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秦氏など渡来人のルーツは?

1 :日本@名無史さん:2012/03/13(火) 20:56:25.50 .net
遊牧系異民族ってせつもあるけど
どこからきたの?

614 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 17:42:01.64 .net
>>613
お前の好みじゃないことは、分かった。

615 :日本@名無史さん:2019/05/23(木) 18:21:26.27 .net
コテつけないからレスいちいちNGするの面倒

616 :日本@名無史さん:2019/05/24(金) 01:38:21.39 .net
>>615
ウヅマサのウヅも、トルコ語の数詞3。
マサは机。
ウヅマサはトルコ語で(3つの机)。
幕屋の礼拝の意味。
みんな、トルコ語でリアルに謎が解ける。
ついでに、秦氏が交易航路として力を入れた対馬海峡の2番目の島は、壱岐(いき)。
そこでトルコ語をみると、数詞の2がiki(イキ)。
秦氏がトルコ語を話した改宗ユダヤ教徒だったことは、まず間違いない。

617 :日本@名無史さん:2019/05/24(金) 02:26:47.14 .net
>>601
(はたご=旅籠)の意味について、辞書などによって微妙に内容が異なるものとなっている。

電子辞書などでは、「旅行のとき、馬の餌を入れて運んだ竹籠」というものが多い。
一方、平安時代の和名抄では、「(はたご)は飼馬籠也。波太古。俗に旅籠の二の字を用いる」とし、
ブリタニカ国際大百科事典では「(はた)は馬の餌、(ご)は籠である」としている。
和名抄やブリタニカでは「旅行のとき、馬の餌を入れて運んだ竹籠」の解説の中の「旅行のとき」という言葉は記述されていない。
和名抄では、明確に「(はたご)は飼馬籠也」とだけ書いている。
つまり、(旅のときに用いる飼馬籠)とは限定していない。
(はたご)という言葉は、馬の餌を入れた籠の意味だとしか言っていない。
そして、この(はたご)に、俗に旅籠という漢字を当てていると説明しているのである。
ということは、(はた)という言葉に旅という意味付けがなされているということになる。
電子辞書などの解説と、倭名抄やブリタニカの解説は微妙に内容が異なるということである。

618 :日本@名無史さん:2019/05/24(金) 19:38:49.95 .net
>>611
このことからすると、ハタ(秦)氏のハタは(旅する者)という意味のトルコ語seyahat(セヤハット)に由来するもので、このseyahat(セヤハット=旅行・旅)とは、おそらく(交易で各地を旅する者=交易者)という意味だったのではないか。
交易を生業としながら、カザフ平原からアルタイを経て、東の海辺の地である日本を目指したユダヤ教徒だったのが、このハタ(秦)氏だということになるのだろう。

619 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:02:02.89 .net
■イスラエル国家機関が本気で注目するチャン族


 チャン族は、前述の地域以外にも同州の各地に居住しており、シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派に属するチャン語を話している。もともと人口は30万人程度だが、四川大地震でその約30%を失ったうえ、多くの住居が倒壊するなど甚大な被害を受けた。


 このチャン族が「失われた10支族」の末裔ではないかと主張しているのは、他ならぬイスラエルの国家機関「AMISHAV(アミシャーブ、アミシャブ)」だ。

620 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:06:13.33 .net
チャン族は、農暦(中国暦)の10月1日を新年とするが、これはユダヤ暦で7番目の月(9月か10月)を新年と定めている点に類似する。
他にも、山の頂上に築いた自然石の祭壇で神に犠牲を捧げる点、さらに家屋の扉の側柱に血を振りかけて家内安全を祈る点に至っては、ユダヤ人の「過越祭」とまったく同じだ。
ちなみに、これと似た風習は沖縄にも残されており、血に浸した木の枝や家畜の骨を家の戸口や集落の出入り口に吊るす「カンカー(看過)」という行為も、イスラエルとのつながりを感じさせ興味深いところだ。

621 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:07:52.16 .net
■10支族→チャン族→日本人 驚きのつながりが見えた!


 このように、チャン族の信仰や生活には、古代イスラエルの民と共通する要素が実に多い。そして特筆すべきは、その一部が日本の文化でも見られることだろう。チャン族と日本人にも共通点が実に多いのだ。


 まず、その容姿だ。チャン族の女性には美人が多いことで知られるが、その中には日本の女優にいても不思議ではない顔立ちの人がいる。また、チャン族には天孫降臨神話も受け継がれており、自ら「天孫」を自認している。

622 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:20:44.07 .net
イスラエルが注目するチャン族は羌族
羌族といえば太公望
太公望といえば周王に今は山東省と呼ばれる地域に領土を貰って移住

山東省ではラクダの彫り物が出土
太公望といえば斉国
斉国は始皇帝に最後に滅ぼされた国である
山東半島の対面は遼東半島であり船で東に向かえば日本の北九州

ラクダの彫り物が出土した山東省からはコーカソイド白人のDNAを持つ人骨が発掘されている

もう分かりましたよね? 秦氏は羌族であり海ではなく遼東半島経由で南下し日本に渡ってきたユダヤ系の末裔と言える集団でした。

623 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 17:22:14.18 .net
納得するしかない もう

624 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 19:19:52.03 .net
秦氏は、ギリシャ系かペルシャ系のトルコ語を話す改宗ユダヤ教徒だろう。
おそらく、間違いない。
秦氏の成功は、産業生産物を交易物として全国にさばいた点にある。
馬を用いて生産物を伊勢に運んだ事例がみえる。
こうした交易活動は、カザフ平原からアルタイにかけての交易生業でつちかった在り方であり、在来の日本人には真似のできないシステムだった。
4世紀後半頃から朝鮮半島を経た交易に応神政権が力を注ぐのは、秦氏による海外交易の富に目覚めたからだ。
秦氏が政権に影響を与えたということだろう。
応神政権の成立そのものが秦氏の影響を受けたものであった可能性も考えるべきだな。

625 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 21:34:55.54 .net
で その証拠どこにあるんです

626 :日本@名無史さん:2019/05/25(土) 22:29:37.62 .net
>>622
ユダヤ人はコーカソイドじゃないよ

627 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 01:05:59.98 .net
>>626
もっと言うてやってくれ。

628 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 13:08:48.89 .net
もう誰も相手にしてくれなくなったな
こんなキチがいたら過疎るわ

629 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 19:15:17.46 .net
>>628
ワイの高邁な研究成果に、皆がついて来れないだけ。

630 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 19:16:53.64 .net
>>625
そこらに、いっぱい転がっとる。
あれこれ、拾って研究してみたまえ。

631 :日本@名無史さん:2019/05/26(日) 23:47:25.33 .net
アスペルガーヲチスレみたいな流れね

632 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 01:47:36.99 .net
日ユ同祖論を展開した言語学者の佐伯好郎がこれこそはと打ち上げたのが太秦広隆寺境内にあった井戸の名で、その井戸の名は(いさら井)だった。
(いさら井)は、ヘブライ語のイスラエルの音写だと考えたのだ。
確かに、(いさら井)とイスラエルの発音はよく似ている。
しかし、日本語の古語には(いさら)という語彙があり、この(いさら)は(水量が少ない)という意味の言葉だとされている。
つまり、(いさら)は(いささか)という語彙と同系だとみられているのだ。
そこで、(いさら井)は、水の量が少ない井戸という意味になるという。
こういうことから、広隆寺境内の(いさら井)が(イスラエル)の音写だとする佐伯学者の説は、まったく無視されてしまったのだ。
学識豊な言語学者が、日本語と外国語の関連に触れるとなぜかトンデモ説に陥るというパターンはタミル語の大野晋でも起こった。
しかし、そうだろうか。この学者たちは、時代が早すぎたのではないか。
現在では、日本語と外国語の関連をコンピュータを使って解析する時代に入っている。
そういうことであるのだが、依然として頭にクモの巣が張った素人どもは、日ユ同祖論をオカルトと同レベルに置いてあざ笑う始末。
こうした素人どもは、遊ばせておいて、マジに佐伯学者の(いさら井)に再挑戦してみることにしよう。

                                 続く

633 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 03:43:15.23 .net
佐伯学者は、(いさら井)がイスラエルの音写だと考えたわけだが、(いさら井)に対応する語彙の選択を誤ったのだろう。
秦氏がユダヤ教徒だったとみなした場合、太秦の広隆寺の境内はイスラエルという王国に対応させるよりは、むしろユダヤ教徒の聖地であるエルサレムに対応させたほうがリアルだ。
広隆寺の境内をエルサレムとみなすと、エルサレムにとって生命線となる水を得る場所はシロアムの池だった。
エルサレムから少し離れたところにあるギボンの泉に湧く水が城内のシロアムの池に流れ込んで、その池を満たしていた。
ところが、前701年にアッシリアがエルサレム包囲戦を行い、干乾しになるのを恐れたイスラエルのヒゼキア王がギボンの泉から城内のシロアムの池まで地下水道を掘って、干乾しになるのを防いでアッシリアの包囲戦を戦った。
そういうわけで、シロアムの池はユダヤ人にとっては伝説の聖池だった。
そこで、広隆寺境内をエルサレムに対応させた場合、その(いさら井)はシロアムの池に対応することになるのだ。
そして、シロアムの池は完全に防衛されたエルサレムの象徴であったから、シロアムの池はエルサレムの命そのものを表す表象となる。

そこで、ヘブライ語のエルサレムの発音をみると、yerushalayim(イェルシャライム)だそうだ。
ル音は軽く、ライムのイ音はほとんど聞こえない。
イェシャラームと聞こえる。
この発音ならば、(いさら)に近い。

秦氏をユダヤ教徒と想定すると、広隆寺境内をエルサレムに見立て、(いさら井)はシロアムの池に見立てる構図を描くことができる。
そうなると、そのシロアムの池に見立てた井戸をもって(いさら井=水が少ない井戸)と呼び、実は(イシャラ=イスラエル)の発声としていた可能性を想定することもできる。
つまり、(いさら井)は、エルサレムの池(シロアムの池)ということになってくるのだ。
秦氏は、このような擬制を各所で行っているようにみえる。

以上が、佐伯学者に続く、太秦広隆寺の(いさら井)の謎の解明の達成だ。
エルサレムのほうが、イスラエルよりもはるかにリアルな解釈といえる。
わははははは。

634 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 03:54:42.24 .net
>>633
訂正

23行目〜24行目の(イシャラ=イスラエル)は、(イシャラ=エルサレム)が正しい。

635 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 13:24:54.93 .net
>>631
まあ、掲示板は会話交流が目的というより、一種のマウンディングの闘いだからね。
つまり、交流サイトとはまた違う面がある。

636 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 15:09:55.21 .net
普段常駐してるスレは楽しく雑談が回ってるけど、ここは特殊だよ
まず会話になってないもん
会話する気が無くて押し付けたいだけのキチガイが居座ってるからマトモな人がいなくなっていく

637 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 15:10:35.90 .net
リアルでも友だちいなさそう

638 :日本@名無史さん:2019/05/27(月) 17:38:33.33 .net
>>637
じや、黙っているから、きみら会話を楽しみたまえ。
わはははは。

639 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 11:54:47.33 .net
>>626
>>627
単純すぎます

そもそもコーカソイドの定義を理解してるのですか?
コーカソイド=白人ではないです 
セム系は色黒でコーカソイドではない! とか言うんでしょうね
そんな単純ではないのですよ

そもそもユダヤ人の始祖アブラハムの一族は現イランの出身でありアラブ人ではないですし
アラブ系でもコーカソイドに分類される人は多いです

コーカソイドのユダヤ人も古代より大勢いました
古代よりギリシャ語圏やローマ帝国領土にユダヤ人は多く住んでいました
紀元前三〜二世紀には離散ユダヤ人のために各地で旧約聖書はギリシャ語に翻訳されています

640 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 11:57:32.37 .net
> ユダヤ人はコーカソイドじゃないよ
こんなこと言い切れるわけ無いでしょう
そもそもユダヤ人とは十氏族いましたし 胆汁に言っても北と南では別の民族だった混合体ですよ?
何もご存じないようだ 呆れました

641 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 11:58:30.46 .net
ユダヤ人は母親がユダヤ系なら子供もユダヤ人なので どんどん混血したことでしょう

642 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:04:53.47 .net
> 白人系ユダヤ人がまだ登場していない紀元1世紀前後、古代ローマ帝国でユダヤ独立戦争があり、
大敗を喫したオリジナル・ユダヤ人(オリエンタル・ユダヤ人)たちは徹底的に追放されたわけだが、
この迫害により離散したユダヤ人のうち、イベリア半島(スペイン)に移住したオリエンタル・ユダヤ人(セム系民族)の子孫を「スファラディ系ユダヤ人」という。

この頃から白人とも混血しております
スファラディは東ローマ帝国があった現トルコ領のイスタンブール辺りでの活躍は有名です
ペルシャ帝国でも商人や宮廷で活躍した彼らは迫害を逃れるためどんどん東に向かっていきました
インドやアフガニスタンでも大量のユダヤ人が確認されております

643 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:05:49.72 .net
コーカソイドのユダヤ人はオリエントの世界で山ほどいました

644 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:07:37.08 .net
また西域で中国とつながるアフガニスタン人の多くは現在はイスラム教徒ですが自分がアブラハムの子孫であると主張しています

彼らの多くは今でもラクダに乗り長距離を移動します

645 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:26:45.07 .net
彼らはイラン人やインド人(の一部)と同様にコーカソイドに分類されます

646 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 12:28:42.50 .net
彼らコーカソイドのユダヤ商人や血を引くラクダや羊を連れた牧畜民が中国に古代より来ておりました
それは確実なのです 

647 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 14:09:23.93 .net
NGワード:ユダヤ,コーカソイド,トルコ,イスラエル,ヤハウェ,間違いない

言っとくけど構ってる奴も荒らしだからな

648 :日本@名無史さん:2019/05/28(火) 15:37:17.26 .net
↑ 何ということでしょう 中国は漢人だけの国だとでも思い込んどるんかな この人は 哀れすぎるね

649 :日本@名無史さん:2019/05/29(水) 14:06:06.59 .net
なんだよ、会話が途切れたな。
一人二役の会話か。
もう、誰もおらん。
わははははは。

650 :日本@名無史さん:2019/05/30(木) 05:27:40.10 .net
広隆寺境内=エルサレム
いさら井=エルサレムの池(シロアム池)
この図式は、これまでにない新しい秦氏=ユダヤ教徒説の根拠になるな。

太秦(うづまさ)のウヅ=数詞3
太秦(うずまさ)=3っの机(幕屋の礼拝)
三柱鳥居の三=ユダヤ教の聖数3
松尾山=マッツオ(出エジプトの種無しパン)

もはや、太秦(うずまさ)は秦氏が作った日本におけるユダヤ教の聖地だということは明らかだ。

651 :日本@名無史さん:2019/06/03(月) 04:28:59.40 .net
秦氏はトルコ語を話すユダヤ教徒であったと想定しているが、チュルク系遊牧部族がいたカザフステップを4世紀頃に東へ進んできたことが推測される。
弓月国があったとされるタリム盆地は、4世紀頃には高車と呼ばれるチュルク系部族がいたところだ。
秦氏のトルコ語は、これらのチュルク系遊牧部族の中を交易しながら通ってきたときに獲得した言葉だとみられる。

一方、改宗したユダヤ教徒がみられるのは、トルコの黒海沿岸東部だ。
2000年前頃にこの地方にギリシャ人やペルシャ人が移住して、彼らはペルシャから来たユダヤ人によってユダヤ教徒に改宗したとされている。
そして紀元300年頃にはユダヤ共同体がこの地方に形成されていたようだ。
この改宗ユダヤ教徒は、700年代になるとカスピ海北岸のカザフステップのハザール地方へ移住することになる。
この結果、ハザール王国がユダヤ教に改宗して、アシュケナジー系ユダヤ人が誕生したとされている。

紀元300年頃にそのユダヤ共同体から離れた一派が、交易を行いながらカザフステップのチュルク系遊牧部族地帯を東へ進み、やがて300年代中頃にはタリム盆地の弓月国に達したのが弓月君の集団だったと想定するのである。
したがって、秦氏のルーツは、ギリシャ系かイラン系の改宗ユダヤ教徒ではないかということになるのだ。
これは、従来の秦氏ユダヤ人説とは大きく異なるものであるが、おそらく間違いないだろう。

652 :日本@名無史さん:2019/06/03(月) 04:39:59.32 .net
日ユ同祖論は、DNA的にあり得ない。
だから、却下。
 

653 :日本@名無史さん:2019/06/03(月) 04:42:21.66 .net
秦氏のルーツを調べようと思ったら、
日本に数多くいる秦氏の男系子孫のY染色体を調べるのが
手っ取り早い。
薩摩の島津氏は惟宗氏の末裔と言われ
惟宗氏は秦氏の末裔と言われている。

654 :日本@名無史さん:2019/06/03(月) 12:26:47.15 .net
>>653
公表されてる秦氏の末裔は全部Y−0

655 :日本@名無史さん:2019/06/03(月) 18:24:05.60 .net
>>652
秦氏の先祖がカザフ平原などを東進するうちに抱え込んだ者たちはDNA的には多様なものであったと思われるな。
DNAから識別できるのは、特定の司祭階層だけだろう。
DNAだけで日ユ同祖論を論じるのは危険。

656 :日本@名無史さん:2019/06/05(水) 14:30:29.97 .net
>>654
あのサイトは信憑性ないけど
まあ、ユダヤとは無関係なのは確か。

657 :日本@名無史さん:2019/06/06(木) 05:50:13.55 .net
普通に考えて韓国人でしょ。韓国人より中国人、て思いたいの?

658 :日本@名無史さん:2019/06/06(木) 09:02:56.61 .net
辰韓は『後漢書』に残る音写からするとシナチベット語族じゃないのか?

659 :日本@名無史さん:2019/06/06(木) 14:43:37.93 .net
秦氏がユダヤ教徒であった可能性は高い。
4世紀末〜5世紀頃に景教はまだ中国に来ていないから、ユダヤ教からキリスト教徒への改宗者だったとは考えにくい。
この頃には、日本への交易ルートはアルタイ〜カザフ平原系が明確。
カスピ海北岸あたりを通って来たユダヤ教徒だろうな。

660 :日本@名無史さん:2019/06/07(金) 00:00:32.72 .net
>>657
朝鮮半島から色んな奴らが来てるのは間違いないけど、それが何人なのかは分からないと思うよ
朝鮮を通ればルート的に対馬経由して日本入りしやすいからね

661 :日本@名無史さん:2019/06/07(金) 17:34:36.14 .net
>>660
秦氏が渡来人であるのは間違いないし、その渡来人がトルコ語を話していたとすると、モンゴルより西から来た人だと確定して誤りはないな。
そして、そのトルコ語を話す渡来人である秦氏の周辺にはユダヤ教の影が濃いとなると、渡来時期の4世紀後半を考えた場合、かれらの出発地はカザフ平原より西の可能性が高くなるね。

662 :日本@名無史さん:2019/06/07(金) 17:50:01.08 .net
一神教にこだわってた気配がまるで無いから
せいぜいユダヤの知識があるという程度だと思う

663 :日本@名無史さん:2019/06/07(金) 18:21:41.48 .net
そうだね

664 :日本@名無史さん:2019/06/07(金) 18:22:13.86 .net
シルクロードやら朝鮮やら通ってくる人らは大抵ユダヤ知識あったんじゃないかね

665 :腹本 勲:2019/06/07(金) 20:53:19.08 .net
満州先生の新刊「馬韓も百済も満州にあった」が限定100部で発売中ですよ。
Amazonのみの発売なので、売り切れる前に君も買おう!

666 :日本@名無史さん:2019/06/07(金) 23:17:04.51 .net
ユダヤ教徒じゃないと、旧約聖書のエピソードや幕屋などの知識はないのじゃないの。
みな、自分とこの宗教で手一杯だし。
ゾロアスター教徒が、ユダヤ教のエルサレムなんて感知しないと思うけどね。

667 :日本@名無史さん:2019/06/08(土) 00:14:59.05 .net
無宗教のフラフラしてた人らはいなかったのかな。改宗する人だって良くいたのではないの。そこの土地の人間とうまくやっていくには宗教を含む文化を取り込まないといけないしね。

668 :日本@名無史さん:2019/06/08(土) 15:16:54.52 .net
>>667 
日本に定着してから、日本の文化との折り合いをうまくつけたのかも。
ユダヤ教徒が自分たちの宗教をなかなか手放さなかったから、あちこちで摩擦が生じた。
しかしそれが、アニミズムの日本ではかれらの宗教はそれなりに認められて敵対的関係にならなかったので、かれらも融和的な在り方になったのだろう。

669 :日本@名無史さん:2019/06/08(土) 18:55:01.30 .net
中国だとユダヤ教はイスラムの一宗派扱いだからな

670 :日本@名無史さん:2019/06/08(土) 19:21:05.98 .net
日ユ同祖論みたいなトンデモが蔓延する背景を知りたいね。
たぶん、時代によって、違ってきている。
もともとは、日本人にキリスト教を広めるために
生み出されたものだった。
しかし、最近は、日本人が中韓との類似性を否定するために
日ユ同祖論に飛びつくことによって
自分たちは中韓と違うんだと言いたいがために
飛びついているとしか思えない。

671 :日本@名無史さん:2019/06/08(土) 20:37:14.90 .net
>>670
背景として、イスラエルが世界に散った同胞を探し出して、本国に迎えるという政策を取っていることがあるようだ。
失われた十支族の行方の研究についても、その政策の一環がみてとれる。
こうしたイスラエル側の動きが、新しいムーブメントの要因の一つを形作っているな。
かつてのトンデモ説とは異なるリアルさが加わったようだ。

672 :腹本 勲:2019/06/08(土) 22:08:00.52 .net
「満州先生の新刊が出たらしいぜ」
「それを先に言えよ! 早く買わなきゃ売り切れちまうじゃないか!」

≪「馬韓も百済も満州にあった」が限定100部で発売≫

673 :日本@名無史さん:2019/06/09(日) 04:30:40.92 .net
>>670
学者の皆さんにも根拠に欠けすぎてると言われてるアレか
イスラエル側も説の一つとして昔は有力視したみたいだけど結局根拠に乏しいってことで時間だけが経過してるよね
説としては面白いしロマンあるけど、絶対そうだそうに違いないと思い込んでる人たちは新興宗教じみてて気持ち悪い

674 :日本@名無史さん:2019/06/09(日) 17:06:08.98 .net
>>673
まあ、時期は遅れるが、ペルシャ系景教徒が中国の開封に来て、そこで長らく定着していたのは事実なんだし、秦氏が4世紀後半頃に日本に渡来し、やや遅れて漢氏なども渡来したのも事実。
この渡来者たちと、時の政権の政策や経済動向などがリンクしていた可能性は非常に高いね。
もちろん、彼らは日本では協調的に暮らしたのだろう。
そこらが面白いところよ。
ただ、ユダヤ人と日本人が元のところで同族だというのは、これは飛躍しすぎだ。

675 :日本@名無史さん:2019/06/09(日) 18:14:02.52 .net
>>670
それは一理ある
囲碁板をみていると面白いよ

囲碁はチョンゲーだの日本で人気がないのは当然なんだのと必死に書き込んでいる
バカネトウヨが常駐している
囲碁は清少納言から徳川家康、大久保利通まで趣味にしていたものなのにね

どうしても「日本は中韓とは根本から違うんだ 日本民族は優秀なんだ 世界囲碁ランクで韓国が日本よりも強いのは囲碁が日本のゲームじゃないからだ」と感情的に思い込みたいようだ

676 :日本@名無史さん:2019/06/09(日) 18:17:02.93 .net
人類みな兄弟
いちゃりばちょーでー

677 :日本@名無史さん:2019/06/09(日) 18:20:37.54 .net
それ。面白い説なのに狂信者のせいで台無しになってる

678 :日本@名無史さん:2019/06/10(月) 02:39:24.47 .net
人類兄弟といえば、んじゃオレ兄貴なとかなんとか言い出すやつもいるからな。

679 :日本@名無史さん:2019/06/11(火) 14:10:52.08 .net
>>670
ユダヤ人の子孫では?と言われるのが秦国から徐福に引率されて渡来した秦族と物部。
秦族は徐福が初回、出雲、山陰地域に渡来した際に引率されてきた二千人の人たちの子孫。

物部は同じく徐福が二回目の渡来を果たして九州の佐賀に上陸、吉野ヶ里を本拠地とした際に引率されてきた三千人の人たちの子孫。


どちらも秦帝国が平定した国旧斎国/山東半島の人たち
スサノオ。は、キキ神話編纂に際して徐福=ニギハヤヒ/ホアカリとは書けない事情から、オツムを悩ました結果、
徐福の出身地の蘇州(そしゅう)を反転した州蘇をスソ(スサ)の男とし、スサノオを考案したらしい。

蘇州の蘇、イスラエル/ユダヤを暗示する文字だとか?

680 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 03:47:58.08 .net
>>679
まあ、面白そうな話だな。

681 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 09:00:16.71 .net
日ユ同祖論、英ユ同祖論、中ソ同祖論
どれもこれもトンデモ説。
世界中で詐欺やっているなw
そのくせして、唯一、信憑性がある
アラブユダヤ同祖論は、あまり主張したがらないw

682 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 09:02:40.03 .net
>>679
もう、いい加減にしろと言いたいw
日ユ同祖論みたいなトンデモ説、
これだけDNAの研究が進歩して
とっくに否定されているのにw
なぜ、こんな胡散臭い説にしがみ付くのか、
知りたいねw

683 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 09:07:15.96 .net
日本人のY染色体を調べて
徐福伝説、日ユ同祖論も
どれもこれも無理のある説ってのが
DNA的に証明されている。
 
分子時計からみて、日本人のY染色体で、
徐福のいた時代に日本へ渡来してきたであろうY染色体は
現在の日本人の中に殆ど皆無といってよい。
つまり、彼らの渡来伝承は嘘か、あるいは渡来しても、
日本の主流派になれずに消えていったと、みられているわけ。

684 :日本@名無史さん:2019/06/14(金) 21:43:35.10 .net
>>683
秦始皇帝を祖先とする氏族があるから、さすがに徐福を祖先にする渡来人はおらんな。
徐福を祖先とする氏族が一人二人くらいいてもいいのに、と思ったらなんと一人いた。
徐福の孫の古座侍郎という者がこれだが、崇神のときに紀州から三河へ移ったとされる。
しかし、それ以降、徐福を祖先にしたその古座氏は歴史から消えてしまったという怪談。

685 :日本@名無史さん:2019/06/14(金) 22:59:06.04 .net
始皇帝の直系の子孫はいないけど。

日ユ同祖論は、血縁じゃないけど古代中東の
文化を共有はしてる感じ。

神道関連の諸々の概念は弥生時代ぐらいに
入って来たものなんじゃね。

686 :日本@名無史さん:2019/06/14(金) 23:20:24.89 .net
秦氏トルコ語話者ユダヤ教徒説からすると、旧約聖書出エジプト記最後のエピソードの(モーゼがめざしたユダヤ人入植の約束の土地)は武蔵(むさし)だったことが分かる。
というのも、トルコ語でモーゼはmusa(ムサ)であり、そして、このムサに方向を示す倭語の(し)を加えたムサシは(モーゼの方向=モーゼがめざした所)の意味になり、
このムサシに漢字を当てたのが武蔵(むさし)だからだ。

この武蔵の国は今の関東地方に当たるのだが、しかし、秦氏が考えた本来のムサシの国(モーゼが目指した国)は、
どうも千葉県中部の九十九里浜にある横芝光町あたりであった形跡があるのだ。
この横芝光町あたりには木戸川が東西に流れ、その河口は九十九里浜に注いでいる。
そして、木戸川の上流には6世紀後半の有名な芝山古墳群など多数の古墳群がある。
この古墳群のうちの最大の前方後円墳である殿塚古墳の場合、ユダヤ教の超正統派的な姿をした人物埴輪が出土しているうえに、
その前方後円墳の周溝が二重の荘重さに加えてなんと形が長方形なのだ。
前方後円墳の周濠は、盾形であるのが普通なのだが、それが長方形という珍しさなのである。
しかも、長方形はユダヤ教では幕屋を表す表象でもあり、超正統派的な姿の人物埴輪と合わせて、
この古墳群の築造集団がユダヤ教徒であった気配が濃厚なのである。

そこで、秦氏が名付けたとみられるムサシの国(モーゼが目指した国=武蔵国)に関連して、この芝山古墳群のある横芝光町あたりの古代の国名に注目すると、
驚くべき国名が現れるのだ。

                                          続く

687 :日本@名無史さん:2019/06/14(金) 23:32:15.09 .net
>>685
最近は、神社の神はユダヤ教の影響があるとする説が目立つ。
それで、その影響の始まりが弥生だということらしい。
弥生時代に、すでにユダヤ教徒が渡来していたのかな〜。

688 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 00:31:59.85 .net
横芝光町などの木戸川周辺は、6世紀頃には武社国とされ、その地方を治めた者は武社国造と書かれている。
武社はブシャではなくムサと読むようだ。
この武社国造(ムサノミヤツコ)には、和邇氏系の人物が就任して牟邪臣(ムサノオミ)の臣姓が授けられている。
臣は最高の位だ。
どうも、大和朝廷の東北地方編入政策の関東の根拠地がこの武社国(ムサのクニ)で、
海上航路による人、物の搬入拠点となったとされている。
その6世紀後半の横芝光町の古墳群の最大前方後円墳の周溝が非常に珍しい二重の長方形であり、
その古墳からユダヤ教の超正統派的な人物埴輪が出土しているのだから、
この武社の国の運営のために現地に送り込まれた集団が秦氏系のトルコ語を話すユダヤ教徒だった可能性が高まるのだ。
そもそも、この地域が武社国(ムサノクニ)と呼ばれるようになるのは6世紀頃からで、それまでは海上国(ウナカミのクニ)だったとされている。
千葉県全域が海上国だった。
その地方全域の中間付近に武社国が設けられて海上国は分断され、その海上国をまとめていた勢力は衰退したとされている。

さて、武社国の(ムサ)の意味は何か。
秦氏が武蔵国(ムサシ=モーゼの目指した国)と呼んだとみられるムサノクニのムサと、
この千葉県横芝光町付近の武社国(ムサノクニ)の発音がまったく同じであり、そこに送り込まれたとみられる集団が造った最大の前方後円墳の周溝がユダヤ教の幕屋を示す長方形であり、
またその古墳からはユダヤ教徒の超正統派の姿と瓜二つの人物埴輪が出土したことを考え合わせると、
秦氏はこの横芝光町あたりを旧約聖書の聖なる入植地イスラエルの中の中心地と見立てた可能性が高まる。
それが、武社国(ムサノクニ)の名の由来なのではないか。
この場合の武社(ムサ)は、ユダヤ教徒を導いた(モーゼの栄光)とでも言えるネーミングだったのではないだろうか。
なんとなれば、そこがまさに旧約聖書に書かれている日の昇る東の海辺の土地であり、神に祈りを奉げる所と指定された場所だったからである。

689 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 00:33:39.60 .net
>>688
追加

687は685からの続き

690 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 03:07:09.84 .net
日本神道とユダヤ教が同じわけないだろう。
よくもまあ、そんなデマが言えるな。
 
日ユ同祖論というトンデモ理論について その1
http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=606
日ユ同祖論というトンデモ理論について その2
http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=608
日ユ同祖論というトンデモ理論について その3
http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=609

691 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 03:27:49.02 .net
秦氏のルーツは
朝鮮半島にいた辰韓諸国の一か国かだろう。

692 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 04:55:11.74 .net
>>688
武社国(ムサノクニ)についての上記の解釈に別の角度から光を当ててみると、ムサは文字通りモーゼ自身を指しており、
モーゼの埋葬地を想定していることが分かった。
秦氏が描いたその筋書きを見てみることにしよう。

モーゼは約束の地を目前にして亡くなり、神によって死海を望むネボ山に葬られたとされている。
そのネボ山はユダヤ教、キリスト教の聖地であるがイスラム教でもやはり聖地であって、
ネボ山の近くにはイスラム教の寺院が造られている。マカーム・ナビ・ムサという名で、(モーゼが留まる所)という意味だという。
つまり、モーゼが葬られた所ということだ。

ここで、これまでに述べてきたことを振り返ると、千葉県横芝光町を流れる木戸川流域付近の地域の国名であった武社国(ムサノクニ)は、
大和朝廷の東北地方編入政策のための大根拠地であったわけだが、これは大和から海路を経て関東に入るための上陸地点であったことによる。
これを地理的にみれば、約束の地であるモーゼの目指した所、即ちムサシ(武蔵=関東地方)を南側から見る位置にあるのが武社国(ムサノクニ)ということになり、
武社国(ムサノクニ)が武蔵国(ムサシノクニ)に入る一歩手前の場所に当たっていることになる。
そこで、モーゼが葬られたネボ山が約束の地の一歩手前の場所にあることと、武社国(ムサノクニ)が約束の地と想定された武蔵国(ムサシノクニ)の一歩手前にあることとが地理的に非常に合致していることからすると、
この武社国(ムサノクニ)がモーゼの葬られた場所として想定されているとのではないかと考えることは、ごく自然である。では、モーゼはその武社国(ムサノクニ)のどこに葬られたと想定されたのであろうか。

                                    続く

693 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 05:33:54.15 .net
>>692
それこそが、木戸川中流域の丘陵の上に築造された前方後円墳の殿塚古墳ということになる。
この古墳には極めて珍しい長方形の二重周溝が巡らされていて、しかもその長方形はユダヤ教の幕屋を思い起こさせ、さらにまた古墳の墳丘からはユダヤ教の超正統派の姿とよく似た人物埴輪が出土しているのだ。
このことが、この長方形の周溝の巡らされたこの古墳こそがモーゼを葬った場所にふさわしいものとして築造されたものだと考えることを可能にし、モーゼのトルコ語発音と同じムサ(武社)の国名がこの地域に付けられた理由も、理解しやすいものとなる。
そして、このように考えると、この地にムサ(武社)という国名がつけられ、そのムサがトルコ語でモーゼを意味していることは、旧約聖書出エジプト記のストーリーのエピローグを描いているものだとみなすことも可能にしている。
京都太秦の松尾山(マッツオ=種無しパン)を振り出しとして、約束の地であるムサシ(モーゼの目指した所=武蔵)を上り点とする双六の一歩手前の神がモーゼを葬ったネボ山に当たるのが、この武社国(ムサノクニ)の丘陵上の殿塚古墳ということになる。
つまり、神がモーゼをネボ山に葬ったとされることと、丘陵上の芝山古墳群の殿塚古墳を巡る周溝が二重しつらえの長方形に造られていることことは、まさに筋書きの上のストーリーがぴったりと合致しているということなのである。

このように、秦氏が旧約聖書の出エジプト記の壮大なストーリーを日本の国土の上に描いたことは、秦氏がユダヤ教徒の渡来人であったことをみごとにに示しているといえるのだ。

694 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 06:09:11.88 .net
>>690
このブログの書き手は、昼間のテレビワイドショーの解説者たちよりもさらに落ちる無能解説者だね。
何とか先生が書いたとする引用文は学者らしい分析が書かれているが、この書き手はそれを教条的にかざして日ユ同祖論者を揶揄しているが、自身はためになるような分析をなんら示していず、ミーちゃんはーちゃん的なごたくを連ねているだけのしょうもなさ。
こんなブログは、何の役にも立たんな。
あほじゃね。

695 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 06:18:35.05 .net
>>691
波旦という町があったらしいが、その町と秦氏が関係ありそうだとする論をみたことがあるが、秦氏は朝鮮半島人民の出自ではないだろうな。
朝鮮半島出自なら、5世紀頃には日本からかの地へ渡る者たちが少なからずいたから、それとすぐ分かっただろうから、秦始皇帝の血族だと胸張ってもすぐバレたはず。
また、百済系の渡来者から、ありゃ新羅の誰それだと指さされたはず。
そんな形跡はみられないから、朝鮮半島出自説はないだろうと思うな。

696 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 00:35:53.29 .net
渡来系なら王仁とか遡れば秦の将軍に繋がる一族と言われているから秦氏も可能性はあるよね

彼ら自身も「大陸系であって土着の半島人ではない」と全力で否定してたし
彼らの土木技術は先進的であって京都で河の整備を任されたが大陸の技術を持ち込んだと言われている

697 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 09:52:21.55 .net
秦氏は大陸の技術をもって荒れ狂う桂川の整備を成功させたと言われているわね

698 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 12:47:42.40 .net
>>697
当時の日本にまだ存在しなかった「産業」を持ち込んだのが秦氏。
朝鮮半島へ兵員などを送り込んだ倭国のその国力を担った勢力が秦氏だったということになる。

699 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 13:36:41.08 .net
日本が朝鮮半島を支配したなんて中国に書かれちゃったから鮮人が必死w

700 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 14:38:39.55 .net
任那、伽耶には鉄資源などを求めて倭人も中国人も進出していたし 倭人が定住しまくってたので前方後円墳とかも見つかってるわけです

701 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 15:39:47.39 .net
壊して埋めてるそうじゃないか。
日帝残滓は清算しなくては、と。

702 :日本@名無史さん:2019/06/19(水) 14:55:30.93 .net
朝鮮人は中国東北部から来たフヨやモンゴルら騎馬系の血が濃厚ですぐ破壊行動にでてしまうんでしょう

倭人は抜歯の習慣など長江周辺の古代人と同じですが

703 :日本@名無史さん:2019/06/20(木) 13:13:29.31 .net
まあ、沖ノ島の国家祭祀の始まりである4世紀後半と、秦氏の祖先が渡来した4世紀後半がまったく重なっていることが面白い。
また、宗像と山城秦氏は山陽道の山間ルートで結ばれており、秦氏の交易上の利益と海運宗像の利益が一致していたということだ。
そのルートが国家によって安定的に機能したことで、秦氏は安心して東国へ移民と交易品を送り込むことができた。
朝廷の東国経営の利益と秦氏の利益は、やはり一致していたということになる。

704 :日本@名無史さん:2019/06/22(土) 18:09:11.09 .net
遊牧民=C2というイメージがあるが実際はO2(O3)の方が多いからな

カザフ族
https://i.imgur.com/yQfJ1ub.jpg
蒙古族
https://i.imgur.com/HYJgvCG.jpg
満州族
https://i.imgur.com/FHTSkOC.jpg

705 :日本@名無史さん:2019/06/22(土) 22:06:22.87 .net
>>704
北上漢族が関係してるんだよね。

706 :日本@名無史さん:2019/06/22(土) 22:56:46.04 .net
鮮卑だろ

707 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 06:50:10.33 .net
4〜6世紀のグローバル化は騎馬民族のおかげ。天皇の兄弟相続、末子相続とかも騎馬民族の風習。

708 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 10:35:19.37 .net
>>706
鮮卑はモンゴル系とされる。
C2主体。

709 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 10:36:27.79 .net
>>707
海人系も末子相続だけどね。

710 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 12:17:55.91 .net
>>704
遼河文明の最後の段階の夏家店上層文化人の骨からは、O2、C2が多数を占めているそうだから、O2の北方への拡散は早い時期に起こっているとみるのがよいな。

711 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 20:47:49.31 .net
古人骨なんてあてにならん

712 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 21:04:13.26 .net
>>711
じゃあ何があてになるの?

713 :日本@名無史さん:2019/06/24(月) 11:32:18.37 .net
>>707
さらっと嘘を書くなよ
日本に「末子相続」なんて風習はない

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