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九州の古代史【邪馬台国畿内説前提】

1 :日本@名無史さん:2015/09/18(金) 21:00:14.38 .net
古代九州の話となると邪馬台国論争に終始してしまうので、個別に語れる場所はないかと。
畿内説への反論は畿内説スレにて、九州説を前提とした古代九州の話は九州説スレにてどうぞ。

232 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 08:21:52.67 .net
鬼道で衆を惑わすというのは、攻略になるのか?(困惑)

233 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 08:40:22.07 .net
>>231
>まあ、各地を攻略して領土を広げたという点では間違いではないのか。

でも各地といっても、倭国(阿波)国内での話だがね。  @阿波

西日本一帯なんて誇大妄想してるから、辻褄が合わなくなるんだよ。  @阿波

234 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 13:29:17.76 .net
鬼道は含まれないだろ。
武力ではないから。

235 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 13:36:37.30 .net
>>234
>武力ではないから。

逆に、卑弥呼が武力を使ったって話は、どこかにあったっけ?
狗奴国と争ったとは書いてあったが、原文は
倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和。遣倭載斯・烏越等詣郡説相攻撃状
で、「素より和せず」だからなぁ
一応、「相攻撃状」とも書いてあるけれど

236 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 15:56:45.10 .net
まあ、卑弥呼共立に不服だったのが狗奴国だろうね。

237 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 21:55:45.87 .net
倭女王「卑彌呼」と狗奴國男王「卑彌弓呼」は、ペアの命名に見えるよね
まあ音訳の当て字だし、どこまで対応しているかは分からないといえば分からないけれど、
同じ文化圏なのは間違いないように見える

238 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 22:36:11.60 .net
狗奴国は肥後熊本。
筑後平野には戦乱の痕跡が多い。

邪馬台国側の砦として大野城、基肄城の名が魏志倭人伝に見える。
狗奴国側の砦は、魏志倭人伝に名前がある菊池彦が将を務めたであろう菊池城だろう。

肥前と筑紫の国境になる
吉野ケ里から安永田遺跡の地域
同じく肥後と筑紫の国境になる
大牟田を中心とした地域

これらの地域は、鉄の武器や
戦死遺体が多く出土する。

筑紫と肥が長く戦っていた痕跡といえるだろう。

畿内には何もない。

239 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 22:43:48.18 .net
>>238
>邪馬台国側の砦として大野城、基肄城の名が魏志倭人伝に見える。

こういう嘘を散りばめるから、九州説は相手にされないんだよ

ナとマは意外に交代しないんだよな
クナとクマは別に考えた方がよい

毛野国の方が音韻的には狗奴国に合う

240 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 22:45:15.43 .net
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は?
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市前原(旧怡土郡)、奴国 福岡市博多(那の津)→邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg

241 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 22:56:28.28 .net
>>237
たぶん、人名、固有名詞じゃなくて地位の名前、称号なんじゃないかな

242 :日本@名無史さん:2018/03/28(水) 23:08:23.38 .net
>>239
同意。

狗馬国じゃないとオカシイね。

243 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 00:02:09.67 .net
>>240
ぜんぜん発音が似てないものを牽強付会してる項目が多すぎて恣意が目立ちすぎだね

244 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:09:26.32 .net
>>243
一部はそうだね。
だから、他の人の意見を聞いて修正している部分もある。
あとは、名前だけではなく、反時計回りの周旋を想定して決めている部分もある。

245 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:20:49.07 .net
>>241
でも、名曰卑彌呼 名を卑彌呼と曰うってばっちり書いてあるしなぁ

246 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:23:22.16 .net
ヒミコ、ヒナタ、ヒメコ、いずれにしても実際には固有名詞ではないだろう。
そもそも貴人を実名で呼ぶ習慣があまりなかっただろうし。

247 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:26:34.79 .net
>>242
馬はメと読むらしいから、それではクマにならない。
あと、大野城は少し苦しいが、基肄城はかなり正しいと思うよ。
でも基肄城があるなら、その前後に大野城があるべきだよね。
狗奴国の側に菊池の名前もあるし。

248 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:26:57.73 .net
1番 斯馬国  志摩国 伊勢志摩の志摩  
2番 己百支国 美濃国伊吹「イフキ、イホキ」(伊福貴、伊夫伎、五百木)地方(岐阜県大垣市)
3番 伊邪国   ?
4番 都支国  美濃国土岐郡

の方がらしい感じがするけどな

249 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:28:14.55 .net
>>239
子音よりも母音の方が交代しにくいのではないかな。
外国語の子音は聞き取りにくい。
だとすると、毛野国は余計に無理がある。

250 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 08:30:14.36 .net
>>248
地名の移転を考えないと。
少なくとも、志摩は福岡からの移転だろう。
八咫の鏡つながりで、伊勢も伊都から派生したのだろう。

251 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 09:03:00.45 .net
八咫の鏡つながりw

252 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 10:45:32.08 .net
>>250
>子音よりも母音の方が交代しにくいのではないかな。

母音の方は、動詞の活用を考えてもらえば分かりやすいと思うが、同系統で
交代する分には同じ単語だって認識できるんだよ
動詞以外でも「アカン」と「イカン」は同じだって分かるだろ?
「いいじゃん」と「ええやん」とか、方言レベルの違いで同じ単語だと認識できる

>毛野国は余計に無理がある。

もともと、日本語は漢字表記が前提ではないから、毛野国も当て字なんだよ
同じ発音を聞いて、狗奴と書くか、毛野と書くかは、表記の揺れの範囲に収まる

もう少し勉強しよう

253 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 10:47:40.96 .net
>>250
>地名の移転を考えないと。

考えてもいいけど、邪馬台国よりも古い時代だよ?
だから、魏志倭人伝に記されたのは、伊勢志摩でいいだろ?
位置的にもヤマト国の次でちょうどいい場所だし

254 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 11:14:13.47 .net
>>253
女王国が伊都国奴国の領域なら、位置の問題は解決。
卑弥呼の時代の志摩は福岡県。

255 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 11:28:07.89 .net
>>254
>女王国が伊都国奴国の領域なら、位置の問題は解決。
>卑弥呼の時代の志摩は福岡県。

それだと、斯馬国は、邪馬台国よりも「北」になるよね?
「自女王國以北」、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳。「次有斯馬國」
と思いっきり矛盾するんだけれど?

何も解決してないよ

256 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:13:10.10 .net
女王国から北というのは、自分たちが通過してきたルートのこと。
当然、そこはわかっている。
通過しなかったところはそもそも伝聞情報しかない。
魏の使いは志摩には寄らなかったというだけ。

257 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:18:00.17 .net
己はア行音じゃなくてカ行音かハ行音じゃないの?

258 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:19:35.80 .net
>>249
一般的には、変化しやすいのは母音だよ
子音が(同一発音がないなどの事情から)類似発音に化けることも多いけど。

259 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:26:22.13 .net
>>257
倭語の音韻ルールとして、

母音から始まらない
母音が連続しない

というのを想定するなら、己をア行で読むのは誤りかもしれない。
同様に、邪馬台国はヤマタイではなく、ヤマトだろう。九州か畿内かは別として。

260 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:29:08.77 .net
もっとも、それだと大野城をはじめとして、いくつかルールに抵触するものが出てしまうから、違うかもしれない。
為吾国などはどうしても母音から始まってしまう。

261 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:36:32.38 .net
>>256
>通過しなかったところはそもそも伝聞情報しかない。
>魏の使いは志摩には寄らなかったというだけ。

自分で書いてて苦しいなと感じなかったかい?
寄らなかったと言っても、伊都国の隣だろ?
「其餘旁國遠絶、不可得詳」にはならないだろう?

九州説は、こういう無理を憶測で補って通さないと
成り立たない時点で、そもそもおかしいんだよ

262 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:37:32.73 .net
為は「ゐ」の字源なんだから、発音は「い」じゃなくて「うぃ」wi でワ行音じゃん、母音で始まってないでしょ

263 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:40:24.45 .net
>>257
>己はア行音じゃなくてカ行音かハ行音じゃないの?

已百支國だよ
古文でいう已然形の「い」

已と己は異なる漢字

264 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:40:51.33 .net
>>259
そもそも中国語(古語や地方語も含めて)で己をア行音で読むことってあるの?
コ、キ、等の読みが普通でしょ。派生するとしてもハ行音ヒ ぐらいでしょ

265 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:41:35.88 .net
あ、すまない

己じゃなくて已 だったのか。誤読してた

266 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 12:43:35.49 .net
>>262
海部も「あま」だし、母音で始まらない、はそこまで徹底されていないと思う

五百城入彦皇子の治国が、五百木だから、
己百支国は美濃国伊吹でよいと思う

267 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 13:23:44.80 .net
>>261
遠絶は官僚の言い訳だろ。

268 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 13:51:13.35 .net
大陸から遠絶

269 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 13:56:57.86 .net
>>262
なるほどー

270 :日本@名無史さん:2018/03/29(木) 13:57:55.86 .net
>>266
>海部も「あま」だし、母音で始まらない、はそこまで徹底されていないと思う

了解です。

271 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 13:59:31.34 .net
>>256
>魏の使いは志摩には寄らなかったというだけ。

そうは言うけれど、斯馬国が糸島の志摩だったとしたら、糸島水道の対岸だよ?
南じゃないことは見れば分かるし、3キロくらいしか離れてない
寄ってないというならおそらく松浦にも寄ってないし、説得力はないな

272 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 14:11:52.99 .net
松浦説を必ずしも支持していないので、問題ない。

273 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 14:19:53.82 .net
>>272
>松浦説を必ずしも支持していないので、問題ない。

せっかくだから、ここの考えを教えてよ

私は、末慮国は松浦でいい
ただし、東南陸行五百里は、伊都国行きではない別の旅程が紛れ込んでいる
と考えているよ。

274 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 18:16:03.64 .net
松浦には行ってないよな
そもそも松浦から福岡まで陸路で行く理由が分からない

275 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 18:50:53.38 .net
>>274
そう、松浦には行っていない。 方向、距離により 末慮国は

末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦)

↓【東南】陸行500里  福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)

伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

↓【東南】100里

奴国(二万戸)(田川辺り)

↓【東】100里

不弥国(千戸)(築上町辺り)   @阿波

276 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 18:56:43.15 .net
>>275
期待してたのに、残念

伊都国、奴国を、現在の定説の比定地から動かすのは、意味ない
トンデモになるだけ

277 :日本@名無史さん:2018/03/30(金) 19:02:51.58 .net
>>276
>伊都国、奴国を、現在の定説の比定地から動かすのは、意味ない

早く、呪われた呪縛から解き放されることを祈念する。  @阿波

278 :日本@名無史さん:2018/03/31(土) 15:14:47.94 .net
>伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

この時点で、直方が伊都国だっていう根拠がないもの
トンデモにしかならないよ

279 :日本@名無史さん:2018/03/31(土) 16:46:28.85 .net
>>278
>この時点で、直方が伊都国だっていう根拠がないもの
トンデモにしかならないよ


千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。

早く、呪われた呪縛から解き放されることを祈念する。  @阿波

280 :日本@名無史さん:2018/03/31(土) 17:09:42.78 .net
帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)

 (渡海千里) ※8000

   対馬
   馬(方可四百余里) ※8800余

  (渡海千里) ※9800余

    壱岐
    岐(方可三百里)  ※10400余

   (渡海千里) ※11400余

  末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日)

281 :日本@名無史さん:2018/03/31(土) 18:10:47.64 .net
概数の加減算時には誤差は累積するから、12000余里-途中距離の合計値「11400余里」ののこりは600±2000里ぐらいになる感じだよ
残りが有るか無いかすら予想できないレベルにまで累積しちゃう

(10±1)-(10±1)=0±√2 になるんだからさ。決して(10±1)-(10±1)=0 なんてことにはならないからさ。

282 :日本@名無史さん:2018/03/31(土) 18:25:22.29 .net
>>281
それがどないしたんや?

283 :日本@名無史さん:2018/03/31(土) 22:15:07.73 .net
>>279
>千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。

でも伊都国は、一大率が臨津搜露するんだから、内陸に比定地を持ってきたら駄目だろう
阿波の言うことは結局は結論からの逆算のトンデモなんだよ

284 :日本@名無史さん:2018/04/01(日) 05:50:55.82 .net
>>283
>でも伊都国は、一大率が臨津搜露するんだから、内陸に比定地を持ってきたら駄目だろう


「王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯」
(王が使節を、洛陽や帯方郡または諸韓国に派遣する場合や、帯方郡の使節が来た場合は、それらの使節は港で文書や賜物をあらため、女王への錯綜が起らないようにする。)

伊都国(直方)に一大率が置かれた理由を教えて進ぜよう。

大陸からの往路 玄関口(福津市周辺 万津浦)
大陸への復路  出航地(平戸市周辺)

伊都国(直方)は大陸往復路の分岐点である。 
だから、大陸出入りを監視出来る立地(内陸)の直方辺りに一大率が置かれたんですよ。  

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。   @阿波

285 :日本@名無史さん:2018/04/01(日) 06:00:55.16 .net
伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば税関所。

その伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。  @阿波

286 :日本@名無史さん:2018/04/01(日) 15:06:08.38 .net
>>284
福岡平野にそれなりに繁栄した国があったのは確実
壱岐国から福岡平野を無視して福津市まで行くのはあり得ない
万津浦が末慮と主張しているが、末慮は国であって海岸の名前ではない
というか万津浦って地名、残ってないぞ

ということで、阿波のいうことはトンデモ

287 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 14:57:43.56 .net
大物主の倉庫

288 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 15:56:05.77 .net
>>286
>福岡平野にそれなりに繁栄した国があったのは確実

「それなりに繁栄した国」は福岡平野に限らず、至る所に在る。  @阿波

289 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 16:00:35.53 .net
>>286
>万津浦が末慮と主張しているが、末慮は国であって海岸の名前ではない

違う  万津浦は末羅國の一部(臨海部)。  末羅國は万津浦」だけではない。  @阿波

290 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 17:08:33.85 .net
>>289
>違う  万津浦は末羅國の一部(臨海部)。

一部ではない、本体部分の名前は何ていうんだい?

残ってない地名でグダグダ言っても無理だよ
普通の比定地の方は、末羅国造も記録があるし、万津浦が末慮国なんてのはただのトンデモだよ

291 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 17:13:17.13 .net
>>290
>一部ではない、本体部分の名前は何ていうんだい?

末羅國=宗像地域  @阿波

292 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 17:15:12.26 .net
>>291

末羅國=宗像地域というより、福津市辺り  @阿波

293 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 17:58:32.27 .net
だから、そこは「宗像」であり、「福津」であって、「マツラ」ではないだろ?

古書に1つあったと言われているだけの幻の地名でごまかそうったって、無理だよ

294 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 18:03:11.47 .net
>>293
なにをイライラしてるんだい?
福津市辺りに往古「万津浦」と呼ばれる地域が在ったんじゃないの?
落ち着き給え。  @阿波

295 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 18:36:53.99 .net
>>294
>福津市辺りに往古「万津浦」と呼ばれる地域が在ったんじゃないの?

あったんじゃないのじゃなくて、あったとする理由が希薄すぎる
信頼すべき典拠がない
国名レベルの地名が、跡形もなく消える方が不審

普通に、末慮⇒末羅⇒松浦とする方が、妥当

結局、阿波の比定地・旅程はトンデモ

296 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 18:37:40.04 .net
>>294
そんな文献見たことないな。

297 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 19:20:11.21 .net
>>295
>あったんじゃないのじゃなくて、あったとする理由が希薄すぎる
信頼すべき典拠がない

勝浦の年毛神社に伝わっている「永島文書」書かれたのは1788年以降で、現在は県所有?昔はこの辺りは「万津浦(まつうら)」と呼ばれていたとの記述があるそうです。
http://plaza.rakuten.co.jp/tomo1949/diary/201001080000/山上智氏のブログ古代史


>国名レベルの地名が、跡形もなく消える方が不審

倭人伝に記された地名は跡形もなく消えている。


>普通に、末慮⇒末羅⇒松浦とする方が、妥当

妥当とする理由が希薄すぎる
信頼すべき典拠がない  @阿波

298 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 19:34:02.28 .net
>>296
神湊の年毛神社所蔵の『永島文書』という古文書の中に、
「万津浦」という地名があるって個人ブログで紹介されているだけ

年毛神社は実在
でも、永島文書という古文書があるかどうかは確認できない
年毛神社の宮司さんの苗字が「永島」さんらしい

一応ブログ上に、その古文書の画像が掲載されているけれど、
カタカナ書きで、漢文ではないし、それほど古いものではなさそう
https://plaza.rakuten.co.jp/tomo1949/diary/201001080000/

299 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 19:35:10.74 .net
>>298
無いよりまし  @阿波

300 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 19:38:27.98 .net
>>297
>倭人伝に記された地名は跡形もなく消えている。

對馬國 対馬
一大國 壱岐 (大の字が、他文献では支)
末盧國 松浦
伊都國 怡土
奴國  那の津

残ってるねぇ

阿波の比定地は、魏志倭人伝の国名と縁がなさすぎ

ただのトンデモ

301 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 19:41:42.51 .net
>>300
>末盧國 松浦
伊都國 怡土
奴國  那の津

残ったとする理由が希薄すぎる
信頼すべき典拠がない  @阿波

302 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 21:24:29.36 .net
>>301
>残ったとする理由が希薄すぎる

残ったとする理由ってなんだい?
国レベルで多くの人がいる場所は、多くの人の人生の時間が重なるから
その多くの人の間で地名が共有され続けるから、ずっと地名が残るんだよ

伊都国をイト国と読むのは、大陸の上古音の研究から認めてよい
そして、怡土県主は記紀でも確認できるし、怡土郡は明治29年に糸島郡が
設置されるまで存続しているし、読みはイト郡だった

ものすごく、確実に残ってるだろ?

303 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 21:52:53.52 .net
「怡」の発音って「台」と同じ「yi (yi2)」だろ

他に類例のない希な文字なんだし、発音じゃなく表記で付けられてた地名じゃないの? なら現存の読み方「イト」は後付けであって元からの読み方じゃないと思うな

304 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:18:34.31 .net
>>302
>その多くの人の間で地名が共有され続けるから、ずっと地名が残るんだよ

だから、「万津浦」として残ったんだよ  @阿波

305 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:30:27.18 .net
>>302
>ものすごく、確実に残ってるだろ?

と、自分で思っているだけ。  信頼すべき典拠がない  @阿波

306 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:30:52.91 .net
>>303
>「怡」の発音って「台」と同じ「yi (yi2)」だろ

「yi」なら、ヤ行の「い」で、音そのままだと思うが?
何か勘違いがないか?

307 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:34:07.46 .net
>>304
>だから、「万津浦」として残ったんだよ

いや、地名として残ってないだろうが!
残ってたら、山上智氏とかいう人は、永島文書で見つけて喜んだりしないだろ?

そういう基本的なところでごまかしを入れなきゃならない時点で、無理押しのトンデモなんだよ

308 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:40:43.16 .net
>>307
>いや、地名として残ってないだろうが!

じゃぁ、松浦や怡土や那の津が「地名として残った」という「信頼すべき典拠」はなに?  @阿波 ているのはどれ?

309 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:41:43.56 .net
>>307
>いや、地名として残ってないだろうが!

じゃぁ、松浦や怡土や那の津が「地名として残った」という「信頼すべき典拠」はなに?  @阿波

310 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:44:03.64 .net
>>305
>信頼すべき典拠がない

明治時代まで怡土郡はあったし、行政文書にも記されてるぞ?
東松浦郡は現在でも地名として生きているし、典拠もなにも地図に書いてあるぞ?

無理に言い張っても無意味だよ

311 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:49:52.36 .net
「万津浦」を否定しておいて、松浦や怡土や那の津が「地名として残った」というには所詮無理。  @阿波

312 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:55:02.93 .net
>>310
>明治時代まで怡土郡はあったし、

現在残っていないから「万津浦」と似たり寄ったり。

313 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 23:17:56.44 .net
末慮國  東唐津(松浦川河口湖南岸中原遺跡)

314 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 23:19:07.51 .net
>>306
邪馬台国があったとされてる三国時代には台の発音は「yi (yi2)」じゃなく「d?i 」「t'?i 」あたりだろう。イじゃなくダーだかターだか、そんな感じ

315 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 23:19:31.69 .net
表記できない文字だったようで化けたな

316 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 23:28:48.00 .net
eを逆さまに回転させた文字が化けて? になってるのか
英単語の発音記号でよく見かける、濁った発音の「ア」だよ

317 :アリマ戦:2018/04/16(月) 23:48:51.46 .net
薬害死刑スタッフ以外ニグループ100件以上介護保険税金泥棒殺ッテマス100森友ノロウイルス焼肉虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポシテルンデシタッケ盗難郡大報酬公害モヤシテ老害ケタチガイ違反重々ヤット麻薬王振戦山炉ウドモ死ネ世
https://potato.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1450587285

318 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 00:07:03.69 .net
>>312
>>明治時代まで怡土郡はあったし、

>現在残っていないから「万津浦」と似たり寄ったり。

本気でそう言ってるのか?
怡土郡は志摩郡とニコイチで、糸島郡になっただけで消えたわけじゃないし、
今でも「糸」島市として、「現役の地名」だぞ!

「万津浦」は、現在影も形もなくて、出処・由来不明の永島文書に一ヶ所書いてあったってだけだぞ
場合によっては、永島宮司のお祖父さんが私的に使っていた呼び方かもしれない
どう見ても弥生時代まで遡れる文書じゃないし、これを末慮国の典拠に使うのは無理筋で
誰も納得しないよ

319 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 00:10:00.78 .net
>>314
>邪馬台国があったとされてる三国時代には台の発音は「yi (yi2)」じゃなく「d?i 」「t'?i 」あたりだろう。イじゃなくダーだかターだか、そんな感じ

ごめんなぁ
がんばって書いてくれたんだろうが、「怡土」という漢字表記は、記紀にあるもので8世紀なんだわ
三国時代の発音はむしろ関係ない

320 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 06:29:19.19 .net
>>318
>怡土郡は志摩郡とニコイチで、糸島郡になっただけで消えたわけじゃないし、

それを「消えた」と言うんだよ。


>今でも「糸」島市として、「現役の地名」だぞ!

伊都國となんの関係もなし。  それを裏付ける根拠が一切無い。  君が勝手のそう思っているだけ。    


>「万津浦」は、現在影も形もなくて、出処・由来不明の永島文書に一ヶ所書いてあったってだけだぞ

あるだけまし。  @阿波

321 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 07:47:51.93 .net
>>320
>それを「消えた」と言うんだよ。

今問題にしているのは、「イト」という地名が残っているかどうかで、
怡土郡という行政区が対象じゃないんだが?

不利になると話をずらしてごまかそうとする
それじゃ九州説の三バカと同じだぞ

「イト」の地名は「糸」島市として、現役の地名
元は音として地名があって、漢字表記は当て字なんだから、
「怡土」「伊都」を使ってないから消えたなんていうのは、
詭弁にすらならない

>あるだけまし。

いや>>318をよく読め
『「万津浦」は、現在影も形もなくて、』
福津市周辺には、万津浦も松浦も末羅も、小字まで見ても一切ないぞ

「あるだけまし」じゃなくて、「ない」んだよ

322 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 07:56:23.83 .net
>>321
>今問題にしているのは、「イト」という地名が残っているかどうかで、
怡土郡という行政区が対象じゃないんだが?


伊都國となんの関係もなし。  それを裏付ける根拠が一切無い。  君が勝手のそう妄想しているだけ。  @阿波    

323 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 07:59:29.85 .net
>>320
>伊都國となんの関係もなし。  それを裏付ける根拠が一切無い。  君が勝手のそう思っているだけ。

記紀に、伊都々比古、伊都縣道邊、伊覩縣主祖五十迹手、と出てきて、
これが後の怡土県主に繋がると考えて問題ない

確実な絶対の根拠だとまでは言わないが、「根拠が一切ない」というのは
苦し紛れにもならないねぇ

324 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 08:07:52.57 .net
>>323
>記紀に、伊都々比古、伊都縣道邊、伊覩縣主祖五十迹手、と出てきて、
これが後の怡土県主に繋がると考えて問題ない

伊都國となんの関係もなし。  それを裏付ける根拠が一切無い。  君が勝手のそう妄想しているだけ。 


>確実な絶対の根拠だとまでは言わないが、「根拠が一切ない」というのは
苦し紛れにもならないねぇ

「記紀は倭国(阿波)国内での出来事」と言っているのと一緒。  @阿波

325 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 08:37:02.84 .net
根拠厨は脊髄反射で書き込んでいるだけの無能

326 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 12:10:06.62 .net
>>324
>「記紀は倭国(阿波)国内での出来事」と言っているのと一緒。

これが妄想なんだけど?

327 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 12:10:53.40 .net
>>325
>根拠厨は脊髄反射で書き込んでいるだけの無能

こっちはきちんと根拠をつけているんだから、自分でググって確認してみればいいだろ?
それをしないやつが無能だよ

328 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 12:21:37.06 .net
>>323
>記紀に、伊都々比古、伊都縣道邊、伊覩縣主祖五十迹手、と出てきて、
これが後の怡土県主に繋がると考えて問題ない

これが妄想なんだけど?
伊都國となんの関係もなし。  それを裏付ける根拠が一切無い。  君が勝手のそう妄想しているだけ。 

329 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 12:37:44.55 .net
>>328
それはひどい言いがかりだろ。
どう見てもこれらは魏志倭人伝の伊都だよ。
証拠の文献にまで言いがかりをつけるなら、一切の議論は成り立たなくなる。

330 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 13:08:35.73 .net
>>329
>どう見てもこれらは魏志倭人伝の伊都だよ。

当然として、魏志倭人伝と記紀は別物だよね。 
なんで記紀にある「伊都」だけを魏志倭人伝と結びつけるのかね?
たとえば「末盧国」「奴国」「不弥国」「投馬国」「邪馬台国」が記紀にあるのかね? それは短絡過ぎじゃないの? @阿波  

331 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 16:34:22.00 .net
>>330
>たとえば「末盧国」「奴国」「不弥国」「投馬国」「邪馬台国」が記紀にあるのかね?

面倒だから、伊都国で代表させてあるけれど、
「對馬國」 日本書紀神代上 對馬嶋
      古事記神代記  津嶋

「一大國」 日本書紀神代上 壹岐嶋
(一支國) 古事記神代記  伊伎嶋

「末盧国」 日本書紀神功紀 火前國松浦縣
      古事記仲哀記  筑紫末羅縣

伊都国は省略

「奴国」  日本書紀仲哀紀 儺縣 神功紀 儺河
      
不彌国は不明

「投馬國」 日本書紀神代下 出雲國
dug-mag  古事記神代記 出雲國

「邪馬壹國」 日本書紀神代上 日本、此云耶麻騰
(邪馬臺國) 古事記神代記  倭

と、不彌国以外は全部揃ってるよ

いいかげん、駄々をこねるのやめなよ みっともない

阿波の比定地だと
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
となっているけれど、直方辺りには、伊都の痕跡すらないじゃないか

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