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◆◆日本の文人画について語ろう◆◆

1 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/05/03(日) 14:31:36.91 .net
自らが楽しむために、あるいは良き理解者である友のための絵画芸術、
それが日本の文人画でした。それは職業や生計を得るためではなく、
知識人や芸術家が意のままに、興に乗じて余技で描いた純粋な芸術でありました。
与謝蕪村や池大雅、田能村竹田、浦上玉堂、青木木米、富岡鉄斎その他関係する人物
も含めて語りましょう。

131 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/07/28(火) 20:49:24.62 .net
直径140センチの銅鐸なんて聞いたことない
件の銅鐸は50センチ高だから、
これが普通の大きさなんだよ
むくうは日本史の成績、5段階評価で1か2だったんだなw

132 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/07/28(火) 20:57:41.26 .net
直径140センチで食物保存って甕だろ
どこでおかしなことを
刷り込まれたんだ
もっとも直径140の甕もないだろ
どうやって作るんだ

133 :むくう:2015/07/29(水) 09:58:45.67 .net
>>131
>件の銅鐸は50センチ高だから、
>これが普通の大きさなんだよ

素人ですから、私の銅鐸説は参考意見の仮説と思って一向に構いと思います。

件の銅鐸は50センチ高は、例えば、一般大衆の家庭用の米櫃と考えることができるとは
思いませんでしょうか?

一般大衆の米櫃(コメビツ)ですと、相当の数多くの量があるために、その一部が発掘さ
れていると思われます。

王族の所有の大きい銅鐸は、そんなに量がないと思われますので、発掘されていないと
思われます。

発掘の限界が、発掘されていないので、通例は無いことになっているように思います。

一部分を発掘して、全てを発掘したと錯覚していませんか?

一部分の発掘の限界以外の発掘されていない大きな銅鐸があるとはお考え
になりませんか?

王族の大きな銅鐸を真似て、造り氏が、家庭用の銅鐸を多数造られたと思います。

134 :むくう:2015/07/29(水) 10:00:21.16 .net
>>133(続)

家庭用のすごく小さな銅鐸が、王族の大きな銅鐸と同価値ならば、家庭用の銅鐸も
本物の銅鐸になると思いますが、王族の銅鐸こそ優秀な大勢の造り氏達によって造ら
れた銅鐸が本物という認識にありますので、家庭用の銅鐸は本物としていませんの
で、家庭用の銅鐸は本物の銅鐸に変わりないと主張される方々や、銅鐸を楽器とし
て使うことも考えられますので、参考意見として、寛容の心で受け入れる気持ちは
あります。

私の銅鐸の見解に疑念の有る方々は、仮説の一つと思っていただいて良いと思います。

135 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/07/31(金) 22:05:58.68 .net
 >>128-134
 ここは、文人画に関するスレッドです。

 従って、他の話題は、別のスレッドでやってくださいね。

136 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/08/01(土) 08:58:25.02 .net
見ての通り「むくう」はキチガイ荒らしのクソサイコ野郎
あちこちのスレで電波書き込み乱発してはスレを穢してる
相手すんな、喜んで付け上がるだけだから

137 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/08/03(月) 20:38:44.20 .net
>>126
ありがとうございます。
ギリギリ行って来て、あれだけの量の田能村竹田の真作を見る機会が得られたので、
勉強になりました。玉堂と大雅も勿論良かったし、個人的には蕪村と菘翁の
優品が見られて満足でした。

138 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/08/04(火) 21:24:37.40 .net
若冲と蕪村はどうでしたか…?
濃彩が注目されがちですが墨絵なんか見ると、意外と若冲も、文人画家と言えなくも…無い?
自画賛はあまりしないみたいですが。

139 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2015/08/05(水) 07:41:45.24 .net
詩・書・画の三者に優れた人を三絶と言いますが(優先順位は書いた順)、
若冲の場合、詩・書があまり目立たないので、広義の南画家であっても文人
画家とはまた別な気もしますね。
紙や墨は中国製の良品を使用しているようですが。
滲みがよく出るので職人的な絵には使いにくいのを、趣味人の絵は逆に長所
にしてしまった。
若冲は墨絵がいいと思います。余白を活かしている。

富岡鉄斎は元々書家でしたが、自作の絵を見る時はまず画賛から見て欲しい
と言っていたそうです。文人画家らしい人と言えるでしょう。

宮崎筠圃は平安四竹の一人に数えられるほど竹画で知られた学者ですが、母
親が「世間がお前を画工と見るようになる」と言ったので画を廃しました。

あるいは、「ここが竹描きで有名な筠圃の家か」と通行人が口にするのを聞
いて止めさせたと言いますが、確か岸駒(文人画家ではない)が、宋以来名
だたる文人が竹画で知られており、画作も文事に通ずるのに、母公の視野狭
窄笑うべしと言ったとか。これはその通りだと思います。
絵あって学あり、学あって絵ありという関係が、大事なのでしょう。

もっとも絵を最優先されるのは嫌う人もいたようで、頼山陽は自作の山水画
を大名に求められて、我は画工に非ずと書を贈っています。
中国も含めた古来、地位は書の方が画よりも上でしたからね。

140 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/08/05(水) 16:16:28.66 .net
なるほどー。

141 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/08/05(水) 17:24:24.52 .net
詩、書、画というヒエラルキーから何となく思うのは、精神的な部分に重点を置くということにこそ、文人画の最も重要なところがある、ということですね。

単純に上手いとか、構図がかっこいいとかいうのは、魅力ではあるけれど本質では無いと。

絵画問わず日本人がよく問題にする、品格というものにもこのような思想が根底にありそうな…。

142 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2015/08/05(水) 20:38:44.82 .net
南画を中心に、画品とか気韻と言いましたね。
宮本二天(武蔵)などは、素人でも画品の高い絵を描いたと評価されています。
私が見たところ、尾張徳川家当主であった徳川光友もかなり画品が高い名手です。

漢画に由来した南画を描く場合、「和臭がある」文体・書体・画体が非難されること
もありましたが、これは好みの問題でしょう。

143 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/08/21(金) 10:18:21.03 .net
画品ですか…。
なかなか、はっきりと定義しづらそうですが、単なる好き嫌いではなく。教養によって、磨かれるセンスのようなものでしょうか。
もちろん鑑賞する側にもそれを感じ取る力が求められますね。
深い世界ですね…

144 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2015/08/21(金) 18:08:58.28 .net
南画を最初から好きになる日本画好きはあまりいないと思いますが、最後に
辿り着くのが南画ではないかと思っております。
南画でも上手いのと下手なのでまるで印象が変わるので、難しい。
とりあえず、上手い南画は見ていてお茶が美味しくなります。調和がある。
様式だけ南画だと、なかなかそうもいきません。

現在、武沢楊岸の画幅を掛けておりますが、技巧もなかなかの物ながら、画
題の「場」の雰囲気も出せているあたり、名手だと思います。
「なんでも鑑定団」に画幅が出た際、「あまり有名でない」という理由で、真作
の評価額が5万円だった人物ですが。

145 :画伯の母:2015/08/24(月) 17:26:27.05 .net
10歳の子供が絵を描きました。美術板の皆様、評価のほどお願いいたします。

http://i.imgur.com/BYpbtYG.jpg

146 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/09/17(木) 05:59:54.29 .net
http://page24.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q85136299

この浅井柳塘ってどうですか?

147 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/09/22(火) 10:07:47.09 .net
>>145
文人画じゃないだろうバカ!

148 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/09/25(金) 15:56:18.30 .net
林十江の画は八大山人の画風に通じるところがあると思うんだが
当時の日本で八大山人の画を見ることって出来たのかな?

149 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/09/27(日) 12:46:41.31 .net
憶測ですが、明治以降ではないでしょうか…、八大山人が紹介され始めたのは。

清朝末期、明治40年くらいに日本に紹介され始めて、当時の新しい美術の潮流と絡めて注目されたようなことを何かで読んだ気がしますが…。

偶然旅行中に、泉屋博古館で安晩帖を見た時の感動を覚えております。

一般的にいう『絵心』というものが、究極に純化したようなそんな印象。

150 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/09/27(日) 16:05:16.26 .net
>>144
>南画を最初から好きになる日本画好きはあまりいないと思いますが
蕪村や玉堂の情緒的な作品から日本の古典絵画に興味を持つ人は結構いそうな気がするけどな

151 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2015/09/29(火) 22:57:36.03 .net
蕪村や玉堂は確かに南画家ですが、また別格と言いますか。
南画らしい南画だと評価すべき点に迷うというのが一般の正直な意見ではないでしょうか。

八大山人の絵は、贋作と比べてみると孤独さがつきまとっているような印象があります。
軽石の如き不安定な岩の上の孔雀を、官吏を風刺したものという解釈を読んだことがありますが、
案外本人だったのかもしれないと思っております。

152 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/10/11(日) 11:00:41.29 .net
 >>128-136
 http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1438416800/
 こちらのスレッドで、「銅鐸が米櫃ではない」という事が証明されました。
 (全部の書き込みを、ご参照ください)


 http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1356774753/
 また、こちらのスレッドでは、むくうが大嘘吐(おおうそつ)きである事が、証明されました。
 (968以降の書き込みを、ご参照ください)


 それならば、むくうに責任をとってもらいましょう。
 
 (1)文人画のスレッドなのに、それとは関係ない、銅鐸について書き込みした件。 
    (これは、>>128の書き込みの方にも責任があると思います)


 (2)銅鐸について、知ったかぶりをした件。

153 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/11/06(金) 11:03:48.07 .net
昭和34年(1959年)あたりのことですが、
松林桂月を中心にした文人画再興院が当時の文部省の肝いりで行われた、
という話をどこかのサイトで読んだことがあります。
そこでいろいろあったらしいです。
今そのサイトを探しても見つかりません。
どなたかそのあたりの事情をご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか。

154 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/11/06(金) 11:26:30.51 .net
153
失礼しました。
文人画再興院ではなく日本南画院の記憶違いのようでした。

155 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/11/15(日) 03:06:55.20 .net
松林桂月…。写実的な緻密な画面の中に、伝統的な骨法用筆が味わえるので、ハイブリッドな独特な画家のイメージですね。

詳しくは知らないですが、師である野口幽谷?の影響もあって、かなり文人としての精神性を重んじたようですね。

文展にはいろいろ思うところがあって、結構物申した人みたいです。

156 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/12/03(木) 21:54:08.19 .net
出光美術館「大雅と蕪村」展(2002年)の新聞広告より
文人画の面白さを巧妙に語っているので転載。

-----------------------------------------------
 文人画という絵画をご存知でしょうか?
 江戸時代の後半期に登場するちょっと変わった、でもとても面白い絵画です。
池大雅と与謝蕪村がその代表画家といえば、ご存知かも知れませんね。ところで歴史的に
残ってきた画家というのは、プロフェッショナルの画家が描いてきたものです。
例えば伴大納言絵巻も、長谷川等伯の松林図屏風も、葛飾北斎の浮世絵もそうです。
つまり、彼らは画家という職業で絵を描き、それによって生活したといえます。
当たり前と言えば、当たり前のことです。
 ところが文人画家は、プロではなくアマチュアの画家なのです。そのアマチュアの画家の描いた絵画が
プロ中のプロ、等伯や北斎の絵画と同じ美術史という歴史の土俵で同列に語られているのです。
プロとアマの表現技術の差は歴然としているのに、その芸術性を認める。これは、通常ありえない、ちょっと変わった
出来事です。しかしそれは、彼らの芸術に対する独特な考え方によってもたらされたのです。

157 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/12/03(木) 22:04:38.73 .net
 彼らは、自分たちの芸術のありようを次のように考えました。プロの画家とは違い名利に関わらないからこそ、
純粋な芸術は存在する。すなわち、名利のために職業として絵を描くことに、純粋な芸術性は存在しないと主張し、
彼らはプロの画家たちを軽蔑すらしたのです。芸術は、お金や名誉のためではなく、ほかならない自分のためだけに
存在する。それを彼らは「自娯」の芸術と呼んだのでした。強烈な矜持性、つまりプライドです。ちょっと意外な
芸術のありようですが、自信喪失気味の現代社会に蔓延するふわふわとした価値観のなかではとても輝いてみえます。

ところで最近、家族や仕事のためではなく、自分のために何かをしましたか?いつのまにかあまりにも自分を押し殺して、
何かを我慢していませんか?
自分を見失いかけているあなたへ、ちょっと変わった「自娯」の芸術を、今、贈ります。

http://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input%5Bid%5D=10244

158 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/12/03(木) 23:01:48.77 .net
自己陶酔=あのブスな出光娘と似てるから書きやすい

159 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/12/04(金) 19:31:06.78 .net
でも自分は文人画とは何たるかを知らないときに、この文章を読んで
実際に足を運んだからね
人を動かすだけの力は持ってると思うよ

160 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/12/06(日) 23:26:03.50 .net
ブスなのに?

161 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/12/07(月) 02:03:29.90 .net
というかその出光娘って誰なの?

162 :わたしはダリ?名無しさん?:2015/12/29(火) 19:09:52.64 .net
その昔は田能村竹田を「たのむらたけだ」と読んで
ああー「松尾スズキ」みたいなものか、と妙に納得してたなー

163 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2015/12/30(水) 18:24:02.31 .net
田能村直外が亡くなって、来年で19年。
存命中に5万円くらいで購入した色紙を飾ってある家も多かったですが、
何時の間にかあと一息で20年になりましたね。

生きている人の南画が、まだなんとか目に触れた時代も遠くなりにけり。
今でも南画らしい南画を描く人が、いるにはいますが。

164 :わたしはダリ?名無しさん?:2016/01/01(金) 20:14:52.18 .net
あけましておめでとうございます。
いつか、気に入った南画を床の間に飾って新年を迎えたいものです。
今現在、現役で南画家と呼べるような方はいらっしゃるのでしょうか。肩書きだけでなく。

165 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2016/01/01(金) 21:50:51.85 .net
ttp://iup.2ch-library.com/i/i1573591-1451652510.jpg
24時間限定ですが、とりあえず現役の南画家の作品を貼っておきます。

>いつか、気に入った南画を床の間に飾って新年を迎えたいものです。
それなりにいいものでも、探せば数千円、ネット販売でも数万円で買える御時勢です。
いつかという程難しいものでもありません。
今飾っているのは南画ではありませんが、次は伊豆原麻谷にしようかと。

166 :わたしはダリ?名無しさん?:2016/01/02(土) 09:33:23.65 .net
>>164
>>165
あけましておめでとうございます。

>気に入った南画を床の間に飾って新年を迎えたいものです。
本当にそうですね。古き良き日本の伝統文化は守って行きたいものです
しかし最近は、床の間にテレビを置く時代ですからね・・・。若い人たちがマンション暮らしで
床の間そのものが消滅しつつありますしねえ。

167 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2016/01/02(土) 09:51:49.41 .net
昨夜は申し忘れましたが、新年あけましておめでとうございます。
色紙〜半紙や半切に満たないサイズの小品の軸装は、業者市では床の間に満たない
という理由で今でも安値がつけられていますが、今後は壁掛けを想定して、そうい
う物の方が売れるかもしれません。
直射日光にさえ気をつければ、床の間に掛けなくてもいいですからね。
どうせ近世初期の風俗画を見ても、庶民宅では壁掛けかつ複数並べて掛けている。

168 :わたしはダリ?名無しさん?:2016/01/02(土) 22:50:17.15 .net
すみませんネットで見つけたんですけど、この団体ってどういうものか
ご存知の方はいませんか?

http://dokugajuku.jp/index.html

169 :わたしはダリ?名無しさん?:2016/01/06(水) 06:05:18.80 .net
加島祥造さんが亡くなられましたね…。
この方を、文人画家として評価する向きもあるようですが、皆様はどのようにお考えでしょうか…。

170 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2016/01/06(水) 07:11:45.21 .net
感性>技能で、かつ鑑賞に値するという意味では文人画的です。
しかし、私は文人画=南画として、伝統の学習という面には拘りたいですね。
いわゆる(漢)詩・書・画に通じた「三絶」とは、認めがたいです。
ただ、現代的な芸術活動に専念された、尊敬すべき方だと思います。
加島先生の絵はいいですし、私は榊莫山先生も好きでしたが、莫山先生も書画は一流ながら詩が弱い。
やはり漢詩の素養は欲しいですし、落款に使う雅号にも拘るべきだと思います。

以下、全くの余談。
南画家についてまとめた某サイトで、大正時代の文献に南画家某について述べて
『春秋未だ弱冠を超えし事4歳に過ぎず』
とあったのに注して
『4歳ではなく24歳。誤植したようだ。』
と書いてありましたが、弱冠は20歳のことなので、原文は24歳だと言っているわけです。
出典は『礼記』。後代には広く意味をとって20代を指してもいますが、大正時代には書く方も書かれる
方もこの文章で24歳のことだと当然分かった訳です。

呉智英先生が時代考証の件で「元禄や享保ではなく、昭和の話なのになっていない」と書いてらっしゃ
いましたが、今や南画に興味がおありの方ですら、大正時代の「普通の文章」が分からない。
普通と言ってもそこそこの教養人レベルですが。大正すら遠くなりにけり、ですね。

171 :わたしはダリ?名無しさん?:2016/01/06(水) 22:02:15.17 .net
成る程…。
三絶…高い境地ですね。

弱冠の意味すら取り違えてしまう現代人にはやはり遠い高みなのか…。

172 :わたしはダリ?名無しさん?:2016/01/14(木) 21:01:10.70 .net
江戸時代の文人画家っていったん体制の中にいて、そこからはみ出した人が多いですね
頼山陽や、浦上玉堂、田能村竹田
この人たちは、やはり詩と画の中に救いを求めたのでしょうか

173 :わたしはダリ?名無しさん?:2016/02/05(金) 15:29:36.77 .net
才能や感受性豊かだけど、処世術が下手で、立身出世にも興味が無かったのでは?

潔癖過ぎて、世間の事が疎ましく思えたとか。

174 :わたしはダリ?名無しさん?:2016/02/05(金) 15:31:03.93 .net
絵の世界が彼らの理想郷

175 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2016/02/07(日) 22:35:34.95 .net
柳田國男が山水画を見て「こんな所に住みたい」と言ったら、秋田出身者の友人に
「不便でしょうがない」と言われたそうですが。
あくまで理想郷ですからね。
山中に庵があるのも、高所に東屋があるのも、周囲に人跡がないところを高士が
童子を連れて出歩くのも、あくまで理想なればこそ。
描かれていない生活のことは気にせず、その場の空気を楽しめば良いのです。

176 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2016/02/09(火) 19:50:27.16 .net
>>169の加島先生についてですが、色々と考えた結果、南画家ではないが文人画家
と言ってもいいのではないかと思えてきました。
要樹平が兄たちのような南画家ではないが文人画家であったように。

177 :わたしはダリ?名無しさん?:2016/02/23(火) 10:12:56.14 .net
文人画家と南画家の呼称の微妙な違いは興味深いです。
文人画家という大きな括りの中に、南画家という一つの技法的な特色の見られるグループがあるということでしょうか。

文人画家は生き方に対する言葉であって。南画家は描き方に対するそれであると。

178 :わたしはダリ?名無しさん?:2016/02/23(火) 10:19:23.65 .net
日本に於いて、必ずしも文人画家とは言えない南画家が、存在するように。
また南画家とは言えないが文人画家と言える画家が存在するということでしょうか。

179 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2016/02/23(火) 22:51:46.47 .net
文人画家でない、自作の賛をそれなりの書で書けない人物を南画家と呼ぶことは憚られますが、
伝統的な詩(漢詩)・書の系統に沿った南画家ではない文人画家にも注目した方が、世界はもっと
開けてもっと楽しめるのではないか、と考えています。

そろそろ広島市の頼山陽史跡資料館で新作南画展の時期ですね。
詩はともかく、書については毎回厳しく評価されています。
絵としては結構よくても、筆遣いで入選を逃したと推察されるものがたまにあります。

180 :山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ :2016/02/23(火) 22:55:20.69 .net
厳密には、「南画精華展」でした。
今自室に福田浩湖の軸を掛けていますが、審査員の南画家(他は書などが専門
の大学教授)は浩湖の孫弟子の方ですね。

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