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20201219-OYT1T50326/

748 :(・ω・)ノ“:2020/12/26(土) 15:39:52.27 ID:rfqlOopl.net
「出雲国風土記」の渡し場か
松江、川に石敷き護岸跡を発見

 島根県埋蔵文化財調査センターは25日までに、松江市朝酌町の朝酌矢田2遺跡で、奈良時代に編さんされた「出雲国風土記」(733年)に登場する官営の渡し場「朝酌渡」とみられる石敷きの護岸跡が大橋川北岸で見つかったと発表した。
 センターは「古代景観や交通史を考える上で重要な遺跡だ」としている。

 出雲国風土記は、出雲国府(松江市)から隠岐に通じる官道「枉北道」(古代山陰道の支線)に、朝酌渡があったと記していた。
 古代の官営の渡し場が見つかるのは初めて。

 センターによると、遺構は南北約11m、東西約20mで、川に向かって緩やかに傾斜していた。

共同通信 2020/12/25 17:07
https://this.kiji.is/715109943047012352

749 :(っ´ω`)っ旦 ヾ(・ω・ )ノ :2020/12/27(日) 17:19:40.40 ID:3jH6A5HL.net
「ローマ時代のファストフード店」発掘、状態良好 ポンペイ遺跡
2020年12月27日 15:30
https://www.afpbb.com/articles/-/3323572

【12月27日 AFP】
イタリアの古代ローマ都市ポンペイ(Pompeii)で、フレスコ画が描かれた「テルモポリウム」が非常に優れた保存状態で発見された。
テルモポリウムは、現代のファストフードカウンターのようなものだという。考古学者らが26日、明らかにした。

 多色の柄で華麗に装飾されたカウンターは、昨年一部が発掘され、その全貌を明らかにするため発掘が続けられていた。
 作業の最終段階では、ワインや温かい飲み物と一緒に提供するマガモやおんどりなど、食事メニューにあったとみられる動物の描写を含む静物画が複数発見された。
 他にも、陶器鍋の中からは、カモの骨の破片や、ブタ、ヤギ、魚、カタツムリの死骸を発見。
スペイン料理のパエリアのように、いくつかの食材が一緒に調理されていたものもあった。
 ポンペイ考古学公園(Archaeological Park of Pompeii)のマッシモ・オザンナ(Massimo Osanna)事務局長は、
「ポンペイの日常生活が生き生きと分かるだけでなく、一つの場所の全体を発掘したのは今回が初めてであるため、このテルモポリウムによって可能になる分析の可能性は他に例がないほど優れている」と述べた。
 50歳ぐらいとみられる男性の遺骨なども発掘された。
 オザンナ氏は伊通信社ANSAに対し、「店は急いで閉鎖され、所有者らが放棄したとみられるが、おそらく最高齢の男性か誰かが中にとどまり、最初の噴火で死亡した可能性もある」と説明している。
 ポンペイは西暦79年、噴火したベズビオ火山(Mount Vesuvius)の火山灰に埋もれて消滅した。この噴火で、2000〜1万5000人が死亡した。
 ギリシャ語で「温かい」を意味する「thermos」と「売る」を意味する「poleo」を語源とするテルモポリウムは、古代ローマ世界で人気が高く、ポンペイだけでも80店ほどあった。
(c)AFP/Gaël BRANCHEREAU

750 :出土地不明:2021/01/04(月) 22:06:36.01 ID:2aijn10u.net
tt
youtube.com/watch?v=5XRwMBQPqo0

751 :(σ*´∀`) ...☆ ☆ ☆:2021/01/18(月) 17:04:21.09 ID:RvtQJKhT.net
エジプト、サッカラ遺跡で新王国時代の木製のひつぎ50以上発掘 「歴史書き換える発見」



【AFP=時事】エジプトは17日、首都カイロ南方のサッカラ(Saqqara)遺跡で3000年以上前の木製のひつぎを50以上発掘したと発表した。
 エジプト元考古相のザヒ・ハワス(Zahi Hawass)氏は「歴史を書き換える発見」だとしている。

 サッカラ遺跡は、古王国時代の首都だったメンフィス(Memphis)の大規模墓地(ネクロポリス)で、十数基のピラミッドがある。
 新王国(New Kingdom、紀元前16世紀から紀元前11世紀)時代にさかのぼる木製のひつぎが50以上、埋葬用の縦穴の中で発見され、遺跡の発掘作業が進められる中、人の頭蓋骨や骨など発掘された遺物が17日にメディアに公開された。

AFP=時事 1/18(月) 11:12
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8a9bf0a4681026b265625012c310b13c247803a

752 :卍3286卍ss:2021/02/10(水) 22:14:07.76 ID:VPwn9/ae.net
ー 速報 ー
1.11 テンと繋がり 2.11 さらに次元は上昇します。。
光によって確実にヤミは狭まり ウソは通じなくナリます。

753 :(`・。・)ノU☆Uヽ(・ω・ ):2021/02/15(月) 21:58:21.79 ID:M/eopGUE.net
「世界最古のビール工場」がエジプトで発掘される


エジプトが2021年2月14日に、古代エジプトで最も重要な聖地だとされたアビドスで、5000年以上前のものとみられる「世界最古のビール醸造所」の遺跡が見つかったと発表しました。

エジプトの観光・考古省が2月14日に、Facebookで「ニューヨーク大学のマシュー・アダムズ氏とプリンストン大学のデボラ・ビシャック氏らが率いるエジプトとアメリカの合同考古学ミッションが、ソハーグ県北部のアビドスで世界最古のものとおぼしき大量生産型のビール醸造所の遺跡を発見しました」と発表しました。

このビール醸造所は、長さが20メートルで幅が2.5メートルの広さを持つ8つのセクションで構成されており、各セクションには穀物と水の混合物を煮るための土器40個が2列に設置されていました。

エジプト考古最高評議会で事務局長を務めるムスタファ・ワジリ氏は、「この工場は紀元前3000年ごろのエジプトを治めていたとされるナルメル王の時代までさかのぼる可能性があります」と話しています。

またアダムズ氏は、「調査の結果、この工場は同時に約2万2400リットルのビールを生産することができたことが分かりました。王の葬儀を執り行う施設内に設けられていたことを踏まえると、このビール工場は王族のための特別な儀式、おそらくいけにえの儀式に供するためのビールを作っていたと考えられます」と述べました。

古代エジプト人がビールを醸造していた痕跡が発掘されたのは今回が初めてではなく、2015年にはビールを作るために使っていたとみられる5000年前の陶器のかけらが、イスラエルのテルアビブにある工事現場で見つかっています。

https://gigazine.net/news/20210215-egypt-ancient-beer-factory/

754 :†。†。†。。( T人 T,) ヽ(;ω;`*):2021/02/15(月) 22:27:22.85 ID:M/eopGUE.net
ストーンヘンジ付近で謎の円筒形の物体が発見 2021年02月15日 20:22

英国の遺跡ストーンヘンジ付近で、古代の埋葬地や「謎の」囲い、多くのアーティファクトが考古学者らによって発見された。ニュースサイト「LiveScience」が伝えている。
今回の発見は、考古学的な作業の中で明らかになった。この作業はストーンヘンジ近くで行われているが、同地では地下トンネルの建設が予定されている。

研究者らは今回、現地で約4500年前の墓2つを発見した。そこには幼児と少女が埋葬されており、少女の墓からは銅製のキリ(千枚通し)や針の破片、杖か棍棒の一部ではないかと思われる謎の円筒形の物体が発見された。
研究者のマット・ライバーズ氏は、「これらの品々を残した人々や、近くに埋葬された人々がストーンヘンジの建設に何らかの役割を果たしていた可能性がある」と指摘している。

発見された土器やトナカイの角、火打ち石も、ストーンヘンジを建設した人々の所有品であったとみられている。さらに考古学者らは、ストーンヘンジの南東に保護する目的で作られた可能性がある溝を発見した。

https://jp.sputniknews.com/science/202102158155364/

755 :/)`・ω・´) ノ⌒☆:2021/02/17(水) 18:20:36.48 ID:ZunBrspK.net
ストーンヘンジの起源に新説、石はリユース品だった

2/16(火) 18:13
配信

直径や石の並び、素材も同じストーンサークルが見つかる

約4600年前に完成したストーンヘンジは、数百キロも離れた場所にあった、より古い巨石モニュメントの一部を使って造られたのかもしれない。(PHOTOGRAPH BY KENNETH GEIGER, NAT GEO IMAGE COLLECTION)

 世界で最も有名な遺跡の1つ、英国のストーンヘンジ。4600年前にイングランド南部のソールズベリー平原に造られたこの遺跡は、今も多くの謎に包まれている。

ギャラリー:解き明かされるストーンヘンジと関連遺跡群 画像12点

 最新の研究で、このストーンヘンジの始まりについて新たな物語が提唱された。2月12日付けで学術誌「Antiquity」に発表された論文によると、ストーンヘンジはオリジナルな創造物ではなく、ウェールズにあるさらに古い遺跡がその前身であるかもしれないというのだ。

 その遺跡とは、ウェールズにある「ワイン・マウン」というストーンサークル(環状列石)。ストーンヘンジと同等の大きさで、石の配置と太陽との関わりも似ている。さらに、一部は同じ材料を使っているようにも見える。ストーンヘンジとの違いと言えば、現在のワイン・マウンには石がほとんどないことだ。

 研究チームは、ワイン・マウンの建設者たちはが約5000年前にこれを解体し、その石の一部を280キロ東のソールズベリー平原まで運び、ストーンヘンジの建設に使ったのではないかと推測している。彼らは何のために、恐ろしく手間がかかり、実用的でもないそんな作業を行ったのだろうか?

 そのカギになるのが、ストーンヘンジに移設されたとされる重さ3トンの石「ブルーストーン」だ。古代ブリトン人にとって、ブルーストーンは「貴重品だっただけでなく、自分たちが何者であるかを示す本質でもあったのでしょう」と、今回の論文の筆頭著者である英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のマイケル・パーカー・ピアソン氏は語る。氏の研究にはナショナル ジオグラフィック協会も支援している。

 ワイン・マウンでの発見は、実に刺激的な仮説につながると氏は考えている。ストーンヘンジのブルーストーンは、この地に移住してきた彼らの先祖やその記憶を示すものだったという説だ。新石器時代のブリトン人は、文字通り先祖の重みを背負って大地を横断していたことになる。

 しかし、現段階で結論を出すのはまだ早いと、論文の著者らも認めている。「ストーンヘンジについていつも面白いと思うことの一つは、おそらく永遠に答えの出ない問いがたくさんあることです」と、「レスキュー英国考古学トラスト」の副会長ケイト・フィールデン氏は言う。なお氏は今回の研究には関わっていない。「私は、謎があるということが好きです」
(以下略、続きはソースでご確認下さい)

ナショナル ジオグラフィック日本版 2/16(火) 18:13
https://news.yahoo.co.jp/articles/fb61726590dfe38b2d6759b41b6b73947fea5419

756 :゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○:2021/02/23(火) 17:33:22.80 ID:V4WPy23B.net
スライドで説明する滝沢課長(右端)=新潟市秋葉区で2021年2月21日、露木陽介撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2021/02/22/20210222ddlk15040413000p/9.jpg

 新潟市秋葉区の県埋蔵文化財センターで21日、県内で発掘された古墳時代の遺跡などをもとに、新潟での古墳時代の生活を紹介する講演会があった。

 講演会には30人が参加。同センター普及・資料課の滝沢規朗課長が講師を務め、北方と近畿の文化の境界に当たる新潟の特異な状況を説明した。

 越後平野では、海から山脈までの距離が遠く、山からの水はけが悪く農業生産力が乏しいことから、古墳そのものの大きさは全国と比べて小さなものが多い。古墳時代前期に造られ始めた前方後円墳の日本海側最北が新潟市西蒲区(菖蒲塚古墳)にみられるなど、文化の中心であった近畿の影響が及ぶ北限であったことが分かるという。

 一方、土器に縄文時代のような縄目の模様をつける東北地方の特徴を持つ土器(続縄文土器)が菖蒲塚古墳のすぐ近くで見つかるなど、北方との交流があった同時代の南限だったことも分かり、「新潟は邪馬台国から大和朝廷成立時の西と東北地方の動向が把握できる重要地点である」と結論付けた。

 講演会に参加した新発田市の片桐一雄さん(73)は「越後の歴史の基礎を知ることができてよかった。県内では続々と古墳が見つかっているので新発見が楽しみだ」と話した。【露木陽介】

毎日新聞 2021/2/22
https://mainichi.jp/articles/20210222/ddl/k15/040/122000c?inb=ra

757 :卍3286卍ss:2021/02/25(木) 17:54:34.22 ID:NWcQwJDV.net
American Airlines Pilot Sees UFO Over Plane, Feb 21, 2021, UFO Sighting News.
https://youtu.be/8iKohBHlAOY

コレからもっとハッキリしてきます。。

758 :出土地不明:2021/02/25(木) 20:38:19.12 ID:C6dIg92I.net
【悲報】はやし浩司先生,宇宙人と遭遇していなかった!?

3472【01】Gods' Landmark+Answer to Key Hole shape of Mounds神々のランドマーク+前方後円墳の謎の突起物by Hiroshi Hayashiはやし浩
https://youtu.be/ZBjogbEEqHk

ぶんぶん3 日前
久しぶりに 林さんの動画を拝見いたしました。 確か 林さんは 宇宙人と遭遇していましたよね?
そのお話しって どの回でしたっけ? 誰か教えて下さい お願いします。


Hiroshi Hayashi3 日前
こんばんは。
誤解です。
私は一度も、「遭遇した」と言ったことはありません。
書いたことも、人に話したこともありません。
また遭遇したこともありません。
ですから誤解です。
がっかりさせてごめんなさいね。
はやし浩司

759 :出土地不明:2021/02/27(土) 21:54:22.24 ID:tUfbzH/R.net
北米最古の犬の骨がアラスカで見つかる、人類拡散の旅路を示唆

■アラスカで見つかったシベリアの犬の子孫、1万150年前の骨片

 米アラスカ大学博物館に「PP-00128」という標本があり、20年ほど前から、かなり古いクマのものだと考えられていた。
 この標本は大腿骨の破片で、指でつまめるほど小さく、アラスカ南東部の海岸沿いの遺跡から発掘された。
 同じ遺跡からは、数千年前の魚や鳥や哺乳類の骨のほか、人間の骨も発見されている。

 2月24日付けで科学誌「Proceedings of the Royal Society B」に発表された論文によると、遺伝子解析の結果、PP-00128は、今から約1万150年前に人間の忠実な友として氷に覆われたアメリカ大陸にやってきたイヌの骨だったことが判明した。

 この研究成果は、イヌがアメリカ大陸に入ってきた時期やルートを知る手がかりになるほか、人間と家畜化されたイヌとの長く深い関係を裏づけるものにもなる。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

ナショナル ジオグラフィック日本版 2/27(土) 18:05
https://news.yahoo.co.jp/articles/c99415cfcda4384864e19a45ff4dbc137262e72f

760 :出土地不明:2021/02/28(日) 10:35:48.35 ID:zksXeql/.net
ポンペイ遺跡から古代の戦車がほぼ完全な形で発掘される(画像あり) [805596214]
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1614456147/

761 :出土地不明:2021/03/03(水) 08:58:44.26 ID:FamVm7n/.net
隼人族甲冑盾木刀は鎌倉彫り
湿地でも風呂でも浮くし錆びない
https://o.5ch.net/1s3du.png

762 :出土地不明:2021/03/03(水) 08:59:22.83 ID:FamVm7n/.net
ポンペイ人貴婦人顔比率

763 :出土地不明:2021/03/03(水) 09:12:18.67 ID:FamVm7n/.net
エジプトウルシ
https://o.5ch.net/1s3dx.png

764 :出土地不明:2021/03/03(水) 09:13:55.77 ID:FamVm7n/.net
足指比率
柔道エジプト有利
それ以外はギリシャ系

結婚は手指と足指の比率相性

765 :出土地不明:2021/03/03(水) 09:14:06.80 ID:FamVm7n/.net
オリンピック

766 :出土地不明:2021/03/03(水) 09:21:43.72 ID:FamVm7n/.net
半島十理
日本小市民の僕は一厘理
でも花

767 :出土地不明:2021/03/03(水) 09:23:29.27 ID:FamVm7n/.net
当時の将軍の料亭
国産特別田畑
超芸術
だが今からすると値段は
【大日本帝国その後】

768 :出土地不明:2021/03/03(水) 09:24:06.87 ID:FamVm7n/.net
大日本帝国の料亭は安い値段?
ポンペイ食卓と比較

769 :出土地不明:2021/03/03(水) 09:48:38.67 ID:FamVm7n/.net
東北バビロン

770 :出土地不明:2021/03/03(水) 09:53:38.74 ID:FamVm7n/.net
スマホがあれば
ドローンが助ける
という信仰と
ポンペイと奴隷戦争
関係あるらしい

771 :出土地不明:2021/03/03(水) 09:54:27.93 ID:FamVm7n/.net

https://o.5ch.net/1s3e3.png

772 :出土地不明:2021/03/03(水) 10:08:47.90 ID:FamVm7n/.net
茶道ができるか
できないか 
女性は
エジプトとメソポタミア
どちらか
インダスと中華注目
茶道向いていないなら他の長所
足指比率も相性
手指比率も相性
全体スキルグラフ

773 :出土地不明:2021/03/03(水) 10:09:44.64 ID:FamVm7n/.net
1茶道だけ
2スポーツだけ
3武道だけ
4 123のバランス

774 :出土地不明:2021/03/03(水) 10:10:24.57 ID:FamVm7n/.net
茶道動作の得意不得意

775 :出土地不明:2021/03/03(水) 10:21:00.13 ID:FamVm7n/.net
陸遜はポンペイを知っていた説
尊敬する劉備の子供の劉禅と
諸葛亮と同じ人肉食べない
劉備が食べていたかわからないが
お坊ちゃん陸遜は
儒教なのに虫も殺せない
しかし魏にも知られた蜀通
劉備も手強いのを知り
年配者が国内では弱虫陸遜と
しかし年配者は豪傑劉備に弱く
感情戦だった

776 :出土地不明:2021/03/03(水) 10:26:38.66 ID:FamVm7n/.net
国内が
日本言語感情法則照合統計計算説
だから菅総理の息子が言語計算で
見つけられる説だが
アメリカのロシアは外
日本は内
厳しいから海外系はなおさら

777 :出土地不明:2021/03/03(水) 10:28:57.43 ID:FamVm7n/.net
ポンペイ説も言語計算
ただし日本国憲法と
科学的管理社会統一
アメリカが世界に任された
らしい
大日本帝国時代から
海外は訳のわからない日本語
特にロリコンと菅総理の息子
内に厳しい理由はアメリカが
詳しく

778 :出土地不明:2021/03/03(水) 10:30:08.47 ID:FamVm7n/.net
アメリカ機械プログラム

779 :出土地不明:2021/03/03(水) 10:30:34.54 ID:FamVm7n/.net
あくまで日本国憲法の国

780 :出土地不明:2021/03/03(水) 10:44:37.07 ID:FamVm7n/.net
言葉の誤認逮捕も復讐も
ありえるプログラム
PC世界だが
僕も言葉に気をつける
勘違いされないように

781 :出土地不明:2021/03/03(水) 10:45:24.83 ID:FamVm7n/.net
だから科学で誤解解き
ポンペイ説と日本と富嶽百景など
ピンからキリまで

782 :出土地不明:2021/03/03(水) 11:45:26.37 ID:FamVm7n/.net
掲示板は
古代建築芸術と
記録協力者の型
僕も記録協力者

783 :出土地不明:2021/03/03(水) 11:47:11.09 ID:FamVm7n/.net
全部日本国憲法から
様々な技術あり
古代の型

784 :出土地不明:2021/03/03(水) 11:48:04.72 ID:FamVm7n/.net
返還は変換
不当計算から見つける体験理解を
技術
記録協力者が感じ
日本国内は厳しいフラット

785 :出土地不明:2021/03/04(木) 17:33:13.79 ID:QrKWxXty.net
「ミイラの作り方」の最古のマニュアルを発見! 防腐処理の手順に新事実が記されていた

Ancient Egyptian Papyrus Reveals Secrets to Embalming the Face!
https://www.ancient-origins.net/news-history-archaeology/face-embalming-0014991

Ancient Egyptian manual reveals new details about mummification
https://phys.org/news/2021-02-ancient-egyptian-manual-reveals-mummification.html

「ミイラの作り方」について、現存する最古の解説書が発見されました。

デンマーク・コペンハーゲン大学の古代エジプト学者、Sofie Schiødt氏は、最近になって再発見された約3500年前のパピルスを解読し、編集。

その中に、防腐処理(ミイラ化)についての新たな記述が発見され、今まで知られていなかった詳細なマニュアルが明らかになりました。

一体、どんな内容が記されていたのでしょうか。

読み手は「プロの防腐処理者」を想定?
今回調査されたパピルスは、2つの断片からなり、1つはパリのルーヴル美術館に、もう1つはコペンハーゲン大学のカールスバーグ・コレクションに所蔵されていました。

そのため、「パピルス・ルーヴル-カールスバーグ(Papyrus Louvre-Carlsberg)」と呼ばれています。

長さ6メートルに達するこのパピルスは、紀元前1450年頃のもので、薬剤や皮膚病を取り扱った医学文書の一部です。

その中に、防腐処理に関する短いマニュアルが発見されたことに、専門家らは驚きを隠せません。

古代エジプト人にとって、防腐処理は非常に神聖な技術であり、限られた少数の人にのみ口頭で伝えられていました。

その証拠に、防腐処理に関するパピルスはほぼ存在せず、これまでに見つかった記録はわずかに2つ。

いずれも今回のパピルスより1000年以上後の時代に書かれたものです。

パピルス・ルーヴル-カールスバーグを翻訳したSchiødt氏は、以下のように述べています。

「新たに判明した防腐処理のマニュアルは、あとの2つのパピルスには見られない記述がほとんどで、非常に細かい工程の記録でした。

想定されている読み手は、明らかに素人ではなく、防腐処理について知識のあるプロと見られます。

テキストは、防腐処理に必要な薬液のレシピや、様々な種類の包帯の使い分けなど、覚えきれない箇所が記されており、遺体の乾燥法といった基本のプロセスは省かれていました。」

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

ナゾロジー 2021.03.02
https://nazology.net/archives/84054

786 :出土地不明:2021/03/09(火) 04:36:54.12 ID:6aBWneMP.net
ちょっとド忘れしたから教えて欲しいのですが
土偶などで女性の頭の上に何かを載せてる性的嗜好に名前があったと思うんですがなんて名前だったでしょうか?
なんか人間の普遍的な嗜好らしいです

787 :出土地不明:2021/03/25(木) 21:09:03.57 ID:BonC4zsA.net
三重県教委 生徒にわいせつ、教諭免職 当て逃げ主幹は停職

埋蔵文化財センターの男性主幹は昨年9月、いなべ市内のアパートの駐車場から自家用車で外出する際、停車中の妻の車や別の住民の車に衝突。そのまま走行を続け、約200メートル離れた田んぼに侵入した。

 男性主幹は腰を打ち、車外に出て路上で倒れていたところ、通行人の一一九番で病院に搬送された。「気が動転してパニックになってしまった」と話し、妻の車にぶつかった後の記憶がないという。
https://this.kiji.is/747628824785108992?c=39546741839462401

788 :出土地不明:2021/04/08(木) 10:48:37.08 ID:4LcXf0QT.net
↓この壁画をみると、古代エジプトにはエジプト人とは別に黒人がいたことをちゃんと描いている
https://imgur.com/a/SlhfNYB

↓なのになんで欧米人はエジプト人を黒人化したがるのでしょう?
https://www.excite.co.jp/news/article/Karapaia_52253658/

789 :出土地不明:2021/04/09(金) 06:48:28.04 ID:RZycnXtk.net
カネ儲けに走って迷走するはやし浩司さん

790 :出土地不明:2021/04/10(土) 12:43:19.34 ID:1mtwRG4Y.net
エジプトの壁画とウルのスタンダードの人物表現の共通点
https://i.imgur.com/ueG3HL1.png

シュメールとエジプト文明は同じ系統の民族の文明とおもわれます。

791 :出土地不明:2021/05/28(金) 14:43:06.14 ID:K+G2+6Y9.net
ナスカの地上絵を上回る世界最大規模の地上絵がインドの砂漠で見つかる
by Ninara
https://gigazine.net/news/20210527-largest-geoglyphs-indian-desert/

巨大な地上絵と言えば南米のペルーに存在するナスカの地上絵を連想する人が多いはずですが、新たにインドとパキスタンにまたがって広がるタール砂漠で、ナスカの地上絵を上回る世界最大規模の地上絵が発見されました。あまりにも絵の全体像が大きすぎるため、描いた本人ですら絵を見ることはできなかったと考えられています。

New enigmatic geoglyphs in the Indian Thar Desert: The largest graphic realizations of mankind? - ScienceDirect
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S2352226721000362

Enigmatic Designs Found in India May Be The Largest Images Ever Made by Human Hands
https://www.sciencealert.com/enigmatic-designs-found-in-india-may-be-the-largest-images-ever-made-by-human-hands

Huge spiral found in Indian desert may be largest drawing ever made, experts say | Daily Mail Online
https://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-9616319/Huge-spiral-Indian-desert-largest-drawing-experts-say.html

フランスの研究者であり、親子でもあるCarlo Oetheimer氏とYohann Oetheimer氏は、Google Earthを使用してタール砂漠の調査を行っていたところ、オアシスの都市であるジャイサルメール付近で、地上絵と思われる幾何学的な線を発見したとのこと。その後、2016年には無人航空機を使用した現地調査を実施し、いくつかの溝は植林のために掘られたものだと判明したものの、植林とは関係のない地上絵も確認されました。

Oetheimer氏らが確認したタール砂漠の地上絵を表した図が以下。「Boha村」という村の付近に描かれた「Boha1」と呼ばれる巨大な渦巻きは長さ724m、幅201mの範囲にわたって描かれており、実に12kmに及ぶ1本の線で構成されています。また、Boha1の南西に描かれている「Boha2」と呼ばれる図形は、牛耕式に折り返している巨大な線とゆがんだ形で曲がりくねった図形、そして小さな渦巻きで構成されており、この図形も11kmにわたる1本の線で描かれています。

地面に描かれた巨大な線を地上で撮影した画像がこれ。溝の深さは10cm以下で幅も20〜50cmほどだそうで、以下の画像では隣の線までの距離が9mほど。間近で見てもこれが壮大な地上絵を構成しているとは気づくのは困難です。

Boha1とBoha2の周囲には他にも関連するとみられる地上絵があり、記事作成時点で確認できる線の総距離は48kmほどで、かつては80kmに及ぶ線が描かれていたのではないかと推定されています。研究チームは「これらの地上絵はこれまでのところ世界で最大であり、インド亜大陸(インド半島)で初めて発見された地上絵でもある上に、謎めいた痕跡についても独特です」と述べています。

この地上絵がなぜ描かれたのか、そして誰によって描かれたのかは不明。地上絵の付近にはヒンドゥー教の記念碑が複数見つかっているほか、地上絵が描かれたのは少なくとも150年前と比較的最近であることを研究チームは指摘しています。また、重要なポイントに複数の石が配置されていることから、地上絵を描くために面積測定の技術が使われた可能性があるとのこと。

Oetheimer氏らは、人間の活動によってこれらの地上絵が消失してしまう前にインド政府によって保護されることを望んでいます。「徹底的な調査の結果、Bohaの地上絵はこれまでに発見された中で最大の、人間によって抽象的かつ有機的に配置された幾何学的な地上絵だと思われます」と研究チームはコメントしました。

これほど巨大な地上絵の全体像を見るには地面から300m以上の高度が必要ですが、描かれた場所が起伏に乏しい砂漠の中であることから、描いた人物ですら地上絵を見ることはできなかったと考えられています。そのため、研究チームはこの地上絵がデザインを重視にした芸術的表現ではなく、何らかの文化的慣習に基づくものではないかと推測しています。

研究チームは論文中で、「この地上絵は、私たちに宗教的・天文学的・宇宙論的な意味合いを検討するように促してきます。これらの独自性から、地元で観察された例外的な天文現象を記念したものではないかと推測することが可能です」「これらのユニークな地上絵は、地理的および文化的な文脈と密接に関係しており、神聖なものや宇宙に関連する普遍的なメッセージが含まれているかもしれません」と述べました。

792 :卍3286卍ss:2021/06/01(火) 05:47:17.60 ID:niGdEi7k.net
MYSTERY BOOMS RETURN! UFOs SWARM NAVY SHIP AND..
https://youtu.be/OgWC-g0PGx8

YHTもキマス。。

793 :/)`・ω・´):2021/06/08(火) 15:51:46.73 ID:LHt/7PKc.net
【画像】阿部寛があまりにも古代ローマ人だと話題に 見事バズり案件へ [919127335]

■ソース)
https://i.imgur.com/Tr1O60p.jpg
https://i.imgur.com/FS5nRXN.jpg
https://i.imgur.com/HhG7Udj.jpg
↓↓↓
https://i.imgur.com/wAlC60A.jpg


■参考)
https://news.yahoo.co.jp/articles/91cc0320c4d301849adb563db1ca6a513244ade7



http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1622306590/

794 :出土地不明:2021/06/12(土) 17:48:20.80 ID:sjSbMsLE.net
>>245
新型コロナワクチンを 卍3286卍ssは どう認識してるの…(´・ω・`)??

795 :出土地不明:2021/06/13(日) 12:06:20.32 ID:HkHH3F62.net
>>4>>30,53,153,215,221,308,381,>>549 >>625

はやし浩司や卍3286卍ssは,専門家や研究機関や報道機関が誰も気づかなかった,あるいは隠蔽していた『真実』を「わたし,はやし浩司」が発見した・謎解きしたと得意気に吹聴する。
はやし浩司や卍3286卍ssなど,はやし浩司の支持者たちは,専門家や公的機関やマスコミが嘘をついている,『真実』を隠蔽していると信じて疑わない。
彼らは,その『真実』のほうが嘘や勘違いである可能性を(何が本当の『真実』なのかを判定する客観的根拠を持たないし理解していないから)全く検証しない。

796 :卍3286卍ss:2021/06/14(月) 17:32:43.95 ID:wervcEzS.net
ワクチンゾンビのPVが youtubeから削除された時点で お察しってハナシ。。
アンテナの感度が悪いと 何だかワカランってハナシ。

797 :生 命 体 5 6 1 8:2021/06/14(月) 18:42:25.99 ID:R6p6W3lK.net
( ・ω・)ノ お久しぶり・・・卍3286卍ssは新型コロナワクチンうってもらうの?

798 :( ・ω・)ノ!生命体5618:2021/06/14(月) 20:11:22.06 ID:hgCV6Hou.net
南極大陸の発見者はポリネシア人、7世紀初頭に到達か NZ研究
2021年6月14日 17:51 
発信地:ウェリントン/ニュージーランド [ ニュージーランド アジア・オセアニア ]

【6月14日 AFP】南極大陸(Antarctica)に初めて到達した人類はポリネシア人の船乗りたちだった可能性が高いとする新たな研究結果を、ニュージーランドの研究チームが発表した。西洋人探検家の南極大陸発見よりも数百年前のことだという。

 この研究では、ニュージーランドの先住民マオリ(Maori)と南極大陸との関わりを知るため、口承記録や先住民の歴史的手工芸品、非学術的資料などのいわゆる「灰色文献」を徹底的に調査した。

 プロジェクトを率いたNZ政府の研究機関「マナアキフェヌア(Manaaki Whenua)」のプリシラ・ウェヒ(Priscilla Wehi)氏は、「(ポリネシア人と)南極大陸や南極海との関わりが、伝統的な航海の最初期からあったことが確認できた。その後も欧州人主導の航海や探検、現代の科学調査、漁業などへの参加を通じて、数世紀にわたり(関わりは)続いてきた」と述べている。
 ポリネシア人たちは、カヌーで広大な太平洋に点在する島々を正確に行き来していた、歴史上屈指の高い航海術の持ち主として広く知られる。
 ニュージーランド王立協会誌(Journal of the Royal Society of New Zealand)に先週発表された研究論文によると、ポリネシア人が南極大陸に到達したのは1820年代の西洋人探検家による南極発見のはるか以前で、14世紀にマオリがニュージーランドに到達したより早かったとみられる。
「島々を航海するポリネシア人の物語の中に、フイ・テ・ランギオラ(Hui Te Rangiora)一行が恐らく7世紀初頭に、テ・イビ・オ・アテア(Te Ivi O Atea)号で南極海に乗り出したという話があることを発見した」とウェヒ氏は述べた。
 この航海についての口承には、「霧が立ち込め、太陽が見えない暗くかすんだ場所」や、「草木の生えていない」氷山のような山々が「空を貫いている」といった表現が登場する。マオリの彫刻や織物にも、はるか昔の南極航海の伝承を裏付けるものがあると論文は指摘している。
は指摘している。
 ウェヒ氏は、複数のマオリの伝承を照合することで、主流となっている西洋の男性探検家たちの記録を超えた幅広い視点で南極大陸の歴史を見ることが可能になるとしている。(c)AFP

https://www.afpbb.com/articles/-/3351581

799 :出土地不明:2021/06/15(火) 01:12:07.42 ID:0sTXScfF.net
卍3286卍ssてQアノンとかを
マジで信じてそうだな

800 :800:2021/06/15(火) 11:32:29.03 ID:1S9CTSQ+.net
卍3286卍ssが信じてそうなもの
1 創造論
2 フラットアース説
3 地球空洞説
4 ホロコースト、南京大虐殺は無かった
5 アダムスキー、ビリーマイヤー
6 日月神示の予言
7 人類は月に行っていない
8 エリア51の地下に隠されたロズウェルで墜落したUFOとエイリアン
9 アメリカ同時多発テロはアメリカの自作自演
10 東日本大震災は人工地震

801 :出土地不明:2021/06/15(火) 17:29:27.87 ID:LpN8yx86.net
「〜〜の可能性がある」「〜〜とわたしは判断した」は,陰謀論者やオカルティストがよく使う論法。
これを言う者は,殆ど「可能性」「判断」の客観性や蓋然性を無視する。
疑似科学者やオカルト信者が「可能性がある」「と判断した」論法を使うのは,次のような勘違いをしているから・・・。

・自分たちは客観的に検証可能な情報や根拠を何も示さずとも「可能性がある」「と判断した」とだけ言い続ければいい。
・反論者(否定論者)は,証拠を示して可能性が全く無いこと,主観的判断が全て間違いであることを証明しなければならない(ごくわずかの可能性でもあれば,判断が全て間違いであることを完全証明できなければ,反論あるいは否定されたことにならない)。

しかし,それは『悪魔の証明』と呼ばれる詭弁手法である。
オカルティストやはやし浩司らの論法が,紛いなりにも科学の必須条件を満たすためには,それらの論を提唱したり支持する者が,それらが検討に値することを示す,客観的に検証可能な証拠を提示しなければならない。
客観的な証拠が提示できない,あるいは不十分なら,反論者(否定論者)は証拠が不足していることを示すだけでよく,反論を完全証明する責任も義務も無い。

802 :出土地不明:2021/06/16(水) 00:28:57.13 ID:RGpG+/Ct.net
陰謀論者やオカルティストは,専門家や公的機関や報道機関が誰も言わない「真実」を自分は見抜いたと安易に信じ込む。
彼らは,専門家達は「真実」を隠蔽し悉く嘘をついていると信じて疑わない。
彼らは自分が見つけた「真実」のほうが嘘や勘違いである可能性を全く検証しない。
彼らは、何が本当の真実なのかを判定する客観的根拠を持たない。
「火の無いところに煙は発たない」と言いながら,自ら火を点けたり煙ではない全く別の何かを煙と誤認あるいはこじつけて「煙だ!火だ!」と騒いでいるにすぎない。

803 :卍3286卍ss:2021/06/16(水) 18:14:15.05 ID:oFJEgvag.net
AMENIMO MAKEZU · UNBEATEN BY RAIN

Unbeaten by rain 
Unbeaten by wind 
Unbowed by the snow and the summer heat 
Strong in body 
Free from greed 
Without any anger 
Always serene
With a handful of brown rice a day 
Miso and a small amount of vegetables suffice 
Whatever happens 
Consider yourself last, always put others first 
Understand from your observation and experience 
Never lose sight of these things
In the shadows of the pine groves in the fields 
Live modestly under a thatched roof 
In the East, if there is a sick child 
Go there and take care of him 
In the West, if there is an exhausted mother 
Go there and relieve her of her burden 
In the South, if there is a man near death 
Go there and comfort him, tell him “Don’t be afraid” 
In the North, if there is an argument and a legal dispute 
Go there and persuade them it’s not worth it
In a drought, shed tears 
In a cold summer, carry on 
Even with a sense of loss 
Being called a fool 
Being neither praised nor a burden
Such a person I want to be

Translation Copyright © 2011 by Catherine Iwata, Fredrich Ulrich, Orlagh O’Reilly, Helen Bartos, Minaeri Park, Mokmi Park, Helen Bartos, Sophie Sampson, Kotomi Okbo, Eva Tuunanen, Alessanra Lauria, Sophie Sampson, Miwa Block, Nancy O’Reilly, Jasmina Vico & Yasuko Akiyama

804 :生命体5618:2021/06/16(水) 22:08:07.44 ID:6YuTdadA.net
>>803
で,卍3286卍ssは ”Qアノン“を信じているの(´・ω・`)?>>799

 【Qアノンの主張 (まとめ)】
 この世界は悪魔崇拝者による国際的な秘密結社によって支配されている。国際的な秘密結社はディープ・ステイト(闇の政府)やカバール(陰謀団)の強い影響下にある。彼らは合衆国政府を含め,基本的にすべての有力政治家,メディア,ハリウッドをコントロールしているが,その存在は隠蔽されている。
 彼らはグローバリストであって,”グローバリスト“ は中国を新たな世界覇権国とした”ニュー・ワールド・オーダー(新世界秩序)“ の構築を目標としており,その中核は,世界の金融資本と原子力産業を支配しているロスチャイルド家で,石油産業を支配するロックフェラー家と対立したが,ロックフェラーは戦いに負けた。
 ディープ・ステイトについて,従来は多くのことが秘匿されていたのだが,ドナルド・トランプは,この悪行を熟知しており,彼が二〇一六年の大統領選挙で勝利したことで,闇の組織ディープ・ステイトの存在が広く世間に知られるようになった。
 ディープ・ステイトはトランプが計画している報復の日「嵐」(The Storm)を警戒している。「嵐」によって隠された真相が明らかになり,秘密結社のメンバーが大量に逮捕されるだろう。
 ディープ・ステイト側はそれを阻止するため,死に物狂いでトランプの再選を阻止し,あらゆる不正を駆使してバイデン政権を誕生させた。

…まあ,こんな↑根も葉もないデマカセ陰謀論をマジで信じていた,あるいはマジで信じているなんてことを恥ずかしくて答え難いから,宮沢賢治で誤魔化したい・はぐらしたいという気持ちは,わからなくもない。

805 :( ´_ゝ`):2021/06/19(土) 20:15:18.13 ID:wtAjyrCR.net
【画像】ポーランドで出土した3500年前の琥珀製のクマのお守りがグミみたいだと話題に [671326773]
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1624014015/

1: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW b305-Pz80) [] 2021/06/18(金) 20:00:15 ID:uF8MOwEY0

http://img.5ch.net/ico/nida.gif
The "forbidden gummy bear". It is a 3500-year-old amber bear amulet and was found in a peat bog near Slupsk, Poland.

https://www.reddit.com/r/interestingasfuck/comments/o2bemr/the_forbidden_gummy_bear_it_is_a_3500yearold/

https://i.imgur.com/FxTscRP.png

http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1624014015/1

806 :/)`・ω・´):2021/07/02(金) 06:23:17.11 ID:Gf0iiNTT.net
孝謙・称徳天皇に関係する施設か、平城宮跡で最大級の建物跡出土2021/06/30 17:52
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210630-OYT1T50225/

 奈良時代に天皇や皇太子の住まいがあった奈良市の平城宮跡東院地区で、8世紀後半の大型建物跡が出土し、奈良文化財研究所(奈文研)が30日、発表した。宮殿の居住施設とみられ、平城宮跡では最大級という。専門家からは「孝謙・称徳天皇に関係する施設ではないか」との見方が出ている。

 東西27メートル、南北12メートルの掘立柱建物跡で、東院地区の北側中央で見つかった。地層や出土した瓦の年代から、孝謙、淳仁、称徳天皇が在位した749〜770年の建物と考えられる。
 床張りで屋根が 檜皮(ひわだ)葺きとみられる特徴から、居住施設と推定され、奈文研は規模や立地から、「天皇・皇太子クラスの皇族の宮殿の中心建物である可能性が高い」としている。

807 :出土地不明:2021/07/10(土) 00:30:38.14 ID:TcQ9Zx4Y.net
【インターネットQ&A】西村博之にレスバ(理論武装)で喧嘩を売られたスーパー言語学者の小島剛一氏(在仏53年)が論破記事を更新、討伐してしまう★7
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1625843276/

808 :出土地不明:2021/08/05(木) 09:29:24.69 ID:hAtRMxA1.net
イラクで発掘された3700年前の土板に60進数で書かれた三平方の定理の計算が見つかる(ピタゴラスが発見する1000年も前) [671326773]
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1628122088/

809 :出土地不明:2021/08/17(火) 01:26:43.82 ID:an82JM+G.net
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/081500400/

中国東部の河南省にある官荘遺跡を発掘していた考古学者たちが、世界最古の貨幣鋳造所を発見した。
約2600年前、農具である鋤(すき)の形を模した青銅の硬貨「布銭(ふせん)」を量産していたという。
8月6日付で学術誌「Antiquity」に論文が発表された。

 世界で最初に鋳造貨幣がつくられた場所は、現在のトルコとインドと中国の3カ所のいずれかと考えられている。
しかし、はっきりと年代が確認された鋳造所は見つかっていなかった。「現時点で、官荘の鋳造所が、確実に年代を特定できる
もっとも古い貨幣鋳造所です」と、中国、鄭州大学の考古学者で、論文の筆頭著者である趙昊(ジャオ・ハオ)氏は話す。

論文によると、城壁と堀を備えた城郭都市の官荘ができたのは紀元前800年ごろ。そして紀元前770年ごろには鋳造所ができ、
青銅から儀式用の器、武器、道具などがつくられ始める。ただし、ここで硬貨の鋳造が始まったのは、それから150年ほど経ってからだった。

 放射性炭素年代測定という分析方法により、硬貨が鋳造され始めたのは紀元前640年から550年ごろの間であることがわかった。
一方で別の研究によると、現在のトルコ西部にあたるリディアの硬貨は紀元前630年ごろのものとされ、貨幣鋳造のために使ったと
思われる精錬の証拠も見つかっている。しかし、その年代は紀元前575年から550年の間であり、またリディアでは、紀元前400年より古い貨幣鋳造所は

810 :出土地不明:2021/08/24(火) 22:42:55.03 ID:HrWa0sOc.net
KFCが期間限定でロンドンにホテルオープンするらしいんですけど、
・1泊17,000円
・15,000円までチキン食べ放題
っていう狂気のプラン...
https://pbs.twimg.com/media/E8EeehVVgAQI1Eq.png


なお、部屋の赤いボタン押すとチキンが運ばれてくる仕様
https://pbs.twimg.com/media/E8EegKYVUAEbZC5.jpg

811 :出土地不明:2021/08/30(月) 22:06:31.62 ID:ePEWgn3w.net
7000年前に死んだ10代女性のDNAから未知の現生人類の系統を発見 インドネシア

(CNN) 7000年以上前にインドネシアのスラウェシ島で死んだ狩猟採集民の10代女性のDNAを分析したところ、これまで世界のどこからも見つかっていない現生人類の系統に属していることが分かった。

25日刊行の科学誌ネイチャーに、当該の研究論文が掲載された。

豪グリフィス大学人類進化研究センターの考古学教授、アダム・ブラム氏は電子メールで今回の発見について、アジアとオーストラリアの間に位置する島嶼(とうしょ)地帯「ウォーレシア」で見つかった初めての古代人のDNAだと説明。世界の中でも知見の少ない地域の初期現生人類について、遺伝子上の多様性と集団史を探る新たな手掛かりになるとの認識を示した。

スラウェシ島、ロンボク島、フロレス島といったインドネシアの島々で主に構成されるウォーレシアを経由し、初めて現生人類がユーラシア大陸からオーストラリア大陸に渡ったのは5万年以上前と考えられている。具体的な経路や航行の手段は不明だが、かなり精巧な舟を使ったはずだとブラム氏はみている。当時は最終氷期で、地球上の海面の高さは現在より最大140メートル低かったが、それでも島々をつなぐような陸地は存在していなかったという。

道具や洞窟壁画の発見から、これらの島々には4万7000年前までに人が住み着いていたとみられる。今回分析の対象となった骨は17〜18歳の女性のもので、2015年にスラウェシ島の洞窟で見つかった。考古学上の遺跡の一部でもあるその洞窟に遺体が埋められたのは7200年前にさかのぼる。

DNAは錐体(すいたい)骨と呼ばれる楔(くさび)形の骨から採取した。論文筆頭著者のセリーナ・カールホフ氏によると、熱帯性の気候の中で分解が著しく進んだ残骸からの採取は非常に困難だったという。

DNAを解析した結果、女性は5万年前にウォーレシアにやってきた最初の現生人類の子孫だと判明した。彼らはオーストラリアとニューギニアを合わせた氷河期の陸塊に最初に定住した人類の一部で、ブルム氏によれば現在のオーストラリアの先住民とパプア人の祖先に当たる。

女性にはまた、アジアに由来する別の系統の祖先がいることも分かった。ブルム氏によると、これまではアジア系の遺伝子を持つ人類が最初にウォーレシアに定住したのはおよそ3500年前と考えられていた。だが今回の発見で、当該の地域に現在まで全く知られていなかった現生人類のグループが存在した可能性が示唆されるという。

現在、この系統の子孫は生き残っていない。

女性のDNAはさらに、今は絶滅し謎めいたデニソワ人の痕跡も含んでいる。これまでデニソワ人の化石は主にシベリアとチベットから出土している。

論文の共著者でドイツのマックス・プランク進化人類学研究所の考古遺伝学教授、ヨハネス・クラウゼ氏は、スラウェシ島の女性からデニソワ人の遺伝子が見つかったことは「デニソワ人がこれまで考えられていたよりはるかに広い地域に広がっていたという我々の仮説を支持する」と語る。

ただ、ウォーレシア西部に住んでいた他の狩猟者のDNAを見ると、デニソワ人の痕跡はない。

「ウォーレシアでは現生人類とデニソワ人の地理的分布が重なっていたのかもしれない。もしかしたら、そこはデニソワ人とオーストラリア先住民やパプア人が交雑した重要な場所である可能性もある」と、共著者で独テュービンゲン大学のコジモ・ポスト教授は指摘する。

今回の発見は、研究者が東南アジアにおける古代の遺伝子的な歴史を理解しようとする中で、パズルをひもとく一つのピースになる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1357dbe1b4c20dc3cbee113d27d937cf654b26fb

812 :出土地不明:2021/08/31(火) 00:22:34.43 ID:BTQaZnAY.net
新発見の石器から「最初のアメリカ人は日本から来たかもしれない」説が急浮上 - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20190830-first-americans-from-japan/

813 :出土地不明:2021/08/31(火) 21:15:02.78 ID:Ow428A+y.net
世界最古級「壁画」の描き手はネアンデルタール人 ヒトの創作活動の起源をたどる

 スペインのバルセロナ大学の研究者らが率いる国際チームは、同国にある約6万5000年前の旧石器時代のものとされる世界最古級の洞窟「壁画」は、自然現象ではなく人為的に描かれた、とする研究成果を発表した。同地に現生人類が到達する前の時代のため、約4万年前まで欧州に住んでいたネアンデルタール人の手によるものと見ている。ヒトの象徴的思考や芸術的な創作活動の起源をたどる上で役に立つ研究成果で、科学雑誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に掲載された。

 研究チームが調査したのは、スペイン南部の都市マラガにあるアルダレス洞窟。洞窟の中の広い空間にある石筍(床から天井に向けて伸びるタケノコ状の岩石)に付いていた赤い顔料を採取して分析した。1821年に発見されたこの洞窟は内部に1000以上もの抽象・具象の描画が見つかっている。

 こうした洞窟壁画は近年、「ウラン系列年代測定法」などによって描いた時期を推定できるようになっているが、顔料そのものの調査は実施されていなかった。顔料を人為的に塗布したのか、何らかの自然現象によってたまたま付いたのかは、ヒトが創造活動を始めた時期を解明する上で重要になってくる。しかし、ネアンデルタール人が創作活動をしていたとする仮説にはこれまで懐疑的な意見も多くあった。

 研究チームは洞窟内の複数箇所から顔料を採り、光学顕微鏡による観察や「走査型電子顕微鏡‐エネルギー分散型X線分光法」などで成分や結晶の構造を解析した。自然にできた洞窟の中の堆積物や、微生物が作る物質とは異なる特徴が見られ、洞窟の外から人が持ち込んだ鉱物由来の顔料だと結論付けた。

 洞窟内に入ってきた人の体の表面や衣服に付いていた顔料が偶然付着したかもしれないが、複雑に入り組んだ形をした石筍の手が届かないところにも顔料は付いており、何らかの工夫によって奥まった部分に吹き付けた可能性があるとした。また、顔料には加熱された痕跡はなく、洞窟内の素材を加工して使ったことを示すような根拠も見当たらないという。

 採取場所によって顔料の成分などに違いがあったが、年代測定結果と合わせて少なくとも2回、塗布を繰り返したと研究チームは見ている。薄れた絵の描き直しなど、繰り返し塗布された事例はこれまで他でも見つかっているが、今回調査した洞窟の顔料は判別できる具体的な図像を描くためというよりも、石筍そのものに何らかの象徴性を持たせるため印をつけたのかもしれないとしている。

 こうしたことから研究チームは、今回の壁画は「美や感情を表現する創作物」という厳密な意味での「芸術」ではないが、特定の場所の象徴性を表すための表現だと考察している。石筍など洞窟内に自然にできた構造物がネアンデルタール人の社会で重要な意味を持っていた事例は他にもある。社会構造の複雑化に合わせて新たな象徴による結束力の強化などが求められて表現が生まれ、今回調査した洞窟はその初期のものである可能性があるという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9b3d1e581e053b14d7531f45a9f13fdfbc6411e8

814 :出土地不明:2021/09/03(金) 08:22:47.56 ID:CzbireYg.net
https://pbs.twimg.com/media/EohcCjlU0AEpQhd.jpg
https://pbs.twimg.com/media/EpCv-sEVoAASPqH.jpg
https://pbs.twimg.com/media/Eoek4s4U8Ac94GY.jpg

https://i.imgur.com/pkbw4Hp.jpg
https://i.imgur.com/YfAweWV.jpg
https://i.imgur.com/Tr9Zif6.jpg

https://pbs.twimg.com/media/EU1TGjRVAAAC6qQ.jpg
https://pbs.twimg.com/media/EU1TF68VAAEoWLE.jpg
https://pbs.twimg.com/media/EU1TGO3U8AAqBib.jpg
https://pbs.twimg.com/media/EU1TFF8UYAI0-b5.jpg

https://i.imgur.com/DLd32bI.jpg
https://i.imgur.com/QVr5V1B.jpg

815 :卍3286卍ss:2021/09/06(月) 17:53:58.84 ID:oUKDEUPF.net
顔出しだろうが 匿名だろうが 他人に対する誹謗中傷は悪行にナリます。。
街中で叫ぶのと違い 2&5chでの書き込みは消えません...
インターネットに匿名は無く 今後全てが紐付けられます。。
判断するのは自分自身です。。当然全ての責任も自分自身が負うコトにナリます。

816 :生命体5618:2021/09/07(火) 02:15:48.69 ID:X9Sl8rWK.net
コテハンだろうが、匿名だろうが、他人に対する乱暴狼藉は犯罪になります。
街中で暴れるのと違い、2&5chでの書き込みは消えません・・・。
インターネットで匿名にできても、犯した罪やネットの書き込みは、終生のこります。
羞恥するのも後悔するのも自分自身です・・・、当然全ての責任も自分自身が負うコトにナリます。

46: 卍3286卍ss [m3286mss@gmail.com] 2014/05/03(土) 23:12:21.94 ID:HeVBFM4m0

昨日は塩釜警察署に 去年の夏に余りにしつこい集団ストーカーにブチキレテ
コンビニで犯人のタイヤを鉄棒で突き刺しパンクさせた件で 今頃呼ばれました。。
突き刺してから 文句があったら連絡してクレと 自分の名刺を渡してイタので
弁償か何かの話と思ったら 名刺の返却だけで損害賠償はしないとの事。。
傍目にはオレが完全に一方的に悪いので 警察に損害を請求しないのはオカシイしぜひ弁償して
謝りたいので連絡先を 教えてクレと言っても 本人がイイと言ってるのでの一点張り。。
所詮集団ストーカーなどヤッテル奴はそんなモノです 。。ヤッテもヤラレても逃げる。。逃げるだけ...
どんなモノか電車で行ったのですが 電車内やバス内は避けようが無く想像以上に酷いモノでした。。
ジャックナイフを警察に没収されてから 代わりに使ってイル千枚通しを使い 氣のチカラで攻撃者を
フェンシングの練習のフリをして撃退するのですが 撃退者が警察に通報し 駅前で警察に囲まれる始末...
まるで犯罪者のようで人目が悪い最悪の展開。。任意の調べなら 次が終電だしテレビを見るから帰らせて
欲しいとの要求を不当に妨害し 難癖をつけ大事にしようとする警察。。
しつこい警察にオレも引かず 通さないナラ現場を動かナイとイイ とにかく警察は信用出来ナイので
帰れと言っても 何かと因縁をつけ絡んでクル。。ある意味インチキヤクザより タチが悪い。。
時間ばかり経ち イイ加減にしろと言って オレの行動の邪魔をする根拠を聞いて撮影を始めたら。。
理由も無く絡んだ手前 立場が悪いのか顔を背けゴソゴソ相談後 オレの自由を認めました。。
時すでに遅しで 石巻行きの終電は行ってしまい キャッシュカードも時間外で タクシー代も
ゲット出来ず。。となり街の松島までは回送用に乗れ 何故か松島で一晩を過ごすハメに...
警察には「集団ストーカーの件は知ってるだろ!立場が弱いのも知ってるが 警察ナラ何とかしてクレ」
と訴えておきました。。「警察の都合で悪い順番に捕まえナイから 犯罪者が増えるんだゾ」と説教も。。
今回の災難で ヤッパリ最初に警察が シッカリ組織改革を行わナイと 日本社会は変わらナイと新ためて想いました。

http://maguro.5ch.net/test/read.cgi/occult/1398830184/46

817 :出土地不明:2021/09/08(水) 21:13:18.09 ID:aIWuVvrx.net
東京に縄文時代の村を再現しよう 西東京市が「したのや縄文里山プロジェクト」

 縄文時代に1000年近く続いたとされる集落を発掘して体験型の史跡公園として整備しようと、東京・西東京市がプロジェクトを進めています。

 西武東伏見駅近くに位置する西東京市の下野谷遺跡は南関東最大級の集落の跡地です。西東京市は現在、この下野谷遺跡の発掘調査を進めています。下野谷遺跡の集落は大きく東西2つに分かれていて、2015年には保存状態の良い西側の一部が国史跡の指定を受けました。調査を担当する市の学芸員・亀田直美さんは「遺跡は住宅地の中にある。縄文時代の今から4000〜5000年前の“ムラ”の跡が丸ごと地下に保存できている」と説明します。亀田さんによりますと、下野谷遺跡の特徴は「環状集落」という竪穴住居がリング状に並び、中央に広場がある集落が2つ配置されていることです。これまでに見つかっている縄文時代の集落と比べると、極めて大規模で貴重なものだといいます。亀田さんは「ムラと住居の構造が典型的なもので、さらに規模が非常に大きい。南関東最大」といいます。また出土した土器などから、下野谷遺跡の集落は1000年近く続いた可能性が考えられるということです。

 現在行われている発掘調査はひとまず完了し、発掘状況や出土した土器などをレプリカで展示する「復元ゾーン」などを備えた史跡としての整備が9月下旬から始まります。整備費用は市内外からも期待が寄せられていて、クラウドファンディングで集まった470万円が充てられます。亀田さんは「『成長する遺跡』がこの遺跡のコンセプト。やって来た皆さんに“ムラ人”となってもらい、皆さんで楽しんで盛り上げて大きく育てていただきたい。そのためには市民、クラウドファンディングの協力者、講座の聴講者など、多くの人に来てもらい、ここから縄文時代の素晴らしさを発信していけたらと考えている」と話しています。

 西東京市は「したのや縄文里山プロジェクト」として、下野谷遺跡の工事を2023年3月までに完成させる計画です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd722e3d6cdb5990d22c08019e27b5644744de02

818 :出土地不明:2021/09/09(木) 11:08:05.39 ID:Lj0GsbRB.net
“縄文VS弥生”みんなはどっちが好き? 衣食住の生活様式全般から、歴史的背景までを探る

乃木坂46の山崎怜奈(れなち)がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。(ダレハナ)」。8月26日(木)の放送では、“縄文VS弥生”どちらの時代が好きかをシェアしました。

世の中をザワザワさせている“ザワニュー”のなかから、気になるものをピックアップする「スピークアップ」。この日の議題は“縄文VS弥生”。7月末、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録され、全国の縄文ファンが歓喜に酔いしれましたが、そんな縄文時代の後に続くのは弥生時代。縄文と弥生では土器から石器、生活様式まで全然違います。そこでこの日は縄文と弥生、どちらが好きかを聞いてみました。

リスナーからは「夫とDNAマトリクス診断を受けたのだが、DNAのルーツによって縄文タイプと弥生タイプに分けられていた。私は縄文で直感力やスピリチュアルな感覚に優れているタイプ。夫は弥生で協調性が高く、社会適応しやすいそう」というメッセージが。

そして、「お米が好きなので、稲作文化が発展した弥生時代が好き。ちなみに千葉県多古町で作られている多古米は、弥生時代からの長い歴史があり、多古米で作るおこわや赤飯はモチモチで最高」というエピソードに、れなちは「多古米食べたことがある! おいしいですよね」と同意し「弥生時代もいいですね……」とポツリ。

一方、唐突なテーマに「なぜ戦わせているのかよくわかっていない理系」、さらには「弥生。縄文という名前のかわいい女の子に会ったことがない」「弥生。昔好きだった子の名前が弥生だったから」など別角度からの意見もありました。

もちろん、マジメにプレゼンをしてくれたリスナーも多数。「謎多き縄文人が好き。一説では世界最古の文明が縄文の可能性があったり、縄文人は海洋民族で太平洋を船で渡り、アメリカ大陸に辿り着いていたという証拠があったり、何より1万年も平和で暮らしていたなど語れることが多い」というマニアックな意見から「弥生時代。理由は僕が住んでいる島根県・出雲地方には多くの遺跡があり、その中の1つ、荒神谷遺跡では全国の発掘総数を超える銅剣をはじめ、弥生時代のものが数多く出土しているから」「縄文時代を支持。家の近くに都内では珍しい縄文遺跡があるから」といったものも。

さらには、「縄文時代。小学生の頃に縄文クッキーを作ったから。縄文クッキーとは肉、どんぐりの粉、卵を混ぜて焼いたもので、当時の人々が日常的に食べていたと言われているもの。おいしくなかったが、当時の人々の力強さを感じた」「断然、弥生時代。狩りから稲作になってお米を食べるようになり、洋服も進化していったので、弥生時代なら生きていける自信がある。なによりも卑弥呼様に会いたい」などたくさんのメッセージが寄せられました。

この日のゲストは、NPO法人 世界遺産アカデミー主任研究員の宮澤光さん。北海道・北東北の縄文遺跡群のなかでおすすめの場所を聞いてみると、青森県の「三内丸山遺跡」を挙げます。

「歩いていると、鳥の声や木の間を抜けていく風の音が聞こえる。おそらくそれは縄文人の人々が聞いていたものとほぼ同じ。それを経験できるのが素晴らしい」と宮澤さん。そして、“縄文VS弥生”は「ロマネスクが好きだったので、縄文のデザインやプリミティブな感じが好きです」と話していました。

縄文時代と弥生時代の異例のバトル、その判断基準は衣・食・住などさまざまでしたが、番組Twitterでは「“縄文VS弥生”どちらが好きか」アンケートを実施。結果は縄文49%、弥生51%で、弥生時代が僅差で勝利しました。

(TOKYO FM「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」2021年8月26日(木)放送より)

https://news.yahoo.co.jp/articles/284a6dd1f6f7ef391554764b9313b61c3ddcaf7c

819 :出土地不明:2021/09/11(土) 15:09:38.55 ID:PBXL2DVQ.net
古代山陰道の盛り土か 鳥取・善田傍示ケ崎遺跡で見つかる


 鳥取市青谷町善田の善田傍示ケ崎(よしだぼうじがさき)遺跡で、古代山陰道の一部と考えられる盛り土と、道路側溝と推測される溝状遺構を確認したと、同市埋蔵文化財センターが10日発表した。この遺跡は周辺の遺跡で見つかっている古代山陰道の延長上にあたると推定されており、それが裏付けられた格好だ。

 鳥取市を流れる露谷(つゆだに)川の改修工事に伴い同市埋文センターが7月、発掘調査を始めた。調査面積は360平方メートル。

 盛り土は古代山陰道の道路面の下にあったとみられ、5層が確認された。厚みは20〜30センチ。盛り土の中から石や枝が見つかり、軟弱な地盤を改良しようとしたことがうかがえるという。溝状遺構は雨水を流す側溝とみられ、最も深いところで深さ20センチ程度。

 周辺の青谷上寺地遺跡と青谷横木遺跡で見つかった古代山陰道も今回確認された盛り土の幅も9メートルほど。青谷平野の古代山陰道の道幅は9メートル程度とみられるという。担当の横山聖・調査員は「これから盛り土を掘り、いつごろ造られたのかを知る手がかりを得たい」と話した。

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、現地説明会は開かない。10月下旬と予定している調査終了後、ホームページに結果を掲載するとしている。(石川和彦)

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%B1%B1%E9%99%B0%E9%81%93%E3%81%AE%E7%9B%9B%E3%82%8A%E5%9C%9F%E3%81%8B-%E9%B3%A5%E5%8F%96-%E5%96%84%E7%94%B0%E5%82%8D%E7%A4%BA%E3%82%B1%E5%B4%8E%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%82%8B/ar-AAOjzq1

820 :出土地不明:2021/09/11(土) 22:56:14.94 ID:YxW4NoAl.net
長野・香坂山遺跡 今年の発掘で発見された「大当たり」とは

 「日本列島人類史の最初の姿が見える」と昨夏、研究者や考古学ファンを驚かせた後期旧石器時代初頭の遺跡、「香坂山(こうさかやま)遺跡」(長野県佐久市)。1年ぶりに足を運んでみると、考古学でいい場所を掘った時に使う「大当たり」状態になっていた。現在も発掘は続き、注目が集まっている。今年の成果を速報する。【伊藤和史/学芸部】

 ◇遺跡の「位置づけ」

 発掘調査を行っているのは、国武貞克・奈良文化財研究所考古第一研究室長をリーダーとする研究グループ。

 日本列島に確実に人類が住み始めた時期は、3万8000年前ごろとされる。世界史的には、ホモサピエンス(新人)の文化が展開する後期旧石器時代に属する。香坂山遺跡は昨年の発掘に基づくC14年代測定の結果、3万6800年前と発表されている。列島最初期の遺跡と位置づけられるわけだ。

 「香坂山遺跡」は浅間山の東南約15キロ、標高1080メートル地点の山中にあり、1997年に上信越自動車道・八風山(はっぷうさん)トンネルの建設に伴って一度発掘された。その時、後期旧石器時代を特徴づける「石刃(せきじん)」技法による石器が見つかった。石刃とは、一つの原石から効率よくはがしたナイフのような縦長の石器をいう。昨年、近くの別の地点を発掘したところ、今度は10センチを超える大型の石刃、3〜4センチの小型石刃、先のとがった大型の尖頭器(せんとうき)が出土した。

 この3種の組み合わせは、これまで日本列島では見つかっていない。その一方、国武さんが調査してきたユーラシア大陸の後期旧石器時代の石器群とそっくりだった。こうしたことから、大陸の後期旧石器文化がそのままの形で、朝鮮半島経由で日本列島に入ってきた最初の姿を示しているとして注目されたのである。

 ◇石刃「最古」「最大」のオンパレード

 さて、今年は昨年の発掘区を広げ、だいたい15メートル×10メートルの約150平方メートルを調査した。その成果を一言で表すと、「列島最古」「列島最大」の発見の連続だ。

 まずは、長さ19センチ、幅6センチの「大型石刃」である。通常の「大型」は長さ10センチ、幅3センチだが、その2倍の「超大型」。昨年出土の大型石刃をはるかに上回るサイズで、国武さんの経験からもユーラシア大陸での最大級の石刃に匹敵するという。

 次に、「石刃の製作地」の発見だ。19センチの巨大石刃の発見場所に隣接した1メートル×2メートルほどの範囲に、石刃だけでなく、石刃をはがしたあとに残る石核、さらに原石が河原のように密集している。これこそ、石刃の最古の製作地なのだそうだ。「これが出たから、もう発掘はしなくていい。この遺跡の中心地の発掘は今年でやめます。あとは、(後世のため)保全しようと思います」と国武さんが言うほどの成果だという。

 筆者(記者)が訪れた時は、掘り始めてまだ間がなかったため、多くの遺物が土をかぶったままだった。だが、後日送られてきた写真を見てびっくり。きれいに土が除かれた一帯は、素材やら製品やら、石(黒色安山岩)で真っ黒になっていた。

 ◇調理した炉跡?

 次いで、「礫(れき)群」の発見。直径50センチほどの区域に、丸っこい石ころが8個集まっているのだが、赤く焼けている。これは(後略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/9c03e3a67cd60f24f1454dc58640e4014d0aba98

821 :出土地不明:2021/09/13(月) 00:01:13.16 ID:LEULW5QO.net
三星堆遺跡でウルトラマンと諸葛亮の「そっくりさん」発見

【9月11日 CGTN Japanese】中国四川省(Sichuan)文物考古研究院は9日、三星堆(Sanxingdui)遺跡考古発掘の重大な成果獲得の経緯説明をする記者会見を開きました。四川省広漢市(Guanghan)にある三星堆遺跡は現在から5000年前から3000年前にかけてのものであり、中国南西部で発見された遺跡の中でも分布範囲が最も広大であり文化面の内容も最も豊富な、古い四川文化の遺跡です。

 考古学者は今回出土した文化財の中に、ウルトラマンや諸葛亮(Zhuge Liang、孔明)の「そっくりさん」を発見しました。考古学者は3号坑南部から青銅製の人物立像を発見しました。この立像の高さは20センチ程度で、それほどは大きくありませんが、その造形がテレビで放送されているウルトラマンに似ているように見えます。特に尖(とが)っている頭部や突き出している目はよく似ています。唯一の違いは、本物のウルトラマンが“ぴったりとした衣装”を身に着けているのに対し、三星堆の人物像は、ゆったりとした男性用中国服である長袍を着ていることです。

 また、同じ3号坑から出土されたもう1体の青銅の人物像は、映画やドラマ、ゲームの中の諸葛亮の姿に似ています。髪の毛をまとめて後方に流して瓦のようなかたちにしている部分は、諸葛亮がかぶっている帽子によく似ています。(c)CGTN Japanese/AFPBB News https://news.yahoo.co.jp/articles/8c45c6a47183bb125c5df9b5b27226c5908cb2d2

822 :出土地不明:2021/09/15(水) 13:09:51.53 ID:YGSWKPsy.net
世界遺産の縄文遺跡で半世紀ぶりの発掘調査 新たな発見に期待

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に指定された北海道千歳市の国指定史跡・キウス周堤墓群で発掘調査が始まった。市の遺跡整備事業に伴うもので、発掘調査は約半世紀ぶり。謎の多い周堤墓群の新たな発見につながる成果に、関係者は期待を寄せている。

 キウス周堤墓群は、7月に世界文化遺産になった「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つ。約3200年前の縄文時代後期後葉に形成された、複数の墓穴の周囲を土手(周堤)で取り囲む北海道特有の集団墓だ。

 今回の調査では、史跡内の見学路の整備に向けた事前調査と、56年前の1965年に市が調査した2号周堤墓の再調査を目的にしている。調査は13日から始まり、計画では新たな見学路を設けるための事前調査を先行して実施し、11月初旬まで続ける予定だ。

 見学路は、今後さらに見学者が増えることを見込んで、史跡の保存状態を維持するため現在のルートを一部見直す。調査範囲は1号と3号の周堤墓沿いの南北約100メートル、幅約80メートル。約20カ所を試掘して史跡の状態を確認する。

 再調査する2号周堤墓は、周堤の高さが4・7メートルあり、一帯で確認されている大型の周堤墓9基のなかで最も高い。前回の調査で発掘した中央部の墓穴周辺約50平方メートルを再発掘し、さらに詳細に調査する。

朝日新聞社
https://news.yahoo.co.jp/articles/875ac1b48079fa03fa859c4050b67b4c4092c953

823 ::2021/09/18(土) 10:48:50.14 ID:Kdna+Nvb.net
人物を点描で描いた弥生時代の土製品を全国で初発見

東奈良遺跡から出土した土製品。点描で人物が描かれている=大阪府茨木市(柿平博文撮影)
東奈良遺跡から出土した土製品。点描で人物が描かれている=大阪府茨木市(柿平博文撮影)
大阪府茨木市は17日、市内の弥生時代の遺跡、東奈良遺跡から、両手を広げた女性シャーマン(呪術(じゅじゅつ)師)を点描(てんびょう)した土製品が見つかったと発表した。市によると、点描で人物を表現した弥生時代の絵画は全国で初めて。当時の精神世界を伝える貴重な資料という。

土製品は厚さ1・7センチ、直径8・3センチの円板の一部で、表面にハリ状の工具で開けたとみられる直径約1ミリ、深さ約4ミリの穴が整然と並んでいた。人物の頭の上部は欠けているが、腕を折り曲げ、両手を挙げる姿を確認。脚部の間には女性器が表現されていた。


東奈良遺跡は、銅鐸鋳型など鋳造に関連する遺物が大量に見つかっている弥生時代の集落跡。平成14年の発掘調査による出土品を整理したところ、土製品が見つかった。


調査した茨木市は呪術的な所作で豊穣(ほうじょう)と悪霊退散を願う女性シャーマン描いているとし、その表現方法などから紀元前1世紀ごろに製作されたとみている。女性シャーマンを描いた弥生絵画は、唐古(からこ)・鍵遺跡や清水(しみず)風(かぜ)遺跡(いずれも奈良県田原本町)で見つかっているが、いずれも線画という。同志社大の辰巳和弘元教授(古代学)は「独創性あふれるユニークな表現で、他の遺跡では類例がない。お守りとして祭壇に飾っていた可能性があり、弥生時代の精神世界を知る貴重な資料」と話している。


土製品は、茨木市立文化財資料館で25日から開催される「東奈良遺跡発見50周年記念−弥生集落と銅鐸生産−」で展示される。
https://www.sankei.com/article/20210917-QNDL7YYPNZMWVIKQ7IOD2SJKZI/

824 :出土地不明:2021/09/19(日) 16:01:57.89 ID:lQcLv0gT.net
伊都国「王墓」ガラス玉、「草原の道」から 中央アジア出土品と一致

 福岡県糸島市の弥生時代末の墳丘墓・平原(ひらばる)遺跡で出土したガラス玉が、ユーラシアのシルクロードの一つ「草原の道」を旅してもたらされたとみられることが、奈良文化財研究所(奈文研)の田村朋美主任研究員らの分析で判明した。日本や東アジアに類例がないガラス玉で、どこからもたらされたか不明だった。

 18日にオンラインで開かれた日本文化財科学会大会で報告された。ガラス玉の成分が、モンゴルやカザフスタンで出土した類似品と一致した。

 平原遺跡は「魏志倭人伝」に邪馬台国とともに登場する伊都(いと)国の王墓とされ、1960年代の発掘調査で銅鏡40面や多数のガラス玉などが出土した。今回分析されたのは、その中の青い2層構造のガラス玉が複数つながった「重層ガラス連珠(れんじゅ)」。

 田村さんは、古代のガラス交易路の調査で訪れたモンゴルで、弥生時代と同時期に栄えた騎馬民族・匈奴(きょうど)の墓で出土したガラス連珠が平原遺跡のものと色や形がよく似ていることを確認。また、文化庁による奈文研とカザフスタン国立博物館の拠点交流事業でも、同じ連珠がカザフスタンの遺跡で出土しているのを見つけた。

 そこでモンゴル、カザフスタン両国の研究機関や平原遺跡の出土品を収蔵する糸島市立伊都国歴史博物館と協力し、3遺跡の連珠の成分を蛍光X線分析装置で測定。その結果、どの連珠もナトロンという塩類を使ったソーダガラスで、アンチモン、マンガンなどの微量成分を含んでおり、同じ場所で作られた可能性が高いことが分かった。

 ナトロンを使ったガラスはローマ帝国の領域だった地中海沿岸が原産とみられ、田村さんは「この連珠は、当時のユーラシアの東西を結ぶ交易路の中でも、中央アジアからモンゴル高原を通る『草原の道』で東アジアへ運ばれたのでは」と推定している。

 東アジアの考古学を研究している西谷正・九州大名誉教授は「弥生時代と同時期、ユーラシアでは東の漢帝国と西のローマ帝国を結ぶ交流が活発化していた。国際的な交流拠点の一つだった伊都国には、朝鮮半島を経由して海外の様々な物資がもたらされたのだろう」と話している。(今井邦彦)

https://www.asahi.com/articles/ASP9L5GS0P9LTIPE006.html

825 :出土地不明:2021/09/21(火) 10:19:52.54 ID:r09nHsyT.net
Oguchi T/小口 高@ogugeo
約3600年前に死海付近の上空で隕石が爆発し、熱風で都市が滅びたという Scientific Reports 誌の最新の論文https://www.nature.com/articles/s41598-021-97778-3
著者の Ted E. Bunch 氏らが地学と考古学の調査を行い、1908年のロシアのツングースカ大爆発と同様と結論。聖書に天からの火で滅びたと記されたソドムに対応と推定。
http://pbs.twimg.com/media/E_w1ndIX0AA2WdB.jpg
http://pbs.twimg.com/media/E_w1oy5VgAQkTw5.jpg
http://pbs.twimg.com/media/E_w1p9_VEAIlina.jpg

826 :出土地不明:2021/09/21(火) 15:50:43.29 ID:eDz4AQSC.net
3000年前の黄金仮面、中国南西部の遺跡から出土 

中国南西部で発見された複数の祭祀(さいし)坑から出土した数百点の遺物の中から、3000年以上前の黄金の仮面が見つかったことがわかった。中国・四川省文物局が明らかにした。

これらの遺物は、成都郊外にある面積約12平方キロメートルの三星堆(さんせいたい)遺跡で発掘された。1920年代に地元の農民が偶然この遺跡を発見して以来、これまでに何千点もの遺物が出土している。

黄金の仮面は今年6月に発見され、9月に入って初公開された。国営新華社通信によると、仮面の重さは約100グラムで、単体ではなく青銅人頭像の一部であったとみられるという。この仮面は、紀元前1046年まで続いた殷(いん)王朝後期のものと考えられている。

中国の国営メディアによると、仮面はここ数カ月の間に祭祀坑から出土した約500点の遺物の一つで、このほかにも象牙、翡翠(ひすい)のナイフ、「尊」として知られる儀式用の器、青銅の置物などが見つかった。

考古学者は1980年代半ば、三星堆遺跡で大きな発見をした。祭祀坑が2基見つかり、精巧で保存状態の良い青銅の仮面を含む1000点以上の遺物が出土したのだ。

発掘調査は長い間中断されていたが、2019年後半に3基目の祭祀坑が見つかり、20年にはさらに5基発見された。当局は今年3月、これらの祭祀坑から出土した500点を超える遺物を公開。その中には別の黄金の仮面やフクロウの形をした青銅器が含まれていた。

遺跡で発掘作業を行う考古学者/CHINE NOUVELLE/SIPA/Shutterstock
遺跡で発掘作業を行う考古学者/CHINE NOUVELLE/SIPA/Shutterstock
遺物の多くは埋納される前に儀式として焼かれたように見受けられることから、専門家はこれらの祭祀坑が生贄(いけにえ)用に使われたと見ている。

三星堆遺跡は、紀元前316年に征服されるまで四川盆地西部を支配していた古蜀(しょく)の中心に位置していたと考えられている。蜀は、伝統的に中国文明発祥の地とされる黄河流域の他の社会とは別に、独自の文化を形成していたことが遺跡の出土品からうかがえる。祭祀坑からは絹繊維や織物の切れ端も見つかっている。

四川省文物考古研究院の唐飛院長は新華社通信に対し、「今回の発見により、古代中国人の想像力と創造性が現代人の予想をはるかに超えていたことが改めて証明された」と述べた。

三星堆遺跡はユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産には登録されていないが、将来の世界遺産候補として「暫定リスト」に記載されている。ユネスコは、同遺跡がほかの蜀の遺跡とともに、「中国、東アジア、さらには世界の青銅器文明を代表する傑出した遺跡」と説明している。

https://www.cnn.co.jp/style/arts/35176899.html

827 ::2021/09/24(金) 22:25:37.85 ID:z4fPMFnO.net
ギルガメシュ叙事詩の粘土板、米からイラクに返還
https://www.afpbb.com/articles/amp/3367689

https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/8/3/1980/img_8335c82aeccdb4189e90ede27d4d43f031753.jpg
https://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/2/0/1980/img_20dd3f0d59266c6eed160f7cb053f6a944367.jpg

828 :出土地不明:2021/09/25(土) 11:14:39.12 ID:thRWB9Vx.net
人類の北米定住は2万3000年前? 足跡発見、通説覆す

【AFP=時事】米国で2万3000年前の人類の足跡が見つかったとする研究論文が23日、米科学誌サイエンス(Science)に発表された。人類の北米定住は1万6000年前とされているが、それを大幅に遡る可能性があることを示唆するものだ。

 足跡は、ニューメキシコ州の砂漠にあるかつて湖のほとりだった場所で見つかった。泥に残された足跡が堆積物で埋まり石化したことで保存された。

 論文によると「多くの足跡は10代を中心とする子どものものと思われ、成人の大きな足跡は子どものものほど見られない」。

 これを説明する仮説として、大人が技術が必要な仕事を担当し、子どもが「運搬」を担当する分業が行われていたことが考えられる。「10代の子どもに年下の子どもたちが同行していたため、多くの足跡がまとまった形で残った」とする説だ。

 研究チームは、人類がこの湖を訪れたのとほぼ同時期に生息していたと思われるマンモスや古代オオカミ、オオナマケモノの足跡も発見した。

 人類が米大陸に定住した時期は、地球上に氷床が最も広く存在していた「最終氷期極大期」が終わった後とする見方が一般的だ。極大期には北米の大部分が氷に覆われ、アジアからの人類の移動が非常に困難だったと考えられているため、今回の発見は一石を投じるものだ。【翻訳編集】 AFPBB News

https://news.yahoo.co.jp/articles/a1d47192593fcc9cdea66294f4b5dbf25643666e

829 :出土地不明:2021/09/26(日) 14:12:32.83 ID:GD74Yk5Y.net
介護を受けた縄文人 「ポリオ」に異説 解明進む世界遺産候補

 子供の頃に手足の麻痺(まひ)が生じたとみられる縄文人の病気に異説が出ている。縄文遺跡「入江貝塚」(北海道洞爺湖町)で出土した人骨はポリオ(小児麻痺)にかかり、介護を受けながら成長したと説明されてきた。しかし、近年は縄文人の暮らしの解明が進み、この人骨もDNA分析で別の病気の可能性が指摘されている。縄文遺跡をめぐっては、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産への登録審議に向けた事前審査の結果が5月にも出される。縄文人の介護も改めて議論を呼びそうだ。(寺田理恵)


 今もイルカが現れる北海道南西部の噴火湾。沿岸には貝塚が密集し、ポリオにかかったとされる人骨が出土した入江貝塚もその一つだ。ここに定住した縄文人はイルカやオットセイ、エゾシカをはじめ旬の山海の幸を食べていた。

 「食料を計画的に確保する生活サイクルができていた。貝塚には食べたものの骨などが残っている。墓も見つかっているので、人骨から分かることも多い」と洞爺湖町教育委員会の学芸員、澤野慶子さん。

 食料を探して移動する生活では、人骨の主も介護を受けるのは難しかったかもしれない。

「野蛮な縄文」覆す
 かつて「中国から稲作が伝わる前の野蛮な時代」とみられていた縄文時代のイメージは、「三内丸山遺跡」(青森市)の平成初期の発掘調査で大きく変わった。大型掘立柱建物など大規模な集落跡が見つかったことがきっかけとなった。

 入江貝塚や三内丸山遺跡は、政府がユネスコ世界文化遺産に推薦した「北海道・北東北の縄文遺跡群」(北海道、青森・岩手・秋田の各県)を構成する17の遺跡に含まれる。「人類は農耕の開始によって定住した」という歴史の見方があるが、縄文遺跡群は農耕をしなくても採集・漁労・狩猟によって定住した証拠となる。入江貝塚では、豊かな海の幸が定住を可能にした。

 ここでは竪穴住居や、大規模な3つの貝塚とその中に形成された墓などが出土している。貝塚は5000〜4000年前の縄文前期から後期にかけてつくられ、墓が設けられていたことから「神聖な場」だったとみられている。

 煮炊きに使われたとされる土器や釣り針などの道具類のほか、新潟県のヒスイや北海道にいないイノシシの牙を人の歯型に彫ったアクセサリーなど、本州との往来を示す証拠も出土している。しかし、解明されていない部分もある。


展示施設に2つの説
 ポリオにかかったとされる人骨は、昭和42年頃に入江貝塚から出土した人骨の一つ。縄文時代の助け合いの精神を示す物証として知られてきた。

 町教委によると、頭の大きさに比べて手足の骨が極端に細く、寝たきりの状態で20歳頃まで成長したと考えられてきた。頭が細いことから女性とみられていたが、国立科学博物館の研究者による近年のDNA分析で男性と判明し、男性に多い筋ジストロフィーの可能性が高くなっているが、いずれも決定的な証拠はない」と澤野さん。

 縄文遺跡群は7月に行われる世界遺産の登録審議に向け、事前審査を担う諮問機関による登録の可否の勧告が5月にも出される。町教委は休館中の出土品展示施設「入江・高砂貝塚館」に講演会などができるスペースを増設し、6月上旬にリニューアルオープンする予定だ。「今後はポリオと筋ジストロフィーの両方の説を紹介したい」としている。

http://sankei.com/article/20210425-4SQNP5OLCNKU5O2TO7A4G3X4MI/

830 :出土地不明:2021/09/27(月) 18:11:21.46 ID:beOumCLT.net
仁徳天皇陵、10月に発掘調査へ 世界遺産登録後初めて
https://www.sankei.com/article/20210927-XH2MN4GO2FKKBJB4BY5MP4USDY/

保全整備に向けて10月から発掘調査が行われる仁徳天皇陵古墳=堺市

保全整備に向けて10月から発掘調査が行われる仁徳天皇陵古墳=堺市
宮内庁と堺市は27日、世界文化遺産「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の一つ、仁徳天皇陵古墳(大山(だいせん)古墳、堺市堺区)の発掘調査を10月から始めると発表した。発掘調査は古墳の保全を目的とした調査で、平成30年以来2回目。令和元年7月の世界遺産登録後では初めてとなる。

今回の調査では、前方後円墳の墳丘を二重に取り囲む堤のうち、内側の第1堤の3カ所を発掘し、遺構や遺物の残存状況を確かめる。調査期間は10月5日から12月上旬。今後の護岸工事など保全整備のための資料収集が狙いとなる。

■ 墳丘は少しずつ削られている

平成30年10〜12月に行われた前回の調査では、第1堤の南側から東側の墳丘前方部に近い範囲で発掘し、1列に並んだ円筒埴輪(はにわ)、石敷きを確認した。今回は調査範囲を広げ、後円部に近い東側から北側を対象とした。

仁徳天皇陵古墳は、墳丘長が486メートルある国内最大の前方後円墳。5世紀前半から中頃の築造とされる。仁徳天皇の陵墓として宮内庁が管理しているが、被葬者は明らかになっておらず、論争が続いている。


宮内庁は「陵墓は皇室の祖先の墓であり、静安と尊厳の保持が最も重要」として、部外者の立ち入りを厳しく制限してきた。地元自治体が参加しての調査自体は異例となっている。

831 :出土地不明:2021/09/30(木) 23:23:54.38 ID:CNyDMACI.net
縄文時代のお守り? 全国最大級の岩版、埼玉・熊谷の上北浦遺跡で出土 付近で調査例少なく貴重な資料に

 埼玉県熊谷市は29日、縄文時代後期・晩期の集落遺跡である同市江波の上北浦遺跡から県内最大、全国最大級の岩版を発見したと発表した。石質は凝灰質泥岩で、大きさは長さ(縦)19・2センチ、幅(横)13・8センチ、厚さ3・2センチ(復元推定長さは20センチ、同幅14センチ)。市によると、岩版は護符(お守り)の用途とする説が一般的で、利根川に近い妻沼低地での縄文時代の遺跡の調査例は少なく、貴重な資料という。

 同遺跡は河川により形成された自然堤防上に存在し、主として今から約3千年前から始まる縄文時代後期・晩期の集落遺跡。発掘調査は工場建設に先立ち、今年4〜6月にかけて実施した。縄文時代後期・晩期では、竪穴建物跡8軒、土坑(どこう)6基を検出。多量の縄文土器のほか、岩版、石棒・石剣、耳飾り、土偶、骨角器など呪術や儀礼に使用した道具が多数出土した。

 岩版は彫り込まれた文様も復元して全体像を知ることができる。岩版はこれまで同市上之の諏訪木遺跡で2点出土し、県内では加須・久喜・蓮田・鴻巣・桶川市などでも出土しているが、同遺跡のものは最も遺存状況が良好。大型の岩版は近隣の群馬県桐生・太田・伊勢崎市、栃木県足利・栃木市などでも出土しており、同遺跡の集落も同じ渡良瀬川や利根川流域の文化圏に属していたことが判明した。

 岩版は中世の堀跡の底面から出土。中世当時に堀を造るための掘削で、下層に存在する縄文時代の遺物包含層を掘り抜いた際、出土した岩版を堀の中に投げ入れたと考えられる。同遺跡の出土遺物は来年度から整理・調査報告作成作業に入るため、現在一般公開していないが、時期をみて市立江南文化財センターなどで展示公開する予定。
https://news.yahoo.co.jp/articles/52f947a9f8b58661d1e5ff45deb36d7c224e1df6

832 : :2021/10/01(金) 16:03:09.23 ID:m8EsCXvr.net
中央アジア初となる「雄牛の地上絵」をシベリア南部で発見!ナスカより2000年古い

ロシアとモンゴルの国境に位置するトゥヴァ共和国にて、中央アジア初となる動物のジオグリフ(地上絵)が発見されました。

大きさは3×4メートルほどで、雄牛をかたどっているとのこと。

製作年代は約4000年前の青銅器時代初期と判明しており、最も有名な「ナスカの地上絵」より、2000年以上も古いと推定されています。

発掘調査には、ロシア科学アカデミー 物質文化史研究所(IIMK RAS)、LLCクラスノヤルスク・ジオアーケオロジー(LLC KG)らが参加しました。

「ナスカの地上絵」より2000年も前に作られた
雄牛の地上絵は、トゥヴァ共和国南西部にあるホンデルグエイ(Khondergey)村の遺跡で発掘調査をしていた研究チームにより発見されました。

この遺跡は、初期青銅器時代の大規模な埋葬地の一部であり、紀元前2000年頃の陶磁器も出土しています。

3×4メートル四方の雄牛のジオグリフは、石や砂利といった耐久性のある自然物を地面に並べるようにして作られていました。

ジオグリフは主に、通常4メートル以上の大きなモチーフのことを指し、地面に素材を配置して作る方法と、地面の一部を削り取って作る方法との2パターンがあります。

これとよく似た古代芸術に「ペトログリフ」というものがありますが、こちらは地面ではなく、岩石の表面を彫刻して作られる比較的小さなロックアートです。

これとよく似た古代芸術に「ペトログリフ」というものがありますが、こちらは地面ではなく、岩石の表面を彫刻して作られる比較的小さなロックアートです。

ジオグリフはこれよりずっと大きく、その多くが上空からでも目立つように作られます。

今回見つかった「雄牛の地上絵」は、頭を含む上半身の部分がすでに紛失している状態でした。

これは1940年代の道路工事で、知らずのうちに破壊されてしまったことが原因とのことです。

一方で、尻尾や後ろ足は保存状態も良く、当時の文化的背景を理解するのに非常に役立つサンプルとなっています。

雄牛のモチーフは、青銅器時代初期の中央アジアにおいて典型的なものでした。

その後、紀元前8〜3世紀のスキタイ文化になると、主要な動物モチーフは雄牛から鹿に取って代わられます。

発掘チームを率いた考古学者のマリナ・キルノフスカヤ氏は、次のように述べています。

「雄牛のペトログリフは、トゥヴァ共和国やその周辺地域でも過去に発見例がありました。

しかし、ジオグリフが見つかったのは初めてであり、中央アジア全体でも前例がありません。

私たちは、このユニークな雄牛が保護対象の一つとして今後も保存されることを望んでいます」

最も有名な地上絵は、南米ペルーにある「ナスカの地上絵」であり、製作年代は約2000年前と考えられます。

描かれた絵はどれもサイズが大きく、全長50メートルは普通で、中には180メートルに達するものもあります。

この他に、イングランド南部にある丘の斜面に描かれた「アフィントンの白馬(Uffington White Horse)」も有名な地上絵の一つです。

こちらは全長が110メートルで、製作年代が約3000年前とされています。

雄牛の地上絵は、これらよりサイズ面で見劣りするものの、製作年代は1000年以上も古いです。

そのため、人類がジオグリフを描くようになった歴史の理解にもつながるかもしれません。

https://nazology.net/archives/97424

833 :♪┌|∵|┘♪ └|∵|┐♪└|∵|┐♪└|∵|┐♪┌|∵|┘♪ └|∵|┐♪:2021/10/07(木) 14:20:07.45 ID:Yf1xoLdH.net
英エリザベス1世の顧問が使用した「霊視鏡」、アステカ起源と判明

(CNN) 英女王エリザベス1世の顧問、ジョン・ディーが16世紀に使用していた「霊視鏡」はアステカ文化の産物であったことが、新たな研究で明らかになった。大英博物館に所蔵されている黒曜石の鏡など4点を分析したところ、メキシコ由来のものと判明した。

ジョン・ディーはエリザベス1世が女王に即位した1558年から1570年代末まで顧問を務めた。占星術師として女王に仕えたほか、科学に関する相談相手にもなっていた。論文を執筆した英マンチェスター大のスチュアート・キャンベル教授によると、ディーは新天地発見のための航海や植民地の設立、航法の改善などを提言したという。

キャンベル氏はメールで、「ジョン・ディーは並外れた歴史上の人物といえる。天文学や錬金術、数学に関心を寄せたルネサンスの碩学(せきがく)で、エリザベス1世の相談相手になっていた」と説明。後年は占いやオカルトにかかわり、鏡や水晶を使う占い師を通じて天使に話しかけようと試みたこともあると指摘した。

この鏡がアステカ文化のものであることは以前から疑われていたものの、どのような経緯でディーの所有物になったのかを示す記録はなかった。

研究チームは今回、地球化学分析を駆使して、黒曜石製の遺物4点にX線を照射。照射により遺物からX線が放出され、黒曜石に含まれる元素が明らかになったことから、これを手がかりに遺物の組成を決定した。ディーの鏡以外にもアステカ製の鏡2点や、黒曜石の長方形の石版を調べた。

分析の結果、4点はいずれもメキシコの黒曜石を素材としていることが判明した。ディーの鏡とそれに類似した鏡はメキシコのパチューカ、3枚目の鏡と石版はウカレオの黒曜石で作られていた。

研究結果は6日付の考古学誌「アンティクイティー」に発表された。

研究者の推定では、ディーの鏡は500年ほど前の品とみられ、スペインによる1521年のメキシコ征服を控えた最後の10年間につくられた可能性が高い。

「スペインの征服者エルナン・コルテスは時折、スペインの宮廷に送る品をアステカの職人に注文していた」とキャンベル氏。「そのため、ジョン・ディーが持っていたような円形の鏡の一部は、欧州に送る目的で、アステカ帝国征服時にアステカの職人によって特別に製造された可能性もある」という。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35177691.html

834 :♪┌|∵|┘♪ └|∵|┐♪└|∵|┐♪└|∵|┐♪┌|∵|┘♪ └|∵|┐♪:2021/10/09(土) 14:28:42.32 ID:gSjfsX9j.net
呪術に使用? 埼玉県最大級、縄文時代「岩版」出土、表裏に文様

 埼玉県熊谷市教育委員会は同市江波の縄文時代後・晩期の上北浦(かみきたうら)遺跡から、県内最大級の「岩版(がんばん)」が出土したと発表した。岩版は呪術に使われたとされる。群馬、栃木両県にまたがる半径10キロ圏内で同じような大型岩版が見つかっており、市教委は「広範囲の文化圏の存在を示唆する遺物」と評価している。

 上北浦遺跡は、3000年前から始まる縄文後期の集落跡。工場建設に伴い、市教委は2021年4月から発掘調査を進めていた。見つかった岩版は加工しやすい泥岩で、長さ19・2センチ、幅13・8センチ。一部欠けており、復元すると長さ20センチ、幅14センチと推定される。表裏ともに「I」字形の文様が刻まれている。岩版は縄文晩期に関東、東北地方で発達し、宗教的な遺物と考えられている。

 市教委が今回、貴重だとしているのは、その大きさだ。市内や加須市などでこれまで見つかっているものの2倍程度の大きさがある。全国最大の岩版は、群馬県伊勢崎市の北米岡遺跡からの出土品(長さ26・2センチ、幅16・6センチ)で、国の重要文化財に指定されている。上北浦の発掘を担当した熊谷市社会教育課文化財保護係の山川守男さんは「北米岡遺跡の岩版と比べても遜色ない。全国最大級と言えるでしょう」と胸を張った。

その山川さんが注目するのは、北米岡遺跡も含めて、大型の岩版が出土している群馬県太田市・桐生市、栃木県足利市・栃木市、そして今回の上北浦遺跡がほぼ半径10キロの範囲に収まっている点だ。山川さんは「渡良瀬川、利根川を挟んだエリアに大きな集落があり、岩版をまつるような共通の文化を持っていたと言えると思う。重要な発見だ」と話している。

https://news.yahoo.co.jp/articles/08ab21f6a97111b20ff8c8eb4ed8027ead24a939

835 :出土地不明:2021/10/12(火) 18:35:52.64 ID:5AwBT32R.net
世界「最大」のワイナリー 1500年前の遺跡発見 イスラエル

【10月12日 AFP】イスラエルの考古学者らは11日、約1500年前のビザンツ(Byzantine)帝国時代にワインの生産を産業規模で行っていたワイナリーの遺跡をテルアビブ南方のヤブネ(Yavne)で発見したと発表した。年間約200万リットルのワインを生産していたとされ、当時としては世界「最大」だったとみられる。

 広さ1平方キロメートル以上あるワイナリーには、ブドウ圧搾所が5か所あった。

 イスラエル考古学庁(IAA)によると、遺跡にはワインの熟成と販売に使うための倉庫、ワインの貯蔵で使うアンフォラ(容器)を焼く窯、「完全な形の陶製のつぼや無数のかけら」が埋もれていた。

 考古学庁の研究者は、ここで生産されていたワインについて、輸出に使われていた近くの港の名から「ガザとアシュケロンのワイン(Gaza and Ashkelon wine)」と呼ばれていたと話し、聖地で生産されたワインとして珍重されたことを説明した。

 2年に及んだ発掘作業中、同じ発掘現場から約2300年前のペルシャ帝国時代のワイン圧搾施設も見つかっている。(c)AFP

https://www.afpbb.com/articles/-/3370385?cx_part=latest

836 :出土地不明:2021/10/13(水) 21:57:01.42 ID:9cQuTFDH.net
縄文後期の遺跡で焼けた人骨発見 珍しい埋葬方法 阿賀野

およそ4000年前の縄文時代後期の集落の跡が見つかっている阿賀野市にある遺跡で、国内で最も古い部類の焼けた人骨が見つかり、専門家が分析したところ、愛知県でしか見つかっていない珍しい埋葬方法に似ていることが分かりました。

阿賀野市百津にある土橋遺跡は、およそ4000年前の縄文時代後期の集落跡で、市が去年まで行っていた発掘調査では、県内で最大のサイズのハート形の土偶の頭部などが見つかっています。
調査では、国内で最も古い部類の焼けた人骨も見つかっていて、市が専門家に依頼して分析を進めていました。
その結果、複数の焼けた人骨が1か所に集められ、頭蓋骨やろっ骨などを上腕骨と脚のけい骨で四角形に囲む方法で埋葬された可能性があることが分かったということです。
専門家によりますと、骨は焼かれてはいないものの、似たような埋葬方法は三河地方など愛知県内のおよそ3000年前の縄文時代晩期の遺跡からしか見つかっていないということです。
また、当時は土葬が一般的でしたが、こうした埋葬を行った理由について専門家は今後、解明していきたいとしています。
新潟医療福祉大学の奈良貴史教授は「新潟で縄文時代の人骨が出土するのは珍しく、とてもわくわくした。縄文時代の人の埋葬文化、習俗や衛生環境など多くのことが明らかになる1ページ目になるのではないか」と話していました。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20211013/1030018576.html

837 :出土地不明:2021/10/18(月) 21:01:42.66 ID:k0XwFNug.net
「ネイティブアメリカンの祖先は日本人」という説が否定される

アメリカで出土した石器と縄文人の石器の類似性に着目した過去の研究により、「ネイティブ・アメリカンの祖先は日本人ではないか?」という説が提唱されました。しかし、ネイティブ・アメリカンと縄文人の化石を比較した新たな研究により、この説が覆されるような証拠が示されました。

ネバダ大学リノ校人類学部のリチャード・スコット教授によると、ネイティブ・アメリカンの祖先は日本人だとする説は、考古学者の間で広く受け入れられているとのこと。しかし、「石器が似ているので起源も同一だろう」という考えに納得できなかったスコット教授らは、定説を検証する研究に乗り出しました。

https://gigazine.net/news/20211015-native-american-origin-debunked/

838 :出土地不明:2021/10/22(金) 13:45:53.45 ID:qxctXRin.net
沖縄サキタリ洞遺跡「日本最古の彩色装飾品」 貝製ビーズに赤い顔料

 沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で8年前に出土した約2万3千年前(後期旧石器時代)の貝製ビーズに赤い顔料が付着しているのが見つかった。
 県立博物館・美術館は21日、日本最古の人為的に着色された装飾であることが分かったと発表した。
 同遺跡のやや新しい時代の層からは円柱状の顔料の塊も出土しており、旧石器人の「クレヨン」の可能性があるという。

 ビーズはツノガイの殻を輪切りにしたもので、長さ約1・3センチ。同館が2013年に行った発掘調査で出土した。18年に同遺跡で約5500年前(縄文時代前期)の赤色顔料が見つかったために出土資料を再確認していたところ、ツノガイ製ビーズの表面の溝状の筋に赤い顔料が付着しているのが見つかった。

 顔料を分析した結果、鉄分が多く含まれており、縄文時代以降も赤色顔料として広く使われるベンガラ(酸化鉄)とみられる。

 国内では東京都府中市の武蔵台遺跡で、顔料をすりつぶすための約3万5千年前の叩(たた)き石に赤い顔料が付着しているのが見つかっているが、顔料が人為的に塗られた出土品はなかった。サキタリ洞遺跡では2万3千〜2万年前に二枚貝やツノガイを加工して、釣り針やナイフ、装飾品などの貝器をつくっていたと見られ、装飾品の一部を顔料で着色していた可能性がある。
沖縄サキタリ洞遺跡「日本最古の彩色装飾品」 貝製ビーズに赤い顔料

 沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で8年前に出土した約2万3千年前(後期旧石器時代)の貝製ビーズに赤い顔料が付着しているのが見つかった。
 県立博物館・美術館は21日、日本最古の人為的に着色された装飾であることが分かったと発表した。
 同遺跡のやや新しい時代の層からは円柱状の顔料の塊も出土しており、旧石器人の「クレヨン」の可能性があるという。

 ビーズはツノガイの殻を輪切りにしたもので、長さ約1・3センチ。同館が2013年に行った発掘調査で出土した。18年に同遺跡で約5500年前(縄文時代前期)の赤色顔料が見つかったために出土資料を再確認していたところ、ツノガイ製ビーズの表面の溝状の筋に赤い顔料が付着しているのが見つかった。

 顔料を分析した結果、鉄分が多く含まれており、縄文時代以降も赤色顔料として広く使われるベンガラ(酸化鉄)とみられる。

 国内では東京都府中市の武蔵台遺跡で、顔料をすりつぶすための約3万5千年前の叩(たた)き石に赤い顔料が付着しているのが見つかっているが、顔料が人為的に塗られた出土品はなかった。サキタリ洞遺跡では2万3千〜2万年前に二枚貝やツノガイを加工して、釣り針やナイフ、装飾品などの貝器をつくっていたと見られ、装飾品の一部を顔料で着色していた可能性がある。

 また、約1万6千〜1万3千年前の層の出土品からは、長さ1・6センチ、直径0・7センチの円柱状の顔料の塊が見つかった。両端がすり減っており、「クレヨン」のような使われ方をしたと推定されるという。

 サキタリ洞遺跡を調査した山崎真治・主任学芸員は「ビーズを彩色した例は東南アジアやオーストラリアにもあり、サキタリ洞遺跡の旧石器人のルーツの解明につながる可能性がある」と話している。顔料が見つかったビーズは22日から、県立博物館・美術館で開催中の企画展「海とジュゴンと貝塚人」で展示される。

https://news.yahoo.co.jp/articles/57735d66e18569c7b15178cfa72a5183783428b5

839 :出土地不明:2021/10/24(日) 03:05:17.15 ID:Xakx+Gm6.net
https://live.fc2.com/3869282/

840 :出土地不明:2021/10/24(日) 18:15:28.08 ID:kU+jgfYd.net
【10月22日 AFP】エルサレム旧市街(Old City)にある「嘆きの壁(Western Wall)」の基礎部分から、2000年前のアメジストの印章が見つかった。

 都市遺跡「ダビデの町(City of David)」の北側で見つかった印章には、鳥と枝の模様が彫られていた。
 枝は、聖書でバルサムの木として登場する植物のものを表しているとみられる。
 この植物の模様が施された印章が見つかるのは世界初と考えられるという。

AFPBB NEWS 2021年10月22日 16:26
https://www.afpbb.com/articles/-/3372113

841 :出土地不明:2021/10/25(月) 00:28:02.90 ID:EKdOivYa.net
古代核戦争説?

842 ::2021/10/26(火) 15:07:32.65 ID:Sc/WrWXH.net
メキシコで古代遺跡群発見
配置、暦に関連か

 マヤ文明とオルメカ文明が栄えたメキシコ南部で、紀元前1100年から同400年ごろに造られたとみられる特徴的な478の遺跡群を発見したと、国際調査団が25日付英科学誌に発表した。団長の猪俣健・米アリゾナ大教授によると、多くの人が集まる祭礼の場だったと推定される。さらに、遺跡の配置が暦と関連するとみられ「この地域の文明の起源解明につながる」と指摘している。

 調査団は昨年6月、マヤ文明最古で最大の構造物が見つかったと発表。今回は周辺を調査した。上空からレーザーを使って実施した観測データを基に8万5千平方キロの範囲を分析し、似たような構造の遺跡を多数発見した。

共同通信 2021/10/26 00:11
https://nordot.app/825386440107655168

843 :出土地不明:2021/10/28(木) 16:19:51.05 ID:njmbjN1S.net
1000年前の「黄金のマスク」に人間の血が塗られていたことが判明


 1990年代初頭、南米・ペルーで約1000年前の墓が発掘され、中から黄金のマスクをつけた頭蓋骨が発見されました。
 この黄金のマスクは赤く塗られており、長らく原料が不明のままだったのですが、最新の分析により、原料に人間の血液が含まれていることが判明しました。

Human Blood and Bird Egg Proteins Identified in Red Paint Covering a 1000-Year-Old Gold Mask from Peru | Journal of Proteome Research
https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.jproteome.1c00472

Red paint on 1,000-year-old gold mask from Peru contains human blood proteins -- ScienceDaily
https://www.sciencedaily.com/releases/2021/10/211027121956.htm

インカ帝国以前の750年〜1350年頃に、ペルー北部沿岸ではシカン文化が栄えたといわれています。1990年代の初頭、考古学者の島田泉氏ら調査チームが、社会的地位が高いとみられる男性の墓を発掘。墓の中央にある人骨は赤い塗料で塗られ、上下さかさまの状態で埋められていたとのこと。このとき、男性の頭蓋骨は体から切り離された状態で、赤く塗られた黄金のマスクを装着していました。また男性の骨の近くには、妊婦と助産婦のポーズをとった若い女性2人の骨と、子ども2人の骨が配置されていたそうです。


当時、マスクに使われている塗料が辰砂であることまでは判明していましたが、塗料に含まれる有機体が何なのかまでは長らく不明のままでした。しかし、この有機体により塗料がマスクに定着し、1000年以上にわたって色が残り続けたことから、考古学者のLuciana de Costa Carvalho氏やJames McCullagh氏は有機体の正体を明かすべく、新たに分析を試みました。

研究者らが少量の塗料をフーリエ変換赤外分光光度計で分析したところ、まず塗料にはたんぱく質が含まれることが判明。その後、タンデム質量分析法を用いてプロテオーム解析したところ、研究者は人間の血液に含まれる血清・アルブミン・免疫グロブリンGといった6つのたんぱく質を同定しました。また、塗料には卵白由来のたんぱく質も含まれていたことも明らかになっています。たんぱく質の劣化が激しくどの鳥の卵かまでは特定できなかったものの、おそらくノバリケンだと研究者は推測しています。

辰砂をベースとした塗料は、社会的地位の高い人物がつけたり、儀式に関連した重要なアイテムに使われたりといった使用法が確認されています。このことから、当時は辰砂が生命力を表していたと考えられており、人間の血液が塗料として使われていたという事実はこの文脈に沿うものだと研究者は記しました。


Gigazine 2021年10月28日 14時00分
https://gigazine.net/news/20211028-human-blood-1000-year-old-gold-mask/

844 :出土地不明:2021/10/30(土) 14:19:41.30 ID:8ylRSVx/.net
考古学誕生から200年、最初は盗掘と大差なかった

 過去2世紀ほどで、人類の歴史に対する理解は一気に深まった。
 そのきっかけとなったのが、考古学という学問分野の誕生だ。

 考古学は初めのうち、昔ながらの盗掘と大差なかった。
 欧州列強の考古学者や探検家は競って、遠隔地から運ばせた彫像や宝飾品で自宅の飾り棚を埋め尽くした。
 それでも、新たな学問分野の誕生で未曽有の発見の時代が到来し、人類の豊かな多様性ばかりか、人類共通の特性についても理解が大いに深まった。

 1710年にはフランスの貴族が作業員を雇って、紀元79年のベスビオ山の大噴火後にほぼ手つかずのまま埋もれていた、ポンペイの近くの町ヘルクラネウムを発掘させた。火山灰の下から姿を現した大理石の彫像は人々を熱狂させ、欧州全域で古代遺跡の発掘ブームが巻き起こった。

 19世紀半ばには、欧州の人々はすでに世界各地で発掘を行っていた。とはいっても学術的な調査に取り組んだ人はごくわずかで、大半は外交官や軍人、スパイ、裕福な実業家だ。ほぼ例外なく男性で、植民地拡大の動きと関わりの深い人々だった。彼らは植民地における影響力や権限を利用して、調査のみならず強奪も行った。エジプトのミイラやアッシリアの彫像、古代ギリシャの浮き彫りを施した小壁など、めぼしい出土品をせっせと目録に記載し、博物館や個人のコレクションに収めるために祖国に送らせたのだ。

 時代は飛んで「狂騒の1920年代」には、エジプトのツタンカーメン王の墓やメソポタミアのウルの王墓から見つかった目のくらむような宝飾品の数々が新聞や雑誌に大々的に取り上げられ、美術、建築、ファッションに多大な影響を与えた。しかし、その頃までには学識のある専門家たちは気づき始めていた。考古学的に最も価値があるのは、黄金の財宝ではなく、土器の破片や打ち捨てられた骨から引き出せるデータなのだ、と。

 21世紀に入ると、考古学研究は発掘現場よりも実験室で行われることが多くなり、かつてはあまり価値がないと思われていた種子の燃え殻や人糞、壺の底にこびりついた残存物などが注目されるようになる。こうした遺物も入念に分析すれば、当時の食生活や交易網、さらには人々のルーツなどを知る手がかりになる。

 先端技術で岩絵の年代も測定できるようになり、オーストラリアの先住民アボリジニの祖先など、ほとんど記録を残さなかった人々の文化にも光が当たるようになった。ダイバーたちの活躍で、はるか昔から海底に眠ってきた遺跡や遺物にも探査の手が伸び、青銅器時代の商船から、有名な難破船タイタニック号まで、沈没船の調査が行われている。

 ここ数十年に起きた最も革命的な進展を一つ挙げるとすれば、それは古い骨から遺伝物質を抽出できるようになったことだ。太古のDNAの解析は、はるか昔に絶滅したヒトの近縁種デニソワ人や、インドネシアのフローレス島にいた超小型の原人の発見につながった。  

 世界の6大陸でこの2世紀の間に行われた発掘調査は、ほとんど知られていなかった過去に“声”を与えた。出土した遺跡や遺物を通じて、それまで存在すら知られていなかった私たちの遠い祖先が自らの物語を語り始めたのだ。

※ナショナル ジオグラフィック日本版11月号特集「世界を驚かせた考古学の発見100」より抜粋。

文=アンドリュー・ロウラー(科学ジャーナリスト)

ナショナル ジオグラフィック日本版 10/29(金) 16:14
https://news.yahoo.co.jp/articles/9b4f55b9d1bc91d7a23b3380b837295ab54dbafa

845 ::2021/11/05(金) 13:04:06.08 ID:cujX3sHm.net
古代エジプト人も“動脈硬化”だった。最先端CTスキャンで「ミイラ」を調べてわかったこと

 今から2000年〜3000年前の古代エジプトを生きた人々は、どんな生活をしていたのか──。

 ミイラ化されて手厚く葬られた6人の「人生」を、最先端の技術を用いて解き明かそうと試みた「大英博物館ミイラ展 古代エジプト6つの物語」が10月14日から国立科学博物館(東京・上野)で開かれている。

この展覧会では、暮らした時代、年齢、社会的地位が異なる6人のミイラが紹介されている。6人はそれぞれ紀元前800年〜紀元後100年頃にかけて古代エジプトを生きた人々だ。

展示会最大の特徴は、実際のミイラとミイラ内部の高精細な3次元構築画像を並列させた展示だ。

イギリスの大英博物館は最先端のCTスキャンでミイラを解析。頭頂部から足先までを輪切り状に撮影した1体あたり約7000枚にもなる画像をつないで、3次元構築画像を作成した。

ミイラそのものに加えて、当時の信仰や食事、化粧用品、装飾品などの生活習慣も紹介。ナイル川流域での生と死にまつわるさまざまな側面に光を当てる。

大英博物館のハートウィグ・フィッシャー館長は、本展の図録でCTスキャンによる解析の成果をこうつづっている。

「古代エジプト人は文字による記録を多数残しましたが、それらが語るのは一部のことでしかありません。本展の目玉である6体のミイラを、CTスキャンを用いた画像解析技術を駆使して研究した結果、他の情報源からはなかなか得ることができない独自の発見がありました」

「これら6体のミイラを通して古代エジプト人の生活や健康状態、病歴を調査し、信仰や葬祭儀礼、日常の慣習についても詳細が明らかになりました」

ミイラの「透視」で動脈硬化、悪性腫瘍の骨転移も判明

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

BUSINESS INSIDER JAPAN 11/4(木) 20:00
https://news.yahoo.co.jp/articles/45fb606a564e1c5cdf28dc03b6f24d8f4660935c

846 :卍3286卍ss:2021/11/06(土) 12:35:11.18 ID:YnRyULvF.net
ウクライナのフーストにはホンモノの呪術使いがいます。。
バーゼルからのライン上にアレが現れるようです。

847 :卍3286卍ss:2021/11/06(土) 12:58:45.15 ID:YnRyULvF.net
以前より言ってますが はやし氏の行跡は先に海外で認められるでしょう。。
結果 日本はアトにナリます。

848 ::2021/11/06(土) 13:01:27.32 ID:6dLQd2IR.net
25万年前に絶滅した小型ヒト属の「こぶしサイズの頭蓋骨」を発見

 南アフリカにある遺跡で、約25万年前の絶滅したヒト属の頭蓋骨が発見されました。

 「ホモ・ナレディ(Homo naledi)」という非常に小柄なヒト属のもので、大きさは握り拳ほどしかありません。

 子どもの頭蓋骨と推定されており、岩壁の間に安置されるように置いてあったとのこと。

 ここから、ヒト属における埋葬文化が、従来考えられていたより、ずっと前から存在していたことが示唆されています。

 研究は、11月4日付けで学術誌『PaleoAnthropology』に掲載されました。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

ナゾロジー 2021.11.05
https://nazology.net/archives/99438

849 :生命体5618:2021/11/06(土) 13:39:59.27 ID:bH47Lgxt.net
>>847

>>67
>笛吹けど踊らず…海外向け動画の再生回数は、ほとんどが100回にも届かないし
>コメントなどに好意的な反応も全く無いのであった…(* ̄∇ ̄*)
>まあ聖書やルネッサンス期の芸術の知識や情報が深く多い海外の人々にしたら
>イエス・キリストや聖母マリア、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとする芸術家たちに対する
>間違いとこじつけ・捏造に満ちた罵詈雑言じみたトンデモ動画など
>ちょっと見たら見る価値のないことマトモに取り合うほどの値打ちもないのだろうな

自分が求める情報が得られなかったからって、情報を提供してくれた人に不満や愚痴を返す人(>>93)は、
国内はもちろん、海外でも認めてくれないと思いますよ。

850 :出土地不明:2021/11/06(土) 14:42:01.23 ID:k2seVnBg.net
マヤ文明の遺跡400ヶ所、空からの測量で一挙発見 日本人考古学者率いる米チーム


2021年11月4日(木)18時11分
青葉やまと


https://www.newsweekjapan.jp/stories/assets_c/2021/11/20211025_lidarmainimage-thumb-720xauto-286943.jpg
航空LIDARで調査されたメキシコ南部のアグアダ・フェニックス遺跡  T. INOMATA  T. INOMATA




<自動運転でも使われるLIDARによる測量が、考古学の常識を変えつつある>

メキシコ南部、サン・ペドロ河流域に位置するアグアダ・フェニックス遺跡で、草木に埋もれた古代都市の姿が浮かび上がった。調査は米アリゾナ大学の猪俣健教授(考古学、古代マヤ文明)が主導し、10月25日付で学術誌『ネイチャー・ヒューマン・ビヘイビア』に掲載された。

調査に活用されたのは航空LIDAR(ライダー)と呼ばれる技術だ。航空機またはドローンからレーザーパルスを照射し、反射波が戻るまでの時間差を測定することで地表面の高低差を導き出す。こと草木に埋もれた現地においては、藪に分け入らずとも広範囲を調査できることから、考古学の調査手法に革命的な変化をもたらしている。
     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/11/400-11_1.php

851 :生命体5618:2021/11/07(日) 16:13:04.17 ID:xAHI8sHF.net
>>847
「行跡」じゃあなくて「業績」な

852 :出土地不明:2021/11/10(水) 17:00:54.22 ID:vq9iJ2nD.net
沖縄で1万年前の人骨 旧石器人と縄文人つなぐ資料に
朝日新聞社 2021/11/09 09:00

 沖縄県うるま市の藪地(やぶち)洞穴遺跡で、約1万〜9千年前の人骨片が出土したと、8日、市教育委員会が発表した。見つかったのは頭骨の額部分で、沖縄でこれまで空白になっていた、約1万4千年前以前の「港川人」など旧石器人と、約7千年前以降の貝塚人(沖縄の縄文人)の間を埋める資料として注目される。

 藪地洞穴遺跡は、九州以北では縄文時代早期にあたる時期の土器や石器が出土している。2014〜16年に市教委が発掘調査し、沖縄では最古となる約1万年前の土器が出土した。

 その後の出土品の整理で、石の破片と思われていたものが人骨片と判明したという。出土した上下の地層に含まれた炭化物の放射性炭素年代から、沖縄の時代区分では貝塚時代前期、九州以北の時代区分では縄文時代早期の約1万〜9千年前のものと判定された。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%81%A71%E4%B8%87%E5%B9%B4%E5%89%8D%E3%81%AE%E4%BA%BA%E9%AA%A8-%E6%97%A7%E7%9F%B3%E5%99%A8%E4%BA%BA%E3%81%A8%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%A4%E3%81%AA%E3%81%90%E8%B3%87%E6%96%99%E3%81%AB/ar-AAQsRS9

853 :♪┌|∵|┘♪ └|∵|┐♪└|∵|┐♪└|∵|┐♪┌|∵|┘♪ └|∵|┐♪:2021/11/13(土) 14:07:42.44 ID:7HTIhh40.net
国内最古の「土面」見つかる…八戸の是川石器時代遺跡、縄文時代中期前半

 世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産で、青森県八戸市にある是川(これかわ)石器時代遺跡から、縄文時代中期前半(5300〜5100年前)に作られたとみられる土面が見つかった。市埋蔵文化財センター是川縄文館が12日発表した。これまで国内最古とされてきた、徳島市の矢野遺跡の土面よりも1000年ほど古いという。

 土面は顔を表現した土製品で、宗教的な儀式などに使われたとされる。

 是川石器時代遺跡で見つかった土面は重さが約46グラムで、長さ8・0センチ、幅8・1センチ、厚さ1・2センチ。全体の4分の1ほどが欠けているが、目を表現したような穴や眉を模したような隆起がある。ひもを通す穴はなく、顔にはつけずに手で掲げるようにして使ったと考えられている。

 土面は今年6月、同遺跡南側で行われた発掘調査で、土器などの捨て場とされる場所で見つかった。周辺にあった土器片は既に縄文時代中期前半のものと判明しており、土面にもこの時代に特徴的な装飾が確認できたという。

 縄文時代の土面は全国で150点以上見つかっており、縄文時代後期初頭(約4000年前)の国重要文化財「徳島県矢野遺跡出土品」のものが国内最古とされていた。文化庁の原田昌幸・主任文化財調査官は、今回の発見を「土面の起源を遡るうえで、大変貴重な出土例だ」としている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/552b8643a4e04c29b1ff266d494ab944467d0fc8

854 :出土地不明:2021/11/20(土) 19:08:00.56 ID:FMKOoouD.net
仁徳天皇陵(大山古墳)の堤の内側で埴輪が見つかる 堤の両側に埴輪が並ぶ壮大な姿だった

世界文化遺産「仁徳天皇陵」新たに埴輪が見つかる 宮内庁の調査「やはりあったんだという感じがする」

堺市にある世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の仁徳天皇陵で、新たに見つかった埴輪が報道陣に公開されました。

巨大な前方後円墳で仁徳天皇陵として知られる大山古墳では、堺市と宮内庁が保全工事のための事前調査を行っています。

2度目となる今回の調査では、古墳を取り囲む堤の内側で、直径30センチほどの筒の形をした埴輪の列の一部が初めて見つかりました。

前回の調査で埴輪は堤の外側からも見つかっていて、堤の両側に埴輪が並ぶ壮大な姿だったとみられます。

宮内庁の担当者は「やはりあったんだという感じがする。代々大事な場所として守られてきていた」と話しています。

今後は、見つかった遺構などに配慮しながら、保全工事が計画されます。

https://news.yahoo.co.jp/articles/74902d1ec9bb5de76c493e6bc848f97c3ade77d6
2021年11月19日 12時33分

855 ::2021/11/22(月) 19:05:42.16 ID:NYTsY6Uh.net
3500年前に! 最古の幽霊ネタ発見 古代バビロニア粘土板の悪魔祓い儀式

 大英博物館の所蔵品から3500年前に書かれた世界最古の“怪談”が発見された。古代バビロニアの粘土板に、両手を縛られた幽霊が恋人に歩かされている様子が刻まれている。幽霊にはヒゲが描かれているので男性だろう。粘土板のテキストには「2人が一緒に冥界へと幸せに旅立つための儀式」の概要が記されているという。

 大英博物館の中東部門を扱うアーヴィング・フィンケル博士は「粘土板に描かれているのは、悪魔払いの儀式で、幽霊の姿が記された古代の壮大な作品なのは間違いない」と話している。

 複数の英メディアによると、この粘土板は19世紀に大英博物館が入手して以来、調査も展示もされず、倉庫に埋もれていた。描かれた幽霊は線が非常に薄くなっており、明るい照明を照らすと線が浮かび上がってきた。

 粘土板の裏面には悪魔払いの手順が記され、最後には「後ろを見てはいけない」と警告文が刻まれていた。

 フィンケル氏は「これは世界で最も古い怪談でしょう。人類が恐怖を抱いてきた存在である幽霊の話が3500年前に存在していたのです。古代のホラーと言えばいつもエジプトだから、それより古いと言えるでしょう」と語っている。

 オカルト評論家の山口敏太郎氏は「人類の歴史が始まって以来、霊の話が途切れることはありません。古代の日本人が死者の復活を恐れて屈葬をしたように、古代から人類は霊に対して多大なる恐怖心を持って迎えてきました。逆説的には、生きることの素晴らしさを表現しており、死への限りない恐怖を表していると言えるでしょう。つまり、霊という幻想が生まれてから、人類の文化が始まったと言えなくもない。霊の誕生は文化の誕生を意味しているのです」と指摘している。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e41f70da37f4d684e602397fe5057ffef06ff9f0

856 :出土地不明:2021/11/24(水) 14:56:07.83 ID:FBtflD74.net
マヤ文明の遺跡400ヶ所、空からの測量で一挙発見 日本人考古学者率いる米チーム
https://president.jp/articles/-/51944?page=1

857 :出土地不明:2021/11/25(木) 12:48:26.71 ID:HHOSUhgH.net
 「世界最古の神殿」ではないかと注目され、世界遺産にも登録されたトルコ・アナトリア地方の巨石遺構について、千葉工業大や東京大などの研究者でつくる日本のチームが調査に加わることで、トルコ文化観光省との合意がこのほど成立した。最新の科学的な手法も取り入れて約1万2千年前とされる遺構の年代や広がりを確かめ、文明の起源を探る。

 巨石遺構はアナトリア地方南東部、「肥沃(ひよく)な三日月地帯」として知られるユーフラテス川上流域のギョベックリテペとカラハンテペ両遺跡。

 ギョベックリテペ遺跡は1995〜2014年にドイツの調査隊が発掘し、高さ1・5〜6メートルのT字形の石柱で囲まれた神殿跡とみられる遺構6基が見つかった。石柱は約120本確認され、ライオンやオオカミなどの浮き彫りが施されたものもある。放射性物質による年代測定で、建設が始まったのは約1万2千年前とみられることがわかった。18年に世界遺産になった。

 南東へ約30キロ離れたカラハンテペ遺跡は97年、トルコの調査隊によって確認され、200本を超すT字形の石柱が見つかった。ギョベックリテペより大規模とみられている。両遺跡ともトルコのイスタンブール大学が発掘中で、日本の調査隊は磁気やレーダーを使って地中の遺構を調べる物理探査に取り組む。

 日本隊はさらに、ギョベックリテペの西約30キロのアヤンラル遺跡を発掘する。神殿を築いた集団の居住跡の可能性が指摘されている。これまでの調査や交流の実績のほか、技術力の高さなどからトルコ側が協力を求めていたという。

 巨石遺構が注目されるのは、約1万2千年前とされる建設年代からだ。人類が農耕や牧畜を始めたとされる時期を2千年以上さかのぼる。エジプトのピラミッドやメソポタミアの都市国家遺跡より7千年ほど古い。
https://www.asahi.com/articles/ASPCR5S76PC3PLZU006.html?iref=com_rnavi_arank_nr03

858 :出土地不明:2021/11/30(火) 14:20:59.48 ID:Zsow7AjS.net
縄でしばられたミイラ発掘、当時の重要人物か ペルー

(CNN) 南米ペルーの首都リマの近郊で、推定800年〜1200年前のミイラ1体が発掘された。

ミイラはリマから約25キロ内陸部のカハマルキージャで、ペルーのサンマルコス国立大学の研究チームが発見した。

ミイラは縄でしばられ、両手で顔を覆っていた。研究チームによると、これはペルー南部の葬儀の習慣だという。ミイラの年代は、スペインに征服される前の時代、さらには15世紀のマチュピチュ遺跡で知られるインカ文明よりも前の時代にさかのぼる。

発掘を率いた考古学者によると、今回発見されたミイラは山間部からカハマルキージャにやって来た25〜30歳の男性だった可能性が大きい。カハマルキージャはかつて商業中心地として栄えていた。

発掘は10月中旬から始まった。しかし探していたのはミイラではなかったことから、今回の発見は予想外だった。

ミイラが埋葬されていた墓の前では複数の海洋軟体動物も見つかった。カハマルキージャは海岸から約25メートル離れており、これも研究チームにとって予想外だった。

「遺体が墓に安置された後も、持続的な行事や活動があった」と研究者は解説する。「長年の間、子孫が戻って来ては、軟体動物などの食事や供え物を置いていた」

墓の外ではラマの骨も見つかった。当時の人たちは普通にラマを食べていたことから、死者のためにラマ肉が供えられていたのだろうと研究者は推測する。

発見された状況から推測すると、このミイラは一般市民ではなく、当時の社会で地位の高い重要人物だったと思われる。有力な交易商だったとする説などがあると研究者は言い添えた。

研究チームは炭素年代測定などの分析を行ってミイラの年代を絞り込み、人物像についてもさらに詳しく調べることにしている。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35180082.html

859 :出土地不明:2021/12/05(日) 13:43:46.28 ID:lorfgwJW.net
謎の巨大六角遺跡 民間から無償取得 市原市 全長60メートル、有力者の墓か

 市原市は、巨大な古墳を含む同市海保の土地を民間から無償で取得した。
 古墳は「海保大塚(かいほおおつか)古墳」と呼ばれ、墳丘の全長は60メートル(高さ約8メートル)もある。
 市埋蔵文化財調査センターによると、4世紀末の築造とみられ、この時期の円墳としては県内最大級という。
 この地一帯を治めた有力者の墓の可能性が高く、六角形という極めて珍しい形状をしているなど謎も多い。
 市は「国指定史跡を目指す姉崎古墳群を構成する主要古墳の一つ」と重要視している。

 土地は大手建設会社の大成建設(東京都新宿区)が1960年代から所有しており、2万5750平方メートル(評価額404万円)を7月29日付で無償譲渡。市は寄付を受け今月1日、表彰状を贈呈した。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)

千葉日報オンライン 12/3(金) 19:17
https://news.yahoo.co.jp/articles/34ac7f75ca0d1eb95b56e76f1fd8a4db27ffb770

860 ::2021/12/12(日) 13:08:03.30 ID:BydOatCL.net
古代ローマ時代のはりつけの刑か、かかとに釘刺さった骨格発見 英

ロンドン(CNN) 英イングランド東部ケンブリッジシャー州のフェンスタントンで、かかとにくぎの刺さった男性の骨格が見つかったことが8日、明らかになった。考古学者らは欧州北部ではりつけの刑が行われていたことを示す初の事例とみている。

考古学者のチームは2017年、フェンスタントンで道路脇の集落を発掘中に骨格を発見した。フェンスタントンはローマ時代の街をつなぐ道路に面した位置にある。

一帯には鉄器時代の遺跡も複数存在するが、専門家によると、少なくとも6万平方メートルに広がるこの集落は、ローマ時代後期の1世紀もしくは2世紀初頭に建設されたとみられる。

専門家らは調査の結果、計48人の遺骨が収められた墓地5カ所と少数の孤立した埋葬地を発見。墓の中から、かかとにくぎが刺さった25〜35歳の男性の骨格が見つかった。

男性の骨格の周辺では12本のくぎが見つかっており、専門家は、男性が板かひつぎ台の上に乗せられたことを示すものと見ている。13本目のくぎは男性の右のかかとの骨を水平に貫通していた。

考古学者らは報道声明で、「遺体が置かれていた木製の土台を建設中に、くぎが偶然刺さった可能性は考えにくいと思われる。実際、最初に骨を突き刺そうとして失敗したことを示唆する2つ目の浅い穴の形跡もある」と指摘。これをもって男性がはりつけにされたことを示す決定的な証拠とすることはできないが、それが唯一ありそうな説明だと見られると述べた。

専門家によると、骨に刺さったくぎが残っている例はこの他には一つのみで、エルサレム北部で1968年の建設作業中に発見された。イタリアやエジプトでも同様の穴が空いた骨格が見つかっているものの、くぎは存在しなかった。

研究チームによると、ローマ時代にははりつけの刑が比較的広まっていたが、十字架にかけられる犠牲者はくぎで打ち付けられるのではなく、ひもで縛り付けられることが多かった。くぎを使う場合も後で外すのが普通だったという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5fbb1f1f046576e7e7694c4e57528a334036680b

861 :出土地不明:2021/12/17(金) 19:44:08.03 ID:wdcuwBOn.net
1万年前の女の赤ちゃんの墓を発見、欧州最古、手厚く埋葬

珍しくDNAが残存、赤ちゃんも「ひとりの人間として認められていた」と研究者
ジェイミー・ホジキンス氏率いる考古学者のチームは、イタリア北西部の洞窟で1万年前の乳児の墓を調査している。DNA分析により、この乳児は死後、丁寧に埋葬されていたことが明らかになった。

 イタリアの洞窟で幼い子どもの骨が見つかり、分析の結果、ヨーロッパで埋葬された女の子の赤ちゃんとしては、最も古いものであることが明らかになった。古代の社会において、赤ちゃんがどのような存在だったのか、特に女の子の赤ちゃんの「人格」はどう扱われていたのかを知る手がかりになりそうだ。論文は12月14日付で学術誌「Scientific Reports」に発表された。

 女の子は、この地域を流れる川の名にちなんで「ニーブ」と名付けられた。1万年あまり前に、生後わずか40〜50日で死亡した。死因は不明で、発見されたのは布に包まれたわずかばかりの小さな骨と貝殻のビーズだけだった。すぐそばで出土したワシミミズクのかぎ爪は、供え物として置かれたものと思われる。

 古代の子どもの骨が発見されることはめったにない。新生児の骨となればなおさらだ。子どもの骨は小さくてもろいため、数千年もの間、形を保つことができない。加えて、子どもの遺骨が見つかったとしても、骨に含まれたDNAが劣化しているため、普通は性別を判別できない。その点、ニーブの遺骨は例外だった。1万年以上も地中に埋もれながら、分析ができるだけのDNAが含まれていたのだ。

「この時代、つまり1万1000年から1万年前の墓は非常に少ないです」。しかもここまで古いと、使用できるDNAが残っている骨はほとんどない。「ほぼ何もない空白の期間なのです」と、論文の筆頭著者で、米コロラド大学デンバー校の古人類学・考古学准教授であるジェイミー・ホジキンス氏は言う。氏は、ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探究者)でもある。

赤ちゃんはどのような存在だったのか
 DNAが残っていることは重要だ。そのおかげで、ニーブは女の子と判明した。民族誌学的には、幼い子どもの人間性を完全には認めない文化は多いとされる。だが、丁寧な埋葬は、女の赤ちゃん、そして恐らくは男の赤ちゃんもこの集団社会の中で「人格」を持ち、生まれた時から社会の一員として認められていたことを示していると、研究者たちは指摘する。

「小さな女の子の赤ちゃんまでも、社会のなかでひとりの人間として認められていたことを示しています」と話すのは、論文の共著者で、ホジキンス氏の夫でもあるコロラド大学デンバー校の古人類学者ケイリー・オール氏だ。

 古代の子どもの遺骨がこれまでほとんど見つかっていないこともあって、赤ちゃんがいつごろから個人とみなされていたのか、また女児が男児と同じように扱われていたかを知るのは難しい。しかし、ドイツのイエナにあるマックス・プランク人類史科学研究所のマイケル・ペトラグリア氏も、研究チームの解釈は妥当だと考えている。

「私も、男女の赤ちゃんが平等に扱われていたことを示す証拠だと思います。これは、現代の男女平等の狩猟採集社会とも共通しています」。ペトラグリア氏は今回の研究には参加していないが、アフリカで発見された、ニーブよりもさらに古い年代の子どもの遺骨を研究した経験を持つ。こちらは、人類がヨーロッパに到達するよりもはるか以前の7万8000年前に埋葬されたものだった。

 米国アラスカ州タナナバレーでも、ニーブと同時期の乳児の墓が発見されている。約1万1500年前にニーブとほぼ同じ月齢で死亡し、DNA分析により女の子だったことが確認されている。そして、こちらもやはり丁寧に埋葬され、同じように供え物が置かれていた。

 ホジキンス氏とオール氏はこれに関して論文の中で次のように書いている。「女児も含めた乳幼児をひとつの人格として認める考え方は、どの古代文化にも共通して深く根差していたであろうことを示している。あるいは、地球上の異なる集団の間でほぼ同時期に発生したのだろう」
(以下略、続きはソースでご確認ください)

ナショナル ジオグラフィック日本版 12/17(金) 11:34
https://news.yahoo.co.jp/articles/7312730783a77061b4af4191753d851adc81978f

862 :出土地不明:2021/12/21(火) 12:42:36.90 ID:3hL7rbON.net
弥生時代後期の朝鮮土器 木島平村の遺跡から出土 東日本で初

木島平村は、村内の遺跡から出土した土器の破片が、弥生時代の後期に朝鮮半島で作られたつぼの一部で、東日本で初めて見つかったと発表しました。

木島平村によりますと、見つかったのは、1世紀から3世紀ごろの弥生時代の後期に朝鮮半島で作られた「三韓瓦質土器」と呼ばれるつぼの一部です。
村では去年から、村内にある根塚遺跡の出土品を調べ直していましたが、土器の破片の中に、時代別に分類できないものが見つかったということです。
専門家に調査を依頼した結果、土の種類や灰色っぽいなどの特徴から「三韓瓦質土器」の一部だとわかったということです。
これまで「三韓瓦質土器」は、北部九州や近畿地方など西日本で見つかっていましたが、東日本で発見されたのは初めてだということです。
調査した福岡大学の武末純一名誉教授は「今回の発見で、東日本の日本海側も朝鮮半島とつながっていた可能性が考えられる」と話していました。
木島平村の日台正博村長は「卑弥呼の時代の村の位置づけや役割に興味がわき、歴史のロマンだと思う。今後の調査や研究の結果に期待したい」と話していました。
村では21日から村のふるさと資料館で土器を一般公開することにしています。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/20211220/1010020923.html

863 :出土地不明:2021/12/29(水) 15:40:33.16 ID:JslCklb8.net
3000年の時を経て「アメンホテプ1世」のミイラの調査に初成功

 アメンホテプ1世は、古代エジプトの歴代ファラオの中でも知名度の高い王の一人です。

 第18王朝の第2代ファラオとして、紀元前1551〜1524年頃(BC1525〜1504の説もある)まで在位しました。

 彼のミイラは1881年に見つかっているものの、棺が花輪で装飾されたり、精巧なフェイスマスクで覆われていたため、今日まで開封がためらわれていました。

 しかし今回、3次元CTスキャンを用いることで初めて、棺の中をのぞき見る「デジタル開封」が行われました。

 埋葬から3000年の時を経て、ついにアメンホテプ1世の遺体を調べることに成功しています。

 研究は、12月28日付けで学術誌『Frontiers in Medicine』に掲載されました。

(以下略、続きはソースでご確認ください)

ナゾロジー 2021.12.29
https://nazology.net/archives/102597

864 :出土地不明:2021/12/29(水) 17:47:36.36 ID:FORhNTB+.net
双方中円墳、九州で初確認 福岡・うきは市の西ノ城古墳

 福岡県うきは市で発掘調査中の西ノ城(にしのしろ)古墳が、円形墳丘の両端に方形墳丘が付いた「双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)」とみられることが分かった。全国で数例しか確認されておらず、九州では初めて。出土した土器片から古墳時代前期初頭(3世紀後半)の築造と推定され、最古級の双方中円墳という。近畿や山陽の有力勢力と被葬者のつながりが推察され、専門家は当時の中央と地方の関係を知る重要な発見だと指摘する。

 西ノ城古墳は同市浮羽町の耳納(みのう)連山中腹にある。市教育委員会によると、円形墳丘は長径約37メートル、高さ約10メートルで、二つの方形墳丘を合わせた全長は約50メートル。円形墳丘の頂部では、板状の石を組んで造った埋葬施設が2基見つかった。壊された同様の埋葬施設を含めると、5基以上あったとみられ、弥生時代の集団墓の特徴を残す。一帯を治めた豪族と親族、側近らが埋葬されたと考えられるという。

 現場を確認した福岡大の桃崎祐輔教授(考古学)によると、双方中円墳は弥生時代後期の墳丘墓が発展し、4世紀ごろに築造が始まったとされる。確認例は奈良県天理市の櫛山(くしやま)古墳や香川県高松市の猫塚古墳など全国で数例。西ノ城古墳の発見で築造年代がさかのぼる可能性が出てきた。

 双方中円墳の原型とされるのが、弥生時代後期(2世紀後半〜3世紀前半)に築かれた岡山県倉敷市の楯築(たてつき)墳丘墓。西ノ城古墳では「複合口縁壺」と呼ばれる土器の破片が出土し、似た形状の土器が瀬戸内地域や大分に分布するという。

 桃崎教授は「初期大和政権や瀬戸内の勢力は大分沿岸から日田盆地、筑後川を通って有明海へと抜けるルートを重視した」と指摘。西ノ城古墳の集団は、こうした交流の中で双方中円墳を取り入れたと推測する。


 同古墳は2020年、公園整備のための調査で見つかり、斜面を覆う「葺石(ふきいし)」が確認された。うきは市教委は本年度から本格的に発掘調査を開始し、来年度も継続するという。 (渋田祐一)

国家の形成過程分かる

 西谷正・九州大名誉教授(考古学)の話 双方中円墳は全国でも確認例が極めて少なく、西ノ城古墳は貴重な発見だ。大和政権が全国を支配していく中で、うきは地域の豪族も影響を受けたのだろう。古代国家の形成過程における中央と地方の関係を知る手掛かりになる。

https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/854643/

865 ::2021/12/29(水) 19:54:33.71 ID:Pk2QChhB.net
古代エジプト王のミイラを「デジタル開封」
2021年12月29日 15:04 

【12月29日 AFP】エジプトで、古代エジプト王(ファラオ)アメンホテプ1世(Amenhotep I)のミイラの「デジタル開封」が行われた。1881年の発見以来初めて、アメンホテプ1世のミイラの秘密が明らかになった。

 研究チームを率いたカイロ大学(Cairo University)のサハル・サリーム(Sahar Saleem)教授(放射線学)と著名な考古学者のザヒ・ハワス(Zahi Hawass)元観光・考古相は28日、「高度なX線技術とコンピュータ断層撮影(CT)スキャン、ソフトウエアプログラムを使い、直接触れることのない安全な方法で、アメンホテプ1世のミイラのデジタル開封を行った」と文書で説明した。

「本研究により、アメンホテプ1世の独自のミイラ化技術と再埋葬に関する多くの秘密に加え、アメンホテプ1世の顔や年齢、健康状態が初めて明らかになった」

 分析の結果、アメンホテプ1世は腕を交差している状態でミイラ化された最初のファラオで、脳を取り除かれずにミイラ化された最後のファラオでもあることが判明した。

 アメンホテプ1世は、紀元前1500年以上前の21年にわたる在位期間に複数の軍事作戦を実施。CTスキャンによると、死亡時の年齢は35歳で、死因はけがか病気とみられる。

 アメンホテプ1世のミイラは、南部ルクソール(Luxor)で見つかった。仮面などの保存のため、体を包む布を解かれたことがない唯一のミイラとなっている。

 ミイラの「デジタル開封」は2012年にも行われ、ラムセス3世(Ramses III)が後継者争いのさなか、暗殺者に喉をかき切られて最期を迎えたことが明らかになった。(c)AFP

https://www.afpbb.com/articles/-/3383060?act=all

866 :卍3286卍ss:2021/12/31(金) 10:50:49.27 ID:DdRaq2ke.net
2021年もソロソロおわりです。。

2022 分かれ道 寝ぼけたママでは間違えます。
ウソ歴史とはオサラバし サラにマエにススメ!

業務連絡
分かれ道ニンジン係は 所定の位置にて誘導オネガイします。。

867 :生命体5618:2021/12/31(金) 12:10:42.72 ID:8X9nLQL5.net
>>866
カルトにハマる心理

ある日どこかでその「真実」を知り驚く

自分だけが「真実」を知っているという優越感

周囲にその「真実」を話すがバカにされる

屈辱からさらに「真実」を補強する情報のみを漁る

ますますそれが「真実」だという確信が深まる

「真実」を否定することは自己を否定することになるので「真実」を否定する情報はシャットアウトする

カルト信者の完成

「真実」とは「フリーメイソン陰謀論」や「Flat Earth説」や「アメリカ同時多発テロ事件自作自演説」や「Qアノン」や「人類は月着陸していない」や
「ナスカ理論」「上の人は1000%現実にいる」「聖母マリアは魔女ラミアでイナンナ」「イエスとキリストは别人」などです

情報リテラシーを心がけて行きましょう♪♪♪

868 :出土地不明:2022/01/05(水) 11:52:00.23 ID:uBvO6R2Y.net
3600年前の超巨大「ミノア噴火」、津波の犠牲者をついに発見
エーゲ海のサントリーニ火山、史上最大級の火山被害と推定

 約3600年前の後期青銅器時代、エーゲ海の火山島が噴火し、破壊的な津波を引き起こした。
 その津波による犠牲者の遺骨が、最近になって、噴火したティラ火山(現在のサントリーニ島)から160キロ以上離れたトルコの海岸で初めて見つかり、12月27日付けで学術誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表された。

 史上最大級の火山被害をもたらしたと推定されるこの「ミノア噴火」は、火山爆発指数で「超巨大」の7に区分され(最大指数は8)、その規模は広島型原爆の数百万発分に相当するとみる専門家もいる。津波の犠牲者は数万人と推定されるが、なぜかこれまで遺骨は見つかっていなかった。

 恐ろしい災害の記憶は長い間語り継がれ、発生から1000年以上後になって書かれたプラトンのアトランティス伝説の下地にもなったと考えられている。また、旧約聖書の出エジプト記に記されている10の災いも、この噴火によるものではと考える学者もいる。火山灰に埋もれたミノア人の古代都市アクロティリは、しばしば古代ローマのポンペイと比較され、今では人気の観光地になっている。

 噴火とそれによって引き起こされた災害の直接的な証言は記録されていない。しかし現在、災害の規模はどれくらいだったのか、地中海沿岸に住んでいた人々にどのような影響を与えたのかを明らかにしようと、研究が進められている。ティラ島のすぐ近くにあるクレタ島を中心に海洋交易で富を築き上げたミノア文明は、ちょうど噴火が起こった時期から衰退を始めた。


(以下略、続きはソースでご確認ください)

ナショジオ 2022.01.04
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/010400005/

869 :出土地不明:2022/01/11(火) 00:03:02.32 ID:/cCLchwv.net
世界遺産「沖ノ島」と関連は…宗像市で古墳発見
https://news.yahoo.co.jp/articles/d0561b715816b56b751aae62e8f88bb627f20029

870 :卍3286卍ss:2022/01/13(木) 17:50:36.78 ID:bAK+BjpX.net
3 Signs Of Ancient Aliens In Antartica, UFO Sighting News.
https://youtu.be/jttxOHMBwvQ

871 :卍3286卍ss:2022/01/17(月) 18:19:40.21 ID:5SniA1qr.net
3797【05】For NHK believers+UFOs are Real 
NHK信仰者のみなさんへ+UFOは存在しますよ+UFOの証明
by Hiroshi Hayashi Japan
https://youtu.be/610Eb5TKuqU

ソノサキが大事。。

872 ::2022/01/18(火) 11:55:45.43 ID:BzPHswnb.net
古代メソポタミアの戦車を引いていたのは「史上初のハイブリッド種」のロバだった!

 約4500年前のメソポタミアで、四輪戦車をけん引するために使用された動物・クンガ(kungas)。

 その存在は古くから知られていたものの、クンガがどんな生き物であるかは分かっていません。

 しかし今回、ジャック・モノ研究所(IJM・仏)により、クンガはロバの家畜種と野生種を交配させたハイブリッドだったことが判明しました。

 これは、人の手による史上初のハイブリッド種であり、軍用馬の登場より500年以上も早いとのことです。

 研究は、1月14日付で学術誌『Science Advances』に掲載されています。

(以下略、続きはソースでご確認ください)

ナゾロジー 2022.01.17
https://nazology.net/archives/103353

873 ::2022/01/20(木) 16:04:19.08 ID:JYVtpOJZ.net
5000年以上前の現存する「世界最古のストロー」を発見!

 ロシア科学アカデミー(RAN)の研究で、現存する世界最古のストローが確認されました。

 金と銀からなる長いストローは5000年以上前のもので、共同容器でビールを飲むのに使われたとのこと。

 当時のビールに含まれていた不純物をろ過するためのストレーナーも付いていたようです。
 
 研究の詳細は、1月19日付で学術誌『Antiquity』に掲載されています。

(以下略、続きはソースでご確認ください)

ナゾロジー 2022.01.20
https://nazology.net/archives/103559

874 :出土地不明:2022/01/21(金) 16:01:03.12 ID:F19n3p2r.net
京都・向日の前方後円墳は「箸墓」と同時期の築造 古墳時代早まる可能性
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/715122

875 :出土地不明:2022/01/22(土) 14:14:33.48 ID:Xv1GlJnw.net
前方後円墳は「太陽の昇る」方向を向いているとイタリアの研究チームが発見

 日本列島には何百、何千といった墳墓が点在しますが、その中で鍵穴のような形をしたものを「前方後円墳」と呼びます。

 日本の古墳の代表的な形式であり、おもに3世紀中頃から7世紀初めにかけて建造されました。

 一方、周囲への立ち入りが禁止されていることから、あまり研究が進んでいないのも事実です。

 しかしこのほど、ミラノ工科大学(Polytechnic University of Milan・伊)により、新たな事実が判明しました。

 それによると、前方後円墳の大半は、太陽や月が昇る方向に向いていることがわかったのです。

876 :生命体5618:2022/01/22(土) 20:06:47.87 ID:aSZcPuWH.net
>>875
https://nazology.net/archives/103635
>前方後円墳の大半は、太陽や月が昇る方向に向いていることがわかった

『大半』というのが、どれくらいの割合のことなのか分からんが、大阪の百舌鳥古墳群を調べてみたら

・大仙陵古墳 → 北北東を向いており関係ない方を向いている
・石津ヶ丘 → 北北東を向いており関係ない方を向いている
・ニサンザイ古墳 → 東南東を向いており太陽や月が昇る方向に向いている
・御廟山古墳 → 東南東を向いており太陽や月が昇る方向に向いている
・・・・

GoogleMapsを見る限り、北を向いてる古墳も半分くらいあるな

877 :出土地不明:2022/01/29(土) 10:35:45.47 ID:fAOc7DtD.net
「4000年前のボードゲーム」が考古学チームにより発見される。オマーン北部において、謎の塔とともに出土

ある考古学調査において、「4000年前のボードゲーム」が発掘されていたようだ。調査の内容は今年1月の頭に公表。1月26日には海外メディアArs Technicaが取り上げたことで、一般読者からも注目を集めることになった。

今回の発見があったのは、北オマーンに位置するQumayrah渓谷。オマーンとポーランドの合同プロジェクト「青銅器時代と鉄器時代のオマーン北部の山岳地帯における集落の発展」により調査がおこなわれた。チームを率いていたのは、ワルシャワ大学・地中海考古学ポーランドセンター(PCMA UW)のPiotr Bieliński教授と、オマーン国遺産観光省の古代遺物局長、Sultan al-Bakri博士である。プロジェクトは、北Hajar地域を調査し、これまで研究が進んでいなかった地域における集落の発展と形態についてリサーチを進めていた。

今回の調査では、Ayn Bani Saidah村の近くに位置する、青銅器時代と鉄器時代II期のウンム・アル=ナール文化の集落が、チームの活動の主な焦点だった。Bieliński教授によれば、Ayn Bani Saidah村は、南方・北方・東方の遺跡にそれぞれ接続するルートの交差点に位置している。これらのルートに沿っては、ウンム・アル=ナール文化時代からの遺跡が数多く発見されてきた。そのため、今回の調査地点でも同様の遺跡が発見されることが期待されていたわけだ。

そうしたなか、意外な遺物が発見された。それが、「4000年前のボードゲーム」である。石材で作られており、印のつけられた盤面と、いくつかのカップホールを有しているという。同じ特徴をもつボードゲームについては、青銅時代における数多くの経済的・文化的中心地において、遊ばれていたことが知られている。

気になるルールについては謎に包まれているものの、すでに発見されている類例から実像を想像することはできるかもしれない。もっとも有名なものとしては、イラクのシュメール人都市国家ウルから出土した「ロイヤルゲーム」が挙げられる。同ゲームはさまざまな図柄が描かれたマス目を使用。サイコロで出た目の分コマを進める、すごろくのようなルールで遊ばれていたとされている。同様のゲームは中東地域で広く発見されており、オマーンでも似たルールが流布していた可能性はあるかもしれない。

なお今回の調査では、ボードゲーム以外にもさまざまな遺物が発見。4本の塔をもつ遺跡が発見され、その用途について研究が進められている。ほか、銅の精錬をおこなっていた証拠も発見された。オマーンについては銅による交易が盛んにおこなわれていたことが文書で伝わっていたが、今回の遺物発掘によりそれが裏付けられたかたちだ。壮大な遺構を擁し、交易も盛んにおこなわれていた豊かな土地であったと考えれば、娯楽品であるボードゲームが発掘されるのも合点がいく話といえそうだ。

プロジェクトは、次年においてもQumayrah 渓谷の調査を進めていくとのこと。古代の娯楽についても、より多くが明かされることを期待したいところだ。

https://automaton-media.com/articles/newsjp/20220128-190340/

878 ::2022/01/30(日) 17:33:18.20 ID:0cKSa/WM.net
※上毛新聞

古墳時代前期の銅鏡 「鳥頭四獣」国内に50枚 多胡碑周辺の発掘調査で出土
https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/63748

2022/1/28 09:00

https://www.jomo-news.co.jp/mwimgs/7/9/1200m/img_7989688747d79a7c41741ed0ff20a13160704.jpg
出土した銅鏡の裏面=市提供
https://jomo.ismcdn.jp/mwimgs/8/0/520m/img_80bf5ccf3b353a4376d96ad41acbf09c38883.jpg
出土した銅鏡の表面=市提供

群馬県高崎市教委は27日、多胡碑周辺の発掘調査で、古墳時代前期(4世紀ごろ)の銅鏡1枚が出土したと発表した。地域で権力を持っていた豪族の墓があった可能性があるという。県内で類似の銅鏡が学術調査で見つかるのは初めて。保存状態が良く、貴重な史料だとして2月に特別公開を予定している。

 発見されたのは「鳥頭四獣鏡系」の銅鏡。直径は10.5センチ、重さは126グラム。鏡の裏面に鳥のとさかや獣の尻尾のような模様が描かれていることから、国内で製造されたと考えられる。同様のものは国内で約50枚しかなく、保存状態が良いため貴重という。学術調査以外で1939年に太田市内でも出土したとされるが、何らかの原因で失われ現存しない。

 今回銅鏡が見つかった場所からガラス小玉8点や、木材の表面を削る鉄製工具「鉋(やりがんな)」も出土。711年建立の多胡碑とは時代が離れており、直接の関連はないとみられる。

鏡や玉、鉄製品が同じ場所で見つかったことから、文化財保護課は「古墳時代の副葬品の典型。一定の権力を持った豪族の墓があった可能性が高い」とする。地中に埋めた金属は通常さびてしまうが、模様がはっきりと確認できる状態で見つかるのは「好条件が偶然そろい、奇跡的」という。昨年8〜12月に多胡碑周辺で行われた発掘調査で出土した。

(略)

※省略していますので全文はソース元を参照して下さい。

879 ::2022/02/01(火) 14:13:35.27 ID:mjFJpTN+.net
ホモ・サピエンスの石器における道具技術進化、その要因を解明 名古屋大

 過去の人類史では様々な人類が出現してきたが、現存するのは5万年前頃に分布拡大したホモ・サピエンスのみである。
 その原因については未解明な部分が多いが、解き明かす鍵の1つとされているのが、石器などの道具技術である。

 特に、3万年前頃の上部旧石器時代前期において石器が小型化したことが知られており、当時の人類の技術進化に大きな影響を与えた可能性がある。
 名古屋大学の研究グループは1月28日、その要因を遺跡調査によって明らかにしたと発表した。

 今回の研究では、ホモ・サピエンスがユーラシア大陸へ拡散する出発点となった中東のヨルダンで遺跡調査を実施。出土した石器資料の表面粗さについて、測定を行った。石器の材質は、これまでの考古学研究では、異なる遺跡間では肉眼や触覚による特徴で評価が行われることが多かった。そのため材料工学で用いられるような定量的な評価を適用したことが、今回の研究における新規性の1つである。

 その結果、上部旧石器時代前期の遺跡から出土した石器は、表面が滑らかで透明度の高い石材の割合が高いことが判明。また石材の変化に伴って、石器の小型化も進行していたことが確認されている。この要因として、滑らかで透明な石材は小型石器の製作に適していたことが挙げられている。また逆に、前の時期の大型石器が製作できるほど大きな原石が多くなかったことも、要因の1つであると研究グループは述べている。

 今回の研究から、旧石器時代のホモ・サピエンスが、石器の形態や技術に合わせて石材を選択していたことが示唆された。小型石器の利点としては、石材消費の節約や道具装備安定性の向上などが挙げられている。このことから、ホモ・サピエンスが非常に柔軟な技術行動をしていたことが伺い知れる。また、表面粗さによる定量的な評価の手法自体も、他の石器資料の調査へ適用が期待される。



財経新聞 2022年2月1日 11:00
https://www.zaikei.co.jp/article/20220201/658035.html

880 ::2022/02/02(水) 07:08:54.57 ID:8STWChcI.net
頭に傷痕、複数の縄文人骨発見 集団間で争いか、北海道
https://nordot.app/861191621302665216

2022/2/1 19:29 (JST)
2/1 19:45 (JST)updated

https://nordot-res.cloudinary.com/c_limit,w_800,f_auto,q_auto:eco/ch/images/861195954038833152/origin_1.jpg
鈍器で殴られた痕(〇で囲んだ部分)のある頭蓋骨(青野友哉・東北芸術工科大准教授提供)

 北海道伊達市の「有珠モシリ遺跡」で、集団間の争いが原因とみられる傷痕のある、縄文時代晩期の頭蓋骨が複数見つかった。発掘した東北芸術工科大(山形市)などの研究グループは「『縄文時代は平和だった』との理想化された認識に一石を投じる可能性がある」としている。

 同時期に、西日本は農耕を中心とした弥生時代に移行。集団間の戦闘も起きており、研究グループの青野友哉准教授(骨考古学)は「玉突き的に人が移動した影響が、北海道にまで及んだのではないか」と分析した。


 骨は約2400〜2500年前のもので、全11体が同じ場所で見つかった。

881 :出土地不明:2022/02/02(水) 19:33:29.76 ID:iOuirl0u.net
全羅南道羅州の高速道路建設現場で、5世紀から6世紀のものと推定される古代の墓が発見されました。

長鼓のような「長鼓墳」が、 羅州から出たのは初めてです。
長鼓の形の一部に似ていて「長鼓墳」と呼ばれる墓で、丸い封墳から四角い壇に連なっているのが特徴です。

長鼓墳は栄山江流域を中心に14基が発掘されましたが、古代馬韓の中心地だった羅州で初めて発見されました。

882 :出土地不明:2022/02/10(木) 17:13:30.04 ID:EkiFpwTo.net
大石航樹
公開日 2022/2/5(土)

https://nazology.net/wp-content/uploads/2022/02/1_Z1JPYzi8N_Sx5falA4jvGw-1-900x450.jpeg
グラディエーターには女性も存在した⁉︎ / Credit: history of yesterday(2021)

The Gladiatrix ― The Female Gladiator of Ancient Rome
https://historyofyesterday.com/gladiatrix-a2081f316d25
Female Gladiators In Ancient Rome
https://www.worldhistory.org/article/35/female-gladiators-in-ancient-rome/

古代ローマ時代に闘技場で戦士同士、あるいは猛獣などと死闘を繰り広げた剣闘士・グラディエーター。

歴史のトピックとして非常に人気であり、2000年には同名の映画も公開され大ヒットとなりました。

ここまでは有名な話ですが、しかし、グラディエーターの中に「女性」がいたことをご存知でしょうか。

巷ではあまり知られていませんが、確かに女性グラディエーターは存在したのです。

しかし、彼女らは何が目的で、血みどろの戦いに身を投じたのでしょう?

そして、どんな女性たちが剣闘士として参戦したのでしょうか?








どんな女性が戦いに参加したのか?

グラディエーターの慣習は紀元前264年に、故人の哀悼のための儀式の一環としてスタートしました。

しかし、規模が大きくなるにつれ世俗化し、各都市にアンフィテアトルム(円形闘技場)が建設されるように。

そこでグラディエーターたちは互いの決闘や猛獣との戦いを披露し、また闘技場に水を張って模擬海戦を繰り広げたりしました。

戦いの迫力に民衆は魅了され、またたく間に「見世物」として定着。何千、何万という剣士や動物たちが娯楽のために命を落としました。

ところが、380年にキリスト教がローマ帝国の国教になると、この慣習に批判的だった信者たちの反対により、斜陽化していきます。

404年には各地の闘技場が閉鎖、その後も細々と続けられていたものの、かつての熱狂はなく、681年に公式に禁止されて消滅しました。


     ===== 後略 =====

全文は下記URLで

https://nazology.net/archives/104147

883 ::2022/02/10(木) 22:48:08.60 ID:HW1mwzpb.net
ネアンデルタール人の絶滅、皆殺しが原因ではなかった=新研究
パラブ・ゴーシュ、科学担当編集委員

 ネアンデルタール人はヒトとは別の人類で、4万年に絶滅するまで何十万年間もヨーロッパで暮らしていたとされる

 ネアンデルタール人は、アフリカからやって来た現生人類に速やかに皆殺しにされたという説に疑いを投げかける、新たな化石が見つかった。

 フランス南部の洞窟で、子どもの歯1本と石器が発見された。ホモ・サピエンス(現生人類)が約5万4000年前に西ヨーロッパにいたことをうかがわせるものだ。

 これは、これまで考えられてきたより数千年前となり、2つの人類が長期間、共存していた可能性を示している。

 この研究は、米科学誌サイエンス・アドヴァンシズに掲載された。

BBC
https://www.bbc.com/japanese/60329796

884 ::2022/02/12(土) 13:10:27.64 ID:L8lvQP49.net
古代エジプト民が残した「メモ帳」を大量発見! 書かれていた内容とは?

 エジプト北部にあるアスリビス(Athribis)遺跡で、過去最大規模となる古代エジプトの”メモ帳”が大量発見されました。

 これは「オストラコン」と呼ばれる、陶器のかけらに文字を書いたもので、計1万8000点が回収されています。

 発掘調査に当たったテュービンゲン大学(University of Tübingen・独)は、これらの断片から2000年以上前の日常生活が明らかになる、と述べています。

 古代エジプトの人々はどんなことをメモしていたのでしょうか?

(以下略、続きはソースでご確認ください)

ナゾロジー 2022.02.08
https://nazology.net/archives/104465

885 ::2022/02/14(月) 22:45:27.46 ID:PMzf9n9b.net
ツタンカーメンの鉄剣の製造方法と起源の特定に成功

千葉工業大学地球学研究センター及び惑星探査研究センター所長の松井孝典率いる研究チームが、エジプト考古学博物館において、ポータブル蛍光X線分析装置を用いてツタンカーメンの鉄剣の非破壊・非接触での化学分析を行った結果、鉄剣が低温鍛造により製造されたこと、エジプト国外から持ち込まれた可能性があることを明らかにしました。
この研究成果は、2月11日付の米国科学雑誌「Meteoritics and Planetary Science」電子版に掲載されました。

<概要>
古代オリエント世界で栄えたヒッタイト帝国(紀元前1200〜1400年)は、鉄の製造技術を独占することで軍事的優勢を得たとされている。
それ以前には、世界にはまだ鉄の製造技術はなかったと考えられている一方で、エジプトのツタンカーメン王(紀元前1361年〜1352年)の墓から、鉄剣が発見されたことは大きな謎であった。
この謎を解き明かすため、2020年2月9日及び10日に、千葉工業大学地球学研究センター及び惑星探査研究センター所長の松井孝典率いる研究チームがエジプト考古学博物館を訪れ、ツタンカーメンの棺から発見された鉄製の短剣の現地調査を行った。
この鉄剣は紀元前14世紀に製作されたものであるが、棺の中で保管されていたため非常に保存状態が良く、錆などの劣化の影響が小さい(図1a-c)。
紀元前14世紀のエジプトには製鉄技術は存在しなかったため、当時の人々は宇宙から飛来した鉄隕石を加工し鉄剣を製造したと考えられていた。
2016年にイタリアの研究チームが鉄剣の調査を行い、鉄・ニッケル・コバルト濃度の測定から、鉄剣の材料が鉄隕石であることを確認したが、鉄隕石からの鉄剣の製造方法については明らかにされていなかった。
千葉工業大学の研究チームは、ポータブル蛍光X線分析装置を用いて、非破壊・非接触で鉄剣の元素分布の分析を行った。
本調査で得られた鉄剣の元素の存在度及び二次元分布の解析、鉄隕石のそれらを比較することにより、鉄剣の製造方法及び起源の特定に成功した。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000023.000042635.html

886 ::2022/02/15(火) 17:03:06.43 ID:5H+IhlGP.net
「斬首された頭」を足の間に 古代ローマ時代の奇妙な遺骨を発見!

 このほどイギリス南部バッキンガムシャー州にて、約2000年前の古代ローマ時代の巨大な埋葬地が発見されました。

 425人の遺骨が出土し、同州のものとしては最大規模の墓地です。

 興味深いことに、遺体のいくつかは斬首されており、頭を脚の間や横に置いた状態で埋葬されていました。

 この理由については犯罪者か追放された罪人の埋葬だったとする説がある一方、後期ローマ時代ではわりと一般的な埋葬方法だったとする意見もあるようです。
 
(以下略、続きはソースでご確認ください)

ナゾロジー 2022.02.11
https://nazology.net/archives/104479

887 ::2022/02/15(火) 17:04:09.18 ID:5H+IhlGP.net
遺跡から発掘された1500年前の容器が「ローマ人のトイレ」だったと判明

 1500年前のローマ人が使っていた別荘から発掘された容器が、内容物の分析結果から「1500年前のトイレ」だったことが判明しました。
 トイレとして使われていたことを示す証拠となったのは、固まった堆積物に含まれていた「寄生虫の卵」でした。

 Using parasite analysis to identify ancient chamber pots: An example of the fifth century CE from Gerace, Sicily, Italy - ScienceDirect
 https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S2352409X22000128

(以下略、続きはソースでご確認ください)

Gigazine 2022年02月14日 20時00分
https://gigazine.net/news/20220214-roman-pot-toilet/

888 :888:2022/02/16(水) 14:22:30.32 ID:yYdcii4A.net
■偽りの出土「都合よかった」…「日本原人」の痕跡 探して今も掘る
「後から埋めた?」「そんなことできるか?」
忘れもしない、2000年11月5日の未明のこと。北海道新十津川町の〈旧石器時代遺跡〉の発掘責任者だった長崎潤一さん(61)=当時39歳=は、関係者からの一報を受けて、
電話口でぼう然と繰り返した。

「日本原人」の存在を印象づける歴史的な大発見として発表した数々の石器は、「神の手」を持つとされた1人のアマチュア研究家が埋めたニセ物だった。
遺跡が、ねつ造されていた。

日本の考古学界を根底から揺るがしたあの〈事件〉から20年余り。
なぜ、自分はだまされたのか。本当に、見抜くチャンスはなかったのか。渦中にいた本人である長崎さんは考え続け、後進の人々に伝え続けている。

■ただの丘で 共同調査初日 「出たぞーっ」
「出たぞーっ!」
後から考えればおかしな点だらけなのであるが、あの時は、「すごいことだ」と札幌国際大学の助教授だった長崎潤一さん(61)は高揚感でいっぱいだった。

1998年7月3日。北海道ではまだ見つかっていなかった「旧石器時代の前期・中期」の遺跡を探そうと、民間団体「東北旧石器文化研究所」(2004年解散)に所属していた
藤村新一氏を招いた初日のことだ。
その日、長崎さんは藤村氏を空港に迎えに行ったその足で、学生らと道内の複数の地点を案内した。
夕方、新十津川町総進にある「不動坂」近くの崖を皆で削っていると、少し離れた所で藤村氏が声を上げた。
見ると、旧石器時代の中期にあたる4万年以上前の地層から石器が出ていた。
「ええーっ、僕がいくら探しても出なかったのに」

帰路の車のハンドルを握る長崎さんの手は震えていた。
北海道に赴任して5年。30歳代だった長崎さんは週末のたびに古そうな地層を探したが、一向に成果は出ない。
そこで、すでに本州で多くの石器を掘り出して「神の手」と呼ばれ、尊敬していた藤村氏に協力を依頼したのだった。

長崎さんが責任者となって本格的な発掘が始まり、2000年までに40点以上の石器が見つかった。
中には旧石器時代の前期にあたる「20万年以上前のもの」も出土。何の変哲もなかった丘は、〈総進不動坂遺跡〉となり、考古学上の大発見となった。


なぜ、旧石器時代の前期・中期がそんなに重大なのか。
「それは、日本に、我々のようなホモ・サピエンスとは違う、『旧人』や『原人』がいたかどうかということ。単に石器の問題ではないのです」と、長崎さんは言う。
日本では、1940年代後半に相沢忠洋(1926〜89年)が、群馬県の岩宿遺跡(約3万5000年前)を発見したことで、土器を使っていた縄文時代より前の
「旧石器時代の後期」があったことは分かっていた。

後期であれば、ホモ・サピエンスの時代だ。
しかしもし、もっと古い「中期(4万年以上前)」や、さらに20万年、あるいは30万年以上前の「前期」が存在したとなれば、日本にも旧人や原人がいたことになる。
「人類のストーリー」が全く違ってくるわけだ。

「岩宿発見」を機に、考古学者らが様々な発掘を試みる中で、彗星(すいせい)のように登場したのが藤村氏だった。
1970年代から90年代にかけて、藤村氏は東北地方の「座散乱木(ざざらぎ)」「馬場壇(ばばだん)」などで次々と〈中期・前期〉の石器を発掘。
座散乱木遺跡にいたっては、国の史跡にも指定された(後に指定解除)。
そういう流れがあって、新進の研究者だった長崎さんは「北海道でも古い石器を見つけたい」と切望していた。

実は98年に総進不動坂で藤村氏が最初に掘り出した石器について、研究仲間だった北海道今金町の学芸員(当時)、寺崎康史さん(62)からは
「この変色、鉄サビっぽいけど、浅い土中の石器じゃないの?」と言われていた。
クワなど後世の鉄製器具の接触で石器に鉄分が付いたのではないか、もしそうなら、旧石器時代のような深い地層から出土するのはおかしい――という指摘だ。
鉄製器具で付いた鉄サビかどうかは、顕微鏡で見ればわかる。しかし、長崎さんは気にとめず、確認しなかった。
「イケイケどんどんだった」。結果、だまされた。

※続きはソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/ecc18a4eb1cb8cb986edfa208106b382d2d02a00

889 :出土地不明:2022/02/17(木) 12:14:40.68 ID:GQ3iKRkK.net
聖寿寺館跡でクマの犬歯の装飾品 国内初、アイヌ民族が長期滞在か

 北東北最大の戦国大名、三戸南部氏の居城とされる青森県南部町の国史跡「聖寿寺(しょうじゅじ)館跡」で、クマの犬歯で作った中世アイヌ民族の装飾品が出土し、注目されている。町教育委員会によると、クマ犬歯の装飾品の発見は国内では初めて。このほか、骨でできた針など生活に使われたと思われる遺物も多数見つかった。町教委は「アイヌ民族が館に長期間居住していた可能性が高まった」と説明している

 町教委によると、クマ犬歯の装飾品は、昨年5月に同館跡の北東部から見つかった。長さ6・8センチ、幅2・2センチで、中央にひもを通すための直径2ミリの穴が開けられている。クマはアイヌにとって最上位に位置する動物で、その装飾品を身につけることができる人物は、ある程度の権力者ではないかと推測している。

 中世アイヌ文化の中でクマの骨などを利用した装飾品が見つかっているのは、同時期に北海道南部を支配していた蠣崎(かきざき)氏の居城である国史跡「勝山館跡」と聖寿寺館跡のわずか2例という。

 今回見つかった装飾品は、小刀のさやとひもでつなぎ、帯に挟んで落下を防止する根付けとみられる。

 このほか、アイヌが使ったとされる骨材の針なども多数見つかっている。三戸南部氏が聖寿寺館を中心的な城として使っていたのは、15世紀前半から16世紀前半まで。この時期、南部の人たちは、針などの生活用品は鉄製を用いていたという。町教委の布施和洋総括主査は「アイヌが生活用品を持ち込むほど長期的に城内に住んでいた可能性が高い」と推測した。

 なぜ、アイヌが住んでいたのかという疑問について、県文化財保護審議会の工藤竹久副委員長は「(北海道との)交易の仲介、道の案内や、薬草などのアイヌの知識を教えてもらったのではないかと想像します」と話している。

 町教委は、本州のアイヌか北海道から来たアイヌかは不明とし、クマ犬歯の装飾品のDNA鑑定を行って、本州に生息するツキノワグマのものか北海道のヒグマのものか種類の特定作業を続けている。クマ犬歯の装飾品を含め出土品については、3月1日から一般公開する予定だ。(横山蔵利)

朝日新聞DIGITAL 2022年2月16日 10時30分
https://www.asahi.com/articles/ASQ2H6S6WQ24ULUC022.html

890 :出土地不明:2022/02/21(月) 17:23:27.16 ID:LNZMzhVC.net
MBS 2月18日(金)

世界遺産にも登録された大阪府堺市にある「大山古墳」は、「仁徳天皇陵」として仁徳天皇の墓だと学校でも教えられています。しかし、専門家の間では「仁徳天皇の墓ではないのではないか」と論争が起きています。では、一体誰があの巨大な前方後円墳に眠っているのでしょうか。

■“仁徳天皇の墓”とされる日本最大の前方後円墳『大山古墳』
去年11月、普段は立ち入り禁止の場所にカメラが入りました。日本最大の前方後円墳である大阪府堺市の「大山古墳(仁徳天皇陵)」です。

天皇の墓として管理する宮内庁が「古墳の保全工事に向けて堤の遺物を調べるため」として堺市と発掘調査を行ったのです。

その結果、前方後円墳を囲む堤の内側から今回、初めて「円筒埴輪列」が見つかりました。築造時は堤の両側に埴輪列が並ぶ壮大な姿であった可能性があり、埋葬されている人物の権力の大きさがうかがえます。

(宮内庁書陵部 徳田誠志陵墓調査官)
「今回は第1堤の一番幅の広い所にトレンチを設定して、内側の埴輪列があることを確認いたしました。荘厳化だとか、より装飾をするということは考えられます」

宮内庁によりますと、仁徳天皇が埋葬されたのは4世紀末ごろ。今から300年ほど前には仁徳天皇の墓とされ、今は宮内庁が『仁徳天皇陵』として管理しています。

仁徳天皇とは、今から1600年ほど前に実在したとされ、民家から炊飯の煙が立ち昇らないのを見て生活の厳しさに気づき、3年間税を免除したという伝説の天皇です。

■『大山古墳』が仁徳天皇の墓ではない?研究者の間で論争
静かに眠る仁徳天皇の巨大な墓。しかし『仁徳天皇陵』が仁徳天皇の墓ではないのではないかという、思わぬ論争が巻き起こっています。

大山古墳の復元模型を展示する大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎名誉館長は、古い文献の記述などから「大山古墳は仁徳天皇の墓」だと主張する1人です。

(大阪府立近つ飛鳥博物館 白石太一郎名誉館長)
「宮内庁が仁徳天皇陵として祭祀を行い、管理を行っておられますが、おそらくそれは正しいのではないかと。古事記や日本書紀にも、仁徳天皇陵は和泉の国の百舌鳥にあって、『百舌鳥耳原中陵』と。百舌鳥古墳群には中陵・南陵・北陵などがあるのですけれども、その相対的な位置が大体分かるわけで。そういうものから考証して、これは仁徳天皇陵に間違いないだろうと」

8世紀に編纂された日本書紀などに「大山古墳が仁徳天皇の墓」と書かれているというのです。

一方でこれに異を唱える研究者がいます。大阪市立大学の岸本直文教授は「大山古墳は別の天皇の墓」だと主張します。

(大阪市立大学文学研究科 岸本直文教授)
「大山古墳は5世紀中ごろ(の完成)だろうと。年代的に見合うのは允恭天皇と考えていいだろうというのが私の考えです」

允恭天皇は、仁徳天皇の子で、5世紀中ごろに亡くなったとされています。岸本教授によりますと、古墳から出土する土器や馬具の研究から、大山古墳が完成したのは5世紀中ごろであり、没年が一致するのは仁徳天皇ではなく允恭天皇だというのです。

(大阪市立大学文学研究科 岸本直文教授)
「仁徳天皇というのは、民が苦しんでいるから3年間税金を免除したという、徳のある王として描かれているんですね。そういう人物を一番大きい古墳に当てるとか、特別なものについては伝えられたものとは別に少し操作をしているということはあるのではないかと。(Q素晴らしい天皇だから一番大きい古墳に眠っているというストーリーのもと、当時日本書紀などで決められた可能性がある?)はい、その可能性はあると思っています」

大山古墳は誰の墓なのか。研究者によって見解が分かれる中、宮内庁は『仁徳天皇の墓』という考えを変えるつもりはありません。

(宮内庁書陵部 徳田誠志陵墓調査官)
「被葬者についていろんな学術的な見解・学説があるのは承知しております。それはそれぞれの学者の先生方のご見解ですので、学説は承知しておりますが、それで今すぐ宮内庁が治定をどうするという問題ではないと思っております」

■過去には「継体天皇の墓」として管理していた古墳が“違う天皇の墓”だったケースも
しかし実際に“天皇の墓が違った”とされるケースもあります。6世紀前半に実在した「継体天皇の墓」として宮内庁が管理する古墳です。しかし1.5km東にある「今城塚古墳」では…。

(以下略。リンク先に動画あり。)

MBS 2月18日(金)
https://www.mbs.jp/4chantv/news/kodawari/article/2022/02/087794.shtml

891 :出土地不明:2022/02/22(火) 16:24:46.62 ID:VbKcyyS1.net
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebde4fd36b3d68b704e28fc00e701a96133191ad
 エジプトのツタンカーメン王の墓から発見されている鉄剣。
紀元前14世紀のものというだけでも大いなるロマンだけれど、その時代には、まだ鉄の製造技術がなかったと考えられていることから、研究者たちの耳目を集めてきた。
千葉工業大学地球学研究センターと惑星探査研究センター所長・松井孝典氏が率いる研究チームは、エジプト考古学博物館で
ポータブル蛍光X線分析装置を使ってツタンカーメンの鉄剣を分析。鉄剣が低温鍛造により製造されたこと、そしてエジプト国外から持ち込まれた可能性があることを明らかにした。
この研究成果は、米国科学雑誌「Meteoritics and Planetary Science」電子版に掲載された。

2016年、イタリアの研究チームがこの鉄剣の調査を行い、鉄・ニッケル・コバルト濃度の測定から、鉄剣の材料が鉄隕石であることを確認しているが、
鉄隕石からの鉄剣の製造方法については明らかにされていなかった。
今回の鉄剣の元素分布の分析では、1925年の発掘当時と比べさびや腐食がほとんど進んでいないこと、また隕石の包有物である硫化鉄包有物が保存されていることなどから、
低温鍛造により製造されたことを示すものと結論づけた。

さらに、金の柄に少量含まれるカルシウムは、装飾物を接着するしっくいに由来すると考えられるが、エジプトでのしっくいの利用は、
ツタンカーメン王の時代の千年以上後から始まったとされていること、またヒッタイト帝国(現トルコ付近)の隣国であるミタンニから
ツタンカーメンの祖父である アメンホテップIII世に鉄剣が送られたと記す古文書があることなどから、エジプト国外から持ち込まれた可能性が大きいとしている。

892 ::2022/02/22(火) 17:09:21.66 ID:l2oyIBs4.net
イギリスで「5000年前のドラム」を発見!

参考文献
Incredible 5,000-Year-Old Drum Found in The Grave of ‘Cuddling’ Prehistoric Children
https://www.sciencealert.com/prehistoric-drum-found-in-grave-of-3-children-who-have-been-cuddling-for-5-000-years
Ancient drum found in children’s grave billed ‘most important’ piece of prehistoric art in 100 years
https://edition.cnn.com/style/article/drum-discovery-stone-age-archaeology-grave-scn-scli-intl/index.html

 イギリス・ヨークシャー東部にて、約5000年前のドラムが発見されました。

 大英博物館(British Museum)によると、このドラムは「過去100年間にイギリスで見つかった先史時代の芸術品の中で最も重要な作品」だといいます。

 一方で、このドラムは楽器を意図して作られたものではないと考えられています。

 これはどういうことなのでしょうか?

(以下略、続きはソースでご確認ください)

ナゾロジー 2022.02.19
https://nazology.net/archives/104961

893 :出土地不明:2022/02/23(水) 19:35:55.84 ID:iYvFn8NW.net
インカ帝国以前のミイラ20体公開 ペルー

2/23(水) 14:40
配信
AFPBB News

(c)AFPBB News

【2月23日 AFP】ペルーの首都リマ西郊にあるカハマルキリャ(Cajamarquilla)遺跡群で22日、ミイラ20体が公開された。
うち8体は子ども。いずれも約800〜1200年前に高位の人物の従者として、いけにえにされたとみられる。(c)AFPBB News
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd240a5ea21f29844ca5027737cc954d76249b4c

894 ::2022/03/07(月) 12:11:08.08 ID:NwhpovbP.net
ストーンヘンジは”閏年まで考慮”に入れた「太陽暦」のカレンダーとして機能していた!

 イングランド南部ウィルトシャー州にある「ストーンヘンジ」は、世界で最も有名な建築物のひとつです。

 紀元前2500年ころに作られていますが、その製作意図は定かでありません。

 儀式、死者の埋葬、天文台、パワースポットなど、さまざまな説が唱えられています。

 その中で今回、ボーンマス大学(Bournemouth University・英)の研究により、「古代の暦(カレンダー)」説が有力であると発表されました。

 カレンダー説は以前からあったものの、どんな仕組みで機能していたかは分かっていませんでした。

 しかし本研究によると、ストーンヘンジは「太陽暦」として設計されたようです。

 研究の詳細は、2022年3月2日付で科学雑誌『Antiquity』に掲載されています。

(以下略、続きはソースでご確認ください)

ナゾロジー 2022.03.03
https://nazology.net/archives/105602

895 :出土地不明:2022/03/07(月) 17:27:24.79 ID:zHf5E8Vl.net
モンテプラマの巨像、地中海の島に埋もれていた3千年前の巨人たち

イタリア、サルデーニャ島で見つかった奇妙な石像が開く、地中海文明を解く扉
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/110500543/?ST=m_news

896 :出土地不明:2022/03/09(水) 12:53:26.28 ID:ervCXOnI.net
世界最古の家畜の鳥はガン 7000年前の遺跡に骨 北大

 約7000年前の中国でガン類が飼育されていたと北海道大などの研究グループが発表した。
現在、家畜として最も普及しているニワトリの飼育は約4000年前以降で、家畜の鳥の歴史を大幅に更新する。
論文は8日、米科学誌に掲載された。

 研究グループは、長江下流域の稲作集落跡「田螺山遺跡」から出土したガン類の骨232点を調査。そ
の結果、北方にある繁殖地から飛んできたとは考えにくい幼鳥の骨があることが分かった。

 同位体分析で、渡りを経験していない成鳥が含まれ、渡りをするガンと異なりコメを食べていた可能性があることも判明。
骨は放射性炭素年代測定で、遺跡の年代と一致する約7000年前のものと確認された。

 これまで家畜のガン類は約3500年前のエジプトに端を発すると考えられてきたという。
今回調査したガン類が、現在の家畜のガンとつながりがあるかなどは分かっておらず、北大総合博物館の江田真毅准教授は
「家禽(かきん)がどんな歴史をたどってきたのか明らかにできたらいい」と話した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cf3514c53d5d6fae5b2d4c91b16620e9deaa58eb

897 :卍3286卍ss:2022/03/10(木) 17:48:24.12 ID:taw996AD.net
UFO Shoots Over Kiev, Ukraine On March 5, 2022, UFO Sighting News.
https://youtu.be/kPoLx6dVTdg

ウクライナ ライブカメラ映像より。。

898 ::2022/03/13(日) 14:51:25.21 ID:JGiGFAtO.net
先史時代のヴィレンドルフのヴィーナス像の起源がついに判明

https://i0.wp.com/thelema-s.com/blog/wp-content/uploads/2021/04/venus_s.jpg?w=480&ssl=1

 ヴィレンドルフのヴィーナス像はぽっちゃりとした女性の姿をかたどった高さ11cmほどの小立で、2〜3万年前のものとされている。だがその起源や、制作方法、文化的意味などについては謎に包まれていた。

 だがようやく、新たな研究によって、ヴィレンドルフのヴィーナス像が最初に作られたのは北イタリアだったらしいことがわかった。

 
ヴィレンドルフのヴィーナス像は北イタリアで生まれた可能性
 1908年に、オーストリアのヴィレンドルフ近くで見つかったこの像は「ヴィレンドルフのヴィーナス像」と名付けられ、ヨーロッパにおける初期芸術のもっとも有名なもののひとつだ。

 オーライト(魚卵石)という石でできていて、ほかでは見つかっていない。

 研究チームは、高解像度断層画像を活用して、このヴィーナスの材料が北イタリア産である可能性が高いことを発見した。

 これは、アルプスの南北に住んでいた最初の現生人類の驚くべき移動能力に新たな光を当てることになる。

 この研究結果は『Scientific Reports』(2022年2月28日付)に掲載された。

(以下略、続きはソースでご確認下さい)
https://karapaia.com/archives/52310903.html

899 :出土地不明:2022/03/14(月) 00:04:13.15 ID:uLmS1gXy.net
日本人の起源である縄文人の祖先はいつ頃、 どこからやってきたのか?


【縄文人が渡来した3 つのルート候補】 当時は陸続きであったことを考えると3つのルートのうち、シベリア方面から北海道へ渡るルートが比較的容易だったと考えられる。中国から沖縄へのルートでは舟で渡ったと考えられる。
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20220311-00018605-rekishin-001-3-view.png

この数十年で、縄文・弥生時代のいわゆる定説は大きく変化している。 さまざまな出土品と最新研究によって新しい見識が得られ、 当時の具体的な生活像はよりアップデートされている。まずは縄文人の出自を手始めとして、 現在の「真説」を解説していく。

Q. 縄文人の祖先はいつ頃、 どこからやってきたのか?

A. 約4万年前、ユーラシア大陸から 辿り着いたと考えられる。

 縄文時代以前の日本列島、すなわち、旧石器時代はいつごろから始まるのであろうか。この問いにまだ明確に答えることはできないが、現在のところ確実に石器といえるもので4万年以上前のものはみつかっていない。

 島根県出雲市の砂原(すなはら)遺跡からは、12万〜11万年前とみられる地層から石器がみつかり、日本列島における最古のものかといわれている。しかし、出土物の剥離面(はくりめん)が不明瞭であり、これを石器として認定してよいかどうかは議論がある。

 また、長野県飯田市の竹佐中原(たけさなかはら)遺跡C地点からは、5万〜3万年前のものと推定される石器群が出土している。しかし、これについても時代が下がるという指摘もみられる。

 そもそも旧石器時代の研究は太平洋戦争後からスタートした。それまでは、日本列島に人類が住みついたのは、縄 文時代からというのが定説であった。それが、在野の研究者である相沢忠洋(あいざわただひろ)氏によって群馬県の岩宿(いわじゅく)遺跡が発見され、旧石器時代の遺跡の第1号となり定説の再検証が進められていった。以後、旧石器時代の調査が広まり、現在では国内で1 万か所以上の旧石器遺跡がみつかっている。

 たとえば、沖縄県島尻郡八重瀬(やえせ)町の港川フィッシャー遺跡では、2万2000年前の港川人の人骨が出土している。また、港川フィッシャー 遺跡から約1.5キロメートル離れたところにあるサキタリ洞遺跡からは、世界最古とされる2万3000年前の貝製釣り針が出土している。

 旧石器時代は今から約1万3000年前に終わりを告げる。氷河期が去り、地球が温暖化に向かい海水面が徐々に上昇して現在の日本列島が形成されていった。時代も縄文時代となっていく。

Q. どのような目的で、どんなルートで辿り着いたのか?

A. 象や鹿などの動物を追いかけているうちに 辿り着いたと考えられる。ルートは北海道、対馬、 沖縄の3つの説が存在する。

 旧石器時代の氷河期の日本列島は、現在よりも約80メートルも海水面が低かった。こうした地形を利用して北方からはマンモスやヘラジカ、南方からはナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物が渡来した。これらを追って、人類も日本列島へとやってきたと考えられる。

 1977年には、シベリアの永久凍土からほぼ完全の姿のままのマンモスの氷漬けが発見された。日本列島内でも野尻湖から大量のナウマンゾウの化石が見つかった。この他にも、日本銀行本店や都営新宿線の浜町駅付近など東京都内だけでも20か所以上の場所からナウマンゾウの痕跡が見つかっている。(監修・文/瀧音能之)

https://news.yahoo.co.jp/articles/912fbd8f620f7ecc57f2e6085c6fdac636bd935f
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20220311-00018605-rekishin-000-3-view.png

900 :出土地不明:2023/04/28(金) 06:36:05.75 ID:BHi0u+l0n
農産物の盜難被害カ゛―とか怒りをあらわにして必死こいて悔しがってる八ゲがいるけどさ
クソ航空機か゛温室効果ガスまき散らして氣候変動させて海水温上昇させてかつてない量の水蒸氣を發生させて、日本じゅうて゛
土砂崩れに洪水,暴風,猛暑.大雪にと災害連発させて.農産物根絶やしにしてることについてはスル―なのな
JÅLた゛の機長殴って駆け付けた警官殴打して現行犯逮捕の酒氣帯ひ゛運転АΝAだのクソアヰ又ドゥだの洒飲んで業務してるクサヰマ‐ク
た゛のコ゛キブリフライヤ━た゛の國土破壊省を提訴するなり報復するなり怒りをあらわにする行動すらしないタ゛ブスタっぷりに反吐か゛出そうじゃね
石炭火カ発電が非難されてるか゛、LΝGに比へ゛ての効率はせいせ゛い2倍程度だが.欧州て゛禁止されてるテ□國家日本の短距離飛行なと゛
クソ航空機の輸送効率の惡さは乗車率2Ο0%を超えられる鉄道のЗ〇倍以上た゛し、物品の輸出入の99%以上は船た゛からな
地球破壊するためだけに存在しているクソ航空機を全廃すれは゛、國土破壊にコ口ナに死人まで激減していいことずくめた゛力ス

創価学會員は、何百万人も殺傷して損害を与えて私腹を肥やし続けて逮捕者まで出てる世界最惡の殺人腐敗組織公明党を
池田センセ─が口をきけて容認するとか本氣て゛思ってるとしたら侮辱にもほどか゛あるぞ!
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