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邪馬台国は北緯32度付近の宮崎にあった

1 :魏使の旅程:2012/03/12(月) 22:40:30.26 .net
邪馬台国は当時の天体測量の結果楽浪郡の南一万二千里、すなわち宮崎の何処かにあった。会稽は帯方郡の南一万二千里にある。編者陳寿は郡を取り違えた可能性が高い。

265 :日本@名無史さん:2013/02/17(日) 21:19:51.75 .net
>>263
住む所と古墳を造る場所とはかなり離れていたということだろう。
人々は古墳のない所に住んでいたということだな。

266 :日本@名無史さん:2013/02/17(日) 22:25:31.73 .net
盆地は風も弱くて生産にも居住にも適している
西都原や平野はは台風のたびに暴風

267 :日本@名無史さん:2013/02/17(日) 22:43:09.83 .net
高すぎる堤防や無理なところに道路を作るから悪いんであって
土壌改良や森の若返りには台風は必要なんだよ

268 :日本@名無史さん:2013/02/17(日) 23:06:07.19 .net
堤防も無い時代は氾濫が土壌改良になっておったろうな。
灌漑も施肥も無い時代だろうし降水量が多いのも氾濫も害でもあるがむしろ恵み的に捉えられていたかもしれん。

269 :日本@名無史さん:2013/02/18(月) 23:12:57.21 .net
しかし台風時の風もとりわけ強いだろう台地辺縁を好んで居住地にしている
乾燥し易い土地の方が住環境としては適した面もあるとはいえ上り下りも大変だったろうに

270 :日本@名無史さん:2013/02/18(月) 23:19:12.06 .net
農産物の手掛かりはないものか
水稲だけでなく、陸稲・そば・にわとり、麻とかで、それなら田んぼと畑の行き来に便利な辺縁とか

271 :日本@名無史さん:2013/02/19(火) 00:02:02.00 .net
イネ、アワ、ヒエ、キビ、ムギ、ソバ、シソ、ナス、山椒、桃、葡萄、他色々の果実種子
水は下に下りたついでに汲んできてたんだろうな
台地上でも窪んでいれば湧水がある場所もあるし

272 :日本@名無史さん:2013/02/19(火) 00:29:58.97 .net
魏志倭人伝で出てくる植物の中に豫樟(くすのき)があるんだけど、
現在のクスノキの生息割合はwikiによると東海・東南海8%、四国12%、九州80%とのこと。
当然のごとく出てる。

273 :日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:02:32.85 .net
朝鮮半島にはあるが日本には無い植物もあるとして、
使者がやって来るまでに見ればじゅうぶんとの意見が大勢だ。

274 :日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:06:38.99 .net
具体的にはどれ

275 :日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:32:38.57 .net
楓香がフウという植物のことで当時の日本には自生していないそうだ。
18世紀に入ってきた植物らしい。
カエデのことだと言う人も居るし現代日本語訳すら定めきれていない。

276 :日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:48:50.21 .net
クスノキの自然林は北部九州が北限。

それより北のクスノキは人手によるものと推測されている。

277 :日本@名無史さん:2013/02/19(火) 02:02:25.71 .net
フウというのは台湾、中国南部が原産地らしいけど、
朝鮮半島でも確認されてるの?

278 :日本@名無史さん:2013/02/19(火) 19:26:36.22 .net
カエデは葉が5〜9裂するがフウ(楓)は3裂らしい。
トウカエデ(日本名:唐楓、中国名:三角楓)は3裂で、分布の中心は長江流域だが
遼東にも自生していて朝鮮でも育つはず。このトウカエデをフウと同一視した可能性
があるかな?葉が裂ける様子からぱっと見でカエデとも同一視したかもしれない。

279 :日本@名無史さん:2013/02/19(火) 19:52:08.83 .net
それなら「使者がやって来るまでに見ればじゅうぶん」はやや早計の感あり

280 :日本@名無史さん:2013/02/22(金) 23:02:01.24 .net
都城は熊襲が北上して宮崎、西都まで勢力を延ばした時に中継地点として発達したのでは。
諸県の君のような有力者もいたし。下手すると彼は応神天皇で東串良の唐仁古墳に埋葬された
人物で、神武天皇と同一人物で東串良の柏原から東征して宮崎、西都経由で美々津から再度
東征したかもしれない。東征は桜島、霧島などの火山の爆発で移住だった可能性もあり。

281 :日本@名無史さん:2013/02/24(日) 07:12:44.18 .net
そのころの地域間関係は知りたいんだけど遺跡の状況から推測するしかないんだよね

282 :日本@名無史さん:2013/02/24(日) 08:13:06.67 .net
・卑弥呼の時代の前、倭国大乱より前に始まった集落が、建て替えられながら
 古墳時代になっても同じ場所で継続してる。
・奈良にあるような最初期の前方後円墳が宮崎市や西都原にも作られている。
・イザナギが禊払いをしたとされる阿波岐原(檍原)の比定地のひとつの檍古墳群には、
 墳形と埋葬主体部が奈良のホケノ山と非常に良く似た古墳がある。
弥生末から古墳初頭のことだが想像される状況は一通りではないですよね。

283 :日本@名無史さん:2013/02/24(日) 10:35:04.52 .net
簡単に言えば、奈良と宮崎とが同じ勢力の範囲内だったということだろ。

284 :日本@名無史さん:2013/02/24(日) 11:04:28.70 .net
あんまり早すぎるが前線基地的な感じかねやっぱり

285 :日本@名無史さん:2013/02/24(日) 11:09:12.39 .net
宮崎が前線?
他に攻めるところがあるんじゃないの?

286 :日本@名無史さん:2013/02/24(日) 14:17:55.81 .net
宮崎も渡来系の熊襲の流れか。宮崎県から大隅・薩摩半島までのひむかの国だけが
空白地帯となっている。どうも神話に封じ込まれて歴史が捏造されている。
明治維新後も同じことが起こった。今後の遺跡発掘で新たな証拠が出ることを期待したい。

287 :日本@名無史さん:2013/02/24(日) 17:36:44.67 .net
>>284
どっちを前線基地と思っているのかな?

288 :日本@名無史さん:2013/02/25(月) 07:38:35.70 .net
投馬国=馬を供給する国
邪馬台国=呪術で治め、馬の形をした台にある国(でも馬はいない)
変かな?

289 :日本@名無史さん:2013/02/25(月) 07:53:45.57 .net
変だよ

290 :日本@名無史さん:2013/02/25(月) 20:29:26.39 .net
臺(台)は台地のことだと言う人もいる

291 :日本@名無史さん:2013/02/25(月) 20:41:36.03 .net
青瓦台の台

292 :日本@名無史さん:2013/02/25(月) 20:57:24.80 .net
そうそう
皇帝のおわす所みたいな意味の台だと言われることが多いけど台地のことだと言う人もいる

293 :日本@名無史さん:2013/02/25(月) 22:30:23.69 .net
古墳も圧倒的に台地に多いのだが古墳と言えば盗掘痕のあるものも多い。
聞くところによると昭和になったばかりのころ何者かによってかなりが盗掘された。
持田古墳群が特に盗掘がひどいらしい。
生目古墳群の1号墳もそのころ壊されかけたらしく後円部の一部が削られてる。

294 :日本@名無史さん:2013/02/26(火) 07:58:45.15 .net
ふんはどんどん壊されていく。卑弥呼の古墳はもうないかもな。

295 :日本@名無史さん:2013/02/26(火) 08:05:57.95 .net
盗掘されているとしたら、盗掘品は誰かが持っているのかな

296 :日本@名無史さん:2013/02/26(火) 19:01:22.80 .net
臺(台)は大倭のタイだ。

297 :日本@名無史さん:2013/02/26(火) 19:28:07.41 .net
邪馬は?

298 :日本@名無史さん:2013/02/26(火) 19:47:34.74 .net
>>295
県外の何処か誰か
当時の人が激怒しながら追跡調査して一部は照合されている
今までの判明分の合計で持田から出土した鏡は30数枚で画文帯が5、6枚あるらしい

299 :日本@名無史さん:2013/02/26(火) 21:28:43.12 .net
それとは関係ないけど穀璧についてこういう報告書が

文政元年戌寅二月日向国那珂郡今町農佐吉所有地字王之山掘出石棺中所獲古玉鉄器三十余品之一、
蓋日向上古之遺蹟多厶所謂王之山亦必非尋常古縁也

今見ル所ノ璧面恰粒子ノ如ク凸起セルモノアリコレ呉氏ノ所謂穀璧タルモノナリ
即コレ周代子爵諸侯ノ天子享用ノ器タリシモノナラム真二希世ノ珍宝卜称スベシ
弘璧ノ大サニツイテ云ヒ穀璧ハ製作ニツイテ云即コレ宏璧ニシテ穀璧タルモノカ
明治戊申二月念二日夜稿 

文政元年戊寅二月、日向国那珂郡今町村農佐吉所有ノ字王ノ山カラ掘出シタ石棺中、
古玉、古鉄器三十余点ノ内ノ一ツデアル。
然ラハ如何ニシテ日向ノモノガ遠イ金沢ノ前田家二伝ハツタカトイフト、
彼ノ幕末ノ北地探検家トシテ有名ナ松○○○郎氏ハ、古器類アサリヲヤリ日向二来タコトモ前後四回二及ビ、

昭和三十年四月 日向遺跡調査報告書第二輯 宮崎県教育委員会 より抜

300 :日本@名無史さん:2013/02/26(火) 22:55:17.19 .net
この穀璧が大和の地から出ていれば、畿内説で決まっていたものを・・・

301 :日本@名無史さん:2013/02/27(水) 00:43:06.02 .net
人力で整地できるくらいの小さな古墳が畑の中に散在しているわけで。
良心で保護されてきたものをわざわざ荒らし盗みに来ることに何か覚えなかったんかね?
出土の経緯があやふやになってしまったら何割も割引かれますわな。

302 :日本@名無史さん:2013/02/27(水) 01:14:34.55 .net
穀璧じゃなくて持田古墳群の方ね。
穀璧は偶然出土したものを保管していた人が譲渡なりしたんだろうと思う。
行方不明になるよりはきちんと保管してくれる名家に渡して良かったとも言える。
事実今まで失われずに保管されているし。

303 :日本@名無史さん:2013/02/27(水) 07:34:11.31 .net
鉄器という点から墓の築造は弥生後期後半以降だろうとは思うけど
石棺がどういう形だったかだけでも記されていればなあ
もう少し詳しい時代が推測できたかもしれんのに

304 :日本@名無史さん:2013/02/27(水) 08:25:29.90 .net
時代は穀璧自体からも推測できるよ。後漢時代、つまり卑弥呼の直前くらいだろう。

305 :日本@名無史さん:2013/02/28(木) 12:13:38.54 .net
その穀璧は周代のものだとされてますけどね。
伝世品なのかなと思うが推測でしかないし何とも言えんわな。

306 :日本@名無史さん:2013/02/28(木) 12:46:58.03 .net
前田家に渡って良かったというか前田家だから渡したのかもしれない。
というのは余程の富裕者でなければ売り飛ばしてどこかに行くだろうし、
かといって国やその下部組織では強いバイアスをかける可能性がある。
第三者で確かな家に渡したいだろう。

307 :日本@名無史さん:2013/02/28(木) 20:50:24.69 .net
串間からは明刀銭といって燕(戦国)の刀子のような形をした刀銭も出土している
明刀銭が出土したと伝えられる地は他にもあるのだけどね広島とか沖縄とか

308 :日本@名無史さん:2013/02/28(木) 23:45:08.48 .net
どこから出たのかそのへんを明らかにするための再発掘とかあるしな。
明らかにならないと穿った見方は消えんけど無いものはしかたない。

309 :日本@名無史さん:2013/03/02(土) 06:58:08.92 .net
昔のそういう出土の仕方じゃ駄目だ
例えば後世の倭寇で分捕ってきたものだとかそんな可能性が排除できん

310 :日本@名無史さん:2013/03/02(土) 07:03:52.74 .net
今流行りの対馬の仏像かw

311 :日本@名無史さん:2013/03/02(土) 07:18:25.05 .net
まあ可能性の一つでさ
出土した状況がはっきりしていないから他にもいろんな可能性が考えられる
対馬の仏像は倭寇で略奪した根拠も無しに根拠にして返還しないとか滅茶苦茶

312 :日本@名無史さん:2013/03/02(土) 13:27:57.33 .net
確かに略奪品である証拠を韓国側が出して、日本に返還を求めるってのなら筋は通ってる。
それをまず窃盗しておいて、窃盗犯側が返して欲しければ倭寇の時の略奪品ではない証拠を出せ?
頭がおかしいしさすがに怒りを禁じえないな。

313 :日本@名無史さん:2013/03/02(土) 14:18:09.36 .net
愛国無罪

314 :日本@名無史さん:2013/03/02(土) 16:58:18.19 .net
檍1号墳って木槨だけじゃなくてそこに続く地下墓道がある
ってとこが独創的っていうかなんて言うか珍しいね
長さ17mあるらしい
小さな地下式横穴墓も墓道を作るんだけど、その地下式
横穴墓石で閉塞させるのはイザナギがイザナミから逃げて
大石で塞ぐ話を連想させるね

315 :日本@名無史さん:2013/03/02(土) 17:29:23.60 .net
ついでに岩戸隠れも連想
亡くなったことの暗喩じゃないですかね
地下式横穴墓を作ってる地域では墓道を石で塞ぐのは一般化されてた
棺直葬とは違った死生観っぽいね

316 :日本@名無史さん:2013/03/02(土) 18:58:40.72 .net
玄室に羨道(墓道)を設けるのは4世紀末の北部九州が初見、
つまり朝鮮半島由来だとか各所に書いてるが違うじゃないか。
あの界隈はいったいどうなってるんだ?
檍1号墳ってその100年くらい前だろう

317 :日本@名無史さん:2013/03/03(日) 08:29:21.39 .net
考古学は良いけど、考古学の成果から任意につまんできて語る文学は要注意だ。

318 :日本@名無史さん:2013/03/03(日) 12:49:19.29 .net
読む側のリテラシーの問題だと思うけどな
檍って甕棺とかも出てるみたいだがいろんなとこと交流があったみたいだな

319 :日本@名無史さん:2013/03/03(日) 13:53:17.93 .net
非常識といわれても
作家は、世間の常識と違ったことを書いてアッといわせ無くてはビジネスにならぬから

320 :日本@名無史さん:2013/03/03(日) 14:20:57.05 .net
読む側の良識・わきまえは必要。

321 :日本@名無史さん:2013/03/03(日) 14:24:03.24 .net
そうやねえ…商売目的の本なら売れること書かなきゃな表題だけでも
真面目なはずの学者先生が電波的なことを言うのもあくまでマスコミ向けでさ
円滑に予算を確保するために学者先生のマスコミ(大衆)向けのパフォーマンスも求められてんのかもな
大衆をワクワクさせて発掘しろ圧を作れば議会の妨害もかわしやすいっていう…そこまでないかw
とか田舎大衆の自分も思ったりしますわ

322 :日本@名無史さん:2013/03/03(日) 14:41:06.79 .net
中心地が定められて律令制で人が土地に固定されるようになったらただの僻地だが
自由に人が行き来していた時代はだいぶ様相がちがったんだろうな。
瀬戸内系だけじゃなくって北部九州や近隣南部九州や南方や大陸との直接or間接交流の確かな証がある。
全く閉鎖環境ではないし甕棺のような少数の物もあるってことは外来者を排除せず寛容だったってことじゃないか。
食糧事情が悪化すれば必ず紛争になると思うが気候的に恵まれているからかな。

323 :日本@名無史さん:2013/03/04(月) 07:41:20.98 .net
本当の意味で国が分かれていた時代には、人は自由に他国へ行き来などできなかったよ。

324 :日本@名無史さん:2013/03/04(月) 19:50:00.35 .net
力無き正義は無能つってな
悪意ある来訪者を排除するための力が無ければ平和も無い
しかし倭国大乱の時期に環濠も無い集落とかなんなんだろうな
環濠があるところもあるがあれがどれだけ防御に与してたものか
僻地だから関係なかったのかw

325 :日本@名無史さん:2013/03/04(月) 20:02:03.23 .net
環濠ってトイレだったんだっけ?

326 :日本@名無史さん:2013/03/04(月) 20:28:28.47 .net
そういう例があるな
あとゴミ捨て場土器捨て場として
それが目的なら土坑にするだろうし不要になったからたまたまそんな使われ方をしたんだと思うけどな
あと周囲に竪穴住居の床面より低いところを作って乾燥を保つ役目もあったのかな

327 :日本@名無史さん:2013/03/05(火) 08:49:15.14 .net
環濠に糞尿が溜まってれば攻めてくる方も躊躇しそう

328 :日本@名無史さん:2013/03/05(火) 15:46:20.69 .net
熊本に弥生時代の鉄器として日本の出土全数(当時)を超える鉄器が出土した遺跡がある。
同時期の九州で最も高密度な鉄器出土地の熊本の西弥護免遺跡は住居218で出土鉄器は581とのことだ。
このスレでも触れられている宮崎のは住居246で出土鉄器は150余り。
西弥護免遺跡はこれでもかと四重の環濠を巡らす集落だが古墳時代へ続かないらしい。
いったいどうなったのか可能性はいくつか考えられるが、その状態が続かない/続けなくて良い状況が発生した。
一重の環濠も作らない上記宮崎の某遺跡の人々はどうしたろうか。
250年ごろに一斉に建て替えあるいは一時的に何処かへ行ったかのようにも取れる痕跡があるらしいが。
九州山地を隔てた向こう側の遠くない地域のことだ。

329 :日本@名無史さん:2013/03/05(火) 15:58:24.73 .net
>>328
> 一時的に何処かへ行ったかのようにも取れる痕跡があるらしいが。

どんな痕跡?
鉄器が遺跡に残っているのは、襲撃されて使う間もなく滅ぼされたとか
滅ぼした方もそれ以上に効果のある兵器を持っていたので置き去りにしたのか
天災があったのかも

330 :日本@名無史さん:2013/03/05(火) 16:32:24.17 .net
コレラ、ペスト、マラリア、天然痘、その他疫病かな
あまりの無残さに、あわてて一切すてて逃げた。

331 :日本@名無史さん:2013/03/05(火) 16:32:26.47 .net
このスレで出てる遺跡名で検索して本文編の231ページの年代測定結果を見てくれ
平和裏な移動なら持って行きそうに思うが補修を諦めるくらい破損していれば捨てていくことも考えられる
再利用も確立していない時期だし使い捨てだったと考えれば不合理ではないがあまりに多すぎる気もするな

332 :日本@名無史さん:2013/03/05(火) 16:50:50.80 .net
あの時代一つの集落が全滅するレベルで疫病が流行する可能性もあるな。
援軍に行ったが敵わず這這の体で逃げ帰ってコレはヤバイと意識変革が
起こったとか勝手な想像はいくらでも出来るな。

333 :日本@名無史さん:2013/03/05(火) 19:48:05.25 .net
攻めて緊張線が遠くなったor攻められて滅んだor降伏して武装解除した

334 :日本@名無史さん:2013/03/10(日) 08:54:02.17 .net
大隅の王子遺跡、最近出土した大集落跡もそうだが、2000年前は鹿児島湾内の
姶良カルデラ、阿多カルデラ、霧島、桜島、開聞岳の火山が活発化していたことから
阿蘇山も同様で、作物もできない、住めないことから集団避難した可能性があります。
大隅〜宮崎の日向に残る神武東征もそのような集団避難だった可能性があるのでは。

335 :日本@名無史さん:2013/03/10(日) 09:07:38.91 .net
神武東遷は火山噴火などの自然災害方の大規模な非難だったという説に賛成です。
東日本大震災でも福島や宮城・岩手の沿岸部から避難民の大移動が起こった。

336 :日本@名無史さん:2013/03/10(日) 12:13:54.48 .net
九州の環濠集落は、吉野ヶ里など多くが同じような時期に廃絶していると
される。何となく、理由がわかるような気がする。理由がわかれば時期も
わかるような気がする。

337 :日本@名無史さん:2013/03/10(日) 12:22:50.35 .net
日向神話に、海幸彦、山幸彦の物語があり、その中に潮満玉、潮涸玉と
言うのが出てくる。この玉を使うと、潮が満ちてきて海幸彦を溺れさせる
というわけだが、これはどう見ても津波からの発想だと思う。

338 :日本@名無史さん:2013/03/10(日) 13:32:47.56 .net
火山の爆発により地震も起こり津波もあったかもしれないし、
太平洋側は地殻変動による地震で大津波があった可能性はあるでしょう。

339 :日本@名無史さん:2013/03/10(日) 14:26:24.33 .net
約2000年前に巨大津波があったらしいよ >>12

340 :日本@名無史さん:2013/03/12(火) 08:04:05.60 .net
有明海は構造上、津波の影響は受けにくい。
湾外からの津波は入ってきにくく、
中で地震が起きても、津波にならない。

341 :日本@名無史さん:2013/03/12(火) 11:34:35.90 .net
邪馬台国有明海沿岸説は、万2000里で邪馬台国へ到達できると思い込んだ連中の
考えた説だ。しかし、万2000里は女王国までで邪馬台国までではない。

342 :日本@名無史さん:2013/03/12(火) 11:43:39.50 .net
>>340
200年ほど前に特殊なケースがあったけどね。
島原大変、肥後迷惑ってやつ。
雲仙の噴火で眉山ってのが崩れて、有明海に崩れ落ちた。
その影響で津波が起きて、肥後では5000人の使者が出た。

343 :日本@名無史さん:2013/03/12(火) 20:10:33.48 .net
万二千余里は熊本の阿蘇や八代くらいになりそうだけどな。
あと誰か分からんのだけど日向説を書くにしても流れ無視してコピペとかは迷惑だから考えて書こうや。
日向は触れられてないか域外の狗奴国・邪馬台国の一部かなと思う。
弥生末の遺跡遺物で熊本のほうがだいぶ上だしね。

344 :日本@名無史さん:2013/03/12(火) 22:42:43.67 .net
間違った流れを引きずるのは時間の無駄だ。北九州からは日数で考えろ、

345 :日本@名無史さん:2013/03/12(火) 22:57:47.01 .net
そら言いたいことは分かるよ
南に水行10日陸行1月って箇所を最初の最初に考えるわな皆
伊都国からの放射や帯方郡からの計とかなんやろ
それじゃ話が進まんしそこで終わってしまう

346 :日本@名無史さん:2013/03/12(火) 23:30:59.51 .net
帯方郡からの計だなんてのはトンデモだよ。そんな馬鹿な話につきあっていても
何の益もない。
北九州から放射式だ。それなら行き先はだいたい分かるだろう。
目的地が分かったら話が終わる、それで何の文句があるんだ?

347 :日本@名無史さん:2013/03/13(水) 00:10:18.57 .net
放射説ではどこを起点にしても南への水行が出てこないと思うが。

348 :日本@名無史さん:2013/03/13(水) 06:28:55.02 .net
意味不明だな。伊都国から南への水行だよ。
水行二十日で投馬国、水行十日+陸行1月で邪馬台国だ。

349 :日本@名無史さん:2013/03/13(水) 08:33:41.47 .net
>>348
そのうえで、なおかつ万二千余里のところな。

350 :日本@名無史さん:2013/03/13(水) 09:20:39.09 .net
それは違うな。どこにもそんなことは書いてない。

351 :日本@名無史さん:2013/03/13(水) 10:15:29.78 .net
>>348
伊都国はどこになるわけ?

352 :日本@名無史さん:2013/03/13(水) 11:23:46.51 .net
伊都国は末盧国の東南500里だ。唐津の東南40キロ付近。佐賀市大和付近
とみるのが合理的だろう。

353 :日本@名無史さん:2013/03/13(水) 11:54:26.97 .net
未だに伊都国糸島の迷宮入りコースを語る人が少なくないようだな。

354 :日本@名無史さん:2013/03/13(水) 12:33:45.19 .net
聞きかじったことにとらわれて、合理的思考がまったくできない連中が多いってことさ。

355 :日本@名無史さん:2013/03/14(木) 13:28:53.66 .net
伊都国は佐賀市付近。魏使がそこへ行ったということは、目的地は本州では
ないということだ。

356 :日本@名無史さん:2013/03/15(金) 18:20:46.08 .net
草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒水無深淺皆沈沒取之
は末盧国の沿岸水行と上陸してからの伊都国への陸行で遭遇したもの。
唐津糸島間は険しく陸行の利が皆無としても諸般の事情で陸行しなければならなかった。
伊都国が博多近辺で東南陸行7、8kmで奴国。
伊都国から水行十日 または 陸行一月 で畿内の邪馬壹国。
のように考えたりするしそれが無理がないように思う。
日向説を見出すべく読んだりもするけど。

357 :日本@名無史さん:2013/03/15(金) 18:31:35.43 .net
あるいは糸島市の筑前深江駅付近に上陸してそこから陸行したのかもしれんね。
末盧国の様子は東松浦半島北岸に達して以来の沿岸水行で見たもの。

358 :日本@名無史さん:2013/03/16(土) 06:23:16.76 .net
>草木茂盛行不見前人 好捕魚鰒水無深淺皆沈沒取之は末盧国の沿岸水行と上陸してからの伊都
国への陸行で遭遇したもの。

ちがうね。末盧国の状況として書かれているんだ。末盧国から伊都国への行程が沿岸だとは言えない。
又渡一海、千餘里至末盧國。有四千餘戸、濱山海居。草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒。
水無深淺、皆沈沒取之。東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千餘戸。

>それががないように思う。
方角がちがう。怡土ならば陸行する必要がない。南水行ができない。伊都国から先の行程がうまく
理解できない、無理だらけだろ。

359 :日本@名無史さん:2013/03/16(土) 06:38:48.11 .net
>それががないように思う。 → >それが無理がないように思う。

360 :日本@名無史さん:2013/03/16(土) 09:21:59.77 .net
対馬は険しい孤島、
壱岐は狭い島、
しかし荒海を渡ったさきの末蘆国は穏やかで、海には高級食材が手づかみ状態・・、

貴族といえど生涯海を見ることもなかったであろう洛陽の人々の関心をかきたてるよう、陳寿がドラマチックに描いてるのだ。

361 :日本@名無史さん:2013/03/16(土) 11:30:16.65 .net
>伊都国から水行十日 または 陸行一月 で畿内の邪馬壹国。
北九州から畿内へ行くのに 船を遣わない行程は考えられないだろ。
となると、水行十日及び陸行1月だ。長野あたりに比定するほかはない。

362 :日本@名無史さん:2013/03/16(土) 12:58:10.73 .net
近畿説は節操が無い。自ら身を滅ぼす道なんだけどな。

363 :日本@名無史さん:2013/03/16(土) 16:33:54.17 .net
重要でないことを書いたのは使者も童心に還って見て強く印象に残っていたからかもしれんね。
陳寿も使者らの気持ちを想像して書いた。
博多が伊都国ならなぜ直で行かなかったのかということになるが、
防衛の観点から博多湾から入らせず糸島半島以西から陸路行かせたとか、
想像だがそういう背景は考えるな。

364 :日本@名無史さん:2013/03/16(土) 16:52:08.64 .net
卑弥呼は魏に援軍を頼んでるくらいだから、防衛の観点から遠回りを、というはいかがなものか

365 :日本@名無史さん:2013/03/16(土) 16:59:53.61 .net
魏に全幅の信頼は置けないことはじゅうぶん想像できないか。
今後関係が悪化して、あるいは気が変わって、狗奴国と謀って
邪馬台国を挟撃する際の助けになるような情報を与えるほどに
信頼することは愚かだと思うけどな。

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