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【旗本】江戸時代の幕臣について【御家人】七

1 :日本@名無史さん:2011/04/04(月) 17:40:27.60 .net
万石に少し足りない大身直参から三十俵二人扶持の極貧御家人まで、
徳川幕府直属の臣下について語り合いましょう。

前スレ
江戸時代の旗本、御家人についてpart2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1246553669/
http://unkar.jp/read/academy6.2ch.net/history/1246553669
【旗本】江戸時代の幕臣について【御家人】六
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/history/1263782372/

交代寄合はこちら。
直臣の世界  交代寄合巻五
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1220023515/

鎌倉時代の御家人や戦国時代の旗本はスレ違い。

2 :日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:37:20.63 .net
2

3 :日本@名無史さん:2011/04/08(金) 00:51:01.39 .net
下級御家人が唯一栄達する方法は勘定所に入ることだす

4 :日本@名無史さん:2011/04/08(金) 01:10:59.71 .net
支配勘定

5 :日本@名無史さん:2011/04/08(金) 01:51:23.37 .net
代官の与力でミカジメをせしめてそれを元手に漁官するヤツも結構いたそうな

6 :日本@名無史さん:2011/04/08(金) 11:58:00.63 .net
荻原重秀、杉岡能連、萩原美雅、小野一吉、根岸鎮衛、川路聖獏、井上清直などは勘定所の下級官僚から勘定奉行という、今で言えば大蔵事務次官兼東京高裁判事とでもいうべき地位に上り詰めた

7 :日本@名無史さん:2011/04/18(月) 23:20:47.41 .net
将軍直参
旗本約5000人、御家人約20000人

軍役に従って動員すれば80000の大軍勢になるな

8 :日本@名無史さん:2011/04/19(火) 00:08:33.00 .net
川路や井上の例

御家人株(最低でも100両はする)を買って御家人になり、そこから小普請支配の役宅に通い詰めて顔と名前を覚えてもらい、支配勘定出役当分助にしてもらい、支配勘定→御勘定→勘定組頭→勘定吟味役→遠国奉行→町奉行(勘定奉行)に栄進した

9 :日本@名無史さん:2011/04/19(火) 01:25:20.92 .net
評定所留役

10 :日本@名無史さん:2011/04/19(火) 01:27:55.33 .net
>>5
代官の与力ってなに?

11 :川路弥吉の実父内藤なにがし:2011/04/19(火) 03:43:32.59 .net
代官所の手代じゃね?

12 :日本@名無史さん:2011/04/19(火) 08:00:25.68 .net
手附は御家人だが手代は民籍の非御家人


13 :日本@名無史さん:2011/04/20(水) 19:07:58.88 .net
手代は民間出身だが手代在任中は幕府の人別


14 :日本@名無史さん:2011/04/20(水) 20:36:59.86 .net
手代は薄給だけどなり手は富農の子とかが多かったのかな?

15 :日本@名無史さん:2011/04/20(水) 20:38:31.94 .net
因獄・石出帯刀(俗称牢屋奉行)は正規の御家人?
役高三百俵、配下に牢屋同心五十八人付属せしめられてるけど

16 :日本@名無史さん:2011/04/20(水) 20:44:48.21 .net
御目見以下だから御家人

17 :日本@名無史さん:2011/04/20(水) 20:50:22.80 .net
>>14
代官所の手代は20両5人扶持
元締に昇進すると30両5人扶持
やはり薄給なのかな?
手代職を実子に継がせる(新規召し抱え)場合もあったみたいだが農家の次三男や下級御家人の次三男、石見生野銀山役人の次三男などが多かったらしい

18 :日本@名無史さん:2011/04/20(水) 20:55:19.30 .net
>>17
そんなに貰ってたのか
旗本用人の倍以上だな

19 :日本@名無史さん:2011/05/02(月) 16:53:31.66 .net
はい

20 :日本@名無史さん:2011/05/04(水) 00:05:16.42 .net
hou

21 :日本@名無史さん:2011/05/04(水) 06:17:59.84 .net
天領だが江戸初期に代官手代で200石ってのがあったけど、これは多分に
初期における豪族の慰撫策とみるべきか・・・

 郷土史的には郷士ということになってるが族籍は平民だった。
先祖の嫁の実家なのだが・・・200石ってすごくないか?

22 :日本@名無史さん:2011/05/04(水) 10:49:39.77 .net
幕府代官所手代が知行200石?手代でそれはありえないよ。
何かの間違いじゃないの?

23 :日本@名無史さん:2011/05/04(水) 17:28:57.85 .net
今調べたが間違いない、ただまだ幕府領ではないね某藩領になってた
まあ、立藩の経緯からいって幕府領と同一だとおもわれ。後の幕領になってる。

24 :日本@名無史さん:2011/05/04(水) 19:06:06.94 .net
幕府初期の代官手代は二本差しすら許されてなく、野差しという長脇差一本のみの身分だった。
江戸の由緒ある町人に請け人になってもらった上で代官より勘定所に伺いを立て召し出される手代が知行取りになれるわけがないよ。


25 :日本@名無史さん:2011/05/04(水) 19:14:17.17 .net
持高が200石?

26 :日本@名無史さん:2011/05/04(水) 20:25:58.21 .net
代官所手代が公儀から知行地を賜る事は有り得ない。
高持ち百姓の当主が代官所手代になる事も不可能だよ。
手代を勤める間は幕府の人別に籍を置くから仮に高持ち百姓の当主なら隠居して人別送りをしてから手代になるしかないな。


27 :日本@名無史さん:2011/05/04(水) 21:54:06.55 .net
>>21
もともと代官所手代は平民がなる職です
稀に手代から累進して扶持米取りになり手付になると新規召出としての御家人となります

28 :日本@名無史さん:2011/05/04(水) 22:27:59.17 .net
>>22ソースをアップしてもいいが個人(故人)情報な為、部分を消すと虫食い
状態になるが・・・まあ、市販の本だから詳細は端折ってる可能性もあるかな

>>24不自然なので豪族の慰撫策でかなと




29 :日本@名無史さん:2011/05/04(水) 22:30:19.18 .net
>>27いやいや、その家自体は郷士とされてます。(郷土史では)


30 :日本@名無史さん:2011/05/05(木) 00:32:03.38 .net
代官の手代に在地豪族を召し出抱えるのは慰撫にはならない
手代と手付は代官所のナンバー2でありそもそも農業と兼業できない
また幕府領に身分として郷士という者はいないから幕府の旗本御家人あるいはその家臣でないなら百姓だ


31 :日本@名無史さん:2011/05/05(木) 01:01:58.39 .net
飛騨高山の陣屋で、説明の人に「代官手代は地元の人ですか?」と聞いたら「江戸から来る」と言われたんだけど、そうなの?

32 :日本@名無史さん:2011/05/05(木) 01:17:09.63 .net
代官に気に入られると代官の異動に付いて赴任する人もいたらしい。
飛騨代官の人員も半数以上は江戸詰めだし、新米の手附なら江戸から来ただろうね。
西国郡代だと手代はほとんど地元出身。

33 :日本@名無史さん:2011/05/05(木) 18:05:13.07 .net
>>30その家は本陣・・だが本陣で生活が成り立つわけはなくやはり小作収入だとは思うが
何なんだろうね?

34 :日本@名無史さん:2011/05/15(日) 13:30:56.94 .net
御家人の中で与力は別として、厳密には士分ではない同心(足軽)と家禄があり旗本への昇進の可能性がある士分である徒士の線引きがよくわかりません。
譜代・二半場・お抱えの区分けがあるのは知ってますがそれとはまた別では?



35 :日本@名無史さん:2011/05/15(日) 15:20:59.68 .net
茶坊主とかを除いて、いわゆる武士の格好をしている御家人というのは、
徒士のほかは、諸組の与力、同心だけなの?

36 :日本@名無史さん:2011/05/16(月) 11:54:29.19 .net
基本的に御家人としてカウントされてはいないが、代官所や地方の奉行所の地役人(手付)

また黒鍬者は御家人にカウントされ、当初は2本差しではなかったが幕末には2本差しになっているのも居るようです。
私も詳細は不明ですが御家人とはお目見え以下幕府用人の総称でさまざまな職種が居る。
どこまでの身分が御家人にカウントされるのかは?
士分、非士分の区別ではない。

37 :日本@名無史さん:2011/05/18(水) 00:56:22.21 .net
長崎奉行所の中・下級役人って現地採用?旗本・御家人?

38 :日本@名無史さん:2011/05/18(水) 11:21:47.09 .net
基本的に奉行所の中で旗本は奉行のみ、与力・同心は御家人です。
ただし与力・同心のほとんどは同じ場所で同一身分で実質世襲ですので土着しています。
今の役所で言えば地元採用のノンキャリ。

長崎奉行所はさらに特殊で事実上町民自治で地役人(町民出身)が仕切っており江戸時代初期と幕末以外は与力・同心も置かれていなかった。
http://nagasaki-r.seesaa.net/article/70825008.html



39 :日本@名無史さん:2011/05/18(水) 18:28:33.47 .net
取り潰しにあった場合、一族ってどうしてんの?

40 :日本@名無史さん:2011/05/19(木) 00:38:06.41 .net
>>38
へ〜じゃあ手代・手付なども町民出身でいいんでしょうか?

41 :日本@名無史さん:2011/05/19(木) 11:32:06.88 .net
代官所手付は基本的に幕臣(御家人)、手代は現地採用であり農民出身が多かったようです。
当時の天領支配は緩やかでこ、れも基本的に農民自治というか庄屋が仕切っていた。
10万石レベルでも代官所に士分は10数名しかいない。
大名だと2千名は居る。

42 :日本@名無史さん:2011/05/20(金) 00:55:26.21 .net
>>41
詳しくありがとうございます

43 :日本@名無史さん:2011/05/20(金) 08:00:08.57 .net
駿府にいた与力、同心はどのような身分ですか?

44 :日本@名無史さん:2011/05/20(金) 08:33:09.97 .net
駿府町奉行の内与力以外の地付き役人の与力・同心は抱席御家人

45 :日本@名無史さん:2011/05/20(金) 10:18:38.12 .net
牛乳配達業は唯一成功した武士の商法

46 :日本@名無史さん:2011/05/21(土) 18:16:38.26 .net
人力車夫を忘れるな

47 :日本@名無史さん:2011/05/23(月) 16:40:36.55 .net
旗本の家臣は職制に応じてあらかじめ名前が決まっていて
雇い入れた家臣に、本名とは別にその名前を名乗らせていた
と三田村鳶魚が語っていたという話を読んだことがある。
鳶魚は出典も明らかにせず根拠がはっきりしないがと前置きして。
相撲界で木村庄之助や式守伊之助の名跡が代々受け継がれるように
そういうのも案外あったのかな。

48 :日本@名無史さん:2011/05/23(月) 22:17:09.49 .net
基本的に江戸城に登城出来ない人間=すなわち御目見以下は全員御家人です。
勝海舟も正式には旗本では無い。

勝小吉は江戸城に登城したことは無い。

49 :日本@名無史さん:2011/05/23(月) 22:33:41.24 .net
>>47
ほほう

50 :日本@名無史さん:2011/05/23(月) 23:37:26.43 .net
つまり旗本の家来にその家の譜代の名跡を名乗らせるってわけだ


51 :日本@名無史さん:2011/05/24(火) 01:10:36.85 .net
そういえば旗本700石の初鹿埜伝右衛門の采地の代官(初鹿野家では給人格かつ名主百姓)は役儀では新見を名乗ってるけど村では松永を名乗ってたりもする。

52 :日本@名無史さん:2011/05/30(月) 15:50:16.16 .net
もしかして清水一角も本名ではない?

53 :日本@名無史さん:2011/06/07(火) 23:29:39.45 .net
幕臣が幕末維新に生き残るための一つの道が学問。
特に新時代に需要の多い英語と理系。
沼津兵学校が典型で、明治を支えた陰の力。
エンジニア、クリスチャン、ミュージシャン(おっと、まだロックは無い、クラシックね)
などになった人も多かった。

54 :日本@名無史さん:2011/06/08(水) 15:20:04.23 .net
勝は旗本に格上げされたじゅ

55 :日本@名無史さん:2011/06/09(木) 18:24:22.85 .net
沼津兵学寮はどこか大学なり自衛隊の学校に引き継がれたりはしてないのか

56 :日本@名無史さん:2011/06/12(日) 23:13:05.44 .net
結局、一括して引き継ぐ所はなく、散り散りになりまがら
色々な場所に顔を出している、というのが実体。
⇒樋口雄彦 「旧幕臣の明治維新」(沼津兵学校とその群像)
 吉川弘文館 ISBN4-642-05601-7

57 :日本@名無史さん:2011/06/13(月) 03:08:38.79 .net
沼津兵学校が自衛隊?時間軸おかしくねーか?

58 :日本@名無史さん:2011/06/13(月) 23:48:09.22 .net
間に一つクッションが足りない。

59 :日本@名無史さん:2011/06/15(水) 18:32:09.26 .net
たとえば、
遠国奉行に就いた旗本は
家禄200俵にまで加増されるというような内規が書かれている書籍をご存知の方いませんか?

60 :日本@名無史さん:2011/06/18(土) 11:48:46.68 .net
>>48
街奉行所与力は旗本じゃないの?
与力は旗本じゃないから登城できないんじゃなくて
罪人を捕える不浄役人だから登城できないんじゃ?

61 :日本@名無史さん:2011/06/18(土) 15:10:52.68 .net
上級旗本住居の平面構成における階層的性格について : 幕末期,旗本・池田家屋敷の主屋の平面と居室からの検討
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004072127
旗本住居の研究 : その5・江戸時代中期の住居<建家坪数100〜200坪前後>平面について
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004094724
旗本住居の研究(その10) : 小規模武家住居(建家坪数50坪以下)における平面構成
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004226230

62 :日本@名無史さん:2011/06/18(土) 15:15:03.36 .net
大番とか書院番とか先手組とかに所属してた諸組の与力・同心ってのは、
どういう仕事をしてたの?
町方の与力・同心とどうとがうの?

63 :日本@名無史さん:2011/06/18(土) 15:45:01.04 .net
>>62
前者は戦争するのが目的の組織

64 :日本@名無史さん:2011/06/18(土) 16:42:25.93 .net
>>60
与力は御家人です 乗馬は許されていました
奉行所での序列は奉行を除くと序列別に服装が違いました 順にいうと
上下役ー役上下ー羽織袴役ー白衣役の順です 与力は役上下です
出勤の時だけ裃で勤務中は羽織袴です 勤務中も裃の人が上下役です
遠山の金さんで書記をしている人達です 勿論与力よりも上席です

65 :日本@名無史さん:2011/06/18(土) 18:01:40.67 .net
>>64
与力より上席というその人は何者?

66 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 00:30:48.90 .net
外部から(特に幕末に)幕臣に取立てられた、西周とかジョン万次郎のような
学問系の人達はどんなポジションで入って来たのでしょうか。

67 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 02:29:19.17 .net
"関ヶ原合戦絵巻"の朽木隊が後方でカレーを煮込んでる件
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1306046832/


68 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 07:10:20.33 .net
 
ペリー提督は、鎌倉幕府の征夷大将軍

http://s1.shard.jp/deer/0204/45/296_1.html

ペリーが東インド艦隊司令長官として日本遠征を命じられた日は、

まさに、源頼朝が征夷大将軍に就任した日だった。

69 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 07:59:15.16 .net
旗本は殿様と呼ばれて、御家人は旦那と呼ばれたんじゃなかった?

70 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 13:01:40.84 .net
渋沢は旗本・御家人?

71 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 15:45:28.96 .net
一橋家家臣のままだったはず。
もともと農民から、一橋家当主時代の慶喜の家臣になり、
そのあと昭武一行のフランス派遣に随行している。

72 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 17:30:16.25 .net
渋沢は慶喜が将軍になった時に旗本にはならなかったの?

73 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 17:30:39.88 .net
渋沢成一郎は知らない

74 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 20:29:49.68 .net
御三卿の家臣は全員直臣じゃないの

75 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 21:00:11.67 .net
御三卿の私的に雇い入れた廷臣は陪臣


76 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 21:16:59.53 .net
栄一の方は慶喜弟の秘書としてフランス行ってたから一橋家臣のままだろ

77 :日本@名無史さん:2011/06/20(月) 01:48:08.80 .net
一橋家家臣の子供である荒木大将は受爵するまでは平民だよな

78 :日本@名無史さん:2011/06/20(月) 04:19:19.09 .net
先祖の主君が老中首座だったのですが、これは徳川の陪臣ということになるのですか?
ちなみに藩の代官などをしていました。
住んでた家は市かなんかの文化財として残っています。

79 :日本@名無史さん:2011/06/20(月) 18:27:16.99 .net
ようするに藩士ってことだろ
徳川将軍の家臣である大名の家臣=陪臣

80 :日本@名無史さん:2011/06/20(月) 19:39:13.74 .net
また者ですわ

81 :日本@名無史さん:2011/06/22(水) 13:20:36.79 .net
旗本・御家人で確実に室町以前からのそれなりの家柄ってどんくらいある?

82 :日本@名無史さん:2011/06/23(木) 00:43:06.61 .net
拙者、三河以来の旗本を名乗っておるが、江戸幕府開設までは
転戦の現場での召使役の野武士に過ぎなかったと聞いておる。
旧来の秩序を一度リセットし、現場で苦楽を共にした者を取り立てるという
未来志向の人事、どこか後の幕末に似ておるがのぉ。

83 :日本@名無史さん:2011/06/23(木) 16:28:33.18 .net
徳川譜代大名で主君家以上の家柄は井伊家と小笠原家ぐらいだろ。

84 :日本@名無史さん:2011/06/23(木) 17:05:42.46 .net
喜多見、太田、諏訪

85 :日本@名無史さん:2011/06/23(木) 17:45:55.48 .net
大名分家・高家・寄合を除いた一般の旗本だと
相模・武蔵・駿河・遠州・甲斐・信濃・美濃・山城の旗本はそれなりに信用できる家柄


86 :日本@名無史さん:2011/06/23(木) 19:25:07.32 .net
>>77
一橋、田安両家は、江戸開城後に徳川宗家から独立して立藩してるから、
その家臣は当然、士族になる。

失業した旧幕臣の一部にも、両藩の家臣として引き取られた者がいる。
ただし、両藩とも全国的な廃藩置県の前に廃藩されてしまったが。

87 :日本@名無史さん:2011/07/10(日) 23:15:21.10 .net
昌平坂学問所とか蕃書取調所とかで幕臣待遇で英吉利語や仏蘭西語を
やっていた若者たち、どうやって発掘+抜擢したのだろうあか?

88 :日本@名無史さん:2011/07/11(月) 09:34:15.46 .net
学識経験者の繋がりは横だけでなく、縦にも伸びていて
そこから発掘、抜擢は取り敢えず一代限りの軽輩からという感じ

89 :日本@名無史さん:2011/07/13(水) 20:48:29.65 .net
元クレージーキャッツのベーシストで俳優の犬塚弘の犬塚家は
三河以来の直参旗本の家柄

90 :日本@名無史さん:2011/07/17(日) 00:29:26.75 .net
浅草オペラの田谷力三も直参だったが没落で貧乏。
学費なしで勉強できる所を探して三越少年音楽隊に入った。


91 :日本@名無史さん:2011/09/09(金) 18:08:41.71 .net
鬼平

92 :日本@名無史さん:2011/09/10(土) 09:58:21.77 .net
御先手組与力同心って家格高い?

93 :日本@名無史さん:2011/09/10(土) 23:51:05.22 .net
>>92
大概順では諸役同心で十把一絡げ

94 :日本@名無史さん:2011/09/12(月) 06:51:55.97 .net
御家人30俵2人扶持と大名家の家臣30俵2人扶持、旗本家の家臣30俵2人扶持
大名家の陪臣30俵2人扶持は同格と考えて良いのでしょうか?
御家人>大名家>旗本家>陪臣の順なのでしょうか?

95 :日本@名無史さん:2011/09/12(月) 08:25:32.96 .net
幕臣の下限ってどの辺?
御家人には含まれないけど、幕臣には含むこともある?
同心って御家人なのか?
幕府に使われているけど幕臣ではないってこともあり得るんだろうな。
お雇いみたいなのは形式上はあくまで臨時雇用かな?
試用期間的意味合いもあるのかもしれないけど。

96 :日本@名無史さん:2011/09/12(月) 08:42:20.66 .net
>>94

「格」を問題にするのなら、将軍に近いほど高い


97 :日本@名無史さん:2011/09/12(月) 21:23:52.50 .net
>>95
>>お雇いみたいなのは形式上はあくまで臨時雇用かな?

幕末だとよくあるよね。大村益次郎とか手塚治虫の先祖とか・・・
主従関係は元のままで、幕府へ出向するケース


98 :日本@名無史さん:2011/09/13(火) 08:05:13.57 .net
>>95
牢屋下男

99 :日本@名無史さん:2011/09/17(土) 18:05:41.15 .net
武田家の遺臣で徳川に仕えた連中はどんな待遇が多いの?

100 :日本@名無史さん:2011/09/21(水) 23:31:51.56 .net
>>95
御様御用の山田浅右衛門もお雇いかな?
後藤庄三郎家や茶屋四郎次郎のように御用商人と同じ扱いかな?






101 :日本@名無史さん:2011/09/22(木) 08:00:01.72 .net
>>99
百足衆だったのを買われて御使番に抜擢された番方の者から代官、御勘定筋の地方役人まで様々


102 :日本@名無史さん:2011/09/23(金) 20:55:44.70 .net
旗本一番の名門
宮原氏

103 :日本@名無史さん:2011/09/24(土) 04:17:59.02 .net
>>71
 昭武は清水家当主としてパリに行ったのに、渋沢は一橋家臣として随行したの?
まあ、幕府直臣としてならどっちも一緒かもしれないけれど…

104 :日本@名無史さん:2011/09/24(土) 11:24:24.07 .net
渋沢は慶喜からみたら陪臣か

105 :日本@名無史さん:2011/09/26(月) 03:01:44.23 .net
>>94
御家人>大名家臣=旗本家臣

106 :日本@名無史さん:2011/09/26(月) 06:57:02.66 .net
旗本家臣は流動的な立場のようだ

107 :日本@名無史さん:2011/09/29(木) 00:01:12.83 .net
陪臣でも地盤がしっかりしていれば活躍が可能。
埼玉・秩父から出発した渋沢+尾高+諸井の一族からは
今でも優秀な人が輩出している。

108 :日本@名無史さん:2011/10/02(日) 11:53:45.73 .net
>>21江戸初期の代官手代は代官。手代は幕臣じゃないってぐらいの意味だろ
ただ、在地の代官を採用して代官って呼称のこともあるから地域による呼称の差かも

 いずれにしても、大部分は改易になってる。使い込みが過ぎてらしいが

109 :日本@名無史さん:2011/10/05(水) 12:36:36.79 .net
火付盗賊改ってどの位偉いの?現代で言ったら、警視庁機動隊の隊長ぐらい?

110 :日本@名無史さん:2011/10/05(水) 13:25:26.15 .net
布衣役の先手頭・持頭の加役だから少佐(大隊長)くらいじゃないか

111 :日本@名無史さん:2011/10/05(水) 14:46:21.64 .net
してみると、あたらずと言えども遠からずってとこですか。どうもありがとやんした。

112 :日本@名無史さん:2011/10/05(水) 20:25:10.77 .net
すると諸大夫役の大番頭・書院番頭・小姓組番頭は大佐(聯隊長級)か。

113 :日本@名無史さん:2011/10/06(木) 00:22:23.52 .net
火盗は国家憲兵だろ
本来の担当は武装盗賊団の武官集団だし

新撰組が機動隊(やってることはゲシュタポなみだがまあ時代が時代だし)

114 :日本@名無史さん:2011/10/06(木) 02:08:38.81 .net
陸軍憲兵少佐ってことでいじゃん
戦前日本の憲兵は国家憲兵だぞ

115 :日本@名無史さん:2011/10/06(木) 14:19:38.60 .net
現代階級で表すのは無茶あるが鬼平クラスは確かに少佐ランクだな

116 :日本@名無史さん:2011/10/06(木) 15:45:06.27 .net
三等陸佐って言うとあんまり偉そうじゃないね。

117 :日本@名無史さん:2011/10/06(木) 20:02:06.05 .net
おまえらバカ?大佐とか階級よりも省部落での役


118 :日本@名無史さん:2011/10/06(木) 22:15:50.14 .net
省部落

119 :日本@名無史さん:2011/10/06(木) 22:19:13.73 .net
火付盗賊改って動員人数からして小隊規模から中隊規模だろ
だったら頭は、少尉か大尉で良いのじゃないの

やってることは、昔でいえば検非違使の尉でしょ。




120 :日本@名無史さん:2011/10/09(日) 15:23:28.23 .net
軍の階級で推測とか(笑 恥ずかしっ

121 :日本@名無史さん:2011/10/10(月) 00:08:23.13 .net
へ、兵隊の位で言ってはいけないんだな。
ボ、ボクも大将ではなくなるんだな。


122 :日本@名無史さん:2011/10/10(月) 02:37:47.81 .net
軍の階級で推測と言うより位階での対応を言ってるだけでは?

123 :日本@名無史さん:2011/10/10(月) 16:15:00.25 .net
高家や交替寄合、室町以来の名門にも準貴族の位くれたら俺も

124 :日本@名無史さん:2011/10/11(火) 18:30:34.52 .net
大番頭も自身の家臣、番士の家臣、与力・同心合わせても大隊レベルじゃないの?
ってことはあれでもせいぜい少佐クラスか。
数だけ数えるとたいしたことないんだよな。
封建制の軍隊はいまいち数はしょぼい。

125 :日本@名無史さん:2011/10/11(火) 23:22:44.37 .net
兵力で数えたらそうなるが…
ちょっと馬鹿っぽい

126 :日本@名無史さん:2011/10/12(水) 10:28:23.52 .net
>>121
線路を歩いちゃいけませんよ。危ないですからね。

127 :日本@名無史さん:2011/10/13(木) 20:19:01.04 .net
俺は兵隊の位より、相撲の番付で言いたいんだが、鬼平は見当がつかんな。

128 :日本@名無史さん:2011/10/13(木) 20:21:23.56 .net
総大将→将軍
侍大将→佐官
足軽大将→尉官

大番頭は侍大将なので佐官

129 :日本@名無史さん:2011/10/18(火) 08:47:46.62 .net
大番の与力・同心って役目なに?雑用係り?

130 :日本@名無史さん:2011/10/18(火) 18:48:20.13 .net
>>129

131 :日本@名無史さん:2011/10/18(火) 21:27:07.91 .net
町奉行配下の町方与力や同心に比べて、
大番とか書院番とかの番方諸組の与力・同心って、
ふだん何やってるのかサッパリわからんな

132 :日本@名無史さん:2011/10/18(火) 21:27:43.08 .net
町奉行配下の町方与力や同心に比べて、
大番とか書院番とかの番方諸組の与力・同心って、
ふだん何やってるのかサッパリわからんな

133 :日本@名無史さん:2011/10/18(火) 23:31:41.99 .net
確かに、大番頭には大名や大身旗本も就くから、大番頭の家臣と与力同心の役割分担がよく分からないな。




134 :日本@名無史さん:2011/10/19(水) 09:46:00.85 .net
先手とかは、与力・同心自体が主戦力なんだけど、
大番とか、書院番とかの戦力はあくまで番士なんだろう。
与力とか同心ってなんのために居るの。前衛の楯代わり?
隊長の護衛とかは自身の家臣で良いわけだし。
別に本部付に必要だとも思えない。
平時はもちろん戦時でもいまいち存在意義がわからない。

135 :日本@名無史さん:2011/10/19(水) 21:05:36.45 .net
>>134
しかも、番頭や組頭の家臣と与力同心との上下関係や指揮命令系統はどうなってたんだろ。



136 :日本@名無史さん:2011/10/22(土) 11:52:53.51 .net
あくまでイメージだが、与力・同心は番頭の下で本隊業務。
番頭の家臣や組頭・番士とその家臣たちは、前線で実戦業務。

そんな感じかな?

137 :日本@名無史さん:2011/10/26(水) 20:41:55.05 .net
大塩平八郎の乱のときは、大阪玉造口定番与力同心たちは最前線に出て大塩側を壊滅させたけどね。
ただし大坂町奉行の部隊への支援として出され、定番の遠藤の指揮系統からは外れていたけど。

大坂町奉行の指揮系統では、玉造口から派遣された与力同心は実戦部隊、奉行の家臣は長である
奉行を守る本隊勤務。大阪城代や諸藩蔵屋敷などとの伝令役を勤めていたのは奉行の家臣。
そりゃ奉行だって、気心の知れない与力同心よりも自分の家臣を側に置きたがるだろう。家臣にしても
主君である奉行を守るのが本分のはずだ。主君が死んだら自分の手柄も台無しなんだから。

138 :日本@名無史さん:2011/10/29(土) 11:59:01.48 .net
福山で「大阿部家」展ttp://www.nhk.or.jp/lnews/hiroshima/4003344721.html
幕末に日米交渉にあたった老中、阿部正弘を出したことで知られる福山藩主、阿部家に伝わる絵巻物などを集めた
特別展が福山市で開かれています。
この展示会は阿部家に代々伝わる品が福山市に寄付されたことを記念したもので、会場の福山城博物館には183点
が展示されています。
阿部家は江戸時代の譜代大名で、150年にわたって福山藩を治め、幕府の老中を多く輩出しました。中でも、幕末に
老中として日米和親条約を結んだ阿部正弘に関連する資料が多く残っていて、このうち「亜米利加使節饗応之図」は
ペリー来航の際に描かれたものです。日米は対等の関係だとして日本側の代表がペリーらと対面して座り食事でもて
なしていますが、別のアメリカ側の記録では「味も量も満足できなかった」と書かれているということです。
また、同じ時期にロシアの使節が来た時の絵巻物もあり、ロシア人の表情や服装を細かく忠実に描いた絵の雰囲気か
ら、鎖国が破られた当時の人々の驚きをうかがうことができます。この「大阿部家展」は11月27日まで開かれています。

139 :日本@名無史さん:2011/11/01(火) 21:24:19.84 .net
何だよ「大」って

140 :日本@名無史さん:2011/11/24(木) 19:56:57.97 .net
桜島の名前の由来にあった捏造

http://2nd.geocities.jp/jmpx759/0203/38/260.html

江戸時代の文献にあったものは、話が出来すぎていた。

(仮説を含む)

( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p001.html )

141 :日本@名無史さん:2011/11/24(木) 23:13:25.69 .net
御家人斬九郎みたいな徳川の流れの御家人っていたの?

142 :日本@名無史さん:2011/11/24(木) 23:48:51.96 .net
確か浪人までいるはず

143 :日本@名無史さん:2011/11/24(木) 23:56:15.60 .net
大給松平家を舐めるなよ

144 :日本@名無史さん:2011/11/25(金) 09:13:26.95 .net

>>140

見て損したわwww


145 :日本@名無史さん:2011/12/16(金) 02:37:13.69 .net
勘定奉行というのは、現代でいえば大蔵事務次官兼最高裁判事とでもいうべき地位だが、そこに登り詰めた井上清直

146 :日本@名無史さん:2011/12/17(土) 06:19:39.00 .net
で?

147 :日本@名無史さん:2011/12/17(土) 06:56:28.54 .net
氏素性の定かでない浪人の倅から、そこまで出世できたのは凄いってことでは?

148 :日本@名無史さん:2011/12/17(土) 06:57:36.13 .net
>>102
宮原と吉良とでは、どっちが名門か微妙だな。

149 :日本@名無史さん:2011/12/17(土) 18:39:07.30 .net
>>138
ロシア人は日本側の饗応によろこんでるんだょねw

150 :日本@名無史さん:2011/12/17(土) 19:13:04.87 .net
公家流れの高家の方が名門じゃね
公家流れで一番実家家格高かったのは大名だが吉井か

151 :日本@名無史さん:2011/12/18(日) 04:36:06.45 .net
>>148
宮原家って江戸初期に武田勝頼の娘を室に迎えてるよな

152 :日本@名無史さん:2011/12/18(日) 09:25:34.36 .net
でも、足利嫡流に近い宮原(鎌倉公方の分家)や吉良(室町幕府の御一家)と、
中流公家の次三男出身の高家じゃ、前者の方が上じゃないか?

吉井=鷹司松平に匹敵できる家格の公家流れの高家はいないだろ。

153 :日本@名無史さん:2011/12/18(日) 09:58:19.26 .net
表高家衆に優劣なんてねえよ

154 :日本@名無史さん:2011/12/19(月) 19:18:20.17 .net
家柄なら公家系含めても宮原が一番だな
一番高いのは前田(三條西)だから

155 :日本@名無史さん:2011/12/19(月) 20:05:14.86 .net
>>119
御先手弓組はせいぜい50人だろ、小隊長だよ。
まあ近代陸軍とは違うし、四百石の旗本だから大尉ぐらいか。
佐官になると寄合クラスだろ。
刑事警察にたとえると一課の特捜隊の長、警視。
町奉行が大佐ぐらいじゃね。部下は少ないけど格は高いだろ。
でもなんかうまくあてはまらないなw


156 :日本@名無史さん:2011/12/19(月) 21:15:51.47 .net
老中「安房守、亜米利加とは日本とどこが違うのか」
勝「ははっ、彼の国は我が国と違い上に立つ人間ほど優秀でございます」

将軍「HAHAHA!nice joke.」


157 :日本@名無史さん:2011/12/20(火) 01:31:53.80 .net
今の世界見たらどう思うだろ

158 :日本@名無史さん:2011/12/20(火) 08:32:27.67 .net
>154
前田は押小路じゃなかったけ?


159 :日本@名無史さん:2011/12/20(火) 09:29:11.16 .net
>>156
現代でも全く変わってないのが悲しいところ。
この百数十年間なにやってたんだ。
って言うか日本人がまともに勤まるのって中隊長とか課長くらいまでで、
それより上のレベル向きの人材がいない。
だからそれ以上は必然的に上へ行くほど無能になる。
まあ少しは例外も居るけど。

160 :日本@名無史さん:2011/12/20(火) 17:36:04.53 .net
無能になるというか、無能を装う必要がでてくる。
課長クラスに判子をあずけているというのが美徳とされる。
そのうちほんとうに無能になってくる。
やはりこれは農村社会なんだろうね。

大戦略が立てられない。
軍隊、会社、あるいは国でもこれは同じ。


161 :日本@名無史さん:2012/01/06(金) 14:33:16.56 .net
先祖の御家人屋敷にそのまま住んでるけど質問ある?

162 :日本@名無史さん:2012/01/06(金) 14:52:49.30 .net
>>161
幕臣の屋敷は明治政府に接収されたんじゃなかったの?

163 :日本@名無史さん:2012/01/06(金) 15:51:27.12 .net
地方の天領だからかな?

164 :日本@名無史さん:2012/01/07(土) 05:05:32.14 .net
ぶっちゃけ身なり整えて2本差してりゃ身分詐称なんて余裕だよな。
遠くの土地に行っちまえば浪人の出来上がり

165 :日本@名無史さん:2012/01/07(土) 05:10:49.74 .net
そういや俳優の石黒賢が榎本武揚の子孫と聞いて驚いた

166 :日本@名無史さん:2012/01/07(土) 13:48:06.27 .net
>>164
浪人は天領にしか住めない

167 :日本@名無史さん:2012/01/07(土) 21:27:38.60 .net
>>166
大石内蔵助が隠棲した山科も天領?

そういえば、そもそも浪人って身分的には士分?
それとも人別に載ってないから無宿人?

168 :日本@名無史さん:2012/01/08(日) 02:47:38.05 .net
浪人は浪人。
本来浮浪者となるが、苗字帯刀が黙認されていただけ。
管轄も庶民と同じ町奉行。
次第になんとなく浪人も受け入れられ平賀源内のような浪人のまま有名人となり、
田沼意次や他の大名から重要な仕事を依頼されたりしてフリーの武士のような恰好になってる。
近松門左衛門や松尾芭蕉(郷士)も浪人。

169 :日本@名無史さん:2012/01/08(日) 03:29:10.52 .net
牢人が浪人になり幕末になると郷士と称するようになる

170 :日本@名無史さん:2012/01/08(日) 07:50:41.62 .net
由井正雪の事件があったりしたから牢人の地位を曖昧にして黙認したんだろうね

171 :日本@名無史さん:2012/01/09(月) 04:12:54.87 .net
>>169

172 :日本@名無史さん:2012/01/09(月) 09:38:56.39 .net
>>169


173 :日本@名無史さん:2012/01/09(月) 10:14:04.60 .net
増封があれば家臣を増やさなければならない。その場合、仕官の経験者のほうが望ましい。
牢人のかっこうをしているのは召抱えてくださいというシグナル。だから、牢人を全部一挙に
百姓町人にしてしまうことは合理的でない。

174 :日本@名無史さん:2012/01/12(木) 08:45:49.24 .net
>>169
これは恥ずかしいw

175 :日本@名無史さん:2012/01/21(土) 09:37:05.93 .net
御家人の下限って言うか、幕臣ってどの辺まで?
最下層とかは幕臣じゃなくて、
幕府のご用を努めてる庶民(町人?)ってことになるんでしょ?

176 :日本@名無史さん:2012/01/22(日) 19:23:55.93 .net
同心は武士?

177 :同心暁蘭之介:2012/01/29(日) 01:51:58.05 .net
同心暁蘭之介

178 :日本@名無史さん:2012/01/29(日) 06:03:14.46 .net
同心は幕府の最下級武士。

179 :日本@名無史さん:2012/01/30(月) 01:26:31.33 .net
同じ心って、どんな意味が込められてたのかな

180 :日本@名無史さん:2012/01/30(月) 02:07:46.16 .net
同心は士分じゃなくて足軽なんだが

181 :日本@名無史さん:2012/01/30(月) 08:18:19.70 .net
>>180
三田村鳶魚は考証事典ではっきりと、同心は足軽ではないと書いてある。

182 :日本@名無史さん:2012/01/30(月) 11:02:32.92 .net
あれは同心を「足軽」と呼ぶ(書く)のはおかしいと言ってるだけだぞ
同心は足軽と同じで卒分

183 :日本@名無史さん:2012/01/30(月) 11:09:32.75 .net
成り立ちとしては足軽には違いないだろう。
職務内容も諸藩の足軽と大差はないし。
待遇が違うくらい?

184 :日本@名無史さん:2012/01/30(月) 11:33:23.32 .net
呼称が異なるだけでしょう
同心と呼んでる藩もあるし
待遇と言っても諸藩によって異なるのは当たり前だし

直参か陪臣かという違いはあるだろうが

185 :日本@名無史さん:2012/01/30(月) 23:38:48.14 .net
>>181みたいなシッタカにはほとほとウンザリさせられる。
なんで馬鹿なのに発言しようと思うのかね。

186 :日本@名無史さん:2012/01/31(火) 06:23:26.93 .net
定義の曖昧な「武士」という言葉を恣意的に使っていることが当人たちも
薄々分かっているから、殊更にヒステリックな書き込みが出てくる。

187 :日本@名無史さん:2012/01/31(火) 16:54:46.04 .net
>>183
その部分を読んだのなら、すぐ後の「足軽どころか中間小者でさえ士族」なんて記述も読んでおくべきだ。
ホンマかいなとは思う。抱席の御家人だろうと実質的に世襲なら士族だったとか聞くけど。

188 :日本@名無史さん:2012/01/31(火) 17:18:09.42 .net
秩禄処分の前提として士族身分の設定が行われたので、
江戸時代の制度や社会観念における士分、武士とは
必ずしも合致しない。事実上の世襲の録を奪われた者
には保障がなされたが、士分を奪われただけの者には
補償はなかった。

189 :日本@名無史さん:2012/01/31(火) 17:23:15.19 .net
このスレで「武士」というのはどういう共通認識のもとで語られているのか。
二本差しが武士なら同心も余裕で武士だろう。騎乗の士が武士なら、
御家人でも騎乗の与力は武士に違いない。苗字を公式に名乗れれば武士なら、
中間でも武士になる。

190 :日本@名無史さん:2012/01/31(火) 18:35:38.24 .net
「武士」なんていう厳密な定義を欠いた曖昧な言葉で論じようとすること自体が無意味。

ただ足軽同心を「士」と呼ぶのは明らかに馬鹿げている。

それと与力は身分による騎乗資格ではなく職務による騎乗資格。
これは重要な区別だから弁えないと。

191 :日本@名無史さん:2012/01/31(火) 19:33:02.22 .net
このスレで「士」というのはどういう共通認識のもとで語られているのか。

家格と家禄と職務。「身分」とはどれによって決定されるものか。

192 :日本@名無史さん:2012/01/31(火) 19:54:21.02 .net
それが割り切れるものなら苦労はない。
中間的存在とか、ぬえみたいなのが居るのが現実の難しいところ。
線引きできたらすっきりするんだけど、できない、しようがない。

193 :日本@名無史さん:2012/02/01(水) 01:26:28.64 .net
うむ、武士などという言葉は確かにあいまい。
そもそも江戸中期以降に本物の武士などいたのか。
新撰組が武士であろうとしたが隊士の多くは庶民出身だった。



194 :日本@名無史さん:2012/02/01(水) 01:41:25.99 .net
お武家様ぁ〜

195 :日本@名無史さん:2012/02/01(水) 08:05:21.30 .net
町奉行与力のような役方の与力でも、俸禄は知行二百石相当の、禄米二百俵または現米八十石を貰っていたりする。
与力は職務による騎乗資格というよりは、明らかに俸禄に直結する家格によるものだろう。役方与力は実質はともかく
抱席だから、足高による取立てなんてありえないし。

幕初には町奉行与力も町守備の兵力として想定されて、徴兵できるように知行を与えられていた。禄米に切り替えられても
これらの村々との関係は切れず、平時でもこれらの村々から獄吏が集められて奉行所の職務を遂行していた。


196 :日本@名無史さん:2012/02/01(水) 09:21:35.57 .net
思い込みで語るという悪い見本

197 :日本@名無史さん:2012/02/01(水) 09:25:00.13 .net
>>196
実例を出して論理的に語っているのを、思い込みで何の根拠もなく否定する悪い見本。

198 :日本@名無史さん:2012/02/01(水) 11:51:51.96 .net
自分のレスの前半部分をよく読み返してみるといいよ。
馬鹿じゃない限り気付くはずの矛盾が見つかるはずだから。
(後半部分はスレの流れに直接関係のない「僕こんなこと知ってるよエッヘン」というニワカがよく叩く無駄口だから最初から無視してる)

というよりもあまりに単純な間違いだから指摘するのも馬鹿馬鹿しい。
自分の使っている言葉くらい意識的に使えよ。

199 :日本@名無史さん:2012/02/01(水) 17:09:02.41 .net
>>198
ああ、確かに抱席なんだから、役職から離れたところでの家格は想定できないわな。

しかし、「禄高としては本来騎馬が許されないが与力は特例で認められていた」のならともかく、
200石は軍役で騎馬と定められているんだから、役職によって認められたというのは変だろう。
一代抱えでも家は家だ。200石相当に対して認められているわけだろう。

役方与力でも功績を認められて譜代御家人に家格を引き上げられているところもある。
ついでだから触れておくよ。

200 :日本@名無史さん:2012/02/07(火) 19:41:31.75 .net
あげ。

201 : 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/02/07(火) 22:43:04.44 .net
御先手組同心などは、どう見ても足軽には見えん。


202 :日本@名無史さん:2012/02/08(水) 08:00:47.98 .net
何をどう見て「どう見ても」なんて言い出したんだろうこの馬鹿は

鬼平犯科帳?w

203 :日本@名無史さん:2012/02/08(水) 09:06:14.57 .net
陣笠被ってないからじゃないの?

204 : 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/02/08(水) 19:33:29.45 .net
>>202
旗本・御家人は士分
足軽は士分ではないから、足軽の家に生まれた者も御家人株を買って、一応の士分になろうとする
役方・番方問わず、与力同心は御家人身分であり、足軽のような庶民身分とは一線を画している
御先手組とは、武芸に秀でた士を集めて、合戦の先鋒部隊としたものである
士である同心の下に兵卒たる足軽がいる




205 :日本@名無史さん:2012/02/08(水) 19:54:20.37 .net
>旗本・御家人は士分

御家人の大概順を見れば認識も変わるだろうよ。

206 :日本@名無史さん:2012/02/08(水) 20:20:53.16 .net
ここで語られてる足軽って代官所の足軽のこと?
一応幕臣スレだし。
幕府の役職(幕臣とは言い難いだろうけど)で足軽って、
代官所の門番だけだったよね、確か。

207 :日本@名無史さん:2012/02/09(木) 07:29:34.34 .net
時代劇では同心が「足軽」と呼ばれることはないが、実際はどうだったんですか。
同心を足軽と呼んだ文書文献があればそれで決まりでしょ?

208 :日本@名無史さん:2012/02/11(土) 17:35:13.15 .net
大小二本差しは武士の特権。
名字・帯刀の許可は庶民に与えられる名誉格式だが、二本差しは認められない。
髪形も武士と庶民ではちがう。
武士が庶民の格好を真似たりするのは恥ずかしい事だが、罪とはされないため、御家人などは庶民のなりをして、賭場や吉原などに通った。
反対に庶民が勝手に武士のなりをする事は大罪で、下手するとその騙った家中の者に斬られたりする。
足軽は平時には庶民だから、庶民のなりをしている。
例えば、町奉行所の与力・同心であれば、出勤時には必ず奉公人が共をする。
与力であれば4〜5人、同心であれば2人程度だが、もし出陣ともなれば、これらの者が足軽となり、主人である与力は馬上、同心は徒歩の士という事である。
無論、これら奉公人は武士ではないから、二本差しではない。
武士で似通った役割の者は用人と呼ばれ、二本差しをしている。
時代劇や歴史ドラマなら、例えば秀吉の場合、まだ草履取りなどの織田家奉公人の時は庶民のなりをしている。織田家の武士となって初めて二本差しの格好となる。
真田太平記の向井佐平次も、平時は真田家の奉公人だから庶民の格好で、戦時でも、昌幸・幸村の側近くで仕えてはいるが、足軽である。


209 :日本@名無史さん:2012/02/11(土) 20:03:59.31 .net
与力が格式どおり4−5人も引き連れるのは初出仕の時くらいだよ。一人二人は若党を
連れていないと様にならないけど。
用人は旗本家では家老に次ぐほど家中では高い身分なのに、それと分かる書き方をしてないし。

210 :日本@名無史さん:2012/02/11(土) 21:49:20.29 .net
>>209
人数そのものが問題点ではなく、主従の身分が問題。
与力の場合、初出仕ではなく、騎乗の出仕ではなくても、道具箱持ちと着替え持ちは必ず帯同するので、少なくとも2人の奉公人を帯同するし、同心も道具持ち1人は必ず帯同する。
用人というのは奉公人への指示や雑務等、家政を仕切る役で200石・300石取り程度の旗本家にも必ず用人はいるし、三千石とりの大身旗本にもなれば数人は存在する。
用人の中でも小身者もいれば、高禄の者もいる。
また、旗本の家に家老なる役があるとするならば、それは用人である。
千石とり程度の旗本家なら、用人も合わせて侍が5〜10名、中間・侍女・女中・奉公人合わせて20〜30人程度が屋敷にいた。
侍といっても屋敷内の長屋に住んでいた。
出陣ともなれば、当主及び嫡子が馬上、侍が徒歩の士となり、奉公人及び知行地から徴用された者が足軽となる。

211 :日本@名無史さん:2012/02/12(日) 00:02:54.01 .net
馬琴の生家は旗本の家老だけど
主家の禄高は千石だった

212 :日本@名無史さん:2012/02/12(日) 00:22:09.77 .net
馬琴の父は、普通は旗本の「用人」と言われているけど。「家老」としている本は、
(大名家で言う)家老のようなものというくらいの意味で書いているんでしょう。

213 :日本@名無史さん:2012/02/12(日) 08:41:37.13 .net
>用人の中でも小身者もいれば、高禄の者もいる。

主家の知行に応じて用人の禄高も決まるのは事実だけど、まるで一家の中に高禄微禄の者が
混在してるようにも読める書き方はちょっとどうだろう。

>また、旗本の家に家老なる役があるとするならば、それは用人である。

家老を置かない旗本も少なくないけど、用人と家老とは別物だよ。
大坂の武鑑の類の『御役録』のコピーが手元にあるけど、大坂町奉行や大坂船手奉行の欄には
家老と公用人の欄があって、顔ぶれが変わるたびに必ず両欄にそれぞれ家臣の名が載る。
寄合や小普請なら出費を減らすために家臣団を絞っているだろうけどね。

214 :日本@名無史さん:2012/02/12(日) 09:43:05.63 .net
通常陪臣の職名には規定がないんだから、
家老と用人が同時に置かれることも有れば、
用心だけのこともあるんだろう。
用人しかいない場合用人が家老の役目も果たしているのは当然。
奉行の場合は対外的に必要だからその時だけ分けているのかもしれないし、
単に対外的な肩書きに過ぎないのかもしれない。
相当小身で抜擢されかなりの足高をもらっているような場合だと、
就任に際して抱えたとか、場合によっては臨時雇いさえあり得る。
小身の場合や小普請あたりは用人は必要なときだけ雇ったともいわれる。
雇われる方もその時だけのいわばパートタイム侍も居たとか。
まあ初期はそんなのは居ないだろうけど。
とにかく、綺麗すっきり割り切れるようなものじゃない。
家により時代により実態は様々。

215 :日本@名無史さん:2012/02/12(日) 21:55:53.18 .net
規定はないが他家との連絡やつきあいがあるから。
いまの会社でいえば専務とか部長、課長のように商法規定はないがこうした慣習的な名称を使えば、
その組織のなかでどういう位置づけ、身分のものかは他者にもわかるようになるからたいていは踏襲する。

あと知行地を実際に治める大身、交代寄り合いなどををのぞき、旗本は家老職というのはおかない。
用人で十分だから。


216 :日本@名無史さん:2012/02/12(日) 22:22:10.89 .net
>あと知行地を実際に治める大身、交代寄り合いなどををのぞき、旗本は家老職というのはおかない。

関東以外に知行があれば、2-300石程度でも知行は自ら治めるケースが少なくないし、地方支配は
旗本でも郡奉行以下の組織で対応する。知行地を実際に治めるか否かは家老の有無には
あまり関係なさそうだ。

つーか、なぜ役付き旗本に言及しないかなあ。

217 :日本@名無史さん:2012/02/17(金) 19:58:27.85 .net
旗本だった先祖が、領地を貰った時に自分の苗字を地名にしたそうだが、そんな勝手が許されたのか


218 :日本@名無史さん:2012/02/19(日) 00:08:21.31 .net
>>204
>>208

低能晒しあげ

219 :日本@名無史さん:2012/02/19(日) 08:26:44.87 .net
>>218
ここは学問板ですから、その類の言葉はお慎みください。



220 :日本@名無史さん:2012/02/19(日) 08:53:34.32 .net
交代寄合座光寺氏(1100石)の家老は禄高7石だってさ。読んだ資料に
詳しい記述はなかったけど、現米7石だと思う。
職制は大名なみに細分化されていて、数少ない家臣を兼任させまくっていたらしい。

221 :日本@名無史さん:2012/02/19(日) 08:59:31.77 .net
>禄高7石

訂正。元資料に禄高とは書いてない。だから現米7石とは推定。

222 :日本@名無史さん:2012/02/19(日) 09:41:16.10 .net
>>221
四公六民とすれば禄高は17〜18石だな。

223 :日本@名無史さん:2012/02/19(日) 09:47:29.80 .net
>>222
知行高だろ。

224 :日本@名無史さん:2012/02/19(日) 10:27:46.17 .net
岩松でさえ家老が居たらしい、結構な数の家臣が。
ここなんかはせいぜい禄が有るのは家老くらいか。
領地は小十人か徒並で、猫の絵とか書いて稼いでいたらしいけど、
それでも家老に禄を出すくらいが関の山では?
それもサンピン程度か?

225 :日本@名無史さん:2012/02/19(日) 15:39:12.70 .net
>>224
士分の名誉を与える代わりに上納金出させまくってたパターンじゃね。
ねずみ講みたいに、新たな上納者がでないと各数両程度の給金すら出せなくなるような。

226 :日本@名無史さん:2012/02/19(日) 16:57:28.46 .net
武家じゃないけど、幕末頃の摂家の二条家、
家臣から紹介されて、勤務無しの名目上の家臣とか、
単にお出入りの名目だけ与えられたとかがかなりの人数。
当然寄付しての話で、紹介した家臣もなにがしかもらってるんだろう。

227 :日本@名無史さん:2012/08/19(日) 19:36:16.63 .net
大塩平八郎の乱が最も古い「やらせ事件」

http://music.geocities.jp/jphope21/0203/31/203.html

実際は、「やらせ事件」は江戸時代から行われていた。

228 :日本@名無史さん:2012/08/19(日) 21:21:23.95 .net
反乱が鎮圧されたら、体制側は必ず反乱者を悪と決め付け体制維持をはかる。
なんで大塩の乱が最古だというのか。電波そのものだろ。

229 :日本@名無史さん:2012/08/20(月) 05:12:42.06 .net
歴史についてゴシップと同様にしか語ることのできない低能

230 :日本@名無史さん:2012/08/20(月) 08:49:14.12 .net
剣聖男谷信友

231 :日本@名無史さん:2012/09/30(日) 16:56:52.94 .net
両番(書院番、小姓組)の番士に、
御家人が取り立てられ事は、ないのでしょうか。


232 :日本@名無史さん:2012/10/07(日) 18:35:21.95 .net
なー、日露戦争物語見てて思ったんだけど
のぼさんが、故郷の元君主がフランス留学するなんて凄い事じゃーみたいに言ってたけど

集団主義の日本では、ヨーロッパの絶対君主的イメージじゃなくて君主と家来の自分は、同じ「家」を守る共同体的なイメージだったのかね?

ノボさんの発言は、なんか感覚的に今の天皇に対する俺たちの感覚と似たような感じに見えたんだが

なんか支配者と下僕って感じでは無かったなぁ

多分それぞれの藩の自分達の天皇家みたいな感覚だったのかね?江戸時代の藩主は?

基本的に善政しいてたみたいだし、江戸時代には既にそういう感覚だったのかもなと思ったんだが

233 :日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN .net
>>231
お庭番は同心→与力→下級旗本→奉行と何代かで出世していった。

234 :日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN .net
大坂玉造口定番与力の御家人坂本鉉之助は大塩平八郎の乱の鎮圧に貢献したことで
旗本に取り立てられた。
近藤重蔵は江戸詰の与力から役方の出世を繰り返して旗本になっている。
川路聖謨も勘定方の御家人上がり。

みな家が続く前に取り潰しになったり維新が来たりしてるけど、石高録高からすれば
両番筋相当だろう。

235 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 07:17:08.61 .net
旗本は、小禄でも、住む家は門付きの家やった。


  御家人は門付きの家には住めなかったらしい。長屋のような引き戸が付いた家限定。


     ひと目で御家人の家とわかったそうやで。

236 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 08:18:19.54 .net
町奉行組与力は御家人だけど、屋敷には冠木門があったってさ。

http://hitosugi.web.fc2.com/hairyouyashiki.pdf

237 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 08:23:35.47 .net
大坂町奉行組与力の屋敷の場合は長屋門のようだ。

http://homepage3.nifty.com/oshio-revolt-museum/hayakawa-map.htm

238 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 09:18:24.28 .net
移築現存長屋門(与力中嶋家)

http://homepage3.nifty.com/oshio-revolt-museum/p-nagayamon-n.htm

239 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 11:46:44.68 .net
天保から嘉永年間といえば、遠山景元、鳥居忠耀などが有名だが、
江戸町奉行を3度歴任し、勘定奉行も兼帯した時期もあり
勘定奉行で道中奉行を兼帯した時期に、国定忠治の判決や
徳川斉昭不時登城沙汰の使者、吉田松陰の判決に関与したり
桜田門外の変の事後処理、ヒュースケン惨殺事件の捜査など
著名な事件に携わった池田播磨守頼方は興味深い。

240 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 14:17:26.83 .net
跡部良弼最強伝説。

241 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 17:43:51.77 .net
跡部は町奉行や大目付を歴任し、旗本の上がりともいうべき留守居になり、
最後は鳥羽伏見の敗戦後とはいえ、若年寄だからな。
陸軍総裁の勝先生を別格にすれば、最強の旗本だな。

242 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 17:53:02.71 .net
権威に流されすぎた結果だけどね。

243 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 17:53:09.89 .net
クズ上司の典型みたいな嫌な奴だがw

244 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 20:10:56.85 .net
確かに跡部は上にへつらい、下には威張りちらす、クズ上司の典型だな。
その上、組織内の遊泳術だけは長けてるという最悪パターン。
瓦解直前でも若年寄引き受けたのは、よほど地位や名誉に執着するタイプだったんだな。

245 :日本@名無史さん:2013/09/16(月) 22:25:42.04 .net
跡部良弼て何気に若年寄まで出世してたのか
兄貴が失脚したときに一緒に失脚したかと思ってたぜ

246 :日本@名無史さん:2013/09/17(火) 05:52:31.86 .net
跡部は上にへつらわないよ。
実兄の水野に言いたいことを言うのと鳥居甲斐守と反目しあったのが連座責任を問われなかった理由。

大坂で乱を起こしたのは、経済に疎くて自分の実績作りがどれほど上方や天下の経済に悪影響を与えるか
全く理解できなかった結果でしかない。混乱を起こすと分かってて江戸の指示に盲従したわけじゃない。
下を軽んじて、わけの分からないことをいう与力同心を無視した結果だ。

むしろ、天保四年の飢饉を大坂町奉行として乗り切った矢部定謙の方が特殊。幼少時に堺奉行の
父親について堺で過ごしたおかげで、江戸しか知らない多くの旗本と一線を画する価値観を持てた。
なにしろ、勘定方役人の岡本花亭や川路聖謨あたりでさえ、どれだけ大坂経済が見えていたか怪しい。
天保の改革で大坂の与力の内山彦次郎が凄まじく詳細な経済対策案を出したけど、一部しか
採用されてないし。

247 :日本@名無史さん:2013/09/22(日) 15:01:01.96 .net
跡部のすごいところは、実兄の水野老中が失脚したあとも、
四半世紀にわたって幕府の中枢に居座り続けていた点だよな。
旗本として昇進できる最大限のところまで出世して、
瓦解までそういうポストを遍歴してるわけだから。
閑職にまわされたときでも、武官系の番頭とか三卿の清水付支配とか留守居とか、
いわば旗本のあがり的ポストだし。

248 :日本@名無史さん:2013/09/22(日) 17:05:43.74 .net
>>247
ヘタレ旗本の中で、否応なくマジいくさに狩り出されたヘタレがこの一匹だったからね。
大塩の乱がなぜ小学校の教科書でさえ載っているのか、アホでも分かるだろ?

249 :日本@名無史さん:2013/09/22(日) 17:07:56.07 .net
もう一匹、林述斎の娘婿は、どう見ても政治的事情としか思えない形で
歴史から姿を消しているけどね。

馬鹿め。

250 :日本@名無史さん:2013/09/22(日) 18:56:24.17 .net
>>248
わからん。なぜ?

251 :日本@名無史さん:2013/09/22(日) 19:09:47.80 .net
>>250
武士は戦闘集団だから。
どれだけ鍛錬を積んでも、実践一度経験した人間は一段上になる。戦国の習いで。
旗本でそんな経験積んだやつって、戦場で逃げ回っていた跡部ともう一人だけだからな。

もう一人が政治で排除され、跡部だけが残った。
他は、後に旗本から大名になった蒔田にしろ、陸軍総裁の交代寄合の竹中にしろ、敵に
集中攻撃を受けてえらいことになってる。

252 :日本@名無史さん:2013/09/27(金) 18:19:35.52 .net
>>240-241
最強はの旗本は跡部良弼のように思われがちだが、幕末には跡部より低い出自や役職から、
跡部をどんどん追い越していった連中が勝先生以外にも量産されている。

瓦解直前に若年寄になった跡部より先に、慶喜のもとで若年寄や若年寄並になった連中が、
意外とたくさんいる。
跡部は、その経歴から江戸時代の平時における旗本の出世頭といえるかもしれないが、
同時期に将軍側近(側衆)から万石以上の若年寄に出世した平岡道弘の方が出世が早い。

253 :日本@名無史さん:2013/09/27(金) 18:21:30.66 .net
>>252の1行目訂正
× 最強はの旗本は跡部良弼のように思われがちだが
○ 最強の旗本は跡部良弼のように思われがちだが

254 :日本@名無史さん:2013/09/27(金) 19:42:41.59 .net
跡部良弼 甲斐守、信濃守、能登守、遠江守

駿府町奉行、堺政所、大坂東町奉行、大目付、勘定奉行、南北両町奉行、小姓組番頭、清水卿支配、留守居、若年寄

255 :日本@名無史さん:2013/09/28(土) 17:51:39.47 .net
サーバー移転あげ

256 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 11:17:21.12 .net
ちょっと質問ですが、wikiの三崎奉行の項目で元禄二年根来長時の時に廃止と
なっていますが、寛政譜を見る限り長時父根来長清の項目に元禄九年廃止と
されています。どちらが正しいのでしょうか。

257 :日本@名無史さん:2014/01/27(月) 20:09:37.35 .net
趣味道楽

258 :日本@名無史さん:2014/01/27(月) 20:11:29.69 .net
旗本の表高のサイトには仁科家がない。
武田のあの仁科の家系。

259 :日本@名無史さん:2014/01/27(月) 20:12:48.75 .net
分家旗本から本家を相続したものは
松井松平、阿部まさとう

260 :日本@名無史さん:2014/01/27(月) 20:17:42.13 .net
松平廉○も、幕末、勘定奉行、外国奉行などから大名になってるエリート。
竹中重固も番方のエリート。

261 :日本@名無史さん:2014/01/27(月) 20:18:23.38 .net
康の間違いでした

262 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 14:34:40.83 .net
箱館政権の副総裁の松平太郎は、やはり松平氏の一門なのだろうか?
幕末の箱館の事実上の主君?

自民党とかでも総裁が副総裁を置く場合があるし、名誉職だったのだろうか?

263 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 20:35:14.07 .net
>>262
そうやって書き込みしてる便利な道具で「検索」してみようとは思わないのか

264 :日本@名無史さん:2014/05/02(金) 23:48:26.77 .net
南町奉行・松平石見守康英→陸奥棚倉藩6万400石→奏者番兼寺社奉行→老中→陸奥白河→武蔵川越8万400石
神奈川奉行・阿部越前守正外→陸奥白河藩10万石→減封、永蟄居→陸奥棚倉6万石

265 :日本@名無史さん:2014/06/08(日) 02:31:24.79 .net
小遣者とか御広敷下男って武士ですか?武家奉公人ですか?
百人者ってなんなんですかね…

266 :日本@名無史さん:2014/06/08(日) 17:40:52.22 .net
江戸初期頃各地の地侍の代表みたいな家を旗本に取り立ててるけど判断基準ってのは
どのあたりなの?大した貢献もしていなくて旗本って周りが納得したのかな?

267 :日本@名無史さん:2014/06/08(日) 17:48:17.36 .net
南町奉行兼勘定奉行鳥居甲斐守あげ

268 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 18:37:52.95 .net
わざわざ参勤交代をする交替寄合が一番の負け組

269 :日本@名無史さん:2014/07/13(日) 20:16:35.07 .net
家格上げるためにせっせと金を使うのが当たり前だった時代だから、
そんな無駄金を出す必要のない交代寄合は勝ち組だよ

270 :日本@名無史さん:2014/07/17(木) 21:57:58.50 .net
安政貸玉

 江戸幕府のダイで、この直弼と路駐真鍋アキカズなどは天皇の勅許を得ないまま
日米修好通商条約(1858年)に結合し、徳川幕府第14代将軍の後継者争いで徳川
家茂を立てる日照ばならない。安政貸玉は、これらの政策に反対するこれらの弾圧
した事件で、尊王攘夷を主張し、これらと一橋大学波の大名、公家、知事たちとして、
関与した人数は100人以上だった。形式上は第13代将軍 徳川これマーサが命令を
出して、すべて処罰されたものとなっているが、実際にはダイであったこの直弼がす
べて命じた。(これマーサが命令を出したのは、これマーサ死亡直前の7月5日、徳川
能活と松平吉永、徳川斉彬、吉村篤と一ツ橋慶喜にについて隠居、謹慎コマンド(ヨ
シアーツだけは劣性禁止と謹慎)のみで、貸玉が開始され、初期の少しです。)

死刑とオキサ
・吉田松陰 - 長州番道
・橋本男 - 越前 松平吉永道
・ライミッキー三郎 ......儒学者
・ああしないでください帯刀 - 水戸回横
・鵜飼たクチナシの運転 ... 水戸回道
・鵜飼幸吉 - 水戸回道
・ジノはいよ助 ...水戸藩士
・梅田ウンビン - 高カバ回買って、オキサ
・* この泉キナイ - 土浦回社

隠居と謹慎
・一ツ橋慶喜 - 一橋大学が当主
・徳川ヨッシーアーツ - 水戸回週
・徳川能活 - 尾張回週
・松平吉永 - 福井回週
・伊達ソジョ - 宇和島回週
・山之内尿道 - 土佐回週
・堀田まさよし - サクラ回週
・太田スゲェトモ - 掛川回週

271 :日本@名無史さん:2014/11/21(金) 08:17:25.42 .net
日本語でおk

272 :日本@名無史さん:2014/11/21(金) 14:39:14.70 .net


273 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 23:04:04.78 .net
高家、交代寄合を除いた中で毛並みの良い旗本を素人ががんばって考えた。

小笠原一門
たぶんいるだろう土岐の分家旗本
吉良家の分家 荒川、東条
山名の分家←本家が交代寄合だが、高家京極の分家旗本までも挙げねばならなくなる
建部 毛並みがいいのか?
蜷川
伊勢
半井

後は頼んだ

274 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 23:06:02.66 .net
細川家筆頭家老の松井家は、陪臣であるが将軍にお目見えできたらしい。
松井家自体は名門だと思う

275 :日本@名無史さん:2014/11/30(日) 23:09:40.81 .net
幕末の浅野氏祐の家系について旗本辞典を調べたところ、2000石の旗本であり、尊属には浅野一学、浅野図書がいると読み取れた。
安芸・浅野系統の旗本かどうか不明。
幕末の忠臣の一人だと思う。

276 :日本@名無史さん:2014/12/02(火) 21:37:18.15 .net
>>274
細川家から長岡苗字を貰っているから正しくは長岡佐渡家という。
秀吉から直々に160石ほどを貰い、それが江戸幕府でも安堵されたので、いわばその分だけ直臣の扱い。
つまり160石の旗本待遇。

277 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 03:23:18.61 .net
>>276
家老格に長岡が別にいるような気がするが、

西島家もいたな

278 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 03:26:13.62 .net
>>276
調べたらたしかにそうだね。よくその知行のこと知ってるね。

279 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 11:47:13.78 .net
じゃあ吉川は陪臣か直参か

280 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 18:54:46.98 .net
参勤交代していたら独立した大名なんじゃない。支藩扱いなのは、毛利本藩がそうしてるだけ。

281 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 19:00:06.32 .net
弓術の小笠原宗家は、徒歩頭を歴任していた。足軽大将みたいなもんか。騎射の家元が徒歩頭か。小笠原宗家は、高家であったと主張しているが、旗本旗本辞典にそうした記載はない。

500石の家禄は、少なくないか。

282 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 19:04:11.38 .net
本家の屋敷に共に起居していたのは松井松平の分家旗本。本家を相続し、老中に昇った。
幕末なんだけど。同様の事例は、阿部正任だ。

283 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 19:11:09.09 .net
>>274
喜連川藩の家老も将軍にお目見え出来たよ。二階堂氏が200石、黒駒氏に至っては僅か25石の微禄ながら。

284 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 19:12:24.17 .net
陪臣かつ直臣は御三家附家老はわかる。加賀の本多はどうだろう。上記松井家の類型は形式的には直臣といって良いのではないか。
この類型は他にあるのかな?

285 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 19:19:31.78 .net
>>283
一色ではないの?
藩主が客分扱いなので、藩士が陪臣にあたるのか。

旗本辞典で観世宗家を調べるのを忘れた。
伊勢家のような名門でも高家に登用されなかった。

室町以前の家柄では、甲斐庄家がある。鎌倉まで遡る家柄は、高家・足利一門と小笠原くらいか。諏訪家の旗本があれば別として、小笠原長清クラスの有名な御家人が諏訪家にいたのかな?

286 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 19:23:15.78 .net
志野流の家元、薮内流家元は室町幕府の幕臣の子孫。

287 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 20:44:30.24 .net
>>285
自分が見た喜連川藩士の家禄一覧は煕氏時代のものなので、一色氏は既に居ない。

288 :日本@名無史さん:2014/12/03(水) 22:55:07.79 .net
直参か陪臣かは参勤交代の有無で決まる

有り(直参)…岩国領主吉川家、福井藩本多家

無し(陪臣)…御三家付家老
例外…熊本藩松井家(参勤交代はしないが、代替わり時にお目見え)

289 :日本@名無史さん:2014/12/04(木) 00:57:49.74 .net
>>288
附家老の禄って幕府から支給じゃなかったっけ。

290 :日本@名無史さん:2014/12/04(木) 01:28:47.26 .net
>>288
あれって福井藩なんだ。金沢の美術館の館長に本多家の女性がいて、地元の人が世が世ならと話をされていた。加賀藩の5万石の本多だったような。

松井家は例外なんだな。水戸の山野辺はたしか名門、上杉家の色別は信玄の子孫。ここらへんはお目見えないのかな。水戸の附家老は思いつかない。紀伊家のそれは安藤惣領家。安藤家は陪臣が嫌だったらしいな。

291 :日本@名無史さん:2014/12/04(木) 01:57:50.18 .net
>>289
一部幕府から支給はあるんじゃない。そのことを持って直臣なのかどうか。広義の直臣にあたりうるが。参勤交代の有無は、むしろ諸侯かどうかの区別に用いられるべきでは。
狭義の直臣かどうかは、そもそものその定義へのコンセンサスはなされていない。
参勤交代があれば、詰め間がある、参勤交代に際して将軍に拝謁できる。この拝謁と旗本の家督相続の際のお目見えはなんか違う気がする。

292 :日本@名無史さん:2014/12/04(木) 22:00:48.86 .net
江戸時代には幕府とは呼ばれてなかったと聞いた。公儀と呼ばれていたらしい。現代では幕府という呼称が一般であり、将軍と諸侯は主従の関係であったと捉えられがち。当時の感覚は、参勤交代だけを見れば、たしかに主従の如き印象を受ける。

293 :日本@名無史さん:2014/12/04(木) 22:01:25.62 .net
制度としての参勤交代は江戸期に特有のものであり、鎌倉幕府の御家人は参勤交代なるものを執り行っていなかった。

294 :日本@名無史さん:2014/12/05(金) 01:22:09.28 .net
そろそろ時節柄あの話題
こんなハイスペなら傲慢にならないのがおかしいくらい。その人物とは
20代前半にして従四位上左少将
三河時代に家康とは姻族
清和源氏足利流
喜連川家の不遇を気に病み、とりなしを幕府に申し入れた程の家柄フェチ
天皇、公家とは対話できる地位

295 :日本@名無史さん:2014/12/09(火) 03:08:03.24 .net
益田兼房先生は長州の家老の子孫だろうか

296 :日本@名無史さん:2014/12/15(月) 22:13:30.15 .net
>>285
喜連川藩の一色氏は喜連川騒動で排斥されたみたい

297 :日本@名無史さん:2014/12/15(月) 23:10:55.40 .net
>>295
名前からしてそうとしか思えんな。
益田右衛門介の子孫なら毛利秀元の男系である可能性がある。

298 :日本@名無史さん:2014/12/16(火) 00:16:56.23 .net
>>297
益田右衛門とは別の家かな。幕末の右衛門介は益田氏の子孫だから兼の一字があると思ってたが違うようだ。

299 :日本@名無史さん:2014/12/16(火) 00:19:55.29 .net
>>298
幕府時代は殿さんから偏諱もらうからな。
右衛門の子孫は明治以後は益田兼〜に戻ってるようなんだよね。

300 :日本@名無史さん:2014/12/16(火) 00:33:15.64 .net
>>299
益田市は、ふるさと創生基金で益田家からお宝ゲットしてる。1億で買ったらしいな。

301 :日本@名無史さん:2015/01/01(木) 22:51:06.61 .net
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=1052

吉良宮司
たぶん東條家から家名再興した吉良家の方かな

302 :日本@名無史さん:2015/01/17(土) 18:35:30.64 .net
Wikiで跡部良弼の項目を見たら、大坂の餓死者対策としてやれるだけのことはやっていたみたいな書き込みがあった。
そうすると、やはり大塩の勝手な思い込みなんだろうか

303 :日本@名無史さん:2015/02/04(水) 14:52:03.06 .net
天保15年御小納戸衆 美濃部右近 714石9斗 小日向竹しま丁って古今亭志ん生のじいさんか。紋も志ん生の墓のと一緒。

304 :日本@名無史さん:2015/02/04(水) 16:11:48.05 .net
美濃部筑前

305 :日本@名無史さん:2015/02/04(水) 16:49:07.78 .net
>>301
は本物子孫?

306 :日本@名無史さん:2015/02/10(火) 10:50:33.64 .net
水野忠邦がクビにした天保の三侫人の一人に御小納戸頭美濃部播磨守茂育がいる。

307 :日本@名無史さん:2015/02/10(火) 11:32:55.59 .net
筑前守だろ

308 :日本@名無史さん:2015/03/11(水) 18:07:40.52 .net
中野播磨守
水野美濃守
美濃部筑前守

309 :日本@名無史さん:2015/03/15(日) 16:48:05.83 .net
京都町奉行所や大坂町奉行所の与力・同心は鳥羽・伏見の戦いのあと、どうなったの?
斬首?

310 :日本@名無史さん:2015/03/15(日) 17:25:02.57 .net
何で斬首されないといけないんだよ

311 :日本@名無史さん:2015/03/15(日) 18:56:11.75 .net
朝敵徳川の手先だったから

312 :日本@名無史さん:2015/03/15(日) 19:14:36.95 .net
厳密に言えば鳥羽・伏見の戦いからは朝敵になるけど、この戦いで幕府側で参戦して罰せられた大名はいない。
まして将軍家直属の幕臣が罰せられるわけがない。
罰せられるのは鳥羽・伏見の戦いの後も幕府側について戦った連中だけ。

313 :日本@名無史さん:2015/03/16(月) 10:29:05.59 .net
町奉行の下っ端クラスは新政府に再就職してなかったっけ?

314 :日本@名無史さん:2015/03/16(月) 21:52:55.94 .net
>>309
大坂町奉行所の与力・同心は大阪府の吏員に横滑りしたようだよ。
京都も多分同じだろう。

因みに、敵とはいえ主君に忠義を尽くした者を粗末に扱うようでは、味方から不信感を抱かれると思う。

315 :日本@名無史さん:2015/03/20(金) 21:31:44.13 ID:yeGKRsICp
司馬や池波が書いた嘘
与力は旗本ではなく御家人で不浄役人
ただし将軍お目見えは許されない御家人だが
収入は中級旗本並で乗馬も許されてた
通勤は裃で業務中は羽織袴だった
200俵とりと200石とりは同等の収入なのに
軍役が皆無なので金持ちだったな与力は・・・・・
与力の株価は現在価格だと2億とか3億が相場だったでしょ
軍役が甘々で年収の数倍の賄賂や寄付が有ったからね
家も東京のど真ん中に数百坪だ 平同心の屋敷でも100坪ぐらいだったからね

316 :日本@名無史さん:2015/03/25(水) 20:19:04.69 .net
与力はもちろん、同心が幕府瓦解後も役人に採用されたのは当然として、岡っ引きも採用されたという話を聞いたが。
そっちはガセなのかな???

317 :日本@名無史さん:2015/03/25(水) 21:40:18.16 .net
軍艦奉行赤松範静、並びに高家若年寄今川範叔が幕末の徳川家キューサイに奔走!

318 :日本@名無史さん:2015/03/26(木) 23:13:06.50 .net
>>316
勤務成績良好にして人格円満な番太郎たちを警視庁の巡査に採用してる。
士族の警察官は非常に嫌がったらしいがね。

319 :日本@名無史さん:2015/03/27(金) 02:39:59.74 .net
>>318
へぇ、本当だったんだ。
そりゃ嫌がるだろうね。

320 :日本@名無史さん:2015/05/05(火) 17:16:40.16 .net
>>284
尾張の千村・山村家あたり

321 :日本@名無史さん:2015/05/06(水) 08:20:05.56 .net
>陪臣かつ直臣

幕府の諸組与力同心は幕府から禄米を与えられ、詰間も与えられていたけど、御頭たる
奉行に対しては主従の礼で遇された。
特に遠国奉行組与力同心は、当時の江戸詰の勘定方役人たちからさえ陪臣のごとく
認識されていた形跡がある。もちろん彼らも幕府から直接禄米を与えられていて、奉行の
役知から間接的に与えられる形態ではないから、直臣に間違いないはずだけど。

関西大学のY田一派はこのあたりを誤認しているのか、大坂町奉行組与力同心を陪臣と
解釈しているようだ。

322 :日本@名無史さん:2015/06/24(水) 20:48:19.09 .net
五千石以上の旗本の家老は何石くらい貰っていたのですか?

323 :日本@名無史さん:2015/06/24(水) 21:59:32.38 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

324 :日本@名無史さん:2015/06/24(水) 22:00:05.09 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

325 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 06:35:15.14 .net
>>322
一万石の大名の家老が二、三百石程度だから、百石くらいじゃねーの。

326 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 08:04:46.88 .net
参勤交代がない分楽

327 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 10:14:49.53 .net
旗本の家老だと陪臣になるから維新時は平民かね?

328 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 10:20:20.46 .net
陪臣でも士族。陪々臣だと平民。
徳島藩の稲田騒動はその線引きが原因で起こった。

329 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 10:31:28.92 .net
こくだかを水増しして大名だと申告してきた交代寄合もいたな

330 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 10:32:58.72 .net
稲田騒動の時点では士族か卒族だお

331 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 10:34:43.82 .net
分家の分と新開地も含めて申告したのも居たお
旧幕時代は大身の旗本でも御一新後には只の士族じゃやるせないお

332 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 17:21:55.79 .net
まともに幕府守っていくさもできなかった役立たずどもが士族扱いしてもらえるだけマシ。

333 :日本@名無史さん:2015/06/25(木) 19:06:20.30 .net
御家人の次男、三男が旗本の用人として召し抱えてもらう世の中は切実ですね。

334 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 19:29:22.17 .net
7、8千石だと、家来何人くらい召し抱えているもんなんですか?

335 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 20:03:01.03 .net
100人もいればいいほうではないのか。
本来最大動員数は100石で3人だから、210〜240人だが、どこも切り詰めていたから

336 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 20:32:10.29 .net
>>332
将軍が新政府に恭順決め込んでるのに守るも糞もなかろう
主人に従っただけ

337 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 21:32:02.05 .net
>>336
主人の心を折ったのは旗本どもの不甲斐なさだからな。

338 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 21:46:49.96 .net
長州征伐の臨時手当を大坂や京都で使いまくるのが旗本

339 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 21:56:13.33 .net
>>326
前にも「大名は参勤交代で苦しかった」「常府の大名は二重生活で苦しかった」という歴史学者の言い分を紹介して「全部『苦しかった』と片付けないで比較検討しろ」という話になったよね。

340 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 21:57:24.31 .net
>>329
バレて刑務所入れられたがな。

341 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 22:49:01.09 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

342 :日本@名無史さん:2015/06/26(金) 22:49:30.53 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

343 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 00:30:01.19 .net
百人だと、小者・足軽を入れると、家中は全部で二百人近くってとこですか。
二十人くらいが知行所にいて、残りは江戸屋敷か。

344 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 00:54:02.68 .net
>>339
どう考えても常府のほうが安上がりだろ。
1年おきに本社移転するのと、東京に本社置いて地方に現場事務所置いとくのと、どっちが低コストだ。

345 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 01:21:25.23 .net
残九郎でもあったけど、後家人をやめて他藩に仕えるなんかアリだったの?

346 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 01:25:19.56 .net
>>345
木曽三川の工事が終わった後も現地に残って堤防管理してた薩摩藩士は、その後尾張藩士になったと聞いたね。

347 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 06:42:14.54 .net
>>345
譜代の御家人でさえ次男以下は召し抱えないんだから、幕府が禁じる権利もなかろう。

348 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 12:35:37.16 .net
吉良家分家、荒川家と一色家はその後どうなった?

349 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 14:50:21.27 .net
幕末に吉良左馬之助 千四百石って記録を見たような気がするが、あれはどの家の流れだったんだろう。

350 :日本@名無史さん:2015/06/27(土) 15:00:34.51 .net
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/mnj/d/guide/a/bosho00075.htm
件名番号:14/件名:山ノ上町遊女屋・佐竹右京大夫・吉良左馬助・在住市川栗八・蟇目与兵衛そのほか上地分替地申渡並びに引料の件
年次:元治1.5./主務者:
画像を見る

画像がよめねぇ。

351 :日本@名無史さん:2015/07/02(木) 06:32:05.42 .net
例の桜田門の変の影響で各藩がそれまで江戸に嫡男を上がらせていたのを取りやめて
次男三男坊をって話だっけ?w

352 :日本@名無史さん:2015/07/11(土) 08:13:31.94 .net
勝海舟の父ちゃんって面白い人だなあ

353 :日本@名無史さん:2015/07/13(月) 17:34:04.82 .net
時代劇だと善悪を問わず、大身旗本の奥向きで日常的に
金襴や総模様の華麗な打掛をまとったりしているけれど、
時代考証に反しているばかりか、世界観の奥行きを狭めている。
身分に応じた義務感や家中への配慮などを省みない所に、
悪役ならではの贅沢さが存在する、ぐらいの描写が無いと、
かえって面白くなくなってしまうのでは。

354 :日本@名無史さん:2015/07/13(月) 20:35:36.59 .net
勝家は天正以来の家なんだな。

355 :日本@名無史さん:2015/07/13(月) 22:37:04.06 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

356 :日本@名無史さん:2015/07/13(月) 22:37:49.63 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

357 :日本@名無史さん:2015/07/13(月) 23:18:39.27 .net
三万石大名家老

石高200石

100万石大名家老

石高2万石 資料見たよ。

一万石大名家老

100石しか払えないよ。4公6民→参勤交代→江戸藩邸→大阪屋敷→借財

358 :日本@名無史さん:2015/07/14(火) 05:12:27.97 .net
>一万石大名家老

麻田藩は200石オーバーの家臣が複数。これが標準だろう。

多度津藩の筆頭家老林家は300石。

岡田藩に至っては、筆頭家老が1000石オーバーというからクレイジー。

359 :日本@名無史さん:2015/07/14(火) 09:15:37.76 .net
100万石大名の家臣筆頭は5万石だろう

一体どんな資料を見たのやら

360 :日本@名無史さん:2015/07/14(火) 10:03:29.53 .net
もう一度文章を良く読み直してみよう

361 :日本@名無史さん:2015/07/14(火) 18:21:55.07 .net
三万石大名でも、千石取りの家老はいる。
但馬豊岡京極甲斐守家老石束源五兵衛

知る人ぞ知るだな

362 :日本@名無史さん:2015/07/14(火) 20:50:51.93 .net
天下の直参スレで陪臣ごときの話してんじゃねー

363 :勝小吉:2015/07/14(火) 22:18:05.40 .net
全くだよな。又者のくせしやがって、大身ぶるんじゃねーよ!

364 :日本@名無史さん:2015/07/15(水) 07:42:50.13 .net
大塩平八郎は大坂町奉行組与力だから直参。現米80石だから知行200石相当。
実際、幕初には知行が割り当てられていた。

弟子の宇津木静区は彦根藩家老の子弟で3000石の家。大塩は宇津木を
大身と認識していて、友人への手紙でもそう書いてる。

同じく弟子の林良斎は多度津藩筆頭家老の隠居で300石。こっちには
そんな表現を使ってない。

365 :日本@名無史さん:2015/07/15(水) 14:23:11.55 .net
勘違いしている人が多いけど
幕府の基準では知行は4公6民でなく3.5公6.5民なので
知行1石あたりの収納高は現米0.35石なので
現米80石は知行228石余相当
現米70石が知行200石相当

366 :日本@名無史さん:2015/07/15(水) 15:25:21.68 .net
>>365
別にそれでいいけど、つまりは江戸穢土の阿呆どもはろくに栄養も足らずに
栄養失調で早くに死ぬ運命だな。

バカめ。

367 :日本@名無史さん:2015/07/15(水) 15:33:20.98 .net
小者成でグダグダ吠えた獣臭い東国人がこんな感じ。

368 :日本@名無史さん:2015/07/15(水) 15:35:04.66 .net
小物成で、獣が吠える。

とっとと猟銃で仕留めろやアホが。

369 :日本@名無史さん:2015/07/15(水) 16:24:34.09 .net
だから、東国者はアホなんだ。

370 :日本@名無史さん:2015/07/18(土) 09:04:35.01 .net
宇津木家は井伊家家老として有名な家だからな。

371 :日本@名無史さん:2015/07/18(土) 10:02:02.51 .net
>>365
君は勘違いしているようだけど、幕府では知行二百石と禄米二百俵は同格。
実際、知行を禄米に、あるいは逆方向に切り替える場合にはこのレート。
一俵は四斗二升程度だから、四公六民プラス小物成のレートだ。

現米八十石も同格の扱いだけど、小物成の分が目減りしている。
上方に多い禄米支給の表記で、あるいは江戸優勢の状況を作っているのかもね。
江戸表では遠国奉行組与力同心は陪臣だなんだと勘違いされることも多かったようだし。

372 :日本@名無史さん:2015/07/19(日) 18:49:01.93 .net
>>366-369
何が琴線に触れてこの意味不明な連投に至らしめたんだろう


>>371
知行200石=蔵米200俵というのはその通りだが
幕府(元禄以降)の基準では知行の収納率は干損・水損を見込んで三ツ半物成(3.5公6.5民)で俵は3斗5升俵を採用している
(実際に現地で4斗俵や5斗俵が使われていたとしても換算上3斗5升俵を基準として計算される)
つまり知行の収納高と蔵米の支給高が等しくなるように調整されている
従って知行200石=蔵米200俵=現米70石の公定レートが成り立つ
現米80石は228俵2斗に相当し、200石=200俵よりも高が大きい
(但し上方公家衆の知行は四ツ物成(4公6民)、蔵米支給は4斗俵で計算されることになっているので注意が必要)

あと「禄米」という言葉で何を意味しているつもりなのかわからんが
知行(采地)も蔵米(廩米)もどちらも「禄」なんだがね
禄については「知行」や「御蔵米」とは称するが「禄米」などとは言わない

373 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 07:05:25.92 .net
>>349
荒川家は500石。

374 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 07:06:33.02 .net
>>371
知行地がある方が嬉しくない?

375 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 07:08:03.43 .net
>>372
この場合には琴線は不適切なんだよな。
なんて言えばいいんだろ。

376 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 07:23:49.74 .net
>>375
目上じゃないから逆鱗に触れるもダメ。
癇に障るでいいんじゃないかしら。

377 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 07:44:23.08 .net
実は名家な旗本
伊勢家

378 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 08:26:43.17 .net
講武実用流 江戸幕臣(東京都)
中西派一刀流 江戸の浪人(東京都) →幕末最強三羽烏(寺田・白井・高柳=東京)
天真一刀流 江戸高崎藩士(東京都)
天真白井流 江戸岡山藩士(東京都)
一刀流高柳派 江戸幕臣(東京都)
北辰一刀流 陸奥の富農(宮城県) →明治大正最強流派(下江=栃木、門奈・内藤=茨城)
浅利派一刀流 下総松戸の町人(東京都)
一刀正伝無刀流 江戸幕臣(東京都)
直心影流 江戸幕臣(東京都) →幕末の剣聖(男谷=東京)、三剣士(島田=大分)
神道無念流 武蔵埼玉郡の富農(埼玉県)
鈴木派無念流 江戸尾張藩士(東京都)
扶桑念流 武蔵熊谷の町人(埼玉県)
不二心流 肥前島原藩士(長崎県)
鏡心明智流 駿河沼津藩士(静岡県)
心形刀流 江戸幕臣(東京都)
馬庭念流 上野馬庭の富農(群馬県)
本間念流 上野赤堀の富農(群馬県)
神道一心流 上野利根郡の富農(群馬県)
柳剛流 武蔵葛飾郡の富農(埼玉県)
天然理心流 武蔵多摩郡の富農(東京都)
甲源一刀流 武蔵秩父郡の富農(埼玉県) →幕末の三剣士(比留間=埼玉)
法神流 上野勢多郡の富農(群馬県) →昭和最強流派(天覧試合全制覇、持田=群馬)
気楽流 上野緑野郡の富農(群馬県)
立身流 下総佐倉藩士(千葉県)
方円流 豊前小倉藩士(福岡県)
大石神影流 筑後柳川藩士(福岡県) →幕末の三剣士(大石=福岡)
加藤田神蔭流 筑後久留米藩士(福岡県)
示現流 薩摩藩士(鹿児島県)
薬丸示現流 薩摩藩士(鹿児島県)

番外弱小流派
鞍馬流 江戸旧幕臣(東京都)

379 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 09:18:34.53 .net
>>375
頭のおかしな奴を揶揄して琴線に触れるって言ってるんだよ。

380 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 15:09:24.51 .net
>>353
たしかに設定の安っぽさが、国内で滅びの道を歩み、
韓流時代劇に海外市場で圧倒される原因だわな(藁
少しは頭を使わないと、韓国人にも馬鹿にされてしまう。

381 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 20:20:21.81 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

382 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 20:22:08.52 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

383 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 20:45:26.89 .net
>>372
「知行取り」と「蔵米取り」が言葉として対。

そして、「禄米」という言葉は普通に使われている。

ろく まい [0] 【禄▼米】
武家時代,俸禄として支給される米。扶持(ふち)米。
http://www.weblio.jp/content/%E7%A6%84%E7%B1%B3

「支給される米」に「知行」というカテゴリが含まれないのは語感から明白。
「俸禄」ならともかくね。

三ツ半物成については確かにそうだったようだ。失敬。

384 :日本@名無史さん:2015/07/20(月) 20:57:46.80 .net
>>374
普通はそうなんだけどね。人手を駆り出したり、なんだかんだで年貢を引き上げたりできるし。
でも、地方支配のノウハウがないと言って蔵米取りにしてもらったり、あるいは幕府代官に
支配を頼んだりする旗本は少なくなかったようだ。

例えば天保の改革の鳥居耀蔵は伊豆に知行地があって、伊豆韮山代官の江川英龍に
支配を依頼している。年貢収率とかではかなり優遇してもらったそうだ。
にもかかわらず蛮社の獄で江川を陥れようとしたってんで周りから恩知らずと陰口を
たたかれた。『想古録』によればね。

385 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 03:43:58.23 .net
>>379
琴線に触れたか

386 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 07:04:48.98 .net
>>380
大河を含めた時代劇が衰退したのは明らかにスイーツ女どものせいだよ。
あいつら、時代考証よりも、「綺麗な和服が見たいワァ」、「残酷なシーンなんて見なくもないワァ」
という感性を優先させて、無分別にテレビ局に抗議しまくってるんだよ。
そんな縛りを加えられたら、まともなものが作られるわけもない。

女どもは、歌舞伎や大衆演劇でも見るような感覚で時代劇にハデハデ要素を要求し、それを
おかしいと自覚する頭もないんだわ、これが。

フェミが社会をおかしくする一例だな。馬鹿を馬鹿のまま自由を与えたら、社会がおかしくなるのは
当たり前だ。

387 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 07:28:43.44 .net
なるほど
こんな奴が居るということは社会がおかしいというのもあながち間違ってはいないな

388 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 08:57:03.14 .net
中下大夫とか上士の由来がよくわからない

389 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 09:32:47.90 .net
>>387
社会がどうおかしいの?

390 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 10:35:25.20 .net
>>386
それでも芸術として確立した歌舞伎を見習うべきなんでは。
観客が見たくもない興行なんて成功するはずが無い。

391 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 18:30:52.19 .net
>>388
おそらく表高だと思うけど
高家・交代寄合が中太夫
1000石以上が下太夫
100石以上の旗本が上士

392 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 19:25:49.41 .net
>>390
観客から男の大部分を捨てて、女の今の過半を拾おうと必死。

何してんの?

庶民がヒャンヒャン吠えてる「多数決」すら見えていないようだけど。

393 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 19:34:08.35 .net
「芸術」とかいう言葉を理解するのは、案外エゴの向こう側を見た人だけかもよ。

だから女は魚の餌のような生き餌程度なんだよ。大抵は。

394 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 21:13:58.97 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

395 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 21:14:36.26 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

396 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 22:59:33.16 .net
平清盛だなんだといった時代劇でも、「日本があんなに汚かったはずがない」
「死体が日常的なものだったはずがない」と吠え立てる変なおっさんが大勢
わいていたが、あの手の連中は無視か。

397 :日本@名無史さん:2015/07/22(水) 06:13:40.36 .net
>>396
若い男にも女のスイーツが伝染してるんだろうな。フェミ思想で男を去勢した結果として。
昭和期の時代劇なら、江戸時代が舞台でも当たり前に汚らしい庶民やら死体やらが出てくる。
再放送で繰り返し流されていたから、若い世代でも浸透しているはずだ。

それすら知らん世代なんだから、オッサンなどと呼ぶべき世代じゃないだろう。

398 :日本@名無史さん:2015/07/22(水) 06:50:55.12 .net
大夫は家老にも使用される。

399 :日本@名無史さん:2015/07/22(水) 08:43:40.22 .net
京都所司代と大坂城代てどっちが上席?

400 :日本@名無史さん:2015/07/22(水) 10:43:33.88 .net
>>399
京都所司代。
奏者番→寺社奉行→大坂城代→京都所司代→老中ってのが中程度の譜代大名の出世パターン。

401 :日本@名無史さん:2015/07/22(水) 10:52:26.90 .net
>>400
ありがとう!

402 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 01:14:19.30 .net
御大老 少將
御老中 侍從
所司代 侍従
御側御用人 四品
大坂御城代 四品
若年寄 諸大夫
御奏者番 諸大夫
寺社奉行 諸大夫
大坂御定番 諸大夫

403 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 03:23:10.04 .net
阿部正弘の場合

19歳 奏者番
21歳 寺社奉行
25歳 老中

さすがにこれは異例だよな。

404 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 06:16:55.21 .net
京都文化博物館の展示良かった

405 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 09:33:54.57 .net
>>403
脇坂安董は老齢ながら寺社奉行から西の丸老中格に飛んでる。
飛ぶこと自体は異例とまでは言えなかったような。

406 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 10:18:08.99 .net
>>397
昭和の時代劇は戦後日本の混乱期見てる気がするわ
平清盛は御所の中までコーンスターチ撒いてたんだぞ
上流階級は平安貴族よろしくやっていたというのに

407 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 10:37:57.80 .net
今村という旗本がいるんだ

408 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 14:36:22.92 .net
>>406
平安後期ってほんとにそうか?

409 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 15:18:42.93 .net
>>406
例えば、享保やら天明やら天保やらの大飢饉って知ってる?
それらの間の時期で、庶民がこの平成期並みの福祉を受けられたとか思ってる?

410 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 15:28:03.10 .net
嫌韓とか言ってる若者は、併合前の朝鮮の京城と同時期の日本の写真を比べて
「半島は地獄で日本はまともだった」とか勘違いしてるんだよな。

当時は欧米でも写真機は貴重品だから朝鮮人がカメラを持つことはまずなく、
朝鮮人は欧米人の好奇を誘うような風俗が表れた素のままの写真が撮られ、
日本では日本人カメラマンが自国の恥をさらさせないために、着飾った
人ばかりの繁華街の写真を撮ったり、田舎娘を取るにも着飾らせて
ポーズを取らせて撮った。

写真見りゃわかるだろJK。

411 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 15:31:56.85 .net
日本と朝鮮で違いがあったのは事実だけどね。
しかし、バカな勘違いを助長させる無茶苦茶な言説がはびこりすぎている。

まるで、史実よりも理想を重要視する韓国の学界みたいなことを、日本の
嫌韓厨はやらかしているわけだ。

おかげで、日本の「憲法9条至上厨」にエサを与える結果にまでなっている。

面倒くさいわな。

412 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 17:34:58.01 .net
勘違いなんかしてないよ。
ただ韓国が嫌いなだけ。

413 :日本@名無史さん:2015/07/24(金) 02:40:26.05 .net
シュリーマン読むと結構文化的だった印象を受けるけどな。同時代で比べないと
意味無いんじゃないの?

414 :日本@名無史さん:2015/07/24(金) 07:18:14.45 .net
日本の幕末に該当する磁器の李朝は特に混迷していたからな
女(当時は既に死んでいたけど)が権力を握っていたのもよくなかった

415 :日本@名無史さん:2015/07/24(金) 15:54:44.69 .net
指先の毀たれた仏像が戻ったらしいね。

盗まれたのも、帰ってきたのも、一つの因果。
返さぬのも、返るを願うも、一つの因果。

『神聖喜劇』に何を見るか。アホが多すぎる。
いい加減にしろ。

416 :日本@名無史さん:2015/07/24(金) 15:55:56.45 .net
鮮人との距離、庶民との距離

417 :日本@名無史さん:2015/07/26(日) 10:03:56.64 .net
夏ですな

418 :日本@名無史さん:2015/07/26(日) 16:30:00.06 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

419 :日本@名無史さん:2015/07/26(日) 16:31:47.34 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

420 :日本@名無史さん:2015/08/20(木) 19:29:12.81 .net
大身は1000石以上?

421 :日本@名無史さん:2015/08/20(木) 19:30:56.14 .net
井上成美は旗本の子孫なんだが、何石の家かわかる?

422 :日本@名無史さん:2015/08/20(木) 22:38:51.14 .net
よく言われるのは寄合の3千石じゃなかったかな。

423 :日本@名無史さん:2015/08/21(金) 16:35:50.43 .net
乙骨 太郎乙(おつこつ たろうおつ、天保13年(1842年) - 大正11年(1922年)7月19日)は、幕末・明治時代の洋学者、翻訳者。江戸生まれ。漢、蘭、英語を修得。名は盈、通称太郎乙、号は華陽。父は幕臣の乙骨耐軒
君が代の歌詞の提案者とも言われてい

424 :日本@名無史さん:2015/08/24(月) 15:00:35.78 .net
>乙骨 太郎乙

ググレカスやネゴトワネティエみたいに「落っこったろう、乙www」みたいな架空キャラかと思ったら、
実際にこんなふざけた名前の奴がいたのか。

425 :日本@名無史さん:2015/08/24(月) 15:37:24.31 .net
幕臣は本当?

426 :日本@名無史さん:2015/08/24(月) 18:32:04.48 .net
佐藤藤佐って奴2人知ってるw
絶対狙ってつけたろw

427 :日本@名無史さん:2015/08/27(木) 12:59:45.18 .net
>>425
父である乙骨耐軒は幕臣であった。

諏訪氏?系五味氏の中で乙骨氏になった系統があるよう。

1582年(天正10)徳川家康、北条氏直と乙事に対陣する
          (乙事陣場 (おっことじんじょう))
           乙事の五味太郎左衛門、家康に属して活躍する

五味太郎左衛門は、この間の功績によって甲州に拾貫文の知行を拝領し、後になって家康に召し出されて姓を「乙骨」と改め、旗本に取り立てられました    

428 :日本@名無史さん:2015/08/27(木) 20:30:16.49 .net
>>427
元の姓が良いパターン

429 :日本@名無史さん:2015/08/29(土) 19:07:46.27 .net
絶対あっちの苗字と思われんな

430 :日本@名無史さん:2015/08/29(土) 21:45:23.66 .net
旗本にはなれたけど、大名にはなれなかった家といえば
吉良、小栗

431 :日本@名無史さん:2015/08/29(土) 22:11:27.42 .net
そこは大沢家だろ。

432 :日本@名無史さん:2015/08/29(土) 22:17:48.10 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

433 :日本@名無史さん:2015/08/29(土) 22:18:26.87 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

434 :日本@名無史さん:2015/09/03(木) 08:22:39.30 .net
>>430
つか成らなくてよかった家だよね。
喜連川家のような扱いで良かった。

435 :日本@名無史さん:2015/09/09(水) 08:20:00.69 .net
>>386
スイーツ女は大河なんかもとから見てないと思うぞ。

436 :日本@名無史さん:2015/09/09(水) 08:58:26.28 .net
>>435  登場人物か多かったり時代背景などが分からないからかね。
内容的には好きそうな気がするけど。

437 :日本@名無史さん:2015/09/12(土) 20:37:49.30 .net
歴女ってのはたいていスイーツじゃねーの

438 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 15:42:20.19 .net
上流武家の側室は「お○○の方」が通称ですが、
正室の場合、「○子の方」と「方」まで
敬称をつけると不自然でしょうか?

439 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 16:52:01.12 .net
>>438
上級武家の正妻が名前を呼ばれる場面はまずない。
旦那が死亡すれば「⚪⚪院様」と院号で呼ばれることになるが。

440 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 17:24:58.63 .net
他人の正室の本名を呼ぶのは仮に敬称つきでも今なら他人の奥さんを呼び捨てで呼ぶのと同じだろうね。

441 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 17:25:57.58 .net
連投だが、相手が側室でもこれは変わらんよね。

442 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 17:34:50.74 .net
そりゃ本名なんてたけとかくまとかかめとかだからな

443 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 17:59:06.55 .net
どうしても区別のため呼ばなけりゃいけない場合、
たとえば先代の隠居した殿がまだ生きていて、
その正妻と若殿の正妻を区別する場合は
実家の姓や領地の国名、その他実家の特徴を表す名称に
様や御前を付けて呼ばれることになるが、
「梅子様」とか実名で呼ばれることはまずない。

444 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 18:06:09.30 .net
あと知ってる人も多いと思うが、男も本名で呼ばない。

よく時代劇で石田三成が「おのれー、家康め!」と言ってるが
リアルではあり得ないし、「三成、なかなかやりおるわ!」と言う家康もないw

445 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 18:09:25.25 .net
内府、治部少だな。

446 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 18:14:25.82 .net
でも、時代劇でナイフ、ジブショー、ギョーブ、キンゴとか言ってるとシロートさんには何がなんだかわからないのでそこは仕方ないのだけどね

447 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 18:19:30.31 .net
TBSの関ヶ原とか借りられるけど、内府、治部少、金吾、と正当な表現貫いてたな。
まあ原作がそうなってるし。
それでもちゃんとわかるもんだよ。
外国のドラマで外人の名前だってちゃんと覚えられるんだからw

448 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 18:24:32.72 .net
446
内輪じゃサル、タヌキ、キンカン、タワケだがな

誰が誰かは分かるだろw

449 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 18:26:08.98 .net
タワケが君だというのはわかったw

450 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 18:27:35.85 .net
そっかそっかwww

451 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 18:40:55.27 .net
敬称と言えば、老中は同僚に敬称をつけないのが決まりになってたとかで、
「越中の存念やいかに?」とか討論してると老中に出世した実感が湧いて気持ちいいらしいのだが、
時々新米老中が「越前殿は、、」とかやると
「『フランスに渡米』に突っ込んで喜んでる奴」をみつけた時の気分になるらしい。

452 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 18:57:22.62 .net
なるほど。
議論するときに敬称気にしてたらやりにくいからそうなったんだろうが、
それがかえって新米の間違いを誘うパラドクスw

453 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 19:06:12.09 .net
正しくは敬称つけるようになったのが江戸時代からだけどな

454 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 20:10:03.79 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

455 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 20:11:20.33 .net
表高家と大名の敬称はどうなる?
吉良のように左少将から5位もいる

456 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 20:12:10.12 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

457 :日本@名無史さん:2015/10/02(金) 20:24:00.82 .net
>>455
江戸城中なら将軍と老中以外は殿でよぶでしょ。
茶坊主は様で呼ぶだろうが。

458 :438:2015/10/06(火) 17:35:07.86 .net
私の拙ない表現≫438のせいで恐縮しますが、
呼称としてではなく、文章語としての表記です。
江戸時代の文献で、正室が「○子」と表記されたりしていますが、
わざわざ「○子の方」まで付けるのはおかしいとみるべきなのでしょうか?

459 :日本@名無史さん:2015/10/06(火) 23:09:18.82 .net
この時代の「子」は敬称。
名前が「梅」の場合、文章にしたとき「松平梅子」と書いてあれば十分敬われてる。

460 :日本@名無史さん:2015/10/11(日) 16:26:55.36 .net
稲垣史生『歴史考証事典 第四集』新人物往来社、1983年

二二八頁
  留守居役には貫禄によって格式があり、
 いちばん古参の老人を「大先生」と呼んであがめ奉った。

二三○頁
   天保・弘化(一八三○〜四七)のころといわれるが、
 鮫洲の料亭で留守居寄合があったとき、下の街道を
 大旗本の奥方が美しく装って通るのを大先生がみつけた。
 新参者をいじめるにはよい相手――末席に上下で控える新参者某に、
 非情にも、「あの奥方の頬を舐めて来い!」と命じた。
 これは、難題中の難題、こちらは大名の家来で陪臣、
 それに対して向うは直参旗本の奥方で、男女の家来もあまた召し連れている。


時代劇にも取り入れて欲しい趣向だな。

461 :日本@名無史さん:2015/10/11(日) 17:21:13.86 .net
きんたま酒も取り入れてほしいな。
モザイクなしで。

462 :日本@名無史さん:2015/10/11(日) 18:06:45.87 .net
伊達みきおの先祖は4千石か。
伊達宗行さんは、阪大名誉教授

武蔵の先祖もガチ

463 :日本@名無史さん:2015/11/19(木) 18:04:01.55 .net
>>460
そんなパワハラそのもののネタを取り上げるわけがないだろ

464 :日本@名無史さん:2016/01/27(水) 17:25:25.69 .net
>460
誰でも人権が保障される今と違って、奥方が無礼者の切り捨てを命じても、
問題ないね。奉行所も世間様も認めるだろう。部外者の証人にも事欠かないし。

465 :日本@名無史さん:2016/01/27(水) 18:50:46.91 .net
>>460
大先生の妻女が穢されたら、大先生も正気に返る。あるいは余計に狂う。

そんなキワの話か。

466 :日本@名無史さん:2016/01/28(木) 11:01:22.84 .net
江戸時代の御家人の家もやっぱり清和源氏、桓武平氏、藤原氏とかばっかり?

467 :日本@名無史さん:2016/02/01(月) 11:33:39.65 .net
あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?

468 :日本@名無史さん:2016/03/07(月) 20:20:23.37 .net
大名の兄弟が分知されて旗本になるのってどういう意味があるの?
藩士として所領を与えるんじゃ駄目な理由?
分知して双方旗本になっちゃう場合もなんでそんなことするんでしょう

469 :日本@名無史さん:2016/03/08(火) 04:21:55.94 .net
>>468
家名存続のためのリスク分散とか、当主が嫡子以外を可愛がっていて旗本にしてやりたいと思ったとか。
あるいは、17世紀とかの段階だと、寄合クラスの旗本が少なくて奉行とかの重職で人選に事欠く有様に
なったから、幕府が3千石の分家旗本を創設するよう譜代外様を問わずに要請してる。

470 :日本@名無史さん:2016/03/08(火) 11:18:21.58 .net
足高の制導入前の話だぬ
有能な者を抜擢しようとすると加増しないといけないから
一度加増したら、家禄になるから財政に負担がかかる
足高の制は画期的な転換だな

471 :日本@名無史さん:2016/03/08(火) 11:42:28.77 .net
以前、『甲子夜話』を読んでたら、「著者の松浦静山の娘が江戸城中で立ち働いていたが、
重要事件の審議を襖越しに聞いて、自分にその内容を知らせてきた」とか書いていた。

大名の息女が大奥でなく事件の審議をする表向きで立ち働くことってあったんだろうか。

472 :日本@名無史さん:2016/03/08(火) 19:36:37.77 .net
幕末だからか?

473 :468:2016/03/08(火) 20:42:15.27 .net
ありがとうございました

474 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 00:26:36.59 .net
>>469
外様の旗本は少ないよな
鍋島と池田

475 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 05:16:48.50 .net
>>474
んなこたーない。大大名ばかり見てると分家は万石越えで大名になるから、アプローチがおかしい。
とはいえ、大大名の一族で旗本ってのもいくらでもある。佐土原島津の分家旗本とか、赤穂事件の
赤穂浅野の分家が数家、藤堂の分家が数家というように。

中小の外様だと、九州だけでもさらに福江五島、平戸松浦、、高鍋秋月、飫肥伊東、森久留島、
日出木下が分家旗本を作ってる。

476 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 08:19:47.33 .net
分家って割と合理的というかちゃんと計算されてるよね。
自分で増やした収入は自由に分割相続に使っていいという考え方が根底にある。

477 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 08:52:18.25 .net
>>475
でも家康男系子孫の旗本はいないと。庶子をどうした?

浅野氏祐は赤穂浅野かな?旗本辞典ではわからない。

個人的に気になる家は伊勢家。名門だな。高家、交代寄合以外の名門旗本としては伊勢、蜷川、小笠原、建部、土屋

目付が三河以来の古い家柄で固められてたとは。

478 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 10:39:56.91 .net
>>477
>浅野氏祐は赤穂浅野かな?旗本辞典ではわからない。

旗本浅野家は4家あって、他の3家は赤穂藩分家なんだけど、この家はちょっとわからないな。
家紋を見れば別の一族じゃなくて広島浅野系統っぽいけど。
手元のメモだと赤穂系統で下総2000石の分家があったってことは書いてないから、もしかしたら
廃絶した三次藩系統の可能性もあるかもね。気になるなら寛政譜に当たったらいいんじゃね。

479 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 10:41:04.10 .net
>でも家康男系子孫の旗本はいないと。庶子をどうした?

家斉の例だと、せっせと譜代大名家とかに養子で押し込んでたりするよな。

480 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 10:49:05.77 .net
>>478
知行地が関東だったような
目付経験者なんで譜第かな?
氏という通字は広島浅野系統とは考えにくい

481 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 10:56:27.82 .net
毛利という旗本は三河譜代なんだよな

482 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 10:59:15.52 .net
>>479
会津とかの親藩から旗本いなくない。
家康異母弟系統の旗本はいるんだろうけど。松平アナがそうだな。

483 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 11:59:05.62 .net
>>480
知行地は下総。
別に外様大名の分家旗本でも役職には就く。就かせるために分家を奨励したんだから。
長が付かないのは不思議だけど、それでも家紋は違い鷹羽なんだよな。

484 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 12:03:13.71 .net
>>481
そういえば、今川義元一番槍の毛利新助ってのがいたな。愛知辺りにもいるみたいだね。

>>482
私は関八州をのぞく土地の知行地からの目線で旗本を見てるんで、関東とかに知行があると
ほとんどノーチェック。

485 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 12:11:10.75 .net
脇坂逮捕
老中の子孫

486 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 12:18:44.20 .net
寄合よりむしろ3000石未満が奉行になってるイメージがある
小栗みたいなの
5千石クラスはお側衆なんだろうが、寄合の数に比べて役の数なさそうなんだよな。一種の飼い殺しというか実務を期待されてないのか。

487 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 12:24:07.73 .net
赤穂浅野と脇坂

488 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 12:43:59.38 .net
>>486
足高の制で本来なら両番筋だった家が奉行になれるようになっただけ。
言うまでもなく石高が小さい家の方が圧倒的に多いんだから、そういうところから
有能な人間が出るのは当たり前。

ただし、小普請から抜けて抜擢されるところが一番の関門だったりするから、
やはり寄合からスタートする3000石以上の方が有利なんだけどね。

489 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 13:47:52.81 .net
小川さんの本に佐藤家の話がある
義経のあの佐藤の子孫
残ってるもんだな

そういや北条家の分家、福島宗家も旗本だな
赤松もいる

490 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 14:32:10.11 .net
家康は名族コレクターだからな。
というか、徳川が滅ぼされないための布石だったようにも思うけど。

491 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 18:43:47.26 .net
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/旗本寄合席

492 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 18:46:11.51 .net
旗本の佐藤ってすべての家が源氏車なのか?

493 :日本@名無史さん:2016/03/09(水) 18:58:01.89 .net
両番筋:
小姓番・書院番などに属されうる家筋。
3000石越えてりゃよほどアホでない限り寄合だし、
それ以下でも親が行けてりゃ上に引き上げられる。
だから、両番筋。

494 :日本@名無史さん:2016/03/11(金) 05:30:30.65 .net
>>477
図書館行ったんで、ついでに寛政譜をめくってきた。下総二千石の浅野家は、浅野長政の兄の
系統を自称している。
ただし、広島浅野家にそのことを確認しようとしても古いことだから長政の兄のことは記録になく、
確証はないとのこと。

495 :日本@名無史さん:2016/03/11(金) 06:19:32.12 .net
>>494
乙です

496 :日本@名無史さん:2016/03/11(金) 20:19:36.39 .net
脇坂家現当主が16代目って随分少ないね

497 :日本@名無史さん:2016/05/05(木) 22:24:46.77 .net
旗本も大名みたいに家老だなんだって家臣を何百何千って抱えたの?

498 :日本@名無史さん:2016/05/05(木) 23:04:37.72 .net
>>497
そりゃ大身なら十数人抱えててもおかしくないがな。
それと旗本の家老役は用人という。
ほとんどの家で累代の家臣なんて数人。
一時的に武力を強化した吉良家でも数十人なんだから。

499 :日本@名無史さん:2016/05/06(金) 11:54:06.07 .net
旗本・御家人の家は渡り奉公が多い感じ

500 :日本@名無史さん:2016/05/06(金) 12:44:37.99 .net
小大名より
9999石未満の大身旗本のほうが
従業員も少ないので
経営楽そうだ

501 :日本@名無史さん:2016/05/06(金) 14:18:10.03 .net
そりゃ確実に楽だよ。
交際費だって格式によって全然違うし。
個人的には江戸武士で一番生活が楽なのは町奉行所同心だと思う。
格式は最低に近いほど低いのに副収入が滅茶苦茶大きいし上層町人と知り合う機会が多いし。
家は拝領屋敷があって広い。
無難に生活してれば金銭面で苦労することなさそう。

502 :日本@名無史さん:2016/05/06(金) 17:26:23.11 .net
>>501
逆に交代寄合は大変そうだよね。家臣団は小さくて済んだのかもしれないけど。

ところで、高直しで明治立藩したのは交代寄合ばかりで、普通の旗本は誰一人大名に昇格出来なかったのは何故なんだろう。
地行取の旗本なら、交代寄合と同じように新田開発して実高万石突破は不可能じゃなかったように思うんだけど。

503 :日本@名無史さん:2016/05/06(金) 18:15:25.90 .net
>>501 与力より実入りがいいとは。

504 :日本@名無史さん:2016/05/06(金) 21:00:12.15 .net
>>502
文久年間に寄合席の旗本が数人高直しで立藩してるんだよね。
交代寄合はこれに含まれない。
ここからが勘なんだけど、文久の改革で参勤交代が緩くなって伺候席にかなり空席があったはず。
もともと交代寄合の性格は大名に近いからあてにならない。
定府で役も与えられてた寄合席旗本を大名に格上げしたのかも。
とりあえず立藩できそうな旗本はここで立藩した前提で、明治の立藩は交代寄合に集中したのかも。

505 :日本@名無史さん:2016/05/06(金) 22:19:06.53 .net
>>504
その数人を教えてください。
横田家ではないですね。

506 :日本@名無史さん:2016/05/06(金) 22:25:46.15 .net
http://homepage3.nifty.com/ksatake/libinde.html
ここに実高があるけど、新田開発を幕末の混乱でできただろうか。

507 :日本@名無史さん:2016/05/06(金) 22:39:55.61 .net
松平郷の太郎左衛門家の後裔の方が昔、日経の最終面に先祖の話を書かれていた。
手元に記事が無いんだけど、確か地元を出るときと江戸に入るときだけ人を駆り出すなり雇うなりして行列を仕立てて、道中では少人数での旅をしていたとか。
江戸では親類の大名のところに宿していたはず。
後、旗本でも実際の管理は幕府の代官に一括お任せという、実質蔵米取りの「地頭」も多かったんじゃなかったかな。

508 :日本@名無史さん:2016/05/06(金) 23:54:52.94 .net
>>504
なるほどね。実力と忠誠心を見込まれて大名になれそうな大身旗本は維新直前に既になっていたか。

509 :日本@名無史さん:2016/05/07(土) 00:44:07.67 .net
平岡は大名になったけど、静岡に下った。

510 :日本@名無史さん:2016/05/07(土) 04:59:44.75 .net
交代寄合伊那衆の座光寺家なんて、家老の禄高が7石だったりするからな。

511 :日本@名無史さん:2016/05/07(土) 09:17:26.45 .net
7石って・・
普通の藩の下級武士より低そうw

交代寄合より高家のほうが楽そうだが接待費用かさむか
旗本として昼間から芝居見物や温泉湯治が楽しいだろうw

512 :日本@名無史さん:2016/05/07(土) 09:32:02.20 .net
>>511
無役ならそれも可能だが、旗本は幕府の官僚になるわけで、勤めている間はそんな気楽ではなかろう。

513 :日本@名無史さん:2016/05/07(土) 10:34:08.80 .net
旗本のほとんどは小普請だからな。生活は苦しいが時間は有り余ってる。

514 :日本@名無史さん:2016/05/07(土) 10:59:43.55 .net
時間有り余ってるのは、それはそれでうらやましー
文化サロン的に趣味に生きられよ。
その方面は公家のほうが得意か・・

515 :日本@名無史さん:2016/05/08(日) 22:34:18.58 .net
>>503
江戸時代は地位の上下が富の上下と=でない世界的にも実に珍しい時代だよ。

地位的には最低の被差別民が業種によってはとんでもない利権を独占して大金持ちだったりするんだから。

516 :日本@名無史さん:2016/05/08(日) 22:57:41.52 .net
そういう話は世界各地にあるよ。
中村元先生によると初期の仏典に
「たとえ隷民であったとしても、もしも彼が財宝・米穀・金銀に富んでいるならば、
王族でもバラモンでも庶民でも、彼より先に起き後に寝て、進んで彼の用事を
勤め、彼の気に入ることを行い、彼に対して快い言葉を語るであろう。」
というような文言があるということだし、欧州でも王や貴族よりはるかに富んだ
大商人は数多く存在していた。

517 :日本@名無史さん:2016/05/08(日) 23:08:40.54 .net
日本の特色は西欧では騎士階級に属するはずの武士階級の零落。
構造的に借金重ねる状況だし小藩では家老クラスでも食うものに困る有様。
土地所有権と切り離されてたからなあ。
薩摩あたりだと高位の城下士より土地持ってた郷士のほうが裕福だったとか。

518 :日本@名無史さん:2016/05/08(日) 23:09:07.85 .net
伊勢平氏の伊勢家は話題にならないな
実は由緒ある家とかあるんだよな

519 :日本@名無史さん:2016/05/08(日) 23:13:07.15 .net
高家は手に職あるんで家禄以上だったんだろうな
吉良家没落後の高家の重鎮はどこになる?
大澤か?

520 :日本@名無史さん:2016/05/10(火) 02:05:48.30 .net
>>515
今の日本が思い切りそうじゃないか
バブル期以降の高額所得番付や総資産上位の顔ぶれ見るとホントそう思う

521 :日本@名無史さん:2016/05/10(火) 21:34:25.92 .net
パチンコ屋とサラ金屋が上位独占してた頃

522 :日本@名無史さん:2016/05/11(水) 01:00:03.56 .net
幕臣はお泊り旅行に行っちゃ駄目というが、勝子吉なんかは少年時代に家出して東海道を放浪してたのは面白い。

523 :日本@名無史さん:2016/05/25(水) 18:14:08.12 .net
規格外の使い道だ。
ゆとりの大半は破棄されるし、一つ二つは残したいわな。
犬より上のつもりなら。

524 :日本@名無史さん:2016/05/29(日) 17:57:34.98 .net
江戸時代の武士って必ずどこかの剣術道場に入門するの?

525 :日本@名無史さん:2016/05/29(日) 18:56:54.27 .net
幕初は武芸や学問にいそしんで妻帯すら後回しにする風潮があったけど、
次第に世襲が当たり前になって、そこに胡坐をかく武士が増えた。

526 :日本@名無史さん:2016/05/29(日) 20:59:58.82 .net
>>524
そんなことない。
剣術より算盤だって家も多いよ。

527 :日本@名無史さん:2016/05/30(月) 13:21:00.18 .net
>>522
それは当主だけ。
因みに現代でも自衛官や警察官は勤務地を離れる場合は届出が必要(距離によるが)。

528 :日本@名無史さん:2016/06/07(火) 11:54:14.46 .net
高家旗本って江戸では大名と対等にお付き合いしとったんやろか?

529 :日本@名無史さん:2016/06/07(火) 11:57:58.90 .net
吉良は大大名の酒井やら上杉やらと縁組したほどだからな

530 :日本@名無史さん:2016/06/07(火) 21:46:34.10 .net
吉良は徳川と縁戚

531 :日本@名無史さん:2016/06/08(水) 01:46:27.81 .net
高家旗本って参勤交代しとったん?(・ω・)

532 :日本@名無史さん:2016/06/08(水) 04:51:23.92 .net
高家は普通の旗本と同じく江戸定府だよ。

533 :日本@名無史さん:2016/06/08(水) 05:09:57.05 .net
ならお金貯まるね(・ω・)

534 :日本@名無史さん:2016/06/08(水) 05:13:34.86 .net
旗本にも家臣おったん?
大名から旗本に転落したら旧家臣とかどうしとったん?

535 :日本@名無史さん:2016/06/08(水) 17:32:47.43 .net
>>534
・他家へ仕官
・浪人
・庶民化

いずかだろ。

536 :日本@名無史さん:2016/06/08(水) 18:44:09.58 .net
・死

が抜けている時点で非日本人。

537 :日本@名無史さん:2016/06/12(日) 13:39:28.97 .net
>>536
主家が減封されただけで家臣が腹切るか?

538 :日本@名無史さん:2016/06/12(日) 14:41:24.28 .net
>>533
軍役があたったからねぇ〜、石高に乗じて常時これだけ家臣置いとけと

539 :日本@名無史さん:2016/06/12(日) 16:38:53.61 .net
>>538
旗本を含めて領主には将軍に対する軍役の義務がある以上、それが可能になるだけの兵士を抱える義務は当然あるだろう。

以下は余談ながら。
現代日本でも警察官の定員については国の定めた基準があって、都道府県は警察官(都道府県職員)を勝手に減らせない(増員は自由に可能)。
近年、治安悪化への対策もあって警察官定員は増員されてるんで、国の基準が無い都道府県事務職員の定数は減らされまくっている。

540 :日本@名無史さん:2016/06/12(日) 17:54:03.97 .net
>>537
お前、小作人の伜だろ。
自分で全体を支える能力がないなら、
ケモノとして死ね。

それくらいのクソだ。

541 :日本@名無史さん:2016/06/12(日) 19:20:45.94 .net
>>540
ふーん。
上杉鷹山が襲封したとき、15万石の米沢藩には120万石相当の家臣団がそのまま残ってたんだけど。
主家の負担も考えずに禄を貪ってた「自分で全体を支える能力がないクソ」の集まりだったんだね、米沢藩士は。
「ケモノとして死ね」と言ってくれば?

542 :日本@名無史さん:2016/06/12(日) 19:26:46.78 .net
>>541
結果しか見えないなら、少なくともお前さんは死ね。

バカめ。

543 :日本@名無史さん:2016/06/12(日) 19:28:22.03 .net
脳を病んで 愚者は枯野を 駆け巡る

544 :日本@名無史さん:2016/06/12(日) 20:05:36.20 .net
白井亨 旗本稲葉家家臣の出
赤石郡司兵衛 旗本近藤家家臣の出

545 :日本@名無史さん:2016/06/13(月) 01:42:16.55 .net
高家は石高は1000石レベルだが官位だけは加賀や御三家並みだった。

546 :日本@名無史さん:2016/06/13(月) 07:53:30.81 .net
>>545
あえて釣られてやろう。
せいぜい国持大名並だよ。
御三家加賀はさらにその上。

547 :日本@名無史さん:2016/06/13(月) 08:58:51.72 .net
従四位の上って老中以上だよな

548 :日本@名無史さん:2016/06/13(月) 12:44:20.98 .net
伊勢神宮の神職(宮司から権禰宜まで)は国持ち大名なみの官位だった。

549 :日本@名無史さん:2016/06/13(月) 17:37:56.51 .net
堂上公家を相手にする場合は、四位以上でないと任に耐えれないから。
特に上洛して内昇殿するには、慣例として四位以上の位階が必要。

550 :日本@名無史さん:2016/06/13(月) 17:41:01.59 .net
>>546
なんたって加賀は参議任官できる家、公卿ですからね。

551 :日本@名無史さん:2016/06/25(土) 21:12:02.21 .net
100石あたりの兵数は大名と旗本では大分違うってことなのかな

552 :日本@名無史さん:2016/06/26(日) 06:03:19.48 .net
規定上はほとんど変わらない。
ただし現実に平時の運営に必要な武士数が大きく違う。
小大名でも江戸時代に取り立てられた大名とそれ以前からの大名では随分違うから
本当に必要だったというよりクビにできなかったんで家臣が多いという側面もある。

553 :日本@名無史さん:2016/07/02(土) 03:09:53.64 .net
スレチだったらごめんなさい
阿部老中は様々な藩から意見を聞きました
島津斉彬、松平春嶽、徳川斉昭、鍋島直正、伊達宗城、黒田長溥、山内容堂など
その上記の藩主はそれぞれに個々の付き合いはあったのでしょうか?
蘭癖大名、お由羅騒動関係者は繋がりがあったでしょうが斉昭だけは異色に感じます
抑々水戸学を習いにしていた斉昭は蘭癖大名についてどう思っていたのでしょうか?

554 :日本@名無史さん:2016/07/02(土) 06:32:14.28 .net
水戸藩は蘭学者の幡崎鼎を抱えているくらいで、本来儒学と蘭学の相性は悪くない。国を憂うインテリ同士、
医者などとともに知識者層を形成していた。

儒学と蘭学の相性が悪いなんてイメージは、基地外朱子学者の鳥居耀蔵一人が暴走した結果でしかないよ。
蛮社の獄の渡辺崋山は儒者の佐藤一斎の弟子だったくらいだ。

555 :日本@名無史さん:2016/07/03(日) 11:52:16.21 .net
そもそも斉昭自身が攘夷だけど蘭癖

556 :553:2016/07/06(水) 21:33:00.57 .net
有難うございます
徳川斉昭は蘭癖と言って良いんですね
海外のものに興味は持っていたけれど長溥や宗城ほど熱心ではなかったので
斉昭は蘭癖と言われるほどではないと思い込んでいました
そしてもし良ければ個々の関係性も教えてください

557 :日本@名無史さん:2016/07/06(水) 21:34:47.60 .net
東京都知事選・野党統一候補者は 
宗教法人課税強化→住民税減税 を訴える 
【菊川怜(桜蔭→東大)】しか居ないな

558 :日本@名無史さん:2016/07/06(水) 23:39:15.55 .net
宗城は旗本のたぶん3000石の山口家の出
旗本と諸侯が縁戚なんだ

559 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2016/07/10(日) 14:37:00.83 .net
斉昭は海防のために蘭学からその技術を取り入れるという発想だった。
蘭癖のような文化的な酔狂ではないよ。水戸藩の藩是は質素倹約だし。

560 :日本@名無史さん:2016/07/11(月) 22:43:41.71 .net
>>558
朽木家なんて本家が旗本で分家が大名だし、大名が取り潰されてその一門の者が旗本として存続…みたいなパターンも多いから結構付き合いある所も多かったんじゃないの

561 :日本@名無史さん:2016/07/11(月) 23:36:12.29 .net
池田家の分家旗本について調べてる。
大隅守家は佐幕だったんだな。
高家の織田家の中にも佐幕派がいた。
沿革からいえばそこまでせんでも。

562 :日本@名無史さん:2016/07/12(火) 06:19:36.67 .net
徳川政権下では織田はけっこう厚遇されてる。柳本とか芝村とかみたいな小藩が
10万石くらいの預地を託されてたり。いずれも有楽斎の系統。

その一方で、宇陀松山から丹波柏原に移された家は減封の上で国主格を剥奪され、
更には大和川付け替えの普請までさせられているけど。こっちは信雄系。

たぶん幕初に豊臣を滅ぼしたせいで上方の地方支配が難航し、それを鎮撫した功績が
後々まで顕彰されたのだろう。小領主や豪商とかの地元勢力が代官に取り立てられたりして
厚遇を受けてるしね。そして、御家騒動や大一揆などを起こしてしまうと優遇取り消し。
宇陀崩れや芝村騒動みたいに。

563 :日本@名無史さん:2016/07/23(土) 20:05:53.19 .net
池田大隅守の大隅という旧国名ある?

564 :日本@名無史さん:2016/07/23(土) 20:38:58.68 .net
鹿児島県は西半分が薩摩で東半分が大隅

565 :日本@名無史さん:2016/07/23(土) 23:20:13.44 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

566 :日本@名無史さん:2016/07/24(日) 19:26:05.80 .net
>>558
山口家は名門な一家だぜ、初代は家康と島津家の橋渡し役
その恩に報いた島津家が毎年山口家に千石くらい支給していたのを
申し訳ないと次男を島津家に奉公させたほど

567 :日本@名無史さん:2016/07/24(日) 20:31:22.49 .net
松平乗道さんは本藩の子孫かな?
松平を返上したはずだけど

568 :日本@名無史さん:2016/07/24(日) 20:35:29.78 .net
松平アナは1000石取りの分家旗本の子孫なんだが、複姓しなかったんだな

569 :日本@名無史さん:2016/07/24(日) 21:02:25.10 .net
寄合は無役でも困らないんだよな

570 :日本@名無史さん:2016/07/25(月) 14:50:53.96 .net
エセ左翼の目的は、わざと突っ込みどころが多い主張をすることで自分たちへ注意を向けさせ、
カルトへ向かう非難の矛先を逸らすこと。
国益に反することを言ったり、主張が食い違うもの同士の対立を煽ろうとするので放置し難いが、
主義思想についての洗脳を受けているわけではなく、フリをしているだけなので、
言い負かされてもダメージを負った様子もなく、論点をすり替えられるかスルーされる。
まともに相手をしてはならない。

サヨに対する危機意識が強すぎると、普段は常識的に振舞っている
(又は、サヨから不当に叩かれている)政治家などがズレたことをやろうとした時でも、
許容したり擁護してしまいがちになるので注意が必要。

571 :日本@名無史さん:2016/09/25(日) 11:40:43.19 .net
旗本・御家人の24時間のスケジュールってどんなだったの?
職あるなし長男その他部屋住みとかどんな日常生活だったの?

572 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 22:06:53.43 .net
寛政譜とか読んでいると、家出して行方知れずとかぽつぽついる。
それも部屋住みとかでなくて当主で役付とか。博打とか遊興での改易もあるし、
江戸時代の旗本も結構ストレス社会だったのかなあ。

573 :日本@名無史さん:2016/10/06(木) 23:35:23.46 .net
一族のものが1600年代後半に旗本に取り立てられたのだが・・・どいう基準で取り立てられるの?
古い文書等は本家筋にあるので持って行ってはいないと思う。せめて写しと紹介ぐらいしかないと思われるが。
地方名族の取り立てというのはどういう経過をとるのでしょうか?

574 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 09:39:04.48 .net
>>573
話が漠然とし過ぎて答えようがない
時期からすればかなり異例っぽく見えるから、詳しく書くとどの家かまで特定されるかもね

575 :日本@名無史さん:2016/10/07(金) 19:19:48.92 .net
その時期で分知以外で旗本になるのはかなり異例だな。
ぐんまや山梨ならあるけど。

576 :日本@名無史さん:2016/10/08(土) 01:55:04.28 .net
甲斐庄?

577 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 07:57:06.26 .net
>>576違う。そんなに大身ではない

578 :日本@名無史さん:2016/10/11(火) 22:01:14.17 .net
巨勢、中坊とかあるよ

579 :日本@名無史さん:2016/10/12(水) 13:18:41.05 .net
本題に返って貴家趣味の家康亡き後の名族取り立てはどういった経過でと・・・

580 :日本@名無史さん:2016/10/12(水) 23:37:30.55 .net
名族だから

581 :日本@名無史さん:2016/10/14(金) 19:51:47.11 .net
名族だからは理由にならないだろ。
苗字帯刀のみって家もあるから

582 :日本@名無史さん:2016/10/14(金) 23:29:54.45 .net
具体的な名前がわからないと議論できない

583 :日本@名無史さん:2016/10/14(金) 23:31:31.44 .net
>>579
甲斐庄家は光圀の進言による
吉井家は鷹司家の生まれなど

584 :日本@名無史さん:2016/10/14(金) 23:32:52.77 .net
http://www.harimaya.com/o_kamon1/hatamoto/dy_hata.html
iOSから見れないけど、参考になるかも

585 :日本@名無史さん:2016/10/14(金) 23:41:47.36 .net
高家前田家について
http://blog.livedoor.jp/junkoura/archives/52133218.html

586 :日本@名無史さん:2016/10/16(日) 13:39:32.67 .net
信秀┬信長┬信雄┬信良---------出羽天童
  │  │  └高長┬長頼----丹波柏原
  │  │     └長政----旗本
  │  └信高--------------旗本
  ├信行-------------------旗本
  ├信包−信当--------------旗本
  └長益┬長政--------------大和芝村
     └尚長--------------大和柳本

どこまで把握してるか?江戸期は兎も角明治期以降は・・・・

587 :日本@名無史さん:2016/10/16(日) 13:40:12.09 .net
ミすた すんません

588 :日本@名無史さん:2016/10/16(日) 17:07:44.12 .net
織田信和氏 そうびょうけ

589 :日本@名無史さん:2016/10/16(日) 17:54:30.16 .net
尾張の山村・千村も幕臣だよな?

590 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 07:22:00.16 .net
幕府尾州両属。

591 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 14:31:17.05 .net
大坂夏の陣での小諸藩仙石氏の応召の士に「木曾より一人、名は知らず候」
とあって・・・小諸と木曾じゃ大分離れてるから違う地名の木曾かね?
1600年には山村・千村も幕臣だから誰だろうと思った記憶があったな。

592 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 14:34:38.57 .net
最後のチャンスに再起をはかった陣借りの土豪とかじゃねーの

593 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 17:20:09.09 .net
千村が尾州藩附属が嫌だっのはなぜ?

594 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 17:28:52.79 .net
格が下がりかねんからに決まってるだろ
実際、御三家の附家老はいつの間にか伺候の間がなくなったくらいだ。
維新でも、例えば紀州の与力は直臣のはずなのに陪臣扱いされ、ごねたことで罰まで受けてる。

595 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 18:53:52.66 .net
当地は兎も角、江戸や名古屋に屋敷があったというのは
どんな感じで生活してたんだろうか?と

596 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 19:18:13.51 .net
上と下のバランスを取るためにはあらゆる情報網を駆使して時には明主切ったり
馬謖切ったりじゃねーの。

597 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 20:21:25.44 .net
>>594
千村みたいな名族でも徳川の直臣がいいんだ
中根の一族が与力として他藩に付けられるのを拒んだのは譜代だからわかる
紀伊藩の附家老は、諸侯になれるかどうかだからごねるのはわかる。

598 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 20:23:09.61 .net
千村の幕府の役は位高いとは思えない

599 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 21:07:05.04 .net
上と下のバランスを取るためにはあらゆる情報網を駆使して時には明主切ったり
馬謖切ったりじゃねーの。

600 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 21:21:28.03 .net
>>592土豪なら山村・千村の下につくでしょうに

601 :日本@名無史さん:2016/10/18(火) 21:32:25.43 .net
>>600
世界観がシンプルだな。

602 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 13:45:42.43 .net
格といえば、幕府では外様よりも譜代の方がでかい顔ができるけど、朝廷の秩序では逆なんだよな。
朝廷から見たら将軍と外様大名が同格で、譜代大名は陪臣扱いになるから、願い譜代で外様から
譜代になった家は、外様の頃に認められていた権利が剥奪されたりしてた。行列で槍を立てたままで
よかったのが伏せなきゃならなくなったとか、その程度の話だけど。

603 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 18:07:27.17 .net
>>602
官位が違いますが
同格?

604 :日本@名無史さん:2016/10/19(水) 18:19:05.14 .net
>>603
直臣陪臣という意味での格。
大大名も旗本も直臣という意味では同格。
五摂家も将軍も外様小大名も陪臣でない朝臣という意味では同格。

605 :日本@名無史さん:2016/11/08(火) 21:48:12.69 .net
このスレで大名ネタはスレ違いなんだけど、
朝廷から見て外様大名が直臣で譜代大名が陪臣ってのは、どうも腑に落ちない。
外様であろうとなかろうと、江戸時代に喜連川以外の武家は、
徳川将軍に臣従しているのが建前でしょ?
親藩にしろ外様にしろ、将軍の許可なく参内も任官もできないんだし、
徳川将軍と喜連川以外、武家はみんな陪臣、陪々臣なのでは?

606 :日本@名無史さん:2016/11/09(水) 09:13:56.83 .net
豊臣が関白で徳川が内大臣でって頃の感覚が残ってたんじゃないかな。
江戸期でも、加賀の前田が従三位だから家臣も叙爵される権利があるとごねて
一時は絶えていた陪臣への叙爵が元禄頃に復活してる。

607 :日本@名無史さん:2016/11/09(水) 09:38:43.72 .net
朝廷からすれば叙爵は幕府に対して優越するほとんど唯一の権利権限だから、
江戸時代になっても幕府におもねらず、豊臣の頃の秩序を残そうとしたんだろう。

608 :日本@名無史さん:2016/11/09(水) 21:26:05.85 .net
豊臣の頃の感覚や秩序というより、江戸時代以前からの通例というような…
武家の各人各家では主従関係があるだろうけど、
大大名の大臣だろうと陪臣の布位だろうと朝臣としては直臣でそ?
公家だって摂家も地下も直臣だけど、摂家やら宮家やらとに隷属関係はあるし。

609 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 08:09:24.79 .net
公家であっても三位以上だと家来が任官したと思うけど。

610 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 17:30:09.64 .net
>>609
近衛家の進藤家が任官できたのはそれか。

611 :日本@名無史さん:2016/11/10(木) 23:57:42.54 .net
>>605で思ったけど、いちばん悔しいのは御三家に附家老として配された
譜代あたりなんじゃないかなとか

612 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 19:27:45.55 .net
もっと言えばその附家老の家臣団であろう?若しくは大大名の方も加えてw
故に幕末な阿波徳島の稲田騒動、加賀藩の本多騒動?が起きた

613 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 19:36:17.24 .net
御三家の附家老は独立できたからな。

614 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 22:36:42.94 .net
成瀬、安藤、水野なんて後に老中になった家と全くの同格だからな。
家康の信頼が厚かったから大事な息子のお世話係を仰せつかったのが運命の分かれ道になった。
まさか自分たちの子孫が陪臣扱いされるとは夢にも考えてなかったろうからな。

615 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 23:10:11.61 .net
松の廊下事件で改易された浅野家も旗本として復興して幕末まで御家は続いた。

616 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 23:20:27.71 .net
幕末の京都で目付かなんかやってた織田市蔵も織田信長の家系?
坂本龍馬暗殺に関わっていたとかどっかで見た。

617 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 23:46:04.40 .net
>>614
安藤は紀伊が本家

618 :日本@名無史さん:2016/11/11(金) 23:47:44.00 .net
阿波公方「へ、平民」orz

619 :日本@名無史さん:2016/11/12(土) 03:00:06.52 .net
>>618浪人身分なら由緒正しければ(当然正しいが)士族編入できる例はあるのにね。
何故だろうか?

620 :日本@名無史さん:2016/11/12(土) 07:07:25.17 .net
稲田騒動での稲田への過酷な仕打ちといい、妙に蜂須賀の横暴に対して
新政府は甘々って感じがするな。

大大名だけに、薩長と姻戚関係とかで何かあるのか?

621 :日本@名無史さん:2016/11/14(月) 22:27:35.38 .net
>>618
喜連川御所「恥ずかしい奴w」

622 :日本@名無史さん:2016/11/23(水) 13:45:29.60 .net
幕末維新当時の阿波藩主は徳川家斉の息子と孫で、慶喜よりはるかに徳川宗家の血筋を引いている。

623 :日本@名無史さん:2016/11/24(木) 12:43:13.08 .net
戊辰戦争は蜂須賀の家中では稲田がほとんど引き受けて、それをもとに稲田の家臣の
士族取り立てを望んだために稲田騒動が起こった。
もしかしたら藩主が家臣たちに幕府へたてつくことを禁じていて、直臣たちは稲田が
出し抜いたとかそういう風に見ていたんだろうか。

624 :日本@名無史さん:2016/11/24(木) 12:44:10.59 .net
明治天皇の葉巻を盗んだ蜂須賀の当主は家斉の孫かw

625 :日本@名無史さん:2016/11/24(木) 15:51:12.62 .net
やはり(遊び人の)血筋であるな

626 :日本@名無史さん:2016/11/24(木) 16:16:15.88 .net
旧北条家臣が御家人とは残酷

627 :日本@名無史さん:2016/11/24(木) 19:00:12.45 .net
>>623
元来から稲田の家臣団と本藩の連中とは軋轢(差別)があったからね
本藩家臣は「白足袋」稲田家の方は「あさぎ色」の足袋
淡路の海防(資金・人員)は殆ど稲田家に押し付けて、でも監視・管理は本藩の連中が仕切ると

そうやって下に見ていた連中が「結果として」先んじていた訳だから
よく思わないのも無理はない

628 :日本@名無史さん:2016/11/25(金) 05:13:03.37 .net
明治天皇の葉巻を寸借した蜂須賀の当主には蜂須賀小六の血は流れていないが、
明治天皇には蜂須賀小六の血が流れている不思議w

629 :日本@名無史さん:2016/11/25(金) 23:08:59.27 .net
蜂須賀氏はたびたび犯罪に絡んだために、1945年(昭和20年)7月爵位を返上して平民へ

630 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 12:52:48.74 .net
終戦のひと月前とか、日本が滅ぶかどうかの状況で爵位もヘッタクレもないと思うが、
命じる方も命じられた方も何やってるんだって感じだな。

631 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 13:01:56.65 .net
泥船から真っ先に逃げ出したつもりなんじゃね。
爵位持ってるとどんな目にあわされるかわからん情勢だってことで。

632 :日本@名無史さん:2016/11/26(土) 17:58:56.17 .net
爵位を返上すると平民なんだね。士族が順当じゃないの?

633 :日本@名無史さん:2016/11/27(日) 09:13:43.75 .net
爵位ある家でも次男以下とかが当主の戸籍を離れて別の家を立てたら平民だよ。
当主の戸籍のままだと爵位なしの華族。

634 :日本@名無史さん:2016/11/27(日) 10:31:11.80 .net
士族の肩書なんて出し惜しみするほどのもんじゃないだろうに。
逆に平民上がりの官吏や軍人などにも士族の肩書を与えてもいいくらいなのに。

635 :日本@名無史さん:2016/11/27(日) 10:55:04.54 .net
士族自体に大した意味がない
意味があったのは秩禄処分まで。

636 :日本@名無史さん:2016/11/27(日) 11:03:50.32 .net
とはいえ
平民に落ちた元士族の復籍運動はちらほらと

637 :日本@名無史さん:2016/11/27(日) 12:03:56.76 .net
江戸時代って面倒臭いよなw。時代が下るにつれて細かくなってしかも恣意的に
なってイミフw。

638 :日本@名無史さん:2016/11/27(日) 20:10:26.80 .net
幕臣って、静岡藩士になったり、新政府に帰順して朝臣になった者は士族になったけど、
脱走して箱館まで転戦した者や江戸開城後早々に帰農した者は藩士でも朝臣でもないから、
意外と平民に落ちた者も多そうだな。

639 :日本@名無史さん:2016/11/27(日) 22:32:04.75 .net
以外でもないだろうけどね。士族授産が人口の10%近くだから漏れたのが
5%ぐらいいるんじゃないかって話だ。
 世襲じゃないのや陪臣、郷士等漏れたのはいくらでもいそう

640 :日本@名無史さん:2016/11/27(日) 22:48:12.65 .net
阿波公方家が平民落ちしてたな。

641 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 07:45:09.46 .net
数千石の大身旗本のお殿様ほど、抗戦も静岡移住もせず、さっさと帰順して朝臣になった者が多い。

642 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 09:44:50.96 .net
しかし、人力車夫に転落したのも千石以上のお殿様に多い。

643 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 10:02:14.92 .net
小普請の旗本ってスキル磨くチャンスなんてなかっただろうに、いったいどんな職に就いたんだ?

644 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 13:50:20.50 .net
娘を商家や豪農にやってウハウハが多いんじゃないの?

645 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 15:51:05.04 .net
>>639
地方差があって、うちの地方だと小藩の郷士でも平民。
昔の資産家地主総覧に「農」とか平民とか書いてあるんだよね。
旧藩士だと「士」とある。

646 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 16:52:07.32 .net
やっぱり士族だの族籍だのは、吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなものが残っていたら、さぞかしやりきれない社会だったろう。

647 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 18:05:19.27 .net
いつ吹っ飛んだの?

648 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 19:04:28.04 .net
GHQによる民主化と新憲法で華族だの士族だのといった下らない族籍は廃止された。
あんな封建制の遺物や残滓が一掃されて、せいせいする思いの人々も多かったはず。

649 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 22:41:30.99 .net
士族は吹っ飛んだが華族は未だにあるぞ

650 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 23:30:31.55 .net
戸籍への族称記載は、明治40年代から廃止の声が議会で上がり始めていた
大正3年の戸籍法改正で華族・士族は記載するが平民は記載省略することとなった
大正12年衆議院で士族平民の族籍上の差別撤廃が決議
(族称廃止には至らなかった)
昭和13年戸籍用紙の族称欄という印刷はしないこととした
(欄のないところに華族・士族と書くのは書いた)
‥族称なんぞやめたいという考えは早くからあり、年月と共に世間での比重は軽くなっていたようだ

651 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 23:33:20.21 .net
未だに士族ですと云うオジンはいるけどね。

652 :日本@名無史さん:2016/11/28(月) 23:59:04.24 .net
> 華族は未だにあるぞ
日本には存在しないな。
元華族でございという親睦会はどっかにあるらしいが。

653 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 00:01:34.17 .net
郷士が士族になれたのは鹿児島くらい?

654 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 00:09:19.10 .net
>>653土佐や肥前等官軍側は士族。後は家柄(皇室系優位)と官軍側への功績次第みたい。

655 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 00:22:41.94 .net
郷士家筋由緒アル者ハ士族ニ入籍(明治5年太政官布告第44号)

656 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 17:49:03.93 .net
明治や戦前の作家の文学アルバムを見ていると、戸籍謄本だけではなく、
学籍簿や卒業証書のようなものにまで士族だの平民だの書かれていてゲンナリした。

657 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 18:31:53.40 .net
士族は江戸の成り上がりどもの、あいだでの称号だからな。

そのなのとおり、血統上現存武家の他のついづを許さないほどの最高頂点の平島公方家は平民だし、
足軽や下士のような戦国以前は困窮者階層出自なんかが士族だからな

話にならんよ

658 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 19:16:08.76 .net
大身旗本と小禄旗本も同じ士族なんかな?
高家は上大夫扱いされたんじゃないかな?
陪臣にしても上士が士族としてひとくくりになるから
それまでの身分秩序からすれば大改革だわな。

659 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 22:41:58.21 .net
>>658それが本来の狙いで所。まず武士内のある階層差をなくして順繰り
四民平等に持っていく。家老以下世襲の足軽まで一つにできた。

660 :日本@名無史さん:2016/11/29(火) 23:04:19.79 .net
>>659
足軽は士族なんだ?
下士は?

661 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 00:43:09.30 .net
>>660
足軽は始めは卒族で後に世襲の足軽は士族、一代抱えは平民とされてるが
一代抱えでも士族もあるみたい。各藩でばらばら、又各藩で勝手に等級を
付けたりして家格を維持しようとした。

662 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 09:54:40.02 .net
>高家は上大夫扱いされたんじゃないかな?

高家の畠山の当主は明治の初めに生活に行き詰って菩提寺の当麻寺奥の院で切腹してるよ。

663 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 11:34:49.33 .net
朝臣になった旗本の中下大夫や上士という呼称の意味や由来がよく分からない。
そもそも朝臣というカテゴリーがどういう内容なのかもよく分からない。

664 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 12:36:40.51 .net
>>662
脆弱すぎんだろ
身一つ職人や日雇いすら日銭かせげず、雇用すら頑張れないなら、そんなやつが武家なんてあり得ないわ。

プライドとかぬかすなら 雇用先かくほせいや
高家は事実上武家貴族みたいな客将扱いだから舐めた生き方してきたんだろうが

665 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 13:30:46.62 .net
恥を忍んで生に執着するのは土民の価値観。切腹する方が武士の死に様だよ。

日本史板に来ながらそれくらいのことも分からん奴がいるとはびっくりだな。

666 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 14:39:08.75 .net
夏目漱石の小説にもあったね。金のなくなった士族の親父が切腹した。

667 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 14:42:11.52 .net
品川家も断絶だな。高家など大身旗本はいち早く帰順したことで肩身がせまくなった。

668 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 19:36:18.55 .net
665
お前みたいな先祖不祥には、食い扶持に困って自殺すんのが名門武家の習いとおもってんのか

お前みたいな先祖代々の子孫は歴史イタに来ない方が幸せだとおもうよ

669 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 23:41:17.16 .net
田舎行きゃ表札の苗字の右上辺りに士族ってあるだろ。

670 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 23:50:01.39 .net
ttp://www.somabito.org/photos/uncategorized/2012/09/12/sizoku.jpg

671 :日本@名無史さん:2016/11/30(水) 23:55:35.02 .net
ねえよボケ

672 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 00:10:05.39 .net
うちの娘は士族にしかやれん・・・ってな話があるのかね?

673 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 06:52:44.05 .net
>>668
例えば戦国期であれば、本拠地を追われた時を想定して必ず蓄財して信頼できる家来に
本拠とは違う場所に生活基盤を固めさせていた。それで再起を期したわけだ。

しかし明治初年には逆に借金漬けで、大名ならともかく旗本だと家臣たちも離散して
しまっている。再起など望むべくもないわな。あとは武士として潔く死ぬだけだ。
お前さんみたいなクッソ土民の真似事などするわけにはいかないからな。

674 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 06:55:58.84 .net
>>672
鹿児島とかだと、旧士族の家が士族でない家から嫁をもらうと「在からもらいなさったの」
みたいに士族仲間から呆れられるそうだ。

675 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 08:22:37.11 .net
>>674
郷士の血を入れた島津家

676 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 11:16:29.00 .net
旧大名クラスの家だと
未だに殿様の家を頂点とした家臣団のつながりが残ってたりするんだよな
関係者から聞いて、そんなマンガみたいな話がリアルであるのかとビビったわ

677 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 12:31:42.09 .net
以前の職場の後輩に譜代大名と同じ名字の奴がいて、北海道のJRの終着駅のすぐ前で
牧場やってる家の出身とのことだった。家臣団連れて北海道開拓した殿様の末裔だろうか。
どこかに入植した大名の一覧みたいなのはない?

678 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 13:07:47.52 .net
維新の折に知行地の石高をサバ読んで申告して華族入りした高家がいた気がする
あと後でバレてた気も

679 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 14:28:59.60 .net
>>676そんなこと言いだしたら田舎の村は旧庄屋や郷士を頂点に・・・今でも。

680 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 16:18:09.09 .net
>>674鹿児島は士族人口多すぎだから例外的だけど明治期から士族上層と豪農豪商
は姻戚多いからな。

681 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 17:41:08.90 .net
柳原白蓮の母は妾なんだが、祖父は外国奉行だったんだな
没落士族か

682 :日本@名無史さん:2016/12/01(木) 19:53:54.75 .net
>>680
別に、旗本長谷川平蔵の母方は庄屋だし江戸時代からいくらでも庄屋と上級士族の通婚あるでしょ

もっといえば、
旧大身大名家の
後藤又兵衛や大谷義継や加藤清正とかの子孫は庄屋 だし、真田幸村の娘も庄屋にとつがせてるし、
一介の士族程度と庄屋は逆に釣り合わない

683 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 06:41:08.94 .net
>>682
大塩の乱の参加者には与力同心や庄屋層が多いけど、通婚を見ていくと
与力(知行200石クラスの中級武士)は庄屋層から妾を取ってる。
同心(足軽相当の下級武士)は町人などの一般庶民との通婚になってる。

684 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 08:49:32.96 .net
>>668
まずは不勉強なのを恥じろ
武士の価値観が理解できないと武士の行動を解釈できない

685 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 09:10:26.22 .net
>>681
白蓮の叔母がまた美人で有名で吉原の楼主の妾になったのな。
新見正興が早死にしたこともあってこの家は没落が早かった。

ちなみに新見家の屋敷の跡地には自分が通ってた高校があって
ちょっと思い入れがある。

686 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 09:19:40.88 .net
ていうか、新見正興の正妻で白蓮の祖母の実家は
紀州徳川家の付家老の水野家で、三万石取りだったのに
助けてもらえんかったのかな。

687 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 13:28:57.01 .net
340 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 00:30:42
江戸末期の日本の人口3200万人の内、約400万人が上士・郷士・足軽・給人・下人だった。
士分の割合が1割以上というのは大袈裟な数字ではなく、
各藩に伝わっている人別集計からも求まる。
まあこれには武家の使用人のようなものがかなり含まれるけど。

ところが華族・士族・卒族創設の際、藩によって完全に基準が異なったため、
多くの藩の場合は上士のみが士族(130万人)、郷士・足軽の一部が卒族(65万人)、他は平民となり、
しかも卒族は廃止されて一部(10万人)は平民に統合され、士族は185万人となった。
大体約200万人(まあ使用人クラスを除いたとしても、郷士・足軽を中心とする約100万人)程度が泣きを見た。

郷士・足軽クラスでもほぼ士族になれたのは鹿児島藩。

688 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 13:32:39.03 .net
江戸時代の1852年の鹿児島藩は、62万5365人中
諸士1万8171人、郷士10万4911人、私諸士4万7612人、家来・下人等7万3634人
これらはほぼ士族になった。

689 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 17:34:14.08 .net
瓦解後の旗本の末路は、男は人力車夫、女は女郎、よくて芸妓や妾ww
二百六十年の間、善良な百姓・町人を虐げてきた報いだな。

690 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 17:45:55.73 .net
薩摩藩郷士多すぎwwwこりゃ庄屋層レベルじゃなく自作農層全部含んでそうな数字だな。

691 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 19:26:16.42 .net
>>684
お前が恥じろよ

なにが武士の価値観だよ笑

将軍や大名家が戦国時代のような裏切りや出奔、下克上を恐れたがため、儒教を洗脳して徹底的精神面からの奴隷化するために、
幻想の美化思観によって虫けら同然の隷属強要を、
武士の価値観なんて寝言ほざいてる小作の末裔が笑

笑わせてくれよるわwwww

692 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 19:49:28.83 .net
などと小作人の末裔が粋がっております。

693 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 20:25:32.02 .net
新見家は家禄はかなりあるんだろ?
水野家と縁組できるからかなりのもん

694 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 20:29:28.20 .net
海軍大将井上も旗本の子孫
家禄はわからない

695 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 20:35:47.34 .net
>>685 実父は三浦なんだけど、あの三浦?

696 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 20:38:23.75 .net
井上成美のこといってるの?

697 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 22:32:49.89 .net
>>691
重症だな
江戸初期と末期で武士の考え方違うのは当たりめえだろ
それぞれで考え方を理解しねえと行動もりかいできねえつってんの

てめえみてえな低学歴のバカは信長の野望でもやってオナニーでもしてろ

698 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 22:40:36.64 .net
>>695
どの三浦?
三浦半島の豪族とは関係なかったと記憶してる。

>>693
1500石くらいじゃないか?
水野家は大身だけど、一応陪臣だから釣り合いはとれてるとは思う。

699 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 22:46:05.95 .net
なにがそれぞれの考え方だじじいがw
根底の理念に奴隷化徹底服従の意図が存在し、
その上での多様な末端の受け止めかたの解釈を理解しろとか馬鹿かジジイ

お前みたいな糞ジジイ養成のため、
山縣は江戸を見習って統帥権を国会から奪い、
教育勅語や軍事教諭で洗脳して国民総奴隷化して国家総動員法に行き着くわけだが、

お前みたいな万年奴隷はそれが誉れと胸に刻んでくたばんだろうが、
支配界層はお前らみたいな奴隷の生きざまなんか誰もしてねえよ笑

700 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 22:59:15.56 .net
>>698
正興の新見家は二千石だった。

701 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 23:02:49.84 .net
>>699
低学歴が大爆発中
もはや何いってるかわかりませんw

702 :日本@名無史さん:2016/12/02(金) 23:06:31.27 .net
ジジイより高学歴で家柄いい件

703 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 04:00:55.49 .net
>>700
まさに奉行になれるくらいの家禄だな

704 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 04:01:54.38 .net
>>698
三浦義なんちゃらだから、鎌倉幕府の三浦の子孫かな?

705 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 10:07:02.94 .net
>>704
だから俺も名族の末裔かと思って調べてみたが、どうやら違うらしい。

706 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 11:53:31.75 .net
なんにせよ、敗戦で華族だの士族だのといった下らないものが吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんな封建制の遺物や残滓が今でも残っていたら、さぞかしやりきれない社会だったことだろうと思う。

707 :日本@名無史さん:2016/12/03(土) 16:19:53.73 .net
華族はふっとんでないぞ

708 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 00:14:04.52 .net
最近、BSの歴史探訪番組で水戸光圀を取り上げていて、
江戸常府→「副将軍」は嘘だけど、将軍に急変があった時の代理
→しかし、将軍職の継承権はなし。
みたいな俗説をもっともらしく解説していた。
過去にこういった日本史版でも、いろいろ言い尽くされてきたけど、
これって、眉唾って理解でいいんだよな。

709 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 08:56:30.21 .net
>>708
ていうか、江戸幕府の強みは官僚制で
将軍が馬鹿だろうが病気だろうが政治はしっかり回っていくあたり。
つまり将軍になにかあったときの代理なんて要らんのよ。

幕末に「将軍後見職」とか「政治総裁職」とかできたけど、
これは権力闘争の仇花で合理的かどうかは疑問。

710 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 09:09:34.94 .net
>>709
それは末期には官僚制だけで切り盛りするのは無理な情勢になったから。
官僚制だけでやっていけるのは大きな政治決断があまり必要な情勢だよ。
政治決断には責任が伴うから、大きな政治決断は官僚制では無理。
そういう場合、江戸幕府では将軍の直裁となりその将軍直裁のための役職が側用人だった。
ところが幕末の将軍は直裁できるような有能な人物はおらず、側用人自体も単なる官僚の1つになってしまっていた。
そこで、将軍の代わりにそれまで幕政に携わっていなかった徳川一門の有力者に政治決断させる必要が発生し、
そのための役職が将軍後見職だとか政治総裁職。
こんな役職が出来たこと自体政権末期の証だわな。

711 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 09:23:12.54 .net
>>662
高家の織田信任は明治の初めに元家来の逆恨みにあって、
妻子ともども殺されているよ。

712 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 09:27:44.66 .net
>>710
必要が生じたってか、徳川慶喜や松平春嶽と
そのバックの島津や山内たちが政治動かしたかったのだろうな。
だが、一門がつける要職がないので新しいポストを作った。

まあ、末期症状だわな。

713 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 12:16:31.75 .net
7500石の三枝家も絶えたんじゃないかな?
2500石の三枝家の旗本は石州口の戦いで逃げる途中に長州兵に銃殺されてる。

幕府軍は弱かったな。指揮系統の混乱以前に気迫が足りない。

714 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 12:20:36.72 .net
>>711
弟は還俗して各地を転戦した。

715 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 15:04:26.43 .net
>>713
徳川の戦の仕方は関ヶ原の頃からそうなんだけど
指揮系統がばらばらで各大名の軍が好き勝手に動いてる感じ。
だから上田城の真田や第二次長州征伐の毛利みたいに
小勢でも戦術的に練ってる相手には惨敗する。
相手が石田三成みたいにバラバラな連中相手なら勝てるのだけどね。

やっぱり一度解体して中央集権体制に切り換えないとダメだったのだろうな。

716 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 17:01:49.42 .net
それだけじゃない島原の乱で首謀の庄屋12家相手にすら幕府総督は討死されてる始末

実質負けだろ

717 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 17:12:34.63 .net
天狗党にすら苦戦してる
攘夷決行しなくてよかった

718 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 20:38:46.27 .net
旗本に井伊っているかな?
あんまり聞かない。
彦根藩が分知したとも聞かない。

719 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 20:48:02.46 .net
http://www.yomiuri.co.jp/local/shiga/feature/CO004211/20130409-OYT8T01512.html
旧家臣の会の会長、木俣氏

720 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 22:13:54.95 .net
>>718
井伊の分家は大名で一家だったと思う。
結果オーライだけど、あまりよいやり方ではないよな。

721 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 22:32:56.90 .net
鎌倉や室町以来の確実な系統で江戸期武士としての残った家ってどのくらいあるんだろうな?

722 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 23:50:17.31 .net
小笠原、諏訪、たしか三浦も大名にあったような。
伊東はたしか鎌倉以来ではないですか。建部も古い。
旗本だと伊勢家、蜷川。高家にはいくつもある。

鎌倉幕府御家人の生き残りは少ないな。どこいったんだろ。

723 :日本@名無史さん:2016/12/04(日) 23:54:37.93 .net
旗本の滝川は小造氏だから名門かも

724 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 00:08:11.61 .net
そのほか思いつくのは
旗本甲斐荘、大名では相良?
加賀藩士の北条
水戸藩の家老山野辺
米沢藩には高家として千坂、畠山
肥後藩の松井、竹原

725 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 00:28:51.26 .net
間違えた
米沢藩には高家として米沢武田氏、家老として千坂家ってのがあるが、千坂家も信玄の子孫みたい

726 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 01:29:51.02 .net
千坂家ってのは長尾家と並ぶ越後上杉家の家来だぞ。
謙信の家と元々同格。
だから米沢藩でも家臣筆頭的立場の家だよ。

727 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 01:40:21.64 .net
>>715
実は徳川の戦いで鮮やかなのは小牧長久手くらいなんだよね。
あの戦いで随分家康はアドバンテージを稼いだ。
それ以外はパッとしないのばかり。

728 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 08:13:39.91 .net
>>721
島津と毛利かな

729 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 08:14:33.87 .net
もっとも旗本はいないかも

730 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 09:00:16.75 .net
>>729
山名とか
旗本は名族の宝庫だよ

731 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 09:12:05.51 .net
旗本の米良は菊池の本流。
久留米の有馬は赤松氏
京極は大名数家
一色は旗本
肥後に細川
畠山は高家
斯波は尾張守護の家が加賀前田の万石家臣津田家として存続
飫肥に伊東
平戸に松浦
対馬に宗
五島

732 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 16:57:18.93 .net
>>731
一色は断絶したんじゃ
一時高家だったけど
肥後藩には西島家というのも

733 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 17:02:27.82 .net
尼子は佐佐木として長州藩に仕えた

734 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 19:47:57.20 .net
>>731
伊予一色家は庄屋になってるよ

735 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 19:49:07.77 .net
武蔵一色家は江戸初期、長男は旗本、次男は庄屋

736 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 20:51:12.23 .net
>>766
ちなみに家臣の山中鹿之助の子孫は鴻池になって、
全国の大名を支配したからな
ある意味将軍より偉い
藩主が「拝謁」に行っても番頭しか会ってくれなかったとかw

737 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 20:52:53.39 .net
>>725 高家は藩内序列は高いが、石高は越後衆や千坂なんかの家老の方が多いんだよね。
武田家は畠山だか本庄の血統だったと思ったが千坂に信玄の血が入ってるの?

738 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 21:01:40.62 .net
旗本川窪は武田に改姓したのか
大身旗本で武田はこの系統か

旗本に仁科は本当かい?

739 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 21:05:57.17 .net
>>737
千坂については勘違いだったかもしれん。

740 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 21:10:00.03 .net
>>737
たしかに米沢武田氏には本庄家から養子に入ってる
仁科系統で旗本に2家残ったとあるが確認できてない

和歌山に吉良義○宮司がいるんだけど
吉良義冬子孫なんではと
宮司は家柄重視だからありえる

741 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 21:16:52.36 .net
山名、一色が旗本に残ったのに京兆家

742 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 21:30:03.18 .net
田沼意知を斬った佐野は鉢ノ木の逸話で有名な佐野の子孫でいいの?

三河譜代のようだけど、とするとなぜ三河にいたのだろう。

743 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 21:35:16.46 .net
>>741
だからよ低学歴、一色でも他の一色家は庄屋だっつってんだよ

744 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 21:40:05.95 .net
>>696
その井上の父は幕末勘定方、母親は仙台伊達の一門の出

745 :日本@名無史さん:2016/12/05(月) 22:07:33.94 .net
鎌倉御家人と言えば、岡野家が北条得宗家の末裔じゃないか

746 :日本@名無史さん:2016/12/06(火) 12:55:50.90 .net
>>745wikiだと家伝によればとなってるけど。まあ、後北条に仕えてるから
まったくのでたらめってことは無いだろうけど・・・

747 :日本@名無史さん:2016/12/06(火) 13:31:17.97 .net
信用できん。仮冒だろ。

748 :日本@名無史さん:2016/12/06(火) 14:24:54.60 .net
江川家でも伝承程度だし
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/egawa.html

井出家(ここは改易だっけ?)
http://www.geocities.jp/enshucastle/shiseki/idekenomon.html
もどの程度信憑性があるのだか・・・

749 :日本@名無史さん:2016/12/06(火) 14:44:55.94 .net
>>746
中先代のあと「田中」姓になってるが、
どういう経緯でそういうことになってるのだろうね。

750 :日本@名無史さん:2016/12/10(土) 05:25:42.83 .net
高家信高流って信成が嘘なら本物の子孫が出てきても良さそうなもんだけど知人すらネットにもメディアにも出てこないね

751 :日本@名無史さん:2016/12/10(土) 08:12:57.44 .net
マジで没落したのだろう。
それとは別に他の織田家の人にとって
名を成した人物が一族を名乗ることは不都合ではない。

752 :日本@名無史さん:2016/12/15(木) 18:25:38.34 .net
ちょい昔に聞きかじった程度だが徳川宗家を囲んで旧幕臣の子孫かなんかの会があったと
それを知った当時は「おいおい、こん中にどんだけ静岡まで移住した連中がいるんだ?」とかで
余り良い感じがしなかった覚えがあるな

753 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 00:29:01.96 .net
>>752
柳営会だな

754 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 10:56:47.69 .net
>>752
維新後静岡に移住したから忠臣ってわけでもないよ。
大体が食べるためで、帰農するにも商売始めるにも
何らかの職得るにも旧幕臣人脈のある静岡が有利だったからね。
知行地があればそこ行けば「お殿様」だから、
畑耕したり学問教えたりで細々いけたけど、蔵米取りだともうね。

ついでに言うと徳川慶喜は一橋慶喜のころから幕臣にあまり好かれてなくて
その理由はいろいろあるが、とりあえず幕臣の気分的には
徳川家茂が「最後の将軍」という感じだったようだ。
つまり「将軍様についていきます!!」的なのは少数派だと思われる。

755 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 13:50:23.89 .net
>>754
人脈だったら江戸に残るだろ

756 :日本@名無史さん:2016/12/16(金) 14:59:40.61 .net
>>755
江戸の町人と人脈があればそうだね。
でも、旧幕臣で江戸で成功してるのって勝海舟と福沢くらいだから、
この二人が嫌いなら江戸の武家人脈はあまりめぼしいのがいない。

757 :日本@名無史さん:2016/12/17(土) 20:59:14.65 .net
吉良上野介と浅野内匠頭は石高以外は吉良上野介が上じゃない?官位はもちろんのこと。

758 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 08:59:24.16 .net
静岡には着いてくるなって指示だし。
幕臣みんな移住したら藩がつぶれる。

759 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 09:07:52.89 .net
>>758
複数案が提示された。
約三分の一の幕臣が静岡行きを選んだ。

760 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 11:15:11.33 .net
静岡行かずの人々は平民籍?

761 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 17:04:39.02 .net
>>760
たしかに疑問だな
新政府でもない静岡藩でもないとなると
帰農か商人になる。直参旗本から平民はきついな。
原総理は平民だが、父親は一代家老を勤めた上士。嫡男ではないから平民籍に入れられた。

762 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 18:06:13.03 .net
士族だろうが平民だろうが禄が出ないなら同じでは?

763 :日本@名無史さん:2016/12/18(日) 18:58:14.24 .net
金がすべてならね

764 :日本@名無史さん:2016/12/20(火) 23:25:40.63 .net
なんでも鑑定団で曜変天目だと判明したらしい。
徳島の人の曽祖父が三好家の子孫から云々。

765 :日本@名無史さん:2016/12/21(水) 07:50:26.04 .net
天皇
→足利将軍
→→三好家
→→→徳川将軍
→→→→水戸徳川家(国宝)
→→→→稲葉家(国宝)
三好は3つ持ってたんだろうか

766 :日本@名無史さん:2016/12/22(木) 18:23:00.87 .net
足利将軍家よりの拝領、略取でしょ。

767 :日本@名無史さん:2016/12/24(土) 23:07:18.04 .net
官僚なんだけど、旗本に相当するんだよな。
官僚を世襲できる家柄なんて特権階級だ。陪臣が地方公務員だとすれば、陪臣が低く見られるのも得心できる。

勘定方は比較的実力重視なんだけど、目付は譜代からだったと小川氏の本にあった。

768 :日本@名無史さん:2017/01/22(日) 23:44:32.46 .net
幕臣を靖国に合祀するのだ

769 :日本@名無史さん:2017/02/22(水) 11:39:07.54 .net
>>767うちの父親が官僚で亡くなった時、従四位を貰ったが旗本だとどのくらいの地位?

770 :日本@名無史さん:2017/02/22(水) 12:03:35.89 .net
ご先祖さまと似た道を歩む人も。万延元(1860)年に日米修好通商条約の批准書交換のため、幕府が初めて派遣した遣米使節団。その副使、村垣淡路守範正の子孫の村垣孝さん(73)は、通産省入省を経て世界銀行に定年まで勤務し、

771 :日本@名無史さん:2017/02/22(水) 12:04:45.12 .net
旗本家禄ランキングのサイトが消滅した?
作成者は小川さんだったのか?

772 :日本@名無史さん:2017/02/23(木) 05:25:38.36 .net
御三家スレ完走しちゃったのか

徳川慶喜・松平容大の朝鮮耳の形質ってどこで水戸徳川家に入ったんだろう
老後の顔は慶喜と似てても松平容保は普通の耳朶してるのね

773 :日本@名無史さん:2017/02/25(土) 15:17:50.10 .net
https://youtu.be/85-XncAUZXc

774 :日本@名無史さん:2017/02/27(月) 20:15:36.26 .net
旗本辞典で井上成美の父の井上嘉矩を探したが載っていない。
静岡でお茶畑を開墾した中条家が900俵。
今川家は駿河守だった。
大身の旗本は火消役を皮切りにキャリアをスタートさせる。

775 :日本@名無史さん:2017/03/26(日) 06:12:48.29 .net
朝鮮耳と思うから紺ががる

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