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【敵国】元寇について語るスレ part2【降伏】
- 563 :日本@名無史さん:2017/01/16(月) 16:52:40.76 .net
- 「仍蒙古人同廿一日卯尅悉退散畢、船一艘被打上鹿島」(金綱集・文永十一年蒙古責日本之事)
この文章に時刻が書いてあるからと言って、廿一日の午前六時ごろに蒙古艦隊の最後の一隻が、
日本軍に見られながら、鹿島に座礁した僚船一隻を見捨てて博多湾口を出て行くところであった、
と映画の一場面のようなことを考える必要はない。
第一に、卯の刻というのは一つの時点ではなくて、午前六時ごろの二時間にわたる「時間帯」である。
「廿一日の夜が明けて見たら」というのとたいして変わらない。
第二に「悉く・・畢る」というのは完了を表わしているから、蒙古人の退散は卯の刻以前にすでに
終わっている。「悉く」だから、博多湾は鹿島の一隻を除いてもぬけの殻だったのである。
第三に、退散は終わった後なのであるから、廿一日朝に博多湾を見たのは日本軍でなくても誰でもよい。
以上を踏まえて、冒頭の和風漢文を和文に訳した名文があるので紹介しよう。
「夜も明ぬれば廿一日なり、あしたに松原を見れば、さばかり屯せし敵もをらず、海のおもてを
見わたせば、きのふの夕べまで所せきし賊船、一艘もなし、(中略)よくよく見れば、異賊の兵船
一艘、志賀嶋にかヽりて、逃のこれるも見えにけり」
他でもない、八幡の蒙古記の一節である。
この件に関して、金綱集に新しいことは何もない。ただし、金綱集の価値は別の所にある。
それについては改めて書こう。
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