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院政について語ろう
- 144 :日本@名無史さん:2012/12/14(金) 17:48:34.93 .net
- >>142
ん?
小野宮流に詮子立后を阻まれた兼家は、懐仁親王(後の一条)と詮子を里に引き取り
出仕を拒否して円融天皇を退位に追い込んだ。懐仁は円融唯一の子で、これを花山天皇の
皇太子にする以外、円融に道はなかった。
一条天皇の在世中、内裏に侍って政治を執っていたのは兼家です。
母后である詮子も一条とともに内裏に住んでいました。
一方、円融法皇が住んでいたのは内裏から離れた円融寺で、年に一回一条天皇が訪問するほかは
内裏に参入することもなく政治的な発言もしていません。
一条天皇は父上へのプレゼントとして年に一回、円融院官吏の叙位に応じていましたが、
兼家が実資の参議昇進に反対したが円融法皇が押し切ったという記事はありません。
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