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秦氏など渡来人のルーツは?

1 :日本@名無史さん:2012/03/13(火) 20:56:25.50 .net
遊牧系異民族ってせつもあるけど
どこからきたの?

379 :日本@名無史さん:2017/01/20(金) 21:50:18.60 .net
8つの秦氏族が居てて、それぞれ特技を持っていました、織物や
土木建築、商売など

380 :日本@名無史さん:2017/01/21(土) 02:50:02.53 .net
>>377
じゃあ何で最古水田に長江の中粒種も農具も鬲鼎などの三足炊飯器も一切伝わってないの?


江南ブタ広鼻突顎巨大タラコ唇ブタ顔原人の詐欺詐欺タイワピーノの方。

381 :日本@名無史さん:2017/01/21(土) 09:19:40.10 .net
ペルシャじゃね。

382 :日本@名無史さん:2017/01/21(土) 13:19:24.07 .net
秦氏の故郷は新羅。

秦氏が遺した須恵器に全部書いてある。

秦氏の遺した須恵器は新羅あたりで生産されていた朝鮮陶質土器の器種器形文様デザインと一致している。

383 :日本@名無史さん:2017/01/21(土) 14:06:36.15 .net
稲荷=INRI説はどうなるんじゃ
祇園祭がやたらペルシャ臭がするのが気になる

384 :日本@名無史さん:2017/01/21(土) 14:26:08.19 .net
祇園祭のゴブリン織などは、安土桃山時代以降に出てきたものだぞ。
時代が違うだろうが。

385 :日本@名無史さん:2017/01/21(土) 16:48:29.90 .net
いさらい井戸やら大避神社やらローマ・景教を思わせる太秦って字に説明は欲しいよな
新羅で景教が主流だったってことかな

386 :日本@名無史さん:2017/01/23(月) 22:17:43.01 .net
秦氏が弓月君が長なのは日本書紀にかいてある
当時弓月国という国がキルギス辺りにあってここのことじゃないかというのが佐伯好郎説

位置的にシルクロードで西方に近いためユダヤ教なり原始キリスト教の影響があっただろう

鞍馬の天狗がユダヤのラビそっくりなのもあわせて考えるといろいろつじつまがあってしまう

日本の歴史界ではどういう扱いなんだろ

387 :日本@名無史さん:2017/01/25(水) 15:26:49.18 .net
>>358
ニンニン!

388 :日本@名無史さん:2017/01/25(水) 20:24:57.20 .net
鞍馬なんか江戸時代の作られた伝統だろ?

389 :日本@名無史さん:2017/01/25(水) 22:03:51.85 .net
山伏の装束がユダヤの僧侶そっくりなんだよ
まー景教を学んだ空海が持ち込んだのかもなー

390 :日本@名無史さん:2017/02/25(土) 01:59:27.03 .net
シナの孔子とか孫子といっても、春秋時代に突如一斉に発生している。
周王朝が亡びかかったとき、西方のキルギスあたりの騎馬民族が侵略・
侵入した時に、ペルシャ、ヘレニズム、インド文明を持ち込んだことは
歴史上の事実だ。
シナ文明も独自のものではなく、他の文明に大きな影響を受けている。
日本も同じように、様々な文明の影響を受けて今日がある。

391 :日本@名無史さん:2017/02/25(土) 02:10:28.00 .net
「嘘はいけないよ」
という書き込みを見たことがあるでしょ

すべて秦氏一人、一族が持ち込んだものなの?

392 :日本@名無史さん:2017/02/25(土) 15:05:02.36 .net
https://youtu.be/85-XncAUZXc

393 :日本@名無史さん:2017/02/27(月) 03:53:53.10 .net
>>390
しかも鉄の産地、山東で

394 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 17:38:03.44 .net
本当の古代史
辰韓の鉄=遼寧省鞍山市の鉱山地帯
公諱隆字隆百済辰朝人也=隆は遼寧省の百済人であり公州の百済人ではない
この文は辰韓の位置を間違えていたり遼寧省の百済を知らない人には理解不能
「辰王がいた方の百済人」とかっこよく書いたら未来人には意味不明となった
渤海の国号、震=大氏発祥の地が過去の辰韓だった
震が辰に通じるのは自明だが、辰韓を韓国東部と解釈して思考停止するのは踏み込み不足
辰州、奉国軍、節度。本高麗蓋牟城。唐太宗會李世勣攻破蓋牟城、即此。
渤海改為蓋州、又改辰州、以辰韓得名。
高句麗の蓋牟城は遼寧省撫順市に比定されており、その位置は鞍山市の北東である
帯方郡(4900戸)=営口市、半径5km
あとは魏書韓伝にそってならべる
多婆那國=倭国(大連)東北1千里=中朝国境の卒本地方
好太王の碑文にある倭、百残、新羅の位置=遼寧省から鴨緑江の下流域
倭の五王が南朝に派遣した倭国使は靴をはいていない
通説(痛説)では裸足の集団に広域大戦争をさせてしまった
「西暦391 - 412年」中に、「倭」は「高句麗」と「鴨緑江」にて職貢図によれば「裸足」で戦わなければならない
のちに坂上田村麻呂の東北遠征が西暦800年に行われ、異民族風のアテルイが捕まえられる
何なんですかこの古代史!順序が逆ならまだしもなぜこうなるの
西暦400年に鴨緑江を攻め、その400年後に東北地方を攻めるのは不自然だ
この時点で倭=日本列島説はアウト
そもそも日本列島は韓と界接していないので最初からアウト
2重の意味で倭=日本列島説はアウト
http://i.imgur.com/9GXhZ3N.jpg
http://i.imgur.com/zVOyZ0J.jpg

395 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 17:38:32.89 .net
西暦400年代、倭、百済、新羅は好太王に故郷を追われ朝鮮半島に逃げ込み拡散分布する
東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国、渡平海北九十五國=海北とは遼寧省南岸
東、西、海北には領土があるが南の領土はなぜ主張しない=南進中を意味する
ここで博多中心説を採ると博多の南には領土があるはずなのでアウト
ここで奈良中心説を採ると西側の国が少なすぎるのでアウト
つまり倭王武にとって帰る国などなかった
道遥百済(省略)句驪無道=倭国、百済、句驪は陸続き、句驪はひどいと南朝に泣きついた
故郷を奪ったので句驪無道なのです、倭王武の悲痛な叫びを曲解せずまじめに聞きましょう
半島各地で任那ができる、倭国本体南下する
最後の遣使記事は502年=引越し中を意味する
西暦500年代初頭、倭国本体は九州に上陸し、先住民を土蜘蛛あつかいする
天孫降臨記念日を太古の昔に設定した日本書紀はこの時点でアウト、証拠能力ゼロ
志賀島の金印=先住民にとられないように埋めて隠すも、埋めた場所を忘れる
前方後円墳は堤防の概念がない先住民が積み上げた塚を倭国人がこれ幸いと墓に転用したものだ
塚の作成年代≠墓になった年代、これ重要
ため池あるとこ古墳あり、ため池なければ古墳なし
倭国人は堤防の概念、その他中国文明を知っており最初から巨大古墳を作っていない
6世紀の終わりには日本各地で、ほぼ時を同じくして前方後円墳が築造されなくなった(wikipedia参照)
上の理由は残土を堤防に使う
塚を墓であると主張するには副葬品などの提示が必要だ
塚はあっても墓はない、いわゆる空墓がかなりあるのはなんででしょう?

396 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 17:39:11.39 .net
百済の熊津城=熊岳城
白江の口=熊岳城の南西、白沙湾
「百済辰朝人」であるところの「扶余隆」は百済五方「北方」の城「熊津城」で暮らしていた
熊岳城の南西に「白沙湾」という地名がグーグルマップでも発見できる
これはいったいどういうことだ!
熊津道行軍總管、右威衞將軍孫仁師等破百濟餘衆及倭兵於白江,拔其周留城
韓国西部の公州に行くには高句麗の中を通らなければいけない
つまり熊津道は高句麗の手前側(唐に近い側)にあったはずだ
詔發淄、青、萊、海之兵七千人=山東省の北側から出撃した
人怪其故,答曰:擬削平遼海,頒示國家正朔
劉仁軌自ら「遼海」と明示しており、どうみても渤海湾(遼東湾)のことだ
公州の西の海を遼海と呼ぶのならインド洋も遼海だ
なお言うまでもないが、劉仁軌の役職は檢校「帶方州」刺史だった
扶餘隆率水軍及糧船。自熊津江往白江、會陸軍同趣周留城。仁軌遇倭兵於白江之口
熊津江(熊岳河)と白江(浮渡河)とは開口部が違う川である
熊津江を出て白江に向かったところ白江の口で倭兵と遭遇したのだ
通説の錦江説は合っていますか?白江の上流に熊津江があるのではありません
百済平定物語は渤海の東側にある遼東半島のお話しであり、公州を攻撃したのではなかった
(蘇)定方自城山濟海、至熊津江口=蘇定方が平定した百済もまた遼東半島である
通説が正しいならばこの箇所は「至白江口」となる。白江=錦江説、アウト
大連の北側にある白沙湾を日本列島から攻撃するのは西暦660年では不可能なはずだ
かの有名な白村江の戦いに作文疑惑が浮上した!
日本書紀には資治通鑑や三国史記を見ながら作文した箇所がちらほらある
特に天智紀は作文だらけ、白村江のくだりは全部作文
白村江への旅程については何も書かず、いきなりワープしているではないか!
宇宙船艦ヤマトのようにワープしている時点で作文確定!
http://i.imgur.com/5buzTh0.jpg
http://i.imgur.com/6Q0x678.jpg

397 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 17:39:27.12 .net
倭=日本列島を主張する日本書紀のおかげで重要な比定位置はことごとく南東に平行移動した
日本で見つかっている古い木簡は7世紀、韓国の場合は6世紀=楽浪郡ピョンヤン説、アウト
日本で見つかっている古い石碑は7世紀、韓国の場合は6世紀=楽浪郡ピョンヤン説、アウト
楽浪郡は紀元前108年にできたはずで、いくらなんでも漢字の伝来が遅すぎる、はいアウト
仮説の検証2項目
武藝啓(省略)有扶餘之遺俗=渤海人は奈良の支配者の出自が遼寧省にあることを知っていた(ビンゴ)
いまだに奈良公園ではシカを放し飼いにしている
坂上田村麻呂の東北遠征800年=この仮説で無理なく説明可能、大和朝廷史観では遅すぎる(ビンゴ)
邪馬台国=近畿説九州説、大和朝廷史観全部まとめてアウト
500年上陸説が正しい

398 :日本@名無史さん:2017/03/15(水) 22:11:23.22 .net
「アイヌ人と渡来人の混血は7世紀が始まり」…遺伝学研究所
2015年08月24日 16時52分
http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/1/0/10761.html

 国立遺伝学研究所と東京大学の共同チームは、アイヌ人や日本列島本土人の遺伝情報を解析した結果、
遺伝子配列の違いから、縄文人の子孫と見られるアイヌ人と、弥生人の子孫とされる渡来人の混血は、7世紀に始まったと推定する研究結果を8月24日までに発表した。

 日本列島には、おもに北海道に住むアイヌ人、琉球諸島のオキナワ人、日本各地に分布して生息する本土人の3種類の人類集団が居住している。
国立遺伝学研究所の斎藤成也教授らのチームは、性染色体以外の遺伝情報を調べて、60万カ所で見られる遺伝子配列の違いを解析した。

 その結果、毛髪と歯、顔の造形に関係する2つの遺伝子の近くに存在する塩基配列が異なる部分の解析から、アイヌ人と日本列島本土人には大きな違いがあることが判明した。

 研究チームは、アイヌ人を縄文人(採集狩猟民)の子孫、中国大陸から渡来した漢民族や朝鮮民族を、弥生人(農耕民)の子孫と仮定した場合、
日本列島本土人における縄文人の遺伝的割合は約20%に達し、これら二つの民族の混血は、少なくとも55世代前、すなわち7世紀ごろに始まったものと突き止めた。

 斎藤教授は「遺伝子解析の結果、アイヌ人が東アジアのなかで独自の系統的位置を占めていることが明確に示された」と話している。

 なおこの論文は日本人類遺伝学会が発行する「Journal of Human Genetics」電子版に掲載された。

国立遺伝学研究所と東大の共同チームが日本列島本土人の混血モデルを解析した図(国立遺伝学研究所の論文より作成)
http://www.hazardlab.jp/contents/post_info/1/0/7/10761/%E6%B7%B7%E8%A1%80.jpg

399 :日本@名無史さん:2017/03/16(木) 19:17:51.59 .net
DNAY染色体(男系)とミトコンドリア(女系)で変遷が追えますよ。
農学部の生物系と文学部の民族系で解釈が異なるんだが、
日本人の血統的ルーツは染色体はハプログループD。
拠点はイスラエルのあたりから南沙経由でモンゴルと日本が終着点。
文学部の民俗学だとモンゴルから中国韓国そして日本と教わる。
ただそうすると遺伝子学上矛盾が生じてしまう。
理由は染色体上朝鮮と日本の差は7万年の開きがあある。
日本位最も近い遺伝子のE型でさえ6万年前のイスラエルの方が近い。
中国朝鮮は大陸経由。日本南沙はアラビア海経由。
日本は昔中国と繋がっていたという説があるが、
日本はそもそも数万年前海溝に堆積物が溜まってできた島で、
日本列島の動きにも繋がっていたとう言う説は現在では聖徳太子像が聖徳太子ではない
という理由からお札の図柄から消えたのと等しいほど最近わかったこと。
マントルの対流が万年単位で変化することはまず無いという理論上でも、地質学でも
大陸とは縁が無い日本列島。学者達にはかなり異質な島なんだってさ。
今じゃ世界各地から日本人になりすましてる連中も多いけど、血液の遺伝情報解析すれば、
バレるご時世。

400 :398:2017/03/16(木) 19:24:13.46 .net
>>389
ああ、コレコレ。一昨年解明された。
遺伝上は生みの親でも育ての親でも無い他人だったって事。
数万年はあまり移動することもなく生きていたんだね。
キリスト教が生まれて以降の話しか出てこないけど、
それ以前の暮らしはもっと平和でゆっくりとしていて豊かだったかもしれないな。
だからこそ記録が残らず口伝えで歌が残るとか。

401 :日本@名無史さん:2017/03/16(木) 19:27:12.84 .net
日本とユダヤは関係無いと決めつける人もいるけど、
http://rapt-neo.com/?p=17361
農学部や理学部で遺伝の解析勉強もしていないパーが、
言葉の綾で言いたいことをほざく連中は、科学で駆逐してやるのが一番だな。

402 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 04:37:40.26 .net
秦氏とはもはや関係もなくコピペを貼ってドヤ顔をするスレ

403 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 05:56:18.62 .net
人類が北アフリカから広がるときに獣道のようなのが自然に出来上がっていったはず
その後に、バビロンに攻められたユダヤ人がシルクロードを通って日本を目指したのではなく
祭祀族や商売人として生活しているうちに一部が自然と日本に到達したのだろう
それで道の所々にユダヤ人の集落が存在している
秦の始皇帝から派遣されたのが物部氏で、始皇帝から逃げてきたのが半島経由の凶暴な秦氏
企業名に「三」が入ってるのが秦氏が三位一体神を信じるユダヤ人だと主張するものらしい
安倍も次男なのに三が入ってる

404 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 06:00:38.32 .net
武田の家紋にも三本線
大成建設のロゴには縦に三本線

405 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 06:05:11.55 .net
サムスンに半導体技術を与えた東芝は三井
サムスンは三星

406 :日本@名無史さん:2017/04/02(日) 06:16:33.24 .net
三井のトヨタのロゴは輪っかが3つ
これは何とも言えんな
三井の三柱鳥居は3本というより
3方向から参拝できるとか正美が言うから線でなくてもいいのか

407 :日本@名無史さん:2017/05/07(日) 13:05:46.31 .net
なぜ、日本人はこれほど桜を愛するのか?

ぱっと咲いてぱっと散る潔さとかいうけど
じつは桜にそっくりの花がアーモンドの花
ぱっと見、見分けがつかないぐらいにそっくり
そしてアーモンドの原産はアジア西南部、
アジア南西部から渡来したのが秦氏
秦氏に刻まれた民族の遺伝子が遠い過去の美意識を蘇らせて
桜を愛でる
そう考えてみるのはどうだろう

408 :日本@名無史さん:2017/05/07(日) 13:49:00.63 .net
じゃあ何で秦氏はアジア南西部の土器を作らず、新羅あたりの土器なんか作ってるのさw

409 :日本@名無史さん:2017/05/07(日) 14:59:24.83 .net
そもそも日本人みんなが秦氏なわけないだろ

410 :日本@名無史さん:2017/05/07(日) 15:25:45.26 .net
>>408
空を飛んできたわけではなくて、朝鮮を通過してきたから
通過した土地の技術を習得した

>>409
有能な支族は縁戚関係を結んで栄えた
増えるにつれて様々な苗字を名乗った
408も10代前には1024人の先祖がいることになるよ
その中に秦氏はいないかな

411 :日本@名無史さん:2017/05/07(日) 16:07:53.04 .net
1024人中一人でも秦氏がいれば嗜好が秦氏寄りになるのか
どんだけ遺伝子強いんだよ

412 :日本@名無史さん:2017/05/07(日) 16:18:06.46 .net
秦氏は徐福

413 :日本@名無史さん:2017/05/07(日) 18:19:44.26 .net
>>411
可能性があるという話
どの遺伝子が現れるのか
まあ、日本人にはかなり多いんじゃないかと思ってる
秦氏は流浪の民だから土地がなかった
つまり、技術や技芸で生き抜くしかなかった
それは現代の日本人にも通じている

414 :日本@名無史さん:2017/05/07(日) 22:45:46.20 .net
そんな可能性でいいなら物部氏でも藤原氏でもなんでも構わないじゃないか

415 :日本@名無史さん:2017/05/08(月) 08:21:01.73 .net
話を聞いてあり得ると思った人だけ納得すればいい
古代史のことなんて証拠はなかなか難しいんだから

将来の遺伝子の優性研究の解明に期待する

416 :日本@名無史さん:2017/05/13(土) 12:16:14.68 .net
日本人の最も大切なもの 義 美 善 
この最も大切な字に必ずついているのが羊の字だ
なぜなのか?
善という字の成り立ちをネットでみると神にささげられた羊〜という説明がでてくる
景教を伝えた秦氏が漢字の成り立ちにかかわった
そう考えるのはどうだろう

417 :日本@名無史さん:2017/05/13(土) 12:41:55.27 .net
秦氏が景況を伝えたかどうかも不明なのに?

418 :日本@名無史さん:2017/05/13(土) 13:16:08.44 .net
よくご存じで
あくまでも仮説ですよ

419 :日本@名無史さん:2017/05/13(土) 15:21:44.67 .net
仮説は良いんだけど、仮説の上に仮説を重ねても可能性は低くなるだけだよ

420 :日本@名無史さん:2017/05/13(土) 16:19:58.27 .net
秦氏は新羅。

秦氏が遺した須恵器を見りゃ分かる。

421 :日本@名無史さん:2017/05/13(土) 16:25:25.61 .net
当然それは前提

422 :日本@名無史さん:2017/05/13(土) 20:03:42.44 .net
秦氏は技術者集団
次々と技術を吸収できる人達だったからこそ
酒造、機織、土木等の技術を持っていた
須恵器なんかもその一部だろう

現代の技術立国日本を名乗るのもその影響
ただ技術立国と言っても全員が技術者でないのはあたりまえ

423 :日本@名無史さん:2017/05/14(日) 00:08:58.91 .net
ちょっと違うな。

次々と技術を吸収できる人たちは倭人自身でしょ。

吸収するだけじゃなく、オリジナルを超えていく力がある人たち。

単に半島人はその材料を提供してくれただけで。

424 :日本@名無史さん:2017/05/14(日) 03:25:16.69 .net
倭人にそんな力があるなら何で朝鮮に隣接しておいて九州に強力な朝鮮コピー国家をつくらない?
何で畿内に朝鮮や中国の模倣国家が出現する?
これはつまり畿内の文化模倣の担い手が倭人ではないということだろう

425 :日本@名無史さん:2017/05/14(日) 04:01:39.70 .net
異国の文化の模倣によって独自の文化をつくり上げる例は高句麗においても見られる
例えば古墳壁画がそれだ
高句麗には元々中国の郡県があり、5世紀頃くらいまでは中国風の古墳壁画が描かれるが、
こういうの↓
http://leekcp.new21.org/zb41/data/rheo/120.jpg
http://leekcp.new21.org/zb41/data/rheo/119.jpg
これが独自の発展を遂げて7世紀ぐらいになるとこうなる↓
http://leekcp.new21.org/zb41/data/rheo/121.jpg
こういう精度の古墳壁画は中国においては見られず、高句麗にしかない
装飾品のレベルでいうと新羅もかなりすごい

426 :日本@名無史さん:2017/05/14(日) 10:53:00.07 .net
日本、チベットにみられて中国、朝鮮にはみられないY染色体のハプロD
このハプロDはアフリカ-イラン-中央アジアのどこかにおいてハプログループDEから別れて
内陸ルートを通って東アジアへ向かったとされている
おそらく日本人に特徴的にみられるのは秦氏によってもたらされたのだろう
中国、朝鮮人にみられないことから新羅、高句麗は無関係
これで桜や善の字の仮説も日本人とつながったのがわかると思う
やがて遺伝子の解明がすすめばよりはっきりしてくるでしょう

427 :日本@名無史さん:2017/05/14(日) 13:42:25.69 .net
ハプロDが日本に来たのは3万年くらい前だぞ

428 :日本@名無史さん:2017/05/14(日) 15:19:58.26 .net
426が正解。

しかも最初に入ってきたのは半島からなんです。

その15000年くらい後に樺太からも入ってきました。

この樺太経由の集団が縄文土器をもたらしたんです。

429 :日本@名無史さん:2017/05/14(日) 20:08:28.31 .net
氷河期には日本海は無かった
朝鮮半島も存在しなかった

430 :日本@名無史さん:2017/05/14(日) 22:04:00.97 .net
そんな事言われなくても百も承知。

ただ入ってきた西日本に一番近かったのは川一本挟んだ今の朝鮮半島の部分です。

431 :日本@名無史さん:2017/05/15(月) 00:27:42.23 .net
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ

432 :日本@名無史さん:2017/05/25(木) 21:53:37.22 .net
アナタ タイワン カエル カエル

タイワン カエル カエル カエル

アナタ ニホン デテク デテク

ニホン デテク デテク デテク

433 :日本@名無史さん:2017/09/16(土) 15:02:05.87 .net
天皇家も秦氏も(秦の始皇帝の末裔)古代イスラエルより中国・朝鮮半島を渡って来た

渡来系民族であるととyoutubeで見ました。

ということは同じDNA、または親戚ということでしょうか?

434 :日本@名無史さん:2017/09/30(土) 17:32:22.06 .net
平家=ペルシャ人

435 :日本@名無史さん:2017/09/30(土) 18:38:43.54 .net
神武って宮崎だろう。
隼人じゃないのかな。

436 :日本@名無史さん:2017/10/01(日) 13:16:45.66 .net
諸藩だから外国

437 :日本@名無史さん:2017/10/01(日) 13:17:31.92 .net
>>433
天皇は4万年前から日本に土着してる
秦氏は古墳時代あたりに日本に来た

438 :日本@名無史さん:2017/10/02(月) 15:38:02.44 .net
出雲族は4000年前の南インドをルーツに、
アーリア人のインド亜大陸侵入によって故郷を逐われ、
シルクロード(南ルート)〜バイカル湖に至り、

北回りで北海道から本州に渡来。
日本海側を南下して出雲地方に定着化したのが約三千年前と言います。

数百年を経て勢力を拡げやがて王制/王国を始めたのが2600有余年前。
、、、日本列島最古の王国の誕生。
(神武の即位年代は出雲のそれを横領したもの(出雲は母系で天皇家に連綿と繋がる)。)


物部/天皇家は(秦帝国からきた)徐氏。

徐福(天御中主、イザナギ、天照皇大神、スサノオ、ホアカリ、ニギハヤヒ、ニニギ(ニギハヤヒ/ホアカリ(古代出雲王国の正副二人の王を殺害して転覆〜簒奪(失敗)を図った大罪人。全国指名手配)を隠蔽するために創作)、、、)

が2度目に渡来時(大船団は有明海に入港。佐賀に上陸)に引率した三千人の中には
当時のあらゆる職能の人がいた(弥生時代の始まり?)。
また、その人の森林?に自身の親兄弟親戚縁者を
紛れ込ませて2度もペテンにかけた始皇帝の虎口からまんまと逃避行
(始皇帝を2度もタブらかして秦帝国の国庫を傾けさせて巨万の財宝、資金を騙してせしめた上)。
2度目に渡来した際には出雲王国の分家、宗像初代のカタアタスの末娘、市杵島媛命(イザナミ(二人目)。豊玉姫、玉依姫/サヨリ姫。弁天さん、、、他(日本史上、大変重要なポジションのお方))と婚姻して生まれたのがホホデミ命(九州の物部/天皇家の祖)と
ホヤ媛命(父親、徐福が初回渡来時に出雲王家の姫と成した兄の五十猛/カゴヤマに嫁ぎ生まれたのが
天村雲命(丹波から?葛城(大和)に入植して初代の大和国大王と成った(神武のモデルの1人目)。
天皇家系譜の神武〜9代は実際には天村雲命に始まる大和国(中、長国)大王家の系譜))

439 :日本@名無史さん:2017/10/02(月) 15:45:14.76 .net
秦の始皇帝の下で万里の長城を作っていた種族。それが朝鮮半島へ南下し秦韓を建国、
その後日本へ渡ってきた。
だから土木工事が得意。

440 :日本@名無史さん:2017/10/02(月) 15:58:50.76 .net
>>438
根拠無し

441 :日本@名無史さん:2017/10/15(日) 23:46:57.20 .net
諸説はあるが羌辺りは共通みたいな感じだな

442 :日本@名無史さん:2017/10/16(月) 01:48:37.91 .net
>>438
そろそろ頭の病院に行け

443 :日本@名無史さん:2017/10/18(水) 08:46:48.61 .net
呂尚や漢の時代に羌は別個に存在したから
古羌と羌は分けて考えたほうがいい

444 :日本@名無史さん:2017/10/19(木) 21:23:48.76 .net
大秦ローマとユダヤ、秦王朝、氐族前秦と羌族後秦、秦韓
どの西戎民族の秦が秦氏の始祖なの?

445 :日本@名無史さん:2017/11/06(月) 01:19:27.29 .net
製鉄で考えると

446 :日本@名無史さん:2017/11/06(月) 01:38:11.26 .net
シュメールを連呼しようと山東だろ

蜀→斉→日本なのか
殷→斉→日本なのか知らないが
殷なら羌の敵だから羌にはならないが

447 :日本@名無史さん:2018/01/30(火) 15:31:04.32 .net
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

GT08L

448 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 21:15:29.55 .net
秦河勝のハプロを公開してる系列からしたら趙のエイ姓らしい
趙のエイ姓の場合は秦との血縁は有り得ないから焚書坑儒から逃れた人なのだろうか

449 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 18:15:57.10 .net
>>444
全て外れ

むしろ始皇帝に祖国を追われた奴ら

450 :日本@名無史さん:2018/07/12(木) 15:57:34.20 .net
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

CLP

451 :日本@名無史さん:2018/07/12(木) 21:29:11.90 .net
っていうか趙の江氏かな

452 :日本@名無史さん:2018/07/12(木) 21:32:58.82 .net
エイ姓江氏

453 :日本@名無史さん:2018/07/23(月) 09:29:33.86 .net
中国と接点のない朝鮮人の秦氏が摂家にいるようだからややこしい

454 :日本@名無史さん:2018/07/23(月) 21:01:56.69 .net
神の手を使うでない

455 :日本@名無史さん:2018/09/28(金) 03:09:51.20 .net
黄か江ではないかとは昔から言われてたみたいだな

456 :日本@名無史さん:2018/09/28(金) 03:10:39.47 .net
秦河勝の秦氏のことな

457 :日本@名無史さん:2018/10/03(水) 17:52:06.61 .net
大分豊後の穢多頭であった秦惣兵衛が剣術道場を開き、
全国から部落の「牢守」などを集めて武道の訓練を行っていたことがわかっている。

458 :日本@名無史さん:2018/10/06(土) 17:14:28.31 .net
今の刑務官な

459 :日本@名無史さん:2019/01/17(木) 19:36:35.08 .net
始皇帝の子孫は嘘やろな 子孫は完全に項羽に皆殺しにされてた上、地理的にも離れすぎてないか
どうですか秦氏の方々

460 :日本@名無史さん:2019/01/28(月) 22:46:26.94 .net
太秦や秦氏は同時代の後秦が由来。
日本と羌族は兄弟。

461 :日本@名無史さん:2019/02/02(土) 19:03:33.28 .net
どうやって後秦から脱出したんでしょう
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/21/Map_of_Sixteen_Kingdoms_6.png/500px-Map_of_Sixteen_Kingdoms_6.png

秦氏は中華全土が領土でしたので秦の領土から逃げてきた集団というならまだ理解できますが
「後秦から来た」のほうは主張に無理があると思います

462 :日本@名無史さん:2019/05/02(木) 22:43:18.26 .net
ご歓談中失礼します
高麗専門の専スレが立ちましたので宣伝に参りました
各地域お詳しい方々とも是非ワールドワイドにお話し出来たらと思っております
ご興味あられましたらお立ち寄りくださいませ

高麗時代史専用スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1556797827/

463 :日本@名無史さん:2019/05/06(月) 12:22:52.86 .net
>>459
宮城谷昌光の小説では扶蘇の生き残りが描かれています
後宮に大勢女を囲っている皇帝のすべての子孫を殺すなど出来ないということでしょう
また、秦が最後に滅ぼしたのは山東省にあった斉国であり徐福が出向したのも山東半島からと言われています
ここらへんからも秦から逃れようと大勢が船に乗って出航したのかもしれません
対面は今で言う大連のある遼東もあり、東にいけば日本ではあります

464 :日本@名無史さん:2019/05/15(水) 14:09:10.90 .net
〜プヨもチュモンも日本とは無関係! むしろ半島の伝説はすべて「日本書紀」からパクった妄想だった♪〜


高麗大学の金鉉球と鄭大均の両教授は、
「漢文の書き方から見ても三韓の建国神話は日本書紀を模倣して書かれたものであることは明白であり、
現代の歴史教育における三韓史も日本書紀を土台としつつ、感情的に受け入れられない部分を削除し、
ただ根拠もなく三韓が日本に文化を伝えたと改ざんした捏造史である」と断言しています。

また「日本書紀」に引用されていることを理由に百済三書を事更にもてはやそうとする朝鮮ヒトモドキも多いですが、
朝鮮半島最古の歴史書である三国史記には、「百済開国已来、未有以文字記事、至是得博士高興、始有書記
(百済は開国以来、東普の高興博士が書記を記録するために訪れるまで文字で記録を残したことはなかった)」
と明記されており、こんにちでは百済三書の存在自体の信憑性は低いと断定されています。

加えて朱蒙伝説なるものが神武伝説の元になっていると強弁する朝鮮ヒトモドキも散見されますが、
「論衡」「後漢書」「魏略」に記録されている東明は扶余族の東明であって、
高句麗初代王の東明(朱蒙)と混同するのは彼らの民族的願望であり事実ではありません。
やはり金教授と鄭教授の指摘にあるように、
朱蒙伝説も三国史記編纂時になってから「日本書紀」を模倣して創作された伝説と見るべきでしょう。


なお、百済三書(百済記、百済新撰、百済本記)は日本書紀の引用文献として名前が上がっている以外に存在を証明するものがなく、
「天皇」や「日本」と表現している点、漢音ではなく呉音で表記されている点などを勘案すると、
日本書紀の権威付けのために日本書紀編纂者が創作した文献であり、実在はしていなかったとするのが現在の定説です。

465 :日本@名無史さん:2019/05/15(水) 14:09:35.82 .net
>>464の補足資料

一方の日本(倭国)の文字文化はというと、魏志倭人伝には次のような記述があり、
この時代に既に倭国は文字による外交や政治を行っていたことが理解できます。

「文書・賜遣の物を伝送して女王に詣らしめ」、 
「詔書して倭の女王に報じていわく、親魏倭王卑弥呼に制詔す。」、 
「今汝を以て親魏倭王となし、金印紫綬を仮し」、
「銀印青綬を仮し」、
「詔書・印綬を奉じて、倭国に詣り、倭王に拝仮し、ならびに詔をもたらし」、
「倭王、使によって上表し、詔恩を答謝す。」、
「因って詔書・黄幢をもたらし、難升米に拝仮せしめ、檄を為(つく)りてこれを告喩す。」、
「檄を以て壹与を告喩す。」

このように魏志倭人伝には繰り返し後漢や魏から詔・詔書が出され、印綬が下賜されたことが記され、
それに対して倭国からは「上表」文が出されています。

従って、弥生時代の倭国は詔書や印に記された文字を理解し、上表文を書くこともできたと断言できるのです。
おそらく日本列島内で最も早く文字(漢字)を受容し、外交・政治に利用していたことに疑いの余地はありません。

よって日本列島内で弥生時代の遺跡や遺物から最も「文字」の痕跡が出現する地域が女王国(邪馬壹国)の
最有力候補と考えるのが、理性的・学問的態度であり、学問的仮説である学説に値します。

筑前中域には次のような文字文化受容の痕跡である遺物が出土しています。

志賀島の金印「漢委奴国王」(57年)、
室見川の銘版「高暘左 王作永宮齊鬲 延光四年五」(125年)、 
井原・平原出土の銘文を持つ漢式鏡多数

これらに代表されるように、日本列島内の弥生遺跡中、最も濃厚な文字文化の痕跡を有すのは筑前中域であり、
この地域を邪馬壹国に比定すべきとの結論に至らざるを得ません。

466 :日本@名無史さん:2019/05/15(水) 15:27:43.36 .net
>>184
>>255>>259
>>213
>>279
やばいおもしろい

467 :日本@名無史さん:2019/05/15(水) 15:27:56.31 .net
>>290
>>305
>>335
>>416
このへんもウキウキする

468 :日本@名無史さん:2019/05/16(木) 08:09:46.23 .net
    :∧∽∧:
   :< ∩∩ >. アイゴー
   :(´__ノ ノ.:
   :ム_)_):

     ∧∽∧ ウリナリが考えた
   〃,< ∩Д´> 最高の捏造史が
    /(_.ノ ィ \ また論破されたニダ・・・
  ⊂こ_)_)`ヽ.つ

        アイゴーーーーー!!!!!
    :∧∽∧:
   :<、   ⌒ヽo:
    :(_,,ィ、__つつ

          ニダーリ
         ∧∽∧ 今ちょっと
     ⊂⌒<ヽ `∀´> かわいそうと思ったニカ?
       `ヽ_つ ⊂ノ その気持ちを大事にするニダ!

469 :日本@名無史さん:2019/05/16(木) 08:13:36.89 .net
どこの池沼(勢力?)なんだ?

家の老婆は『神仙界』・・・?
この話をしているんだけど、むかーしから知っていたみたいだし

470 :日本@名無史さん:2019/05/18(土) 04:43:43.59 .net
>>459
まあ、先祖に箔つけたのやろな。

471 :日本@名無史さん:2019/05/18(土) 05:15:25.13 .net
そこらのブログみたら、秦氏はヘブライ語話してたと書いてあるけど、秦氏はヘブライ語を話してたんか。

472 :日本@名無史さん:2019/05/18(土) 05:18:12.40 .net
草津節のチョイナ、チョイナの囃子がヘブライ語やというのもあるが、まさかな。

473 :日本@名無史さん:2019/05/18(土) 05:22:59.39 .net
ちなみに池沼というのは・・・w
>>468
お前のような人間のことを言っているんだよ

474 :日本@名無史さん:2019/05/18(土) 06:01:15.27 .net
秦氏のハタは、機織りのハタという人もいる。
これは、布を織る機械のことをハタと呼んでいるということのようだ。
しかし、機の漢音はキだし、この機をハタと読んだ例がどこかにあるのかな。
布を幟(のぼり)に用いたものはハタ(旗)と呼ぶが、その布を織る機をハタと読むのはどうも腑に落ちんわ。

475 :日本@名無史さん:2019/05/18(土) 09:25:44.21 .net
>>469,473
川崎の重度統合失調症症患者「松傾」は午前中に首を吊れ

前から何度も何度も、繰り返し繰り返し「死ね!」と命令されているだろう?

むしろ松傾へのレスは「首を吊って死ね」以外にないではないか

なぜ素直に命令をを聞いて死ぬことができないんだ??

いくら無能な統合失調症症患者とは言え、
日本語くらい読めるのだろう???

これだけ多くの者達に死ね!と命令されているのだから

さっさとセルフ絞首刑を実行しろよ松傾

476 :日本@名無史さん:2019/05/18(土) 15:52:30.35 .net
秦氏がユダヤ教徒だったらしいということから、ユダヤ人の意味のヘブライ語のユフディが日本でヤハダ(八幡)と発音され、そのハダが秦氏の一族名となったという説がある。
しかし、この説にはユフディとヤハダをつなぐ流れの変化の論証が欠落していて、強引な説のようにも見える。
そもそも、ヘブライ語は5世紀頃には文章語となっていて、口語としては使われなくなっていたという説がある。
今のヘブライ語は、その文章語から人為的に復元した口語で、現代になって現れた言葉のようだ。
いずれにしても、ユフディからヤハダ(八幡)への変化の論証が必要だろう。
つまるところ、ハタ(秦)の由来は、いまだ解明されていないということだ。

477 :日本@名無史さん:2019/05/18(土) 16:22:32.15 .net
旗をハタと読むのは、なぜか。
ハタ(旗)は、布地を幟(のぼり)としたものの呼び名だ。
では、旗をハタと呼ぶのはなぜか。
布はヌノだし、またはキレ(布)の呼び名もある。
幟(旗)の布がハタハタと風で動くことから、旗をハタと呼ぶとの説がある。
ヤハタ(八幡)は広い旗、多数の旗という意味だろうから、このハタ(旗)を一族の名にしたのであれば、ヘブライ語のユダヤ人を意味するユフディがヤハダ(八幡)に変化したとする説とは語源的にまったくつながらないということになる。

478 :日本@名無史さん:2019/05/18(土) 16:24:56.89 .net
元からユダラ説はオカルト分野であって歴史学や考古学、民俗学ではないし

479 :日本@名無史さん:2019/05/18(土) 16:45:53.50 .net
ここで、別の角度からハタ(旗)の発音をみると、服部(はっとり)の言葉が気になる。
ハットリ(服部)は、ハタオリ(機織り)が元だそうだ。
とすると、ハットリ(服部)の字には機部の字が当てられてもよさそうだが、その機部の字はみられず、ハタの音には服の字が当てられている。
機の字にはハタの呼び名はなかったとするのが妥当だ。
そこで、ハタの音に服の字が当てられていることからすると、衣服を作る布地にハタの呼び名があった可能性がある。
一方では、布を幟(のぼり)として用いた旗の呼び名がハタであるので、服をハタと読むこととよく似ており、服を作る布地のことをハタと呼んだ可能性が高くなる。
この可能性に着目すれば、やはりユダヤ人という意味のヘブライ語ユフディにはつながって行かないようにみえる。

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