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九州の古代史【邪馬台国畿内説前提】
- 340 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 19:27:25.52 .net
- >>339
1)南小路地区−伊都国最初の王墓
◆弥生時代中期後半(約2,000年前)の伊都国王の墓
◆一辺30mを越える弥生時代の大型墳墓
◆主体部である2基の甕棺から中国製の銅鏡57面以上、ガラス璧、ヒスイ勾玉、銅剣など豪華な副葬品が出土
(2)番上地区−伊都国対外交渉の中枢地点
◆番上地区は弥生時代中期後半〜古墳時代前期(約2,000〜1,700年前)の伊都国対外交流の中枢地域
◆多量の中国製の土器(楽浪らくろう系けい土器)と国内2例目となる石製の硯すずりが2点出土
◆『魏志倭人伝』には「(伊都国は)郡使の往来おうらい常つねに駐とどまる所なり」と記述
◆中国(楽浪らくろう郡ぐんや帯方たいほう郡ぐん)からの使者が番上ばんじょう地区付近に滞在した
◆伊都国王の求めに応じ中国に対する外交文書を作成した可能性がある
(3)加賀石地区−伊都国王都の始まりの地点
◆弥生時代初期(約2,500年前)の大型支石墓を確認
◆弥生時代前期(約2,500〜2,300年前)の集落と墓域(甕棺)を確認
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