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秦氏など渡来人のルーツは?

1 :日本@名無史さん:2012/03/13(火) 20:56:25.50 .net
遊牧系異民族ってせつもあるけど
どこからきたの?

868 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 00:42:48.34 .net
>>863
ハタ氏が織機を多数導入してハタ印の布地を一手に生産していたから、そのハタ印の布地を織る織機をハタと呼ぶようになり、そこから機織り(はたおり)の言葉ができたのだろう。
だから、機をハタと読むのは、ハタ氏のハタからの借訓だな。

869 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 02:09:36.76 .net
だから旗🚩でしょ

それから漢をアヤってのは文字の読み書きみたいな話からだったと思うよ

870 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 02:11:13.33 .net
旗となる機織りをしている人らが多く目に付いたからハタ氏

871 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 07:23:49.38 .net
ハタ氏が生産するハタ印の布地を織るための機械だから、その織機をハタと呼びならわした。
つまり、機織りの機(はた)の由来は、ハタ氏のハタにあることになる。
となると、では渡来人であるハタ氏のハタとはなんぞや、ということになるわけ。
そのハタはトルコ語だとすると(旅する者)という意味が考えられ、モンゴル語だとすると(商人)という意味が考えられるというわけじゃよ。
このほかに、ハタ氏のハタの語源はこれじゃ、という考えがあれば言うてみんしゃい。

872 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 15:52:05.66 .net
>>870
旗(ハタ)のイントネーションと秦(ハタ)のイントネーションは異なるがな。

873 :日本@名無史さん:2019/07/20(土) 16:07:26.25 .net
>>869
漢を(あや)と読むのは漢氏が織物工芸に長けていたためで、その(あや)とはさまざまな形や模様を表す言葉だとされるな。
布地に柄を織り込む技術に優れていたということのようだ。

874 :日本@名無史さん:2019/07/21(日) 09:26:45.31 .net
トルコ系もモンゴル系も遊牧民系の名前はずっと長いよな
一文字姓は中国系のみ
日本は昔から二文字
秦氏は漢人系を自称してるし間違いなくそうだろう

875 :日本@名無史さん:2019/07/21(日) 14:25:31.01 .net
チベット系遊牧民じゃね?
ケサル王でも氏族名はリンと一文字姓だ

876 :日本@名無史さん:2019/07/21(日) 17:06:55.85 .net
>>874
秦(シン)の字は一文字だけど、読みはハタで二音。
中国語でハタと発音する字は何?
また、日本書紀では、秦氏(はたうじ)の先祖は弓月君と呼ばれていて、秦(シン)とは呼ばれていないね。
秦(シン)の字はあとから付けたのだろう。

877 :日本@名無史さん:2019/07/21(日) 23:04:37.08 .net
哈達(ハタ) チベット語からの借用語
仏教で使われるマフラーのような長い布

878 :日本@名無史さん:2019/07/21(日) 23:15:03.35 .net
魏志倭人伝の倭人の名前はアイヌっぽくない?

879 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 00:10:43.18 .net
日中韓ベトナムの犬食文化はどこから来たんだろう

880 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 02:30:06.26 .net
犬食なんて聞いた事もないんだけど、
熊も豚も牛もない、ちなみに日本w


老婆の話によると、そうなんだよ、
最近(近代)になってから???????なのかな

881 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 02:37:10.24 .net
馬肉というのも食べないし、老婆は食べたりしなかった、
買い物に行き、買ってきたということもないし、あとクジラの肉もw

882 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 02:59:56.53 .net
『葱の華』

肉は食べなかったと言っていたり、
謎の写真に写っている母親という人がいるんだけど、何かの家の人だったかな?

近所にある、寺院などに通っていたり

883 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 03:08:18.52 .net
>>879
原始時代は世界各地で犬食文化があったが
文明が進むにつれて段々と廃れていったわけだから
犬食文化同士に関連性があるわけではない

884 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 03:19:12.28 .net
さいきば(さかきばら)事件^^?

肉体改造〜体つきも変化〜もともと(肉体)労働者の家ではない?
何か理由があり、そういうことになった?

885 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 03:27:01.63 .net
さいきば事件というのがあるでしょ

おじーちゃん(おずぼーん?)の話をしているような気がするんだけど、
漫画に登場するキャラクターの話

886 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 03:31:02.37 .net
他のスレ参照

『姥清水』という作品

887 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 06:42:53.17 .net
>>883
農耕に使う牛を食べないのに猟犬になる犬は食べるの?

888 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 12:52:19.71 .net
>>877
哈達はハタ、カタと呼ばれ、モンゴル族やチベット族が敬意を表すために用いる帯状の布だとされる。

889 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 13:12:13.54 .net
>>888
モンゴルではハタクと呼ぶそうだ。
願う、祈る、敬う、慕う、感謝するなどのときにこの長い布を用いるそうだ。
青、白、赤、黄、緑の色がある。

890 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 13:23:39.49 .net
他のスレにも書いたはず


家は『王母 寒いなー』と同じ名前の家なんだけど、
あの写真の家w寺院、仏教の話をしていたり

891 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 13:26:11.47 .net
日本でいうと『かっぱっぱー』『浦島太郎』・・・その他?

892 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 13:29:36.49 .net
本当に何なんだろう

上の名前の読み方も・・・、
読み方だけ変えたのかな?

まだ最近(数十年前?)の話みたいなんだけど

893 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 14:00:14.10 .net
>>889
モンゴル語にkhatakh(ハタフ)があり、消える、萎える、弱くなる、しなびるなどの意味だそうだ。
新車を買ったときなど、すぐにシャーマンのもとに行き、車に青い布を巻いてもらい儀式をして安心するという。
この青い布がハタクと呼ばれるもの。
一方、モンゴル語にkhatakh(ハタフ)の語彙があり、これは消える、萎える、弱くなる、しなびるなどの意味があるそうだ。
とすると、シャーマンが新車に巻き付ける青い布のハタクとは、災いを追い払い消すという意味のハタフが語源かも知れないな。

894 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 19:06:50.26 .net
秦氏渡来の時代の大陸は鮮卑語と漢語が混在してる

895 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 19:25:26.64 .net
当時の日本に天皇(天王も)はいないでしょ?
どういう事なんだろう


『倭人 朝鮮人』
というのはいた?と書いている人がいたり

896 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 21:47:46.82 .net
>>887
もっと前の話
農耕が始まる前

897 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 22:38:12.29 .net
見るとチベット語からの拝借が多いみたいね

漢字にチベット語の意味を当てる、それが発音になる

898 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 22:38:55.42 .net
秦をハタと読むのもチベット語からの拝借だろ

899 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 22:40:44.26 .net
チベット語とエミシは同系統らしいから祖語が同じニダ(°▽°)

900 :日本@名無史さん:2019/07/22(月) 22:41:42.28 .net
祖語分かる。
同系列の祖先から分裂した同士は祖語がにかよる

901 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 01:23:35.63 .net
>>897
ラサのチベット語は漢字音写しきれない
西康

902 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 01:32:22.65 .net
>>901 四川省西康の羌系チベット民族の言語ならばer/n/ngしか音節の末にこないので
北方漢語に音写ができる

903 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 07:17:09.64 .net
>>896
農耕は牛の部分の例えで、狩猟が重要な役割を果たした時代に猟犬食べる?
農業を機械化してない地域では現代でもハレの日に村で牛一頭食べる程度だよ

904 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 09:24:23.23 .net
秦氏は土木技術や機織りや「うず高く積み上げていた」という織物で知られたんだから騎馬民族系はないと思うの
そもそも秦氏や漢氏は特定渡来系グループの総称であって血脈のつながりではないようですが

905 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 09:34:23.26 .net
>>904
ハタ氏はユダヤ教徒だったらしい。

906 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 10:46:13.28 .net
秦氏は漢族化した異民族出身。

907 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 20:11:31.37 .net
モンゴル、チベットの災いを消す長い布ハタクが秦(ハタ)の語源だとすると、秦氏のハタとはモンゴル語の(災いを消す布)という意味になるな。

908 :日本@名無史さん:2019/07/23(火) 23:58:55.90 .net
朝廷に布を献上してるしな

909 :日本@名無史さん:2019/07/24(水) 07:39:39.49 .net
モンゴル、チベットの災いを消す意の長い布ハタクと、日本語の旗(ハタ)は、同じか。
日本語の旗(ハタ)のハタは、旗布が風に煽られてパタパタと音を立てることに由来するとされる。
モンゴル、チベットの災いを消す意のハタクと旗(ハタ)のハタは、成り立ちが異なるようにみえるな。

910 :日本@名無史さん:2019/07/24(水) 22:23:27.23 .net
チベット→モンゴル ハタがボン教の時代に伝わったとしても五胡十六国時代と割りと新しい
秦氏自体もその6世紀ごろの五胡十六国まっだだなかの渡来ということだ

911 :日本@名無史さん:2019/07/24(水) 22:35:58.54 .net
7世紀のモンゴル民族は蒙兀室韋と呼ばれていた
日本に渡来してたらムロ氏だろうか

912 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 10:26:53.10 .net
>>910
五胡十六国の時代は4世紀初頭〜5世紀中頃まで。
6世紀には華北は北魏、華南は宋が支配している。
弓月氏は4世紀後半の渡来。
その後、秦河勝が活躍するのは6世紀後半から。

913 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 10:41:27.02 .net
弓月氏(秦氏)がモンゴル・鮮卑人とは限らんな。
ユダヤ教徒らしいから、モンゴル・鮮卑語を話すユダヤ教徒の線もある。
とすると、トルコ語を話すユダヤ教徒、モンゴル・鮮卑語を話すユダヤ教徒の二つの線が浮上したということになるな。

914 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 13:40:27.51 .net
モンゴルはプレスタージョン 景教を信仰していた部族がいた。

915 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 14:27:02.69 .net
>>914
遊牧牧畜系のモンゴル人景教徒が日本に渡来する理由てなに?

916 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 14:30:30.93 .net
室韋の頃は農耕民じゃないの?

917 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 15:02:22.07 .net
月ってのは湖に関係ある氏族に付ける名前やからな

918 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 15:04:28.36 .net
914
景教徒が日本来た証拠ないニダ

中国には本家本元の碑がある、来てるから

919 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 15:05:15.56 .net
日本に引っ張って作ったならそれは勧請って呼ばれるん

920 :日本@名無史さん:2019/07/25(木) 15:06:18.86 .net
特に権威作りに使ったみたいな連中らが無茶苦茶やったからな

921 :日本@名無史さん:2019/07/26(金) 16:03:28.03 .net
あれこれ考えると、やはりトルコ語を話し中央アジアで交易を生業としていたギリシャ系改宗ユダヤ教徒が弓月氏(ハタ氏)の正体で、そのハタとはトルコ語のseyahat(セヤハット=旅)の短縮形のhat(ハット)に由来すると考えられる。
この(ハット=旅)の言葉は、旅籠(はたご)の(はた=旅)としても用いられた。
つまり、ハタ氏とは、(馬に乗って旅する者=交易者)というトルコ語による自称だということになるな。

922 :日本@名無史さん:2019/07/26(金) 18:24:59.43 .net
もはや笑わせようとしてるよね?

923 :日本@名無史さん:2019/07/26(金) 23:05:12.79 .net
秦氏の来歴について、ここまで具体的な姿を描いた例はない。
これまで秦氏についてあれこれ言われた例は根拠薄弱なものが多く、そのためにオカルト的な珍説の域を出るものではなかった。
しかし、秦氏が渡来した当時に話していた言葉がトルコ語であったとみなすことができたことにより、秦氏とは何者であったのか初めて学問的なアプローチが可能となったと言える。
例えば、秦氏が本拠地とした太秦(うずまさ)はユダヤ教徒の聖地エルサレムに擬制され、ユダヤ教の神に祈りを捧げるための幕屋であると設定されたことが分かる。
また、関東地方を指す武蔵(むさし)とは、秦氏にとってどのような土地であったのかも解明されるのだ。
こうしたことは、秦氏が話したと考えられるトルコ語からすべてリアルに割り出すことが可能なのである。
つまり、4世紀後半に渡来した弓月氏は、トルコ語を話すユダヤ教徒だったのだ。

924 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 10:42:38.92 .net
なるほど ユダヤ教徒の秦氏が狐を祀ったり寺を建てて仏像を拝んだりしてたんですか? ww

925 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 12:36:21.60 .net
秦氏は倭人との摩擦を排除するために、倭人の信仰をユダヤ教の信仰に被せて隠す擬制を行っており、広隆寺などを建てたのもそうした擬制だな。
広隆寺は聖徳太子を祀るために建てられたとされるが、どうも広隆寺の聖徳太子はユダヤ人の王であるダビデの擬制であるようにみえる。
つまり、広隆寺はダビデがエルサレムに建てた神殿を意味しているということだ。
このような擬制を秦氏は念入りに行っていて、普通には日本人の信仰の現れであるようにみえる、ということになる。

926 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 14:34:52.03 .net
>>925
馬鹿すぎてワロタw 倭人は偶像崇拝なんか元々ないから摩擦は起こりようがない

低能すぎてロジックの組み立てが出来ないんだな おつかれ

927 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 14:42:16.00 .net
>広隆寺は聖徳太子を祀るために建てられたとされるが

いや違うよ 妄想はそれぐらいにしとけ
わざわざ秦河勝が自分に仏像を祀らせてくれと手を上げて祀ったのが始まりだよ
7世紀の話な 秦氏の渡来が4世紀 
仏教渡来前にどうやって倭人と摩擦が起きたのか説明してくれや
それに7世紀の仏教渡来後に他の信仰を禁止にしたなんてどこに記録があるんだ

928 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 15:37:56.37 .net
蛮行を重ねたカトリック位か。それでもプロテスタントの方は付き合い続いたからキリスト教自体は禁止してないもんな

929 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 17:01:07.85 .net
>>926
5世紀の山城や大和で「神はヤハウェだけ。倭人の神はみな邪神だから、排除すべき」と唱えることを想像してみるべし。
そして、そこらにある精霊をこらしめる姿を想像してみるべし。
秦氏が生き残れたかどうか、明らかじゃろな。

930 :日本@名無史さん:2019/07/27(土) 17:09:02.68 .net
>>927
あれ、「広隆寺資財交替実録帳」には、広隆寺は聖徳太子の供養のために建立されたと書かれているし。

931 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 02:39:22.31 .net
ところで、京都の太秦から武蔵へと移住する際の途中の拠点となるのが信濃の諏訪(すわ)だが、
この諏訪(すわ)も意味のよく分からない地名だ。
しかしながら、トルコ語のsu var(スバ)が「水がある」という意味であることを知れば、このsu var(スバ=水がある)が諏訪湖(すわこ)を指したものであることが明らかになる。
しかしどうして、わざわざトルコ語で信濃の湖をスバ(水がある)と呼んだのかということになるが、
ユダヤ教の旧約聖書では、モーゼに率いられたユダヤの民が約束の地への旅の途中で水に渇いてモーゼに水を要求し、モーゼが杖で岩を叩いて水を湧き出させるエピソードがある。
つまり、諏訪湖の水を旧約聖書の出エジプト記の重要なエピソードに擬していることが考えられるのだ。
そのような出エジプト記のエピソードにちなんで、秦氏はこの湖をトルコ語でスバ(水がある)と名付けたということになる。
そして、このトルコ語のスバに漢字を当てたのが諏訪(すわ)なのだ。
ちなみに、出エジプト記ではモーゼがユダヤの民を率いて目指したところが(約束の地)なのであるが、トルコ語でモーゼはmusa(ムサ)であり、
そして、このムサ(モーゼ)+シ(方向)=ムサシ(モーゼが目指したところ)=ムサシ(武蔵)ということになるのである。
諏訪(すわ)と同様に意味のよく分からない武蔵(むさし)も、トルコ語と和語の複合語であり、ムサシ=モーゼが目指したところ(武蔵)という意味であることを推定することができる。
これらのことに加えて、太秦の秦氏の神体山である松尾山(マツオ)は出エジプト記の種無しパンのマッツオを漢字表記したものである可能性が高く、
また深草の秦氏の神体山である稲荷山(稲生山=イナイヤマ)のイナイは、やはり出エジプト記のシナイ山のシナイと発音が極めて近いことを考えれば、
太秦の松尾山→深草の稲荷山→諏訪→武蔵への行程は、旧約聖書の出エジプト記のトルコ語によるダイジェスト版であることが分かるのである。
つまり、秦氏は、関東の武蔵をユダヤ教の旧約聖書の(約束の地)に擬したということである。

このように、秦氏がトルコ語を話すユダヤ教徒であったことをぴったりと推定することができる、ということなのだ。
わははははは。

932 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 02:57:15.38 .net
精神科、精神病院?

933 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 03:00:01.38 .net
精神科、精神病院というところがあるから、そこに行け

934 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 03:11:12.73 .net
かなーり前に書いたはず、
池沼の妄想に付き合っているヒマなんてないんだよ


はやく精神病院?そこに行け

935 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 11:36:52.87 .net
飛鳥昭雄並みにひどいよ なんでもユダヤユダヤだ そもそも ユダヤ人が古代トルコ人の集団にいたとか考古学的に証明されてんの? 一切ないよな ユダヤ人はイランやアフガニスタンには来ていました それは 証拠になる 物証があります

4世紀までに古代トルコ人の集団に ユダヤ人がいたという証拠をまずは出してもらわなければならない できないなら黙ってろってこと

936 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 11:52:51.50 .net
>>929
何で大王家や貴族に受け入れてもらった 秦氏が お前らの宗教はダメだとか言うんだよ
勝手に自分の宗教守っていればいいだけだろ 日本は一神教の国ではないこを考えられないおバカ
それにモーゼ以来、偶像崇拝が絶対禁止のユダヤ教、並み居る豪族の中で秦河勝「俺が仏像を祀ります」なんてユダヤ人なら言うわけないだろ? モーゼの十戒知らんの なんでも都合のいいように解釈するよな

937 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 12:58:20.61 .net
>>935
秦氏の先祖弓月氏は、ユダヤ人ではないな。
おそらくギリシャ系の改宗ユダヤ教徒。
交易でカザフ平原に進出し、4世紀頃にはタリム盆地あたりまで進んでいた。
カザフからタリム盆地あたりはチュルク系の部族の土地であり、そこを交易で東進してきたのでトルコ語を話すようになっていたということ。
弓月氏の先祖は、アナトリアの黒海沿岸の外来者コミュニティーの出自だろう。
このコミュニティーの住民は主にギリシャ系とペルシャ系だったらしい。
そこへ、紀元頃にペルシャから来たユダヤ人によって住民たちはユダヤ教に改宗したそうだ。
この改宗ユダヤ教徒の一派がカスピ海の北のカザフステップへ交易で進出した。
そして、4世紀頃にはタリム盆地の弓月国まで東進していたということだ。
まあ、そういうことだ。
ユダヤ教徒でトルコ語を話すのだから、そのような構図となるな。
わははははは。

938 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 13:08:08.58 .net
>>936
秦氏が生き延びたのは、一神教を外の世界へ押し出さなかったからだな。
そのために、倭人が受け入れられるようにさまざまな擬制を用いた。
そうしなかったら、おそらく秦氏は繁栄できなかっただろう。

939 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 13:31:27.41 .net
例えばだが、
天狗は元々は漢語であり、流れ星のことだ。
流れ星を、天を走り抜ける狗(いぬ)と観念化したわけ。
一方、倭人社会では、天狗は赤ら顔で鼻が高く神通力を持つ神的妖怪とイメージされている。
そのイメージは、漢語由来の流れ星とはまったく異なるのだ。
そこで、テングとはそもそもなんぞや、ということになるわけ。
そこで、トルコ語。

トルコ語で、tangi(タンギ)は「神」を意味する。

漢語の天狗(テング=流れ星)が、トルコ語のtangi(タンギ=神)と入れ替わったのだろう。
その結果、天狗が天を走る狗から神通力を持つ赤ら顔で鼻の高い神的妖怪に転化した。
この神的妖怪は、明らかにコーカソイド的な容貌なのだ。
この入れ替わりの元にあるのが、トルコ語のtangi(タンギ=神)だ。
そして、そのトルコ語を話していた可能性が最も高いのが秦氏、というわけだよ。
あははははは。

940 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 17:00:55.92 .net
八幡神がヤハウェだとして
応神天皇や大日如来との習合をユダヤ人がするかねえ

941 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 17:23:23.55 .net
在日韓国人にとっては残酷な真実だが日本民族の起源は東アジアとは全く異なり
地中海沿岸から縄文時代に渡来したコーカソイド系の人種だと判明している

古代から高度な文明を持ちアジア唯一の先進国となれたのはそのためだろう

942 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 19:57:08.80 .net
>>937
>ギリシャ系の改宗ユダヤ教徒

そんな連中がいたなら確実に記録に残ってるが
どこに書いてあるんだ? 虚言癖のオカルト野郎

943 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 20:00:46.00 .net
>>938
本物のバカかお前は? 痴呆症か?
だったらお前が>>925で主張するようなヤマトの和人と摩擦を避けるために仏像を拝み狐の神を祭りましたなんて必要なんかどこにあるんだよ知恵遅れ

944 :日本@名無史さん:2019/07/28(日) 20:11:28.14 .net
>>940
するわけない 
ギリシャ系がユダヤ教に改宗したとかいうキチガイだから相手にしなくていいよ

そんなことは歴史的にユダヤ人がギリシャ人を支配したという歴史的な事実がないのでありえない

逆はなんぼでもあった なんせギリシャ系はアレクサンダー大王からクレオパトラがローマに下るまでずっとユダヤより強勢だった
ギリシャの後継であるローマがユダヤ人を支配したのは御存知の通り
これだけでもアホが妄想を押し売りしてるだけとバレちゃうのw

945 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 12:34:47.92 .net
>>944
ノンノン。
このアナトリアの黒海沿岸のコミュニティーがユダヤ教に改宗したのは、歴史事実。
この改宗者たちが後にカスピ海北岸のハザールへ移住し、ハザール王国がユダヤ教に改宗するきっかけとなったのも歴史事実。
東ローマの勢力とイスラム勢力の北進に対して中立を保持する方法の一つがユダヤ教への改宗だったの。
この地域の当時のトレンド。
世界史の普通の事実だな。

946 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 12:37:48.46 .net
>>943
バ〜カ。
裏でユダヤ教を信心してたのよ。
仏像を拝んだりする表の顔は、営業。

947 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 12:39:23.66 .net
>>942
おめ、中東の歴史に詳しくないようだから、教えてやらん。
自分でググれ。

948 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 13:06:51.38 .net
>>940
八幡神に応神天皇を習合させたことは、歴史的にはっきりしており、
元々は、八幡神と応神天皇は無関係。
そして、宇佐の八幡神(ヤハタ・ヤハダ)の語彙の由来はヘブライ語のyhwdy(ユフディ=ユダヤ人)だとするのが、秦氏=ユダヤ人説。
宇佐の八幡神の宿る三角池を造ったのが渡来人だとされ、その渡来人とは秦氏だという説明だな。
このヤハタ・ヤハダがヘブライ語のユダヤ人(ユフディ)からの転化かどうか、はっきりせんな。
もし、八幡(ヤハタ・ヤハダ)の語彙が外来語由来だという線からみた場合、当時すでに文章語となっていたヘブライ語よりは、秦氏が話していた口語からみてみるのがよい。
秦氏はトルコ語を話していたとする立場からすると、ユダヤ人はトルコ語ではyahudi(ヤフディ)なので、ヤハタ・ヤハダはヘブライ語のユフディよりもトルコ語のヤフディのほうが発音的に近い。

しかしまあ、八幡神(ヤハタ)については、データが少なすぎるので、保留するのがよいと思う。

949 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 13:21:51.76 .net
そもそもな話

サンスクリット語とヨーロッパ言語が同じ祖語なんじゃないかって言われてたり

なら、、、

950 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 13:24:04.99 .net
940
んなわけないだろ

それどんな願望抱いてんだか妄想抱いてるんだか知らないがそんな考えを出してるてめえが気持ち悪いんだよ

951 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 14:46:59.63 .net
>>946
アホ? ヤマトは一神教の国でもないのにユダヤ人が偶像崇拝を偽装する理由がどこにあるんだよこのチンカス お前は全く分かっていないは知恵遅れが

952 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 14:54:39.06 .net
>>945
ハザールとかギリシャ人じゃないからな いい加減なこと書くなよゴミ それにそこら辺の連中が東アジアに移動したなんて歴史は一切ないw 妄想を書き散らかすなよ

953 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 17:02:14.40 .net
ハザール国 7世紀から10世紀の遊牧民国家 ww  渡来秦氏と全く、完全に関係なし
>>945 は頭おかしい

954 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 18:40:45.73 .net
>>948
ヤハウェ以外を崇拝してたらユダヤ人じゃないのでは?

955 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 22:19:54.16 .net
ユダヤ教以外の宗教信仰したらユダヤ人じゃないなw

956 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 22:48:23.40 .net
ソグド人ならテュルク系言語を話してもユダヤ教の影響を受けたマニ教を信じてても
おかしくはないからまだ話はわかるんだがなあ

957 :日本@名無史さん:2019/07/29(月) 22:52:16.95 .net
ソグド人なら旅人と称されるのも納得がいく

958 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 00:47:11.60 .net
>>951
な〜んもわかってないな。
現在、信心フリーの日本で一神教がどんだけシェアもってるのよ。
それみても分かるだろう。
一神教のユダヤ教が当時の日本で生き延びようと思えば、地下に潜るよりなかったのよ。
そして、表の顔は普通の多神教を看板にしたわけ。
別に秦氏がそのような選択したんだから、それでいいじゃないかよ。

959 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 00:55:30.29 .net
>>952
アナトリアの改宗ユダヤ人が、8世紀頃にカスピ海北部のハザールへ移住したのは事実だからな。
ギリシャ人は、元々交易業者が多い。
そのギリシャ人がアナトリアの黒海沿岸へ移住して、街をつくったのも事実。
ペルシャ人の交易業者もこの街へ移住した。
そうした交易人がカザフ平原へ交易で進出したのよ。
カザフ平原の人民らが西方の貴重材をどっさり持っていたのも事実。
だれがその貴重材を運んだのか、考えたら分かるだろう。

960 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 01:01:32.53 .net
隠れユダヤ教徒は、いくらでもいた。
近現代でも、ヨーロッパでキリスト教徒として暮らしていたが、じっさいにはユダヤ教徒だったという人はたくさんいたよ。

961 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 01:59:46.30 .net
>>956
ソグド商人が東西交易の主役に登場するのは4世紀以降。
弓月氏が渡来するのは4世紀後半。
なので、ソグド商人が勢力を張り始める前が問題の時期になる。
その時期はバクトリア商人が東西交易で幅を利かしていた。
このバクトリア商人はギリシャ系なので、弓月氏と比べるならこのバクトリア商人が適当。
しかし、弓月国があったのはこのバクトリア商人がいたバクトリア地方よりももう少し北のタリム盆地なので、弓月氏とバクトリア商人を結びつけるのは気が進まない。
第一、このバクトリア地方ではギリシャ語、その後はイラン系の言葉が用いられた。
トルコ語は影が薄い。
やはり、弓月氏は、バクトリアやソグドよりももう一つ北のカザフ平原からアルタイ山脈の古シルクロードの交易者の系譜だったと思う。

962 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 02:15:43.52 .net
それで?

963 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 03:23:20.81 .net
現在のトルコ語を話すチュルク族は、元々はアラル海の北の広大な平原地帯にいた。
この部族が10世紀ころから南下してイスラム化し、現在のトルコ国などに住むようになった。
したがって、4世紀頃にはカスピ海の北部からアルタイ山脈付近までの古シルクロードの広大な地域の西側半分あたりが現在のトルコ語を話す部族が住んでいた地域になる。
4世紀後半の弓月氏が現代のトルコ語と類似する言葉を話す渡来人であったとすれば、この古シルクロードにおいてその言語を習得したことが考えられる。
つまり、アラル海の北の東西交易路に近いのは、カスピ海北の平原地帯であり、ここから東行してトルコ語地帯へ入ったと想定するのが妥当だ。
そうすると、そのカスピ海の北地帯はトルコアナトリアの黒海沿岸からは目と鼻の先に位置しており、そこにはハザール地帯がひろがっているわけで、
8世紀にはギリシャ系・ペルシャ系の改宗ユダヤ教徒が移住してハザール王国をユダヤ教に改宗させるきっかけをつくったことでも分かるように、
普通に交易路がアナトリアからカスピ海の北地帯につながっていたことが理解できる。
こうしたことから、弓月氏の先祖の改宗ユダヤ教徒がアナトリアから北へ交易に出て、ハザール地域からアラル海北のチュルク族の地帯を東へ進み、
同じチュルク族が住むアルタイの南のタリム盆地へと進んだと考えることは可能になる。
秦氏がトルコ語を話す改宗ユダヤ教徒であったと考えることは、荒唐無稽な話ではないのである。
そして、現に、秦氏の周辺はユダヤ教の色彩が濃厚にあり、その色彩をトルコ語によってリアルに炙り出すことができるということなのだな。

964 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 08:42:57.44 .net
>>958 >>963
一神教のイスラム教やキリスト教なら改宗しなければ虐殺されたから改宗してたんだよ
縄文時代から和の精神があった日本でそんな状況はない
お前はユダヤ教やイスラムなど一神教の厳格さを知らないからそんなアホなこと言ってるけどな

秦氏がやったように自分から手を上げて仏像を受け取り拝んだり仏教寺をあちこちに建てまくる理由なんかあるわけない

仏像や狐霊を拝むギリシャ系でトルコ語を話すユダヤ教徒?w
ないない 

お前は全く論拠となる論文なども示さない 自説の主張の仕方も知らない学のない低能が妄想を喚いてるだけ
そもそも秦氏系の豪族は長く生き残ったが、どこにトルコだのユダヤ教徒だのを証明する物証があるんだ 一切ないわw

965 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 08:43:56.25 .net
>>956
ソグドとかイラン系ならそうなんだけど こいつらはなんでもユダヤ・ユダヤだからw

966 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 08:52:34.73 .net
>>958
だったらユダヤ人だとお前が言うところの秦氏が始めたお稲荷さん信仰はどう説明するんだ?w
狐信仰なんか大王家を始め、どこの有力氏族もやってなかったことだぞ
どう説明するんだよ 飛鳥昭雄みたいな妄想家さんwww

967 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 08:54:22.53 .net
ユダヤ人がアレクサンドリアなどでユダヤを遥かに上回る水準のギリシャ文化に傾倒し転向したりローマ市民になったりキリスト教徒になってしまった記録はなんぼでも残ってる

このアホはギリシャ人がユダヤ教に改宗したとかほざいてるが、そんな離散したユダヤ人の宗教に改宗した国が(秦氏が日本に渡った)4世紀まで待っても世界史上のどこであったというのか?w
ユダヤ人が狐を拝んでましたwとかどう説明すんの?w

妄想を巻き散らかすのもいい加減にしてもらいたいわけよ

968 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 12:47:53.92 .net
>>964
仏像や狐霊は、営業。

広隆寺の「いさら井」→エルサレムの井戸=シロアムの池。
エルサレムのトルコ語読み→yerusalim(イェルサリム)→いさら
シロアムの池はユダヤ人の聖池で、エルサレム防衛の象徴。
広隆寺のある太秦一帯をエルサレムに擬しているわけ。
それが「いさら井」の意味。

わかるかなあ〜、わからね〜だろうな〜。

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