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卑弥呼
- 1 :日本@名無史さん:2012/05/21(月) 21:25:29.35 .net
- 前スレ:♪邪馬台国ドンと来い♪113
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1332112280/
よし書きこめ
ビシッ / ̄ ̄ ̄ ̄\
/ ̄\.( 人____)
,┤ ト|ミ/ ー○ ー ○
| \_/ ヽ (_ _) )
| __( ̄ |∴ノ 3 ノ
| ___)_ノ ヽ ノ
ヽ__) ノ )) ヽ
- 93 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 01:27:35.63 .net
- ↑孔子学院 華南ブタ広鼻半ニグロ
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- 94 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 03:23:03.88 .net
- >>93の在日ヒトモドキは執拗に玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを流布して回っていますが、同遺跡は意図的に炭素年代測定を行わないまま埋め戻された程度の価値しかありません。
1999年に学術論文「ウルサンムゴドン オクヒョン遺跡」(イ・サンギル、イ・ヒョンソク、ガク・ジョンチョル共著)が発表されて以来20年以上も研究対象になっていない遺跡です。
同論文に在日ヒトモドキが言うような紀元前15世紀や紀元前11世紀などという記述は皆無な上、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社に売却され既に「文殊中学校」になっていると明記されています。
加えてウルサン市の公式サイトには、玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の地は大韓住宅公社運営の「オクヒョン第二住公アパート」になっていると明記されています。
本国ですら正確な位置を把握していないという無価値さを証明するように玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡を示す記念碑はこの地球上に存在すらしていません。
そもそも玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡のウソを始めたのは元国立歴史民俗博物館の藤尾慎一郎氏ただ一人であり、そう主張した2019年に同氏は副館長から一般研究員に降格しました。
よって突如として玉峴(オクヒョンorオクキョン)遺跡の水田遺構が日本最古の水田遺構より古いという主張は、中国における玉蟾岩土器を模倣した悪質な反日愛国行為としてすでに韓国歴史学の恥部となっています。
にも関わらず、在日ヒトモドキは学術論文や行政の発表という現実から逃げ回り、
グーグル地図うんぬんやら国の研究機関の公表だとホラを吹き、
中国共産党への被害妄想に嵌まり込むという醜態を繰り返すしか能のない
賤しくも憐れな無能生物なのです。
グ ー グ ル 地 図 う ん ぬ ん や ら
国 の 研 究 機 関 の 公 表 だ と
ホ ラ を 吹 き 、
中 国 共 産 党 へ の 被 害 妄 想 に
嵌 まり 込 む と い う 醜 態 を
繰 り 返 す し か 能 の な い
賤 し く も 憐 れ な 無 能 生 物な の で す。
グ ー グ ル 地 図 う ん ぬ ん や ら
国 の 研 究 機 関 の 公 表 だ と
ホ ラ を 吹 く こ と で 精 神 勝 利 を 画 策 す る
惨 め な 無 能 生 物が>>93です。
- 95 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 11:07:57.26 .net
- /)
///)
/,.=゛''"/ 朝鮮ヒトモドキの言うことなんて
/ i f ,.r='"-‐'つ____ テキトーに完全論破しときゃ良いんだよ
/ / _,.-‐'~/⌒ ⌒\
/ ,i ,二ニ⊃( ●). (●)\
/ ノ il゛フ::::::⌒(__人__)⌒::::: \
,イ「ト、 ,!,!| |r┬-| |
/ iトヾヽ_/ィ"\ `ー'´ /
- 96 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 13:15:15.84 .net
- 狗奴国の男王卑弥弓呼と邪馬台国の女王卑弥呼とは一字違い、狗奴国の男王は狗古智卑狗
である、と言うのもあるが?
- 97 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 14:43:51.87 .net
- .
◆長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。
「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。
http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
ところが、縄文末に渡来した弥生人は龍信仰を伝えませんでした!
.
- 98 :日本@名無史さん:2021/01/03(日) 15:37:23.30 .net
- >>97
∩_
〈〈〈 ヽ
____ 〈⊃ }
/⌒ ⌒\ | |
/( ●) (●)\ ! !
/ :::::⌒(__人__)⌒:::::\| l
| |r┬-| | / < 反日教育に洗脳された
\ ` ー'´ // 哀れな在日ヒトモドキ
/ __ / まるだしで草wwww
(___) /
- 99 :日本@名無史さん:2021/06/17(木) 12:19:41.70 .net
- すだれ「オラ英語わがんね」
- 100 :日本@名無史さん:2021/08/15(日) 22:45:11.49 .net
- 速報 ;邪馬台国(山門国、ヤマト国;近畿に存在せず)
@女王国 東渡海千余里 複有国 倭種(近畿に女王国無)
A卑弥呼;鬼道で怪しく広く民を惑わす人物。日巫女;天照大御神か。
Bしかし、歴史的に特筆すべき人物なので、1筆記すか。(陳寿)
C例;2000年後、全デーダ消滅して、年262安打、60本塁打、10勝(イチロー、大谷混同されるかも)
- 101 :日本@名無史さん:2021/10/12(火) 18:19:54.23 .net
- 伊都国(九州北部)王=ホオリ(卑弥○呼?)
邪馬台国(九州中部)女王?=ホスセリ(卑弥呼)
狗奴国(九州南部)王=ホデリ(卑弥弓呼)
- 102 :日本@名無史さん:2021/10/12(火) 22:07:07.22 .net
- 卑弥呼の本名は日巫女
- 103 :日本@名無史さん:2021/10/13(水) 08:34:13.10 .net
- 卑弥呼(Bei mei hu)とは比桃@(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、つまりヒメ后である。
I崇神(310年頃 318年没)
H開化
G孝元
F孝霊
トヨ津媛 E孝安 D孝昭
トヨ津媛 (250年頃) C懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 B安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后 A綏靖
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) @神武
- 104 :太国 :2021/10/13(水) 10:13:49.23 .net
- 八幡愚童訓
黄龍2年=230年=開化48年
千葉歴博考古班の箸墓測定結果
240年〜260年
班測定年代と百襲媛の生存年代を考えさらに訓の年代とからみて双方不合理がない。
これから 崇神没年=258年 が固まる。
このことは卑弥呼が神武の代でなく、訓の開化48年から卑弥呼は崇神の代だと
確定する。ということは、百襲媛が畿内の女性だから、同年代ころ卑弥呼は
九州の女性だったとわかる。よって倭人伝の南下の指示記述は東方行きの畿内で
ないことから、畿内説がデタラメだと発覚する。ちゃんと伝のいうとおり南下
すればいいわけだ。
それに57年金印の側面に「常根津日子命」の名があることから、57年と命の生存
のころを考察すると、訓と班の年代とほぼ合っていて不合理はない。
- 105 :日本@名無史さん:2021/10/13(水) 10:26:30.44 .net
- >八幡愚童訓
>黄龍2年=230年=開化48年
お花畑板に帰れ。
- 106 :太国 :2021/10/13(水) 13:22:08.57 .net
- 紀無い説はもう年愚の納め時の盲象キング論。w
- 107 :日本@名無史さん:2021/10/13(水) 14:43:43.53 .net
- 卑弥呼さまと天皇さまは家で繋がっていないが、国としては繋がってるからな。
- 108 :太国 :2021/10/13(水) 15:04:10.64 .net
- だから東方に行かないで、伝のいうとおり南下すればいいわけだ。
おまけに神武の皇后は夫がいたんだから、独身でないから卑弥呼には
なり難い。こういうふうにおかしいので伝では結婚の前の時期にして
盲象を頑張っている。南下を東に行かせて、これで合ってるわけがない。
八幡愚童訓の内容は開化48年が230年だから、卑弥呼が神武の皇后で
ないことが自明だし、57年の金印の側面にある常根津日子命は安寧の皇子だから、
ここから後代の開化48年の年代間隔に不合理がない。
それに千葉歴博考古班の箸墓測定年代が240年〜260年で、これも孝霊の皇女での
年代とも不合理はない。となれば開化48年が230年から崇神元年が237年となり、
これはこの年が景初元年に相当してくる。景初3年が崇神の代の初期ころで、
卑弥呼が崇神の代だったと確認できる。すると崇神没年は258年説だと合理的
であり、318年説は成立しない。60年も多く生きてたとは考えにくい。
百襲媛と卑弥呼はほぼ同年代の女性であって、前者は畿内後者は九州にいたと
考えてしっくり合う。
- 109 :日本@名無史さん:2021/10/13(水) 15:19:02.75 .net
- 土蜘蛛っていうのは住み家を壊され、山に逃げて洞窟暮らしをしてる様から名前を付けられたんだろうね。
- 110 :日本@名無史さん:2021/10/13(水) 15:23:12.58 .net
- 欠史八代は後世の創作によるものと見られ、
実在した可能性は学術的にはほぼ無いとされる。(ウィキペディアより)
即ち欠史八代の人物達は神武天皇以前の神話に登場する人物達である可能性が高い
そうなると神武天皇=崇神天皇か日本武尊辺りにずれ込む必要がある
- 111 :太国 :2021/10/13(水) 15:26:28.51 .net
- 創作だという根拠は? 津田病患者からか?
- 112 :日本@名無史さん:2021/10/13(水) 15:40:30.32 .net
- ニニギ=神武天皇
天孫降臨=神武東征(高天原から東の葦原中国へ)
- 113 :太国 :2021/10/13(水) 15:40:36.36 .net
- 金印側面に安寧の息子の名があるんじゃ、安寧が架空とは飛躍の考え。
それに8代分くらいの天皇を増やす動機もない。
神武の事績は各地にけっこうあるし8代間の天皇関係の神社もかなりある。
とうことは、架空にするにはこれら事績と神社関係者の意思疎通の天皇捏造の
共犯的工作がなければならず、各事績も各神社も当時新幹線も航空機もなく、
これでは架空つくりの意思疎通は不可能に近いし、やるとすれば狼煙か伝書鳩
しか遠隔を埋める速達可能な連絡方法はありえない。だからこれら事績神社の伝承
由緒は各々独立性があって、相通じさせることは不可能に近い。
つまり神武から崇神までの記紀の記述に架空は成立しないと見て可である。
- 114 :日本@名無史さん:2021/10/13(水) 17:10:03.31 .net
- 常根津日子命=天津日子根命
- 115 :太国 :2021/10/13(水) 17:31:55.52 .net
- 常根津日子命≠天津日子根命
- 116 :日本@名無史さん:2021/10/13(水) 17:38:51.77 .net
- >>113
その事績って社伝?風土記?
- 117 :太国 :2021/10/13(水) 17:46:47.49 .net
- 前者のほうだな。いくらでもあるようだ。
だが、こんなのはどうだ。
鹿児島史官記録
「懿徳天皇御宇、薩摩国開聞岳湧出出。」
- 118 :日本@名無史さん:2021/10/13(水) 23:10:07.63 .net
- 倭国大乱=海幸山幸
伊都国王=火遠理命、卑弥呼=豊玉姫命、台与=玉依姫命
奴国王?=宇都志日金拆命、卑弥呼弟=振魂命、狗奴国王=火照命
倭人伝に記載されている「有男弟佐治國」の部分は
一般的には弟が邪馬台国を補佐していたと解釈されているが
各国の補佐は官が行っていた可能性がある。
邪馬台国にも官(伊支馬)がいたので弟も補佐をしていたとは考え難い
後は佐治国という国が存在し、そこに弟がいるという解釈である
因幡国(鳥取県)には佐治郷(鳥取市付近)という地名があったので
当時は因幡国=佐治国とも呼ばれていたと仮定すると
因幡国の尾張氏を名乗る一族の祖が振魂命であったと推測できる
因みに愛知県方面の尾張氏祖は天火明命とされている
- 119 :太国 :2021/10/14(木) 08:19:16.92 .net
- >>118
卑弥呼を神武以前に考えるのは間違い。だからはずれだね。
金印の側面に「常根津日子命」の名があったとなるとこのころはA.D.57年だから
安寧の皇子が命だから卑弥呼が神武以前でないことになる。
卑弥呼の活動年代に239年(景初3年)がはっきりしてるから、以上から卑弥呼が
豊玉姫ということとはならない。
- 120 :日本@名無史さん:2021/10/14(木) 08:28:47.99 .net
- 三国志東夷伝倭人の条通称魏志倭人伝の記述によれば
3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ
ところが日本書紀・古事記では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い
「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレヒコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレヒコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく
- 121 :太国 :2021/10/14(木) 08:31:41.97 .net
- 九州の国生みでは四面全部に『別』の字をつけて半島大陸と別もの
だとはっきり古事記に記述がある。
筑紫國 白日別
豐國 豐日別
肥國 建日向日豐久士比泥別
熊曾國 建日別
日本は大陸半島とは『別』ものの国なのだ。
神国日本は全世界の別格の国である。
黄金の国神国日本と半島の世界第参位の人参民族とは同等ではない。
半島は参位の銅メダル国家であって、黄金の国ジパングの金メダル国家
とは完全に別ものなのだ。それゆえ神国日本は萬邦無比の國體を誇るのである。
半島は銅級国家だからあのブスの銅像を各地に設置して銅だと
自認してるのさ。w
金メダル国家がこの神州であるからして、天意は日本に邪馬1国の
世界第1位の国家を置いてるのである。
したがって太古の日本人が半島から来たのではない。こちらの神国日本が半島の
ご本家だ。ご本家だから日本の国号に『本』の字がつくのだ。
- 122 :日本@名無史さん:2021/10/14(木) 16:20:43.99 .net
- 欠史八代=日向三代
- 123 :太国 :2021/10/14(木) 16:27:09.33 .net
- 欠史八代≠日向三代
神武≠崇神
- 124 :日本@名無史さん:2021/10/14(木) 21:25:05.02 .net
- 欠史八代は国津神系列による本州が舞台の弥生時代
日向三代は天津神系列による九州が舞台の弥生時代
- 125 :日本@名無史さん:2021/10/15(金) 14:56:54.00 .net
- >>119
金印に常根津日子命って池田仁三の画像解析本しか出てこないけど
まさかそれだけを鵜呑みにしてる訳じゃないよね?
少なくとも漢委奴国王印のウィキペディアには常根津日子命の名は
一切出てこないから正式なもんでもないんだろうし
他人の意見を否定できる程の内容ではない
そもそも金印に関しては諸説あるから確定証拠にはならない
- 126 :日本@名無史さん:2021/10/16(土) 13:23:05.85 .net
- 【珍説・奇説】倭は阿波をぶった切る!
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1634172197/
邪馬台国は阿波。
神武東征は阿波市→鳴門市!?
総距離40km弱 クッソ笑える!
- 127 :日本@名無史さん:2021/10/16(土) 13:28:00.73 .net
- >そもそも金印に関しては諸説あるから確定証拠にはならない
確定したものを認めたくない場合に、
反論が一つでもあれば、「諸説あるから確定証拠にはならない」
と主張することができる、
なんて馬鹿な話はないのだよ。
- 128 :太国 :2021/10/16(土) 14:17:11.97 .net
- 金印が捏造ならば、こんな名を百姓らかその知り合いが側面に刻むわけがねえ
わけさ。百姓なんかあまり文字を読めなかっだろうから、熱象ならばそんな文字
を入れっこねえし、お上も馬鹿でねえからインチキならばたやす見破るだろうが。
だいいち黄金でできてるんだから、これだけの金でカネの代用になろうに、そんな
死罪になるような熱象でおろかな真似はまあしないだろう。
同側面文字が出てきて、秩父原人のイカ様だとかアンポン先生のつついた津軽文献
の偽造だという大騒ぎも仁三氏のでは殆どなく、考古界の騒ぎもないようだ。
要するにこの文字で彼らの各説の間違いが発覚するから、シーンとして
腫れ物に触らぬよう放置して自説の盲象を知られないため沈黙を通して
いるのだろう。ww
この文字が八幡愚童訓の 開化48年=黄龍2年=230年 と適合しており、
さらに千葉歴博考古班の 240年〜260年 との年代とも適合していて不合理
は見られない。上の等号から 景初3年=239年 が開化の次代の崇神の初期で
黄龍2年の9年後だったと判明する。だから卑弥呼は崇神の代に百襲媛とほぼ
同年代で、卑弥呼は九州、媛は畿内の女性だったと明確になるのだ。
卑弥呼が崇神の代でないのはますますはっきりしてきたわけだ。
- 129 :日本@名無史さん:2021/10/16(土) 14:28:50.98 .net
- 刻まれてるかどうかも分からないって話なんだが…
もしかして太国=池田仁三?
- 130 :太国 :2021/10/16(土) 14:30:14.65 .net
- なにを言ってるんだ?
仁三氏は故人だろうが。
- 131 :日本@名無史さん:2021/10/16(土) 14:39:22.94 .net
- 大国は失せろ、邪魔。
迷惑。
- 132 :太国 :2021/10/16(土) 14:44:04.60 .net
- >>131
観念しろ。もう卑弥呼が神武の代でないことは上のコチラの書き込みから
明確になった。
- 133 :日本@名無史さん:2021/10/16(土) 16:33:52.03 .net
- 三国志東夷伝倭人の条通称魏志倭人伝の記述によれば
3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ
ところが日本書紀・古事記では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い
「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレヒコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレヒコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく
- 134 :太国 :2021/10/16(土) 16:48:55.83 .net
- 当時の入れ墨人間は外国へ生かすべき倭人の中の分派末端。
いまでも893とかがいて、まずい連中がそころもいておかしくない。
つまり半島行きの倭人が混合血液候補。
だから外国の「外」はタとトでの構成。日本から外国行くべき連中。ただ天皇は
ハーフではない。
九州の国生みでは四面全部に『別』の字をつけて半島大陸と別もの
だとはっきり古事記に記述がある。
筑紫國 白日別
豐國 豐日別
肥國 建日向日豐久士比泥別
熊曾國 建日別
日本は大陸半島とは『別』ものの国なのだ。
神国日本は全世界の別格の国である。
黄金の国神国日本と半島の世界第参位の人参民族とは同等ではない。
半島は参位の銅メダル国家であって、黄金の国ジパングの金メダル国家
とは完全に別ものなのだ。それゆえ神国日本は萬邦無比の國體を誇るのである。
半島は銅級国家だからあのブスの銅像を各地に設置して銅だと
自認している。w
金メダル国家がこの神州であるからして、天意は日本に邪馬1国の
世界第1位の国家を置いてるのである。
したがって太古の日本人が半島から来たのではない。こちらの神国日本が半島の
ご本家だ。ご本家だから日本の国号に『本』の字がつくのだ。
天皇は萬世一系である。そして全世界の統帥権は大元帥陛下にある。
- 135 :太国 :2021/10/16(土) 16:51:41.66 .net
- タとトはタトーで、刺青者は外国人への候補。
工作員がハーフと叫ぼうと
内地の天皇はハーフではなれない。神武は半島人ではなれない。
- 136 :日本@名無史さん:2021/10/16(土) 19:17:11.41 .net
- それはそうだが逆はなれるから。
- 137 :太国 :2021/10/16(土) 20:41:04.22 .net
- 天皇にはタトゥー入れや黒人とか、蛮族とか、なれないのさ。
外国人の「外」はそのタとトの字の構成なのはそのためだな。
だからハーフだと天皇にはなれない。
- 138 :日本@名無史さん:2021/10/16(土) 21:10:34.29 .net
- 邪馬台国が九州内だとするとかなり絞られる
卑弥呼の鬼道と呼ばれていたものは恐らく天道であり
鬼道と呼ばれた五斗米道のように米を寄進していた可能性がある
実際に天道信仰は念仏を唱え作物の豊作を祈願していた
日本における天道信仰の起源は対馬にも残る太陽感精神話である
これは太陽の光が女性の陰部に差し込んで孕むというものである
ここで言う太陽とは即ちアマテラスであり、天津神系列を意味する
実際に九州でこの天道信仰を行っていたのはワタツミ系列である
スサノオ系列も国津神ではあるが根の国(島根)が拠点である
信仰の基盤となるのは母子神で、巫女である女性が祈祷を行う
即ちワタツミ系列の巫女に値するのは豊玉姫と玉依姫のみである
神武天皇以降は本州が舞台であり、欠史八代を踏まえても考え難い
- 139 :日本@名無史さん:2021/10/16(土) 21:24:40.86 .net
- 根の国(島根)、の考古学的根拠は?
- 140 :日本@名無史さん:2021/10/16(土) 22:00:39.78 .net
- スサノオが根の国に降り立った時に出会ったのが出雲拠点のオオヤマツミの子孫
- 141 :日本@名無史さん:2021/10/17(日) 07:44:44.42 .net
- 出雲拠点のオオヤマツミ、の考古学的根拠は?
- 142 :日本@名無史さん:2021/10/17(日) 13:11:22.65 .net
- 出雲が拠点だったのはオオヤマツミの子孫である足名椎命と手名椎命
オオヤマツミ系列に関しては記述が乏しいので憶測にはなるが
天孫降臨でニニギが日向に降り立った時に出会ったのがオオヤマツミの娘である
木花之佐久夜毘売なので、南九州を拠点にしていた可能性がある
当時スサノオや天忍穂耳命が葦原中国(九州)に行きたくなかった本当の理由は
北九州のワタツミと南九州のオオヤマツミが争っていたからと推測する
因みにニニギの子であるホデリやホオリの別名(海幸山幸)は逆の可能性もある
火照命(ホデリ)は火が明るくなるという意味であり、野や山を意味する
火遠理命(ホオリ)は火が遠のくという意味であり、水や海を意味する
ホデリ=卑弥弓呼だとすると、釣針ではなく山を得意とする弓矢に当てはまる
(神話上ではホオリと交換しているので、返していない状態だとすると逆ではない)
ホオリは何らかの理由でワタツミの拠点である北九州に出向き、豊玉姫を娶っている
天津神絡みの影響で南北の争いがより激化し、倭国大乱にまで発展した可能性がある
オオヤマツミ系列も天道信仰を行っていた可能性はあるが
記述が少なかったり、魏志倭人伝の内容も北九州をメインに記載している事から
卑弥呼に関連する可能性は低いと推測する
- 143 :日本@名無史さん:2021/10/17(日) 13:49:55.86 .net
- それは文献の解釈であって、考古学的根拠ではないな。
- 144 :日本@名無史さん:2021/10/26(火) 23:07:42.92 .net
- そもそも「卑弥呼」という名称はどういう語彙名称意味を持っている語彙なの?
- 145 :日本@名無史さん:2021/10/27(水) 16:37:47.53 .net
- 恐らくヒミコは毘売とか姫とか妃とか巫女の意味で王族の妻や娘という意味
だからヒミコは人物名ではなく身分の名称の可能性が高い
- 146 :日本@名無史さん:2021/10/27(水) 20:48:30.14 .net
- 邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1601445951/l50
- 147 :日本@名無史さん:2021/10/28(木) 03:44:49.38 .net
- 火味股
股間が熱い
- 148 :日本@名無史さん:2021/11/03(水) 17:01:02.54 .net
- 伊邪那岐や伊邪那美の「伊」は神様を呼び寄せる聖職者、即ち「巫」を表す漢字である
伊都国や伊豆毛国のように、国名に伊を使用するのもこの影響とされる
古代日本では邪馬台国の卑弥呼が巫女だったと考えられている
また、ヤマト王権でも代々、巫女たちが国家権力の一部になっていたとする見解もある
このように、祭政一致の古代においては、巫女が政治に参画していたとする説がある
- 149 :日本@名無史さん:2021/11/11(木) 22:20:16.57 .net
- 卑弥呼の後継者である臺與は伊予という意味らしい
- 150 :日本@名無史さん:2021/11/24(水) 20:42:26.55 .net
- 九州北部を支配していた海神族は南部の山神族を倒す為に天神族に助けを求めた
ニニギの目的は葦原中国(九州)の邪鬼を退治する事であった
邪鬼とは邪馬台国の鬼道とも捉えられる
仮に邪馬台国が山神族の拠点で、熊本付近にあったとすると
宮崎から出発したニニギは、九州山地を迂回する為に鹿児島を経由した
しかしそこで山神族の娘を娶ったので、ニニギは山神派になった
大陸の魏と交流していたのは九州北部の海神族であり
山神族の国名や人物名の漢字を劣等的なものに変更していた可能性は高い
- 151 :日本@名無史さん:2021/11/25(木) 15:40:52.79 .net
- 卑弥呼=火御子、卑弥弓呼=火御弓子
御子=皇子、御弓子=皇太子
皇太子の「太」とは強さや地位、権力を意味しているので
古代では神事にも使用されていた弓を当てはめていた可能性がある
即ち卑弥呼は卑弥弓呼よりも地位が低かったと推測する
火とは天忍穗耳尊の子孫に当てられた漢字であり
火国(肥国)との関連性を示唆する
海神の領土である倭奴国と山神の領土である狗奴国から推測すると
邪馬台国と狗奴国との関係性は密接なものであり
邪馬台国が何らかの理由で海神の支配下になった可能性がある
仮に卑弥弓呼がホデリだとすると、卑弥呼はホオリと推測する
邪馬台国も元々は男性の王であったとされているので
権力を握っていた卑弥呼の弟とは、夫であるホオリの可能性がある
これは他の目線で見ると、女性に仕える男性が夫のはずがない
という思考となり、弟と誤解した可能性がある
- 152 :151:2021/11/26(金) 18:20:10.17 .net
- 訂正:卑弥弓呼=火御狗子
「ひみここ」ではなく「ひみくこ」であり、狗奴国の天皇という意味かもしれない
御と子の間に入れるのは皇太子と同じ意味で、狗奴国の第一継承者という意味
因みに皇太子の「太」とは、太陽王朝(天孫系)という意味も兼ねている
- 153 :日本@名無史さん:2021/11/27(土) 15:43:49.62 .net
- ストーリー
元々邪馬台国(熊本市)は隼人(山神)の国で、後から来た倭人(海神)に奪われた
倭人は本州にも勢力を伸ばしていたので、隼人を上回る規模の部族となっていた
しかし隼人の拠点である狗奴国(人吉市)は地形的に制圧するのが難しかったので
交流又は繋がりのあった天皇(天神)の力を借り、ニニギが上陸した
ニニギは狗奴国を制圧し隼人の姫(木花之佐久夜毘売)を娶った
ニニギの長男であるホデリを王とし、次男であるホオリを邪馬台国に派遣した
ホオリは邪馬台国を制圧し、倭人の姫(豊玉姫)を娶った
卑弥呼(火御子)とはホオリで、卑弥呼とされていたのは豊玉姫である
ホデリとホオリは兄弟ながら隼人派と倭人派で対立したので
それを治める為に姉御肌の豊玉姫がホオリを説得した
ホオリは兄のいる弟で、豊玉姫は弟のいる姉なので姉弟にも見えた
実際の豊玉姫の弟である宇都志日金拆命は伊都国の王であったと推測する
邪馬台国を受け継いだ台与は、宇都志日金拆命の娘の玉依姫である
- 154 :日本@名無史さん:2021/11/30(火) 23:49:09.52 .net
- 倭人伝に記載されている「有男弟佐治國」の部分は
一般的には弟が邪馬台国を補佐していたと解釈されているが
佐治国という国が存在し、そこに弟がいるという解釈もある
補佐という意味では、一大率である伊都国の王が宇都志日金拆命
佐治国という意味では、因幡国の佐治郷にいた尾張氏の祖である振魂命
何れにせよ、彼らを弟に持つ豊玉姫が邪馬台国の女王であったと推測する
- 155 :日本@名無史さん:2021/12/03(金) 20:40:38.40 .net
- 千葉県の印西市には二つの火皇子神社がある
一つはカグツチを祀る「ひめこじんじゃ」で
もう一つはホオリを祀る「ひのおうしじんじゃ」である
火皇子はヒミコとも捉えられるので
古来から火皇子という名称が存在していた可能性がある
古来の東国では卑弥呼の鬼道に似た天道が盛んであった
鬼道とは道教の一種であり、太陽神即ち天皇を信仰するものである
天道も天皇信仰を起源とした五穀豊穣を祈願する宗教である
古代の稲作文化は延喜式出挙稲数によると常陸国や肥後国で特に多いので
この付近で鬼道や天道のような天皇信仰を基点とした
巨大な稲作文明が存在していた可能性がある
- 156 :日本@名無史さん:2021/12/04(土) 18:47:32.34 .net
- 卑弥呼の鬼道は道教の五斗米道であった可能性が高い
豊玉姫の家系であるワタツミは「豊」を象徴し、豊国を拠点としていた
この「豊」とは恐らく、五斗米道の指導者である張魯の出身地で
徐州市豊県の「豊」から来ている可能性がある
五斗米道は天師道とも言い、後の日本で広まった天道の起源と推測する
- 157 :150〜157:2021/12/07(火) 18:22:12.54 .net
- 結論
初代卑弥呼(火皇子)=ホオリ
卑弥呼=トヨタマヒメ
台与=タマヨリビメ
卑弥弓呼(火皇狗子)=ホデリ
豊国&筑紫国=ワタツミ領土
肥国&熊襲国=ヤマツミ領土
倭奴国=福岡市
邪馬台国=熊本市
狗奴国=人吉市
- 158 :太国 :2021/12/07(火) 18:36:32.96 .net
- 神武以前に卑弥呼を合わせると、後代の天皇の在位期間がスシ詰めに
なるから不合理。
- 159 :日本@名無史さん:2021/12/07(火) 22:45:41.49 .net
- 山東省を拠点としていた道教を基盤に、豊国が豊県由来とする説の他、筑紫国にも説がある
筑は古代中国の打弦楽器で、「戦国策」には斉国の人々が演奏していたという記述がある
紫は古代中国では下位の色であったが、道教では尊み天帝の住まうところを紫宮などと呼んでいだ
これらを踏まえると、筑紫国も山東省付近の文化を起源とした地名の可能性が考えられる
もしかすると邪馬台国やヤマト等も山東由来の地名である可能性も考えられる
- 160 :太国 :2021/12/07(火) 23:01:10.87 .net
- 中国は水銀国家であってそのシナは世界第4位〜7位九のの民族。
邪馬1国は世界第1位の黄金の国の民族国家であって、あっちとは別。
1≠4.〜7
- 161 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 19:19:10.12 .net
- 中国語だと卑彌呼はhimikoではなく、beimihuと読む
つまり漢字の読みに意味は無く、漢字そのものに意味がある
しかしその意味にも深い意味は無く、感情的な意味が殆どである
当時中国と敵対していたモンゴルや朝鮮、日本などの名称を
劣等なものにしただけで、本来の名称とは全く無関係である
- 162 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 19:27:36.94 .net
- 敵対してたら金印とか黄鍾とか貰えないでしょうよ
大丈夫か
- 163 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 19:38:54.72 .net
- 漢委奴国=漢に委ねた奴隷の国
金印なのは漢の権力を象徴する為である
- 164 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 19:49:58.20 .net
- 高句麗の五族もうち四つが〇奴部。
積石墓など考古学的共通点も多い。
- 165 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 20:13:07.02 .net
- 匈奴(悪い、奴隷)、鮮卑(煩い、下劣)、狗邪韓国(いやしい、正しくない)
倭奴国(他人任せ、奴隷)、狗奴国(いやしい、奴隷)…
- 166 :太国 :2021/12/14(火) 20:34:46.33 .net
- 親魏倭王とかいってるんだから、これの場合は敵ではなかろう。
- 167 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 20:59:12.04 .net
- 漢の時代に決められた名称なら魏は関係ないけどな
- 168 :日本@名無史さん:2021/12/14(火) 22:11:02.18 .net
- 邪馬台国に関しても同じで、漢字そのものに意味がある
倭人伝だと邪馬臺(xiematai)=正しくない、従う、高台
隋書だと邪靡堆(xiemidui)=正しくない、従う、高台
どちらも読み方を「ヤマタイ」と捉える説もあるが
それだと隋書の場合、靡を摩に変えないと成立しない
そもそも邪も「ヤ」ではなく「シエ」と読む
強引に読み方をこじつけるのではなく、漢字の意味を知るべきである
- 169 :太国 :2021/12/14(火) 22:24:46.64 .net
- ×倭人伝だと邪馬臺
〇倭人伝だと邪馬壹
- 170 :日本@名無史さん:2021/12/15(水) 00:04:22.36 .net
- 倭人伝の現本(3世紀作)が臺なのか壹なのかは分かっていないが
壹と一は同じ意味であり、複製した倭人伝では一の方が多く使われている
つまり邪馬一国なのであれば、あえて壹を使用する必要性が無い
- 171 :太国 :2021/12/15(水) 08:16:39.13 .net
- 一と壹が同じ意味だというくらい古代中国人も解かってるよ。
臺と壹が違う字なのは彼らなら容易に認識できる。
日本の明治大正のころのか、発行の壹円札を日本人でも臺円札とは
大陸人でない日本人でも読まねえよ。
つまり邪馬壹国なのであれば、あえて臺を使用する必要性が無い
- 172 :日本@名無史さん:2021/12/15(水) 08:45:32.27 .net
- 後漢書も邪馬臺だけど、倭の五王の頃は漢人のコンサルを結構やとってるから、情報のネットワークはあって修正したかも。
唐代の脚注に、ヤマヰは音がなまったもの、と書かれてる。
- 173 :日本@名無史さん:2021/12/16(木) 22:51:23.58 .net
- もし日本に存在した名称の呼び方を漢字にあてがうのであれば
xiematai(邪馬臺)を若干違うxiemidui(邪靡堆)と記載するのは変である
そもそも隋書が参考にした倭人伝には邪馬臺と”漢字”で書かれていたはずである
因みに中国だと邪は邪悪、馬は馬、靡は贅沢、臺は塔、堆は山という意味である
矢張り漢字の読み方ではなく、漢字の意味で捉えた方が現実的である
臺を壹、靡を摩などは単純に漢字を簡素化しただけなのかもしれない
- 174 :太国 :2021/12/16(木) 23:02:30.80 .net
- マルコポーロの東方見聞録で示した黄金の国ジパングたる金メダル国家が
この神州であるからして、天意は日本に邪馬1国の世界第1位の国家を置いて
るのである。
それゆえに神国日本は全世界の別格たる国家であって、
この神州は萬邦無比の國體を誇るのだ。
来年1/5にNHKーTVでジパング番組をやるそうだ。
- 175 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 00:10:36.45 .net
- >>170
壹と一は,弐と二、参と三の関係だから同じ意味ではないよ
本来は一二三とは全く別の意味だけど音が同じなので仮に使われるだけ。
壹は豆が壺の中で煮詰まった事を示す漢字で、
もっぱら(ある一つの事に集中するさま)や二つ以上のものが近寄って、一つになるって意味だよ
「壱意専心」や「軌を壹にする」「心を壹にする」みたいに使う
- 176 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 02:08:47.78 .net
- 壹は何かが密集して一つに成り立つといった意味だから
臺や堆のように何かが積み重なって成り立つといった意味に近い
馬と靡の共通点はなびくとか従うで、摩の場合はさするとか触れるといった意味
ただ単に簡素化してる訳ではなく、少なからず漢字の意味も保っている
- 177 :太国 :2021/12/17(金) 08:45:56.19 .net
- 壹と一が同じ意味でなければ1じゃねえというわけだから、
壹円札に使うわけがねえよ。当時けっこう高額だろ。
この札が二つ以上か。w
なら2円3円になるのか?ppp
- 178 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 08:50:36.53 .net
- そのレベルから噛み合わないのなら
対話をするのは無理だから
白川先生の著書を読むのを勧めても意味がないな。
- 179 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 09:00:49.74 .net
- >>177
漢数字の一二三は一に後でもう一つ一をかいて二にしたりされる可能性があるから
別の漢字で同じ音の漢字を使い代用するようになったんだよ
弐は「そむく」、参は「集まる、集める」の意味だが漢数字の代わりに用いられる
- 180 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 09:07:38.16 .net
- 三は縦棒2本で五になるな
- 181 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 09:15:47.10 .net
- 壱弐参は一二三の偽造防止の為に代わりに使われてのは結構有名な話だと思っていたが
知らない人もいるんだなって驚きだな
- 182 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 09:57:04.65 .net
- 漢字の意味の間違いだと
魏志倭人伝で重要なか所で誤訳が多いには「女王之所都」だな
これを「女王の都する所」と誤訳してる人が殆どだが
これは「女王の統べる所」か「女王の全ての所」って意味だ
そもそも「都する所」なんて意味不明の変な日本語だよな
邪馬壹國は女王の支配地域だって意味が正解なんだ
これに気付くと「此女王境界所盡」は「此女王之所都境界所盡」を省略して書いてると分かる
「其官有狗古智卑狗 不屬女王」も「其官有狗古智卑狗 不屬女王之所都」の省略だな
魏志倭人伝の解釈は誤訳の連鎖で訳が分からなくなってたんだ
- 183 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 11:20:44.76 .net
- >>158
神武〜欠史八代〜天武が実在した人達だよ
崇神〜天智は九州の歴史書からの盗用だな
- 184 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 13:14:44.18 .net
- つまり邪馬壹も邪馬臺も間違いではないという事
馬と靡は恐らく馬印と靡旗から連想している
- 185 :太国 :2021/12/17(金) 14:40:27.31 .net
- >>183
九州有関係の天皇は神武を除いて景行だけだ。
神武から畿内に宮を造って各代の天皇が天ヶ下を統治してたんだから、
九州の文献の盗用なんかありっこない。
- 186 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 16:47:38.20 .net
- >>185
北部九州地域では紀元前後くらいから文字の使用が始まっている
関西では5世紀くらいからだ
古い記録の無い大和朝廷ではで歴史を創るのに古い九州の文献を参考にし場所を関西に書き換えたんだ
- 187 :太国 :2021/12/17(金) 17:42:32.45 .net
- 畿内の朝廷からちいち文献をとりに九州までイクわけがねえよ。
いまだったら航空機、新幹線で日帰りで畿内から九州に行けるが、
当時だったら大変な長旅だぞ。だからオマエの盲象。
いいわすれ間違えたが、あとは仲哀神功関係だけだ。
景行とそれ以外九州行幸啓はなかろう。
ということは畿内に文献はあったさ。二代綏靖以後畿内育ちだから、
当然畿内の記録が大半だ。紀元直後の王莽銭も畿内から出てるし、もっと
古い時代なら徐福が来日してて漢字くらい日本人に教えてるぜ。
- 188 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 19:10:29.84 .net
- >>187
九州を支配かに置いた時点で文献だけでなく官僚毎関西に拉致したんだよ
景行とか九州内の統一の話だな
九州各地からは多くの古銭が出ている
徐福が本当か分からんし、日本に来たとしても関西までは行ってないな
- 189 :太国 :2021/12/17(金) 20:34:26.56 .net
- 拉致した被疑者はどなた?
いつころ拉致したというのか?
いいかい、二代綏靖以後、景行仲哀神功と除いて直接九州に関わった天皇
いない。ほとんどが畿内の活動だ。だから九州に天皇の古文書なんか景行ら
以外、遠方の九州に畿内活動の天皇のことを記した文献なんかほとんど
なかろう。あるんならどういう名の文献でいくつも出してみてくれ。
徐福の事績は結構日本の各所にあるというぞ。
熊野年代記に
孝霊6年 徐福来朝
とあるし、朝廷は2倍暦をしてたから同6年は来朝の真の年代では
ないが、一応このように載っている、
- 190 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 22:55:25.73 .net
- というか多利思比孤の都が邪馬台国で阿蘇山の近くなんでしょ?
- 191 :太国 :2021/12/17(金) 22:59:00.72 .net
- というより、狛比古の都でないのか?w
- 192 :日本@名無史さん:2021/12/17(金) 23:10:22.17 .net
- >>189
律令制でを始めて多く官僚が必要になった時に太宰府から
- 193 :日本@名無史さん:2021/12/18(土) 01:50:43.34 .net
- ◆シン日本神代古代史◆
高天原=邪馬台国=九州北部
天照大神=卑弥呼+台与
天孫(族)ニニギ命=邪馬台国系の代官一族
天孫(族)降臨地=対馬国・壱岐国・伊都国
神武天皇以降は、邪馬台国連合から独立した。
十代崇神天皇が邪馬台国を制圧したので、天照大神=卑弥呼+台与が祟った。
「高天原=邪馬台国=九州北部」説の初論者(おそらく)は、益田謙三『赤裸々の神代』(大正8年)
天照大神の生誕地=筑紫の日向(九州の南or北)
天孫ニニギ命の名前=アメ「ニキ」シクニ「ニキ」シアマツ「ヒコヒコ」ホノニ「ニギ」ノ命
邪馬台国から伊都国へ派遣されたの代官名は「爾支ニキ」
対馬国と壱岐国の代官名は「卑狗ヒコ」
日向三代は邪馬台国の代官の系統なので、独立した存在とは言えないから、天皇とは認定されなかった。
畿内に独立国を成立させた天孫族系が、その後に高天原=邪馬台国と勢力争いになって、十代崇神天皇の御代に、かつて祖先が属していたた高天原=邪馬台国を制圧してしまった。
欠史八代は天孫族と高天原=邪馬台国との争いの歴史なので、古事記・日本書記の記述はカットされた。
・・・なので、天照大神=卑弥呼・台与に祟られる事となった。
崇神天皇は祟りを鎮める為に、
ニニギが台与から授かった、ヤタの鏡を地元神と一緒に宮中で祀ったが、祟りが収まらないので場所を替えて祀った。
そして後に、ヤタの鏡は倭姫に託された。
それが、伊勢の神宮の由来である。
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