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九州の古代史【邪馬台国畿内説前提】

1 :日本@名無史さん:2015/09/18(金) 21:00:14.38 .net
古代九州の話となると邪馬台国論争に終始してしまうので、個別に語れる場所はないかと。
畿内説への反論は畿内説スレにて、九州説を前提とした古代九州の話は九州説スレにてどうぞ。

744 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 13:50:39.84 .net
柱の穴みただけでファンシーな爺さんだな

745 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 13:59:43.51 .net
纏向みたいなもんだ

746 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 14:04:17.81 .net
なぜ?

九州説はいつも理由が言えない

747 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 15:08:22.01 .net
平原古墳郡は別格だね
発掘品からして格上感がある
 
どこかで読んだが遺体の足の方に柱跡があり
これが太陽信仰で柱の影が遺体の膣にはいり
太陽と合体した〜みたいな見解だった
その柱を遠くから見たら箸に見えていたのかも
箸墓かと思えたな

748 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 15:18:56.05 .net
後漢代、倭国乱以前に栄えてたとこの遺跡だね、ひらばるって。

749 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 15:27:58.28 .net
>>748
明らかに倭国乱中か、乱後だよ?
乱前はありえないな

750 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 16:13:38.91 .net
>>747
>平原古墳郡は別格だね

この一言で、平原遺跡の全景が分かっていないのが丸分かり
平原遺跡は、5つの周溝墓が確認されている弥生墳墓群で、古墳群ではない

そして、最大の1号墓で12メートル×8メートルという墳丘サイズ
残り4つはさらに小さい

1号墓以外めぼしい副葬品のあるものはない
伊都国王墓の地からも離れたところにある

おそらくは、伊都国王家に妃を出した伊都国有力家系の家族墓地
1号墓の被葬者は伊都国王妃くらいだろう

751 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 18:29:55.30 .net
>>740
正解

752 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 20:43:19.80 .net
>>750それでも女性が埋葬された中では別格な埋葬品でしょ?
全部割られた鏡から想像すると「甦り防止」もあったと思う 
甦り防止ってことは、祭司者か占い師だったかも知れない
鏡の大きさ日本最大級46センチも卑弥呼級の
人物しか持てない大きさだと思っている
じゃあ聞きたいけど自分の娘や親族をなぜ別の場所に埋葬するんだい?
しかも違う埋葬方法で?
 

753 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 21:37:16.44 .net
>>752
>女性が埋葬された中では別格な埋葬品でしょ?

丹波の大風呂南墳丘墓とか調べてごらん
鏡以外は平原より上だよ

結局、平原1号墓は立派な仿世鏡がたくさん出た、以上ではないんだよな

伊都国、奴国に青銅器の工房があったのは認めてよいだろう
伊都国の青銅器生産を担う一族から、伊都国王妃が出て、それをその一族の
家族墓地に葬った、というのが一番妥当だと思う

>じゃあ聞きたいけど自分の娘や親族をなぜ別の場所に埋葬するんだい?
>しかも違う埋葬方法で?

これは何との比較を意図してるんだい?
伊都国の鏡作りの一族が、その娘を葬ったと思っているんだが
本来の伊都国王家の一員じゃないと思ってるよ

754 :日本@名無史さん:2018/04/30(月) 22:08:14.63 .net
日本の国宝一覧

考古資料の部

弥生時代

* ▪ 金印(漢倭奴国王印) (福岡市博物館)
* 袈裟襷文銅鐸(両面在画像)2口、袈裟襷文銅鐸8口、銅鐸1口、流水文銅鐸3口、銅戈7口(神戸市灘区桜ヶ丘町出土)(神戸市立博物館)
* 福岡県平原方形周溝墓出土品 一括 (国(文化庁)所有、伊都国歴史博物館保管 弥生時代〜古墳時代)
* 袈裟襷文銅鐸〈伝讃岐国出土〉(東京国立博物館)
* 島根県荒神谷遺跡出土品 (国(文化庁)所有、島根県立古代出雲歴史博物館保管)
* 島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸 39口 (国(文化庁)所有、島根県立古代出雲歴史博物館保管)

755 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 08:20:31.63 .net
>>753
>伊都国の鏡作りの一族が、その娘を葬ったと思っているんだが
>本来の伊都国王家の一員じゃないと思ってるよ

アホだろ。
じゃあ、その鏡作りの一族の本家の墓は?
伊都国王家の他の墓は?
副葬品の格は王家の一員というよりも王そのものだろう。
卑弥呼であることを認めたくないから、根拠のない作り話ばかり。
これが畿内説の限界。

756 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 08:21:13.07 .net
>>754
出雲と筑紫の二強。
記紀の記載の通り。

757 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 09:14:57.82 .net
クモが出立する/した出雲、たくさん/いっぱい隔てる八重垣。
地名と言うより行動、行程の事じゃないの?

758 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 09:47:33.82 .net
>>755
>じゃあ、その鏡作りの一族の本家の墓は?

それが、平原遺跡の2号墓から5号墓だろ
伊都国内では有力家系で、家族墓地を持っていてもその程度なんだよ
その中で、1号墓の被葬者は伊都国王家に嫁いで、彦姫のヒメ王まで担当したから
がんばって、いっぱい副葬したんだよ

>伊都国王家の他の墓は?

基本的に、伊都国王家は三雲遺跡群の範囲内に墓を作っている
三雲南小路遺跡も井原鑓溝遺跡も、古墳時代に入ってからの
端山古墳、築山古墳も三雲遺跡群の中だ

三雲南小路から端山古墳の間の王墓は、検出されていないが
あるならば三雲遺跡群の範囲内である可能性が高い
実際に王墓と言えるものがなかった可能性もある

>副葬品の格は王家の一員というよりも王そのものだろう。

王といっても、「地域首長レベル」なんだよ
出雲や吉備、丹波の首長墓と比べて、突出した豪華さはないし
何よりも小さい
径百歩の墓というのから逃げ続けないといけない倭女王の墓と
いうのはむなしくならないか?

759 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 11:32:04.10 .net
倭国が筑紫プラスアルファくらいの範囲なら、ぴったりなわけで。
卑弥呼だけ伊都筑紫王家ではなく肥国王家から共立されたという立場なので、配置も問題ないな。
平原遺跡が卑弥呼の墓でなんの矛盾もない。

760 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 11:55:19.87 .net
>>759
>平原遺跡が卑弥呼の墓でなんの矛盾もない。

お粗末。 恥ずかしくないのかね?  @阿波

761 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 15:28:15.84 .net
>>759
>倭国が筑紫プラスアルファくらいの範囲なら、ぴったりなわけで。

九州説(伊都国説)の人って、倭国を小さく小さくしたがるよね

でもその前に、
・伊都国かどこかに着いた時点で邪馬台国到着みたいなこと言ってないとおかしくね?
 なんで奴国や投馬国から移動してからやっと邪馬台国に着いたみたいな書き方してんだ
・たとえば倭なら韓半島の南岸の時点でもう名前が出てくるぞ
・邪馬台国のことを女王の都だとはっきり書いてる魏志倭人伝を無視するの?

762 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 15:30:18.67 .net
伊都国は倭国の京

763 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 16:41:47.45 .net
>>762
>伊都国は倭国の京

言いたいのは 委国の都で伊都国ってことかな?

でも、それなら、伊都国に着いたところで邪馬台国到着ってことになってないとおかしくないか?
どうして奴国や投馬国から移動してからやっと邪馬台国に着いたみたいな書き方になっているのかな?
たとえば倭なら韓半島の南岸の時点でもう名前が出てきてる
邪馬台国のことを女王の都だとはっきり書いてる魏志倭人伝を無視するの?

764 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 16:46:08.83 .net
邪馬台国なんてないんだよ

765 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 17:58:52.69 .net
>>763
>でも、それなら、伊都国に着いたところで邪馬台国到着ってことになってないとおかしくないか?

やれやれ、やっと伊都に到着した。
ここが使いがいつも逗留するところだ。

そんな意識が伝わってくるだろう?

766 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 18:11:48.11 .net
>>765
>そんな意識が伝わってくるだろう?

来ねーよ!
どこの電波受信してるんだよ!

「どうして奴国や投馬国から移動してからやっと邪馬台国に着いたみたいな
 書き方になっているのかな?」

767 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 19:45:40.00 .net
>>763
これがその邪馬台国到着って文だよ
「世有王 皆統屬女王國」
意味は「魏の世に倭王がいた、倭の国々の王は皆、女王国(邪馬台国)に統属されていた。」だよ。
女王国(邪馬台国)の都が伊都国なんだよ。

768 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:04:23.45 .net
邪馬台国=連合国の考えは初めは受け入れ難いよね
しかし、日程記述の部分は別情報の可能性が指摘されており、それなら可能性はあり、と今は思う

可能性の一つとしてね

どちらにせよ、使者は伊都国から進んでる様子がないので、卑弥呼は伊都国の近くにいたと思うけど

769 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:07:08.70 .net
千戸しかいない伊都国に王がいて
二万戸もある奴国に王がいないってのはどうなのかな?
後漢時代に金印もらった時は確かに奴国に王がいたはず
「世有王 皆統屬女王國」
これはもともと奴国の説明だったのが錯簡で伊都国の後にきちゃっただけじゃないの?

770 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:11:55.22 .net
>>769
ニューヨークとワシントンD.C.を見れば、別に奴国と伊都国の人口比率など気にはならないよ。

771 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:15:35.79 .net
>>769
むしろ、伊都国側が、倭奴国を昔の奴国と錯覚させたのかもしれない。
前漢の頃は考古学的にも奴国に王墓があるのだが、後漢の頃はすでに王墓は伊都国側にあるんだよ。
金印も、伊都国の細石神社が江戸時代まで保管していたという噂だよ。
細石神社は金印をもらった頃に作られた三雲南小路遺跡の拝殿を兼ねていたと思われる。
漢委奴国王は伊都国にいたんだよ(多分)。

772 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:26:09.67 .net
>>769
後漢書に出てくるのは倭奴国であって奴国じゃない
魏志倭人伝の奴国ではない。

773 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:36:12.28 .net
>>769
>千戸しかいない伊都国に王がいて

伊都国は、魏略逸文では一万戸の大国となっている
「東南五百里 到伊都國 戸万余」

平野の規模的にいって、一万戸はきつそうとは思うけれど、
魏志倭人伝での重要視からいくと、一万戸でもありかなとも思う

774 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:38:12.03 .net
伊都国にいた一大率が北九州における権力の中心だから
奴国王も普段は伊都国に出張してたんだろ
だから伊都国王じゃなくて正確には「伊都国にいた奴国王」

>>772
そういう小学生レベルの言葉遊びはろくに漢文よんだことないからできるんだよ
漢文に親しんだことのないやつは表面の字づらだけで辻褄あわせようとする
漢文の語感も慣用もなにもしらないからな

775 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:38:38.03 .net
>>767
>これがその邪馬台国到着って文だよ
>「世有王 皆統屬女王國」

普通に読んで、そうは読めないだろ
自然な読み方ではない
何しろ、伊都国と邪馬台国が別の国名で別のところに書いてあるんだから
それを同一視するのは、まともな読み方ではないよ

どうして、そんなに伊都国を邪馬台国にしたがるのかが不思議
伊都国が邪馬台国だったら、邪馬台国の官がいるのに
なぜ一大率がいるのかとか、自然には説明がつかないことが多すぎ

伊都国説は邪説だと思う

776 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:52:23.71 .net
>>775
>伊都国が邪馬台国だったら、邪馬台国の官がいるのに
>なぜ一大率がいるのかとか、自然には説明がつかないことが多すぎ

都だからだよ。
東京だって、都知事もいれば総理大臣も官房長官もいる。
纒向なんて、魏志倭人伝に名前すら出てこないだろ。

777 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:54:19.73 .net
>>772
>>769
>後漢書に出てくるのは倭奴国であって奴国じゃない
>魏志倭人伝の奴国ではない。

そうそう。
倭奴国は伊都国だと思うね。
ただ、あえて誤解を誘導したか、誤解を放置したか。
よく言えば、掛詞や所縁のような感覚だったのかもしれない。

778 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:54:55.58 .net
「刺史の如し」っていってんだから地方官じゃないの?

779 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 20:57:19.93 .net
むりやりだなぁ
奴国と伊都国が別々にあるのに奴国が倭奴国じゃなくて伊都国が倭奴国だなんて
不自然すぎんだろw 誰がついてくんだよ

780 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:05:14.59 .net
>>779
日本人はそういう言い換えが文化だよ。
古典文学とか和歌とか、そんなのばかり。
そして考古学的に、奴国から伊都国に王権が移動しているのに、後漢書の記載はどつちともつかない倭奴国。
少なくとも倭奴国が奴国だという根拠がない。

781 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:06:42.09 .net
おいw
魏志倭人伝を書いたの日本人だっていうのかよw

782 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:07:48.79 .net
少なくとも王権が奴国から伊都国に移動したという証拠がない。

783 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:08:57.50 .net
倭国の中の奴国なんだから倭奴国だろうよ

784 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 21:38:53.19 .net
>>777
ついでに面土国もか?

785 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:08:03.11 .net
倭面土がヤマトかということ?
中国人が音に漢字を当てる時、あいつら(倭人)は顔にも刺青しているから、この字で書こうぜ!いいね!くらいのことは考えたかもね。

786 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:08:27.96 .net
>>783
>倭国の中の奴国なんだから倭奴国だろうよ

根拠なし。

787 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:30:58.24 .net
根拠も糞も、普通の漢文表現だよ。

788 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:35:00.44 .net
>>776
刺史のごとき官がいたとされている伊都は、首都圏から離れた場所であって、地方官の駐屯所なんだよ
刺史は首都圏から離れた場所を監督する官だからね

789 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:36:30.36 .net
首都にいた大率が、地方である対馬海峡を視察して回ったんだろう。

790 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:37:08.92 .net
>>787
じゃあ、匈奴は匈の中の奴国なのか?

791 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:40:44.20 .net
>>776
>都だからだよ。
>東京だって、都知事もいれば総理大臣も官房長官もいる。

近代国家と比べても意味がないぞ
近代国家は権力の分立や職掌範囲という概念があるが、古代の王はオールマイティだ
国家の中枢に権限を持つ代官を置いたら、権限のバッティングによる混乱の元にしかならない

>纒向なんて、魏志倭人伝に名前すら出てこないだろ。

纒向以前に、邪馬台国=ヤマト国って明記されてるじゃないか
官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮
の伊支馬イキマはイクメイリヒコ、彌馬升ミマキはミマキイリヒコでもおかしくないと思うし

792 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:47:16.26 .net
>>777
>ただ、あえて誤解を誘導したか

史書で誤解を誘導する必要はどこにもない

それ以前に、魏志倭人伝の其餘傍国の最後の奴国を、九州の奴国と勘違いした可能性は結構高い
そうでなければ、極南界という言葉は出てくる必然性がまるでないから

793 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:47:41.93 .net
>>791
>近代国家は権力の分立や職掌範囲という概念があるが、古代の王はオールマイティだ

大率を含め、権力の分化が進んでいたのが邪馬台国だよ。
魏志倭人伝は、その成熟した政治体制を報告し、金印にふさわしい国家体制であることを示している。
君の頭の中の古代国家観は、邪馬台国にはあてはならない。
卑弥呼はあくまでも象徴なんだよ。
外交専門に見えるね。

794 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:51:45.01 .net
>>789
>首都にいた大率が、地方である対馬海峡を視察して回ったんだろう。

自女王國以北、特置一大率、檢察諸國。諸國畏憚之。「常治伊都國。」
って書いてあるね

常に伊都国で治めるんだから、視察して回ったりはしないだろ

795 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:53:40.73 .net
諸国を検察する、はどうした?

796 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 22:55:47.39 .net
>>793
>大率を含め、権力の分化が進んでいたのが邪馬台国だよ。

また都合のいい憶測を書いてるな
権力が分化していない古代国家だから、「全権を持つ代官」が地方に置かれるんだよ

797 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 23:08:11.49 .net
程度の問題だ

798 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 23:10:55.70 .net
奴国王=難升米は外交担当。伊都では副官(兕馬瓠)=奴では大官(泄膜瓠)
伊都国の一大率は軍事指揮官。伊都の大官(爾支)

どっちも任命してるのは邪馬台国の卑弥呼だろうが
一人に権力が集中しないように分担させてるんだよ

799 :日本@名無史さん:2018/05/01(火) 23:18:31.28 .net
伊都国のぞいて諸国の副官はみな「卑奴母離」これは辺防の意で武官
伊都国の一大率から派遣されてるんだろう。
だから一大率は伊都国にいながらにして「諸国を検察」してる。
諸国に大官と副官がセットになってるのは内政を担当する現地首長と
軍事を担当する査察官とが分離してるのであって
オールマイティな権力者など存在しない

800 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 00:07:06.79 .net
>>794
常に伊都国「で」治めてたのか、「を」治めてたのかは判別できないけどね

地方官たる一大率(刺史のごとし=地方官、職場は中央ではないところ)が常に伊都国で働いていることは間違いなさそうではあるよね
伊都が中央ではなく地方拠点だと確定する

801 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 00:09:49.45 .net
一大率を置いたのは自女王國以北

伊都国で治める

伊都国で諸国を治めるとの意味合いかな

802 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 00:21:19.92 .net
刺史ってのは、首都から遠く離れた任地に赴任して地方統治にあたる、出先機関の長だよ
首都近辺で働く役職じゃない

それと似てるんだから、首都から離れたところで働いていたことは確定で動かせない

803 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 00:26:18.93 .net
>>800

自女王國以北、特置一大率

一大率は伊都国にいたとは限らない

常治伊都國

やはり主語が大事だね
一大率でも女王でも、どちらとも可能性がある

一大率を置いたのは女王
では、治めたのも女王でもいいね

その様子を刺史のごとしと説明した、でもよさそう

804 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 06:09:34.29 .net
デタラメは駄目



 

805 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 07:30:03.09 .net
>>802
>首都近辺で働く役職じゃない

伊都を首都にしたくないための詭弁。
周辺地域を治める点で刺史に似ているとしたなら、問題ない。

806 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 07:33:33.07 .net
自女王國以北、特置一大率
常治伊都國

伊都にいながら女王国から北を治めたなら、女王国も九州。
女王国が纒向なら、伊都にいながら京都あたりを治めることになってしまう。

807 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 07:41:16.98 .net
伊都には官が置かれているので、大率は伊都を治めるのではなく、伊都の周辺を治めるためのもの。
周辺地域を治めるから刺史に似ている。
伊都を治める官は大率とは別に禰宜と記載されている。

808 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 08:35:03.73 .net
魏晋の時代の刺史が将軍位を持って兵権の行使も行うことがほとんどとなり、
「領兵刺史」と呼ばれたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%BA%E5%8F%B2

だから一大率は戦時の司令官という意味で刺史に似ているという意味なのではないか?

809 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 08:48:58.51 .net
おそらくほとんどの官は武力を持たない。
伊都(女王国)から北、対馬海峡における海兵力が一大率だろう。
最大の要所を鎮守する倭国の精鋭。

810 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 08:53:04.86 .net
大率と云う漢字(率)の謎
魏の時代  渠帥、小帥、長帥、主帥、大帥 と 帥 の漢字を用いている。
百済では  達率、恩率、徳率、杆率、奈率 と 率 の漢字を使った役職があった。
百済は4世紀の時代ですので、卑弥呼より時代が後です。
帥 も 率 も スイ、ソチ とも読めます。意味も「ひきいる」と云う意味で同じです。
4世紀は、倭国が朝鮮半島を支配していた時代でもあります。
さらに帥は後の太宰府長官、九州の支配者でもあります。

811 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:10:22.02 .net
>>804
一大率が伊都国にいたとか出鱈目を言い出したのは誰?

812 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:13:54.25 .net
一大率は、女王国(伊都)にいて、女王国(伊都)から北の諸国(地方)を検察した。
(地方を検察する様は)刺史の如くである。

813 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:14:20.81 .net
>>811
陳寿

814 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:15:27.27 .net
>>806
自女王國以北 特置一大率・・・一大率は自女王國以北に居る。
常治伊都國・・・常に治める者は伊都国に居る。
一大率と常に治める者は明らかに別人ですね。

815 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:16:48.03 .net
>>813
陳寿はそんなこと書いてないよ
誰か日本人が訳す時に創作してる。

816 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:19:18.41 .net
>>812
原文通りだと
一大率は、女王国以北にいて諸国を検察し、伊都で常に治められていた。
(地方を検察する様は)刺史の如くである。

817 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:21:15.60 .net
奴国が倭の極南だから女王国は=奴国であって伊都が王都ではない。

818 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:27:08.09 .net
>>817
極南界は倭奴国ですよ
倭奴国が金印を貰って倭国王になった。

819 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:40:01.09 .net
倭国の王都は倭奴国ということですね。
女王国から北を鎮守する大率はその隣の伊都国にいたと。

820 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:44:53.94 .net
>>816
原文どおり読んでないね

821 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:49:33.80 .net
>>731
淡路島(三原郡。現、南あわじ市)に在るのが大和大国魂神社。(淡路国二宮。名神大。)
大和神社の分社と伝わり、明治以前、一千数百年の永きにわたり、祭神はイザナミ大神と深く信奉されてきた。
社伝によれば創建には大和神社の初代神主、磯城長尾市や更には倭宿禰などの名が伝わり、かなり古い時代から在った事が窺われます。

律令の下、一宮であるイザナギ神社より常に手厚い対応(お手当て。税の配分)がなされた。

822 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:57:34.06 .net
金印を貰うくらいだから奴国は北部九州(福岡平野と筑紫平野)くらいは治めていただろう

それが後年、邪馬台国の支配下に入った時に福岡平野側を邪馬台国の直轄地として
独立させたのが伊都国ではなかろうか

823 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 11:20:34.02 .net
>>821
>大和神社の分社と伝わり、明治以前、一千数百年の永きにわたり、祭神はイザナミ大神と深く信奉されてきた。

その「伊邪那美命」が日本で唯一、阿波でのみ祀られている不思議。  @阿波

式内社 阿波國麻殖郡「伊邪那美神社」
http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/07/005405

824 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 11:35:10.45 .net
自女王國以北、特置一大率、檢察諸國。諸國畏憚「之」。常治伊都國。

九州説系の人たちは、「之」を無視している
「之」は一大率だよ
分かりやすく訳すとこんな感じ

女王国より北では、特に、“一大率”という役職を設け、諸国を検察させている。
諸国はこれ(一大率)を畏れている。(一大率は)常に伊都国で治めている。

一大率は、伊都国に常駐してるよ
そして、一大率は「有如刺史」なのだから、地方官
こんなところからも、伊都国=邪馬台国説は破綻している

825 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 11:41:55.41 .net
>>824
その、一大率は倭国(阿波)から派遣された「筑紫忌部なんですよ。  @阿波

826 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 12:06:37.73 .net
>>824
>(一大率は)常に伊都国で治めている。

漢文の文法的に明らかな誤りですね。
(一大率は)常に伊都国で治められている。
が正しい意味です。

>一大率は、伊都国に常駐してるよ

畿内説は始めから破綻しているんですよ。

827 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 12:29:33.46 .net
>>824
>そして、一大率は「有如刺史」なのだから、地方官
>こんなところからも、伊都国=邪馬台国説は破綻している

勝手な解釈だね。
伊都国に置かれた一大率が、地方(ここでは伊都から北の諸国)を検察していたのだから、それが刺史のようなんだよ。

それよりも、畿内説では伊都にいる一大率が治めている、女王国より北とはどこになるんだ?
京都か?若狭湾か?

828 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 14:36:38.81 .net
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國

読み下し文
女王國ヨリ以北、特二一大率を置キ諸國ヲ檢察ス、諸國ハ之ヲ畏レ憚ウ。伊都國デ常二治ム。

文意
女王卑弥呼は、女王国より以北には特に一大率を置いて諸国を検察されている、諸國は一大率を恐れ敬っている。女王卑弥呼は、一大率を伊都国で常に治めている。

829 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 14:42:20.39 .net
>>827
>それよりも、畿内説では伊都にいる一大率が治めている、女王国より北とはどこになるんだ?

陳寿の頭の中では
帯方郡
↓ 乍南乍東
狗邪韓國
↓ 始度一海(方角なしだけど南、南北市糴)
対馬
↓ 南渡一海
壱岐
↓ 渡一海(方角なしだけど南、南北市糴)
末慮
↓ 東南陸行
伊都
↓ 東南
奴国
↓ 東
不彌国
↓ 南
投馬国
↓ 南
邪馬台国

っていう認識なんだから、現実の地理ではなく、この陳寿の旅程に合わせて考えないと
女王国以北は、狗邪韓國から投馬国だよ
まあ、感覚的には投馬国が入るのは奇異な感じがするけれど、字義通りに読めばそうなる

830 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 14:58:59.49 .net
>>829
文字通りに読んだら伊都国に一大率はいませんよw

831 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 15:25:57.04 .net
では畿内は考える余地はないということで。

832 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 15:38:08.76 .net
文字どおりに読んでないからだよ

833 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 17:31:15.05 .net
>>830
>文字通りに読んだら伊都国に一大率はいませんよw

>>826と合わせて
>>(一大率は)常に伊都国で治めている。

>漢文の文法的に明らかな誤りですね。
>(一大率は)常に伊都国で治められている。
>が正しい意味です。

これおかしいよww
治めるに、人・役職を治めるという意味は普通はない
人を目的語に取る場合は
「(犯罪・人などを)懲らしめる,処罰する,やっつける.」の意味になる
一大率を処罰したり、やっつけたらダメだろう
それも常にww

普通に読めば、
諸國畏憚之。常治伊都國。という並びなんだから、
「常治」の主語は、直前の「之」であり、「之」の指すところは「一大率」だよ
どうして、ここで「主語が女王」とかいう発想が出てくるのかが不思議

834 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 17:34:41.98 .net
>>827
>伊都国に置かれた一大率が、地方(ここでは伊都から北の諸国)を検察していた

これが勝手な解釈
一大率が検察するのは、女王国より以北なんだから、投馬国も奴国も入るよ
そして、一大率は「有如刺史」なのだから、一大率のいるところ=伊都国が地方なんだよ

邪馬台国から、水行と陸行合わせて2ヶ月かかるんだから、しっかり地方だろうが

835 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:05:16.92 .net
>>834
一大率が伊都から出兵したんだろ。
都から地方に向けて出陣する様が刺史のようだ。

836 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:06:00.34 .net
>>834
>邪馬台国から、水行と陸行合わせて2ヶ月かかるんだから、しっかり地方だろうが

誤読ですね。

837 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:48:19.23 .net
>>805
刺史の特徴は地方へ赴任することだけ

838 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:55:44.08 .net
>>808
監察官たる刺史と、兵権も持つ「牧」があって、時代によって切り替わってる。
刺史が将軍を兼任するのは牧とは別だけど、その場合は軍権はあくまでも将軍職に由来するもので刺史とは無関係。単なる兼任。

戦時の司令官としての特徴を言いたいだけなら将軍なり都督なりと呼ぶべき。
刺史は単独では兵権を持たない、どころか統治権もない監察官。

>>814,816
どう見ても誤読誤訳

839 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:13:21.01 .net
>>836
>誤読ですね。

いやさ、伊都国説の人が水行10日を、帯方郡起点だって言ってるのは知ってる
でも、それは自然な読み方ではないし、「平原1号墓が卑弥呼の墓だから」の逆算に過ぎない
そっちが牽強付会な誤読なんだよ

840 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:20:56.63 .net
倉本一宏も帯方郡起点説らしい

841 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:32:20.03 .net
>>840
>倉本一宏も帯方郡起点説らしい

らしいってなんだよ、らしいってww

倉本一宏先生は、専門は天武・持統朝から藤原摂関政治の成立のあたりだろ
邪馬台国論争には踏み込んでないよ

842 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:41:49.82 .net
>>841
「古代史から読み解く「日本」のかたち ((祥伝社新書)) 」
読んでないね

843 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:46:56.68 .net
自分の専門外のことに関しては、学者も正しくないことを言う事は多いからね
専門にしてる分野じゃないって時点で。

844 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:52:44.32 .net
>>833
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國

読み下し文
女王國ヨリ以北、特二一大率を置キ諸國ヲ檢察ス、諸國ハ之ヲ畏レ憚ウ。伊都國デ常二治ム。

文意
(女王卑弥呼は、)女王国より以北には特に一大率を置いて諸国を検察されている、諸國は一大率を恐れ敬っている。(女王卑弥呼は、一大率を使い諸国を)伊都国で常に治めていた。

>「常治」の主語は、直前の「之」であり、
何で「常治」の主語は、直前の「之」の一大率?
一大率は卑弥呼の部下で女王国以北に居る官僚で女王国以北に居るのに同時に伊都国に常に居るのは変

この文全体が女王卑弥呼の事を説明した文章だから主語は女王卑弥呼だよ。
「治」られるのは諸国であり、「治」めるは女王卑弥呼だよ。

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