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【IPなし】ハプログループで語るスレ 裏スレ

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/04/04(水) 09:29:53.64 ID:aP0sSsS/.net
日本人に縄文系 D1b が多い理由
中部以東では縄文人 D1b が稲作技術を学んで弥生人化したから D1b の農民が多くなった

渡来人O1b を中心とした弥生集落は九州から大阪までで、関東では在来の縄文人 D1b 主導で水田が広まったと考えられる。
東北にも水田は作られたが、採集生活も続けながら、副業として水田を作り米を得た。
東北のような寒冷地では米という1種類の食料に依存するのはハイリスクであり、多くの種類にリスクを分散したほうが良かった。
渡来人 O1b の集落が多いのは大阪付近までなので、関東では縄文人D1b が水田技術を取り入れて弥生人 O1b の移住を受け入れたと考えられる。

東日本は縄文人D1b が多く、平野部も完全に無人ではないし、そこに弥生人O1b が大規模な水田を作れば大戦争は避けられない。
だが関東で弥生人と縄文人と全面戦争の痕跡はなく、水田と大規模集落が増えて行った。
弥生時代後半になると西日本にも新たな環濠集落は作られなくなり、東日本を中心に人口爆発が起きました。
縄文末期の列島の人口が8万人足らずだったのに、弥生末期の西暦200年ごろには60万人に増加し、しかも人口の中心地は関東でした。
この過程は弥生人O1b が関東を征服したのではなく、縄文人D1b 側が積極的に農業を取り入れて弥生化したと考えると合理的です。

縄文人は採集生活をやめて農耕を取り入れ、この結果家族単位から数百人の集団生活、集団労働に移行しました。
社会はシステム化され縄文土器のような「アート作品」は消滅し、大量生産の同じようなものが大量に出土するようになります。
この間にも毎年数百人、千人単位で半島南部から渡来人が渡ってきたと考えられ、例えば毎年千人の渡来が1千年続いたら合計100万人にも達します。
この大量の渡来が日本列島の人種構成に変化をもたらし、各地に移住したり交じり合って縄文人から弥生人、そして古墳時代人に変化した。
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問題は2世紀以降の帰化人は漢民族 O2でそれ以前の長江系弥生人O1bではないという事

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