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【山崎貴】ゴジラ-1.0【神木隆之介 浜辺美波 山田裕貴 青木崇高】Part64
- 467 :名無シネマ@上映中 :2024/04/06(土) 11:49:11.47 ID:drhVXyL+0.net
- 各シーンの日時と場所、撮影場所(ロケ地)、撮影日時などをまとめてみました。(とりあえず、銀座襲来の前まで)
★印は分からない箇所です。教えて下さい。
間違っている点、付け加える点なども有りましたら教えて下さい。
01 大戸島に敷島が零戦で降り立つ。呉爾羅に襲われる
1945年(昭和20年)2月21日(黒板に書かれていた)
なお、小説P20では「そのわずか数日後に日本が無条件降伏をした。」とあり、8月10日頃の設定だった。しかしその頃は小笠原諸島での特攻は行われなかったので、実際に特攻が行われた頃の2月21日に変更したのだろう。
大戸島は、小笠原諸島の架空の島
大戸島の基地のロケ地は、「江見吉浦 浜辺のキャンプ場」(千葉県鴨川市江見吉浦104)
大戸島の遠景、零戦、呉爾羅などはCG
敷島の零戦乗務姿の撮影場所は、★不明★
02 復員船
1945年11月下旬頃か12月
船は、映像から「第百一号型輸送艦(二等輸送艦)」だと推定される
甲板上の撮影場所は★不明★
船の遠景や海はCG
03 敷島が実家に帰る
1945年12月 東京(テロップ)
敷島家の住所は「東京都麻布区麻布竹谷町一四」(後のシーンで澄子に託された敷島の預金通帳の映像より)なお、1947年3月15日にそれまでの芝区・麻布区・赤坂区の旧3区が統合されて港区になる
空襲で亡くなった敷島の両親の名前は、「敷島英一郎」「敷島はる」(後のシーンの位牌の映像より)
敷島家の撮影場所は「東宝スタジオ」(東京都世田谷区成城1-4-1)
敷島家の外観の背景はCGを使っている
04 敷島が闇市で典子と明子に出会う。典子が敷島の家に付いてきてそのまま居付く
日にちは、小説P22では敷島が実家に帰った3日ほど後
場所は、小説P22では「1キロほど歩いた場所で開かれている闇市」
撮影場所は★不明★(東宝スタジオか??)
05 澄子が典子明子の事で敷島を見咎める。澄子が明子に重湯を飲ませる。白米をくれる
日にちは、小説P27では典子が居座ってから数日が経った日
06 敷島が掃海の応募用紙を持って帰宅する
1946年3月(テロップ)
(続く)
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