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九州の古代史【邪馬台国畿内説前提】

343 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 19:45:38.09 .net
>>342
集落や対外交流の中枢地域とかの文字見えないの?

344 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 19:51:43.85 .net
>>343
>集落や対外交流の中枢地域とかの文字見えないの?

「集落」の文字が見えるのは
「◆弥生時代前期(約2,500〜2,300年前)の集落と墓域(甕棺)を確認 」だけ。

「対外交流の中枢地域」という「卑弥呼の時代の集落遺跡」は?  @阿波

345 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 20:12:08.46 .net
>伊都国の遺跡は、三雲遺跡群!

伊都國の遺跡は、久池井惣座遺跡群!

346 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 20:15:00.01 .net
>「対外交流の中枢地域」という「卑弥呼の時代の集落遺跡」は?

久池井惣座遺跡群

347 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 20:23:07.29 .net
>>346
「久池井惣座遺跡群」 これもお墓?  
糸島はお墓しかないのかね?  
肝心かなめの卑弥呼の時代の集落遺跡は?  @阿波

348 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 20:31:18.32 .net
@阿波はなんで九州板で暴れてんの?

349 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 20:42:56.54 .net
>>348
たまたま。 気分次第。 どこでもよい。 暇つぶし。 @阿波

350 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 21:23:45.34 .net
結局、阿波も自分の悪いことは見ない聞こえないしか言わないバカだってことだ

三雲遺跡群は、古墳時代になっても、端山古墳、築山古墳と伊都国王家の
造墓が続く複合集落遺跡なんだから、卑弥呼の時代も当然に存続してる

そういう常識というか、きちんとした発掘情報もいれずに、思い込みで
同じ事を書き続けるだけのバカだよ

ザラコクと同類

351 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 21:28:57.44 .net
>>350
>三雲遺跡群は、古墳時代になっても、端山古墳、築山古墳と伊都国王家の
造墓が続く複合集落遺跡なんだから、卑弥呼の時代も当然に存続してる


糸島はお墓しかないのかね?  
肝心かなめの卑弥呼の時代の集落遺跡は?  @阿波

352 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 21:35:13.15 .net
>>350

肝心かなめの卑弥呼の時代の弥生末期集落群がないところに邪馬台国など以ての外。  @阿波

353 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 23:27:13.97 .net
>>351
>糸島はお墓しかないのかね?  
>肝心かなめの卑弥呼の時代の集落遺跡は?


三雲遺跡群は、伊都国王家の造墓が続く複合「集落」遺跡

これが、紀元前から古墳時代まで続いてるんだから、
卑弥呼の時代もずっと存続してるって分かるだろうが!

日本語読めますか?

354 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 23:31:30.04 .net
三国時代の都はトじゃなくてツだろ

伊都はイトじゃなくイツ、発音的には糸島より出雲に近くないかな?
もっとも、出雲の位置は伊都国と合いそうにないけどさ

355 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 23:36:55.87 .net
怡土郡になるからイトでしょうね。

356 :日本@名無史さん:2018/04/17(火) 23:38:32.51 .net
>>353
いつもお疲れ様です。
意味不明のオラが村信者にはほんと呆れますよね。

井原遺跡は1世紀以降であることが確実なわけです。
末蘆の桜馬場と完璧にリンクしていて、1世紀後半から2世紀前半。
確定。

三雲は三雲で、井原すら凌駕する威信材が詰め込まれた
倭国王墓。
ただ一人の皇后と一緒に葬られている。

そして
井原も三雲も同じ墓域の王墓なのだから、
三雲を紀元前に追いやろうがどうしようが
1世紀後半から2世紀前半の井原から
三雲までは、強力な王権が連続して存在したとしか考えようがない。
否定したければ、
否定したい方がそれ以外の権力所在地を示さないといけない。

三雲が古いと主張するなら、それは結構だが、
それで伊都王権が否定されることは無く、
三雲と井原の間に、まだ見つかっていない王墓が存在しているのだろう、
というだけの話。

三雲の次が井原なら、それはそれで権力が継ぎ目なく継承されている自然な話。

357 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 00:32:31.81 .net
>>347

「久池井惣座遺跡群」は、佐賀市大和町

358 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 04:04:25.16 .net
糸島市、弥生後期から古墳時代以降に至る複合集落遺跡(1)

浦志井尻遺跡
深江貝田遺跡
潤中町遺跡
潤地頭給遺跡
潤地頭給遺跡 II-E区・III-W区
潤地頭給遺跡 IV区
瀬崎・中牟田遺跡
矢風遺跡
石崎・曲田遺跡 第3次
石崎・曲田遺跡 第4次
神在横畠遺跡
竹戸 東縄手遺跡
竹戸遺跡
荻浦遺跡群 市園遺跡/立石遺跡/坂ノ下遺跡/砂魚塚地区
飯原門口遺跡
高田小生水遺跡
富長浦遺跡
平原遺跡
広田弥生遺跡
御床松原遺跡 第2次
怡土小校庭遺跡
怡土小校庭遺跡 第3次
曲り田遺跡 第3次(上)
曲り田遺跡 第3次(中)
曲り田遺跡/石崎・曲田遺跡
有田塞ノ本遺跡
有田平原所在集落跡(仮称)
松本遺跡/志登松本遺跡
泊リュウサキ遺跡
泊桂木遺跡

359 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 04:05:10.02 .net
糸島市、弥生後期から古墳時代以降に至る複合集落遺跡(2)

泊桂木遺跡 第2次
泊桂木遺跡 第3次
一ノ町遺跡/一の町遺跡 第2次
三坂七尾遺跡 第1次
三坂七尾遺跡 第2次
三雲・井原遺跡 1264番地(市道)
三雲・井原遺跡 456-1・458-1番地
三雲・井原遺跡 469番地
三雲・井原遺跡 470-2番地
三雲・井原遺跡 三雲ヤリミゾ地区436番地
三雲・井原遺跡 三雲ヤリミゾ地区441番地
三雲・井原遺跡 三雲堺地区248・249番地区
三雲・井原遺跡 三雲堺地区253番地区
三雲・井原遺跡 三雲堺地区281-1番地区
三雲・井原遺跡 下西528・535地区
三雲・井原遺跡 下西534地区
三雲・井原遺跡 南小路地区455番地
三雲・井原遺跡 堺地区
三雲・井原遺跡 宮ノ下地区
三雲・井原遺跡 宮ノ下地区
三雲・井原遺跡 屋敷488地区
三雲・井原遺跡 屋敷489地区
三雲・井原遺跡 屋敷495・1261地区
三雲・井原遺跡 屋敷500地区
三雲遺跡群 ヤリミゾ地区
三雲遺跡群 八龍地区
上深江 森園遺跡
上深江・小西遺跡
上鑵子遺跡
多久柿原II遺跡

360 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 04:05:59.59 .net
糸島市、弥生後期から古墳時代以降に至る複合集落遺跡(3)
多久柿原I遺跡
多久柿原遺跡
三雲・井原遺跡 469番地
三雲・井原遺跡 470-2番地
三雲・井原遺跡 三雲ヤリミゾ地区436番地
三雲・井原遺跡 三雲ヤリミゾ地区441番地
三雲・井原遺跡 三雲堺地区248・249番地区
三雲・井原遺跡 三雲堺地区253番地区
三雲・井原遺跡 三雲堺地区281-1番地区
三雲・井原遺跡 下西528・535地区
三雲・井原遺跡 下西534地区
三雲・井原遺跡 中川屋敷471・482-1地区
三雲・井原遺跡 中川屋敷478-1ほか地区
三雲・井原遺跡 中川屋敷480-1地区
三雲・井原遺跡 井の川529-2地区
三雲・井原遺跡 井原堺地区D地点
三雲・井原遺跡 八龍地区235番地区
三雲・井原遺跡 南小路地区429-1番地
JR筑肥線複線化用地内遺跡群
一ノ町遺跡/一の町遺跡

361 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 06:19:57.95 .net
>>358-360
「枯れ木も山の賑わい」だね。
これ見ると、糸島市の「弥生末期住居跡」は無いんだが? 墓跡ばかり。

http://park20.wakwak.com/~fujimaki/iseki.htm

それにしても糸島市は貧相だね。 宗像方面の発展跡がはっきり見て取れる。  @阿波

362 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 06:28:17.32 .net
>>361
全部集落ですよ。

363 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 06:32:43.70 .net
>>362
>全部集落ですよ。

でも「枯れ木も山の賑わい」なんじゃないの?
なんでこれに載らないの?

http://park20.wakwak.com/~fujimaki/iseki.htm

それにしても糸島市は貧相だね。 宗像方面の発展跡がはっきり見て取れる。  @阿波

364 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 06:40:14.97 .net
宗像方面の遺跡って?

365 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 06:47:53.38 .net
>>364
これの宗像市・福津市の遺跡  @阿波

http://park20.wakwak.com/~fujimaki/iseki.htm

366 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 06:59:54.58 .net
香椎から宗像方面も
遺跡密集地域であることは間違いない。
太宰府九州王朝が香椎あたりから
移転したという説もある。
糟屋の屯倉も近所だね。

367 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:38:11.22 .net
>>366
太宰府九州王朝ってなに?  いつの時代の王朝?  @阿波

368 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:38:40.34 .net
九州王朝は伊都国王家も含むよ。
そもそも、筑紫の日向が宮崎県ではなく福岡県の高祖山周辺であるというのが九州王朝説、すなわち筑紫こそ倭国の王都であるという説の中心だからね。

369 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:41:01.22 .net
九州王朝(1世紀〜7世紀)
首都、糸島市、太宰府等。

370 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:43:31.48 .net
>>368-369
もう、そろそろ、そういう呪縛から抜けるべきでは?  時代は着実に進んでいるよ。  @阿波

371 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:46:59.30 .net
時代に付いていけてないのは泡君だよ。

372 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:47:37.30 .net
北部九州は各地に大集落があるから
小国の中心集落なのか
それらをまとめる首都なのかが区別できず
意見が分かれるね。

王朝終末期は太宰府でいいと思うけどね。

373 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:51:44.78 .net
また、北部九州が統一されても
それぞれの小国王都は消えるわけじゃなく
それぞれ地域をまとめる仕事はあるからね。

平安時代まで続くような各地の
小国王都は地方の役場みたいなもんだ。

374 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:54:21.55 .net
倭国王朝前期は奴国、中期は伊都国、後期は大宰府だろう。
卑弥呼は中期末の最後の女王だろう。
その後はより南方に移動して、祇園山や高良大社、淀姫神社などが関係したのだろう。

375 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 07:56:33.44 .net
>>369
>九州王朝(1世紀〜7世紀)
>首都、糸島市、太宰府等。

須玖岡本から始まるなら、紀元前の前漢時代にはすでに倭国があったと思うよ。
朝貢も欠かさず行っていたらしい。

376 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 08:38:43.59 .net
>>375
中国からみた倭国はあったと思います。
卑弥呼も倭国の話ですから、中国からみたら同じ国の話ですね。
そうなると、やはり大陸との関連が伺える北部九州が第一候補になるでしょうね。

377 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 09:07:35.32 .net
>>376
>卑弥呼も倭国の話ですから、中国からみたら同じ国の話ですね。
そうなると、やはり大陸との関連が伺える北部九州が第一候補になるでしょうね。

その北部九州には「其山有丹」が該当しない。 その点で即刻アウト!  @阿波

378 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 09:22:47.36 .net
>>376

北部九州のように、希少地下資源(財力・技術)の無い所に邪馬台国など以ての外。  @阿波

379 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 11:33:03.71 .net
阿蘇黄土は焼くと 「赤」 くなりますが、これを 「丹」 といいます。

おそらく倭人は、この丹を体に塗っていたのでしょう。

丹は甕棺の中からも出土しています。

 

特に土を掘らなくても丹を採れる事から 「有丹」 と記載したのでしょう。

赤水を 「山」 とすれば、当然 「山」 とは阿蘇山を指すと思います。
https://blogs.yahoo.co.jp/wajin128/36709626.html

380 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 13:36:11.73 .net
>>379
>阿蘇黄土は焼くと 「赤」 くなりますが、これを 「丹」 といいます。

「赤い色の形容詞」として「丹」という文字を使うときはあるけれど、
そのときは「丹木」とか、「丹水」とかの形で使うのが普通

単に「丹」とある場合は、鉱物としての「丹」、辰砂=水銀朱を指すのが普通
阿蘇の土を焼いてできる赤いのは、ベンガラであって、そちらは丹土と書かれるのが
普通

絶対に混同がないとは言えないけれど、国の産物として書いてある以上は、水銀朱と
読むのが妥当でしょう

実際、出雲や大和では、国産の水銀朱を弥生時代から使っているし

381 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 13:46:21.63 .net
>>380
>実際、出雲や大和では、国産の水銀朱を弥生時代から使っているし

その国産の水銀朱は出雲忌部や大和忌部が持ち込んだ倭国(阿波)産の辰砂から精製したもの。  @阿波

382 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 13:53:22.47 .net
阿波は古い時代の遺跡から
精製痕のある遺物出土しまくってるからな

383 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 16:24:58.33 .net
筑紫でも大量に水銀朱を使っているし、むしろ水銀朱と言えば筑紫。
まあ、阿蘇の土を見て誤解した風聞が中国人に伝わった可能性はあるな。
どちらにしても、筑紫の優位性は揺るがない。

384 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 17:24:46.85 .net
>>383

筑紫には「其山有丹」が該当しない。 その点で即刻アウト!  @阿波

385 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 17:53:38.93 .net
>>383
>筑紫でも大量に水銀朱を使っているし、むしろ水銀朱と言えば筑紫。

九州島で、弥生時代に国産の水銀朱が使われた例がないのは確認済みなんだよ
水銀朱は出ているけれど、同位体分析で全て大陸産のものしかないのが分かっている

あとは、ベンガラ
だが、ベンガラは丹土であって、丹ではない

九州だけの倭国を主張する限り、其山有丹で九州説は詰む

そういうと、交易で手に入れたと言い出すやつがいるけれど、
交易で人のつながりがあるのなら、倭国は九州だけにはならないし、
当然に四国も本州も倭国の範囲に入る

386 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 20:17:21.49 .net
一番豊富に朱丹使われたのが福岡だからね。
弥生時代の奈良には使用痕跡は二ヶ所しかなく
そのうちの一つは箱に詰めて埋葬するという
わけのわからない使い方になってる。

朱丹を使用する文化がなくて
入手はしたものの、どう使ったらいいか
わからなかったんだろうね。

387 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 20:29:55.59 .net
「に【丹】」:土を意味する古語であるが、特に赤土のことをいい「字訓」(白川静著、平凡社)
丹とは古代中国では赤土のことなんだってさ。
「其山有丹」の意味は「その山に赤土あり」が正解みたいですね。

388 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 21:03:40.43 .net
白川センセの説明は少なからず独自解釈の私説を含むからねえ

389 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 21:10:24.07 .net
素朴な疑問だが、
魏から真朱もらってきて
この山に丹有り、だと、

朱と丹は別物という解釈でいいのかな?

390 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 21:44:22.97 .net
丹(赤土)の中に真朱や鉛丹、鉄丹(弁柄)などの種類があるんでしょうね。

391 :日本@名無史さん:2018/04/18(水) 22:05:27.27 .net
真朱という文字に本物の水銀朱だぞ、
という感じがするね。
他には水銀朱じゃない赤色塗料も
混じってたんだろうね。

392 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 12:13:01.30 .net
普通は、丹土でベンガラ(鉄丹)だよ

393 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 12:56:14.53 .net
ベンガラ(鉄丹)は丹の代用品

394 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 14:46:49.33 .net
丹、水銀朱は仙薬
丹土、ベンガラは、代用品というか安物でまったく貴重でもなんでもないもの
特記すべき産物ではない

其山丹有とわざわざ書かれるのは、仙薬の丹が当然で、丹土だったら
どこにでもあるものだからそもそも書かれないだろう

395 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 16:22:04.52 .net
筑紫はベンガラさえも採れないのかね?  @阿波

396 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 17:35:56.62 .net
>>393
丹とは赤土及び赤土を使った赤い顔料のことで
丹(赤土)の中に辰砂や弁柄などの種類があるんだよ
ベンガラ(鉄丹)は丹の代用品じゃなくてベンガラも丹なんだよ。

397 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 18:04:32.87 .net
>>396
で、筑紫の「其山有丹(ベンガラ)」はなんという山かね?  @阿波

398 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 18:35:58.35 .net
其山丹有 倭国の山には丹が「有る」

北部九州倭国(福岡長崎佐賀大分熊本)の山には水銀鉱山が「ある」。

いっぱいある。

399 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 18:51:27.65 .net
>>397
其山丹有・・・阿蘇山ですね、赤水とか地名があるようにベンガラの原料となる阿蘇黄土(リモナイト)が豊富にありますね。

400 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 18:52:47.15 .net
@阿波は漢文が理解できない可哀想な子

401 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 18:56:34.72 .net
>>398
>北部九州倭国(福岡長崎佐賀大分熊本)の山には水銀鉱山が「ある」。

筑紫倭国の筑紫ってどこ?  @阿波

402 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 18:58:45.16 .net
>>400
で、筑紫の「其山有丹(ベンガラ)」はなんという山かね?  @阿波

403 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:03:40.64 .net
>>402
其山丹有 倭国の山には丹が「有る」

筑紫には無いよ。

北部九州倭国(福岡長崎佐賀大分熊本)の山には水銀鉱山が「ある」。

いっぱいある

404 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:07:48.74 .net
>>403
>筑紫には無いよ。

筑紫倭国説 崩壊

>北部九州倭国(福岡長崎佐賀大分熊本)の山には水銀鉱山が「ある」。

「其山有丹」はなんという山?  @阿波

405 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:10:31.65 .net
>>404
筑紫倭国説ってなに?

其山丹有 倭国の山には丹が「有る」

筑紫には無いよ。

筑紫を盟主とする北部九州倭国(福岡長崎佐賀大分熊本)の山には水銀鉱山が「ある」。

いっぱいある

406 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:21:59.84 .net
ところで
筑紫を盟主とする北部九州倭国(福岡長崎佐賀大分熊本)って、九州説としてまとまってるの?  @阿波

407 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:31:42.43 .net
北部九州倭国(福岡長崎佐賀大分熊本)が、

邪馬台国:筑前肥前(長崎佐賀)豊前
狗奴国:筑後肥後(熊本)豊後

に分かれて筑紫王の座を求めて覇権を争ったんだよ。

408 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:36:41.11 .net
>>407
>邪馬台国:筑前肥前(長崎佐賀)豊前

その卑弥呼が居た王都はどこ?  @阿波

409 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:39:46.32 .net
>>408
伊都

410 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:45:07.77 .net
>>407
>邪馬台国:筑前肥前(長崎佐賀)豊前

そこの「其山有丹」はなんという山?  @阿波

411 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:47:18.94 .net
>>398
>北部九州倭国(福岡長崎佐賀大分熊本)の山には水銀鉱山が「ある」。

でもそれ、飛鳥時代以降にならないと見つかってなくて、
弥生時代〜古墳時代には「ない」んだ

412 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:48:08.36 .net
>>410
熊本大分にまたがる、阿波や紀伊まで続く中央構造線上の、水銀鉱山の山々。

413 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:49:26.23 .net
>>411
水銀鉱山が飛鳥時代以降に突然出現したの?

どうやって?

414 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:52:08.91 .net
>>412
>熊本大分にまたがる、阿波や紀伊まで続く中央構造線上の、水銀鉱山の山々。

その山々を「其山有丹」だと、魏使が認識できた理由は?  @阿波

415 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:54:03.42 .net
>>414
その山々を「其山有丹」だと、魏使に教えた倭人が認識できなかった理由は?

416 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 19:59:44.20 .net
>>415
その山々を「其山有丹」だと、魏使に教えた倭人は、その山で採れた丹をどこで使ったの?
丹の精製はどこでしたの?  @阿波

417 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 20:02:44.33 .net
>>416
丹の精製ってなに?
なんで国際国家倭国で丹を精製しなくちゃいけないの?

安くて上質の中国丹でいいじゃない。

筑紫王族から遠くて
安くて上質の中国丹が回ってこない辺境地域では
自活しなくちゃいけなかったかもだけど。

知らないねw
そんなド田舎のことはw

418 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 20:04:31.16 .net
旧日本海軍も
筑豊の炭鉱なんて見向きもしないで
英国の無煙炭を大量購入して使っていたな。

海上で軍艦を動かしたときに
煙突から煙が出ないから
戦闘において全然有利だったらしい。

419 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 20:13:02.56 .net
>>417
>なんで国際国家倭国で丹を精製しなくちゃいけないの?

国際国家倭国は丹を精製できる最新技術・文化國だから。  @阿波

420 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 20:15:48.76 .net
なんで安くて上質の中国丹が大量に流通する
国際国家倭国で丹を精製しなくちゃいけないの?

安くて上質の中国丹があるからそれでいいじゃない。

筑紫王族から遠くて
安くて上質の中国丹が回ってこない辺境地域では
自活しなくちゃいけなかったかもだけど。

知らないねw
そんなド田舎のことはw

421 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 20:16:32.73 .net
日本の炭鉱も全て閉山して
オーストラリアからの安くて上質な石炭を使っているね。

422 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 20:26:43.67 .net
まだ釧路に炭鉱あるよ

423 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 20:36:55.35 .net
>>420
>安くて上質の中国丹があるからそれでいいじゃない。

国産より安い訳は?  @阿波

424 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 20:54:52.82 .net
>>423
@阿波ではどうやってわざわざ掘ってたん?

425 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 20:59:38.45 .net
>>424
中国丹より上質で割安だから。 そしていつでも間に合うから。 
で、国産より中国丹が安い訳は? @阿波

426 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:11:22.36 .net
>>425
国産丹があるのに中国丹が大量流通していたから

427 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:14:57.75 .net
>>426
>国産丹があるのに中国丹が大量流通していたから

国産丹があるのにどうして中国丹が大量流通していたの?  @阿波

428 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:17:39.99 .net
>>427
安くて上質だから

429 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:19:38.03 .net
阿波丹がいいのなら北部九州一大率から派兵して土下座させるだろ?
阿波丹にその価値すら無かったってことだよ。

430 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:21:29.00 .net
>>428
>安くて上質だから

国産より安い訳は?  @阿波

431 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:28:20.17 .net
>>430
阿波丹より大量に手に入るから<考古学的出土

432 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:34:39.80 .net
>>431
>阿波丹より大量に手に入るから<考古学的出土

九州産より中国産が安い訳は?  @阿波

433 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:36:35.83 .net
北部九州は豊富に丹が使われてたから
阿波の丹も採取に来てたかもしれないね。

半島に鉄を取りに行ってたくらいだから
阿波に丹を取りに行くくらいは
簡単なことだろう。

434 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:41:32.04 .net
>>433
>北部九州は豊富に丹が使われてたから

九州産がどこも使われていないのはなんで?  @阿波

435 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:43:25.44 .net
>>431
>阿波丹より大量に手に入るから<考古学的出土

九州産より中国産が安い訳は?  @阿波

436 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:44:05.83 .net
>>434
九州産が使われていない、
なんて資料はなかったと思うけど。

437 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:49:10.35 .net
>>436
じゃ、九州産はどこで出土しているの?  @阿波

438 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:51:47.55 .net
九州産ってなに?
なんで国際国家倭国で丹を精製しなくちゃいけないの?

安くて上質の中国丹でいいじゃない。

筑紫王族から遠くて
安くて上質の中国丹が回ってこない辺境地域では
自活しなくちゃいけなかったかもだけど。

知らないねw
そんなド田舎のことはw

439 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:53:02.06 .net
其山丹有 倭国の山には丹が「有る」

北部九州倭国(福岡長崎佐賀大分熊本)の山には水銀鉱山が「ある」。

いっぱいある。

440 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 21:53:56.89 .net
九州は朝貢で貰った朱で十分自給出来たから他産地の使ってなかっただけだったりして

441 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 22:46:59.37 .net
>>440
>九州は朝貢で貰った朱で十分自給出来たから他産地の使ってなかっただけだったりして

中国産や 他産地の丹なんか使わずに、九州産丹を使えばいいのに。  「いっぱいある」って言ってるし。
すぐ間に合うし、格安なのにw 変わってるね、九州人て。  @阿波

442 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 22:53:04.26 .net
九州産の丹が利用され始めるってだいぶ後の時代じゃない?
卑弥呼の時代にはそもそもそこに埋蔵されてる事すら認識されていなかった可能性
存在していても認識できていなければ無いのと同じ

443 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 22:57:10.46 .net
>>442
まぁ、九州説にとって「其山有丹」は癌だから。 暇つぶしのネタにはもってこい。  @阿波

444 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 23:02:38.80 .net
阿蘇のリモナイトは地表に露出してるから容易に見つけられるから古代から知られていた可能性が高いが
その他の所の辰砂なんて卑弥呼の時代には埋蔵されてる事すら認識されていなかった可能性が高いですね。

445 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 23:24:08.99 .net
>>413
>水銀鉱山が飛鳥時代以降に突然出現したの?

>>411に「でもそれ、飛鳥時代以降にならないと見つかってなくて」って書いてあるだろ?
存在が知られていないものは、物質としての存在の有無とは関係なく、「ない」んだよ
知られていなければ、「其山有丹」と書かれることはない

300年以上後に見つかるものを、あるって書けたらエスパーだよ

446 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 23:25:22.50 .net
エスパー伊都

447 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 23:36:50.00 .net
>>436
>九州産が使われていない、
>なんて資料はなかったと思うけど。

同位体分析で、九州産どころから国内産の水銀朱は、
弥生時代の九州では使われていないのは確認されてる

「鉛同位体比測定に基づく遺跡から出土した朱(水銀朱)の産地の解析」南武志ら 分析化学69巻(2013)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunsekikagaku/62/9/62_825/_pdf

448 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 23:38:33.75 .net
九州説が「倭国は九州のみ」を主張する限り、「其山有丹」だけで即死だよ

449 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 23:43:40.79 .net
国産の水銀朱が出るってことは奈良のやはり古墳は5世紀頃のものだな。

450 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 23:46:45.11 .net
古代中国では丹とは赤土、又は赤土で作った赤い顔料のことです
「其山有丹」の丹は赤土のことで阿蘇のリモナイトです。

451 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 00:05:45.22 .net
>>449
理化学年代を理解できてない文盲、乙

452 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 05:17:41.92 .net
>>447
これって、奈良の遺跡の朱は、
奈良の周辺の鉱山からのものとしか
書いてないように見えるけど、
九州の朱の由来はどのへんに書いてあるの?

453 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 07:24:13.45 .net
>>452
>九州の朱の由来はどのへんに書いてあるの?

硫黄同位体分析による西日本日本海沿岸の弥生時代後期から古墳時代の墳墓における朱の産地同定の試み
南 武志ら 地球化学 47,237―243(2013)
http://www.geochem.jp/journal_j/contents/pdf/47-4-237.pdf

454 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 07:27:06.19 .net
違う論文じゃねーか。

455 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 07:58:17.54 .net
>>453

九州のデータは二か所だけだし、
九州の朱の由来については言及してないように見えるけど
どう解釈すれば国内産の水銀朱が使われていないと確認できるの?

456 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:04:31.47 .net
卑弥呼は魏から大量の真朱を貰ってるから
中国産の朱の多く出土する九州が邪馬台国ですね。

457 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:07:12.42 .net
>>453
「弥生時代後期(紀元1〜2世紀)は中国産の朱が地域の中心となる王墓に使用され,
弥生時代終末期(紀元3世紀)は中国産と日本産の混在あるいは日本産の使用に転換している。
さらに古墳時代前期(3世紀後半以降)になると日本産朱の使用に画一化されることが硫黄同位体分析から推察される。」


阿波の若杉山産(水井鉱山)辰砂の採掘と拡散を物語っている。  @阿波

458 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:08:33.10 .net
中国の水銀朱の硫黄同位体比は正の値で
国内産の水銀朱の場合同位体比が負であること

時代が下るにつれ遺跡の水銀朱の同位体比が負の値に変化すること

九州の二つの遺跡では正の値だったから
国内産ではない、と言うことの様子。

ただ元データとしての
国内産の水銀朱の硫黄同位体比が全て負であるとはまだわからないわけだから現段階での一旦の調査結果という認識の方が穏当かも。

国内でもヤマトと徳島?鉱山のものしか硫黄同位体比調べてないように読めるけどね。

459 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:09:36.69 .net
>>455
九州で出土した全ての朱を調べないと国内産の水銀朱が全く使われていないとは言えないですね
九州で出土した全ての朱が中国産となると九州と中国の結びつきは非常に強かったけど
畿内地方はまだ孤立していたうことになりますね。

460 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:13:55.11 .net
丹を使って埋葬する文化も九州起源だから
結局、九州から大和への人と文化の移動を示していることには変わりないのでは?

461 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:15:25.27 .net
自製できるものに輸入品を使ってないということが孤立の論拠にはならないな

462 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:17:24.68 .net
>>459
>九州で出土した全ての朱を調べないと国内産の水銀朱が全く使われていないとは言えないですね

そうだね。 九州古墳前期の朱は阿波産の可能性が高い。  @阿波

463 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:23:09.96 .net
>>459
>九州で出土した全ての朱が中国産となると

九州では「いっぱいとれる」のに、不思議だね。  @阿波

464 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:31:22.11 .net
>>456
>卑弥呼は魏から大量の真朱を貰ってるから
>中国産の朱の多く出土する九州が邪馬台国ですね。

その通りですね。
同意します。

465 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:32:32.43 .net
【里程】
漢代に楽浪郡を支配していた公孫氏が独自の里(短里)で実測
日本側の地名は漢代の地名(倭国の中に、末蘆国、伊都国、奴国・・・
魏が公孫氏の楽浪郡を滅ぼし押収したものが魏略や三国志魏書の参考資料となる。

【日程】
魏代に魏使が出張日誌に記録
日本側の地名は魏代の地名(邪馬台国、狗奴国、投馬国、などは魏代に新登場
三国志魏書の参考資料となる。

466 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:33:21.21 .net
>>460
でも、筑紫から畿内に移住した人たちは、大陸との直接の交渉は行わなかったということですね。
つまりは筑紫が邪馬台国で、畿内は倭種。

467 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:42:24.41 .net
>>466
そりゃ伊都国に一大率を置いたんだから直接じゃないさ

それがどうして筑紫が邪馬台国だって話になるの?

468 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:43:51.77 .net
伊都からの間接的な交流の痕跡が纒向になく、纒向は自給自足で桃を食べていた。

469 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:45:07.15 .net
魏から大量にもらった水銀朱は、九州北部では使われているが、奈良では見つからない。

470 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:45:24.27 .net
>>466
>つまりは筑紫が邪馬台国で

筑紫は「其山有丹」で即刻アウト!  @阿波

471 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:48:23.64 .net
>>466
行わなかったと言うより
行えなかった?のではと。

2世紀は大陸の動乱期ですし。

水銀が手に入らなくなったから自国の鉱山開発をした、という流れが自然なように思います。

朱の珍重は多分道教起源と思うので
列島人があえて鉱山開発したとは思えませんが。

ただ民俗として赤色顔料を使っている様子を見た方士はどこで取れるかは聞いたかもしれない。

472 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:48:39.53 .net
>>469
>魏から大量にもらった水銀朱は、九州北部では使われているが

九州では水銀鉱山が「いっぱいある」のに、九州産が使われていないって不思議だね。  @阿波

473 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:51:46.39 .net
>>469
魏からもらった水銀朱が九州北部で使われていたって証拠は
何もないのだが

474 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:57:35.49 .net
蜘蛛は

虫篇を除くと

知朱

朱を知る


意味深。

475 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 09:17:08.99 .net
>漢から独立状態だった公孫氏が独自の里(短里)で測ったんでしょうね。

おいおい、公孫氏も途中から独立状態になるが、もともとは漢の冊封を受けた漢人だぞ?
どうして、独自の里を使わなきゃいけないんだ?

476 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 09:22:00.27 .net
>>459
>九州で出土した全ての朱が中国産となると九州と中国の結びつきは非常に強かったけど

きちんと読んで
出雲でも、西谷墳墓群では大陸産の朱が使われているけれど、その他の遺跡では国内産
つまり、中国(山陰、出雲)でも西とのつながりの強い首長と、大和とのつながりの強い首長が
隣り合って存在していたってことだよ

出雲までは、大陸朱の流入がある
九州だけの倭国は無理だよ

477 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 09:27:20.99 .net
>>476
>つまり、中国(山陰、出雲)でも西とのつながりの強い首長と、大和とのつながりの強い首長が
隣り合って存在していたってことだよ

「大和」じゃなくて、「阿波」ね。 間違えるとこんがらがるよ。  @阿波

478 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 12:26:39.83 .net
>>475
つか、滅ぼされる直前まで漢の冊封をうけたままだよな
独立してすぐ討伐されて滅んだんだから

479 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 14:24:58.96 .net
>>475
古い時代の習俗は、文明圏の辺縁に残るもの。

480 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 14:28:35.33 .net
>>476
>出雲までは、大陸朱の流入がある
>九州だけの倭国は無理だよ

九州説でも出雲は特別扱いで交流が密だけど、あくまでも列島の代表は博多湾で、中国人は筑紫しか倭と呼んでないよ。
そう書くと九州説の中でも肥国と豊国を忘れるなと言われるけどね。
倭は筑紫を中心に、肥国、豊国、出雲、越、吉備あたりまでの連合国で、阿波、大和あたりは属州扱いかな。

481 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 14:59:19.84 .net
>>479
それ、古代の儒教で信じられてただけの伝説で、信憑性ひくいぞ

482 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 15:01:35.61 .net
>>480
肥国っていうけど肥沃の肥じゃなくて火の国って意味だが

483 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 15:03:47.47 .net
語源はそうだけど、肥前肥後の肥国だから、表記として間違いではないだろ?

484 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 15:12:35.88 .net
>>480
>倭は筑紫を中心に、肥国、豊国、出雲、越、吉備あたりまでの連合国で、阿波、大和あたりは属州扱いかな。

筑紫は「其山有丹」に該当しないから、即刻アウト!  @阿波

485 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 15:24:19.44 .net
水銀朱の話は隣のスレだボケ

486 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 17:02:09.38 .net
>>480
>中国人は筑紫しか倭と呼んでないよ。

これの根拠が示されたことが一度もない
九州説の人の、心の中にしかない妄想だよ

487 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 17:04:37.54 .net
>>485
>水銀朱の話は隣のスレだボケ

このスレでも、400あたりから延々とやってるぞ?
そんなに書かれたくないのか?

九州説が「倭国は九州のみ」を主張する限り、「其山有丹」だけで即死だよ

488 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 17:05:26.78 .net
>>485
相当取り乱してる?  @阿波

489 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 17:07:29.52 .net
>>488
散々他のスレで九州には国産も輸入も水銀朱が沢山あり、それいがいの丹もたくさんあると叩かれたから、他のスレに逃げて来て同じことを繰り返しているくせに。

490 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 17:38:13.60 .net
>>489
>散々他のスレで九州には国産も輸入も水銀朱が沢山あり、それいがいの丹もたくさんあると叩かれたから、

他のスレ?  昨日から水銀朱の話、ここじゃなかったっけ?  @阿波

491 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 17:55:14.56 .net
おっと、ボケていた。

492 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 18:02:47.34 .net
>>489
>散々他のスレで九州には国産も輸入も水銀朱が沢山あり

これが既に捏造
九州からは国産の水銀朱は弥生時代の遺跡からは出ていない

493 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 19:06:52.01 .net
>>482
火の国から肥に変更されたのは奈良時代のこと
天智天武辺りの時代でも火の国だから、時代性を考えろと言いたい
それとも九州王朝は八世紀半ばにも存続してたのかな?

494 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 19:07:59.99 .net
しもた、アンカー数字間違い

495 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 19:32:01.88 .net
肥前肥後の区別をつけて論じるときに不便だし、古事記でも肥国だよ。
火の国というのが原義なのはわかるが、具体的にどの文献かな?

496 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 21:40:54.51 .net
諸国の国名を雅字に変更させたときに火から肥やしに変えられたんだが

それまでは紀伊は木の国だし上野は上毛野だ

記紀は(つまり古事記もだ)基本的に変更後の国名だろ

497 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 06:35:38.03 .net
>>491
>おっと、ボケていた。

それが「実力」なんだよ

498 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 06:36:20.40 .net
出雲も筑紫も日向も大和も阿波も記紀以降に自分勝手に付けた国名
だから、混乱を招いた。
記紀は倭国(阿波)国内の出来事。  @阿波

499 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 06:49:04.82 .net
>>475
公孫淵は237年に燕王を称し、独自の元号を定めるてるから
独立を目指して独自の度量衡を定めてたとしても不思議はない。

500 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 06:50:44.36 .net
空想は根拠になりません

501 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 06:51:27.65 .net
>>476
畿内説だと卑弥呼が魏から貰った大量の真朱は何処へ行ったんだ?

502 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 08:27:03.51 .net
どっかにあんじゃね?
知らんけど

503 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 08:27:52.38 .net
>>473
九州北部では中国産の水銀朱が出土してますよ。

504 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 08:37:41.20 .net
>>498
粟の科野国伊奈評ってどこ?

505 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 08:40:27.32 .net
>>503
>九州北部では中国産の水銀朱が出土してますよ。

時代が合わないから、魏からとは言えないんじゃないかな

506 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 08:51:10.20 .net
>>501
>畿内説だと卑弥呼が魏から貰った大量の真朱は何処へ行ったんだ?

50斤で、漢代の度量衡だと11.3キロくらいにしかならないよ
眞珠、鉛丹各五十斤

畿内の古墳だと一つで水銀朱200キロくらい使ってるのもあるから、
ちょっと使えばすぐなくなる量だね

507 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 09:35:26.71 .net
>>504
>粟の科野国伊奈評ってどこ?

意味がよく分からないんだが
粟国に科野国はない   信濃国じゃないの?  @阿波

508 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 09:42:46.98 .net
>>506
>畿内の古墳だと一つで水銀朱200キロくらい使ってるのもあるから、
ちょっと使えばすぐなくなる量だね

時代からみて、萩原墳丘墓の中国産真朱だろうね。  @阿波

509 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 09:54:11.41 .net
>>507
記紀の全てが粟で起きた事派は
科野も粟と言っている

510 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 11:23:51.66 .net
>>507
>粟国に科野国はない

これと、伊都国に邪馬台国はないっていうのは同じくらい当たり前のことなんだがなぁ
こんな単純なことを認めないって言い続けてるヤツがいるんだよなぁ

511 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 12:10:15.07 .net
>>505
3世紀のものもありますよ
>>506
畿内の何処で中国産朱銀朱がだたんでしょう?

512 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 12:16:21.44 .net
>3世紀のものもありますよ

どれ?

513 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 12:24:39.42 .net
ていうか、10キロしか朱を使ってないケチな墓があるのか?

514 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 12:25:03.32 .net
>>499
元号は変えるのが当たり前だけど度量衡は変えない方が普通だしなあ

515 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 13:02:46.00 .net
>>512
証拠は出さない九州説

516 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 13:09:51.37 .net
>>514
元号も度量衡も変えるのが当たり前だけど普通は度量衡は急に大きく変えたりしないだけのこと
燕の場合は魏に情報が漏れないように里を極端に小さくしたんだろう。

517 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 13:15:28.69 .net
そんな空想になんの意味がある

518 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 13:19:39.82 .net
>>516
>度量衡も変えるのが当たり前だけど

当たり前じゃないww

519 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 14:56:58.53 .net
九州よりまだ南の南西諸島、琉球、奄美辺りは後に九州、四国、畿内へ流入した部族らの限りなくスタート地点に近い一大拠点やったと思う。

520 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 15:04:18.64 .net
>>516
たいていは前代の度量衡を追認してるだけで定めたとか吹かしてる
口先だけ変更だよ

521 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 15:16:01.77 .net
度量衡は変えないのが普通
ただ地域差の排除+皇帝権威のための欽定だな

522 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 09:46:05.12 .net
なに言ってんだ?
度量衡は時代と共に大きく変わってるだろ。
あと里など同じ単位でも国によって大きく違う。
三国志時代なら、振興国の魏と、東夷世界などで違ってもなんら不思議はない。

523 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 11:41:30.39 .net
秀吉の時に大きく変更されるまでは日本の度量衡も中国のと同程度だったんだけど、知らんのだな。

524 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 13:02:13.25 .net
>東夷世界などで違ってもなんら不思議はない。

東夷世界というが、戦国の七雄の頃は半島北部まで燕の領域だし、
秦の始皇帝の度量衡の統一に従っている範囲だ

公孫氏も元来、漢の冊封を受けた諸侯だし、漢魏尺、魏晋里を使わない理由がない

報告書や古書の情報から、三国志、魏志倭人伝を撰述するときに、距離を調整したと
考える方が合理的

525 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 13:13:59.05 .net
そこでハゾク文書は一を十にす
ですよ。

実際の値の10倍になっていると見るべき。

526 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 14:14:09.55 .net
>>525
>ハゾク文書は一を十にす

これは何?

527 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 17:15:13.18 .net
魏志中の文で

破賊文書は 、旧 、一を以って十と為す

とある。

戦果報告は10倍にして報告するという慣例。

528 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 17:47:05.91 .net
>>527
これだね、了解

三國志/魏書 凡三十卷/卷十一 魏書十一 袁張涼國田王邴管傳第十一/國淵
田銀、蘇伯反河間,銀等既破,後有餘黨,皆應伏法。
淵以為非首惡,請不行刑。太祖從之,ョ淵得生者千餘人。
破賊文書,舊以一為十,及淵上首級,如其實數。
太祖問其故,淵曰:「夫征討外寇,多其斬獲之數者,欲以大武功,且示民聽也。
          河間在封域之內,銀等叛逆,雖克捷有功,淵竊恥之。」
太祖大ス,遷魏郡太守。

つまり、司馬懿にとっての功績を讃えるためには、倭国の朝貢は
より遠くからと「盛った数字」と見るのがよかろう、ということだね

529 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 18:14:25.40 .net
距離を盛った、過剰報告だということは、つまり短里だと整合するという発想そのものが間違いだって事でもあるよね

むしろ整合性がとれる単位をこそ偽物と考えるべき

530 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 18:34:01.87 .net
数倍に盛って報告するのはよくあること、
と言うことである。

531 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 18:46:59.72 .net
その盛り盛り報告を集めた代物が精確なはずないって分からんのか
末期症状だな

532 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 18:48:20.02 .net
東夷伝里が弥生時代にしては驚くほど現実地図と対応しているのは
事実

533 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:04:36.25 .net
>>524
>公孫氏も元来、漢の冊封を受けた諸侯だし、漢魏尺、魏晋里を使わない理由がない

当然漢に冊封されていた時点では漢の度量衡を使っていただろうが
元号を独自に立てた時点で冊封体制からの離脱を意味する
度量衡も独自のものを使わないと完全に独立したことにならない。

534 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:05:54.36 .net
つまり合計万二千里は 万二千里にしたかった。
実際は千二百里だったと。

この場合の一里は、、、?

535 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:06:33.33 .net
公権力による統一度量衡がなかった春秋戦国期ですら、諸国間での度量衡の違いは誤差レベルしかなかったのにな
何倍も違うとか、普通じゃないよ(つまり、秀吉による改定度量衡も普通じゃない)

536 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:22:55.04 .net
度量衡は丈尺寸分について定義したが
歩と里の定義はしていない。

537 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:24:24.01 .net
>>532
>東夷伝里が弥生時代にしては驚くほど現実地図と対応しているのは

魏志倭人伝
(末慮国から) 東南陸行五百里、到伊都國
現実
千々賀遺跡   北東30キロ   三雲遺跡群
        1里=60メートル
魏志倭人伝
(伊都国から) 東南百里    至奴國  ちょっと語順入れ替え
現実
三雲遺跡群   東北東18キロ  比恵・那珂遺跡群
        1里=180メートル

方角も、距離もメタメタじゃないか?
現実に合っていないよ?

538 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:26:54.93 .net
>>536
>度量衡は丈尺寸分について定義したが
>歩と里の定義はしていない。

1歩=6尺
1里=300歩
って決まってるから、尺を決めれば、自動的に決まるんだよ
唐のときにこの関係をいじったけどね

539 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:29:22.43 .net
燕が秦の度量衡に従ったという根拠は?

540 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:29:49.24 .net
現実には度量衡は時代によって変化している

541 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:31:08.63 .net
>>534
>つまり合計万二千里は 万二千里にしたかった。

まさに、万二千里にしたかった、まず万二千里ありき、なんだよ

西方の大月氏国が、大体万二千里で
淮南子の東方之極も万二千里だから、それに合わせてるんだと思う

まあ、大月氏国の方も、西方之極の万二千里に合わせてると見ることもできるけど

だから、
>実際は千二百里だったと。

>この場合の一里は、、、?

これは考えなくていいと思う

九州北部の福岡平野から、二ヶ月で行く⇒大体千三百里くらい?
から逆算してるっぽさも感じる

あと、海を渡るまでを万里にしてるようでもある

542 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:33:26.64 .net
>>538
そのとおり、
時代によって、一歩五尺だったり
六尺だったり、5.3尺にいじったりしている。

そして何より、東夷である日本では
丈尺寸分はほぼ中国に合わせているものの
奈良時代で一里が533mだったり
戦国時代以降で4000mだったりと
全く合わせていないことから見ても
歩や里を合わせる義務はないことがわかる。

543 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:36:24.50 .net
楽浪郡のある朝鮮半島の横幅が四千里なんだから、
東夷伝里で測定してるでFA。

あとはキナイコシの
「わざわざ遠回りして煙に巻いて結論連打フラッシュ」
が炸裂します。

544 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:39:25.93 .net
ぜんぶ畿内説テンプレに書いてあることだな

九州狂人がテンプレを目の敵にするのも
わかるわ

545 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:42:34.52 .net
キナイコシが場違いな議論放棄

546 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:56:39.46 .net
一律10倍なら、正確に地点地域の位置を反映してる情報になるのでは

547 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:59:23.17 .net
>>546
だよねw
それが東夷伝里と仮に名付けているだけで。

548 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 20:02:10.96 .net
ずいぶん前から5倍誇張説がある。
一律5倍でピッタリ合うよ。

549 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 20:06:59.03 .net
やっぱり東夷伝里はあったんだ!

550 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 20:31:40.35 .net
>>549
倭国より直接的に関係する高句麗なども二千里四方=東夷伝里記載ですから、
否定しようがないわけです。

551 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 21:09:35.92 .net
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

552 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 21:22:55.54 .net
>対馬海峡が三千里

あれ?なんで?
一大國と對海國の大きさは?

〇一大國と對海國(海域であって)

×一大島と對海島、あるいは
×壱岐島と対馬島

553 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 22:08:48.26 .net
都合の悪いことには触れない九州説

>>537を再掲
魏志倭人伝
(末慮国から) 東南陸行五百里、到伊都國
現実
千々賀遺跡   北東30キロ   三雲遺跡群
        1里=60メートル
魏志倭人伝
(伊都国から) 東南百里    至奴國  ちょっと語順入れ替え
現実
三雲遺跡群   東北東18キロ  比恵・那珂遺跡群
        1里=180メートル

方角も、距離もメタメタじゃないか?
現実に合っていないよ?

東夷伝里なんてないんだよ

554 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 00:14:22.21 .net
>>537
>>553

魏志倭人伝
(末慮国から) 東南陸行五百里、到伊都國
現実
中原遺跡   東南39キロ   惣座遺跡
        1里=78メートル
魏志倭人伝
(伊都国から) 東南百里    至奴國  ちょっと語順入れ替え
現実
惣座遺跡   東南東7.5キロ  佐賀城内
        1里=75メートル

現実にピッタリ一致しているよ。

555 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 00:16:49.61 .net
>>537 >>553 を再現

魏志倭人伝
(末慮国から) 東南陸行五百里、到伊都國
現実
中原遺跡   東南39キロ   惣座遺跡
        1里=78メートル
魏志倭人伝
(伊都国から) 東南百里    至奴國  ちょっと語順入れ替え
現実
惣座遺跡   南南東7.5キロ  佐賀城内
        1里=75メートル

現実にピッタリ一致しているよ。

556 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 00:18:17.89 .net
やっぱり東夷伝里はあったんだ!

557 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 03:42:49.17 .net
その頭の悪さは父似? 母似?

558 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 07:46:21.50 .net
>>555
>現実
>中原遺跡   東南39キロ   惣座遺跡
>       1里=78メートル

今、Yahoo!地図で測ってきたら
方角は南東の東南東寄り、距離は28キロで、1里=56メートル

>現実
>惣座遺跡   南南東7.5キロ  佐賀城内
>       1里=75メートル

こっちは、方角が南南東で、距離は9キロ、1里=90メートル

かなりいい加減に書いてるよな? 調べられなければごまかせると思ったのか?

そして、惣座遺跡をどうやったら伊都国にできるんだ?
周辺に「イト」って地名はないぞ?
それに、こんなに内陸で、一大率はどこで臨津搜露すればいいんだ?

佐賀城内に至っては、弥生時代の遺跡ですらないじゃないか
筑紫平野側には奴国を思わせる地名もないし

現実を無視して、魏志倭人伝に無理やり合わせても意味はないよ
ザラコクもよくこれをやるけどね

現在定説となっている比定地、伊都国ー糸島、奴国ー福岡(「那」の津、「那」珂川等)を
否定するなら、もっと厳密な論証がなければ、ただのトンデモの言いっぱなしにしかならない

そして、東夷伝里とかいう数値には、このいい加減なつじつま合わせ比定地でも合っていない

東夷伝里なんてないんだよ

559 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 07:53:44.43 .net
いま九州説同士で喧嘩はじまりました

560 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 07:55:14.06 .net
徹底的にもっとやれ

561 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 08:03:57.41 .net
>現在定説となっている比定地、伊都国ー糸島、奴国ー福岡(「那」の津、「那」珂川等)を

ただのトンデモの言いっぱなし

562 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 08:09:08.76 .net
>>561
悪口言っても反論にならないよ

563 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 08:11:50.60 .net
方向、距離 ただのトンデモの言いっぱなし

564 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 08:57:53.75 .net
>>367
兄媛、弟媛、呉織、漢織は応神天皇の依頼で帯方系百済人の阿知使主が
朝貢の見返りに南朝の皇帝に懇願して下賜してもらったドレスメーカーだぞ。

それまでの倭人の服飾は布を体に巻き付けて結ぶだけか、布の真ん中に頭と手を
出す穴を開けて着るだけの服飾しかなかった。

応神期末頃だから、5C以降の話だぞ。

これが日本で一番最初の中国人の中国人の帰化であり、渡来定着だぞ。

このときには秦氏がすでに加羅新羅から渡来して、須恵器や土壁の住居などが
もたらされている。

弥生終焉までに中国大陸からの渡来定着した痕跡遺構など日本には一つもない。

565 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 09:37:42.70 .net
>>561
佐賀城内を奴国っていうのはないわ
よく、恥ずかしげもなく書けるよな

面の皮の厚さがハンパない

566 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 10:27:49.53 .net
>>558

>方角は南東の東南東寄り、距離は28キロで、1里=56メートル

方向は東南ですよ。地図の再確認を。
ルートは、唐津街道R203 中原遺跡−笹原峠−多久−肥前国庁跡(惣座遺跡) で39q。

>こっちは、方角が南南東で、距離は9キロ、1里=90メートル

肥前国庁跡、佐賀城、地図で再確認を。
方角が南南東で、距離は7.5キロ、1里=90メートル

惣座遺跡には、城柵の壕(吉野ヶ里と同型式)や女王墓があり、弥生遺物の密集出土地と隣接しています。

佐賀城は弥生遺跡の上に築城したため、城跡の建築基礎工事時に弥生遺物が出土しています。

厳密な論証は省略しますが、非合理な定説も古田説も否定します。

567 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 10:34:56.03 .net
>>565
>佐賀城内を奴国っていうのはないわ

佐賀城内は奴国の城柵跡です。
奴国環濠跡を佐賀城の堀として拡張したものと思われます。

568 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 10:43:56.57 .net
>>567
ところで、末羅国はどこ?  @阿波

569 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 10:58:24.92 .net
末櫨國の上陸地点は中原遺跡です。

570 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 11:02:52.97 .net
又、間違えた。

○末盧國 ×末櫨國

571 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 11:12:13.69 .net
>末櫨國の上陸地点は中原遺跡です。

どういう理由で? なんで墓地遺跡が?  @阿波

572 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 11:18:50.40 .net
元寇の頃まで港湾遺跡として存続しています。墓地遺跡はありません。

573 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 11:23:45.68 .net
>>572
えっ、これじゃなかったの?  @阿波

http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/18482

574 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 12:38:34.56 .net
>>569
倭人伝の記述どうりに進むと末廬国の上陸地点は呼子付近となります。

@帯方郡の南の端の海岸から船に乗って出発し狗邪韓国の南の海岸(「其北岸」倭国の北岸ってことは狗邪韓国の南の海岸)に到着・・・7000里
A狗邪韓国の南の海岸から對馬国の北の海岸へ・・・始度一海1000里
B對馬国の北の海岸から南の海岸へ・・・800里(方可四百餘里)
C對馬国の南の海岸から一大国の北の海岸へ・・・又南渡一海1000里
D一大国の北の海岸から一大国の南の海岸へ・・・600里(方可三百里)
E一大国の南の海岸から末廬国の北の海岸へ(呼子付近)・・・又渡一海1000里
F末廬国の北の海岸へ(呼子付近)から末廬国と伊都国との国境へ・・・東南陸行500里
G末廬国と伊都国との国境から伊都国と奴国の国境へ・・・東南至100里
H伊都国と奴国の国境から奴国と不彌国との国境へ・・・東行至100里

575 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 12:43:51.88 .net
>>574
>倭人伝の記述どうりに進むと末廬国の上陸地点は呼子付近となります。

呼子上陸地点の遺跡は?  @阿波

576 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 12:50:41.32 .net
>>575
上陸地点に移籍?
何で上陸してん地点に遺跡が残るの???

577 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 12:51:21.43 .net
>>575
上陸地点に遺跡?
何で上陸してん地点に遺跡が残るの???

578 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 12:52:16.36 .net
>>575
上陸地点に遺跡?
何で上陸地点に遺跡が残るの???

579 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 13:03:52.89 .net
>>578
他の末廬国上陸地点候補地では、遺跡があるよ?  呼子だけなんでないの?  @阿波

580 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 14:19:43.00 .net
>>579
遺跡を上陸地点候補地にしたからだろ
別に遺跡を上陸地点候補地にする必要はないんだけどね
帯方郡の出発地点の港の遺跡もないだろ。

581 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 15:24:54.98 .net
>>580
調べてないけど、そりゃ在るだろ。 名もないような港から魏使 一行が出航するとは思えんが。 
呼子にそれらしき遺跡がないのは、末廬国上陸地点じゃなかったってこと。  @阿波

582 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 15:38:17.51 .net
>>578
大陸からの表玄関「末廬国上陸地点」に「何で上陸地点に遺跡が残るの???」と開き直られるとは・・・  @阿波

583 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 16:48:23.41 .net
>>566
>方向は東南ですよ。地図の再確認を。
>ルートは、唐津街道R203 中原遺跡−笹原峠−多久−肥前国庁跡(惣座遺跡) で39q。

でも、大陸史書の、地理・旅程記事は、直線方向、直線距離が基本
なので、方向は南東よりはかなり東寄り、東南東に近い
そして、「どのルートだから距離がー」というのは意味がない

>惣座遺跡には、城柵の壕(吉野ヶ里と同型式)や女王墓があり、弥生遺物の密集出土地と隣接しています。

ちゃんと発掘報告書を読んでみたけど、女王墓があるような遺跡には見えないぞ

『佐賀県文化財調査報告書』96(1990)
惣座遺跡 : 惣座遺跡 久池井B遺跡 春日遺跡
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/18554

惣座遺跡の墓って、土坑墓や甕棺墓なんだが?
「埋葬遺構は斐棺墓 3基・石蓋土境墓 I基の計 4基がある。
 ただし明確な墓地を形成するといったほどのものではない。」
玉類の出方は
「その他、玉類はガラス小玉、ガラス管玉、めのう丸玉が
 環濠および竪穴住居跡の埋土中から出土した。
 ただし点数はあまり多くなく、一つの遺構から
 まとまった状態での出土ではない。」
鏡類は
「379は内行花文小型仿製鏡で径7.5cm。
 380も内行花文小型仿製鏡で、径9.1cm、縁厚O.4cm、残存重要40g
 381は縁から櫛歯文帯にかけての一部のみ破片のまま出土した。 379に類する小型内行花文鏡
 であろう。」
環濠は、全体が発掘されているわけではないが
「こうして推定した惣座遺跡の面積は外掘り
 で測って最大約2.9ha、内濠で固まれた内郭は仮に方形とすると約0.7haとなる。」

584 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 16:48:57.42 .net
と思ったら、現在の区分では惣座B遺跡って呼ばれる方なんだな?

惣座遺跡 立石泰久
[佐賀県大和町教育委員会編]
(大和町文化財調査報告書, 第3集)
佐賀県大和町教育委員会, 1986.3

こっちは、ちょっとネット上では読めなさそうだな
ただ、銀の指輪が出た「土壙墓」があるだけのようなんだが、
銀の指輪3本で、女王墓と言い張るのかな?

585 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 16:58:11.42 .net
>>581
遺跡は無いが港は今もあるよ
今も使われているから遺跡は無い。

586 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 17:09:57.70 .net
>>585
>遺跡は無いが港は今もあるよ

そんな所、至る所に在るんだけどw   
大陸からの表玄関「末廬国上陸地点」が「呼子」だってどう仕舞つけるの?  まだやるの?  @阿波

587 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 17:29:59.40 .net
呼子付近に上陸したから伊都国が南東なんだよ、他の場所だと方向が合わない
また倭人伝の行程文も国邑の端に着くことを至と表現している
「始度一海千餘里 至對馬國」
「又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國」
「又渡一海千餘里 至末廬國」
全て国邑の北の端に到着したことを指している。

588 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 17:42:38.61 .net
>>587
>呼子付近に上陸したから伊都国が南東なんだよ、他の場所だと方向が合わない

方角も距離も合うよ。

末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦)

↓【東南】陸行500里  福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)

伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)  @阿波

589 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 17:47:42.11 .net
>>588
何を言わんとしているのか意味が全く分からんな?

590 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 17:49:02.20 .net
マジで「呼子」に船、安全に着けられるの?  荒波やばくないの?  @阿波

591 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 17:53:22.56 .net
>>573

提示の中原遺跡は、2003年頃発掘の古墳時代のもの。

1965年頃発掘の中原遺跡は、弥生中期から元寇の頃まで続くもの。

592 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 17:53:44.60 .net
>>589
>何を言わんとしているのか意味が全く分からんな?

早く呪縛から解き放たれて、これが理解できるようになることを祈念する。  @阿波

593 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 17:56:08.03 .net
>591
>1965年頃発掘の中原遺跡は、弥生中期から元寇の頃まで続くもの。

その資料、提示できないの?  @阿波

594 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:17:52.31 .net
>>584
>銀の指輪3本で、女王墓と言い張るのかな?

女王墓は大げさであった。
土壙墓の1基から純銀指輪と銀製指輪および大量のガラス製小玉6,810個が一括出土
高貴な女性墓である。

詳しくは、調査報告書を読めばよい。2000年前後頃にはでPCで読めた。

595 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:24:00.56 .net
壹與じゃない?

596 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:27:22.21 .net
>>594
>高貴な女性墓である。

どうでもいいんだけど、どうして「女性墓」と決めつけられるの?  @阿波

597 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:28:40.79 .net
>>593
>その資料、提示できないの?  @阿波

資料は九大にあると思う。
地元新聞にも記事が掲載された。

598 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:30:17.71 .net
>>597
どのみち、お墓でしょ?  @阿波

599 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:34:35.44 .net
純銀指輪3個と9mの青い連珠は、高貴な女性のものだと思われる。

600 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:36:12.56 .net
>>599
高貴な男性かも。  @阿波

601 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:38:35.18 .net
>>598
甕棺墓もあった。

602 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:49:18.25 .net
伊都國(惣座遺跡)には王も居たから男性の可能性もある。

この王は吉野ヶ里(倭面土國・倭米多國)から逃げてきた帥升王統の王とも考えられる。

603 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:55:27.03 .net
>>601
甕棺墓もお墓。
大陸からの表玄関「末廬国上陸地点」がお墓ってw  これ、どう仕舞つけるつもり?  @阿波

604 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:58:13.55 .net
>>590
呼子に行ったことないの?
天然の入り江があるから外洋船でも安全に着けられるよ。

605 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:59:11.57 .net
何か知らないけど、九州の目ぼしい弥生遺跡ってお墓ばっかりなんだよね。 なんで?
奈良とよく似ている。  @阿波

606 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:59:31.71 .net
>>592
他人に理解できないものは誤ってるってことだよ。

607 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:04:09.41 .net
>>604
>天然の入り江があるから外洋船でも安全に着けられるよ。

波が荒らそうw  そんな所より、遠浅の砂浜がいいと思うけどね。 弥生の木造船なら。  @阿波

608 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:05:09.85 .net
福岡は典型なんだけど
長い期間に渡った複合遺跡なんであって
昔から人がいたところは今も人がいるから
今ビルが建ってるところ以外はほとんど墓しか出ないよ。

609 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:08:25.91 .net
>>607
入り江の中は波静かで安全だよ
遠浅の砂浜だと大型外洋船は陸に近づけないから荷物を小舟に積み替えて浜に陸揚げする必要があるし、船を安全な港に入れなれないで波が荒い外海に放置するとか危険すぎる。

610 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:10:12.45 .net
>>606
>他人に理解できないものは誤ってるってことだよ。

そうかもね。 お互いに。  @阿波

611 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:14:52.48 .net
>>608
>長い期間に渡った複合遺跡なんであって
>昔から人がいたところは今も人がいるから

それ、なにも福岡に限ったことじゃないよ。
阿波もいっしょ。 阿波も昔から人がいたところは今も人がいるから。  @阿波

612 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:17:24.96 .net
>>610
泡くんの説は支持者がいないが
俺の説には賛成してくれる人や真似た説を謂う人もいるよ。

613 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:19:10.91 .net
>>609
>入り江の中は波静かで安全だよ

入り江に入り込むまでが危険と思うが? 入ってしまえば安全なんだろうが。

>遠浅の砂浜だと大型外洋船は陸に近づけないから荷物を小舟に積み替えて浜に陸揚げする必要があるし

実際、そうしたんじゃないの?

>船を安全な港に入れなれないで波が荒い外海に放置するとか危険すぎる。

いや、岩礁が無いから安全と思うな。 錨で係留したんだろう。  @阿波

614 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:20:44.60 .net
>>543
>楽浪郡のある朝鮮半島の横幅が四千里なんだから、

単に半島の大きさ、里程を誤認してるだけなのに、

>東夷伝里で測定してるでFA。

とかお馬鹿な結論に走ってしまうのが末期症状

615 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:22:58.66 .net
末慮国の上陸地点は、弥生後期まで松浦川の河口付近にあった潟湖っていうのが、通説じゃないの?

ただ、その後潟湖の入り口に砂がたまって、直接伊都国や奴国の港、西新町遺跡や博多遺跡に
船を回すようになったっていうのでいいと思うんだけど

616 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:23:40.95 .net
万津浦が末慮ってのは、ただのトンデモだから気にしなくていいよ

617 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:23:57.69 .net
>>612
>泡くんの説は支持者がいないが

そう勝手に決めつけられてもw

>俺の説には賛成してくれる人や真似た説を謂う人もいるよ。

同じだね。  @阿波

618 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:26:43.89 .net
それから、惣座遺跡が伊都国というのも、やはり無理でしょ

前にも書いたけれど、海がないから一大率が臨津搜露できないし
国として栄えた様子が見えない
吉野ヶ里と比べても、格落ち感は否めない

末慮国から東南陸行五百里で行く先としては、惣座遺跡より
吉野ヶ里遺跡の方が適していると思う

吉野ヶ里が伊都国だとはこれっぽっちも思わないけどね

619 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:28:28.07 .net
>>613
入り江にれ入港するのに危険はありませんよ
何が危険?
それより玄界灘に船を放置するとか考えられないなw
嵐が来たらどうするの?
>>614
5倍くらいあるんだから誤認するにもほどがあるし
1か所じゃなくて何か所もあり、全て5倍くらいだから
別の里があったと考えるしかないですよ。

620 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:29:31.37 .net
>>617
泡説の支持者や真似なんて見たことないけどw

621 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:31:47.83 .net
>>615
末慮国の上陸地点はここだなんて説は見たことないけど?
末慮国の中心的な遺跡は云々はあるけど。

622 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:32:36.10 .net
>>616
>万津浦が末慮ってのは、ただのトンデモだから気にしなくていいよ

万津浦の浜の沖に、外洋船が何艘も浮かぶ姿は壮大だっただろうな。  @阿波

623 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:36:46.30 .net
>>615

潟湖説は通説ではない。
私が松浦川潟湖を地学的に検証する迄は誰もいなかった。
浜堤が2本(虹の松原・鉄道跡)あり検証が困難であった。

624 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:38:12.59 .net
>>619
>入り江にれ入港するのに危険はありませんよ
>何が危険?

岩礁!

>それより玄界灘に船を放置するとか考えられないなw
>嵐が来たらどうするの?

嵐には、玄界灘だろうとどこだろうと、どうにもならんでしょ。  @阿波 

625 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:40:48.62 .net
>>624
呼子に入港するのに何処に岩礁がるんだよ?
入り江の中なら嵐の影響を受けないよ。

626 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:44:58.87 .net
>>625
>呼子に入港するのに何処に岩礁がるんだよ?

結構、あるんじゃないの?  @阿波

627 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:47:02.66 .net
>>626
想像かよw

628 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:55:45.25 .net
>627
まぁ、どう考えても呼子が「大陸からの表玄関」だったとは思えないんだよ。
だって、その痕跡が少しもないから。  @阿波 

629 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 20:06:11.96 .net
呼子付近は秀吉の朝鮮征伐の際は名護屋城とかが造られて
朝鮮への遠征軍の兵站基地として朝鮮への渡海する軍船が多数停泊してたんだよ。

630 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 20:13:43.23 .net
>>629
「大陸への出航地」としてね。 
決して、「大陸からの表玄関」じゃないから。  @阿波

631 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 21:37:24.79 .net
>>630
「大陸への出航地」=「大陸からの表玄関」ですよ。
呼子付近が日本の出入り口だったんですよ。

632 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 23:12:49.86 .net
海路で千葉に着いたって言うときに、房総半島の先っぽってのがあると思うかどうかだな
千葉の中心は千葉市

633 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 23:23:13.51 .net
少なくとも古代国家では房総半島は先端部(安房)の重要度が高かった。古墳時代がピークだろうけど。
房総半島で内陸部が重要になったのは鎌倉時代頃からじゃないの?

634 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 05:52:03.38 .net
いやいや、そういう歴史的なことじゃなくて、思考実験として、現代で考えて
政令指定都市で県庁所在地の千葉市が東京湾の湾奥にあって、海路で千葉に着いたって言う場合、房総半島の先端付近に着いたって考える余地があるか?ってこと

房総半島の先の方にも、小さな漁港もそりゃあるけれど、そこで上陸して陸路で千葉市に向かうなんてのは不自然だろ?
千葉の中心は千葉市だし、千葉市にも大きな港があるんだから、そこまで船で行って千葉市に着くようにするのが自然だろ?

同じ状況で、東松浦半島の先端付近で末慮国に着いたっていうのは、不自然だと思う

635 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 07:02:53.79 .net
房総半島の先端付近に着いたら千葉県に着いたというのが普通だと思うがな?

636 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 08:10:46.27 .net
当時の千葉県での最重要エリアは太平洋側だよ。
鹿島と香取が内海の入り口を守る要害の地だった。
卑弥呼は筑波山にいたかもしれないぞw

637 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 10:34:50.90 .net
>>635
もちろん、目的地は千葉市だよ

房総半島の先っぽでは、千葉市で足すべき用(何でもいいんだけれど例えば県庁への
書類提出)は、何もできないんだし

その状況で、字数の限られた旅行日誌を書く時に、房総半島の先っぽまでの旅程(距離または日数)を
書いて、千葉に着きましたって書くかな?

638 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 10:35:42.98 .net
>>636
当時の話とは切り離して、今の、現代の話としての思考実験として考えてみて

639 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 19:57:23.41 .net
このスレの討論、止まっちゃったな

ここはわりにきちんと討論ができる場なのに

640 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 22:31:38.34 .net
>>637
>房総半島の先っぽでは、千葉市で足すべき用(何でもいいんだけれど例えば県庁への
>書類提出)は、何もできないんだし

行程の説明してるだけで千葉市で足すべき用なんて無いんだから
房総半島の先っぽまでの旅程(距離または日数)で千葉に着きましたって書くよ
房総半島の先っぽだって千葉だもん 。

641 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 22:47:08.29 .net
シアトルに着いたらアメリカに着いたと書くよな
ワシントンに着かないとアメリカに着いたと書けないなんてことはないよな。

642 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 07:24:21.09 .net
そうだね。
後漢書では帯方郡から七千里の狗邪韓から倭としている。
一万二千里の彼方が九州北部で女王の都だね。

643 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 10:38:08.97 .net
>>642
狗邪韓から五千里も先だったら当然ながら北部九州ではないな

644 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 12:00:02.21 .net
>>643
帯方郡から狗邪韓国までが7000里ですから狗邪韓国から5000里先なら北部九州ですよ。

645 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 12:00:53.46 .net
>>644
どうして?

根拠は?

646 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 12:47:56.11 .net
>>643
対馬海峡の幅が三千里です。

647 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 13:04:44.46 .net
>>646
それで?

648 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 16:36:01.40 .net
九州上陸から二千里なら、九州北部を出ないですよ。

649 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 16:36:43.52 .net
キナイコシは算数が苦手なんだ。
勘弁してやれ。

650 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 16:37:40.48 .net
>>645
〜から、という文章が理由を示しているということを理解できないなら、キナイコシは国語も苦手らしいよ。

651 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 19:03:38.29 .net
>>640
>行程の説明してるだけで千葉市で足すべき用なんて無いんだから
>房総半島の先っぽまでの旅程(距離または日数)で千葉に着きましたって書くよ
>房総半島の先っぽだって千葉だもん 。

千葉が最終目的地ではなく、そこから先に旅程を続けなければならないんだが?
魏志倭人伝の構成はそうなっているだろ?
その場合、千葉から次への距離が、千葉(県)内の距離を多大に含むことになる

旅程記事であると同時に、地理の紹介の意味もあるのだから、
千葉市の位置で記さないと、意味が無くなると思うのだが?

652 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 19:06:08.43 .net
>>641
>シアトルに着いたらアメリカに着いたと書くよな
>ワシントンに着かないとアメリカに着いたと書けないなんてことはないよな。

>>651でも書いたけれど、アメリカ行きの旅程ならそれでもまだいいけれど、
そこからさらに旅程を続けて、イギリスに渡るときに、シアトルをアメリカだ
としてしまうと、アメリカ大陸横断距離がアメリカイギリス間の距離に足されてしまう

これは不合理だろう

653 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 19:18:06.01 .net
>>648
>九州上陸から二千里なら、九州北部を出ないですよ。

短里ならね
短里なんてないんだよ

九州説は、短里に頼りすぎ

654 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 19:44:46.34 .net
>>652
倭人伝では壱岐対馬では方可○○里と書いて距離に足さないようにしてるんだよ
末廬國では北の端に着いて徐陸地点から伊都国の入り口までが500里ってことだな
1里80mくらいとすると名護屋浦の奥に上陸して糸島市の入り口くらいが丁度500里だ。

655 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 20:48:50.72 .net
>>653
対馬海峡が三千里です。
短里しかあり得ない。

656 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 23:56:47.30 .net
アンケートです。

魏志東夷伝のうち韓伝 および倭人の条に
他の里程記述と異なる尺度の里
いわば東夷伝里 あるいは いわゆる短里と
呼ばざるを得ない基準里の存在を、

認めても良いと思う方挙手してもらえますでしょうか?

まずは


657 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 08:23:54.55 .net
ノシ

658 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 08:36:06.83 .net


659 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 08:49:10.48 .net


660 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 08:51:28.07 .net
ランダムサンプリングにならないアンケートなんかで
決めようとするから
九州説は堕落したと言われる

661 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 10:52:07.99 .net
まあ、列島は山の尾根から流れるミネラル豊富な川と四方を流れる潮流があるから。敷島と言う言葉は本当に言い得て妙ですわ。

662 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 11:48:18.51 .net
>>654
>名護屋浦の奥に上陸して糸島市の入り口くらいが丁度500里だ。

名護屋浦の奥には、平坦地がほとんどなくて、四千戸の末慮国の位置として不適当
そこから唐津経由で糸島に向かうと、南、東、北、北東と向きを変えながら
陸行することになり、始点と終点間の方角でも北寄りの東になる

どうやっても東南陸行に合わないし、そもそも名護屋浦湾から唐津に出るには、
結局東松浦半島の海岸を回りこむことになるから、それなら名護屋浦湾に入り込まずに
唐津の方へ船を回すほうがいいだろう

魏志倭人伝原理主義で、無理に魏志倭人伝の記述に合わせようとして、
道理に合わない無理な想定をするから、九州説には論理がないって言われるんだよ

663 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 11:50:47.33 .net
>>655
>対馬海峡が三千里です。

その間が、半島〜対馬、対馬〜壱岐、壱岐〜九州に分割されていて、
それぞれの長さが、2倍程度異なるのに、一律千里となっているので、
決まった単位で計っていないことが分かる

つまり、実測値ではないことが分かる訳だ
それが魏晋里に「合わない」ことが分かるだけ
短里なんてないんだよ

664 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 13:26:06.11 .net
>>662
上陸地点の名護屋浦から伊都国の入り口まで全てが末慮国だよ
末慮国はこれらの地域だけでなく旧松浦郡全体が末慮国で佐賀、長崎の北岸全体。

>そもそも名護屋浦湾から唐津に出るには、結局東松浦半島の海岸を回りこむことになるから、

そのまま南に進むこともできますよ?松浦半島の海岸を回るって何で???
名護屋浦湾のほうが内海で波が静かで乗って来た船を停泊させておくには安全ですし、糸島に向かうなら唐津で下船するって中途半端、唐津で降りるならそのまま糸島に向かうよ。

665 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 13:42:16.53 .net
名護屋で上陸なんてせんだろ
港がない

666 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 15:53:56.60 .net
>>664
>そのまま南に進むこともできますよ?松浦半島の海岸を回るって何で???

平地もないし、川もないし、どこをどう通るつもりなんだい?
藪こぎで、山を越えることになるよ?
陸地だから物理的には不可能ではない、と、まともな経路として通用するかは別問題

九州説はこういう強弁が、多すぎる

それに、南にいって東に行って北に行って、起点よりも北が目標点っていうときに
東南陸行とは書かないだろう
この点も、末慮国の場所を名護屋浦湾に求める場合の無理になる

667 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 15:58:04.53 .net
>>664
>糸島に向かうなら唐津で下船するって中途半端、唐津で降りるならそのまま糸島に向かうよ。

これは、私も正しいと思うし、博多湾岸の西新町遺跡、博多遺跡の港湾機能を考えると、
奴国の港まで船で行ったとした方が自然な旅程だと思う

伊都国に一大率がいて、臨津搜露したというのを信じるなら、伊都国に上陸が自然

松慮国に上陸する旅程は、例えば倭国王帥升等の朝貢時の資料に残されたものが
混入しと考えた方が理解しやすい
ただ、論証のしようがないから、そういうこともありうる以上のことは言えないけれど

668 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 15:59:15.06 .net
>>667の蛇足

こうした、「そういうこともありうるけれど、論証の仕様がない」ことを
事実だと勝手に決めてそれを根拠にして論立てするのが、九州説のやり方

669 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 17:07:31.39 .net
>>665
名護屋浦の奥にも赤松とかに港がある。
>>666
険しい山もなく丘陵地帯の段々畑中を南に道が唐津方面に繋がってるよ。

グーグルマップで確認してよ。

670 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 17:16:25.65 .net
>>669
現地に行った?

671 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 17:57:16.88 .net
>険しい山もなく丘陵地帯の段々畑中

そんなところに四千余戸はないだろ?

そんなところを通らなくても、松浦川河口付近の奥に末慮国の中心があるんだから
そっちに船をつければいいじゃないか?

荷物もって海を船で渡ってきて、段々畑になるような傾斜地を登っていくのは
バカらしいだろうが

672 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 18:42:18.57 .net
魏使の上陸地「呼子」対「唐津」論争してるんだね。 両方とも間違いなんだけど頑張れ!  @阿波

673 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 18:48:22.75 .net
>>670
2回くらい行ったことがるよ。

>>671
四千余戸は松浦郡全体の戸数だよ
船を付けるのに名護屋浦が一番良かったからだろうな
名護屋浦は奥が埋め立てられて農地になってるが
昔はもっと奥まで入れたようだ
船も陸に直接接岸できる。

674 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 18:50:23.40 .net
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は?
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市前原(旧怡土郡)、奴国 福岡市博多(那の津)→邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg

675 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 19:36:46.99 .net
>>673
>名護屋浦が一番良かった

がんばってるけどさ、「東南」陸行にならないのは「克服できてない」し、
南東北と「陸行方向がグネグネになる欠点」があって、
末慮国の「中心部(四千戸)と関係ないところを示すという新たな欠点」が生じて、
壱岐ー末慮間が、対馬ー壱岐間よりも著しく短くなる(ほぼ半分)という点で
松浦川河口に上陸よりも「東夷伝里という決まった距離があるという主張と齟齬」が
出るんだが?

何をそんなにがんばっているんだ?

松浦川河口付近には、潟湖があって天然の港になっていたと想定されているんだが?
人がいないところに上陸するのは不自然だろ?

676 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 20:38:53.05 .net
>>675
>がんばってるけどさ、「東南」陸行にならないのは「克服できてない」し、
>南東北と「陸行方向がグネグネになる欠点」があって、

玄界灘沿岸で生活してると海が北で陸が南、東西に海岸線って感覚になる
地図で確認すると斜めに傾いてるんだでどね
福岡市とかで暮らしたことがあれば分かる
だから名護屋浦から唐津方面に向かうと南に向かう感じがするし、唐津から糸島方向だと東に向かう感覚なんだ
だから「東南」陸行ってなったんだよ。

>末慮国の「中心部(四千戸)と関係ないところを示すという新たな欠点」が生じて、

一大国は三千家と書かれてるけど壱岐には多くの集落遺跡が確認されてて、一か所で三千家在ったんじゃなくて合計で三千家だよ
末慮国も中心部に四千戸が固まって在ったんじゃなくて各地に散らばった集落を集めて四千戸だよ。

>壱岐ー末慮間が、対馬ー壱岐間よりも著しく短くなる(ほぼ半分)という点で
>松浦川河口に上陸よりも「東夷伝里という決まった距離があるという主張と齟齬」が
>出るんだが?

海上だと歩測や縄で直に測れない誤差が大きいのは仕方のないこと。

>松浦川河口付近には、潟湖があって天然の港になっていたと想定されているんだが?
>人がいないところに上陸するのは不自然だろ?

潟湖なんて浚渫しないと座礁の危険があって港にはならないよ
天然の港なんて有り得ないな。

>人がいないところに上陸するのは不自然だろ?

上陸し易くて船の安全が図れればその場所に人がいるとかいないとか関係ないですよ。

677 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 23:43:03.89 .net
>>676
>上陸し易くて船の安全が図れればその場所に人がいるとかいないとか関係ないですよ。

何のために海を渡るかと考えたらこんな発想は出て来ないな
人がいないところを目指す理由がない

>玄界灘沿岸で生活してると海が北で陸が南、東西に海岸線って感覚になる

魏使は玄界灘沿岸で生活していない
海が北という感覚は、652が主張するように名護屋浦湾に深く入り込むなら、
どっちが海かってのも狂うだろう
かなり適当な思いつきレベルの強弁だと思うぞ

>壱岐には多くの集落遺跡が確認されてて

でも、壱岐の比定地は最大の遺跡である原の辻遺跡で紛れもないぞ
小さな集落が壱岐国の中にあっても、そこを指して壱岐国だとは言わない

678 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 23:44:47.58 .net
潟湖っていうのは、水が流れ出す出口があるんだから、天然の良港になるんだよ
潟湖の内部が浅くなっているわけではない

679 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 00:08:44.77 .net
>>678
潟湖に大きい船を着けるには桟橋とか造る必要があるから天然の良港じゃないよ
自然のままだと小さな舟しか利用できない。

680 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 02:11:30.13 .net
実際に港として利用されているのに?

681 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 06:58:46.26 .net
>>680
利用してたの小さな舟でしょう
外洋船の港として使うなら航路の浚渫、桟橋や岸壁の整備が必要
その潟湖もだんだん堆積物で埋まってしまったんでしょ
名護屋浦は今も存在してますから。

682 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 06:59:19.84 .net
便 所 の 落 書 き ・ 痰 壷 の 更 に 劣 化 コ ピ ー の 3 流 掲 示 板 = 開 2 ち ゃ ん ね る
運 営 の 性 格 悪 い 引 き こ も り I T 土 方 メ ガ ネ ザ ル 早 く 死 な な い か な

683 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 07:38:35.04 .net
いくら、「呼子」だ「唐津」だと言い合っても、どちらも根拠の無い間違い説。
魏使 の上陸地は「福津市周辺」ですよ。
下記の点において、「呼子」「唐津」は適合しない。  @阿波
@壱岐からの「距離千里」
A上陸地としての環境(遠浅の砂浜)
B対馬海流の影響
C大陸との交流痕跡
D上陸地としての集落痕跡

684 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 08:27:57.91 .net
当時は外洋船といってもそこまで大きくないだろう。

685 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 08:28:31.65 .net
糸島に向かうのに糸島の海岸や唐津に入港しなかったのは
港が土砂で埋もれ始めていて大型船が着けなかったから
現在は糸島水道は現在陸地になってるし唐津の潟湖も埋まってしまっている
対して名護屋浦は現在も港として使われている。

686 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 08:57:08.72 .net
調べたら名護屋浦の海岸には赤松海岸遺跡ってのがあるみたいだよ。

687 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 09:07:53.60 .net
赤松海岸遺跡は縄文時代となってるけどこの辺に縄文時代から人が住んでたってことは
弥生時代も人が住んでただろうな、未発見の遺跡があるだろうな。

688 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 09:20:37.46 .net
呼子町大友遺跡は弥生時代の遺跡だな。

689 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 09:25:12.13 .net
>>687
>赤松海岸遺跡は縄文時代となってるけど

弥生時代まで存続していたら、複合遺跡って記録されるよ
まあ、具体的に見てないから確定的なことは言えないけれど、地図でざっと見て、
水田稲作に適した土地は、名護屋浦湾周辺には開けていないのは確実

690 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 09:33:13.56 .net
名護屋浦の海底を浚ったら魏使の落し物が見つかるかも。

691 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 09:35:32.63 .net
>>683
>@壱岐からの「距離千里」

もともと実測値ではない

A上陸地としての環境(遠浅の砂浜)

潟湖が広がっていれば、今より平野部は狭くなるから、大陸の人間の感覚なら
海から上がってすぐに山がそこに見えてるって感じだろう
有四千餘戸、濱山海居に合わないとは思わないがな

B対馬海流の影響

壱岐から南のつもりで東に流されると唐津湾くらいだろ

C大陸との交流痕跡

宇木訓電遺跡、中原遺跡、千々賀遺跡、桜馬場遺跡とあれば十分だろ

D上陸地としての集落痕跡

上陸地そのものは、海辺だろうが
中原遺跡は、潟湖からすぐだぞ

特に問題はないな

692 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 10:01:22.39 .net
>>691
なんでそんなに頑張ってるの?
少なくとも、 魏使の上陸地として「呼子」や「唐津」のほうが 「福津市周辺」よりも優れて妥当だとは言えないんじゃないのかな?
「福津市周辺」を排除する理由・根拠を示せないのでは?  @阿波

693 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 10:03:58.97 .net
>>687
赤松海岸遺跡辺りは相当難破したみたいだね。  @阿波

694 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 12:20:10.05 .net
>>692
>「福津市周辺」を排除する理由・根拠を示せないのでは?

逆だ、逆
「福津市周辺」を末慮国だと主張したいのなら、
末慮国⇒「松浦」
伊都国⇒「糸」島
奴国 ⇒「那」珂(福岡)
という、定説の比定地を「排除」してまで、「福津市周辺」が妥当とするだけの
理由・根拠を示さなければならないのは、阿波の方

でも、誰も相手にしてないから、書かなくていいよ
万津浦と書いた、出所不明の古文書なんて、何のあてにもならないし

695 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 12:32:46.62 .net
>>694
あのねぇ、もういい加減に地名云々は止めたら?
「万津浦」が気にいらないようだけど、「万津浦」なんてどうでもいいことなんだよ。
ようは、魏使の上陸地点が「福津市辺り」の砂浜だってことだけ。
そんな地名云々よりもっと明確な「福津市周辺」を排除する理由・根拠を示してほしい。  @阿波

696 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 12:48:10.35 .net
泡君は冗談を言ってるだけですから気にしないでください。

697 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 12:50:24.61 .net
きつい冗談でごめんね。  @阿波

698 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 17:57:48.15 .net
魏使が呼子付近に上陸した証拠。

@呼子付近じゃないと方角が合わないから呼子付近が魏使の上陸点である
それ以外の場所だと方角が合わない。

A倭人伝の書き方が
帯方郡の南の海岸〜狗邪韓国の南の海岸(7000里)
狗邪韓国の南の海岸〜對馬国の北の海岸(1000里)
對馬国の北の海岸〜對馬国の南の海岸(800里)
對馬国の南の海岸〜一大国の北の海岸(1000里)
一大国の北の海岸〜一大国の南の海岸(600里)
であるから次は
一大国の南の海岸〜末廬国の北の海岸(1000里)である。

B唐津に在ったとされる潟湖は現在存在しておらず松浦川の土砂の堆積により消失している、3世紀には土砂の堆積が始まっていて湖は浅く魏使の乗ってきた魏の外洋船は入港するのが困難であった。
(糸島水道も現在存在しておらず3世紀には浅くて魏の外洋船は入港するのが困難であった)

699 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 19:00:04.05 .net
>>684
日本の遣唐使船(邪馬台国より何百年後か分からんレベル)ならともかく、三国時代と言っても中国船はそれなりに大きいよ

700 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 19:02:27.72 .net
>>687
縄文時代は今より海岸線が内陸寄りだった時代
弥生時代や古墳時代は逆に、今より海岸線が沖合? 水深が浅かった時代

縄文時代に良港だった場所どころか、いま港に使える地形でさえも、弥生時代には港にならなかった可能性が高い

701 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 20:16:45.84 .net
邪馬台国の時代に対馬海峡を航行していたのは、倭人の船だと思うよ。

702 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 20:31:59.42 .net
倭人は倭人の舟で対馬海峡だろうが帯方郡までだろうが航海してたでしょうが
魏使は魏の船で日本まで来てたんですよ。

703 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 22:21:04.12 .net
末盧国の官名の記述がない=役人と会っていない=上陸していない

704 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 22:36:55.82 .net
>>703
>末盧国の官名の記述がない=役人と会っていない=上陸していない

それは、役人(一大率=筑紫忌部)は伊都国(出入国管理局)に居たから。
だから、末盧国に役人は居ない、居る必要が無い。  @阿波

705 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 09:19:09.73 .net
>>703
役人と会っていない≠上陸していない・・・ここがおかしい。
末盧国の役人の居る所を通らなかった
末盧国の中心ちは唐津ではなく伊万里だった!

伊万里の弥生時代のおもな遺跡
馬立場遺跡(東山代町東大久保)
大国遺跡(二里町大里)
橋本遺跡・西尾(にしお)遺跡(二里町大里)
土井頭遺跡(黒川町奥野)
小物成遺跡(大坪町白野)
午戻遺跡(大坪町六仙寺)

706 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 09:41:42.66 .net
>>705
>末盧国の中心ちは唐津ではなく伊万里だった!

で、魏使の上陸地はどこ? その四千戸の集落遺跡はどこ?  @阿波

707 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 11:25:13.79 .net
>>706
魏使の上陸地点は呼子付近で
四千戸は唐津や伊万里等を合計したもの
一大率は狗邪韓国、對馬国、一大国、末盧国にいたんだよ。

708 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 11:31:52.10 .net
「草木茂盛行不見前人」とわざわざ書かれるような所に上陸して
歩く、歩かせるなんてことは常識的に考えてないだろ

東松浦半島に寄った後、沿岸を行けるところまで行った所で上陸した
と考えるべき

さらに壱岐〜唐津では対馬〜壱岐の半分くらいしか距離がないのに
ともに千余里と書かれていることも注意すべき点だ

唐津からさらに沿岸を進んだ分がその距離の中に含まれていると考えるべき

709 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 11:37:29.07 .net
>>708
>歩く、歩かせるなんてことは常識的に考えてないだろ

常識ではないことがあったからわざわざ書いてあるわけで。
遠回りしてでも見せたくないものがあったのかもしれない。

710 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 12:01:27.42 .net
>>708
>「草木茂盛行不見前人」とわざわざ書かれるような所に上陸して
歩く、歩かせるなんてことは常識的に考えてないだろ


それは「八木山峠越え」のこと。

末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦)

↓【東南】陸行500里  福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)

伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)   @阿波

711 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 15:00:48.63 .net
古代、、、縄文あたりまでは九州(主に南部)に倭国があったと考えるのが自然やわな。そして瀬戸内海ルートで愛媛へ、太平洋ルートで高知へ。
高知県の田村遺跡が興味深いな。
コピペ
縄文時代から近世にかけての遺跡です。縄文時代後期では九州との関連が深い鐘崎式土器が多く出土し、注目されています。
弥生時代では本格的に稲作を始めた初期のムラの様子が明らかとなりました。
中期には西日本でも屈指の大集落となり、大きな影響力を持っていました。
古代では官衙的な建物跡が検出され、荘園を管理する施設の可能性があります。
中世では守護代の居館である田村城館とその周辺には環濠を伴った屋敷地が検出され、土佐国を支配する拠点でした。

とか。阿波へはその後やろな。

712 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 15:15:29.39 .net
>>702
いや、阿波もすでに西日本最大級の縄文時代集落が存在している。
それは鮎喰川下流域集落群。  @阿波
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C6%C1%C5%E7%BB%D4%2F%CC%F0%CC%EE%B0%E4%C0%D7

713 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 18:21:41.65 .net
こういう縄文時代から続く複合大型集落遺跡が九州には無いんだよね。
唯一の吉野ケ里遺跡も、弥生時代で消滅しているし。  @阿波

714 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 18:48:15.13 .net
>>712
>こういう縄文時代から続く複合大型集落遺跡が九州には無いんだよね。

阿波はえらそうにする割りに勉強不足だから知らないだろうが、九州の
縄文時代の遺跡は平野部ではなく山中にあるものが多いんだ

そして、弥生時代になると低平地に集落を作るようになる

この辺が、案外、高天原から降りてきたという神話の元になっているのかもしれない

715 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 18:53:07.12 .net
>>714
>九州の縄文時代の遺跡は平野部ではなく山中にあるものが多いんだ
そして、弥生時代になると低平地に集落を作るようになる

縄文時代から続く複合大型集落遺跡が九州には無いんだよね。   @阿波

716 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 18:59:07.52 .net
吉野ヶ里遺跡とか縄文時代から弥生時代、律令時代まで続いてるし
博多とかは縄文時代から現代まで人が住んでいますよ。

717 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 19:05:40.63 .net
>>715
阿波は無知すぎる。

718 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 19:25:58.23 .net
>>716
>吉野ヶ里遺跡とか縄文時代から弥生時代、律令時代まで続いてるし

吉野ヶ里遺跡は縄文時代から弥生時代まで。 弥生時代で消滅している。  @阿波 

719 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 19:27:53.02 .net
>>716
>博多とかは縄文時代から現代まで人が住んでいますよ。

その博多の「縄文時代から続く複合大型集落遺跡」ってどこ?  @阿波

720 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 19:37:17.93 .net
>>719
>その博多の「縄文時代から続く複合大型集落遺跡」ってどこ?

最低、そういうものがないと、北部九州説なんて恥ずかしくて言えないだろうに。  @阿波

721 :日本@名無史さん:2018/04/28(土) 19:43:16.82 .net
博多の地下。

722 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 06:07:43.81 .net
>>721
>博多の地下

阿波が間違っているのは認めるけど
博多の地下は縄文海進で海に浸かってるからそれは無理

723 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 06:15:16.76 .net
>>722
>阿波が間違っているのは認めるけど

阿波のどこが間違ってるのか、指摘してみて。 そして、叩きのめしてみて。  @阿波 

724 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 06:46:34.17 .net
>>722
叩き殺してみて

725 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 06:49:44.91 .net
縄文弥生には大地震と巨大津波が何回か発生したらしいが。南海トラフなんかの被害で高知県から移動したのが阿波と違うの、時代的に。

九州南部から北部へ、高知県へ→阿波→瀬戸内海側の愛媛香川→畿内へ。
九州北部から出雲→山陰、山陽→畿内へ。
波紋が広がる様に、岸うつ波の様に人は次々と移動したんやろな。

其れも先行グループと後発グループ、が分裂と再開、再再々開を繰り返したんやろ。
ロマンやなあ。

726 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 06:53:23.77 .net
>>724
>叩き殺してみて

殺すことはご勘弁を。
あなたが何説か知らないが、阿波説以外は「其山有丹」で即刻排除される。  @阿波

727 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 06:53:51.95 .net
世界最古の前方後円墳は阿波にある

728 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 07:27:33.58 .net
朱を自給自足出来る阿波にあって萩原2号古墳だけ中国産の朱を使ってるんだな
魏志倭人伝の記録にあるような量じゃ古墳一つ分あるかないかだから
もらったヤツはここに使ったのかもしれない

729 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 09:51:14.95 .net
音の響きが全然違うじゃん。

ヤマタイとアワ。

クナコクとアワ、イヤ、トサ。

何か似てるか??

730 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 10:10:34.65 .net
>>729
阿波の事、何も知らないんだね。 
やまたい=やまと(倭)
旧阿波国は、北部の“粟国”と南部の“長国”に分かれていたが、大化改新(646)以降粟国として統一され、
和銅6年(713)5月の、“国名・郡名等として好字2字を選べ”との命により“阿波国”と改称したという。
全国、広しと言えども
「倭」と明記された「物証」があるのは、唯一「阿波」だけなんですね。
当然、倭国でない、九州にも畿内にも有りません。  @阿波

731 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 10:56:53.61 .net
阿波にあるのは倭大国魂神社
奈良にあるのは大倭坐大国魂神社

732 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 11:19:20.49 .net
はぁ?

ヤマタイとアワ。

クナとナガ。

何か似てるか????


そろそろ頭の病院、刑務所に行く頃だろ。

733 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 11:23:42.14 .net
>>725
正解

734 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 11:32:39.78 .net
阿波が倭=元ヤマト
大和が神武東征後の新ヤマト

735 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 11:56:31.20 .net
>>734
>阿波が倭=元ヤマト

正解

>大和が神武東征後の新ヤマト

大和が白村江の戦・遷都以後の新ヤマト  @阿波

736 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 12:24:48.13 .net
阿波説の日本史年表ってどうなってるの?

737 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 13:27:54.52 .net
そこが阿波説の不備。

738 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 14:00:46.82 .net
>>736
>阿波説の日本史年表ってどうなってるの?

それは具体的にどういうもの?
他説の日本史年表ってものを見てみたい。  @阿波

739 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 14:06:23.41 .net
古代イスラエル人が渡阿波
伝説のアークを剣山に埋める

ここから

740 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 20:33:28.09 .net
>>727
阿波は間違い無く倭国の中心やった時代があったんやろね。
古墳や複合集合遺跡、丹生と麻が決め手やと思う。
魏志倭人伝に記載された時点に中心が何処とか余り興味無いし、其れより人の流れと其の目的が何やったかに興味あるねん。

伊邪那岐の国産みの「こをろこをろ」と矛立てて、とか渦潮とSEXを国産みの係言葉としか思えんしな。
そんな古くから栄えた九州に何時までも留まって無いと考える方が自然やろ。

741 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 07:45:28.62 .net
>>730
>「倭」と明記された「物証」があるのは、唯一「阿波」だけなんですね。

これが神社の鳥居の額とかだったら笑える

742 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 12:36:21.31 .net
神社の鳥居で古墳時代とか弥生時代ごろの遺物なんて実在するのかよ?

743 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 13:45:09.93 .net
鳥居の原型は、平原遺跡にそれらしき柱の跡がある。

744 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 13:50:39.84 .net
柱の穴みただけでファンシーな爺さんだな

745 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 13:59:43.51 .net
纏向みたいなもんだ

746 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 14:04:17.81 .net
なぜ?

九州説はいつも理由が言えない

747 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 15:08:22.01 .net
平原古墳郡は別格だね
発掘品からして格上感がある
 
どこかで読んだが遺体の足の方に柱跡があり
これが太陽信仰で柱の影が遺体の膣にはいり
太陽と合体した〜みたいな見解だった
その柱を遠くから見たら箸に見えていたのかも
箸墓かと思えたな

748 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 15:18:56.05 .net
後漢代、倭国乱以前に栄えてたとこの遺跡だね、ひらばるって。

749 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 15:27:58.28 .net
>>748
明らかに倭国乱中か、乱後だよ?
乱前はありえないな

750 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 16:13:38.91 .net
>>747
>平原古墳郡は別格だね

この一言で、平原遺跡の全景が分かっていないのが丸分かり
平原遺跡は、5つの周溝墓が確認されている弥生墳墓群で、古墳群ではない

そして、最大の1号墓で12メートル×8メートルという墳丘サイズ
残り4つはさらに小さい

1号墓以外めぼしい副葬品のあるものはない
伊都国王墓の地からも離れたところにある

おそらくは、伊都国王家に妃を出した伊都国有力家系の家族墓地
1号墓の被葬者は伊都国王妃くらいだろう

751 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 18:29:55.30 .net
>>740
正解

752 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 20:43:19.80 .net
>>750それでも女性が埋葬された中では別格な埋葬品でしょ?
全部割られた鏡から想像すると「甦り防止」もあったと思う 
甦り防止ってことは、祭司者か占い師だったかも知れない
鏡の大きさ日本最大級46センチも卑弥呼級の
人物しか持てない大きさだと思っている
じゃあ聞きたいけど自分の娘や親族をなぜ別の場所に埋葬するんだい?
しかも違う埋葬方法で?
 

753 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 21:37:16.44 .net
>>752
>女性が埋葬された中では別格な埋葬品でしょ?

丹波の大風呂南墳丘墓とか調べてごらん
鏡以外は平原より上だよ

結局、平原1号墓は立派な仿世鏡がたくさん出た、以上ではないんだよな

伊都国、奴国に青銅器の工房があったのは認めてよいだろう
伊都国の青銅器生産を担う一族から、伊都国王妃が出て、それをその一族の
家族墓地に葬った、というのが一番妥当だと思う

>じゃあ聞きたいけど自分の娘や親族をなぜ別の場所に埋葬するんだい?
>しかも違う埋葬方法で?

これは何との比較を意図してるんだい?
伊都国の鏡作りの一族が、その娘を葬ったと思っているんだが
本来の伊都国王家の一員じゃないと思ってるよ

754 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 22:08:14.63 .net
日本の国宝一覧

考古資料の部

弥生時代

* ▪ 金印(漢倭奴国王印) (福岡市博物館)
* 袈裟襷文銅鐸(両面在画像)2口、袈裟襷文銅鐸8口、銅鐸1口、流水文銅鐸3口、銅戈7口(神戸市灘区桜ヶ丘町出土)(神戸市立博物館)
* 福岡県平原方形周溝墓出土品 一括 (国(文化庁)所有、伊都国歴史博物館保管 弥生時代〜古墳時代)
* 袈裟襷文銅鐸〈伝讃岐国出土〉(東京国立博物館)
* 島根県荒神谷遺跡出土品 (国(文化庁)所有、島根県立古代出雲歴史博物館保管)
* 島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸 39口 (国(文化庁)所有、島根県立古代出雲歴史博物館保管)

755 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 08:20:31.63 .net
>>753
>伊都国の鏡作りの一族が、その娘を葬ったと思っているんだが
>本来の伊都国王家の一員じゃないと思ってるよ

アホだろ。
じゃあ、その鏡作りの一族の本家の墓は?
伊都国王家の他の墓は?
副葬品の格は王家の一員というよりも王そのものだろう。
卑弥呼であることを認めたくないから、根拠のない作り話ばかり。
これが畿内説の限界。

756 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 08:21:13.07 .net
>>754
出雲と筑紫の二強。
記紀の記載の通り。

757 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 09:14:57.82 .net
クモが出立する/した出雲、たくさん/いっぱい隔てる八重垣。
地名と言うより行動、行程の事じゃないの?

758 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 09:47:33.82 .net
>>755
>じゃあ、その鏡作りの一族の本家の墓は?

それが、平原遺跡の2号墓から5号墓だろ
伊都国内では有力家系で、家族墓地を持っていてもその程度なんだよ
その中で、1号墓の被葬者は伊都国王家に嫁いで、彦姫のヒメ王まで担当したから
がんばって、いっぱい副葬したんだよ

>伊都国王家の他の墓は?

基本的に、伊都国王家は三雲遺跡群の範囲内に墓を作っている
三雲南小路遺跡も井原鑓溝遺跡も、古墳時代に入ってからの
端山古墳、築山古墳も三雲遺跡群の中だ

三雲南小路から端山古墳の間の王墓は、検出されていないが
あるならば三雲遺跡群の範囲内である可能性が高い
実際に王墓と言えるものがなかった可能性もある

>副葬品の格は王家の一員というよりも王そのものだろう。

王といっても、「地域首長レベル」なんだよ
出雲や吉備、丹波の首長墓と比べて、突出した豪華さはないし
何よりも小さい
径百歩の墓というのから逃げ続けないといけない倭女王の墓と
いうのはむなしくならないか?

759 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 11:32:04.10 .net
倭国が筑紫プラスアルファくらいの範囲なら、ぴったりなわけで。
卑弥呼だけ伊都筑紫王家ではなく肥国王家から共立されたという立場なので、配置も問題ないな。
平原遺跡が卑弥呼の墓でなんの矛盾もない。

760 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 11:55:19.87 .net
>>759
>平原遺跡が卑弥呼の墓でなんの矛盾もない。

お粗末。 恥ずかしくないのかね?  @阿波

761 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 15:28:15.84 .net
>>759
>倭国が筑紫プラスアルファくらいの範囲なら、ぴったりなわけで。

九州説(伊都国説)の人って、倭国を小さく小さくしたがるよね

でもその前に、
・伊都国かどこかに着いた時点で邪馬台国到着みたいなこと言ってないとおかしくね?
 なんで奴国や投馬国から移動してからやっと邪馬台国に着いたみたいな書き方してんだ
・たとえば倭なら韓半島の南岸の時点でもう名前が出てくるぞ
・邪馬台国のことを女王の都だとはっきり書いてる魏志倭人伝を無視するの?

762 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 15:30:18.67 .net
伊都国は倭国の京

763 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 16:41:47.45 .net
>>762
>伊都国は倭国の京

言いたいのは 委国の都で伊都国ってことかな?

でも、それなら、伊都国に着いたところで邪馬台国到着ってことになってないとおかしくないか?
どうして奴国や投馬国から移動してからやっと邪馬台国に着いたみたいな書き方になっているのかな?
たとえば倭なら韓半島の南岸の時点でもう名前が出てきてる
邪馬台国のことを女王の都だとはっきり書いてる魏志倭人伝を無視するの?

764 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 16:46:08.83 .net
邪馬台国なんてないんだよ

765 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 17:58:52.69 .net
>>763
>でも、それなら、伊都国に着いたところで邪馬台国到着ってことになってないとおかしくないか?

やれやれ、やっと伊都に到着した。
ここが使いがいつも逗留するところだ。

そんな意識が伝わってくるだろう?

766 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 18:11:48.11 .net
>>765
>そんな意識が伝わってくるだろう?

来ねーよ!
どこの電波受信してるんだよ!

「どうして奴国や投馬国から移動してからやっと邪馬台国に着いたみたいな
 書き方になっているのかな?」

767 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 19:45:40.00 .net
>>763
これがその邪馬台国到着って文だよ
「世有王 皆統屬女王國」
意味は「魏の世に倭王がいた、倭の国々の王は皆、女王国(邪馬台国)に統属されていた。」だよ。
女王国(邪馬台国)の都が伊都国なんだよ。

768 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:04:23.45 .net
邪馬台国=連合国の考えは初めは受け入れ難いよね
しかし、日程記述の部分は別情報の可能性が指摘されており、それなら可能性はあり、と今は思う

可能性の一つとしてね

どちらにせよ、使者は伊都国から進んでる様子がないので、卑弥呼は伊都国の近くにいたと思うけど

769 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:07:08.70 .net
千戸しかいない伊都国に王がいて
二万戸もある奴国に王がいないってのはどうなのかな?
後漢時代に金印もらった時は確かに奴国に王がいたはず
「世有王 皆統屬女王國」
これはもともと奴国の説明だったのが錯簡で伊都国の後にきちゃっただけじゃないの?

770 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:11:55.22 .net
>>769
ニューヨークとワシントンD.C.を見れば、別に奴国と伊都国の人口比率など気にはならないよ。

771 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:15:35.79 .net
>>769
むしろ、伊都国側が、倭奴国を昔の奴国と錯覚させたのかもしれない。
前漢の頃は考古学的にも奴国に王墓があるのだが、後漢の頃はすでに王墓は伊都国側にあるんだよ。
金印も、伊都国の細石神社が江戸時代まで保管していたという噂だよ。
細石神社は金印をもらった頃に作られた三雲南小路遺跡の拝殿を兼ねていたと思われる。
漢委奴国王は伊都国にいたんだよ(多分)。

772 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:26:09.67 .net
>>769
後漢書に出てくるのは倭奴国であって奴国じゃない
魏志倭人伝の奴国ではない。

773 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:36:12.28 .net
>>769
>千戸しかいない伊都国に王がいて

伊都国は、魏略逸文では一万戸の大国となっている
「東南五百里 到伊都國 戸万余」

平野の規模的にいって、一万戸はきつそうとは思うけれど、
魏志倭人伝での重要視からいくと、一万戸でもありかなとも思う

774 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:38:12.03 .net
伊都国にいた一大率が北九州における権力の中心だから
奴国王も普段は伊都国に出張してたんだろ
だから伊都国王じゃなくて正確には「伊都国にいた奴国王」

>>772
そういう小学生レベルの言葉遊びはろくに漢文よんだことないからできるんだよ
漢文に親しんだことのないやつは表面の字づらだけで辻褄あわせようとする
漢文の語感も慣用もなにもしらないからな

775 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:38:38.03 .net
>>767
>これがその邪馬台国到着って文だよ
>「世有王 皆統屬女王國」

普通に読んで、そうは読めないだろ
自然な読み方ではない
何しろ、伊都国と邪馬台国が別の国名で別のところに書いてあるんだから
それを同一視するのは、まともな読み方ではないよ

どうして、そんなに伊都国を邪馬台国にしたがるのかが不思議
伊都国が邪馬台国だったら、邪馬台国の官がいるのに
なぜ一大率がいるのかとか、自然には説明がつかないことが多すぎ

伊都国説は邪説だと思う

776 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:52:23.71 .net
>>775
>伊都国が邪馬台国だったら、邪馬台国の官がいるのに
>なぜ一大率がいるのかとか、自然には説明がつかないことが多すぎ

都だからだよ。
東京だって、都知事もいれば総理大臣も官房長官もいる。
纒向なんて、魏志倭人伝に名前すら出てこないだろ。

777 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:54:19.73 .net
>>772
>>769
>後漢書に出てくるのは倭奴国であって奴国じゃない
>魏志倭人伝の奴国ではない。

そうそう。
倭奴国は伊都国だと思うね。
ただ、あえて誤解を誘導したか、誤解を放置したか。
よく言えば、掛詞や所縁のような感覚だったのかもしれない。

778 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:54:55.58 .net
「刺史の如し」っていってんだから地方官じゃないの?

779 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:57:19.93 .net
むりやりだなぁ
奴国と伊都国が別々にあるのに奴国が倭奴国じゃなくて伊都国が倭奴国だなんて
不自然すぎんだろw 誰がついてくんだよ

780 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:05:14.59 .net
>>779
日本人はそういう言い換えが文化だよ。
古典文学とか和歌とか、そんなのばかり。
そして考古学的に、奴国から伊都国に王権が移動しているのに、後漢書の記載はどつちともつかない倭奴国。
少なくとも倭奴国が奴国だという根拠がない。

781 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:06:42.09 .net
おいw
魏志倭人伝を書いたの日本人だっていうのかよw

782 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:07:48.79 .net
少なくとも王権が奴国から伊都国に移動したという証拠がない。

783 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:08:57.50 .net
倭国の中の奴国なんだから倭奴国だろうよ

784 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:38:53.19 .net
>>777
ついでに面土国もか?

785 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:08:03.11 .net
倭面土がヤマトかということ?
中国人が音に漢字を当てる時、あいつら(倭人)は顔にも刺青しているから、この字で書こうぜ!いいね!くらいのことは考えたかもね。

786 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:08:27.96 .net
>>783
>倭国の中の奴国なんだから倭奴国だろうよ

根拠なし。

787 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:30:58.24 .net
根拠も糞も、普通の漢文表現だよ。

788 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:35:00.44 .net
>>776
刺史のごとき官がいたとされている伊都は、首都圏から離れた場所であって、地方官の駐屯所なんだよ
刺史は首都圏から離れた場所を監督する官だからね

789 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:36:30.36 .net
首都にいた大率が、地方である対馬海峡を視察して回ったんだろう。

790 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:37:08.92 .net
>>787
じゃあ、匈奴は匈の中の奴国なのか?

791 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:40:44.20 .net
>>776
>都だからだよ。
>東京だって、都知事もいれば総理大臣も官房長官もいる。

近代国家と比べても意味がないぞ
近代国家は権力の分立や職掌範囲という概念があるが、古代の王はオールマイティだ
国家の中枢に権限を持つ代官を置いたら、権限のバッティングによる混乱の元にしかならない

>纒向なんて、魏志倭人伝に名前すら出てこないだろ。

纒向以前に、邪馬台国=ヤマト国って明記されてるじゃないか
官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮
の伊支馬イキマはイクメイリヒコ、彌馬升ミマキはミマキイリヒコでもおかしくないと思うし

792 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:47:16.26 .net
>>777
>ただ、あえて誤解を誘導したか

史書で誤解を誘導する必要はどこにもない

それ以前に、魏志倭人伝の其餘傍国の最後の奴国を、九州の奴国と勘違いした可能性は結構高い
そうでなければ、極南界という言葉は出てくる必然性がまるでないから

793 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:47:41.93 .net
>>791
>近代国家は権力の分立や職掌範囲という概念があるが、古代の王はオールマイティだ

大率を含め、権力の分化が進んでいたのが邪馬台国だよ。
魏志倭人伝は、その成熟した政治体制を報告し、金印にふさわしい国家体制であることを示している。
君の頭の中の古代国家観は、邪馬台国にはあてはならない。
卑弥呼はあくまでも象徴なんだよ。
外交専門に見えるね。

794 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:51:45.01 .net
>>789
>首都にいた大率が、地方である対馬海峡を視察して回ったんだろう。

自女王國以北、特置一大率、檢察諸國。諸國畏憚之。「常治伊都國。」
って書いてあるね

常に伊都国で治めるんだから、視察して回ったりはしないだろ

795 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:53:40.73 .net
諸国を検察する、はどうした?

796 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:55:47.39 .net
>>793
>大率を含め、権力の分化が進んでいたのが邪馬台国だよ。

また都合のいい憶測を書いてるな
権力が分化していない古代国家だから、「全権を持つ代官」が地方に置かれるんだよ

797 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 23:08:11.49 .net
程度の問題だ

798 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 23:10:55.70 .net
奴国王=難升米は外交担当。伊都では副官(兕馬瓠)=奴では大官(泄膜瓠)
伊都国の一大率は軍事指揮官。伊都の大官(爾支)

どっちも任命してるのは邪馬台国の卑弥呼だろうが
一人に権力が集中しないように分担させてるんだよ

799 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 23:18:31.28 .net
伊都国のぞいて諸国の副官はみな「卑奴母離」これは辺防の意で武官
伊都国の一大率から派遣されてるんだろう。
だから一大率は伊都国にいながらにして「諸国を検察」してる。
諸国に大官と副官がセットになってるのは内政を担当する現地首長と
軍事を担当する査察官とが分離してるのであって
オールマイティな権力者など存在しない

800 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 00:07:06.79 .net
>>794
常に伊都国「で」治めてたのか、「を」治めてたのかは判別できないけどね

地方官たる一大率(刺史のごとし=地方官、職場は中央ではないところ)が常に伊都国で働いていることは間違いなさそうではあるよね
伊都が中央ではなく地方拠点だと確定する

801 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 00:09:49.45 .net
一大率を置いたのは自女王國以北

伊都国で治める

伊都国で諸国を治めるとの意味合いかな

802 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 00:21:19.92 .net
刺史ってのは、首都から遠く離れた任地に赴任して地方統治にあたる、出先機関の長だよ
首都近辺で働く役職じゃない

それと似てるんだから、首都から離れたところで働いていたことは確定で動かせない

803 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 00:26:18.93 .net
>>800

自女王國以北、特置一大率

一大率は伊都国にいたとは限らない

常治伊都國

やはり主語が大事だね
一大率でも女王でも、どちらとも可能性がある

一大率を置いたのは女王
では、治めたのも女王でもいいね

その様子を刺史のごとしと説明した、でもよさそう

804 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 06:09:34.29 .net
デタラメは駄目



 

805 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 07:30:03.09 .net
>>802
>首都近辺で働く役職じゃない

伊都を首都にしたくないための詭弁。
周辺地域を治める点で刺史に似ているとしたなら、問題ない。

806 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 07:33:33.07 .net
自女王國以北、特置一大率
常治伊都國

伊都にいながら女王国から北を治めたなら、女王国も九州。
女王国が纒向なら、伊都にいながら京都あたりを治めることになってしまう。

807 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 07:41:16.98 .net
伊都には官が置かれているので、大率は伊都を治めるのではなく、伊都の周辺を治めるためのもの。
周辺地域を治めるから刺史に似ている。
伊都を治める官は大率とは別に禰宜と記載されている。

808 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 08:35:03.73 .net
魏晋の時代の刺史が将軍位を持って兵権の行使も行うことがほとんどとなり、
「領兵刺史」と呼ばれたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%BA%E5%8F%B2

だから一大率は戦時の司令官という意味で刺史に似ているという意味なのではないか?

809 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 08:48:58.51 .net
おそらくほとんどの官は武力を持たない。
伊都(女王国)から北、対馬海峡における海兵力が一大率だろう。
最大の要所を鎮守する倭国の精鋭。

810 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 08:53:04.86 .net
大率と云う漢字(率)の謎
魏の時代  渠帥、小帥、長帥、主帥、大帥 と 帥 の漢字を用いている。
百済では  達率、恩率、徳率、杆率、奈率 と 率 の漢字を使った役職があった。
百済は4世紀の時代ですので、卑弥呼より時代が後です。
帥 も 率 も スイ、ソチ とも読めます。意味も「ひきいる」と云う意味で同じです。
4世紀は、倭国が朝鮮半島を支配していた時代でもあります。
さらに帥は後の太宰府長官、九州の支配者でもあります。

811 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:10:22.02 .net
>>804
一大率が伊都国にいたとか出鱈目を言い出したのは誰?

812 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:13:54.25 .net
一大率は、女王国(伊都)にいて、女王国(伊都)から北の諸国(地方)を検察した。
(地方を検察する様は)刺史の如くである。

813 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:14:20.81 .net
>>811
陳寿

814 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:15:27.27 .net
>>806
自女王國以北 特置一大率・・・一大率は自女王國以北に居る。
常治伊都國・・・常に治める者は伊都国に居る。
一大率と常に治める者は明らかに別人ですね。

815 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:16:48.03 .net
>>813
陳寿はそんなこと書いてないよ
誰か日本人が訳す時に創作してる。

816 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:19:18.41 .net
>>812
原文通りだと
一大率は、女王国以北にいて諸国を検察し、伊都で常に治められていた。
(地方を検察する様は)刺史の如くである。

817 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:21:15.60 .net
奴国が倭の極南だから女王国は=奴国であって伊都が王都ではない。

818 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:27:08.09 .net
>>817
極南界は倭奴国ですよ
倭奴国が金印を貰って倭国王になった。

819 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:40:01.09 .net
倭国の王都は倭奴国ということですね。
女王国から北を鎮守する大率はその隣の伊都国にいたと。

820 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:44:53.94 .net
>>816
原文どおり読んでないね

821 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:49:33.80 .net
>>731
淡路島(三原郡。現、南あわじ市)に在るのが大和大国魂神社。(淡路国二宮。名神大。)
大和神社の分社と伝わり、明治以前、一千数百年の永きにわたり、祭神はイザナミ大神と深く信奉されてきた。
社伝によれば創建には大和神社の初代神主、磯城長尾市や更には倭宿禰などの名が伝わり、かなり古い時代から在った事が窺われます。

律令の下、一宮であるイザナギ神社より常に手厚い対応(お手当て。税の配分)がなされた。

822 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:57:34.06 .net
金印を貰うくらいだから奴国は北部九州(福岡平野と筑紫平野)くらいは治めていただろう

それが後年、邪馬台国の支配下に入った時に福岡平野側を邪馬台国の直轄地として
独立させたのが伊都国ではなかろうか

823 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 11:20:34.02 .net
>>821
>大和神社の分社と伝わり、明治以前、一千数百年の永きにわたり、祭神はイザナミ大神と深く信奉されてきた。

その「伊邪那美命」が日本で唯一、阿波でのみ祀られている不思議。  @阿波

式内社 阿波國麻殖郡「伊邪那美神社」
http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/07/005405

824 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 11:35:10.45 .net
自女王國以北、特置一大率、檢察諸國。諸國畏憚「之」。常治伊都國。

九州説系の人たちは、「之」を無視している
「之」は一大率だよ
分かりやすく訳すとこんな感じ

女王国より北では、特に、“一大率”という役職を設け、諸国を検察させている。
諸国はこれ(一大率)を畏れている。(一大率は)常に伊都国で治めている。

一大率は、伊都国に常駐してるよ
そして、一大率は「有如刺史」なのだから、地方官
こんなところからも、伊都国=邪馬台国説は破綻している

825 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 11:41:55.41 .net
>>824
その、一大率は倭国(阿波)から派遣された「筑紫忌部なんですよ。  @阿波

826 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 12:06:37.73 .net
>>824
>(一大率は)常に伊都国で治めている。

漢文の文法的に明らかな誤りですね。
(一大率は)常に伊都国で治められている。
が正しい意味です。

>一大率は、伊都国に常駐してるよ

畿内説は始めから破綻しているんですよ。

827 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 12:29:33.46 .net
>>824
>そして、一大率は「有如刺史」なのだから、地方官
>こんなところからも、伊都国=邪馬台国説は破綻している

勝手な解釈だね。
伊都国に置かれた一大率が、地方(ここでは伊都から北の諸国)を検察していたのだから、それが刺史のようなんだよ。

それよりも、畿内説では伊都にいる一大率が治めている、女王国より北とはどこになるんだ?
京都か?若狭湾か?

828 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 14:36:38.81 .net
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國

読み下し文
女王國ヨリ以北、特二一大率を置キ諸國ヲ檢察ス、諸國ハ之ヲ畏レ憚ウ。伊都國デ常二治ム。

文意
女王卑弥呼は、女王国より以北には特に一大率を置いて諸国を検察されている、諸國は一大率を恐れ敬っている。女王卑弥呼は、一大率を伊都国で常に治めている。

829 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 14:42:20.39 .net
>>827
>それよりも、畿内説では伊都にいる一大率が治めている、女王国より北とはどこになるんだ?

陳寿の頭の中では
帯方郡
↓ 乍南乍東
狗邪韓國
↓ 始度一海(方角なしだけど南、南北市糴)
対馬
↓ 南渡一海
壱岐
↓ 渡一海(方角なしだけど南、南北市糴)
末慮
↓ 東南陸行
伊都
↓ 東南
奴国
↓ 東
不彌国
↓ 南
投馬国
↓ 南
邪馬台国

っていう認識なんだから、現実の地理ではなく、この陳寿の旅程に合わせて考えないと
女王国以北は、狗邪韓國から投馬国だよ
まあ、感覚的には投馬国が入るのは奇異な感じがするけれど、字義通りに読めばそうなる

830 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 14:58:59.49 .net
>>829
文字通りに読んだら伊都国に一大率はいませんよw

831 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 15:25:57.04 .net
では畿内は考える余地はないということで。

832 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 15:38:08.76 .net
文字どおりに読んでないからだよ

833 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 17:31:15.05 .net
>>830
>文字通りに読んだら伊都国に一大率はいませんよw

>>826と合わせて
>>(一大率は)常に伊都国で治めている。

>漢文の文法的に明らかな誤りですね。
>(一大率は)常に伊都国で治められている。
>が正しい意味です。

これおかしいよww
治めるに、人・役職を治めるという意味は普通はない
人を目的語に取る場合は
「(犯罪・人などを)懲らしめる,処罰する,やっつける.」の意味になる
一大率を処罰したり、やっつけたらダメだろう
それも常にww

普通に読めば、
諸國畏憚之。常治伊都國。という並びなんだから、
「常治」の主語は、直前の「之」であり、「之」の指すところは「一大率」だよ
どうして、ここで「主語が女王」とかいう発想が出てくるのかが不思議

834 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 17:34:41.98 .net
>>827
>伊都国に置かれた一大率が、地方(ここでは伊都から北の諸国)を検察していた

これが勝手な解釈
一大率が検察するのは、女王国より以北なんだから、投馬国も奴国も入るよ
そして、一大率は「有如刺史」なのだから、一大率のいるところ=伊都国が地方なんだよ

邪馬台国から、水行と陸行合わせて2ヶ月かかるんだから、しっかり地方だろうが

835 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:05:16.92 .net
>>834
一大率が伊都から出兵したんだろ。
都から地方に向けて出陣する様が刺史のようだ。

836 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:06:00.34 .net
>>834
>邪馬台国から、水行と陸行合わせて2ヶ月かかるんだから、しっかり地方だろうが

誤読ですね。

837 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:48:19.23 .net
>>805
刺史の特徴は地方へ赴任することだけ

838 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:55:44.08 .net
>>808
監察官たる刺史と、兵権も持つ「牧」があって、時代によって切り替わってる。
刺史が将軍を兼任するのは牧とは別だけど、その場合は軍権はあくまでも将軍職に由来するもので刺史とは無関係。単なる兼任。

戦時の司令官としての特徴を言いたいだけなら将軍なり都督なりと呼ぶべき。
刺史は単独では兵権を持たない、どころか統治権もない監察官。

>>814,816
どう見ても誤読誤訳

839 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:13:21.01 .net
>>836
>誤読ですね。

いやさ、伊都国説の人が水行10日を、帯方郡起点だって言ってるのは知ってる
でも、それは自然な読み方ではないし、「平原1号墓が卑弥呼の墓だから」の逆算に過ぎない
そっちが牽強付会な誤読なんだよ

840 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:20:56.63 .net
倉本一宏も帯方郡起点説らしい

841 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:32:20.03 .net
>>840
>倉本一宏も帯方郡起点説らしい

らしいってなんだよ、らしいってww

倉本一宏先生は、専門は天武・持統朝から藤原摂関政治の成立のあたりだろ
邪馬台国論争には踏み込んでないよ

842 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:41:49.82 .net
>>841
「古代史から読み解く「日本」のかたち ((祥伝社新書)) 」
読んでないね

843 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:46:56.68 .net
自分の専門外のことに関しては、学者も正しくないことを言う事は多いからね
専門にしてる分野じゃないって時点で。

844 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:52:44.32 .net
>>833
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國

読み下し文
女王國ヨリ以北、特二一大率を置キ諸國ヲ檢察ス、諸國ハ之ヲ畏レ憚ウ。伊都國デ常二治ム。

文意
(女王卑弥呼は、)女王国より以北には特に一大率を置いて諸国を検察されている、諸國は一大率を恐れ敬っている。(女王卑弥呼は、一大率を使い諸国を)伊都国で常に治めていた。

>「常治」の主語は、直前の「之」であり、
何で「常治」の主語は、直前の「之」の一大率?
一大率は卑弥呼の部下で女王国以北に居る官僚で女王国以北に居るのに同時に伊都国に常に居るのは変

この文全体が女王卑弥呼の事を説明した文章だから主語は女王卑弥呼だよ。
「治」られるのは諸国であり、「治」めるは女王卑弥呼だよ。

845 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:54:53.49 .net
この話はとっくに他スレで論破済み

846 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 21:23:26.26 .net
>>838
>監察官たる刺史と、兵権も持つ「牧」があって、時代によって切り替わってる。
>刺史が将軍を兼任するのは牧とは別だけど、その場合は軍権はあくまでも将軍職に由来するもので刺史とは無関係。単なる兼任。

なるほど。
だから検察となるわけか。

847 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 00:40:44.57 .net
>>844
>何で「常治」の主語は、直前の「之」の一大率?

自分で貼ってる読み下し文、何も考えずに読んでごらん
読み下し文
女王國ヨリ以北、特二一大率を置キ諸國ヲ檢察ス、諸國ハ之ヲ畏レ憚ウ。伊都國デ常二治ム。

これに余計な言葉を補わずに読んだら、普通に「之」が常に治むとしか読めないだろう
ここ一帯の主語が卑弥呼だっていうのは「為にする決めつけ」だよ

848 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 07:36:17.21 .net
>>847
一大率は検察するのが仕事だと書いてある
治めるのは一大率の仕事ではない。

「常治伊都國」この文は「之」だけを受けてるのでなく、「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之」全体を受けてるんだよ
こうやって女王卑弥呼jは治めてるって意味だよ。

849 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 07:37:45.05 .net
>>845
何度論破されても同じ話を畿内説の人は繰り返してくるんだよな。

850 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 08:39:02.96 .net
>>847
漢文の書き下し助詞にデはない
落第、顔洗って出直してこい。

851 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 08:56:03.61 .net
>>844
>一大率は卑弥呼の部下で女王国以北に居る官僚で女王国以北に居るのに同時に伊都国に常に居るのは変

伊都国の位置を女王国より北、北方だと誤認してたら矛盾は出てこない。
地理の誤認がないことを大前提に置くから、有りもしない矛盾を幻視しちゃうんだよ

852 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 10:56:14.13 .net
>>850
漢文の書き下し文にデを使ってはいけないなんてルールはありませんよ
分かり易ければそれで良し。

853 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 10:58:15.30 .net
>>851
何を主張したいか意味が通じてませんよ?

854 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:05:54.26 .net
>>852
イレギュラーな読み管しなので分かり難い

855 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:19:00.74 .net
>>854
常ニ伊都國ニ治ム
とかだと何のことか分かり辛いだろ
常ニ伊都國デ治ム
なら意味が明快、伊都国を治めるとか変な勘違いする人もでないだろ。

856 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:21:33.24 .net
常ニ伊都国ニ治ス

857 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:25:52.72 .net
伊都国に大率役所が常設されてるんでしょ

858 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:28:29.41 .net
「常に伊都国を治める」でいいんじゃないの?
直接治めているのは伊都国で、そこから諸国を監察してる、
つまりは伊都国から諸国を監察している、で大意としてはいいんじゃないかと。

859 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:30:05.27 .net
>>857
大率か一大率か知らんが女王国以北に居るのに伊都国に大率役所が常設って意味が分からんw

860 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:33:55.73 .net
出張して検察するわけだし、どこかに役所は必要だろ

861 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:39:12.67 .net
又州郡所駐曰治,如蜀刺史曰治成都,揚刺史曰治會稽。
http://www.zdic.net/z/1c/kx/6CBB.htm

862 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:47:52.61 .net
常ハ伊都ニ治ス

863 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 12:11:08.13 .net
>>850
>漢文の書き下し助詞にデはない
>落第、顔洗って出直してこい。

それは>>844の九州説のヤツに言ってやってくれ

864 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 12:22:19.44 .net
(諸国を監察する時以外の)普段は伊都に駐在している

865 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 12:35:43.27 .net
三國志当時も幽州刺史が東夷全体を監察していたわけで、国ごとに刺史(大率)がいたとか言ってるやつはアホ以外の何物でも無い

866 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 12:39:54.83 .net
焦点が少しずれてきているけど、一大率が「地方」官かどうかが今の問題
伊都国が邪馬台国の都だとする人は
南至邪馬壹國、女王之所都 とどういう関係を考えるのか教えて欲しい

なぜ、伊都国のところで、「女王之所都」と書かれないのか

伊都国説が通らないのは、これに答えられないからだよ

867 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:02:14.12 .net
邪馬台国は卑弥呼のふるさと、共立されて伊都国に移った
有先君之舊宗廟曰都
http://www.zdic.net/z/26/sw/90FD.htm

868 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:20:08.38 .net
>>852
デを使うルールはない

いいか

デは存在しない。

高校入学からやり直せ。

869 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:35:12.45 .net
>>866
>なぜ、伊都国のところで、「女王之所都」と書かれないのか

>>864
常は基本的に例外はない
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國」とは矛盾しますね。

>>866
「南至投馬國 水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸 
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸」
この文章は前後の文章とは別もので飛ばして読んでもいいもので
距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したものです
距離の行程は魏略にもありますから、張政等が倭に来る前から知られていたもので
時間の行程は張政等が新たに報告したものでしょう
女王国の領土には投馬国と邪馬壹國があり邪馬壹國


 

870 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:37:43.71 .net
>>866
「南至投馬國 水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸 
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸」
この文章は前後の文章とは別もので飛ばして読んでもいいもので
距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したものです
距離の行程は魏略にもありますから、張政等が倭に来る前から知られていたもので
時間の行程は張政等が新たに報告したものでしょう
女王国の領土には投馬国と邪馬壹国があり邪馬壹国側に都が在ったってことですね
投馬国は狗邪韓国が在る朝鮮半島南岸の地域で邪馬壹国は伊都国を含む北部九州とすれば辻褄があいますね。

871 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:38:18.84 .net
>>868
誰が決めたの?

872 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 14:29:01.41 .net
「常」は不変ではないよ

873 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 14:35:28.30 .net
>>871
格助詞にデが存在しないから

以上終わり

874 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 16:52:11.03 .net
>>868
>デを使うルールはない
>いいか
>デは存在しない。
>高校入学からやり直せ。

ずいぶん勝手な自分ルールを振り回しているけれど、
漢文の読み下しは、文語で書くというのが慣例になっているだけで、
別に口語文で書き下しても構わない
「デ」を使ってはいけないという決まりはそもそもない

それに「デ」が使いたくないなら、「ニテ」とすればよいだけの話で
「ニテ」なら文語でも書き下し文でも普通に使うし、意味も変わらない

875 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 16:54:15.35 .net
>>873
>格助詞にデが存在しないから
>以上終わり

>>874の書き込みが遅くなって、恥の上塗りをさせてしまってごめんな
>>874でも書いたとおり、「デ」は「ニテ」を一字にした接続助詞だ
「二」が格助詞だから、問題ないだろ

バカなことでがんばったものだね

876 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 16:59:19.54 .net
>>867
>邪馬台国は卑弥呼のふるさと、共立されて伊都国に移った
>有先君之舊宗廟曰都

これ、今までにも何度か否定してきたけれど、この説文解字の注は
左傳曰。凡邑有宗廟先君之主曰都、無曰邑。
で、左氏春秋伝での「都」の用法の解説を「例」として挙げたものであって、
「都」の定義でもなんでもない
それに、細かいことを言い出したら、墓と廟は違うから、伊都国にも廟はないよ

これは、伊都国が都であることの理由にはならない

877 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 17:02:29.98 .net
>>869
>この文章は前後の文章とは別もので飛ばして読んでもいいもので
>距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したものです

これが無理がありすぎなんだよ

大陸の史書の、地理・旅程記事で「飛ばして読んでもいいところ」というのが、
他にもあるなら教えてくれ
ないなら、そのような読み方をすること自体に妥当性はなく、
自説に都合がよいだけの恣意的な読み方に過ぎない、ということになる

大陸の史書の、地理・旅程記事で
「距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したもの」
というのが、他にもあるなら教えてくれ
ないなら、そのような読み方をすること自体に妥当性はなく、
自説に都合がよいだけの恣意的な読み方に過ぎない、ということになる

878 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 17:24:29.36 .net
>>875
接続助詞が名詞につかず
接続助詞は動詞にしかつかない。

お前は古文も落第だな。

879 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 18:12:19.01 .net
>>876
そもそも伊都国は都じゃないでしょ

880 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 18:17:20.20 .net
>>876
>で、左氏春秋伝での「都」の用法の解説を「例」として挙げたものであって、
>「都」の定義でもなんでもない
説文解字とはこういうもんだけど
左氏春秋伝その他古典文における用例を引用して漢字の意味を定義しているもの

お勉強が足りません

881 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 18:43:30.73 .net
>>878
昔の人が書き下したから文語体になってるだけで
現代人が書き下せば現代文になるのは当然
アンタはアホじゃな。

882 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 18:55:35.63 .net
>>876
説文解字は、「都=有先君之舊宗廟曰都。从邑者聲。周禮:距國五百里爲都。當孤切」
この部分で、漢字の意味、構造等を説明する。

下段の用例は、説文解字注で清の段玉裁が著したもの

883 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 19:47:37.42 .net
>>878
「ニテ」は、現代語でも、古文でも、漢文の書き下しでも使うよな?

これを、文法的に解釈してくれ

884 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 19:52:02.96 .net
>>880
>左氏春秋伝その他古典文における用例を引用して漢字の意味を定義しているもの

ここが嘘、

古典文における用例を引用して、漢字の意味の「成り立ち」を「解説」したもの
「定義」はしていない
そして、言語はその意味内容が変わっていくものでもある
「説文解字に書いてあるから、この字の意味はこれに『決まってる』」式の言説には
意味がない

>お勉強が足りません

半可通の言い訳ですね

885 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 19:57:41.59 .net
>>882
>説文解字は、「都=有先君之舊宗廟曰都。从邑者聲。周禮:距國五百里爲都。當孤切」
>この部分で、漢字の意味、構造等を説明する。

で、「周禮:距國五百里爲都」の部分で、
「周礼では、こういう使い方をしている」ということだけを示しているに過ぎない
で、
>下段の用例は、説文解字注で清の段玉裁が著したもの
清の段玉裁が、周礼の中の該当部分を引用して示してくれていて、
周礼の左氏春秋伝の解説で、「先王の廟があるところを都、ないところを邑とする」
と書いてあるだけ

周礼が書かれたときには、そういう定義だったというだけ
それがその後ずっと、未来永劫、都の定義として通用する訳ではない

886 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 20:06:11.92 .net
>>885
魏代の意味が重要でしょ、オツム大丈夫w

887 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 20:07:21.03 .net
>>885
意味を定義なんて、新しい語句を創出するときだけだろ。何を有り得ないデタラメ言ってるんだよ

誰がどう見ても定義じゃなく説明と解説だぞ

888 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 20:48:34.52 .net
つまり、都は"先王の廟があるところ"だから、
故郷でも京でもどっちの解釈も"あり"でしょ

卑弥呼の先王の廟がある所でいいと思うよ

この件は倭人伝の解釈のどの説でも問題なさそうだが

889 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:12:13.98 .net
都は"先王の廟があるところ"は元々の意味で、魏代には都は都。

890 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:16:46.93 .net
>>889
エビデンスは?

891 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:27:32.19 .net
>>886
>魏代の意味が重要でしょ、オツム大丈夫w

そうだよ?
説文解字に書いてあるのは魏代の意味じゃないだろ?

何を言ってるんだ?
頭悪いんじゃないか?

892 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:31:23.85 .net
>>887
>意味を定義なんて、新しい語句を創出するときだけだろ。何を有り得ないデタラメ言ってるんだよ

>誰がどう見ても定義じゃなく説明と解説だぞ

オレもそう言ってるんだが、>>882が説文解字に書いてある意味が正しいとか抜かしてるからさ

893 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:31:31.01 .net
>>890
三国志読んでみろw

894 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 22:00:05.93 .net
>>890
>エビデンスは?

魏の都は洛陽

曹操の墓は西高穴2号墓で、河南省安陽市安陽県安豊郷西高穴村にある
洛陽じゃないね

さらにその前代は、安徽省亳県の城南一帯の古墳群が、曹操一族の墓
曹操の父・曹嵩と、祖父の曹騰の墓と推定されるものがここにある
これも洛陽じゃないね

ということで、魏の都は先王の廟とは無関係

895 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 22:56:35.84 .net
>>883
ニテは
中国語で



字をつかうから
ニテの出番はない

896 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 23:33:08.46 .net
>>894
もう少し前だと、後漢末期、董卓滅亡の少し後から魏への禅譲まで後漢の都は許県、曹操の墓が作られる地域に近い位置だったけど、
その先帝にあたる霊帝の墓所は洛陽だったしね

霊帝と献帝のあいだには廃帝(弘農王)がいるけど、廃帝は「先帝」にならないことも多い、特に「少帝」の場合。
(といっても、弘農王の墓所は洛陽だから、霊帝の墓所とあまり位置は変わらないけど)

897 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 02:03:03.23 .net
>>894
洛陽は魏の京師だよ

898 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 02:05:27.21 .net
>>891
説文解字は魏晋代にも普通に使われてるだろ、違うというなら魏代の意味が分かる字書を出して来いよ

オツム大丈夫かw

899 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 02:06:34.82 .net
>>893
ないんだねw

900 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 02:42:50.92 .net
当時は都の事を「京」「京師」と呼んでおり、晋代に世宗司馬師に廟号が送られた結果、
諱の師を避け「京師」が、師と似た意味を持った都の漢字を使い「京都」と呼ばれる様になった。
ここから、「都」という漢字は三国時代当時にはまだいわゆる都を表す意味は無かったということ。

901 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 03:43:30.44 .net
史記における「所都」の用例
「又有?鹿故城,在?州東南五十里,本?帝所都也。」
「?鹿故城在山下,即?帝所都之邑於山下平地。」
「河東縣二里故蒲坂城,舜所都也。」
「陶城在蒲州河東縣北三十里,即舜所都也。」
・・・・・

902 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 03:45:06.25 .net
あげ

903 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 06:37:32.02 .net
漢書における「所都」の例
「郊處各在聖王所都之南北」
「亳,殷所都也。」
「?邑,有??,詩?國,公劉所都。」
「朝歌,紂所都。」
・・・・・

904 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 06:40:19.14 .net
後漢書における「所都」の例
「臨?本齊國所都,即齊王宮,中有壞臺也。」
「?,文王所都,在京兆杜陵亭。」
「絳,晉國所都。」
「?,文王所都,在?縣東。」
「鎬,武王所都,在上林苑中。」
・・・・・

905 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 10:21:57.08 .net
史記以降、普通に都は今の首都と同じ意味で使われてるってことでOK?

906 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:00:11.55 .net
よう分からんが、史記、漢書の用例を見て、説文解字は先祖の廟のあるところと纏めたんだよね
執筆時点からすると、すべて過去みやこだったとこなんじゃね

907 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:01:46.01 .net
執筆時点では、既にみやこではないということかな

908 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:27:18.34 .net
まあ、語源や来歴を想像で書いてるんだから間違いや勘違いも多かったってことだわな

909 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:41:24.48 .net
説文解字は今でもバイブルだけどね

説文入門
「漢字の成立と用法について分類した六書によって各字の本質的意味を解き明かす。
成立から2000年近く経ち、研究が進んだ今日からみても、その解説はおおむね正しく、
権威をもった基本的な字書として重んじられている。」

910 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:43:34.21 .net
>>906
>よう分からんが、史記、漢書の用例を見て、説文解字は先祖の廟のあるところと纏めたんだよね

説文解字は後漢代の西暦100年成立で、史記と漢書は成立しているが、
四書五経やその注釈書から語義を採っているのが多いんじゃなかったかな

911 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:48:25.21 .net
>>880みたいに「用例を引用して漢字の意味を『定義』しているもの」だから、
それ以外の意味は認めない、的なことを言わずに参考にすればいいんだよ

三雲南小路遺跡があるから伊都国が都、なんていうのは暴論

912 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:57:01.02 .net
結論は、邪馬台国は「所都」であるから、過去の都、卑弥呼の故郷である。
共立後の卑弥呼のいたのは伊都国でFA

913 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 14:12:30.57 .net
>>912
>邪馬台国は「所都」であるから、過去の都、卑弥呼の故郷である

これが暴論だって言うのに懲りないなぁ
所都は普通に王宮を置いたところだぞ

914 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 14:15:05.50 .net
>>913
エビデンスは?

915 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 14:20:43.70 .net
>>911
だから、「定義」じゃないってのに

916 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 14:48:23.68 .net
>>911
>それ以外の意味は認めない
誰もそんなこと言ってないと思うんだが
当時の意味・用法を知りたいだけなんだけどね

917 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 14:49:26.94 .net
>>913
>これが暴論だって言うのに懲りないなぁ
>所都は普通に王宮を置いたところだぞ
こう言い切る根拠をぜひ教えてください

918 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 16:58:18.57 .net
>>895
>ニテは
>中国語で

>於

>字をつかうから
>ニテの出番はない

無駄に改行が多くて引用しにくいな
まあいいや

於に対応する書き下しでは「ニテ」を使うのを認めるんだな?

ならばまさに、
常治伊都國は、常治於伊都國を意味するんだから、「ニテ」を使うのは正統だろ?
於は、常に書かれる文字じゃなくて、省略されるときは省略されるんだから

そして、「ニテ」は「デ」に転化しうるんだから、問題ないだろ

919 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:01:28.65 .net
>>915
>だから、「定義」じゃないってのに

だから、それは>>880に言ってやってくれ
「左氏春秋伝その他古典文における用例を引用して漢字の意味を『定義』しているもの 」

>>915>>880なんじゃないのか?

920 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:06:11.42 .net
言い出しっぺは>>876 じゃないのか

921 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:20:05.97 .net
>>879
伊都国で常に治めると書かれてるから
首都ですよ。

922 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:27:10.79 .net
>>918
於がないので上告を棄却

923 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:28:04.46 .net
>>914
>エビデンスは

>>901が示してくれているけれど、例えば史記の
涿鹿故城在山下,即黃帝所都之邑於山下平地。
涿鹿故城は山下に在り,即ち黃帝の都するところの邑は山下の平地なり
は、黄帝の都するところを示したものだが、黄帝は蚩尤を滅ぼして
天子になっているから、先君自体がいないぞ

単に、都は「天子の所在地」だよ

それに、説文解字の注では、先君の廟があるのが都で、ないのが邑と
いうことだったのに、ここでは黃帝所「都」之「邑」と、邑と都が
同じ場所に対して使われている

説文解字に頼って「都は先君の廟があるところ」と言い張ってもしょうがない

924 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:29:54.81 .net
>>920
>言い出しっぺは>>876 じゃないのか

>>876は「定義じゃない」と言っている側だ
「左氏春秋伝での「都」の用法の解説を「例」として挙げたものであって、
 「都」の定義でもなんでもない 」

925 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:31:15.51 .net
>>921
>伊都国で常に治めると書かれてるから
>首都ですよ。

そこに意図的な誤読があるんだよ
伊都国にて常に治すのは、地方官の一大率
これを、主語は卑弥呼だと言い張るからおかしくなる

926 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:44:44.49 .net
>>925
>伊都国にて常に治すのは、地方官の一大率

これでは一大率が伊都国と女王国以北に同時に居るみたいで意味が通じないし
一大率は諸国を検察したり治めたり支離滅裂

一大率は刺史の様なもので検察が仕事、女王国以北に居る
伊都国に居て治めてるのは卑弥呼でよ

927 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 18:13:24.73 .net
>>925
激しく同意

伊都厨はいい加減論破されてることを自覚しろ。

928 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 18:26:34.45 .net
郡治や州治なんてのもあるんだから刺史の治所は首都ではないでしょ

刺史の居城は州治だよ

929 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 18:45:10.83 .net
>>926
>これでは一大率が伊都国と女王国以北に同時に居るみたい

いや、伊都国は、女王国以北の国々の一つなんだから、
同時にというより「同じ場所」だろ?

何を言ってるんだ?

>一大率は諸国を検察したり治めたり支離滅裂

一大率は、諸国を検察することで統治権を行使してるんだから、問題ないだろ?

930 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 18:49:49.93 .net
>>926
>一大率は刺史の様なもので検察が仕事、

刺史の役割は、時代によって異なるから、その一部「検察」だけが仕事と
言い張るのはチェリーピッカー的言辞だよ

>女王国以北に居る

これは>>929で答えた

>伊都国に居て治めてるのは卑弥呼でよ

ならばなぜ、魏志倭人伝で末慮国から伊都国に着いたところで
東南陸行五百里、到伊都國、女王之所都 
と書かれていないのか?説明できないだろ?

邪馬台国と伊都国が「別の国」として書かれていることを、無視した上での暴論なんだよ

931 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 18:54:26.29 .net
>>923
先君とは黄帝自身のことなんだろうな、黄帝の先君じゃあない。
都と邑の書き分けしたのは段玉裁だから説文解字とは関係ない。

932 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 18:55:36.60 .net
>>930
そうだそうだ、その通りだ。

933 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 19:25:05.86 .net
>>931
>先君とは黄帝自身のことなんだろうな、黄帝の先君じゃあない。

いや、「即黃帝所都之邑於山下平地」
黄帝の都するところの邑と書いてあるんだから、黄帝が都を置いた時点で
黄帝が先君ってはずがないよな?
無理に、最初に言ったことが正しいって言い張らなくていいよ
間違いは誰にでもある

>都と邑の書き分けしたのは段玉裁だから説文解字とは関係ない。

ごめん、これ、【正義】廣平曰の注記で、史記正義が元
史記正義は、唐の張守節(ちょう・しゅせつ)による『史記』の注釈書だよ
段玉裁も関係ない

でも、都が、「先君の廟のあるところ」とは『限らない』のは、
これではっきりしただろ?

934 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 20:37:40.58 .net
>黄帝の都するところの邑と書いてあるんだから、黄帝が都を置いた時点で
>黄帝が先君ってはずがないよな?

黄帝は子孫からみて先君だろ

935 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 21:10:12.30 .net
>>934
>黄帝は子孫からみて先君だろ

いやいや、子孫が置いた都じゃなくて、黄帝の都なのに何を言ってるんだ
詭弁にもなってないぞ

間違いは間違いと認めていいんだって

936 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 21:13:18.02 .net
>>929
>>930
詭弁だな、見苦しいw

937 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 21:20:55.38 .net
>いやいや、子孫が置いた都じゃなくて、黄帝の都なのに何を言ってるんだ

黄帝の都=子孫から見た先君の廟のあるところだろ、よく考えてみろ

938 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 21:31:12.72 .net
>>937
その用例で「都=先君の廟のあるところ」と解釈するのは曲解が過ぎるというものだ
誤読や勘違いの方がマシとしか言えないレベルに無茶

939 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 21:40:49.93 .net
常ニハ伊都ニ治ス

940 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 21:54:17.49 .net
>>938
ホントアタマ悪いな

941 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 22:02:08.42 .net
これまで誰もしてこなかった読み方をするバカが悪い

942 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 22:20:50.83 .net
だから、説文解字に書いてあるのは用例の解説であって、文字の「定義」じゃないんだから、
無理にそこに書いてあることに合わせようとする必要はないんだって!

943 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 22:28:30.20 .net
>>940
>ホントアタマ悪いな

いや、頭悪いのは、>>931>>934>>937>>940だぞ?
黄帝の子孫は天子になってないからな
黄帝は禅譲で血縁のないものに天子の座を譲ってるから
黄帝が「子孫からみて先君」ていうのは意味がない

いい加減に間違いを認めなよ
それを責めようってことじゃないんだから

944 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 22:29:32.63 .net
用例の解説=使用実績でしょ
そこにも出てこないのは用例がないということでしょ
違うというなら用例出して

945 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 22:30:14.68 .net
>>943
黄帝は中国jんの先祖じゃないのかい

946 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 22:33:36.39 .net
さらに言えば、今問題になっている黄帝の都、涿鹿故城は河北省張家口市三堡村
>>940が先君だと主張する黄帝の墓、黄帝陵は陝西省延安市黄陵県にある

都の涿鹿故城には、黄帝の廟もないんだ

これで間違いを認められるかな?

947 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 23:06:08.34 .net
ということで、周礼の用例では都は先君の廟がある邑だが、そういう用例があるというだけで、
都は「天子の所在地」であり、「先君の廟のあるところ」とは『限らない』のは、
きっちり示せたな

948 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 06:44:53.32 .net
洛陽は京でしょ、都とは言わない

949 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 06:58:27.91 .net
細石神社は先帝の宗廟だと思うけど、伊都はあくまでも王都の意味で名付けられたと思う。

950 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 07:01:04.77 .net
>>925
>伊都国にて常に治すのは、地方官の一大率

地方官と読むのは恣意的な読み方だね。
○率は中央官僚の官位だからだ。

951 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 07:02:36.53 .net
>>930
>東南陸行五百里、到伊都國、女王之所都 
>と書かれていないのか?説明できないだろ?

間にたくさんの注釈と修辞句が入ったのでわかりにくくなっているけど、文脈としては書かれているんだよ。

952 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 11:54:06.50 .net
>>948
黄帝の都の例は、京じゃなくて「都」と書いてあるよな?

説文解字に書かれている、周礼の用例では都は先君の廟がある邑だが、
そういう用例があるというだけで、
都は「天子の所在地」であり、「先君の廟のあるところ」とは『限らない』のは、
きっちり示せただろ

伊都国が都って言うための根拠が一つ、根底からなくなるだけなんだから、
無理に抵抗せずに、素直に間違いを認めればすむことだよ

953 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 11:58:03.48 .net
>>950
>地方官と読むのは恣意的な読み方だね。

一大率は刺史の如しと書かれていて、刺史は地方官であり居城は州治だ
ちゃんと根拠があって言っている

>○率は中央官僚の官位だからだ。

これ、単に音が似ているからってだけじゃないか
根拠として弱いよ
刺史のようなはっきりした特定の地位を示す名詞ではない

954 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:02:15.98 .net
>>951
>間にたくさんの注釈と修辞句が入ったのでわかりにくくなっているけど、

間に、奴国と、不彌國と、投馬国の話が入っているのは、注釈でも修辞句でもないだろうが
別の国として書かれてるんだよ

>文脈としては書かれているんだよ。

「文脈としては」ってことは、「実際には書かれていない」ってことだな
書かれていないことを読まなきゃいけないなら、それは正しい読み方じゃないんだよ

955 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:16:03.05 .net
>>950
地方官の用例は残ってるけど中央官の用例なんて残ってないだろ、デタラメ言うなよ。いつもだけど

956 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:19:51.75 .net
現天子の居処は京で、それ以前の天子の居処は都だな

957 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:26:14.92 .net
横からだけど、
お互いの地方官の中身が違うから、話が噛み合ってないよ

その人は中央政府から派遣されるから所属は中央だと言ってるんだよ。

あなたは中央政府の地方担当職務の官を 地方官とよんで、中央と地方のどちらの所属かは言及してない。

958 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:28:07.87 .net
国家公務員が派遣される先は都ではないな。

959 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:32:05.47 .net
地方公務員のわきゃあない

960 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:43:08.35 .net
刺史は中央所属だけど地方に派遣される官職だから地方官だよ
所属は中央だけど勤務場所が地方、現代なら中央官と呼ぶのかもしれんけど

刺史と同様なら地方で働く官であり、勤務場所は中央ではない。首都で働く官職じゃないんだよ

961 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:43:11.69 .net
>>953
>>○率は中央官僚の官位だからだ。

>これ、単に音が似ているからってだけじゃないか
>根拠として弱いよ

百済の官位で似た名前がたくさんある。
徳率とか。

962 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:00:42.30 .net
>>956
>現天子の居処は京で、それ以前の天子の居処は都だな

まあなんにせよ、都は先君の廟の有無とは関係ないってことで!

963 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:02:57.95 .net
>>962
つまり、邪馬台国は所都だから、卑弥呼の祖先の居処ということだ

964 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:03:21.23 .net
>>957
>その人は中央政府から派遣されるから所属は中央だと言ってるんだよ。

伊都国説の人は、一大率は中央官僚で、その一大率がいるところだから、
伊都国が都だと主張しているようなのですが、それは?

965 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:08:39.19 .net
>>963
>つまり、邪馬台国は所都だから、卑弥呼の祖先の居処ということだ

黄帝のところでさんざんやっただろ
黄帝の都するところには、黄帝の祖先はいない
黄帝が都を置いたところだ

同様に、卑弥呼の都するところ、も、
卑弥呼が主語であり、都を置いた主体であって
卑弥呼の祖先の居処については「何の言及もない」

どうして九州説のやつは、きちんと論理的に否定された間違いを
認められずに暴れるんだろう?

966 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:10:12.85 .net
さんざんやったろ
黄帝自身が祖先だから
黄帝の祖先は必要ない

967 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:13:38.10 .net
>卑弥呼が主語であり、都を置いた主体であって
都を置いた主体である必要はないし、そのはずもないな

968 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:42:17.93 .net
>>964
そうよ?

私見では
あなたの言う方が妥当で
伊都国が首都は成り立たない。

中央官僚がいるところを都にしたら日本に地方とか存在しなくて辻褄が合わない。

969 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:45:04.77 .net
何を言ってんのかわからん

970 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:51:02.30 .net
伊都国首都説は妄想ってことだよ

971 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:09:40.39 .net
>>966
>さんざんやったろ
>黄帝自身が祖先だから
>黄帝の祖先は必要ない

そして、黄帝の墓も廟もないのは確認したな
>>946
黄帝の都、涿鹿故城は河北省張家口市三堡村
黄帝の墓、黄帝陵は陝西省延安市黄陵県にある

黄帝の都の話をしているときに、黄帝が祖先だとかどんな話題そらしだよ

「都の定義は先君の廟があるところ、根拠は説文解字」ってのが、間違いだってのを
どうしても認めたくないんだなw

972 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:12:41.55 .net
墓の話はしてないだろ

973 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:12:55.65 .net
>>967
>都を置いた主体である必要はないし、そのはずもないな

都は「王の居処」
「卑彌呼之所都」は、卑弥呼の居所だろ

卑弥呼が主体じゃなかったら何だ?

974 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:15:32.41 .net
>>972
>墓の話はしてないだろ

どこまで話をそらすんだよ?

もともとは伊都国説のヤツが、
「都というのは先君の廟があるところで、三雲南小路遺跡という古い王墓がある伊都国が都」
「根拠は説文解字にそう定義してあるから」
っていってたんだぞ!

975 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:16:27.17 .net
>>973
女王だろ

976 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:16:59.21 .net
>>974
知らんがな

977 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:56:10.47 .net
>>976
関係ないなら横ぐちは挟まなくてよろしい

こっちは、話の通じないヤツ相手で面倒な思いをしてるんだから

なんにしても
「都というのは先君の廟があるところで、三雲南小路遺跡という古い王墓がある伊都国が都」
「根拠は説文解字にそう定義してあるから」

は、大間違いってことで確認できたな!

978 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:59:26.90 .net
>>975
>女王だろ

だ〜か〜ら〜、その女王の居処が都だって話だろ!
卑弥呼の祖先は関係ない!

979 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 16:36:45.00 .net
>>963
三雲南小路遺跡をはじめとした王墓があるから、代々の宗廟でも伊都で良い。

980 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 17:14:16.31 .net
>>979
>三雲南小路遺跡をはじめとした王墓があるから、代々の宗廟でも伊都で良い。

昔の王墓があるところと、邪馬台国の都のあるところは無関係だってはっきりしたでしょ
奴国の須玖岡本遺跡D地点は無視ですか?
末慮国の、伊原鑓溝遺跡も王墓とされてるよ?

伊都国には限定されないね?

そして、いくら、末慮国、伊都国、奴国に200年も前の王墓があったところで
卑弥呼の都するところとは無関係だって、>>977までではっきりしただろ

もともと、説文開示の「説明」を『定義』だと言い張って始めた駄論なんだから、
先君の廟とかに、こだわればこだわるだけ、バカをさらすだけだぞ

981 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 18:07:49.38 .net
都は一杯あるということが確定したな

982 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 18:39:35.35 .net
>>981
>都は一杯あるということが確定したな

王墓と都は、基本的に無関係

理解できますか?

倭女王が一人なら、倭女王の都は一つだよ
それが邪馬台国にある

伊都国にはない

それだけのこと

いい加減に>>867
>邪馬台国は卑弥呼のふるさと、共立されて伊都国に移った
>有先君之舊宗廟曰都
これが間違いだって認めなさいな

983 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 19:00:21.21 .net
墓のことはもう誰も言ってないよ

984 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 19:01:11.17 .net
史記にも漢書にも一杯都が出てきてますが

985 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 19:02:14.48 .net
つまり卑弥呼の先祖がいたのが邪馬台国だったということか、なるほど

986 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 20:29:28.08 .net
>>985
>つまり卑弥呼の先祖がいたのが邪馬台国だったということか、なるほど

つまり、じゃないよ
これだから、九州説には論理がないって言われるんだ

卑弥呼の先祖がどこにいようが、卑彌呼のいるところが卑弥呼の都であり、
その卑弥呼の都のあるところが邪馬台国だよ

まあ、卑弥呼の先祖というか少なくとも数代前から大和にいたと思うがね

987 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 20:32:17.69 .net
>>983
>墓のことはもう誰も言ってないよ

「もう」ってことは、最初はそう言っていて、旗色が悪くなったから、
というか「間違っていることがはっきりした」から、「話をすり替え」て
ごまかし中ってことだね!

988 :日本@名無史さん:2018/05/06(日) 12:43:37.44 .net
王都は伊都で確定。

989 :日本@名無史さん:2018/05/06(日) 12:54:14.36 .net
いとおかし

990 :日本@名無史さん:2018/05/06(日) 18:07:47.79 .net
伊都厨あたまがおかし

991 :日本@名無史さん:2018/05/06(日) 19:00:39.00 .net
伊都
https://www.youtube.com/watch?v=9PgpgVf6GLQ

992 :日本@名無史さん:2018/05/06(日) 19:28:34.03 .net
>>988
こういう根拠なしの無意味な言い切りを見ると、
精神勝利法が大事な人なんだなぁって思う

993 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 06:29:51.32 .net
伊都国が都っていうのの理由って結局、
平原1号墓が卑弥呼の墓っていう思い込みと
説文解字で都は先君の旧廟のあるところって書いてあるのを定義だって誤解したことの二つでしょ?

どちらも否定されたんだから、もう無意味だよね

994 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 07:24:59.38 .net
>>993
何言ってんの?

995 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 07:50:37.12 .net
現実が見えない伊都クズ

996 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 09:27:20.09 .net
>>994
>何言ってんの?

無意味な一言レスで何か言った気になってないで、
主張があるならきちんと根拠とともに書いて!

ないなら、無能なりに黙ってればいいよ

997 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 09:35:30.12 .net
九州説を理解せず批判しようとしても、訳の分からん主張にしかならないよ。

998 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 09:46:38.25 .net
信奉者の数だけある九州説を理解するのは難しいが
根元を批判して九州説を潰すのは簡単だったりする

999 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 09:48:30.48 .net
根本の批判ってなんや

1000 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 09:58:55.01 .net
基本

博多湾岸は倭国の顔
九州にはそこ以上の国はない
しかし女王のいる邪馬台国はそこから遠い

九州説終了

1001 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:03:14.31 .net
>>993
「所都」が過去の都だというのは判明したんじゃないか

1002 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:19:30.92 .net
どうやって?

1003 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:21:16.10 .net
史記〜後漢書の前例

1004 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:30:27.56 .net
どんな前例?

1005 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:37:08.98 .net
>>901>>904

1006 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:43:53.28 .net
>>1005
おいおい

あんた漢文読めないの?

1007 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:45:58.83 .net
イミフ

1008 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:52:27.38 .net
九州説は悲しい

1009 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 11:00:24.69 .net
>>1005
あのなあ・・・
漢文に過去形はない

「もと所都」と書いてあったり
主語が過去の偉人だったりすれば
文脈で過去形とわかる

「所都」そのものに過去形の意味はない
常識の範囲でわかることだよ

1010 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 11:09:31.87 .net
文脈から全部過去だろ

1011 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 11:11:38.84 .net
現に都で「所都」と書いてある例を出せば終了じゃね

1012 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 11:19:35.54 .net
九州説はもう終了だよ

1013 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 11:29:49.12 .net
師古曰「京師、天子所都畿内也。」

1014 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 11:45:28.39 .net
終了

1015 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:03:54.22 .net
これをもちまして解散!

1016 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:08:09.79 .net
>>1013
どこにもないな、ウソはいかん

1017 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:10:38.59 .net
>>1016
畿内ってある時点で嘘と気づけよ

1018 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:18:19.00 .net
>>1000
>博多湾岸は倭国の顔

大陸と交渉していた博多湾沿岸が大陸から見た倭。
畿内はまだ中国と交渉していない。

1019 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:21:32.63 .net
>>1018
>畿内はまだ中国と交渉していない。

だけど、倭国(阿波)はとっくに中国と交渉している現実。  @阿波

1020 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:35:24.56 .net
>>1016
九州にはもうウソしか生きる道がない

あわれだな

1021 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:36:35.77 .net
ウソしか言えない畿内説

1022 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:38:31.80 .net
無学と思想狂いが九州説を創り
愚昧と盲信が九州説を育て
そして無謀が殺した

1023 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:39:16.76 .net
>>1021
どれがウソ?

1024 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:40:16.32 .net
漢文を読めないのが九州説の致命傷だね

1025 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

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