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古代出雲王朝は実在した

734 :日本@名無史さん:2017/07/04(火) 09:39:53.29 .net
百済の王族や職人、平民では話が違うから
百済と言うだけでひとくくりにするのは問題だと思う

735 :日本@名無史さん:2017/07/04(火) 09:41:41.05 .net
>>728が言ってるのは渡来系弥生人の事だしな

736 :日本@名無史さん:2017/07/04(火) 14:43:30.96 .net
>>731
スサノオとその息子は稲作をはじめとする農業林業を伝えた神であり、明らかに弥生文化をもたらした側だよ。
出雲は弥生時代を代表する国の一つ。

737 :日本@名無史さん:2017/07/04(火) 14:44:35.04 .net
>>734
百済ということは、おおざっぱに出雲より500年は後なので、事情が全く違う。

738 :日本@名無史さん:2017/07/04(火) 15:45:30.60 .net
>>728
斎藤のホームページ見ればわかるけど
出雲は第2波渡来系に属している(第一波と交雑が進んだ人たち)
第一波が縄文

で、第三波が天孫族

739 :日本@名無史さん:2017/07/04(火) 22:32:01.37 .net
耳かきで分かるあなたの先祖 意外な勢力図
ttp://style.nikkei.com/article/DGXBZO21914010Z10C11A1000000?&page=3

乾型耳垢の人の都道府県別割合の地図見ると、新モンゴロイドの形質を持った渡来人(天孫族)が
日向⇒畿内へと移動していったのがよく分かるね。
そうして縄文混血の土着弥生人が住んでいた日本列島を征服していったのが、国譲り神話として残ったんだろうね。

740 :日本@名無史さん:2017/07/07(金) 14:29:50.06 .net
>>736
なんで神武から5世代前のスサノオの時代が稲作伝来なんだよ。
戦後の渡来人アゲの史観はもう古い。
皇統も縄文系D1bだし。

741 :日本@名無史さん:2017/07/07(金) 15:51:54.55 .net
>>737
アンカ間違っていないか

742 :日本@名無史さん:2017/07/07(金) 15:56:53.35 .net
神話の時代の系図を盲信するのは止めようよ
戦後どころか明治時代の史観だよ

743 :日本@名無史さん:2017/07/07(金) 15:57:13.02 .net
中国製の小札革綴冑が3世紀後半から4世紀の畿内の古墳から出る。
十数点の出土のうち九州はわずか1点、残りはすべて畿内。

当時の日本にこんな精巧な冑は作れない。
おそらくトヨの朝貢時に入手したのだろう。

この時点で中国と通交してた主体は畿内であり邪馬台国論争は決着する。

この小札革綴冑は山城の椿井大塚山古墳から出る。

崇神に反乱を起こした武埴安彦命が挙兵した場所であり、
椿井大塚山被葬者が武埴安彦である可能性が高い。

もう一つ面白いところから出る
大阪柏原の玉手山3号墳だ。

この時代に河内の首長が中国製の小札革綴冑というお宝を手に入れていた。

被葬者の該当人物がいる。

孝元天皇の妃・埴安媛の父、河内青玉繋だ。
武埴安彦の祖父になる。

河内青玉繋→埴安媛 →武埴安彦(崇神時代)

祖父と孫、つまり同じ一族が小札革綴冑を手に入れてたのではないか。

ということは河内青玉繋はトヨの時代を生きていた。
トヨの朝貢団の一人ではないのか。

どちらにしても「欠史」などと言われてきた初期8代天皇は確実に実在した、
そして魏志の台与と大和朝廷がこの冑によって結びつくのだ。

744 :日本@名無史さん:2017/07/07(金) 21:51:37.09 .net
>>742
書かれたのは奈良時代だけどな。
どこが嘘でどこがどんな史実に基づいているのかをきちんと論じるべきで、貴重な文献を頭ごなしに否定するべきではない。

745 :日本@名無史さん:2017/07/08(土) 13:53:51.57 .net
盲信以外は全部頭ごなしの否定だと思い込んでいるのか

746 :日本@名無史さん:2017/07/08(土) 20:23:28.46 .net
実際、記紀アレルギーは多いだろう。

747 :日本@名無史さん:2017/07/08(土) 21:33:06.47 .net
アレルギーというか、記紀を全否定する俺カッコイイ病、だろ。

748 :日本@名無史さん:2017/07/08(土) 22:35:31.61 .net
>>743
畿内主体なら、なぜ晋墓の鏡の3分の1を占める位至三公鏡が北部九州より少ないの?
畿内で出土してる鏡も後の時代の古墳からの物が多いし

やっぱり北部九州とは別ルートなだけだろう

749 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 13:20:30.10 .net
出雲は隠岐の黒曜石を背景に
漢四郡、馬韓、辰韓、沿海州ウラジオストック、
北九州、敦賀、七尾、糸魚川、青森等
と交易が有った、古代海洋王国だろ? 

スサノオスレだったなんて、ガッカリ杉w

大和朝廷と併合したのって具体的にいつだったんだろう?
銅鐸時代だとは思うけど、荒神谷遺跡の青銅器廃棄と関係あるかな?
記紀って、ホント役に立たないよね。

750 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 13:39:25.86 .net
スサノヲが息子とともに農業を教えて回った話はあるので、それに近いことはあったのかもね。
荒神谷遺跡は筑紫に負けた出雲の国譲りだろう。
大国主だけが死んで(隠れて)、あとは降伏したらしいから。
ただ、記紀は筑紫から畿内への政権交代を隠しているんだよ。

751 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 13:46:13.29 .net
どのスレッドだったのか覚えていないけど

日本は負けたんだよw
ちゃんと仕事をしろよw

という書き込みがあったよ

752 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 14:04:30.01 .net
『日本は負けたんだよ』

マケマケ様にカチカチ山、泥船・・・ウサギ・・・その他

あのザ・モモタロウという作品は、
どう考えても日本昔話

753 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 15:06:54.00 .net
筑紫から畿内への政権交代?

邪馬台国王権は魏使を返した266年以降、400年まで中国交易が無い。
魏が滅びた事も有るけど、司馬氏への移譲なんだから、
邪馬台国が挨拶朝貢しないのは、邪馬台国王権も終ってると思うんだけどね。

270年以降、対馬貿易が無いか、と言うと任那設立、半島進出を始めて
馬の移入と鉄の国内生産化の富国強兵政策への転換を達成している。

馬の生産は甲斐に勅営御牧、鉄も生産は中国地方や琵琶湖周辺。
これは、九州勢力に出来る事では無くて、関東北陸に勢力が有った
征東の大和朝廷と海運王国出雲の勢力が対馬航路を独占したって事だと思うけどね。

魏使に援助求めるようなヘタレ王権が半島進出なんてできないでしょw
400年以降、倭の五王時代は、建康=南京に半島利権交渉に行ってる訳で
出雲は済州島から、長江への航路も知ってたんじゃないかな。帰り早いし。

754 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 16:18:41.41 .net
卑弥呼は倭国の女王で、倭国は白村江の戦いがある7世紀まで存続しているけど?

755 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 16:39:02.59 .net
卑弥国(卑彌國)や不弥国(不彌國)ってどこでしょうか?w

756 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 17:31:06.60 .net
倭人在帶方東南大海之中、依山㠀爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國。

が、魏の倭国認識であって、
近隣20数国をまとめた7万戸ほどの九州の国邑、邪馬台国の王を時の倭王とした。
邪馬台国の王権は共立で世襲ではなく、魏使と言うか帯刀郡の下級武官の干渉に
隣国との軍事的衝突の解消を依存してるような王権であって、持続可能性はほぼ無い。

4〜500年に存続している継続王権の倭の5王は平定したとする朝鮮半島利権の交渉で
邪馬台国当時の倭国と無縁な南朝に渡海していて邪馬台国では有り得ない。

757 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 20:53:35.15 .net
王統が入れ替わっている可能性はあるけれども、筑紫の主が変わっているだけで、筑紫倭国としては7世紀までは一貫しているのだろう。

758 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 21:04:56.61 .net
筑紫倭国が有ったとして、
半島は冊封なので百済同様に
九州は冊封だった可能性が高い。

邪馬台国当事の九州が中国史で明らかな以上、
日本神話九州起源に意味が無いのは判るだろ?

邪馬台国は記紀を否定している。

判らないならレスしないでね。

759 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 21:43:47.07 .net
半島も倭も、冊封するのは中国だよ。
寝ぼけんな。

760 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 23:04:06.82 .net
大和朝廷は九州筑紫を筑紫の君に統治させてるんだが、これは、冊封と何が違うんだ? 
この時、日本王朝は間違いなく古代中国系の立憲君主制に移行しようとしている。
まあ、記紀のおかげで現代まで継続してるのは日本だけだけどね。
おれも、韓も九州も外国とは言わん。 チベットウイグルに独立を!

761 :日本@名無史さん:2017/07/09(日) 23:17:43.06 .net
寝言は寝て言え。

762 :日本@名無史さん:2017/07/10(月) 13:45:49.69 .net
繰り返しますが崇神が4世紀初頭〜前半の時点で邪馬台国論争は終了です。
約60年前の台与が判明し、卑弥呼も判明、帥升も判明します。

■2世紀から4世紀まで
スサノオ(帥升)107年




ヒメ踏鞴  (3世紀初)神武 
ヒメ踏鞴        綏靖  
ヒメ踏鞴        安寧  
トヨ津         懿徳 孝昭 
トヨ津         孝安    ​     
     磯城の台頭  孝霊 孝元 開化
           崇神(4世紀初〜前)

反論は対抗軸として別人物を出してください。
多分いないと思います。

さて本居たちはこれを知ってたのではないかと思います。

(続く)

763 :日本@名無史さん:2017/07/10(月) 13:46:57.39 .net
「熊襲の女酋説」
「本居宣長、鶴峰戊申、那珂通世らが唱えた説。本居宣長、鶴峰戊申の説は卑弥呼は熊襲が朝廷を僭称したものとする「偽僣説」である。
本居宣長は邪馬台国を畿内大和、卑弥呼を神功皇后に比定した上で、
神功皇后を偽称するもう一人の卑弥呼がいたとした。
ニセの卑弥呼は九州南部にいた熊襲の女酋長であって、
勝手に本物の卑弥呼(=神功皇后)の使いと偽って魏と通交したとした。」

帥升がスサノオと仮定すると卑弥呼は分かります。
彼らは気づいてます。
神武東征が女王国を隠蔽するため、わざと大げさに記述し、男王国に見せかけたことも分ります。

日清戦争に勝つ前はまだ中国への劣等感が払しょくされてません。
そんな時代に公に出来なかった。

そういう事でしょう。

764 :日本@名無史さん:2017/07/10(月) 13:49:16.08 .net
知らない方が良い事実もある。
知らない方が幸せである。

本居たちはわざとヘンテコな説を提起して知らない方が良い事実を隠した。

そういうことでしょう。

765 :日本@名無史さん:2017/07/10(月) 17:43:35.28 .net
>>760
暑さで頭沸いてんのか
かわいそうに

766 :日本@名無史さん:2017/07/14(金) 23:46:35.18 .net
八束水臣津野命が真の王

767 :日本@名無史さん:2017/07/17(月) 23:31:35.24 .net
国を譲ったことになっている大國主之命は、結局ころされてしまったの(・ω・`)?

768 :日本@名無史さん:2017/07/17(月) 23:44:19.84 .net
祟り神って事はそうなんでしょう

769 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 07:27:36.39 .net
お隠れになった、と表現されているのは、亡くなったということだね。

770 :767:2017/07/18(火) 08:16:19.15 .net
>>768-769
レス有り難うございます。その辺の事情が良く分からないとこなんです。
天津神に帰順したように書かれているのに何故、死ななければいけなかったのか?(・ω・`)

771 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 08:27:00.01 .net
大将首を差し出せぱ、民の命は助けてやる。
拒否するなら血の雨が降るぞ。

こういう感じ。

772 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 08:44:30.16 .net
>>766
古代出雲帝国の第6代オオナモチ(主王)が八束水臣津野命。
出身は西王家の神門臣家。御子には九州統治を委任される形で分家独立して宗像王家を建てたカタアタス命。
そのカタアタス命の三人の娘がいわゆる宗像三女神。

この第6代オオナモチ、八束水臣津野命の時代に領土、勢力を北陸から九州迄一気に拡大したらしい。

古代出雲帝国の制では東西2つの王家が主王(オオナモチ)と副王(少彦/スクナヒコ)を代替わり毎に交代して就任する慣わし。

773 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 08:50:42.96 .net
>>767
いわゆる大国主命とは、第八代オオナモチの八千戈命。

また、御子とされた事代主命は、実際には第8代の少彦(副王)の八重波津身命で出雲の東王家、富/向家の当主で在られた。

お二方共に渡来人(秦国人某)ら一味(日本史のアンタッチャブル)に拉致誘拐〜岩屋に幽閉殺害された。と微かに伝わります。

774 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 10:57:38.89 .net
>>770
秦帝国からの渡来人一味は出雲帝国に許可を取り付け(ホヒが事前の工作)、石見国五十猛海岸に着岸、上陸。
最初こそ始皇帝の勅命を奉じて配下を全国的に遣わして不老長寿(不死)の妙薬探索を行います(多分、この時に得た各地の様々な地勢、情報等が後々貴重な原資料になった?)が、

、、、(んなモノ実際に無いのは明白)、、、次第に目はこの列島の大部分を支配下に置く出雲帝国の乗っ取り=簒奪に向いていき?
渡来人の首魁何某は王家の娘と婚姻して王族となり、
御子も産まれて出雲側の警戒心が緩んだ頃合いを逃さず、岳父のオオナモチ、八千戈命を巧妙に誘い出して(現在の長浜神社辺り)拉致誘拐。
猪目洞窟に幽閉して殺害(地元では黄泉の国の入口。近づくと×)
オオナモチの行方不明(この段階では真相不明)を伝え聞いた(三保の早船神事が遺風を伝える)三保の別邸(後の三保神社)に
逗留していた少彦(副王)の八重波津身命(東王家、富/向家当主)が探索に出かけるところを族ら一味が得意の弁舌で巧みに誘引、拉致誘拐。米子市の今は干拓地となり陸と成っている粟島の志都の窟(洞窟)に幽閉殺害。
八重波津身=少彦名(役職の少彦を改ざん)/粟島神=事代主(「積歯八重」事代主命に改ざん。ヤエハツミをひっくり返してツミ・ハ・ヤエ)=大物主神(子孫らが大物主神として三輪山に祀る)

崇神、垂仁天皇らが三輪山の神を祭祀出来なかったのは血筋が違うから。
反対に太田田根子命が三輪山の神を慰嘸して鎮祭できたのは八重波津身命(大物主神)の御子の天日方奇日方命の直系の子孫だったから、。
(根子(彌子)は王者の称号。何となれば「大倭根子とは天皇陛下の称号の一つに他ならない」)

775 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 11:18:29.57 .net
>>774
渡来人一味らは事が順調に進んで支配を拡げていると安堵したのも束の間、
出雲帝国の制に則り、殺害された八重波津身命(東王家、富/向家)の御子の鳥鳴海命が敢然と第9代オオナモチ(主王)に即位、
併せて、殺害された八千戈命(西王家、神門臣家)の御子、味耜高彦が少彦(副王)に就任して
早急かつ適切な善後策を施行して一旦は屋台骨が揺らいだ出雲帝国も態勢を盛りかえして磐石となり、
国を引っ掻き回され二人の王(イザナギの国生み、ヒルコと淡島に比喩)を弑逆して国の簒奪()を謀った大逆無道の大悪人どもは出雲兵に捕遂、付け狙われ僅か?に得た丹波国を放棄、妻子を置き去りにして秦国に逃げ帰った。
(イザナギの国生みの失敗。スサノオの高天ヶ原での乱暴狼藉。火之神(渡来人)を生んで死亡したイザナミ(出雲)を黄泉の国に訪問して、約束を破った(法令違反)事から追撃される行、ら)

776 :日本@名無史さん:2017/07/18(火) 17:36:44.20 .net
文明を発明したのは縄文人
古代エジプト王国(邪馬台国)を作ったのは縄文人(シュメール人)

777 :767:2017/07/18(火) 22:20:53.78 .net
>>771
成る程。レス有り難うございます。(・ω・`)

>>772-775
詳しいレス有り難うございます。血塗られた歴史ですね。
そのあたりの史料は、どんなものが有るのですか(・ω・`)?

778 :日本@名無史さん:2017/07/19(水) 09:46:47.83 .net
>>私は探しました。
>>崇神の少し前にトヨ、その少し前にヒメがいます。

 >ひょっとすると、すごい発見かもしれません。
 >その二人は、皇室の系図にいらっしゃるのでしょうか?
 >そうであれば、どのあたりにいらっしゃるのでしょうか?

います。初代皇后と4代皇后です。ヒメ踏鞴と天トヨ津です。
そう言うと必ず反論が来ます。卑弥呼は独身だが?という反論です。

【年已長大、無夫壻】
・歳すでに長大である。夫はいない

たったこれだけです。にも関わらず卑弥呼は生涯独身であったかのようにいう人たちがいます。
ちなみに今現在、私の母親は【年已長大、無夫壻】です。
しかし子も孫もいます。卑弥呼に子がいてもいいし孫がいてもいい。

そのヒメ踏鞴の夫である神武が初代天皇です。
この天皇・皇后という称号は7世紀に出来ました。
創った理由は大王(おおきみ)ではなかった神武を新称号・天皇に繰り上げるためです。

実は神武の時代が女王国だった。
日本書紀の神武東征の大げさな記述は女王国であった事をごまかすためでしょう。

ではなぜごまかすのか。
ヒメ踏鞴・神武夫妻の5世代100年前、自ら海を渡り後漢の皇帝・安帝に朝貢しようとした日本の王がいました。
スサノオです。

日本の歴史が中国への土下座朝貢から始まるなんて惨めにもほどがある。

だから分らなくさせようと神武の時代をBC660年というトンデモない時代にずらし、
この史実(スサノオの朝貢)を封印したのだと思います。

779 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 00:27:28.45 .net
弥生時代に皇后もへったくれもない。
神武は複数の奥さんとたくさんの子供がいた。

780 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 00:28:44.87 .net
イスケヨリかわいいよイスケヨリ

781 :日本@名無史さん:2017/07/20(木) 00:35:17.14 .net
頭の病院に行け

782 :日本@名無史さん:2017/07/25(火) 00:13:20.59.net
>>778
スサノオって、普通に須佐之男、じゃないの?
ルーツは知らないけど須佐に住んでたんでは

783 :日本@名無史さん:2017/07/25(火) 19:06:27.38.net
そもそもそれは当て字だし、当時は現代語の「の」には「つ」などを用いていたから。
宇佐にいた菟狭津彦とかみたいに。

784 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 00:31:47.15 .net
高天原(海の国)のアマテラス(海の王)は、親戚の大国主が治める稲穂が豊かに茂る陸上(豊葦原中国)が欲しくなった。
そこで船で軍勢を送り脅し、降伏した大国主を殺して国を取った(出雲の国譲り)。
そして孫のニギハヤヒを関西に、孫のニニギを九州に王として派遣した(天孫降臨)。
奈良盆地には大国主の一族(三輪山の神、富美の一族)が生き残っていて、ニギハヤヒを王として迎えた(後の物部大連家)。
九州に降ったニニギの末裔であるイワレヒコは、九州倭国の戦乱(倭国大乱)で九州を逃れて、奈良にいた親戚のニギハヤヒ一族を頼って落ち延びてきた(後の天皇家)。
蘇我大臣家がいつ頃奈良盆地に来たのかは分からない。
古代のヤマト王権はこれらの家系により共同で運営されていた。
蘇我大臣家と天皇家は物部大連家を滅ぼした(物部戦争)。
次に天皇家が蘇我氏を滅ぼした(乙巳の変)。
こうして天皇家が畿内の覇者となった。

785 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 00:52:31.34 .net
>>779
>神武は複数の奥さんとたくさんの子供がいた。

何処にいたんだ嘘ぬかすな。
神武が大王なら先妻のアヒラツヒメも幼いキスミミも九州から呼び寄せるだろう。
しかしそんなことをしていない。
彼は大和では妃はいない。

平気で嘘を言うな。

786 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 08:08:23.07 .net
各地に妻がいた。
ちなみに弥生時代に妃という制度はない。

787 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 08:48:42.88 .net
>>786
>各地に妻がいた。

名前は?

788 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 08:51:38.14 .net
>>787

自分で書いているだろ。

>>785
>神武が大王なら先妻のアヒラツヒメも幼いキスミミも九州から呼び寄せるだろう。

先妻という意識もないだろう。
妻問婚の時代なんだから。
単に各地に通う姫がいたというだけ。

789 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 09:02:05.51 .net
あと、神武亡き後に実権を掌握したのはタギシミミに思えるね。
だからイスケヨリを娶るという無茶が通ったのだろう。
タギシミミは殺されて、殺した方の末裔が天皇家になったから、長男でありながらタギシミミは神武の後を継いだことにはされなくなったのだろう。
ヤイミミとヌカカワミミの兄弟がその後を継ぐけれども、この二人は実際には兄弟相続だろう。
しかしヌカカワミミの末裔が天皇家になったということで、ヤイミミも実質的には相続しなかったことにされたのだろう。
つまり綏靖天皇は異母兄と同母兄に続き、実は神武から数えて第四代なんだ。
ただ、記紀が書かれた頃の価値観と合わなかったから、そうならなかった。
何度も言うようだが、弥生時代の歴史を後世の価値観で解釈すると、本質を見誤るんだよ。

790 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 09:05:00.42 .net
あと、タギシミミについてはイスケヨリをめぐるやり方が当時の人たちの目にも余ったのだろう。
亡き父の妻を娶ることは、当時の倫理観からもギリギリアウトなんだよ。
まあ、源氏物語を思い出すけどね。

791 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 09:10:17.12 .net
当時は九州の方が発展していたから、キスミミだって田舎は嫌だし、妻問婚の時代だからアヒラツヒメが実家を出る意味もない。
九州説なら、神武がいた筑紫日向は邪馬台国7万戸、アヒラツヒメが宮崎の方なら投馬国5万戸で、奈良盆地よりよほど都会だからね。
イスケヨリも三輪山の神の家だけど、それはかなりローカルな勢力だよ。

792 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 09:14:44.26 .net
イスケヨリは記紀のこの時代の登場人物の中では特に人間臭いエピソードに溢れた姫だね。
大久米との問答は、奈良盆地に刺青の風習がなく、邪馬台国畿内説を否定する根拠だよ。
魏志倭人伝には邪馬台国では皆が刺青をしていたとあるので、大久米の出身地である九州が邪馬台国と考えられる。

793 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 10:32:33.00 .net
>>788
宮崎にアヒラツヒメを残し、大和でヒメ踏鞴と結婚した状態が、
なんで「各地に妻がいる」になるのかアホ。
なぜヤマトで複数の妻を持たなかったのかと聞いてるのだ。

中国の皇帝は後宮に美女3千人だ。
なぜ神武はそれをやらなかったのかと聞いてるのだ。

ズレた事言ってんじゃねぇやハゲ。

794 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 10:34:42.89 .net
>>792
>奈良盆地に刺青の風習がなく、邪馬台国畿内説を否定する根拠だよ。

久米の入れ墨をした大きな目に驚いただけ。

795 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 10:38:01.28 .net
>>789
>あと、神武亡き後に実権を掌握したのはタギシミミに思えるね。
だからイスケヨリを娶るという無茶が通ったのだろう。

アホか。
熟女マニアではあるまいし何でオバハンと結婚するねん。
しかも義理母。

タギシミミがヒメ踏鞴と結婚したのはヒメ踏鞴が【女王】であったから。
男の最高位に就くには女王と結婚するのが近道だ。

796 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 10:42:09.61 .net
>>795
王権の権威が
皇后の血筋にあったということだろう。

797 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 10:52:47.93 .net
>>793
>中国の皇帝は後宮に美女3千人だ。
>なぜ神武はそれをやらなかったのかと聞いてるのだ。

後世に天皇と呼ばれるようになったが、実は神武らは奈良盆地の一部に住み着く小勢力に過ぎなかった。

798 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 10:53:36.94 .net
>>796

その通り。
皇后の血筋とは大和にいた出雲系鴨族。
鴨とは神だ。
つまり神族。
大和にいた出雲系鴨族なら2世紀前半からいた「其国」の男王も説明できる。
大物主、そしてスサノオに遡れる。
高天原(御所市高天)が存在するわけだから。

799 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 10:54:51.48 .net
>>796
奈良盆地の真の支配者は、イスケヨリの実家の三輪山の神だった。
だから皇后という概念は正しくない。

800 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 10:55:42.58 .net
鴨はトーテムに過ぎない。

801 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 10:56:32.60 .net
>>793
>実は神武らは奈良盆地の一部に住み着く小勢力に過ぎなかった。

神武は小勢力であり、生口のいる柏原の俘囚郷を束ねるのが仕事であっただろう。
しかし神武が「婿入り」した先は大王家だ。

802 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 10:57:39.61 .net
>>798
せいぜい奈良県に引っ越してきた末裔の一人。
決して西日本を支配する卑弥呼ではない。
当時の奈良盆地に、周辺地域を支配することができた勢力があった痕跡はない。

803 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 10:58:07.67 .net
>>800
トーテムなんてねぇよ。
くだらない本を読みすぎ。

804 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 10:58:39.70 .net
>>801
婿入り先も地域の豪族。
大王ではない。

805 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 11:00:46.47 .net
>>802
>当時の奈良盆地に、周辺地域を支配することができた勢力があった痕跡はない。

2世紀末から畿内発祥の土師器が九州をはじめ全国各地に拡散する。
その震源地である畿内に女王がいた証拠だ。
九州説なる虚構をいつまでも信じてる様だが往生際が悪い。
失せろ。

806 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 11:04:39.84 .net
>>804
>婿入り先も地域の豪族。
>大王ではない。

アホか。
事代主神の娘だ。
神だ。
だからヒメ踏鞴の息子も
長男 神八井耳命(カムやいみみのみこと)
次男 綏靖「神渟名川耳天皇(カムぬなかわみみのすめらみこと)
となってる。

おまえのように「地域の豪族」などと言ってたら首チョンパされるぞ。

807 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 11:12:55.48 .net
基地外

808 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 11:13:27.89 .net
>>806
その神はご先祖様、くらいの意味だよ。

809 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 11:15:02.38 .net
>>805
葛城なんて、邪馬台国とは関係ないよ。
語感からして、邪馬台国なんていかにも九州で、葛城なんていかにも関西だろ。
別物だよ。

810 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 11:16:26.55 .net
>>809
根拠が「いかにも」www

811 :日本@名無史さん:2017/09/20(水) 11:18:04.89 .net
いまどき九州説者なんて幸福の科学と変わらない。
あいつら大川隆法の言う事が真理であり絶対なのだからな。

812 :日本@名無史さん:2017/09/27(水) 13:19:44.06 .net
九州か畿内かまだ確定したわけでもないのに、確定的に語るものこそ
カルト信者ではないの?(・ω・`)?

813 :日本@名無史さん:2017/09/27(水) 14:24:15.40 .net
>>812
考古学的には畿内に確定。


あきらめきれないしつこ〜い九州説が頑張ってるだけ。

814 :日本@名無史さん:2017/09/27(水) 14:33:26.91 .net
幾内って何もないのに?

815 :日本@名無史さん:2017/09/27(水) 19:09:03.92 .net
奈良も大阪も京都も沼地でした。

816 :日本@名無史さん:2017/09/28(木) 16:39:33.57 .net
>>813
>考古学的には畿内に確定。

証拠が何もない。

817 :日本@名無史さん:2017/09/28(木) 17:14:28.33 .net
>>811
いやいや、大川先生は信者の意見を聞いて考えを変える事は多いんですよ

818 :日本@名無史さん:2017/09/28(木) 17:34:06.05 .net
>>813
>考古学的には畿内に確定。

根拠なし。

819 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2017/10/22(日) 08:16:49.23 .net
古代出雲のスレなのに何故に邪馬台国(・ω・`)?

820 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2017/10/22(日) 09:48:54.75 .net
畿内説スレが埋まっていたから。

821 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2017/10/22(日) 11:43:56.35 .net
出雲に海洋拠点、古代集落が有ったことは確定であって、
それを古代王朝と言うなら、出雲も九州も各地の大規模縄文遺跡だって王朝だろ。

倭人伝によって大和朝廷の九州統一が250年以降なら、
年代偽証または年号不定の記紀起源のスサノオは物証が出ない限り史実に不要。
継続王朝の正史が偽造なら、埋葬古墳出土以外の物証は出ないぞ宮内庁、あん?

822 :名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!:2017/10/22(日) 15:31:51.45 .net
>>821
倭人伝では、倭国大乱前に男王の時代が70〜80年あったとあり、少なくとも1世紀には倭国に王権が存在した。
後漢書には、倭奴国がその代表として金印を受け取っている。
だから250年ということはない。

823 :日本@名無史さん:2017/11/26(日) 23:19:41.50 .net
出雲王国も宮崎の邪馬台国も吉備国も尾張国も奈良国も同時期に各地に存在していた。
その中で出雲は吉備・奈良・尾張・信濃・その他東北までの集落国家の連合王国の
盟主だった。だから出雲王は大国主の尊と呼ばれ、全国の王(神)は出雲に集まった。
邪馬台国の神武はもう一つの戦国時代の織田信長だったのではないか?信長は途中で
殺されたが、邪馬台国の神武は統一に成功したという見方もできるのではないか。

824 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 00:01:13.02 .net
>>822
九州北部なら、中国から倭国の王権と認められたことを示す内行花文鏡を副葬された王墓が紀元前の前漢の頃から作られていた。
畿内では倭国大乱の前の政権の痕跡がなく、矛盾してしまう。

825 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 00:25:51.02 .net
>>824
>畿内では倭国大乱の前の政権の痕跡がなく、矛盾してしまう。

畿内には普通に弥生時代の遺跡があるが?
またその弥生時代の遺跡は2世紀末に環濠が埋まり須恵器や古墳時代が始まる。
これは倭国大乱の痕跡である。
この時代の北部九州は畿内系土器(土師器)を受け入れてるわけだから、
その大乱から女王擁立の震源地は畿内である。

826 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 06:33:56.00 .net
遺跡だけならどこにでもある。
何の根拠にもならない。

827 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 08:59:00.25 .net
弥生時代の遺跡なら九州の方が多いし密度も高い。

828 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 09:30:35.78 .net
>>826
高地性集落がある

829 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 09:48:05.43 .net
>>826
>>824
ただ遺跡があるという事ではなく、
倭国大乱から卑弥呼擁立という一番重要な時期2世紀末に、
九州は畿内土器を大いに受け入れている。
一方、畿内に九州土器はほとんどない。
これはその波の震源となる王権が畿内にあった証拠だ。

しつこい、あきらめろ。

830 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 09:53:23.80 .net
土器とか交易で運ばれてただけでしょ
王権が畿内にあった証拠とか理論が飛躍しすぎでしょ。

831 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 09:55:35.38 .net
>>830
そんな空想は反論にならない

832 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 09:56:25.56 .net
>>828
高地性集落は外部からの襲撃に備えたもので攻撃に曝されていた証拠
九州からの植民地者と先住民との闘いの跡。

833 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 09:57:54.39 .net
>>831
土器と王権の関係の証拠を示さずに結論だけなんて
空想ですよね。

834 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:09:05.28 .net
オフトピだから細かく言わないだけだろう

835 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:11:18.64 .net
土器と王権の関係を示す証拠とかあるの?

836 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:11:39.37 .net
>>830
>土器とか交易で運ばれてただけでしょ

胎土分析により、土器が運ばれたのは事実として、重くて壊れやすい土器でなにを運んだんだろうか?
土器そのものを運んだんだろうか? だとしたらなんのために?

837 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:16:01.03 .net
何か入っていたかもしれないし
税として徴収されたとかもあるな。

838 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:17:10.03 .net
>>829
>九州は畿内土器を大いに受け入れている。

別に畿内からのだけではない。
九州は畿内だけでなく、西日本全域からの産物を受け取っていた。
それは富と権力が集中する都だったから。

839 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:17:30.48 .net
単に物と物の交換もあるかな。

840 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:18:04.37 .net
>>832
九州から来て山の上を占拠して支配民として振る舞った可能性は?

841 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:18:18.72 .net
空想ですな

842 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:18:25.88 .net
>>829
土器と王権の関係の証拠を示さずに結論だけなんて
空想ですよね。

843 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:18:44.98 .net
>>832
そんな空想は反論にならない

844 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:19:55.37 .net
>>837
>税として徴収されたとかもあるな。

土器を? 土器ばっかり徴収しても仕方がないのでは? 

845 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:20:51.63 .net
土器の広がりは王権の広がりは空想ですよね。

846 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:22:45.45 .net
>>844
土器に食べ物とかを入れて運んだんだよ。
博多には全国の産物が集まっていたのだろう。

>>829
>一方、畿内に九州土器はほとんどない。

畿内は納税するだけの植民地。

847 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:23:17.58 .net
>>844
交易の為に持ち込まれた可能性もありますね
鉄を手に入れる為に大量の土器が必要だったとか
鉄斧1つに土器1000個とか。

848 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:25:28.55 .net
>>845
>土器の広がりは王権の広がりは空想ですよね。

軽量薄型土器製法の広がりは、拓殖地域の広がりですね。   @阿波

849 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:53:23.97 .net
北部九州は倭国大乱の2世紀末から畿内土器(土師器)を受け入れはじめ、
やがて在地の西新土器が終わり、すべて土師器に変わる。
簡単に言えば畿内に屈服した。
つまり卑弥呼は畿内。

850 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:57:21.56 .net
>>849
便利だったから採用したんでしょう。
土器の流れは九州への権力の集中を示しています。

851 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:58:36.01 .net
>>847
朝鮮半島との交易のためなら、畿内の土器が朝鮮半島で見つからなくてはいけないはず。
そうではなく九州で見つかるので、その仮説は成り立たないように思います。

852 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 10:58:52.66 .net
>>835
>土器と王権の関係

土師器と前方後円墳は一体。
那珂八幡古墳が福岡の王墓ではないというのなら話も別だが、
あれは王墓であろう、ただし福岡限定の王。
また那珂地域には土師器以前の畿内弥生土器も出てるので、
那珂八幡古墳は畿内系の王に間違いない。

853 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 11:10:31.88 .net
>>852
>あれは王墓であろう、ただし福岡限定の王。
>那珂八幡古墳は畿内系の王に間違いない。

根拠なし。

1号主体部が発掘されていないので、副葬品の全容なども不明。
2号主体部からは、木棺槨なし、三角縁鏡(岡山、京都、奈良に同范鏡)、麻と絹。

神武の親戚?

854 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 11:12:50.42 .net
根拠に「根拠なし」とレスするだけの簡単なお仕事だね。

時給はいくら?

855 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 12:08:12.35 .net
>>851
九州の勢力が朝鮮半島を抑えていたんだよ
畿内は九州を通さないと交易できなかったんだよ。

856 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 12:31:32.31 .net
証拠なし

857 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 12:41:56.13 .net
そもそも畿内に鉄ががが

858 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 13:09:44.29 .net
壊れた・・・

859 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 13:13:37.66 .net
思わずワロタ

860 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 13:22:22.37 .net
>>854
根拠なし

861 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 13:27:42.04 .net
ががが、って妨害電波でも受信したか

862 :日本@名無史さん:2017/11/27(月) 16:16:06.25 .net
もとから電波

863 :日本@名無史さん:2017/11/29(水) 07:44:58.57 .net
学術的に不確かなのはスサノオ出すからです。
馬鹿の見本。

864 :日本@名無史さん:2017/11/29(水) 08:05:44.47 .net
畿内には朝鮮半島との交易や中国との外交の痕跡が希薄ということだね。

865 :日本@名無史さん:2017/11/29(水) 08:33:40.83 .net
>>864
ウワナベの鉄挺くらい?コナベだったか。

866 :日本@名無史さん:2017/11/29(水) 08:50:46.63 .net
>>865
無知乙

867 :日本@名無史さん:2017/11/29(水) 14:00:30.27 .net
>>864
中国製の小札革綴冑。

九州・石塚山古墳の1点を除き十数点がすべて畿内。
台与の朝貢時期に入手したとしか考えられない。
台与は畿内におり王権が畿内にあった証拠。

868 :日本@名無史さん:2017/11/29(水) 14:47:15.94 .net
出雲と大和では本来神に対する信仰が異なっていたが出雲の信仰が大和に入り込み混ざり合ってわかりにくくなっている。

869 :日本@名無史さん:2017/11/29(水) 16:01:59.61 .net
大和のそもそもの信仰なんてない。
出雲と高天原からの流入だけ。

870 :日本@名無史さん:2017/11/29(水) 16:14:25.79 .net
なんか証拠でも?

871 :日本@名無史さん:2017/11/29(水) 16:19:55.99 .net
大和の信仰って何さ。
三輪山の神は出雲の事代主の末裔だろ?

872 :日本@名無史さん:2017/11/29(水) 22:21:18.32 .net
出雲は神奈備信仰、大和は三輪山信仰(ミモロ)信仰。

873 :日本@名無史さん:2017/11/30(木) 01:53:56.32 .net
三輪山を神奈備としただけだよ。

874 :日本@名無史さん:2017/11/30(木) 09:14:49.61 .net
出雲に伝わるクナトの神と幸神、その子のサルタヒコ。
大国主の前に信仰されていたらしい。
クナトの神、渡来人を思わせる、文物をもたらした神。
ある伝承では、東から来たらしい。
元々出雲にいた幸神と結ばれたのだろうか?

西ではなく東からというのが興味深い。

875 :日本@名無史さん:2017/12/05(火) 00:04:45.08 .net
クナトとか言ってる奴って
あの新興宗教の信者さんかな?

876 :日本@名無史さん:2017/12/06(水) 23:32:14.68 .net
>>874
幸神と表記して、サイの神。
太陽の女神/大日霊女貴命の神格を有した。

出雲の東の王家、富家(向家とも)から分家独立した登美家(初代は天日方奇日方命)が三輪山に父祖の御霊を大物主神と奉り、出雲族の信仰(国教)で有ったサイの神をも併せ祀った
三輪山(三室山(=御陵の山))の祭祀を管掌する初代の祭主/神主には
登美家の媛鞴踏五十鈴日女命が就任して奉仕なさった。
(要するに祭神の娘が(渡来人(天津神ら)により)無念の死を遂げた父の御霊(いわゆる事代主で大物主。スクナヒコ(出雲の副王の称号))を祭祀して慰霊をした)

漏れ聞く伝承から、葛城に移住して登美家を号して分家独立した時期はおよそ紀元前2世紀前半と推定できます。
が、そうなると、困った事に他の系譜(先代旧事記。海部氏勘中系図、尾張氏系図。、、、)等共に世帯数が足らない問題が浮上してしまいます。

出雲族のルーツは南インドのドラビタ族(現在も同地域にはドラビタ族が住む)で
四千前アーリア人の侵入により故郷(エデンの園?)を逐われて流浪の民となり
一族の首長、クナト大神(大王)に導かれ誘われてアフガニスタン辺り〜バイカル湖、、、、北回りで日本列島に渡来して日本海側を徐々に南下して出雲地域に定住化したのが三千年前という。
やがて勢力を強め我が国で最初の国を建国(歴代首長をクナト大神と奉った?)。
王政を開始したのが2600数十年前。(神武の即位時期は出雲の王政開始時期を横領したモノか?)
出雲風土記に国引きの英雄として描かれた八束水臣津野命は、
出雲王国第6代のオオナモチ(主王/帝王)で実際にその治世に支配領域を一気に北陸(古志の国)〜九州北部にまで拡大なさった英雄なのだとか。
その手法は武力に訴える強引なものではなくて、
父祖伝来の国教、幸神三大神を説いて話し合いにより平和裏に出雲王国に加わることを勧めたという(大国主の各地に赴いての妻問婚に反映)

877 :日本@名無史さん:2017/12/07(木) 07:59:15.45 .net
>>876
>漏れ聞く伝承から、葛城に移住して登美家を号して分家独立した時期はおよそ紀元前2世紀前半と推定できます。

根拠が不明確。
多分1〜2世紀だと思う。

878 :日本@名無史さん:2017/12/07(木) 08:01:34.84 .net
>>876
>一族の首長、クナト大神(大王)に導かれ誘われてアフガニスタン辺り〜バイカル湖、、、、北回りで日本列島に渡来して日本海側を徐々に南下して出雲地域に定住化したのが三千年前という。

妄想。
スサノオや大国主は稲作を広めた農業の神でもあるので、稲作がない北方から来るわけがない。
中国大陸の江南からの移民だよ。

879 :日本@名無史さん:2017/12/07(木) 10:35:27.04 .net
弥生時代は温暖だったんだよ

880 :日本@名無史さん:2017/12/07(木) 11:01:04.25 .net
弥生は寒冷期だろうに

881 :日本@名無史さん:2017/12/07(木) 13:19:35.50 .net
寒冷期に南方の植物が北方に広まるかよ

882 :日本@名無史さん:2017/12/07(木) 13:21:22.38 .net
稲作が広まった話をしてるんだから弥生時代後半の寒冷期は関係ない話だな

883 :日本@名無史さん:2017/12/07(木) 13:29:47.89 .net
上のほうの人々だけが、畿内のほうに行ったんじゃないの?
いまの奈良とか京都のほうに行き、
都を造った

884 :日本@名無史さん:2017/12/07(木) 13:48:12.70 .net
>>883
都を作れるような環境ではなかったよ。
奈良は古奈良湖の下で、京都は小椋湖の下で、人が住める環境ではなかった。

885 :日本@名無史さん:2017/12/07(木) 15:48:29.68 .net
クナトとか言ってんのはあの新興宗教の人だよねぇ多分

886 :日本@名無史さん:2017/12/07(木) 22:01:12.32 .net
渡来人の支配

歴史を通じて、戦後まで半島に土着勢力による政権が存在したことは一度もない。

箕子朝鮮:中国人
衛氏朝鮮:中国人
新羅:秦人(中国人) 日本人
百済、高句麗:扶余(中国少数民族) 日本人
高麗:中国人
李氏朝鮮:女真族(中国少数民族)
朝鮮総督府:日本人
終戦後:アメリカ人

887 :日本@名無史さん:2017/12/08(金) 08:13:48.05 .net
日本もずっと渡来系の政権だけどね。

888 :日本@名無史さん:2017/12/08(金) 13:03:35.15 .net
家庭教師の渡来系

889 :日本@名無史さん:2017/12/08(金) 21:13:13.62 .net
今上天皇も皇太子も鼻が高いから白人の血が入っているのは確かだね。

890 :日本@名無史さん:2017/12/09(土) 08:24:57.49 .net
北方系なのは間違いないが

891 :日本@名無史さん:2017/12/09(土) 08:55:04.27 .net
騎馬民族顔だな

892 :日本@名無史さん:2017/12/09(土) 11:23:14.51 .net
日本の先祖は兀良哈だろ(笑)

893 :日本@名無史さん:2017/12/10(日) 04:21:34.54 .net
建速須佐之男→武埴安狭野王

894 :日本@名無史さん:2017/12/10(日) 07:54:19.93 .net
同一視すれば楽だよな。
でも真実はそこにはない。

895 :日本@名無史さん:2017/12/10(日) 12:41:52.92 .net
適当すぎ

896 :日本@名無史さん:2017/12/10(日) 18:53:25.46 .net
神武東征後に畿内から筑紫に連れてきた部落民が畿内式土器を
作ったのだろうな
銅鐸の消滅と時期も重なる

897 :日本@名無史さん:2017/12/11(月) 08:44:26.06 .net
天皇の先祖は兀良哈だよ
野蛮な女真野郎さ

898 :日本@名無史さん:2017/12/18(月) 21:56:09.95 .net
斎木雲州って人の本って、やはりトンデモ本だよね!?

899 :日本@名無史さん:2017/12/18(月) 22:13:19.15 .net
>>898
いいえ
トンデモ本ではないです。
民俗学的に貴重な内容です。

900 :日本@名無史さん:2017/12/19(火) 08:50:45.88 .net
東北人と出雲人は縄文系とDNA検査で判明しましたね
タケミナカタが諏訪に逃げ落ちたのも同じ縄文系の文化圏で母方の親族つながりかも
出雲系の神社は敵対関係の荒ぶる神を封じ込め慰撫するため建てられた感じですね
大陸系の民族に希少種だった縄文人がほぼ絶滅に追いやられたのは本当にもったいない

901 :日本@名無史さん:2017/12/19(火) 09:20:59.55 .net
【歴史】遺伝的に近かった「出雲人」と「東北人」…「縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった!
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1513616779/

902 :日本@名無史さん:2017/12/20(水) 07:20:19.53 .net
>>876
妄想。
インド、ドラビダ族の由来のY染色体遺伝子をもつ人は現在、日本では確認されていません。
また出雲国造家のY染色体遺伝子も中国人のそれではなく、1万年以上前から
日本に住む縄文人の遺伝子であることが現在判明しています。

903 :日本@名無史さん:2017/12/20(水) 07:35:27.73 .net
そこに出雲と長らく黒曜石交易していた沿海州南岸の北方アジア人が定着してきた。

彼らは50年以上経つと、周辺に拡散しだして、中でも九州北部を乗っ取ったものは
ほどなく朝鮮南部から稲作をパクってきて、最古水田菜畑を開始した。

安定した食料を確保できる生産経済を獲得した彼らはその後、人口爆発して日本中に
拡散していった。

904 :日本@名無史さん:2017/12/20(水) 17:47:15.02 .net
【長野】縄文時代の諏訪地方を起源とし、諏訪信仰に影響したとされる「ミシャグジ信仰」研究の意義を議論 岡谷
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1513608054/

905 :日本@名無史さん:2017/12/21(木) 06:08:36.25 .net
>>885
あの新興宗教ってなに(・ω・`)?

906 :日本@名無史さん:2018/01/06(土) 22:37:37.60 .net
最近、徐福がスサノオだって説をネット上で見かけるんだけど根拠って有るの(・ω・`)?

907 :日本@名無史さん:2018/01/06(土) 23:15:05.15 .net
年代が違うからありえない。

908 :日本@名無史さん:2018/01/07(日) 07:31:12.96 .net
>>906
その前に、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?

909 :日本@名無史さん:2018/01/07(日) 19:53:57.85 .net
秦なら鳥信仰かもな。

910 :906:2018/01/08(月) 19:43:23.27 .net
>>907-908
有り得ないですよね!?何で簡単に信じるんだろう(・ω・`)?

911 :日本@名無史さん:2018/01/08(月) 19:58:07.15 .net
そもそも素戔嗚も含めた日本の神って、記録に残る前の複数の神が集約されて、さらに仏やアジアの神様が集合されて今の形になってるんだから、
素戔嗚の原型になった伝承の一つに徐福が大陸から日本に渡った伝承が含まれていない、とは断言できないんじゃね?
素戔嗚のコアになった神が徐福モチーフかと言われると無理があると思うけど。

912 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 07:37:25.32 .net
スサノヲは新羅との関係が伝えられているから、徐福の要素は少なそうですね。

913 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 11:08:02.59 .net
>>911



で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?


.

914 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 11:17:22.98 .net
>>912
天日鉾命の半島由来(神功皇后の祖先。当然、応神朝のルーツ)と混同されてごちゃごちゃに成っているようです

915 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 11:44:20.54 .net
スサノオは天から追放されたときに新羅のソシモリを訪れたというだけで、
新羅と血縁関係がある訳ではない。

916 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 11:46:30.02 .net
>>913
吉野ヶ里。

917 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 14:01:33.62 .net
>>916
で、吉野ヶ里で出土した中国系土器と中国系農具は?

918 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 14:23:45.92 .net
スサノオは記紀の人物で神格だし年期や実存は不明ですが
徐福は秦の伝説の詐欺師なので実存する。

ただし、BC200年の日本は既に弥生時代だし、倭人伝によれば漢との交易も始まる。
日本での活躍は無いと考えた方が良いw 
蓬莱境を求めた方士なので、どこか離島で理想郷を作ってるなら遺跡位出るかもしれない。

で、中国系農具? のアラシさんも出土を期待していることだろう?
珍島犬は徐福のペットだった説 とかなwww

919 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 14:33:14.61 .net
南小路遺跡の伊都国初代王をニニギに比定するなら、その大叔父がスサノヲなので、実在したとすれば年代的には紀元前後。
徐福にはおそらく届かない(スサノヲの方が後)。
もちろんスサノヲを複数の人物が習合されているとは思うけどね。

920 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 22:34:57.14 .net
>>913
日本語がわからんか? 
現在に伝えられている素戔嗚という神格は、大和朝廷が成立する過程で各地の様々な英雄神・破壊神が集合された存在であるので、
その元となった存在も単独ではない。今となってはその元になった神々の個々の伝承は消滅しているので、ルーツを検証しようもない。

921 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 23:20:39.70 .net
>>920
ルーツを検証されると都合が悪いのかな?
複数の人物が集合されているとはいえ、その元ネタを探すことが不可能と断じる理由が全く理解できない。
天照の弟という役割は非常に強調されており、原形の重要な部分をしめている。
当時は兄弟相続であり、天照の次の王として記載している史書もあるという。

922 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 23:28:28.51 .net
天照とスサノオ、饒速日と邇邇芸、海幸山幸など、記紀神話には兄弟相続と思われる記事が多く見られる。
記紀が書かれた時代にはすでに兄弟相続が廃れていたため、書き手もよくわからずに表面的な事象を記述しているために理解が困難になっているだけ。
上記の兄弟相続の例は、およそ一世代おきに出現しているのも興味深い。
編者たちが意識していなかったであろう類型を読み取ることができるのも、登場人物たちの実在性を示唆するものといえよう。

923 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 23:29:22.40 .net
>>917
甕棺って土器ですよね

924 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 23:40:51.33 .net
>>921
言ってることがよくわからんが、そのアマテラスの弟が徐福だと言いたいのか?
素戔嗚の徐福部分って、海の向こうから渡ってきた人、ぐらいだと思うが。

925 :日本@名無史さん:2018/01/09(火) 23:44:50.26 .net
いや、むしろスサノヲにも実年代を与えることができるが、それは徐福の時代とかなり違うということ。

926 :日本@名無史さん:2018/01/10(水) 00:51:11.17 .net
>>923
弥生の甕棺墓は弥生前期半ばに半島からパクった壺棺墓からというのが定説。



で、吉野ヶ里で出土した中国系生活土器と中国系農具は?


.

927 :日本@名無史さん:2018/01/10(水) 06:42:42.65 .net
>>925
いや、俺が言ってるのは、素戔嗚はもともと色んな神様が集合されてるんだから、当然、それぞれの神様の成立年代も違うので、
素戔嗚の元の存在した年代を一つに特定するのは無理だろ、と。

徐福が素戔嗚のコアになったとは思ってないよ。
秦末に本当に日本にたどり着いてなかったとしても、後の後漢〜隋唐の時代に「昔、日本に向けて出港した大陸の偉い人がいた」って
話が日本に伝わって、それが素戔嗚に取り込まれてんじゃないか、って思ってる。

928 :日本@名無史さん:2018/01/10(水) 07:24:08.20 .net
>>927
スサノヲをコアはアマテラスの弟だろ。

929 :日本@名無史さん:2018/01/10(水) 10:25:10.06 .net
スサノオは天津神と国津神を繋ぐために後付けで無理やりアマテラスの弟にさせられたんだと思うよ
スサノオの伝説の多くが月読や大国主と被るのはそのせいだろう

930 :日本@名無史さん:2018/01/10(水) 11:28:04.56 .net
月読の伝説って何に載ってる?
古事記で名前が一瞬出てきた印象しかない

931 :日本@名無史さん:2018/01/10(水) 11:37:43.88 .net
山城国風土記とか

932 :日本@名無史さん:2018/01/10(水) 12:52:13.04 .net
>>929
>スサノオの伝説の多くが月読や大国主と被るのはそのせいだろう

三人兄弟だから当然では?

933 :日本@名無史さん:2018/01/12(金) 23:13:50.47 .net
古代出雲はもともと少なくても吉備をも包括した地域で
魏志倭人伝の投馬国がそれにあたるらしい
当時の出雲の中心は今の岡山平野にあったと宇佐氏(宇佐八幡社家)の言い伝えにある

934 :日本@名無史さん:2018/01/12(金) 23:54:16.72 .net
>>933
宇佐氏口伝は信憑性有るのですか(´・ω・`)?

935 :日本@名無史さん:2018/01/13(土) 00:17:11.13 .net
口伝の信憑性なんて現実的には測れるもんじゃない
文献も同じようなもんだがね
本が出てるから読んでみては?
そこらのトンデモ本とは次元が違う内容だと俺は感じたけどね

936 :日本@名無史さん:2018/01/13(土) 05:59:08.61 .net
>>1



で、当時の西日本に中国系盗賊団とやらが渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?


.

937 :日本@名無史さん:2018/01/13(土) 08:17:11.60 .net
>>933
>魏志倭人伝の投馬国がそれにあたるらしい

根拠なし。

938 :日本@名無史さん:2018/01/13(土) 21:48:03.22 .net
>>933
つか、「古代出雲」って島根県にあったの?

939 :日本@名無史さん:2018/01/13(土) 22:05:12.12 .net
出雲人は縄文人

940 :日本@名無史さん:2018/01/14(日) 07:35:16.29 .net
>>938
いい疑問です。
福岡県の中であるという説もあります。

941 :日本@名無史さん:2018/01/14(日) 07:50:05.83 .net
>>938
>つか、「古代出雲」って島根県にあったの?

出雲は倭国(阿波)の南部臨海地域。

942 :日本@名無史さん:2018/01/14(日) 12:44:02.54 .net
>>941
狭いな、おい
つか、どうやって大陸とやりとりしたの?

943 :日本@名無史さん:2018/01/14(日) 13:00:17.26 .net
>>942
>狭いな、おい

出雲は、倭国(阿波)の一部。 倭人伝にいう狗奴国である。   @阿波

944 :日本@名無史さん:2018/01/14(日) 13:01:02.69 .net
>つか、どうやって大陸とやりとりしたの?

このルートで大陸とやりとりした。

末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦)

↓【東南】陸行500里  福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)

伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

↓【東南】100里

奴国(二万戸)(田川辺り)

↓【東】100里

不弥国(千戸)(築上町辺り)

↓【南】 豊後水道 水行20日

投馬国(五万戸)(宿毛辺り)

↓【南】水行10日(太平洋ルート)又は陸行1月(旧土佐街道) 途中、阿南の若杉山辰砂採掘現場視察

女王・卑弥呼のおわす《邪馬台国 阿波》到着(七万戸)

↓【東】海渡1000里 (阿波から東へ1000里渡海)

女王国(阿波)の東、海(紀伊水道)を渡る千余里、復(ま)た国(畿内)有り、皆倭種なり。   @阿波

945 :日本@名無史さん:2018/01/18(木) 12:32:02.82 .net
質問
根拠ある話とトンデモ話の区別はどうやってみんなつけてるの?
歴史の話は嘘だらけなのに、古文書も

946 :日本@名無史さん:2018/01/18(木) 13:07:24.98 .net
なるべく古い古文書とか、中立の立場で書かれた中国の史書を参考にする。
あとは他の史書や考古学との整合性。

947 :日本@名無史さん:2018/01/18(木) 13:08:32.37 .net
>>944
周りに強い勢力がたくさんいて、阿波みたいな弱小はたどり着けないよ。

948 :日本@名無史さん:2018/01/18(木) 18:51:42.62 .net
高校生の方がおられたら、ぜひ皇學館大學で学んでほしいです

949 :日本@名無史さん:2018/01/18(木) 19:19:26.26 .net
>>943
狗奴国、、、クナ(と)国。クナト大神(最高神)を信奉する国?=出雲王国
クナト大神、、、熊野大神

950 :日本@名無史さん:2018/01/25(木) 23:48:04.66 .net
奈良県三輪山に出雲族が住んじょったんじゃのう。

951 :日本@名無史さん:2018/01/26(金) 14:09:58.33 .net
出雲の分家。
葛城/奈良の登美家(神(かも)王家/事代主、大物主)と
高賀茂家(出雲の西の王家、神門臣家の分家。高彦(味耜高彦の御子、多岐都彦(祖母は宗像の多岐都姫命)が初代))。

摂津の三嶋家(三嶋溝杭/高槻市辺りに盤拠)は登美家の初代、天日方奇日方命の母親、生玉依姫の実家。
、、、天日方奇日方命に随絆して葛城/奈良入り。

信州の諏訪家。
ルーツは奈良の登美家と同じ八重波津見命(事代主/大物主/少彦/粟島)の御子、建御名方富命(母親は高志の沼川依姫)が初代。

(妹君の三保須須美命は殺害された父親、八重波津見命の御霊を祭祀、慰霊した三保屋敷(居館)が後に三保神社と成った。)

九州(筑紫洲)の宗像家。
出雲風土記に言う、国引き神話の英雄。八束水臣津野命。
、、、出雲王国第6代オオナモチ(帝王)で西の王家、神門臣家当主。
の御子、カタアタス命が九州地方を分治委任される形で分家独立。宇佐を本拠地とした。
その三人の姫御子が所謂、宗像三女神(スサノオの娘ではない)
1女の多岐理姫命は出雲王国第七代オオナモチ(帝王)の天冬衣命に嫁して、
所謂、事代主/大物主の八重波津見命、高光姫命(この方重要。いわゆる天照大神/イザナミほか)ほかを生む。

2女の多岐都姫命(/高津姫命/神屋楯姫命)は出雲王国第8代オオナモチ(帝王)八千戈命(神門臣家。従弟?)に嫁して高彦、神門(神度)美良姫(天日方奇日方の后)、を生む。

三女のサヨリ姫命/市杵島姫命(天照大神/セオリつ姫/イザナミ)は渡来人、徐福(天火明、ニギハヤヒ、スサノオ。、、、ほか。)に嫁して
ホホテミ命とホヤ姫命を生む、(天皇家の大御祖母で出雲族との接続役)

952 :日本@名無史さん:2018/01/26(金) 14:29:37.14 .net
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。

953 :日本@名無史さん:2018/01/30(火) 14:02:47.27 .net
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

NE53X

954 :日本@名無史さん:2018/02/01(木) 12:02:05.26 .net
山形明郷の動画を見たおれが今からネトウヨが小便ちびらすような大胆仮説を発表します

古代朝鮮の百済、新羅のそれぞれの王は異民族だったらしい
つまり被支配層と支配層とが別民族、王とはいわば行政官みたいな立場

これを日本列島に類推適用すると出雲国がこれにあたる
つまり、ソシモリから来た初代行政官がスサノオというわけ
そして国譲りされたときの行政官がナムヂ

だから半島から天皇御一行様(自称天孫族w)が来たときに大した武力衝突もなくすんなり国を明け渡したのは
天皇御一行様が次の行政官だっただけのこと

出雲大社の伝承にスサノオが新羅からきたと書かれてるのはこのことだったんだなぁw

https://www.youtube.com/watch?v=l4swAYIl7lc

955 :日本@名無史さん:2018/02/01(木) 12:08:31.09 .net
弥生人が支配者層として渡来したのでしょう。
その代表が出雲ですね。
ただ、天孫族とは対立の結果として国譲りが成功しています。
渡来人同士であっても、敵は敵です。
破滅的決戦を回避できたのは、大国主の英断によるものです。

956 :日本@名無史さん:2018/02/01(木) 13:49:28.44 .net
山形は倭人伝の行程を説明しないんだよな

957 :日本@名無史さん:2018/02/25(日) 03:03:04.06 .net
出雲の大国主の名前は日本中に残っているが、大国主は緩やかな
集落国家連合の長をしていたのではないか?
出雲の神在月も連合の各族長が出雲に集まっていた逸話だろ?
奈良に神武が攻めてきた時、奈良に饒速日と長髄彦がいたのも、
連合国家があった証拠の一つということになるのではないか?

958 :日本@名無史さん:2018/02/25(日) 04:00:50.16 .net
神宮は天皇家を祀り、大社は土着の神を祀る。
もともと奈良に土着の神様出雲族が居て土地を治めていたんだね。
そこに今の天皇家が現れて退いてくれと。へで、出雲族は出雲に国移りしたわけや。

959 :日本@名無史さん:2018/02/25(日) 04:01:36.79 .net
古代に巨大階段の建造物を造れた出雲族にはすごい文明があったと。

960 :日本@名無史さん:2018/02/26(月) 14:54:16.01 .net
>>958
>神宮は天皇家を祀り、大社は土着の神を祀る。

後世の勝手な定義。

961 :日本@名無史さん:2018/02/26(月) 14:54:56.16 .net
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。

962 :日本@名無史さん:2018/03/04(日) 01:35:16.43 .net
出雲大社は大国主の怨霊鎮魂のために大和朝廷が建てたものだろ?

963 :日本@名無史さん:2018/03/04(日) 01:38:44.08 .net
違うよ、
お前たちは、どこの国の人間なんだ?

964 :日本@名無史さん:2018/03/04(日) 01:40:42.32 .net
『松傾』

この家の話

965 :日本@名無史さん:2018/03/04(日) 01:50:48.38 .net
そもそも中国の物語、
故事、逸話などから引用だと言っている人もいた

966 :日本@名無史さん:2018/03/04(日) 03:10:55.01 .net
老婆の川崎市という話
検索してみて

967 :日本@名無史さん:2018/03/04(日) 03:39:17.57 .net
また妖怪か

968 :日本@名無史さん:2018/03/04(日) 10:12:04.77 .net
>>962
大国主は但馬だから

969 :日本@名無史さん:2018/03/07(水) 08:15:03.69 .net
大国主は実は博多湾沿岸。
そうでないと、大国主を倒したので、天孫が倭国王となるために筑紫に降臨しました、という後日談が意味をなさなくなる。

970 :日本@名無史さん:2018/03/07(水) 15:36:56.92 .net
>>962
出雲大社。元の名称は杵築大社。

キキ神話等では恰かも大和朝廷が建立したかの様にしています。
が、違います。
ヤマト朝廷側が元、出雲国の2つの王家が隠然と在ることに危機感を募り、その勢力や財力を削ぎ弱体化を狙って
祖先を慰霊する壮麗な神社を建てないか?と唆して、
出雲の元王家側(反発すれば要らぬ嫌疑や波風が立つ事は必至故に否応なしに)
が賛同して
莫大な財力を傾け元来建築には向かない軟弱な地盤に苦心して壮麗な摩天楼(伝説では100メートル超)の空中神殿を建立(「杵築」(地盤改良して建設した)大社の所以)したのが真実。

主に出雲の西の王家です有った神門臣が携わった事から、東の王家、富(向)家は杵築大社は神門臣さんの物と謙譲していたという。

因みに、熊野大社は東の王家、富/向家が大庭の神魂神社に有った宮殿を(物部/ヤマト軍に明け渡し)辞した後、居住した事によるとか?

いずれも憎っき大悪人、出雲の仇敵ホヒの末裔らに乗っ取られ現在に至るところ?

出雲大社の祭神が本当に出雲国の大国主命=オオナモチ(帝号)で在るならば、
憎んでも憎み足らぬ仇敵のホヒの末裔(出雲国造)に祭られているおかしな構図です

971 :日本@名無史さん:2018/03/07(水) 15:44:00.08 .net
>>970
神魂神社や出雲大社のあの様式は古代出雲の王宮(御殿)の様式そのものらしい。

神魂神社の本殿はマンマ富/向家の王宮の場所かつお姿だと言います。

972 :日本@名無史さん:2018/03/07(水) 16:07:30.72 .net
>>970
>キキ神話等では恰かも大和朝廷が建立したかの様にしています。

どこをどう読んだらそうなるんだ?
出雲を倒して筑紫に新たな倭国政権が誕生したんだよ。

973 :日本@名無史さん:2018/03/07(水) 16:09:48.14 .net
あと、本来の出雲大社の本殿は高さ96メートルだったはず。
発掘された遺構は推定48メートル。自然倒壊したので半分に縮めたんだね。
そして現在はさらに半分の高さ24メートルになっているが、神社建築としては最大級。

974 :日本@名無史さん:2018/03/19(月) 02:21:49.29 .net
出雲大社は大国主の霊を慰めるものではなく
閉じ込めるためのものだろう。
諏訪大社も祭殿の四隅に柱を立てて結界を作り
タケミナカタを閉じ込めている。

975 :日本@名無史さん:2018/03/19(月) 11:08:59.63 .net
諏訪は車山山頂でも小さな神社でも祠でも
だいたい4本柱で囲んでいる

976 :日本@名無史さん:2018/04/06(金) 07:31:39.54 .net
>>972
地元、出雲の賢き王家の末裔の密やかな語り継ぎ(口伝)

元々は出雲の元二王家の滅亡後も勢力、影響力共に隠然とある事への危機感から
天皇家、大和朝廷やその手先の出雲国造家の先祖らが弱体化を狙って画策、反対すれば反逆の下心ありとして一気に攻め滅ぼす口実となることは必定。
一応はいわゆる大国主、第8代オオナモチ、神門臣家当主の八千戈命(天皇家、実行犯のホヒ(出雲国造の始祖)らに謀殺された)を慰霊する建前故、
主に元、西の王家、神門臣家が巨万の財を傾けて造営したもの。
それが伝説の100メートル超や約50メートルの空中神殿だったのかと?

977 :日本@名無史さん:2018/04/06(金) 08:50:26.43 .net
96メートルだな。
中世に半分の48メートルになり、現在ではさらにその半分の24メートル。

978 :日本@名無史さん:2018/04/07(土) 14:05:54.49 .net
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/Q5Ifb-UXVic

979 :日本@名無史さん:2018/04/11(水) 19:10:59.56 .net
古代史を解くカギは案外、徐福かもしれない

980 :日本@名無史さん:2018/04/11(水) 20:04:54.94 .net
古代出雲王朝は存在した
同様に毛野王朝、越国王朝、丹波王朝、吉備王朝、筑紫王朝、豊国王朝、火国王朝といった各地の王朝もまた畿内王朝に併存したのだ

981 :日本@名無史さん:2018/04/11(水) 23:03:45.29 .net
大和朝廷が出雲王朝だよ。
纒向の外来系土器で一番多いのは、尾張と出雲。

出雲と尾張は同祖。

飛騨の口碑そのまま。

982 :日本@名無史さん:2018/04/12(木) 00:09:45.06 .net
>>979



で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
日常食の蒸し餃子とワンタンは?


で、徐福集団が渡来定着したとウソブいているサギサギ考古学者の氏名と所属団体は?


.

983 :日本@名無史さん:2018/04/12(木) 00:46:45.18 .net
>>981
出雲と尾張が大和に屈したからじゃないの?

984 :日本@名無史さん:2018/04/12(木) 02:19:07.85 .net
出雲は前方後円墳体制の範囲外
四道将軍も山陰地方は丹波(当時は但馬・丹後を含む)までで留まった
長らく独自性を保持していた

985 :日本@名無史さん:2018/04/12(木) 11:03:28.85 .net
出雲を下した筑紫が政権を取り、後に神武が大和に東征したんだよ。

986 :日本@名無史さん:2018/04/12(木) 17:39:20.94 .net
纒向遺跡は出雲山陰系の土器は尾張に次いで多いからね。

出雲は大和朝廷の主体。
出雲オオナムチ系と尾張スサノオ系は同祖だな。

本当の国譲りは神功皇后、応神、仁徳の時代。

987 :日本@名無史さん:2018/04/12(木) 17:46:04.58 .net
その出雲を下して、筑紫に天孫が王として君臨したことが記紀に書かれている。
また、考古学的にも弥生王墓は九州北部にだけ見つかる。

988 :日本@名無史さん:2018/04/12(木) 20:02:46.43 .net
>>987
待ちな!
天孫降臨は日向だろ
それは初期の纏向型前方後円墳が西都原にもあることとも整合する

筑紫由来の勢力が畿内を乗っ取るのは神功・応神の御代だ

989 :日本@名無史さん:2018/04/12(木) 20:12:41.00 .net
鉄器が無い

990 :日本@名無史さん:2018/04/12(木) 20:36:49.46 .net
>>988
それは分家の耳と耳垂の墓だよ。
神武は筑紫の倭王宗家の出自だ。
宮崎県が日向国となるのは景行天皇の御代からだからな。
それ以前の筑紫の日向は福岡県。

991 :日本@名無史さん:2018/04/15(日) 03:38:32.58 .net
そういう無根拠なウソはいいから

992 :日本@名無史さん:2018/04/15(日) 09:03:36.68 .net
ニニギ降臨の地である筑紫の日向と、イザナギが禊をした筑紫の日向(博多住吉創建の地)は同じところだろ?
福岡県西部だな。
だったら神武が出立した筑紫の日向も福岡県西部だよ。

993 :日本@名無史さん:2018/04/15(日) 17:00:01.88 .net
筑紫の日向(笑)

ここではリントの言葉で話せ

994 :日本@名無史さん:2018/04/15(日) 20:15:57.51 .net
祓詞

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す

995 :日本@名無史さん:2018/04/15(日) 22:00:44.60 .net
筑紫は島の名前だろ
日向にしてもヒムカシで東側という意味であって九州島の北側、いわゆる律令国の筑前筑後ではない

996 :日本@名無史さん:2018/04/15(日) 22:05:12.90 .net
>>995
それでは筑紫の日向の橘の小戸が福岡市であることを説明できないよ。

997 :日本@名無史さん:2018/04/15(日) 22:08:17.95 .net
>>996
福岡豚骨市じゃないに決まってるだろキチガイジ!

998 :日本@名無史さん:2018/04/15(日) 22:20:06.32 .net
>>995
その定義は景行天皇の時に定められたもの。

999 :日本@名無史さん:2018/04/15(日) 22:28:39.02 .net
纒向遺跡の外来系土器の中心、尾張と出雲。

出雲王朝は初期の大和朝廷のこと。

飛騨の口碑そのまま。

1000 :日本@名無史さん:2018/04/15(日) 22:42:23.09 .net
>>998
ウソツキは泥棒民族の始まりニダ!

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