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院政について語ろう

109 :日本@名無史さん:2012/04/05(木) 23:10:02.12 .net
>>105
そこが変じゃないか?面倒だから名前で書くが、後三条が白河に譲位するときに付けた条件が、
異母弟実仁を東宮にすること。この時実仁2歳。その後実仁が15歳であっけなく薨去。その同母弟の輔仁は12歳くらい。
後三条の母、陽明門院はもう70歳になっていたが、彼女は輔仁を太子に立てれば文句なかったのでは?
何故なら実仁が皇太子の地位のまま死んだから。いきなり年少の弟宮の即位を望むだろうか。

白河は輔仁を太子に立て、祖母陽明門院の死を在位のまま待つ手もあったはず。
天皇の地位を自ら降りることは、非常に大きな賭けだったと後世の我々は思うが、
白河自身は院政など意図していなかったと思う。院政が確立したのは、やはり師通の
夭死に依るところが大きい。院政とは時間をかけて段々と出来上がった政治形態である。

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