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院政について語ろう

42 :日本@名無史さん:2011/11/19(土) 02:26:56.09 .net
さて、南軍に皇位経験者を全て連れ去られた北朝では、
天皇の後継(弥仁)は確保したが治天の不在はどうしようも無かった。
しかし、幕府としても拱手できる話では無い。これより前に為された
正平一統によって北朝が否定された以上、北朝に任じられた幕府もまた
法的な存在根拠を失ったからだ。

そこで幕府は、光厳、光明2代の母である西園寺寧子(後伏見女御、当時落飾して広義門院)を
治天に担ぎあげて強引に朝廷を再興させたのであった。天皇家に出自せず、また女性の身で
治天になったのも空前絶後なら、弥仁の即位式に神器も欠くと言う異例のオンパレードであった。

これにより北朝の天皇の権威は地に堕ち、弥仁(即位して後光厳)の子緒仁(後円融)の時代に
足利義満が皇位簒奪の動きを見せるのである。そして300年に及ぶ院政もまた、後円融の時に
終焉を迎えるのであった。

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