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九州の古代史【邪馬台国畿内説前提】
- 1 :日本@名無史さん:2015/09/18(金) 21:00:14.38 .net
- 古代九州の話となると邪馬台国論争に終始してしまうので、個別に語れる場所はないかと。
畿内説への反論は畿内説スレにて、九州説を前提とした古代九州の話は九州説スレにてどうぞ。
- 813 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:14:20.81 .net
- >>811
陳寿
- 814 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:15:27.27 .net
- >>806
自女王國以北 特置一大率・・・一大率は自女王國以北に居る。
常治伊都國・・・常に治める者は伊都国に居る。
一大率と常に治める者は明らかに別人ですね。
- 815 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:16:48.03 .net
- >>813
陳寿はそんなこと書いてないよ
誰か日本人が訳す時に創作してる。
- 816 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:19:18.41 .net
- >>812
原文通りだと
一大率は、女王国以北にいて諸国を検察し、伊都で常に治められていた。
(地方を検察する様は)刺史の如くである。
- 817 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:21:15.60 .net
- 奴国が倭の極南だから女王国は=奴国であって伊都が王都ではない。
- 818 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:27:08.09 .net
- >>817
極南界は倭奴国ですよ
倭奴国が金印を貰って倭国王になった。
- 819 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:40:01.09 .net
- 倭国の王都は倭奴国ということですね。
女王国から北を鎮守する大率はその隣の伊都国にいたと。
- 820 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:44:53.94 .net
- >>816
原文どおり読んでないね
- 821 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:49:33.80 .net
- >>731
淡路島(三原郡。現、南あわじ市)に在るのが大和大国魂神社。(淡路国二宮。名神大。)
大和神社の分社と伝わり、明治以前、一千数百年の永きにわたり、祭神はイザナミ大神と深く信奉されてきた。
社伝によれば創建には大和神社の初代神主、磯城長尾市や更には倭宿禰などの名が伝わり、かなり古い時代から在った事が窺われます。
律令の下、一宮であるイザナギ神社より常に手厚い対応(お手当て。税の配分)がなされた。
- 822 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 09:57:34.06 .net
- 金印を貰うくらいだから奴国は北部九州(福岡平野と筑紫平野)くらいは治めていただろう
それが後年、邪馬台国の支配下に入った時に福岡平野側を邪馬台国の直轄地として
独立させたのが伊都国ではなかろうか
- 823 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 11:20:34.02 .net
- >>821
>大和神社の分社と伝わり、明治以前、一千数百年の永きにわたり、祭神はイザナミ大神と深く信奉されてきた。
その「伊邪那美命」が日本で唯一、阿波でのみ祀られている不思議。 @阿波
式内社 阿波國麻殖郡「伊邪那美神社」
http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/07/005405
- 824 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 11:35:10.45 .net
- 自女王國以北、特置一大率、檢察諸國。諸國畏憚「之」。常治伊都國。
九州説系の人たちは、「之」を無視している
「之」は一大率だよ
分かりやすく訳すとこんな感じ
女王国より北では、特に、“一大率”という役職を設け、諸国を検察させている。
諸国はこれ(一大率)を畏れている。(一大率は)常に伊都国で治めている。
一大率は、伊都国に常駐してるよ
そして、一大率は「有如刺史」なのだから、地方官
こんなところからも、伊都国=邪馬台国説は破綻している
- 825 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 11:41:55.41 .net
- >>824
その、一大率は倭国(阿波)から派遣された「筑紫忌部なんですよ。 @阿波
- 826 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 12:06:37.73 .net
- >>824
>(一大率は)常に伊都国で治めている。
漢文の文法的に明らかな誤りですね。
(一大率は)常に伊都国で治められている。
が正しい意味です。
>一大率は、伊都国に常駐してるよ
畿内説は始めから破綻しているんですよ。
- 827 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 12:29:33.46 .net
- >>824
>そして、一大率は「有如刺史」なのだから、地方官
>こんなところからも、伊都国=邪馬台国説は破綻している
勝手な解釈だね。
伊都国に置かれた一大率が、地方(ここでは伊都から北の諸国)を検察していたのだから、それが刺史のようなんだよ。
それよりも、畿内説では伊都にいる一大率が治めている、女王国より北とはどこになるんだ?
京都か?若狭湾か?
- 828 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 14:36:38.81 .net
- 自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國
読み下し文
女王國ヨリ以北、特二一大率を置キ諸國ヲ檢察ス、諸國ハ之ヲ畏レ憚ウ。伊都國デ常二治ム。
文意
女王卑弥呼は、女王国より以北には特に一大率を置いて諸国を検察されている、諸國は一大率を恐れ敬っている。女王卑弥呼は、一大率を伊都国で常に治めている。
- 829 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 14:42:20.39 .net
- >>827
>それよりも、畿内説では伊都にいる一大率が治めている、女王国より北とはどこになるんだ?
陳寿の頭の中では
帯方郡
↓ 乍南乍東
狗邪韓國
↓ 始度一海(方角なしだけど南、南北市糴)
対馬
↓ 南渡一海
壱岐
↓ 渡一海(方角なしだけど南、南北市糴)
末慮
↓ 東南陸行
伊都
↓ 東南
奴国
↓ 東
不彌国
↓ 南
投馬国
↓ 南
邪馬台国
っていう認識なんだから、現実の地理ではなく、この陳寿の旅程に合わせて考えないと
女王国以北は、狗邪韓國から投馬国だよ
まあ、感覚的には投馬国が入るのは奇異な感じがするけれど、字義通りに読めばそうなる
- 830 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 14:58:59.49 .net
- >>829
文字通りに読んだら伊都国に一大率はいませんよw
- 831 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 15:25:57.04 .net
- では畿内は考える余地はないということで。
- 832 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 15:38:08.76 .net
- 文字どおりに読んでないからだよ
- 833 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 17:31:15.05 .net
- >>830
>文字通りに読んだら伊都国に一大率はいませんよw
>>826と合わせて
>>(一大率は)常に伊都国で治めている。
>漢文の文法的に明らかな誤りですね。
>(一大率は)常に伊都国で治められている。
>が正しい意味です。
これおかしいよww
治めるに、人・役職を治めるという意味は普通はない
人を目的語に取る場合は
「(犯罪・人などを)懲らしめる,処罰する,やっつける.」の意味になる
一大率を処罰したり、やっつけたらダメだろう
それも常にww
普通に読めば、
諸國畏憚之。常治伊都國。という並びなんだから、
「常治」の主語は、直前の「之」であり、「之」の指すところは「一大率」だよ
どうして、ここで「主語が女王」とかいう発想が出てくるのかが不思議
- 834 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 17:34:41.98 .net
- >>827
>伊都国に置かれた一大率が、地方(ここでは伊都から北の諸国)を検察していた
これが勝手な解釈
一大率が検察するのは、女王国より以北なんだから、投馬国も奴国も入るよ
そして、一大率は「有如刺史」なのだから、一大率のいるところ=伊都国が地方なんだよ
邪馬台国から、水行と陸行合わせて2ヶ月かかるんだから、しっかり地方だろうが
- 835 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:05:16.92 .net
- >>834
一大率が伊都から出兵したんだろ。
都から地方に向けて出陣する様が刺史のようだ。
- 836 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:06:00.34 .net
- >>834
>邪馬台国から、水行と陸行合わせて2ヶ月かかるんだから、しっかり地方だろうが
誤読ですね。
- 837 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:48:19.23 .net
- >>805
刺史の特徴は地方へ赴任することだけ
- 838 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 18:55:44.08 .net
- >>808
監察官たる刺史と、兵権も持つ「牧」があって、時代によって切り替わってる。
刺史が将軍を兼任するのは牧とは別だけど、その場合は軍権はあくまでも将軍職に由来するもので刺史とは無関係。単なる兼任。
戦時の司令官としての特徴を言いたいだけなら将軍なり都督なりと呼ぶべき。
刺史は単独では兵権を持たない、どころか統治権もない監察官。
>>814,816
どう見ても誤読誤訳
- 839 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:13:21.01 .net
- >>836
>誤読ですね。
いやさ、伊都国説の人が水行10日を、帯方郡起点だって言ってるのは知ってる
でも、それは自然な読み方ではないし、「平原1号墓が卑弥呼の墓だから」の逆算に過ぎない
そっちが牽強付会な誤読なんだよ
- 840 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:20:56.63 .net
- 倉本一宏も帯方郡起点説らしい
- 841 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:32:20.03 .net
- >>840
>倉本一宏も帯方郡起点説らしい
らしいってなんだよ、らしいってww
倉本一宏先生は、専門は天武・持統朝から藤原摂関政治の成立のあたりだろ
邪馬台国論争には踏み込んでないよ
- 842 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:41:49.82 .net
- >>841
「古代史から読み解く「日本」のかたち ((祥伝社新書)) 」
読んでないね
- 843 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:46:56.68 .net
- 自分の専門外のことに関しては、学者も正しくないことを言う事は多いからね
専門にしてる分野じゃないって時点で。
- 844 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:52:44.32 .net
- >>833
自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國
読み下し文
女王國ヨリ以北、特二一大率を置キ諸國ヲ檢察ス、諸國ハ之ヲ畏レ憚ウ。伊都國デ常二治ム。
文意
(女王卑弥呼は、)女王国より以北には特に一大率を置いて諸国を検察されている、諸國は一大率を恐れ敬っている。(女王卑弥呼は、一大率を使い諸国を)伊都国で常に治めていた。
>「常治」の主語は、直前の「之」であり、
何で「常治」の主語は、直前の「之」の一大率?
一大率は卑弥呼の部下で女王国以北に居る官僚で女王国以北に居るのに同時に伊都国に常に居るのは変
この文全体が女王卑弥呼の事を説明した文章だから主語は女王卑弥呼だよ。
「治」られるのは諸国であり、「治」めるは女王卑弥呼だよ。
- 845 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 20:54:53.49 .net
- この話はとっくに他スレで論破済み
- 846 :日本@名無史さん:2018/05/02(水) 21:23:26.26 .net
- >>838
>監察官たる刺史と、兵権も持つ「牧」があって、時代によって切り替わってる。
>刺史が将軍を兼任するのは牧とは別だけど、その場合は軍権はあくまでも将軍職に由来するもので刺史とは無関係。単なる兼任。
なるほど。
だから検察となるわけか。
- 847 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 00:40:44.57 .net
- >>844
>何で「常治」の主語は、直前の「之」の一大率?
自分で貼ってる読み下し文、何も考えずに読んでごらん
読み下し文
女王國ヨリ以北、特二一大率を置キ諸國ヲ檢察ス、諸國ハ之ヲ畏レ憚ウ。伊都國デ常二治ム。
これに余計な言葉を補わずに読んだら、普通に「之」が常に治むとしか読めないだろう
ここ一帯の主語が卑弥呼だっていうのは「為にする決めつけ」だよ
- 848 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 07:36:17.21 .net
- >>847
一大率は検察するのが仕事だと書いてある
治めるのは一大率の仕事ではない。
「常治伊都國」この文は「之」だけを受けてるのでなく、「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之」全体を受けてるんだよ
こうやって女王卑弥呼jは治めてるって意味だよ。
- 849 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 07:37:45.05 .net
- >>845
何度論破されても同じ話を畿内説の人は繰り返してくるんだよな。
- 850 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 08:39:02.96 .net
- >>847
漢文の書き下し助詞にデはない
落第、顔洗って出直してこい。
- 851 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 08:56:03.61 .net
- >>844
>一大率は卑弥呼の部下で女王国以北に居る官僚で女王国以北に居るのに同時に伊都国に常に居るのは変
伊都国の位置を女王国より北、北方だと誤認してたら矛盾は出てこない。
地理の誤認がないことを大前提に置くから、有りもしない矛盾を幻視しちゃうんだよ
- 852 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 10:56:14.13 .net
- >>850
漢文の書き下し文にデを使ってはいけないなんてルールはありませんよ
分かり易ければそれで良し。
- 853 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 10:58:15.30 .net
- >>851
何を主張したいか意味が通じてませんよ?
- 854 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:05:54.26 .net
- >>852
イレギュラーな読み管しなので分かり難い
- 855 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:19:00.74 .net
- >>854
常ニ伊都國ニ治ム
とかだと何のことか分かり辛いだろ
常ニ伊都國デ治ム
なら意味が明快、伊都国を治めるとか変な勘違いする人もでないだろ。
- 856 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:21:33.24 .net
- 常ニ伊都国ニ治ス
- 857 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:25:52.72 .net
- 伊都国に大率役所が常設されてるんでしょ
- 858 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:28:29.41 .net
- 「常に伊都国を治める」でいいんじゃないの?
直接治めているのは伊都国で、そこから諸国を監察してる、
つまりは伊都国から諸国を監察している、で大意としてはいいんじゃないかと。
- 859 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:30:05.27 .net
- >>857
大率か一大率か知らんが女王国以北に居るのに伊都国に大率役所が常設って意味が分からんw
- 860 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:33:55.73 .net
- 出張して検察するわけだし、どこかに役所は必要だろ
- 861 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:39:12.67 .net
- 又州郡所駐曰治,如蜀刺史曰治成都,揚刺史曰治會稽。
http://www.zdic.net/z/1c/kx/6CBB.htm
- 862 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 11:47:52.61 .net
- 常ハ伊都ニ治ス
- 863 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 12:11:08.13 .net
- >>850
>漢文の書き下し助詞にデはない
>落第、顔洗って出直してこい。
それは>>844の九州説のヤツに言ってやってくれ
- 864 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 12:22:19.44 .net
- (諸国を監察する時以外の)普段は伊都に駐在している
- 865 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 12:35:43.27 .net
- 三國志当時も幽州刺史が東夷全体を監察していたわけで、国ごとに刺史(大率)がいたとか言ってるやつはアホ以外の何物でも無い
- 866 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 12:39:54.83 .net
- 焦点が少しずれてきているけど、一大率が「地方」官かどうかが今の問題
伊都国が邪馬台国の都だとする人は
南至邪馬壹國、女王之所都 とどういう関係を考えるのか教えて欲しい
なぜ、伊都国のところで、「女王之所都」と書かれないのか
伊都国説が通らないのは、これに答えられないからだよ
- 867 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:02:14.12 .net
- 邪馬台国は卑弥呼のふるさと、共立されて伊都国に移った
有先君之舊宗廟曰都
http://www.zdic.net/z/26/sw/90FD.htm
- 868 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:20:08.38 .net
- >>852
デを使うルールはない
いいか
デは存在しない。
高校入学からやり直せ。
- 869 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:35:12.45 .net
- >>866
>なぜ、伊都国のところで、「女王之所都」と書かれないのか
>>864
常は基本的に例外はない
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國」とは矛盾しますね。
>>866
「南至投馬國 水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸」
この文章は前後の文章とは別もので飛ばして読んでもいいもので
距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したものです
距離の行程は魏略にもありますから、張政等が倭に来る前から知られていたもので
時間の行程は張政等が新たに報告したものでしょう
女王国の領土には投馬国と邪馬壹國があり邪馬壹國
- 870 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:37:43.71 .net
- >>866
「南至投馬國 水行二十日 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸」
この文章は前後の文章とは別もので飛ばして読んでもいいもので
距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したものです
距離の行程は魏略にもありますから、張政等が倭に来る前から知られていたもので
時間の行程は張政等が新たに報告したものでしょう
女王国の領土には投馬国と邪馬壹国があり邪馬壹国側に都が在ったってことですね
投馬国は狗邪韓国が在る朝鮮半島南岸の地域で邪馬壹国は伊都国を含む北部九州とすれば辻褄があいますね。
- 871 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 13:38:18.84 .net
- >>868
誰が決めたの?
- 872 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 14:29:01.41 .net
- 「常」は不変ではないよ
- 873 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 14:35:28.30 .net
- >>871
格助詞にデが存在しないから
以上終わり
- 874 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 16:52:11.03 .net
- >>868
>デを使うルールはない
>いいか
>デは存在しない。
>高校入学からやり直せ。
ずいぶん勝手な自分ルールを振り回しているけれど、
漢文の読み下しは、文語で書くというのが慣例になっているだけで、
別に口語文で書き下しても構わない
「デ」を使ってはいけないという決まりはそもそもない
それに「デ」が使いたくないなら、「ニテ」とすればよいだけの話で
「ニテ」なら文語でも書き下し文でも普通に使うし、意味も変わらない
- 875 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 16:54:15.35 .net
- >>873
>格助詞にデが存在しないから
>以上終わり
>>874の書き込みが遅くなって、恥の上塗りをさせてしまってごめんな
>>874でも書いたとおり、「デ」は「ニテ」を一字にした接続助詞だ
「二」が格助詞だから、問題ないだろ
バカなことでがんばったものだね
- 876 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 16:59:19.54 .net
- >>867
>邪馬台国は卑弥呼のふるさと、共立されて伊都国に移った
>有先君之舊宗廟曰都
これ、今までにも何度か否定してきたけれど、この説文解字の注は
左傳曰。凡邑有宗廟先君之主曰都、無曰邑。
で、左氏春秋伝での「都」の用法の解説を「例」として挙げたものであって、
「都」の定義でもなんでもない
それに、細かいことを言い出したら、墓と廟は違うから、伊都国にも廟はないよ
これは、伊都国が都であることの理由にはならない
- 877 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 17:02:29.98 .net
- >>869
>この文章は前後の文章とは別もので飛ばして読んでもいいもので
>距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したものです
これが無理がありすぎなんだよ
大陸の史書の、地理・旅程記事で「飛ばして読んでもいいところ」というのが、
他にもあるなら教えてくれ
ないなら、そのような読み方をすること自体に妥当性はなく、
自説に都合がよいだけの恣意的な読み方に過ぎない、ということになる
大陸の史書の、地理・旅程記事で
「距離で行程を説明し終えたに後に同じ行程に掛かる時間を説明したもの」
というのが、他にもあるなら教えてくれ
ないなら、そのような読み方をすること自体に妥当性はなく、
自説に都合がよいだけの恣意的な読み方に過ぎない、ということになる
- 878 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 17:24:29.36 .net
- >>875
接続助詞が名詞につかず
接続助詞は動詞にしかつかない。
お前は古文も落第だな。
- 879 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 18:12:19.01 .net
- >>876
そもそも伊都国は都じゃないでしょ
- 880 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 18:17:20.20 .net
- >>876
>で、左氏春秋伝での「都」の用法の解説を「例」として挙げたものであって、
>「都」の定義でもなんでもない
説文解字とはこういうもんだけど
左氏春秋伝その他古典文における用例を引用して漢字の意味を定義しているもの
お勉強が足りません
- 881 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 18:43:30.73 .net
- >>878
昔の人が書き下したから文語体になってるだけで
現代人が書き下せば現代文になるのは当然
アンタはアホじゃな。
- 882 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 18:55:35.63 .net
- >>876
説文解字は、「都=有先君之舊宗廟曰都。从邑者聲。周禮:距國五百里爲都。當孤切」
この部分で、漢字の意味、構造等を説明する。
下段の用例は、説文解字注で清の段玉裁が著したもの
- 883 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 19:47:37.42 .net
- >>878
「ニテ」は、現代語でも、古文でも、漢文の書き下しでも使うよな?
これを、文法的に解釈してくれ
- 884 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 19:52:02.96 .net
- >>880
>左氏春秋伝その他古典文における用例を引用して漢字の意味を定義しているもの
ここが嘘、
古典文における用例を引用して、漢字の意味の「成り立ち」を「解説」したもの
「定義」はしていない
そして、言語はその意味内容が変わっていくものでもある
「説文解字に書いてあるから、この字の意味はこれに『決まってる』」式の言説には
意味がない
>お勉強が足りません
半可通の言い訳ですね
- 885 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 19:57:41.59 .net
- >>882
>説文解字は、「都=有先君之舊宗廟曰都。从邑者聲。周禮:距國五百里爲都。當孤切」
>この部分で、漢字の意味、構造等を説明する。
で、「周禮:距國五百里爲都」の部分で、
「周礼では、こういう使い方をしている」ということだけを示しているに過ぎない
で、
>下段の用例は、説文解字注で清の段玉裁が著したもの
清の段玉裁が、周礼の中の該当部分を引用して示してくれていて、
周礼の左氏春秋伝の解説で、「先王の廟があるところを都、ないところを邑とする」
と書いてあるだけ
周礼が書かれたときには、そういう定義だったというだけ
それがその後ずっと、未来永劫、都の定義として通用する訳ではない
- 886 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 20:06:11.92 .net
- >>885
魏代の意味が重要でしょ、オツム大丈夫w
- 887 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 20:07:21.03 .net
- >>885
意味を定義なんて、新しい語句を創出するときだけだろ。何を有り得ないデタラメ言ってるんだよ
誰がどう見ても定義じゃなく説明と解説だぞ
- 888 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 20:48:34.52 .net
- つまり、都は"先王の廟があるところ"だから、
故郷でも京でもどっちの解釈も"あり"でしょ
卑弥呼の先王の廟がある所でいいと思うよ
この件は倭人伝の解釈のどの説でも問題なさそうだが
- 889 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:12:13.98 .net
- 都は"先王の廟があるところ"は元々の意味で、魏代には都は都。
- 890 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:16:46.93 .net
- >>889
エビデンスは?
- 891 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:27:32.19 .net
- >>886
>魏代の意味が重要でしょ、オツム大丈夫w
そうだよ?
説文解字に書いてあるのは魏代の意味じゃないだろ?
何を言ってるんだ?
頭悪いんじゃないか?
- 892 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:31:23.85 .net
- >>887
>意味を定義なんて、新しい語句を創出するときだけだろ。何を有り得ないデタラメ言ってるんだよ
>誰がどう見ても定義じゃなく説明と解説だぞ
オレもそう言ってるんだが、>>882が説文解字に書いてある意味が正しいとか抜かしてるからさ
- 893 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 21:31:31.01 .net
- >>890
三国志読んでみろw
- 894 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 22:00:05.93 .net
- >>890
>エビデンスは?
魏の都は洛陽
曹操の墓は西高穴2号墓で、河南省安陽市安陽県安豊郷西高穴村にある
洛陽じゃないね
さらにその前代は、安徽省亳県の城南一帯の古墳群が、曹操一族の墓
曹操の父・曹嵩と、祖父の曹騰の墓と推定されるものがここにある
これも洛陽じゃないね
ということで、魏の都は先王の廟とは無関係
- 895 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 22:56:35.84 .net
- >>883
ニテは
中国語で
於
字をつかうから
ニテの出番はない
- 896 :日本@名無史さん:2018/05/03(木) 23:33:08.46 .net
- >>894
もう少し前だと、後漢末期、董卓滅亡の少し後から魏への禅譲まで後漢の都は許県、曹操の墓が作られる地域に近い位置だったけど、
その先帝にあたる霊帝の墓所は洛陽だったしね
霊帝と献帝のあいだには廃帝(弘農王)がいるけど、廃帝は「先帝」にならないことも多い、特に「少帝」の場合。
(といっても、弘農王の墓所は洛陽だから、霊帝の墓所とあまり位置は変わらないけど)
- 897 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 02:03:03.23 .net
- >>894
洛陽は魏の京師だよ
- 898 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 02:05:27.21 .net
- >>891
説文解字は魏晋代にも普通に使われてるだろ、違うというなら魏代の意味が分かる字書を出して来いよ
オツム大丈夫かw
- 899 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 02:06:34.82 .net
- >>893
ないんだねw
- 900 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 02:42:50.92 .net
- 当時は都の事を「京」「京師」と呼んでおり、晋代に世宗司馬師に廟号が送られた結果、
諱の師を避け「京師」が、師と似た意味を持った都の漢字を使い「京都」と呼ばれる様になった。
ここから、「都」という漢字は三国時代当時にはまだいわゆる都を表す意味は無かったということ。
- 901 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 03:43:30.44 .net
- 史記における「所都」の用例
「又有?鹿故城,在?州東南五十里,本?帝所都也。」
「?鹿故城在山下,即?帝所都之邑於山下平地。」
「河東縣二里故蒲坂城,舜所都也。」
「陶城在蒲州河東縣北三十里,即舜所都也。」
・・・・・
- 902 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 03:45:06.25 .net
- あげ
- 903 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 06:37:32.02 .net
- 漢書における「所都」の例
「郊處各在聖王所都之南北」
「亳,殷所都也。」
「?邑,有??,詩?國,公劉所都。」
「朝歌,紂所都。」
・・・・・
- 904 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 06:40:19.14 .net
- 後漢書における「所都」の例
「臨?本齊國所都,即齊王宮,中有壞臺也。」
「?,文王所都,在京兆杜陵亭。」
「絳,晉國所都。」
「?,文王所都,在?縣東。」
「鎬,武王所都,在上林苑中。」
・・・・・
- 905 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 10:21:57.08 .net
- 史記以降、普通に都は今の首都と同じ意味で使われてるってことでOK?
- 906 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:00:11.55 .net
- よう分からんが、史記、漢書の用例を見て、説文解字は先祖の廟のあるところと纏めたんだよね
執筆時点からすると、すべて過去みやこだったとこなんじゃね
- 907 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:01:46.01 .net
- 執筆時点では、既にみやこではないということかな
- 908 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:27:18.34 .net
- まあ、語源や来歴を想像で書いてるんだから間違いや勘違いも多かったってことだわな
- 909 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:41:24.48 .net
- 説文解字は今でもバイブルだけどね
説文入門
「漢字の成立と用法について分類した六書によって各字の本質的意味を解き明かす。
成立から2000年近く経ち、研究が進んだ今日からみても、その解説はおおむね正しく、
権威をもった基本的な字書として重んじられている。」
- 910 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:43:34.21 .net
- >>906
>よう分からんが、史記、漢書の用例を見て、説文解字は先祖の廟のあるところと纏めたんだよね
説文解字は後漢代の西暦100年成立で、史記と漢書は成立しているが、
四書五経やその注釈書から語義を採っているのが多いんじゃなかったかな
- 911 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:48:25.21 .net
- >>880みたいに「用例を引用して漢字の意味を『定義』しているもの」だから、
それ以外の意味は認めない、的なことを言わずに参考にすればいいんだよ
三雲南小路遺跡があるから伊都国が都、なんていうのは暴論
- 912 :日本@名無史さん:2018/05/04(金) 12:57:01.02 .net
- 結論は、邪馬台国は「所都」であるから、過去の都、卑弥呼の故郷である。
共立後の卑弥呼のいたのは伊都国でFA
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