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秦氏など渡来人のルーツは?

963 :日本@名無史さん:2019/07/30(火) 03:23:20.81 .net
現在のトルコ語を話すチュルク族は、元々はアラル海の北の広大な平原地帯にいた。
この部族が10世紀ころから南下してイスラム化し、現在のトルコ国などに住むようになった。
したがって、4世紀頃にはカスピ海の北部からアルタイ山脈付近までの古シルクロードの広大な地域の西側半分あたりが現在のトルコ語を話す部族が住んでいた地域になる。
4世紀後半の弓月氏が現代のトルコ語と類似する言葉を話す渡来人であったとすれば、この古シルクロードにおいてその言語を習得したことが考えられる。
つまり、アラル海の北の東西交易路に近いのは、カスピ海北の平原地帯であり、ここから東行してトルコ語地帯へ入ったと想定するのが妥当だ。
そうすると、そのカスピ海の北地帯はトルコアナトリアの黒海沿岸からは目と鼻の先に位置しており、そこにはハザール地帯がひろがっているわけで、
8世紀にはギリシャ系・ペルシャ系の改宗ユダヤ教徒が移住してハザール王国をユダヤ教に改宗させるきっかけをつくったことでも分かるように、
普通に交易路がアナトリアからカスピ海の北地帯につながっていたことが理解できる。
こうしたことから、弓月氏の先祖の改宗ユダヤ教徒がアナトリアから北へ交易に出て、ハザール地域からアラル海北のチュルク族の地帯を東へ進み、
同じチュルク族が住むアルタイの南のタリム盆地へと進んだと考えることは可能になる。
秦氏がトルコ語を話す改宗ユダヤ教徒であったと考えることは、荒唐無稽な話ではないのである。
そして、現に、秦氏の周辺はユダヤ教の色彩が濃厚にあり、その色彩をトルコ語によってリアルに炙り出すことができるということなのだな。

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