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九州の古代史【邪馬台国畿内説前提】
- 740 :日本@名無史さん:2018/04/29(日) 20:33:28.09 .net
- >>727
阿波は間違い無く倭国の中心やった時代があったんやろね。
古墳や複合集合遺跡、丹生と麻が決め手やと思う。
魏志倭人伝に記載された時点に中心が何処とか余り興味無いし、其れより人の流れと其の目的が何やったかに興味あるねん。
伊邪那岐の国産みの「こをろこをろ」と矛立てて、とか渦潮とSEXを国産みの係言葉としか思えんしな。
そんな古くから栄えた九州に何時までも留まって無いと考える方が自然やろ。
- 741 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 07:45:28.62 .net
- >>730
>「倭」と明記された「物証」があるのは、唯一「阿波」だけなんですね。
これが神社の鳥居の額とかだったら笑える
- 742 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 12:36:21.31 .net
- 神社の鳥居で古墳時代とか弥生時代ごろの遺物なんて実在するのかよ?
- 743 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 13:45:09.93 .net
- 鳥居の原型は、平原遺跡にそれらしき柱の跡がある。
- 744 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 13:50:39.84 .net
- 柱の穴みただけでファンシーな爺さんだな
- 745 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 13:59:43.51 .net
- 纏向みたいなもんだ
- 746 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 14:04:17.81 .net
- なぜ?
九州説はいつも理由が言えない
- 747 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 15:08:22.01 .net
- 平原古墳郡は別格だね
発掘品からして格上感がある
どこかで読んだが遺体の足の方に柱跡があり
これが太陽信仰で柱の影が遺体の膣にはいり
太陽と合体した〜みたいな見解だった
その柱を遠くから見たら箸に見えていたのかも
箸墓かと思えたな
- 748 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 15:18:56.05 .net
- 後漢代、倭国乱以前に栄えてたとこの遺跡だね、ひらばるって。
- 749 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 15:27:58.28 .net
- >>748
明らかに倭国乱中か、乱後だよ?
乱前はありえないな
- 750 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 16:13:38.91 .net
- >>747
>平原古墳郡は別格だね
この一言で、平原遺跡の全景が分かっていないのが丸分かり
平原遺跡は、5つの周溝墓が確認されている弥生墳墓群で、古墳群ではない
そして、最大の1号墓で12メートル×8メートルという墳丘サイズ
残り4つはさらに小さい
1号墓以外めぼしい副葬品のあるものはない
伊都国王墓の地からも離れたところにある
おそらくは、伊都国王家に妃を出した伊都国有力家系の家族墓地
1号墓の被葬者は伊都国王妃くらいだろう
- 751 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 18:29:55.30 .net
- >>740
正解
- 752 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 20:43:19.80 .net
- >>750それでも女性が埋葬された中では別格な埋葬品でしょ?
全部割られた鏡から想像すると「甦り防止」もあったと思う
甦り防止ってことは、祭司者か占い師だったかも知れない
鏡の大きさ日本最大級46センチも卑弥呼級の
人物しか持てない大きさだと思っている
じゃあ聞きたいけど自分の娘や親族をなぜ別の場所に埋葬するんだい?
しかも違う埋葬方法で?
- 753 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 21:37:16.44 .net
- >>752
>女性が埋葬された中では別格な埋葬品でしょ?
丹波の大風呂南墳丘墓とか調べてごらん
鏡以外は平原より上だよ
結局、平原1号墓は立派な仿世鏡がたくさん出た、以上ではないんだよな
伊都国、奴国に青銅器の工房があったのは認めてよいだろう
伊都国の青銅器生産を担う一族から、伊都国王妃が出て、それをその一族の
家族墓地に葬った、というのが一番妥当だと思う
>じゃあ聞きたいけど自分の娘や親族をなぜ別の場所に埋葬するんだい?
>しかも違う埋葬方法で?
これは何との比較を意図してるんだい?
伊都国の鏡作りの一族が、その娘を葬ったと思っているんだが
本来の伊都国王家の一員じゃないと思ってるよ
- 754 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 22:08:14.63 .net
- 日本の国宝一覧
考古資料の部
弥生時代
* ▪ 金印(漢倭奴国王印) (福岡市博物館)
* 袈裟襷文銅鐸(両面在画像)2口、袈裟襷文銅鐸8口、銅鐸1口、流水文銅鐸3口、銅戈7口(神戸市灘区桜ヶ丘町出土)(神戸市立博物館)
* 福岡県平原方形周溝墓出土品 一括 (国(文化庁)所有、伊都国歴史博物館保管 弥生時代〜古墳時代)
* 袈裟襷文銅鐸〈伝讃岐国出土〉(東京国立博物館)
* 島根県荒神谷遺跡出土品 (国(文化庁)所有、島根県立古代出雲歴史博物館保管)
* 島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸 39口 (国(文化庁)所有、島根県立古代出雲歴史博物館保管)
- 755 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 08:20:31.63 .net
- >>753
>伊都国の鏡作りの一族が、その娘を葬ったと思っているんだが
>本来の伊都国王家の一員じゃないと思ってるよ
アホだろ。
じゃあ、その鏡作りの一族の本家の墓は?
伊都国王家の他の墓は?
副葬品の格は王家の一員というよりも王そのものだろう。
卑弥呼であることを認めたくないから、根拠のない作り話ばかり。
これが畿内説の限界。
- 756 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 08:21:13.07 .net
- >>754
出雲と筑紫の二強。
記紀の記載の通り。
- 757 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 09:14:57.82 .net
- クモが出立する/した出雲、たくさん/いっぱい隔てる八重垣。
地名と言うより行動、行程の事じゃないの?
- 758 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 09:47:33.82 .net
- >>755
>じゃあ、その鏡作りの一族の本家の墓は?
それが、平原遺跡の2号墓から5号墓だろ
伊都国内では有力家系で、家族墓地を持っていてもその程度なんだよ
その中で、1号墓の被葬者は伊都国王家に嫁いで、彦姫のヒメ王まで担当したから
がんばって、いっぱい副葬したんだよ
>伊都国王家の他の墓は?
基本的に、伊都国王家は三雲遺跡群の範囲内に墓を作っている
三雲南小路遺跡も井原鑓溝遺跡も、古墳時代に入ってからの
端山古墳、築山古墳も三雲遺跡群の中だ
三雲南小路から端山古墳の間の王墓は、検出されていないが
あるならば三雲遺跡群の範囲内である可能性が高い
実際に王墓と言えるものがなかった可能性もある
>副葬品の格は王家の一員というよりも王そのものだろう。
王といっても、「地域首長レベル」なんだよ
出雲や吉備、丹波の首長墓と比べて、突出した豪華さはないし
何よりも小さい
径百歩の墓というのから逃げ続けないといけない倭女王の墓と
いうのはむなしくならないか?
- 759 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 11:32:04.10 .net
- 倭国が筑紫プラスアルファくらいの範囲なら、ぴったりなわけで。
卑弥呼だけ伊都筑紫王家ではなく肥国王家から共立されたという立場なので、配置も問題ないな。
平原遺跡が卑弥呼の墓でなんの矛盾もない。
- 760 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 11:55:19.87 .net
- >>759
>平原遺跡が卑弥呼の墓でなんの矛盾もない。
お粗末。 恥ずかしくないのかね? @阿波
- 761 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 15:28:15.84 .net
- >>759
>倭国が筑紫プラスアルファくらいの範囲なら、ぴったりなわけで。
九州説(伊都国説)の人って、倭国を小さく小さくしたがるよね
でもその前に、
・伊都国かどこかに着いた時点で邪馬台国到着みたいなこと言ってないとおかしくね?
なんで奴国や投馬国から移動してからやっと邪馬台国に着いたみたいな書き方してんだ
・たとえば倭なら韓半島の南岸の時点でもう名前が出てくるぞ
・邪馬台国のことを女王の都だとはっきり書いてる魏志倭人伝を無視するの?
- 762 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 15:30:18.67 .net
- 伊都国は倭国の京
- 763 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 16:41:47.45 .net
- >>762
>伊都国は倭国の京
言いたいのは 委国の都で伊都国ってことかな?
でも、それなら、伊都国に着いたところで邪馬台国到着ってことになってないとおかしくないか?
どうして奴国や投馬国から移動してからやっと邪馬台国に着いたみたいな書き方になっているのかな?
たとえば倭なら韓半島の南岸の時点でもう名前が出てきてる
邪馬台国のことを女王の都だとはっきり書いてる魏志倭人伝を無視するの?
- 764 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 16:46:08.83 .net
- 邪馬台国なんてないんだよ
- 765 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 17:58:52.69 .net
- >>763
>でも、それなら、伊都国に着いたところで邪馬台国到着ってことになってないとおかしくないか?
やれやれ、やっと伊都に到着した。
ここが使いがいつも逗留するところだ。
そんな意識が伝わってくるだろう?
- 766 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 18:11:48.11 .net
- >>765
>そんな意識が伝わってくるだろう?
来ねーよ!
どこの電波受信してるんだよ!
「どうして奴国や投馬国から移動してからやっと邪馬台国に着いたみたいな
書き方になっているのかな?」
- 767 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 19:45:40.00 .net
- >>763
これがその邪馬台国到着って文だよ
「世有王 皆統屬女王國」
意味は「魏の世に倭王がいた、倭の国々の王は皆、女王国(邪馬台国)に統属されていた。」だよ。
女王国(邪馬台国)の都が伊都国なんだよ。
- 768 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:04:23.45 .net
- 邪馬台国=連合国の考えは初めは受け入れ難いよね
しかし、日程記述の部分は別情報の可能性が指摘されており、それなら可能性はあり、と今は思う
可能性の一つとしてね
どちらにせよ、使者は伊都国から進んでる様子がないので、卑弥呼は伊都国の近くにいたと思うけど
- 769 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:07:08.70 .net
- 千戸しかいない伊都国に王がいて
二万戸もある奴国に王がいないってのはどうなのかな?
後漢時代に金印もらった時は確かに奴国に王がいたはず
「世有王 皆統屬女王國」
これはもともと奴国の説明だったのが錯簡で伊都国の後にきちゃっただけじゃないの?
- 770 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:11:55.22 .net
- >>769
ニューヨークとワシントンD.C.を見れば、別に奴国と伊都国の人口比率など気にはならないよ。
- 771 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:15:35.79 .net
- >>769
むしろ、伊都国側が、倭奴国を昔の奴国と錯覚させたのかもしれない。
前漢の頃は考古学的にも奴国に王墓があるのだが、後漢の頃はすでに王墓は伊都国側にあるんだよ。
金印も、伊都国の細石神社が江戸時代まで保管していたという噂だよ。
細石神社は金印をもらった頃に作られた三雲南小路遺跡の拝殿を兼ねていたと思われる。
漢委奴国王は伊都国にいたんだよ(多分)。
- 772 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:26:09.67 .net
- >>769
後漢書に出てくるのは倭奴国であって奴国じゃない
魏志倭人伝の奴国ではない。
- 773 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:36:12.28 .net
- >>769
>千戸しかいない伊都国に王がいて
伊都国は、魏略逸文では一万戸の大国となっている
「東南五百里 到伊都國 戸万余」
平野の規模的にいって、一万戸はきつそうとは思うけれど、
魏志倭人伝での重要視からいくと、一万戸でもありかなとも思う
- 774 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:38:12.03 .net
- 伊都国にいた一大率が北九州における権力の中心だから
奴国王も普段は伊都国に出張してたんだろ
だから伊都国王じゃなくて正確には「伊都国にいた奴国王」
>>772
そういう小学生レベルの言葉遊びはろくに漢文よんだことないからできるんだよ
漢文に親しんだことのないやつは表面の字づらだけで辻褄あわせようとする
漢文の語感も慣用もなにもしらないからな
- 775 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:38:38.03 .net
- >>767
>これがその邪馬台国到着って文だよ
>「世有王 皆統屬女王國」
普通に読んで、そうは読めないだろ
自然な読み方ではない
何しろ、伊都国と邪馬台国が別の国名で別のところに書いてあるんだから
それを同一視するのは、まともな読み方ではないよ
どうして、そんなに伊都国を邪馬台国にしたがるのかが不思議
伊都国が邪馬台国だったら、邪馬台国の官がいるのに
なぜ一大率がいるのかとか、自然には説明がつかないことが多すぎ
伊都国説は邪説だと思う
- 776 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:52:23.71 .net
- >>775
>伊都国が邪馬台国だったら、邪馬台国の官がいるのに
>なぜ一大率がいるのかとか、自然には説明がつかないことが多すぎ
都だからだよ。
東京だって、都知事もいれば総理大臣も官房長官もいる。
纒向なんて、魏志倭人伝に名前すら出てこないだろ。
- 777 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:54:19.73 .net
- >>772
>>>769
>後漢書に出てくるのは倭奴国であって奴国じゃない
>魏志倭人伝の奴国ではない。
そうそう。
倭奴国は伊都国だと思うね。
ただ、あえて誤解を誘導したか、誤解を放置したか。
よく言えば、掛詞や所縁のような感覚だったのかもしれない。
- 778 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:54:55.58 .net
- 「刺史の如し」っていってんだから地方官じゃないの?
- 779 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:57:19.93 .net
- むりやりだなぁ
奴国と伊都国が別々にあるのに奴国が倭奴国じゃなくて伊都国が倭奴国だなんて
不自然すぎんだろw 誰がついてくんだよ
- 780 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:05:14.59 .net
- >>779
日本人はそういう言い換えが文化だよ。
古典文学とか和歌とか、そんなのばかり。
そして考古学的に、奴国から伊都国に王権が移動しているのに、後漢書の記載はどつちともつかない倭奴国。
少なくとも倭奴国が奴国だという根拠がない。
- 781 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:06:42.09 .net
- おいw
魏志倭人伝を書いたの日本人だっていうのかよw
- 782 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:07:48.79 .net
- 少なくとも王権が奴国から伊都国に移動したという証拠がない。
- 783 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:08:57.50 .net
- 倭国の中の奴国なんだから倭奴国だろうよ
- 784 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:38:53.19 .net
- >>777
ついでに面土国もか?
- 785 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:08:03.11 .net
- 倭面土がヤマトかということ?
中国人が音に漢字を当てる時、あいつら(倭人)は顔にも刺青しているから、この字で書こうぜ!いいね!くらいのことは考えたかもね。
- 786 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:08:27.96 .net
- >>783
>倭国の中の奴国なんだから倭奴国だろうよ
根拠なし。
- 787 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:30:58.24 .net
- 根拠も糞も、普通の漢文表現だよ。
- 788 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:35:00.44 .net
- >>776
刺史のごとき官がいたとされている伊都は、首都圏から離れた場所であって、地方官の駐屯所なんだよ
刺史は首都圏から離れた場所を監督する官だからね
- 789 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:36:30.36 .net
- 首都にいた大率が、地方である対馬海峡を視察して回ったんだろう。
- 790 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:37:08.92 .net
- >>787
じゃあ、匈奴は匈の中の奴国なのか?
- 791 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:40:44.20 .net
- >>776
>都だからだよ。
>東京だって、都知事もいれば総理大臣も官房長官もいる。
近代国家と比べても意味がないぞ
近代国家は権力の分立や職掌範囲という概念があるが、古代の王はオールマイティだ
国家の中枢に権限を持つ代官を置いたら、権限のバッティングによる混乱の元にしかならない
>纒向なんて、魏志倭人伝に名前すら出てこないだろ。
纒向以前に、邪馬台国=ヤマト国って明記されてるじゃないか
官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮
の伊支馬イキマはイクメイリヒコ、彌馬升ミマキはミマキイリヒコでもおかしくないと思うし
- 792 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:47:16.26 .net
- >>777
>ただ、あえて誤解を誘導したか
史書で誤解を誘導する必要はどこにもない
それ以前に、魏志倭人伝の其餘傍国の最後の奴国を、九州の奴国と勘違いした可能性は結構高い
そうでなければ、極南界という言葉は出てくる必然性がまるでないから
- 793 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:47:41.93 .net
- >>791
>近代国家は権力の分立や職掌範囲という概念があるが、古代の王はオールマイティだ
大率を含め、権力の分化が進んでいたのが邪馬台国だよ。
魏志倭人伝は、その成熟した政治体制を報告し、金印にふさわしい国家体制であることを示している。
君の頭の中の古代国家観は、邪馬台国にはあてはならない。
卑弥呼はあくまでも象徴なんだよ。
外交専門に見えるね。
- 794 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:51:45.01 .net
- >>789
>首都にいた大率が、地方である対馬海峡を視察して回ったんだろう。
自女王國以北、特置一大率、檢察諸國。諸國畏憚之。「常治伊都國。」
って書いてあるね
常に伊都国で治めるんだから、視察して回ったりはしないだろ
- 795 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:53:40.73 .net
- 諸国を検察する、はどうした?
- 796 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:55:47.39 .net
- >>793
>大率を含め、権力の分化が進んでいたのが邪馬台国だよ。
また都合のいい憶測を書いてるな
権力が分化していない古代国家だから、「全権を持つ代官」が地方に置かれるんだよ
- 797 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 23:08:11.49 .net
- 程度の問題だ
- 798 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 23:10:55.70 .net
- 奴国王=難升米は外交担当。伊都では副官(兕馬瓠)=奴では大官(泄膜瓠)
伊都国の一大率は軍事指揮官。伊都の大官(爾支)
どっちも任命してるのは邪馬台国の卑弥呼だろうが
一人に権力が集中しないように分担させてるんだよ
- 799 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 23:18:31.28 .net
- 伊都国のぞいて諸国の副官はみな「卑奴母離」これは辺防の意で武官
伊都国の一大率から派遣されてるんだろう。
だから一大率は伊都国にいながらにして「諸国を検察」してる。
諸国に大官と副官がセットになってるのは内政を担当する現地首長と
軍事を担当する査察官とが分離してるのであって
オールマイティな権力者など存在しない
- 800 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 00:07:06.79 .net
- >>794
常に伊都国「で」治めてたのか、「を」治めてたのかは判別できないけどね
地方官たる一大率(刺史のごとし=地方官、職場は中央ではないところ)が常に伊都国で働いていることは間違いなさそうではあるよね
伊都が中央ではなく地方拠点だと確定する
- 801 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 00:09:49.45 .net
- 一大率を置いたのは自女王國以北
伊都国で治める
伊都国で諸国を治めるとの意味合いかな
- 802 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 00:21:19.92 .net
- 刺史ってのは、首都から遠く離れた任地に赴任して地方統治にあたる、出先機関の長だよ
首都近辺で働く役職じゃない
それと似てるんだから、首都から離れたところで働いていたことは確定で動かせない
- 803 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 00:26:18.93 .net
- >>800
自女王國以北、特置一大率
一大率は伊都国にいたとは限らない
常治伊都國
やはり主語が大事だね
一大率でも女王でも、どちらとも可能性がある
一大率を置いたのは女王
では、治めたのも女王でもいいね
その様子を刺史のごとしと説明した、でもよさそう
- 804 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 06:09:34.29 .net
- デタラメは駄目
- 805 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 07:30:03.09 .net
- >>802
>首都近辺で働く役職じゃない
伊都を首都にしたくないための詭弁。
周辺地域を治める点で刺史に似ているとしたなら、問題ない。
- 806 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 07:33:33.07 .net
- 自女王國以北、特置一大率
常治伊都國
伊都にいながら女王国から北を治めたなら、女王国も九州。
女王国が纒向なら、伊都にいながら京都あたりを治めることになってしまう。
- 807 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 07:41:16.98 .net
- 伊都には官が置かれているので、大率は伊都を治めるのではなく、伊都の周辺を治めるためのもの。
周辺地域を治めるから刺史に似ている。
伊都を治める官は大率とは別に禰宜と記載されている。
- 808 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 08:35:03.73 .net
- 魏晋の時代の刺史が将軍位を持って兵権の行使も行うことがほとんどとなり、
「領兵刺史」と呼ばれたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%BA%E5%8F%B2
だから一大率は戦時の司令官という意味で刺史に似ているという意味なのではないか?
- 809 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 08:48:58.51 .net
- おそらくほとんどの官は武力を持たない。
伊都(女王国)から北、対馬海峡における海兵力が一大率だろう。
最大の要所を鎮守する倭国の精鋭。
- 810 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 08:53:04.86 .net
- 大率と云う漢字(率)の謎
魏の時代 渠帥、小帥、長帥、主帥、大帥 と 帥 の漢字を用いている。
百済では 達率、恩率、徳率、杆率、奈率 と 率 の漢字を使った役職があった。
百済は4世紀の時代ですので、卑弥呼より時代が後です。
帥 も 率 も スイ、ソチ とも読めます。意味も「ひきいる」と云う意味で同じです。
4世紀は、倭国が朝鮮半島を支配していた時代でもあります。
さらに帥は後の太宰府長官、九州の支配者でもあります。
- 811 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:10:22.02 .net
- >>804
一大率が伊都国にいたとか出鱈目を言い出したのは誰?
- 812 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:13:54.25 .net
- 一大率は、女王国(伊都)にいて、女王国(伊都)から北の諸国(地方)を検察した。
(地方を検察する様は)刺史の如くである。
- 813 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:14:20.81 .net
- >>811
陳寿
- 814 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:15:27.27 .net
- >>806
自女王國以北 特置一大率・・・一大率は自女王國以北に居る。
常治伊都國・・・常に治める者は伊都国に居る。
一大率と常に治める者は明らかに別人ですね。
- 815 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:16:48.03 .net
- >>813
陳寿はそんなこと書いてないよ
誰か日本人が訳す時に創作してる。
- 816 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:19:18.41 .net
- >>812
原文通りだと
一大率は、女王国以北にいて諸国を検察し、伊都で常に治められていた。
(地方を検察する様は)刺史の如くである。
- 817 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:21:15.60 .net
- 奴国が倭の極南だから女王国は=奴国であって伊都が王都ではない。
- 818 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:27:08.09 .net
- >>817
極南界は倭奴国ですよ
倭奴国が金印を貰って倭国王になった。
- 819 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:40:01.09 .net
- 倭国の王都は倭奴国ということですね。
女王国から北を鎮守する大率はその隣の伊都国にいたと。
- 820 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:44:53.94 .net
- >>816
原文どおり読んでないね
- 821 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:49:33.80 .net
- >>731
淡路島(三原郡。現、南あわじ市)に在るのが大和大国魂神社。(淡路国二宮。名神大。)
大和神社の分社と伝わり、明治以前、一千数百年の永きにわたり、祭神はイザナミ大神と深く信奉されてきた。
社伝によれば創建には大和神社の初代神主、磯城長尾市や更には倭宿禰などの名が伝わり、かなり古い時代から在った事が窺われます。
律令の下、一宮であるイザナギ神社より常に手厚い対応(お手当て。税の配分)がなされた。
- 822 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:57:34.06 .net
- 金印を貰うくらいだから奴国は北部九州(福岡平野と筑紫平野)くらいは治めていただろう
それが後年、邪馬台国の支配下に入った時に福岡平野側を邪馬台国の直轄地として
独立させたのが伊都国ではなかろうか
- 823 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 11:20:34.02 .net
- >>821
>大和神社の分社と伝わり、明治以前、一千数百年の永きにわたり、祭神はイザナミ大神と深く信奉されてきた。
その「伊邪那美命」が日本で唯一、阿波でのみ祀られている不思議。 @阿波
式内社 阿波國麻殖郡「伊邪那美神社」
http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/07/005405
- 824 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 11:35:10.45 .net
- 自女王國以北、特置一大率、檢察諸國。諸國畏憚「之」。常治伊都國。
九州説系の人たちは、「之」を無視している
「之」は一大率だよ
分かりやすく訳すとこんな感じ
女王国より北では、特に、“一大率”という役職を設け、諸国を検察させている。
諸国はこれ(一大率)を畏れている。(一大率は)常に伊都国で治めている。
一大率は、伊都国に常駐してるよ
そして、一大率は「有如刺史」なのだから、地方官
こんなところからも、伊都国=邪馬台国説は破綻している
- 825 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 11:41:55.41 .net
- >>824
その、一大率は倭国(阿波)から派遣された「筑紫忌部なんですよ。 @阿波
- 826 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 12:06:37.73 .net
- >>824
>(一大率は)常に伊都国で治めている。
漢文の文法的に明らかな誤りですね。
(一大率は)常に伊都国で治められている。
が正しい意味です。
>一大率は、伊都国に常駐してるよ
畿内説は始めから破綻しているんですよ。
- 827 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 12:29:33.46 .net
- >>824
>そして、一大率は「有如刺史」なのだから、地方官
>こんなところからも、伊都国=邪馬台国説は破綻している
勝手な解釈だね。
伊都国に置かれた一大率が、地方(ここでは伊都から北の諸国)を検察していたのだから、それが刺史のようなんだよ。
それよりも、畿内説では伊都にいる一大率が治めている、女王国より北とはどこになるんだ?
京都か?若狭湾か?
- 828 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 14:36:38.81 .net
- 自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國
読み下し文
女王國ヨリ以北、特二一大率を置キ諸國ヲ檢察ス、諸國ハ之ヲ畏レ憚ウ。伊都國デ常二治ム。
文意
女王卑弥呼は、女王国より以北には特に一大率を置いて諸国を検察されている、諸國は一大率を恐れ敬っている。女王卑弥呼は、一大率を伊都国で常に治めている。
- 829 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 14:42:20.39 .net
- >>827
>それよりも、畿内説では伊都にいる一大率が治めている、女王国より北とはどこになるんだ?
陳寿の頭の中では
帯方郡
↓ 乍南乍東
狗邪韓國
↓ 始度一海(方角なしだけど南、南北市糴)
対馬
↓ 南渡一海
壱岐
↓ 渡一海(方角なしだけど南、南北市糴)
末慮
↓ 東南陸行
伊都
↓ 東南
奴国
↓ 東
不彌国
↓ 南
投馬国
↓ 南
邪馬台国
っていう認識なんだから、現実の地理ではなく、この陳寿の旅程に合わせて考えないと
女王国以北は、狗邪韓國から投馬国だよ
まあ、感覚的には投馬国が入るのは奇異な感じがするけれど、字義通りに読めばそうなる
- 830 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 14:58:59.49 .net
- >>829
文字通りに読んだら伊都国に一大率はいませんよw
- 831 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 15:25:57.04 .net
- では畿内は考える余地はないということで。
- 832 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 15:38:08.76 .net
- 文字どおりに読んでないからだよ
- 833 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 17:31:15.05 .net
- >>830
>文字通りに読んだら伊都国に一大率はいませんよw
>>826と合わせて
>>(一大率は)常に伊都国で治めている。
>漢文の文法的に明らかな誤りですね。
>(一大率は)常に伊都国で治められている。
>が正しい意味です。
これおかしいよww
治めるに、人・役職を治めるという意味は普通はない
人を目的語に取る場合は
「(犯罪・人などを)懲らしめる,処罰する,やっつける.」の意味になる
一大率を処罰したり、やっつけたらダメだろう
それも常にww
普通に読めば、
諸國畏憚之。常治伊都國。という並びなんだから、
「常治」の主語は、直前の「之」であり、「之」の指すところは「一大率」だよ
どうして、ここで「主語が女王」とかいう発想が出てくるのかが不思議
- 834 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 17:34:41.98 .net
- >>827
>伊都国に置かれた一大率が、地方(ここでは伊都から北の諸国)を検察していた
これが勝手な解釈
一大率が検察するのは、女王国より以北なんだから、投馬国も奴国も入るよ
そして、一大率は「有如刺史」なのだから、一大率のいるところ=伊都国が地方なんだよ
邪馬台国から、水行と陸行合わせて2ヶ月かかるんだから、しっかり地方だろうが
- 835 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:05:16.92 .net
- >>834
一大率が伊都から出兵したんだろ。
都から地方に向けて出陣する様が刺史のようだ。
- 836 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:06:00.34 .net
- >>834
>邪馬台国から、水行と陸行合わせて2ヶ月かかるんだから、しっかり地方だろうが
誤読ですね。
- 837 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:48:19.23 .net
- >>805
刺史の特徴は地方へ赴任することだけ
- 838 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:55:44.08 .net
- >>808
監察官たる刺史と、兵権も持つ「牧」があって、時代によって切り替わってる。
刺史が将軍を兼任するのは牧とは別だけど、その場合は軍権はあくまでも将軍職に由来するもので刺史とは無関係。単なる兼任。
戦時の司令官としての特徴を言いたいだけなら将軍なり都督なりと呼ぶべき。
刺史は単独では兵権を持たない、どころか統治権もない監察官。
>>814,816
どう見ても誤読誤訳
- 839 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:13:21.01 .net
- >>836
>誤読ですね。
いやさ、伊都国説の人が水行10日を、帯方郡起点だって言ってるのは知ってる
でも、それは自然な読み方ではないし、「平原1号墓が卑弥呼の墓だから」の逆算に過ぎない
そっちが牽強付会な誤読なんだよ
- 840 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:20:56.63 .net
- 倉本一宏も帯方郡起点説らしい
- 841 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:32:20.03 .net
- >>840
>倉本一宏も帯方郡起点説らしい
らしいってなんだよ、らしいってww
倉本一宏先生は、専門は天武・持統朝から藤原摂関政治の成立のあたりだろ
邪馬台国論争には踏み込んでないよ
- 842 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:41:49.82 .net
- >>841
「古代史から読み解く「日本」のかたち ((祥伝社新書)) 」
読んでないね
- 843 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:46:56.68 .net
- 自分の専門外のことに関しては、学者も正しくないことを言う事は多いからね
専門にしてる分野じゃないって時点で。
- 844 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:52:44.32 .net
- >>833
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國
読み下し文
女王國ヨリ以北、特二一大率を置キ諸國ヲ檢察ス、諸國ハ之ヲ畏レ憚ウ。伊都國デ常二治ム。
文意
(女王卑弥呼は、)女王国より以北には特に一大率を置いて諸国を検察されている、諸國は一大率を恐れ敬っている。(女王卑弥呼は、一大率を使い諸国を)伊都国で常に治めていた。
>「常治」の主語は、直前の「之」であり、
何で「常治」の主語は、直前の「之」の一大率?
一大率は卑弥呼の部下で女王国以北に居る官僚で女王国以北に居るのに同時に伊都国に常に居るのは変
この文全体が女王卑弥呼の事を説明した文章だから主語は女王卑弥呼だよ。
「治」られるのは諸国であり、「治」めるは女王卑弥呼だよ。
- 845 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:54:53.49 .net
- この話はとっくに他スレで論破済み
- 846 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 21:23:26.26 .net
- >>838
>監察官たる刺史と、兵権も持つ「牧」があって、時代によって切り替わってる。
>刺史が将軍を兼任するのは牧とは別だけど、その場合は軍権はあくまでも将軍職に由来するもので刺史とは無関係。単なる兼任。
なるほど。
だから検察となるわけか。
- 847 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 00:40:44.57 .net
- >>844
>何で「常治」の主語は、直前の「之」の一大率?
自分で貼ってる読み下し文、何も考えずに読んでごらん
読み下し文
女王國ヨリ以北、特二一大率を置キ諸國ヲ檢察ス、諸國ハ之ヲ畏レ憚ウ。伊都國デ常二治ム。
これに余計な言葉を補わずに読んだら、普通に「之」が常に治むとしか読めないだろう
ここ一帯の主語が卑弥呼だっていうのは「為にする決めつけ」だよ
- 848 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 07:36:17.21 .net
- >>847
一大率は検察するのが仕事だと書いてある
治めるのは一大率の仕事ではない。
「常治伊都國」この文は「之」だけを受けてるのでなく、「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之」全体を受けてるんだよ
こうやって女王卑弥呼jは治めてるって意味だよ。
- 849 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 07:37:45.05 .net
- >>845
何度論破されても同じ話を畿内説の人は繰り返してくるんだよな。
- 850 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 08:39:02.96 .net
- >>847
漢文の書き下し助詞にデはない
落第、顔洗って出直してこい。
- 851 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 08:56:03.61 .net
- >>844
>一大率は卑弥呼の部下で女王国以北に居る官僚で女王国以北に居るのに同時に伊都国に常に居るのは変
伊都国の位置を女王国より北、北方だと誤認してたら矛盾は出てこない。
地理の誤認がないことを大前提に置くから、有りもしない矛盾を幻視しちゃうんだよ
- 852 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 10:56:14.13 .net
- >>850
漢文の書き下し文にデを使ってはいけないなんてルールはありませんよ
分かり易ければそれで良し。
- 853 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 10:58:15.30 .net
- >>851
何を主張したいか意味が通じてませんよ?
- 854 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:05:54.26 .net
- >>852
イレギュラーな読み管しなので分かり難い
- 855 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:19:00.74 .net
- >>854
常ニ伊都國ニ治ム
とかだと何のことか分かり辛いだろ
常ニ伊都國デ治ム
なら意味が明快、伊都国を治めるとか変な勘違いする人もでないだろ。
- 856 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:21:33.24 .net
- 常ニ伊都国ニ治ス
- 857 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:25:52.72 .net
- 伊都国に大率役所が常設されてるんでしょ
- 858 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:28:29.41 .net
- 「常に伊都国を治める」でいいんじゃないの?
直接治めているのは伊都国で、そこから諸国を監察してる、
つまりは伊都国から諸国を監察している、で大意としてはいいんじゃないかと。
- 859 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:30:05.27 .net
- >>857
大率か一大率か知らんが女王国以北に居るのに伊都国に大率役所が常設って意味が分からんw
- 860 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:33:55.73 .net
- 出張して検察するわけだし、どこかに役所は必要だろ
- 861 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:39:12.67 .net
- 又州郡所駐曰治,如蜀刺史曰治成都,揚刺史曰治會稽。
http://www.zdic.net/z/1c/kx/6CBB.htm
- 862 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:47:52.61 .net
- 常ハ伊都ニ治ス
- 863 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 12:11:08.13 .net
- >>850
>漢文の書き下し助詞にデはない
>落第、顔洗って出直してこい。
それは>>844の九州説のヤツに言ってやってくれ
- 864 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 12:22:19.44 .net
- (諸国を監察する時以外の)普段は伊都に駐在している
- 865 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 12:35:43.27 .net
- 三國志当時も幽州刺史が東夷全体を監察していたわけで、国ごとに刺史(大率)がいたとか言ってるやつはアホ以外の何物でも無い
- 866 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 12:39:54.83 .net
- 焦点が少しずれてきているけど、一大率が「地方」官かどうかが今の問題
伊都国が邪馬台国の都だとする人は
南至邪馬壹國、女王之所都 とどういう関係を考えるのか教えて欲しい
なぜ、伊都国のところで、「女王之所都」と書かれないのか
伊都国説が通らないのは、これに答えられないからだよ
- 867 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:02:14.12 .net
- 邪馬台国は卑弥呼のふるさと、共立されて伊都国に移った
有先君之舊宗廟曰都
http://www.zdic.net/z/26/sw/90FD.htm
- 868 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:20:08.38 .net
- >>852
デを使うルールはない
いいか
デは存在しない。
高校入学からやり直せ。
- 869 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:35:12.45 .net
- >>866
>なぜ、伊都国のところで、「女王之所都」と書かれないのか
>>864
常は基本的に例外はない
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國」とは矛盾しますね。
>>866
「南至投馬國 水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸」
この文章は前後の文章とは別もので飛ばして読んでもいいもので
距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したものです
距離の行程は魏略にもありますから、張政等が倭に来る前から知られていたもので
時間の行程は張政等が新たに報告したものでしょう
女王国の領土には投馬国と邪馬壹國があり邪馬壹國
- 870 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:37:43.71 .net
- >>866
「南至投馬國 水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸」
この文章は前後の文章とは別もので飛ばして読んでもいいもので
距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したものです
距離の行程は魏略にもありますから、張政等が倭に来る前から知られていたもので
時間の行程は張政等が新たに報告したものでしょう
女王国の領土には投馬国と邪馬壹国があり邪馬壹国側に都が在ったってことですね
投馬国は狗邪韓国が在る朝鮮半島南岸の地域で邪馬壹国は伊都国を含む北部九州とすれば辻褄があいますね。
- 871 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:38:18.84 .net
- >>868
誰が決めたの?
- 872 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 14:29:01.41 .net
- 「常」は不変ではないよ
- 873 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 14:35:28.30 .net
- >>871
格助詞にデが存在しないから
以上終わり
- 874 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 16:52:11.03 .net
- >>868
>デを使うルールはない
>いいか
>デは存在しない。
>高校入学からやり直せ。
ずいぶん勝手な自分ルールを振り回しているけれど、
漢文の読み下しは、文語で書くというのが慣例になっているだけで、
別に口語文で書き下しても構わない
「デ」を使ってはいけないという決まりはそもそもない
それに「デ」が使いたくないなら、「ニテ」とすればよいだけの話で
「ニテ」なら文語でも書き下し文でも普通に使うし、意味も変わらない
- 875 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 16:54:15.35 .net
- >>873
>格助詞にデが存在しないから
>以上終わり
>>874の書き込みが遅くなって、恥の上塗りをさせてしまってごめんな
>>874でも書いたとおり、「デ」は「ニテ」を一字にした接続助詞だ
「二」が格助詞だから、問題ないだろ
バカなことでがんばったものだね
- 876 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 16:59:19.54 .net
- >>867
>邪馬台国は卑弥呼のふるさと、共立されて伊都国に移った
>有先君之舊宗廟曰都
これ、今までにも何度か否定してきたけれど、この説文解字の注は
左傳曰。凡邑有宗廟先君之主曰都、無曰邑。
で、左氏春秋伝での「都」の用法の解説を「例」として挙げたものであって、
「都」の定義でもなんでもない
それに、細かいことを言い出したら、墓と廟は違うから、伊都国にも廟はないよ
これは、伊都国が都であることの理由にはならない
- 877 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 17:02:29.98 .net
- >>869
>この文章は前後の文章とは別もので飛ばして読んでもいいもので
>距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したものです
これが無理がありすぎなんだよ
大陸の史書の、地理・旅程記事で「飛ばして読んでもいいところ」というのが、
他にもあるなら教えてくれ
ないなら、そのような読み方をすること自体に妥当性はなく、
自説に都合がよいだけの恣意的な読み方に過ぎない、ということになる
大陸の史書の、地理・旅程記事で
「距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したもの」
というのが、他にもあるなら教えてくれ
ないなら、そのような読み方をすること自体に妥当性はなく、
自説に都合がよいだけの恣意的な読み方に過ぎない、ということになる
- 878 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 17:24:29.36 .net
- >>875
接続助詞が名詞につかず
接続助詞は動詞にしかつかない。
お前は古文も落第だな。
- 879 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 18:12:19.01 .net
- >>876
そもそも伊都国は都じゃないでしょ
- 880 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 18:17:20.20 .net
- >>876
>で、左氏春秋伝での「都」の用法の解説を「例」として挙げたものであって、
>「都」の定義でもなんでもない
説文解字とはこういうもんだけど
左氏春秋伝その他古典文における用例を引用して漢字の意味を定義しているもの
お勉強が足りません
- 881 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 18:43:30.73 .net
- >>878
昔の人が書き下したから文語体になってるだけで
現代人が書き下せば現代文になるのは当然
アンタはアホじゃな。
- 882 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 18:55:35.63 .net
- >>876
説文解字は、「都=有先君之舊宗廟曰都。从邑者聲。周禮:距國五百里爲都。當孤切」
この部分で、漢字の意味、構造等を説明する。
下段の用例は、説文解字注で清の段玉裁が著したもの
- 883 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 19:47:37.42 .net
- >>878
「ニテ」は、現代語でも、古文でも、漢文の書き下しでも使うよな?
これを、文法的に解釈してくれ
- 884 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 19:52:02.96 .net
- >>880
>左氏春秋伝その他古典文における用例を引用して漢字の意味を定義しているもの
ここが嘘、
古典文における用例を引用して、漢字の意味の「成り立ち」を「解説」したもの
「定義」はしていない
そして、言語はその意味内容が変わっていくものでもある
「説文解字に書いてあるから、この字の意味はこれに『決まってる』」式の言説には
意味がない
>お勉強が足りません
半可通の言い訳ですね
- 885 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 19:57:41.59 .net
- >>882
>説文解字は、「都=有先君之舊宗廟曰都。从邑者聲。周禮:距國五百里爲都。當孤切」
>この部分で、漢字の意味、構造等を説明する。
で、「周禮:距國五百里爲都」の部分で、
「周礼では、こういう使い方をしている」ということだけを示しているに過ぎない
で、
>下段の用例は、説文解字注で清の段玉裁が著したもの
清の段玉裁が、周礼の中の該当部分を引用して示してくれていて、
周礼の左氏春秋伝の解説で、「先王の廟があるところを都、ないところを邑とする」
と書いてあるだけ
周礼が書かれたときには、そういう定義だったというだけ
それがその後ずっと、未来永劫、都の定義として通用する訳ではない
- 886 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 20:06:11.92 .net
- >>885
魏代の意味が重要でしょ、オツム大丈夫w
- 887 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 20:07:21.03 .net
- >>885
意味を定義なんて、新しい語句を創出するときだけだろ。何を有り得ないデタラメ言ってるんだよ
誰がどう見ても定義じゃなく説明と解説だぞ
- 888 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 20:48:34.52 .net
- つまり、都は"先王の廟があるところ"だから、
故郷でも京でもどっちの解釈も"あり"でしょ
卑弥呼の先王の廟がある所でいいと思うよ
この件は倭人伝の解釈のどの説でも問題なさそうだが
- 889 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:12:13.98 .net
- 都は"先王の廟があるところ"は元々の意味で、魏代には都は都。
- 890 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:16:46.93 .net
- >>889
エビデンスは?
- 891 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:27:32.19 .net
- >>886
>魏代の意味が重要でしょ、オツム大丈夫w
そうだよ?
説文解字に書いてあるのは魏代の意味じゃないだろ?
何を言ってるんだ?
頭悪いんじゃないか?
- 892 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:31:23.85 .net
- >>887
>意味を定義なんて、新しい語句を創出するときだけだろ。何を有り得ないデタラメ言ってるんだよ
>誰がどう見ても定義じゃなく説明と解説だぞ
オレもそう言ってるんだが、>>882が説文解字に書いてある意味が正しいとか抜かしてるからさ
- 893 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:31:31.01 .net
- >>890
三国志読んでみろw
- 894 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 22:00:05.93 .net
- >>890
>エビデンスは?
魏の都は洛陽
曹操の墓は西高穴2号墓で、河南省安陽市安陽県安豊郷西高穴村にある
洛陽じゃないね
さらにその前代は、安徽省亳県の城南一帯の古墳群が、曹操一族の墓
曹操の父・曹嵩と、祖父の曹騰の墓と推定されるものがここにある
これも洛陽じゃないね
ということで、魏の都は先王の廟とは無関係
- 895 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 22:56:35.84 .net
- >>883
ニテは
中国語で
於
字をつかうから
ニテの出番はない
- 896 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 23:33:08.46 .net
- >>894
もう少し前だと、後漢末期、董卓滅亡の少し後から魏への禅譲まで後漢の都は許県、曹操の墓が作られる地域に近い位置だったけど、
その先帝にあたる霊帝の墓所は洛陽だったしね
霊帝と献帝のあいだには廃帝(弘農王)がいるけど、廃帝は「先帝」にならないことも多い、特に「少帝」の場合。
(といっても、弘農王の墓所は洛陽だから、霊帝の墓所とあまり位置は変わらないけど)
- 897 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 02:03:03.23 .net
- >>894
洛陽は魏の京師だよ
- 898 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 02:05:27.21 .net
- >>891
説文解字は魏晋代にも普通に使われてるだろ、違うというなら魏代の意味が分かる字書を出して来いよ
オツム大丈夫かw
- 899 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 02:06:34.82 .net
- >>893
ないんだねw
- 900 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 02:42:50.92 .net
- 当時は都の事を「京」「京師」と呼んでおり、晋代に世宗司馬師に廟号が送られた結果、
諱の師を避け「京師」が、師と似た意味を持った都の漢字を使い「京都」と呼ばれる様になった。
ここから、「都」という漢字は三国時代当時にはまだいわゆる都を表す意味は無かったということ。
- 901 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 03:43:30.44 .net
- 史記における「所都」の用例
「又有?鹿故城,在?州東南五十里,本?帝所都也。」
「?鹿故城在山下,即?帝所都之邑於山下平地。」
「河東縣二里故蒲坂城,舜所都也。」
「陶城在蒲州河東縣北三十里,即舜所都也。」
・・・・・
- 902 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 03:45:06.25 .net
- あげ
- 903 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 06:37:32.02 .net
- 漢書における「所都」の例
「郊處各在聖王所都之南北」
「亳,殷所都也。」
「?邑,有??,詩?國,公劉所都。」
「朝歌,紂所都。」
・・・・・
- 904 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 06:40:19.14 .net
- 後漢書における「所都」の例
「臨?本齊國所都,即齊王宮,中有壞臺也。」
「?,文王所都,在京兆杜陵亭。」
「絳,晉國所都。」
「?,文王所都,在?縣東。」
「鎬,武王所都,在上林苑中。」
・・・・・
- 905 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 10:21:57.08 .net
- 史記以降、普通に都は今の首都と同じ意味で使われてるってことでOK?
- 906 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:00:11.55 .net
- よう分からんが、史記、漢書の用例を見て、説文解字は先祖の廟のあるところと纏めたんだよね
執筆時点からすると、すべて過去みやこだったとこなんじゃね
- 907 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:01:46.01 .net
- 執筆時点では、既にみやこではないということかな
- 908 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:27:18.34 .net
- まあ、語源や来歴を想像で書いてるんだから間違いや勘違いも多かったってことだわな
- 909 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:41:24.48 .net
- 説文解字は今でもバイブルだけどね
説文入門
「漢字の成立と用法について分類した六書によって各字の本質的意味を解き明かす。
成立から2000年近く経ち、研究が進んだ今日からみても、その解説はおおむね正しく、
権威をもった基本的な字書として重んじられている。」
- 910 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:43:34.21 .net
- >>906
>よう分からんが、史記、漢書の用例を見て、説文解字は先祖の廟のあるところと纏めたんだよね
説文解字は後漢代の西暦100年成立で、史記と漢書は成立しているが、
四書五経やその注釈書から語義を採っているのが多いんじゃなかったかな
- 911 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:48:25.21 .net
- >>880みたいに「用例を引用して漢字の意味を『定義』しているもの」だから、
それ以外の意味は認めない、的なことを言わずに参考にすればいいんだよ
三雲南小路遺跡があるから伊都国が都、なんていうのは暴論
- 912 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:57:01.02 .net
- 結論は、邪馬台国は「所都」であるから、過去の都、卑弥呼の故郷である。
共立後の卑弥呼のいたのは伊都国でFA
- 913 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 14:12:30.57 .net
- >>912
>邪馬台国は「所都」であるから、過去の都、卑弥呼の故郷である
これが暴論だって言うのに懲りないなぁ
所都は普通に王宮を置いたところだぞ
- 914 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 14:15:05.50 .net
- >>913
エビデンスは?
- 915 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 14:20:43.70 .net
- >>911
だから、「定義」じゃないってのに
- 916 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 14:48:23.68 .net
- >>911
>それ以外の意味は認めない
誰もそんなこと言ってないと思うんだが
当時の意味・用法を知りたいだけなんだけどね
- 917 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 14:49:26.94 .net
- >>913
>これが暴論だって言うのに懲りないなぁ
>所都は普通に王宮を置いたところだぞ
こう言い切る根拠をぜひ教えてください
- 918 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 16:58:18.57 .net
- >>895
>ニテは
>中国語で
>於
>字をつかうから
>ニテの出番はない
無駄に改行が多くて引用しにくいな
まあいいや
於に対応する書き下しでは「ニテ」を使うのを認めるんだな?
ならばまさに、
常治伊都國は、常治於伊都國を意味するんだから、「ニテ」を使うのは正統だろ?
於は、常に書かれる文字じゃなくて、省略されるときは省略されるんだから
そして、「ニテ」は「デ」に転化しうるんだから、問題ないだろ
- 919 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:01:28.65 .net
- >>915
>だから、「定義」じゃないってのに
だから、それは>>880に言ってやってくれ
「左氏春秋伝その他古典文における用例を引用して漢字の意味を『定義』しているもの 」
>>915が>>880なんじゃないのか?
- 920 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:06:11.42 .net
- 言い出しっぺは>>876 じゃないのか
- 921 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:20:05.97 .net
- >>879
伊都国で常に治めると書かれてるから
首都ですよ。
- 922 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:27:10.79 .net
- >>918
於がないので上告を棄却
- 923 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:28:04.46 .net
- >>914
>エビデンスは
>>901が示してくれているけれど、例えば史記の
涿鹿故城在山下,即黃帝所都之邑於山下平地。
涿鹿故城は山下に在り,即ち黃帝の都するところの邑は山下の平地なり
は、黄帝の都するところを示したものだが、黄帝は蚩尤を滅ぼして
天子になっているから、先君自体がいないぞ
単に、都は「天子の所在地」だよ
それに、説文解字の注では、先君の廟があるのが都で、ないのが邑と
いうことだったのに、ここでは黃帝所「都」之「邑」と、邑と都が
同じ場所に対して使われている
説文解字に頼って「都は先君の廟があるところ」と言い張ってもしょうがない
- 924 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:29:54.81 .net
- >>920
>言い出しっぺは>>876 じゃないのか
>>876は「定義じゃない」と言っている側だ
「左氏春秋伝での「都」の用法の解説を「例」として挙げたものであって、
「都」の定義でもなんでもない 」
- 925 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:31:15.51 .net
- >>921
>伊都国で常に治めると書かれてるから
>首都ですよ。
そこに意図的な誤読があるんだよ
伊都国にて常に治すのは、地方官の一大率
これを、主語は卑弥呼だと言い張るからおかしくなる
- 926 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 17:44:44.49 .net
- >>925
>伊都国にて常に治すのは、地方官の一大率
これでは一大率が伊都国と女王国以北に同時に居るみたいで意味が通じないし
一大率は諸国を検察したり治めたり支離滅裂
一大率は刺史の様なもので検察が仕事、女王国以北に居る
伊都国に居て治めてるのは卑弥呼でよ
- 927 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 18:13:24.73 .net
- >>925
激しく同意
伊都厨はいい加減論破されてることを自覚しろ。
- 928 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 18:26:34.45 .net
- 郡治や州治なんてのもあるんだから刺史の治所は首都ではないでしょ
刺史の居城は州治だよ
- 929 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 18:45:10.83 .net
- >>926
>これでは一大率が伊都国と女王国以北に同時に居るみたい
いや、伊都国は、女王国以北の国々の一つなんだから、
同時にというより「同じ場所」だろ?
何を言ってるんだ?
>一大率は諸国を検察したり治めたり支離滅裂
一大率は、諸国を検察することで統治権を行使してるんだから、問題ないだろ?
- 930 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 18:49:49.93 .net
- >>926
>一大率は刺史の様なもので検察が仕事、
刺史の役割は、時代によって異なるから、その一部「検察」だけが仕事と
言い張るのはチェリーピッカー的言辞だよ
>女王国以北に居る
これは>>929で答えた
>伊都国に居て治めてるのは卑弥呼でよ
ならばなぜ、魏志倭人伝で末慮国から伊都国に着いたところで
東南陸行五百里、到伊都國、女王之所都
と書かれていないのか?説明できないだろ?
邪馬台国と伊都国が「別の国」として書かれていることを、無視した上での暴論なんだよ
- 931 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 18:54:26.29 .net
- >>923
先君とは黄帝自身のことなんだろうな、黄帝の先君じゃあない。
都と邑の書き分けしたのは段玉裁だから説文解字とは関係ない。
- 932 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 18:55:36.60 .net
- >>930
そうだそうだ、その通りだ。
- 933 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 19:25:05.86 .net
- >>931
>先君とは黄帝自身のことなんだろうな、黄帝の先君じゃあない。
いや、「即黃帝所都之邑於山下平地」
黄帝の都するところの邑と書いてあるんだから、黄帝が都を置いた時点で
黄帝が先君ってはずがないよな?
無理に、最初に言ったことが正しいって言い張らなくていいよ
間違いは誰にでもある
>都と邑の書き分けしたのは段玉裁だから説文解字とは関係ない。
ごめん、これ、【正義】廣平曰の注記で、史記正義が元
史記正義は、唐の張守節(ちょう・しゅせつ)による『史記』の注釈書だよ
段玉裁も関係ない
でも、都が、「先君の廟のあるところ」とは『限らない』のは、
これではっきりしただろ?
- 934 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 20:37:40.58 .net
- >黄帝の都するところの邑と書いてあるんだから、黄帝が都を置いた時点で
>黄帝が先君ってはずがないよな?
黄帝は子孫からみて先君だろ
- 935 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 21:10:12.30 .net
- >>934
>黄帝は子孫からみて先君だろ
いやいや、子孫が置いた都じゃなくて、黄帝の都なのに何を言ってるんだ
詭弁にもなってないぞ
間違いは間違いと認めていいんだって
- 936 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 21:13:18.02 .net
- >>929
>>930
詭弁だな、見苦しいw
- 937 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 21:20:55.38 .net
- >いやいや、子孫が置いた都じゃなくて、黄帝の都なのに何を言ってるんだ
黄帝の都=子孫から見た先君の廟のあるところだろ、よく考えてみろ
- 938 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 21:31:12.72 .net
- >>937
その用例で「都=先君の廟のあるところ」と解釈するのは曲解が過ぎるというものだ
誤読や勘違いの方がマシとしか言えないレベルに無茶
- 939 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 21:40:49.93 .net
- 常ニハ伊都ニ治ス
- 940 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 21:54:17.49 .net
- >>938
ホントアタマ悪いな
- 941 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 22:02:08.42 .net
- これまで誰もしてこなかった読み方をするバカが悪い
- 942 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 22:20:50.83 .net
- だから、説文解字に書いてあるのは用例の解説であって、文字の「定義」じゃないんだから、
無理にそこに書いてあることに合わせようとする必要はないんだって!
- 943 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 22:28:30.20 .net
- >>940
>ホントアタマ悪いな
いや、頭悪いのは、>>931、>>934、>>937、>>940だぞ?
黄帝の子孫は天子になってないからな
黄帝は禅譲で血縁のないものに天子の座を譲ってるから
黄帝が「子孫からみて先君」ていうのは意味がない
いい加減に間違いを認めなよ
それを責めようってことじゃないんだから
- 944 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 22:29:32.63 .net
- 用例の解説=使用実績でしょ
そこにも出てこないのは用例がないということでしょ
違うというなら用例出して
- 945 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 22:30:14.68 .net
- >>943
黄帝は中国jんの先祖じゃないのかい
- 946 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 22:33:36.39 .net
- さらに言えば、今問題になっている黄帝の都、涿鹿故城は河北省張家口市三堡村
>>940が先君だと主張する黄帝の墓、黄帝陵は陝西省延安市黄陵県にある
都の涿鹿故城には、黄帝の廟もないんだ
これで間違いを認められるかな?
- 947 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 23:06:08.34 .net
- ということで、周礼の用例では都は先君の廟がある邑だが、そういう用例があるというだけで、
都は「天子の所在地」であり、「先君の廟のあるところ」とは『限らない』のは、
きっちり示せたな
- 948 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 06:44:53.32 .net
- 洛陽は京でしょ、都とは言わない
- 949 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 06:58:27.91 .net
- 細石神社は先帝の宗廟だと思うけど、伊都はあくまでも王都の意味で名付けられたと思う。
- 950 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 07:01:04.77 .net
- >>925
>伊都国にて常に治すのは、地方官の一大率
地方官と読むのは恣意的な読み方だね。
○率は中央官僚の官位だからだ。
- 951 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 07:02:36.53 .net
- >>930
>東南陸行五百里、到伊都國、女王之所都
>と書かれていないのか?説明できないだろ?
間にたくさんの注釈と修辞句が入ったのでわかりにくくなっているけど、文脈としては書かれているんだよ。
- 952 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 11:54:06.50 .net
- >>948
黄帝の都の例は、京じゃなくて「都」と書いてあるよな?
説文解字に書かれている、周礼の用例では都は先君の廟がある邑だが、
そういう用例があるというだけで、
都は「天子の所在地」であり、「先君の廟のあるところ」とは『限らない』のは、
きっちり示せただろ
伊都国が都って言うための根拠が一つ、根底からなくなるだけなんだから、
無理に抵抗せずに、素直に間違いを認めればすむことだよ
- 953 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 11:58:03.48 .net
- >>950
>地方官と読むのは恣意的な読み方だね。
一大率は刺史の如しと書かれていて、刺史は地方官であり居城は州治だ
ちゃんと根拠があって言っている
>○率は中央官僚の官位だからだ。
これ、単に音が似ているからってだけじゃないか
根拠として弱いよ
刺史のようなはっきりした特定の地位を示す名詞ではない
- 954 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:02:15.98 .net
- >>951
>間にたくさんの注釈と修辞句が入ったのでわかりにくくなっているけど、
間に、奴国と、不彌國と、投馬国の話が入っているのは、注釈でも修辞句でもないだろうが
別の国として書かれてるんだよ
>文脈としては書かれているんだよ。
「文脈としては」ってことは、「実際には書かれていない」ってことだな
書かれていないことを読まなきゃいけないなら、それは正しい読み方じゃないんだよ
- 955 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:16:03.05 .net
- >>950
地方官の用例は残ってるけど中央官の用例なんて残ってないだろ、デタラメ言うなよ。いつもだけど
- 956 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:19:51.75 .net
- 現天子の居処は京で、それ以前の天子の居処は都だな
- 957 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:26:14.92 .net
- 横からだけど、
お互いの地方官の中身が違うから、話が噛み合ってないよ
その人は中央政府から派遣されるから所属は中央だと言ってるんだよ。
あなたは中央政府の地方担当職務の官を 地方官とよんで、中央と地方のどちらの所属かは言及してない。
- 958 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:28:07.87 .net
- 国家公務員が派遣される先は都ではないな。
- 959 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:32:05.47 .net
- 地方公務員のわきゃあない
- 960 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:43:08.35 .net
- 刺史は中央所属だけど地方に派遣される官職だから地方官だよ
所属は中央だけど勤務場所が地方、現代なら中央官と呼ぶのかもしれんけど
刺史と同様なら地方で働く官であり、勤務場所は中央ではない。首都で働く官職じゃないんだよ
- 961 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 12:43:11.69 .net
- >>953
>>○率は中央官僚の官位だからだ。
>
>これ、単に音が似ているからってだけじゃないか
>根拠として弱いよ
百済の官位で似た名前がたくさんある。
徳率とか。
- 962 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:00:42.30 .net
- >>956
>現天子の居処は京で、それ以前の天子の居処は都だな
まあなんにせよ、都は先君の廟の有無とは関係ないってことで!
- 963 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:02:57.95 .net
- >>962
つまり、邪馬台国は所都だから、卑弥呼の祖先の居処ということだ
- 964 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:03:21.23 .net
- >>957
>その人は中央政府から派遣されるから所属は中央だと言ってるんだよ。
伊都国説の人は、一大率は中央官僚で、その一大率がいるところだから、
伊都国が都だと主張しているようなのですが、それは?
- 965 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:08:39.19 .net
- >>963
>つまり、邪馬台国は所都だから、卑弥呼の祖先の居処ということだ
黄帝のところでさんざんやっただろ
黄帝の都するところには、黄帝の祖先はいない
黄帝が都を置いたところだ
同様に、卑弥呼の都するところ、も、
卑弥呼が主語であり、都を置いた主体であって
卑弥呼の祖先の居処については「何の言及もない」
どうして九州説のやつは、きちんと論理的に否定された間違いを
認められずに暴れるんだろう?
- 966 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:10:12.85 .net
- さんざんやったろ
黄帝自身が祖先だから
黄帝の祖先は必要ない
- 967 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:13:38.10 .net
- >卑弥呼が主語であり、都を置いた主体であって
都を置いた主体である必要はないし、そのはずもないな
- 968 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:42:17.93 .net
- >>964
そうよ?
私見では
あなたの言う方が妥当で
伊都国が首都は成り立たない。
中央官僚がいるところを都にしたら日本に地方とか存在しなくて辻褄が合わない。
- 969 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:45:04.77 .net
- 何を言ってんのかわからん
- 970 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 13:51:02.30 .net
- 伊都国首都説は妄想ってことだよ
- 971 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:09:40.39 .net
- >>966
>さんざんやったろ
>黄帝自身が祖先だから
>黄帝の祖先は必要ない
そして、黄帝の墓も廟もないのは確認したな
>>946
黄帝の都、涿鹿故城は河北省張家口市三堡村
黄帝の墓、黄帝陵は陝西省延安市黄陵県にある
黄帝の都の話をしているときに、黄帝が祖先だとかどんな話題そらしだよ
「都の定義は先君の廟があるところ、根拠は説文解字」ってのが、間違いだってのを
どうしても認めたくないんだなw
- 972 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:12:41.55 .net
- 墓の話はしてないだろ
- 973 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:12:55.65 .net
- >>967
>都を置いた主体である必要はないし、そのはずもないな
都は「王の居処」
「卑彌呼之所都」は、卑弥呼の居所だろ
卑弥呼が主体じゃなかったら何だ?
- 974 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:15:32.41 .net
- >>972
>墓の話はしてないだろ
どこまで話をそらすんだよ?
もともとは伊都国説のヤツが、
「都というのは先君の廟があるところで、三雲南小路遺跡という古い王墓がある伊都国が都」
「根拠は説文解字にそう定義してあるから」
っていってたんだぞ!
- 975 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:16:27.17 .net
- >>973
女王だろ
- 976 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:16:59.21 .net
- >>974
知らんがな
- 977 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:56:10.47 .net
- >>976
関係ないなら横ぐちは挟まなくてよろしい
こっちは、話の通じないヤツ相手で面倒な思いをしてるんだから
なんにしても
「都というのは先君の廟があるところで、三雲南小路遺跡という古い王墓がある伊都国が都」
「根拠は説文解字にそう定義してあるから」
は、大間違いってことで確認できたな!
- 978 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 14:59:26.90 .net
- >>975
>女王だろ
だ〜か〜ら〜、その女王の居処が都だって話だろ!
卑弥呼の祖先は関係ない!
- 979 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 16:36:45.00 .net
- >>963
三雲南小路遺跡をはじめとした王墓があるから、代々の宗廟でも伊都で良い。
- 980 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 17:14:16.31 .net
- >>979
>三雲南小路遺跡をはじめとした王墓があるから、代々の宗廟でも伊都で良い。
昔の王墓があるところと、邪馬台国の都のあるところは無関係だってはっきりしたでしょ
奴国の須玖岡本遺跡D地点は無視ですか?
末慮国の、伊原鑓溝遺跡も王墓とされてるよ?
伊都国には限定されないね?
そして、いくら、末慮国、伊都国、奴国に200年も前の王墓があったところで
卑弥呼の都するところとは無関係だって、>>977までではっきりしただろ
もともと、説文開示の「説明」を『定義』だと言い張って始めた駄論なんだから、
先君の廟とかに、こだわればこだわるだけ、バカをさらすだけだぞ
- 981 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 18:07:49.38 .net
- 都は一杯あるということが確定したな
- 982 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 18:39:35.35 .net
- >>981
>都は一杯あるということが確定したな
王墓と都は、基本的に無関係
理解できますか?
倭女王が一人なら、倭女王の都は一つだよ
それが邪馬台国にある
伊都国にはない
それだけのこと
いい加減に>>867の
>邪馬台国は卑弥呼のふるさと、共立されて伊都国に移った
>有先君之舊宗廟曰都
これが間違いだって認めなさいな
- 983 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 19:00:21.21 .net
- 墓のことはもう誰も言ってないよ
- 984 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 19:01:11.17 .net
- 史記にも漢書にも一杯都が出てきてますが
- 985 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 19:02:14.48 .net
- つまり卑弥呼の先祖がいたのが邪馬台国だったということか、なるほど
- 986 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 20:29:28.08 .net
- >>985
>つまり卑弥呼の先祖がいたのが邪馬台国だったということか、なるほど
つまり、じゃないよ
これだから、九州説には論理がないって言われるんだ
卑弥呼の先祖がどこにいようが、卑彌呼のいるところが卑弥呼の都であり、
その卑弥呼の都のあるところが邪馬台国だよ
まあ、卑弥呼の先祖というか少なくとも数代前から大和にいたと思うがね
- 987 :日本@名無史さん:2018/05/05(土) 20:32:17.69 .net
- >>983
>墓のことはもう誰も言ってないよ
「もう」ってことは、最初はそう言っていて、旗色が悪くなったから、
というか「間違っていることがはっきりした」から、「話をすり替え」て
ごまかし中ってことだね!
- 988 :日本@名無史さん:2018/05/06(日) 12:43:37.44 .net
- 王都は伊都で確定。
- 989 :日本@名無史さん:2018/05/06(日) 12:54:14.36 .net
- いとおかし
- 990 :日本@名無史さん:2018/05/06(日) 18:07:47.79 .net
- 伊都厨あたまがおかし
- 991 :日本@名無史さん:2018/05/06(日) 19:00:39.00 .net
- 伊都
https://www.youtube.com/watch?v=9PgpgVf6GLQ
- 992 :日本@名無史さん:2018/05/06(日) 19:28:34.03 .net
- >>988
こういう根拠なしの無意味な言い切りを見ると、
精神勝利法が大事な人なんだなぁって思う
- 993 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 06:29:51.32 .net
- 伊都国が都っていうのの理由って結局、
平原1号墓が卑弥呼の墓っていう思い込みと
説文解字で都は先君の旧廟のあるところって書いてあるのを定義だって誤解したことの二つでしょ?
どちらも否定されたんだから、もう無意味だよね
- 994 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 07:24:59.38 .net
- >>993
何言ってんの?
- 995 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 07:50:37.12 .net
- 現実が見えない伊都クズ
- 996 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 09:27:20.09 .net
- >>994
>何言ってんの?
無意味な一言レスで何か言った気になってないで、
主張があるならきちんと根拠とともに書いて!
ないなら、無能なりに黙ってればいいよ
- 997 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 09:35:30.12 .net
- 九州説を理解せず批判しようとしても、訳の分からん主張にしかならないよ。
- 998 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 09:46:38.25 .net
- 信奉者の数だけある九州説を理解するのは難しいが
根元を批判して九州説を潰すのは簡単だったりする
- 999 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 09:48:30.48 .net
- 根本の批判ってなんや
- 1000 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 09:58:55.01 .net
- 基本
博多湾岸は倭国の顔
九州にはそこ以上の国はない
しかし女王のいる邪馬台国はそこから遠い
九州説終了
- 1001 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:03:14.31 .net
- >>993
「所都」が過去の都だというのは判明したんじゃないか
- 1002 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:19:30.92 .net
- どうやって?
- 1003 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:21:16.10 .net
- 史記〜後漢書の前例
- 1004 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:30:27.56 .net
- どんな前例?
- 1005 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:37:08.98 .net
- >>901〜>>904
- 1006 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:43:53.28 .net
- >>1005
おいおい
あんた漢文読めないの?
- 1007 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:45:58.83 .net
- イミフ
- 1008 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 10:52:27.38 .net
- 九州説は悲しい
- 1009 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 11:00:24.69 .net
- >>1005
あのなあ・・・
漢文に過去形はない
「もと所都」と書いてあったり
主語が過去の偉人だったりすれば
文脈で過去形とわかる
「所都」そのものに過去形の意味はない
常識の範囲でわかることだよ
- 1010 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 11:09:31.87 .net
- 文脈から全部過去だろ
- 1011 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 11:11:38.84 .net
- 現に都で「所都」と書いてある例を出せば終了じゃね
- 1012 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 11:19:35.54 .net
- 九州説はもう終了だよ
- 1013 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 11:29:49.12 .net
- 師古曰「京師、天子所都畿内也。」
- 1014 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 11:45:28.39 .net
- 終了
- 1015 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:03:54.22 .net
- これをもちまして解散!
- 1016 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:08:09.79 .net
- >>1013
どこにもないな、ウソはいかん
- 1017 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:10:38.59 .net
- >>1016
畿内ってある時点で嘘と気づけよ
- 1018 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:18:19.00 .net
- >>1000
>博多湾岸は倭国の顔
大陸と交渉していた博多湾沿岸が大陸から見た倭。
畿内はまだ中国と交渉していない。
- 1019 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:21:32.63 .net
- >>1018
>畿内はまだ中国と交渉していない。
だけど、倭国(阿波)はとっくに中国と交渉している現実。 @阿波
- 1020 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:35:24.56 .net
- >>1016
九州にはもうウソしか生きる道がない
あわれだな
- 1021 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:36:35.77 .net
- ウソしか言えない畿内説
- 1022 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:38:31.80 .net
- 無学と思想狂いが九州説を創り
愚昧と盲信が九州説を育て
そして無謀が殺した
- 1023 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:39:16.76 .net
- >>1021
どれがウソ?
- 1024 :日本@名無史さん:2018/05/07(月) 12:40:16.32 .net
- 漢文を読めないのが九州説の致命傷だね
- 1025 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
- 2ch.netからのレス数が1000に到達しました。
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