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九州の古代史【邪馬台国畿内説前提】

1 :日本@名無史さん:2015/09/18(金) 21:00:14.38 .net
古代九州の話となると邪馬台国論争に終始してしまうので、個別に語れる場所はないかと。
畿内説への反論は畿内説スレにて、九州説を前提とした古代九州の話は九州説スレにてどうぞ。

450 :日本@名無史さん:2018/04/19(木) 23:46:45.11 .net
古代中国では丹とは赤土、又は赤土で作った赤い顔料のことです
「其山有丹」の丹は赤土のことで阿蘇のリモナイトです。

451 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 00:05:45.22 .net
>>449
理化学年代を理解できてない文盲、乙

452 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 05:17:41.92 .net
>>447
これって、奈良の遺跡の朱は、
奈良の周辺の鉱山からのものとしか
書いてないように見えるけど、
九州の朱の由来はどのへんに書いてあるの?

453 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 07:24:13.45 .net
>>452
>九州の朱の由来はどのへんに書いてあるの?

硫黄同位体分析による西日本日本海沿岸の弥生時代後期から古墳時代の墳墓における朱の産地同定の試み
南 武志ら 地球化学 47,237―243(2013)
http://www.geochem.jp/journal_j/contents/pdf/47-4-237.pdf

454 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 07:27:06.19 .net
違う論文じゃねーか。

455 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 07:58:17.54 .net
>>453

九州のデータは二か所だけだし、
九州の朱の由来については言及してないように見えるけど
どう解釈すれば国内産の水銀朱が使われていないと確認できるの?

456 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:04:31.47 .net
卑弥呼は魏から大量の真朱を貰ってるから
中国産の朱の多く出土する九州が邪馬台国ですね。

457 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:07:12.42 .net
>>453
「弥生時代後期(紀元1〜2世紀)は中国産の朱が地域の中心となる王墓に使用され,
弥生時代終末期(紀元3世紀)は中国産と日本産の混在あるいは日本産の使用に転換している。
さらに古墳時代前期(3世紀後半以降)になると日本産朱の使用に画一化されることが硫黄同位体分析から推察される。」


阿波の若杉山産(水井鉱山)辰砂の採掘と拡散を物語っている。  @阿波

458 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:08:33.10 .net
中国の水銀朱の硫黄同位体比は正の値で
国内産の水銀朱の場合同位体比が負であること

時代が下るにつれ遺跡の水銀朱の同位体比が負の値に変化すること

九州の二つの遺跡では正の値だったから
国内産ではない、と言うことの様子。

ただ元データとしての
国内産の水銀朱の硫黄同位体比が全て負であるとはまだわからないわけだから現段階での一旦の調査結果という認識の方が穏当かも。

国内でもヤマトと徳島?鉱山のものしか硫黄同位体比調べてないように読めるけどね。

459 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:09:36.69 .net
>>455
九州で出土した全ての朱を調べないと国内産の水銀朱が全く使われていないとは言えないですね
九州で出土した全ての朱が中国産となると九州と中国の結びつきは非常に強かったけど
畿内地方はまだ孤立していたうことになりますね。

460 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:13:55.11 .net
丹を使って埋葬する文化も九州起源だから
結局、九州から大和への人と文化の移動を示していることには変わりないのでは?

461 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:15:25.27 .net
自製できるものに輸入品を使ってないということが孤立の論拠にはならないな

462 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:17:24.68 .net
>>459
>九州で出土した全ての朱を調べないと国内産の水銀朱が全く使われていないとは言えないですね

そうだね。 九州古墳前期の朱は阿波産の可能性が高い。  @阿波

463 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:23:09.96 .net
>>459
>九州で出土した全ての朱が中国産となると

九州では「いっぱいとれる」のに、不思議だね。  @阿波

464 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:31:22.11 .net
>>456
>卑弥呼は魏から大量の真朱を貰ってるから
>中国産の朱の多く出土する九州が邪馬台国ですね。

その通りですね。
同意します。

465 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:32:32.43 .net
【里程】
漢代に楽浪郡を支配していた公孫氏が独自の里(短里)で実測
日本側の地名は漢代の地名(倭国の中に、末蘆国、伊都国、奴国・・・
魏が公孫氏の楽浪郡を滅ぼし押収したものが魏略や三国志魏書の参考資料となる。

【日程】
魏代に魏使が出張日誌に記録
日本側の地名は魏代の地名(邪馬台国、狗奴国、投馬国、などは魏代に新登場
三国志魏書の参考資料となる。

466 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:33:21.21 .net
>>460
でも、筑紫から畿内に移住した人たちは、大陸との直接の交渉は行わなかったということですね。
つまりは筑紫が邪馬台国で、畿内は倭種。

467 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:42:24.41 .net
>>466
そりゃ伊都国に一大率を置いたんだから直接じゃないさ

それがどうして筑紫が邪馬台国だって話になるの?

468 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:43:51.77 .net
伊都からの間接的な交流の痕跡が纒向になく、纒向は自給自足で桃を食べていた。

469 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:45:07.15 .net
魏から大量にもらった水銀朱は、九州北部では使われているが、奈良では見つからない。

470 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:45:24.27 .net
>>466
>つまりは筑紫が邪馬台国で

筑紫は「其山有丹」で即刻アウト!  @阿波

471 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:48:23.64 .net
>>466
行わなかったと言うより
行えなかった?のではと。

2世紀は大陸の動乱期ですし。

水銀が手に入らなくなったから自国の鉱山開発をした、という流れが自然なように思います。

朱の珍重は多分道教起源と思うので
列島人があえて鉱山開発したとは思えませんが。

ただ民俗として赤色顔料を使っている様子を見た方士はどこで取れるかは聞いたかもしれない。

472 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:48:39.53 .net
>>469
>魏から大量にもらった水銀朱は、九州北部では使われているが

九州では水銀鉱山が「いっぱいある」のに、九州産が使われていないって不思議だね。  @阿波

473 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:51:46.39 .net
>>469
魏からもらった水銀朱が九州北部で使われていたって証拠は
何もないのだが

474 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 08:57:35.49 .net
蜘蛛は

虫篇を除くと

知朱

朱を知る


意味深。

475 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 09:17:08.99 .net
>漢から独立状態だった公孫氏が独自の里(短里)で測ったんでしょうね。

おいおい、公孫氏も途中から独立状態になるが、もともとは漢の冊封を受けた漢人だぞ?
どうして、独自の里を使わなきゃいけないんだ?

476 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 09:22:00.27 .net
>>459
>九州で出土した全ての朱が中国産となると九州と中国の結びつきは非常に強かったけど

きちんと読んで
出雲でも、西谷墳墓群では大陸産の朱が使われているけれど、その他の遺跡では国内産
つまり、中国(山陰、出雲)でも西とのつながりの強い首長と、大和とのつながりの強い首長が
隣り合って存在していたってことだよ

出雲までは、大陸朱の流入がある
九州だけの倭国は無理だよ

477 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 09:27:20.99 .net
>>476
>つまり、中国(山陰、出雲)でも西とのつながりの強い首長と、大和とのつながりの強い首長が
隣り合って存在していたってことだよ

「大和」じゃなくて、「阿波」ね。 間違えるとこんがらがるよ。  @阿波

478 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 12:26:39.83 .net
>>475
つか、滅ぼされる直前まで漢の冊封をうけたままだよな
独立してすぐ討伐されて滅んだんだから

479 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 14:24:58.96 .net
>>475
古い時代の習俗は、文明圏の辺縁に残るもの。

480 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 14:28:35.33 .net
>>476
>出雲までは、大陸朱の流入がある
>九州だけの倭国は無理だよ

九州説でも出雲は特別扱いで交流が密だけど、あくまでも列島の代表は博多湾で、中国人は筑紫しか倭と呼んでないよ。
そう書くと九州説の中でも肥国と豊国を忘れるなと言われるけどね。
倭は筑紫を中心に、肥国、豊国、出雲、越、吉備あたりまでの連合国で、阿波、大和あたりは属州扱いかな。

481 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 14:59:19.84 .net
>>479
それ、古代の儒教で信じられてただけの伝説で、信憑性ひくいぞ

482 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 15:01:35.61 .net
>>480
肥国っていうけど肥沃の肥じゃなくて火の国って意味だが

483 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 15:03:47.47 .net
語源はそうだけど、肥前肥後の肥国だから、表記として間違いではないだろ?

484 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 15:12:35.88 .net
>>480
>倭は筑紫を中心に、肥国、豊国、出雲、越、吉備あたりまでの連合国で、阿波、大和あたりは属州扱いかな。

筑紫は「其山有丹」に該当しないから、即刻アウト!  @阿波

485 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 15:24:19.44 .net
水銀朱の話は隣のスレだボケ

486 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 17:02:09.38 .net
>>480
>中国人は筑紫しか倭と呼んでないよ。

これの根拠が示されたことが一度もない
九州説の人の、心の中にしかない妄想だよ

487 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 17:04:37.54 .net
>>485
>水銀朱の話は隣のスレだボケ

このスレでも、400あたりから延々とやってるぞ?
そんなに書かれたくないのか?

九州説が「倭国は九州のみ」を主張する限り、「其山有丹」だけで即死だよ

488 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 17:05:26.78 .net
>>485
相当取り乱してる?  @阿波

489 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 17:07:29.52 .net
>>488
散々他のスレで九州には国産も輸入も水銀朱が沢山あり、それいがいの丹もたくさんあると叩かれたから、他のスレに逃げて来て同じことを繰り返しているくせに。

490 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 17:38:13.60 .net
>>489
>散々他のスレで九州には国産も輸入も水銀朱が沢山あり、それいがいの丹もたくさんあると叩かれたから、

他のスレ?  昨日から水銀朱の話、ここじゃなかったっけ?  @阿波

491 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 17:55:14.56 .net
おっと、ボケていた。

492 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 18:02:47.34 .net
>>489
>散々他のスレで九州には国産も輸入も水銀朱が沢山あり

これが既に捏造
九州からは国産の水銀朱は弥生時代の遺跡からは出ていない

493 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 19:06:52.01 .net
>>482
火の国から肥に変更されたのは奈良時代のこと
天智天武辺りの時代でも火の国だから、時代性を考えろと言いたい
それとも九州王朝は八世紀半ばにも存続してたのかな?

494 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 19:07:59.99 .net
しもた、アンカー数字間違い

495 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 19:32:01.88 .net
肥前肥後の区別をつけて論じるときに不便だし、古事記でも肥国だよ。
火の国というのが原義なのはわかるが、具体的にどの文献かな?

496 :日本@名無史さん:2018/04/20(金) 21:40:54.51 .net
諸国の国名を雅字に変更させたときに火から肥やしに変えられたんだが

それまでは紀伊は木の国だし上野は上毛野だ

記紀は(つまり古事記もだ)基本的に変更後の国名だろ

497 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 06:35:38.03 .net
>>491
>おっと、ボケていた。

それが「実力」なんだよ

498 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 06:36:20.40 .net
出雲も筑紫も日向も大和も阿波も記紀以降に自分勝手に付けた国名
だから、混乱を招いた。
記紀は倭国(阿波)国内の出来事。  @阿波

499 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 06:49:04.82 .net
>>475
公孫淵は237年に燕王を称し、独自の元号を定めるてるから
独立を目指して独自の度量衡を定めてたとしても不思議はない。

500 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 06:50:44.36 .net
空想は根拠になりません

501 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 06:51:27.65 .net
>>476
畿内説だと卑弥呼が魏から貰った大量の真朱は何処へ行ったんだ?

502 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 08:27:03.51 .net
どっかにあんじゃね?
知らんけど

503 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 08:27:52.38 .net
>>473
九州北部では中国産の水銀朱が出土してますよ。

504 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 08:37:41.20 .net
>>498
粟の科野国伊奈評ってどこ?

505 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 08:40:27.32 .net
>>503
>九州北部では中国産の水銀朱が出土してますよ。

時代が合わないから、魏からとは言えないんじゃないかな

506 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 08:51:10.20 .net
>>501
>畿内説だと卑弥呼が魏から貰った大量の真朱は何処へ行ったんだ?

50斤で、漢代の度量衡だと11.3キロくらいにしかならないよ
眞珠、鉛丹各五十斤

畿内の古墳だと一つで水銀朱200キロくらい使ってるのもあるから、
ちょっと使えばすぐなくなる量だね

507 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 09:35:26.71 .net
>>504
>粟の科野国伊奈評ってどこ?

意味がよく分からないんだが
粟国に科野国はない   信濃国じゃないの?  @阿波

508 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 09:42:46.98 .net
>>506
>畿内の古墳だと一つで水銀朱200キロくらい使ってるのもあるから、
ちょっと使えばすぐなくなる量だね

時代からみて、萩原墳丘墓の中国産真朱だろうね。  @阿波

509 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 09:54:11.41 .net
>>507
記紀の全てが粟で起きた事派は
科野も粟と言っている

510 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 11:23:51.66 .net
>>507
>粟国に科野国はない

これと、伊都国に邪馬台国はないっていうのは同じくらい当たり前のことなんだがなぁ
こんな単純なことを認めないって言い続けてるヤツがいるんだよなぁ

511 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 12:10:15.07 .net
>>505
3世紀のものもありますよ
>>506
畿内の何処で中国産朱銀朱がだたんでしょう?

512 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 12:16:21.44 .net
>3世紀のものもありますよ

どれ?

513 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 12:24:39.42 .net
ていうか、10キロしか朱を使ってないケチな墓があるのか?

514 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 12:25:03.32 .net
>>499
元号は変えるのが当たり前だけど度量衡は変えない方が普通だしなあ

515 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 13:02:46.00 .net
>>512
証拠は出さない九州説

516 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 13:09:51.37 .net
>>514
元号も度量衡も変えるのが当たり前だけど普通は度量衡は急に大きく変えたりしないだけのこと
燕の場合は魏に情報が漏れないように里を極端に小さくしたんだろう。

517 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 13:15:28.69 .net
そんな空想になんの意味がある

518 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 13:19:39.82 .net
>>516
>度量衡も変えるのが当たり前だけど

当たり前じゃないww

519 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 14:56:58.53 .net
九州よりまだ南の南西諸島、琉球、奄美辺りは後に九州、四国、畿内へ流入した部族らの限りなくスタート地点に近い一大拠点やったと思う。

520 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 15:04:18.64 .net
>>516
たいていは前代の度量衡を追認してるだけで定めたとか吹かしてる
口先だけ変更だよ

521 :日本@名無史さん:2018/04/21(土) 15:16:01.77 .net
度量衡は変えないのが普通
ただ地域差の排除+皇帝権威のための欽定だな

522 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 09:46:05.12 .net
なに言ってんだ?
度量衡は時代と共に大きく変わってるだろ。
あと里など同じ単位でも国によって大きく違う。
三国志時代なら、振興国の魏と、東夷世界などで違ってもなんら不思議はない。

523 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 11:41:30.39 .net
秀吉の時に大きく変更されるまでは日本の度量衡も中国のと同程度だったんだけど、知らんのだな。

524 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 13:02:13.25 .net
>東夷世界などで違ってもなんら不思議はない。

東夷世界というが、戦国の七雄の頃は半島北部まで燕の領域だし、
秦の始皇帝の度量衡の統一に従っている範囲だ

公孫氏も元来、漢の冊封を受けた諸侯だし、漢魏尺、魏晋里を使わない理由がない

報告書や古書の情報から、三国志、魏志倭人伝を撰述するときに、距離を調整したと
考える方が合理的

525 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 13:13:59.05 .net
そこでハゾク文書は一を十にす
ですよ。

実際の値の10倍になっていると見るべき。

526 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 14:14:09.55 .net
>>525
>ハゾク文書は一を十にす

これは何?

527 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 17:15:13.18 .net
魏志中の文で

破賊文書は 、旧 、一を以って十と為す

とある。

戦果報告は10倍にして報告するという慣例。

528 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 17:47:05.91 .net
>>527
これだね、了解

三國志/魏書 凡三十卷/卷十一 魏書十一 袁張涼國田王邴管傳第十一/國淵
田銀、蘇伯反河間,銀等既破,後有餘黨,皆應伏法。
淵以為非首惡,請不行刑。太祖從之,ョ淵得生者千餘人。
破賊文書,舊以一為十,及淵上首級,如其實數。
太祖問其故,淵曰:「夫征討外寇,多其斬獲之數者,欲以大武功,且示民聽也。
          河間在封域之內,銀等叛逆,雖克捷有功,淵竊恥之。」
太祖大ス,遷魏郡太守。

つまり、司馬懿にとっての功績を讃えるためには、倭国の朝貢は
より遠くからと「盛った数字」と見るのがよかろう、ということだね

529 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 18:14:25.40 .net
距離を盛った、過剰報告だということは、つまり短里だと整合するという発想そのものが間違いだって事でもあるよね

むしろ整合性がとれる単位をこそ偽物と考えるべき

530 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 18:34:01.87 .net
数倍に盛って報告するのはよくあること、
と言うことである。

531 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 18:46:59.72 .net
その盛り盛り報告を集めた代物が精確なはずないって分からんのか
末期症状だな

532 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 18:48:20.02 .net
東夷伝里が弥生時代にしては驚くほど現実地図と対応しているのは
事実

533 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:04:36.25 .net
>>524
>公孫氏も元来、漢の冊封を受けた諸侯だし、漢魏尺、魏晋里を使わない理由がない

当然漢に冊封されていた時点では漢の度量衡を使っていただろうが
元号を独自に立てた時点で冊封体制からの離脱を意味する
度量衡も独自のものを使わないと完全に独立したことにならない。

534 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:05:54.36 .net
つまり合計万二千里は 万二千里にしたかった。
実際は千二百里だったと。

この場合の一里は、、、?

535 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:06:33.33 .net
公権力による統一度量衡がなかった春秋戦国期ですら、諸国間での度量衡の違いは誤差レベルしかなかったのにな
何倍も違うとか、普通じゃないよ(つまり、秀吉による改定度量衡も普通じゃない)

536 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:22:55.04 .net
度量衡は丈尺寸分について定義したが
歩と里の定義はしていない。

537 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:24:24.01 .net
>>532
>東夷伝里が弥生時代にしては驚くほど現実地図と対応しているのは

魏志倭人伝
(末慮国から) 東南陸行五百里、到伊都國
現実
千々賀遺跡   北東30キロ   三雲遺跡群
        1里=60メートル
魏志倭人伝
(伊都国から) 東南百里    至奴國  ちょっと語順入れ替え
現実
三雲遺跡群   東北東18キロ  比恵・那珂遺跡群
        1里=180メートル

方角も、距離もメタメタじゃないか?
現実に合っていないよ?

538 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:26:54.93 .net
>>536
>度量衡は丈尺寸分について定義したが
>歩と里の定義はしていない。

1歩=6尺
1里=300歩
って決まってるから、尺を決めれば、自動的に決まるんだよ
唐のときにこの関係をいじったけどね

539 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:29:22.43 .net
燕が秦の度量衡に従ったという根拠は?

540 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:29:49.24 .net
現実には度量衡は時代によって変化している

541 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:31:08.63 .net
>>534
>つまり合計万二千里は 万二千里にしたかった。

まさに、万二千里にしたかった、まず万二千里ありき、なんだよ

西方の大月氏国が、大体万二千里で
淮南子の東方之極も万二千里だから、それに合わせてるんだと思う

まあ、大月氏国の方も、西方之極の万二千里に合わせてると見ることもできるけど

だから、
>実際は千二百里だったと。

>この場合の一里は、、、?

これは考えなくていいと思う

九州北部の福岡平野から、二ヶ月で行く⇒大体千三百里くらい?
から逆算してるっぽさも感じる

あと、海を渡るまでを万里にしてるようでもある

542 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:33:26.64 .net
>>538
そのとおり、
時代によって、一歩五尺だったり
六尺だったり、5.3尺にいじったりしている。

そして何より、東夷である日本では
丈尺寸分はほぼ中国に合わせているものの
奈良時代で一里が533mだったり
戦国時代以降で4000mだったりと
全く合わせていないことから見ても
歩や里を合わせる義務はないことがわかる。

543 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:36:24.50 .net
楽浪郡のある朝鮮半島の横幅が四千里なんだから、
東夷伝里で測定してるでFA。

あとはキナイコシの
「わざわざ遠回りして煙に巻いて結論連打フラッシュ」
が炸裂します。

544 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:39:25.93 .net
ぜんぶ畿内説テンプレに書いてあることだな

九州狂人がテンプレを目の敵にするのも
わかるわ

545 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:42:34.52 .net
キナイコシが場違いな議論放棄

546 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:56:39.46 .net
一律10倍なら、正確に地点地域の位置を反映してる情報になるのでは

547 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 19:59:23.17 .net
>>546
だよねw
それが東夷伝里と仮に名付けているだけで。

548 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 20:02:10.96 .net
ずいぶん前から5倍誇張説がある。
一律5倍でピッタリ合うよ。

549 :日本@名無史さん:2018/04/22(日) 20:06:59.03 .net
やっぱり東夷伝里はあったんだ!

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