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秦氏など渡来人のルーツは?

1 :日本@名無史さん:2012/03/13(火) 20:56:25.50 .net
遊牧系異民族ってせつもあるけど
どこからきたの?

680 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 03:47:58.08 .net
>>679
まあ、面白そうな話だな。

681 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 09:00:16.71 .net
日ユ同祖論、英ユ同祖論、中ソ同祖論
どれもこれもトンデモ説。
世界中で詐欺やっているなw
そのくせして、唯一、信憑性がある
アラブユダヤ同祖論は、あまり主張したがらないw

682 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 09:02:40.03 .net
>>679
もう、いい加減にしろと言いたいw
日ユ同祖論みたいなトンデモ説、
これだけDNAの研究が進歩して
とっくに否定されているのにw
なぜ、こんな胡散臭い説にしがみ付くのか、
知りたいねw

683 :日本@名無史さん:2019/06/12(水) 09:07:15.96 .net
日本人のY染色体を調べて
徐福伝説、日ユ同祖論も
どれもこれも無理のある説ってのが
DNA的に証明されている。
 
分子時計からみて、日本人のY染色体で、
徐福のいた時代に日本へ渡来してきたであろうY染色体は
現在の日本人の中に殆ど皆無といってよい。
つまり、彼らの渡来伝承は嘘か、あるいは渡来しても、
日本の主流派になれずに消えていったと、みられているわけ。

684 :日本@名無史さん:2019/06/14(金) 21:43:35.10 .net
>>683
秦始皇帝を祖先とする氏族があるから、さすがに徐福を祖先にする渡来人はおらんな。
徐福を祖先とする氏族が一人二人くらいいてもいいのに、と思ったらなんと一人いた。
徐福の孫の古座侍郎という者がこれだが、崇神のときに紀州から三河へ移ったとされる。
しかし、それ以降、徐福を祖先にしたその古座氏は歴史から消えてしまったという怪談。

685 :日本@名無史さん:2019/06/14(金) 22:59:06.04 .net
始皇帝の直系の子孫はいないけど。

日ユ同祖論は、血縁じゃないけど古代中東の
文化を共有はしてる感じ。

神道関連の諸々の概念は弥生時代ぐらいに
入って来たものなんじゃね。

686 :日本@名無史さん:2019/06/14(金) 23:20:24.89 .net
秦氏トルコ語話者ユダヤ教徒説からすると、旧約聖書出エジプト記最後のエピソードの(モーゼがめざしたユダヤ人入植の約束の土地)は武蔵(むさし)だったことが分かる。
というのも、トルコ語でモーゼはmusa(ムサ)であり、そして、このムサに方向を示す倭語の(し)を加えたムサシは(モーゼの方向=モーゼがめざした所)の意味になり、
このムサシに漢字を当てたのが武蔵(むさし)だからだ。

この武蔵の国は今の関東地方に当たるのだが、しかし、秦氏が考えた本来のムサシの国(モーゼが目指した国)は、
どうも千葉県中部の九十九里浜にある横芝光町あたりであった形跡があるのだ。
この横芝光町あたりには木戸川が東西に流れ、その河口は九十九里浜に注いでいる。
そして、木戸川の上流には6世紀後半の有名な芝山古墳群など多数の古墳群がある。
この古墳群のうちの最大の前方後円墳である殿塚古墳の場合、ユダヤ教の超正統派的な姿をした人物埴輪が出土しているうえに、
その前方後円墳の周溝が二重の荘重さに加えてなんと形が長方形なのだ。
前方後円墳の周濠は、盾形であるのが普通なのだが、それが長方形という珍しさなのである。
しかも、長方形はユダヤ教では幕屋を表す表象でもあり、超正統派的な姿の人物埴輪と合わせて、
この古墳群の築造集団がユダヤ教徒であった気配が濃厚なのである。

そこで、秦氏が名付けたとみられるムサシの国(モーゼが目指した国=武蔵国)に関連して、この芝山古墳群のある横芝光町あたりの古代の国名に注目すると、
驚くべき国名が現れるのだ。

                                          続く

687 :日本@名無史さん:2019/06/14(金) 23:32:15.09 .net
>>685
最近は、神社の神はユダヤ教の影響があるとする説が目立つ。
それで、その影響の始まりが弥生だということらしい。
弥生時代に、すでにユダヤ教徒が渡来していたのかな〜。

688 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 00:31:59.85 .net
横芝光町などの木戸川周辺は、6世紀頃には武社国とされ、その地方を治めた者は武社国造と書かれている。
武社はブシャではなくムサと読むようだ。
この武社国造(ムサノミヤツコ)には、和邇氏系の人物が就任して牟邪臣(ムサノオミ)の臣姓が授けられている。
臣は最高の位だ。
どうも、大和朝廷の東北地方編入政策の関東の根拠地がこの武社国(ムサのクニ)で、
海上航路による人、物の搬入拠点となったとされている。
その6世紀後半の横芝光町の古墳群の最大前方後円墳の周溝が非常に珍しい二重の長方形であり、
その古墳からユダヤ教の超正統派的な人物埴輪が出土しているのだから、
この武社の国の運営のために現地に送り込まれた集団が秦氏系のトルコ語を話すユダヤ教徒だった可能性が高まるのだ。
そもそも、この地域が武社国(ムサノクニ)と呼ばれるようになるのは6世紀頃からで、それまでは海上国(ウナカミのクニ)だったとされている。
千葉県全域が海上国だった。
その地方全域の中間付近に武社国が設けられて海上国は分断され、その海上国をまとめていた勢力は衰退したとされている。

さて、武社国の(ムサ)の意味は何か。
秦氏が武蔵国(ムサシ=モーゼの目指した国)と呼んだとみられるムサノクニのムサと、
この千葉県横芝光町付近の武社国(ムサノクニ)の発音がまったく同じであり、そこに送り込まれたとみられる集団が造った最大の前方後円墳の周溝がユダヤ教の幕屋を示す長方形であり、
またその古墳からはユダヤ教徒の超正統派の姿と瓜二つの人物埴輪が出土したことを考え合わせると、
秦氏はこの横芝光町あたりを旧約聖書の聖なる入植地イスラエルの中の中心地と見立てた可能性が高まる。
それが、武社国(ムサノクニ)の名の由来なのではないか。
この場合の武社(ムサ)は、ユダヤ教徒を導いた(モーゼの栄光)とでも言えるネーミングだったのではないだろうか。
なんとなれば、そこがまさに旧約聖書に書かれている日の昇る東の海辺の土地であり、神に祈りを奉げる所と指定された場所だったからである。

689 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 00:33:39.60 .net
>>688
追加

687は685からの続き

690 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 03:07:09.84 .net
日本神道とユダヤ教が同じわけないだろう。
よくもまあ、そんなデマが言えるな。
 
日ユ同祖論というトンデモ理論について その1
http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=606
日ユ同祖論というトンデモ理論について その2
http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=608
日ユ同祖論というトンデモ理論について その3
http://voiceofwind.jugem.jp/?eid=609

691 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 03:27:49.02 .net
秦氏のルーツは
朝鮮半島にいた辰韓諸国の一か国かだろう。

692 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 04:55:11.74 .net
>>688
武社国(ムサノクニ)についての上記の解釈に別の角度から光を当ててみると、ムサは文字通りモーゼ自身を指しており、
モーゼの埋葬地を想定していることが分かった。
秦氏が描いたその筋書きを見てみることにしよう。

モーゼは約束の地を目前にして亡くなり、神によって死海を望むネボ山に葬られたとされている。
そのネボ山はユダヤ教、キリスト教の聖地であるがイスラム教でもやはり聖地であって、
ネボ山の近くにはイスラム教の寺院が造られている。マカーム・ナビ・ムサという名で、(モーゼが留まる所)という意味だという。
つまり、モーゼが葬られた所ということだ。

ここで、これまでに述べてきたことを振り返ると、千葉県横芝光町を流れる木戸川流域付近の地域の国名であった武社国(ムサノクニ)は、
大和朝廷の東北地方編入政策のための大根拠地であったわけだが、これは大和から海路を経て関東に入るための上陸地点であったことによる。
これを地理的にみれば、約束の地であるモーゼの目指した所、即ちムサシ(武蔵=関東地方)を南側から見る位置にあるのが武社国(ムサノクニ)ということになり、
武社国(ムサノクニ)が武蔵国(ムサシノクニ)に入る一歩手前の場所に当たっていることになる。
そこで、モーゼが葬られたネボ山が約束の地の一歩手前の場所にあることと、武社国(ムサノクニ)が約束の地と想定された武蔵国(ムサシノクニ)の一歩手前にあることとが地理的に非常に合致していることからすると、
この武社国(ムサノクニ)がモーゼの葬られた場所として想定されているとのではないかと考えることは、ごく自然である。では、モーゼはその武社国(ムサノクニ)のどこに葬られたと想定されたのであろうか。

                                    続く

693 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 05:33:54.15 .net
>>692
それこそが、木戸川中流域の丘陵の上に築造された前方後円墳の殿塚古墳ということになる。
この古墳には極めて珍しい長方形の二重周溝が巡らされていて、しかもその長方形はユダヤ教の幕屋を思い起こさせ、さらにまた古墳の墳丘からはユダヤ教の超正統派の姿とよく似た人物埴輪が出土しているのだ。
このことが、この長方形の周溝の巡らされたこの古墳こそがモーゼを葬った場所にふさわしいものとして築造されたものだと考えることを可能にし、モーゼのトルコ語発音と同じムサ(武社)の国名がこの地域に付けられた理由も、理解しやすいものとなる。
そして、このように考えると、この地にムサ(武社)という国名がつけられ、そのムサがトルコ語でモーゼを意味していることは、旧約聖書出エジプト記のストーリーのエピローグを描いているものだとみなすことも可能にしている。
京都太秦の松尾山(マッツオ=種無しパン)を振り出しとして、約束の地であるムサシ(モーゼの目指した所=武蔵)を上り点とする双六の一歩手前の神がモーゼを葬ったネボ山に当たるのが、この武社国(ムサノクニ)の丘陵上の殿塚古墳ということになる。
つまり、神がモーゼをネボ山に葬ったとされることと、丘陵上の芝山古墳群の殿塚古墳を巡る周溝が二重しつらえの長方形に造られていることことは、まさに筋書きの上のストーリーがぴったりと合致しているということなのである。

このように、秦氏が旧約聖書の出エジプト記の壮大なストーリーを日本の国土の上に描いたことは、秦氏がユダヤ教徒の渡来人であったことをみごとにに示しているといえるのだ。

694 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 06:09:11.88 .net
>>690
このブログの書き手は、昼間のテレビワイドショーの解説者たちよりもさらに落ちる無能解説者だね。
何とか先生が書いたとする引用文は学者らしい分析が書かれているが、この書き手はそれを教条的にかざして日ユ同祖論者を揶揄しているが、自身はためになるような分析をなんら示していず、ミーちゃんはーちゃん的なごたくを連ねているだけのしょうもなさ。
こんなブログは、何の役にも立たんな。
あほじゃね。

695 :日本@名無史さん:2019/06/15(土) 06:18:35.05 .net
>>691
波旦という町があったらしいが、その町と秦氏が関係ありそうだとする論をみたことがあるが、秦氏は朝鮮半島人民の出自ではないだろうな。
朝鮮半島出自なら、5世紀頃には日本からかの地へ渡る者たちが少なからずいたから、それとすぐ分かっただろうから、秦始皇帝の血族だと胸張ってもすぐバレたはず。
また、百済系の渡来者から、ありゃ新羅の誰それだと指さされたはず。
そんな形跡はみられないから、朝鮮半島出自説はないだろうと思うな。

696 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 00:35:53.29 .net
渡来系なら王仁とか遡れば秦の将軍に繋がる一族と言われているから秦氏も可能性はあるよね

彼ら自身も「大陸系であって土着の半島人ではない」と全力で否定してたし
彼らの土木技術は先進的であって京都で河の整備を任されたが大陸の技術を持ち込んだと言われている

697 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 09:52:21.55 .net
秦氏は大陸の技術をもって荒れ狂う桂川の整備を成功させたと言われているわね

698 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 12:47:42.40 .net
>>697
当時の日本にまだ存在しなかった「産業」を持ち込んだのが秦氏。
朝鮮半島へ兵員などを送り込んだ倭国のその国力を担った勢力が秦氏だったということになる。

699 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 13:36:41.08 .net
日本が朝鮮半島を支配したなんて中国に書かれちゃったから鮮人が必死w

700 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 14:38:39.55 .net
任那、伽耶には鉄資源などを求めて倭人も中国人も進出していたし 倭人が定住しまくってたので前方後円墳とかも見つかってるわけです

701 :日本@名無史さん:2019/06/18(火) 15:39:47.39 .net
壊して埋めてるそうじゃないか。
日帝残滓は清算しなくては、と。

702 :日本@名無史さん:2019/06/19(水) 14:55:30.93 .net
朝鮮人は中国東北部から来たフヨやモンゴルら騎馬系の血が濃厚ですぐ破壊行動にでてしまうんでしょう

倭人は抜歯の習慣など長江周辺の古代人と同じですが

703 :日本@名無史さん:2019/06/20(木) 13:13:29.31 .net
まあ、沖ノ島の国家祭祀の始まりである4世紀後半と、秦氏の祖先が渡来した4世紀後半がまったく重なっていることが面白い。
また、宗像と山城秦氏は山陽道の山間ルートで結ばれており、秦氏の交易上の利益と海運宗像の利益が一致していたということだ。
そのルートが国家によって安定的に機能したことで、秦氏は安心して東国へ移民と交易品を送り込むことができた。
朝廷の東国経営の利益と秦氏の利益は、やはり一致していたということになる。

704 :日本@名無史さん:2019/06/22(土) 18:09:11.09 .net
遊牧民=C2というイメージがあるが実際はO2(O3)の方が多いからな

カザフ族
https://i.imgur.com/yQfJ1ub.jpg
蒙古族
https://i.imgur.com/HYJgvCG.jpg
満州族
https://i.imgur.com/FHTSkOC.jpg

705 :日本@名無史さん:2019/06/22(土) 22:06:22.87 .net
>>704
北上漢族が関係してるんだよね。

706 :日本@名無史さん:2019/06/22(土) 22:56:46.04 .net
鮮卑だろ

707 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 06:50:10.33 .net
4〜6世紀のグローバル化は騎馬民族のおかげ。天皇の兄弟相続、末子相続とかも騎馬民族の風習。

708 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 10:35:19.37 .net
>>706
鮮卑はモンゴル系とされる。
C2主体。

709 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 10:36:27.79 .net
>>707
海人系も末子相続だけどね。

710 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 12:17:55.91 .net
>>704
遼河文明の最後の段階の夏家店上層文化人の骨からは、O2、C2が多数を占めているそうだから、O2の北方への拡散は早い時期に起こっているとみるのがよいな。

711 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 20:47:49.31 .net
古人骨なんてあてにならん

712 :日本@名無史さん:2019/06/23(日) 21:04:13.26 .net
>>711
じゃあ何があてになるの?

713 :日本@名無史さん:2019/06/24(月) 11:32:18.37 .net
>>707
さらっと嘘を書くなよ
日本に「末子相続」なんて風習はない

714 :日本@名無史さん:2019/06/24(月) 12:05:49.68 .net
>>713
あれ、海人系は末っ子が家督を受け継ぐみたいだけど。

715 :日本@名無史さん:2019/06/24(月) 12:08:43.05 .net
「漁師 末子相続」でググってみなよ、いっぱいあるから。

716 :日本@名無史さん:2019/06/24(月) 23:18:28.92 .net
>>715
日本 長子相続 
でググってみなよ いっぱいあるから

717 :日本@名無史さん:2019/06/25(火) 19:25:35.65 .net
>>716
どうしたの?
末子相続はないの?

718 :日本@名無史さん:2019/06/25(火) 19:31:41.09 .net
>>713
あるよ。初期の天皇は末子相続だ。

719 :日本@名無史さん:2019/06/26(水) 08:28:43.54 .net
>>718
あっ、そうだったね。
神ちゃん、末っ子だよね。

720 :日本@名無史さん:2019/06/26(水) 09:22:07.34 .net
>>718
初期の天皇って誰だよw 具体的に書いてみなよ

721 :日本@名無史さん:2019/06/26(水) 11:47:43.28 .net
100歳以上生きてる存在が疑わしい奴らだろ

722 :日本@名無史さん:2019/06/26(水) 21:00:22.29 .net
このスレにこの男いるだろ
https://stat.profile.ameba.jp/profile_images/20140616/23/cf/gf/j/o064006401402929407542.jpg

723 :日本@名無史さん:2019/06/26(水) 21:29:25.21 .net
>>722
鼻の下長過ぎ〜。

724 :日本@名無史さん:2019/06/26(水) 21:33:33.33 .net
>>722
このおっさんだろ、5世紀の弓月を現代語でユンクエと読んだのは。

725 :日本@名無史さん:2019/06/27(木) 00:22:14.40 .net
>>724
訂正

弓月(ユンクエ)→弓月(クンユエ)が正しい。

726 :日本@名無史さん:2019/06/27(木) 12:10:19.09 .net
弓月君がトルコ語を話すユダヤ教徒だったのは、間違いない。
当時、トルコ語を話すチュルク族がいたのは、カザフ平原からアルタイ周辺。
弓月君は、この北方古シルクロードを交易をしながら東進した、ギリシャ系、あるいはペルシャ系の改宗ユダヤ教徒だよ。
その元々の改宗ユダヤ教徒の源郷はアナトリアの黒海沿岸東部。
弓月君が話す言葉としては、ヘブライ語の比重はごく低かっただろう。
ヘブライ語は、すでに書き言葉と化していたからね。
なので、日本における秦氏(弓月君系)の周辺では、トルコ語の名称などが明確にみられる。
秦氏は、トルコ語話者だったのだ。

727 :日本@名無史さん:2019/06/28(金) 11:50:48.45 .net
太秦(うづまさ)の意味は、(3つの机)。
この(うづまさ)は、(うづ=3)+(まさ=机)というトルコ語ね。
ユダヤ教の(幕屋の祭礼)を意味している。

728 :日本@名無史さん:2019/06/28(金) 22:15:30.01 .net
ユダヤとか言っといてなんでそこだけトルコ語になるんだよ!

729 :日本@名無史さん:2019/06/28(金) 22:19:41.39 .net
ワロタ

730 :日本@名無史さん:2019/06/28(金) 23:42:38.44 .net
楚人はチビで短足だったらしいが・・・

731 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 12:32:00.74 .net
>>728
当時、ユダヤ人は各地でいろんな言葉を話していた。
ヘブライ語は文章語としては生きていたが、話語としては死語だった。
今のヘブライ語は20世紀になって人工的に復活させたもの。
なので、秦氏がトルコ語を話していても、なんの不都合もないのだ。
ユダヤ教徒なんだから、それでOKだった。

732 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 12:34:41.39 .net
>>730
南方系だからね。

733 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 14:21:58.50 .net
俺は大津の穴太出身なんだけど、ここは7世紀には百済人が開拓した渡来系用の移住区で、城の石垣の大部分を担った穴太衆もその末裔らしい
こういう渡来系の多い地域は戦国時代までの人の移動が小規模の時代には、在来の和人とどれ程混血したのか気になる
他の日本人より百済人のDNA濃そう
https://www.homes.co...reform/reform_00542/

734 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 15:39:24.05 .net
そういえば元々が長安のほうが都だったか・・・

735 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 16:49:28.68 .net
>>733
障害者多い?

736 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 17:10:49.36 .net
障害者は在来の日本人の方多いでしょ
沖縄あたりなんか血が濃いから大変らしいで

737 :日本@名無史さん:2019/06/29(土) 22:43:25.92 .net
障害者が多くないならちゃんと他所の地域と通婚して来たという事でしょ

738 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 08:45:55.58 .net
>>733
百済人と言っても王仁のような中国系、中国東北部から南下してきた騎馬系(非漢族)の支配者層、土着の連中の混合体。
血がどうたら言うほど純潔でもなんでもない
そもそも名前に「百」がついてる時点で多くの民族が混合した国ということ

739 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 09:13:21.47 .net
百済人意識があったのは王族や貴族だけであろうが彼らもすぐに溶け込んでしまった
桓武天皇が百済を含む渡来系の女を囲いまくったので当時の渡来系も上から下までスムーズに溶けたのではないか

渡来系の職人や技術者はナンボでもいた 支配者は甘くはない 日本の豪族の管理下に置かれ必要に応じ移住もどんどんさせられた

740 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 09:15:25.31 .net
渡来系の知識人や技術者から学んだりサポートすべく倭人の弟子が多くつけられた「〜部」である

すぐに渡来系も大和言葉を学び溶け込んでいった

741 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 09:22:44.70 .net
日本の豪族自体が韓国系だけどな

742 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 10:43:45.84 .net
>>741
韓国系って何だよクソアホ 歴史の勉強してから出直してこい 虚言癖民族

743 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 12:40:22.08 .net
韓国って最近出来た国だろw

744 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 12:47:45.59 .net
>>733
もう少し北の野洲川あたりは、弥生後期にはレンガが出ているからなあ。

745 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 12:53:13.69 .net
>>733
琵琶湖南部周辺は、朝鮮半島から来た渡来人が関東などへ散っていくハブ空港みたいな場所だったんさ。

746 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 13:11:39.61 .net
>>741
だったら土師器や須恵器じゃなくて所謂韓式土器使ってる筈だろうが

747 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 13:13:16.90 .net
今は人の移動なんて気軽に出きるけど、戦国時代時代ぐらいまでだと、そういう百済系と大和民族との混血がどれだけ進んだんだろうか
近江とかあの辺りは百済人とかの血が確かに濃そうだけど、あんがい大和民族と混じってるもんかな?

748 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 13:23:39.97 .net
というか大和朝廷自体が地方豪族に渡来系技術者を分配したり
東国の未開拓地に戦闘捕虜やら亡命者やらを送り込んでるので

749 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 13:24:13.63 .net
>>747
その辺はDNA解析で大体わかってるんじゃないの?

750 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 13:37:31.27 .net
日本人の遺伝子は驚くほど均一化されていて
全国で通婚が盛んだった事がわかっている

751 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 14:35:12.60 .net
>>738
其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。(隋書)
だからね

752 :日本@名無史さん:2019/06/30(日) 21:53:37.41 .net
歴史書をつくる文明がない未開チョンコの嘆きw

753 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 01:18:47.41 .net
>>704
カザフ族にj2、i2がみられるな。
中東系が北上したということになるね。

754 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 12:55:19.34 .net
イスラム商人だろ

755 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 13:39:58.45 .net
カザフは最も古いシルクロード地帯だからね。
あちこちから来た商人が行きかった。
j2、i2はその子孫だろうな。
モンゴルの図では、それがほとんどなくなるし、
満州では、まったくゼロ。

756 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 19:04:55.75 .net
>>747
渡来人はあちこちで、活発に家畜飼育をやっていた形跡なし。
動物性タンパク質は、山でイノシシ狩ったり、川で魚獲ったりして補給しなければならなかった。
山や川は縄文人の縄張りだったから、渡来人は生きるために縄文人化しなければならなかった。
つまり、縄文人との嫁とり婿入りで同化していった。
混血はどんどん進んでいったということ。

757 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 19:08:59.71 .net
お前を中心に動いているわけではないんだよ、
何度言えばわかるんだ?


それとも漫画やアニメの話をしているの?

758 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 19:20:26.12 .net
かなーり前の話になるんだけど、
話を合わせてあげあるから、好きなことを書くと良いと言ってる人がいたでしょ

759 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 21:34:08.83 .net
>>733
司馬遼太郎なんかも、穴太衆やら近江商人のルーツが渡来人だなんだとか言ってたな

>「歴史を紀行する」の滋賀の章で、近江人の商才という特質は、朝鮮からの帰化人に帰すると考えるのが一番素直であるとし、菅野和太郎氏の著書「近江商人の研究」を紹介している。
その大意は、商人的素質をもった高麗の帰化人が湖東に移住し、本国に習って市を開き、
叡山と結んで専売権を確立、商権を拡張して飛躍し、農民、武士からの転向者を加え、全国の行商行脚に力を伸ばした、というようなことである。
https://tokyox.sakura.ne.jp/wordpress/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%95%86%E4%BA%BA-%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C/


さすがに江戸時代の近江商人と古来の帰化人を結びつけるは司馬先生どうかしてるだろと思ったが、
近畿の人間は顔が大陸の人間っぽいし、渡来人のDNAが濃く残ったとかありえるか?
地域によっては亡命百済人とか数千人規模で移住したようだし、そんな地域なら日本人と少々混血しても、
渡来系の形質を強く引き継いでるとか?

760 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 21:37:03.30 .net
>>759
家は、その家のではない、近江の出身でもないし、
同じにするなと言っているんだよ

761 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 21:38:38.80 .net
仏教、寺院〜、そういう家なんだけどw

762 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 22:22:58.17 .net
太平洋戦争のあとやってきた朝鮮半島系の人と近江の人と、仲良く付き合いやってるのかね。

763 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 22:26:45.39 .net
いや、また、高野新笠の実家の人と、太平洋戦争後にやってきた朝鮮半島系の人は、仲良く付き合いしてるのかね。

764 :日本@名無史さん:2019/07/01(月) 22:35:24.01 .net
また、さらに、奈良時代に関東に移住した高麗若光の子孫の人と、太平洋戦争後にやってきた朝鮮半島系の人らとは、仲良く付き合いしてるのかね。

765 :日本@名無史さん:2019/07/02(火) 10:56:46.92 .net
燕の東のほう見切れてるが何かあるなそういえば・・・

766 :日本@名無史さん:2019/07/02(火) 18:45:37.12 .net
倭に渡来してきてから千数百年もたち、その間、元の地では国が滅亡したりしてもう縁もつながりもなくなっているのに、今になって戦後朝鮮半島からやってきた人と関係あるかといわれてもなあ。
わしら知らんで、というほかないわ…と困惑する近江人だったりして。

767 :日本@名無史さん:2019/07/02(火) 20:52:59.28 .net
同じ難民といえど片道切符でやってきて日本社会に溶け込んだ王侯貴族や知識人、技術者の末裔がなんで最下層の白丁朝鮮人とつるまなアカンねん
頭おかしいやろ 朝鮮人は南北が戦争やめたらじきに朝鮮に帰るんやで

768 :日本@名無史さん:2019/07/05(金) 15:05:00.02 .net
>>754
カザフ平原では、ギリシャ系、ユダヤ系、イスラム系の商人が競合していたらしいな。
秦氏は、そのギリシャ系の改宗ユダヤ教徒だろう。
しかも、チュルク系部族相手の商売してきたから、トルコ語を話していた。
秦氏が渡来した移住者を送り込んだ武蔵国の武蔵(ムサシ)とは、「モーゼが目指した所」の意味で、(ムサ)はモーゼを意味するトルコ語だからな。
秦氏がユダヤ教徒だったのは、トルコ語によって解明できるんよ。
ヘブライ語が喧伝されているが、秦氏はトルコ語話者だったから、ヘブライ語の線は薄いな。

769 :日本@名無史さん:2019/07/05(金) 17:34:11.72 .net
商人って複数の言語話すんじゃね。複数の宗教やら習俗にも通じてたり。

えろんな奴と取引すんのにトルコ語しか話せませんねんじゃ
しょうもないべや。

770 :日本@名無史さん:2019/07/05(金) 18:33:41.82 .net
>>769
カザフあたりで取引相手がチュルク系だったら、わざわざペルシャ語習う必要ないわな。
トルコ語オンリーで通してきた秦氏の祖先が、日本に来てトルコ語だけ話したとしても、それは普通のこと。

771 :日本@名無史さん:2019/07/07(日) 18:02:27.51 .net
弓月国はアルタイ山脈の南にあるタリム盆地にあったとされる。
5世紀頃までには、このタリム盆地は高車と呼ばれるチュルク系の勢力が根を張っていた。
そこへモンゴル系の柔然が勢力を張ってきて、チュルク系の高車は柔然に服属することになる。
秦氏の先祖の弓月君は、4世紀にはこの弓月国で交易を生業にしていたと思われるが、モンゴル系の柔然が勢力を張ってきたことに嫌気をさし、
東へ移住した一族だったと考えられる。
なので、弓月君(秦氏の先祖)がタリム盆地にいて、日常語としてトルコ語を話していたのは異とすることではなく、ごく普通のことだな。
弓月君は、タリム盆地を離れてから、案外短期間で倭に着いたのではないか。
日本書紀の記すところでは、それは4世紀の後半だそうだ。

772 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 03:01:42.65 .net
秦氏がトルコ語使ってたという記録や金石文がどこかに残ってるんですか

773 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 03:19:49.90 .net
>>772
当時の石彫り文字記録や金属器鋳造文字が必要かい。
今は病院送りになってしまったが、長年研究をしてきたさる天才が残したノートがあり、
それには秦氏研究がビッシリ書き込まれている。
それには、なんと秦氏とトルコ語の関連が書き込まれていた。
秘蔵書だから、うかつなことは言えんがね。

774 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 13:22:36.98 .net
歴史を知るのに文字は必要。必要ないのは無様な歴史を消しさりたい朝鮮人だけw

775 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 14:51:27.31 .net
秦という国がいつ滅びたかご存知ですか? トルコ系で時代もずっと遅れてもちろん万里の長城の外にいた連中が秦氏を名乗る理由が無いと思いますが

秦を名乗る以上は秦帝国と何らかの関係がないと ストーリー的に 全く信用できませんわ

776 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 14:58:02.59 .net
後秦は渡来したという時代と合わないしどうなってるんですかね
ユダヤ人でトルコ語を話していたという設定でしたっけ?

777 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 16:07:17.56 .net
秦氏はソウルから渡来したエベンキ族

778 :日本@名無史さん:2019/07/08(月) 18:22:27.02 .net
それは当時から秦氏が全力で否定してるよ 我々はキムチではないと
ソウルは帯方郡で後漢、魏、西晋と中国領土だけど

779 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 00:21:29.48 .net
>>773
その研究者のノートには、太秦(うづまさ)の(うづ)はトルコ語のus(ウス)で、数詞3を表しているそうだ。
(まさ)は同じくトルコ語で机を表している、としている。
つまり、太秦(うづまさ)はトルコ語で(3つの机)の意味であり、この(3つの机)とはユダヤ教の幕屋での祭礼の際の重要な3つの設備である祭壇のことだといっている。
幕屋の入り口付近の犠牲を焼くための祭壇、次に神に奉げるパンを置く机、そして奥の香炉を置く祭壇がこれだそうだ。
ユダヤ教では数詞3は聖数なのだそうだ。

一方、出雲大社本殿付近から鎌倉時代に建てられた本殿の柱の根本部分が出土している。
大木を3本一括りにした巨大柱なのだが、この柱の呼び名が宇豆柱(うづばしら)なのだ。
この巨大柱がなぜ宇豆柱(うづばしら)と呼ばれているのか、はっきりしていないという。
そこで、この巨大柱が3本一括りであることと、トルコ語の数詞3が(ウス)であることとを合わせて考えると、宇豆柱(うづばしら)とはトルコ語の数詞3(ウス)と和語の柱(はしら)を合わせた複合語だと解釈ができるというわけだ。
ということになると、この宇豆柱(うづばしら)と京都の太秦=禹豆麻佐(うづまさ)の(うづ)は同じ発音であり、京都の太秦の禹豆(うづ)もトルコ語の数詞3ではないのか、ということなってくるのだ。

こうしたことから、トルコ語で太秦(うづまさ)を解釈すると(3つの机)の意味になり、それをユダヤ教と重ね合わせてみると、この(3つの机)とは幕屋の祭礼の3つの祭壇のことを表しているのではないか、という結論になったようだ。
そして、その他のことも合わせると、秦氏は本拠地の京都太秦をどうやら聖地エルサレムに擬しているようだ、とこの天才研究家はみなしているのだね。

780 :日本@名無史さん:2019/07/09(火) 00:38:42.78 .net
>>775
この秦(しん)の字を用いたのは、祖先に箔をつけるためであったことも考えられるね。
日本書記雄略紀では、すでに秦造(はたのみやつこ)と秦の字が用いられている。
日本書紀ができたころには、すでに遠祖を秦の始皇帝とする祖先神話ができていたのではないか。

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