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縄文人こそ真の日本人、弥生人はシナチョン

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/27(水) 16:29:16.24 ID:SGR821qp.net
薩摩隼人に従属するのが、ペタンコ顔の責務

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/27(水) 21:25:13.43 ID:2eUnyiH9.net
>>20
材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww

破壊靭性だろうがwwwww

無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/28(木) 17:56:20.28 ID:v1dbNKw6.net
>>31
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/28(木) 20:35:33.36 ID:xeghagaW.net
>>32
材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww

破壊靭性だろうがwwwww

無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/29(金) 05:28:50.31 ID:f0fx6XJq.net
89不要不急の名無しさん2020/05/11(月) 12:38:28.79ID:eOXNo8cYO
古来より半島から侵入してくるのがいた。
真に純血日本人は、オレさまなどわずかしか居ない
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1589094231/89

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/29(金) 11:28:26.75 ID:NJo8PkuW.net
アイヌはロシア語でオホーツク人を検索すると出てくる
オホーツク人より古いオホーツクにいた猿人です
顔 体型 毛 目のあたりがウポポイの巨大なアイヌ人男性に
そっくりです 

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/29(金) 11:39:56.09 ID:NJo8PkuW.net
オホーツク人の二ヴフ(ツングース)は重要な役割を果たしており
歴史上ニヴフに関する最古の言及は、12世紀の中国の年代記であると考えられており
元中国のモンゴルの支配者と接触していた
ジリエミ(中国語:吉列迷)と呼ばれる人々について言及しています
彼らは1263年以来モンゴルと同盟を結んでおりモンゴルは
北海道からサハリンに侵入していたアイヌに対して
ニヴフを支援するためにサハリンに侵攻しました
1643年、ヴァシーリ・ポヤルコフはニヴフについて書いた最初のロシア人であり
ツングース語の異義語であるギリャークと呼び、1920年代までニヴフと呼ばれた

元時代以降、サハリンのアイヌとニヴフは満州がヌルガン地方軍事委員会の
一部として明の支配下に入った後、中国の明王朝の朝に属朝になりました
二ヴフ人女性は明の漢人の役人と結婚しました

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/29(金) 11:45:49.03 ID:NJo8PkuW.net
北〇道アイヌ人が猿人であったことが判明したため
猿人のことを縄文人と言ってるのか縄文人は猿人ではない
別なものなのかオホーツク人の中にとけこんでたのが
猿人だったのかわからなくなりました

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/29(金) 11:54:53.54 ID:NJo8PkuW.net
アイヌを縄文人の子孫だよと拡散していると
オホーツクにいた猿人が縄文人になります

縄文人こそが日本人だと言ってると
オホーツクにいた猿人が祖先だと認めたことになります

アイヌと縄文人を別々にしないと不都合が生じます

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/29(金) 14:09:37.03 ID:xUvZVtVA.net
>>33
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













.

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/29(金) 14:10:21.25 ID:xUvZVtVA.net
>>33
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












.

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/30(土) 12:11:34.70 ID:N9K1llPA.net
>>33
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/31(日) 08:45:17.23 ID:moJkx5vU.net
フルボッキ釣られる

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/31(日) 13:45:27.45 ID:W52yPXg6.net
>>42
フルボッキじゃないけど、弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、

中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/31(日) 13:47:02.87 ID:W52yPXg6.net
>>42
フルボッキじゃないけど、弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、

中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/31(日) 18:34:04.98 ID:moJkx5vU.net
>>43
いやお前のしつこさと連投癖はフルボッキ以外の何物でもないw

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/01(月) 13:13:01.61 ID:4tq6P6DF.net
>>45
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/01(月) 13:52:00.38 ID:CpVE5hSE.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww

馬鹿すぎwwww

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/02(火) 09:58:23.16 ID:1RcUzZuT.net
弥生人はシベリアにいたウルチ族みたいな人やろ 
大和人は朝鮮半島や日本列島に文化を伝えた文明人だよ。 

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/02(火) 10:02:05.64 ID:1RcUzZuT.net
縄文人 アイヌとオーストロネシア
弥生人 シベリアのツングース系 
古墳人 黄河沿岸部から日本列島や遼東半島に渡来 日流祖語 扶余語?

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/02(火) 13:39:56.65 ID:Pfs0u2h+.net
>>47
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/02(火) 13:40:46.07 ID:Pfs0u2h+.net
>>47
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/02(火) 14:37:07.17 ID:gDLcMZwv.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww

馬鹿すぎwwww

最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/03(水) 14:25:05.95 ID:+zraD/3T.net
>>52
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/03(水) 21:38:39.44 ID:wenPKGzD.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww

馬鹿すぎwwww

最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/03(水) 21:41:11.27 ID:wenPKGzD.net
現代人は縄文人と弥生人の混血ではない
縄文人と弥生人の混血と古墳人が交わったもの
遺伝子の割合は縄文:弥生:古墳=1.5:1.5:7

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/04(木) 13:58:11.92 ID:8Hj70cQo.net
>>54-55
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/04(木) 13:59:16.43 ID:8Hj70cQo.net
>>54-55
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/04(木) 14:25:44.34 ID:P8ZbDZxg.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww
馬鹿すぎwwww
最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw

現代人は縄文人と弥生人の混血ではない
縄文人と弥生人の混血と古墳人が交わったもの
遺伝子の割合は縄文:弥生:古墳=1.5:1.5:7

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/04(木) 20:18:04.24 ID:NyO5njBy.net
キーロー人

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/05(金) 13:12:56.76 ID:hlurqDsS.net
>>58
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/05(金) 15:18:35.22 ID:Y2LN27j9.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww
馬鹿すぎwwww
最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw

現代人は縄文人と弥生人の混血ではない
縄文人と弥生人の混血と古墳人が交わったもの
遺伝子の割合は縄文:弥生:古墳=1.5:1.5:7

材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww
破壊靭性だろうがwwwww
無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/06(土) 12:10:08.55 ID:uxHifExG.net
>>61
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/06(土) 12:11:16.06 ID:uxHifExG.net
>>61
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












.

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/06(土) 21:55:21.06 ID:g+UEiNJv.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww
馬鹿すぎwwww
最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw

現代人は縄文人と弥生人の混血ではない
縄文人と弥生人の混血と古墳人が交わったもの
遺伝子の割合は縄文:弥生:古墳=1.5:1.5:7

材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww
破壊靭性だろうがwwwww
無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/07(日) 12:44:19.41 ID:XJQM7II9.net
>>64
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/07(日) 14:37:41.03 ID:evHDuLdI.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww
馬鹿すぎwwww
最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw

現代人は縄文人と弥生人の混血ではない
縄文人と弥生人の混血と古墳人が交わったもの
遺伝子の割合は縄文:弥生:古墳=1.5:1.5:7

材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww
破壊靭性だろうがwwwww
無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

↓脳死の馬鹿がコピペしますw

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/08(月) 13:24:48.92 ID:v19mLLpg.net
>>66
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













.

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/08(月) 13:25:35.45 ID:v19mLLpg.net
>>66
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/08(月) 16:24:15.88 ID:8zY1VCjE.net
無駄な行数開けてリソースも無駄に消費するんじゃねえ
お前の個人日記じゃねーんだよクソバカが

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/09(火) 13:32:50.39 ID:AmaEUc7e.net
>>69
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/10(水) 12:32:00.70 ID:FwnZNjgr.net
>>69
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













.

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/10(水) 12:33:11.76 ID:FwnZNjgr.net
>>69
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/10(水) 17:17:33.68 ID:Di0niSgy.net
レバントで石器づくりを覚えただってよwwwwwww
馬鹿すぎwwww
最新の研究結果だとアフリカからでたのではなく
トルコあたりからアフリカに動物をおって行った
アフリカ起源説なんか、文字通り化石よw

現代人は縄文人と弥生人の混血ではない
縄文人と弥生人の混血と古墳人が交わったもの
遺伝子の割合は縄文:弥生:古墳=1.5:1.5:7

材料の切削にモース硬度出してくるもの知らずwwww
破壊靭性だろうがwwwww
無職底辺ハロオタおたくは本当に馬鹿だなぁ

↓脳死の馬鹿がコピペしますw

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/11(木) 12:58:01.82 ID:hnVg8YFj.net
>>73
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/11(木) 16:57:45.86 ID:vbzDJpiW.net
馬鹿みたいにPDF貼ってるようだけどみねーからw

新しく見つかったトルコの人骨知らないみたいだなw

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/12(金) 13:41:44.29 ID:C5+yLq1n.net
>>75
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/12(金) 13:42:34.65 ID:C5+yLq1n.net
>>75
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/12(金) 16:33:47.63 ID:yjTnQsm1.net
新しく見つかったトルコの人骨知らないみたいだなw

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 14:16:24.35 ID:0n2ho81n.net
>>78
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 21:21:19.73 ID:lptviWXx.net
古墳人とかはもろチャンコロだよねw
日本にも全然日本人じゃないのに自称中国系日本人とかいるしw

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 13:03:15.80 ID:1lmrP107.net
>>78
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 13:03:55.68 ID:1lmrP107.net
>>78
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 13:55:15.27 ID:wIwe3W4N.net
ネットの時代遅れのPDFをコピペし続ける情弱www

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 13:56:27.39 ID:wIwe3W4N.net
アフリカ起源説なんかもう死んでるんだよね
トルコあたりの集団が動物をおってアフリカに移動したのが最新の学説
人骨出土済み、反証不可能

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/15(月) 00:30:11.07 ID:g6nt3ilt.net
縄文人のDNAが極東アジアのユーラシア人(ロシア人)とDNAが近いことも知らないんだろうなぁw
エクアドルから縄文式土器が見つかったり、エクアドル人の白血病の遺伝子が日本人由来だということも知らないんだろうなぁw
以下脳死馬鹿のコピペが続きます、クソちょん馬鹿なので連投して火病起こします

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/15(月) 14:19:52.72 ID:9W0IJPdD.net
>>83-85
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/16(火) 13:11:56.33 ID:6VaCbyf1.net
>>83-85
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/16(火) 13:12:49.70 ID:6VaCbyf1.net
>>83-85
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












.

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/17(水) 13:35:28.76 ID:hkRp5vBN.net
>>83-85
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/18(木) 13:29:57.68 ID:tec1G+NC.net
>>83-85
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













.

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/18(木) 13:30:50.80 ID:tec1G+NC.net
>>83-85
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












.

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 16:07:21.67 ID:pJRCaiIL.net
>>83-85
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 08:33:52.91 ID:d2YFno72.net
あらし報告しろよ、、、

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 11:54:35.62 ID:ke4GRNER.net
本物の日本人は竪穴住居に住む

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 15:21:57.23 ID:XSr2wcZ0.net
>>93
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 15:22:58.71 ID:XSr2wcZ0.net
>>93
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/21(日) 13:22:39.39 ID:jANix82p.net
>>93
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/22(月) 12:35:48.78 ID:P4Tber4v.net
>>93
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/22(月) 12:36:29.73 ID:P4Tber4v.net
>>93
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/23(火) 07:55:59.94 ID:ME4vjRbU.net
日本人のDNAって縄文人と弥生人の混血の他に古墳人があんだよね
DNAの比率は 縄文:弥生:古墳 = 1.5:1.5:7
弥生人とかどうでもいいレベル

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/23(火) 12:15:11.92 ID:fdWPb0Hm.net
>>100
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/23(火) 14:11:00.94 ID:ME4vjRbU.net
↓頭も情報も古い化石が脳死コピペでぼやきますw

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 13:37:35.47 ID:azkB+/n7.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 13:38:27.88 ID:azkB+/n7.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/25(木) 13:53:54.89 ID:vbw80+F7.net
>>102
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/26(金) 14:59:13.16 ID:5zG+GBFX.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/26(金) 14:59:56.38 ID:5zG+GBFX.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/26(金) 15:20:31.28 ID:BzzCfxqA.net
世界最古の遺伝子を古代のまま唯一として引き継いでいるのが純日本人だけ
パンドラの箱が開けられて散らばされた偽物の中にうずもれた本物(希望)
偽物と本物が善悪反転にさせられた世界線もついに終焉して終わりを迎える

これからの黄金時代は今まで忍耐強く耐えてきた「本物」が報われる時代です

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/27(土) 14:44:31.83 ID:IiKJgpXO.net
>>102
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 18:33:49.29 ID:LIm3pRp7.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/28(日) 18:34:26.04 ID:LIm3pRp7.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 14:45:01.41 ID:QOncdpQC.net
>>102
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 16:02:09.04 ID:NvInNgOh.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 16:02:41.40 ID:NvInNgOh.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/01(水) 13:43:56.20 ID:3bsWBIVI.net
>>102
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/02(木) 12:47:14.57 ID:GBkBFvsa.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/02(木) 12:47:57.46 ID:GBkBFvsa.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/03(金) 16:52:26.17 ID:GX06YO9h.net
>>102
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/04(土) 13:36:17.70 ID:WMu66+VP.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/04(土) 13:38:01.18 ID:WMu66+VP.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/05(日) 14:04:02.40 ID:Lyxc+oa7.net
>>102
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/06(月) 12:17:23.87 ID:tpJ6kPjO.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/06(月) 12:18:34.23 ID:tpJ6kPjO.net
>>102
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/06(月) 22:19:48.64 ID:ITgUnq4K.net
日本人はアイヌの人と大陸の人との合体だと聞きますがアイヌの人も大陸の人も脳が大きいのに日本人はなぜ脳があまり大きく
ないのですか?それこそ辻褄が合わないじゃあないですか!!私の先祖も農家なのですが現代の頭を使う農業と違って昔の農業は
あまりいらないことを考えず下戸遺伝子で酒におぼれず稲の状態などには敏感である程度IQも高く神経質な脳の小さな人が良かった
のでしょうか?

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/07(火) 07:08:24.61 ID:t+E0rSRf.net
荒らすな!!

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/07(火) 13:16:53.18 ID:PhTOA7ke.net
>>125
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/08(水) 13:27:34.38 ID:ROVwknli.net
>>125
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/08(水) 13:29:00.64 ID:ROVwknli.net
>>125
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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129 ::2024/05/09(木) 06:39:01.82 ID:UcEoYYNp.net
荒らすな!!

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/09(木) 13:31:50.38 ID:by4T+MoI.net
>>129
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

131 ::2024/05/10(金) 06:53:53.71 ID:x2dsIkEp.net
>>130
黙れ!!

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/10(金) 12:39:28.79 ID:5VltripI.net
>>131
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/10(金) 12:40:26.98 ID:5VltripI.net
>>131
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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134 ::2024/05/11(土) 07:09:11.39 ID:vFhYawBc.net
荒らすなといったぞ!!

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/11(土) 15:32:55.84 ID:0bkgal/P.net
>>134
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

136 ::2024/05/12(日) 06:26:10.88 ID:8WWVcDCB.net
>>135
アンカーつけるな!!

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/12(日) 15:03:08.23 ID:yDb1qbJ1.net
>>136
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/12(日) 15:04:12.39 ID:yDb1qbJ1.net
>>136
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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139 ::2024/05/13(月) 06:50:21.36 ID:+9duWSMB.net
荒らすなといったはずだっ!!

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/13(月) 13:16:55.08 ID:jG0s0mGq.net
>>139
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/14(火) 16:36:43.05 ID:6d4+0viz.net
>>139
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/14(火) 16:37:46.54 ID:6d4+0viz.net
>>139
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/15(水) 12:19:45.42 ID:UdJl3Rmp.net
>>139
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

144 ::2024/05/16(木) 06:21:49.06 ID:GouoyEjN.net
荒らすな!!

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/16(木) 13:55:04.63 ID:CiXLdRfF.net
>>144
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/16(木) 13:55:48.95 ID:CiXLdRfF.net
>>144
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/17(金) 13:34:19.18 ID:2BcO+lsf.net
>>144
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

148 ::2024/05/18(土) 06:22:14.96 ID:UHUZ+Oy0.net
止まれ!!

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/18(土) 12:54:45.48 ID:H605IKBU.net
>>148
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/18(土) 12:55:49.04 ID:H605IKBU.net
>>148
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:10:07.28 ID:6NYnzAhp.net
>>148
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/20(月) 17:18:26.02 ID:HsC7xU5L.net
>>148
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/20(月) 17:19:09.56 ID:HsC7xU5L.net
>>148
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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154 ::2024/05/21(火) 06:27:25.16 ID:efNZqsvZ.net
荒らすな!!

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/21(火) 12:34:04.66 ID:XEijKX6Q.net
>>154
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

156 : 警備員[Lv.15]:0.00478556:2024/05/22(水) 06:27:27.91 ID:RE2KYaQK.net
>>155
アンカーつけるな!!

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 12:58:40.40 ID:pb9CB8/p.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 12:59:40.50 ID:pb9CB8/p.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/23(木) 14:36:50.55 ID:R4d4jZWH.net
>>156
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/24(金) 16:36:15.42 ID:3YrZadHp.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/24(金) 16:37:07.91 ID:3YrZadHp.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/25(土) 14:34:56.61 ID:yvTQCTHV.net
>>156
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/26(日) 00:47:43.58 ID:ZzDrMAwu.net
そもそも「日本」という単語を作ったのは畿内人でしょ?「大和」も一緒。東北人は日本"列島"人ではあるが日本人ではない。

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/26(日) 12:46:43.93 ID:0XVZlemc.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













.

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/26(日) 12:47:57.43 ID:0XVZlemc.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、中共 五毛党 日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












.

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/27(月) 13:13:00.64 ID:b0PdL8zH.net
>>156
中共 五毛党 日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/28(火) 13:16:34.43 ID:3s1o2l52.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/28(火) 13:17:33.67 ID:3s1o2l52.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 14:27:17.25 ID:QW0hsCxP.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 14:27:35.36 ID:1kClf7zI.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 14:28:20.01 ID:1kClf7zI.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 22:06:45.74 ID:zw+AkupN.net
dnaから縄文人はマレー人だという説も有力だそうです

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/31(金) 12:52:24.22 ID:ZN35yQeb.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/01(土) 12:50:07.07 ID:te5CzO5+.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/01(土) 12:51:08.52 ID:te5CzO5+.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/02(日) 12:42:31.86 ID:D5d/rdYg.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/03(月) 13:15:40.51 ID:p919J81E.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/03(月) 13:16:11.46 ID:p919J81E.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 12:50:08.75 ID:sdX3+btW.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/05(水) 13:06:26.05 ID:5It1eXGW.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/05(水) 13:07:05.39 ID:5It1eXGW.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/06(木) 12:30:52.72 ID:bWn3JhrP.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/07(金) 15:36:24.78 ID:F29dh7pN.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/07(金) 15:37:05.85 ID:F29dh7pN.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/08(土) 14:21:46.35 ID:nnG9QIpx.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/09(日) 13:02:20.07 ID:R7Q4FQx1.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/09(日) 13:03:01.93 ID:R7Q4FQx1.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/10(月) 13:42:03.41 ID:tT7wW6DV.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/11(火) 16:15:44.49 ID:EdN90j3s.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/11(火) 16:16:24.48 ID:EdN90j3s.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/12(水) 15:13:32.08 ID:34+9xVG/.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/13(木) 12:31:43.44 ID:/Pt/aliY.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/13(木) 12:32:19.05 ID:/Pt/aliY.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/13(木) 17:55:36.26 ID:cy9DR62R.net
【ケ、セラセラ】紅白出演・去年のレコード大賞受賞のスーパーポップスバンド「Mrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル)」のMVが公開停止。先住民の猿役(エキストラ)にコロンブス役のメンバーが文明を教える、人力車を引かせるなどの人種差別表現→フロントマンが謝罪★4 [Ailuropoda melanoleuca★]
ttp://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1718266259/

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/14(金) 12:32:11.49 ID:lF4dEbXh.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/15(土) 12:22:52.18 ID:Z20AtUp1.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/15(土) 12:23:59.92 ID:Z20AtUp1.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/16(日) 15:14:52.58 ID:fqELOM5x.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/17(月) 14:45:52.17 ID:msDmelns.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/17(月) 14:46:31.50 ID:msDmelns.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/18(火) 12:51:36.25 ID:bxLUEmgC.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/19(水) 14:12:06.10 ID:GvCIiHms.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/19(水) 14:12:50.33 ID:GvCIiHms.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/20(木) 06:24:11.09 ID:7LLiH9CR.net
不逞鮮人とは、戦前の日本において、韓国併合後の日本政府に不満を持つ内地の朝鮮出身者や、満洲の朝鮮人反体制派、朝鮮独立運動家、犯罪者をさした。 今村鞆によると、「排日鮮人」という語を韓国統監府の伊藤博文が嫌って公文書に表記することを禁止したため、警務局の誰かによって造られたという。 現在は差別語とみなされる。また戦前には「怪鮮人」と共に新聞等でも公に使われていた。 1919年の三・一独立運動以降、日本に朝鮮人の活動家が多く流入し、爆弾を隠し持っていたところを摘発される報道などが増えていった。テロを行う朝鮮人が恐怖と不安の対象となり、「不逞鮮人」という表現が登場し、一時期は流行語にもなった。 Wikipedia (JA)

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/20(木) 13:39:29.68 ID:BAE9iPET.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl...838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/22(土) 14:01:01.26 ID:dR9cj3Hp.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













.

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/22(土) 14:01:45.29 ID:dR9cj3Hp.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/23(日) 15:46:56.91 ID:0WCiuCFL.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/23(日) 19:18:22.28 ID:QOVherg+.net
終了までお早めに。
https://i.imgur.com/otDtdZq.jpg

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/23(日) 19:46:56.87 ID:4DaeeYdb.net
>>209
これは良かったよなあ

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/24(月) 12:54:41.53 ID:pwSrhKil.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/24(月) 12:55:44.81 ID:pwSrhKil.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/25(火) 14:20:03.76 ID:vLYsYB5a.net
>>156
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/26(水) 13:25:53.52 ID:nkuRYGCx.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/26(水) 13:26:33.90 ID:nkuRYGCx.net
>>156
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/26(水) 17:39:56.34 ID:OzyF8DcS.net
アジアロシアを中国にして欲しい
アジアロシアを中華人民共和国にして欲しい

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/26(水) 18:12:25.78 ID:OzyF8DcS.net
モンゴル国を中国にして欲しい
モンゴル国を中華人民共和国にして欲しい
モンゴルを中国にして欲しい
モンゴルを中華人民共和国にして欲しい

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/26(水) 18:58:51.87 ID:OzyF8DcS.net
アジアロシアを中国にして欲しい
アジアロシアを中華人民共和国にして欲しい

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/27(木) 11:12:08.74 ID:9I8YFqy+.net
アジアロシアを大都会にして欲しい
アジアロシアを大都市にして欲しい
アジアロシアを都心にして欲しい
アジアロシアを都会にして欲しい
アジアロシアを都市にして欲しい

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/27(木) 11:14:01.11 ID:9I8YFqy+.net
アジアロシアを大都会にして欲しい
アジアロシアを大都市にして欲しい
アジアロシアを都心にして欲しい
アジアロシアを都会にして欲しい
アジアロシアを都市にして欲しい

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/27(木) 13:40:45.58 ID:gOm02QxF.net
>>216-220
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね




http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf




論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から出土しているが、興城文化は
沿海州南部に隣接する満州東端の文化になる

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 00:46:40.25 ID:K9zNPmBh.net
アジアロシアはアメリカにして欲しい
アジアロシアはアメリカ合衆国にして欲しい

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 00:48:14.41 ID:K9zNPmBh.net
モンゴル国はアメリカにして欲しい
モンゴル国はアメリカ合衆国にして欲しい
モンゴルはアメリカにして欲しい
モンゴルはアメリカ合衆国にして欲しい

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 00:49:46.67 ID:K9zNPmBh.net
アジアロシアはアメリカにして欲しい
アジアロシアはアメリカ合衆国にして欲しい

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 00:51:41.54 ID:K9zNPmBh.net
アジアロシアをアメリカにして欲しい
アジアロシアをアメリカ合衆国にして欲しい

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 00:52:57.47 ID:K9zNPmBh.net
モンゴル国をアメリカにして欲しい
モンゴル国をアメリカ合衆国にして欲しい
モンゴルをアメリカにして欲しい
モンゴルをアメリカ合衆国にして欲しい

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 00:55:04.01 ID:K9zNPmBh.net
アジアロシアをアメリカにして欲しい
アジアロシアをアメリカ合衆国にして欲しい

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 00:55:30.75 ID:K9zNPmBh.net
アメリカ
アメリカ合衆国

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 00:56:46.96 ID:K9zNPmBh.net
アジアロシアをアメリカにして欲しい
アジアロシアをアメリカ合衆国にして欲しい

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 00:58:28.42 ID:K9zNPmBh.net
モンゴル国をアメリカにして欲しい
モンゴル国をアメリカ合衆国にして欲しい
モンゴルをアメリカにして欲しい
モンゴルをアメリカ合衆国にして欲しい

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 00:59:10.72 ID:K9zNPmBh.net
アジアロシアをアメリカにして欲しい
アジアロシアをアメリカ合衆国にして欲しい

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/29(土) 13:58:18.33 ID:pTu0mAyH.net
>>222-231
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/29(土) 13:59:30.48 ID:pTu0mAyH.net
>>222-231
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/30(日) 12:28:34.75 ID:Q+8NFisI.net
>>222-231
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね





http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf





論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から満州東部にかけて出土している

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/30(日) 15:31:36.37 ID:rcpJGsov.net
アジアロシアをモンゴル国にして欲しい
アジアロシアをモンゴルにして欲しい

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/30(日) 15:32:57.41 ID:rcpJGsov.net
内モンゴル自治区をモンゴル国にして欲しい
内モンゴル自治区をモンゴルにして欲しい

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/30(日) 18:29:49.24 ID:rcpJGsov.net
アジアロシアをカザフスタン共和国にして欲しい
アジアロシアをカザフスタンにして欲しい

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/01(月) 12:24:08.67 ID:P11PTnBb.net
>>235-237
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













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239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/01(月) 12:25:08.78 ID:P11PTnBb.net
>>235-237
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/01(月) 21:29:27.14 ID:ZlNiAgt4.net
カザフスタンをロシアにして欲しい
カザフスタン共和国をロシア連邦にして欲しい

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/01(月) 21:30:11.49 ID:ZlNiAgt4.net
モンゴルをロシアにして欲しい
モンゴル国をロシア連邦にして欲しい

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/01(月) 21:30:57.44 ID:ZlNiAgt4.net
中国をロシアにして欲しい
中華人民共和国をロシア連邦にして欲しい

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/02(火) 13:01:54.59 ID:jOshcLho.net
ロシアをカザフスタンにして欲しい
ロシア連邦をカザフスタン共和国にして欲しい

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/02(火) 13:02:37.08 ID:jOshcLho.net
ロシアをモンゴルにして欲しい
ロシア連邦をモンゴル国にして欲しい

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/02(火) 13:03:18.69 ID:jOshcLho.net
ロシアを中国にして欲しい
ロシア連邦を中華人民共和国にして欲しい

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/02(火) 13:04:37.71 ID:jOshcLho.net
カザフスタンをアメリカにして欲しい
カザフスタン共和国をアメリカ合衆国にして欲しい

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/02(火) 13:05:28.18 ID:jOshcLho.net
モンゴルをアメリカにして欲しい
モンゴル国をアメリカ合衆国にして欲しい

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/02(火) 13:06:07.44 ID:jOshcLho.net
ロシアをアメリカにして欲しい
ロシア連邦をアメリカ合衆国にして欲しい

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/02(火) 13:06:59.29 ID:jOshcLho.net
中国をアメリカにして欲しい
中華人民共和国をアメリカ合衆国にして欲しい

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/02(火) 16:24:22.99 ID:qMntgMhn.net
>>240-249
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね





http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf





論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から満州東部にかけて出土している

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/02(火) 19:14:25.65 ID:jOshcLho.net
グリーンランドをカナダにして欲しい

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/02(火) 19:15:09.06 ID:jOshcLho.net
グリーンランドをアメリカにして欲しい
グリーンランドをアメリカ合衆国にして欲しい

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/03(水) 12:49:02.58 ID:E7VZZVOa.net
>>251-252
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













.

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/03(水) 12:49:54.45 ID:E7VZZVOa.net
>>251-252
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












.

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/03(水) 23:23:39.81 ID:v2ZTdG2v.net
アラスカ州をカナダにして欲しい
アメリカ合衆国アラスカ州をカナダにして欲しい
アメリカ合衆国 アラスカ州をカナダにして欲しい

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/04(木) 13:50:09.37 ID:SMl3STWZ.net
>>255
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね





http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf





論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から満州東部にかけて出土している

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/05(金) 12:46:57.90 ID:LWDGWths.net
>>255
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ












それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋













.

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/05(金) 12:47:37.03 ID:LWDGWths.net
>>255
弥生人はシナチョンじゃなくて沿海州人な、孔子学院の日本侵略部隊のおまえ














最近、考古学会の話題になっていることは、日本の弥生時代にほぼ相当する沿海州の
ポリツェ文化についてだ。この文化は、弥生文化に酷似する特徴をもっており、筑波
大学の加藤晋平教授がまず注目し、東京大学名誉教授の江上波夫博士や、同志社大学
の森浩一教授も重要視している文化である。さらに、大阪医科大学の松本秀夫教授は、
一九八三年の日本人類遺伝学会で、日本人と北方アジア人との遺伝的類似性について
報告し、注目を集めた。その詳細なデータが、近く発表されることを期待している。
異色ではあるが、見のがせないのは国立遺伝学研究所の森脇和郎教授の発見である。
日本産ノネズミの一部に、北アジア系のものがいたのだ。しかも、北日本には南方系
ノネズミがいて、西南に北方系ノネズミが分布するという逆転現象さえ見つかっている。
ネズミは人間とともに移動する可能性が強い。だから、単にネズミの話として聞き流す
わけにはいかないのである。以上のように、期せずして多くの分野で、日本人と北方
アジア人との濃厚な関係が指摘されるようになってきたが、これは偶然ではないだろう。
「日本人のルーツはツングース」などといっては行き過ぎだが、今後、さらに北方アジア人
と日本人との関係を重視する必要がありそうだ。

日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋












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259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/06(土) 14:36:59.90 ID:VEjfRKrD.net
>>255
孔子学院の日本侵略部隊乙


ファンタジーでも何でもなく、現実世界の考古事実ですのでね





http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/47838/files/A32062.pdf





論文41ページ目の興城文化の20、21、25、31、32、35、36

論文42ページ目のザイサノフカ文化新2段階の28、ザイサノフカ文化新3段階の
21、26、33、45、46、47、54、55

論文43ページ目のプフスン上層類型期の3、7

論文45ページ目の石灰場下層期の19、21、22、32、西安村東F1期の42、50



このように刻目突帯文土器の数々が沿海州南部から満州東部にかけて出土している

こう見ると沿海州南部の刻目突帯文土器文化はザイサノフカ文化末から
シニ・ガイ文化初頭頃の土器型式だったのではないかと思われる

細かな事はまだよく分からないが、とにかくその頃に刻目突帯文土器が沿海州南部の
土器型式になった時代があった訳だ

弥生人はその沿海州南部の土器型式が刻目突帯文土器だった時代に出雲地方に
入植した集団だったと考えられる

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