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【山崎貴】ゴジラ-1.0【神木隆之介 浜辺美波 山田裕貴 青木崇高】Part70

346 :名無シネマ@上映中 (ワッチョイ 0b49-fVBz):2024/05/08(水) 20:44:45.67 ID:/CCsHcg20.net
こんな特攻隊員がいる (渡辺洋二氏の「重い飛行機雲」から抜粋)

終戦の日8/15、玉音放送の数時間前に木更津基地から2機の流星艦攻が特攻出撃した、指揮官機山本中尉のペアと2番機の
縄田飛曹のペアだ、縄田飛曹は山本中尉の後席、小瀬本飛曹長の宇佐空教員時代の教え子で元気の良い好青年だったそうだ

米機動部隊を求めて進軍中、指揮官機の山本機が不調になりみるみる速度が下がった、山本中尉は再出撃を決断すると僚機の
縄田機に「引き返す」と伝え縄田機は「了解」と合図した、しかし旋回後に振り返ると縄田機の姿は無かった
彼の機はそのまま進軍したのだ、そして帰らなかった
山本機が木更津基地に帰投してから30分後に玉音放送が流された、彼等の戦争はその時に終わった、形だけは・・・

山本-小瀬本ペアには縄田機の最後についてはしこりが残った、特に指揮官だった山本中尉は縄田機を連れ帰れなかった自分を
戦後も延々と責め続けた
戦後は進学塾を経営し自らも教壇に立って生徒の信頼も得た山本氏だったが、影では自責の念で酒に溺れ、深酒して夜な夜な
暴れる事もあり家族も苦しめた、「戦争の影をなぜにそんなにひきずるのかと」と生涯連れ添った夫人の静子さんも苦しかった

そして山本氏は不治の病となり病院に入院して5日目に危篤状態となった、死に際のベッドの上で山本氏は天井を見つめながら
夫人にこう語りかけた

「おい、お前、アマゾン川だ、アマゾン川。いまからこれを渡る。向こう側に戦友が待っている。あーっ縄田機が突入していく!
 見えるだろう、俺も行くんだ、俺は14日に死んだんだ」

時に平成2年の夏、終戦から既に45年、ひたすら戦争を引き摺り自分を責め続けた特攻隊員の生き残りが戦友の元へ旅立った

・・・敷島の苦悩する姿をくどいと笑うが、現実に生き残った特攻隊員の胸中がどんなものなのかは運良く平和な時代に生まれ育った
私には想像も出来ない
ただ上の様な話を知っていると掃海艇の上で小僧が「あーあ、もうちょっと戦争が長引けば俺も大活躍出来たのに」な軽口に対して
敷島が「お前、本気で言ってるのか!」のマジ顔した彼の胸中が想像出来る。

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