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古代出雲王朝は実在した

1 :記憶喪失した男:2011/11/08(火) 12:26:00.54 ?2BP(1).net
sssp://img.2ch.net/ico/mac.gif
「古代出雲」
 日本の歴史において、まだ学術的に不確かな古代王朝。
 西日本を中心に支配した大和王朝の以前に、西日本を支配していた最古の王朝である。
 出雲が日本の古都のひとつである証拠に、日本神話の八百万の神々は、十月、神無月に出雲に集まり、出雲地方では、十月を神在月と呼ぶ。

歴史
 出雲は、もともと、小さな国にすぎなかった。当時の西日本には、渡来した中国系盗賊団が住み着いており、先進的な武器を背景に、日本の先住民を支配し、搾取していた。
 そこに、出身地不明の旅人スサノオがやってくる。スサノオが出雲に来た時、渡来系盗賊団ヤマタノオロチが、出雲の領主の娘を生贄に差し出すように要求していた。
それを聞いて、出雲の領主の娘クシナタ姫を救うために、スサノオは十握の剣を武器に旅に出る。
 そして、なんと、スサノオは一人で渡来系盗賊団ヤマタノオロチを退治してしまったのだった。
 なお、スサノオは、渡来系盗賊団ヤマタノオロチの跡地から、製鉄された剣天の叢雲の剣を手に入れている。
 この偉業によって、スサノオは西日本先住民の英雄となる。出雲の領主の娘クシナタ姫と結婚したスサノオは、西日本の盟主として、出雲王朝の開祖となる。ここに、出雲王朝が始まる。
 西日本は、出雲を盟主に六代、時代を重ねたが、スサノオから六代後の大国主の時代に、政変が起こる。
西日本の盟主である出雲の王、大国主に、属国で新興国である大和が盟主の座を明け渡すように要求したのである。出雲の王、大国主は、大和に服従することを誓い、降伏する。
 出雲の王族、建御名方だけが反乱し、大和の軍と戦うが、敗れ、諏訪の地に逃げのびた。
 こうして、西日本の支配は、出雲から大和王朝へと移ったのである。俗にいう「国譲り」である。
 大和王朝の王は、日本神話の最高神である太陽神天照の子孫を名のり、出雲の建国の王スサノオを天照の弟とした。
これにより、大和王朝の王家、いわゆる天皇家がスサノオの子孫(現代にも出雲千家として伝わる)よりも権威ある存在として認められ、君臨した。
 なお、出雲王朝のスサノオは出身地不明の旅人だが、大和王朝の王家である天皇家は風聞ではY染色体が縄文系だといわれており、日本の先住民が、日本の支配権をとり戻したことになる。

580 :日本@名無史さん:2017/03/13(月) 01:16:38.64 .net
>>577
弥生時代にはもう縄文人はいないぞ

581 :日本@名無史さん:2017/03/13(月) 05:53:05.01 .net
「やまたの大蛇」は、古代国家出雲に攻め行った「ヤマト朝廷軍」だよ
しかしこの闘いは出雲の勝利に終わる

日本統一に向けてヤマト朝廷は戦でなく国譲り、即ち一定の自治権を認めた形でのある種の連合を選ぶ事になる

出雲はヤマト朝廷の1つ柱としての地位が保証される

582 :日本@名無史さん:2017/03/13(月) 06:48:49.40 .net
縄文人は不滅です

583 :日本@名無史さん:2017/03/13(月) 20:30:15.13 .net
富家の伝承については、どう思いますか?
4500年もの間、一子相伝で口伝だけで歴史を伝える
なんて不可能だと思うのですが?

584 :日本@名無史さん:2017/03/13(月) 21:07:40.26 .net
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ

585 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 19:22:19.65 .net
>>83
残念ながらトンデモでしょうね。
裏付けらしいものが何一つ無い上に
4500年もの間、一子相伝で語り継ぐ
なんてことは不可能でしょう。

586 :日本@名無史さん:2017/03/14(火) 22:41:42.18 .net
1 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです
もう確定なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつつ更なる真実を探求しましょう

90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
>>88
狗邪韓國は何人の領土?

95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日)
>>90
領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう
金官国の全身とするのが通説です

587 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 02:44:35.53 .net
日本の古代史に関する認識調査のためのアンケートを実施しています。
ご協力をお願いいたします。
http://v-183-181-162-19.ub-freebit.net./wakoku/surveys/top

588 :日本@名無史さん:2017/03/18(土) 01:10:20.26 .net
殷商の箕氏の子孫準王が満州人の衛氏に国を奪われ、船で島に逃れたとの
記録がある。箕氏朝鮮の準王一族なら、紀元前2000年の殷商の祭祀文明
の風俗、祭礼のやり方を伝承していたのではないか?
その証拠の一つが銅鐸ではないのか?

589 :日本@名無史さん:2017/03/18(土) 02:02:22.45 .net
だったら原始漢字が伝わるし、龍信仰も伝わるし、漢服も伝わるし、
木靴も伝わるし、木骨泥墻も伝わるし、銅鐸どころか銅鼎が伝わるだろ。

そして壺には耳が付く。

590 :日本@名無史さん:2017/03/18(土) 08:49:15.99 .net
船に職人が乗ってなかったんじゃない?

591 :日本@名無史さん:2017/03/18(土) 10:33:05.30 .net
崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するように妃のいない天皇たちがいる。
神武から孝安までだ。彼らが大王ならその血を残すために複数の后がいて当たり前。
つまり彼らは大王ではなかった。

では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。
その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
それがいるのだ。


@神武→ヒメタタライスズヒメ
A綏靖 →イスズヨリヒメノミコト  生きてた「ヒメ」タタラが女王
B安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト   生きてた「ヒメ」タタラが女王
C懿徳→アマトヨツヒメノミコト
D孝昭→ヨソタラシヒメノミコト    生きてたアマ「トヨ」ツが女王
E孝安→オシヒメ        生きてたアマ「トヨ」ツが女王

見事にヒメとトヨの時代。

そして7代孝霊には複数の妃。
実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。

邪馬台国とはヒミコこと「ヒメ」タタラが住んだ奈良県御所市である。

卑弥呼ことヒメタタライスズ媛、台与ことトヨツ媛は古代出雲王朝最後のヒメ様。

纏向ごときに卑弥呼はいない。

592 :日本@名無史さん:2017/03/19(日) 02:01:54.23 .net
>>590
ハイ、詭弁。

そんなもの、倭の職人にオーダーすればすぐにできるし、
原始漢字や龍信仰なんか記憶からの再現なだけ。

おまえのバカバカ詭弁でいくと、いまだに日本は何も伝わらず弥生時代のハズ。

593 :日本@名無史さん:2017/03/19(日) 02:32:15.97 .net
詭弁とか言い出したら倭の職人がすぐできるとか記憶からの再現とかも
バカバカ詭弁だろ

594 :日本@名無史さん:2017/03/19(日) 02:56:28.29 .net
>>593
おまえのバカバカ論理でいくと考古学は何も成立せんだろがカス。

殷の箕氏の王族が渡来定着しました。

ところが、彼らは証拠遺跡も中国文物の影響文物も何も遺しませんでした。
チャンチャン。

で、考古学で通用するのかカス。

595 :日本@名無史さん:2017/03/19(日) 09:52:55.34 .net
おいおい、渡来定着した証拠はそもそもないぞ。
来たか来てないか分からないんだよ

渡来定着したと主張する見えない敵を脳内で作り上げて戦ってたのかよ

596 :日本@名無史さん:2017/03/19(日) 11:58:38.80 .net
来たか来てないか、すぐに分かるじゃないの。

来てないに決まってるだろ。

渡来定着した証拠遺跡もその証拠生活文物も一切無いんだから。

597 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 04:43:16.19 .net
うれしいこというねえ

598 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 17:14:12.04 .net
準王といえば紀元前200年頃だ。
そのころ北九州にはすでに奴国の元になる別勢力がいたために、
出雲に渡ったのかもしれない。

599 :日本@名無史さん:2017/03/20(月) 19:03:57.73 .net
で、その証拠遺跡と証拠生活文物は?

600 :日本@名無史さん:2017/03/25(土) 22:34:29.87 .net
真相は何処にあるのか…

601 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 21:39:09.14 .net
大国主命は殺されたなんて伝承があるみたいだけど、実際は、どうだったんでしょうか!?

602 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 21:34:52.60 .net
>>601
第8代オオナムチ(大国主命)のヤチホコ命がいわゆる祟る大国主命(渡来した侵略者らが巧みに取り入り、媛と婚姻して縁戚となり油断したところを誘拐〜猪目窟に幽閉して殺害。

同じく、第8代少彦(後にスクナヒコナにされた)/副王のヤエハツミ(後にツミハ八重事代主命にされた)も三保の関に行っていたところに族らが急行して言葉巧みに謀り、誘引して中海の志都の窟に幽閉して殺害された。)
出雲帝国の祖法に則り、ヤエハツミ命の御子の鳥鳴海命が第9代オオナムチ(主王/大国主命)に踐祚。

603 :日本@名無史さん:2017/04/03(月) 21:55:00.99 .net
いや、もう考古学的に証明されているから
べつにいいよ

604 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 07:13:25.09 .net
崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するかのように妃のいない天皇たちがいる。神武から6代孝安までだ。
もちろん彼らには正后(奥さん)はいる。
しかし彼らが大王ならその血を残すために複数の妃がいて当たり前。ところがいない。

つまり彼らは大王ではなかったのだ。

では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
もしいれば邪馬台国論争は簡単に終焉する。

それがいるのだ。

@神武→ヒメタタライスズヒメ
A綏靖 →イスズヨリヒメノミコト  生きてた「ヒメ」タタラが女王
B安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト   生きてた「ヒメ」タタラが女王
C懿徳→アマトヨツヒメノミコト
D孝昭→ヨソタラシヒメノミコト    生きてたアマ「トヨ」ツが女王
E孝安→オシヒメ        生きてたアマ「トヨ」ツが女王

見事にヒメとトヨの時代。

そして7代孝霊には複数の妃。 実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。

邪馬台国とは「ヒメ」タタラが住まわれた葛城、奈良県御所市。
纏向に卑弥呼はいない。
九州は論外。

これが私=天才のHPだ。
https://o-yan216.wixsite.com/mysite/home

605 :604:2017/04/04(火) 07:14:56.66 .net
卑弥呼=ヒメタタラは古代出雲・鴨族の女性です。

606 :日本@名無史さん:2017/04/04(火) 13:30:36.19 .net
カモ族と関わる地名、名前

カモ (鴨 加茂 賀茂)
カミ (神)
カン (神)
カム (神)
コウ (神)
クマ (熊 隈)
ミワ (三輪 美和 三和)
オオ (大 太 多) 太田 大田 多田 大野 大谷 大原
タダ (多田)
スガ (須賀 阿須賀)

607 :日本@名無史さん:2017/04/05(水) 07:58:55.12 .net
思いつくままカモ族と関わる名称(地名・人名)

カモ (鴨・加茂・賀茂) 蒲生「滋賀県・伊勢遺跡」
カミ (神)
カン (神)  神原 蒲原 神門(カンド)
カム (神)
コウ (神) 神於山「岸和田」
クマ (熊・隈)
ミワ (三輪・美和・三和) 上神谷「堺市」(旧名ミワダニ)オオタタネコの出身地か
ミ  (三) 三河 三ケ日 
オオ (大・太・多) 太田 大田 多田 大野 大谷 大原
タダ (多田) 御所市 川西市 
スガ (須賀 阿須賀)須賀神社「茨木市」須賀神社「和歌山太田」 
クシ (櫛 串) 櫛羅(御所市・旧名クシウラ〉 久代

608 :日本@名無史さん:2017/04/05(水) 11:35:39.66 .net
王朝という概念は当時存在しないだろ
だが、出雲に大きな勢力があったことはもはや、神話でも何でもなく
考古学的に実証済み

609 :日本@名無史さん:2017/04/05(水) 13:30:59.39 .net
>>606
カモ族と関わる地名、名前

カモ (神(かも)。蒲生、鴨 加茂 賀茂、嘉門、)
カミ (神)、 上、可美(ウマシ)、頭、守、紙
カン (神) 寒、菅、冠、汗(ハーン/大陸遊牧民の王)、串、甲、桓
カム (神)
コウ (神) 高、甲(、、、加太)、向(出雲大王家)、篝、岬、崗
クマ (熊 隈)
ミワ (三輪 美和 三和)
オオ/オホ (大 太 多) 太田 大田 多田 大野 大谷 大原
タダ (多田)
スガ/ソガ (須賀 阿須賀)

610 :日本@名無史さん:2017/04/05(水) 20:59:47.57 .net
>>609
>可美(ウマシ)

それは物部系。
ウマシマジ、ウマシニギタなどの名前で分かる。
鏡祭祀、前方後円墳文化。
むしろ鴨(銅鐸)と最も対立していた側だ。

611 :日本@名無史さん:2017/04/07(金) 01:21:57.84 .net
>>608
概念は、今我々が当時の体制をそのように捉えて概念定義しているから、王朝でかまわない。

612 :日本@名無史さん:2017/04/07(金) 07:39:23.09 .net
107年              238年  266年
帥升----------------------------卑弥呼-------台与
                         
スサノオ------------------------ヒメ---------トヨ


倭国王帥升とはスサノオである。

613 :日本@名無史さん:2017/04/07(金) 07:39:51.84 .net
あ〜少しずれた。

614 :日本@名無史さん:2017/04/08(土) 06:47:01.65 .net
>>609
>上

わしも神=上だと思ったのだが、どうやら語原は違うようだ。

語原厨に突っ込まれかねないので書かなかった。

あとカミに大阪市平野の加美も加えよう。

615 :日本@名無史さん:2017/04/09(日) 07:29:20.79 .net
結局、崇神によって出雲王朝は断たれたわけだな。

出雲振根事件もそうだし、
大和にいた最後の大物主も殺されたのだろう。
もちろん記紀には殺したなんて書かれてないが、
崇神があれほど大物主の霊を恐れ、大神神社を建て、
手元にあったヤタの鏡を放逐し狼狽してることで分かる。
記紀はその部分を潤色している。

古代出雲族の痕跡が今でも残ってるのが葛城という事になる。
高鴨神社、御歳神社(中鴨)、鴨都波神社(下鴨)、一言主神社などなど。

これらの神々に比べれば伊勢神宮など新興宗教だ。

616 :601:2017/04/09(日) 07:34:02.24 .net
>>602
レス有り難うございます。しかし、何千年も前のことなのに、具体的すぎて
近年に創られた感、半端ないのですが…

617 :日本@名無史さん:2017/04/09(日) 12:23:50.26 .net
崇神時代に

・崇神の時代に大物主を祀る大神神社創建、オオタタネコが鴨氏を継ぐ
・ヤタノ鏡放逐、
・出雲振根事件、
・出雲国造家(天穂日命の11世の孫である宇賀都久怒)を国造に定める

・出雲に前方後円墳(4世紀後半)

これだけでもほぼ前王朝(出雲・鴨)へのクーデターと言える。

618 :日本@名無史さん:2017/04/13(木) 21:31:15.93 .net
崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するかのように妃のいない天皇たちがいる。神武から6代孝安までだ。
もちろん彼らには正后(奥さん)はいる。
しかし彼らが大王ならその血を残すために複数の妃がいて当たり前。ところがいない。

つまり彼らは大王ではなかったのだ。
やはりこの時代は女王国であった。
では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
もしいれば邪馬台国論争は簡単に終焉する。

それがいるのだ。

@神武→ヒメタタライスズヒメ
A綏靖 →イスズヨリヒメノミコト  生きてた「ヒメ」タタラが女王
B安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト   生きてた「ヒメ」タタラが女王
C懿徳→アマトヨツヒメノミコト
D孝昭→ヨソタラシヒメノミコト    生きてたアマ「トヨ」ツが女王
E孝安→オシヒメ        生きてたアマ「トヨ」ツが女王

見事にヒメとトヨの時代。

そして7代孝霊には複数の妃。 実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。
邪馬台国の都とは「ヒメ」タタラが住まわれた葛城、奈良県御所市。
纏向に卑弥呼はいない。
九州は論外。

これが私=天才のHPだ。
https://o-yan216.wixsite.com/mysite/home

619 :日本@名無史さん:2017/04/15(土) 18:02:43.17 .net
地方なんで制作局わからんが
40年ぐらい前に「三日月情話」って昼ドラ
やってたな。古代先住氏族の末裔の話。
当時小学生だったが通院とかナントカ適当
に理由つけて学校サボって視てたっけ。

620 :日本@名無史さん:2017/04/16(日) 10:36:15.11 .net
>>616
三保神社のあの場所は第8代少彦(副王)ヤエハツミ命の后、沼名河媛命の屋敷(宮)跡らしい。
そのお二方の間に生まれた御子が
建御名方命(ミナカタ、、、ムナカタ(音韻変化の範疇))と三保ススミ媛命。
三保ススミ媛命は三保神社の元来の祭神(だと言われています)。
三保津媛、、、三保の媛さまぐらいの意味っすから、間違いではない事になります。

沼名河媛はヤエハツミ命が謀略により殺害された事から、建御名方命を連れて実家の越国(第6代オオナムチ(主王)八束水臣命(出雲風土記の国引き(領有地域を一気に拡大)をなさった英雄)の時に支配下に入った?)
に帰郷なさったらしい。
建御名方命は長じて信州、諏訪方面に進出なさって周辺を開発、平定なさって出雲第二王国を建てた。
その名残が諏訪大社の祭り。
(出雲帝国の)危機神話の惨めな姿は微塵もないのは地元民の伝承(開発の祖神。常勝の武神)からも明らかです。
また、別后の三嶋(摂津)の玉依媛命も御子の天日方奇日方命らを連れて実家の三嶋(摂津)に帰郷。
天日方奇日方命が葛城地方に進出して登美王家と号して神祠に父のヤエハツミ命を祀り一族の氏神となさったらしい。
、、、鴨都波神社/都美波八重事代主神(ヤエハツミをツミハヤエと改竄させられた?)
後に北進して磯城や三輪山周辺を本拠とする王家が出た
(三輪山の神の祭祀を太田田根子(奇日方命(ヤエハツミ命の御子)の子孫)が管掌できた訳もここにあります
(神祀りとは子孫末裔らによる先祖祭祀が基本。余人に入り込む余地は無いし、他人がヤラカスと祭神は荒び祟りを為す))
因みに、建御名方は大国主の御子の筈では?
、、、カラクリは出雲帝国は祖法により東西二人の王家が歴代の主王オオナムチと副王少彦(スクヒコ/スクナヒコ)を交代で就任して連合して統治する慣わしでした。
故に、どちらもオオナムチ(大国主神)の家であり少彦(少彦名命(粟島神(ヤエハツミが粟島の志都の窟で殺害された故?))や事代主神)の家。
外野側(危機神話を編纂させた権力)からみれば一からげ。また、敢えて曖昧にする事でてんこ盛りの不都合な真実を不明〜改竄できる

621 :日本@名無史さん:2017/04/16(日) 11:29:45.86 .net
>>572
出雲国造家(天穂火命(要は渡来人)の末裔)が祭祀をしているのは本当に出雲のオオナムチ/大国主命(出雲帝国歴代帝王。(〜第17代迄))なの?

天穂火命と大国主神(歴代出雲大王霊神)は全く相容れない間柄の筈。
神祀り=先祖祭祀は古来の鉄板ですから違和感がてんこ盛り。

622 :日本@名無史さん:2017/04/18(火) 07:55:07.13 .net
征服者が祟りや反逆を恐れて被征服者の王家を祀ることはあり得る。
神が基本的には先祖を指すのはその通りだが、(先代を含めた)王家を指すこともある。

623 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 16:37:13.24 .net
古代、王朝というほど人口が有ったんでしょうか?

624 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 18:03:03.82 .net
人口云々は問題ではない。
その地域を統括する一族がいたかということ。
あとは、東アジアの国際政治の枠組みとしては、中国から王として冊封されたかどうか。

625 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 18:07:20.76 .net
卑弥呼について、畿内にいた古代出雲族のヒメタタライスズdearuという説をwikiに編入しました。
応援よろしくお願いします。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC

古代出雲、古代葛城の復権を願ってます。

626 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 18:08:26.51 .net
×ヒメタタライスズdearu

〇ヒメタタライスズである

www

627 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 18:20:58.63 .net
姫多々良五十鈴姫のところを加筆したのかと思ったら卑弥呼のところかよ。
バカ言ってんじゃないよ。
そもそも五十鈴さんと出雲の関係をもっとしっかり証明するところから始めろよ。
あと、多分卑弥呼とは別人。

628 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 18:58:49.47 .net
>>627
大国主→大物主→ヒメタタラ

>多分卑弥呼とは別人

多分かいw

629 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 19:18:42.58 .net
大物主と大国主はそもそも別人だし。

630 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 21:08:10.21 .net
なんらかの独立した地方政権は存在していたと思うけど
それがどのくらいの規模なのかはわからん
ただ、神話は神代のもので、現実界で起こっていた話ではないよ
漫画的世界だから当たり前だけど

631 :日本@名無史さん:2017/04/20(木) 21:57:59.59 .net
神代とは、奈良に都が作られるより前の上代のこと。

632 :日本@名無史さん:2017/04/21(金) 00:56:30.95 .net
>>630
>神話は神代のもので、現実界で起こっていた話ではないよ

現実にあった話を神話化したとは考えた事ないか?

633 :日本@名無史さん:2017/04/21(金) 01:19:32.60 .net
そもそも神話と我々が勝手に呼んでいるだけなんだよ。
古語では神とは王族のこと。
神社神宮はそもそも王宮だった。
神輿も本来は王族が乗る御輿だった。
国生み神話も国譲り神話も、倭国創成期の征服譚に過ぎない。

634 :日本@名無史さん:2017/04/21(金) 08:47:42.73 .net
神武が熊野で道に迷って高天原からヤタガラスが道案内役として派遣される話。
高天原が九州にあったなら何で紀州・熊野の道案内ができるのだろうかと思ってた。
違うのだ、高天原は葛城であって、だから道案内ができたのだ。
タカミムスビも高天原=金剛山に住んでた高天彦という実在の人物がモデルだろう。
アマテラスは葛城にいたシタテルヒメ=タカヒメがモデルだろう。
すべて実在の人物を神話化したのだ。

635 :日本@名無史さん:2017/04/21(金) 08:55:45.18 .net
モデルがいるという話はいまでも映画などで普通にあるからね。
「猿の惑星」は旧・日本軍に奴隷にされた白人の話だしね。
宇宙人グレーというのも体が小さくハイテクで頭が良く目が吊り上がっていて、
いつもグレーのスーツを着てる日本人がモデルだしね。

「猿の惑星」を見て、
人間の言葉を話す猿なんていない!と当たり前の事を言ってるやつってダサいよねw

636 :日本@名無史さん:2017/04/21(金) 08:58:19.57 .net
サルのはクセエ

637 :日本@名無史さん:2017/04/21(金) 13:36:33.51 .net
文献史学的アプローチもいいけど、考古学アプローチもね。
荒神谷遺跡の大量の銅剣銅矛、加茂岩倉遺跡の大量の銅鐸、
山陰〜若狭まで分布する四隅突出型弥生墳丘墓。
ムキパンダ遺跡や青谷上寺地遺跡等々
出雲の文化だけれど、文献とどう整合させていくか?出土物から情勢をどう構築するか?
まだまだ、不十分だよね。
魏志倭人伝にも記載されなかった文化だから、謎だらけ。

638 :日本@名無史さん:2017/04/25(火) 20:24:12.15 .net
90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
>>88
狗邪韓國は何人の領土?

95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日)
>>90
領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう
金官国の全身とするのが通説です



この衝撃的な失言を落とすために
スレ乱立して板操作しておりますですよ

639 :日本@名無史さん:2017/04/27(木) 23:11:07.26 .net
>>634
地元の伝承によるとヤタガラスと呼ばれた人達は、神武軍と戦った人達に、
山奥へ追いやられてた元々の少数の土着の先住民だと言う話。

640 :日本@名無史さん:2017/05/02(火) 23:09:53.09 .net
あと、私見だけど出雲系の人達は朝鮮半島からの移住者ではないかと思う。
荒神谷からの多数の銅鐸の出土が国譲り後の出雲族の祭祀の仕方の変化を物語っているのかなと

641 :日本@名無史さん:2017/05/11(木) 18:13:15.15 .net
出雲の人が新羅に移り住んだんだよ

642 :日本@名無史さん:2017/05/11(木) 18:18:30.17 .net
その出雲へは、阿波から出雲忌部一族が移り住んだんだよ

643 :日本@名無史さん:2017/05/12(金) 13:08:50.28 .net
忌部という地名は島根県松江市にある。
忌部に補任した人物が忌部氏を名乗り阿波に移った可能性はないの?
徳島にも忌部って地名ある?

644 :日本@名無史さん:2017/05/27(土) 18:56:42.81 .net
当時の下朝鮮は、縄文人の子孫が住む地域だけどな

645 :日本@名無史さん:2017/05/27(土) 20:02:18.43 .net
そもそも、民族がいてから国ができたんだから、朝鮮と倭を分ける意味はないと思う。
環日本海で大陸の南北から渡ってきた人たちが最終的に住み着いたのが日本ってだけで、
当時の人に「日本」と「朝鮮」なんて認識はないだろ。

646 :日本@名無史さん:2017/05/27(土) 20:20:07.99 .net
海峡があるからさすがに意識するだろう。

647 :日本@名無史さん:2017/05/27(土) 21:06:01.91 .net
イスラエルの民の世。喜び言、全土に響く真理ぞ。
イスラエルの民に印あり。真実のイスラエルの民、早く開け。
イスラエルの民に花咲く御代 嬉し嬉し、早う光の文路知らせたり。急ぐ心ぞ。

http://vps30-d.kuku.lu/files/20170527-2020_728786a66f9899e751fdc45d970f10cc.jpg

648 :日本@名無史さん:2017/05/28(日) 12:42:09.60 .net
>>643
忌部氏は、、、秦人の徐福らが連れてきた3000人余の海童集団の中の一団だとか?

649 :日本@名無史さん:2017/05/28(日) 13:00:15.44 .net
>>639
出雲帝国の第8代少彦(副王)で有った八重波津身命(出雲帝国東王家、向/富家の当主)が
渡来した秦人(徐福)らに謀殺され国が混乱したたため、
后らは御子を連れてそれぞれの故郷の実家へ逃避なさったらしい。
摂津三嶋の生玉依姫も同様(事代主神が八尋鰐と成って通った云々はでたらめ)で、

御子の天日方奇日方命ほか(ヒメタタラヨリヒメ、イスケヨリヒメ、大屋姫ほかも)を連れて摂津三嶋(大阪府の高槻〜茨城辺り)の実家へ多くの出雲人らと共に帰りました。
その天日方奇日方命が長じて大和の葛城地方北部にお付きの出雲人や家臣らと共に
移住し、 登美(富、外山、鵄(金鵄/金鳥)、飛鳥)家を号して、
神祠に亡き父君、八重波津身命を祀り、氏神としたのが
後の鴨都波神社(葛城の下鴨神社)なのだそうです。

また、これに少し前後して登美家を頼って
同じく渡来した秦人らに謀殺された第8代オオナモチ(主王)で有った
(出雲西王家、神門臣家の当主)八千戈命(いわゆる祟る大国主神)の
御子、阿知須気高彦(祖法により第9代の少彦(副王)に為られたかと。同じく第9代のオオナモチ(主王)は八重波津身命の御子の鳥鳴海命が即位。
二王は渡来人ら賊にひっ掻き回されて帝国の基盤が揺らぐ中(簒奪される危機)、
迅速かつ適切な処置、施策により帝国は再び安定をとりもどした。
そうなると謀略を巡らした徐福ら渡来人勢力は大逆無道の大罪人として出雲兵らから執拗に狙われ
僅かに得た領土(丹波)や保身もままならず妻子(出雲西王家の血筋)を放置して
慌てて中国へ逃げ帰った。、、、イザナギの国生みの失敗に相当)

の御子ら(出雲西王家、神門臣家の子孫)が葛城の南部に移住してきて
高賀茂家(神をカモと発音した)を号して 神祠に父祖の阿知須気高彦ほかを祀り
氏神とした(高賀茂神社(上賀茂神社)。御歳神社(中賀茂神社))

、、、

650 :日本@名無史さん:2017/05/28(日) 13:40:39.45 .net
>>649
そうこうしていると、今度は丹波王国の天村雲命らが大勢の丹波人らと共に大和に流入してきて
勢力を拡大。
それを見た先住の葛城の登美、高賀茂の王家らは人品骨格賎しからず、勢力強大なるを認めて
大王に推戴。
天村雲命(父(徐福。天火明/ニギハヤヒ。/スサノオ/イザナギ、天照大神、天御中主神、、、)は天香語山、母は穂屋姫(同父、異母兄妹の夫婦。
穂屋姫の母は出雲王家分家のカタアタスが建てた宗像王家の三ノ姫の市杵島姫))
は大倭国の初代大王に即位。(一人目の神武。ホホデミ)
此に依り丹波、葛城(大和)連合王国=大倭国が成立。

、、、

651 :日本@名無史さん:2017/05/28(日) 13:58:00.69 .net
>>650
大倭国も時代が下り、第8代孝霊天皇(母はヒミコ=大倭媛命(宇那比媛命(意味は大国霊媛命))の女)の頃に
同祖(徐福。×出雲系)で遠い縁戚の九州の物部王家が
大倭国(蘆原中国)に触手を伸ばして侵攻を開始。
大阪から上陸侵攻をを試みた緒戦は完膚な迄に迎撃されて完敗。
紀伊半島を南に迂回して紀伊熊野から再度上陸侵攻を開始するも
高倉下の子孫勢力に阻まれ、執拗なゲリラ戦に遇って進退窮まる。

迎え討つ大倭国側は実は内乱、権力闘争に明け暮れ内実は一枚磐とは言えない状態。
其処に付け入る余地ありとみた侵攻軍側は
大倭国内の揉め事に嫌気が注していた
葛城の登美家当主に密使を送り
内応(裏切り)と手引きを要請。
受託した登美家当主側が自領域内を通して侵攻軍を吉野へ誘引。

652 :日本@名無史さん:2017/05/28(日) 13:58:42.52 .net
>>648
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653 :日本@名無史さん:2017/05/28(日) 14:01:31.40 .net
>>649
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654 :日本@名無史さん:2017/05/28(日) 14:05:05.76 .net
>>651
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655 :日本@名無史さん:2017/05/28(日) 14:10:00.89 .net
>>651
侵攻国のその陣容、勢力強大なるをみた大倭国側の大王、王族や側近は最早是非もなしと、
倭国を放棄して逃避。
逃避なさった大王は吉備国を建てたとも。
(ナガスネヒコを殺す行)
侵攻軍は紀の川/吉野川を渡り無血開城されたに等しい大和に易々と進軍して倭国を平定。
侵攻軍を率いるイクメ命は新たな大倭国の主、大王に磐余で即位。
(後に垂仁天皇。あれ?崇神天皇は?、、、九州で侵攻を準備中に日向で崩御なさっていた)

656 :日本@名無史さん:2017/05/28(日) 14:29:42.65 .net
ところで、阪神地域は元来は出雲王家の領地だったのでは無かろうか?
神戸は神門(出雲西王家、神門臣家)の転嫁にも思えるし、
六甲山のロッコウサンは正式な名称ではなくて通称(国土交通省国土地理院の地図に六甲山の名称はありません)。
ムコウノ山、ムコノ山、、、向山。
西宮廣田神社 の主祭神は天照大神荒魂。、、、ツキサカキイヅノミタマアマサカル「向」津媛命
およそ、向(富、トビ)大王家の優れた大巫女さま位の意味かと。
向/富家は出雲東王家で分家(天日方奇日方命流)が阪神(摂津)〜葛城(大和)に勢力を張ったかと。

657 :日本@名無史さん:2017/05/28(日) 14:38:53.77 .net
>>656
三輪山、大三輪神社の初代神主に太田田根子命が成れた由縁も
鬼気神話に伝えている通り、血筋が天日方奇日方命の直系子孫=登美王家の末裔。
大三輪の神が実は天日方奇日方の父君の事代主神こと、八重波津身命だから。

神祀りとは要するに先祖を祭祀する事に他成りません。
鬼気神話の崇神天皇は子孫でも何でもないので祭神を祭祀出来ず荒び祟りを為した

658 :日本@名無史さん:2017/05/28(日) 14:42:44.41 .net
>>657
また、崇神の血筋(九州物部王家)から祖先らは三輪山の神、事代主神こと、八重波津身命らを謀殺したので大いに祟る理由にもなります。

659 :日本@名無史さん:2017/05/30(火) 02:39:14.80 .net
面白いが、ここの部分は本来なら別の人格を習合しすぎているのではないか?

>>650
>天村雲命(父(徐福。天火明/ニギハヤヒ。/スサノオ/イザナギ、天照大神、天御中主神、、、)は天香語山、母は穂屋姫(同父、異母兄妹の夫婦。

660 :日本@名無史さん:2017/05/30(火) 02:42:30.59 .net
>>651
>迎え討つ大倭国側は実は内乱、権力闘争に明け暮れ内実は一枚磐とは言えない状態。

本来、九州勢力の名前が倭国だよ。
畿内側の事情の説明としては興味深いが、呼称に疑問がある。
倭国の盟主は筑紫だからだ。
記紀は神代の巻は筑紫を主格として、途中から畿内を主格として書かれている。

661 :日本@名無史さん:2017/05/30(火) 11:29:36.94 .net
徐福が出た時点でアウト。

そんな考古学的証拠も痕跡もどこにもない。

662 :日本@名無史さん:2017/05/30(火) 13:32:13.33 .net
1世紀になると、出雲は四隅突出型墳丘墓に代表されるようにローカル色が強まるからな。

紀元前後に何かあったんだろうな。
畿内倭国の拡大だと思うけどね。

1世紀は、天孫降臨に代表されるように、倭国が各地の首長と血縁を結んだ時代かもしれないね。

663 :日本@名無史さん:2017/05/30(火) 14:41:48.62 .net
倭面土国王帥升が漢王に会いに漢に行ったのに謁見してもらえなかった史実があるところから見て、
倭面土国=ヤマト国支配による連邦の成立は1世紀頃だったんじゃないのかな?

この帥升という謎の王がヤマト国支配を進めた王だったんじゃないかな?

神武天皇か??

664 :日本@名無史さん:2017/05/30(火) 18:10:11.82 .net
>>661
否定する根拠がない。

665 :日本@名無史さん:2017/05/30(火) 18:13:18.08 .net
>>662
>1世紀になると、出雲は四隅突出型墳丘墓に代表されるようにローカル色が強まるからな。
>紀元前後に何かあったんだろうな。

出雲の国譲りだな。
四隅は筑紫の影響下で作られたんだろう。
同じ頃に筑紫では伊都国が成立するので、そちらでは天孫降臨があったのだろう。

>畿内倭国の拡大だと思うけどね。

畿内ではない。
倭国とは、筑紫、出雲、越など日本海側の地域を言う。
畿内はまだまだ辺境の地。
考古学的に甚だ不毛だよ。

666 :日本@名無史さん:2017/05/30(火) 18:14:57.14 .net
>>663
帥升は博多湾沿岸の勢力を代表していたと言うのが定説。
なぜなら考古学的にまだ博多湾沿岸にしか王権が存在していなかったから。

667 :日本@名無史さん:2017/05/31(水) 00:41:40.57 .net
銅鐸の製造法、用途は、シナの祭祀文明から来たとしか思えない。

668 :日本@名無史さん:2017/05/31(水) 00:48:13.73 .net
銅鐸は朝鮮の銅鈴がルーツ

669 :日本@名無史さん:2017/05/31(水) 02:06:28.99 .net
>>667
殷→箕子朝鮮→出雲という伝播ですね

670 :日本@名無史さん:2017/06/03(土) 21:00:51.00 .net
佐原真さんの編年では朝鮮銅鐸は最古ではない。
はっけんされた場所は単なる倭人の移住地だろう。
だいたい朝鮮で出土した銅鐸の量は少なすぎる。

671 :日本@名無史さん:2017/06/03(土) 21:04:21.71 .net
>>666
>帥升は博多湾沿岸の勢力を代表していたと言うのが定説

博多湾沿岸なら「漢委奴国王印」がすでにあるよね。
帥升の50年前だ。
なんで50年の間に2回も貰いに行くのかな。
つまり帥升は北部九州ではない。
おそらく畿内か出雲だ。

672 :日本@名無史さん:2017/06/03(土) 21:50:58.85 .net
>>670
だから銅鐸のルーツは朝鮮の銅鈴なんだろうが。

銅鐸じゃないぞ。

銅鈴な。



>>671
だよな。

やはり倭面土国(ワメトコク)という響きから、素直にヤマト国と考えるべきだろう。

しかし、スシ王は漢に行ってビックリこいたと思う。

漢の文明水準は日本で言うと鎌倉時代頃の文明水準だからな。

タイムマシンで千年後の世界を見にいったようなもの。

673 :日本@名無史さん:2017/06/03(土) 22:28:47.14 .net
>>672
記録が抹消されているだけで、倭国の王族たちも元は中国のエライ人だったのではないか。
呉の太白とか。

674 :日本@名無史さん:2017/06/03(土) 22:43:10.21 .net
>>673
アナタ ジャカルタ カエル カエル

ジャカルタタイワン カエル カエル

アナタ ニホン デテク デテク

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675 :日本@名無史さん:2017/06/04(日) 00:09:14.87 .net
>>671
朝貢だから、近くの国だと毎年でも行くんだよ。
少なくとも、王が代替わりする時は、それを承認してもらう必要がある。
このあたりの制度は韓ドラ時代劇などにしばしば出てくるが、日本では触れたくない歴史としてスルーしているが、同じだったはず。
同じ倭国として承認されているのだから、帥升も卑弥呼も博多湾沿岸。
本州は、東の海を渡ったところにいる倭種と記録されている。

676 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 14:21:37.58 .net
西暦の元年。
中国では前漢帝国の外戚で実力者で有った王莽が前漢帝国を簒奪して
「新」帝国を樹立。(歴史年表的に非常に分かりやすい事象)
しかし、「新」帝国の皇帝となった王莽は遥か昔、500年前の古代の聖王の理想的な治世?を懐古して実勢と解離した政策、思想を断行した為に
帝国成立から間もなく歪みが顕在化〜怨嗟の声が高まり早くも各地に反乱が頻繁。
新帝国は僅か十五年で瓦解。
その反乱革命軍勢力の連中による「中原に鹿を逐う」レースに勝ち抜き
前漢帝国劉氏の皇室の分家の末裔の更に末席で有った劉秀が漢帝国(後漢)を復興して光武帝と成った。

宗教的にはキリスト教が1世紀前半のこの時期(光武帝〜第2代明帝期に)に早くも後漢帝国の都、洛陽に到来。
中東〜西洋のようなキリスト教(景教と号した。イエスキリストは同じく(スペルは同じで読み方が異なる)イーサ、イシェ等と言う(石、磯、伊勢、イザ(なぎ)))にたいする禁圧や弾圧は全く無く。
到来するやいなや京師の洛陽は云うに及ばず漢帝国全土に展開して教会を建てて盛んに布教活動をしていた云々。(後漢書)
歴史書(正史)に記述される程ですからキリスト教団はかなりの信者と規模と成っていたと思われます

677 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 14:33:40.18 .net
>>676
前漢末期〜王莽の新帝国建国当初の混乱期に生きる場を求めて民が流民化して
玉突き現象どその一部?が日本列島に渡来したと考えてもおかしくはありません。
そうなると、先住民との間に生きる為の争い事は起きて然るべき問題。
ひょっとしたらこれにより九州がワヤクチャな状態になったのを忌避して(玉突き現象で)東の新天地の畿内へ触手を動かした?

678 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 16:44:31.86 .net
>>677
>東の新天地の畿内へ触手を動かした?

あんな沼地へ?  莫迦ですね

679 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 17:35:33.52 .net
博多湾沿岸から西日本各地への播種は断続的に繰り返されたのでしょう。
最終的に、たまたま奈良盆地の勢力が天下を握る結果となり、その祖先がクローズアップされただけだと考えられます。

680 :日本@名無史さん:2017/06/07(水) 17:42:41.69 .net
>>679
>最終的に、たまたま奈良盆地の勢力が天下を握る結果となり、

沼地の奈良盆地では、天下は握られまへん。

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