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【多読のための英文法 Part 2】

493 :momi ◆pJfmDqWDTI :2014/08/29(金) 23:39:03.40 ID:GdvrLeu0.net
大きくいって3つの問題点があるように思える。

まずは新CGELは条件法を再構成するために、subjunctiveという言葉を積極的に排除している
ということ(p.751欄外注)。基本はopen / remote という分け方だ。仮定法という分野のみを
新CGELに全面的に依拠するのが可能だとしても、伝統文法のpast subjunctiveの訳語を使うのは
おかしいし意味がない。しかしこの問題は、日本の仮定法の学習文法がもつ難しさなので、
便法とはいえるだろう。

2つ目は、if should表現の帰結節が命令法の場合は、文全体をどう名付けるのか、これは瑣末では
あるが疑問が残る。ここで沸き起こるのは、文をどう名付けるのか、という問いではなくて、
そもそも「多読のための英文法」におけるif shouldの形式において、仮定法/直説法の区分を
わざわざ述べる必要があったかという疑問である。ウィズダムをはじめ、はっきりとはこの区分に
触れていないのは、日本人の英語学習において、さほど意味がないと考えられているせいではない
のか。それならば、「if shouldは仮定法表現であるが、しかし帰結節はいろいろあるよ」とする
フォレストなどが採用する説明のほうが、多読向きではないか。これならば、仮定法節のshouldと
のつながりも簡便な一貫性がある。

最後の疑問は少し深刻だ。仮に、仮定法過去の>>431「条件節には動詞の過去形または were が
使われてなければならない。」を採用するとして、それならと、条件節のshouldを「動詞の過去形」
だとすれば、定義の整合性が保たれるという論点がある。しかし、このすり合わせを認めるとすれば、
同時に、中学英語の習得者に対して「ここの定義での動詞とは、shouldも含まれます。」という
新たな概念立てが必要になる。しかし、仮定法の説明の時だけ、「shouldは動詞の過去形」である
とするアドホックな定義立ては、本当に多読を目指す初学者にとって有益なのだろうか。

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