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古代出雲王朝は実在した
- 1 :記憶喪失した男:2011/11/08(火) 12:26:00.54 ?2BP(1).net
- sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
「古代出雲」
日本の歴史において、まだ学術的に不確かな古代王朝。
西日本を中心に支配した大和王朝の以前に、西日本を支配していた最古の王朝である。
出雲が日本の古都のひとつである証拠に、日本神話の八百万の神々は、十月、神無月に出雲に集まり、出雲地方では、十月を神在月と呼ぶ。
歴史
出雲は、もともと、小さな国にすぎなかった。当時の西日本には、渡来した中国系盗賊団が住み着いており、先進的な武器を背景に、日本の先住民を支配し、搾取していた。
そこに、出身地不明の旅人スサノオがやってくる。スサノオが出雲に来た時、渡来系盗賊団ヤマタノオロチが、出雲の領主の娘を生贄に差し出すように要求していた。
それを聞いて、出雲の領主の娘クシナタ姫を救うために、スサノオは十握の剣を武器に旅に出る。
そして、なんと、スサノオは一人で渡来系盗賊団ヤマタノオロチを退治してしまったのだった。
なお、スサノオは、渡来系盗賊団ヤマタノオロチの跡地から、製鉄された剣天の叢雲の剣を手に入れている。
この偉業によって、スサノオは西日本先住民の英雄となる。出雲の領主の娘クシナタ姫と結婚したスサノオは、西日本の盟主として、出雲王朝の開祖となる。ここに、出雲王朝が始まる。
西日本は、出雲を盟主に六代、時代を重ねたが、スサノオから六代後の大国主の時代に、政変が起こる。
西日本の盟主である出雲の王、大国主に、属国で新興国である大和が盟主の座を明け渡すように要求したのである。出雲の王、大国主は、大和に服従することを誓い、降伏する。
出雲の王族、建御名方だけが反乱し、大和の軍と戦うが、敗れ、諏訪の地に逃げのびた。
こうして、西日本の支配は、出雲から大和王朝へと移ったのである。俗にいう「国譲り」である。
大和王朝の王は、日本神話の最高神である太陽神天照の子孫を名のり、出雲の建国の王スサノオを天照の弟とした。
これにより、大和王朝の王家、いわゆる天皇家がスサノオの子孫(現代にも出雲千家として伝わる)よりも権威ある存在として認められ、君臨した。
なお、出雲王朝のスサノオは出身地不明の旅人だが、大和王朝の王家である天皇家は風聞ではY染色体が縄文系だといわれており、日本の先住民が、日本の支配権をとり戻したことになる。
- 283 :日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:38:35.07 .net
- ほら、お前らの為にまとめてやったぞ
倭国の覇者の変遷 大国主→卑弥呼→大国主→天孫族 へ
倭国はざっと
大国主(金印をもらった倭奴国王から代々)→卑弥呼→大国主(倭奴国王の王統)→天孫族
へと支配者が変わったんだよ。ざっとだぞ。また必死に壹與がいるとかちゃちゃ入れるなよ。
卑弥呼が女王となった倭国は魏志倭人伝の頃の 一時的 にという事だ。
倭国連合が乱れ 卑弥呼 が共立され倭国・邪馬台国の一大卒、伊都国の大国主の元にいたという事だ。
そしてその卑弥呼が直接治めるのが 伊都国のすぐ北の斯馬国〜奴国までということだ。
つまり奴国までが倭国だ。
何故卑弥呼が斯馬国〜奴国までかというと伊都国は倭国にとって代々大国主が治める特別な存在(聖地)である。
天孫族はその間ずっと大国主が治める倭国〜卑弥呼が治める倭国とずっと斯馬国を拠点に
倭国を形成する一国の王、豪族として暮らしてたわけだ。
これが「神武以前の32世は筑紫の日向宮に都があった」につながる。
朝鮮の文化は支配下だった朝鮮半島から流入したもの。半島人が伊都国や斯馬国やその他の
倭国の国に家来として入ってきたものだろうな。
証拠に、天孫族はことあるごとに、自分たちの故郷は「筑紫(福岡)」「筑紫(福岡)」と明言してる。
もし、天孫族が半島人なら筑紫を治める前に自分たちは「韓国のどこどこからやってきた」と明言するだろう。
「筑紫」はことあるごとに明言するのに、「韓国」を明言しないという事は、天孫族の故郷は「筑紫福岡」だという事だ。
もちろん家来や普通の一般人として半島人が混ざってたのは否定しない。
- 284 :日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:39:28.14 .net
- そして、天孫族は次第に倭国内で影響力を大きくし、倭国の超名門「伊都国(倭奴国)」を落とす。
これを、 「天孫降臨」 として記紀に記したのだろう。
(これは小大名だった織田信長が大国美濃を攻略し尾張美濃を領する大名になった時に
天下に知らしめした 「天下布武」 と同じ境遇だろう。)
記紀には 天孫降臨 の際、戦闘があった事は明記されてる。
つまり、朝もやを掻き分け(奇襲か??)伊都国を陥落させる。
その作戦成功の爽快感から伊都国の高千穂に立ち、
「この地は韓国に向かい笠沙の御前を真来通り朝日が真っ直ぐ刺し夕日がよく照る所。故に吉き地なり。」と
感激したのだろう。
ちなみに俺はこの「笠沙の御前を真来通り」という表現。
これは倭国の「歴代の倭国王の王墓(古墳)の御前を真来通り」という事なんじゃないかとも思う。
実際に伊都国には古代より王墓と呼ばれる副葬品も素晴らしく豪華な古墳が多数存在する。
そして息子が治めていた伊都国を落とされた博多湾岸の大国主は
「この国を差し上げる。その代わり私のすむ所はあなた方が住むのと同じぐらい大きな宮殿を建てて欲しい。
そうしたら私の百八十神(安曇・宗像等々)は事代主神に従ってあなた方には背かないだろう。」
といい倭国の国外の遠い所、出雲に追放(移住)される。
ここに天孫族による倭国の乗っ取りが成功するという事だよ。
そして筑紫の覇者になった天孫族は、筑紫の国土自体を天孫族が作った国産みや
筑紫の神々(豪族・王)は天孫族に支配されるべき事を正当化するために筑紫神話や古事記があるという事だ。
日本書記は後に筑紫から派生した大和がつごうよくもじっただけなんだよ。
ちなみに博多湾岸の大国主の地、千代の近くに「堅粕・かたかす」という地があり、
交差点名は「潟州・かたす」なんだな。 なんとも意味深だな。
要するに、倭国の聖地は糸島の伊都であり、天孫族の聖地はその北の斯馬(志摩)だろうな。
君が代も最終的には志摩の桜谷神社につながる。現代の聖地も伊勢志摩という事実もなんとも感慨ぶかいな。
- 285 :日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:58:54.69 .net
- いつか俺が書いた一連の
>>271-276 >>283-284 の説ををまとめてパクった 本 を
別人が出版しそうな予感ww
そん時はお前らが、その説は俺が唱えてた説だと証人になれよ。
- 286 :日本@名無史さん:2014/01/06(月) 20:12:01.76 .net
- >>285
名無史は遠くで吠えろ
- 287 :筑紫倭皇帝:2014/01/06(月) 23:01:16.97 .net
- >>286
コテつけたったぞ。よろしくな。 それから>>274を改訂
「邪は伊都に届き傍ら斯馬に連なる」
(邪馬台国の都は伊都国にあり、傍ら(すぐ北の)斯馬国から福岡平野へと連なる)
倭人伝「女王国(伊都国)から以北(志摩国)はその戸数・道理はあえて省略する。(志摩国〜奴国までが近い)
その他の国は遠絶にしてあえて詳らかにすべからず。次に斯馬国あり〜奴国あり。ここが女王国(福岡平野)の境界である。
その南に狗奴国(久留米付近)あり。女王に属せず。」
何故、魏使が伊都国の方角を間違えたか??
それは魏使が帯方郡よりひたすら南下してきたゆえに、
まさか筑紫福岡が北方面(上陸地点より北に行く)にも伸びていると魏使の頭にはなかった。
魏志倭人伝:「場所はおよそ(倭国がある九州島)会稽郡東治(紹興市)の東にある。」
この倭人伝の記述にあるようように
自分たちがまさか北に向かっているとは全く頭になかった。
ずっと基本は南に向かっていると勘違いしたのだ。
北に向かうという概念が倭国を訪れた魏使には全くなかったのだ。
※(北に向かう=朝鮮半島に戻る=おかしい)←この事よりあえて東南と記した可能性もある。
参考資料:http://www.j-real.com/ta-san/yamatai/map3.jpg ←当時の魏使に北に向かうという概念が無かった証拠。
(九州島は正に(当に)会稽郡東治(紹興市)の東にある。)
魏使は帯方郡よりずっと南下してきた故(倭人伝にあるように倭の地は南と思い込んでいた)
まさか自分達が北に向かっているとは思っていなかった。
故に、九州に上陸して実際は北東に向かったが、
自分たちは基本は南下していると勘違いをおかし方角を東南と記してしまったという事だ。
大体の古代史の流れ、大まかな謎は俺がこれで何の矛盾もなく説明してしまったな。
素直に歴史書の記述や考古学的物証を客観的に判断すればおのずと答えは出てくるものだよ。
- 288 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/08(水) 14:13:32.34 ?2BP(1000).net
- sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
天皇家、徳川将軍家の遺伝型がともに、D2系の縄文系だと確定した。
これにより、出雲、大和が弥生系の征服王朝であるとするわたしの主張は、
完全にくつがえされたことになる。
出雲は、初代スサノオが旅人であることから渡来系かもしれないが、
天皇家は縄文系であり、神武は縄文系ということになる。
- 289 :日本@名無史さん:2014/01/08(水) 22:25:01.61 .net
- ここでは誰からも相手にしてもらってないな。オウム福岡教徒。
- 290 :日本@名無史さん:2014/01/08(水) 23:34:07.02 .net
- 弥生系は、渡来、特に、後期渡来の百済渡来の遺伝形質と思う。
- 291 :日本@名無史さん:2014/01/17(金) 20:55:49.26 .net
- >>290
渡来人とかはほとんど日本人の遺伝子プールには影響与えてない。
文化的にはインパクトは与えてると思う。仏教の発展とか。
- 292 :日本@名無史さん:2014/01/18(土) 02:48:04.90 .net
- >>288
縄文系どころか、旧石器時代からだぞ。
日本のD2系が、Dから分岐したのは。
少なくとも、他のDから分岐して3万年くらい経過していると言われておる。
まだ、ネアンデルタール人がいたような時代からだ。
- 293 :日本@名無史さん:2014/01/18(土) 02:49:23.62 .net
- >>288
皇室や徳川家(地祇系賀茂氏)だけじゃなくて、藤原氏も
D2系の可能性が高い。
- 294 :日本@名無史さん:2014/01/18(土) 03:36:11.61 .net
- 徳川家が加茂とか、家紋で判断とか大河内だのでたらめすぎるわ
- 295 :日本@名無史さん:2014/01/18(土) 19:20:46.47 .net
- 徳川家が賀茂だというのは、家紋からだけじゃないぞ。
賀茂氏といっても、大きく分けて二通りの家系があって
徳川家の賀茂氏は、地祇系の賀茂氏。
この一族は陰陽道で有名。
- 296 :日本@名無史さん:2014/01/18(土) 19:58:14.08 .net
- 賀茂は土蜘蛛の可能性がある。
賀茂を「ガモ」と呼んで鬼・妖怪といった意味で用いる地方がある。
- 297 :日本@名無史さん:2014/01/18(土) 20:46:53.56 .net
- >>296
お前のトンデモには興味ない。
地祇系の太田田根子命の賀茂氏は、元は三輪氏で、
天神系のカミムスビ系の賀茂氏の婿に入って賀茂氏を名乗った一族のこと。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02148.htm
- 298 :日本@名無史さん:2014/01/18(土) 21:19:40.38 .net
- >>295
なら家紋以外を証明してくれよ
松平家でなく家康のことだからね?
- 299 :日本@名無史さん:2014/01/18(土) 23:05:51.52 .net
- >>298
徳川氏系図
http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/sengoku/tokugawa/tokugawa_1.html
徳川氏系図補足
http://keizusoko.yukihotaru.com/tokugawa_zakkan/tokugawa_zakkan1.html
- 300 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 00:11:25.65 .net
- だからさ、系図上なら、豊臣一門の木下も浅野も蜂須賀も小飼衆もみんな源氏庶流や北家だよ
今流行の目薬やの黒田も宇田源氏庶流になxとるわあくだらない
- 301 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 09:40:42.71 .net
- 徳川家は自称源氏だけど、どうみても、賀茂氏だろう?って話。
清和源氏の世良田氏の末裔の時宗の僧が松平家に
入り婿した話なんて出木杉ってこと。
賀茂氏は古代からの由緒ある家系だけど
中世においては微妙な一族。
中世においては、源平藤橘じゃないと出世で不利。
- 302 :301:2014/01/19(日) 09:48:55.07 .net
- 実は、あのあたりには、徳川家の本当の出自に関する伝承が多く残っていて
もともと、室町期に賀茂氏の所領の中に三河国松平郷があって、
賀茂氏の傍流として松平家がおこった。
そこに在原氏系の人物が婿に入ったのが松平信重。
そこへ再び賀茂氏系の婿に入ったのが、賀茂親氏で、名を松平信武にあらためている。
三河国松平郷を舞台に松平家が起こり、
そこで在原氏系と賀茂氏系が婚姻関係を繰り返したことも分かっている。
では、なぜ、源氏伝承が生まれたのかというと
実は、松平信重のもとに別の入り婿もいて、それが、後の世良田泰親だった。
つまり、賀茂親氏の義理の弟になるのだが、この人物が世良田源氏だった。
賀茂親氏は松平信武にあらため、長男の信広に松平宗家を継承させ、
これが松平太郎左衛門家になった。
一方、次男に松平信光がおり、これは平野に出て戦国大名になる。
この松平信光は、義理の叔父である松平(世良田)泰親の養子になったのでは?と。
だからこそ、松平信光は、賀茂信光とも、源信光とも名乗っている。
- 303 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 10:53:37.00 .net
- という伝承をまにうけてる馬鹿だとわかったよ
とてつもない山奥の平野にすら住めない賊レベル家系が、コジキ坊主にのっとられたあ後の自称藤原時代の家系図詐欺に尾びれをつけたものを、
更には拡大解釈し、突如世良田源氏改称する家康に信憑性を求めているだけの持論だな
そもそもの世良田が家康が寝言かたった通り存続していたという事を証明してくださいよ
- 304 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 11:00:35.58 .net
- そもそもが傍流なんて言う時点で松平事態に信憑性ないし
- 305 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 11:08:46.20 .net
- 系図なんぞは素人に毛が生えた知識で簡単に偽造できる。
知らぬ人や興味が無い人が見れば、へぇそうなんですか。
知る人が見れば突っ込み所が1箇所2箇所出来るが、そんな箇所は古く辿ればどの系譜にでもある。
各世代でいったい何人子を成したと思っておるのやら。
嫡子でも庶子でも嫡流の血の濃さは同じやぞ。
- 306 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 11:28:23.66 .net
- 系図屋ってのがいてな。
ウチを大層な家にするために偽造系図を書いてもらって、手間代を支払う。
そういう者は結構昔からおったのよ。
自己満足を得るためや素人に見せるレベルの安価なものから、
本物の嫡流への折衝根回しまで含むような高額なものまで。
- 307 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 12:16:16.84 .net
- 〉>>305
庶子と嫡子の血の濃さの話ではなく、庶流傍流なんてDNA検査しなきゃわからないレベルに遡った話してるわけで、
だから島津も頼朝御烙印なんていうトンでも家系まである始末
○○流なんてもう力あるものいったものがち の世界
もうユダヤ的かちかんだよ
要は勝手に名乗り上げ長者と黙認されていたわけだし
- 308 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 12:58:17.13 .net
- 結局
徳川は豊田市あたりの豪農だっただけ
- 309 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 13:30:04.00 .net
- へたすりゃ当時の山奥の反ぐれ
- 310 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 14:27:15.15 .net
- 松平郷は、中世から陰陽道で有名な賀茂氏の所領のあった地域。
http://keizusoko.yukihotaru.com/tokugawa_zakkan/tokugawa_zakkan5.html
- 311 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 14:40:32.35 .net
- つうか、松平は西三河の山奥の山賊あがりだろ。
天下(全国)レベルどころか、西三河平野ですら、荒くれの新参者扱いであって、
岡崎平野には、他の由緒ある武家がたくさんいたから、宣撫にはずいぶん苦労してる。
まあ、それを言えば、皇室も、どうやら宇陀の山賊上がりというのが正解らしいけどね。
いわゆる神武東征神話は、「出九州島」部分、「瀬戸内東進」部分、「大阪平野で敗北」部分、「熊野迂回」部分、
これらは、宇陀から橿原に突っ込んで勝利した最終章とは、もともと別部族の別のストーリーだったように思える。
- 312 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 15:53:21.86 .net
- 応仁の乱の前の15世紀中頃、松平信光の代に既に
足利幕府政所執事の伊勢貞親の被官になっている。
そこそこ名門の出。
というか、三河国と京都に関係が深い一家だった。
- 313 :日本@名無史さん:2014/01/19(日) 16:39:44.78 .net
- じゃあソースだして
それから被官なんて別に加茂市との結び付きえお示すものではいっさいなく、
地元の富裕層だったんだろ
なんせ山賊だからな 山の倭寇だ、そりゃ財力はあったはず
被官は名門だからではなく金しだい h
- 314 :日本@名無史さん:2014/01/22(水) 23:41:07.83 .net
- 名もなき流浪人が、いきないり
そこそこの庄屋の家にあがりこんで
入り婿に入れるわけなかろうw?
徳川家が源氏長者になりたくて系図を偽称したわばkりに
今では、名もなき豪族扱いされているのは、自業自得w
実際は、徳川家は、陰陽師で有名な地祇系の賀茂氏の末裔。
- 315 :日本@名無史さん:2014/01/25(土) 20:42:55.46 .net
- 出雲神権と北斗神拳どっちが…
- 316 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/26(日) 12:15:13.33 ?2BP(1000).net
- sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
あの、質問なんだけど、
神武東征の考古学根拠は存在しないということだけど、
ヤマトタケルの領土拡大の考古学根拠は存在するのかい?
- 317 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/29(水) 11:07:07.51 ?2BP(1000).net
- sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
ヤマトタケルの領土拡大の考古学的根拠は存在しないそうだ。
関ヶ原を掘っても、関ヶ原の戦いがあったことは推測できないといわれた。
- 318 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:5) :2014/01/29(水) 11:11:48.74 ?2BP(1000).net
- sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
有名人のハプログループ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%90%8D%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
やっぱり、天皇家と徳川将軍家の遺伝型は縄文系で確定している。
アインシュタインは、ハム系。
天皇家が縄文系だということは、出雲が島根にあるのは、大陸との交易をするために拠点としたのではないだろうかと推測する。
縄文系 → 出雲系 → 天孫系
すべて縄文系のようだ。出雲系はスサノオが旅人だが。
もう、大陸からの弥生人が来て王朝を作ったというわたしの見立ては、完全に崩れてしまった。
- 319 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:5) :2014/01/29(水) 11:23:01.69 ?2BP(1000).net
- sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
いや、もう、わかった。
弥生人に対する造形は、全部、先入観から来る想像であって、まちがっている。
平安朝のようなおたふく美人が弥生人だとか、つり目が弥生人だとか、全部、まちがいだ。
日本の支配者層はずっと縄文系だったんだよ。
天皇は縄文系だったんだよ。
わかった。全部、勘ちがいだった。天皇が大陸から来た渡来系の征服者だという歴史観は、完全な妄想だった。
- 320 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/29(水) 13:46:55.10 ?2BP(1000).net
- sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
瓊瓊杵尊の墓、可愛山稜って、鹿児島県にあるんだな。
こりゃ、神武東征は本当だなあ。
ぜひ、調査をしてほしい。
- 321 :日本@名無史さん:2014/01/29(水) 14:08:00.69 .net
- >>318
無理だよもう軍事力が無きゃ大和民族の朝鮮ルーツ史観は修正出来ん。
中国の琉球どうのこうのの動きは全てそこだ
- 322 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 03:09:02.54 .net
- 今でも
愛知県には東加茂郡と西加茂郡がある
岐阜県には加茂郡と美濃加茂市がある
加茂氏の勢力圏が広がっていたのは確か
- 323 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:5) :2014/02/04(火) 16:31:29.75 ?2BP(1000).net
- sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
天皇家は縄文系のD2で、
弥生人もO2b1aという日本列島固有の遺伝子だと判明。
日本人の七割は、日本列島固有の遺伝子。やはり、島国なのは大きい。
- 324 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 01:34:47.66 .net
- まあそういうことは日立化成さんより日立金属さんのほうが知って
いる可能性は高い。
- 325 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 04:25:25.87 .net
- D2は縄文どころか
旧石器時代からだろう?
- 326 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 05:08:04.62 .net
- 日本特有のD2は、これと近似の他の地域のDグループとは分離してから
少なくとも3万年経過している。
- 327 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/02/13(木) 11:25:21.73 ?2BP(1000).net
- sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
縄文人がみんなD2かというわけではなく、
D2が主体だが、Oが混じっているようである。
だから、D2が日本列島の先住民だというわけではない。
遺伝子はそこまで厳密には一致しない。
- 328 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 11:57:31.24 .net
- 宗教から歴史、皇室、社会問題まであらゆる情報の宝庫!
本日の講義は【大日本帝国は生きている「裏天皇」】です。
ぜひご覧ください!
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
- 329 :日本@名無史さん:2014/02/13(木) 22:57:24.60 .net
- 少なくとも、天皇家、藤原氏などは、D2だが
D2=縄文ではないということだ。
D2は旧石器時代から日本に渡来していたもので
縄文時代には、すでにD2以外にも
存在していた。
- 330 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/02/28(金) 13:15:05.79 ?2BP(1000).net
- sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
D2縄文とO2O3弥生のちがいは、
D2縄文は、地続きで日本に来た古代人。
O2O3弥生は、海を渡って日本に来た冒険者だという点だなあ。
そして、縄文、弥生、ともに日本人といえる。
注目されてるのは、古墳時代に鉄器と古墳をもちこんだのは、誰なのかということだよ。
古墳の築造は、労働者を酷使しなければできず、明確に支配者、権力者を意味するからねえ。
縄文、弥生より重要なのは、古墳時代の豪族の墓だねえ。
- 331 :日本@名無史さん:2014/03/01(土) 23:24:25.98 .net
- そういえば日立金属さんが古墳時代の大刀がマルテンサイトだったと
学会で発表していましたよね。
- 332 :日本@名無史さん:2014/03/09(日) 18:40:55.06 ?2BP(0).net
- sssp://img.2ch.net/ico/sasugabro32.gif
明治以来の日本政府の大きな課題
http://music.geocities.jp/jphope21/02/2/14A_6.html
日本周辺の王朝の歴史的存在のことだ。
( http://music.geocities.jp/jphope21/01/8/102.html )
- 333 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/03/20(木) 12:02:07.13 ?2BP(1000).net
- sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
人口推計
縄文時代 早期 紀元前 1万年 2 万人
初期 紀元前 6千年 10 万人
中期 紀元前 5千年 26 万人
後期 紀元前 4千年 16 万人
晩期 紀元前 3千 7 万人
弥生時代 紀元前 600年 59 万人
- 334 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=7,xxxP】(1+0:5) :2014/04/11(金) 12:25:41.66 .net
- ぼくのミトコンドリア遺伝子は、Dの弥生人でした。
- 335 :日本@名無史さん:2014/04/11(金) 16:12:13.00 .net
- Y染色体もしらべな
- 336 :日本@名無史さん:2014/04/11(金) 18:45:46.70 .net
- >>333
その人口推計がどこまで正しいのかな?
農耕の開始時期も当初に言われていたよりも早くみつもるようになったので
変えてみる必要がある。
- 337 :日本@名無史さん:2014/04/11(金) 19:00:38.29 .net
- 人口増のパラダイムシフトは弥生期の稲作農耕でしょうね。
紀元前600年なら、弥生時代前期でしょうから、
中期、後期とくるうちに、相当な人口増加があったでしょう。
弥生後期なら、古墳時代と同じくらいの人口はあったでしょうね。
古墳時代は、特に人口が増える理由はありませんから。
- 338 :日本@名無史さん:2014/04/11(金) 19:24:07.27 .net
- 出雲族と新羅の徐福秦氏との間で国譲りを掛けた激しい戦闘の後、
渡来根拠の伊勢斯摩族の後継争いで、融和し、天皇家・伊勢神宮と出雲を共に支える事で
出雲族と秦氏が同化し、中臣藤原氏と成って行った。
- 339 :日本@名無史さん:2014/04/12(土) 09:27:57.39 .net
- トンデモだろうとは思うが、
ナカ氏の臣である鎌足、で、
九州王朝が崩壊後に流れてきた一族、
という話があったな。
- 340 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 13:04:09.27 .net
- 日本の人口が正確にわかってきたのは、江戸時代も後期くらいから。
- 341 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 13:06:18.22 .net
- 弓月君 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B
徐福と弓月の君 ひもろぎ逍遥
lunabura.exblog.jp/i211/
徐福 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8F
要するに、始皇帝徐福が渡来したのが今の九州で
後に、秦王族の弓月君が渡来したのが京都の太秦・・
太秦 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%A7%A6
百済経由の弓月君の秦王家が出雲族の志摩族との縁で渡来し
出雲族となり、後の、伊勢志摩の伊勢中臣氏一族の斯摩氏系譜は
伊勢氏中臣氏にば列していないが、志摩国造家の島族内の総領氏が惟宗島津氏となり
これが、鎌足が名乗り始めの藤原の名の謂れなのでしょうね。
※斯摩氏自体は、伊勢津彦の子孫で、惟宗島津氏が斯摩氏の志摩国造家に入った形なのでしょう。
九州の徐福秦氏の島津氏に従い、島族となり島津を名乗ったのでしょう。
元寇の際、九州薩摩の島津の国に大規模遠征したのが惟宗島津の弓月の君王族の関係。
秦氏 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F
惟宗氏 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%9F%E5%AE%97%E6%B0%8F
- 342 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 13:09:11.57 .net
- >>341訂正。
九州の徐福秦氏も島津氏に従い、島族となり島津を名乗ったのでしょう。
- 343 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 13:26:17.41 .net
- という妄想でした
- 344 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 13:30:43.20 .net
- 大陸の秦朝は、たった20年三代で滅んだ訳で、徐福を頼って、日本へと避難を試みたのでしょう。
- 345 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 15:12:49.46 .net
- >>342
そういうトンデモを言うなよ。
息をするように、トンデモを言うな。
島津氏の本姓は、惟宗氏だったので、秦氏だろうけど、
島津氏の苗字自体は、日向国島津荘の荘官(下司)になった関係からだ。
- 346 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 15:43:39.19 .net
- 世の中、トンデモでできています
- 347 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 17:50:56.98 .net
- なんで、ちょっと調べないんだ?
調べに、トンデモを言うんだよ。
- 348 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 18:14:34.97 .net
- >>345
そんじゃあ・・出雲の大西氏が徐福氏でもいいかぁ・・
- 349 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 18:24:58.31 .net
- 出雲の大西氏と伏見稲荷神社官職の大西氏が同一で秦氏だろうが
四国高知の大西城の大西氏は阿波小笠原氏とだけ先に言っとく・・。
- 350 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 18:32:38.64 .net
- >>345
その島津荘の由来が惟宗島津氏で
九州の島津氏自体が地元の人間で言いのだね?
・・熊襲・隼人・・なんでもない・・。
- 351 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 19:43:45.17 .net
- 調べもせずに、
自分の頭の中の怪しい知識で論を組み立てるなよw
そんなんだから、トンデモ説が連発する。
- 352 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 19:47:18.69 .net
- 島津氏の明確な祖先は分かっていないが、
高い確率で惟宗氏だと思われる。
ただし、惟宗氏は惟宗氏でも、島津氏系図に登場する文化人で有名な惟宗広言ではなく、
鎌倉初期、近衛氏の傘下にあって、軍事貴族だった惟宗忠康の末裔では
と言われている。
この惟宗忠康の家系は、京都にあって
皇族や名門貴族の警備活動をしていた下級官僚の一族。
- 353 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 23:42:17.34 .net
- 流石、大中臣・藤原氏の伊勢志摩社家だけあって
中臣・藤原氏の下の名に、やたら島の付く名前が系譜の始祖代に目立つ・・。
- 354 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 23:47:09.03 .net
- 日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 中臣氏/大中臣氏【4】
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02109c.htm
- 355 :日本@名無史さん:2014/04/13(日) 23:52:15.63 .net
- >>354は、秦や惟だった・・
珍しい名前に島が付く人たち↓
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 中臣氏/大中臣氏【1】
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02109.htm
- 356 :日本@名無史さん:2014/05/01(木) 19:15:19.14 .net
- 伊勢津彦と建御名方命との関係
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/isetuhiko1.htm
倭史人物推定系譜私案
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/keifu/keizu00.htm
伊勢津彦
■「出雲国造いずものくにつくり・千家せんげ・北島きたじま、武蔵国造」推定系図
志摩氏=志麻氏
■「阿波忌部・安房忌部・度会・斎部」推定系図
━神魂━角己利━五十狭布魂━天底立━天背男━櫛明玉[玉祖宿禰祖][出雲国玉作の祖]・・
・・━天日鷲翔矢━・・━志麻名布━
■「物部・石上・和田・建内・蘇我」・「阿部氏」推定系図
饒速日━宇麻志麻治━・・━国志麻━・・
↑
饒速日━宇麻志麻治 可美真手[磯城1神武]━・・
神武天皇家の氏姓判明です。
伊勢志麻の志麻が天皇家の氏姓だった。
志麻国造家の島氏島族が、元伊勢の祠掌や神主・・
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1395470649/
- 357 :日本@名無史さん:2014/05/04(日) 23:46:50.29 .net
- 神無月に各国の首長集めて何してたんだろう?
主従関係の再確認でもしてたんだろうか
歌を吟じあって言霊の力で国にパワーを与えるみたいな
説を折口信夫の全集でちらっと読んだ覚えがあるが、
それがのどかなイメージ過ぎて、どうもピンと来ない。
- 358 :日本@名無史さん:2014/05/05(月) 12:32:45.56 .net
- >>356
越と出雲の関係よりも日本史に直接関係する大阪平野南部大和川流域の邪馬台国と岐阜県九頭竜川流域のクナ国の関係が気になる。
- 359 :日本@名無史さん:2014/05/05(月) 22:10:18.97 .net
- 弥生後期に瀬戸内海で戦乱が頻発して、そのため出雲〜丹波経由での交易路が発達
出雲勢力が伸長したという説はどれくらい信頼性があるんだろ
東海道の勢力がどれくらい近畿、瀬戸内、北九州に影響を与えていたかも気にはなるが
- 360 :日本@名無史さん:2014/05/05(月) 23:07:21.37 .net
- 倭国の大乱に乗じて瀬戸内海に伸びてきた出雲(ウラ)を叩いたのが畿内から派遣された吉備津彦で桃太郎のモデルじゃないか
- 361 :日本@名無史さん:2014/05/05(月) 23:41:54.22 .net
- 出雲でウラだのだと
神武天皇の本姓、宇麻志麻治
浦島太郎が出雲志麻太郎で、神武天皇の前後の世代の話かと思ってしまう。
- 362 :日本@名無史さん:2014/05/05(月) 23:48:07.50 .net
- 松浦姓が、末出雲とも読めてしまう・・。
卜部も出雲部と・・
平で大羅
松平は末大羅
- 363 :日本@名無史さん:2014/05/07(水) 01:29:33.67 .net
- >>356は×
@阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族。
A物部氏・穂積氏のルーツ
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族。
※天太玉命は天日鷲あめのひわし命、手置帆負たおきほおい命、彦狭知ひこさち命、櫛明玉くしあかるたま命、天目一箇あめのまひとつ命をひきいた。
天日鷲命は阿波国忌部等の祖。手置帆負命は讃岐国忌部の祖。
天津彦根命=天若日子命。その子神が、天目一箇命=天御影命で天日鷲命と天鈿女命は、兄弟の神。北伊勢大神(多度神)
- 364 :日本@名無史さん:2014/05/07(水) 08:13:36.37 .net
- >>363の事を調べた結果。
どうも、A物部氏・穂積氏のルーツとは、応神代で氏姓のつながりが観えるが
末代には、島谷氏は居ないようで、やはり
@阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族ルーツの縁で
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族のようだ。
- 365 :日本@名無史さん:2014/05/16(金) 18:37:27.14 .net
- 弥生時代の日本では、山陰出雲、山陽吉備、北陸越など、各地の王国が分立していた。
それは弥生土器や墓制の違いから明らか。
古墳時代になって、それらいくつかが統合して全国王権となった。
- 366 :記憶喪失した男:2014/06/05(木) 19:52:21.31 .net
- 出雲千家、縄文系のD1bが確定。天皇家と同じ。
もはや、出雲の渡来王朝説は葬り去られた。
- 367 :記憶喪失した男:2014/06/05(木) 19:55:49.04 .net
- 出雲千家が大国主の子孫だという伝承を信じるなら、旅人スサノオは、縄文系地元民である。
これをこのスレの結論とする。
- 368 :日本@名無史さん:2014/06/05(木) 20:00:29.20 .net
- 出雲国造家は天照大神の二男天穂日命の末裔だろ?
- 369 :日本@名無史さん:2014/06/05(木) 20:13:53.07 .net
- 出雲地方を治めた人物、
他の地方に親や一族がいたはず
- 370 :記憶喪失した男:2014/06/05(木) 20:20:40.45 .net
- 詳しくは知らないが、出雲王朝は縄文系で確定だ。
- 371 :日本@名無史さん:2014/06/05(木) 20:51:34.21 .net
- 「ここがふるさと」八上姫物語
http://www.ncn-t.net/ss151123/chiikiokoshi/kawahara/yakamihime.html
出雲氏概略系譜
- 372 :日本@名無史さん:2014/06/07(土) 08:50:01.26 .net
- 山陰だからウラか
むしろウラだから山陰なのか
- 373 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 15:13:12.59 .net
- >>1
そんなもの実在したわけないだろ
- 374 :日本@名無史さん:2014/06/19(木) 15:35:08.01 .net
- 大陸や南方から渡ってきた時期もまちまちだろうに部族や地域国家が存在しない方が不可思議だわ
- 375 :日本@名無史さん:2014/08/09(土) 10:37:54.88 .net
- 出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false
出雲王国の正体: 日本最古の神政国家 著者: 武光誠
http://books.google.co.jp/books?id=_V9GDh7VBpQC&pg=PA124&lpg=PA124&dq=#v=onepage&q&f=false
- 376 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 04:03:51.24 .net
- 日立金属、自動車事業拡大へ…米特殊鋼大手買収
- 377 :日本@名無史さん:2014/09/01(月) 04:07:17.76 .net
- 出雲=日本
- 378 :海軍大佐:2014/09/07(日) 18:28:04.81 .net
- なんの策もないまま戦争の泥沼にはまり込んでしまった大日本帝国ではなく、無条件降伏という屈辱からはじまる戦後日本でもない。
ふたつの時代にふれたからこそ、私の脳裏にうかぶ国がある。
四海に囲まれ独立し力に満ちたその国は間違いなく我々の眼前に存在する。
それが黄金の国ジパングだ。
- 379 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 18:33:46.67 .net
- 東秩父村の能気神社って、能義神社と関係あるの?
- 380 :日本@名無史さん:2014/11/06(木) 19:18:51.19 .net
- 古代出雲王国は実在したか:多羅尾整治が解く古事記/34 スサノヲの西征/1 /島根
http://mainichi.jp/feature/news/m20141105ddlk32070587000c.html
- 381 :記憶喪失した男:2014/12/07(日) 10:38:25.42 .net
- 国立遺伝学研究所・研究集会
DNAから見た日本列島人の地域的多様性を生み出した要因をさぐる
http://www.saitou-naruya-laboratory.org/meetings/NIG_meeting_Dec21&22_0014.html
日時:14年12月20日(土)午後 および 12月21日(日)終日
場所:遺伝研(国立遺伝学研究所)講堂
使用言語:日本語
参加費:無料
本研究集会の目的
近年急速に進展しつつあるヒトゲノム内のDNA個体差の研究は、
人類集団の古い遺伝子交流の層を掘り起こしつつあります。
日本列島への古い移住の層(旧石器時代から縄文時代にかけてと考えられる)と
新しい移住の層(弥生時代以降と考えられる)の違いは、
斎藤成也・徳永勝士・尾本惠市らが2012年に発表した
ヤポネシア3集団(アイヌ人、本土人、琉球人)のDNA多型を解析した論文で明らかにしました。
また、東北地方人の独自性は理化学研究所が2008年に発表した論文で示されています。
さらに、現在斎藤の研究室では出雲人のDNA解析を進めていますが、意外な結果を得ています。
ヤポネシア人自身が残してきた最古の記録である記紀神話と関連する可能性が予想されます。
そこで、ヤポネシアを中心としたヒトゲノムの遺伝的多様性を調べている研究者と、
ヤポネシア人のさまざまな側面(言語学、考古学、民俗学、人口学、古代史学など)の
歴史を研究している専門家が一同に会して、これらDNA解析の結果をおおいに議論することにより、
神話まで射程に含めた「DNA歴史学」の確立をめざします。
>さらに、現在斎藤の研究室では出雲人のDNA解析を進めていますが、意外な結果を得ています。
>神話まで射程に含めた「DNA歴史学」の確立をめざします。
- 382 :記憶喪失した男:2014/12/07(日) 10:39:57.20 .net
- ウィキに大国主のY染色体ハプロが記述される日も近いかもしれません。
天皇家がD1bだというのは、東大医学部遺伝学研究所の水準で確定です。
- 383 :日本@名無史さん:2014/12/07(日) 16:55:10.03 .net
- >>382
大国主の神門家と・・その子筋の建部氏・島氏(島族)事代主の向家
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