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九州の古代史【邪馬台国畿内説前提】
- 1 :日本@名無史さん:2015/09/18(金) 21:00:14.38 .net
- 古代九州の話となると邪馬台国論争に終始してしまうので、個別に語れる場所はないかと。
畿内説への反論は畿内説スレにて、九州説を前提とした古代九州の話は九州説スレにてどうぞ。
- 284 :日本@名無史さん:2018/04/01(日) 05:50:55.82 .net
- >>283
>でも伊都国は、一大率が臨津搜露するんだから、内陸に比定地を持ってきたら駄目だろう
「王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯」
(王が使節を、洛陽や帯方郡または諸韓国に派遣する場合や、帯方郡の使節が来た場合は、それらの使節は港で文書や賜物をあらため、女王への錯綜が起らないようにする。)
伊都国(直方)に一大率が置かれた理由を教えて進ぜよう。
大陸からの往路 玄関口(福津市周辺 万津浦)
大陸への復路 出航地(平戸市周辺)
伊都国(直方)は大陸往復路の分岐点である。
だから、大陸出入りを監視出来る立地(内陸)の直方辺りに一大率が置かれたんですよ。
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。 @阿波
- 285 :日本@名無史さん:2018/04/01(日) 06:00:55.16 .net
- 伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば税関所。
その伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。 @阿波
- 286 :日本@名無史さん:2018/04/01(日) 15:06:08.38 .net
- >>284
福岡平野にそれなりに繁栄した国があったのは確実
壱岐国から福岡平野を無視して福津市まで行くのはあり得ない
万津浦が末慮と主張しているが、末慮は国であって海岸の名前ではない
というか万津浦って地名、残ってないぞ
ということで、阿波のいうことはトンデモ
- 287 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 14:57:43.56 .net
- 大物主の倉庫
- 288 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 15:56:05.77 .net
- >>286
>福岡平野にそれなりに繁栄した国があったのは確実
「それなりに繁栄した国」は福岡平野に限らず、至る所に在る。 @阿波
- 289 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 16:00:35.53 .net
- >>286
>万津浦が末慮と主張しているが、末慮は国であって海岸の名前ではない
違う 万津浦は末羅國の一部(臨海部)。 末羅國は万津浦」だけではない。 @阿波
- 290 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 17:08:33.85 .net
- >>289
>違う 万津浦は末羅國の一部(臨海部)。
一部ではない、本体部分の名前は何ていうんだい?
残ってない地名でグダグダ言っても無理だよ
普通の比定地の方は、末羅国造も記録があるし、万津浦が末慮国なんてのはただのトンデモだよ
- 291 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 17:13:17.13 .net
- >>290
>一部ではない、本体部分の名前は何ていうんだい?
末羅國=宗像地域 @阿波
- 292 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 17:15:12.26 .net
- >>291
末羅國=宗像地域というより、福津市辺り @阿波
- 293 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 17:58:32.27 .net
- だから、そこは「宗像」であり、「福津」であって、「マツラ」ではないだろ?
古書に1つあったと言われているだけの幻の地名でごまかそうったって、無理だよ
- 294 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 18:03:11.47 .net
- >>293
なにをイライラしてるんだい?
福津市辺りに往古「万津浦」と呼ばれる地域が在ったんじゃないの?
落ち着き給え。 @阿波
- 295 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 18:36:53.99 .net
- >>294
>福津市辺りに往古「万津浦」と呼ばれる地域が在ったんじゃないの?
あったんじゃないのじゃなくて、あったとする理由が希薄すぎる
信頼すべき典拠がない
国名レベルの地名が、跡形もなく消える方が不審
普通に、末慮⇒末羅⇒松浦とする方が、妥当
結局、阿波の比定地・旅程はトンデモ
- 296 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 18:37:40.04 .net
- >>294
そんな文献見たことないな。
- 297 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 19:20:11.21 .net
- >>295
>あったんじゃないのじゃなくて、あったとする理由が希薄すぎる
信頼すべき典拠がない
勝浦の年毛神社に伝わっている「永島文書」書かれたのは1788年以降で、現在は県所有?昔はこの辺りは「万津浦(まつうら)」と呼ばれていたとの記述があるそうです。
http://plaza.rakuten.co.jp/tomo1949/diary/201001080000/山上智氏のブログ古代史
>国名レベルの地名が、跡形もなく消える方が不審
倭人伝に記された地名は跡形もなく消えている。
>普通に、末慮⇒末羅⇒松浦とする方が、妥当
妥当とする理由が希薄すぎる
信頼すべき典拠がない @阿波
- 298 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 19:34:02.28 .net
- >>296
神湊の年毛神社所蔵の『永島文書』という古文書の中に、
「万津浦」という地名があるって個人ブログで紹介されているだけ
年毛神社は実在
でも、永島文書という古文書があるかどうかは確認できない
年毛神社の宮司さんの苗字が「永島」さんらしい
一応ブログ上に、その古文書の画像が掲載されているけれど、
カタカナ書きで、漢文ではないし、それほど古いものではなさそう
https://plaza.rakuten.co.jp/tomo1949/diary/201001080000/
- 299 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 19:35:10.74 .net
- >>298
無いよりまし @阿波
- 300 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 19:38:27.98 .net
- >>297
>倭人伝に記された地名は跡形もなく消えている。
對馬國 対馬
一大國 壱岐 (大の字が、他文献では支)
末盧國 松浦
伊都國 怡土
奴國 那の津
残ってるねぇ
阿波の比定地は、魏志倭人伝の国名と縁がなさすぎ
ただのトンデモ
- 301 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 19:41:42.51 .net
- >>300
>末盧國 松浦
伊都國 怡土
奴國 那の津
残ったとする理由が希薄すぎる
信頼すべき典拠がない @阿波
- 302 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 21:24:29.36 .net
- >>301
>残ったとする理由が希薄すぎる
残ったとする理由ってなんだい?
国レベルで多くの人がいる場所は、多くの人の人生の時間が重なるから
その多くの人の間で地名が共有され続けるから、ずっと地名が残るんだよ
伊都国をイト国と読むのは、大陸の上古音の研究から認めてよい
そして、怡土県主は記紀でも確認できるし、怡土郡は明治29年に糸島郡が
設置されるまで存続しているし、読みはイト郡だった
ものすごく、確実に残ってるだろ?
- 303 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 21:52:53.52 .net
- 「怡」の発音って「台」と同じ「yi (yi2)」だろ
他に類例のない希な文字なんだし、発音じゃなく表記で付けられてた地名じゃないの? なら現存の読み方「イト」は後付けであって元からの読み方じゃないと思うな
- 304 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:18:34.31 .net
- >>302
>その多くの人の間で地名が共有され続けるから、ずっと地名が残るんだよ
だから、「万津浦」として残ったんだよ @阿波
- 305 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:30:27.18 .net
- >>302
>ものすごく、確実に残ってるだろ?
と、自分で思っているだけ。 信頼すべき典拠がない @阿波
- 306 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:30:52.91 .net
- >>303
>「怡」の発音って「台」と同じ「yi (yi2)」だろ
「yi」なら、ヤ行の「い」で、音そのままだと思うが?
何か勘違いがないか?
- 307 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:34:07.46 .net
- >>304
>だから、「万津浦」として残ったんだよ
いや、地名として残ってないだろうが!
残ってたら、山上智氏とかいう人は、永島文書で見つけて喜んだりしないだろ?
そういう基本的なところでごまかしを入れなきゃならない時点で、無理押しのトンデモなんだよ
- 308 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:40:43.16 .net
- >>307
>いや、地名として残ってないだろうが!
じゃぁ、松浦や怡土や那の津が「地名として残った」という「信頼すべき典拠」はなに? @阿波 ているのはどれ?
- 309 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:41:43.56 .net
- >>307
>いや、地名として残ってないだろうが!
じゃぁ、松浦や怡土や那の津が「地名として残った」という「信頼すべき典拠」はなに? @阿波
- 310 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:44:03.64 .net
- >>305
>信頼すべき典拠がない
明治時代まで怡土郡はあったし、行政文書にも記されてるぞ?
東松浦郡は現在でも地名として生きているし、典拠もなにも地図に書いてあるぞ?
無理に言い張っても無意味だよ
- 311 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:49:52.36 .net
- 「万津浦」を否定しておいて、松浦や怡土や那の津が「地名として残った」というには所詮無理。 @阿波
- 312 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 22:55:02.93 .net
- >>310
>明治時代まで怡土郡はあったし、
現在残っていないから「万津浦」と似たり寄ったり。
- 313 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 23:17:56.44 .net
- 末慮國 東唐津(松浦川河口湖南岸中原遺跡)
- 314 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 23:19:07.51 .net
- >>306
邪馬台国があったとされてる三国時代には台の発音は「yi (yi2)」じゃなく「d?i 」「t'?i 」あたりだろう。イじゃなくダーだかターだか、そんな感じ
- 315 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 23:19:31.69 .net
- 表記できない文字だったようで化けたな
- 316 :日本@名無史さん:2018/04/16(月) 23:28:48.00 .net
- eを逆さまに回転させた文字が化けて? になってるのか
英単語の発音記号でよく見かける、濁った発音の「ア」だよ
- 317 :アリマ戦:2018/04/16(月) 23:48:51.46 .net
- 薬害死刑スタッフ以外ニグループ100件以上介護保険税金泥棒殺ッテマス100森友ノロウイルス焼肉虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポシテルンデシタッケ盗難郡大報酬公害モヤシテ老害ケタチガイ違反重々ヤット麻薬王振戦山炉ウドモ死ネ世
https://potato.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1450587285
- 318 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 00:07:03.69 .net
- >>312
>>明治時代まで怡土郡はあったし、
>現在残っていないから「万津浦」と似たり寄ったり。
本気でそう言ってるのか?
怡土郡は志摩郡とニコイチで、糸島郡になっただけで消えたわけじゃないし、
今でも「糸」島市として、「現役の地名」だぞ!
「万津浦」は、現在影も形もなくて、出処・由来不明の永島文書に一ヶ所書いてあったってだけだぞ
場合によっては、永島宮司のお祖父さんが私的に使っていた呼び方かもしれない
どう見ても弥生時代まで遡れる文書じゃないし、これを末慮国の典拠に使うのは無理筋で
誰も納得しないよ
- 319 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 00:10:00.78 .net
- >>314
>邪馬台国があったとされてる三国時代には台の発音は「yi (yi2)」じゃなく「d?i 」「t'?i 」あたりだろう。イじゃなくダーだかターだか、そんな感じ
ごめんなぁ
がんばって書いてくれたんだろうが、「怡土」という漢字表記は、記紀にあるもので8世紀なんだわ
三国時代の発音はむしろ関係ない
- 320 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 06:29:19.19 .net
- >>318
>怡土郡は志摩郡とニコイチで、糸島郡になっただけで消えたわけじゃないし、
それを「消えた」と言うんだよ。
>今でも「糸」島市として、「現役の地名」だぞ!
伊都國となんの関係もなし。 それを裏付ける根拠が一切無い。 君が勝手のそう思っているだけ。
>「万津浦」は、現在影も形もなくて、出処・由来不明の永島文書に一ヶ所書いてあったってだけだぞ
あるだけまし。 @阿波
- 321 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 07:47:51.93 .net
- >>320
>それを「消えた」と言うんだよ。
今問題にしているのは、「イト」という地名が残っているかどうかで、
怡土郡という行政区が対象じゃないんだが?
不利になると話をずらしてごまかそうとする
それじゃ九州説の三バカと同じだぞ
「イト」の地名は「糸」島市として、現役の地名
元は音として地名があって、漢字表記は当て字なんだから、
「怡土」「伊都」を使ってないから消えたなんていうのは、
詭弁にすらならない
>あるだけまし。
いや>>318をよく読め
『「万津浦」は、現在影も形もなくて、』
福津市周辺には、万津浦も松浦も末羅も、小字まで見ても一切ないぞ
「あるだけまし」じゃなくて、「ない」んだよ
- 322 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 07:56:23.83 .net
- >>321
>今問題にしているのは、「イト」という地名が残っているかどうかで、
怡土郡という行政区が対象じゃないんだが?
伊都國となんの関係もなし。 それを裏付ける根拠が一切無い。 君が勝手のそう妄想しているだけ。 @阿波
- 323 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 07:59:29.85 .net
- >>320
>伊都國となんの関係もなし。 それを裏付ける根拠が一切無い。 君が勝手のそう思っているだけ。
記紀に、伊都々比古、伊都縣道邊、伊覩縣主祖五十迹手、と出てきて、
これが後の怡土県主に繋がると考えて問題ない
確実な絶対の根拠だとまでは言わないが、「根拠が一切ない」というのは
苦し紛れにもならないねぇ
- 324 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 08:07:52.57 .net
- >>323
>記紀に、伊都々比古、伊都縣道邊、伊覩縣主祖五十迹手、と出てきて、
これが後の怡土県主に繋がると考えて問題ない
伊都國となんの関係もなし。 それを裏付ける根拠が一切無い。 君が勝手のそう妄想しているだけ。
>確実な絶対の根拠だとまでは言わないが、「根拠が一切ない」というのは
苦し紛れにもならないねぇ
「記紀は倭国(阿波)国内での出来事」と言っているのと一緒。 @阿波
- 325 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 08:37:02.84 .net
- 根拠厨は脊髄反射で書き込んでいるだけの無能
- 326 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 12:10:06.62 .net
- >>324
>「記紀は倭国(阿波)国内での出来事」と言っているのと一緒。
これが妄想なんだけど?
- 327 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 12:10:53.40 .net
- >>325
>根拠厨は脊髄反射で書き込んでいるだけの無能
こっちはきちんと根拠をつけているんだから、自分でググって確認してみればいいだろ?
それをしないやつが無能だよ
- 328 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 12:21:37.06 .net
- >>323
>記紀に、伊都々比古、伊都縣道邊、伊覩縣主祖五十迹手、と出てきて、
これが後の怡土県主に繋がると考えて問題ない
これが妄想なんだけど?
伊都國となんの関係もなし。 それを裏付ける根拠が一切無い。 君が勝手のそう妄想しているだけ。
- 329 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 12:37:44.55 .net
- >>328
それはひどい言いがかりだろ。
どう見てもこれらは魏志倭人伝の伊都だよ。
証拠の文献にまで言いがかりをつけるなら、一切の議論は成り立たなくなる。
- 330 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 13:08:35.73 .net
- >>329
>どう見てもこれらは魏志倭人伝の伊都だよ。
当然として、魏志倭人伝と記紀は別物だよね。
なんで記紀にある「伊都」だけを魏志倭人伝と結びつけるのかね?
たとえば「末盧国」「奴国」「不弥国」「投馬国」「邪馬台国」が記紀にあるのかね? それは短絡過ぎじゃないの? @阿波
- 331 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 16:34:22.00 .net
- >>330
>たとえば「末盧国」「奴国」「不弥国」「投馬国」「邪馬台国」が記紀にあるのかね?
面倒だから、伊都国で代表させてあるけれど、
「對馬國」 日本書紀神代上 對馬嶋
古事記神代記 津嶋
「一大國」 日本書紀神代上 壹岐嶋
(一支國) 古事記神代記 伊伎嶋
「末盧国」 日本書紀神功紀 火前國松浦縣
古事記仲哀記 筑紫末羅縣
伊都国は省略
「奴国」 日本書紀仲哀紀 儺縣 神功紀 儺河
不彌国は不明
「投馬國」 日本書紀神代下 出雲國
dug-mag 古事記神代記 出雲國
「邪馬壹國」 日本書紀神代上 日本、此云耶麻騰
(邪馬臺國) 古事記神代記 倭
と、不彌国以外は全部揃ってるよ
いいかげん、駄々をこねるのやめなよ みっともない
阿波の比定地だと
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
となっているけれど、直方辺りには、伊都の痕跡すらないじゃないか
- 332 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 16:42:24.89 .net
- >>331
>阿波の比定地だと
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
となっているけれど、直方辺りには、伊都の痕跡すらないじゃないか
伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば、出入国管理局。
その伊都国は千戸程度だから、感田上原遺跡や帯田遺跡だろう。 @阿波
- 333 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 16:47:49.23 .net
- >>331
>となっているけれど、直方辺りには、伊都の痕跡すらないじゃないか
じゃ、糸島の伊都の痕跡は? 平原? お墓ばっかりはだめよ。 @阿波
- 334 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 18:15:51.17 .net
- 伊都国の遺跡は、三雲遺跡群!
- 335 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 18:25:09.55 .net
- >>334
>伊都国の遺跡は、三雲遺跡群!
糸島はお墓しかないのかね? @阿波
- 336 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 18:41:42.01 .net
- 三雲・井原遺跡は墓域ばかりではなく集落域も合わせた約60haを測るわが国を代表する弥生時代の拠点集落であり、硯などが出土しています。
- 337 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 18:50:11.90 .net
- >>336
>三雲・井原遺跡は墓域ばかりではなく集落域も合わせた約60haを測るわが国を代表する弥生時代の拠点集落であり、硯などが出土しています。
「弥生時代の拠点集落」といっても弥生時代前期(約2,500〜2,300年前)の集落でしょ?
肝心かなめの卑弥呼の時代の集落遺跡は? @阿波
- 338 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 19:02:12.79 .net
- 三雲・井原遺跡は約2,500年〜1,700年前です。
- 339 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 19:19:02.57 .net
- >>338
>三雲・井原遺跡は約2,500年〜1,700年前です。
集落遺跡は
「◆弥生時代前期(約2,500〜2,300年前)の集落と墓域(甕棺)を確認 」と糸島市が言ってるのでは? @阿波
http://www.city.itoshima.lg.jp/s033/010/020/010/170/20170614115443.html
- 340 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 19:27:25.52 .net
- >>339
1)南小路地区−伊都国最初の王墓
◆弥生時代中期後半(約2,000年前)の伊都国王の墓
◆一辺30mを越える弥生時代の大型墳墓
◆主体部である2基の甕棺から中国製の銅鏡57面以上、ガラス璧、ヒスイ勾玉、銅剣など豪華な副葬品が出土
(2)番上地区−伊都国対外交渉の中枢地点
◆番上地区は弥生時代中期後半〜古墳時代前期(約2,000〜1,700年前)の伊都国対外交流の中枢地域
◆多量の中国製の土器(楽浪らくろう系けい土器)と国内2例目となる石製の硯すずりが2点出土
◆『魏志倭人伝』には「(伊都国は)郡使の往来おうらい常つねに駐とどまる所なり」と記述
◆中国(楽浪らくろう郡ぐんや帯方たいほう郡ぐん)からの使者が番上ばんじょう地区付近に滞在した
◆伊都国王の求めに応じ中国に対する外交文書を作成した可能性がある
(3)加賀石地区−伊都国王都の始まりの地点
◆弥生時代初期(約2,500年前)の大型支石墓を確認
◆弥生時代前期(約2,500〜2,300年前)の集落と墓域(甕棺)を確認
見えないの?
- 341 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 19:36:25.57 .net
- >>338
>三雲・井原遺跡は約2,500年〜1,700年前です。
集落遺跡は
「◆弥生時代前期(約2,500〜2,300年前)の集落と墓域(甕棺)を確認 」と糸島市が言ってるのでは? @阿波
http://www.city.itoshima.lg.jp/s033/010/020/010/170/20170614115443.html
- 342 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 19:37:02.10 .net
- >>340
糸島はお墓しかないのかね?
肝心かなめの卑弥呼の時代の集落遺跡は? @阿波
- 343 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 19:45:38.09 .net
- >>342
集落や対外交流の中枢地域とかの文字見えないの?
- 344 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 19:51:43.85 .net
- >>343
>集落や対外交流の中枢地域とかの文字見えないの?
「集落」の文字が見えるのは
「◆弥生時代前期(約2,500〜2,300年前)の集落と墓域(甕棺)を確認 」だけ。
「対外交流の中枢地域」という「卑弥呼の時代の集落遺跡」は? @阿波
- 345 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 20:12:08.46 .net
- >伊都国の遺跡は、三雲遺跡群!
伊都國の遺跡は、久池井惣座遺跡群!
- 346 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 20:15:00.01 .net
- >「対外交流の中枢地域」という「卑弥呼の時代の集落遺跡」は?
久池井惣座遺跡群
- 347 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 20:23:07.29 .net
- >>346
「久池井惣座遺跡群」 これもお墓?
糸島はお墓しかないのかね?
肝心かなめの卑弥呼の時代の集落遺跡は? @阿波
- 348 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 20:31:18.32 .net
- @阿波はなんで九州板で暴れてんの?
- 349 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 20:42:56.54 .net
- >>348
たまたま。 気分次第。 どこでもよい。 暇つぶし。 @阿波
- 350 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 21:23:45.34 .net
- 結局、阿波も自分の悪いことは見ない聞こえないしか言わないバカだってことだ
三雲遺跡群は、古墳時代になっても、端山古墳、築山古墳と伊都国王家の
造墓が続く複合集落遺跡なんだから、卑弥呼の時代も当然に存続してる
そういう常識というか、きちんとした発掘情報もいれずに、思い込みで
同じ事を書き続けるだけのバカだよ
ザラコクと同類
- 351 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 21:28:57.44 .net
- >>350
>三雲遺跡群は、古墳時代になっても、端山古墳、築山古墳と伊都国王家の
造墓が続く複合集落遺跡なんだから、卑弥呼の時代も当然に存続してる
糸島はお墓しかないのかね?
肝心かなめの卑弥呼の時代の集落遺跡は? @阿波
- 352 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 21:35:13.15 .net
- >>350
肝心かなめの卑弥呼の時代の弥生末期集落群がないところに邪馬台国など以ての外。 @阿波
- 353 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 23:27:13.97 .net
- >>351
>糸島はお墓しかないのかね?
>肝心かなめの卑弥呼の時代の集落遺跡は?
三雲遺跡群は、伊都国王家の造墓が続く複合「集落」遺跡
これが、紀元前から古墳時代まで続いてるんだから、
卑弥呼の時代もずっと存続してるって分かるだろうが!
日本語読めますか?
- 354 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 23:31:30.04 .net
- 三国時代の都はトじゃなくてツだろ
伊都はイトじゃなくイツ、発音的には糸島より出雲に近くないかな?
もっとも、出雲の位置は伊都国と合いそうにないけどさ
- 355 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 23:36:55.87 .net
- 怡土郡になるからイトでしょうね。
- 356 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 23:38:32.51 .net
- >>353
いつもお疲れ様です。
意味不明のオラが村信者にはほんと呆れますよね。
井原遺跡は1世紀以降であることが確実なわけです。
末蘆の桜馬場と完璧にリンクしていて、1世紀後半から2世紀前半。
確定。
三雲は三雲で、井原すら凌駕する威信材が詰め込まれた
倭国王墓。
ただ一人の皇后と一緒に葬られている。
そして
井原も三雲も同じ墓域の王墓なのだから、
三雲を紀元前に追いやろうがどうしようが
1世紀後半から2世紀前半の井原から
三雲までは、強力な王権が連続して存在したとしか考えようがない。
否定したければ、
否定したい方がそれ以外の権力所在地を示さないといけない。
三雲が古いと主張するなら、それは結構だが、
それで伊都王権が否定されることは無く、
三雲と井原の間に、まだ見つかっていない王墓が存在しているのだろう、
というだけの話。
三雲の次が井原なら、それはそれで権力が継ぎ目なく継承されている自然な話。
- 357 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 00:32:31.81 .net
- >>347
「久池井惣座遺跡群」は、佐賀市大和町
- 358 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 04:04:25.16 .net
- 糸島市、弥生後期から古墳時代以降に至る複合集落遺跡(1)
浦志井尻遺跡
深江貝田遺跡
潤中町遺跡
潤地頭給遺跡
潤地頭給遺跡 II-E区・III-W区
潤地頭給遺跡 IV区
瀬崎・中牟田遺跡
矢風遺跡
石崎・曲田遺跡 第3次
石崎・曲田遺跡 第4次
神在横畠遺跡
竹戸 東縄手遺跡
竹戸遺跡
荻浦遺跡群 市園遺跡/立石遺跡/坂ノ下遺跡/砂魚塚地区
飯原門口遺跡
高田小生水遺跡
富長浦遺跡
平原遺跡
広田弥生遺跡
御床松原遺跡 第2次
怡土小校庭遺跡
怡土小校庭遺跡 第3次
曲り田遺跡 第3次(上)
曲り田遺跡 第3次(中)
曲り田遺跡/石崎・曲田遺跡
有田塞ノ本遺跡
有田平原所在集落跡(仮称)
松本遺跡/志登松本遺跡
泊リュウサキ遺跡
泊桂木遺跡
- 359 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 04:05:10.02 .net
- 糸島市、弥生後期から古墳時代以降に至る複合集落遺跡(2)
泊桂木遺跡 第2次
泊桂木遺跡 第3次
一ノ町遺跡/一の町遺跡 第2次
三坂七尾遺跡 第1次
三坂七尾遺跡 第2次
三雲・井原遺跡 1264番地(市道)
三雲・井原遺跡 456-1・458-1番地
三雲・井原遺跡 469番地
三雲・井原遺跡 470-2番地
三雲・井原遺跡 三雲ヤリミゾ地区436番地
三雲・井原遺跡 三雲ヤリミゾ地区441番地
三雲・井原遺跡 三雲堺地区248・249番地区
三雲・井原遺跡 三雲堺地区253番地区
三雲・井原遺跡 三雲堺地区281-1番地区
三雲・井原遺跡 下西528・535地区
三雲・井原遺跡 下西534地区
三雲・井原遺跡 南小路地区455番地
三雲・井原遺跡 堺地区
三雲・井原遺跡 宮ノ下地区
三雲・井原遺跡 宮ノ下地区
三雲・井原遺跡 屋敷488地区
三雲・井原遺跡 屋敷489地区
三雲・井原遺跡 屋敷495・1261地区
三雲・井原遺跡 屋敷500地区
三雲遺跡群 ヤリミゾ地区
三雲遺跡群 八龍地区
上深江 森園遺跡
上深江・小西遺跡
上鑵子遺跡
多久柿原II遺跡
- 360 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 04:05:59.59 .net
- 糸島市、弥生後期から古墳時代以降に至る複合集落遺跡(3)
多久柿原I遺跡
多久柿原遺跡
三雲・井原遺跡 469番地
三雲・井原遺跡 470-2番地
三雲・井原遺跡 三雲ヤリミゾ地区436番地
三雲・井原遺跡 三雲ヤリミゾ地区441番地
三雲・井原遺跡 三雲堺地区248・249番地区
三雲・井原遺跡 三雲堺地区253番地区
三雲・井原遺跡 三雲堺地区281-1番地区
三雲・井原遺跡 下西528・535地区
三雲・井原遺跡 下西534地区
三雲・井原遺跡 中川屋敷471・482-1地区
三雲・井原遺跡 中川屋敷478-1ほか地区
三雲・井原遺跡 中川屋敷480-1地区
三雲・井原遺跡 井の川529-2地区
三雲・井原遺跡 井原堺地区D地点
三雲・井原遺跡 八龍地区235番地区
三雲・井原遺跡 南小路地区429-1番地
JR筑肥線複線化用地内遺跡群
一ノ町遺跡/一の町遺跡
- 361 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 06:19:57.95 .net
- >>358-360
「枯れ木も山の賑わい」だね。
これ見ると、糸島市の「弥生末期住居跡」は無いんだが? 墓跡ばかり。
↓
http://park20.wakwak.com/~fujimaki/iseki.htm
それにしても糸島市は貧相だね。 宗像方面の発展跡がはっきり見て取れる。 @阿波
- 362 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 06:28:17.32 .net
- >>361
全部集落ですよ。
- 363 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 06:32:43.70 .net
- >>362
>全部集落ですよ。
でも「枯れ木も山の賑わい」なんじゃないの?
なんでこれに載らないの?
↓
http://park20.wakwak.com/~fujimaki/iseki.htm
それにしても糸島市は貧相だね。 宗像方面の発展跡がはっきり見て取れる。 @阿波
- 364 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 06:40:14.97 .net
- 宗像方面の遺跡って?
- 365 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 06:47:53.38 .net
- >>364
これの宗像市・福津市の遺跡 @阿波
↓
http://park20.wakwak.com/~fujimaki/iseki.htm
- 366 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 06:59:54.58 .net
- 香椎から宗像方面も
遺跡密集地域であることは間違いない。
太宰府九州王朝が香椎あたりから
移転したという説もある。
糟屋の屯倉も近所だね。
- 367 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:38:11.22 .net
- >>366
太宰府九州王朝ってなに? いつの時代の王朝? @阿波
- 368 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:38:40.34 .net
- 九州王朝は伊都国王家も含むよ。
そもそも、筑紫の日向が宮崎県ではなく福岡県の高祖山周辺であるというのが九州王朝説、すなわち筑紫こそ倭国の王都であるという説の中心だからね。
- 369 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:41:01.22 .net
- 九州王朝(1世紀〜7世紀)
首都、糸島市、太宰府等。
- 370 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:43:31.48 .net
- >>368-369
もう、そろそろ、そういう呪縛から抜けるべきでは? 時代は着実に進んでいるよ。 @阿波
- 371 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:46:59.30 .net
- 時代に付いていけてないのは泡君だよ。
- 372 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:47:37.30 .net
- 北部九州は各地に大集落があるから
小国の中心集落なのか
それらをまとめる首都なのかが区別できず
意見が分かれるね。
王朝終末期は太宰府でいいと思うけどね。
- 373 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:51:44.78 .net
- また、北部九州が統一されても
それぞれの小国王都は消えるわけじゃなく
それぞれ地域をまとめる仕事はあるからね。
平安時代まで続くような各地の
小国王都は地方の役場みたいなもんだ。
- 374 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:54:21.55 .net
- 倭国王朝前期は奴国、中期は伊都国、後期は大宰府だろう。
卑弥呼は中期末の最後の女王だろう。
その後はより南方に移動して、祇園山や高良大社、淀姫神社などが関係したのだろう。
- 375 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:56:33.44 .net
- >>369
>九州王朝(1世紀〜7世紀)
>首都、糸島市、太宰府等。
須玖岡本から始まるなら、紀元前の前漢時代にはすでに倭国があったと思うよ。
朝貢も欠かさず行っていたらしい。
- 376 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 08:38:43.59 .net
- >>375
中国からみた倭国はあったと思います。
卑弥呼も倭国の話ですから、中国からみたら同じ国の話ですね。
そうなると、やはり大陸との関連が伺える北部九州が第一候補になるでしょうね。
- 377 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 09:07:35.32 .net
- >>376
>卑弥呼も倭国の話ですから、中国からみたら同じ国の話ですね。
そうなると、やはり大陸との関連が伺える北部九州が第一候補になるでしょうね。
その北部九州には「其山有丹」が該当しない。 その点で即刻アウト! @阿波
- 378 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 09:22:47.36 .net
- >>376
北部九州のように、希少地下資源(財力・技術)の無い所に邪馬台国など以ての外。 @阿波
- 379 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 11:33:03.71 .net
- 阿蘇黄土は焼くと 「赤」 くなりますが、これを 「丹」 といいます。
おそらく倭人は、この丹を体に塗っていたのでしょう。
丹は甕棺の中からも出土しています。
特に土を掘らなくても丹を採れる事から 「有丹」 と記載したのでしょう。
赤水を 「山」 とすれば、当然 「山」 とは阿蘇山を指すと思います。
https://blogs.yahoo.co.jp/wajin128/36709626.html
- 380 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 13:36:11.73 .net
- >>379
>阿蘇黄土は焼くと 「赤」 くなりますが、これを 「丹」 といいます。
「赤い色の形容詞」として「丹」という文字を使うときはあるけれど、
そのときは「丹木」とか、「丹水」とかの形で使うのが普通
単に「丹」とある場合は、鉱物としての「丹」、辰砂=水銀朱を指すのが普通
阿蘇の土を焼いてできる赤いのは、ベンガラであって、そちらは丹土と書かれるのが
普通
絶対に混同がないとは言えないけれど、国の産物として書いてある以上は、水銀朱と
読むのが妥当でしょう
実際、出雲や大和では、国産の水銀朱を弥生時代から使っているし
- 381 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 13:46:21.63 .net
- >>380
>実際、出雲や大和では、国産の水銀朱を弥生時代から使っているし
その国産の水銀朱は出雲忌部や大和忌部が持ち込んだ倭国(阿波)産の辰砂から精製したもの。 @阿波
- 382 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 13:53:22.47 .net
- 阿波は古い時代の遺跡から
精製痕のある遺物出土しまくってるからな
- 383 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 16:24:58.33 .net
- 筑紫でも大量に水銀朱を使っているし、むしろ水銀朱と言えば筑紫。
まあ、阿蘇の土を見て誤解した風聞が中国人に伝わった可能性はあるな。
どちらにしても、筑紫の優位性は揺るがない。
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