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【山崎貴】ゴジラ-1.0【神木隆之介 浜辺美波 山田裕貴 青木崇高】Part64

557 :名無シネマ@上映中 :2024/04/06(土) 18:41:17.77 ID:5j5gK4IJ0.net
Wikiにすら書いてあるw

残飯シチュー(ざんぱんシチュー)は、太平洋戦争終戦直後(1945年から1946年頃)の日本の闇市で提供されていた料理の一つ。「シチュー」とは名ばかりで、当時の日本を占拠していた連合国軍最高司令官総司令部(以下、進駐軍と略)の残飯を再利用したものだが、東京都など各地の闇市で大変な人気を呼んだ。

進駐軍の食堂から出た残飯が非正規のルートで闇市へ運ばれ、これを大鍋に開け、水を加えて煮込み直すことで作られており、調理器具は鍋の代わりにドラム缶が用いられることもあった。そのほかに手を加えることといえば、せいぜい量を増すために刻んだタマネギなどを加えるか調味料として塩を加えるか腐敗防止のために砂糖やカレー粉を加えるといった程度であった。調理の手間はほとんどないが、当時としてはこれが正当な調理法であった。
値段は1杯10円程度であった。名称は「栄養シチュー」「ホルモン・シチュー」「ゴッテリシチュー」「栄養スープ」などとも呼ばれた。
戦後の世相を綴った小説『自由学校』には、この残飯シチューのことが「戦後シチュウ」の名でリアルに描写されている。(略)

食べ物ならまだしも、チューインガムのかす、セロファンの欠片、たばこの空き箱、たばこの吸い殻、スプーン、ネズミの死骸が入っていたともいい、挙句には使用済みのコンドームが入っていたという話もある。味については「美味」という意見もあれば「食えた代物ではなかった」との意見もあるなど、人によって評価が大きく分かれている。元が残飯だけに、特有の饐えた臭気があり、時間が経つにつれて酸味が漂ったともいう。
復興後の日本の感覚では家畜の餌に等しいともいえる代物であり、食べ物に不自由することがほぼ無い現在においては到底考えられない食べ物だが、当時は大人気を呼び、多くの人々がこれで飢えを凌いだ。

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