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5 中国とネトウヨ 笑っちゃうのはどっち?

734 :名無的発言者:2019/02/11(月) 19:42:20.70 ID:X111MqDns
日本と米国は支援せず、北朝鮮と経済逆転も


終戦時、朝鮮と満州の国境を流れる鴨緑江の水系には、支流の赴戦江、長津江、虚川江にダムがあり、本流の鴨緑江には水豊ダムが建設されていた。『朝鮮電気事業史』(中央日韓協会)によれば、これらの水力発電所の総出力は百七十三万キロワットに達していた。
 また、この電力を使い、北部の日本海に面した興南という地に、日本窒素肥料(現チッソ)が大規模な化学工場を建設し、硫安などの肥料を量産していた。
 同じころ、米国のルーズベルト大統領が不況対策(ニューディール政策)として行ったTVA(テネシー渓谷開発)は、よく知られているが、この「日本版TVA」は、日本の教科書にもほとんど載っていない。
 朝鮮北部の電力事業は、日本窒素肥料の社長だった野口遵(したがう)氏、土木技師の久保田豊氏らの協力によるものだった。野口氏は晩年の昭和十六年、全財産を化学研究所と朝鮮の奨学資金に寄付した。久保田氏は戦後、日本工営を設立し、
ベトナム、インドネシアなどの開発も手がけた。
 朝鮮の発展に尽くした父祖たちの物語を、せめて日本人だけは記憶にとどめておきたい。
 戦後、日本から莫大(ばくだい)な工業資産を引き継いだ北朝鮮の経済は長い間、農業国の韓国より優位に立っていた。一九六五(昭和四十)年の一人当たりの国民所得は、韓国百二十ドルに対し、北朝鮮は百九十ドルだった。
しかし、その十年後、韓国五百八十ドル、北朝鮮四百五十ドルと逆転した。
 それは、昭和四十年の日韓国交正常化に伴う日本からの経済協力(無償三億ドル、有償二億ドル)と、これを経済発展のために使った当時の朴正煕大統領をはじめとする韓国民の努力の成果だった。
 一方、北朝鮮はソ連の援助や朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)からの不正送金などによって、持ちこたえてきたが、ソ連崩壊後、軍を優先させる金正日政権の「先軍政治」により、経済はほとんど破綻(はたん)しているといわれる。
最近、電力だけでなく、肥料も韓国に頼らざるを得ない状態である。 日本が残した水豊ダムや興南工場はどうなったのか。北が日本の遺産を食い潰(つぶ)した経緯も、いつか検証されなければなるまい

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