【不滅の巨匠】トスカニーニ16
273 :名無しの笛の踊り :2022/02/20(日) 12:46:50.27 ID:+3tchi6i.net チェリビダッケ語録 7月25日(月) ?Hugendubel“(書店)で、チェリビダッケの『語録集』を買った。(Hg. von S. Piendl u. Th. Otto; ?Stenographische Umarmung − Sergiu Celibidache beim Wort genommen“, ConBrio, 2002 )。 ちょっとした一言に、音楽に対する考えかたが現れていて、とても興味深い。 私は、この指揮者の日本公演にいくことができた。最初に聴いたのは、たしか、東京文化会館。このとき、ミュンヘン・フィルというオーケストラも知った。合計で、3回か4回の実演に接することができたが、いずれも、私の音楽観を根本から揺るがすものだった。 「藝術とはなにか?」と聴かれると、多くの人は、おそらく、「美をもとめる行為」と答えるだろう。古来、藝術と美は密接に結びついている。だが、チェリビダッケにとって、藝術は単に美しさに奉仕するものではない。もし、藝術が美だけを追究するなら、「美しければなんでもよい」ということにもなりかねない。極端なことをいえば、「嘘で固めた世界であっても、美しければかまわない」という人だって出てくる。美しいけれど倫理的には最悪、ということだってありうるのだ。 「Musik ist nicht schön, Musik ist wahr. (S. 20) 音楽は美しいのではない。音楽は真理なのだ」(以下、原文に適当訳をそえる。カッコ内 S. = Seite はページ数) チェリビダッケの音楽は真理をめざす。単に美しいだけでは不充分。美に甘んじていてはいけない。感覚的に心地よいだけなら、藝術とはいえないのだ。 「Der Klang bringt die Schönheit zur Wahrheit(S. 79) 響きは美を真理へともたらす」 真理という言葉で、チェリビダッケがなにを考えていたのか、いまひとつはっきりしないが、真理は、ふつう、「なにかほんとうのこと」を意味する。真理と嘘は相容れない。さらに、嘘が「実際にはないこと」であるのに対し、真理のほうは、「現実にあること」だろう。つまり、チェリビダッケのめざしていた藝術というのは、「『これこそ現実』といえるなにか」ということになる。
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