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院政について語ろう

135 :日本@名無史さん:2012/12/05(水) 09:31:27.53 .net
>>134
平安時代中期まで、皇族は母方で育ち、外戚が力を持つというのが一般的でした(摂関政治)。
しかし、白河法皇は、孫の鳥羽天皇の母が産で死んでしまったことをきっかけに、
赤子のうちに鳥羽天皇を自分の院御所に引き取り、手元で育てたことから強大な力を持つことになりました。
これ以降、幕末まで、皇族は母方で育つも儲君に定められた時点で父方に引き取られ、
それまで疎遠であった父と子の関係が密になったということが挙げられます。
もっとも、平安末期〜鎌倉時代初期の幼帝と中年の上皇という組み合わせならば院政は上手くいっていたのですが、
それ以降は成人天皇が増えたため、父である上皇とぶつかり、険悪なムードになっていた天皇&上皇の組み合わせもあります。

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