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素人おじさん バレエ奮闘日記 3冊目
- 1 :踊る名無しさん:2022/09/27(火) 08:39:47.99 .net
- あなたの教室にもいるかもしれない…
東京の、プロダンサー養成をする黒崎バレエアカデミー、
大人のオープンクラススタジオのベルベット、
その他海外のバレエ団、バレエに関わるさまざまな人の物語。
主人公の会社員の田中さんが、二十代半ばでバレエを始めてから
約2年たった2002〜2003年ころの回想が進行中。
田中さんは現在、地方に転勤になりバレエを続けている。
○ルール○
名無しが適当にストーリーをつくり適当に投下していく完全暇潰しスレ。
連投も全然OK。
語彙力文章力一切問わず。
マニアックなバレエネタも大歓迎。
登場人物の追加やおじさんの設定を勝手に追加してもよし。
展開がカオスな方向へいっても自由ですが、
あくまでもバレエものなのでバレエから脱線しない。
>>2に注意事項と過去スレ。
- 263 :踊る名無しさん:2022/12/04(日) 20:43:44.19 .net
- 高瀬蓮と有沢啓徒は、新宿にあるショークラブに飲みに出かけた。
週末の夜、新宿駅周辺には大勢の人が行き交っていた。
二人は少々ガラの悪そうな若者がたむろする猥雑な通りに入り、
ある雑居ビルの地下へと階段を下りた。
その店の名は、『ミッドナイト・フェアリー』、
店先のミニ黒板には今日のステージの出し物が書かれている。
重い防音ドアを開けると、大音響が響き渡る。
店の奥にある小舞台を、七色の光が交錯しながら照らしていた。
混雑する店内で壁際に席を見つけて高瀬蓮は言った。
「飲み物、取ってくるよ。ケイトくんは座ってて」
「ありがとう、蓮くん」
舞台ではコスプレ風のアシンメトリーなスカートやロンググローブ、
ロングブーツを身につけたダンサーたちがその年の流行歌に合わせて踊っていた。
「この曲、ファイナルファンタジーだっけ…」
リアルな世界に揺れてる感情
支えるのは
そうあなたが教えてくれたすべて
いまの私
だから、一人じゃない
- 264 :踊る名無しさん:2022/12/04(日) 20:44:42.65 .net
- 「乾杯」
二人は笑顔でグラスを傾けた。
ロングブーツのダンサーたちがはけると、舞台が静まりかえった。
流れてきたのは、ピアノの三連符。
子供のころから聞きなれたメロディーだ。
水の中のように光がちらちらと揺らめく青い照明の中、チェロの旋律とともに
舞台下手から白いチュチュ姿の男性ダンサーが後ろ向きで現れる。
胸を打ち震わせるような美しいパドブレ。
水の中でもがき苦しむように、生への執着を見せて踊り続ける。
光を求め続け、求めても救われない想い。
有沢さんは、その妖しくも美しい姿に息苦しさを覚えた。
最後に全ての運命を受け入れたように、静かに息絶える。
「ブラボー!!!」
高瀬蓮が叫んだ。
- 265 :踊る名無しさん:2022/12/05(月) 01:33:56.59 .net
- やーだーねー
私はガリガリなのでデブになるためにフライドポテト、ホットケーキ、天ぷら、まるごとバナナ、マックシェイクなんか大量に食べるわ
もちろん揚げバターもね
肉まんの大食い大会で50個食べたけとちっとも太らないわ
- 266 :踊る名無しさん:2022/12/05(月) 01:36:41.71 .net
- ちかは引き寄せノートに書いていた
- 267 :踊る名無しさん:2022/12/05(月) 19:19:25.21 .net
- 舞台のロングブーツのドラァグクイーン達が舞台袖に移動していった。
Tバックのお尻はみなプリンとしていた。
- 268 :踊る名無しさん:2022/12/06(火) 21:53:28.33 .net
- 曲里千加(まがり・ちか)は、19歳の大学生。
平均的な身長なのに体重は35kgに満たない。
食べるのを怠ると、すぐに体重が落ちてしまい、頬がこけてしまう。
趣味で続けているバレエクラスのみんなには
「太らないなんてうらやましい!」と言われるけれど
太れない体質も度がすぎると辛い。
大量に食べた後は、ウエストが一時的に15cmほど膨らむ。
それでも、数時間後にはきれいさっぱり排出されてしまって
身体にほとんど残らないのだ。
子供のころは「ガリガリーチカ」と呼ばれていた。
口の悪い男の子には、「バッタかカマキリみたい」などと
手足の細さをからかわれることもあった。
- 269 :踊る名無しさん:2022/12/06(火) 21:54:49.30 .net
- 痩せてることと大食いは千加の人生最大のコンプレックスだ。
この数年は、大食いはなるべく隠すようにしていた。
なのに、ある日、どうしてもお腹が減っていて、
学食で「太っちゃったーダイエットしなきゃあ」と言いながら
おとなしくサラダをつついている友達のそばで
カツ丼5人分を軽く平らげてしまった。
ふと気が付けば、友達が目を見開いてドン引きしている。
「しまった…」
以降、一緒に食事をするのはお互い避けるようになってしまった。
- 270 :踊る名無しさん:2022/12/06(火) 21:56:54.41 .net
- そんな千加にも、最近初めて彼氏ができた。
優しい同級生の彼とは、第二外国語のイタリア語の授業で知り合った。
デートで食べに行くのは、もちろん食べ放題のお店だ。
「千加ちゃん、よく食べるねえ」と
彼は面白がって笑ってくれた。
大食いの自分を隠さなくても良いことが、うれしかった。
彼は、ありのままの私を受け入れてくれる、
千加はそう信じていた。
ある日、中華街デートの途中で肉まんの大食い大会が開催されることを知り、
千加は飛び入りで参加してみることにした。
優勝賞品『中華街で使える食事券10万円分』が魅力的だったから。
食事券をもらえればデート代も浮いて、彼も喜んでくれるだろう。
肉まんの大食い大会では、体育会系の屈強なお兄さんたちが
30個程度でギブアップする中、
千加は、涼しい顔をして20分で肉まん50個食べて優勝。
見事、優勝賞金の食事券をゲットした。
「やったー!これから一緒においしいもの食べにいこう!」
と大喜びの千加。
「千加ちゃん、肉まんを大量に食べたばっかりじゃないか…。
僕は見てるだけで、胸焼けしてしまって…ごめんね…」
そう言ったきり、彼とは連絡が途絶えてしまった。
- 271 :踊る名無しさん:2022/12/06(火) 21:59:30.84 .net
- ここまで燃費が悪いのは生まれつきの体質だ。
身体は元気で、健康そのもの。
どこも悪いところはない。
高校三年間、遅刻欠席ナシの皆勤賞で表彰されたほどだ。
それなのに、
しょちゅう「摂食障害なの?」と心配されてしまう。
「バレエは、やせてればいいってわけじゃないのよ」などと
見知らぬ先生にまで、諭されてしまう。
今日もバレエのレッスンの後に、空腹に耐えきれず、
帰り道にイートインコーナーのあるコンビニに飛び込んだ。
唐揚げ、コロッケ、アメリカンドッグ。
レジ横のショーケースのホットスナックを全て食べ尽くした。
それでも家に帰ったら、すでにお腹がペコペコで白米を五合食べる。
今日はとうとうコンビニの店長らしき人に言われてしまった。
「ここに来るのは、火曜日と金曜日ですか?
あなたが来る日はたくさん用意しないと他のお客さんが購入できないので
前もって教えてほしい」
家族も親戚もみんな人の二倍三倍食べる人々なのだが、千加ほどではない。
何が悲しいって、この体質を誰にも理解されないことだ。
- 272 :踊る名無しさん:2022/12/06(火) 23:23:46.25 .net
- 永野夕貴は、殺風景な教室で『白鳥の湖』2幕のオデットのVaを踊るアナスタシアの姿を眺めていた。
まるで翼を広げ舞い上がるように、重力を感じさせない脚は頭上まで軽々とあがり一瞬静止したかのように見えた。
朝の光が彼女の白いチュチュを優しく包み、シニヨンに纏めたブロンドの髪が光を柔らかく反射する。
永野は、アナスタシアが非常に努力家で誰よりも美しいバレリーナであることを知っていた。
バレエ学校にいた頃からそうであった。
- 273 :踊る名無しさん:2022/12/07(水) 00:02:15.45 .net
- ロマノフ二世の足音が遠くから聞こえてきた。その途端、アナは踊るのをやめた。次第に、足が震え、唇が青ざめた。
- 274 :踊る名無しさん:2022/12/07(水) 11:22:19.96 .net
- 「アナスタシアさん…?」
突然踊りをやめたかと思えば、明らかに様子がおかしくなっている。体調が悪くなったのか?
永野は心配そうに近付くと、彼女の名前を呼んだ。
「いえ…大丈夫。何でもないわ…。自分でもよく分からないけど、急に不安になって……」
きっと舞台からずっと離れていて主役を踊ることになったから緊張しているのね、とアナスタシアは笑った。
「…アダジオのところからもう一度練習しましょう」
「ええ」
- 275 :踊る名無しさん:2022/12/08(木) 18:55:02.43 .net
- アナスタシアは記憶障害になる
先程の振付けが全く思い出せないのだ
- 276 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:29:41.90 .net
- 「やっぱり、俺はバレエに向いてない…」
田中さんはビデオを見て落ち込んだ。
田中さんの脳内では、自分の姿は唯一無二の立派な王子様だ。
愛と勇気を友とする夢の国の王子様。
イケメン・プリンシパルと呼ばれる日もそう遠くはないはず。
しかし、ビデオで自分の踊った姿に、現実を思い知らされる。
骨格上の欠点からくるポジションのまずさは、どうしようもない。
思えば黒崎バレエアカデミーでバレエを始めたときから、ずっとそうだ。
選抜クラスや上級クラスのボーイズたちは
到底追いつけそうもないほどハイレベルだったし、
同時期に始めた高瀬蓮さえバレエに適した身体を持つイケメンだった。
バレエを愛する気持ちは誰にも負けないのに!
気持ちだけでは、バレエの神様には通じない。
- 277 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:30:52.71 .net
- 悲しみにくれるソロルのように田中さんはベッドへと倒れ込んだ。
目を閉じると、ビデオに映る自分の姿がよみがえる。
なぜだ…?
なぜなのだ…!!!
なぜ俺は、マラーホフのように繊細で
ルグリのように優美で、
ボッレのようにセクシーではないのだ?
虚しさや悔しさ、いろんな感情が入り混じり、目に涙がにじむ。
いいやっ、マルティネスの愛らしさの欠片くらいは持ち合わせてるはずっ…!
田中さんの言葉はバレエの神の逆鱗に触れた。
「芸術を愚弄するな!!!彼らは私のお気に入りのダンサーだ!
お前とは月とスッポン!クジラとイワシ!提灯に釣鐘!
フルコースディナーとお茶漬けくらい雲泥の差だ!」
- 278 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:32:09.34 .net
- 「いやあ〜、お茶漬けもおいしいですよね〜」
「黙れ、このお気楽野郎!」
バレエの神の怒りはおさまらず、建物が天井からガラガラと崩壊していく。
「お呼びでない?こりゃまた失礼しました〜!」
田中さんは夢の中で逃げまどっていた。
翌朝、すっきり目を覚ました田中さんは、と首を傾げながら起き上がった。
「なんか変な夢見ちゃったなー」
そして、いつものように、レッスンバッグと通勤バッグを持つと
「今日もレッスン頑張るぞー!」と
元気に小躍りしながら勤務先へと向かっていった。
- 279 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:34:05.21 .net
- 神代煌介はゲストとして黄葉山バレエアカデミーに来ていた。
二週間後の発表会のための最後のリハーサルのためだ。
「次は二週間後の本番ですね」
神代が立ち去ろうとしたとき、黄葉山ノエミが思い切って呼び止めた。
「あ、あのっ!
来週も神代先生に教えてほしいんです!」
「ノエミちゃん、熱心だね。
海賊のグランパドドゥ、じゅうぶん仕上がってると思うよ。心配しないで」
神代はさわやかに微笑んだ。
黄葉山バレエアカデミーは都心から離れた辺鄙な場所にあり
神代が事前リハーサルに来るのは数回のみ予定だ。
「神代先生、この子ったら〜、今回、珍しくやる気出してるの!
神代先生に踊ってもらうのが、よほど嬉しいみたいで!
ずっと海賊の曲流して練習してて驚いちゃうわ!
去年なんてひどかったのよ。途中でやる気なくしちゃって、
ゲストの先生とも全然息が合わなくなって、あの時は…」
黄葉山母が横からしゃべりまくる。
ノエミの十倍量しゃべる押しの強い母親のそばで
おとなしい娘は黙ってしまいがちだ。
- 280 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:35:12.68 .net
- 「…私が東京に出向くので、時間取れませんか?」
ノエミが上目遣いに請うような顔をする。
「そうだね。ノエミちゃん、すごく頑張ってるから」
神代がゲストに行く先々で、だいたいこんな調子だ。
女たちは、みんな神代を好きになる。
神代の優しい言葉に舞い上がる。
神代のサポートの上手さに感動して、もっと踊ってほしいと言う。
いつも通りだ。
「東京は遠いし、スタジオ使用料に追加の指導料がかかるけど大丈夫かな。
教えてるオープンクラスの空き時間だったら」
神代はノエミに優しく微笑む。
「ありがとうございます!行きます!」
ノエミは嬉しさを隠し切れない。
「神代先生とのこのパドドゥ、しっかりと踊りたいんです」
ノエミは今までこんなに踊ることにときめいたことはなかった。
母親のごり押しでフランスに留学したものの
3年後には劣等感と挫折感にまみれて帰ってきてからは、
ずっと重苦しい気持ちを背負っていた。
- 281 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:37:30.33 .net
- ノエミが久しぶりに来た東京の街は、多くの人でごった返していた。
多くの電車の路線が乗り入れるターミナル駅は巨大なラビリンスのようだ。
右に左に前にも後ろにもそびえたつビル群、
週末の人ごみを抜けると、そこはベルベットスタジオだった。
各スタジオは多くの大人の生徒でにぎわっている。
神代とのリハーサル時間前、ウォームアップとしてオープンクラスを受けてみた。
時間の都合で出たクラスが悪かったのだろうか。
ノエミが「趣味の大人」がレッスンしている光景を見るのは、これが初めてだ。
それはいくぶん衝撃的だった。
今までノエミが追ってきた厳格なバレエレッスンとは、別物だったから。
- 282 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:39:19.28 .net
- 「こんなにざっくり大雑把な動きで許されるなら、
苦労も葛藤もなく、楽しい楽しい、で済むわよね」
ヨーロッパの劇場には採用されなかったものの
本格的な訓練を受けていたノエミは
一般的な大人クラスでは場違いなほど上級者だった。
「どこのバレエ団の方ですか?」
クラスが終わると、ノエミは年上の女性に話しかけられた。
「バレエ団…いいえ、プロではなくて、田舎で教えてます。手伝い程度で」
「先生ね!やっぱりそうですよね!動きが全然違うわ!」
「あんなに踊れたらバレエ楽しいでしょ!」
年上の女性たちに口々に褒められ、ノエミはいたたまれない気持ちになった。
「そんなんじゃないです。私は、ずっと落ちこぼれなんです」
「またまた、ご冗談を!」
- 283 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:42:13.46 .net
- ヨーロッパでオーディションに落ち続けたときには
「私にはバレエを踊っていく資格もない」と駅で一人泣いたのに。
「私もバレエを踊っても、いいんだ」
趣味の大人たちが集う場所で、そう思うことができた。
ノエミの心に重くのしかかっていたバレエが、数年ぶりに軽くなったように感じた。
クラスレッスンの後に、スタジオを貸し切って神代とのパドドゥの練習をする
神代に手を取られると、ノエミの胸は熱くなる。
身体が開き、喜びに高ぶり、リフトされると、空高く駆け抜けていけそうだ。
「ノエミちゃん、何の問題はないから、
このままコンディションに気をつけて」
神代の優しい笑顔はまぶしく輝いていた。
(神代さんが、好きです。
分不相応だってことはわかってます。
神代さんは人気のプリンシパルで、私は凡人…)
ノエミは切ない気持ちを、どうにか伝えようとした。
- 284 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:43:52.21 .net
- 「神代さんと踊ると、『自分らしく』踊れる気がします。
すごく楽しくて…」
ノエミはちょっと恥ずかしそうに言った。
神代に対する好意を、精一杯表現したつもりだった。
「ふふふ、ノエミちゃんは元から素敵に踊れるんだよ」
神代は、ノエミの頭をぽんぽんと優しく叩いた。
ノエミは嬉しそうに頬を赤らめた。
このまま神代の笑顔をずっと見ていたい、
神代の甘い声を聞いていたい、とノエミは心から願った。
「じゃあ、僕はこれで、ノエミちゃん、気をつけて帰ってね。おつかれさま」
神代はさわやかに微笑んだ。
ノエミの野暮ったい地味な踊り。何の気概も自我も感じられない。
工夫もなければ、ニュアンスも出てこない。
それを、『自分らしく踊れて楽しい』?
つくづく、つまんないやつだな。
そう思いながら立ち去る神代の美しい背中を
ノエミはうっとりと見惚れていた。
- 285 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:45:03.75 .net
- あれは、アナスタシアがまだ駆け出しの若いダンサーだったころ。
ロシアの90年代はソビエト連邦の崩壊という大政変から始まり、
社会は混乱状態にあった。
共産主義体制では1.5%だった貧困率が数年で4〜5割に跳ね上がり
治安が急速に悪化していった。
当時、アナスタシアの住んでいた町も例外ではない。
ある日、アナスタシアが劇場から帰ってくるとアパートの鍵が壊されていた。
現金、食料、持ち出せる小型家電、
親が買ってくれたコートやアクセサリや時計、ごっそり取られていた。
バレエに必要なものだけは、残されていた。
アナスタシアは取り乱して、震える声で友達に電話をした。、
駆けつけてくれた友達が警察とアパートの大家に連絡してくれた。
「この一年、空き巣や窃盗は日常茶飯事」と
大した事件ではない、とでも言いたげに警官は淡々と調書を取った。
「ドアの修理代もバカにならない。悪いけど、鍵が直るのは数週間後よ」
大家である年配の女性はブツブツ文句を言っていた。
- 286 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:46:51.24 .net
- その夜、友達の家に身を寄せたアナスタシアは、一睡もできずにいた。
そのあと、一週間は動揺が激しく、レッスンやリハーサルにも集中できず。
振付けが全く頭に入らない。
今まで踊っていたはずのパートの振付さえ、上手く思い出せなかった。
そんなときに、劇場のトップスターだったプリンシパルの二人が、
そろってヨーロッパのバレエ団に移籍していった。
国が混乱する中、多くのロシア人ダンサーが海外に流出した時期だ。
「私も、もっと経済や社会が安定していて治安の良い国で暮らしたい。
ロシアではない、どこかへ行きたい」
という思いが、アナスタシアの中で次第に強くなってきた。
「日本でロシアバレエの教師を探している人がいる」
と日本人の知人から聞いたのは、それから数年後だ。
ある年の夏の休暇の間、交際していた男性ダンサーと一緒に日本を訪れ、
紹介された東京のスタジオで、試しに何度かクラスレッスンを教えることになった。
- 287 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:48:15.19 .net
- 素質のある子供を集め無料で訓練するロシアの国立のバレエ学校とは違い
お金を出して、いろんな人が習いにくる日本の私設教室。
当時、交際していたロシア人の彼は、
「僕にはこの国は合わない」とすぐに帰国してしまった。
「この国の殺人的な夏の暑さには耐えられない。
言葉も難しいし。
それに生徒もお遊びでバレエやってる人たちばかりじゃないか。
アンディオールもろくにできない大人に
今からバレエを教えて何になるんだ?」
しかし、アナスタシアは日本に留まり、バレエを教えようと決意していた。
自分は教えるのに向いている、と感じたのだ。
- 288 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:51:55.21 .net
- 「80年前、ロシア革命から逃れて来日したバレリーナが
日本の初のバレエ教室を建てて、その弟子たちが、バレエを日本に広めた」
という話にアナスタシアは深い感銘を覚えた。
思えば、ロシアの大きな組織の中では上からの命令や教師の決断は絶対で、
アナスタシアのような若いダンサーには何の権限もなかった。
ところが、ここ日本の小さな教室の日本人オーナーは
「日本のバレエを良くしてほしい。
あなたの良いと思う指導を考えてほしい」と言うのだ。
若いアナスタシアには、初めて与えられた自由と使命のように感じられた。
日本で教え始めてからは無我夢中で、あっという間に年月が過ぎた。
アナスタシアは、日本に来た決断を後悔はしていない。
この国は豊かで安全、自分を評価し信頼してくれる人もいる。
だが、ふと、ダンサーとしてやり残したような気持ちになることもあった。
- 289 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 13:54:44.91 .net
- 新宿にある人気のショークラブ『ミッドナイト・フェアリー』では
舞台パフォーマンスが続いていた。
男性バレエダンサーが踊る『瀕死の白鳥』のあとは、
アメリカのヒット曲に合わせて再び派手な踊りが繰り広げられる。
あなたの瞳を奥深く見つめる
いつだってもっともっと触れたい
Got me looking so crazy in love
「バレエを踊る人もたまにショーに出るとは聞いてたけど、
あんな本格的なバレエダンサーがいるとは思ってなかったよ」
高瀬蓮が有沢さんの耳元でささやく。
「脚のラインもアームスも、彼は完全にバレエの人だったね」
高瀬蓮と有沢さんはバーニャカウダをつまみつつ、
あの美しい男性ダンサーはいったい何者なのだろう、と語り合った。
- 290 :踊る名無しさん:2022/12/11(日) 19:49:00.52 .net
- 「私は、黒崎のプロフェッショナルクラスで知り合ったジェイムズと『ライモンダ』のグランパドドゥで舞台に出る予定だったのだけれど
彼が急遽イギリスのバレエ団にプリンシパルとして招かれることになって結局無くなってしまったの」
アナスタシアは永野に残念そうな表情で言った。
舞台に出られなかったことによるものもあるが、身近にいた相手が再び華々しいプロの世界へ呼び戻されたのが羨ましかったのだ。
「教師として沢山の生徒の人を、しかも大人からはじめた人たちを指導するのは新たな発見もあって研究も出来て楽しいわ。
でも私、もう一度プロとして舞台に立ってみたい。最近そういうことを考えるようになったわ…」
「私は…、アナスタシアさんに再び舞台にたって欲しいと思っています。
あなたの白鳥はやはり美しい…。多くの人に見てもらうべきものです。
今回発表会で踊って、もしもご自身にある不安を払拭できたなら、挑戦してもいいと思うんです。
私も、トラウマを克服したいですし…」
- 291 :踊る名無しさん:2022/12/13(火) 12:31:23.10 .net
- 田中君あれからバレエしてるかな〜元気かな〜
発表会の写真?メールに添付されてたよね
画素数が荒くてよくわからないけど小さな女の子に囲まれて幸せそうだったから良いんじゃない?
それにしても鈴木君最近隙あらば両手バーでタンデュばっかりやってるよね
うん!タンデュ面白いよマイブームなんだ・・・奥が深いって言うか・・・
ひょろっと背の高い中村君は小柄で筋肉質な鈴木君の横に並んで二人は大きな窓から降り注ぐ光の中で仲良く両手バータンデュを始めた
黒崎のアカンパニストさんがにっこり笑って曲を付けてくれ始めて
ああバレエらしいわぁと受付嬢がうっとりため息をついた
- 292 :踊る名無しさん:2022/12/15(木) 00:27:45.04 .net
- 二木潤雄(にき・すみお)は、自分の本名が嫌いだ。
華道の師範の資格を持つ母親が「水は生命の源だから」
と選んだ「潤」の字は悪くはないと思っている。
しかし、「男らしく生きてほしい」と願いをこめて父親が希望したという
「雄」の字を、子供のころからなんとなく邪魔に思っていた。
何か余計なものを押し付けられている気がするのだ。
だから、小さなバレエ集団の自主公演や
夜のショーに出演するときには、
シンプルに「ジュン」という芸名を使うことにしている。
この社会での決められた立ち位置から降りて、
素のままの一人の人間、「ジュン」。
その名前なら、自分に嘘のない生き方ができるように思えた。
- 293 :踊る名無しさん:2022/12/15(木) 00:29:05.96 .net
- ジュンがバレエと出会ったのはそれほど早くはない。
器械体操クラブに入っていた小学生のころ、
小学生大会で次々入賞した小柄な友達は
長いウレタンマットの上で
軽々とロンダートからの後方伸身宙返りを繰り返していた。
潤雄は柔軟性やバランス感覚には優れていたが、
瞬発力はそれほどでもなかった。
「潤雄は思いきりが足りないな!
ちょっとなよなよしすぎだぞ!」
当時のコーチにはよくそう言われていた。
同級生よりも早く背が伸びていき、細長い手足と高い重心位置、
アクロバティックな器械体操には向いてない。
それ以上、高い難易度の技を極めていく気持ちにはなれなかった。
- 294 :踊る名無しさん:2022/12/15(木) 00:31:11.11 .net
- 私立の男子中学に入学後、何か別のことを始めようと思っていた矢先、
惹かれたのが学校のダンス部のパフォーマンス。
秋に文化祭、春に部活紹介のステージで
ストリート系のダンスを発表するという
男子校のハードな運動部の中では比較的緩めの部活だった。
母に「ダンス部に入った」と言うと、
「踊る人は、クラシックバレエしたほうがいいって聞いたわよ。
全てのダンスの基礎だからって」
その説は、少々まゆつばものなのだが、かつては良く言われていた。
クラシックバレエとストリート系ダンスとは身体の使い方が違う。
「良い姿勢」「良い音の取り方」さえ違うので、
むしろ、双方邪魔になったりもするのだが。
だがそのときは、そういうものかと信じた。
- 295 :踊る名無しさん:2022/12/15(木) 00:32:17.27 .net
- 「となりの駅にある黒崎バレエアカデミーには
男の子もいるって聞いたわよ。
小学校であそこに通ってる女の子、いたわよね」
15年前。
中学生の潤雄は、音楽に合わせて踊ることに夢中だった。
どんなジャンルでもいいから、毎日踊りたい、と思っていた。
母親が提案した黒崎バレエアカデミーにも
自分で電話して体験に行った。
バレエ初心者の潤雄は、黒崎バレエアカデミーの中学生クラスに放り込まれた。
選抜クラスではないとは言え、生徒は小さいころからの経験者だけだ。
「あらっ、君、いいバランスしてるわね」
最初のレッスンでパッセバランスをピタッと止まったら
先生に褒められた。
しかしセンターでは、順番も覚えられず、わけもわからず、
戸惑い、立ち往生するはめになった。
- 296 :踊る名無しさん:2022/12/15(木) 00:36:12.22 .net
- クラスには、顔見知りの女の子がいた。卒業した小学校が同じだった。
休み時間に教室の片隅で、手芸やら裁縫やらやっていた
おとなしくて物静かな子だ。
潤雄が「さっきのこれ、わからなかったんだけど…」と聞くと
女の子は、黙ってゆっくりとお手本を見せて、
「後ろに寄せて」「45度で顔はこっち」「この音でタンジュ」と
言葉少なに教えてくれた。
潤雄の覚えは悪くなかった。
半年もすると問題なくクラスについていけるようになり、
当時もっと男子が少なかったこともあって
2年もたつと選抜クラスにも推薦された。
- 297 :踊る名無しさん:2022/12/15(木) 00:39:53.78 .net
- あれは、高校一年生の発表会の舞台リハーサルのときだった。
「あの子、可愛いよね」と一人の男友達が潤雄にこっそりささやいてきた。
「うん、洋平くんは色っぽい」
潤雄は何のためらいもなくそう答えたら、
「何言ってるんだよ!香織ちゃんのことに決まってるだろ!」
と笑われた。
冗談だと思われたのだ。
その時だ。
子供のころから「何かが違う」と思っていた漠然とした違和感が
はっきりと「自分は違う」という意識に上ってきたのは。
- 298 :踊る名無しさん:2022/12/15(木) 19:56:15.67 .net
- 同じバレエクラスには姓名判断占いに凝ってる女の子がいた。
名前を書くと、またたく間に画数計算をして、
「13画は明るく社交的」「18画は忍耐強い努力家」
「24画はお金に困らない大吉数」などと占ってくれるのだ。
ただのゲームだとは思いつつ、潤雄も占ってもらった。
「自分の名前、嫌いなんだよね」
だいたい潤を『すみ』と読ませるのは不自然だ。
『原子』を『あとむ』と読もうが『星』を『きらら』と読もうが、制度上は可能だ。
聞いた話では、
潤の字を使いたい母と、自分名前のスミの音を使えという祖母の
嫁姑喧嘩の果てにそんな名前になったのだと言う。
それじゃあ自分の名前は家庭内バトルの証拠品みたいじゃないか。
- 299 :踊る名無しさん:2022/12/15(木) 19:57:57.58 .net
- 「うーん…そうだね…」
二木潤雄。ここまで字画の悪い名前は珍しい。
孤独で悲運で不和変転の相。
「悪いことが出ても励ましやヒントになるように言う」のが占いの極意。
それを心得ていた女の子はこんな風に言った。
「鋭敏っていうのかな。とても頭が良いの。
人より、感性がシャープで、デリケートだから、
人と違うポイントで傷つくこともあるかも…」
「うん、そうかもね」潤雄は妙に納得してしまった。
- 300 :踊る名無しさん:2022/12/15(木) 19:58:48.58 .net
- 光美マリアは、バレエ雑誌タンツ・マガチネのページをめくった。
白いブラウスを無造作にはおり、
ポーズを取る美しい男性ダンサーの写真。
『何者もおそれぬ大胆さと、ほろりとさせるような優しさが同居する
S&Bバレエ団プリンシパル 神代煌介』
でかでかと掲載されているのは、まさにマリアが交際している相手だ。
『「努力した」「猛練習した」そんな言葉では到底、言い表せない。
燃えに燃えてバレエに取り組んだ日々の中、
自分の姿を、理想のプリンシパル像へと変貌させたかった…』
欧州のバレエ団を渡り歩いた時期の苦労話が語られている。
『今は、ダンサーとして可能な限り理想を追求していきたいんです。
技術、表現、そして人格も含めてです』
- 301 :踊る名無しさん:2022/12/15(木) 20:07:01.20 .net
- マリアはうすうす感じていた。
神代はひどく冷淡なところがある。
交際していることは、神代に口留めされている。
夜、人目につかない場所で待ち合わせをして、数時間で別れる。
それ以外のデートをしたことがない。
「明日もリハーサルだから、コンディションを整えたい」
「狭い業界だから、あることないこと言われると仕事に支障が出る」
それはダンサーとして、マリアにもわかる。
わかるのだけれど…
神代は、いつでも自分の利害が最優先だ。
ふわふわとした優しい言葉と美しい笑顔で
神代の心は巧妙にコーティングされている。
誰にでも優しい代わりに、誰にも心を開いていない。
あの人は強いから、私がいなくなっても全然平気だわ。
雑誌のページを閉じながら、マリアはつぶやいた。
- 302 :踊る名無しさん:2022/12/21(水) 00:32:12.83 .net
- ここもそろそろ終わったな
誰かが書いた直後、わざわざ話を潰して別の展開を繰り返しの内容で上書きするヤツいるから
- 303 :踊る名無しさん:2022/12/21(水) 13:01:34.44 .net
- 「そろそろ俺のバレエは終わったな…」
素人おじさんの一人がつぶやいた。
誰も俺のことを考えてくれない。
みんな自分のレッスンに精一杯だ。
俺のことは無視だ。
俺の希望通りに万事ことが運ぶように、
手取足取り手伝ってくれたっていいじゃないか!
ひとこと言ったら、俺の意向を察して俺がやりやすいように
場を整えてくれたっていいじゃないか!
「あの人、どしたの?」
「たぶん、誰かに何かを手伝ってほしいみたいだけど?」
「手伝ってほしいったって、何を?どう?」
他の素人おじさんおばさんたちは、怒っているおじさんをいぶかし気に見ていた。
「お前らが俺にしっかり気を使わないから嫌になるんだよ!」
「えっと?じゃあどうしたいの?」
「わかるだろ!そんなこといちいち言わなくても!」
そのおじさんは怒るとスタジオを出て行った。
- 304 :踊る名無しさん:2022/12/21(水) 21:19:31.38 .net
- 大人向けオープンバレエスタジオのベルベット。
平日の昼間に行われるプロフェッショナルクラスでは、バレエ上級者の集まる中、一人場違いなおじさんがいる。
スポーツクラブのバレエ歴10年以上の名園さんだ。
名園さんは上級者男性たちと一緒にグランワルツの曲に合わせてジュッテアントゥールナンのマネージを見せた。
- 305 :踊る名無しさん:2022/12/24(土) 08:15:33.76 .net
- バレエクラスでは素人男は目立つ。
すぐ噂のネタになる。
悪口大好きな一部の素人おじさんおばさんと違って
プロレベルの上級者はたいてい見て見ぬふりをする。
自分ができて他人ができない状況は、子供のころから普通だ。
しかし、名園さんはプロフェッショナルクラスでは少々目立ちすぎていた。
「あの謎のおじさん、動くだけは動くんだよねー」
常連の男性が惜しいな、と言った口調で言った。
「見事にターンアウトできる良い脚してるのに」
個人教室の女性教師が言う。
- 306 :踊る名無しさん:2022/12/24(土) 08:16:53.99 .net
- 「バーまでなら、ちょっとは慣れてんのかなと思ったら、
センターでは全部崩壊してたわ」
たまたま来た元プロダンサーが物珍しげに笑った。
まったく、どいつもこいつも、恵まれた坊ちゃん嬢ちゃんのくせに。
余計なお世話だ。
お前らは、膨大なお金と時間を長年バレエにかけた物好きであり、
それが許される環境にいたラッキーなヒマ人なのだ。
40過ぎてバレエを始めた素人の俺に、同様に踊れと期待するほうが傲慢だろ!
- 307 :踊る名無しさん:2022/12/24(土) 08:17:46.08 .net
- 先日、名園さんは舞台に誘われた。
後ろでお芝居をしているほとんど踊らない立ち役としてだ。
「舞台に出るなんて、まっぴらごめんだね!」
名園さんは即刻断った。
「西洋人貴族のフリなんてこっぱずかしい真似できるかよ!
俺50過ぎてんだぞ?
若いおじょーちゃんがヒラヒラした衣装で踊るのはわかるが、
それも許せるのは、せいぜい25までだな!」
それを聞いたまわりの女性一同はムッとして
名園さんに冷たい視線を向けていた。
- 308 :踊る名無しさん:2022/12/24(土) 23:23:39.43 .net
- 「で、いったい此処は何処なんだルイス…」
「俺の行きつけの酒場にいこうと思ったんだけど、いったい此処は何処なんだよぉ〜」
田中さんに瓜二つな村人ルイスと、有沢さんに瓜二つなデジレ王子が大人向けオープンバレエスタジオベルベットの前で佇んでいた。
「ちょっとそこ退きなさいよ! 入れないじゃない! 入るなら入りなさいよ!」
シニヨンの小太りのおばちゃんが入り口の前に突っ立っているルイス達に苛立ちを露わにさせてくる。
その迫力におされた二人は、半ば逃げるように施設内へと入るとガラス窓の向こうから優雅なクラシック音楽に合わせて踊る女性達の姿が目に入った。
「……」
「うひょー 女ばっかりだ!」
「あの女性は……?」
バレエを踊る女性達の中に、ナオミの姿があった。一際美しい彼女の姿に、思わずデジレ王子は釘付けになる。
- 309 :踊る名無しさん:2022/12/25(日) 00:06:23.61 .net
- 「デジレ王子、最近オーロラ姫と上手くいってないでしょ…?」
「何故そう思うんだ…」
「男の勘っつうやつですよ。」
ルイスにそう言われ、デジレ王子は一瞬黙り込んだ。
「そうだな…。
なんというか、オーロラ姫は本当に私のことを愛しているのか分からなくなるときがある…。
私に無関心すぎる気がして」
「うう…なんか想像以上に夫婦仲があれな感じだな…。夜のお楽しみも無いの?」
デリカシーの欠片もないことを平然ときいてくるのがルイスという男だ。だがデジレ王子は気にせず答える。
「オーロラ姫とは…一度も経験がない」
「じゃああの双子のお姫様達は!?」
「いつの間にか生まれていた、けれどオーロラ姫との娘達ではない」
衝撃の事実にルイスは固まってしまった。
- 310 :踊る名無しさん:2022/12/26(月) 23:21:37.89 .net
- 「…体験の方ですか?」
ベルベットの受付の女性がルイス達に訊ねた。
ヨーロッパの村人と王子風の服装をした若い白人男二人を不信に思いつつも、取り敢えず声はかけておこうと思ったのだ。
東京という街には色んな人がいることを彼女もよく知っていたからだ。所謂彼らは日本のオタク文化に感化された外国人コスプレーヤーだろう。
「え? 体験って俺達も踊れるんですかい?」
村一番の踊り手のルイス様が踊りゃあ若い娘達は大興奮さ!にしし…
ルイスはいやらしい笑みを浮かべる。
「はいそうです! 俺達体験に来ました!」
元気はつらつにルイスが答えると、早速スタジオを案内してもらうこととなった。
「デジレ王子。オーロラ姫のことで悩みもあると思いますが、今日は俺とハメを外して楽しみましょう! …って王子??」
そしてルイスが振り返ると、つい先程まで一緒にいたデジレ王子の姿がそこには無い。
- 311 :踊る名無しさん:2022/12/26(月) 23:59:24.56 .net
- 突然いなくなったデジレ王子はというと
ナオミに心を奪われてしまい、プロフェッショナルクラスのスタジオに乱入していた。
「え? 何…王子様???」
「どこの先生? スタイルいいし凄くハンサム…」
プロフェッショナルクラスに参加するマダム達がデジレ王子をみて、こそこそと話し始める。
東京のオープンバレエスタジオに突然王子の格好をした男が入ってくる状況は明らかに異質であるのだが、
バレエスタジオだからなのか、舞台を控えて衣装あわせをしているのだろうと勝手に解釈をされていた。
「……!」
そして自然な流れで、九条ナオミもデジレ王子に視線を向けた。けれど彼女の反応は他の生徒たちとは違っていた。
イギリスで亡くなったときかされた有沢ケイトそっくりな男性が今目の前にいるのだから。
「有沢…さん…………?」
そう呟くナオミをデジレ王子は真っ直ぐ見つめる。
「私はデジレ。貴女のお名前を教えてください。新雪のように美しい方、きっとここで貴女にお声掛けしなければ永遠に会うことが出来ないと思いました。
突然のことで驚かせてしまったこと、どうかお許しください…」
どう見ても有沢ケイトであるのに彼は私をからかっているのか? ナオミはケイトが生きていた喜びと同時に、デジレ王子を有沢さんと勘違いしているため彼のおふざけに無性に腹が立った。
どれだけ苦しみ悲しんだことだろう。
どれだけ貴方に会いたかったことか…。
それなのに貴方は不謹慎な嘘までついて、こんな形で私をからかうというの!?
- 312 :踊る名無しさん:2022/12/30(金) 00:35:36.99 .net
- ナオミは有沢さんとの間に出来たが流産で亡くなってしまった子どものことを思い出し、余計に苛立ちが増した。
「有沢さん…今までどうして私の前から姿を消していたの……?」
そうナオミは呟くなり、暗い顔のままスタジオを後にした。
残されたのは突然のことで呆然とする受講生や講師と、ナオミに人違いをされ振られてしまったデジレ王子であった。
- 313 :踊る名無しさん:2022/12/30(金) 10:24:00.79 .net
- 「知らぬ間に子供ができるのか…」
一瞬、驚いた田中さん似の村人ルイスだったが、
教会でそんな話は聞いたことあるぞ、と考えなおした。
「やはり、高貴な人は下々の者のようにことをいたさなくても
天のおぼしめしによって受胎するのだろう。
聖母様もそうだからな!」
田中さん似のルイスは昨年のクリスマスに行われた村祭りの出し物で
村人同志と一緒にキリスト生誕劇に参加した。
劇の主役は聖母マリアで、男性ができる一番目立つ役は大天使ガブリエルだ。
しかし、ルイスは地味な衣装の羊飼いの役だった。
「やりたかったんだよなあ〜。神のお告げを伝える役!
輝く白いローブ、絶対俺に似合うのに!
次回こそ、大天使ガブリエルの役をゲットしたいものだな!」
そう思いながら、ルイスはスタッフに案内されスタジオを見てまわった。
「しかし、デジレ王子、一体どこいっちまったんだ…?」
- 314 :踊る名無しさん:2023/01/01(日) 01:53:07.41 .net
- デジレ王子はその場の流れでプロフェッショナルクラスを受講することになった。
当然王子はバレエ初心者でありクラシックバレエなど習ったことがない。まだ確立する前の時代の人間なのだから当然だ。
外見は完璧な王子様なデジレ王子であったが、踊り始めるとバレエではない別の何かであった。
しかしそこは大人向けオープンバレエスタジオだ。どれだけ酷い踊りの初心者が混じっていようと講師は基礎をすっ飛ばしてレベルを変えずに複雑なアンシェヌマンを組んでくるのである。
- 315 :踊る名無しさん:2023/01/01(日) 22:21:27.10 .net
- 「スタイルの良いイケメンダンサーかと思ったら…
なーんだ。たまに混ざってくる勘違い初心者か」
常連メンバーのがっかり感は半端ない。
最近よくいるのだ。一見かなり踊れる人風なのに
踊ってみたらガッカリ。注目して損した、と思うような大人初心者が。
しかし、外見至上主義のクラシックバレエ。若い男子は貴重でもある。
素人おじさんと若いイケメンとではビミョーに反応が違う。
「動きはダメだけど、音感はよさそうよ?
ちゃんと小節の最初の音を外さずに動いてる」
「そうね。頭や肩は静かに保ってるから、他のダンスをしてる人かもね」
イケメン好きの女性たちは、比較的温かい目でデジレ王子を見守るのだった。
- 316 :踊る名無しさん:2023/01/02(月) 12:44:12.87 .net
- その一部始終をスタジオの端っこから眺めていた名園さんはというと…。
「ケッ…女ってやつは顔さえよけりゃああんな下手くそ素人男でもチヤホヤしやがって…!」
とミソジニーを全開に恨み言を呟いていた。
名園さんがオープンバレエスタジオに参加を始めた頃などは、何なのこの素人オジサン…という冷たい眼差しをマダム達から向けられ避けられてもいたのだ。
今でも生徒や講師からも内心バカにされていることは名園さん自身も感じていることだ。
けれど自分よりも酷い踊りのデジレ王子が来てくれたことは、少し安心を覚えた。
- 317 :踊る名無しさん:2023/01/02(月) 15:28:50.50 .net
- 中村君!あけおめ〜
鈴木君!久しぶりだね、君もお正月特別レッスンに入れたんだね
知った顔にあえて嬉しいな
それだけじゃないよ、あそこのバーに居るのは誰あろう田中君だよ
広いスタジオをとことこ近づいてくる二人組に嬉しさ懐かしさがあふれて飛び上がりたい田中君だったが
君たちとは違って地方お教室でさまざまな経験、修行を積んだ俺なんだからと努めて厳かな雰囲気を漂わせることにした
- 318 :踊る名無しさん:2023/01/02(月) 15:45:19.24 .net
- 上げちゃったゴメン(汗
田中君なんか変わったね〜角度がキッチリしてるって言うか5番の立ち方が違う気がする
センターレッスンが終わったあと鈴木君がにっこりして声をかけた
よく他の人見てる余裕あるよね〜僕は久しぶりのレッスンでからだが重くて重くてついて行くのに精一杯だ
中村君は両膝に手をついてゼーハーしている
僕はね〜タンジュの効果が出たと思うんだ〜それを確かめたくて今日来たから
そう言えば鈴木君感じが変わった・・・上半身の感じ・・・ダンサーっぽい!
ピッタリしたウェアのせいかな〜
そんな微笑ましい3人組も動けば素人っぽさ全開なのだが、それで良いのである
- 319 :踊る名無しさん:2023/01/02(月) 20:08:02.25 .net
- お正月特別レッスンはA、B、Cクラスとあり田中さんたちはCクラスでの参加であった。
Cクラスには大人バレエ初心者や薫くんなどの選抜クラスに入れなかった子ども、情操教育や習い事としてバレエを嗜む小中学生ばかり。
明らか素人掃き溜めクラスといったところである。
一方、Bクラスは選抜クラスの小中学生、Aクラスは選抜クラスの高校生以上や大人中上級者もしくはプロダンサーが参加している。
- 320 :踊る名無しさん:2023/01/02(月) 22:23:30.92 .net
- 東京某所
黒崎バレエアカデミーと並ぶ名門であり、バレエ団付属華山バレエ学校に一人の青年が体験レッスンに現れた。
青年は広々とした洋風なエントランスホールに併設された受付に声をかける。
「体験レッスンを予約しています、宮間(みやま)です」
「お待ちしておりました、宮間さん。更衣室は3階、スタジオは2階です。ご案内いたしますね」
青年の名は宮間 貴明(みやま たかあき)。
バレエは2年前に地元の教室で運動不足対策のためにはじめたが、発表会を契機にバレエに強く魅了され、現在は大人ながら本格的にクラシックバレエを学ぶため、移籍を考えているのだ。
バレエ歴は2年だという宮間だが、その容姿は見栄えのする外見で、小顔で手足も長く、脚の美しさは端からでも分かった。
宮間はその外見で貴重な若い男子ということもあり、地元教室ではチヤホヤされていたし、オープンクラスに参加するとバレエに適した身体条件や王子様感で常連マダムたちや講師から何かしら褒められた。
素人男性ながらあまりにも恵まれすぎた境遇故に、どこか高飛車な面を持ち合わせている上に、自分が美しいことをよく理解していた。
- 321 :踊る名無しさん:2023/01/02(月) 23:15:02.51 .net
- 宮間は、名門校ということもあり緊張もしつつ、ここ華山でも自分は歓迎してもらえるであろうと高をくくっていた。
黒いタイツに白いシャツというシンプルなレッスン着に着替え終わると、彼は2階のスタジオへと向かう。
スタジオには既に数人の生徒がおり、殆どが中高年ぐらいの女性で、男性は半袖に短パン姿の中年太りのオジサンが一人であった。
硬い身体をよいしょよいしょと伸ばすオジサンの姿を後目に、宮間は講師の姿を探す。
「先生はまだいないのかな…?」
恐る恐るスタジオに入っていく宮間であったが、このスタジオの独特の空気感に居心地の悪さを感じた。
女性たちは皆誰だ誰だと気にするように此方をチラチラみているが警戒しているようにみえる。
「おはようございます」
挨拶をすると取りあえず皆返してくれたが、周りの生徒たちは一様に宮間を異質なものをみるような眼差しを向けてくるのだ。
- 322 :踊る名無しさん:2023/01/02(月) 23:42:48.25 .net
- 居心地の悪さを感じつつ、バーのある適当なところにつくと、気を紛らわせるように柔軟を始める。
地元教室にいた頃に相当努力した柔軟性は、継続組にも引けを取らないレベルだ。実は宮間、子供時代に数年ほどバレエを習っており当時は非常に柔らかい身体の持ち主であった。
生まれつきの筋肉の質が良かったのである。
そしてそうこうしているうちに講師の上原がやってきた。気難しそうな初老の男性講師だ。
「おはようございます。ではレベランスから…」
「よろしくお願いします」
講師が入ってくるなり一斉に立ち上がりお辞儀をする。宮間もそれに倣う。
異様な空気ではあったが、レッスンはいたって普通で基礎的なものである。
とはいえ大人の初心者クラスであることや身体条件的な理由でアンディオールも中途半端であったり姿勢が悪かったり膝や肘が曲がっている人が殆どで、
お世辞にも上手いとはいえない。
講師はきちんとやるべきことは淡々と口頭で教えているのだが、彼らは全くきこえていないのかまともにタンデュの使い方もなっていない。
講師自身もだからといって注意するわけでもなく半ば諦めているようにもみえた。
- 323 :踊る名無しさん:2023/01/03(火) 00:07:33.13 .net
- 宮間は高飛車でマイペースなところがあるとはいえ非情に努力家で真面目な青年であるため、地元教室ではバレエの基礎を何が何でも徹底的に身体に落とし込むトレーニングをした。
そのかいがあってか、確かにまだまだ未熟な部分が多いものの宮間の踊りは実に丁寧で優雅、無駄のない洗練されたものとなっていた。きっと誰もがたった2年のバレエ歴とは思わないであろう。
宮間を警戒していた女性たちも彼のセンターでみせる動作に思わずみとれた。だが一方で、講師の上原は不満そうに宮間の姿を眺めている。
「おい。そこ5番が甘い! こんないい加減な踊りはバレエじゃない。クラシックバレエを舐めるな!」
突如浴びせられた怒号が、まさか自分に向けられたものとすぐには認識出来ず宮間は一瞬呆然とした。
他の生徒も皆黙り込み、宮間の方に注目する。
- 324 :踊る名無しさん:2023/01/03(火) 11:15:45.37 .net
- 初老の男性講師、上原が数年前に初心者クラスを担当し始めた当時は
大人にも中高生クラスと同じように教えようとしていた。
ところが、女性講師の一人が言ってきた。
「ダメですよ!上原先生!
素人のおばさんに中高生と同じように教えても
『厳しくされると、バレエ嫌いになっちゃう〜』って
クレームつけて逃げていくのがオチですよ。
大人は『自分は上手く踊れている』という気分にさせていれば
高い月謝も払うし、団の公演のチケットも買ってくれるでしょ?それでいいんですよ」
教師として必要なことは教えるが、深追いはしない。
生徒の出来不出来には関知しない。期待もしなければ落胆もしない。
それが教師の間での大人クラスに対する認識だ。
上原は内心苛立ちながらも、長年築き上げた理想を封印し
このクラスは仕事と割り切り淡々と教えることを決めていた。
そんなときに体験に現れたのが、宮間という青年だ。
- 325 :踊る名無しさん:2023/01/03(火) 20:19:50.43 .net
- 「また始まった。上原先生の若い男子いびり…」
「前にも体験に20代の男の子が来てくれたけど、まだ初心者だったのに気の毒だったわ…結局それっきりだったし」
「スタジオに若い男子入ってきたから、今日もこうなるって予想はついてたね。空気悪くなるし正直若い子はこないでほしかった」
「しかも前の時よりもかなり酷くなってる」
女性たちは集まって口々にこそこそと話し始めた。一方、その集団からやや離れた位置に佇む女性は、「いいお手本が入ってきてくれるなら寧ろ喜ばしいことじゃない? それに先生だって熱心に教えてくれるようになるんだから…」と内心で考えていた。
女性は高野律子(たかの りつこ)、40代半ばの主婦である。
憧れていたバレエは30歳の時にはじめ、今日まで熱心に続けてきた。人一倍やる気もあり、少々クラスでも浮いていたが、それでも他の大人クラス生徒同様に扱われている。
彼女自身、大人クラスがこのバレエ学校でどのような位置付けをされているかぐらいは察しはついており、悔しい思いを度々していた。
一所懸命やってきたため確かに周りの生徒よりかは踊れるが、それ以上はなかなか思うようには上達しない。
「やっぱり大人には限界があるのかな…」
ふとそんなことを呟いてしまうこともあった。本当は限界など認めたくない。もっと上達したい。
けれど発表会のビデオに映るポワントもまともに立てておらずパラレルになったストゥニュー、曲がった脚や腕が現実をイヤでも見せつけてくる。
- 326 :踊る名無しさん:2023/01/03(火) 21:29:45.20 .net
- 華山バレエ学校は黒崎以上に規制が厳しく、他教室との掛け持ちは不可でバレたら退学処分、ヴァリエーションは大人クラスの生徒は一切踊らせてはもらえないという。
発表会の幕ものでも芝居などに重きをおいたキャラクターのみで、クラシックバレエは踊らせてはもらえない。
クラシックバレエやヴァリエーションに憧れている大人生徒は、次々に華山バレエ学校を辞めていき現在残っているのは舞台に出ることそのものが生きがいであったり、仲間といることを楽しんでいる大人ばかりだ。
高野も以前辞めることを考えていたが、女性講師から「ある程度の実力さえつけばヴァリエーションやクラシックバレエの役を踊らせてもらえるから」と引き留められた。
こうして今も努力を続ける高野であったが、まだクラシックバレエを舞台で踊らせては貰っていないのだ。
- 327 :踊る名無しさん:2023/01/03(火) 23:17:13.22 .net
- 一度も大声で怒鳴られた経験も、自分の踊りを恥だなどと言われた経験のない宮間は困惑を隠せないでいた。
明らかこの中では自分は上手いはずだ。それなのに何故僕だけに…!
宮間は悔しさとショックを受け震えた。
「もう一度最初から…」
音楽が再び流され、宮間は再度皆が注目する中、踊ることとなった。
「カウントが合っていないだろ! カウントもとれないんじゃバレエダンサーとして致命的だぞ!」
「何しにここに来てる! バレエをちゃんと踊れバレエを…!」
再び踊れば再び怒鳴られる。そうした扱いに慣れていない宮間は、今にも涙が溢れそうだ。
早くこの時間が終わってほしい。早く解放されたい。そんなことばかりがよぎった。
こうして彼にとって地獄のような体験レッスンが終わり、さっさとスタジオを去っていった上原に残された生徒たちと共にクールダウンのストレッチをはじめた。
「あなたバレエ団員の子?」
すると女性の一人が声をかけてきた。
「いえ、体験で…。バレエ団員なんてとんでもないです。僕はまだ素人ですし」
「すっごく上手だったから団員かと思っちゃったわ。ここの先生、男の子には本当に厳しいから別の曜日に行くと良いわよ。
穏やかな先生でしっかり指導してくださるから…支部教室にも大人クラスがあるし」
別の曜日。支部教室。
確かに上原先生のもとでは集中できそうにない。彼女の提案に乗るのも良いかもしれない。
- 328 :踊る名無しさん:2023/01/05(木) 08:12:53.15 .net
- 他のスタジオでは大勢の中高生たちのレッスンが続いていた。
宮間はガラス越しにしばらくその様子を眺めていた。
統一されたレッスンウェア、きっちり同じ高さにまとめられたシニヨン。
ほっそりとした体形の子供たち。
幼少から同じ教室で育った子供たちは踊り方や表情まで似ていた。
「雑多な大人クラスとは全然雰囲気がちがうよな…」
しばらくすると宮間は気がついた。
30人のクラスの中、3〜4人のトップグループの子が明らかに抜きんでていることを。
先生が熱心に指導しているのは、トップグループの子たち。
生き生きと目を輝かせて、身体から湧き出るエネルギーを発散させているのもその子たちだ。
他の生徒は、二軍、三軍扱いなのか、ほとんど声をかけられていない。
落ちこぼれ気味で生気が感じられない子もいる。
- 329 :踊る名無しさん:2023/01/05(木) 08:16:31.08 .net
- 「なんだっけ…あれ…、古いバレエ漫画で見た言葉」
宮間は記憶の中のページを思い出した。
『鶏口となるとも牛後となるなかれ』
宮間は自分が名誉心が強くプライドが高いことを知っている。
その性格は向上心や原動力にもなるが、ときには邪魔にもなってきた。
良い評価をされなかったり、期待したほど注目されなかったりすると、
すぐに興味を失ってしまうこともあった。
バレエを続けるなら、一軍・トップグループとして歓迎され指導される場所がいい。
そんなことを漠然と思いながら、宮間は華山バレエ学校を後にした。
- 330 :踊る名無しさん:2023/01/05(木) 19:53:48.49 .net
- 華山バレエ学校は名門だ。
その学校から有名な国際コンクールで入賞する者や有名バレエ団で活躍する卒業生までいる。
指導は本物なのだろう。がむしゃらに努力したからといって正しく成長できるとは限らない中、将来性ある子どもを導くことが出来るのだから。
それでもその指導を与れる生徒はごく一部。けれど自分は…。
宮間は空を仰いだ。
もしも入学を決めたら、自分はあの初心者レベルの大人ばかりの、プロ養成とは程遠い、まるで華山バレエ学校でビジネス的な意味で設けられたクラスに入学することとなるのだ。
ジュニアのクラスでさえ選別されているのに、大人バレエクラスの生徒をまともに相手にするだろうか…。
宮間は密かにプロのバレエダンサーになることを大人ながら夢見ている。もちろん、20代後半の自分はプロとして期待される時間が既に終わっていることは重々承知している。
- 331 :踊る名無しさん:2023/01/06(金) 00:14:29.44 .net
- 若く美しくいられる時間とて儚いものだ。
宮間はショーウィンドウに映った自分の姿を見てふと思った。自分には時間がないのだ。
年齢的にチャンスさえ滅多に転がっていない状況で、それでも自分はプロバレエダンサーを目指さなければならない。
『大人からプロなんて…』
『大人バレエには限界があるのよ』
『そんなの目指さなくて良いわ。趣味で続けた方がずっと楽しいんだから』
過去耳にした言葉の数々。
得もいえぬ悔しさ、悲しみ、怒り、そうした感情が上原の暴言めいた指導で既に疲弊した心を苛んでくる。
- 332 :踊る名無しさん:2023/01/06(金) 00:37:28.84 .net
- その頃、上原は体験に来た青年のことを考えていた。
事務員から体験レッスンにバレエ歴2年の男性受講者がくるとはきいており、
また身体の堅い素人のおじさんだろうと上原は期待もなにもせずいつも通りレッスンをしようと思っていた。
けれどスタジオに入ったとき思わず彼は目を疑った。
そこにいたのは立ち姿までもが美しい青年であったのだから。
名前の知らないその青年の立ち姿やバーレッスンからは、短い年数で如何に努力してきたかが分かる。
単純に骨格がめぐまれているだけでもない。
顔の向き、指先、アームズの形、アンディオールの使い方、足裏の使い方にいたるまで神経を集中させているのがわかった。
センターでの動きは繊細で優雅、見せ方も相当研究してきたことがうかがえる。見た目のみならず踊りも気品があり、ノーブルタイプのダンサーに育っていくだろうと感じた。
- 333 :踊る名無しさん:2023/01/06(金) 12:30:47.90 .net
- 地方勤務でお教室発表会バレエの楽しさ奥深さに触れて一回りも二回りも成長した、のかどうかわからないが
いつも生き生きとバレエに取り組む妙齢独身男子を、地方お教室でまったりバレエに取り組む有閑俱楽部マダム達が
ほおって置くわけは無いのである
田中君、結婚の予定とか無いの?どうかしら、もし誰か良い人居ないかとか考えているなら
え?僕は今のところバレエが恋人みたいなもんですから
誰に対してもにこやか爽やか営業スマイルで接しているうちに
知らず知らずマダム達を撃退していた田中君なのだった
そんな貴重なバレエ大好き男子をお教室主催のご夫妻が大事に無理させず育てたお陰で
変な癖がつかず自己流で付いた癖も薄まって、自分で気づかず理想の王子の立ち姿にジリジリ近づいていた田中君だったのだが…
- 334 :踊る名無しさん:2023/01/06(金) 21:00:24.22 .net
- 「プリンス・バレエコンクール?」
ある日、バレエ教室の掲示板にチラシが張り出されていることに気がついた田中さんは、足を止めてまじまじとその内容をみた。
男子のみを対象としたバレエコンクールが開催されるらしい。
「これは俺の為にあるようなコンクールだ…!」
田中さんは純白の王子の衣装に身を包んだ自分がステージで華麗に踊る姿を想像した。
「それに選ばれればバレエ団の公演に特別出演だって!!」
- 335 :踊る名無しさん:2023/01/08(日) 01:06:43.30 .net
- ベルベットを後にしたデジレ王子とルイスは、はじめてクラシックバレエというものに触れたとき言い知れぬ魅力を覚えていた。
デジレ王子は宮廷バレエ(バロック舞踊)が得意で難易度の高い振りもこなせるが、このクラシックバレエは似ているようで非常に難しく、だからこそ習得してみせたいと思ったのだ。
ダンサーとしての彼に火をつけたのである。
「このクラシックバレエを基礎からちゃんと学べるアカデミーは無いのだろうか…?」
そんなことを考えていると、まるで導かれたかのように黒崎バレエアカデミーの門を目の前にした。
「あっ! ここ俺知ってるよ! 前ここで変なダンスを習ったんだよ!」
そう、ルイスは昔、ひょんなことから東京に飛ばされて黒崎バレエアカデミーでレッスンを受けたことがあったのだ。
- 336 :踊る名無しさん:2023/01/11(水) 20:35:18.60 .net
- ここもホントつまんなくなった
誰かの面白そうな物語を後付けで話全否定の上書きするルール違反なヤツ
どんな展開になったかと思ったら次から次へ冴えない登場人物が出ては消える
ドつまんない
- 337 :踊る名無しさん:2023/01/11(水) 23:40:12.00 .net
- >>336
前からそんな感じじゃん
単に飽きただけじゃない?
- 338 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 10:23:33.34 .net
- 平和に継続してていいんじゃないの
元からひまつぶしスレじゃん
- 339 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 19:39:39.49 .net
- >>338
平和じゃねえだろ
誰かが面白い展開にもってったからみてたら直後に話すり替えて
卑怯なヤツだと思ったよ
- 340 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 20:17:41.82 .net
- どんな展開を期待してるか
面白いかつまんないかは人によると思う。
- 341 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 20:18:37.26 .net
- そのころ、有沢さんや高瀬蓮も「大人バレエの限界」を感じていた。
黒崎バレエアカデミーが誇る選抜Aクラスには、
新たに才能きらめく中高生ダンサーたちが入ってきた。
それにともなって、二十代も後半になる高瀬蓮や有沢さんは
大人の上級クラスに行くように促された。
紗江子が結婚した後、クラスの担当が入れ替わり
Aクラスの責任者およびメンバーの決定権は他の先生にうつり、
選抜クラスの条件も変わってしまったのだ。
紗江子の「イケメン最恵待遇策」は終わり
プロを目指す若い十代のダンサーが最優先されるようになってしまった。
「蓮くん、僕たち、Aクラスをクビになったみたいだね…。
十代の子のほうが将来性があるから仕方ないけど」
「元から紗江子先生の推薦で無理入れてもらってたんだから。
今までが幸運だったんだよ」
- 342 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 20:21:13.68 .net
- 一般の大人クラスではかなり好待遇を受けている二人も、
Aクラスでは末席扱いだった。
プロを目指す集団に入るのに二十代後半という年齢はかなり遅い。
とっくに巣立って活躍してる頃だ。
有沢さんは、長いブランクや休養のせいで筋力が足りず
気持ちにムラがあるため、日によって出来不出来に極端な波があった。
在籍一年にも満たない大人生徒の有沢さんの身内が
弟に厳しくするなと見当違いなクレームをつけてきたことも
有沢さんの立場を決定的に悪くしてしまった。
バレエ学校の選抜クラスはリハビリ施設ではないのだ。
以降、精神的に不安定な生徒は
選抜クラスからは除外することが取り決められた。
- 343 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 20:23:11.21 .net
- 高瀬蓮は経験不足から知識や対応力は不足していたものの
素晴らしい容姿と素質に恵まれ努力した結果、
バレエ団のエキストラに入れるほどになっていたが、
有沢さんと年齢が近かったために、
排除のついでにやめさせられたようなものだった。
黒崎バレエアカデミーが誇るAクラス。
選ばれた生徒たちのレベルの高さと、ピリッと張りつめた空気。
大人クラスとは全く違う時間が流れていた。
「残念だけど、しかたないよ。
上級クラスやボーイズクラス、ベルベット、
どこだってレッスンは受けられる。自分次第だよ!」
高瀬蓮はつとめて明るく言った。
「そうだね。恵まれた環境がこんな風に奪われてしまうのは
ショックだったけど…、もう前向きにバレエに取り組むことにしたんだ」
有沢さんも、無理に明るく笑ってみせた。
- 344 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 20:24:16.10 .net
- 名園完治さんは53歳になる独身素人男性。
真面目に勤めていたオフィス機器の会社が10年前に倒産してからは
実家の靴屋を手伝いながら
フィットネスクラブでバレエに打ち込んできた。
名園さんの朝は、家族が所有する小さな古いビル階段や廊下
一階の靴屋の店内、周辺の通りの掃除をすることから始まる。
それから近所の介護施設に入居する認知症の父親に会いに行く。
「親父、調子はどう?」
「何か足りないものはないか?」
「昨日のテレビ観た?親父の好きな歌手が出てただろ」
老いた父親に精一杯話しかける。
高齢の父のアルツハイマー型認知症は進行していくだけで
完全に回復することはない。
- 345 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 20:25:36.43 .net
- 同居している母親も年々歳を取る。
母親が階段で転んで腰を打ってからは
買い物洗濯炊事、大部分を名園さんがやっている。
バレエに行くときだけ靴屋の店番を母親に代わってもらい、
忙しい合間を縫ってバレエクラスに通っている。
バレエのレッスンは、名園さんが実家の問題を忘れられる貴重な時間だ。
理不尽な容姿や年齢差別があろうが、
プロや上級者が偉そうだろうが、
解決しようのない親の老後問題に比べたら、しょせん一過性。
無責任な他人の空言で問題にもならない。
そのうち自分も身体が動かなくなるだろう。
今という時間を惜しむように、レッスンに通うだけだ。
文句言うやつは、口から醜い言葉を吐きながら
そのつまらない人間性を自ら露呈してりゃいいのだ。
- 346 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 20:26:31.94 .net
- 「田中さん、連休中東京に戻ってたんだって?どうだった?」
東京での休暇から白王子市に戻った田中さんに小石川夫妻が聞いてきた。
「はい、古巣の黒崎バレエアカデミーやベルベットでレッスンしてきましたよ。
みんな、『すごく上手くなった』ってほめてくれました〜!
滅多にほめない紗江子先生まで!」
田中さんは満面の笑みで答えた。
「それは良かったねえ。毎日がんばってるもんね」
田中さんが二十代半ばからバレエを始めてから2年半が経過した。
最初は週1のみだったのが2回になり、ボーイズ基礎クラスも追加、
さらにオープンクラスと掛け持ちし、
地方に赴任中して白王子バレエスタジオに入ってからは、
素直な中学生たちと一緒に週5〜6回のレッスンを続けている。
すでに6回舞台にも立っている。
- 347 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 20:27:29.05 .net
- 連休中、田中さんが黒崎アカデミーに来てると聞いて
紗江子は大人クラスに様子をのぞきに来た。
「紗江子先生!俺に黙って結婚するなんてひどいじゃないですか?!」
「何なの、久しぶりに会ったと思ったら」
「さっきのレッスン見てました?俺どうでした?
驚くほど上手くなったって、ほめてもいいですよ!
正直に!さあ!」
田中さんは手を広げてドヤ顔を決めた。
「相変わらずね…」と紗江子は呆れながら言った。
数カ月ぶりに会ったと思ったらこの態度だ。
「そうねえ、動きがこなれてはきたわね」
田中さんの踊りはまだバレエとは呼びがたいが、
小中学生ボーイズと一緒に丁寧に教えてもらったためか、
やたらめったら動くガチャガチャした踊りがだいぶ落ち着いていた。
「小石川夫妻、よくやってるわ…」
紗江子はバレエ団時代の先輩夫婦の面倒見の良さに感心した。
黒崎バレエアカデミーでは、優秀なジュニアたちが最優先のため
一人の素人初心者男性に懇切丁寧に指導とはいかないのである。
- 348 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 20:30:30.43 .net
- 「それで、紗江子先生の旦那さんは、ダンサーなんですよね?」
「違うわよ、普通のビジネスマンよ。踊る人じゃないわ」
「はあ?なんでダンサーと結婚しないんですかっ?!」
田中さんは紗江子に詰め寄った。
「ロシア人ダンサーとか、レジェンドな振付師とか、
バレエ団の御曹司なら、わかりますよ!
紗江子先生が踊らない人と結婚だなんて!俺は納得いきません!」
「やれやれ」紗江子は苦笑いをした。
「田中さん、前よりは上達したわよ。これからも頑張ってね」
そう言って立ち去ろうとする紗江子に、田中さんは言った。
「俺、この前、女性(幼稚園のチビちゃん)をリフトしたり
パドドゥ(小学生女子の赤ずきんちゃんとオオカミ)を踊ったんです!
今度会うときは俺、紗江子先生を美しく踊らせるようになってますから!」
「あー?そうなの。楽しみにしてるわ」
そっけない態度で田中さんと別れた紗江子だったが、
アカデミーの事務室に戻ると、クスリと笑った。
「紗江子先生、何か良いことあったんですか?
久しぶりにあのニワトリくんが来てたんですよね?」
他の教師の言葉に、紗江子は楽しそうな笑ってみせた。
「ええ、相変わらずだったわ」
- 349 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 20:32:04.57 .net
- 田中さんが現在通っている地方の白王子バレエスタジオには
「プリンス・バレエコンクール」のチラシが貼ってあった。
権威ある有名な国際コンクールは数年ごとに開催され
海外への足掛かりを得たいプロやジュニアによって
ハイレベルな演技で競われる。
伝統文化として保護された国立劇場やバレエ学校のある国々では
往々にしてコンクール参加にはさほど熱心でなく、
開催されても出場者は外国人が多い。
一方で、日本では新しいコンクールがどんどん増えていった。
数知れぬ資格や検定試験が大流行りするように、
審査され競争するというスタイルが受けたのだろうか。
主催する側も、膨大な費用と準備時間をかけて公演を打つよりも
コンクール開催のほうが人とお金が集まり注目度も高いという現状もある。
そんなわけで、成熟した劇場文化がないバレエ後発国である、
日本やアメリカではコンクールが大盛況となっていった。
- 350 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 20:32:50.08 .net
- 「プリンス・バレエコンクール」を主催するのは、
白王子バレエスタジオにゲストにも来ている藤原先生所属の
青芝(あおしば)バレエ団。この地方では唯一の老舗バレエ団である。
バレエ学校としては多数の女子生徒を抱えているのに
所属する男性ダンサーは数えるほど。
古くからのメンバーはだんだん高齢化していき、
公演のたびに東京から男性ダンサーを数人呼んでこなければならない。
ときには、近くのジャズダンス教室の男性生徒をエキストラとして
出てもらうこともある。
「踊れる男子を集めたい」というバレエ団の思惑、
この地方での求心力を高めたい等、
諸々の事情から青芝バレエ団は今回の
「プリンス・バレエコンクール」の主催に踏み切ったのだった。
- 351 :踊る名無しさん:2023/01/12(木) 20:41:41.87 .net
- ベルベットのプロフェッショナルクラスを後にしたデジレ王子は
初めて目にした複雑な足さばきを思い返していた。
「西の方の大国では音楽と舞踊の劇が披露され、王族の間でもたいへんな人気だと聞く。
他国の様子は絵で伝え知るのみだが、
もしかすると、あのような踊りをしているのかもしれないな」
デジレ王子は次期国王として、自分の国の行く末を考えていた。
「我が国『メルヒェン王国』は、名もなき小国。
大国と遜色ない洗練された文化を持つ国だと示すには、
ああいう斬新な踊りを養成するのも良いだろう」
「デジレ王子、ナイスアイディア!
金持ち大国は小国をダサい田舎者だと見下してるらしいからねー!
農産物や葡萄酒、村祭り以外に国の名物でもありゃあ
ヨーロッパでも一目おかれるんだろうな!」
ルイスは咳払いをしてデジレ王子を上目づかいで見た。
「よかったら、俺がダンス教師として民に踊りを教えてもいいぜ?」
調子にのるルイスのかたわらで、デジレ王子は考えていた。
「それには、まず王子である自分が踊れなくてはな…」
- 352 :踊る名無しさん:2023/01/13(金) 01:10:36.32 .net
- 宮間は自室でストレッチをしながら、華山バレエ学校で渡されたパンフレットに目を通しながら考えていた。
「あのバレエ学校はきっと生徒の贔屓なんて当たり前、将来性のある者しか目もかけられない。大人バレエ生徒はそもそも論外だ…」
ガラス越しに見たジュニア生のレッスン風景、そして基礎のない大人生徒たちの様子が脳裏をよぎる。
そして体験受講生の自分に辛く当たってきた講師…。他の生徒にはそんなことはないのになぜ自分ばかり…?
「きっと僕に入ってきてほしくないんだろうな…。生徒の人が別の曜日を勧めてくれたけど、そっちも覗いてみよう…」
大人生徒というだけでどこに行っても同じような扱いだろう。
それでも華山バレエ学校は何人もプロを輩出してきた指導力や環境のある場所のはずだ。他よりもその点では信頼が置ける。
だから印象の良くない体験レッスンであったが、簡単には諦めきれないのだ。
- 353 :踊る名無しさん:2023/01/13(金) 01:40:58.37 .net
- 後日、宮間は再び華山バレエ学校に訪れた。
この日は先日の初老の男性講師ではなくバレエ団員の女性講師である。
広々としたスタジオに入ると、生徒たちは不審そうに宮間に目を向けている。
廊下ですれ違ったバレエ女子たちも彼をみるなりかたまって挨拶も返さない状態であったが、どうやら此処は殆どが顔見知りで、故に余所者には敏感なのだろうと考えた。
生徒だけでなく講師もどこか警戒しているのかそっけない感じだ。
「何だか居心地が悪いな…」
そうぼそりと呟くと、宮間は端の方のバーの位置につき、一人黙々とストレッチをはじめた。
それからしばらくして、事務所の女性スタッフがスタジオに入り女性講師に体験の受講生の存在を報告した。
「ああ、あの子がそうなのね…」
「本格的にクラシックバレエを学びたくて移籍を考えているみたいですよ。2年ほどやってきたそうです」
二人は遠くからストレッチをする宮間の方をみながら話し始めた。
「そう…。大人バレエ生徒はそもそも本格的に学ぶルートからは外れているわ。
まあどうせ大人からプロになれるわけもないでしょうし、うちはそんなクラスはないし子どもでさえ選別してるのにましてや初心者の大人に真剣に指導するだけ無駄よ…。
ただその気にさせておけば、他の大人生徒同様に長くいてくれるかもしれないわね」
「けど彼、立っているだけで綺麗で絵になりますね!」
「私はああいうタイプが苦手だけどね…私の元彼は見た目が良いだけの王子様気取りのいけ好かない男だったわ。
あの子も誠実で品行方正に見えて、実際は自分の美しさをよく知ってるし、私達や他の大人生徒を見下してんのよ」
事務員の女性はそれを聞いて苦笑いを浮かべた。
- 354 :踊る名無しさん:2023/01/13(金) 21:34:42.17 .net
- (上原先生だって昔はバレエ界屈指の美青年ダンサー、
『彼に見つめられた女性はみな、たちどころに恋に落ちる』
と言われた大人気の王子様だったらしいけど…)
女性スタッフは事務所に戻りながら思っていた。
(年取った今では、頑固でプライド高くて、扱いにくいのよね)
女性は、デスクに座ると中断していた締日の会計処理作業に取り掛かった。
親たちは大金出して子供にバレエを習わせてるのに
雇われてるダンサーも講師もそれほどもらってはいない。
(私が食べさせてあげる!くらいの意気込みならいいけど。
ダンサーと真剣交際はねえ…。
でも今日の体験の彼は、かなりかっこよかったわ!)
- 355 :踊る名無しさん:2023/01/14(土) 02:00:34.26 .net
- 「ケイト君、はいココア」
「ありがとう」
高瀬蓮からココアの入ったマグカップを受け取り、熱いそれにそっと息を吹きかけた。
「最近ケイト君元気ないね。僕も選抜クラスから追い出されたのがやっぱり辛かったし…」
「…」
「でも……ケイト君は僕なんかよりずっと綺麗に踊れるし、他の選抜生の子たちは確かに凄いけど、僕はケイト君のバレエに魅力を感じるんだ」
「……蓮くん」
有沢さんは俯いたまま、回された高瀬蓮の腕の温もりを感じた。
「僕のことは気にしなくて良いから、ケイト君はケイト君のいきたい道にいけばいいと思う」
「僕の……?」
すると高瀬蓮は徐に何かのチラシを取り出し、それを有沢さんに手渡した。
そのチラシは、華山バレエ団の新規団員入団オーディションの告知。
「これってバレエ団オーディションの…」
「そう。ケイト君、このチラシずっとみてたから…。本当はバレエダンサーになりたいって思ってきたんでしょ?
何もしないより絶対いいよ…僕は応援する!」
高瀬蓮はにこりと微笑んだ。
その愛しい笑顔に有沢さんは優しく微笑み返すのであった。
- 356 :踊る名無しさん:2023/01/14(土) 08:54:33.24 .net
- 華山バレエ団では、数年前に主要な男性ダンサーが次々退団してからは
深刻な男性ダンサー不足が続いていた。
かつては大スターだった上原を目指して
優れた男性バレエダンサーが集まった時代もあったが
国内バレエ団の勢力図は時代とともに少しずつ変化していき
今では公演数が多く条件の良い
S&Bバレエ団に技巧派の男性ダンサーが集中している。
多くのバレエ団のオーディションでは年齢制限24〜25歳まで。
明記されてなくても、若いダンサーか、
そうでなければ即戦力となるダンサーが求められている。
プロダンサーの生活は、過酷な肉体労働のわりには報酬は少ない。
30前後には次の人生を考える人も多いのだけれど、
素人男性がプロとしての経歴が欲しいのなら
男性不足の今の華山バレエ団は穴場かもしれない。
- 357 :踊る名無しさん:2023/01/14(土) 16:11:09.98 .net
- 華山バレエ入団オーディションは
バレエ団指定のエントリーシートに必要事項を記載しポーズ写真を郵送後、書類審査通過後、指定日に華山バレエ団スタジオにて実施するレッスンオーディション形式だ。
高瀬蓮の調べによると、華山バレエでは一定水準以上の技術と基礎力、その上で容姿の優れたものを重宝する傾向があるらしい。
有沢さんは早速エントリーシートを記入、それをバレエ団のオーディション事務局宛に送った。
返事はすぐに電話で返ってきて、日曜日にバレエ団レッスンに参加するようにと指示を受ける。
有沢さんの中学時代の経歴や、オーストラリアの地元バレエ団での活動、ベルベットで雪の国のソリストを踊ったことも評価されたようだ(尤も事故のため記憶を失っており高瀬蓮から伝え聞いた話だが)。
また何より華山で重視する容姿の美しさに有沢さんの外見は申し分なかった。
「ぁ…ありがとう御座います。よろしくお願いします!」
電話を切ったオーディション担当事務員は、久々の男性入団希望者に胸が躍った。
年齢は既に20代後半で一般的なカンパニーであれば募集対象に含まれないが、イギリスのイケメンバレエダンサー、ジェイムズ・ワイズウェルに瓜二つの容姿に向村バレエ学校の元天才バレエ男子しかも再開後も活動をしてきたのだ。
「これは掘り出し物だわ…!」
- 358 :踊る名無しさん:2023/01/14(土) 17:11:48.62 .net
- 正直、今から公務員という仕事を捨ててプロダンサーになるなんて、
永遠に親のすねかじりを決めたようなもの。夢見る夢子ちゃんだろ。
国内バレエ団員のお金事情はわかってるんだろうか。
早々に生活苦でやめるダンサーも大勢いるのに。
引退後も運よくバレエ団の運営に携われるよう
上手く立ち回れる統率力のあるタイプにも見えないし
発表会ゲストや講師バイトの客商売をこなすわけでもなさそうだ。
『プロ』という響き自体に執着するなら、止めはしないけど…。
ビデオを撮り編集してくれた黒崎の知り合いや
アドバイスをしてくれた上級クラスの先生からも
批判的な声がちらほら聞こえてくる。
さすがにこの歳になって、親の仕送りで生活できるから
と公言するのは、いい大人としては気がひけたが、
有沢さんのプロになりたいという決意は固かった。
「どんな悪条件だろうと、踊りたい心が勝る。挑戦したい」
そういう心を持った人がこの道を選ぶのだから。
- 359 :踊る名無しさん:2023/01/14(土) 18:51:15.63 .net
- 華山バレエ団のオーディションには女子は50人以上集まり、
その中から厳選され、わずか数名の採用だった。
一方、男子は受けた数名、全員合格。
有沢さんのように容姿が良く普通に一通りこなせる男子は一目で採用決定だ。
S&Bバレエ団の入団オーディションを落ちて飛び込みで受けた男性も
留学経験や入賞経験もある実力者だった。
ところが、中にはあまり踊れない男子も混ざっていた。
それでも高倍率の女子とは違い、最低限の容姿をクリアしている男子は
現段階で実力が伴わなくても研修生として採用された。
というのも、華山バレエ団の得意演目は、
『眠りの森の美女』『くるみ割り人形』等の華やかな全幕古典。
男性ダンサーが三役四役も掛け持ちしても
付属学校の少ない男子生徒を投入しても、
女性アンサンブル中心の場面が多くなってしまう。
このような作品を見栄えよく上演するには、多くの男性が必要なのだ。
- 360 :踊る名無しさん:2023/01/15(日) 00:13:04.48 .net
- 合格の通知が届いたとき、有沢さんは喜びでいっぱいであった。高瀬蓮はもちろん彼を祝福した。
「ケイト君、おめでとう! 僕はケイト君ならできるって信じてたんだ」
「蓮くんのおかげだよ。ありがとう、本当に…」
二人はお互いを抱きしめあった。
「けど、これからが大変だよね…」
「心配しないで。僕がずっとそばで応援してるから。…やっぱり黒崎はやめちゃうの?」
少し寂しそうに高瀬蓮がたずねると、有沢さんは頷いた。バレエ団員の規定として外部の教室に所属することは許されてはいない。
「でもオープンクラスなら…」
「そうか。ほかにもベルベットとかもあるもんね」
「それでも…思い出のたくさん詰まった黒崎を離れるのは寂しいかな……今日が黒崎最後のレッスンになるなんて」
「最後だし張り切っていこうか!」
そうして高瀬蓮と有沢さんはレッスン鞄をもって、同棲するアパートの部屋を後にした。黒崎バレエアカデミーへ向かうために。
- 361 :踊る名無しさん:2023/01/15(日) 00:28:22.45 .net
- ルイスは恐る恐るデジレ王子にたずねた。
「あのぅ…デジレ王子。この国では俺たちの使う通貨って使えるんですかね…?」
「金貨や銀貨は世界共通じゃないのか?」
「さっき店でものを買おうとしたんですけど、これじゃダメって言われちゃいまして。俺達もしかしてのもしかしてなんですが一文無しだったりって……?」
一文無しになるという状況があまりにも現実離れしていたため、デジレ王子は思わず固まってしまった。
「デジレ王子。こうなったら働くしかありませんよ!」
「働く……!?」
そうしてルイスとデジレ王子は自分達を雇ってくれるところはないか探し回ったが、履歴書を準備しろと言われたり、住所がメルヒェン王国だなどとふざけていると怒られたり、就労ビザはあるのかなど二人にとって未知のものばかりであった。
そうしてようやく雇ってくれる店を見つけだしたが、如何にも胡散臭い新宿歌舞伎町の一画にあるホストクラブであった。
- 362 :踊る名無しさん:2023/01/15(日) 01:12:45.34 .net
- 「ねえねえ、知ってる?
以前初心者クラスで教えてくれてたナナ先生、
入団したイギリスのバレエ団で、年末のくるみ割り人形でクララを演じたそうよ」
いち早く事務所から噂を聞きつけた情報通のマダムたちが
アカデミーのロビーで話かけてきた。
「ええ、すごい!前からソリストの役をちょこちょこもらってるとは聞いてたけど」
有沢さんは子供のころからずっと、騒がしくわがままな女性たちが苦手だった。
しかし河合ナナはそんな女性とは全く違っていた。
包み込むような優しさにあふれ、たおやかで鷹揚、
それでいて明快な信念を持つ美しい人だった。
「バレエを好きでいられることが、バレエに一番必要な才能」
彼女はそう言っていた。
一度アメリカで挫折した後、再び舞台への情熱を取り戻し
英国の小さなバレエ団でダンサーとして再起を果たした彼女の
失望から立ち直る強さと、再び新天地に飛び込む勇気がどれほどのものだったか、
バレエ団に入ろうとしている今、有沢さんはあらためて感じ入った。
- 363 :踊る名無しさん:2023/01/15(日) 21:30:37.87 .net
- 「ひええ、このきらびやかな場所は何だい?
壁もテーブルもツルッツルのピッカピカ!」
歌舞伎町のホストクラブに足を踏み入れたルイスは驚いて声を上げた。
「このような異国の装飾様式は初めて見るが
同じようなシャンデリアなら城にもある。
おそらくこの国の王族や貴族たちが集まって語らう社交場なのだろう…」
デジレ王子がそう考えていると、
ベストに蝶ネクタイ姿の、ホストクラブのスタッフに声をかけられた。
「こんばんは?ホストとして入店希望ですか?」
「あなたは…
この屋敷の執事でしょうか?
我らは旅の者。少しばかり入り用のため仕事を探しております」
デジレ王子の美しい容姿と優雅な物腰に
「これは掘り出し物…!」
とスタッフは大いに期待した。
となりにいる男も少々野暮ったくはあるが、
なかなか愛嬌のある顔をしている。
「お二人とも、こちらで面接しましょう。もしよければ、
そのまま体験入店という形で働いていただけます」
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