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6月4日は天安門事件記念日!!

1 :名無的発言者:2016/05/30(月) 07:53:52.57 ID:yxh9+Tmxl
中国が日本に対し南京大虐殺言うなら日本は中国に対し天安門事件を言うべき。

2 :名無的発言者:2016/06/01(水) 07:23:56.41 ID:s8HXl6Ljh
中国共産党の歴史は、人民にとっては災難の連続だった。むろん、それは単なる自然災害ではない。共産党による何千万という同胞殺害と、
誤った政策による何千万という悲惨な人災の連続だったのである。
 まず一九四八年から五五年という初期の段階―。元公安相の羅瑞卿によれば、革命の敵として処刑された中国人の数は四〇〇万に上るという。
これはまだ毛沢東が博愛的だったといわれる時代だ。
 五七年の反右派闘争の時には、五〇万を超える愛国者が右派分子として当局から弾劾され、そのうち数万人が労働収容所で死んだとされる。
そして、五八年には有名な大躍進が始まるが、この時の犠牲者は諸説あるものの、恐らく三〇〇〇万人は下らないという。
それだけではない。その後にやってきたのはあの文化大革命だが、ここでも少なく見積もっても二〇〇〇万人の中国人が殺されたとするのが研究者の定説である。
 むろん、こんな数字は中国人自身が知らない数字である。あの天安門事件もそうだが、彼らは未だにその真相を知らされず、それを正当に知り、批判する自由すら与えられていない。
もし彼らに、いつの日か歴史研究の自由が与えられたとするなら、果たしてその結果はどのようになるか。クリストフはそう問いつつ書いている。
 《問題は、中国の歴史家が押し入れを開く度、人の骸骨(犠牲者たち)が転げ出てくることなのだ。いつの日にかすべての押し入れが音を立てて開かれた時、
共産党の神話は崩壊し、社会は大きなショックに直面するだろう》(同書)

3 :名無的発言者:2016/06/01(水) 07:25:58.57 ID:s8HXl6Ljh
支那という国は、己が文化と言おうか風習を普遍的に考え、首都南京が陥落すれば、日本軍が当然「屠城」(を行う、との思い込みをプロパガンダに載せて、臆面もなく全世界に発信するのだから始末に負えない。
日本軍は断じて「南京大虐殺」などとは無縁の存在である。陸軍大将・松井石根中支那方面軍司令官は支那の文化に畏敬の念を払う、人も知る親中派であり、
昭和15年2月には、熱海の伊豆山に興亜観音を建立し、日支事変での両軍の戦没者を怨親平等((おんしんびょうどう))の精神を以って供養するような人物なのだ。
戦後、連合国よりA級戦犯に指定され、1948(昭和23)年12月23日(今上陛下御誕生日=アメリカは、かかる皮肉なことを随所で行っている。)巣鴨プリズンにて銃殺ならぬ絞首をもっての処刑を受けたのである。
当然のことながら、1978(昭和53)年10月、昭和殉難者として靖国神社に合祀されている。
通州虐殺事件をそのまま南京にすり替えたチャンコロのずるさには呆れるばかり。
大日本帝国陸軍総司令官・松井石根大将は12月9日、隷下に休戦を命じ、城内の唐生智軍に「降伏勧告のビラ」を空から全市にばら撒いて講和を呼びかけている。
その間攻撃を中止して、10日正午まで待機し、唐生智司令官からの使者を中山門で待った。支那の南京籠城軍に対する投降勧告は、武士道精神に則った、礼を尽くし、条理を説いたものであったが、
これに対するに支那軍は、猛烈なる砲火を以っての返答であったのだ。已む無く日本軍は総攻撃開始。かくして1937(昭和12)年12月10日17時20分、城頭に翩翻(へんぽん)()として日章旗が翻り、
同月13日、中華民国の首都・南京は完全に陥落したのであった。
 南京陥落の六日前・12月7日には、蒋介石夫妻はじめ何応欽ら軍首脳、政府高官、高級官僚、馬超俊南京市長ら責任ある立場の者全てが脱出・逃亡し、前日の12月12日には南京守備軍司令官・唐生智が、20万市民と5万の敗残兵を残して遁走している。

4 :名無的発言者:2016/06/01(水) 07:26:56.35 ID:s8HXl6Ljh
・在日中国人女性 鳴霞さん(近畿福祉大学講師)の「親日の告白」(SAPIO)5/25号)
 「未だ法治国家になれない中国には、言論の自由もなく、民主主義国家におけるさまざまな権利を認められた国民も存在しません。教科書新聞、ネット、テレビなどすべての媒体は共産党政府が一元管理しています。
 また、少なくと1億人以上(中国政府発表)の字が読めない人や一般人民が日本の歴史教科書や靖国神社の実態を知るわけがありません
当時私は朝日新聞と読売新聞を併読していました。ところが、1984年頃から朝日新聞が「南京大虐殺」を旧日本軍がやったと大々的に報道することに違和感を持ち朝日の購読をやめました。
なぜなら、中国で「南京大虐殺」は教科書でもメディアでも見聞したことがなかったからです。
 来日して「南京事件」についての論争があることを知り、知人から『南京事件日本人48人の証言』(阿羅健一著)を薦められて読んで、
当時の南京で「虐殺」は起こりうる状況でなかったことを知りました。また、「南京大虐殺」の教典とされていた英紙マンチェスター・ガーディアンの中国特派員ティンパーリの『戦争とは何か』(1938年)が
、国民党の宣伝文書であったたことが国民党の公式史料で判明したことなどで、
私は「南京大虐殺」の嘘を知りました。
 かつて私は中学の歴史教科書で、「毛沢東軍(八路軍)は国民党軍を30万人殲滅した」と教えられました。

5 :名無的発言者:2016/06/01(水) 07:27:57.50 ID:s8HXl6Ljh
現・民主党(日本社会党委員長を務めた)田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、当館を建設するよう求めた。
中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため
田辺は日本労働組合総評議会から3000万円の建設資金を南京市に寄付しその資金で同紀念館が建設された。
3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。
また記念館の設計は日本人が手がけた

社会党の田辺は靖国問題に火をつけた中心人物の一人な

昭和60年8月7日「朝日新聞」、加藤千洋記者が8月15日に予定している
中曽根首相の靖国神社参拝を「中国が問題視」などと批判記事を掲載

8月15日、中曽根首相靖国神社参拝
※中共からの抗議なし

8月26日 社会党田辺総書記長らが訪中

8月27日 中共副首相が初めて靖国神社参拝を批判

6 :名無的発言者:2016/06/01(水) 07:28:36.91 ID:s8HXl6Ljh
中国史から見た「南京大虐殺」は、実に凄まじいもので、東晋時代の王敦によるもの以来、南京大虐殺は王朝交代や内訌、内乱のたびに発生し、
多くの城民が殺されてきた。就中、南朝時代の宋のときは、皇族間の殺し合いだったため、皇族一族は断絶した。
梁の時代の候景による南京大虐殺は史上最多の死者を出し、日本軍の「百万虐殺」説は、これのコピーではないかとも思われる。
南朝の中で、官軍王僧弁軍の南京への逆襲やら、隋の陳王朝攻滅の大虐殺も有名だ。隋以降、南京城は一事廃城にもなった。
 その後も「南京大虐殺」は続き、十九世紀にも、太平天国の乱における曹国センの大虐殺、二十世紀に入ってからは、
辛亥革命直後に張勲による大虐殺が起こった。曹国センの大虐殺当時、天京(南京)から財宝を搬出する車列は延々三ヶ月間も続いたと
、趙烈文の『能静居士日記』に記録されている。
 このように「南京大虐殺」は、中国で騒乱があるたびに欠かせない、いわば中国史の恒例行事のようなもので、もちろん大虐殺は、南京だけにとどまらず、
長安、洛陽、開封、北京、揚州といった都市でも、歴代王朝の交替、変動のたびに行われていることは、『史記』をはじめとする「二十五史」など、
この国の正史がはっきりと記録するところだ。
 つまり中国の史例をモデルに創作されたのが、日本軍による「南京大虐殺」であるというのが、私が中国史研究を通じて得た結論である。
 もちろんこれまで上梓された、優れた「南京大虐殺研究」からも、少なからざる教えを受けてきたが、今回私は松尾一郎氏の『プロパガンダ戦「南京事件」』のゲラを読み、
これが真相の解明に対し、実に多くの示唆に富む研究成果であることを知った。またことにニセ写真の分析に精力的に取り組むなど、事件究明の上で実に核心をついている。
 本書の上梓によって「南京大虐殺」の嘘の解明がさらに進むことを期待するとともに、これがより多くの人に読まれ、歴史の真実が広く伝えられることを願ってやまない。
プロパガンダ戦「南京事件」 秘録写真で見る「南京大虐殺」の真実
平成十六年一月二十一日 光人社

7 :名無的発言者:2016/06/01(水) 07:32:40.44 ID:s8HXl6Ljh
イザ「天安門」は「地獄門」   
日本映画が初めてカンヌでグランプリ(パルムドール)を受賞したのは、衣笠貞之助監督、長谷川一夫主演の「地獄門」である。1954年の受賞である。しかしこの映画は黒澤明監督の「羅生門」ほど知られていない。
私自身「地獄門」をまだみたことがない。
しかし天安門こそが真の地獄門だろう。76年の第1次、89年の第2次と2度にわたって当局による殺戮事件の舞台となった。血に塗られた門である。
しかも天安門には毛沢東の肖像が飾られている。第2次世界大戦の市民も含めた死者数を上回る人類史上最悪の大殺戮を文化大革命、大躍進でしでかした男である。
ユン・チアンの大ベストセラー「マオ」によるとその殺戮数は7000万人である。この本に対する批判が最近でていることも知っている。別の資料の数字も上げておこう。
中国共産党の傀儡、朝日新聞が出版する「知恵蔵」によると2000万人以上という記載である。さすがである。随分少ない。しかし2000万人だってナチスのホロコーストをはるかに凌駕する殺戮数である。
朝日新聞ですら2000万人までは認めざるをえない大殺戮があったのだ。
そんな事をしでかした毛沢東の肖像をデカデカと掲げる天安門はまさに文字通り、地獄門である。
ちなみに現在までにカンヌでグランプリを受賞した日本の作品は「地獄門(54年)」「影武者(80年)」「楢山節考(83年)」「うなぎ(97年)」の4本である。中国は「さらば、わが愛〜覇王別姫(93年)」の1本のみである。
韓流で得意げな韓国はゼロである。韓国映画に芸術性はないようだ。カンヌ映画祭の主催国であるフランスの受賞作は計8本である。この数字からも日本の4本がいかにすごいかがよくわかる。

8 :名無的発言者:2016/06/01(水) 07:33:46.68 ID:s8HXl6Ljh
◆中国「天安門事件」20年で語られる 「本当は何人殺されたか」
天安門事件では、いったい何人犠牲になったのだろうか。
、「北京市内、天安門広場周辺を含めれば死者は5000人はいる」と
主張するのは中国民主化運動海外聯席会議アジア代表の相林(そう・りん)氏である。
「軍隊は、天安門広場に大勢のジャーナリストが監視している中では殺せなかった。
しかし、天安門を軍隊が占拠し、マスコミを排除した後、彼らは間違いなく虐殺をやり、
殺している。銃殺、あるいは群衆に向かって、70`近いスピードで戦車が突っ込み、
轢き殺しています。遺体を何カ所かに集め、その場で火炎放射器のようなもので焼き、
放水車で跡の残らないように洗い流し、ゴミ収集のトラックに載せ何処かに運び去った
と言われています」
相林氏によれば北京市内の死者5000人に加えて中国全土で5000人の死者がおり
天安門事件全体では約1万人が死んだという。

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http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1231158324/

9 :Z博:2017/05/19(金) 04:44:15.83 ID:X/6HxJaps
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