2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【IPなし】ハプログループで語るスレ 裏スレ

666 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/05/19(土) 12:01:11.05 ID:5GGqvZLy.net
畿内の神道や皇室で使われていた言葉は高句麗・百済系の朝鮮語だった

言語が近縁かどうかを観察するとき、真っ先に見るのが数詞と言われています。
畿内の神道用語と高句麗語の数詞の比較を行うと、朝鮮語などよりもはるかに近縁の言語という結果が出るようです。

高句麗は滅亡して、その人々は女真族と名を変え、今は満州族と呼ばれています。
彼等は清帝国を築いたわけですが、清の時代に遭難した日本の商人が北京に行って驚いたのが、
一二三四ではなく、ヒ・フ・ミ・ヨの日本語の数え方がそのまま通じたことだそうです。
高句麗の流れを汲む女真族の言葉を話す人々と、北京で普通に接触できたようです。

百済は扶余・高句麗から枝分かれした王室で、朝鮮半島は異民族支配されていました。
そのため、百済の王室と民は異なる言語を話しているという指摘が、中国側に残っています。


神道の世界には古い朝鮮語が数多く残っていると指摘されることがありますが、
実際にはそれが失われた高句麗語という説も出てきています。
高句麗語は日本語と同じ膠着語です。
系統が違う漢民族の言葉と文字がいきなり日本に輸入されたわけではなく、
まず漢民族の言葉と直接接していた高句麗語が漢字表記されるようになり、
それが、高句麗と近い山東半島や遼東半島付近の海人の手を経て日本にもたらされて、古い神道の祝詞の言葉などが作られていったと考えられます。
纏向型祭祀と高句麗国の東盟祭の類似性も、かなり指摘されているようです。

倭人文化圏が北九州から済州島を経て山東半島や遼東半島付近に分布していたと
認識している中国側の史料が幾つか散見されるようです。

卑弥呼寒冷期と呼ばれる地球規模の寒冷化に伴って、飢饉に直面した高句麗地域の人々が日本に渡来した結果、
弥生時代が古墳時代に変わっていったという説があるようです。

九州に山東半島原産の三眠蚕が入り、纏向(奈良)にも山東半島付近の製鉄と蚩尤(兵主・天日槍)
の信仰が入っています。その結果、天照大神のモデルになった古い日女神を祭った
比売許曽(ヒメコソ)神社が建てられるといった現象が起こったようです。

比売許曽は姫を祀る神社という意味の高句麗語(朝鮮古語)です。
だから、比売許曽神社の末尾の「神社」は必要のない筈ですが、
時代が下って元の意味が見失われた結果、付けられるようになったと考えられます。
祝詞にも高句麗語由来の言葉が大量に入っている、
というより、本来祝詞は高句麗語(吏読)だったそうです。
謎が多いとされる「ひふみ祝詞」は、高句麗語として
意味がほぼ通じる形で伝わっているそうです。飛鳥という都の名前も元は高句麗語のようです。

総レス数 1001
338 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200