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九州の古代史【邪馬台国畿内説前提】

1 :日本@名無史さん:2015/09/18(金) 21:00:14.38 .net
古代九州の話となると邪馬台国論争に終始してしまうので、個別に語れる場所はないかと。
畿内説への反論は畿内説スレにて、九州説を前提とした古代九州の話は九州説スレにてどうぞ。

602 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:49:18.25 .net
伊都國(惣座遺跡)には王も居たから男性の可能性もある。

この王は吉野ヶ里(倭面土國・倭米多國)から逃げてきた帥升王統の王とも考えられる。

603 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:55:27.03 .net
>>601
甕棺墓もお墓。
大陸からの表玄関「末廬国上陸地点」がお墓ってw  これ、どう仕舞つけるつもり?  @阿波

604 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:58:13.55 .net
>>590
呼子に行ったことないの?
天然の入り江があるから外洋船でも安全に着けられるよ。

605 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:59:11.57 .net
何か知らないけど、九州の目ぼしい弥生遺跡ってお墓ばっかりなんだよね。 なんで?
奈良とよく似ている。  @阿波

606 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 18:59:31.71 .net
>>592
他人に理解できないものは誤ってるってことだよ。

607 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:04:09.41 .net
>>604
>天然の入り江があるから外洋船でも安全に着けられるよ。

波が荒らそうw  そんな所より、遠浅の砂浜がいいと思うけどね。 弥生の木造船なら。  @阿波

608 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:05:09.85 .net
福岡は典型なんだけど
長い期間に渡った複合遺跡なんであって
昔から人がいたところは今も人がいるから
今ビルが建ってるところ以外はほとんど墓しか出ないよ。

609 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:08:25.91 .net
>>607
入り江の中は波静かで安全だよ
遠浅の砂浜だと大型外洋船は陸に近づけないから荷物を小舟に積み替えて浜に陸揚げする必要があるし、船を安全な港に入れなれないで波が荒い外海に放置するとか危険すぎる。

610 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:10:12.45 .net
>>606
>他人に理解できないものは誤ってるってことだよ。

そうかもね。 お互いに。  @阿波

611 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:14:52.48 .net
>>608
>長い期間に渡った複合遺跡なんであって
>昔から人がいたところは今も人がいるから

それ、なにも福岡に限ったことじゃないよ。
阿波もいっしょ。 阿波も昔から人がいたところは今も人がいるから。  @阿波

612 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:17:24.96 .net
>>610
泡くんの説は支持者がいないが
俺の説には賛成してくれる人や真似た説を謂う人もいるよ。

613 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:19:10.91 .net
>>609
>入り江の中は波静かで安全だよ

入り江に入り込むまでが危険と思うが? 入ってしまえば安全なんだろうが。

>遠浅の砂浜だと大型外洋船は陸に近づけないから荷物を小舟に積み替えて浜に陸揚げする必要があるし

実際、そうしたんじゃないの?

>船を安全な港に入れなれないで波が荒い外海に放置するとか危険すぎる。

いや、岩礁が無いから安全と思うな。 錨で係留したんだろう。  @阿波

614 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:20:44.60 .net
>>543
>楽浪郡のある朝鮮半島の横幅が四千里なんだから、

単に半島の大きさ、里程を誤認してるだけなのに、

>東夷伝里で測定してるでFA。

とかお馬鹿な結論に走ってしまうのが末期症状

615 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:22:58.66 .net
末慮国の上陸地点は、弥生後期まで松浦川の河口付近にあった潟湖っていうのが、通説じゃないの?

ただ、その後潟湖の入り口に砂がたまって、直接伊都国や奴国の港、西新町遺跡や博多遺跡に
船を回すようになったっていうのでいいと思うんだけど

616 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:23:40.95 .net
万津浦が末慮ってのは、ただのトンデモだから気にしなくていいよ

617 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:23:57.69 .net
>>612
>泡くんの説は支持者がいないが

そう勝手に決めつけられてもw

>俺の説には賛成してくれる人や真似た説を謂う人もいるよ。

同じだね。  @阿波

618 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:26:43.89 .net
それから、惣座遺跡が伊都国というのも、やはり無理でしょ

前にも書いたけれど、海がないから一大率が臨津搜露できないし
国として栄えた様子が見えない
吉野ヶ里と比べても、格落ち感は否めない

末慮国から東南陸行五百里で行く先としては、惣座遺跡より
吉野ヶ里遺跡の方が適していると思う

吉野ヶ里が伊都国だとはこれっぽっちも思わないけどね

619 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:28:28.07 .net
>>613
入り江にれ入港するのに危険はありませんよ
何が危険?
それより玄界灘に船を放置するとか考えられないなw
嵐が来たらどうするの?
>>614
5倍くらいあるんだから誤認するにもほどがあるし
1か所じゃなくて何か所もあり、全て5倍くらいだから
別の里があったと考えるしかないですよ。

620 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:29:31.37 .net
>>617
泡説の支持者や真似なんて見たことないけどw

621 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:31:47.83 .net
>>615
末慮国の上陸地点はここだなんて説は見たことないけど?
末慮国の中心的な遺跡は云々はあるけど。

622 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:32:36.10 .net
>>616
>万津浦が末慮ってのは、ただのトンデモだから気にしなくていいよ

万津浦の浜の沖に、外洋船が何艘も浮かぶ姿は壮大だっただろうな。  @阿波

623 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:36:46.30 .net
>>615

潟湖説は通説ではない。
私が松浦川潟湖を地学的に検証する迄は誰もいなかった。
浜堤が2本(虹の松原・鉄道跡)あり検証が困難であった。

624 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:38:12.59 .net
>>619
>入り江にれ入港するのに危険はありませんよ
>何が危険?

岩礁!

>それより玄界灘に船を放置するとか考えられないなw
>嵐が来たらどうするの?

嵐には、玄界灘だろうとどこだろうと、どうにもならんでしょ。  @阿波 

625 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:40:48.62 .net
>>624
呼子に入港するのに何処に岩礁がるんだよ?
入り江の中なら嵐の影響を受けないよ。

626 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:44:58.87 .net
>>625
>呼子に入港するのに何処に岩礁がるんだよ?

結構、あるんじゃないの?  @阿波

627 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:47:02.66 .net
>>626
想像かよw

628 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 19:55:45.25 .net
>627
まぁ、どう考えても呼子が「大陸からの表玄関」だったとは思えないんだよ。
だって、その痕跡が少しもないから。  @阿波 

629 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 20:06:11.96 .net
呼子付近は秀吉の朝鮮征伐の際は名護屋城とかが造られて
朝鮮への遠征軍の兵站基地として朝鮮への渡海する軍船が多数停泊してたんだよ。

630 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 20:13:43.23 .net
>>629
「大陸への出航地」としてね。 
決して、「大陸からの表玄関」じゃないから。  @阿波

631 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 21:37:24.79 .net
>>630
「大陸への出航地」=「大陸からの表玄関」ですよ。
呼子付近が日本の出入り口だったんですよ。

632 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 23:12:49.86 .net
海路で千葉に着いたって言うときに、房総半島の先っぽってのがあると思うかどうかだな
千葉の中心は千葉市

633 :日本@名無史さん:2018/04/23(月) 23:23:13.51 .net
少なくとも古代国家では房総半島は先端部(安房)の重要度が高かった。古墳時代がピークだろうけど。
房総半島で内陸部が重要になったのは鎌倉時代頃からじゃないの?

634 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 05:52:03.38 .net
いやいや、そういう歴史的なことじゃなくて、思考実験として、現代で考えて
政令指定都市で県庁所在地の千葉市が東京湾の湾奥にあって、海路で千葉に着いたって言う場合、房総半島の先端付近に着いたって考える余地があるか?ってこと

房総半島の先の方にも、小さな漁港もそりゃあるけれど、そこで上陸して陸路で千葉市に向かうなんてのは不自然だろ?
千葉の中心は千葉市だし、千葉市にも大きな港があるんだから、そこまで船で行って千葉市に着くようにするのが自然だろ?

同じ状況で、東松浦半島の先端付近で末慮国に着いたっていうのは、不自然だと思う

635 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 07:02:53.79 .net
房総半島の先端付近に着いたら千葉県に着いたというのが普通だと思うがな?

636 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 08:10:46.27 .net
当時の千葉県での最重要エリアは太平洋側だよ。
鹿島と香取が内海の入り口を守る要害の地だった。
卑弥呼は筑波山にいたかもしれないぞw

637 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 10:34:50.90 .net
>>635
もちろん、目的地は千葉市だよ

房総半島の先っぽでは、千葉市で足すべき用(何でもいいんだけれど例えば県庁への
書類提出)は、何もできないんだし

その状況で、字数の限られた旅行日誌を書く時に、房総半島の先っぽまでの旅程(距離または日数)を
書いて、千葉に着きましたって書くかな?

638 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 10:35:42.98 .net
>>636
当時の話とは切り離して、今の、現代の話としての思考実験として考えてみて

639 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 19:57:23.41 .net
このスレの討論、止まっちゃったな

ここはわりにきちんと討論ができる場なのに

640 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 22:31:38.34 .net
>>637
>房総半島の先っぽでは、千葉市で足すべき用(何でもいいんだけれど例えば県庁への
>書類提出)は、何もできないんだし

行程の説明してるだけで千葉市で足すべき用なんて無いんだから
房総半島の先っぽまでの旅程(距離または日数)で千葉に着きましたって書くよ
房総半島の先っぽだって千葉だもん 。

641 :日本@名無史さん:2018/04/24(火) 22:47:08.29 .net
シアトルに着いたらアメリカに着いたと書くよな
ワシントンに着かないとアメリカに着いたと書けないなんてことはないよな。

642 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 07:24:21.09 .net
そうだね。
後漢書では帯方郡から七千里の狗邪韓から倭としている。
一万二千里の彼方が九州北部で女王の都だね。

643 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 10:38:08.97 .net
>>642
狗邪韓から五千里も先だったら当然ながら北部九州ではないな

644 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 12:00:02.21 .net
>>643
帯方郡から狗邪韓国までが7000里ですから狗邪韓国から5000里先なら北部九州ですよ。

645 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 12:00:53.46 .net
>>644
どうして?

根拠は?

646 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 12:47:56.11 .net
>>643
対馬海峡の幅が三千里です。

647 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 13:04:44.46 .net
>>646
それで?

648 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 16:36:01.40 .net
九州上陸から二千里なら、九州北部を出ないですよ。

649 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 16:36:43.52 .net
キナイコシは算数が苦手なんだ。
勘弁してやれ。

650 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 16:37:40.48 .net
>>645
〜から、という文章が理由を示しているということを理解できないなら、キナイコシは国語も苦手らしいよ。

651 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 19:03:38.29 .net
>>640
>行程の説明してるだけで千葉市で足すべき用なんて無いんだから
>房総半島の先っぽまでの旅程(距離または日数)で千葉に着きましたって書くよ
>房総半島の先っぽだって千葉だもん 。

千葉が最終目的地ではなく、そこから先に旅程を続けなければならないんだが?
魏志倭人伝の構成はそうなっているだろ?
その場合、千葉から次への距離が、千葉(県)内の距離を多大に含むことになる

旅程記事であると同時に、地理の紹介の意味もあるのだから、
千葉市の位置で記さないと、意味が無くなると思うのだが?

652 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 19:06:08.43 .net
>>641
>シアトルに着いたらアメリカに着いたと書くよな
>ワシントンに着かないとアメリカに着いたと書けないなんてことはないよな。

>>651でも書いたけれど、アメリカ行きの旅程ならそれでもまだいいけれど、
そこからさらに旅程を続けて、イギリスに渡るときに、シアトルをアメリカだ
としてしまうと、アメリカ大陸横断距離がアメリカイギリス間の距離に足されてしまう

これは不合理だろう

653 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 19:18:06.01 .net
>>648
>九州上陸から二千里なら、九州北部を出ないですよ。

短里ならね
短里なんてないんだよ

九州説は、短里に頼りすぎ

654 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 19:44:46.34 .net
>>652
倭人伝では壱岐対馬では方可○○里と書いて距離に足さないようにしてるんだよ
末廬國では北の端に着いて徐陸地点から伊都国の入り口までが500里ってことだな
1里80mくらいとすると名護屋浦の奥に上陸して糸島市の入り口くらいが丁度500里だ。

655 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 20:48:50.72 .net
>>653
対馬海峡が三千里です。
短里しかあり得ない。

656 :日本@名無史さん:2018/04/25(水) 23:56:47.30 .net
アンケートです。

魏志東夷伝のうち韓伝 および倭人の条に
他の里程記述と異なる尺度の里
いわば東夷伝里 あるいは いわゆる短里と
呼ばざるを得ない基準里の存在を、

認めても良いと思う方挙手してもらえますでしょうか?

まずは


657 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 08:23:54.55 .net
ノシ

658 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 08:36:06.83 .net


659 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 08:49:10.48 .net


660 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 08:51:28.07 .net
ランダムサンプリングにならないアンケートなんかで
決めようとするから
九州説は堕落したと言われる

661 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 10:52:07.99 .net
まあ、列島は山の尾根から流れるミネラル豊富な川と四方を流れる潮流があるから。敷島と言う言葉は本当に言い得て妙ですわ。

662 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 11:48:18.51 .net
>>654
>名護屋浦の奥に上陸して糸島市の入り口くらいが丁度500里だ。

名護屋浦の奥には、平坦地がほとんどなくて、四千戸の末慮国の位置として不適当
そこから唐津経由で糸島に向かうと、南、東、北、北東と向きを変えながら
陸行することになり、始点と終点間の方角でも北寄りの東になる

どうやっても東南陸行に合わないし、そもそも名護屋浦湾から唐津に出るには、
結局東松浦半島の海岸を回りこむことになるから、それなら名護屋浦湾に入り込まずに
唐津の方へ船を回すほうがいいだろう

魏志倭人伝原理主義で、無理に魏志倭人伝の記述に合わせようとして、
道理に合わない無理な想定をするから、九州説には論理がないって言われるんだよ

663 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 11:50:47.33 .net
>>655
>対馬海峡が三千里です。

その間が、半島〜対馬、対馬〜壱岐、壱岐〜九州に分割されていて、
それぞれの長さが、2倍程度異なるのに、一律千里となっているので、
決まった単位で計っていないことが分かる

つまり、実測値ではないことが分かる訳だ
それが魏晋里に「合わない」ことが分かるだけ
短里なんてないんだよ

664 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 13:26:06.11 .net
>>662
上陸地点の名護屋浦から伊都国の入り口まで全てが末慮国だよ
末慮国はこれらの地域だけでなく旧松浦郡全体が末慮国で佐賀、長崎の北岸全体。

>そもそも名護屋浦湾から唐津に出るには、結局東松浦半島の海岸を回りこむことになるから、

そのまま南に進むこともできますよ?松浦半島の海岸を回るって何で???
名護屋浦湾のほうが内海で波が静かで乗って来た船を停泊させておくには安全ですし、糸島に向かうなら唐津で下船するって中途半端、唐津で降りるならそのまま糸島に向かうよ。

665 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 13:42:16.53 .net
名護屋で上陸なんてせんだろ
港がない

666 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 15:53:56.60 .net
>>664
>そのまま南に進むこともできますよ?松浦半島の海岸を回るって何で???

平地もないし、川もないし、どこをどう通るつもりなんだい?
藪こぎで、山を越えることになるよ?
陸地だから物理的には不可能ではない、と、まともな経路として通用するかは別問題

九州説はこういう強弁が、多すぎる

それに、南にいって東に行って北に行って、起点よりも北が目標点っていうときに
東南陸行とは書かないだろう
この点も、末慮国の場所を名護屋浦湾に求める場合の無理になる

667 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 15:58:04.53 .net
>>664
>糸島に向かうなら唐津で下船するって中途半端、唐津で降りるならそのまま糸島に向かうよ。

これは、私も正しいと思うし、博多湾岸の西新町遺跡、博多遺跡の港湾機能を考えると、
奴国の港まで船で行ったとした方が自然な旅程だと思う

伊都国に一大率がいて、臨津搜露したというのを信じるなら、伊都国に上陸が自然

松慮国に上陸する旅程は、例えば倭国王帥升等の朝貢時の資料に残されたものが
混入しと考えた方が理解しやすい
ただ、論証のしようがないから、そういうこともありうる以上のことは言えないけれど

668 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 15:59:15.06 .net
>>667の蛇足

こうした、「そういうこともありうるけれど、論証の仕様がない」ことを
事実だと勝手に決めてそれを根拠にして論立てするのが、九州説のやり方

669 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 17:07:31.39 .net
>>665
名護屋浦の奥にも赤松とかに港がある。
>>666
険しい山もなく丘陵地帯の段々畑中を南に道が唐津方面に繋がってるよ。

グーグルマップで確認してよ。

670 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 17:16:25.65 .net
>>669
現地に行った?

671 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 17:57:16.88 .net
>険しい山もなく丘陵地帯の段々畑中

そんなところに四千余戸はないだろ?

そんなところを通らなくても、松浦川河口付近の奥に末慮国の中心があるんだから
そっちに船をつければいいじゃないか?

荷物もって海を船で渡ってきて、段々畑になるような傾斜地を登っていくのは
バカらしいだろうが

672 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 18:42:18.57 .net
魏使の上陸地「呼子」対「唐津」論争してるんだね。 両方とも間違いなんだけど頑張れ!  @阿波

673 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 18:48:22.75 .net
>>670
2回くらい行ったことがるよ。

>>671
四千余戸は松浦郡全体の戸数だよ
船を付けるのに名護屋浦が一番良かったからだろうな
名護屋浦は奥が埋め立てられて農地になってるが
昔はもっと奥まで入れたようだ
船も陸に直接接岸できる。

674 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 18:50:23.40 .net
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は?
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市前原(旧怡土郡)、奴国 福岡市博多(那の津)→邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg

675 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 19:36:46.99 .net
>>673
>名護屋浦が一番良かった

がんばってるけどさ、「東南」陸行にならないのは「克服できてない」し、
南東北と「陸行方向がグネグネになる欠点」があって、
末慮国の「中心部(四千戸)と関係ないところを示すという新たな欠点」が生じて、
壱岐ー末慮間が、対馬ー壱岐間よりも著しく短くなる(ほぼ半分)という点で
松浦川河口に上陸よりも「東夷伝里という決まった距離があるという主張と齟齬」が
出るんだが?

何をそんなにがんばっているんだ?

松浦川河口付近には、潟湖があって天然の港になっていたと想定されているんだが?
人がいないところに上陸するのは不自然だろ?

676 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 20:38:53.05 .net
>>675
>がんばってるけどさ、「東南」陸行にならないのは「克服できてない」し、
>南東北と「陸行方向がグネグネになる欠点」があって、

玄界灘沿岸で生活してると海が北で陸が南、東西に海岸線って感覚になる
地図で確認すると斜めに傾いてるんだでどね
福岡市とかで暮らしたことがあれば分かる
だから名護屋浦から唐津方面に向かうと南に向かう感じがするし、唐津から糸島方向だと東に向かう感覚なんだ
だから「東南」陸行ってなったんだよ。

>末慮国の「中心部(四千戸)と関係ないところを示すという新たな欠点」が生じて、

一大国は三千家と書かれてるけど壱岐には多くの集落遺跡が確認されてて、一か所で三千家在ったんじゃなくて合計で三千家だよ
末慮国も中心部に四千戸が固まって在ったんじゃなくて各地に散らばった集落を集めて四千戸だよ。

>壱岐ー末慮間が、対馬ー壱岐間よりも著しく短くなる(ほぼ半分)という点で
>松浦川河口に上陸よりも「東夷伝里という決まった距離があるという主張と齟齬」が
>出るんだが?

海上だと歩測や縄で直に測れない誤差が大きいのは仕方のないこと。

>松浦川河口付近には、潟湖があって天然の港になっていたと想定されているんだが?
>人がいないところに上陸するのは不自然だろ?

潟湖なんて浚渫しないと座礁の危険があって港にはならないよ
天然の港なんて有り得ないな。

>人がいないところに上陸するのは不自然だろ?

上陸し易くて船の安全が図れればその場所に人がいるとかいないとか関係ないですよ。

677 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 23:43:03.89 .net
>>676
>上陸し易くて船の安全が図れればその場所に人がいるとかいないとか関係ないですよ。

何のために海を渡るかと考えたらこんな発想は出て来ないな
人がいないところを目指す理由がない

>玄界灘沿岸で生活してると海が北で陸が南、東西に海岸線って感覚になる

魏使は玄界灘沿岸で生活していない
海が北という感覚は、652が主張するように名護屋浦湾に深く入り込むなら、
どっちが海かってのも狂うだろう
かなり適当な思いつきレベルの強弁だと思うぞ

>壱岐には多くの集落遺跡が確認されてて

でも、壱岐の比定地は最大の遺跡である原の辻遺跡で紛れもないぞ
小さな集落が壱岐国の中にあっても、そこを指して壱岐国だとは言わない

678 :日本@名無史さん:2018/04/26(木) 23:44:47.58 .net
潟湖っていうのは、水が流れ出す出口があるんだから、天然の良港になるんだよ
潟湖の内部が浅くなっているわけではない

679 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 00:08:44.77 .net
>>678
潟湖に大きい船を着けるには桟橋とか造る必要があるから天然の良港じゃないよ
自然のままだと小さな舟しか利用できない。

680 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 02:11:30.13 .net
実際に港として利用されているのに?

681 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 06:58:46.26 .net
>>680
利用してたの小さな舟でしょう
外洋船の港として使うなら航路の浚渫、桟橋や岸壁の整備が必要
その潟湖もだんだん堆積物で埋まってしまったんでしょ
名護屋浦は今も存在してますから。

682 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 06:59:19.84 .net
便 所 の 落 書 き ・ 痰 壷 の 更 に 劣 化 コ ピ ー の 3 流 掲 示 板 = 開 2 ち ゃ ん ね る
運 営 の 性 格 悪 い 引 き こ も り I T 土 方 メ ガ ネ ザ ル 早 く 死 な な い か な

683 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 07:38:35.04 .net
いくら、「呼子」だ「唐津」だと言い合っても、どちらも根拠の無い間違い説。
魏使 の上陸地は「福津市周辺」ですよ。
下記の点において、「呼子」「唐津」は適合しない。  @阿波
@壱岐からの「距離千里」
A上陸地としての環境(遠浅の砂浜)
B対馬海流の影響
C大陸との交流痕跡
D上陸地としての集落痕跡

684 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 08:27:57.91 .net
当時は外洋船といってもそこまで大きくないだろう。

685 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 08:28:31.65 .net
糸島に向かうのに糸島の海岸や唐津に入港しなかったのは
港が土砂で埋もれ始めていて大型船が着けなかったから
現在は糸島水道は現在陸地になってるし唐津の潟湖も埋まってしまっている
対して名護屋浦は現在も港として使われている。

686 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 08:57:08.72 .net
調べたら名護屋浦の海岸には赤松海岸遺跡ってのがあるみたいだよ。

687 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 09:07:53.60 .net
赤松海岸遺跡は縄文時代となってるけどこの辺に縄文時代から人が住んでたってことは
弥生時代も人が住んでただろうな、未発見の遺跡があるだろうな。

688 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 09:20:37.46 .net
呼子町大友遺跡は弥生時代の遺跡だな。

689 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 09:25:12.13 .net
>>687
>赤松海岸遺跡は縄文時代となってるけど

弥生時代まで存続していたら、複合遺跡って記録されるよ
まあ、具体的に見てないから確定的なことは言えないけれど、地図でざっと見て、
水田稲作に適した土地は、名護屋浦湾周辺には開けていないのは確実

690 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 09:33:13.56 .net
名護屋浦の海底を浚ったら魏使の落し物が見つかるかも。

691 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 09:35:32.63 .net
>>683
>@壱岐からの「距離千里」

もともと実測値ではない

A上陸地としての環境(遠浅の砂浜)

潟湖が広がっていれば、今より平野部は狭くなるから、大陸の人間の感覚なら
海から上がってすぐに山がそこに見えてるって感じだろう
有四千餘戸、濱山海居に合わないとは思わないがな

B対馬海流の影響

壱岐から南のつもりで東に流されると唐津湾くらいだろ

C大陸との交流痕跡

宇木訓電遺跡、中原遺跡、千々賀遺跡、桜馬場遺跡とあれば十分だろ

D上陸地としての集落痕跡

上陸地そのものは、海辺だろうが
中原遺跡は、潟湖からすぐだぞ

特に問題はないな

692 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 10:01:22.39 .net
>>691
なんでそんなに頑張ってるの?
少なくとも、 魏使の上陸地として「呼子」や「唐津」のほうが 「福津市周辺」よりも優れて妥当だとは言えないんじゃないのかな?
「福津市周辺」を排除する理由・根拠を示せないのでは?  @阿波

693 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 10:03:58.97 .net
>>687
赤松海岸遺跡辺りは相当難破したみたいだね。  @阿波

694 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 12:20:10.05 .net
>>692
>「福津市周辺」を排除する理由・根拠を示せないのでは?

逆だ、逆
「福津市周辺」を末慮国だと主張したいのなら、
末慮国⇒「松浦」
伊都国⇒「糸」島
奴国 ⇒「那」珂(福岡)
という、定説の比定地を「排除」してまで、「福津市周辺」が妥当とするだけの
理由・根拠を示さなければならないのは、阿波の方

でも、誰も相手にしてないから、書かなくていいよ
万津浦と書いた、出所不明の古文書なんて、何のあてにもならないし

695 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 12:32:46.62 .net
>>694
あのねぇ、もういい加減に地名云々は止めたら?
「万津浦」が気にいらないようだけど、「万津浦」なんてどうでもいいことなんだよ。
ようは、魏使の上陸地点が「福津市辺り」の砂浜だってことだけ。
そんな地名云々よりもっと明確な「福津市周辺」を排除する理由・根拠を示してほしい。  @阿波

696 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 12:48:10.35 .net
泡君は冗談を言ってるだけですから気にしないでください。

697 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 12:50:24.61 .net
きつい冗談でごめんね。  @阿波

698 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 17:57:48.15 .net
魏使が呼子付近に上陸した証拠。

@呼子付近じゃないと方角が合わないから呼子付近が魏使の上陸点である
それ以外の場所だと方角が合わない。

A倭人伝の書き方が
帯方郡の南の海岸〜狗邪韓国の南の海岸(7000里)
狗邪韓国の南の海岸〜對馬国の北の海岸(1000里)
對馬国の北の海岸〜對馬国の南の海岸(800里)
對馬国の南の海岸〜一大国の北の海岸(1000里)
一大国の北の海岸〜一大国の南の海岸(600里)
であるから次は
一大国の南の海岸〜末廬国の北の海岸(1000里)である。

B唐津に在ったとされる潟湖は現在存在しておらず松浦川の土砂の堆積により消失している、3世紀には土砂の堆積が始まっていて湖は浅く魏使の乗ってきた魏の外洋船は入港するのが困難であった。
(糸島水道も現在存在しておらず3世紀には浅くて魏の外洋船は入港するのが困難であった)

699 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 19:00:04.05 .net
>>684
日本の遣唐使船(邪馬台国より何百年後か分からんレベル)ならともかく、三国時代と言っても中国船はそれなりに大きいよ

700 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 19:02:27.72 .net
>>687
縄文時代は今より海岸線が内陸寄りだった時代
弥生時代や古墳時代は逆に、今より海岸線が沖合? 水深が浅かった時代

縄文時代に良港だった場所どころか、いま港に使える地形でさえも、弥生時代には港にならなかった可能性が高い

701 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 20:16:45.84 .net
邪馬台国の時代に対馬海峡を航行していたのは、倭人の船だと思うよ。

702 :日本@名無史さん:2018/04/27(金) 20:31:59.42 .net
倭人は倭人の舟で対馬海峡だろうが帯方郡までだろうが航海してたでしょうが
魏使は魏の船で日本まで来てたんですよ。

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