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九州の古代史【邪馬台国畿内説前提】

1 :日本@名無史さん:2015/09/18(金) 21:00:14.38 .net
古代九州の話となると邪馬台国論争に終始してしまうので、個別に語れる場所はないかと。
畿内説への反論は畿内説スレにて、九州説を前提とした古代九州の話は九州説スレにてどうぞ。

195 :日本@名無史さん:2018/03/20(火) 23:23:23.61 .net
>>194
俺は畿内説を採るが、日本海経路で投馬国を出雲、上陸地点を丹波として
そこから巻向まで行けば陸行1月も相場だと思う

196 :日本@名無史さん:2018/03/20(火) 23:29:04.26 .net
福岡付近から、出雲まで水行20日
ただし出雲の場所が決めがたく、
出雲大社や西谷墳墓群がある出雲平野か、
熊野大社や出雲国府が置かれた松江平野か、
あるいは妻木晩田遺跡のある大山付近か、いずれかが候補

そこから丹波へ行くまでが水行10日
丹波の上陸地点は、網野銚子山古墳のある網野町か、神明山古墳のある丹後町竹野の竹野川河口付近
地名からすると記紀に丹波竹野媛(開化天皇妃)があることから竹野が有力、地形的には離湖という潟湖がある網野かな、とも思う

どちらに上陸したとしてもそこから陸行で京丹後市役所のある峰山付近を通って丹後半島を横断
横断したところが籠神社のある与謝野町、そこから野田川沿いに遡っていくと蛭子山古墳がある
福知山付近を通って、山陰本線に近いルートで亀岡まで来ると、丹波国一ノ宮の出雲大神宮がある
亀岡から桂川沿いに京都盆地に入り、巨椋池を経て木津川を遡り平城山を越えて奈良盆地に入って纏向ってルートでいいだろう

水行20日 福岡から出雲平野までが約300キロ 妻木晩田遺跡辺りまでだと370キロ
水行10日 妻木晩田遺跡から竹野までが約150キロ
陸行1月 竹野から纏向までが170キロくらい

水行中の日数は、夜に浜辺で休んだ日数や潮待ち、天気待ちも含むと思う
投馬国滞在日数は含まないんじゃないかな これはあくまで「かな」程度
陸行部分は、途中の集落の滞在日数も含むと思うが、そんなに大きな町も途中にはなさそう
あっても、丹波国の竹野付近と与謝野町くらいかな

遺跡の分布や神社の名前からして、出雲と大和の往来はこのルートでいいんじゃないかと思っている
ただ、丹後半島を縦断するより、回りこんで若狭湾に入った方が楽かもしれないとも思う

197 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 00:11:28.05 .net
道中に野宿はない。かならず人里で宿泊してると思うよ


なぜなら、人の手が入っていない土地はほとんど森の中で道すらないから通行不可能だ

198 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 00:37:38.25 .net
>>197
>森の中で道すらないから通行不可能だ

出雲と大和の往還路とかは、道すらないってことはないと思う
縄文時代の広域流通は船(沿岸航路)だと思うけれど、
内陸国が孤立していたとも思わないし、主要勢力を結ぶ動線は道があったと思う

199 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 01:16:22.49 .net
道があるところなら集落も散在してるだろ

一日で行き来できないほど離れてるとこなら道なんてつながってないだろうから、往来できるとこなら野宿はないはずだよ

200 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 01:24:33.86 .net
有間皇子ですら、家にあらば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉 に盛る と
歌っているんだから、弥生時代も草枕で旅をしていて何の不思議もないと思うけどな

201 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 09:34:39.98 .net
縄文弥生時代の交通の主力は海運。

202 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 09:48:05.95 .net
>>201
それは>>198にも書いてあるだろ
「主力が海運である」ことが、「陸路の存在を否定」するものではないってこと

有間皇子の例でも、飛鳥時代でも野宿している様子が示されているんだから、
なぜ、そんなに躍起になって否定しようとするんだい?
「自分の言葉を修正したら負け」教の人なの?

203 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 09:58:45.24 .net
陸行一月はあり得ないと言うこと。
魏志倭人伝で唯一の写本間違い。

204 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 10:24:24.69 .net
いや、オレだって陸路の存在自体を否定してるつもりはないよ

日本の自然環境的にいって陸上道路を維持するにはかなり労力がいるんだから、恒常的に往来が活発な場所じゃないとすぐ森に飲まれて道路なんて消えちゃうから、
一日で往復できる範囲より離れた村のない区間はなかったと言ってるだけ。

海路でも同様で、船を着けやすい場所には元々村が作られてたはずで、船を着けられないような地形環境の区間以外では上陸して村で宿営するのが普通だったと思うんだよ
野宿は例外の特殊状況だったとね

205 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 10:30:58.38 .net
弥生時代に大和なんて交通手段が乏しくて発展しようがないし、出雲と大和の間の交通とか言われても、現代なら新宿駅とどこかローカル線の駅の乗り換え案内みたいなもので、意味のある交通路ではない。

206 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 10:32:44.42 .net
>>194
>陸行1月で全ての説が破綻してるからなあ

本当にこれ。
だから、魏志倭人伝でここだけは1日と考えるしかない。
九州説だろうが、畿内説だろうが、同じこと。

纒向に行くのに日本海側に上陸するバカはいない。

207 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 12:14:18.91 .net
弥生時代後期には若狭からヤマトに抜ける方向の移動ルートがすでに発達してたようだから、>>206の発言は考古遺物の知見に反する妄想だね

208 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 13:07:47.84 .net
>>206
>纒向に行くのに日本海側に上陸するバカはいない。

出雲も丹波も弥生末期の王墓級墳丘墓の時代に巨大墳墓を作っていた強国なんだよ

倭国の様子を報告する役目を持つ魏使としては、この二つの地域を経由するのは
当然の経路と言える

209 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 13:14:31.49 .net
>>204
>船を着けられないような地形環境の区間以外では上陸して村で宿営

「船を着けられる地形環境」は「点=港」であって、区間じゃないと思う
「船を着けられないような地形環境」で、どうやって上陸するのか、てのも疑問

野宿、野営は陸行部分のこととして話しているつもりだった

九州説の人は、陸行一月を認められないようだけれど

210 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 13:50:36.10 .net
>>209
180は下がわ2行以外は陸路の話だぞ
道路が森に飲まれてすぐに消えてしまうと書いてあるだろ、海路が森に飲み込まれて消えたら驚くよ

オレは「陸上交通で往来があったと思われる区間(山陰-山陽間、要するに出雲-吉備間やら若狭-畿内間など)では道路近くの村の間隔が一日行程より短かったはずなので野宿不要」のほうな
村の間隔が短くなかったら陸上交通なんて成立しないよ、でも実際に道路があったらしい場所があるんだから村は散在と言うより密にあったに違いないよ、って考えてるんだ
野宿なしでの陸行1月は可能ってね

まあ、舟行よりか高コストだけど。

211 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 21:26:53.49 .net
>>210
東海道のような「街道」整備は考えなくていいだろう?
道といってもけもの道程度だろう

一つの平野の中ならば、それなりに密に集落があると思うけれど、
峠越えの道がないとも思わない

弥生時代の推定人口からして、遠距離間の陸路移動も当然あると私は考える

212 :日本@名無史さん:2018/03/21(水) 22:41:47.40 .net
>>211
>弥生時代の推定人口からして、遠距離間の陸路移動も当然あると私は考える

流浪人以外はないよ。
神武だって主に船で移動だ。

213 :日本@名無史さん:2018/03/22(木) 18:35:15.99 .net
>>211
そりゃ街道整備とかは早くても飛鳥時代頃からだろうけどな、もっと粗末な普通の道でも利用頻度が低ければ早期に森に飲まれて消えちゃうよ
獣道が獣道程度に維持されるのにも相応の利用頻度は必要

峠越えの道は、さすがに利用頻度の高い一部の峠以外にはなかったんじゃないかな

214 :日本@名無史さん:2018/03/22(木) 18:45:56.02 .net
少なくとも、中国からの行使や、倭国の上流階級は、普通は通らないよ。
まれにそういうところを通ると、魏志倭人伝に草木が生い茂って前を行く人も見えないようなところを進んだとか書かれてしまうw

215 :日本@名無史さん:2018/03/23(金) 23:05:34.26 .net
>>213
>獣道が獣道程度に維持されるのにも相応の利用頻度は必要

けもの道がけもの道程度の維持されるのは、獣が獣道を利用するからってこともあるんだよ

古事記にも大国主が馬で出雲からヤマトに向かおうとしたって記事もあるし、そこまで陸路を否定する理由が分からない
又其~之嫡后、須勢理毘賣命、甚爲嫉妬、故其日子遲~、和備弖三字以音、
自出雲將上坐倭國而、束裝立時、片御手者、繋御馬之鞍、片御足、蹈入其御鐙而

216 :日本@名無史さん:2018/03/24(土) 13:35:40.48 .net
>>215
オレは陸路交通が全くないと言ってるんじゃないよ

いくらかの重要箇所ぐらいは陸路で往来可能なルートがあると思うが、そういうルートは重要さゆえに交通量もあってルート上に村が散在するはずだ、
野宿せざるをえないような箇所がなくなる程度の密度で宿泊可能な村があるはずだと言っている。

そのような密度で村が集まるようなルート以外では陸路はつながらないだろうとは言ってるけど。

217 :日本@名無史さん:2018/03/24(土) 13:51:38.09 .net
>>215
魏志倭人伝に、邪馬台国に馬はいないとあるのだから、出雲は邪馬台国ではないんだよ。
あと、大和に行こうとしたではなく、倭国にだろ。

218 :日本@名無史さん:2018/03/24(土) 15:37:15.70 .net
>>217
>あと、大和に行こうとしたではなく、倭国にだろ。

記紀では倭国をヤマト国と読むんだよ

「神代でも、陸路で出雲からヤマトへ行くのが当然」とされていたというための引用

馬がいるかどうかは、あまり立ち入ってもしょうがない
記紀か三国志のどちらかあるいは両方が不正確ってことだ
馬は記紀編纂時の後付けだろう

219 :日本@名無史さん:2018/03/24(土) 20:33:19.73 .net
記紀ではってのは間違いで古事記限定だったと思うが? →倭国をヤマト国

220 :日本@名無史さん:2018/03/24(土) 22:02:03.93 .net
>>219
>記紀ではってのは間違いで古事記限定だったと思うが? →倭国をヤマト国

ここは正確に認識してくれ
日本書紀では、天皇関係はヤマトの音に「日本」を当てているが、土地の名前や
豪族名ではそのまま「倭」でヤマトと読ませているよ
~武天皇紀
乃特賜名、爲椎根津彥(椎、此云辭毗)、此卽「倭直部」始祖也

記紀では倭と書いて「ヤマト」と読むのは前提

日本書紀には第一巻に「日本、此云耶麻騰。下皆效此」という註があるけれど、
「倭」には記紀ともに注記なくヤマトと読ませている

221 :日本@名無史さん:2018/03/24(土) 23:05:09.03 .net
逆に言うと、古事記が出来た頃までは倭をヤマトと読んでも、日本をヤマトと読むことはなく、日本書紀の編者らが新しく読み方を当てたんだよ。
つまり、日本と書いてヤマトと読むようになったのは8世紀はじめだということがわかる。
それは政治的な意図によるもので、おそらくはそもそも倭は近畿日本ではないのだろう。

222 :日本@名無史さん:2018/03/24(土) 23:34:44.88 .net
死刑スタッフ以外ニグループ100件以上介護保険税金泥棒殺ッテマス100森友ノロウイルス虐待スイッチ押死山手ローン戦争シテルンデシタッケ郡大報酬薬害モヤシテ老害麻薬王盗難ケタチガイ違反重々振戦耶炉ウドモ
https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1441750123/

223 :日本@名無史さん:2018/03/25(日) 00:25:29.75 .net
>>221
>つまり、日本と書いてヤマトと読むようになったのは8世紀はじめだということがわかる。

これはそうだろう
天武持統朝の頃、もしくはその直前に日本という国号を作ったと考えられている
唐会要を信じるなら、武則天に対する長安3年(703年)の遣唐使(厳密には遣周使)が
初めて日本と名乗ったことになる

>それは政治的な意図によるもので、

ここまではいいが

>おそらくはそもそも倭は近畿日本ではないのだろう。

ここが飛躍している
九州説の願望が入りすぎ
703年の遣唐使(遣周使)も日本書紀に普通に書かれている大和朝廷の派遣だし、
粟田真人を九州王朝の人間とは言わないだろ

224 :日本@名無史さん:2018/03/25(日) 07:00:38.05 .net
>>221
>おそらくはそもそも倭は近畿日本ではないのだろう。

倭は、「倭大國魂神社」が日本で唯一鎮座する、倭国(阿波)で確定。  @阿波

225 :日本@名無史さん:2018/03/25(日) 11:59:50.40 .net
>>223
九州王朝デムパたちは九州王朝存在下での出来事で書紀に書かれている出来事すべてが九州王朝の歴史を横取りしたものとか荒唐無稽なことを言ってるから、
その記述で反論とするには厳しい気がするな

226 :日本@名無史さん:2018/03/25(日) 15:40:38.23 .net
>>223
>703年の遣唐使(遣周使)も日本書紀に普通に書かれている大和朝廷の派遣だし、

そりゃあ、701年には大和朝廷が九州を含む全国の支配を確立しているからね。

227 :日本@名無史さん:2018/03/25(日) 22:40:11.39 .net
>>226
獲加多支鹵大王な影響圏が埼玉から熊本まで広がってるから、
「701年には」どころじゃないよね?

228 :日本@名無史さん:2018/03/25(日) 23:23:08.06 .net
神社が鎮座するっておかしな言い方だよな
倭大國魂神が鎮座する本社は、大和神社(大倭神社)だ

延喜式では大和坐大國魂神社

229 :kimiaki harada:2018/03/28(水) 01:00:20.92 .net
原田 君明に著作権あります。

魏志倭人伝で邪馬台国やまたいこく

九州統一以前 大和朝廷大名時代

一つ目
近く国から邪魔な大国  邪魔な台地ある国  大和台国 やまたいこく
周辺国から女が王を勤める嫌な大国意味 呼ばれてた悪評をそのまま記録した可能性と

2つ目
あの国の名は 、何て名前です?聞かれ 九州人が方言全開で
あれは〜「大和ったい!!」  大和台地の国?ってこと?
邪魔な大国なんだけどね。(笑) 「大和ったい!!」九州弁が全開?・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
邪馬台国???????
第179代目番目  神武天皇  皇帝即位 2470年 歳月  大和王朝
第304代目  明仁陛下  王暦2470年+皇紀2670年
大和台国  5140余年
ないし 九州弁外して 「 大和国」 5140余年になるか?

時に事実は小説よりも奇也
奈良大和は遷都して皇帝即位から2670年
佐賀大和建国 5140年 福岡→出雲→ここで勢力拡大一気に進み伊勢
天照大神 弥生戦国武将なんですね。

230 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 06:01:23.37 .net
>>228
>延喜式では大和坐大國魂神社

徳島県美馬(ミマ)市美馬(ミマ)町にある、「倭大国敷神社」「倭大国魂神社」二座は「倭」と付く神社である。
「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。
一方、「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。

阿波国美馬郡条には「倭」   
大和国山辺郡条には、「大和」

何故、阿波国であるにもかかわらず、「倭」と付く神社があるのだろうか。

これは、阿波が「倭(やまと)」であり、一方、奈良は「大倭・大和(おおやまと)」ということが、はっきり示されているのである。  @阿波

231 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 07:27:46.99 .net
アマテラスが戦国武将かよ。
まあ、各地を攻略して領土を広げたという点では間違いではないのか。

232 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 08:21:52.67 .net
鬼道で衆を惑わすというのは、攻略になるのか?(困惑)

233 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 08:40:22.07 .net
>>231
>まあ、各地を攻略して領土を広げたという点では間違いではないのか。

でも各地といっても、倭国(阿波)国内での話だがね。  @阿波

西日本一帯なんて誇大妄想してるから、辻褄が合わなくなるんだよ。  @阿波

234 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 13:29:17.76 .net
鬼道は含まれないだろ。
武力ではないから。

235 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 13:36:37.30 .net
>>234
>武力ではないから。

逆に、卑弥呼が武力を使ったって話は、どこかにあったっけ?
狗奴国と争ったとは書いてあったが、原文は
倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和。遣倭載斯・烏越等詣郡説相攻撃状
で、「素より和せず」だからなぁ
一応、「相攻撃状」とも書いてあるけれど

236 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 15:56:45.10 .net
まあ、卑弥呼共立に不服だったのが狗奴国だろうね。

237 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 21:55:45.87 .net
倭女王「卑彌呼」と狗奴國男王「卑彌弓呼」は、ペアの命名に見えるよね
まあ音訳の当て字だし、どこまで対応しているかは分からないといえば分からないけれど、
同じ文化圏なのは間違いないように見える

238 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 22:36:11.60 .net
狗奴国は肥後熊本。
筑後平野には戦乱の痕跡が多い。

邪馬台国側の砦として大野城、基肄城の名が魏志倭人伝に見える。
狗奴国側の砦は、魏志倭人伝に名前がある菊池彦が将を務めたであろう菊池城だろう。

肥前と筑紫の国境になる
吉野ケ里から安永田遺跡の地域
同じく肥後と筑紫の国境になる
大牟田を中心とした地域

これらの地域は、鉄の武器や
戦死遺体が多く出土する。

筑紫と肥が長く戦っていた痕跡といえるだろう。

畿内には何もない。

239 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 22:43:48.18 .net
>>238
>邪馬台国側の砦として大野城、基肄城の名が魏志倭人伝に見える。

こういう嘘を散りばめるから、九州説は相手にされないんだよ

ナとマは意外に交代しないんだよな
クナとクマは別に考えた方がよい

毛野国の方が音韻的には狗奴国に合う

240 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 22:45:15.43 .net
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は?
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市前原(旧怡土郡)、奴国 福岡市博多(那の津)→邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg

241 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 22:56:28.28 .net
>>237
たぶん、人名、固有名詞じゃなくて地位の名前、称号なんじゃないかな

242 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 23:08:23.38 .net
>>239
同意。

狗馬国じゃないとオカシイね。

243 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 00:02:09.67 .net
>>240
ぜんぜん発音が似てないものを牽強付会してる項目が多すぎて恣意が目立ちすぎだね

244 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:09:26.32 .net
>>243
一部はそうだね。
だから、他の人の意見を聞いて修正している部分もある。
あとは、名前だけではなく、反時計回りの周旋を想定して決めている部分もある。

245 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:20:49.07 .net
>>241
でも、名曰卑彌呼 名を卑彌呼と曰うってばっちり書いてあるしなぁ

246 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:23:22.16 .net
ヒミコ、ヒナタ、ヒメコ、いずれにしても実際には固有名詞ではないだろう。
そもそも貴人を実名で呼ぶ習慣があまりなかっただろうし。

247 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:26:34.79 .net
>>242
馬はメと読むらしいから、それではクマにならない。
あと、大野城は少し苦しいが、基肄城はかなり正しいと思うよ。
でも基肄城があるなら、その前後に大野城があるべきだよね。
狗奴国の側に菊池の名前もあるし。

248 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:26:57.73 .net
1番 斯馬国  志摩国 伊勢志摩の志摩  
2番 己百支国 美濃国伊吹「イフキ、イホキ」(伊福貴、伊夫伎、五百木)地方(岐阜県大垣市)
3番 伊邪国   ?
4番 都支国  美濃国土岐郡

の方がらしい感じがするけどな

249 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:28:14.55 .net
>>239
子音よりも母音の方が交代しにくいのではないかな。
外国語の子音は聞き取りにくい。
だとすると、毛野国は余計に無理がある。

250 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:30:14.36 .net
>>248
地名の移転を考えないと。
少なくとも、志摩は福岡からの移転だろう。
八咫の鏡つながりで、伊勢も伊都から派生したのだろう。

251 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 09:03:00.45 .net
八咫の鏡つながりw

252 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 10:45:32.08 .net
>>250
>子音よりも母音の方が交代しにくいのではないかな。

母音の方は、動詞の活用を考えてもらえば分かりやすいと思うが、同系統で
交代する分には同じ単語だって認識できるんだよ
動詞以外でも「アカン」と「イカン」は同じだって分かるだろ?
「いいじゃん」と「ええやん」とか、方言レベルの違いで同じ単語だと認識できる

>毛野国は余計に無理がある。

もともと、日本語は漢字表記が前提ではないから、毛野国も当て字なんだよ
同じ発音を聞いて、狗奴と書くか、毛野と書くかは、表記の揺れの範囲に収まる

もう少し勉強しよう

253 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 10:47:40.96 .net
>>250
>地名の移転を考えないと。

考えてもいいけど、邪馬台国よりも古い時代だよ?
だから、魏志倭人伝に記されたのは、伊勢志摩でいいだろ?
位置的にもヤマト国の次でちょうどいい場所だし

254 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 11:14:13.47 .net
>>253
女王国が伊都国奴国の領域なら、位置の問題は解決。
卑弥呼の時代の志摩は福岡県。

255 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 11:28:07.89 .net
>>254
>女王国が伊都国奴国の領域なら、位置の問題は解決。
>卑弥呼の時代の志摩は福岡県。

それだと、斯馬国は、邪馬台国よりも「北」になるよね?
「自女王國以北」、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。「次有斯馬國」
と思いっきり矛盾するんだけれど?

何も解決してないよ

256 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:13:10.10 .net
女王国から北というのは、自分たちが通過してきたルートのこと。
当然、そこはわかっている。
通過しなかったところはそもそも伝聞情報しかない。
魏の使いは志摩には寄らなかったというだけ。

257 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:18:00.17 .net
己はア行音じゃなくてカ行音かハ行音じゃないの?

258 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:19:35.80 .net
>>249
一般的には、変化しやすいのは母音だよ
子音が(同一発音がないなどの事情から)類似発音に化けることも多いけど。

259 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:26:22.13 .net
>>257
倭語の音韻ルールとして、

母音から始まらない
母音が連続しない

というのを想定するなら、己をア行で読むのは誤りかもしれない。
同様に、邪馬台国はヤマタイではなく、ヤマトだろう。九州か畿内かは別として。

260 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:29:08.77 .net
もっとも、それだと大野城をはじめとして、いくつかルールに抵触するものが出てしまうから、違うかもしれない。
為吾国などはどうしても母音から始まってしまう。

261 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:36:32.38 .net
>>256
>通過しなかったところはそもそも伝聞情報しかない。
>魏の使いは志摩には寄らなかったというだけ。

自分で書いてて苦しいなと感じなかったかい?
寄らなかったと言っても、伊都国の隣だろ?
「其餘旁國遠絶、不可得詳」にはならないだろう?

九州説は、こういう無理を憶測で補って通さないと
成り立たない時点で、そもそもおかしいんだよ

262 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:37:32.73 .net
為は「ゐ」の字源なんだから、発音は「い」じゃなくて「うぃ」wi でワ行音じゃん、母音で始まってないでしょ

263 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:40:24.45 .net
>>257
>己はア行音じゃなくてカ行音かハ行音じゃないの?

已百支國だよ
古文でいう已然形の「い」

已と己は異なる漢字

264 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:40:51.33 .net
>>259
そもそも中国語(古語や地方語も含めて)で己をア行音で読むことってあるの?
コ、キ、等の読みが普通でしょ。派生するとしてもハ行音ヒ ぐらいでしょ

265 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:41:35.88 .net
あ、すまない

己じゃなくて已 だったのか。誤読してた

266 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:43:35.49 .net
>>262
海部も「あま」だし、母音で始まらない、はそこまで徹底されていないと思う

五百城入彦皇子の治国が、五百木だから、
己百支国は美濃国伊吹でよいと思う

267 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 13:23:44.80 .net
>>261
遠絶は官僚の言い訳だろ。

268 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 13:51:13.35 .net
大陸から遠絶

269 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 13:56:57.86 .net
>>262
なるほどー

270 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 13:57:55.86 .net
>>266
>海部も「あま」だし、母音で始まらない、はそこまで徹底されていないと思う

了解です。

271 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 13:59:31.34 .net
>>256
>魏の使いは志摩には寄らなかったというだけ。

そうは言うけれど、斯馬国が糸島の志摩だったとしたら、糸島水道の対岸だよ?
南じゃないことは見れば分かるし、3キロくらいしか離れてない
寄ってないというならおそらく松浦にも寄ってないし、説得力はないな

272 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 14:11:52.99 .net
松浦説を必ずしも支持していないので、問題ない。

273 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 14:19:53.82 .net
>>272
>松浦説を必ずしも支持していないので、問題ない。

せっかくだから、ここの考えを教えてよ

私は、末慮国は松浦でいい
ただし、東南陸行五百里は、伊都国行きではない別の旅程が紛れ込んでいる
と考えているよ。

274 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 18:16:03.64 .net
松浦には行ってないよな
そもそも松浦から福岡まで陸路で行く理由が分からない

275 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 18:50:53.38 .net
>>274
そう、松浦には行っていない。 方向、距離により 末慮国は

末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦)

↓【東南】陸行500里  福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)

伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

↓【東南】100里

奴国(二万戸)(田川辺り)

↓【東】100里

不弥国(千戸)(築上町辺り)   @阿波

276 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 18:56:43.15 .net
>>275
期待してたのに、残念

伊都国、奴国を、現在の定説の比定地から動かすのは、意味ない
トンデモになるだけ

277 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 19:02:51.58 .net
>>276
>伊都国、奴国を、現在の定説の比定地から動かすのは、意味ない

早く、呪われた呪縛から解き放されることを祈念する。  @阿波

278 :日本@名無史さん:2018/03/31(土) 15:14:47.94 .net
>伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

この時点で、直方が伊都国だっていう根拠がないもの
トンデモにしかならないよ

279 :日本@名無史さん:2018/03/31(土) 16:46:28.85 .net
>>278
>この時点で、直方が伊都国だっていう根拠がないもの
トンデモにしかならないよ


千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。

早く、呪われた呪縛から解き放されることを祈念する。  @阿波

280 :日本@名無史さん:2018/03/31(土) 17:09:42.78 .net
帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)

 (渡海千里) ※8000

   対馬
   馬(方可四百余里) ※8800余

  (渡海千里) ※9800余

    壱岐
    岐(方可三百里)  ※10400余

   (渡海千里) ※11400余

  末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日)

281 :日本@名無史さん:2018/03/31(土) 18:10:47.64 .net
概数の加減算時には誤差は累積するから、12000余里-途中距離の合計値「11400余里」ののこりは600±2000里ぐらいになる感じだよ
残りが有るか無いかすら予想できないレベルにまで累積しちゃう

(10±1)-(10±1)=0±√2 になるんだからさ。決して(10±1)-(10±1)=0 なんてことにはならないからさ。

282 :日本@名無史さん:2018/03/31(土) 18:25:22.29 .net
>>281
それがどないしたんや?

283 :日本@名無史さん:2018/03/31(土) 22:15:07.73 .net
>>279
>千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。

でも伊都国は、一大率が臨津搜露するんだから、内陸に比定地を持ってきたら駄目だろう
阿波の言うことは結局は結論からの逆算のトンデモなんだよ

284 :日本@名無史さん:2018/04/01(日) 05:50:55.82 .net
>>283
>でも伊都国は、一大率が臨津搜露するんだから、内陸に比定地を持ってきたら駄目だろう


「王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯」
(王が使節を、洛陽や帯方郡または諸韓国に派遣する場合や、帯方郡の使節が来た場合は、それらの使節は港で文書や賜物をあらため、女王への錯綜が起らないようにする。)

伊都国(直方)に一大率が置かれた理由を教えて進ぜよう。

大陸からの往路 玄関口(福津市周辺 万津浦)
大陸への復路  出航地(平戸市周辺)

伊都国(直方)は大陸往復路の分岐点である。 
だから、大陸出入りを監視出来る立地(内陸)の直方辺りに一大率が置かれたんですよ。  

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波

285 :日本@名無史さん:2018/04/01(日) 06:00:55.16 .net
伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば税関所。

その伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。  @阿波

286 :日本@名無史さん:2018/04/01(日) 15:06:08.38 .net
>>284
福岡平野にそれなりに繁栄した国があったのは確実
壱岐国から福岡平野を無視して福津市まで行くのはあり得ない
万津浦が末慮と主張しているが、末慮は国であって海岸の名前ではない
というか万津浦って地名、残ってないぞ

ということで、阿波のいうことはトンデモ

287 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 14:57:43.56 .net
大物主の倉庫

288 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 15:56:05.77 .net
>>286
>福岡平野にそれなりに繁栄した国があったのは確実

「それなりに繁栄した国」は福岡平野に限らず、至る所に在る。  @阿波

289 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 16:00:35.53 .net
>>286
>万津浦が末慮と主張しているが、末慮は国であって海岸の名前ではない

違う  万津浦は末羅國の一部(臨海部)。  末羅國は万津浦」だけではない。  @阿波

290 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 17:08:33.85 .net
>>289
>違う  万津浦は末羅國の一部(臨海部)。

一部ではない、本体部分の名前は何ていうんだい?

残ってない地名でグダグダ言っても無理だよ
普通の比定地の方は、末羅国造も記録があるし、万津浦が末慮国なんてのはただのトンデモだよ

291 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 17:13:17.13 .net
>>290
>一部ではない、本体部分の名前は何ていうんだい?

末羅國=宗像地域  @阿波

292 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 17:15:12.26 .net
>>291

末羅國=宗像地域というより、福津市辺り  @阿波

293 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 17:58:32.27 .net
だから、そこは「宗像」であり、「福津」であって、「マツラ」ではないだろ?

古書に1つあったと言われているだけの幻の地名でごまかそうったって、無理だよ

294 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 18:03:11.47 .net
>>293
なにをイライラしてるんだい?
福津市辺りに往古「万津浦」と呼ばれる地域が在ったんじゃないの?
落ち着き給え。  @阿波

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