2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

縄文・アイヌ・弥生・渡来人学7

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 22:54:33.87 ID:q6cnQeLV.net
このスレタイになってから7世代目です。

(6) http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1394234455/
(5) http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1392448032/
(4) http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1390136710/
(3) http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1389254745/
(2) http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1388214761/
(1) http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1387110087/

201 :大米(カコメ)民族回帰 ◆XB7AjTRRiE :2014/04/20(日) 23:13:08.76 ID:aUfQaLYc.net
>>200
ニューギニアの写真すごいなw
しかもその子さ、女の子だしw
あとフィリピン南部の島にはビンラディンみたいな顔した
アイヌカップルの写真の旦那がかぶった帽子と同じものをかぶってる。
まあ顔立ちが縄文に通じる事や地理的に
スマトラをはさんだ南北の対極にあるから縄文時代からの
民族とも考える事はできるが、もし南方からの渡来なら
インドネシアでシュリーヴィジャヤ朝が始まったのが1400年前だから、
それ以降に日本にやって来た仮説も立てられるだろうな。

202 :大米(カコメ)民族回帰 ◆XB7AjTRRiE :2014/04/20(日) 23:23:39.93 ID:aUfQaLYc.net
それから間違いなく朝鮮にも影響を残してる。
ひょとしたら新羅語がそうなのかもな。
>>169の韓国語を聞いても面白い発音だ。
これ全部漢字音だから驚く。
漢字の音からおかしいって事はその新羅の音がもともとおかしかったからだと思われる。
しかし、こうした韓国音が私たち日本人にもどこか懐かしい響きだし上代の日本語発音に近いのを知ってる。
新羅に近いウルルン島には「帽子のオジサン」という像があるが、
あれはほんとに縄文というかアイヌやニューギニア人的な顔立ち。
また韓国のお面文化に陰陽の白黒の人種を象った面があるが、
これも興味深い。
これは密教のタントラの影響だ。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 23:57:41.99 ID:1xh8FGvi.net
>>172
 すいません、色々と間違っていて。勉強します。

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 23:59:03.04 ID:1xh8FGvi.net
>>185
 そういう根も葉もない抽象論のどこに説得力があるのかよくわからないけど、日本(当時はヤマト)が
外国の文化を受容するのは古墳時代からで、古墳時代に日本の土台が築かれる。
 江上波夫先生の要点をおさえた『騎馬民族国家』P.212-221の解説。
> 騎馬民族国家と渡来人
> いったい、農耕民族国家では、外国人の傭兵をもって外敵を防衛する、いわゆる夷をもって夷を制するため以外には、
>外国人の集団的移住を許容し、長期にわたってその存在を可能にするというようなことはない。それは、農耕民族には、
>一般的に自尊的民族意識があって、他民族を蛮夷視したりする性癖がつよく、外国人を自分たちの内部に受けいれる
>精神的基盤に乏しいからである。また、その社会・経済が自立・自存・自足的で、血縁性・地縁性・伝統性が濃厚で、
>おのずからよそものに対して閉鎖的であることによるのである。
> これに対して騎馬民族国家では、外国人の集団移民はむろん普遍的な現象であって、しばしば外国人の、自国内への
>強制的移住政策、いわゆる徙民政策さえ実行するのである。それは、騎馬民族は自給自足が不可能で、略奪・交易・
>献納等を通して、つねに外界への依存度が高く、経済的に、文化的に、外国人を能うかぎり利用するのを、
>そのたてまえとしているからである。
> 塞外時代の鮮卑・烏桓における中国人、突厥におけるソグド人、アッバス朝時代のイスラム帝国におけるトルコ人、
>契丹における渤海人・中国人、元朝蒙古における色目人などの集団移民は、その代表的な例である。
> これを中国についてみると、蒙古族によって中国の平定が完成されて、そこに大元帝国が建設されると、内陸アジア
>および西方のいろいろな種族の人々、いわゆる色目人が―とくに生産・文化関係のものが、すこぶる多く大元帝国内に
>移り住んだ事実があり、一方、このような現象は、中国人自身が中国を完全に支配した、漢や宋や明の時代には起こらなかった。
> これは騎馬民族国家特有な現象と解され、それと同様な現象が、大和朝廷国家に顕著に現われたということは、
>大和朝廷国家そのものの騎馬民族的あり方を示すものではなかろうか。そうしてそのことは、古代日本の渡来人についての、
>他の注目すべき現象を観察することによって、いっそう明確になるように思われる。

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 23:59:40.44 ID:1xh8FGvi.net
 続き。
> さまざまな民族・種類の渡来人
> 古代日本の渡来人は、ある特定の民族・種族のものが来たのではなく、いろいろな人たちが来たのである。
>朝鮮系の人も、ツングース系の人も、中国系の人も来たようである。朝鮮系には百済・任那・新羅の人があり、
>ツングース系には高句麗人があり、中国系には、秦人系と楽浪王氏系と、南朝(呉)系などがあり、その出自は
>多様であったらしい。
> そのうち七世紀後半、すなわち百済や高句麗が唐に滅ぼされ時期に、日本に集団的に亡命してきた人々が、
>それぞれ百済・高句麗の遺民であったことは言うまでもないが、五世紀の渡来人たる東漢氏や秦氏などが、
>種族的あるいは民族的にどのような系統のものであったかは、かならずしも明確でない。後世東漢氏の子孫が、
>その遠祖を、後漢の霊帝から、さらに漢の高祖にまで仮託し、秦氏の後裔が、その源流を秦の始皇帝に遡らしめたり
>したので、その出自の所伝が全面的に疑問視された。
> 東漢氏(漢氏)については、三品彰英氏によって、アヤに漢の字があてられたのはおそく、もとは穴・穢などの字が
>あてられていたので、アヤの原義は国名としての漢には関係がなく、朝鮮南部の加羅諸国中の有力国、安羅に由来
>するという説が出されている。また秦氏については、上田正昭氏によって、秦という用字も比較的新しいようで、
>ハタを波陀と音借する例もあって、原義はやはりハタにあり、これを朝鮮古名地の波旦に求める説もあるが、
>新羅語でハタは海を意味し、朝鮮からの海人=外来人を意味していたものが、やがてのちには氏族名として、
>特定の氏族を指すようになったものとするのが妥当であろうと説かれている。
> 私は東漢氏についての三品氏の説にはまったく推服するものであるが、秦氏についての上田氏の説には
>すこしく疑問をもち、秦氏をもって南部朝鮮に多く流寓していた秦人―中国文化を見につけた外国人で、
>秦の遺民と称する人々―との関係を推定した井上三貞氏の説に、より多くの魅力を感じるものである。
> なお、応神朝に伝来したと伝えられる王仁を祖として西文首や、のちに述べる欽明朝ころから名をあらわした
>王辰爾の一族は、ともに文筆をもって大和朝廷に仕えた知識人たちであったから、これら王姓の渡来人と、
>中国系の楽浪王氏との関係を推測された井上氏の説も、蓋然性が大きい。
> また雄略天皇のとき、身狭村主、檜隅民博徳を派遣して、呉から手末の才伎である漢織・呉織や衣縫の
>兄媛・弟媛を伴い帰らしめたという所伝も有名であるが、この呉から機織の職人を貢上したということは、
>当時の日本と南朝との外交関係からみてありえないことではない。しかしここにいわゆる呉は、句麗(高句麗)に
>ほかならず、この所伝は高句麗系の家伝によるものとみる考えも出されていて、どちらの説が正しいか、
>にわかに決しがたい。
> しかし、欽明朝に内外典・薬書・明堂図など一六〇巻、仏像一軀、伎楽調一具をもって来朝した和薬使主は、
>その祖先が呉国人智聡といわれ、これは南朝系らしい。
> このように日本古代の渡来人の出自が、種族的・民族的に多様であったことは、『新撰姓氏録』の諸藩などにより、
>もっとも顕著に反映しているが、同様な現象は大陸の騎馬民族のばあいにも共通しており、とくにアラビアや
>蒙古においていちじるしいものがあった。種族・民族を差別せず、有能な技術者・文化人を歓迎して積極的に
>受けいれるというのは、騎馬民族に普遍的な特色である。

総レス数 751
508 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200