2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

古代出雲王朝は実在した

1 :記憶喪失した男:2011/11/08(火) 12:26:00.54 ?2BP(1).net
sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
「古代出雲」
 日本の歴史において、まだ学術的に不確かな古代王朝。
 西日本を中心に支配した大和王朝の以前に、西日本を支配していた最古の王朝である。
 出雲が日本の古都のひとつである証拠に、日本神話の八百万の神々は、十月、神無月に出雲に集まり、出雲地方では、十月を神在月と呼ぶ。

歴史
 出雲は、もともと、小さな国にすぎなかった。当時の西日本には、渡来した中国系盗賊団が住み着いており、先進的な武器を背景に、日本の先住民を支配し、搾取していた。
 そこに、出身地不明の旅人スサノオがやってくる。スサノオが出雲に来た時、渡来系盗賊団ヤマタノオロチが、出雲の領主の娘を生贄に差し出すように要求していた。
それを聞いて、出雲の領主の娘クシナタ姫を救うために、スサノオは十握の剣を武器に旅に出る。
 そして、なんと、スサノオは一人で渡来系盗賊団ヤマタノオロチを退治してしまったのだった。
 なお、スサノオは、渡来系盗賊団ヤマタノオロチの跡地から、製鉄された剣天の叢雲の剣を手に入れている。
 この偉業によって、スサノオは西日本先住民の英雄となる。出雲の領主の娘クシナタ姫と結婚したスサノオは、西日本の盟主として、出雲王朝の開祖となる。ここに、出雲王朝が始まる。
 西日本は、出雲を盟主に六代、時代を重ねたが、スサノオから六代後の大国主の時代に、政変が起こる。
西日本の盟主である出雲の王、大国主に、属国で新興国である大和が盟主の座を明け渡すように要求したのである。出雲の王、大国主は、大和に服従することを誓い、降伏する。
 出雲の王族、建御名方だけが反乱し、大和の軍と戦うが、敗れ、諏訪の地に逃げのびた。
 こうして、西日本の支配は、出雲から大和王朝へと移ったのである。俗にいう「国譲り」である。
 大和王朝の王は、日本神話の最高神である太陽神天照の子孫を名のり、出雲の建国の王スサノオを天照の弟とした。
これにより、大和王朝の王家、いわゆる天皇家がスサノオの子孫(現代にも出雲千家として伝わる)よりも権威ある存在として認められ、君臨した。
 なお、出雲王朝のスサノオは出身地不明の旅人だが、大和王朝の王家である天皇家は風聞ではY染色体が縄文系だといわれており、日本の先住民が、日本の支配権をとり戻したことになる。

2 :記憶喪失した男:2011/11/08(火) 12:26:47.95 ?2BP(1).net
sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
神話
 出雲の建国の王スサノオは、日本最古の竜殺し(ドラゴンスレイヤー)である。
 出雲を継いだ大和の王は、太陽神の子孫である。

スサノオの出身地
 スサノオは、日本列島の北にある朝鮮半島の北東にあった国、渤海の人であるという学説が出されている。
 最近の考古学的、遺伝学的調査では、三万年前から日本に住んでいた縄文系と、
紀元前二百年頃に日本にやってきた弥生系の人々ははっきり異なっており、日本語は、弥生系に由来するとみる傾向が強い。
 この記事の記者が推測するに、朝鮮人、弥生人、ともに、中国江南出身の移民ではないだろうか。
すると、スサノオ、ヤマタノオロチ、ともに、中国江南出身者だと考えるのが自然であろう。

疑問点
 三世紀に卑弥呼の治めていた邪馬台国が、西日本の盟主だったのは確実である。
 邪馬台国は、ヤマト国と読むと考える説が強い。
 すると、ヤマトの古代の王は、女王だったことになり、男性の天皇がヤマトを治めていたという古事記、日本書記の記述と矛盾することになる。
 出雲王朝は、邪馬台国以前、三世紀より前に存在したと考えられる。

http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%87%BA%E9%9B%B2

3 :日本@名無史さん:2011/11/08(火) 15:24:05.11 .net
クソスレ建てんなボケ

4 :日本@名無史さん:2011/11/08(火) 22:18:02.95 .net
神々の国

5 :日本@名無史さん:2011/11/09(水) 22:47:57.27 .net
古代王朝

6 :日本@名無史さん:2011/11/10(木) 12:48:40.71 .net
神聖国家

7 :日本@名無史さん:2011/11/12(土) 13:46:02.75 .net
ネタスレ?
東奈良遺跡は弥生時代初期から巻向と同時代まであった巨大な環濠集落で
あそこが出雲の中心だったんじゃないかと思うけど。

8 :日本@名無史さん:2011/11/12(土) 17:58:49.06 .net
杵築より意宇について語って欲しい

9 :日本@名無史さん:2011/11/13(日) 02:11:14.67 .net
出雲国造家ってあるんだってね。
国造ってクニノミヤツコで読み方あってる?

10 :日本@名無史さん:2011/11/13(日) 15:44:49.66 .net
そうだね。
国の宮つ子っていうことなんだろうね。

11 :日本@名無史さん:2011/11/16(水) 22:44:46.16 .net
>>9
出雲では「こくそう」って呼ぶけどね

12 :日本@名無史さん:2011/11/18(金) 11:41:42.67 .net
>>10
ミヤツコの語源は「御家つ子」らしいけどね
現在でも皇族などに使われる「宮」はもともと「御家(みや=立派な家)」で
立派な家に住む貴人のことを指した言葉

13 :日本@名無史さん:2011/11/18(金) 13:12:18.01 .net
まあ、宮でも御家でも、ミヤにどういう字を当てようと、同じ意味。


14 :日本@名無史さん:2011/11/19(土) 07:37:27.74 .net
こくそう家は古代王朝の血統?

15 :日本@名無史さん:2011/11/19(土) 11:23:03.59 .net
スサノオ−大国主−太田田根子−神朝臣−俺

16 :日本@名無史さん:2011/11/19(土) 11:41:28.09 .net
国造家は出雲本来の豪族で、幽閉された大国主の監視役でしょう

17 :日本@名無史さん:2011/11/19(土) 12:57:16.26 .net
>>2 >>スサノオは、日本列島の北にある朝鮮半島の北東にあった国、渤海の人であるという学説が出されている。

・・・渤海?渤海は10Cの国で時代が違う。スサノオの時代ならユーローだろ。


18 :日本@名無史さん:2011/11/20(日) 00:22:09.40 .net
大国主(縄文人)=日本の原住民の王【龍・蛇】=ヤマタノオロチ
スサノオ(弥生人)=イスラエル10支族の王【牛】
神武(弥生人)=ユダヤの王【ヤハウェ】
みんな同族、宇宙人の子孫

19 :日本@名無史さん:2011/11/20(日) 16:40:37.28 .net
井戸遺跡に見る古来の水環境ttp://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201111140001.html
 出雲市内で発掘された井戸の遺跡を通じ、弥生時代からの生活用水の歴史を紹介する企画展「井戸からのぞく古志
のくらし」が、出雲市大津町の出雲弥生の森博物館で開かれている。12月12日まで。
 古志遺跡群(同市下古志町など)で約160基の井戸の遺構から出土した約70点を展示している。約2千年前の弥生
時代中期、井戸の底で使われていた土器や、直径80〜90センチのケヤキの丸太をくりぬいて作った井戸の側壁
(鎌倉時代)などが並ぶ。ttp://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn20111114000101.jpg
 同博物館は「水は今も昔も生活に不可欠。それぞれの時代の人と井戸の結びつきを想像してほしい」としている。
入場無料。火曜日休館。【写真説明】発掘された井戸の木枠などが並ぶ企画展

20 :日本@名無史さん:2011/11/22(火) 21:25:31.46 .net
>>15
百姓まで落ちぶれたのか.....

21 :日本@名無史さん:2011/11/24(木) 22:16:37.51 .net
>>19
これ面白そう
今度の休みに行ってみよう

22 :日本@名無史さん:2011/11/24(木) 23:37:36.58 .net
年末に出雲行くけど見るとこ大杉w

23 :日本@名無史さん:2011/11/30(水) 05:37:14.98 .net
>>22
俺、去年、三泊したけど、時間全然足りなかった(´・ω・`)


24 :日本@名無史さん:2011/12/01(木) 14:00:28.39 .net
出雲大社見られないんでしょ?

25 :日本@名無史さん:2011/12/11(日) 13:06:16.28 .net
元々邪馬台国は、出雲の神を奉っていたからな

天照が優勢になっていくのは11代垂仁天皇ぐらいから


26 :記憶喪失した男:2012/01/21(土) 12:33:30.65 ?2BP(2).net
sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
ヤマタノオロチが製鉄技術をもっていることから、
ヤマタノオロチが大陸からの渡来人なのは確実。

27 :日本@名無史さん:2012/01/21(土) 12:49:24.58 .net
出雲族から強引に国を奪い取ったのが天孫族なので、
たたらないように、出雲の神をちゃんと祭り、出雲大社も建てたんだろうよ。
天照が優勢になるのは三輪王朝からだし、崇神のところで
やはり王朝が交替してるとみていいだろう。

28 :日本@名無史さん:2012/01/21(土) 21:48:20.30 .net
オオクニヌシ系の王朝は、記紀でも否定しとらんように思うのだが。

29 :日本@名無史さん:2012/01/26(木) 06:50:48.51 .net
ムラクモノ剣が、神器に指定されたのって、製鉄技術の伝搬を意味してるんじゃろか?

30 :日本@名無史さん:2012/02/07(火) 12:25:20.48 .net
待て>>25
11代天皇だと、やはり、8代孝元天皇の大彦命が、素戔嗚尊で妹が天照=卑弥呼なのか?
弟が、9代天皇

31 :日本@名無史さん:2012/02/08(水) 03:21:17.72 .net
っていうか、出雲が西日本を支配した王朝ってのは違うだろ。
考古学的には出雲が影響力を及ぼしたのは
山陰と北陸じゃね?

32 :日本@名無史さん:2012/02/08(水) 07:16:25.72 .net
>>31
あと北陸経由で諏訪

鹿島神宮のタケミカヅチは諏訪からさらに出雲残党を追って茨城まで出ちゃったんだろうか?

33 :日本@名無史さん:2012/02/20(月) 00:36:04.61 .net
 島根県では古事記1300年のイベントがあるらしく、今年は山陰に足を延ばそう
かと思います。まず鳥取県の白兎海岸での白ウサギの話のあと、オオクニヌシの
神は、八十神にいじめられたあたりが鳥取県日野郡あたりで、その後根之堅洲国
のスサノオ神からも試練を受ける。このあたりは島根県安来市の富田八幡宮の
境内社須賀神社あたりになろうかと思います。近くには、古代出雲王陵の丘と
言う弥生大型墳丘墓の一種四隅突出型墳丘墓の密集地帯があるそうです。
イザナミ神の神陵地である比婆山にも寄ってみたい。そうやって島根県
松江市にある黄泉平坂のある揖夜神社に寄って、出雲大社や古代出雲歴史
博物館のある島根県出雲市へと向かいます。こうやって、オオクニヌシの神
の移動に合わせて観光するのも一興だと思います。古代歴史博物館に飾ら
れている錆びずに出土した奇跡の大刀は、中間地点の安来市から出土した
らしく、ここはたたら吹き製鋼法を伝える和鋼博物館や、日本庭園世界一
の足立美術館などもあります。


34 :日本@名無史さん:2012/02/20(月) 06:12:03.57 .net
公共交通が貧弱なのでレンタカー借りるほうがいいですよー。
最近はパワースポット観光バスがあるのでメジャーどころだけならツアーで回れますが。
揖夜神社と黄泉比良坂はちょっと離れてるので注意して下さい。
黄泉比良坂はぶっちゃけ住宅地の中のただの坂なのであんまり面白くないですw
出てないところだと、八雲神社とか八重垣神社もお勧めです。
古墳はそこら中にありますので、どこでもそれなりに見るものがあります。

35 :記憶喪失した男:2012/02/22(水) 14:20:53.55 ?2BP(3).net
sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
>>31
ヤマトに国譲りしたことから、
ヤマトの領土も影響力の範囲内だと考えた。

36 :日本@名無史さん:2012/02/22(水) 18:22:11.02 .net
>>33
出雲視点           高天原視点
八十神にいじめられた = 乱暴者のスサノオ追い出した

たぶん同じ出来事

37 :日本@名無史さん:2012/02/22(水) 18:44:50.37 .net
>>32
「毛野国」がもともと出雲と同族だった。

38 :日本@名無史さん:2012/02/22(水) 21:50:08.73 .net
 でも千年の秘技、たたら製鉄が行われているみたいだし。

39 :日本@名無史さん:2012/02/23(木) 01:52:02.08 .net
アメノムラクモが鉄剣かはわからないぞ
江戸時代除いてみたら、石の剣だったというゴシップもある

40 :日本@名無史さん:2012/02/29(水) 19:54:58.79 .net
 言語解析ソフトで国宝、真福寺本の原文を分析していくとどうしても
須佐之男=日立ってなってしまうんだよな。なんでだろう?

41 :日本@名無史さん:2012/02/29(水) 21:26:40.05 .net
スサノヲは秋津島に降り立った天つ神の先駆者=パイオニア=日立

42 :歴史の旅人:2012/03/02(金) 09:44:53.95 .net
理解するのはかなり骨が折れるようですが、どうも邪馬台国は出雲にあったようです。
http://kodai21-s.sakura.ne.jp/

43 :日本@名無史さん:2012/03/02(金) 18:38:13.23 .net
建速須佐之男命

これってほんとうはなんて読むの?

44 :日本@名無史さん:2012/03/02(金) 21:39:59.01 .net
タケハヤスサノヲノミコト

45 :日本@名無史さん:2012/03/02(金) 23:43:53.91 .net
速須佐~かあ

46 :日本@名無史さん:2012/03/03(土) 00:06:24.84 .net
底筒之男命
中筒之男命
上筒之男命

こおゆうのを略して

「ツツノヲ」とはいわんじゃろな

「スサノヲ」のはなんかへんだよ。

47 :日本@名無史さん:2012/03/03(土) 00:09:52.73 .net
「建速須佐之男命」の「佐」は「佐治國」の「佐」だしね。

48 :日本@名無史さん:2012/03/03(土) 01:39:54.32 .net
でも、タケミカヅチやタケミナカタの『タケ』は尊称と言うから、それを取って『ハヤスサノオ』でも良いと思う。
あとクマソタケルやヤマトタケルやイズモタケルの『タケル』や、
タケシウチノスクネの『タケシ』なんかもそう。


49 :日本@名無史さん:2012/03/03(土) 02:22:04.22 .net
出雲の末裔って三輪族なん?

50 :日本@名無史さん:2012/03/05(月) 00:15:13.70 .net
近畿地方まで出雲だった説ならそうじゃね?

51 :日本@名無史さん:2012/03/05(月) 07:26:08.64 .net
オオナムチって出雲大社と大神神社の両方の主祭神だしな
マジ大物

52 :日本@名無史さん:2012/03/05(月) 22:01:58.69 .net
オオナムチは元々、倭国の元首



53 :日本@名無史さん:2012/03/05(月) 22:47:18.03 .net
オオナムチの出生地は吉武高木だな

かあちゃんが 刺國大~之女 名刺國若比賣

54 :日本@名無史さん:2012/03/05(月) 23:36:17.75 .net
オオナムチ。
オオ(オホ)は尊称。
ナは国道や領土など。(ナラなど)
ムチは尊貴で特別な人の敬称
オホナ=大国。ムチ=大王(ムチが付与されるのは大日霊女貴命と雅日霊女貴命と大己貴命のみ)。
オオナムチで大国主命(大国を統治し数多の国を従える大王陛下)



55 :日本@名無史さん:2012/03/06(火) 03:45:24.43 .net
刺國って須佐のことじゃないのか?
まあ近所で那国の勢力圏だろうけど

56 :日本@名無史さん:2012/03/07(水) 18:50:28.56 .net
>>49
三輪氏、加茂氏が出雲神族で、国造は出雲臣族。
王朝の末裔は前者でしょうね。

57 :日本@名無史さん:2012/03/08(木) 04:20:10.70 .net
三輪族、諏訪族って言うけれど、
もしおれが該当するならすわだな。
三輪って言う顔してない。
本籍も諏訪町だし

58 :日本@名無史さん:2012/03/08(木) 07:05:56.77 .net
三輪一族で一番メジャーな人って、三輪〈カイザー〉清宗だろうか
魔術考証家の

59 :日本@名無史さん:2012/03/08(木) 15:07:50.92 .net
出雲大社→千家家
大神神社→高宮家

三輪氏の本家も脈々と続いてきている。

諏訪はどうなってるんだっけ?

60 :日本@名無史さん:2012/03/14(水) 22:44:09.68 .net
おれも出雲族の末裔だろうか・・・。王族?

61 :日本@名無史さん:2012/03/20(火) 19:11:30.56 .net
 まあ日立金属さんだったら御存じかもしれませんね。

62 :日本@名無史さん:2012/03/20(火) 20:40:52.54 .net
ねえ、日立市だとどんな王朝とか部族に入りますかね
鹿島からも離れてるし、日立製作所もなかった時代は
土着信仰かなんかですか?

63 :日本@名無史さん:2012/03/22(木) 21:19:23.80 .net
 単純に考えて、出雲地方の出土品や古墳は北九州や近畿と明らかに違うし、タタラ製鉄も、鉄資源も後代まで続くから、一つの大きな勢力だった事は間違い無い訳で、それを無視して、畿内で国譲り神話を考える事は出来んわな。

64 :日本@名無史さん:2012/03/23(金) 09:48:20.27 .net
出雲に国譲りを強いたのは、九州勢力か、
畿内勢力かわからない。

出雲で発達した製鉄で考えるなら、九州は輸入鉄が比較的豊富だから、
必死で出雲を欲しがったのは畿内勢力と思えるが。

65 :日本@名無史さん:2012/03/23(金) 09:53:30.67 .net
 スサノオのヤマタノオロチ退治というのは、出雲王のたたら製鉄民の支配話
なんでしょ?

66 :日本@名無史さん:2012/03/23(金) 09:57:13.99 .net
大国主はスサノオの子孫だな。

67 :日本@名無史さん:2012/03/23(金) 10:04:04.92 .net
子孫であって同じ神魂で同体異名だったりするんですかね

68 :日本@名無史さん:2012/03/23(金) 10:11:27.10 .net
一応、古事記によると、大国主はスサノオの6代後ということらしい。

69 :日本@名無史さん:2012/03/23(金) 11:18:30.88 .net
>>64
 そうそう、俺が言いたかったのは>>7当たりで東奈良とかって出て来たから、畿内内部の話が拡大したんじゃなくて、纒向が東奈良に国譲りを迫ったような話でなく、神話と同じく素直に、近畿勢力が出雲勢力を服属させたんじゃないかというつまらない話です。

70 :日本@名無史さん:2012/03/24(土) 00:48:08.14 .net
>>69
ところが、そうすると「国譲り(支配者交代)」ではなく、単なるローカルな地方征服物語になってしまう。
>>63が諸刃の剣なのはここで、
「出雲の独自性」というのは、実は出雲の「ローカル性」に繋がるため、
話がずれていってしまう。
日本各所にある出雲系神社の縁起を、つなぎ合わせてそのまま鵜呑みにすれば、
山陰から関東東北まで、日本列島の大半の地域にあまねく広がる「島根人が支配する大出雲帝国」があって、
それを大和朝廷が乗っ取ったという話にならざるを得ないが、これは考古学とは完全に矛盾する。

これを説明するため、「出雲の国譲りは、実は奈良盆地内部の話じゃね?」などという立論がされることになる。
俺自身は、
・天孫族が、先住民、とりわけ東国の先住民を征服したというプロトタイプ物語があった
・しかし、この征服譚をそのまま神話にすると、東国の反感を買ってしまいまずい
・島根県には、よく知られるローカル勢力が存在した
・プロトタイプ物語の虚構の舞台として、島根勢が選ばれ、「出雲神話」として仕立て上げられた
という仮説を持っている。その「物語」を尤もらしくする舞台として、出雲大社が巨大建造物として建てられた。

71 :日本@名無史さん:2012/03/24(土) 07:10:48.67 .net
>これは考古学とは完全に矛盾する。

どの辺りで矛盾するの?
各地の主要な王朝には出雲族が関係していたと考えられないのかな?

72 :日本@名無史さん:2012/03/24(土) 12:23:44.02 .net
>>71
だからさ、埼玉の氷川神社を掘ったら、弥生期・古墳期の島根固有の遺物が出てきたりするのかね?
栃木の前方後方墳を掘ったら、島根固有の遺物が出てきたりするのかね?
奈良の前方後方墳を掘ったら、島根固有の遺物が出てきたりするのかね?

いずれもあり得ない。少なくとも現状の考古学では聞いたことが無い。
出雲系遺物が出てくることで有名なのは、神戸にぽつんとある前方後方墳だが、あれは例外中の例外だ。

島根の発掘が進んで、固有の文化性が明らかになったということは、
実は、「出雲の普遍性」にとっては、皮肉にもとどめの一撃になったんだよ。
逆に言えば、出雲文化は全国に広まって「いない」ことが分かったわけだから。

73 :記憶喪失した男:2012/03/25(日) 21:10:41.21 ?2BP(3).net
sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
現在の古代出雲研究はどのくらい進んでますかね?


74 :日本@名無史さん:2012/03/28(水) 09:38:40.89 .net
>>72
それって戦国時代の城郭を見て室町幕府は存在しなかったって言ってる感じじゃないのかな?
前方後円墳が作られた邪馬台国の頃は乱世だったんでしょ?

でもまあ那国=根の国=出雲王朝って程度の規模なのかもしれないけど

75 :日本@名無史さん:2012/03/28(水) 23:20:18.53 .net
>>72
言っていることは理解できるが、まず弥生時代から始めるべきだと思う。

そもそも、荒神谷や加茂岩倉の解釈も定まっていないのに、独自性や普遍性を論じるのは時期尚早。荒神谷などは「農道」の工事がキッカケ。宅地造営などで掘りまくっている北九州や畿内とでは発掘回数が全く違う。なのに、総出土数は多い。勿論、これは青銅器の話。

つまり、弥生時代に出雲の黄金期があり、宗教的先駆としての役割もあったとしても良い。古墳期はむしろ下り坂の時期と考えられなくもない。
なのに、そこを論じないで前方後方墳の例え話をするのはどうかと思う。

第一、最古式の銅鐸ともいわれる菱環鈕式の僅か7鐸中、1つが荒神谷出土。巨大墳墓としての四隅突出型の出現期の早さ。
影響を与えられた側というよりは、与える側だったように思う。

76 :日本@名無史さん:2012/04/02(月) 14:31:51.02 .net
考古学的成果とやらは絶対的基準には成り得ないよね。

>>75が言うように発掘頻度、発掘場所にムラがあり過ぎる上に、
遺物の「流行」が廃れたり変化したりした(例えば銅鐸)あとに、勢力が移動した可能性だって考えられる。

まあ俺は基本的には、出雲士族の関東移住はその上澄み部分だけで、それらと在地勢力の首長一族との招婿婚によるものとは考えているけどね。

招婿婚というより「招種婚」といっても良いかもしれないな。

日本におけるこの婚姻文化は神代の時代から現代まで続いてるよ。

77 :日本@名無史さん:2012/04/07(土) 09:42:17.15 .net
>>70
>・島根県には、よく知られるローカル勢力が存在・・・・・
とすると、ご自身も言われる山陰・近畿・北陸日本海沿岸の気多神社、
東海の野見神社、関東の氷川神社などの日本各所にある出雲系神社>>70は、
どう説明されるのですか?
出雲系神を奉じる出雲部族の移住植民と領地化の痕跡ではないとでも?

78 :記憶喪失した男:2012/04/12(木) 15:34:57.98 .net
建御名方が諏訪でかくまってもらえたことから、出雲王朝の支配領域は長野県を含めていたと考えている。


79 :日本@名無史さん:2012/04/12(木) 16:22:51.80 .net
>>78
薩長に倒された徳川将軍家が静岡で存続するのを許されたのと同じようなものだな。

80 :日本@名無史さん:2012/04/12(木) 22:25:30.47 .net
兄に追われた九郎判官義経が奥州藤原氏にかくまわれたようなものです。

81 :日本@名無史さん:2012/04/12(木) 23:51:41.99 .net
でも義経は奥州でヌッ殺されちゃったでしょ

82 :日本@名無史さん:2012/04/14(土) 09:34:21.20 .net
兄に殺されたのは義経の影武者で、義経自身は大陸に渡って後にジンギスカンと呼ばれるようになる。
そして、アジア大陸を制覇し、故国日本の地を踏むべく大軍を送ったのだけれど、
神風によって、夢破れたのであった。おしまい。

83 :日本@名無史さん:2012/04/15(日) 21:39:21.97 .net
出雲王朝の末裔という當當雄氏の伝承は、どういう扱いなの?
トンデモ?

84 :日本@名無史さん:2012/04/23(月) 12:32:19.17 .net
 その大刀は1911年に発見されたらしい。ちょうどそのころ(1913)、安来鉄鋼合資会社
(現;日立金属安来工場)の伊部喜作という人物が、玉鋼に合金元素を添加して東洋で初の高速度工具鋼(ハイス)
を開発したらしい。それ以来、日立金属になってまでずっとハイス国内シェアーは第一位。
つまり、ハイス国産100周年というのが来年にあたる。なにか匂わないか?

85 :日本@名無史さん:2012/04/25(水) 20:00:05.15 .net
>>70です。
>>77>>78
出雲と越(東日本の日本海側)には、深い関係があることは全く否定しないよ。
そのまま新潟くらいまでは、緩やかな交易関係があったと思われる。

だが、出雲(山陰)は、地理的に、東日本の【太平洋側】とは、関係を持ち得ない。
近畿地方を突っ切って、国土軸線を斜めに切り裂かなければならないので、これは地理的に無理。
だから、諏訪も埼玉も、山陰とは確実に関係が無い。
どちらも、真の故郷は東海西部(今の中京地方周辺)ではないかと思われる。
諏訪の「出雲神」部族は、おそらく今の愛知県豊橋市あたりが直接の故郷とすると、
地理的にも神社の縁起としても、自然な説明が出来る。糸魚川は銅像まで建てたが、あれはコジツケだ。
武蔵国の「出雲系」は、今の静岡もしくは山梨経由だろう。これも考古学と一致する。
古い関東の勢力は、大雑把に言って、毛野と武蔵が対立するが、
これは、碓氷越えの東国勢と、足柄もしくは大月越えの東国勢の二派があったと考えれば、ごく自然に理解できる。
中部山岳の山脈の方向(北北東−南南西)を考えれば、結局は双方東海西部が一応の故郷ということになるだろう。
東海地方以前に、どこにいたのかは、それは分からない。
東経137度の進出東端に達した「遠賀川式土器集団第一陣(=弥生人第一陣)」の、ずばり末裔ではないかとも思う。

86 :日本@名無史さん:2012/04/26(木) 21:41:09.15 .net
大和王朝が出来る前に
敦賀あたりから南下してきたんでしょうかね

87 :日本@名無史さん:2012/04/29(日) 14:31:59.75 .net
出雲地方の神社に祭られている神様の名前の多彩さには、驚かされる。
他の地方のいかにもよそからの神様を勧進いたしました的なコピペみたいな神社
とはまったく別。あれは、出雲が他と違う文化圏だったことの証なんじゃないかな。



ま、行ったことないんだけどな、、、出雲

88 :日本@名無史さん:2012/05/02(水) 21:59:46.27 .net
>>87自分の目で確かめることは大切ですよ。
行けばいいんじゃないの?

89 :日本@名無史さん:2012/05/07(月) 08:51:40.28 .net
古代出雲王国−スサノオの光と影−53 被差別民の真実−彼らは出雲族 ...

http://ameblo.jp/shig1956/entry-10270407634.html
2009年5月29日 ... 金刀比羅宮の章でみたように、ニギハヤヒが統治した、愛媛県では、 ... 大正 元年(
1912年 )、明治天皇 の葬送にあたり、喪宮 から葬礼場まで棺を陸海軍 いずれの

90 :日本@名無史さん:2012/05/11(金) 14:46:00.97 .net
>>87
免許持ってるなら、是非行くといいですよ。
事前に史跡関係を調べて、出雲関連の神話等をもう一度読んで、それぞれの資料や
神社を見ていくと、実に面白いです。自分は出雲神社と古代出雲歴史博物館程度で
「はひぃ」となってました。

石見銀山ブームもかなり落ち着いたので、宿もとりやすいと思います。


91 :日本@名無史さん:2012/05/18(金) 18:51:12.58 .net
>だが、出雲(山陰)は、地理的に東日本の【太平洋側】とは関係を持ち得ない。

直接的な関係は持ち得ないだろうね。
また、関東は東海の影響を確実に受けるし、関係もまた当然あるだろう。
一経済圏で飢餓が起きれば、生き延びる為には隣接する経済圏と交流せざるを得ず、その過程を経て文明圏を確立していく訳で(その後の隣接蛮国による被侵略文明継承)。

逆に、日本という文明圏が確立していない時代に於いて、出雲(や北九州、畿内等)の影響、関係が間接的にも無い、なんてことも有り得ないだろうね。

インドと日本には直接的な関係はないけど、日本の仏教は紛れもなくインド産な訳で、そういう話が日本ではし難いのかねえ

92 :日本@名無史さん:2012/05/22(火) 00:24:25.66 .net
>>88, 90
やっと書き込めるようになった…。
行ってみたいなぁ、できたら一ヶ月ぐらいかけてじっくり旅してみたい

93 :日本@名無史さん:2012/07/01(日) 16:28:01.53 .net
>>90
出雲人から一言

これから神話博はじまっから観光客めっさ来る

94 :日本@名無史さん:2012/07/19(木) 06:57:07.91 .net
なぜ出雲に王朝ができた?鉱山のせいか?

95 :日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:00:19.91 .net
元々出雲の都が伊都だろう。

96 :日本@名無史さん:2012/07/21(土) 23:36:25.34 .net
島根よりも
出雲隠岐という地名の方が格調高く聞こえる

97 :日本@名無史さん:2012/07/22(日) 00:25:25.20 .net
>>1
ヤマタノオロチは北陸じゃないの

98 :日本@名無史さん:2012/07/23(月) 00:51:39.64 .net
 いずれにしても、九州王朝を仮想してみても、古事記の内容は完璧に別格で、
天皇家の本当の祖先が出雲にいたと解釈するのがなんとなくあっている。それを
ねじ曲げた、摂家神道が問われるべき。

99 :日本@名無史さん:2012/07/23(月) 12:30:28.36 .net
>>98
出雲って文化が独特なんだろ
土器の形も出雲大社の形も畿内とは相いれない

100 :日本@名無史さん:2012/07/23(月) 13:31:40.87 .net
大まかには、出雲が先行し日向が簒奪。
但し、どちらも祖を同じくする同族。

このあたりは神話で高天原での天照大神(大日霊女貴命♀/日向王朝)と素戔嗚尊♂(出雲王朝。わが国の太祖)の誓約で御子を化成する場面の記述が
政略結婚して御子(五男+三女神=八御子神/実際はもう少し少ない模様)をもうけたことを著しているかと。

時代が中古に移って、ある天皇は、
・・・素戔嗚尊はわが国の本主たり。依って津島牛頭天王社(津島神社/牛頭天王=素戔嗚尊)をわが国の総社と崇め奉るなり云々。
また、伊予一宮、大三島鎮座の大山祇神社は朝廷より日本総鎮守を以て奉られ尊崇をうける。
その大祝家(神主家)は素戔嗚尊からの神裔を以て神代から直系八十数代を以て祭祀するを公称(宝物殿で家系図を公開)。
神代からの習いとして祭神を鎮祭するにその神主家は祭神の子孫(神裔)でないと祭神も鎮まらずまともに祭祀出来ない云々とは記紀の端々に度々しつこく記述されているところ

古来、皇居/都の付近には必ず素戔嗚尊並びに異名同神が配されて鎮祭。
京都は正に素戔嗚尊だらけ。



総レス数 1001
328 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200