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秦氏など渡来人のルーツは?

613 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 14:59:45.56 .net
>>611
完全にお前の個人的な好みじゃん…

614 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 17:42:01.64 .net
>>613
お前の好みじゃないことは、分かった。

615 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 18:21:26.27 .net
コテつけないからレスいちいちNGするの面倒

616 :日本@名無史さん:2019/05/24(金) 01:38:21.39 .net
>>615
ウヅマサのウヅも、トルコ語の数詞3。
マサは机。
ウヅマサはトルコ語で(3つの机)。
幕屋の礼拝の意味。
みんな、トルコ語でリアルに謎が解ける。
ついでに、秦氏が交易航路として力を入れた対馬海峡の2番目の島は、壱岐(いき)。
そこでトルコ語をみると、数詞の2がiki(イキ)。
秦氏がトルコ語を話した改宗ユダヤ教徒だったことは、まず間違いない。

617 :日本@名無史さん:2019/05/24(金) 02:26:47.14 .net
>>601
(はたご=旅籠)の意味について、辞書などによって微妙に内容が異なるものとなっている。

電子辞書などでは、「旅行のとき、馬の餌を入れて運んだ竹籠」というものが多い。
一方、平安時代の和名抄では、「(はたご)は飼馬籠也。波太古。俗に旅籠の二の字を用いる」とし、
ブリタニカ国際大百科事典では「(はた)は馬の餌、(ご)は籠である」としている。
和名抄やブリタニカでは「旅行のとき、馬の餌を入れて運んだ竹籠」の解説の中の「旅行のとき」という言葉は記述されていない。
和名抄では、明確に「(はたご)は飼馬籠也」とだけ書いている。
つまり、(旅のときに用いる飼馬籠)とは限定していない。
(はたご)という言葉は、馬の餌を入れた籠の意味だとしか言っていない。
そして、この(はたご)に、俗に旅籠という漢字を当てていると説明しているのである。
ということは、(はた)という言葉に旅という意味付けがなされているということになる。
電子辞書などの解説と、倭名抄やブリタニカの解説は微妙に内容が異なるということである。

618 :日本@名無史さん:2019/05/24(金) 19:38:49.95 .net
>>611
このことからすると、ハタ(秦)氏のハタは(旅する者)という意味のトルコ語seyahat(セヤハット)に由来するもので、このseyahat(セヤハット=旅行・旅)とは、おそらく(交易で各地を旅する者=交易者)という意味だったのではないか。
交易を生業としながら、カザフ平原からアルタイを経て、東の海辺の地である日本を目指したユダヤ教徒だったのが、このハタ(秦)氏だということになるのだろう。

619 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:02:02.89 .net
■イスラエル国家機関が本気で注目するチャン族


 チャン族は、前述の地域以外にも同州の各地に居住しており、シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派に属するチャン語を話している。もともと人口は30万人程度だが、四川大地震でその約30%を失ったうえ、多くの住居が倒壊するなど甚大な被害を受けた。


 このチャン族が「失われた10支族」の末裔ではないかと主張しているのは、他ならぬイスラエルの国家機関「AMISHAV(アミシャーブ、アミシャブ)」だ。

620 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:06:13.33 .net
チャン族は、農暦(中国暦)の10月1日を新年とするが、これはユダヤ暦で7番目の月(9月か10月)を新年と定めている点に類似する。
他にも、山の頂上に築いた自然石の祭壇で神に犠牲を捧げる点、さらに家屋の扉の側柱に血を振りかけて家内安全を祈る点に至っては、ユダヤ人の「過越祭」とまったく同じだ。
ちなみに、これと似た風習は沖縄にも残されており、血に浸した木の枝や家畜の骨を家の戸口や集落の出入り口に吊るす「カンカー(看過)」という行為も、イスラエルとのつながりを感じさせ興味深いところだ。

621 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:07:52.16 .net
■10支族→チャン族→日本人 驚きのつながりが見えた!


 このように、チャン族の信仰や生活には、古代イスラエルの民と共通する要素が実に多い。そして特筆すべきは、その一部が日本の文化でも見られることだろう。チャン族と日本人にも共通点が実に多いのだ。


 まず、その容姿だ。チャン族の女性には美人が多いことで知られるが、その中には日本の女優にいても不思議ではない顔立ちの人がいる。また、チャン族には天孫降臨神話も受け継がれており、自ら「天孫」を自認している。

622 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:20:44.07 .net
イスラエルが注目するチャン族は羌族
羌族といえば太公望
太公望といえば周王に今は山東省と呼ばれる地域に領土を貰って移住

山東省ではラクダの彫り物が出土
太公望といえば斉国
斉国は始皇帝に最後に滅ぼされた国である
山東半島の対面は遼東半島であり船で東に向かえば日本の北九州

ラクダの彫り物が出土した山東省からはコーカソイド白人のDNAを持つ人骨が発掘されている

もう分かりましたよね? 秦氏は羌族であり海ではなく遼東半島経由で南下し日本に渡ってきたユダヤ系の末裔と言える集団でした。

623 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:22:14.18 .net
納得するしかない もう

624 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 19:19:52.03 .net
秦氏は、ギリシャ系かペルシャ系のトルコ語を話す改宗ユダヤ教徒だろう。
おそらく、間違いない。
秦氏の成功は、産業生産物を交易物として全国にさばいた点にある。
馬を用いて生産物を伊勢に運んだ事例がみえる。
こうした交易活動は、カザフ平原からアルタイにかけての交易生業でつちかった在り方であり、在来の日本人には真似のできないシステムだった。
4世紀後半頃から朝鮮半島を経た交易に応神政権が力を注ぐのは、秦氏による海外交易の富に目覚めたからだ。
秦氏が政権に影響を与えたということだろう。
応神政権の成立そのものが秦氏の影響を受けたものであった可能性も考えるべきだな。

625 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 21:34:55.54 .net
で その証拠どこにあるんです

626 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 22:29:37.62 .net
>>622
ユダヤ人はコーカソイドじゃないよ

627 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 01:05:59.98 .net
>>626
もっと言うてやってくれ。

628 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 13:08:48.89 .net
もう誰も相手にしてくれなくなったな
こんなキチがいたら過疎るわ

629 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 19:15:17.46 .net
>>628
ワイの高邁な研究成果に、皆がついて来れないだけ。

630 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 19:16:53.64 .net
>>625
そこらに、いっぱい転がっとる。
あれこれ、拾って研究してみたまえ。

631 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 23:47:25.33 .net
アスペルガーヲチスレみたいな流れね

632 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 01:47:36.99 .net
日ユ同祖論を展開した言語学者の佐伯好郎がこれこそはと打ち上げたのが太秦広隆寺境内にあった井戸の名で、その井戸の名は(いさら井)だった。
(いさら井)は、ヘブライ語のイスラエルの音写だと考えたのだ。
確かに、(いさら井)とイスラエルの発音はよく似ている。
しかし、日本語の古語には(いさら)という語彙があり、この(いさら)は(水量が少ない)という意味の言葉だとされている。
つまり、(いさら)は(いささか)という語彙と同系だとみられているのだ。
そこで、(いさら井)は、水の量が少ない井戸という意味になるという。
こういうことから、広隆寺境内の(いさら井)が(イスラエル)の音写だとする佐伯学者の説は、まったく無視されてしまったのだ。
学識豊な言語学者が、日本語と外国語の関連に触れるとなぜかトンデモ説に陥るというパターンはタミル語の大野晋でも起こった。
しかし、そうだろうか。この学者たちは、時代が早すぎたのではないか。
現在では、日本語と外国語の関連をコンピュータを使って解析する時代に入っている。
そういうことであるのだが、依然として頭にクモの巣が張った素人どもは、日ユ同祖論をオカルトと同レベルに置いてあざ笑う始末。
こうした素人どもは、遊ばせておいて、マジに佐伯学者の(いさら井)に再挑戦してみることにしよう。

                                 続く

633 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 03:43:15.23 .net
佐伯学者は、(いさら井)がイスラエルの音写だと考えたわけだが、(いさら井)に対応する語彙の選択を誤ったのだろう。
秦氏がユダヤ教徒だったとみなした場合、太秦の広隆寺の境内はイスラエルという王国に対応させるよりは、むしろユダヤ教徒の聖地であるエルサレムに対応させたほうがリアルだ。
広隆寺の境内をエルサレムとみなすと、エルサレムにとって生命線となる水を得る場所はシロアムの池だった。
エルサレムから少し離れたところにあるギボンの泉に湧く水が城内のシロアムの池に流れ込んで、その池を満たしていた。
ところが、前701年にアッシリアがエルサレム包囲戦を行い、干乾しになるのを恐れたイスラエルのヒゼキア王がギボンの泉から城内のシロアムの池まで地下水道を掘って、干乾しになるのを防いでアッシリアの包囲戦を戦った。
そういうわけで、シロアムの池はユダヤ人にとっては伝説の聖池だった。
そこで、広隆寺境内をエルサレムに対応させた場合、その(いさら井)はシロアムの池に対応することになるのだ。
そして、シロアムの池は完全に防衛されたエルサレムの象徴であったから、シロアムの池はエルサレムの命そのものを表す表象となる。

そこで、ヘブライ語のエルサレムの発音をみると、yerushalayim(イェルシャライム)だそうだ。
ル音は軽く、ライムのイ音はほとんど聞こえない。
イェシャラームと聞こえる。
この発音ならば、(いさら)に近い。

秦氏をユダヤ教徒と想定すると、広隆寺境内をエルサレムに見立て、(いさら井)はシロアムの池に見立てる構図を描くことができる。
そうなると、そのシロアムの池に見立てた井戸をもって(いさら井=水が少ない井戸)と呼び、実は(イシャラ=イスラエル)の発声としていた可能性を想定することもできる。
つまり、(いさら井)は、エルサレムの池(シロアムの池)ということになってくるのだ。
秦氏は、このような擬制を各所で行っているようにみえる。

以上が、佐伯学者に続く、太秦広隆寺の(いさら井)の謎の解明の達成だ。
エルサレムのほうが、イスラエルよりもはるかにリアルな解釈といえる。
わははははは。

634 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 03:54:42.24 .net
>>633
訂正

23行目〜24行目の(イシャラ=イスラエル)は、(イシャラ=エルサレム)が正しい。

635 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 13:24:54.93 .net
>>631
まあ、掲示板は会話交流が目的というより、一種のマウンディングの闘いだからね。
つまり、交流サイトとはまた違う面がある。

636 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 15:09:55.21 .net
普段常駐してるスレは楽しく雑談が回ってるけど、ここは特殊だよ
まず会話になってないもん
会話する気が無くて押し付けたいだけのキチガイが居座ってるからマトモな人がいなくなっていく

637 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 15:10:35.90 .net
リアルでも友だちいなさそう

638 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 17:38:33.33 .net
>>637
じや、黙っているから、きみら会話を楽しみたまえ。
わはははは。

639 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 11:54:47.33 .net
>>626
>>627
単純すぎます

そもそもコーカソイドの定義を理解してるのですか?
コーカソイド=白人ではないです 
セム系は色黒でコーカソイドではない! とか言うんでしょうね
そんな単純ではないのですよ

そもそもユダヤ人の始祖アブラハムの一族は現イランの出身でありアラブ人ではないですし
アラブ系でもコーカソイドに分類される人は多いです

コーカソイドのユダヤ人も古代より大勢いました
古代よりギリシャ語圏やローマ帝国領土にユダヤ人は多く住んでいました
紀元前三〜二世紀には離散ユダヤ人のために各地で旧約聖書はギリシャ語に翻訳されています

640 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 11:57:32.37 .net
> ユダヤ人はコーカソイドじゃないよ
こんなこと言い切れるわけ無いでしょう
そもそもユダヤ人とは十氏族いましたし 胆汁に言っても北と南では別の民族だった混合体ですよ?
何もご存じないようだ 呆れました

641 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 11:58:30.46 .net
ユダヤ人は母親がユダヤ系なら子供もユダヤ人なので どんどん混血したことでしょう

642 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:04:53.47 .net
> 白人系ユダヤ人がまだ登場していない紀元1世紀前後、古代ローマ帝国でユダヤ独立戦争があり、
大敗を喫したオリジナル・ユダヤ人(オリエンタル・ユダヤ人)たちは徹底的に追放されたわけだが、
この迫害により離散したユダヤ人のうち、イベリア半島(スペイン)に移住したオリエンタル・ユダヤ人(セム系民族)の子孫を「スファラディ系ユダヤ人」という。

この頃から白人とも混血しております
スファラディは東ローマ帝国があった現トルコ領のイスタンブール辺りでの活躍は有名です
ペルシャ帝国でも商人や宮廷で活躍した彼らは迫害を逃れるためどんどん東に向かっていきました
インドやアフガニスタンでも大量のユダヤ人が確認されております

643 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:05:49.72 .net
コーカソイドのユダヤ人はオリエントの世界で山ほどいました

644 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:07:37.08 .net
また西域で中国とつながるアフガニスタン人の多くは現在はイスラム教徒ですが自分がアブラハムの子孫であると主張しています

彼らの多くは今でもラクダに乗り長距離を移動します

645 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:26:45.07 .net
彼らはイラン人やインド人(の一部)と同様にコーカソイドに分類されます

646 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:28:42.50 .net
彼らコーカソイドのユダヤ商人や血を引くラクダや羊を連れた牧畜民が中国に古代より来ておりました
それは確実なのです 

647 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 14:09:23.93 .net
NGワード:ユダヤ,コーカソイド,トルコ,イスラエル,ヤハウェ,間違いない

言っとくけど構ってる奴も荒らしだからな

648 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 15:37:17.26 .net
↑ 何ということでしょう 中国は漢人だけの国だとでも思い込んどるんかな この人は 哀れすぎるね

649 :日本@名無史さん:2019/05/29(水) 14:06:06.59 .net
なんだよ、会話が途切れたな。
一人二役の会話か。
もう、誰もおらん。
わははははは。

650 :日本@名無史さん:2019/05/30(木) 05:27:40.10 .net
広隆寺境内=エルサレム
いさら井=エルサレムの池(シロアム池)
この図式は、これまでにない新しい秦氏=ユダヤ教徒説の根拠になるな。

太秦(うづまさ)のウヅ=数詞3
太秦(うずまさ)=3っの机(幕屋の礼拝)
三柱鳥居の三=ユダヤ教の聖数3
松尾山=マッツオ(出エジプトの種無しパン)

もはや、太秦(うずまさ)は秦氏が作った日本におけるユダヤ教の聖地だということは明らかだ。

651 :日本@名無史さん:2019/06/03(月) 04:28:59.40 .net
秦氏はトルコ語を話すユダヤ教徒であったと想定しているが、チュルク系遊牧部族がいたカザフステップを4世紀頃に東へ進んできたことが推測される。
弓月国があったとされるタリム盆地は、4世紀頃には高車と呼ばれるチュルク系部族がいたところだ。
秦氏のトルコ語は、これらのチュルク系遊牧部族の中を交易しながら通ってきたときに獲得した言葉だとみられる。

一方、改宗したユダヤ教徒がみられるのは、トルコの黒海沿岸東部だ。
2000年前頃にこの地方にギリシャ人やペルシャ人が移住して、彼らはペルシャから来たユダヤ人によってユダヤ教徒に改宗したとされている。
そして紀元300年頃にはユダヤ共同体がこの地方に形成されていたようだ。
この改宗ユダヤ教徒は、700年代になるとカスピ海北岸のカザフステップのハザール地方へ移住することになる。
この結果、ハザール王国がユダヤ教に改宗して、アシュケナジー系ユダヤ人が誕生したとされている。

紀元300年頃にそのユダヤ共同体から離れた一派が、交易を行いながらカザフステップのチュルク系遊牧部族地帯を東へ進み、やがて300年代中頃にはタリム盆地の弓月国に達したのが弓月君の集団だったと想定するのである。
したがって、秦氏のルーツは、ギリシャ系かイラン系の改宗ユダヤ教徒ではないかということになるのだ。
これは、従来の秦氏ユダヤ人説とは大きく異なるものであるが、おそらく間違いないだろう。

652 :日本@名無史さん:2019/06/03(月) 04:39:59.32 .net
日ユ同祖論は、DNA的にあり得ない。
だから、却下。
 

653 :日本@名無史さん:2019/06/03(月) 04:42:21.66 .net
秦氏のルーツを調べようと思ったら、
日本に数多くいる秦氏の男系子孫のY染色体を調べるのが
手っ取り早い。
薩摩の島津氏は惟宗氏の末裔と言われ
惟宗氏は秦氏の末裔と言われている。

654 :日本@名無史さん:2019/06/03(月) 12:26:47.15 .net
>>653
公表されてる秦氏の末裔は全部Y−0

655 :日本@名無史さん:2019/06/03(月) 18:24:05.60 .net
>>652
秦氏の先祖がカザフ平原などを東進するうちに抱え込んだ者たちはDNA的には多様なものであったと思われるな。
DNAから識別できるのは、特定の司祭階層だけだろう。
DNAだけで日ユ同祖論を論じるのは危険。

656 :日本@名無史さん:2019/06/05(水) 14:30:29.97 .net
>>654
あのサイトは信憑性ないけど
まあ、ユダヤとは無関係なのは確か。

657 :日本@名無史さん:2019/06/06(木) 05:50:13.55 .net
普通に考えて韓国人でしょ。韓国人より中国人、て思いたいの?

658 :日本@名無史さん:2019/06/06(木) 09:02:56.61 .net
辰韓は『後漢書』に残る音写からするとシナチベット語族じゃないのか?

659 :日本@名無史さん:2019/06/06(木) 14:43:37.93 .net
秦氏がユダヤ教徒であった可能性は高い。
4世紀末〜5世紀頃に景教はまだ中国に来ていないから、ユダヤ教からキリスト教徒への改宗者だったとは考えにくい。
この頃には、日本への交易ルートはアルタイ〜カザフ平原系が明確。
カスピ海北岸あたりを通って来たユダヤ教徒だろうな。

660 :日本@名無史さん:2019/06/07(金) 00:00:32.72 .net
>>657
朝鮮半島から色んな奴らが来てるのは間違いないけど、それが何人なのかは分からないと思うよ
朝鮮を通ればルート的に対馬経由して日本入りしやすいからね

661 :日本@名無史さん:2019/06/07(金) 17:34:36.14 .net
>>660
秦氏が渡来人であるのは間違いないし、その渡来人がトルコ語を話していたとすると、モンゴルより西から来た人だと確定して誤りはないな。
そして、そのトルコ語を話す渡来人である秦氏の周辺にはユダヤ教の影が濃いとなると、渡来時期の4世紀後半を考えた場合、かれらの出発地はカザフ平原より西の可能性が高くなるね。

662 :日本@名無史さん:2019/06/07(金) 17:50:01.08 .net
一神教にこだわってた気配がまるで無いから
せいぜいユダヤの知識があるという程度だと思う

663 :日本@名無史さん:2019/06/07(金) 18:21:41.48 .net
そうだね

664 :日本@名無史さん:2019/06/07(金) 18:22:13.86 .net
シルクロードやら朝鮮やら通ってくる人らは大抵ユダヤ知識あったんじゃないかね

665 :腹本 勲:2019/06/07(金) 20:53:19.08 .net
満州先生の新刊「馬韓も百済も満州にあった」が限定100部で発売中ですよ。
Amazonのみの発売なので、売り切れる前に君も買おう!

666 :日本@名無史さん:2019/06/07(金) 23:17:04.51 .net
ユダヤ教徒じゃないと、旧約聖書のエピソードや幕屋などの知識はないのじゃないの。
みな、自分とこの宗教で手一杯だし。
ゾロアスター教徒が、ユダヤ教のエルサレムなんて感知しないと思うけどね。

667 :日本@名無史さん:2019/06/08(土) 00:14:59.05 .net
無宗教のフラフラしてた人らはいなかったのかな。改宗する人だって良くいたのではないの。そこの土地の人間とうまくやっていくには宗教を含む文化を取り込まないといけないしね。

668 :日本@名無史さん:2019/06/08(土) 15:16:54.52 .net
>>667 
日本に定着してから、日本の文化との折り合いをうまくつけたのかも。
ユダヤ教徒が自分たちの宗教をなかなか手放さなかったから、あちこちで摩擦が生じた。
しかしそれが、アニミズムの日本ではかれらの宗教はそれなりに認められて敵対的関係にならなかったので、かれらも融和的な在り方になったのだろう。

669 :日本@名無史さん:2019/06/08(土) 18:55:01.30 .net
中国だとユダヤ教はイスラムの一宗派扱いだからな

670 :日本@名無史さん:2019/06/08(土) 19:21:05.98 .net
日ユ同祖論みたいなトンデモが蔓延する背景を知りたいね。
たぶん、時代によって、違ってきている。
もともとは、日本人にキリスト教を広めるために
生み出されたものだった。
しかし、最近は、日本人が中韓との類似性を否定するために
日ユ同祖論に飛びつくことによって
自分たちは中韓と違うんだと言いたいがために
飛びついているとしか思えない。

671 :日本@名無史さん:2019/06/08(土) 20:37:14.90 .net
>>670
背景として、イスラエルが世界に散った同胞を探し出して、本国に迎えるという政策を取っていることがあるようだ。
失われた十支族の行方の研究についても、その政策の一環がみてとれる。
こうしたイスラエル側の動きが、新しいムーブメントの要因の一つを形作っているな。
かつてのトンデモ説とは異なるリアルさが加わったようだ。

672 :腹本 勲:2019/06/08(土) 22:08:00.52 .net
「満州先生の新刊が出たらしいぜ」
「それを先に言えよ! 早く買わなきゃ売り切れちまうじゃないか!」

≪「馬韓も百済も満州にあった」が限定100部で発売≫

673 :日本@名無史さん:2019/06/09(日) 04:30:40.92 .net
>>670
学者の皆さんにも根拠に欠けすぎてると言われてるアレか
イスラエル側も説の一つとして昔は有力視したみたいだけど結局根拠に乏しいってことで時間だけが経過してるよね
説としては面白いしロマンあるけど、絶対そうだそうに違いないと思い込んでる人たちは新興宗教じみてて気持ち悪い

674 :日本@名無史さん:2019/06/09(日) 17:06:08.98 .net
>>673
まあ、時期は遅れるが、ペルシャ系景教徒が中国の開封に来て、そこで長らく定着していたのは事実なんだし、秦氏が4世紀後半頃に日本に渡来し、やや遅れて漢氏なども渡来したのも事実。
この渡来者たちと、時の政権の政策や経済動向などがリンクしていた可能性は非常に高いね。
もちろん、彼らは日本では協調的に暮らしたのだろう。
そこらが面白いところよ。
ただ、ユダヤ人と日本人が元のところで同族だというのは、これは飛躍しすぎだ。

675 :日本@名無史さん:2019/06/09(日) 18:14:02.52 .net
>>670
それは一理ある
囲碁板をみていると面白いよ

囲碁はチョンゲーだの日本で人気がないのは当然なんだのと必死に書き込んでいる
バカネトウヨが常駐している
囲碁は清少納言から徳川家康、大久保利通まで趣味にしていたものなのにね

どうしても「日本は中韓とは根本から違うんだ 日本民族は優秀なんだ 世界囲碁ランクで韓国が日本よりも強いのは囲碁が日本のゲームじゃないからだ」と感情的に思い込みたいようだ

676 :日本@名無史さん:2019/06/09(日) 18:17:02.93 .net
人類みな兄弟
いちゃりばちょーでー

677 :日本@名無史さん:2019/06/09(日) 18:20:37.54 .net
それ。面白い説なのに狂信者のせいで台無しになってる

678 :日本@名無史さん:2019/06/10(月) 02:39:24.47 .net
人類兄弟といえば、んじゃオレ兄貴なとかなんとか言い出すやつもいるからな。

679 :日本@名無史さん:2019/06/11(火) 14:10:52.08 .net
>>670
ユダヤ人の子孫では?と言われるのが秦国から徐福に引率されて渡来した秦族と物部。
秦族は徐福が初回、出雲、山陰地域に渡来した際に引率されてきた二千人の人たちの子孫。

物部は同じく徐福が二回目の渡来を果たして九州の佐賀に上陸、吉野ヶ里を本拠地とした際に引率されてきた三千人の人たちの子孫。


どちらも秦帝国が平定した国旧斎国/山東半島の人たち
スサノオ。は、キキ神話編纂に際して徐福=ニギハヤヒ/ホアカリとは書けない事情から、オツムを悩ました結果、
徐福の出身地の蘇州(そしゅう)を反転した州蘇をスソ(スサ)の男とし、スサノオを考案したらしい。

蘇州の蘇、イスラエル/ユダヤを暗示する文字だとか?

680 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 03:47:58.08 .net
>>679
まあ、面白そうな話だな。

681 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 09:00:16.71 .net
日ユ同祖論、英ユ同祖論、中ソ同祖論
どれもこれもトンデモ説。
世界中で詐欺やっているなw
そのくせして、唯一、信憑性がある
アラブユダヤ同祖論は、あまり主張したがらないw

682 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 09:02:40.03 .net
>>679
もう、いい加減にしろと言いたいw
日ユ同祖論みたいなトンデモ説、
これだけDNAの研究が進歩して
とっくに否定されているのにw
なぜ、こんな胡散臭い説にしがみ付くのか、
知りたいねw

683 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 09:07:15.96 .net
日本人のY染色体を調べて
徐福伝説、日ユ同祖論も
どれもこれも無理のある説ってのが
DNA的に証明されている。
 
分子時計からみて、日本人のY染色体で、
徐福のいた時代に日本へ渡来してきたであろうY染色体は
現在の日本人の中に殆ど皆無といってよい。
つまり、彼らの渡来伝承は嘘か、あるいは渡来しても、
日本の主流派になれずに消えていったと、みられているわけ。

684 :日本@名無史さん:2019/06/14(金) 21:43:35.10 .net
>>683
秦始皇帝を祖先とする氏族があるから、さすがに徐福を祖先にする渡来人はおらんな。
徐福を祖先とする氏族が一人二人くらいいてもいいのに、と思ったらなんと一人いた。
徐福の孫の古座侍郎という者がこれだが、崇神のときに紀州から三河へ移ったとされる。
しかし、それ以降、徐福を祖先にしたその古座氏は歴史から消えてしまったという怪談。

685 :日本@名無史さん:2019/06/14(金) 22:59:06.04 .net
始皇帝の直系の子孫はいないけど。

日ユ同祖論は、血縁じゃないけど古代中東の
文化を共有はしてる感じ。

神道関連の諸々の概念は弥生時代ぐらいに
入って来たものなんじゃね。

686 :日本@名無史さん:2019/06/14(金) 23:20:24.89 .net
秦氏トルコ語話者ユダヤ教徒説からすると、旧約聖書出エジプト記最後のエピソードの(モーゼがめざしたユダヤ人入植の約束の土地)は武蔵(むさし)だったことが分かる。
というのも、トルコ語でモーゼはmusa(ムサ)であり、そして、このムサに方向を示す倭語の(し)を加えたムサシは(モーゼの方向=モーゼがめざした所)の意味になり、
このムサシに漢字を当てたのが武蔵(むさし)だからだ。

この武蔵の国は今の関東地方に当たるのだが、しかし、秦氏が考えた本来のムサシの国(モーゼが目指した国)は、
どうも千葉県中部の九十九里浜にある横芝光町あたりであった形跡があるのだ。
この横芝光町あたりには木戸川が東西に流れ、その河口は九十九里浜に注いでいる。
そして、木戸川の上流には6世紀後半の有名な芝山古墳群など多数の古墳群がある。
この古墳群のうちの最大の前方後円墳である殿塚古墳の場合、ユダヤ教の超正統派的な姿をした人物埴輪が出土しているうえに、
その前方後円墳の周溝が二重の荘重さに加えてなんと形が長方形なのだ。
前方後円墳の周濠は、盾形であるのが普通なのだが、それが長方形という珍しさなのである。
しかも、長方形はユダヤ教では幕屋を表す表象でもあり、超正統派的な姿の人物埴輪と合わせて、
この古墳群の築造集団がユダヤ教徒であった気配が濃厚なのである。

そこで、秦氏が名付けたとみられるムサシの国(モーゼが目指した国=武蔵国)に関連して、この芝山古墳群のある横芝光町あたりの古代の国名に注目すると、
驚くべき国名が現れるのだ。

                                          続く

687 :日本@名無史さん:2019/06/14(金) 23:32:15.09 .net
>>685
最近は、神社の神はユダヤ教の影響があるとする説が目立つ。
それで、その影響の始まりが弥生だということらしい。
弥生時代に、すでにユダヤ教徒が渡来していたのかな〜。

688 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 00:31:59.85 .net
横芝光町などの木戸川周辺は、6世紀頃には武社国とされ、その地方を治めた者は武社国造と書かれている。
武社はブシャではなくムサと読むようだ。
この武社国造(ムサノミヤツコ)には、和邇氏系の人物が就任して牟邪臣(ムサノオミ)の臣姓が授けられている。
臣は最高の位だ。
どうも、大和朝廷の東北地方編入政策の関東の根拠地がこの武社国(ムサのクニ)で、
海上航路による人、物の搬入拠点となったとされている。
その6世紀後半の横芝光町の古墳群の最大前方後円墳の周溝が非常に珍しい二重の長方形であり、
その古墳からユダヤ教の超正統派的な人物埴輪が出土しているのだから、
この武社の国の運営のために現地に送り込まれた集団が秦氏系のトルコ語を話すユダヤ教徒だった可能性が高まるのだ。
そもそも、この地域が武社国(ムサノクニ)と呼ばれるようになるのは6世紀頃からで、それまでは海上国(ウナカミのクニ)だったとされている。
千葉県全域が海上国だった。
その地方全域の中間付近に武社国が設けられて海上国は分断され、その海上国をまとめていた勢力は衰退したとされている。

さて、武社国の(ムサ)の意味は何か。
秦氏が武蔵国(ムサシ=モーゼの目指した国)と呼んだとみられるムサノクニのムサと、
この千葉県横芝光町付近の武社国(ムサノクニ)の発音がまったく同じであり、そこに送り込まれたとみられる集団が造った最大の前方後円墳の周溝がユダヤ教の幕屋を示す長方形であり、
またその古墳からはユダヤ教徒の超正統派の姿と瓜二つの人物埴輪が出土したことを考え合わせると、
秦氏はこの横芝光町あたりを旧約聖書の聖なる入植地イスラエルの中の中心地と見立てた可能性が高まる。
それが、武社国(ムサノクニ)の名の由来なのではないか。
この場合の武社(ムサ)は、ユダヤ教徒を導いた(モーゼの栄光)とでも言えるネーミングだったのではないだろうか。
なんとなれば、そこがまさに旧約聖書に書かれている日の昇る東の海辺の土地であり、神に祈りを奉げる所と指定された場所だったからである。

689 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 00:33:39.60 .net
>>688
追加

687は685からの続き

690 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 03:07:09.84 .net
日本神道とユダヤ教が同じわけないだろう。
よくもまあ、そんなデマが言えるな。
 
日ユ同祖論というトンデモ理論について その1
http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=606
日ユ同祖論というトンデモ理論について その2
http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=608
日ユ同祖論というトンデモ理論について その3
http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=609

691 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 03:27:49.02 .net
秦氏のルーツは
朝鮮半島にいた辰韓諸国の一か国かだろう。

692 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 04:55:11.74 .net
>>688
武社国(ムサノクニ)についての上記の解釈に別の角度から光を当ててみると、ムサは文字通りモーゼ自身を指しており、
モーゼの埋葬地を想定していることが分かった。
秦氏が描いたその筋書きを見てみることにしよう。

モーゼは約束の地を目前にして亡くなり、神によって死海を望むネボ山に葬られたとされている。
そのネボ山はユダヤ教、キリスト教の聖地であるがイスラム教でもやはり聖地であって、
ネボ山の近くにはイスラム教の寺院が造られている。マカーム・ナビ・ムサという名で、(モーゼが留まる所)という意味だという。
つまり、モーゼが葬られた所ということだ。

ここで、これまでに述べてきたことを振り返ると、千葉県横芝光町を流れる木戸川流域付近の地域の国名であった武社国(ムサノクニ)は、
大和朝廷の東北地方編入政策のための大根拠地であったわけだが、これは大和から海路を経て関東に入るための上陸地点であったことによる。
これを地理的にみれば、約束の地であるモーゼの目指した所、即ちムサシ(武蔵=関東地方)を南側から見る位置にあるのが武社国(ムサノクニ)ということになり、
武社国(ムサノクニ)が武蔵国(ムサシノクニ)に入る一歩手前の場所に当たっていることになる。
そこで、モーゼが葬られたネボ山が約束の地の一歩手前の場所にあることと、武社国(ムサノクニ)が約束の地と想定された武蔵国(ムサシノクニ)の一歩手前にあることとが地理的に非常に合致していることからすると、
この武社国(ムサノクニ)がモーゼの葬られた場所として想定されているとのではないかと考えることは、ごく自然である。では、モーゼはその武社国(ムサノクニ)のどこに葬られたと想定されたのであろうか。

                                    続く

693 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 05:33:54.15 .net
>>692
それこそが、木戸川中流域の丘陵の上に築造された前方後円墳の殿塚古墳ということになる。
この古墳には極めて珍しい長方形の二重周溝が巡らされていて、しかもその長方形はユダヤ教の幕屋を思い起こさせ、さらにまた古墳の墳丘からはユダヤ教の超正統派の姿とよく似た人物埴輪が出土しているのだ。
このことが、この長方形の周溝の巡らされたこの古墳こそがモーゼを葬った場所にふさわしいものとして築造されたものだと考えることを可能にし、モーゼのトルコ語発音と同じムサ(武社)の国名がこの地域に付けられた理由も、理解しやすいものとなる。
そして、このように考えると、この地にムサ(武社)という国名がつけられ、そのムサがトルコ語でモーゼを意味していることは、旧約聖書出エジプト記のストーリーのエピローグを描いているものだとみなすことも可能にしている。
京都太秦の松尾山(マッツオ=種無しパン)を振り出しとして、約束の地であるムサシ(モーゼの目指した所=武蔵)を上り点とする双六の一歩手前の神がモーゼを葬ったネボ山に当たるのが、この武社国(ムサノクニ)の丘陵上の殿塚古墳ということになる。
つまり、神がモーゼをネボ山に葬ったとされることと、丘陵上の芝山古墳群の殿塚古墳を巡る周溝が二重しつらえの長方形に造られていることことは、まさに筋書きの上のストーリーがぴったりと合致しているということなのである。

このように、秦氏が旧約聖書の出エジプト記の壮大なストーリーを日本の国土の上に描いたことは、秦氏がユダヤ教徒の渡来人であったことをみごとにに示しているといえるのだ。

694 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 06:09:11.88 .net
>>690
このブログの書き手は、昼間のテレビワイドショーの解説者たちよりもさらに落ちる無能解説者だね。
何とか先生が書いたとする引用文は学者らしい分析が書かれているが、この書き手はそれを教条的にかざして日ユ同祖論者を揶揄しているが、自身はためになるような分析をなんら示していず、ミーちゃんはーちゃん的なごたくを連ねているだけのしょうもなさ。
こんなブログは、何の役にも立たんな。
あほじゃね。

695 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 06:18:35.05 .net
>>691
波旦という町があったらしいが、その町と秦氏が関係ありそうだとする論をみたことがあるが、秦氏は朝鮮半島人民の出自ではないだろうな。
朝鮮半島出自なら、5世紀頃には日本からかの地へ渡る者たちが少なからずいたから、それとすぐ分かっただろうから、秦始皇帝の血族だと胸張ってもすぐバレたはず。
また、百済系の渡来者から、ありゃ新羅の誰それだと指さされたはず。
そんな形跡はみられないから、朝鮮半島出自説はないだろうと思うな。

696 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 00:35:53.29 .net
渡来系なら王仁とか遡れば秦の将軍に繋がる一族と言われているから秦氏も可能性はあるよね

彼ら自身も「大陸系であって土着の半島人ではない」と全力で否定してたし
彼らの土木技術は先進的であって京都で河の整備を任されたが大陸の技術を持ち込んだと言われている

697 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 09:52:21.55 .net
秦氏は大陸の技術をもって荒れ狂う桂川の整備を成功させたと言われているわね

698 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 12:47:42.40 .net
>>697
当時の日本にまだ存在しなかった「産業」を持ち込んだのが秦氏。
朝鮮半島へ兵員などを送り込んだ倭国のその国力を担った勢力が秦氏だったということになる。

699 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 13:36:41.08 .net
日本が朝鮮半島を支配したなんて中国に書かれちゃったから鮮人が必死w

700 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 14:38:39.55 .net
任那、伽耶には鉄資源などを求めて倭人も中国人も進出していたし 倭人が定住しまくってたので前方後円墳とかも見つかってるわけです

701 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 15:39:47.39 .net
壊して埋めてるそうじゃないか。
日帝残滓は清算しなくては、と。

702 :日本@名無史さん:2019/06/19(水) 14:55:30.93 .net
朝鮮人は中国東北部から来たフヨやモンゴルら騎馬系の血が濃厚ですぐ破壊行動にでてしまうんでしょう

倭人は抜歯の習慣など長江周辺の古代人と同じですが

703 :日本@名無史さん:2019/06/20(木) 13:13:29.31 .net
まあ、沖ノ島の国家祭祀の始まりである4世紀後半と、秦氏の祖先が渡来した4世紀後半がまったく重なっていることが面白い。
また、宗像と山城秦氏は山陽道の山間ルートで結ばれており、秦氏の交易上の利益と海運宗像の利益が一致していたということだ。
そのルートが国家によって安定的に機能したことで、秦氏は安心して東国へ移民と交易品を送り込むことができた。
朝廷の東国経営の利益と秦氏の利益は、やはり一致していたということになる。

704 :日本@名無史さん:2019/06/22(土) 18:09:11.09 .net
遊牧民=C2というイメージがあるが実際はO2(O3)の方が多いからな

カザフ族
https://i.imgur.com/yQfJ1ub.jpg
蒙古族
https://i.imgur.com/HYJgvCG.jpg
満州族
https://i.imgur.com/FHTSkOC.jpg

705 :日本@名無史さん:2019/06/22(土) 22:06:22.87 .net
>>704
北上漢族が関係してるんだよね。

706 :日本@名無史さん:2019/06/22(土) 22:56:46.04 .net
鮮卑だろ

707 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 06:50:10.33 .net
4〜6世紀のグローバル化は騎馬民族のおかげ。天皇の兄弟相続、末子相続とかも騎馬民族の風習。

708 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 10:35:19.37 .net
>>706
鮮卑はモンゴル系とされる。
C2主体。

709 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 10:36:27.79 .net
>>707
海人系も末子相続だけどね。

710 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 12:17:55.91 .net
>>704
遼河文明の最後の段階の夏家店上層文化人の骨からは、O2、C2が多数を占めているそうだから、O2の北方への拡散は早い時期に起こっているとみるのがよいな。

711 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 20:47:49.31 .net
古人骨なんてあてにならん

712 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 21:04:13.26 .net
>>711
じゃあ何があてになるの?

713 :日本@名無史さん:2019/06/24(月) 11:32:18.37 .net
>>707
さらっと嘘を書くなよ
日本に「末子相続」なんて風習はない

714 :日本@名無史さん:2019/06/24(月) 12:05:49.68 .net
>>713
あれ、海人系は末っ子が家督を受け継ぐみたいだけど。

715 :日本@名無史さん:2019/06/24(月) 12:08:43.05 .net
「漁師 末子相続」でググってみなよ、いっぱいあるから。

716 :日本@名無史さん:2019/06/24(月) 23:18:28.92 .net
>>715
日本 長子相続 
でググってみなよ いっぱいあるから

717 :日本@名無史さん:2019/06/25(火) 19:25:35.65 .net
>>716
どうしたの?
末子相続はないの?

718 :日本@名無史さん:2019/06/25(火) 19:31:41.09 .net
>>713
あるよ。初期の天皇は末子相続だ。

719 :日本@名無史さん:2019/06/26(水) 08:28:43.54 .net
>>718
あっ、そうだったね。
神ちゃん、末っ子だよね。

720 :日本@名無史さん:2019/06/26(水) 09:22:07.34 .net
>>718
初期の天皇って誰だよw 具体的に書いてみなよ

721 :日本@名無史さん:2019/06/26(水) 11:47:43.28 .net
100歳以上生きてる存在が疑わしい奴らだろ

722 :日本@名無史さん:2019/06/26(水) 21:00:22.29 .net
このスレにこの男いるだろ
https://stat.profile.ameba.jp/profile_images/20140616/23/cf/gf/j/o064006401402929407542.jpg

723 :日本@名無史さん:2019/06/26(水) 21:29:25.21 .net
>>722
鼻の下長過ぎ〜。

724 :日本@名無史さん:2019/06/26(水) 21:33:33.33 .net
>>722
このおっさんだろ、5世紀の弓月を現代語でユンクエと読んだのは。

725 :日本@名無史さん:2019/06/27(木) 00:22:14.40 .net
>>724
訂正

弓月(ユンクエ)→弓月(クンユエ)が正しい。

726 :日本@名無史さん:2019/06/27(木) 12:10:19.09 .net
弓月君がトルコ語を話すユダヤ教徒だったのは、間違いない。
当時、トルコ語を話すチュルク族がいたのは、カザフ平原からアルタイ周辺。
弓月君は、この北方古シルクロードを交易をしながら東進した、ギリシャ系、あるいはペルシャ系の改宗ユダヤ教徒だよ。
その元々の改宗ユダヤ教徒の源郷はアナトリアの黒海沿岸東部。
弓月君が話す言葉としては、ヘブライ語の比重はごく低かっただろう。
ヘブライ語は、すでに書き言葉と化していたからね。
なので、日本における秦氏(弓月君系)の周辺では、トルコ語の名称などが明確にみられる。
秦氏は、トルコ語話者だったのだ。

727 :日本@名無史さん:2019/06/28(金) 11:50:48.45 .net
太秦(うづまさ)の意味は、(3つの机)。
この(うづまさ)は、(うづ=3)+(まさ=机)というトルコ語ね。
ユダヤ教の(幕屋の祭礼)を意味している。

728 :日本@名無史さん:2019/06/28(金) 22:15:30.01 .net
ユダヤとか言っといてなんでそこだけトルコ語になるんだよ!

729 :日本@名無史さん:2019/06/28(金) 22:19:41.39 .net
ワロタ

730 :日本@名無史さん:2019/06/28(金) 23:42:38.44 .net
楚人はチビで短足だったらしいが・・・

731 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 12:32:00.74 .net
>>728
当時、ユダヤ人は各地でいろんな言葉を話していた。
ヘブライ語は文章語としては生きていたが、話語としては死語だった。
今のヘブライ語は20世紀になって人工的に復活させたもの。
なので、秦氏がトルコ語を話していても、なんの不都合もないのだ。
ユダヤ教徒なんだから、それでOKだった。

732 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 12:34:41.39 .net
>>730
南方系だからね。

733 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 14:21:58.50 .net
俺は大津の穴太出身なんだけど、ここは7世紀には百済人が開拓した渡来系用の移住区で、城の石垣の大部分を担った穴太衆もその末裔らしい
こういう渡来系の多い地域は戦国時代までの人の移動が小規模の時代には、在来の和人とどれ程混血したのか気になる
他の日本人より百済人のDNA濃そう
https://www.homes.co...reform/reform_00542/

734 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 15:39:24.05 .net
そういえば元々が長安のほうが都だったか・・・

735 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 16:49:28.68 .net
>>733
障害者多い?

736 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 17:10:49.36 .net
障害者は在来の日本人の方多いでしょ
沖縄あたりなんか血が濃いから大変らしいで

737 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 22:43:25.92 .net
障害者が多くないならちゃんと他所の地域と通婚して来たという事でしょ

738 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 08:45:55.58 .net
>>733
百済人と言っても王仁のような中国系、中国東北部から南下してきた騎馬系(非漢族)の支配者層、土着の連中の混合体。
血がどうたら言うほど純潔でもなんでもない
そもそも名前に「百」がついてる時点で多くの民族が混合した国ということ

739 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 09:13:21.47 .net
百済人意識があったのは王族や貴族だけであろうが彼らもすぐに溶け込んでしまった
桓武天皇が百済を含む渡来系の女を囲いまくったので当時の渡来系も上から下までスムーズに溶けたのではないか

渡来系の職人や技術者はナンボでもいた 支配者は甘くはない 日本の豪族の管理下に置かれ必要に応じ移住もどんどんさせられた

740 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 09:15:25.31 .net
渡来系の知識人や技術者から学んだりサポートすべく倭人の弟子が多くつけられた「〜部」である

すぐに渡来系も大和言葉を学び溶け込んでいった

741 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 09:22:44.70 .net
日本の豪族自体が韓国系だけどな

742 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 10:43:45.84 .net
>>741
韓国系って何だよクソアホ 歴史の勉強してから出直してこい 虚言癖民族

743 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 12:40:22.08 .net
韓国って最近出来た国だろw

744 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 12:47:45.59 .net
>>733
もう少し北の野洲川あたりは、弥生後期にはレンガが出ているからなあ。

745 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 12:53:13.69 .net
>>733
琵琶湖南部周辺は、朝鮮半島から来た渡来人が関東などへ散っていくハブ空港みたいな場所だったんさ。

746 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 13:11:39.61 .net
>>741
だったら土師器や須恵器じゃなくて所謂韓式土器使ってる筈だろうが

747 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 13:13:16.90 .net
今は人の移動なんて気軽に出きるけど、戦国時代時代ぐらいまでだと、そういう百済系と大和民族との混血がどれだけ進んだんだろうか
近江とかあの辺りは百済人とかの血が確かに濃そうだけど、あんがい大和民族と混じってるもんかな?

748 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 13:23:39.97 .net
というか大和朝廷自体が地方豪族に渡来系技術者を分配したり
東国の未開拓地に戦闘捕虜やら亡命者やらを送り込んでるので

749 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 13:24:13.63 .net
>>747
その辺はDNA解析で大体わかってるんじゃないの?

750 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 13:37:31.27 .net
日本人の遺伝子は驚くほど均一化されていて
全国で通婚が盛んだった事がわかっている

751 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 14:35:12.60 .net
>>738
其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。(隋書)
だからね

752 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 21:53:37.41 .net
歴史書をつくる文明がない未開チョンコの嘆きw

753 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 01:18:47.41 .net
>>704
カザフ族にj2、i2がみられるな。
中東系が北上したということになるね。

754 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 12:55:19.34 .net
イスラム商人だろ

755 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 13:39:58.45 .net
カザフは最も古いシルクロード地帯だからね。
あちこちから来た商人が行きかった。
j2、i2はその子孫だろうな。
モンゴルの図では、それがほとんどなくなるし、
満州では、まったくゼロ。

756 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 19:04:55.75 .net
>>747
渡来人はあちこちで、活発に家畜飼育をやっていた形跡なし。
動物性タンパク質は、山でイノシシ狩ったり、川で魚獲ったりして補給しなければならなかった。
山や川は縄文人の縄張りだったから、渡来人は生きるために縄文人化しなければならなかった。
つまり、縄文人との嫁とり婿入りで同化していった。
混血はどんどん進んでいったということ。

757 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 19:08:59.71 .net
お前を中心に動いているわけではないんだよ、
何度言えばわかるんだ?


それとも漫画やアニメの話をしているの?

758 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 19:20:26.12 .net
かなーり前の話になるんだけど、
話を合わせてあげあるから、好きなことを書くと良いと言ってる人がいたでしょ

759 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 21:34:08.83 .net
>>733
司馬遼太郎なんかも、穴太衆やら近江商人のルーツが渡来人だなんだとか言ってたな

>「歴史を紀行する」の滋賀の章で、近江人の商才という特質は、朝鮮からの帰化人に帰すると考えるのが一番素直であるとし、菅野和太郎氏の著書「近江商人の研究」を紹介している。
その大意は、商人的素質をもった高麗の帰化人が湖東に移住し、本国に習って市を開き、
叡山と結んで専売権を確立、商権を拡張して飛躍し、農民、武士からの転向者を加え、全国の行商行脚に力を伸ばした、というようなことである。
https://tokyox.sakura.ne.jp/wordpress/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%95%86%E4%BA%BA-%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C/


さすがに江戸時代の近江商人と古来の帰化人を結びつけるは司馬先生どうかしてるだろと思ったが、
近畿の人間は顔が大陸の人間っぽいし、渡来人のDNAが濃く残ったとかありえるか?
地域によっては亡命百済人とか数千人規模で移住したようだし、そんな地域なら日本人と少々混血しても、
渡来系の形質を強く引き継いでるとか?

760 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 21:37:03.30 .net
>>759
家は、その家のではない、近江の出身でもないし、
同じにするなと言っているんだよ

761 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 21:38:38.80 .net
仏教、寺院〜、そういう家なんだけどw

762 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 22:22:58.17 .net
太平洋戦争のあとやってきた朝鮮半島系の人と近江の人と、仲良く付き合いやってるのかね。

763 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 22:26:45.39 .net
いや、また、高野新笠の実家の人と、太平洋戦争後にやってきた朝鮮半島系の人は、仲良く付き合いしてるのかね。

764 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 22:35:24.01 .net
また、さらに、奈良時代に関東に移住した高麗若光の子孫の人と、太平洋戦争後にやってきた朝鮮半島系の人らとは、仲良く付き合いしてるのかね。

765 :日本@名無史さん:2019/07/02(火) 10:56:46.92 .net
燕の東のほう見切れてるが何かあるなそういえば・・・

766 :日本@名無史さん:2019/07/02(火) 18:45:37.12 .net
倭に渡来してきてから千数百年もたち、その間、元の地では国が滅亡したりしてもう縁もつながりもなくなっているのに、今になって戦後朝鮮半島からやってきた人と関係あるかといわれてもなあ。
わしら知らんで、というほかないわ…と困惑する近江人だったりして。

767 :日本@名無史さん:2019/07/02(火) 20:52:59.28 .net
同じ難民といえど片道切符でやってきて日本社会に溶け込んだ王侯貴族や知識人、技術者の末裔がなんで最下層の白丁朝鮮人とつるまなアカンねん
頭おかしいやろ 朝鮮人は南北が戦争やめたらじきに朝鮮に帰るんやで

768 :日本@名無史さん:2019/07/05(金) 15:05:00.02 .net
>>754
カザフ平原では、ギリシャ系、ユダヤ系、イスラム系の商人が競合していたらしいな。
秦氏は、そのギリシャ系の改宗ユダヤ教徒だろう。
しかも、チュルク系部族相手の商売してきたから、トルコ語を話していた。
秦氏が渡来した移住者を送り込んだ武蔵国の武蔵(ムサシ)とは、「モーゼが目指した所」の意味で、(ムサ)はモーゼを意味するトルコ語だからな。
秦氏がユダヤ教徒だったのは、トルコ語によって解明できるんよ。
ヘブライ語が喧伝されているが、秦氏はトルコ語話者だったから、ヘブライ語の線は薄いな。

769 :日本@名無史さん:2019/07/05(金) 17:34:11.72 .net
商人って複数の言語話すんじゃね。複数の宗教やら習俗にも通じてたり。

えろんな奴と取引すんのにトルコ語しか話せませんねんじゃ
しょうもないべや。

770 :日本@名無史さん:2019/07/05(金) 18:33:41.82 .net
>>769
カザフあたりで取引相手がチュルク系だったら、わざわざペルシャ語習う必要ないわな。
トルコ語オンリーで通してきた秦氏の祖先が、日本に来てトルコ語だけ話したとしても、それは普通のこと。

771 :日本@名無史さん:2019/07/07(日) 18:02:27.51 .net
弓月国はアルタイ山脈の南にあるタリム盆地にあったとされる。
5世紀頃までには、このタリム盆地は高車と呼ばれるチュルク系の勢力が根を張っていた。
そこへモンゴル系の柔然が勢力を張ってきて、チュルク系の高車は柔然に服属することになる。
秦氏の先祖の弓月君は、4世紀にはこの弓月国で交易を生業にしていたと思われるが、モンゴル系の柔然が勢力を張ってきたことに嫌気をさし、
東へ移住した一族だったと考えられる。
なので、弓月君(秦氏の先祖)がタリム盆地にいて、日常語としてトルコ語を話していたのは異とすることではなく、ごく普通のことだな。
弓月君は、タリム盆地を離れてから、案外短期間で倭に着いたのではないか。
日本書紀の記すところでは、それは4世紀の後半だそうだ。

772 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 03:01:42.65 .net
秦氏がトルコ語使ってたという記録や金石文がどこかに残ってるんですか

773 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 03:19:49.90 .net
>>772
当時の石彫り文字記録や金属器鋳造文字が必要かい。
今は病院送りになってしまったが、長年研究をしてきたさる天才が残したノートがあり、
それには秦氏研究がビッシリ書き込まれている。
それには、なんと秦氏とトルコ語の関連が書き込まれていた。
秘蔵書だから、うかつなことは言えんがね。

774 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 13:22:36.98 .net
歴史を知るのに文字は必要。必要ないのは無様な歴史を消しさりたい朝鮮人だけw

775 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 14:51:27.31 .net
秦という国がいつ滅びたかご存知ですか? トルコ系で時代もずっと遅れてもちろん万里の長城の外にいた連中が秦氏を名乗る理由が無いと思いますが

秦を名乗る以上は秦帝国と何らかの関係がないと ストーリー的に 全く信用できませんわ

776 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 14:58:02.59 .net
後秦は渡来したという時代と合わないしどうなってるんですかね
ユダヤ人でトルコ語を話していたという設定でしたっけ?

777 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 16:07:17.56 .net
秦氏はソウルから渡来したエベンキ族

778 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 18:22:27.02 .net
それは当時から秦氏が全力で否定してるよ 我々はキムチではないと
ソウルは帯方郡で後漢、魏、西晋と中国領土だけど

779 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 00:21:29.48 .net
>>773
その研究者のノートには、太秦(うづまさ)の(うづ)はトルコ語のus(ウス)で、数詞3を表しているそうだ。
(まさ)は同じくトルコ語で机を表している、としている。
つまり、太秦(うづまさ)はトルコ語で(3つの机)の意味であり、この(3つの机)とはユダヤ教の幕屋での祭礼の際の重要な3つの設備である祭壇のことだといっている。
幕屋の入り口付近の犠牲を焼くための祭壇、次に神に奉げるパンを置く机、そして奥の香炉を置く祭壇がこれだそうだ。
ユダヤ教では数詞3は聖数なのだそうだ。

一方、出雲大社本殿付近から鎌倉時代に建てられた本殿の柱の根本部分が出土している。
大木を3本一括りにした巨大柱なのだが、この柱の呼び名が宇豆柱(うづばしら)なのだ。
この巨大柱がなぜ宇豆柱(うづばしら)と呼ばれているのか、はっきりしていないという。
そこで、この巨大柱が3本一括りであることと、トルコ語の数詞3が(ウス)であることとを合わせて考えると、宇豆柱(うづばしら)とはトルコ語の数詞3(ウス)と和語の柱(はしら)を合わせた複合語だと解釈ができるというわけだ。
ということになると、この宇豆柱(うづばしら)と京都の太秦=禹豆麻佐(うづまさ)の(うづ)は同じ発音であり、京都の太秦の禹豆(うづ)もトルコ語の数詞3ではないのか、ということなってくるのだ。

こうしたことから、トルコ語で太秦(うづまさ)を解釈すると(3つの机)の意味になり、それをユダヤ教と重ね合わせてみると、この(3つの机)とは幕屋の祭礼の3つの祭壇のことを表しているのではないか、という結論になったようだ。
そして、その他のことも合わせると、秦氏は本拠地の京都太秦をどうやら聖地エルサレムに擬しているようだ、とこの天才研究家はみなしているのだね。

780 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 00:38:42.78 .net
>>775
この秦(しん)の字を用いたのは、祖先に箔をつけるためであったことも考えられるね。
日本書記雄略紀では、すでに秦造(はたのみやつこ)と秦の字が用いられている。
日本書紀ができたころには、すでに遠祖を秦の始皇帝とする祖先神話ができていたのではないか。

781 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 15:38:16.62 .net
>>779
出雲大社の神殿ほかに関わる「三」や「八」はユダヤとは全く違い、
出雲族のルーツのインド時代から信仰の聖なる数に拠ります。
神話ほかに「八」がある場合はそれは出雲の何かを伝えているかと思う。
因みに千木が×(交差)しているのも、勝男木が三本なのも出雲族の太古よりの信仰の表われです。

782 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 15:53:16.80 .net
>>781
秦族、秦氏は、秦の始皇帝を二度も舌先三寸で騙し詐欺して巨万の財貨をせしめ
あらゆる職業の職人並びに前後併せて五千人余の秦国人を引率して渡来した
徐福/徐市(フツ=フツ主/フツミタマ)の大集団の内、
前期?の山陰地方(当時は出雲王国の心臓部)に渡来、帰化した2千人が後に海部/秦族になりました
後期の残り三千人は有明海に入港して吉野ヶ里に本拠地を定め、筑秦国を建てます。それが筑紫に変化。
彼らはまた、物部といわれ、物部王国等とも。

神武東征の遠因が、徐福が日本列島の王になる野望を抱いて渡来するも夢は脆くも阻まれ破れた事から子孫に何時か(出雲王国とその係累らを滅ぼして)大和国(日本列島)の大王になれ!と伝承されていたのかも?

783 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 16:44:44.07 .net
>>781
八岐大蛇のオロチは8つの頭部をもつ大蛇という意味。
7頭の頭部を持つ蛇の図像がシュメールの壁画にすでにある。
日本書記の編纂者は、このシュメールの7つつの頭部を持つ蛇の伝承を治癒動く文献かなにかで収集して、スサノオのエピソードに脚色した可能性が大きい。
その7を8に翻案したのは、日本の聖数が8だったからだろう。
そんなところだな。

出雲大社の宇豆柱(うづばしら)の(うづ)は、トルコ語の数詞3を表すuc(ウス)由来だろうな。
日本書記雄略紀では、太秦(禹豆麻佐)の名の由来を「絹かとり(糸偏に兼)を奉献りて、朝庭に充積む」と書いており、この(充積)を(つむ)と読んでいるが、
(積む)の(つ)と(禹豆=うづ・うつ)の(つ)が同じ語彙であるようにはみえない。
禹豆(うつ)の語意は、出雲大社の宇豆(うつ)と同じ語彙だろう。
とすると、出雲大社の宇豆柱が3本一括りの巨大柱であり、その宇豆(うつ)がトルコ語の数詞3を表すuc(ウス)の由来である可能性が高いことからして、発音が同じである禹豆(うつ)もトルコ語の数詞3だとするのがよいと思われる。
数詞3は日本でも尊ばれる数詞であり、(いっぱい、みちる)の意味がある。
日本書記は禹豆麻佐(うづまさ)を(めいっぱい積む)と解釈しているわけだから、この禹豆(うつ)がトルコ語の数詞3であることと矛盾しない。
天才研究家は、そのように考えているようだ。
たぶん、間違いないね。

784 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 16:54:52.72 .net
>>782
この説からするとニギハヤヒは出雲の一派ということになるが、そのニギハヤヒは河内に飛び降りた伝承になっているので、ここのところどうつながるのか教えてチョ。

785 :日本@名無史さん:2019/07/11(木) 00:21:45.80 .net
>>422
日本酒関連の本をいくつか読んだんだけど、
醸造学の世界的権威だった坂口謹一郎氏は日本の酒造りにおいて、口噛み酒や麹を使った原始的な酒を「民族の酒」と呼び、朝廷が成立して以降の大陸の技術が入ってきた酒を「朝廷の酒」とし、

柚木学は『酒造りの歴史』の中で、律令時代の朝廷において、技術を持っていた品部は渡来系が多く、造酒司のもとで朝廷の酒造りを担った酒部のほとんどは朝廷半島からの渡来系だったと書いてるけど、この酒部も秦氏の関係者なのかな?
造酒司は平安時代まであって統括者は秦氏だったと書いてる酒造関係者のサイトもあるけど、この頃になっても渡来系の一族が酒造りしてたの?

786 :日本@名無史さん:2019/07/11(木) 02:28:54.20 .net


787 :日本@名無史さん:2019/07/11(木) 02:28:56.49 .net


788 :日本@名無史さん:2019/07/11(木) 10:58:54.66 .net
>>782 
吉野ケ里は大きな遺跡だけど正直、当時の世界最強と言える始皇帝から金と技術者をせしめて出港した大集団にしてはレベル低すぎです
中国では初期の吉野ケ里ができる時代を遡ること数百年、春秋時代には瓦葺きの屋根が当たり前になっていましたし
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1326799248

吉野ケ里では土器しか出てきていませんが、当時の中国では陶器が当たり前になっていました
徐福一行が来て作った国ならもっとマシな技術レベルを誇っていたことでしょう

大陸から来たにしても戦乱を逃れて着の身着のままに近い状態で逃れてきた人たちレベルじゃないでしょうか

789 :日本@名無史さん:2019/07/11(木) 17:28:11.03 .net
>>785
秦の酒君だよなあ。

790 :日本@名無史さん:2019/07/14(日) 18:13:27.41 .net
秦氏は朝鮮半島を介した交易を牛耳っていた節があるが、その交易路である対馬海峡に秦氏が相当な影響力を持っていたことが考えられる。
壱岐は朝鮮半島からみて2番目の島であるが、その壱岐(イキ)の島名の意味は不明だ。
どんな意味の言葉であるのか、誰も明確な答えが出せていない。
そこで、秦氏はトルコ語を話していたと考えられるので、トルコ語からこの壱岐(イキ)の島名を探ってみると、トルコ語でiki(イキ)は数詞2である。
つまり、トルコ語でiki(イキ)島とは2番目の島という意味になる。
これはまさに、壱岐が対馬の次の2番目の島であることと、みごとに合致するのだ。
壱岐(いき)とは、秦氏が呼んだ島名であることが推定できるのである。
なお、この見解は、天才研究家のノートに書いてあることだよ。

791 :日本@名無史さん:2019/07/15(月) 00:54:36.87 .net
そもそも「トルコ語を話す秦氏」なる寄論に誰も納得してないよね

792 :日本@名無史さん:2019/07/15(月) 15:00:08.69 .net
>>791
見たことも聞いたこともない事には、だれでも最初は拒否反応を示すもの。

793 :日本@名無史さん:2019/07/15(月) 15:39:16.90 .net
出張するのは勝手だけど 当然、 論拠は示さんとお話になりまへんで

誰かのノートに書いてあるとか勘弁してほしい

壱岐が対馬の2番目!とかお宅は興奮してるけど意味不明ですから

794 :日本@名無史さん:2019/07/15(月) 16:02:23.06 .net
大体トルコ語って何 ?
トルコがいつ建国されたか知ってんの?
それがユダヤ人と何の関係があるの?
トルコ人の先祖がどこ発祥か知ってて秦氏がどうのこう書き込んでんの? 

795 :日本@名無史さん:2019/07/15(月) 19:35:37.91 .net
>>793
んじゃ、壱岐(いき)てどんな意味?

796 :日本@名無史さん:2019/07/15(月) 19:39:17.89 .net
>>794
トルコ人の先祖がどこにいたか、書いてみなさい。

797 :日本@名無史さん:2019/07/15(月) 19:45:18.67 .net
>>794
…それがユダヤ人と何の関係があるの? ということだけど、どうして秦氏がユダヤ人て分かるの?

798 :日本@名無史さん:2019/07/15(月) 23:43:51.98 .net
>>796
お前のいうトルコ語って何だってきいてるんだよ まず答えろ

799 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 01:07:55.42 .net
>>795
隠岐や沖と同じく「海の向こう」という意味でしょうね

800 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 13:36:07.81 .net
秦氏は鮮卑族と近縁の華北系騎馬民族

801 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 14:14:21.58 .net
>>798
チュルク系の言語には、現在トルコ語、カザフ語、キルギス語などがある。
わしが言うとるトルコ語とは、現在のトルコ語じゃ。

802 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 14:15:48.73 .net
>>799
イキが「海の向こう」という意味であることをちゃんと解説してね。

803 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 14:19:42.42 .net
>>800
鮮卑はモンゴル系、あるいはチュルク系とされているが、秦氏を鮮卑系とする根拠は?

804 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 14:52:52.78 .net
802
秦氏は中国にいた、いいとこなんかの職業持っていたどちらかっちゃ下層民て認識やが?

805 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 14:54:41.26 .net
なんか勘違いしてんじゃねこいつら

秦氏がエリートみたいなんを妄想していたとか?

部民てのわかる?職業民だよ

806 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 14:56:42.51 .net
言ってみりゃ寺院作るなら秦氏が自分らで大工して寺院を作ったりあとは京の町を作ったくらい自分らで建築から石工までやる集団

それが秦氏←

807 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 14:59:57.68 .net
天皇を平安京に向かえるとき秦氏が平安京を作って迎えた!言われてるな(°▽°)

文字通り、秦氏が平安京を作ったんだよ

縄張りして山から木を切り出し建物作って屋敷作って

808 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 15:03:42.65 .net
法隆寺から寺院なんかも下手すりゃ古代の建造物作ったんは秦氏かもしれんなあ(°▽°)

つまり文字通り自分らで作ったんだよ

ほとんど渡来人らによって作られたんだろな(°▽°)

そりゃ認めるよ(°▽°)

使えない権力者のカスなんざいらんでよ

809 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 16:27:41.73 .net
秦氏は子孫の顔面から騎馬民族だと証明されている

810 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 17:44:10.44 .net
農民だよ

811 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 17:47:20.66 .net
騎馬民族も農業くらいするだろ

812 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 18:15:34.52 .net
職種で氏姓をつける制度は北朝つくる前の鮮卑由来だしな

813 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 22:00:16.11 .net
まあ鮮卑だよな

814 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 22:42:33.85 .net
田(でん、田氏?)という人がいたりするけど、
そういう人は何なんだろう


日本の話

815 :日本@名無史さん:2019/07/16(火) 22:55:52.49 .net
wikiによると

>田氏は媯姓(中国語版)で、舜の末裔とされる。

媯姓・・・・・・・・・・専門用語が出てきたりw
読み方も「デン」

816 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 00:39:15.94 .net
鮮卑語でハタてどんな意味?

817 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 01:14:03.46 .net
鮮卑語は完全に不明
モンゴル系と思われるのでモンゴル語で考えるしかない

818 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 01:28:27.53 .net
タンパ

819 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 09:31:44.91 .net
>>807
普通に大陸から技術者来てるから
国家的巨大プロジェクトがそんな単純だと思ってるなら脳みそのレベルやばいよ

820 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 20:45:25.04 .net
『渡来人とは何者だったのか』という本のなかで、当時の航海技術や秦氏の地位を考えると、大陸なら日本へ渡ってきた秦氏の集団は50〜100人程度で、その後、在来の和人を秦氏が一族に組み込んで勢力を大きくしていったと書いてあった
この50〜100人って数字は妥当だと思う?

821 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 21:17:17.56 .net
農民てか?

秦氏一族が渡ってきたときは職部ってのがいただよ

そいから秦の河勝←が平安京を造営して藤原京から天皇が平安京に移ったの

飛鳥京→藤原京→平安京

822 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 21:18:18.72 .net
まったく現代がこ〜だからこの理由でこーなったあんたらやってんのだよ(°▽°)

823 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 21:20:02.06 .net
秦の河勝が平安京を造営したの

そんで藤原京から平安京に遷都した

これが平安時代の始まり

824 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 21:22:36.81 .net
あの平安京って一種の城塞都市やな

設計から間取り、建築を行った張本人(°▽°)

825 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 21:33:16.93 .net
だから前に書いたじゃん(°▽°)

秦氏が拠点にしたのは越前だってな

中国風の寺院みたいなんか神社なんかよく分からん建物を作りまくったま〜一種の大工屋集団や

826 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 21:35:01.31 .net
渡来人としての秦氏らみたいなんが県何県の住民らを率いて日本に渡ってきたって渡来人名簿にあるだろ

827 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 22:20:23.93 .net
秦氏みたいなんが来てから日本に寺院を連中が作り始めたり神社の⛩元みたいなん作り始めた

まず最初に近江あたりにいっぱいできただ(°▽°)

そっから神社系列は全国に広がったわけ

まあ神社の元祖は正解

828 :日本@名無史さん:2019/07/17(水) 22:34:17.79 .net
奈良の大仏も秦氏だしねえ

829 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 02:02:17.58 .net
>>817
モンゴル語でkhudaldaachin(フダルダーチン)は、商人。
khudal(うそをつく)+daachin(あなたは)=商人。
このkhudal(フダル)は、ハタに音が近い。
ハタ氏のハタがモンゴル語由来だとすると、ハタ氏のハタとはモンゴル語で商人という意味になる可能性がある。
モンゴル人は基本的に遊牧牧畜が生業だから、ハタ氏はモンゴル人ではなく外来系の商人だったということになってくるな。

一方、トルコ語には旅を意味するseyahat(セヤハット)がある。
この旅を意味するseyahat(セヤハット)を短縮したhat(ハット)がハタ氏のハタの由来だ、というのがハタ氏トルコ語由来説。
旅籠(はたご)のハタ(旅)と同じだ。

830 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 02:23:20.03 .net
秦氏と言えば製鉄と織物
商人でも旅人でもないからなあ

831 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 04:30:45.82 .net
>>830
秦氏が製鉄やっていたというのは、初耳。
5世紀段階で、製鉄日本にないし。
とにかく、ハタ氏のハタの語義解明が重要。

832 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 07:22:41.13 .net
製鉄なんてやってたんかね?

それからハタの字の語源てや?

833 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 07:24:56.06 .net
中国から来た職人連中の総称って文献に書いてなかったか?

834 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 09:43:22.36 .net
製鉄は完全に中国系渡来人の証拠

山東半島の東來(蓬莱)にいた連中など製鉄をしていた国々があった
半島の伽耶のあたりで鉄の原材料が出るので来て採掘しビジネスにしていた
なのでいまでも東來の名前がその地に残っている

彼らはやがて日本にも技術者として渡来するようになる

835 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 12:49:08.95 .net
>>833
その連中の総称のハタて、どんな意味なんよ。
中国語でハタの意味は?

836 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 13:06:55.49 .net
834
旗🚩じゃなかった?

837 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 13:07:44.25 .net
旗氏、ハタを折る職人らみたいなんが多いからハタシ

838 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 13:08:39.45 .net
いちいちめんどくせえこいつら

839 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 14:24:26.63 .net
>>833
それは漢氏じゃないか?

840 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 14:25:18.86 .net
>>659
>秦氏がユダヤ教徒であった可能性は高い。
4世紀末〜5世紀頃に景教はまだ中国に来ていい

景教=キリスト教は後漢成立間もなくの1世紀半ばには都の洛陽に到来していて、
後漢帝国全土に教会を建て盛んに布教活動を行っていた。
、、、とは「後漢書」が伝えているところ。

因みに同時期、仏教も後漢に到来しました。

841 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 14:47:27.18 .net
838
酒造り🍶の職人らがどおした?

842 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 14:51:00.40 .net
それから京都の初期の警備役人だのやってたんが漢氏だで

時代が降り没落して源氏や平家が台頭してきた

平家はもとか国衙の役人上がりから武士団を形成したのが多い

源氏も勢力伸ばしたが平家より遅い

843 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 14:52:04.69 .net
漢氏の末裔らみたいなんで摂津源氏に仕えた子孫らもいたな

844 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 14:54:56.02 .net
>>840

道教はその思想や教儀がユダヤ教と大変類似していると言われます。

日本列島に道教をもたらしたのが徐福(徐市(フツ)/彦福)。
前後併せて五千人余の海童(秦国人(ほとんどが旧斉国の少年少女))を引率して渡来しました。

前、一度目は二千人の海童らと共に出雲王国に至り、
密かに王に為らんとして色々引っ掻き回した(出雲王国の主副二方の王を殺害するテロをヤラカシタ)末に夢叶わず母国に逃げ帰ったとです。
その際、引き連れてきた二千人の海童らや出雲王女の嫁と御子の五十猛らをやむを得ず置き去りにしましたです。
五十猛が長じて海童(秦国人)らを呼び集めて丹波に集団移住して丹波国を建て、五十猛改め海カゴヤマを号しましたです。

徐福さま、二度目は先ず伊万里に入港しましたが、南に広い土地(筑紫平野)があると聞いて回航して有明海にはいり、吉野ヶ里を本拠地と定めて、
リベンジを謀ります。
出雲王国の分家、宗像王家の末女、市杵島媛と政略結婚して
ホホデミとホヤ媛をうみます。
ホホデミは後の物部(初期天皇家。物部イクメ大王=垂仁。から三代。)の祖となり、

ホヤ媛は先の異母兄の海カゴヤマに嫁ぎ海(天)村雲をうみます。
カゴヤマや村雲らは丹波人(元秦国人や子孫ら)を武装させて大和に南下侵攻して出雲王国のテロ大事件の影響で出雲から葛城に大量移住していた出雲族らを圧倒した事で
出雲族は村雲を大王に推戴する等して連合国家/大倭国(大和の最初の王権)を建てました

天皇系譜上の神武は海村雲命で以降9代、実際には11代約300年の命脈を保ちましたが、
ホホデミの子孫、物部イクメ王=垂仁の侵攻、平定されて滅亡しました。

遡って徐福が山陰地域に引き連れてきた海童ら二千人が後々秦族の大集団になりますです?

845 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 15:01:33.82 .net
838
そんでおまえの知ってることは書かないんか?

846 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 15:02:52.92 .net
>>844
徐福さまが二度目に渡来した際には前回より多い三千人の海童やあらゆる職種の職人、身内や一族朗党と共に渡来。

吉野ヶ里遺跡は徐福の故郷の臨鯔城と良く似た造りになっているそうです?

847 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 15:03:31.69 .net
おいちょいとまともなことくらい書いたらどおなんだよ(°▽°)

848 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 15:05:52.08 .net
>>847
これらは元出雲王国の王家の伝承による正しい歴史かと思われます。

849 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 15:06:27.49 .net
徐福?

それほとんど誰かが言い出した妄想話が定番化しただけ

説みたいなんで語ったのがいたんだろ

それの真贋問うのはこちらの役割りではない

850 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 15:08:58.68 .net
事実として発表したら一笑されるだけ(°▽°)

向こうの文献にそ〜書いてあった部分があったってだけよな

851 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 15:10:29.06 .net
中国あたりの部分から見つけてからそーいう話が広まったものばかり

徐福が日本にきたなんて伝説すらない

852 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 15:26:48.95 .net
>>849
徐福は元々、徐市(フツ)と言います。
「福」がお好きだった事から自分の名前としたらしい。

始皇帝を二度も騙し詐欺して蓬莱山=日本列島に渡来。
一度目は渡来する一年前に事前工作員のホヒと子のヒナドリらを
当時、最大版図を誇り栄える出雲王国に送りこみ財宝や珍貴な物等の贈り物をする等して(銅鐸の原型となる楽器、祭器も献上した)
媚びて上陸許可を取り付けた後に

徐福ら本隊は石見の五十猛海岸に上陸。
、、、海を埋め尽くした船舶から上陸するさまは蟻の行列の様だったと伝わります。

徐福は直ぐに心臓部に食い込み、出雲王国の第8代オオナモチ、八千戈さま(いわゆる、大国主は概ねこのお方)の妹媛の天道媛/高光媛を娶り出雲神族に列しました。

853 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 15:28:02.84 .net
紀元前後ころから半島あたりにも商業都市みたいなんができた遺跡でてんじゃなかったか

それと似たよ〜なんが北九州にもできただろ

これ唐人街の話、中国みたいな民家が長崎あたりにもあるで

854 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 16:42:23.03 .net
>>846
全然違う アホな書き込みいい加減にしとけ 中国はその当時すでに始皇帝陵 あのレベルがの建築技術があった

巨大な石垣で囲った城壁都市があちこちにあった 万里の長城も作ってた

何が吉野ヶ里遺跡と似てるだよw アホな妄想で笑わせんなwww

855 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 16:49:34.02 .net
>>853
長崎のは清や民の時代で全く関係ないわ知恵遅れが

856 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 16:50:31.29 .net
>>852
おいゴミ アホな主張するなら証拠の一つも出してみろ

857 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 16:59:29.09 .net
そだっけ?

唐人街は福岡あたりにもあったろ

中世くらいの話やで

858 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 17:00:59.45 .net
知恵遅れって?

都合よい話するなら論証やるから情報だせや

859 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 18:45:27.10 .net
>>858
笑 お前が出せよ 中世からあるという根拠を示してくれ

860 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 18:59:04.77 .net
はいださないから却下〜

言ったことくらい分かるくらいの知能くらいあるだろ

861 :日本@名無史さん:2019/07/18(木) 23:30:28.14 .net
>>860
はあ? 最初に変なこと言い出したやつ>>853に要求しろよ低能

862 :日本@名無史さん:2019/07/19(金) 02:04:57.63 .net
>>836
旗(ハタ)を織っていたからハタ氏とな。
旗を織っていたて、何か根拠あんの?

863 :日本@名無史さん:2019/07/19(金) 02:18:54.28 .net
七夕、機織り?

本当は他の家の話だと言っている人がいたよ、

864 :日本@名無史さん:2019/07/19(金) 09:43:03.20 .net
ハプログループO2a2b1a1 羽田ファミリー
https://i.imgur.com/TfvBf2N.png
https://i.imgur.com/yi90WcH.png

865 :日本@名無史さん:2019/07/19(金) 09:45:23.77 .net
同じくO2a2b1a1の韓国人 金さん
https://i.imgur.com/oea9Lbf.png

866 :日本@名無史さん:2019/07/19(金) 12:39:00.83 .net
これらの写真にみえる顎の骨太な頑丈さは、北部中国人の特徴。

867 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 00:18:18.98 .net
>>863
機械のことをハタと読む例が、このほかにあんの?

868 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 00:42:48.34 .net
>>863
ハタ氏が織機を多数導入してハタ印の布地を一手に生産していたから、そのハタ印の布地を織る織機をハタと呼ぶようになり、そこから機織り(はたおり)の言葉ができたのだろう。
だから、機をハタと読むのは、ハタ氏のハタからの借訓だな。

869 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 02:09:36.76 .net
だから旗🚩でしょ

それから漢をアヤってのは文字の読み書きみたいな話からだったと思うよ

870 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 02:11:13.33 .net
旗となる機織りをしている人らが多く目に付いたからハタ氏

871 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 07:23:49.38 .net
ハタ氏が生産するハタ印の布地を織るための機械だから、その織機をハタと呼びならわした。
つまり、機織りの機(はた)の由来は、ハタ氏のハタにあることになる。
となると、では渡来人であるハタ氏のハタとはなんぞや、ということになるわけ。
そのハタはトルコ語だとすると(旅する者)という意味が考えられ、モンゴル語だとすると(商人)という意味が考えられるというわけじゃよ。
このほかに、ハタ氏のハタの語源はこれじゃ、という考えがあれば言うてみんしゃい。

872 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 15:52:05.66 .net
>>870
旗(ハタ)のイントネーションと秦(ハタ)のイントネーションは異なるがな。

873 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 16:07:26.25 .net
>>869
漢を(あや)と読むのは漢氏が織物工芸に長けていたためで、その(あや)とはさまざまな形や模様を表す言葉だとされるな。
布地に柄を織り込む技術に優れていたということのようだ。

874 :日本@名無史さん:2019/07/21(日) 09:26:45.31 .net
トルコ系もモンゴル系も遊牧民系の名前はずっと長いよな
一文字姓は中国系のみ
日本は昔から二文字
秦氏は漢人系を自称してるし間違いなくそうだろう

875 :日本@名無史さん:2019/07/21(日) 14:25:31.01 .net
チベット系遊牧民じゃね?
ケサル王でも氏族名はリンと一文字姓だ

876 :日本@名無史さん:2019/07/21(日) 17:06:55.85 .net
>>874
秦(シン)の字は一文字だけど、読みはハタで二音。
中国語でハタと発音する字は何?
また、日本書紀では、秦氏(はたうじ)の先祖は弓月君と呼ばれていて、秦(シン)とは呼ばれていないね。
秦(シン)の字はあとから付けたのだろう。

877 :日本@名無史さん:2019/07/21(日) 23:04:37.08 .net
哈達(ハタ) チベット語からの借用語
仏教で使われるマフラーのような長い布

878 :日本@名無史さん:2019/07/21(日) 23:15:03.35 .net
魏志倭人伝の倭人の名前はアイヌっぽくない?

879 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 00:10:43.18 .net
日中韓ベトナムの犬食文化はどこから来たんだろう

880 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 02:30:06.26 .net
犬食なんて聞いた事もないんだけど、
熊も豚も牛もない、ちなみに日本w


老婆の話によると、そうなんだよ、
最近(近代)になってから???????なのかな

881 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 02:37:10.24 .net
馬肉というのも食べないし、老婆は食べたりしなかった、
買い物に行き、買ってきたということもないし、あとクジラの肉もw

882 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 02:59:56.53 .net
『葱の華』

肉は食べなかったと言っていたり、
謎の写真に写っている母親という人がいるんだけど、何かの家の人だったかな?

近所にある、寺院などに通っていたり

883 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 03:08:18.52 .net
>>879
原始時代は世界各地で犬食文化があったが
文明が進むにつれて段々と廃れていったわけだから
犬食文化同士に関連性があるわけではない

884 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 03:19:12.28 .net
さいきば(さかきばら)事件^^?

肉体改造〜体つきも変化〜もともと(肉体)労働者の家ではない?
何か理由があり、そういうことになった?

885 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 03:27:01.63 .net
さいきば事件というのがあるでしょ

おじーちゃん(おずぼーん?)の話をしているような気がするんだけど、
漫画に登場するキャラクターの話

886 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 03:31:02.37 .net
他のスレ参照

『姥清水』という作品

887 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 06:42:53.17 .net
>>883
農耕に使う牛を食べないのに猟犬になる犬は食べるの?

888 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 12:52:19.71 .net
>>877
哈達はハタ、カタと呼ばれ、モンゴル族やチベット族が敬意を表すために用いる帯状の布だとされる。

889 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 13:12:13.54 .net
>>888
モンゴルではハタクと呼ぶそうだ。
願う、祈る、敬う、慕う、感謝するなどのときにこの長い布を用いるそうだ。
青、白、赤、黄、緑の色がある。

890 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 13:23:39.49 .net
他のスレにも書いたはず


家は『王母 寒いなー』と同じ名前の家なんだけど、
あの写真の家w寺院、仏教の話をしていたり

891 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 13:26:11.47 .net
日本でいうと『かっぱっぱー』『浦島太郎』・・・その他?

892 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 13:29:36.49 .net
本当に何なんだろう

上の名前の読み方も・・・、
読み方だけ変えたのかな?

まだ最近(数十年前?)の話みたいなんだけど

893 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 14:00:14.10 .net
>>889
モンゴル語にkhatakh(ハタフ)があり、消える、萎える、弱くなる、しなびるなどの意味だそうだ。
新車を買ったときなど、すぐにシャーマンのもとに行き、車に青い布を巻いてもらい儀式をして安心するという。
この青い布がハタクと呼ばれるもの。
一方、モンゴル語にkhatakh(ハタフ)の語彙があり、これは消える、萎える、弱くなる、しなびるなどの意味があるそうだ。
とすると、シャーマンが新車に巻き付ける青い布のハタクとは、災いを追い払い消すという意味のハタフが語源かも知れないな。

894 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 19:06:50.26 .net
秦氏渡来の時代の大陸は鮮卑語と漢語が混在してる

895 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 19:25:26.64 .net
当時の日本に天皇(天王も)はいないでしょ?
どういう事なんだろう


『倭人 朝鮮人』
というのはいた?と書いている人がいたり

896 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 21:47:46.82 .net
>>887
もっと前の話
農耕が始まる前

897 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 22:38:12.29 .net
見るとチベット語からの拝借が多いみたいね

漢字にチベット語の意味を当てる、それが発音になる

898 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 22:38:55.42 .net
秦をハタと読むのもチベット語からの拝借だろ

899 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 22:40:44.26 .net
チベット語とエミシは同系統らしいから祖語が同じニダ(°▽°)

900 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 22:41:42.28 .net
祖語分かる。
同系列の祖先から分裂した同士は祖語がにかよる

901 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 01:23:35.63 .net
>>897
ラサのチベット語は漢字音写しきれない
西康

902 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 01:32:22.65 .net
>>901 四川省西康の羌系チベット民族の言語ならばer/n/ngしか音節の末にこないので
北方漢語に音写ができる

903 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 07:17:09.64 .net
>>896
農耕は牛の部分の例えで、狩猟が重要な役割を果たした時代に猟犬食べる?
農業を機械化してない地域では現代でもハレの日に村で牛一頭食べる程度だよ

904 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 09:24:23.23 .net
秦氏は土木技術や機織りや「うず高く積み上げていた」という織物で知られたんだから騎馬民族系はないと思うの
そもそも秦氏や漢氏は特定渡来系グループの総称であって血脈のつながりではないようですが

905 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 09:34:23.26 .net
>>904
ハタ氏はユダヤ教徒だったらしい。

906 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 10:46:13.28 .net
秦氏は漢族化した異民族出身。

907 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 20:11:31.37 .net
モンゴル、チベットの災いを消す長い布ハタクが秦(ハタ)の語源だとすると、秦氏のハタとはモンゴル語の(災いを消す布)という意味になるな。

908 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 23:58:55.90 .net
朝廷に布を献上してるしな

909 :日本@名無史さん:2019/07/24(水) 07:39:39.49 .net
モンゴル、チベットの災いを消す意の長い布ハタクと、日本語の旗(ハタ)は、同じか。
日本語の旗(ハタ)のハタは、旗布が風に煽られてパタパタと音を立てることに由来するとされる。
モンゴル、チベットの災いを消す意のハタクと旗(ハタ)のハタは、成り立ちが異なるようにみえるな。

910 :日本@名無史さん:2019/07/24(水) 22:23:27.23 .net
チベット→モンゴル ハタがボン教の時代に伝わったとしても五胡十六国時代と割りと新しい
秦氏自体もその6世紀ごろの五胡十六国まっだだなかの渡来ということだ

911 :日本@名無史さん:2019/07/24(水) 22:35:58.54 .net
7世紀のモンゴル民族は蒙兀室韋と呼ばれていた
日本に渡来してたらムロ氏だろうか

912 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 10:26:53.10 .net
>>910
五胡十六国の時代は4世紀初頭〜5世紀中頃まで。
6世紀には華北は北魏、華南は宋が支配している。
弓月氏は4世紀後半の渡来。
その後、秦河勝が活躍するのは6世紀後半から。

913 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 10:41:27.02 .net
弓月氏(秦氏)がモンゴル・鮮卑人とは限らんな。
ユダヤ教徒らしいから、モンゴル・鮮卑語を話すユダヤ教徒の線もある。
とすると、トルコ語を話すユダヤ教徒、モンゴル・鮮卑語を話すユダヤ教徒の二つの線が浮上したということになるな。

914 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 13:40:27.51 .net
モンゴルはプレスタージョン 景教を信仰していた部族がいた。

915 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 14:27:02.69 .net
>>914
遊牧牧畜系のモンゴル人景教徒が日本に渡来する理由てなに?

916 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 14:30:30.93 .net
室韋の頃は農耕民じゃないの?

917 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 15:02:22.07 .net
月ってのは湖に関係ある氏族に付ける名前やからな

918 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 15:04:28.36 .net
914
景教徒が日本来た証拠ないニダ

中国には本家本元の碑がある、来てるから

919 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 15:05:15.56 .net
日本に引っ張って作ったならそれは勧請って呼ばれるん

920 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 15:06:18.86 .net
特に権威作りに使ったみたいな連中らが無茶苦茶やったからな

921 :日本@名無史さん:2019/07/26(金) 16:03:28.03 .net
あれこれ考えると、やはりトルコ語を話し中央アジアで交易を生業としていたギリシャ系改宗ユダヤ教徒が弓月氏(ハタ氏)の正体で、そのハタとはトルコ語のseyahat(セヤハット=旅)の短縮形のhat(ハット)に由来すると考えられる。
この(ハット=旅)の言葉は、旅籠(はたご)の(はた=旅)としても用いられた。
つまり、ハタ氏とは、(馬に乗って旅する者=交易者)というトルコ語による自称だということになるな。

922 :日本@名無史さん:2019/07/26(金) 18:24:59.43 .net
もはや笑わせようとしてるよね?

923 :日本@名無史さん:2019/07/26(金) 23:05:12.79 .net
秦氏の来歴について、ここまで具体的な姿を描いた例はない。
これまで秦氏についてあれこれ言われた例は根拠薄弱なものが多く、そのためにオカルト的な珍説の域を出るものではなかった。
しかし、秦氏が渡来した当時に話していた言葉がトルコ語であったとみなすことができたことにより、秦氏とは何者であったのか初めて学問的なアプローチが可能となったと言える。
例えば、秦氏が本拠地とした太秦(うずまさ)はユダヤ教徒の聖地エルサレムに擬制され、ユダヤ教の神に祈りを捧げるための幕屋であると設定されたことが分かる。
また、関東地方を指す武蔵(むさし)とは、秦氏にとってどのような土地であったのかも解明されるのだ。
こうしたことは、秦氏が話したと考えられるトルコ語からすべてリアルに割り出すことが可能なのである。
つまり、4世紀後半に渡来した弓月氏は、トルコ語を話すユダヤ教徒だったのだ。

924 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 10:42:38.92 .net
なるほど ユダヤ教徒の秦氏が狐を祀ったり寺を建てて仏像を拝んだりしてたんですか? ww

925 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 12:36:21.60 .net
秦氏は倭人との摩擦を排除するために、倭人の信仰をユダヤ教の信仰に被せて隠す擬制を行っており、広隆寺などを建てたのもそうした擬制だな。
広隆寺は聖徳太子を祀るために建てられたとされるが、どうも広隆寺の聖徳太子はユダヤ人の王であるダビデの擬制であるようにみえる。
つまり、広隆寺はダビデがエルサレムに建てた神殿を意味しているということだ。
このような擬制を秦氏は念入りに行っていて、普通には日本人の信仰の現れであるようにみえる、ということになる。

926 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 14:34:52.03 .net
>>925
馬鹿すぎてワロタw 倭人は偶像崇拝なんか元々ないから摩擦は起こりようがない

低能すぎてロジックの組み立てが出来ないんだな おつかれ

927 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 14:42:16.00 .net
>広隆寺は聖徳太子を祀るために建てられたとされるが

いや違うよ 妄想はそれぐらいにしとけ
わざわざ秦河勝が自分に仏像を祀らせてくれと手を上げて祀ったのが始まりだよ
7世紀の話な 秦氏の渡来が4世紀 
仏教渡来前にどうやって倭人と摩擦が起きたのか説明してくれや
それに7世紀の仏教渡来後に他の信仰を禁止にしたなんてどこに記録があるんだ

928 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 15:37:56.37 .net
蛮行を重ねたカトリック位か。それでもプロテスタントの方は付き合い続いたからキリスト教自体は禁止してないもんな

929 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 17:01:07.85 .net
>>926
5世紀の山城や大和で「神はヤハウェだけ。倭人の神はみな邪神だから、排除すべき」と唱えることを想像してみるべし。
そして、そこらにある精霊をこらしめる姿を想像してみるべし。
秦氏が生き残れたかどうか、明らかじゃろな。

930 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 17:09:02.68 .net
>>927
あれ、「広隆寺資財交替実録帳」には、広隆寺は聖徳太子の供養のために建立されたと書かれているし。

931 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 02:39:22.31 .net
ところで、京都の太秦から武蔵へと移住する際の途中の拠点となるのが信濃の諏訪(すわ)だが、
この諏訪(すわ)も意味のよく分からない地名だ。
しかしながら、トルコ語のsu var(スバ)が「水がある」という意味であることを知れば、このsu var(スバ=水がある)が諏訪湖(すわこ)を指したものであることが明らかになる。
しかしどうして、わざわざトルコ語で信濃の湖をスバ(水がある)と呼んだのかということになるが、
ユダヤ教の旧約聖書では、モーゼに率いられたユダヤの民が約束の地への旅の途中で水に渇いてモーゼに水を要求し、モーゼが杖で岩を叩いて水を湧き出させるエピソードがある。
つまり、諏訪湖の水を旧約聖書の出エジプト記の重要なエピソードに擬していることが考えられるのだ。
そのような出エジプト記のエピソードにちなんで、秦氏はこの湖をトルコ語でスバ(水がある)と名付けたということになる。
そして、このトルコ語のスバに漢字を当てたのが諏訪(すわ)なのだ。
ちなみに、出エジプト記ではモーゼがユダヤの民を率いて目指したところが(約束の地)なのであるが、トルコ語でモーゼはmusa(ムサ)であり、
そして、このムサ(モーゼ)+シ(方向)=ムサシ(モーゼが目指したところ)=ムサシ(武蔵)ということになるのである。
諏訪(すわ)と同様に意味のよく分からない武蔵(むさし)も、トルコ語と和語の複合語であり、ムサシ=モーゼが目指したところ(武蔵)という意味であることを推定することができる。
これらのことに加えて、太秦の秦氏の神体山である松尾山(マツオ)は出エジプト記の種無しパンのマッツオを漢字表記したものである可能性が高く、
また深草の秦氏の神体山である稲荷山(稲生山=イナイヤマ)のイナイは、やはり出エジプト記のシナイ山のシナイと発音が極めて近いことを考えれば、
太秦の松尾山→深草の稲荷山→諏訪→武蔵への行程は、旧約聖書の出エジプト記のトルコ語によるダイジェスト版であることが分かるのである。
つまり、秦氏は、関東の武蔵をユダヤ教の旧約聖書の(約束の地)に擬したということである。

このように、秦氏がトルコ語を話すユダヤ教徒であったことをぴったりと推定することができる、ということなのだ。
わははははは。

932 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 02:57:15.38 .net
精神科、精神病院?

933 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 03:00:01.38 .net
精神科、精神病院というところがあるから、そこに行け

934 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 03:11:12.73 .net
かなーり前に書いたはず、
池沼の妄想に付き合っているヒマなんてないんだよ


はやく精神病院?そこに行け

935 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 11:36:52.87 .net
飛鳥昭雄並みにひどいよ なんでもユダヤユダヤだ そもそも ユダヤ人が古代トルコ人の集団にいたとか考古学的に証明されてんの? 一切ないよな ユダヤ人はイランやアフガニスタンには来ていました それは 証拠になる 物証があります

4世紀までに古代トルコ人の集団に ユダヤ人がいたという証拠をまずは出してもらわなければならない できないなら黙ってろってこと

936 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 11:52:51.50 .net
>>929
何で大王家や貴族に受け入れてもらった 秦氏が お前らの宗教はダメだとか言うんだよ
勝手に自分の宗教守っていればいいだけだろ 日本は一神教の国ではないこを考えられないおバカ
それにモーゼ以来、偶像崇拝が絶対禁止のユダヤ教、並み居る豪族の中で秦河勝「俺が仏像を祀ります」なんてユダヤ人なら言うわけないだろ? モーゼの十戒知らんの なんでも都合のいいように解釈するよな

937 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 12:58:20.61 .net
>>935
秦氏の先祖弓月氏は、ユダヤ人ではないな。
おそらくギリシャ系の改宗ユダヤ教徒。
交易でカザフ平原に進出し、4世紀頃にはタリム盆地あたりまで進んでいた。
カザフからタリム盆地あたりはチュルク系の部族の土地であり、そこを交易で東進してきたのでトルコ語を話すようになっていたということ。
弓月氏の先祖は、アナトリアの黒海沿岸の外来者コミュニティーの出自だろう。
このコミュニティーの住民は主にギリシャ系とペルシャ系だったらしい。
そこへ、紀元頃にペルシャから来たユダヤ人によって住民たちはユダヤ教に改宗したそうだ。
この改宗ユダヤ教徒の一派がカスピ海の北のカザフステップへ交易で進出した。
そして、4世紀頃にはタリム盆地の弓月国まで東進していたということだ。
まあ、そういうことだ。
ユダヤ教徒でトルコ語を話すのだから、そのような構図となるな。
わははははは。

938 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 13:08:08.58 .net
>>936
秦氏が生き延びたのは、一神教を外の世界へ押し出さなかったからだな。
そのために、倭人が受け入れられるようにさまざまな擬制を用いた。
そうしなかったら、おそらく秦氏は繁栄できなかっただろう。

939 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 13:31:27.41 .net
例えばだが、
天狗は元々は漢語であり、流れ星のことだ。
流れ星を、天を走り抜ける狗(いぬ)と観念化したわけ。
一方、倭人社会では、天狗は赤ら顔で鼻が高く神通力を持つ神的妖怪とイメージされている。
そのイメージは、漢語由来の流れ星とはまったく異なるのだ。
そこで、テングとはそもそもなんぞや、ということになるわけ。
そこで、トルコ語。

トルコ語で、tangi(タンギ)は「神」を意味する。

漢語の天狗(テング=流れ星)が、トルコ語のtangi(タンギ=神)と入れ替わったのだろう。
その結果、天狗が天を走る狗から神通力を持つ赤ら顔で鼻の高い神的妖怪に転化した。
この神的妖怪は、明らかにコーカソイド的な容貌なのだ。
この入れ替わりの元にあるのが、トルコ語のtangi(タンギ=神)だ。
そして、そのトルコ語を話していた可能性が最も高いのが秦氏、というわけだよ。
あははははは。

940 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 17:00:55.92 .net
八幡神がヤハウェだとして
応神天皇や大日如来との習合をユダヤ人がするかねえ

941 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 17:23:23.55 .net
在日韓国人にとっては残酷な真実だが日本民族の起源は東アジアとは全く異なり
地中海沿岸から縄文時代に渡来したコーカソイド系の人種だと判明している

古代から高度な文明を持ちアジア唯一の先進国となれたのはそのためだろう

942 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 19:57:08.80 .net
>>937
>ギリシャ系の改宗ユダヤ教徒

そんな連中がいたなら確実に記録に残ってるが
どこに書いてあるんだ? 虚言癖のオカルト野郎

943 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 20:00:46.00 .net
>>938
本物のバカかお前は? 痴呆症か?
だったらお前が>>925で主張するようなヤマトの和人と摩擦を避けるために仏像を拝み狐の神を祭りましたなんて必要なんかどこにあるんだよ知恵遅れ

944 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 20:11:28.14 .net
>>940
するわけない 
ギリシャ系がユダヤ教に改宗したとかいうキチガイだから相手にしなくていいよ

そんなことは歴史的にユダヤ人がギリシャ人を支配したという歴史的な事実がないのでありえない

逆はなんぼでもあった なんせギリシャ系はアレクサンダー大王からクレオパトラがローマに下るまでずっとユダヤより強勢だった
ギリシャの後継であるローマがユダヤ人を支配したのは御存知の通り
これだけでもアホが妄想を押し売りしてるだけとバレちゃうのw

945 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 12:34:47.92 .net
>>944
ノンノン。
このアナトリアの黒海沿岸のコミュニティーがユダヤ教に改宗したのは、歴史事実。
この改宗者たちが後にカスピ海北岸のハザールへ移住し、ハザール王国がユダヤ教に改宗するきっかけとなったのも歴史事実。
東ローマの勢力とイスラム勢力の北進に対して中立を保持する方法の一つがユダヤ教への改宗だったの。
この地域の当時のトレンド。
世界史の普通の事実だな。

946 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 12:37:48.46 .net
>>943
バ〜カ。
裏でユダヤ教を信心してたのよ。
仏像を拝んだりする表の顔は、営業。

947 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 12:39:23.66 .net
>>942
おめ、中東の歴史に詳しくないようだから、教えてやらん。
自分でググれ。

948 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 13:06:51.38 .net
>>940
八幡神に応神天皇を習合させたことは、歴史的にはっきりしており、
元々は、八幡神と応神天皇は無関係。
そして、宇佐の八幡神(ヤハタ・ヤハダ)の語彙の由来はヘブライ語のyhwdy(ユフディ=ユダヤ人)だとするのが、秦氏=ユダヤ人説。
宇佐の八幡神の宿る三角池を造ったのが渡来人だとされ、その渡来人とは秦氏だという説明だな。
このヤハタ・ヤハダがヘブライ語のユダヤ人(ユフディ)からの転化かどうか、はっきりせんな。
もし、八幡(ヤハタ・ヤハダ)の語彙が外来語由来だという線からみた場合、当時すでに文章語となっていたヘブライ語よりは、秦氏が話していた口語からみてみるのがよい。
秦氏はトルコ語を話していたとする立場からすると、ユダヤ人はトルコ語ではyahudi(ヤフディ)なので、ヤハタ・ヤハダはヘブライ語のユフディよりもトルコ語のヤフディのほうが発音的に近い。

しかしまあ、八幡神(ヤハタ)については、データが少なすぎるので、保留するのがよいと思う。

949 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 13:21:51.76 .net
そもそもな話

サンスクリット語とヨーロッパ言語が同じ祖語なんじゃないかって言われてたり

なら、、、

950 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 13:24:04.99 .net
940
んなわけないだろ

それどんな願望抱いてんだか妄想抱いてるんだか知らないがそんな考えを出してるてめえが気持ち悪いんだよ

951 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 14:46:59.63 .net
>>946
アホ? ヤマトは一神教の国でもないのにユダヤ人が偶像崇拝を偽装する理由がどこにあるんだよこのチンカス お前は全く分かっていないは知恵遅れが

952 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 14:54:39.06 .net
>>945
ハザールとかギリシャ人じゃないからな いい加減なこと書くなよゴミ それにそこら辺の連中が東アジアに移動したなんて歴史は一切ないw 妄想を書き散らかすなよ

953 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 17:02:14.40 .net
ハザール国 7世紀から10世紀の遊牧民国家 ww  渡来秦氏と全く、完全に関係なし
>>945 は頭おかしい

954 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 18:40:45.73 .net
>>948
ヤハウェ以外を崇拝してたらユダヤ人じゃないのでは?

955 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 22:19:54.16 .net
ユダヤ教以外の宗教信仰したらユダヤ人じゃないなw

956 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 22:48:23.40 .net
ソグド人ならテュルク系言語を話してもユダヤ教の影響を受けたマニ教を信じてても
おかしくはないからまだ話はわかるんだがなあ

957 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 22:52:16.95 .net
ソグド人なら旅人と称されるのも納得がいく

958 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 00:47:11.60 .net
>>951
な〜んもわかってないな。
現在、信心フリーの日本で一神教がどんだけシェアもってるのよ。
それみても分かるだろう。
一神教のユダヤ教が当時の日本で生き延びようと思えば、地下に潜るよりなかったのよ。
そして、表の顔は普通の多神教を看板にしたわけ。
別に秦氏がそのような選択したんだから、それでいいじゃないかよ。

959 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 00:55:30.29 .net
>>952
アナトリアの改宗ユダヤ人が、8世紀頃にカスピ海北部のハザールへ移住したのは事実だからな。
ギリシャ人は、元々交易業者が多い。
そのギリシャ人がアナトリアの黒海沿岸へ移住して、街をつくったのも事実。
ペルシャ人の交易業者もこの街へ移住した。
そうした交易人がカザフ平原へ交易で進出したのよ。
カザフ平原の人民らが西方の貴重材をどっさり持っていたのも事実。
だれがその貴重材を運んだのか、考えたら分かるだろう。

960 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 01:01:32.53 .net
隠れユダヤ教徒は、いくらでもいた。
近現代でも、ヨーロッパでキリスト教徒として暮らしていたが、じっさいにはユダヤ教徒だったという人はたくさんいたよ。

961 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 01:59:46.30 .net
>>956
ソグド商人が東西交易の主役に登場するのは4世紀以降。
弓月氏が渡来するのは4世紀後半。
なので、ソグド商人が勢力を張り始める前が問題の時期になる。
その時期はバクトリア商人が東西交易で幅を利かしていた。
このバクトリア商人はギリシャ系なので、弓月氏と比べるならこのバクトリア商人が適当。
しかし、弓月国があったのはこのバクトリア商人がいたバクトリア地方よりももう少し北のタリム盆地なので、弓月氏とバクトリア商人を結びつけるのは気が進まない。
第一、このバクトリア地方ではギリシャ語、その後はイラン系の言葉が用いられた。
トルコ語は影が薄い。
やはり、弓月氏は、バクトリアやソグドよりももう一つ北のカザフ平原からアルタイ山脈の古シルクロードの交易者の系譜だったと思う。

962 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 02:15:43.52 .net
それで?

963 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 03:23:20.81 .net
現在のトルコ語を話すチュルク族は、元々はアラル海の北の広大な平原地帯にいた。
この部族が10世紀ころから南下してイスラム化し、現在のトルコ国などに住むようになった。
したがって、4世紀頃にはカスピ海の北部からアルタイ山脈付近までの古シルクロードの広大な地域の西側半分あたりが現在のトルコ語を話す部族が住んでいた地域になる。
4世紀後半の弓月氏が現代のトルコ語と類似する言葉を話す渡来人であったとすれば、この古シルクロードにおいてその言語を習得したことが考えられる。
つまり、アラル海の北の東西交易路に近いのは、カスピ海北の平原地帯であり、ここから東行してトルコ語地帯へ入ったと想定するのが妥当だ。
そうすると、そのカスピ海の北地帯はトルコアナトリアの黒海沿岸からは目と鼻の先に位置しており、そこにはハザール地帯がひろがっているわけで、
8世紀にはギリシャ系・ペルシャ系の改宗ユダヤ教徒が移住してハザール王国をユダヤ教に改宗させるきっかけをつくったことでも分かるように、
普通に交易路がアナトリアからカスピ海の北地帯につながっていたことが理解できる。
こうしたことから、弓月氏の先祖の改宗ユダヤ教徒がアナトリアから北へ交易に出て、ハザール地域からアラル海北のチュルク族の地帯を東へ進み、
同じチュルク族が住むアルタイの南のタリム盆地へと進んだと考えることは可能になる。
秦氏がトルコ語を話す改宗ユダヤ教徒であったと考えることは、荒唐無稽な話ではないのである。
そして、現に、秦氏の周辺はユダヤ教の色彩が濃厚にあり、その色彩をトルコ語によってリアルに炙り出すことができるということなのだな。

964 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 08:42:57.44 .net
>>958 >>963
一神教のイスラム教やキリスト教なら改宗しなければ虐殺されたから改宗してたんだよ
縄文時代から和の精神があった日本でそんな状況はない
お前はユダヤ教やイスラムなど一神教の厳格さを知らないからそんなアホなこと言ってるけどな

秦氏がやったように自分から手を上げて仏像を受け取り拝んだり仏教寺をあちこちに建てまくる理由なんかあるわけない

仏像や狐霊を拝むギリシャ系でトルコ語を話すユダヤ教徒?w
ないない 

お前は全く論拠となる論文なども示さない 自説の主張の仕方も知らない学のない低能が妄想を喚いてるだけ
そもそも秦氏系の豪族は長く生き残ったが、どこにトルコだのユダヤ教徒だのを証明する物証があるんだ 一切ないわw

965 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 08:43:56.25 .net
>>956
ソグドとかイラン系ならそうなんだけど こいつらはなんでもユダヤ・ユダヤだからw

966 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 08:52:34.73 .net
>>958
だったらユダヤ人だとお前が言うところの秦氏が始めたお稲荷さん信仰はどう説明するんだ?w
狐信仰なんか大王家を始め、どこの有力氏族もやってなかったことだぞ
どう説明するんだよ 飛鳥昭雄みたいな妄想家さんwww

967 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 08:54:22.53 .net
ユダヤ人がアレクサンドリアなどでユダヤを遥かに上回る水準のギリシャ文化に傾倒し転向したりローマ市民になったりキリスト教徒になってしまった記録はなんぼでも残ってる

このアホはギリシャ人がユダヤ教に改宗したとかほざいてるが、そんな離散したユダヤ人の宗教に改宗した国が(秦氏が日本に渡った)4世紀まで待っても世界史上のどこであったというのか?w
ユダヤ人が狐を拝んでましたwとかどう説明すんの?w

妄想を巻き散らかすのもいい加減にしてもらいたいわけよ

968 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 12:47:53.92 .net
>>964
仏像や狐霊は、営業。

広隆寺の「いさら井」→エルサレムの井戸=シロアムの池。
エルサレムのトルコ語読み→yerusalim(イェルサリム)→いさら
シロアムの池はユダヤ人の聖池で、エルサレム防衛の象徴。
広隆寺のある太秦一帯をエルサレムに擬しているわけ。
それが「いさら井」の意味。

わかるかなあ〜、わからね〜だろうな〜。

969 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 13:22:00.56 .net
>>967
ウィキですら次のように書いとるがな。
「前7世紀頃からギリシャ人が黒海沿岸各地に入植を始め、タナイス、パンティカパイオン、オルビアなどの植民都市が建設されていった。これらの植民都市は北の草原地帯に住むスキタイ人やサルマティア人から穀物や奴隷を購入し、ギリシャ産の葡萄酒や武器などを取引した」
この植民都市が東西交易の一大拠点となっていたのよ。
そして、紀元元年前後頃になって、ペルシャから来たユダヤ人によってこのギリシャ人らはユダヤ教に改宗したわけ。
この改宗は、地中海勢力とイスラム勢力のはざまでどちらにも呑み込まれずに中立を保つ方法の一つだったのよ。
そういうわけだ。
ちゃんと歴史調べろ、バ〜カ。

970 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 13:56:59.18 .net
>>969
訂正
タイナス、パンティカパイオン、オルビアは黒海北岸のギリシャ人植民都市なので、黒海南岸の植民都市とは別だ。
黒海南岸のアナトリアの植民都市はアミスス、トラぺズスなどだ。
ユダヤ教に改宗したのは、このアミススなどの植民都市だな。

971 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 20:54:41.82 .net
ソグド語はイラン・タジク系じゃないの?

972 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 21:13:46.37 .net
ウィキによると、
「ソグド語は中央アジアにおける交易語であり、中国人商人とイラン商人との間の共通語でもあった」
と書かれているな。
ソグド語は中期イラン諸語のうちの一つで、「5世紀〜7世紀にソグド人は貿易商人として活発に活動した」とされているな。

973 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 21:59:56.87 .net
>>971
まあそこはテュルク系を話すソグド人もいたかもしれない、くらいの話だな
そもそもソグド人に違いないという話では無く
ユダヤ人と決めつけるならソグド商人等のシルクロード商人の方がまだ話はわかる
というレベルだし

974 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 23:21:20.67 .net
>>973
4世紀後半頃に渡来してきた弓月氏(秦氏)がソグド人商人だったとしたら、それ自体はなんの問題でもないのよ。
弓月氏がゾロアスター教徒で、それが日本の神世界にも影響をもたらしたとしても、それ以上の問題にはならない。
渡来人の漢氏が、それ自体としては何の問題も提起されないのと同じ。
ところが、弓月氏が特に取りざたされる理由は、どうも弓月氏にはユダヤ教関係の背景があるのではないかとの疑問が出てくるため。
ユダヤ教の場合は、世界的な広域ネットワークがあって、弓月氏(秦氏)についてもそうしたネットワークの背景があったのではないかと注目されることになるのだね。
この点が、弓月氏(秦氏)が謎めいて取りざたされるゆえんなのよ。

975 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 03:33:20.65 .net
ユダヤ教の世界的な広域ネットワークなんてその時代無いよ

976 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 10:29:58.83 .net
>>968
そういうとこだけ自分の妄想に都合よく解釈するお前みたいなアホなんか相手にしてられないわ
お前の主張の根拠としている文献と該当するページを明示してみろ

飛鳥昭雄やオカルト連中の本は出すなよ

977 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 10:31:37.96 .net
>>968
お前はバカだから何も知らないのだろうが狐信仰を持ち込んだのは秦氏で他の誰にも強制されていない
なので営業とか意味不明な言い訳で逃げようとしても無理だから わかったかオカルト低能ヤロー

978 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 10:33:56.27 .net
>>974
>ユダヤ教の場合は、世界的な広域ネットワークがあって

はい、さっさとお前の妄想の根拠となる文献と該当するページを示してみろや チンカス

979 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 15:02:58.83 .net
>>975
ユダヤ教に関する理解度が、極めて低いな。
ユダヤ教が局外中立の方途の一つとなっていたことは、アナトリアのギリシャ系コミュニティーがユダヤ教に改宗して地中海勢力とイスラム勢力に呑み込まれない立場を保持したことは、先に述べた。
ユダヤ教の性格がそうした局外中立を保障したということだ。
そこで、いずれの勢力に対しても局外中立を明らかにするユダヤ教が、部族間を行き来する交易者にとって身の安全と物資の運輸を保障するものであったことは疑う理由がない。
とすれば、ユダヤ教徒による交易路の保持が、最も安全な物流をもたらしたと考えて不都合はない。
日本〜カザフスタンなどの古シルクロードには、こうしたユダヤ教徒による交易ネットワークがあったことは、まず間違いないな。

980 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 15:12:29.14 .net
>>977
田の神の使いが狐であるとして各地に狐塚があるが、
この狐塚と稲荷信仰が結びつくのは近世になってからだ、とウィキに書いてあるし。
弓月氏(秦氏)が渡来したのは、4世紀後半だ。
よ〜く考えてみようぜ。
アホ〜。

981 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 16:02:19.83 .net
キツネ神話なんか中国神話で出てくるわけだが

982 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 16:03:05.41 .net
キツネに例えた神話なんか逆転に日本の方が

ほとんどないわ

983 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 18:09:39.68 .net
>>980
無理やりの言い訳乙 
お前の言い訳には笑ったわ アホだから辻褄が全く合わない
上位の存在である王族が推進した仏教、だから仏像を預かり祀った ユダヤ人だから偶像崇拝はありえないが お前は「営業」だからとか苦し紛れに言い訳した

狐は何? 田の神? 民間信仰かよww
それをダヤ人である秦氏がなんのために壮麗な狐の神社まで建てて祀る理由があるの?w
狐とユダヤがなんの関係があるんだよヘボ低能知恵遅れ!!
もうむちゃくちゃだよねお前は
まあお前の妄想珍説は破綻したということでいいよな

984 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 18:11:23.12 .net
>>979
だからお前の主張の論拠となる文献と該当するページを書けよ
お前の脳内で生み出された与太話にいつまで突き合わせるんだゴミカス

985 :日本@名無史さん:2019/07/31(水) 23:03:25.58 .net
>>984
アホじゃね。
まだだれも研究したことのない分野に、まともな文献あるわけがあんめ。
秦氏関連の地名などとトルコ語との対照がこの分野の最初の学問レベルの資料なんよ。
つまり、ワイが草分けということだな。
そのワイのあとに道ができる。
どっかで聞いたようなセリフだろ。
わははははは。

986 :日本@名無史さん:2019/08/01(木) 00:47:17.52 .net
ここではまともな文献を下地にした話がしたいので
別のところでやってもらえるか?

987 :日本@名無史さん:2019/08/01(木) 09:35:20.04 .net
>>985
古代トルコ人たる突厥は秦帝国と対決してたほうだからさ
そもそもお前の妄想の”トルコ語を話す秦氏”の部分だけでも辻褄合わないわけよ

そもそもユダヤ人が4世紀までに東アジアに来てたことすらすら出来ないのではお話になりませんわ
妄想を振り回し論拠を示さないのならオカルト版で同類どもと戯れておれ エテ公が

988 :日本@名無史さん:2019/08/01(木) 14:21:38.07 .net
>>986
すでに固まった資料のある話をしてどこがおもろいのよ。
みな学者の研究成果の受け売りをするだけじゃんか。
資料のない秘境の話をこそせんかい。
アホ〜。

989 :日本@名無史さん:2019/08/01(木) 14:37:08.24 .net
>>987
突厥は6世紀だわ。
匈奴のまちがいだろ。
この匈奴の中核がいかなる言語を話す種族であつたかは、謎だな。
カザフ平原の西側がトルコ語の原郷なのは、すでに判明しているわ。

4世紀後半に渡来した弓月氏(秦氏)が、トルコ語を話すユダヤ教徒だったのは、まず間違いないな。
なので、トルコ語を話すチュルク系部族が多くいたそのカザフ平原をこの弓月氏の先祖が通ってきたことは確かだろう。

990 :日本@名無史さん:2019/08/01(木) 18:41:07.87 .net
匈奴はただのモンゴル人 日本の渡来人にも匈奴人がいる

991 :日本@名無史さん:2019/08/02(金) 00:22:25.63 .net
>>990
モンゴル人とは近そうだな。

992 :日本@名無史さん:2019/08/02(金) 09:25:30.43 .net
>>989
日本に渡来云々以前に、ユダヤ人が4世紀までに東アジアまで来ていたことをまず証明しろということ

それすら出来ないなら話にならない

993 :日本@名無史さん:2019/08/02(金) 14:05:30.23 .net
>>992
4世紀以前の倭地にユダヤ教がもたらされていたことを示すデータはまったくない。
4世紀後半に渡来した弓月氏が本拠地を構えた山城の太秦には、ユダヤ教関連とみられる地名などが想定される。
弓月氏がそのユダヤ教徒だったことが推定される。
ユダヤ教自体は中東に発生したものだ。
中東からやってきたのは明らか。

トルコ語で太秦関連の地名などを調べれば、ユダヤ教が4世紀後半〜5世紀にかけて太秦にあったことが判明する。
そこから結論されるのが、弓月氏(秦氏)トルコ語話者ユダヤ教徒説だ。
こうした最初の説は、いずこでも拒否反応が出るものだ。
とくに迷妄頑固者にその拒絶反応が著しいな。

994 :日本@名無史さん:2019/08/02(金) 14:06:38.34 .net
ほら、あと7つでめでたくパート2へクリアできるぞ。
がんばりたまへ。

995 :日本@名無史さん:2019/08/02(金) 21:18:28.05 .net
>>993
何一つ証明できないいカスなんか相手にされなくて当然

996 :日本@名無史さん:2019/08/02(金) 22:40:44.07 .net
クリミア・タタール人から「もみあげのあるユダヤ人」と呼ばれたのが、クリムチャク人だ。
1世紀頃に黒海沿岸へ定着したユダヤ人と考えられている。
このクリムチャク人はチュルク諸語の一つであるクリムチャク語を話していたそうだ。

このあたりも弓月氏(秦氏)と関連がありそうだな。

997 :日本@名無史さん:2019/08/02(金) 23:07:39.30 .net
フェニキア人なら東南アジアまでは来た痕跡がある
フェニキア文字とヘブライ文字はほぼ同じで
フェニキア語とヘブライ語は方言レベルの差しかない
文化もほぼ同じでヤハウェ信仰かバアル信仰かくらいしか違いがない
アジアで見つかるユダヤっぽいものはフェニキアと考えた方がいいよ

998 :日本@名無史さん:2019/08/03(土) 02:43:49.17 .net
>>997
仮に東南アジアにフェニキア語を話すユダヤ人が来ていたとしても、そのフェニキア語を話すユダヤ人が4世紀後半〜5世紀頃に日本にも来た痕跡をみつけることはできるかが問題。
フェニキア語とヘブライ語がよく似た言語だとすれば、ヘブライ語でその痕跡を探れるかが焦点になる。
ヘブライ語で解けると喧伝される日本語は、どうもこじつけの感じがする。
太秦の秦氏の周辺で、ヘブライ語で解けるものがあるか。

999 :日本@名無史さん:2019/08/03(土) 02:51:53.38 .net
>>996
「もみあげ」のある人物埴輪は、6世紀後半の千葉の芝山古墳群から出土しているし。
その埴輪が出た前方後円墳の二重周溝は、なんと長方形だそうだ。
前方後円墳の周溝が長方形なんて、聞いたこともない。
長方形は、ユダヤ教の幕屋の形だそうだしな。
弓月氏(秦氏)は、クリムチャク人と関係あるかもよ。

1000 :日本@名無史さん:2019/08/03(土) 09:29:18.22 .net
ないない そもそもユダヤ人が万里の長城の内側にある秦漢ではなく貧乏暮らしで食料を求め中華の国を襲っていたという遊牧民系と行動をともにしていたという発想からして頭おかしい

1001 :日本@名無史さん:2019/08/03(土) 09:33:30.16 .net
>>999
頭おかしなこじつけいい加減にしてくれ
ユダヤ人に墓の周囲に周溝をつくる習慣が合ったならともかく、祈りを捧げる幕屋の形が同じく長方形だから千葉の古墳はユダヤ人の墓?
キチガイ理論炸裂やな

同じようあん墓がイスラエルで見つかってからいえ 低能こじつけ野郎
もちろんそんなもんないわなww

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