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秦氏など渡来人のルーツは?

1 :日本@名無史さん:2012/03/13(火) 20:56:25.50 .net
遊牧系異民族ってせつもあるけど
どこからきたの?

551 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 01:12:11.69 .net
>>550
最初は弓月君だったからなあ。
それがいつの間にか秦になっている。
太秦の漢字を用いたときには、もう始皇帝の子孫を名乗っていたのかな。

552 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 01:29:12.76 .net
>>505
魚の名説はどうなっんか。

553 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 01:35:50.86 .net
Wikipedia
>渡来後の弓月君の民は、養蚕や織絹に従事し、その絹織物は柔らかく「肌」のように暖かいことから波多の姓を賜ることとなったのだという命名説話が記されている。
>(山城國諸蕃・漢・秦忌寸の項によれば、仁徳天皇の御代に波陁姓を賜ったとする。)

554 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 01:37:21.37 .net
>>552
魚の由来からヒントを得てるだけで
古語に「はたたく」という言葉があるのは事実
読解力大丈夫か…

555 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 01:56:12.88 .net
>>69
>>74
>>325
おもしろい

Wikipediaには
>雄略天皇の御代に禹都萬佐(うつまさ:太秦)を賜ったと記されている。
と書かれていたから元の漢字は違ったんだね
ちなみに禹都萬佐の禹は雌竜と雄竜を表した漢字だそう

556 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 02:16:06.91 .net
>>554
古語のハタタクの由来は、(羽叩く)だな。
羽ばたくと同じ。
この雷鳴を指す動詞のハタタクは、略しては使われていないな。
竹取物語では(はたたく空の)と書かれている。
だから、このハタタクが太秦の秦氏のハタになったというのは、無理。
秋田のハタハタは、このハタタクを略した秋田方言のハタの畳語だろう。
京都の秦氏がこの秋田方言を自分ら一族の名としたことは、まああり得んと思うわ。
つまり、秦氏のハタとハタタクは別ということだな。

557 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 02:26:52.12 .net
>>556
再掲すれば、雷鳴がする=ハタタク。
動詞だな。
そして、この(雷鳴がする=ハタタク)の動詞が、名詞化して雷鳴=ハタとなったということはない。
なぜなら、雷鳴=ハタとしている名詞はないからだ。
ちゃんと検証してから言うんだな。
頭、大丈夫かね。

558 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 03:14:52.00 .net
>>325
本当だ

>貞観12年(638年)に景教は唐により公認され、唐朝は資金を援助し、長安に寺院が建立された。
>この段階では波斯寺(あるいは波斯経寺、波斯はペルシアのこと)と呼ばれており、「大秦寺」の名称は使われていなかった。

>景教は当初ペルシア人によって伝えられたものであることから多分にペルシア化したキリスト教であったが、
>漢訳景教経典も遺存していることから、その教義の全貌も解明されてきている。
>それによれば、景教は仏教や道家(老子や荘子の思想)のことばも採用し、さらに、皇帝には忠を、親には孝を説くなど儒家の要素もあって、多分に中国化している。

559 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 03:19:42.64 .net
ハタタ(擬音語)からハタタク(動詞)になってるんだけど…
ユダヤ教の人ほんとに作り話と決めつけが好きだね…

560 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 03:20:43.66 .net
ムー信者こわい

561 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 03:38:20.38 .net
>>556
お前が無理だわ
オカ板にユダヤ教スレ作って勝手にやってろよ
都合の悪い気に入らない説に嘘で攻撃して荒らすな
いちいち文体もキモいし嘘っぽいし不信感を与えるレスしかしないから何も信用できんわ
お前の語りには誰ひとり納得する住人いないのにアスペなのか?
つーか自分の信じる説だけが絶対に正しい他は正しくないと思いたいならブログで語っとけや

562 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 12:02:35.04 .net
禹都萬佐
都を治水し万(よろず)のことを助けるの意味らしい

563 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 12:09:37.57 .net
>>559
ハタタという擬音語はないよ。
いいかげんなこというなよ。
人の揚げ足取りに熱中する君は、なんか性格に欠陥がありそうだ。
病院に行ってきたまえ。

564 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 12:11:14.00 .net
>>561
相手する気にならんわ。

565 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 12:31:02.02 .net
>>562
平安時代の新撰姓氏録では(禹都萬佐)だけど、奈良時代の日本書紀では(禹豆麻佐)になってるね。
ウズマサの意味は、この万葉仮名の字からは分からないね。

566 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 12:58:15.14 .net
>>565
禹豆=ウツ、禹都=ウツ。
麻佐=マサ、萬佐=マサ。

このウツ+マサの意味が問題。
最近は、古代に日本語に多数流入した外国語から和語とされる語彙の意味を解く流れになっている。
秦氏は渡来人だから、渡来前から話していた口語によって秦氏関連の語彙の意味を探るのがいい。
秦氏は中央アジアを通って渡来したふしがある。
5世紀前後の中央アジアの言葉ではチュルク語がある。
そのチュルク語の中のトルコ語でみてみると、ウヅマサはウヅ=3、マサ=机、となる。
ウヅマサは、(3つの机)の意味とすることができる。
そして、秦氏はユダヤ教徒という説もみられるので、その線から考えると、(3つの机)は(3つの祭壇)を指しているとすることができる。
ユダヤ教では、神に礼拝をするとき幕屋を設け、その中に契約の箱をおき、その手前の幕屋の入り口付近から犠牲を焼く祭壇、パンを奉げるための机、香を焚くための祭壇が順に置かれる。
これをみると、(3つの机)は、この(3つの祭壇)を指していることが考えられる。
つまり、(幕屋での礼拝)を意味していることになる。
ということは、太秦(うづまさ)とは、(幕屋での礼拝)を示すトルコ語だとすることができる。
秦氏は太秦の地を、神を礼拝する(幕屋の地)としたということになってくる。
この解釈は、当時すでに文章語となっていたヘブライ語から解釈するよりも、ずっとリアルだ。
秦氏が話していた言葉は、トルコ語だったと考えられる。

567 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 13:43:43.79 .net
なにこいつ

568 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 13:48:26.12 .net
霹靂神も否定すんのか
凄いジャイアだな

569 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 13:51:05.86 .net
ちょっと検索すればバレるのに無かったことにしたいんだね


精選版 日本国語大辞典

はたた‐がみ【霹靂神】
〘名〙 (「はたたく神」の意) 激しい雷。へきれき。はたがみ。はたはたがみ。はたたがみなり。《季・夏》 〔色葉字類抄(1177‐81)〕
※御伽草子・御曹子島渡(室町時代物語集所収)(室町末)「ささやくこゑはいかつちのごとく、いかれば百せんまんのはたたかみ、なりわたりたるごとくにて」

はたはた‐がみ【霹靂神】
〘名〙 =はたたがみ(霹靂神)
※史料編纂所本人天眼目抄(1471‐73)七「青天白日晴れきったに、はたはたがみ鳴(なって)いな光りがしわたったぞ」

570 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 13:51:25.53 .net
はたがみ
はたはたがみ
はたたがみ

571 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 13:52:20.52 .net
>>563
ブーメランですね

572 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 13:57:26.66 .net
>>539
>>541
妄想も入ってるみたいだし触らない方が良いのかも

573 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 14:01:10.18 .net
なんか発言するたびにヤハウェさんにキモい長文レス付けられてストレス
お前とは話してない

574 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 14:24:40.56 .net
誰が、やはうえ?なんだ

長文を書いている人?

575 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 14:32:53.72 .net
>>568
雷をハタと読んだ例はない。

576 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 14:38:08.64 .net
>>573
お前が話しかけてくるな。
消えてちょうだい。

577 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 14:41:51.52 .net
>>569
800年代後半から900年代の後半までに書かれた「竹取物語」では、「はたたたく空」と書いてある。
どっちが古いのか。

578 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 14:44:51.09 .net
>>577
訂正
「はたたたく」→「はたたく」

579 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 14:50:42.70 .net
こだわりと思い込みが激しくて一方的に喋るキモヲタとは会話にならないことが多いけど、ここ見てるとその良い例だなあと思う

580 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 14:54:56.02 .net
そういうことじゃないんだよなーっていう方向に持っていくから周りを辟易とさせて距離を置かれるやつ

581 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 14:57:13.29 .net
そういう奴ほど構ってちゃんなんだよな
いちいちアンカー付けてくる

582 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 15:02:51.59 .net
>>575
普段よく神経質とかアスペとか言われない?
まるで電車と列車は違うってキレ出すオタクみたいだよ
本人議論してるつもりかもしれないけど困った人の癇癪みたいになってるよ

583 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 15:05:30.13 .net
学研全訳古語辞典
はたた−がみ 【霹靂神】名詞
激しく鳴りとどろく雷。◆「はたた」は激しい音の擬音語。

学研を否定

584 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 15:12:47.45 .net
>>486-487
Weblioによると、矢が当たる音の表現にも「はた」が使われたみたい
矢を射る、雷を射つ、感覚的に似ていたのかもね

はた−と 副詞
@ぱしっと。どんと。▽ものとものとがぶつかり合う音の形容。また、勢いよく打ったり切ったりなどする音の形容。
出典平家物語 四・鵼
「手ごたへしてはたとあたる」
[訳] (矢が)命中したという感じがしてぱしっと当たる。

585 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 16:17:51.09 .net
神と雷と蛇と竜

「かみなり」は「神鳴り」、「いかづち」は「厳(いか)つ霊(ち)」から出た語で、古代人が雷を、神威の現れと考えていたことによる。

貴公子たちの求婚「六月(みなづき)の照りはたたくにも障(さは)らず来たり」-出典竹取物語
[訳] 六月の日光が照りつけ雷が激しく鳴り響くのにも妨げられないでやって来た。◆擬声語の「はたた」を活用させた語。

雄略「その雷(かみ)光りひろめきて」-日本書紀
[訳] その(大蛇は)雷のような音をたて光がぴかっと光って。

竜の頸の玉「竜(たつ)は鳴る雷(かみ)のるいにこそあれ」-出典竹取物語
[訳] 竜は雷の同類であったのだ

浄瑠璃のこと良く知らないけど、「近松門左衛門の世話浄瑠璃に見られるオノマトペの特徴」を読んだら、
はたと、はつた、はたはた、は力強い動作や勢いのある動作表現に使われていたらしい

機織りのハタも打ち付ける擬音から来ているのやも?
(キリギリスは機織り虫と呼ばれていたらしいし)

これらを踏まえて神社の由緒や祭神を調べると面白そう

586 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 17:12:09.43 .net
>>582
雷をハタと書いてる例を示せばいいだけ。
ごちゃごちゃ言う間あったら、例を出せよ。
脳tallinnだから、無理か。

587 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 17:31:22.96 .net
>>583
「人天眼目」は中国宋代の1188年になったものらしいな。
その中の「霹靂」について、日本で解説したが「人天眼目抄」もののようだ。
その日本での解釈が、1471年頃ということになるな。
しかし、それより700年近く前に書かれた「竹取物語」に書かれている(はたたく)の語彙のほうが、ようがより古く信頼できると思わんのか。
太秦の秦氏が渡来したのは5世紀初頭前後やから、それから400年後くらいに書かれたのが「竹取物語」や。
「人天眼目抄」は秦氏の渡来より1000年も後の解説書であり、竹取物語と比べたら700年後になる。
どっちを採るのがよいか明らかだわな。

588 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 17:49:40.06 .net
秦氏がトルコ語を話すユダヤ教徒だった確率は、相当高いな。
スヅマサは、幕屋の祭壇の意味だよ。
それに、秦氏の神体山である松尾山のマツオは、ユダヤ教徒にとって非常に重要な種無しパンのマッツオと発音が酷似している。
出エジプト記の巻頭を飾るのがマッツオだ。
松尾山は、そのマッツオに松尾と漢字をかぶせたものだな。

589 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 19:49:54.69 .net
ブログ行けとか
オカ板行けとか言われてんのにまだいる…

590 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 19:54:57.01 .net
>>587
だからお前のレスは要らないってのに

591 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 20:11:52.04 .net
決めつけた攻撃的な物言いするから反発されてるのに、分かってないんだな

592 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 20:14:14.58 .net
>>585
機織りは、先にハタって音があって、そこに漢字をあてられたらしいからね

593 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 20:38:46.85 .net
>>325
>>558
秦氏かどうかということは置いといて、とにかくペルシアから宗教弾圧で逃げた集団が唐に受け入れられて長安にペルシア寺=波斯(後のローマ寺=大秦寺)を建てたんだね
そこで現地の口語や漢文を使いこなし、仏教、道教、儒教の概念も吸収して、なんて凄い集団

この集団が日本に来た秦氏と同じ集団だったのかは分からないけど、日本書記には百済から来たって記されてたよね
せっかく受け入れられた長安でも何かと弾圧されて百済に逃げた者たちがいるってことなのかな
散りぢりになりそうだけど一纏まりで移動してたんだろうか

594 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 20:47:22.64 .net
例えば、その大秦寺に隷属して使われていた身分の者たちだったりとか、大秦寺の恩恵を受けていた何者かだったりとか、ってことは無いのかな
ちょっと前の日本とはシステム違うだろうけど

595 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 21:03:37.38 .net
9世紀半ばからみたいだわ
景教が弾圧されたのは

>9世紀半ばに即位した武宗は道教に傾斜し、仏教をはじめ他の宗教を弾圧(会昌の廃仏)。
>景教も例に漏れず弾圧を受け、多くの大秦寺が破壊される。その際に碑は土中に埋没したと考えられている。

596 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 21:11:17.44 .net
大秦景教流行中国碑にはエストランゲロ体(他に2種類ある)のシリア文字が記されているらしい

597 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 21:43:59.07 .net
弓月君とか言ってる人と、弓月国の人と、波斯(ペルシャ)から来た大秦寺の人と、大秦国のユダヤ人は、それぞれ違う人らなんじゃ?
ttps://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/img/1263098537.jpg

598 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 22:37:25.97 .net
時系列からみたら、別々の集団だろうね。

599 :日本@名無史さん:2019/05/20(月) 23:21:15.06 .net
皇室の遠縁のナントカ宮です〜とか自称してた無関係の民間人が詐欺か何かでニュースになってたり
秀吉も姓を貰うまでは源氏ッス平家ッスとか言ってた逸話あったりするし、
秦氏と無関係でも秦氏って名乗っとけみたいな奴もいたんじゃないのかね?渡来人かなりの数だったらしいし

600 :日本@名無史さん:2019/05/22(水) 02:43:15.66 .net
旅籠(はたご)は古い語彙。
この旅を(はた)と読んでいるのが意味深だよ。
秦氏のハタと関連がありそうだな。
旅の字をどいうわけでハタと読んだのかってことが、秦氏の謎を解くカギだと思うわ。

601 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 04:39:23.14 .net
ちょっと調べたので纏めてみた

ハタゴ:旅籠(当て字?※1)/波太古(万葉仮名)/篼(元の漢字)

奈良時代…篼は馬の餌である秣を入れて旅に用いたため旅籠とも書く
平安時代…人の食料を入れたものも旅籠と呼ぶようになる
室町辞典…木賃宿(米持参+薪代で素泊まりできる宿)が流行る
鎌倉時代…木賃宿+馬と人の賄い飯=旅籠となる(表に秣の入った飼い葉桶が出ている)

「旅」=分解すると「方人 人人 ※2」となる
「篼」=日本の漢字辞典には無く由来の調べ付かず
「秣」=まぐさ(馬草・馬の餌になる草)のこと

※1:満州に「1グサ」という単位があり中国語訳で「1旗」、もしその読みが伝わっていたなら、馬草籠→秣籠→草籠→旗籠→旅籠と表記が揺れた経緯があるのでは?
※2:旗を持つ人に付いていく人々を表現しているので、旅に旗は付きもの→うっかりハタと訓じたのでは?

ちなみに面白かった隠語大辞典(皓星社)
>旅篭 はたご
>非人乞丐ノ徒ガ、平常山間又ハ野末ノ神社仏堂境内等ニ仮泊スル場所ヲ云フ。〔第五類 一般建物〕
>非人乞食の徒が、平常山間又は野末の神社仏堂境内等に仮泊する場所をいふ。〔犯罪語〕
>山門、神社、仏閣等に於て非人、乞食が集る所を云ふ。
>神社、仏閣等において乞食の集るところをいう。

602 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 04:40:51.87 .net
>>600
あなたの見解は

603 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 04:45:57.93 .net
調べもしないでバカの一つ覚えみたいに何でも秦と結びつけるのはどうかと思う
ちなみにハタが付く地名の殆んどは秦氏と無関係であるので注意と地名語源の本には書かれていた

604 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 07:19:46.69 .net
>>602
秦氏は、ギリシャ系かペルシャ系のトルコ語を話す改宗ユダヤ教徒だと想定している。
その想定に基づいて、トルコ語で解釈してみると、次のように解釈ができる。

旅籠(はたご)の(ご)は、(かご=籠)の(ご)だとみなすことができる。
そうすると、旅(はた)は、(はた)の音に旅の漢字を当てたものであることが分かる。
(はた)の言葉に旅の意味があったことが推測できる。
そこで、トルコ語で旅を意味する語彙を探すと、seyahat(セヤハット)がみられる。
seyahat(セヤハット)は、旅行、旅を意味する言葉。
このseyahatを分解すると、seyah(?)+at(馬)の構成であることが分かる。
seyahat(旅)は、at(馬)を使って行ったことから生じた言葉であるとみることができる。
大陸での旅は、馬に乗って移動することであったということだろう。
ここで意味が不明なのが、seyah(セヤフ)。
seyah(セヤフ)とは、何かが問題。

                    続く

605 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 08:45:54.27 .net
>>602
seyah(セヤフ)は意味不明であるが、このseyahにyを付け加えてseyyah(セイヤ)とすると、
このseyyah(セイヤ)は旅行者、旅人、巡礼者の意味であるので、
seyahat(セヤハット)のseyahの元字をこのseyyahだとみなした場合、seyahatの語彙はseyyah(旅人)+at(馬)であったことを推測することができ、
seyahat(セヤハット)の言葉になぜ旅行、旅の意味があるのかが分かることになる。

ここで最初に戻り、(はたご=旅籠)の(はた)の音に旅の字を当てていることから、(はたご=旅籠)の(はた)の発音には旅の意味があったことを想定した。
そして、その(はた)の音になぜ旅の意味があるのかが、問題であった。
そこで、上のseyahat(セヤハット=旅)の語頭のseyaを省略するとhat(ハト=旅)となり、このseyahhatのhat(ハト=旅)と旅籠(はたご)の(はた=旅)は発音、意味ともにほとんど同じである。
このことから、馬の飼料に(はた)の言葉を当て、この(はた)に旅の字を当てたのは、馬の飼料に当てた(はた)の言葉に元々旅の意味があったからであり、
その(はた)がトルコ語のseyahat(セヤハット=旅)のhat(ハト=旅)に由来すると考えれば、なぜ(はたご=旅籠)の(はた)に旅の意味があるのかとの疑問に答えを出すことが可能となる。
秦氏は、馬を用いた運送業も行っていたことが知られている。
その馬の飼料を手当てしたのが秦氏の配下であったことから、馬の飼料を(はた)と呼び、その飼料を入れた籠も(はたかご・はたご)と呼ぶようになり、この(はたご)に旅籠と漢字を当てるようになったのは
元々からこの(はた)の言葉に旅の意味があったからだと理解すれば分かりやすい。
つまり、漢字が日本にもたらされた当時、(はた)氏の(はた)は旅を意味していると知られていたということを示していると考えることが可能だ。

秦氏の(はた)の由来は、トルコ語のseyahat(セヤハット=旅)の短縮形の(ハト=旅)であり、その(ハト)が(はた)と変化したものだと考えることができる。

606 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 09:40:51.99 .net
>>583
その(はたた)の語源は、羽搏く・羽叩くだとされている。
羽+叩く。
雷の呼び名がハタであったことを示す例文はみあたらない。

607 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 14:17:20.94 .net
ずっと雷と同義だって話で進んでるのにアスペルガーなのか

608 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 14:43:58.98 .net
>>607
知らんがな。
雷=ハタの語彙は見当たらん。

609 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 14:46:05.33 .net
>>605
都合の良いように言葉の一部を勝手に省略してみた☆って感じに聞こえるけど、「トルコ語のseyahat(セヤハット=旅)の短縮形の(ハト=旅)であり、」の短縮形は実際トルコ語には無いんだよね?
セヤフも意味不明って自分で言ってるし、こじつけすぎじゃない?

610 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 14:48:24.72 .net
構ってやらなくていい
電波系は肯定を渇望してるだけだから何も話が通じない
壊れきったレディオと命名する

611 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 14:58:13.94 .net
>>609
省略したのは、日本に来てからの話。
セヤハットは、日本語の発音では長すぎる。
ハトの2音が一番発音しやすい。
問題ない。

612 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 14:59:14.09 .net
>>611
次から名前欄に壊れきったレディオって入れて

613 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 14:59:45.56 .net
>>611
完全にお前の個人的な好みじゃん…

614 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 17:42:01.64 .net
>>613
お前の好みじゃないことは、分かった。

615 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 18:21:26.27 .net
コテつけないからレスいちいちNGするの面倒

616 :日本@名無史さん:2019/05/24(金) 01:38:21.39 .net
>>615
ウヅマサのウヅも、トルコ語の数詞3。
マサは机。
ウヅマサはトルコ語で(3つの机)。
幕屋の礼拝の意味。
みんな、トルコ語でリアルに謎が解ける。
ついでに、秦氏が交易航路として力を入れた対馬海峡の2番目の島は、壱岐(いき)。
そこでトルコ語をみると、数詞の2がiki(イキ)。
秦氏がトルコ語を話した改宗ユダヤ教徒だったことは、まず間違いない。

617 :日本@名無史さん:2019/05/24(金) 02:26:47.14 .net
>>601
(はたご=旅籠)の意味について、辞書などによって微妙に内容が異なるものとなっている。

電子辞書などでは、「旅行のとき、馬の餌を入れて運んだ竹籠」というものが多い。
一方、平安時代の和名抄では、「(はたご)は飼馬籠也。波太古。俗に旅籠の二の字を用いる」とし、
ブリタニカ国際大百科事典では「(はた)は馬の餌、(ご)は籠である」としている。
和名抄やブリタニカでは「旅行のとき、馬の餌を入れて運んだ竹籠」の解説の中の「旅行のとき」という言葉は記述されていない。
和名抄では、明確に「(はたご)は飼馬籠也」とだけ書いている。
つまり、(旅のときに用いる飼馬籠)とは限定していない。
(はたご)という言葉は、馬の餌を入れた籠の意味だとしか言っていない。
そして、この(はたご)に、俗に旅籠という漢字を当てていると説明しているのである。
ということは、(はた)という言葉に旅という意味付けがなされているということになる。
電子辞書などの解説と、倭名抄やブリタニカの解説は微妙に内容が異なるということである。

618 :日本@名無史さん:2019/05/24(金) 19:38:49.95 .net
>>611
このことからすると、ハタ(秦)氏のハタは(旅する者)という意味のトルコ語seyahat(セヤハット)に由来するもので、このseyahat(セヤハット=旅行・旅)とは、おそらく(交易で各地を旅する者=交易者)という意味だったのではないか。
交易を生業としながら、カザフ平原からアルタイを経て、東の海辺の地である日本を目指したユダヤ教徒だったのが、このハタ(秦)氏だということになるのだろう。

619 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:02:02.89 .net
■イスラエル国家機関が本気で注目するチャン族


 チャン族は、前述の地域以外にも同州の各地に居住しており、シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派に属するチャン語を話している。もともと人口は30万人程度だが、四川大地震でその約30%を失ったうえ、多くの住居が倒壊するなど甚大な被害を受けた。


 このチャン族が「失われた10支族」の末裔ではないかと主張しているのは、他ならぬイスラエルの国家機関「AMISHAV(アミシャーブ、アミシャブ)」だ。

620 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:06:13.33 .net
チャン族は、農暦(中国暦)の10月1日を新年とするが、これはユダヤ暦で7番目の月(9月か10月)を新年と定めている点に類似する。
他にも、山の頂上に築いた自然石の祭壇で神に犠牲を捧げる点、さらに家屋の扉の側柱に血を振りかけて家内安全を祈る点に至っては、ユダヤ人の「過越祭」とまったく同じだ。
ちなみに、これと似た風習は沖縄にも残されており、血に浸した木の枝や家畜の骨を家の戸口や集落の出入り口に吊るす「カンカー(看過)」という行為も、イスラエルとのつながりを感じさせ興味深いところだ。

621 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:07:52.16 .net
■10支族→チャン族→日本人 驚きのつながりが見えた!


 このように、チャン族の信仰や生活には、古代イスラエルの民と共通する要素が実に多い。そして特筆すべきは、その一部が日本の文化でも見られることだろう。チャン族と日本人にも共通点が実に多いのだ。


 まず、その容姿だ。チャン族の女性には美人が多いことで知られるが、その中には日本の女優にいても不思議ではない顔立ちの人がいる。また、チャン族には天孫降臨神話も受け継がれており、自ら「天孫」を自認している。

622 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:20:44.07 .net
イスラエルが注目するチャン族は羌族
羌族といえば太公望
太公望といえば周王に今は山東省と呼ばれる地域に領土を貰って移住

山東省ではラクダの彫り物が出土
太公望といえば斉国
斉国は始皇帝に最後に滅ぼされた国である
山東半島の対面は遼東半島であり船で東に向かえば日本の北九州

ラクダの彫り物が出土した山東省からはコーカソイド白人のDNAを持つ人骨が発掘されている

もう分かりましたよね? 秦氏は羌族であり海ではなく遼東半島経由で南下し日本に渡ってきたユダヤ系の末裔と言える集団でした。

623 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:22:14.18 .net
納得するしかない もう

624 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 19:19:52.03 .net
秦氏は、ギリシャ系かペルシャ系のトルコ語を話す改宗ユダヤ教徒だろう。
おそらく、間違いない。
秦氏の成功は、産業生産物を交易物として全国にさばいた点にある。
馬を用いて生産物を伊勢に運んだ事例がみえる。
こうした交易活動は、カザフ平原からアルタイにかけての交易生業でつちかった在り方であり、在来の日本人には真似のできないシステムだった。
4世紀後半頃から朝鮮半島を経た交易に応神政権が力を注ぐのは、秦氏による海外交易の富に目覚めたからだ。
秦氏が政権に影響を与えたということだろう。
応神政権の成立そのものが秦氏の影響を受けたものであった可能性も考えるべきだな。

625 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 21:34:55.54 .net
で その証拠どこにあるんです

626 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 22:29:37.62 .net
>>622
ユダヤ人はコーカソイドじゃないよ

627 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 01:05:59.98 .net
>>626
もっと言うてやってくれ。

628 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 13:08:48.89 .net
もう誰も相手にしてくれなくなったな
こんなキチがいたら過疎るわ

629 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 19:15:17.46 .net
>>628
ワイの高邁な研究成果に、皆がついて来れないだけ。

630 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 19:16:53.64 .net
>>625
そこらに、いっぱい転がっとる。
あれこれ、拾って研究してみたまえ。

631 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 23:47:25.33 .net
アスペルガーヲチスレみたいな流れね

632 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 01:47:36.99 .net
日ユ同祖論を展開した言語学者の佐伯好郎がこれこそはと打ち上げたのが太秦広隆寺境内にあった井戸の名で、その井戸の名は(いさら井)だった。
(いさら井)は、ヘブライ語のイスラエルの音写だと考えたのだ。
確かに、(いさら井)とイスラエルの発音はよく似ている。
しかし、日本語の古語には(いさら)という語彙があり、この(いさら)は(水量が少ない)という意味の言葉だとされている。
つまり、(いさら)は(いささか)という語彙と同系だとみられているのだ。
そこで、(いさら井)は、水の量が少ない井戸という意味になるという。
こういうことから、広隆寺境内の(いさら井)が(イスラエル)の音写だとする佐伯学者の説は、まったく無視されてしまったのだ。
学識豊な言語学者が、日本語と外国語の関連に触れるとなぜかトンデモ説に陥るというパターンはタミル語の大野晋でも起こった。
しかし、そうだろうか。この学者たちは、時代が早すぎたのではないか。
現在では、日本語と外国語の関連をコンピュータを使って解析する時代に入っている。
そういうことであるのだが、依然として頭にクモの巣が張った素人どもは、日ユ同祖論をオカルトと同レベルに置いてあざ笑う始末。
こうした素人どもは、遊ばせておいて、マジに佐伯学者の(いさら井)に再挑戦してみることにしよう。

                                 続く

633 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 03:43:15.23 .net
佐伯学者は、(いさら井)がイスラエルの音写だと考えたわけだが、(いさら井)に対応する語彙の選択を誤ったのだろう。
秦氏がユダヤ教徒だったとみなした場合、太秦の広隆寺の境内はイスラエルという王国に対応させるよりは、むしろユダヤ教徒の聖地であるエルサレムに対応させたほうがリアルだ。
広隆寺の境内をエルサレムとみなすと、エルサレムにとって生命線となる水を得る場所はシロアムの池だった。
エルサレムから少し離れたところにあるギボンの泉に湧く水が城内のシロアムの池に流れ込んで、その池を満たしていた。
ところが、前701年にアッシリアがエルサレム包囲戦を行い、干乾しになるのを恐れたイスラエルのヒゼキア王がギボンの泉から城内のシロアムの池まで地下水道を掘って、干乾しになるのを防いでアッシリアの包囲戦を戦った。
そういうわけで、シロアムの池はユダヤ人にとっては伝説の聖池だった。
そこで、広隆寺境内をエルサレムに対応させた場合、その(いさら井)はシロアムの池に対応することになるのだ。
そして、シロアムの池は完全に防衛されたエルサレムの象徴であったから、シロアムの池はエルサレムの命そのものを表す表象となる。

そこで、ヘブライ語のエルサレムの発音をみると、yerushalayim(イェルシャライム)だそうだ。
ル音は軽く、ライムのイ音はほとんど聞こえない。
イェシャラームと聞こえる。
この発音ならば、(いさら)に近い。

秦氏をユダヤ教徒と想定すると、広隆寺境内をエルサレムに見立て、(いさら井)はシロアムの池に見立てる構図を描くことができる。
そうなると、そのシロアムの池に見立てた井戸をもって(いさら井=水が少ない井戸)と呼び、実は(イシャラ=イスラエル)の発声としていた可能性を想定することもできる。
つまり、(いさら井)は、エルサレムの池(シロアムの池)ということになってくるのだ。
秦氏は、このような擬制を各所で行っているようにみえる。

以上が、佐伯学者に続く、太秦広隆寺の(いさら井)の謎の解明の達成だ。
エルサレムのほうが、イスラエルよりもはるかにリアルな解釈といえる。
わははははは。

634 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 03:54:42.24 .net
>>633
訂正

23行目〜24行目の(イシャラ=イスラエル)は、(イシャラ=エルサレム)が正しい。

635 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 13:24:54.93 .net
>>631
まあ、掲示板は会話交流が目的というより、一種のマウンディングの闘いだからね。
つまり、交流サイトとはまた違う面がある。

636 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 15:09:55.21 .net
普段常駐してるスレは楽しく雑談が回ってるけど、ここは特殊だよ
まず会話になってないもん
会話する気が無くて押し付けたいだけのキチガイが居座ってるからマトモな人がいなくなっていく

637 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 15:10:35.90 .net
リアルでも友だちいなさそう

638 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 17:38:33.33 .net
>>637
じや、黙っているから、きみら会話を楽しみたまえ。
わはははは。

639 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 11:54:47.33 .net
>>626
>>627
単純すぎます

そもそもコーカソイドの定義を理解してるのですか?
コーカソイド=白人ではないです 
セム系は色黒でコーカソイドではない! とか言うんでしょうね
そんな単純ではないのですよ

そもそもユダヤ人の始祖アブラハムの一族は現イランの出身でありアラブ人ではないですし
アラブ系でもコーカソイドに分類される人は多いです

コーカソイドのユダヤ人も古代より大勢いました
古代よりギリシャ語圏やローマ帝国領土にユダヤ人は多く住んでいました
紀元前三〜二世紀には離散ユダヤ人のために各地で旧約聖書はギリシャ語に翻訳されています

640 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 11:57:32.37 .net
> ユダヤ人はコーカソイドじゃないよ
こんなこと言い切れるわけ無いでしょう
そもそもユダヤ人とは十氏族いましたし 胆汁に言っても北と南では別の民族だった混合体ですよ?
何もご存じないようだ 呆れました

641 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 11:58:30.46 .net
ユダヤ人は母親がユダヤ系なら子供もユダヤ人なので どんどん混血したことでしょう

642 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:04:53.47 .net
> 白人系ユダヤ人がまだ登場していない紀元1世紀前後、古代ローマ帝国でユダヤ独立戦争があり、
大敗を喫したオリジナル・ユダヤ人(オリエンタル・ユダヤ人)たちは徹底的に追放されたわけだが、
この迫害により離散したユダヤ人のうち、イベリア半島(スペイン)に移住したオリエンタル・ユダヤ人(セム系民族)の子孫を「スファラディ系ユダヤ人」という。

この頃から白人とも混血しております
スファラディは東ローマ帝国があった現トルコ領のイスタンブール辺りでの活躍は有名です
ペルシャ帝国でも商人や宮廷で活躍した彼らは迫害を逃れるためどんどん東に向かっていきました
インドやアフガニスタンでも大量のユダヤ人が確認されております

643 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:05:49.72 .net
コーカソイドのユダヤ人はオリエントの世界で山ほどいました

644 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:07:37.08 .net
また西域で中国とつながるアフガニスタン人の多くは現在はイスラム教徒ですが自分がアブラハムの子孫であると主張しています

彼らの多くは今でもラクダに乗り長距離を移動します

645 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:26:45.07 .net
彼らはイラン人やインド人(の一部)と同様にコーカソイドに分類されます

646 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:28:42.50 .net
彼らコーカソイドのユダヤ商人や血を引くラクダや羊を連れた牧畜民が中国に古代より来ておりました
それは確実なのです 

647 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 14:09:23.93 .net
NGワード:ユダヤ,コーカソイド,トルコ,イスラエル,ヤハウェ,間違いない

言っとくけど構ってる奴も荒らしだからな

648 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 15:37:17.26 .net
↑ 何ということでしょう 中国は漢人だけの国だとでも思い込んどるんかな この人は 哀れすぎるね

649 :日本@名無史さん:2019/05/29(水) 14:06:06.59 .net
なんだよ、会話が途切れたな。
一人二役の会話か。
もう、誰もおらん。
わははははは。

650 :日本@名無史さん:2019/05/30(木) 05:27:40.10 .net
広隆寺境内=エルサレム
いさら井=エルサレムの池(シロアム池)
この図式は、これまでにない新しい秦氏=ユダヤ教徒説の根拠になるな。

太秦(うづまさ)のウヅ=数詞3
太秦(うずまさ)=3っの机(幕屋の礼拝)
三柱鳥居の三=ユダヤ教の聖数3
松尾山=マッツオ(出エジプトの種無しパン)

もはや、太秦(うずまさ)は秦氏が作った日本におけるユダヤ教の聖地だということは明らかだ。

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